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「し」


2021年鑑賞作品

親愛なる君へ/親愛的房客/Dear Tenant
2020年 106分 台湾 カラー
監督:チェン・ヨウジエ 脚本:チェン・ヨウジエ
撮影:音楽:
出演: モー・ズーイー/ヤオ・チュエンヤオ/チェン・シューファン/バイ・ルンイン/ジェイ・シー/シエ・チョンシュアン/ウー・ポンフォン/シェン・ウェイニエン/ワン・カーユエン


2021/8/3/火 劇場(ヒューマントラストシネマ有楽町)
私なぜか本作が日本映画の新作だと思い込んでて、しかも、あ、これ待ってたやつだ、とまで思って、情報を確認もせずに、本当にタイトルと写真一発だけでそう思って、始まってみたら台湾映画だったからめっちゃびっくりした。
でもそこまでそう思い込んで足を運んだのが、なんだかすごく出会いというか、縁というものをすごく感じて。台湾映画はそう数を観ている訳ではないんだけれど、個人的印象としては優しくて、心の手触りのいい、そういう感じがする。
本作もまた……最初こそ、何かサスペンスフルに始まるのでドキドキしたが、やはり最終的には私の思っている、台湾映画の心優しさに着地してくれて、しかも主演のモー・ズーイー氏があまりにも素晴らしいし、本当に出会えて良かった作品。

ゲイのカップル。その片方が女性と結婚し、子をなし、その子を育てるストーリーというのはふと「his」を思い起こさせもした。子をめぐっての裁判になるなんてところまで不思議な相似形を感じさせもしたし、同じアジアの、劇中での感覚ではその差別的意識は日本とそう変わるところがなさそうなあたりも。
「his」は忘れがたき秀作の一つとして今も私の心にともり続けているが、本作もまたそうなりそうだし、その時、「his」と共に思い起こしそうな気さえする。
見目麗しい美青年二人のカップルというのは、腐女子を喜ばせそうになるところを押しとどめ、その若さでこれから生きていかなければならないだけに、辛い現実が押し寄せる。社会は思ったよりも冷たく、そして人間は思ったよりも……あたたかなものであることが判るところまで、本当に不思議な縁を感じる。

でも、そう、先述したように、本作はサスペンスチックに始まるのだ。主人公、リン・ジエンイーは刑務所にいる。殺人容疑と薬物所持、と冷たく告げられる。えええ!こんな優しげな青年が、何があったの、なんたって何の情報も入れていないもんだから、これはそーゆー方向のサスペンスドラマなのかしらん、と緊張する。
すると時間軸がするりと移動し、ジエンイーはカワイイ男の子、ヨウユーと台所で仲睦まじげにしている。しかしその場面は二人とも若干緊張している面持ちである。「叔父さんと呼べば、お年玉がもらえるんだから」と冗談めいて言い含めて、炊事をしていたジエンイーはヨウユーを居間に送り出す。

老婦人と青年。この二人は親子であることがすぐに判るが、この時点でジエンイーがどういう関係性なのかすぐに飲み込めない。“叔父さん”リーガンのきょうだいにしては、彼とも老婦人とも微妙によそよそしいし、なんだろう、なんだろう……と思う一方で、冒頭のシーンがよみがえる。
ジエンイーは一体誰を殺した、いや、殺したかもしれない容疑に問われているの?そうじりじりと思っているうちに、この老婦人がジエンイーにこれみよがしに冷たい態度をとることに、さらに混乱する。

「私の息子が死んだことを忘れているのかと思ったよ」その皮肉たっぷりの言いようは、ジエンイーにその死の責任があるという口ぶり100%である。
てことは、やはりジエンイーは彼女の息子ではないんだ。でもヨウユーは彼女の孫であり、ヨウユーを育てているジエンイーは??しかも殺人容疑とかどういうこと??と観客を翻弄させつつ、導入部があんなにサスペンスフルだったのに、どんどん涙で湿っちゃう、愛のドラマになってっちゃうんだから!

最初からネタバレだったけど、ジエンイーのパートナーだったリーウェイの忘れ形見がヨウユー。一緒に登山をしたジエンイーの腕の中で、高山病にかかってリーウェイは死んだ。
自己管理が甘かった上に意固地になっていたリーウェイ自身の、こう言ってしまったらあまりにも気の毒だけれど、自己責任としか言い様のない死だった。
しかし、この時に決定的なケンカをしちゃったことと、なんたって事情は当事者の二人しか判らないことで、リーウェイの母はそりゃあ、一緒にいたジエンイーにつらく当たることで、愛する息子が突然亡くなってしまったことになんとか折り合いをつけてここまで来たに違いない。

先述のように彼女にはもう一人息子がいるが、今は中国で暮らしていて頼りにならない。この弟君、リーガンに関しては、なかなか複雑というか、見る立場によっては結構な悪人にもなりえそうな人物なのだけれど、結局はただ単に、要領よく生きている現代人、というだけのことなんだろう。
決して悪人ではなく、それなりに家族も愛しているけれど、都合の悪いところからはさっさと逃げ出して、特に罪悪感もない。都度都度必要な時に顔を出せばいいぐらいに思っている。……決して悪人ではない、のだが、その要領の良さが、本作の人間関係や事件には最悪に作用してしまう。

この老母は重い糖尿病を患っていて、しかし老いた病人特有のワガママプラス、格好の標的であるジエンイーに辛く当たる。それこそが、まあよくあるシチュエイションなら、このワガママババアに我慢ならなくて殺しちまった、という展開があの冒頭の殺人容疑になると考えられる。
でも、ここまでの時点でまだまだ事情はイマイチ判らないものの、ジエンイー、そして彼を演じるモー・ズーイー氏の物腰で、そんな筈ない、彼が何か悪意を持って何かしちゃう筈はない!!と確信できるので、更に混乱するのだ。

一体何があったのか。うすうす彼がゲイであり、亡きパートナーの子を育てていることが判って来るにしても、なんたってそのパートナーは死んでしまっているのだし、幼いゆえにかヨウユーにはいろんな事実はまあ、伏せられているらしいし。
それはこの老母の厳命だったんだけれど、ジエンイーにしたって、やはりなかなか、まだまだ、言いづらかったに違いない。特に、彼の父の死の真相は……。

結局はこの老母こそが真の理解者となって、ジエンイーにヨウユーを養子にするように勧め、自らも証人となって無事“家族”となる訳だが、そのことが明かされるのは、彼女が突然の死を遂げてから。
次男のリーガンが家の権利書の持ち主がヨウユーに書き換えられていること、同じタイミングでジエンイーの養子になっていることを知って、母の死に疑惑の目を向けるんである。

確かに、リーガンには、リーガンにだけは判らない、知らせる気もなかった、“家族の秘密”がそこにはあった訳で、結果的に悪者な位置になっちまった彼は、ちょっと気の毒だったかもしれない。知らない間に、家族という輪からはぶんちょにされていたのだから。
でもそれは彼自身が自ら選び取った道だし、確かにそれ以外の人物たち……死んでしまったお兄ちゃんであるリーウェイも、彼の子であるヨウユーも、ジエンイーも、そして老母のシウユーも、家族に縛られ、苦悩し、いがみ合い、疑い合ってしまう。でも、その苦悩を選び取ったそ彼らには、その先にすべてを納得した光があった。

老母のシウユーは、結果的には自殺、ということだった、ということだよね?そして幼いヨウユーが、訳も分からずその手助け、つまり自殺ほう助者となった。ジエンイーは愛する“息子”ヨウユーを守るために、自らが殺意を持ってシウユーを殺した、という筋書きを飲み込んだ。
それはリーガンが、自分が売り飛ばしたかった実家の権利書の所有者が母からヨウユーに書き換えられていたこと、そのヨウユーをいつのまにやら養子にしていたジエンイーに疑惑の目を向けたことから、ほじくらなくてもいい、ヨウユーの幼き罪が暴かれるかもしれない、という展開によってなのであった。

ああ、バカめ、リーガン。そりゃあんたは大して悪いことはしていない。小悪党どまりだ。借金を残して中国に逃れた。その借金は当主の兄が追うことになった。
兄のリーウェイは世間体的に自らを欺いて結婚したことで追い詰められていた。嫉妬したジエンイーがチクッたことで、離婚に追い込まれるという展開はなかなかの修羅場だが、これはまあ、リーウェイの甘さの責任であるから。

しかしこの時から、奇妙な、そしてとても固い結束力の家族が産まれる。ジエンイーは間借り人として、リーウェイと共にヨウユーを育て、老母シウユーの介護をする。
特にリーウェイが死んでからは、辛く当たりまくりのこのクソババアに(爆)、ジエンイーは一度だって、イラついたり、めんどがったり、しないのだ。いつだって、自分の愛する母親に対するように、いつくしむ。

そりゃそうなんだ。だって、愛するリーウェイのお母さんなんだもん!そしてヨウユーも、愛するリーウェイのお子なんだもん!!
養子縁組の正式な判決が出される裁判所、ああ、ここで、ジエンイーは、歓喜と苦悩の両方を味わったのだ。養子縁組の手続きがされたこの場で、ヨウユーからパパ二号と呼ばれ、目を真っ赤にしてジエンイーは喜びをかみしめた。
なのに、違う意味でのパパ疑惑を向けられた。自分勝手に逃げ出して、自分の兄や母の気持ちを何一つくみ取らず、自由に生きてきた次男のリーガンが、幼いヨウユーが心配だ、とか口当たりのいい勝手なことを言って、それまで何一つ関わってこなかったくせに、勝手なこと言ってさ!!

……先述したように、決して悪人じゃないんだよね。だからこそ始末が悪いんだけど(爆)。お顔立ちからくる雰囲気も、柔らかな常識人といった感じで、このキャラクターの彼自身が、自分の勝手さつーか、自己欺瞞つーか、そのことに全く気付いていないことが、かえって哀れに思えちゃうというか。
自由に動いている割には保守的で、兄のゲイパートナーであったジエンイーが、兄の子供を養子にすることに対して、そーゆー、性愛的な恐れがあるから(そこまで明確には言わなかったにしても、明確じゃないだけに陰湿なのよ)ヨウユーを保護するべきだ、と目を吊り上げる感じが、うわー、近代的な自分に見せてて、逆効果、めっちゃ古っ!考え方単細胞!!と思って……。

いまだこういう感じ、なのだという世界の現実である。アジア的リアリティを感じるあらゆるあるあるだが、意外にむしろ、表面的には進歩的に見える西欧の方が、中に入ると大して変わらないんじゃないかという気もしている。
個人的には、ジエンイーのセフレで、よく効くがゆえにこの事件を引き起こしてしまった薬を売ってくれた男の子が印象に残った。問答無用で捕まえる警察の目からは、“SNSの写真よりバカっぽい”ぐらいの取るに足らない男なんだろう。

でもとてもいい子なのだ。確かにジエンイーとはセックスだけの関係なのだろう。でも、セックスって、やっぱりそれだけじゃないって思うし、この二人の、うん、セックスシーンもかなり熱っぽく撮ってたし、そして、この若い男の子は、若いけど、ジエンイーの苦悩を充分にくみ取ってたし、もしかしたらヤバいことになることも予想していた。
逃げ出しちゃって、捕まっちゃって、吐かせられて、結局はジエンイーの不利になる証言を取られちゃうけれど、彼を恨む気にはなれないんだよね。死んだ恋人にとらわれたままのジエンイーを、心も体も受け止めてくれた男の子だったのだから。

最終的には、ヨウユーが、おばあちゃんに頼まれて自分が薬を飲ませた、と証言し、つまりジエンイーの無実は証明されるんだけれど、二人がまた一緒に暮らせるかどうかは、かなり疑問な感じで終わる。
ジエンイーはピアノ教師、ヨウユーも彼の手ほどきでつたないピアノを弾く。その音源が、出所して丸刈りになって、仕事復帰した彼の元に届くんである。たどたどしいピアノに、自作の詩まで歌う、愛する“息子”の声にジエンイーは涙する。

とにかく、ジエンイーを演じるモー・ズーイー氏が素晴らしく、同じ閉塞したアジア人社会のあるあるとして、めっちゃ共感したし、明日への希望の扉が何枚もひらいた気がした。おばあちゃんの覚醒が、何より感動的だった。★★★★☆


刺青[4K修復版]
1966年 86分 日本 カラー
監督:増村保造 脚本:新藤兼人
撮影:宮川一夫 音楽:鏑木創
出演:若尾文子 長谷川明男 山本學 佐藤慶 須賀不二男 内田朝雄 藤原礼子 毛利菊枝 南部彰三 木村玄 岩田正 藤川準 薮内武司 山岡鋭二郎 森内一夫 松田剛武 橘公子

2021/4/25/月 録画(ムービープラス)
以下を書き終えてから、本作が同じ谷崎の「お艶殺し」も合わせて作られていることを知ったもんですから、もう書き直すのもアレなんで、ハズかしいのですけれど、このままにしときます!!
でもそれって、双方の原作に対する冒とくっつーか、なくないー。これじゃ本作はほぼほぼ「お艶殺し」じゃんか……。

いや、つーか、谷崎大、大、大好きだし、「お艶殺し」だって当然読んでるのに、全然気づかなかった自分がもう、バカバカ!しんっじられない!!

(……なので以下は、もう恥ずかしいばかりなのだが、でもさ、映画に対峙する一般人の感想って、こーゆーことじゃない??(弁解でしかない……))

……………あー載せたくない……。

……………………………………………………………………………………………

谷崎の「刺青」こんな話だったっけ?と引っ張り出したが、そうよね、こんな話なわけはない。てゆーか、短編と言ってもいいこのお話を、映画という尺の作品にするのは、そのままではいくら何でもムリというか。
脚本は新藤兼人。まさに脚本の神様。あの名作短編を映画脚本にしろと言われて、彼がどんな経過をたどってこの物語を編み出したかをいろいろ想像すると楽しい。

原作はたった二人の物語である。彫師と彼が魅入られてその背中に女郎蜘蛛を彫る美少女。物語は彼が彼女の背中に女郎蜘蛛を彫ってオワリ、と言ったら身もふたもないが、筋を言っちゃえばそれだけの短さなのだ。

そう、少女なんだよね。ほんの16か17の、一見して可憐な美少女の中に、彫師は凄艶な妖女の姿を見出した。
それを映画に、といったら、一体どんな女優が出来るだろうか、その場合の彫師は誰だろうかと考えるのも楽しいけれど、ヤハリヤハリ、それはかなわぬ夢なのだ。

若尾文子。この時の彼女はまさに匂うような美女。そして熟した大人の女。もっちりとした肌はなるほど、彫師の長年の夢がその前に現れたというのに大いに納得する美しさである。
ここは原作通り、彼女のちらりと裾からはだけて見える足先の美しさだけで、彫師の清吉は探し続けた肌を持つ女を見つけた、と確信するんである。

しかして、原作では彼女と共に、いや、むしろピンの主人公と言ってもいい彫師の清吉は、新藤兼人の思い切った舵の切り方によって、まったき脇役となっている。
主人公はただ一人、お嬢様としてのその登場から、わがままで妖艶で男を引きずり回すその後の展開を、その時には恋人の新助にしか示していない。裕福な質屋の娘であるお艶、新助はその店の手代である。

禁断の関係。この時には確かにワガママなお嬢様のお艶の振る舞いは、恋人に対しての甘えと言えばそうも見えた。
しかし、いわば彼女の方からそそのかして逃亡、身を寄せた知人宅で両親へのとりなしを頼む間は、新助とヤリまくりのお艶は、おどおどの新助に比してどこに行ってもお嬢様、いや、女王様の片りんを既に見せていた。

その知人、権次というのが結局は悪党だった。お艶の両親には適当なことを言って探索のための小金をせしめ、お艶たちには今説得中だと言って放置し、ついには新助を殺し、お艶を売り飛ばすという暴挙に出る。
いや、新助は死ななかった。刺客に必死に抵抗して逆に殺してしまった。それでなくても恩義ある旦那様への裏切りにずっと心痛めていた新助は、もうすっかり女郎生活にウッキウキのお艶と温度差アリアリなのは当然のことであった。
いや、最初から二人は、なぜ恋人同士になったのか理解に苦しむほど、倫理観のレベルが違いすぎる二人、だったのだ。

脚本の神様、新藤兼人が、もうこれは全く違う物語、女郎蜘蛛を彫られた女を主人公にして、しかもそれを若尾文子が演じるならと腹をくくって、男たちを次々食い物にしていく、妖女の一大絵巻に仕立て上げた、肝の座った改変、いや、これはもう、原作はアイディアに過ぎず、彼自身のオリジナルストーリーだというべきだと思う。
それでも律儀な新藤氏は原作における重要な台詞を言わせる。それは原作では刺青が彫り上げられた最後に彼女が言うのだけれど、本作ではもちろん、刺青が彫り上げられた後に次々男を食い物にしていく彼女の妖女っぷりが描かれていくのだから、その台詞は途中経過に過ぎない。

過ぎない、ってところが、重要な意味を持っていたのかもしれないと思う。この刺青を彫り上げることで、彫師の清吉はまず、彼女の肥やしになった。原作では最後、彫り上げられた時に語られる台詞、映画作品である本作でも、タイミングとしては同じ、彫り上げられた時だが、そこから彼女の物語が始まる。
原作ではつまり、彼女がそこから次々男を肥やしにしていくことを、最初の男が彫師の清吉であったことを暗示する形で終わっている。そう考えると、なるほど新藤兼人神様の、大胆に思えるクリエイションは、原作を十二分に汲んでいるってことなのだと改めて思う。
いわば、その後を、きっとこうなるに違いないその後を、数々の男たちをその美しいおみ足で踏みつけにしていく彼女を、映画の尺や、ヒロインを演じる若尾文子様を考えつつ、作り上げたんだと思うと、鳥肌が立つ。

思えば若尾文子様が演じるお艶も、最初っから美しい女性だったが、確かにワガママいっぱいのお嬢様、という設定は、そうは見えないけど(爆)少女のそれを思わせはした。
新助と逃亡してから、本性がハッキリ出始めたというか……。日がな一日セックスを繰り返す日々、愛のコリーダを思い出しちゃう。そう考えると、破滅の結末は予期できるものだったかと思ったり……。

お艶を売り飛ばした権次、買い入れた徳兵衛、客である旗本の芹沢……次々彼女の毒牙にかかっていく。権次なんぞは、自分がお艶をだまくらかして売り飛ばし、新助を殺そうとまでしたくせに、すっかりお艶に心酔してしまって、彼女のそそのかしに応じて女房を殺してしまう始末なんである。
……一体、お艶のささやきによって、男たちは何人の殺人を犯しちまったんだろうと思う。新助は三人、権次は女房を殺し、清吉は……ああそうだ、清吉は、まさに原作の主人公であることを、ラストに示したのであった。

清吉はお艶を殺した。その前に、愛憎あふれまくりの、苦悩しまくりの新助が、もうどうしようもない、彼女と一緒に死ぬしかないと思い詰めて、彼女を殺そうと迫って……お艶は手練手管でうそっこな愛の言葉をささやきながらなんとかかわそうと逃げまくって、結局この悪魔の女は、自分のために身も心も投じた男を殺しちまったんである。

こんなこと言っちゃったらアレなんだけど、新助がうじうじ悩みまくるのが、そりゃ悩むのは当然、人間として当然!なのだけれど、なんか次第に、お艶を基本に考えるようになるというか、彼女に先導されていくような感じ、だからさ。絶対におかしいんだけど、人を殺してしまって苦しんでいる新助を、うじうじした男気のないヤツ、とか、思っちゃうの!!
彼女はそんな新助を追い詰めるように、あるいは一人殺しても二人殺しても同じだから、と度胸をつけさせるためだったのかと、彼女だったら考えそうなことだと思わず納得しちゃうがごとく、新助の手を血に染めさせる。
考えてみたらズルいよなあ。お艶は自分の手は汚してないんだから、そんな苦悩を知る由もない。考えてみればそうだ。お艶が手を下したのはただ一人、物語の最初には、一緒になれなければ死ぬぐらいに思っていた、恋人、新助だったのだ。

でもそのお艶を、その経過をじっと見守った上で殺したのは、彫師の清吉だった。三人の男女が、血まみれで倒れるラスト。お艶に魂を吸い取られた男たちの最上の二人が、一人は殺され、一人は自らを殺して、息絶えるラスト。
映画ではすっかり脇役になっちゃったと言ったが、訂正訂正。やはりそこは、脚本の神様、新藤兼人様だもの。そこは抜かりある筈がない。映画における、そして原作における、それぞれに彼女の肥やしになった男たちに、いわばかたきを討たせたというか、心中させてあげたというか、

食い物にされる男たちの最後の、金にものを言わせる旗本、芹沢を演じる佐藤慶のふてぶてしさはかなり魅力的で、エンタテインメントとしての映画作品における本作、いわば原作にはない、というフィクショナルの楽しさを最も示してくれる存在であった。
富裕層のお嬢様とか言いつつ、カンタンに奈落に落とされる市井の社会とハッキリと対比されるお武家様。無礼だという理由がつけば、人を殺しても罪にはならない傲慢な立場。それは、人殺しが露見してしまえば、即ハリツケ、死ぬしかない、人権なんてものが存在しない当時の下層庶民とは明らかに違うのだ。
ただ……理由もなく人を殺しても、罰せられないというのも、一方で哀しき人権のなさの象徴のようにも思う。芹沢は結局、金でお艶を縛ることしかできなかったし、最期の修羅場のメンバーに選ばれたのは、彼ではなかったのだから。

ひさっしぶりに、原作読み直したなあ。ほんっとに、耽美、嗜虐、エロス、女性こそが最上、征服される男の方こそが幸福、という谷崎の基本テーマ、あらゆるあらゆるザ・谷崎が詰め込まれていて、そのエッセンスっつーか、原液よね、これは。
それぐらいの強烈なエッセンス。ここから何を生み出してもいいし、でも決して、原作の強烈な核は揺るがないのだ。改めて、谷崎の凄さに感嘆したし、この原作を映画作品として書いた新藤兼人神様に驚嘆したし、そしてやはりやはり……若尾文子様!!

あの背中、むっちりした脂肪ののり方のあの肌、そしてたぐいまれなる美貌とエロス、おっぱい出さずに背中だけというのは当時としてはいかんともしがたいところだが、それをあれだけのエロエロむっちりで見せられるのは、彼女しかいない、だろう。
差し替えであろうとは思いつつ、刺青をぐりぐり彫られるシーンはめちゃコーフンした!!★★★☆☆


しなの川
1973年 91分 日本 カラー
監督:野村芳太郎 脚本:ジェームス三木 野村芳太郎
撮影:川又昂 音楽:富田勲
出演:由美かおる 岡田裕介 仲雅美 仲谷昇 岩崎加根子 山本豊三 浦辺粂子 進千賀子 佐々木孝丸 穂積隆信 財津一郎 加藤嘉

2021/7/25/日 録画(日本映画専門チャンネル)
うわー!なんかいろいろビックリなんですけど!!一見して重厚な文芸映画(実際は劇画原作だとか)、一人の少女の愛の遍歴を描いた壮大さはそれに見合う大作感だが、ちょいちょいビックリな展開挟んでくる。

まず由美かおるの一糸まとわぬうつくしいすっぽんぽんにビックリし、奉公人にムリヤリキスしちゃうお嬢様な彼女にビックリし、あんなに情熱的に、一年半後の卒業まで、と約束して寄宿舎のある女学校へと旅立ったのに、その旅立ちの列車の中で出会った男とあっという間に恋に落ちることにビックリし、厳格な彼女のお父さんが番頭さんの手にそっとその手を重ね「私たちの仲が知られる訳にはいかない」といきなりの爆弾告白するのに一番ビックリし!!
あーもう、なにこれ。凄すぎるんですけど!でもそういうことなら劇画というのはなんとなく納得できたりして。この思い切ったドラマチックさが劇画で描かれたことを想像すると確かに納得できたりして!!

タイトル通り、信濃川を望む集落、そして十日町が舞台となる。冒頭、赤ちゃんを抱いた美しい女性。その彼女に相対するのはその夫、なのだが、二人の視線は冷たく絡み合うだけ。
もうオチバレまんまんで先に言っちゃってるけど、この旦那さんはゲイだから、当然この夫婦が上手く行っている訳もないのだ。その事実が観客の前に提示された時、何とか頑張って一回妊娠するまでには至ったのかと思いきや、そもそもこの赤ちゃん、本作のヒロインである雪絵は彼の種ですらないという!!

えーっ!!じゃあ誰の子?それとも子をなすためだけに誰かがあてがわれたの?それとも、この後駆け落ちすることになる番頭さんとの子供??そのことが劇中では明かされないまんまだから、超気になる!!
だってそれによっちゃあ、この旦那さんの奥さんへの気持ちは、かなり変わって来るじゃない。自分は女とセックスできない、でも奥さんが他の男とセックスして子供を作る、それが自分の納得の範疇なのかそうじゃないのかの違いは大きいよー。ああもやもやする!!

そして、メインの時間軸でまず登場するのは、貧しい集落に生まれ育った竜吉。
この貧しい生活ににっちもさっちもいかず、十日町の高野家に丁稚奉公に出る。そこでいきなり目の当たりにする、彼の人生の中では見たこともないような美しい女性である雪絵。

言いたかないけど、周囲が言うように雪絵は男好きのする血を母親から引いている、いや、決してそうじゃなく、それぞれにそれぞれの女なんだけどさ、でもつまり、そういうタイプの女の子だから、もう一目で、自分にまいっちゃった竜吉に気づいたんだろうと思う。
恐らく彼女は、自分が上位にたっていることに無意識で、ホントに彼を好きになったと思ったんだろうけれど、きっと違う。自分を盲目的に思慕してくれる男の子に心地よくなっていただけなのだ。でなければあんなにあっさり、次の男に鞍替えする訳もない。

竜吉を演じているのは沖雅美氏。うわあ、若い時、こんな定まらない(爆)可愛さだったのかとちょっと驚く。ちょいとフライングするが、その“次の男”、雪絵が寄宿舎に入る長岡の女学校の教師、沖島を演じるのが岡田裕介氏で、敏腕映画プロデューサーとして鳴らした彼が俳優だったことを、うーん、聞いたことがあったような気はするけれど、実際に役者としての彼に出会うのは初めてで、なんかカンドーしてしまった。
この設定の時代に書かれた小説をここ最近集中的に読んでいるので、共産主義への弾圧、赤という差別語、治安維持法といった、日本の黒歴史の一端が、このドラマチックな劇画の重要なファクターとして描かれていることに感慨を覚える。

沖島は、演じる岡田氏が端正な、なんかちょっと、若い頃の近藤正臣氏みたいな、長髪の憂いのある美青年でさ、女学生相手に青臭い論をかざしたりしてさ。
彼が共産主義の雑誌を持っていたことで最初から、あいつはアカだとささやかれるのだが、結局は彼は、特段活動していた訳でもなく、女学生に得々と語る主張も形骸的なもので、でもそんなことに、世間知らずのお嬢様である雪絵はころりといっちゃうのだ。
沖島の方もこのお嬢様にヤラれちゃって、結局雪絵は退学、沖島は彼女を実家に送りがてら、結婚の承諾を得ようとするも、そもそも自由奔放な雪絵に手を焼いていた父親が許すはずもなく、反発した雪絵は沖島と手に手を取って駆け落ちしてしまうんである。

ああ哀しきは、竜吉である。あんなに固い約束をして別れたのに、次に帰ってきた時お嬢様は、沖島に首ったけなのだから。
その沖島もなんとまあ情けない。雪絵に泣きつかれる形で、東京に行けば何とかなると逃避行したものの、大不況の上に、先述した治安維持法の嵐が吹き荒れてて、仲間を訪ねた沖島はそれだけでひっとらえられてしまう。

情けないのは、沖島は結局、十日町の警察からの追手で無罪を証明される、つまりは、アカともつかない雑魚だと判定されてしまうことなんである。彼は女学生の前では立派そうなことを言ってキャーキャー言われていたし、だからこそ雪絵は彼とイチャイチャすることが誇らし気な気持ちがあったんだろう。
双方ともに、浅はかで愚か。なのにまだ、雪絵はそのことに気づかない。刑事が到着したことによって引き裂かれたことに悲劇のヒロインを感じたのか、護送中、その目を盗んで列車から飛び降り、沖島の元へとひた走るんである。

刑事から、沖島が哀れっぽく自分の過ちを認めたことを聞いていたのに。観客であるこっちは、そうだよそうだよ、くっだらない男!!と思って見ていたのに。ホレた弱みか、いや、自分がホレた男がそんなくだらない男である筈がないという、若き乙女の根拠なきプライドか。
沖島は雪絵が決死の覚悟で自分の元に来てくれたことに感動し、再び彼女との逃避行を試みるが、結局自分から雪絵に対しては、彼女が自分に傾けた情熱は向けられなかった訳だし、おめおめと故郷に帰った訳だし。
なのにそれを見て見ぬふりをして、自分には雪絵しかないとか甘ったるいこと言いやがって、そして彼女の処女を頂戴して。雪絵は彼に処女をささげたとたんに、急速に気持ちが冷めてしまう。

これも凄いなと思った。ゆーきーえー。セックスしちゃったらこんなもんかと冷めちゃって、ここまで情熱的に追いかけてきた男を捨てちゃうって、ゆーきーえー。すげーなあんた!
んでもって、後ろ指さされまくりの実家に帰ってくるんだからハート強すぎる。まあ、それまでの可憐なおさげ髪に和服から一新して、ボブカットに洋装というモガスタイルで肩ひじはって帰郷してくる彼女の気の張りようは想像がつくけれども。

実家は折からの不景気のあおりをもろにくらい、奉公人たちも明日は我が身と戦々恐々としている。人減らしで、竜吉はすでに、実家に帰されていた。
当然、奉公人たちから容赦ない冷たい視線を浴びる雪絵。自分たち貧乏人はこんなにつらい目にあっているのに、男の尻ばかり追いかけて、と。ホントのことだから言い返しも出来ない(爆)。

でねー、雪絵は最もやっちゃいけないことをやっちゃう訳。かつて自分の毒牙にかけた(言い方悪いが、無邪気で無意識なだけに、罪が深い訳さ)竜吉と再会、当然恨み言を浴びせた竜吉に対してうなだれ、自分が憎いだろうから,殺してほしい、と訴えるのだ。あの可憐な美貌に涙を流して!
ずーるーいー。なーいーわー。そら竜吉はならば一緒に死にます、となるでしょ!そらそうなるでしょ!!

……後から思い返せばその悪女っぷりにさんざんこうやって悪態もついちゃうのだが、実際観ている時は……そらまあ由美かおるの圧倒的な可愛らしさにヤラれちゃって、こちとらもまあ騙され続ける訳でさ(爆)。
雪絵が自身の母親のことを知りたいがために、竜吉のおばあちゃんに会いに行くシークエンスで見せた、川で泳ぎたい!!と突然すっぽんぽんになっちゃう無邪気さ、完璧に美しいおっぱい、一糸まとわぬ全裸には本当に衝撃を受けたなあ……。

おっといけない。どうも女の子が脱ぐと途端に点が甘くなってしまう(爆)。結局心中の筈が死に損ねて、これまで以上に四面楚歌、雪絵は、どうしてもお母さんに会ってみたい、と思う。
不幸不幸にふらついてしまうのは、本当にその血のせいなのかと。お母さんの駆け落ちも追ったと、二代続けてだと笑っていた老刑事さんから聞いた、佐渡へ探しに行く。

お母さんは……ヒモみたいな男と痴話げんかしてて、そしてそのなりわいは寂れた女郎屋の女将で、お嬢様である雪絵にとっては目も当てられないものだし、実際に自分の悪い血を目の当たりにしたように思って、最初はまともに口もきけなかったのだった。
お母さんは、雪絵と知ったお母さんは……思えば自分がたどった道だから、娘の気持ちがめっちゃ判ったんだろうな。自身が疎まれ、憎まれていることは重々承知の上で、娘の宿に訪ねてくる。そしてすべてを打ち明ける。

当然、雪絵にとって一番のビックリは、父親がゲイで、本当の父親ではなかったことであり、ここで母親とは和解に至ったが、父親とはどうなのかとハラハラする。
ようやく今の時代ならば、ようやく日本でも多様化の時代を受け入れてきたから、なんとかなっただろうと思うが、この時代、そして本作が製作された時代でも、まだまだ、全然、まったく、異性愛以外はあり得ないとされていたに違いないのだから。父親が娘の訴えに対して、そうだその通りだと認めるだけでもようやっとの時代だったのだと、しみじみ思う。もう、そこにたどり着くだけでようやっとだと。

雪絵は父親の苦悩を受け入れ、高野家を救うためにもと、かねてから望まれた望まれた先に嫁入りする。
雪絵と心中しそこなって、おばあちゃんが高野家に怒鳴り込んだ、悲しき竜吉は、働き口を得て、満州へと旅立つ。雪絵の嫁入り行列にすれ違う形で、渡し船に乗るのだ。高野家に奉公した時に乗った渡し船に。

やっぱり由美かおるはエロいとか、役者時代の岡田氏に感動したりとか、若くてかわいい沖雅美氏にキュンキュンしたりとか、きっとこの時代にはまだまだ珍しかったと思われる同性愛描写とか、私が今やったらはまり込んでる、治安維持法時代の黒歴史とか。
なんかいろいろ色濃くて、私個人にとってはかなりエポックメイキングな作品だった。いやー、いろいろビックリよ!!★★★★☆


シノノメ色の週末
2021年 80分 日本 カラー
監督:穐山茉由 脚本:穐山茉由
撮影:平見優子 音楽:岡出莉菜
出演:桜井玲香 岡崎紗絵 三戸なつめ 中井友望 山田キヌヲ 工藤阿須加

2021/11/8/月 劇場(池袋シネマ・ロサ)
最近やたらと遭遇するイオン製作の映画、なんとなーく傾向が見えてきたような気もする。20代の、しかし学生じゃなく、社会に出て少し悩める女の子、そんな作品が多いような。
本作はそれが3人集まる。高校を卒業して10年。いわゆるアラサー。30手前。夢見る夢子ちゃんじゃいられなくなってくる年頃だが、だからといって妥協や諦めをするには早いんじゃないかという気持ちもある。

いや、それはすっかりその年を通り過ぎたオバちゃんが思うことで、その年齢の時には、やっぱりその自信は失いかけてたように思う。
だからこそ過去の自分からのエールが必要なのだ。そういう意味では、リアルに必要なのは、そこを通り過ぎてしまった未来の自分からの叱咤になるのだけれど、そうなると非現実的なSFになっちゃうから。過去からなら、可能。ああ懐かしき青春のアイテム、タイムカプセルである。

冒頭は、この年にもう廃校になる、という最後の日が映される。教室に一人たたずんでいる女の子が、10年後の彼女たちの誰かなのかと思っていたら、ここにはタイムラグがある。
放送クラブだった三人、卒業して10年経った美玲(桜井玲香)、まりりん(岡崎紗絵)、アンディ(三戸なつめ)の三人が久しぶりに顔を合わせたのは、廃校となってしまった母校の取り壊しがいよいよ着手されるという情報を、教育系事務職についているアンディからもたらされたから。

しかし本当の目的はまた別にあった。アンディは卒業アルバムに記された、10年後の自分たちに向けてのタイムカプセルがどこかに隠されていることを発見、それを彫り出そうよ、ということだったんである。
廃校、取り壊しは切ないけど、過去からの自分、そして友達からのメッセージに心ワクワクして乗り込んだ三人。そこに参加してくるのが、冒頭、教室に一人たたずんでいた少女、あすか(中井友望)な訳で。

オバちゃんの目から見れば、三人が「あんなに高校生って子供っぽかったっけ」というほど、彼女たちの見た目にも印象にもそれほど差異を感じない。はしゃいで、かつての制服を着て廃校となった校舎を徘徊する三人と、今は別の高校に通うあすかとは、オバちゃんの目にはさして変わらぬように映っちゃう。
いやいや、判っとるよ。アラサーの頃の自分から見たら、10歳下の未成年の高校生が、どれだけ幼く見えるか、自分が年を取ってしまったことにため息をつく感じも、判るよ。

でもそっから10年も20年も経ってしまうと、見分けつかないよー、可愛いよー、と思っちゃう。50も近くなると、10年上の人との違いなんて、同い年ぐらい(爆)。
でもあの頃は。もう30も目前なのに、私はなんて子供なんだろう。未来が見えないんだろう。いつまでもふらふらと夢見ているんじゃないかと思ってしまう、ああ思い出した。確かにそうだった。

だから、三人の前にふっと現れるあすかは、最初そらー幽霊かと思うぐらいビビったが、それはあながち的外れでもなかったと思う。もちろん現実の女の子ではあるんだけれど、三人の分身的、10年前から遣わされた、みたいな雰囲気がある。
あすかが潜り込んできた目的は、放送クラブの友達が部室に忘れていった懐中時計を回収することだった。あすかはその友達に影響されて、自分も懐中時計を持っている。この渋いアイテムが、中盤のキーポイントになる。
いわゆるマーケティングというか、商戦というか。多くの人が求めるものを売るのが当然のビジネススタイルだったこれまでと違って、多様性という言葉がなかば流行語のように語られる現代において、需要と供給もまた細分化される時代になっている。

アラサー三人はその点において、まさに過渡期にいるのだろうと思う。社会的に認められる職業、立場。売れること、メジャーになること以外に成功はない、みたいな。
10年前の在校生時代からギャル雑誌の読者モデルをやっていた美玲は、ギャル時代はそこそこ売れっ子だったものの、今はすっかり頭打ちである。フリー素材写真で受けた仕事が、出会い系に使われていたことを知って、落ち込んだりしている。若いモデルが台頭し、小柄なこともあって同世代の間でも苦戦している。

まりりんは、放送クラブの部長で、美玲は再会してからしばらく、部長、と呼びかけるぐらい、二人の間にはなんとなく距離があった。三人の当時は特段回想されないんだけれど(そーゆー無粋なことをしないところがいい)、10年後の彼女たちを一見しただけで、そして彼女たちの会話の断片で、判っちゃう。
当時からちっとも変わらないのが、ナチュラルファッションと存在感のアンディ。変わらないという点ではそうだが、その中に悩みを抱えている美玲、そして、美玲がすっかりビックリしてしまったぐらい、きっと部長時代はおカタい女の子だったのだろう、部長という呼び名がピタリと来たのであろうまりりん。
特段、ビックリするほどのいでたちではないのに。ワンピースドレスで、久しぶりー!!と表れただけなのにビックリしちゃうのは、どんだけ野暮ったい女の子だったんだよ、と思わせるあたりが上手いと思う。

後々、本当にラストに、まりりんが美玲に、まあ私はついつい想像しちゃったところの、女の子同士の淡い恋愛感情を抱いていたことがタイムカプセルを暴くことによって明かされるのだけれど、回想シーンがないだけに、脳内妄想で、めっちゃいろいろ想像しちゃうんだよね。
私はまりりん側だった。まりりんのように、社会人になって華麗な変身は遂げられなかったけれど、まりりんだって中身はきっとそんなに変わってない。ただ、自分が生きがいを見つけられる職場を見つけて、自然に外見が備わったということ。

10年前、高校生時代、女子はとかくグループが別れる。今はどうなんだろうか。でも10年前でもそうなんだから、私の時代でもそうなんだから、もうこれは、女子的生理的な現象なのだろう。
私の感覚から言えば、地味所属からスターグループに対して恐れ多いははぁーな印象で、憧れとか、友達になりたいとか、好きになっちゃうとか、いうのはなかったが、でもそれは、美玲のようにその中でも自分自身を見つけて、邁進しているという存在を見つけられなかったからなのだろう。

女子校という設定、そんな具合にちょっとしたレズ気分は私のような全方向腐女子女にとってはキュンキュンする要素だが、そこは深入りしない程度にとどまる。そんな意味じゃないから、ぐらいに牽制する。そんな意味だろと思うが(爆)。
そしてそれは、「放送室の友達の忘れ物」を、取り戻すために彼女たちの仲間になったあすかにしてもどうやら同じことだったらしいが、そこまた、無粋な詮索はされない。

かつてはまりりんにとっての憧れだった美玲は、先述のように苦戦している。まりりんは今、大手広告代理店の下請け会社でバリバリ働いていて、美玲にオーディションのチャンスを与えたりするが、美玲はそれを生かせない。現場で見ていたまりりんからしても、10年前にキラキラ輝いていた美玲と違って、委縮し、オーラがないと感じるんである。
彼女たちを呼び寄せた、一人ナチュラル系少女のようなアンディもまた、進みたかった写真の道を親の反対で諦めてしまったことを、引きずっている。SNSのフォロワーも多いし、素敵な写真を撮っている彼女に、これからだって……と外野は無責任に思っちゃうが、なかなか一歩が踏み出せないんである。

まりりんは、アンディも美玲も、自分の仕事、プロジェクトに関わらせたいと奔走するんだよね。タイムカプセルに収められていたMD(美玲はプレーヤーを探し出してようやく聞くことができる)のまりりんの一人番組という体裁の独白で、彼女の想いを知る。
それは先述した、憧れ以上恋愛未満みたいな感情と共に、美玲やアンディのような、才能のあるまっすぐな思いの人をサポートする仕事に就きたい、というまさに今、まりりんが奮闘している仕事のことを、まるで予言のように……。
いや、恐らく、このタイムカプセルのことやそこに残した内容のことを忘れていたのは他の二人だけで、きっときっと、まりりんは秘め続けて来たんじゃないのかなあと思っちゃう。

ちょっと笑っちゃうぐらい、ほかの二人がそれぞれに向けたメッセージが、「え?これだけ??」とあっけにとられるぐらい、シンプルなものだったから。シンプルだけれど確かにそれは、強いメッセージではあったけれど、あまりの簡単さに、「もっといいこと書けばよかった」とアンディが苦笑しちゃうぐらい。
でもそれは、女子高校生らしい可愛らしい字体やカラフルなレタリング、イラストがちりばめられていて、なんか可愛くて懐かしくてギュッとくるんだよね。メッセージそのものというより、ただただ楽しくてわちゃわちゃしていた当時のぎゅっとした時間を思い出させて。

その中でまりりんが美玲に残したボイスメッセージは、まるで10年後の美玲を予測していたかのようなラブにあふれている。私はモデルになるために産まれてきた、と冗談めきながらも本気で取り組んでいた美玲にまりりんは恋していた。
今、年齢の壁もあって、自信もなくなって、悩んでいる美玲に10年前の自分ならぬ、10年前の、当時は友達とも言えない、ちょっと距離があった、壁があった相手からの、愛の告白のような応援メッセージ。そしてそれがひっそりと眠っていた校舎は明日には取り壊されてしまう。

シノノメ、という言葉に、勝手に東雲と当てていたが、篠の目なのだという。でも、後半、校長先生の言葉として紹介され、三人+一人が屋上から眺める朝日、やはり、東雲なのだろうと思う。
一見してまりりんが一人、社会人として成功しているように見えて、彼女が連れてきたプランナーが唯一の男性、彼の存在が微妙に彼女たちをかき乱す。アンディの写真、モデルとしての美玲。結果的に彼の登場によって彼女たちの仕事とか、未来がつながる訳じゃないんだけれど、一歩踏み出せずにいた彼女たちに、カリスマ的な引導はないにしても、大いなるヒントを与える存在、なんである。

それはね、本当に、現代的なんだよなあ。先述したように、多様性の需要、なんだよね。私世代は完全にだけど、今アラサーの彼女たちも意外と、メジャー志向というか、いわゆる売れなきゃダメとかいう感覚が残っているのかなと。
そっから以降は、完全に違うよね、と思う。多様性という価値観が、流行じゃなくて、浸透した時代になったから。共有する楽しさやカタルシスが失われた寂しさはあるけれど、これぞ正当な社会であると。でもそれを、仕事という面で、自分がどう必要とされるのかと割り切れる年代が、今まさに、彼女たちの世代なのかもしれないよなあと考えると、これってめっちゃ、社会記録的意義のある作品なのかもとも思ったり。

まりりんに見覚えがあった。「mellow」のラーメン屋を切り盛りする彼女!それを確認したら逆にビックリした。
不思議なんだけど、ラーメン屋の女の子の時の方が単純に華やかな印象。本作ではまさに、かつてスターグループに属していた美玲に憧れていた地味系女子。
しかし今は、洗練された大人女子として彼女たちの前に現れ、だけどやっぱり美玲に対して憧れとコンプレックスを抱いているアラサー女子、そんな複雑さが入り乱れたキャラが見事に表出されていたからさ!★★★☆☆


JUNK HEAD
2017年 99分 日本 カラー
監督:堀貴秀 脚本:堀貴秀
撮影:堀貴秀 音楽:堀貴秀 近藤芳樹
声の出演:堀貴秀

2021/4/5/月 劇場(池袋シネマ・ロサ)
ななな、何これ!ビックリ、うわー、ビックリ!!!ラストのスタッフクレジットのほとんどが監督さん自身の名前で埋め尽くされる。
ちらりと情報は耳に入ってしまっていた。7年の歳月。たった一人で独学での製作。たまーにその手の作品が聞こえてくることはなくはない。なくはないが……驚愕の世界、唯一無二の独創性!恐るべき果てしなく縦横無尽な立体的造形!
ストップモーションアニメという、気の遠くなる手法を選んで、いつ果てるとも知れない作業をこつこつと続けてこんなすごいものを作り上げてしまったこの人は、狂っているのか、天才なのか、いやどっちもなのか。

きっと、作品とか監督とか、何かに似ているということはいくらでも言えるのだろう。私の頭の中にもちらりと、フランスあたりのビザール的、耽美的な、みたいな単語がかすめたが、即座に、そんなことはひとことも言いたくない、と思った。でもやはり、日本的、ではないとは思った。どこの国でもない、どこの世界でもない、異国風のようで、無国籍風。
新種のウイルスで全人口の3割が失われる、なんていう設定がまるで今の時代を予測していた、ということさえ言いたくないのだ。

汚染された世界、地下世界に活路を求める人類、その結果暴走しだす人工生命体、マリガン。神の領域である遺伝子を操作したために人類自体は不老不死を得たが、生殖機能を失った。つまり、新しい命の循環が生まれず、人形のようにこのまま永遠に生きていく。
人形!!そうか、だからなのか……。地下世界に放り込まれた主人公(名前は与えられていない)の彼が、もはや頭部だけが機能している、いや、その頭部だってちゃんと保存されているのかあやしいぐらいに無造作に扱われる、“JUNK HEAD”だというのは……。
前提となる設定を書き連ねてみたが、そして本作の冒頭にそれは示されてはいたけれど、正直観ているときにはあんまり頭に入っていなくって、後から思い返すと、なんか凄い、これからの世界をシニカルに攻撃してる。実は超社会派じゃん!!と遅まきながらショックを受けるような感覚だった。

でも、観ている時にはもう、そんなこと全然すっ飛んじゃってた。だってだってだって、観たことない、こんなの、観たことない。ガラクタの美学。いや、なんといったらいいのか……。キモカワイイ、不気味カワイイ、コワカワイイ、ブサカワイイ、いやそもそもカワイイのか……。
人間のなれの果てか、そもそも生命を宿しているのが不思議なような恐ろしげな生命体、それが容赦なく食らいつき、どこまでも追ってくる恐怖ときたらホラー映画に他ならないし、それぐらいのキショいフォルムなのに、“彼”から始まるキャラクターたちが、先述したような、なんとも形容のしがたい、偏愛しちゃいたいような傾向のかわゆさなんだもの。

そして“彼”は様々に姿を変える。最初のうちは“彼”が何者なのか判っていなかったが、地上で生計が立ち行かなくなった“彼”が多分のロマンを追い求めて、地下世界への調査員に応募したんである。
中盤で語られる地上時代の“彼”は、半分人間半分作り物みたいな感じで、すでにこの世界の異常さを物語っているけれども、地下世界で最初に発見された時にはすでに、頭部だけ、なんである。固く覆われた防護の下に、ふくふくと息づく人間の頭部に、劇中のわちゃわちゃなキャラクターたちとともに、観客であるこっちも息をのむ。

本作の特異なところは、ストップモーションアニメ特有の、ガチャガチャした非スムーズ感を充分に魅せつつ、時々ひどくナマなリアル感を混ぜ込んで驚かせるところなのだ。
人間なのだ。ここに、人間が確かに生きている。今や生殖能力を失ってしまった、新しい命を生み出すことはないのに、まるで赤ちゃんの頭部のようにふくふくと、息づいている。それが“彼”が発見された最初だった。

頭部だけの“彼”を、地下世界の“博士”たちがつぎはぎのロボット仕立てで動けるようにする。まず、この造形の、哀れな可愛さに胸をズキューン!!と打たれる。
本作は基本的に廃墟感、世紀末、いや世界末感が満ち満ちていて、ストップモーションアニメに知らず知らず期待しちゃうようなポップでカラフルな世界とは真逆の、モノクローム感の強い世界なんである。
その中に、無力感しかないちんちくりんのガラクタボディを与えられた“彼”の哀れな可愛さに、なんと、こう来るのか、こりゃルール違反じゃないべか!!と動揺してしまう。

さらにこの身体さえ、“彼”は失ってしまう。迷い込んだ先で、ホンットに、絵本に出てくるようなつぎはぎロボットにつなぎ合わされ、声さえ出せず、雑用係としてこき使われる。
お使いに行った先の展開、世界のビザールな魅力といったらない。天も地も無限に広がる地下世界を、無造作な床だけの上下移動機械でブーン、と渡っていく。どこに行くのやら時空さえ超えていきそうな、暗闇の怖さ。

お使いに行った先、“新鮮なクノコ”というのは、あれはいったい、何なの!!どーみても人体、頭も手足もない、胴体だけ、そこに生えている“クノコ”をぱちんぱちんと“収穫”していく。切り取られた胴体はふるふると痛そうにうごめく。
収穫したその主人は、その新鮮さを自慢して“彼”に手渡す。お使いかごの中で、ふるふるとうごめているクノコ。何なの、何なの!!
これはそれだけに貴重なものらしく、親切がましく近寄ってきたいかにも怪しげなヤツにだまし取られてしまうが、そいつはあわれ、マリガンに食われてしまうんである。

実に多彩に“進化”したマリガンたちとの、“彼”や“彼”を守ろうと奮闘する3バカ、途中出会った孤独な女の子(なのか!!男の子かと思った!!)たちと、ほんっとうに、すさまじい、これはまさしくアクション映画、それも超一流の!!というものを見せてくれる。
そもそもの設定などすっ飛んでしまって観ていた、と言ったのは、ビザールな芸術センスがとびぬけていながらも、エンタテインメントとしてのアクション、スピード感、それに目を奪われちゃうからなのだ。

言い忘れていたけれど、言葉がね、創作言語というか、どこの国の言葉でもないんだよね。音の感じからすれば、ドイツかロシアか、といったような発音で、それがまたこのモノクローム感強めの無国籍な世界にピッタリなんである。
だから字幕で展開する。字幕こそがそもそもの脚本ということだから、とてもウィットに富んでいて、時にはバカバカしかったりして、思わず噴き出してしまったりする。
これはさあ、世界基準、だよね!!無粋な吹き替えをされずに済む、この独特の世界観をしっかりと支えるどこの国の言語でもない言葉に生命を与え、字幕、つまり、言語の表現に託せば、世界中どこに出したって、本作の魅力は100%伝わるんだもの。これはねぇ……ヤラレたと思ったなあ。

3バカと言っちゃったし、オフィシャルサイトでもそう書かれているけれど、“彼”がガラクタ姿でこき使われているところから救い出し、神様とあがめ、それはつまり、地上世界に憧れている、モグラみたいな何なのか、ガスマスクしたような造形のでぶっちょ三人組が、最終的には泣かせちゃうのが、聞いてないよ!!なんだよなあ……。
超強力なマリガンとの対決に、お尻にグサッ!と刺したクスリで、あんなぽってりだったのが突然、リアルスーパーマンみたいなムッキムキに大変身!!そしたらいきなり、フランシスだのアレクシスだの(名前うろ覚え、間違ってたらゴメン)カッコイイ名前で呼び合っちゃって、“彼”を助けるために、二人命を散らすのだ……。

慟哭する“彼”。“彼”にとっては、そもそも死というものがない世界にいた。だから、危険極まりないこの地下世界に来たのがどういう心境だったのか、失業しちゃったからロマンティックを求めて、というのがのんきながらも正直な気持ちだったのか。
不老不死ゆえの、危機感のなさは、案外本作の中でピンとこなかった部分でもあったかなあとは、この時点でちょっと、思ったりもしたけれど。

とにかくねえ、これはねえ、……映画作品を論じるなんていうのは常にそうだとは思っちゃいるんだが、これはねえ……、言葉なんて役に立たない、どうにも言いようがない、言葉の無力さをただただ感じる!!
世界観の凄さは言わずもがななのだけれど、なんていうのかな……根底に流れるペーソスというか、この果てしない立体の闇の中に、希望を見出さなければいけない悲哀というか。
そんな哀しさの中で、めちゃくちゃガラクタ世界を作り込んで、一体これは、どーなってるんだよ!!本当に、信じられない!!★★★★★


十九歳の地図
1979年 109分 日本 カラー
監督:柳町光男 脚本:柳町光男
撮影:榊原勝己 音楽:板橋文夫
出演:本間優二 蟹江敬三 沖山秀子 山谷初男 原知佐子 西塚肇 うすみ竜 鈴木弘一 白川和子 豊川潤 友部正人 津山登志子 中島葵 川島めぐ 竹田かほり 中丸忠雄 清川虹子 柳家小三治 楠侑子

2021/8/1/日 録画(チャンネルNECO)
このタイトルを聞いて、あれ十七歳の地図じゃないのと思うのは、ハズかしいが私だけではあるまい。なるほど中上健次。伝説的作家だということぐらいは、聞こえている。つーかその程度の知識しかないのか、日本文学部出たくせに(爆)。
この映画を観て、尾崎豊は十七歳の地図を作ったのだという。むしろそっちが一般的に通りが良くなってしまったのはアレだが、本作を見ると、めちゃくちゃ納得する。

原作は短編だという。きっと原作だけなら、尾崎豊はたどり着かなかったと思う。やりきれなさを抱えて暴走する十九歳の少年が生身の肉体で爆発する生々しさこそが、当時やはり少年だった尾崎豊の心を揺さぶったであろうことが、目の前で見えるかのように想像できてしまう。

新聞販売店に住み込みで働いている吉岡。彼と同じような年頃の少年たちと、ただ一人トウのたった、ここの主みたいなおっさん紺野、彼らがわさわさと、窮屈に暮らしている。
しょっちゅう水漏れするトイレ、口うるさい店主の奥さん、彼女に頭が上がらない店主、集金のノルマが達せられないと給料は目減りするし、集金先ではイヤな思いばかり。吉岡は一応予備校生ということなのだろうが、通っている描写は、……代ゼミから出てきたところが一瞬だけあったかしらんというぐらい。

彼は集金の先々で身の上を聞かれると判で押したように、和歌山出身、親父は死んでて、予備校には時々行ってますと、つまらなそうに話す。その内容が、本当に彼自身の真実なのかどうかさえ判らない。
あるマダムに指摘されるように彼には訛りがないし、住み込みの新聞配達員というと地方出身の若者で苦労している、と断じられるのがうっとうしいからなのか。あるいは彼は……どこでもない、誰でもない、少年であるからなのか。この時代に誰でもがなりえた、泣きたいぐらい生きづらい、どこにも行けない、閉じ込められた少年の象徴であるからなのか。

実際、原作の短編では吉岡という名字は本作と同様与えられているけれど、一人称のぼくで語られているという。
本作ではまさるという下の名前も用意されているけれど、周囲からは吉岡と呼ばれることがほとんどだし、やはり名もなき、誰でもない、誰もが彼になりうる一人の少年、といった印象を受ける。

彼と同年配で一緒に働いている男の子たちの方が、吉岡よりもハッキリと抱えている事情が見える。最も顕著なのが、ボクサーを目指している男の子である。しかし吉岡たち朋輩たちは、あいつ根性ないから勝てないよな、と軽く軽蔑している。
残念ながら結果的にその通りになってしまうのだけれど、一体吉岡たちに、彼を嘲笑する資格があるのか、と私ら観客の代わりに憤ったのが、このボクサー少年以上に皆から軽んじられている、オッサンの紺野なんである。

紺野を演じているのがなんとまあ蟹江敬三氏で、この役柄が何とも切なくて、胸がキリキリきしんでしまう。
吉岡はなぜかこの紺野のオッサンとつるんでしまう。しまう、というのもおかしな表現だけれど、常に他人にイラついている吉岡が、まあ紺野にもイラついているんだけれど、なんだかついてっちゃうのだ。なついている、なんて言ったら吉岡は傲然と否定するだろうけれど、そうとしか思われない。

吉岡自身は本当に自分以外のすべての人間に対してイラついてて、集金先すべてに×評価(数が違うだけ。〇は一切ナシ)を、ご丁寧に詳細な手描き地図に記すほどの病的さなのだが(うーむ、これが十九歳の“地図”ということではないだろうが、でもあまりにも象徴的な地図だ)、なぜだか、ホントになぜだか、紺野の誘いは断らないし、行動を共にするんだよね。

他の少年たちは、紺野に対して唾棄する勢いでケーベツしている。判らなくもない。紺野は三十路も遠く過ぎ去ってるのに、貧乏浪人生やらがわらわら集っているような住み込み新聞販売店に、ベテランで居座っているのだから。
そして、滞納した料金を支払わらない客にモノを言わせる胸元の描きかけみたいなイレズミは、「痛くて途中でギブアップしたんだってよ」とまことしやかに少年たちの間でささやかれる。

でも、紺野は、彼らの中で、やはり明らかに、大人の男、なのだ。どんなに嘲笑され、軽蔑されても、コドモである彼らには判らないものを、確実に彼は抱えているのだ。
そんな紺野が吉岡を可愛がったのは、……ベタな言い方だけど、やっぱりかつての自分を投影したのかなあ、なんて思う。

吉岡は朋輩たちに、童貞だろとからかわれて、実際その通り。てゆーか、この時代の、この立場の、こういう少年たちにある、セックス以前に恋愛、いや逆かな、恋愛以前にセックス、そのどちらも、経験してるか否かを競うような幼い見栄の張り合いがあっただろうことが想像される。
それは……まあどの時代でもそれなりにあるけれど、同じ年代の女子の描写が軽んじられる、置き去りにされる残念さは、あるんである。仕方ない。クソ青ガキのてめえらに、同年代の女の子を恋愛としていつくしんでセックスする度量なんてある訳ないからね!!(口が過ぎました、ゴメン)。

判ってる。だからこそ登場するマリアである。紺野のマリア。飛び降り自殺で死にそこねて、足が不自由なマリア。原作では紺野が語る中でしか描かれず、本当に存在しているかどうか、疑われていたという。
本作でもその疑いが濃厚になるが、吉岡から請われて、むしろ紺野は嬉しそうによっしゃ!と会わせてくれるんである。紺野が、カバのように太った女、とクサしながら、一方でマリア様とあがめた、それが同列に崇拝する女としてあがめる愛の言葉になっているという、すさまじさ。

紺野の彼女への愛情が、彼の言動から見え隠れするキリスト教への信仰によるものなのか、そこから発展しての、マリア様へのひれ伏する奴隷的感情なのか、判らない。正直、彼女個人を個人として愛しているようには……感じられない切なさがある。
彼女は身体を売って生活をしているらしいのが、ある激しい雨の日、吉岡は彼女の部屋から帰っていく男の姿で察してしまう。紺野はそれを知っているのか、観てるこっちは、知ってるに決まってるだろ、そんなことも判んないの、ガキが!!と思うのだが、……そんな風に推測できるようになっちまったのは、いつからだろう。

決して決して、吉岡の年頃には、そんな達観は出来てなかったし、それが当然だ、むしろ正義だ。でも……紺野はだからこそ彼女がマリアなのだ。自らの身を与えたもう、傷だらけになりながら、与えたもう、と。
それが生きるためかどうかなんて関係ない。でも“十九歳の地図”を作成中の吉岡には、その深淵にはまだまだ、とても、たどり着けない。

吉岡が、雲形定規まで調達して詳細に描き上げる配達地図、彼はなぜ、そんなにも、すべての人に憤っているのか。物語の冒頭では、×ひとつ、×ふたつ、そう始まったから、〇もあるんだろうと思ったら、×しかない。×の数が違うだけ。彼にとってすべての人間がくだらなく、否定すべき存在。
自分自身がそうだからこそ、そのもどかしさがあるからこそだというのはメッチャ判るんだけれど、この前提こそが、若さゆえの自尊心の爆発で、もうそれだけでおばちゃんはこそばゆく、恥ずかしくなってしまう。
恐らく彼自身が私ぐらいのばあさん、じゃなくてじいさんになった時には私の気持ちが判ってもらえるだろう。でもこれはどうしようもないし、こうしてそのもどかしさを刻むことしかできない。

吉岡は、イラついた顧客に電話をかけまくる。イラついた、ってゆーか、全員にイラついているんだから、病は深い。
愛想よく支払ってくれる顧客にも、傲然と新聞なんか来てねーよ、と言う顧客にも、地方から来てるの?大変ねえと言って茶菓子をふるまってくれる顧客にも、お題目を熱心に唱えてて訪いに気づかなかった顧客にも、いわば等しく、イラついて、×の数が多少違うだけなんである。
見てるこっちのオバチャン的には、何ですかねえ、自分の未熟を棚に上げてねえ、とか、至極当然の感想を苦々しく刻みながら眺めている訳なんだけれど。

でも彼がそれを詳細な地図に表し、なんでそんなことまで知ってるの、というような、内部事情や顧客の態度を詳細に書き表すようになってくると、ゾッとするのだ。これはヤバい、と。
ヤバかった。その通りだった。吉岡は電話帳を駆使して気に入らない顧客(全部だろ)に嫌がらせの電話をかけまくる。嫌がらせにとどまらない。放火するとか、爆破するとか、ぶっ殺すとか、シャレにならない脅迫電話である。

フツーに捕まるだろ、という行為。実際現代なら、……これ以外にも、ヤバいシークエンスはさんざんあった。殴り殺した犬を軒先につるしたり(!)、顧客の息子の少年が金魚を握りつぶしたり(!!……これは、マジな描写に見えたが……)。
この脅迫電話は、相手に恐怖を与えはしただろうけれど、結局、いくじなし、いや、単なる虚勢を張っているだけの青二才であった吉岡クンには、そんなことをする度胸どころか、そもそもそんなことをするつもりもなく、つもりもないから、そんな虚勢を張ってしまった自分に崩れ落ちてしまう、ということだったのだろう。

この作品に遭遇する年齢のタイミングによって、まったく印象が違ったんだろうという気がする。それこそ10代の頃に出会っていたら、吉岡の感じる大人へのモヤモヤこそに確実にシンクロしたに違いないのだ。そういう意味では私は出会うのが遅すぎたのだけれど……。
ただ、ここに登場するほぼすべてのキャラより年行っちゃったこちとらとしたら、特にマリアさんに、案外生きていけるもんだよ、自分から死にに行くなんてつまんないよ、とだけは言いたい、かなあ。
10代、20代、……30代の頃にだって言えなかったかもしれない。半世紀ぐらい生きてれば、そう言えるけれど、生々しい生と性を生きている時には、そんなアドヴァイスなんて意味ないことも判ってるからなあ……。★★★☆☆


14歳の栞
2021年 120分 日本 カラー
監督:竹林亮 脚本:
撮影:幸前達之 米澤佳州子 音楽:adNote
出演:

2021/4/7/水 劇場(池袋シネマ・ロサ)
ええーっ、これ本当に本当なの??と疑ってしまう。疑ってしまう自分が大人のイヤらしさだなとは思うが、実際の中学二年生の一クラスの全員の今を、本音を、カメラで切り取るなんて、そんなこと可能なの??と思ってしまう。生徒、教師のみならず、その保護者全員に了解をとってこんな作品を作り上げるなんて、そんなことって、ありえるのだろうか。
決してドキュメンタリーと言ってはいないんだよな、というところも気になる。青春リアリティ映画。その意味するところはなんだろう。考えすぎだろうか。

確かにドキュメンタリーのようなしかめつらしい作りではない。35人の本音を引き出す一対一のインタビュー、子犬がじゃれあうような学校の日常、居眠りをしている授業中、部活動、登下校、あらゆるところにあらゆる角度でカメラが彼らをとらえて、それを高鳴る音楽とともに全く飽きさせないコラージュをジグザグに構築していく。
なるほど、これをドキュメンタリーと言っちゃったら構成遊びすぎだろ、ということになるのかもしれない。そして……やはりとても作り物とは思えないのだ。リアルで、彼らそのものとしか思えないし、思いたいのだ。それを成しえた作り手側の、被写体や映らないその後ろのすべての関係者を納得させ、信頼を得て作り上げた、そのことを信じたいのだ。
そんなことをわざわざ言わずにはいられないほど、“何も起こらない”35人の物語が、心打たれるのだ。

14歳、中学2年生。こんなにもまだまだ子供子供していたかなあ、と思う。自分の記憶があいまいで、大人になるにつれ捏造を重ねているからだろうか。
ふわふわと柔らかく、固まらない。でも大人への恐れという決定的な自我が生まれかけている。これは確かに、それより年若い時にはなかったように思う。第二次性徴期なんてヤボなことを持ち出さずとも、13歳でもなく15歳でもない、14歳には確かにそれが、あるのだ。

一人一人聞いていくスタイルの最初のうちは、クラスみんな仲がいい、このクラスのままでいたい。などという発言が飛び出し、クラスの中でもお調子者の男子なぞはいかにも楽し気に中学生活を謳歌している感じを出してくる。
このスタート時点で、それはないな、と腐りきった大人になっちまった私は思う。クラスみんな仲がいいなんて、そんな訳がないと。それはカースト制度の上部に位置しているキミたちに見えていないだけで、下層の人間たちは蹂躙されているに違いないのだと、下層の人間だったかつての中学生は思ったり、するんである。

結果的に言えば、それは当たってもいるが、ハズれてもいる。当然このクラスの中には、友達がうまく作れないままなんとなく過ごしている子もいるし、ある日から来れなくなったままの子もいるし、表面上はキャピキャピと友人関係をつづけながら、それを冷ややかに切って捨てる子もいる。
単純に想像しちゃうようなイジメがある訳ではない。それは本当に簡単にドラマを作ってしまうものだし、今も昔も残念ながら決してなくならない問題ではあるのだけれど。
むしろそれ以前の、まだ柔らかく固まらない彼らだからこその、理解しているようでしていない、していないようでしている、探り合いの人間関係、友情や恋愛があって、それは粘土のようにどうにでも変化できる柔らかさで、そここそに若さの可能性を、ひしひしと感じるんである。

最も印象的だったのは、女子4、5人でわちゃわちゃしているグループ。そのうちの一人がインタビューで、早く大人になりたい。いまの仲間と離れられるから、と直截に言う。
そう、こういうストレートさに、ホンットにナマなのと疑っちゃうのは、だって映画作品として撮影しているんだから、こんなこと言っちゃったの、知られちゃうじゃんと思うけれど、それこそ腐りきった大人がいちいち忖度したり、つくろったりする浅ましさなのかもしれない。

彼女はここで本音を言っただけで、仲間に対してそれが知られるかどうかなんて全く気にしてない。それどころか、そういう冷めた気持ちをあの子たちは判ってるだろうな、というスタンスで、それってめっちゃ、めっちゃ友情じゃん!!と思うのに、彼女は離れたいんだ……と何とも言えない気分になる。
それは、この彼女が、離れたいと思う友人たちを、誤解を恐れずに言えば見下しているというか、心を開ける相手ではないと思っているからだと思うんだけれど、それこそが誤解だということが、観客に対して客観的に示されるのが鮮烈なのだ。

撮影側から見たら仲良しだと思われた子の名前で水を向けると、あああのキラキラ!とクールな彼女は困ったように言う。キラキラで、冷ややかな彼女に対してべったりなついているように見えていたその女の子が、そっちに単独インタビューとると、まったく、違うのだ。
キラキラに見せていたのは武装。自分自身を見せずに、学校生活を送っている。だから、キラキラ女子だと誤解しているクール女子が、自分では仮面的に友情関係を築いているんだというのを、彼女はきっとどこかで判っていて、つまりは表面上は友情を保ち、実は相容れないように見えるこの二人が、実際似た者同士なのかもしれない、という図式に心震えるんである。
本当は、本当は、運命の親友同士になれるかもしれないのに、この時点で二人ともそれに気づいていないなんて!!

将来の夢、こうした構成の映画では単純に思いつく質問であり、腐りきった大人はそれを聞いて、甘いな青いな、あるいは逆に、夢がないな近頃のワカモンは、とつまりは大人である自分を肯定したいがために、どちらかに片付けたくなるということに直面して心底自分がイヤになってしまう。
例えばサッカー選手になりたいけど、そこまでの才能がないから、という子に、中学生で冷め切りすぎだろ!と思う一方で、宇宙が好きだからその仕事をしたい、将来インタビューしたいと思った時には僕は宇宙に行っちゃってて会えないかもしれませんよ、という子には、ほうほう、なれるといいね、カワイイねえなどとちっとも本気にしない。
でもサッカー選手になるかもしれないし、宇宙に行っちゃうかもしれない。何にもなれなかったクサレ大人が何を言える立場にあるのか。

車いすユーザーの男の子がいるのね。リハビリの様子も描かれたりする。手もうまく動かせない感じかなあ。科学部所属で、学校生活は特に問題なく過ごしている。
彼が言っていたのが、友達がうまくできない、だったのね。それは車いすだからとか、障害を持っているからとかいうことではない。少なくとも彼自身はそれを理由にはしなかった。“友達になりたいと思った相手がいても、先に友達になってしまう人がいる”、つまり優良物件は取られちゃう、というんである。

彼自身は決して言わないけれど、そこには車いすユーザーであるという、このクラスの中ではひとつ壁があることは否めないと思う。しかしてその壁は、登校できていない男子君や、学校生活に特に問題はないけれど、なんかイマイチなじめないままでいる子たちにもあるものである。
冒頭に示された、クラスみんな仲がいい、というあのセリフが、ウソとまではいわないけれど、仲がいい、という中に入れられてしまっている子たちのもやもやが、私の記憶を呼び覚ましてしまうんである。

車いすユーザーの男子君が語る将来の夢が、ふるっている。ハタチには結婚したい、子供を持ちたい、というんである。この台詞を聞いた時には、それこそ先述したような、ああもう、チューボー男子が若いわね、青いわね!!と思ったが、それは私ができなかっただけの話であって。
私の友人にも年若く結婚、堅実に生活、子宝にも恵まれ、私なんかには到底まねのできない素晴らしい人生を送っている子がいることを思い出し、ああ、クサレ大人自分、とマジ落ち込むんである。

素晴らしい。私は、そんな人生設計、まったく持ててなかった。てゆーか、今も持ててないのに。でも、14歳の時を思い出すと、……辛かったなあと思う。私が救われたのは、高校二年生からだった。
だから正直、中学時代の自分と重ね合わせるのはツラいんだけど、でも改めて考えると、固まってなかったし、彼らの固まってない感じが、初々しく、痛々しく、そして希望に満ち溢れていると思った。

ちらりとだけど、先生側の事情も描かれるのだよね。若いイケメンでマジに恋しちゃった女子生徒のエピソードも楽しかったが、生徒たちから怖いと恐れられている担任教師が、異動になることを生徒たちに言えなくてさ。2年生修了のビデオメッセージを同僚の教師たちと作って、生徒たちに見せるんだけど、この教師君が一人、泣いちゃうのよ。
この先生、私よりずっと年若いけど、中学生諸君にとっては当然、めっちゃ大人だからさ、私はこの先生の気持ちがじんじん伝わるし、一方でこれまた若さのかわゆさを思ってさらにジーンとくるし、ああもう、素敵素敵!!

私は中学生の記憶がもはやあいまいだし(どうも、過去の記憶が保存できないタチらしい……)、カースト最下層にいたから全く気付きもしなかったんだけど、きっと私の時にもいたんだろうなあ、クラス内恋愛。
クラスメイトに公式に冷やかされ、公式にきっちり付き合ってる、あるいはバレンタインとホワイトデーというめちゃくちゃきっちりしたイベントでお互いの気持ちを確かめ合う、その場面を、引きながらもしっかりとカメラに抑えるとは、マジでそんなこと、可能なの!!(またもとに戻っちゃった……)。

本作の彼らはさ、絶妙な地方感があるというか。地方で生まれ、地方を転々とした当方としては埼玉なんて東京じゃんと思っちゃうのだが、今時こんなデザインの制服学校あるの、と言いたくなるやぼったい紺サージの膝下セーラー服に詰襟。いやそもそも学校生活はジャージ姿、先生からわざわざ、次の時間は制服に着替えろ、と言われるぐらい。
テレビやら映画やらで描かれるオサレティーンは、ミニスカ、ブレザー、ネクタイ、リボンが当たり前、女子はメイクが当たり前というのにならされていたから、なんだよ、ウチら30年以上前(!)と変わらんじゃん!

嬉しいのかどうなのか、よくわからんけれどね。でも、なんだろうなあ……。中学時代って、当たり前だけど人それぞれで、私は、多分、こんな風に記録されてたとしたら、一生見たくないだろうなと思う。
中学時代に形成された、今につながるいろんなことはあったし、大事な記憶はあるけど、学校生活が楽しかったかどうかは、友人関係が尊かったかどうかは……難しいよね。これは人それぞれというしかないもの。★★★★☆


シュシュシュの娘
2021年 88分 日本 カラー
監督:入江悠 脚本:入江悠
撮影:石垣求 音楽:海田庄吾
出演: 福田沙紀 吉岡睦雄 根矢涼香 宇野祥平 金谷真由美 松澤仁晶 三溝浩二 仗桐安 安田ユウ 山中アラタ 児玉拓郎 白畑真逸 橋野純平 井浦新

2021/9/6/月 劇場(渋谷ユーロスペース)
コロナ禍の中で作られた映画、というのがひとつのジャンルになりそうな気がしてきた。
その中には、コロナのある現代の時間軸は最後に取り入れながらも、基本的にはきっちりとした商業娯楽映画「キネマの神様」はあるにしても、そのほとんどは本作のようにインディーズや小規模企画の中で模索して、作り手の血のにじむような叫びが聞こえてくるような作品ばかりである。
そしてその多くが気鋭の、今の日本映画を語る時外せない作り手ばかりなことに感慨を覚えるんである。

本作にもまた、「コロナがあって……」という台詞は聞かれるから当然、監督さんがそれを充分に意識して作ったのだろうということは想像に難くないが、この作品が観客の元に届けられるタイミングに至ってもまだ、どころか作っている時よりも格段にひどい状態になり、マスクを外すなんて考えられない状態、ということは……想像してなかったんだろうなあと思う。
コロナという言葉が発せられるのにマスクをしないで生活、仕事している描写を見ると、ああ、難しいなと思う。

でも本作は、そんな些末なところで語られるような映画じゃないのだ。しみじみ、映倫なんて必要ないよな、と思っちゃう。
あの映倫マークがつかなくったって、こうやって映画館で公開される。今やミニシアターでかかるような規模の映画も平気でシネコンにかかる時代に、映倫なんて規制が必要だろうか、と思ったのは、本作がまさに、そうした上からの圧力、脅威、見えない敵と闘っているのを十二分に感じるから。

移民排除条例と公文書改ざん、それを推進する市長の名前は小池、「国と県がやっていることを、市がやれない訳がない」という恐るべき台詞、特に、移民排除条例という設定は、このコロナ禍で改めて浮き彫りになった、外国人入って来るなな雰囲気、ことに発生国になってしまった中国に、証拠もない疑惑を正義を振りかざしてヘイトスピーチしまくる風潮にダイレクトに反映されえている。
監督の言いたいことが、うわーっ!!と押し寄せてきて、絶対的共感と共に、そのパワーに押しつぶされそうにもなるけれど、でも一方で、ヘンにゆるいのだ。ポップというか。いや、でもだからこそクライマックスはポップに残虐、恨みの殺戮が爆発するんだから逆に怖いのだけれど。

この奇妙なギャップ感覚は、それこそ商業映画ではなし得ないであろう。ヒロイン未宇を演じる、福田沙紀嬢が絶妙である。
彼女、いくつになったんだろう。いつまでも若くてあまり変わらない印象だけれど、勤務する市役所で一人浮いている地味系女子が、若く見えるけどもうなんとなく勤務年数も経ってて、先輩女子からねちねちとイジメ倒される、という感じが絶妙なんである。
正面きってイジメ倒すのはこの先輩女子なのだけれど、彼女はまさに、村八分なんである。市長が成立を目指している移民排除条例に、彼女のおじいちゃんが頑固に反対しているからなんである。

かつて新聞記者であったそのおじいちゃんは余命いくばくもない状態で寝たきりである。そこへかつての部下で、今は未宇と同じく市役所で働いている間野はちょくちょく顔を出していた。
そして最後に訪れた時、間野は最後の訪いであった。移民排除条例を成立させるために議事録を改ざんさせられた、市長の圧力に屈してしまった。間野は泣きながら未宇のおじいちゃんの前で告白し、もう生きていられない、と言った。その言葉通り、翌日彼は投身自殺してしまう。

めちゃくちゃ重いテーマである。文書改ざん、移民排除、圧力による自殺。もう、聞きおぼえあることばっかりである。突き詰めればめちゃめちゃシリアスな社会派映画になるところが、なんたってシュシュシュ娘、なんである。
シュシュシュって何、と思い、おじいちゃんから忍者の末裔だと告げられた場面で、なるほど、手裏剣かな、と思ったら、吹き矢。なぜシュシュシュなんだろう……。いやそもそも、ぼんやりした地味系女子の未宇はとってもとっても、忍者なんて器じゃないし、当然そんな鍛錬もしてないし、家に帰ればダルダルのスウェット姿だしさ。

でも確かに物語の冒頭から、日課なのか、庭でやたらハイテンションで踊りまくるし、そう、だから本作って、すっごいエッジのきいた音楽に乗せて、彼女のダンスシーンとか、特訓シーンとか、そういうところはなんか急に未宇は機敏になり、ふだんのぼんやりした彼女ではなくなって(でもカッコはだるだるスウェットなんだけど)、ちょっとカッコよくなるんだよね。
本当に本作は、そのギャップの上げ下げとゆーか、そもそもの忍者の末裔の設定と、現代の腐った政治やそれに与する国民感情の堕落という組み合わせが意想外すぎて!

二人、気になる人物が出てくる。地味系未宇と仲が良いのが不思議な感じの、不動産会社に勤めるヤンキー系女子、紗枝子と、地元青年会理事、酒屋の司先輩である。
ことに司先輩は、演じるのが吉岡睦雄氏だから、いい人、味方であることは充分に考えられたが、逆にその風貌から(爆)、めっちゃ逆も想定できる。個人的イメージでは、時にクズではあっても(爆爆)、決定的悪い人というイメージはなかったから、予想はしてなくもなかったけど、ちょっと意外であった。

おっと、いきなりオチバレだが(爆)。紗枝子の祖母が未宇のおじいちゃんの「影響を受けて」(というのは、あのネチネチ先輩の言い様)数少ない反対派であることから彼女も職場で村八分なのだが、気にすることなく未宇と弁当を一緒したり、仲良くしている。
しかしその仲たがいは意外なところで発する。未宇が司先輩とヤッちゃったことに、私がイイなと思っていたのに、なんでとるのよ!!と、そんなん知らねーよ!!と未宇は思ったに違いないが、そのキャラから口にも出せず、てゆーか、その前にブチのめされ、絶交になるというアゼンな展開。

しかもその段階で未宇はさらなる苦境に立たされていたのに。おじいちゃんが襲撃された。もう死んじゃったかと思った。司先輩とデートしてそーゆ―ことになった後、家に帰ったら非国民のビラと落書き、そしておじいちゃんは血だらけで倒れていたのだ。
おじいちゃんの最後の願いで、間野が残してあるはずの、改ざん指示の動画を、敵方(市役所のネチネチ先輩)から奪い取った矢先だった。これは民事だからと、警察も介入しない。市長の圧力があるからだ。
桜の御紋ってわかる?と幼児を悟らせるようなバカにした物言い。三権分立ってこーゆー時に使うんじゃなかったろうか……ちょっと違うか……と、眠たい授業内容を懸命に思い出したりする。

司先輩とのデートの間に襲撃されたんだから、ラストに彼が高笑いしながらネタを明かさずとも確かに、予想はしなくもなかった。ただ、紗枝子が、あいつ、ただのヤリチンだった、と未宇と仲直りしちゃうし、そもそももう一人の忍者としての最初の登場シーンでは未宇を助けているから、ちょっとフェイントかまされたような感じがしたのだ。
あの時は、未宇があまりにもダメダメ忍者だから、見かねて手助けしたのかなあ。確かに司先輩は使命感とゆーものは全然ない。最終的に未宇に、「俺も末裔。割といるんだよね。ただ俺は体制側だけど」と言い放つが、かといって、あのネチネチ先輩はじめとした、市長の取り巻きたちのように、熱狂的に、……宗教的と言いたいほどに、その“体制”を支持している訳じゃない、のは、未宇を手助けしちゃった最初のシークエンスで感じられるのだ。

だからこそ、目くらましされた。落ち着いて考えれば、状況に応じてどっちにも転ぶ、つまり、長いものに巻かれるタイプの人間が、私も含め、圧倒的多数だということを、忘れていたのだ。

でもこれもまた、最終的にはコミカルに倒される。まあ、未宇に殺されちゃうんだからコミカルもないんだけど(爆)。本当に本作は、シリアスとユルさ、シリアスも過剰に表現するから、なんかもう、心がぐちゃぐちゃに揺さぶられるんである。
移民排除なんていう、そんな直截に言っちゃったらヤバいでしょ!という旗揚げ、しかもそれを、まさに直接的に、従わないものはボッコボコにするとゆー、いやいやいや!ダメでしょ!!という、なんつーか、マンガみたいな描写をストレートに発してくる。
マンガみたいな描写、と思ったとたん、いや、そうじゃない、マンガみたいな描写だと思うことが、実際に起こっているのだ、と反転させる作用の強烈さである。このコロナ禍に限らず、そうしたニュースは少なからず目にしてきたではないか。

おじいちゃんがなぜ移民排除条例に強固に反対していたのか。なぜもないけど、なぜ、と純粋に疑問に思う人もいるかもしれないこの世の中である。
本作の中では、圧倒的多数が移民排除に賛成であるというスタンスは、市長が強力にそれを推し進めたからなのだが、それこそ長いものには巻かれる思考力の停止で、何故、などとは思わないということなんである。 おじいちゃんは関東大震災の時の、朝鮮の人たちを虐殺した歴史を語りだす。今でこそ事実として語られている歴史だけれど、恥ずかしながら私が知ったのはすっかり大人になってからであり、私ら世代で、学校で教えられることはなかった。
おじいちゃんが語るには、東京で起こった虐殺が、拡大して、その北限が彼の住むこの埼玉の市だったのだという。その歴史を二度と繰り返してはいけないという、かつて新聞記者としての、そして今、一人の誇り高き人間としての、そして生まれ育ったこの土地を再度恥ずべき地にしないための、死ぬまで、いや死んで後も闘い続ける信念なんである。

……なんか書けば書くほど、物語に言及しちゃうからさ、めっちゃ社会派シリアスドラマみたいだけど、いやそうなんだけど(爆)、そこに斬り込む孫娘がダメダメ忍者なんだもん(爆)。
だって、だってだってだって、末裔ってだけで、忍者の修行もしてない、残された文書はコスチュームの作り方だけ。東京大空襲で大部分は失われたというのはもっともらしいが、その残された文書を参考にするしかないから、とにかく忍者衣装を作るために型紙を切り、布を買い、ミシンで地道に縫い、お見事、完璧な忍者スタイルまでは完成。

しかしまあ、未宇はもう危なっかしいことこの上なく、特に作戦もなくじっと見守るだけみたいな(爆)感じで現場に張り込むしさ。
だから何度も疑惑を持たれて市長以下、幹部に呼び出されて、おっそろしく緊迫した尋問を受けるのだが、大した証拠もつかめてなかったり、そもそも口下手な未宇は、決して意図的ではなく黙り込むしかなくって、結局何度となく危機を切り抜けてしまうのが面白いのだよな。まさしく、沈黙は金とゆーことで。

先述したけど、ラストシークエンスはかなり残酷、残虐、凄惨なのよ。今まではぼんやり女忍者だった未宇が、ある意味覚醒したってゆーか。
おじいちゃんの死、おじいちゃんが守りたかったこの地で頑張ってる外国人労働者たちが理不尽に追い込まれた現実。
このあたりのシークエンスは、おじいちゃんの死を静かに夜の闇の中に歩いていく姿で表現したりとか、未宇に情報提供してくれた外国人労働者が故国に帰っていったという事実を、未宇がカーテンを引き、窓を開けて帰ってきたところで、さっきまでそのことを自分の口から喋っていた筈の彼がいなくって、雇い主の工場主が無念の表情でうなだれていたりとか、凄く詩的な表現に心打たれてしまうのだ。

で、まあ、最後の最後は、先述したように未宇のいわば弔い合戦。ヘッタクソだった吹き矢の技術を特訓によって向上させ、動画を参考に格闘技の技も研ぎ澄ませ、そして……毒キノコと思われる調合に没頭していたのは、これは、希望的観測なんだけれど……。
だって、ラストの殺戮、吹き矢吹きまくりの倒しまくりが、そらまあフィクション味タップリとはいえど、それまでの、現実を反映した描写からすれば、かなりシャレにならないし、あの吹き矢にちょっと気を失うぐらいの毒が仕込んであって、みたいな、と思いたいところだけど、しっかり頸動脈やら眉間やら眼球(!)やら喉笛(!!)やらにぶっ刺さっちゃって、まあこりゃもう、ダメだろうなと。

そして最後、クズ野郎であった司先輩に、その両目にしっかり吹き矢ぶっさすことでラスト、土手を転がり落ちる先輩は、目だけだけだから、死なないということなのか。これはどうとればいいのか。まあ、吉岡氏だから憎めないキャラだし、イケメンじゃないのに(爆)モテているという設定もそーゆーことだし。
実際、おじいちゃんが孫娘のぼんやりを心配して最後の手紙にしたためた(あれは未宇は読んでないということなんだよね?)「本当の悪党は隠れている」ということ。そしてラストに、それをしっかり察知していた未宇に倒されたんだから、つまり、どっちにもつかない、信念がなく、自分が有利な立場、守られる立場を選択する者こそが、“真の悪党だとおじいちゃんが言っていたということなのだとしたら……いや、そうこうことなのだろう。コワッ!

吉岡氏はコミカルに処理したけど、それは、それはまさに、先述したように、私だよ、私含め殆どすべてだよ。自分が可愛いから、その時々で、都合よく正論めいたことを言って、長いものにぐるぐる巻きになる。自覚してはいたけど、ああ私、未宇に目をつぶされちゃう!!
ゆるい忍者テーマの中にパンパンに怒り歯がゆさもどかしさ。今の今でしか作れない。実際、かつてはあった筈の、時代を映す鏡という映画の使命を、こんな形だから何とも言えないけど、痛烈に感じさせてくれた。★★★★☆


昭和おんな博徒
1972年 91分 日本 カラー
監督:加藤泰 脚本:鳥居元宏 本田達男
撮影:古谷伸 音楽:木下忠司
出演:江波杏子 松方弘樹 水島道太郎 遠藤辰雄 丘路千 岡部正純 松田利夫 渡辺文雄 山本麟一 有川正治 女屋実和子 丸平峰子 星野美恵子 嵐寛寿郎 国一太郎 那須伸太朗 汐路章 松平純子 天知茂 中村錦司

2021/4/29/木 録画(日本映画専門チャンネル)
キャストクレジットの天知茂の名前に、キャーッ!と飛び上がる。やったー!大好きな天知茂っと思うが、……これは、ぜえったい、天知茂、死ぬな……と判っちゃう。
特別置きのキャスト、これはヒロインの江波杏子を助けて死ぬなってことまで予測できちゃう。果たしてその通りである。ああもう、天知茂ったら。

しかして彼の登場にはかなり待たねばならない。だってその前に江波杏子演じるヒロイン、お藤が愛する巽新二郎、演じるは松方弘樹の死を通らねばならないからである。いわば松方弘樹から天知茂へ男主人公がバトンタッチした趣である。
天知茂演じる、一宿一飯の義理のために新二郎と対決しなければならなくなる島崎は、本当は彼が殺したんじゃなかったのに、一対一の勝負に卑怯にも背後から切りかかった奴らのせいで新二郎は命を落としたのに。
なのに島崎はお藤のもとに新二郎の亡骸を届けた時、一宿一飯の義理で自分がやったと名前を名乗り、「お恨みはらしたければ、いつでもお立合い申します」と言い残して去っていく。ああなんてこと、天知茂。

……天知茂にばかり気が行って、これじゃさっぱり判らない。落ち着け、私。
江波杏子である。案外彼女の作品になかなか機会がなくて。美女は美女だが異形の美女、凄艶と言うべきか、まだ数作品しか出会ってないので、出会うたびに彼女の、なんつーか、怨念こもった(爆)美貌に毎回たじたじとなる。

お藤はもともと大店の娘。番頭に裏切られ、両親は相次いで自殺。お藤はその裏切り者を探しに探して、仇を討つ筈が、その相手が人違いだった。
それが新二郎。ただならぬ様子のお藤を新二郎は家に連れ帰る。子分のサブはいわくありげな美人のお藤にウッキウキである。最初からこの愛すべきサブは、自分のボスの運命の相手だといわば見抜いていたあたりが可愛らしいんである。

お藤が隙を見て飛び出し、列車に飛び込み自殺を図ろうとしたところを新二郎が止める。そして、その事情を聞き、彼女を受け止める。
彼の胸の中で号泣したお藤はもうすっかり吹っ切れ、新二郎とサブとの生活でかいがいしくまめまめしく働くんである。

てか、この物語の冒頭が、それらすべてをすっ飛ばしての、何の事情も明かされぬまま、お藤が新二郎のかたきの一人を待ち伏せしてぶっ殺す場面から始まるんだから衝撃である。
相手、なかなか死なないんだもの。お藤さん、ちゃんと狙って、すんなり死なせてやんなよ……と思うぐらい、ぐっさぐっさとお藤さん、返り血を浴びながらぶっさしまくる。

いやいやいや、ここ、フツーに昼間の往来なんすけど、なんで誰も気づかないの(爆)。
しかもお藤さん、その血だらけのまま列車に乗っちゃう。なんで誰も気づかないの、アヴァンギャルドすぎる(爆爆)。お手洗いの先客を待って、血に汚れた手を洗う場面からスタートする。誰か気づくだろー。

オープニングで最初の一人、とつぶやいたから、そんなに何人も、こんな派手に殺していくんかいな、と思ったところで時間がさかのぼる。お藤さんと新二郎の運命の出会い。
新二郎はこの時、堀川一家の代貸を務めていた。代貸はもう一人いて、兄貴格の森戸。病弱でそろそろいけないと自身悟った親分さんは、どちらもよくやってくれていて決めかねるのだが、と前置きしたけれど、新二郎を選んだ。

この保守的な渡世で、年功序列、兄貴分弟分、先輩後輩が入れ替わって抜擢される、というのは、ありえないと言ってもいいぐらいのことだ。一見して森戸の方に、それほどの落ち度があるようには見えなかったし、親分さんもわざわざ、どちらとも決めかねるのだが、と口にしていた。
でも……むしろ、親分さんがハッキリと、なぜ兄貴格の森戸ではなく新二郎だったのか、冷酷だと思ってもハッキリ言い渡していれば、こんなことにはならなかったんじゃないのか。

その場では冷静に親分さんの言い分を飲んだ森戸だが、そもそも短気で猪突猛進、その実行力こそが持ち味だったのが裏目に出て、周囲からの声にあおられて親分さん、そして新二郎への憎悪を募らせる。
つまり単純で、操作しやすい人物だったということがもうここで明らかになり、森戸に同情めいて近づいて、自分がうまく計らってやろう、と大物風を吹かせて立ち入ってくる、大田原の親分さんの、わっかりやすい思惑に気づかないってところで、もう森戸のダメさがさらに浮き彫りになるってもんである。

森戸が自分のダメさに気づいていないから、大田原の申し出を、マジの好意だと信じちゃったのだ。バカか、ガキか、お前!!おめーみたいな思考能力のない単細胞で、嫉妬深くてあっさり騙されちゃう男が、そもそも跡継ぎに選ばれる訳ねーんだよ!ということが何故判らんのかい!!
いや……そこはやはり、堀川の親分さんがはっきり言い渡さなかったのがいけなかったんだと思うし、新二郎が人が良すぎて、男の嫉妬こそが手に負えないものだということが判ってない世間知らずなあたりが、ヤクザとは思えないなーと思ったりして。

だから、新二郎が死んじゃってからが、物語の本筋なんである。お藤は新二郎にホレちゃって、“ヤクザの垢にまみれる”ために、新二郎の背中に見事に彫られた刺青、それを彫った名工に頼み込んで、自ら“ヤクザの垢にまみれた”。
その老彫師は、お藤の新二郎への深い想いに打たれて、本当だったら受けない、“カタギのお嬢さん”への彫りを受けたのだ。新二郎の亡きあと、本物の博徒になるために、お藤さんが修行に出たのもこの老彫師の紹介だった。

新二郎が、自ら死を覚悟して兄貴分との話し合いに挑みに行く、その前の、本当に短い時間、お藤さんは背中の刺青を新二郎に見せ、想いを伝え、二人は結ばれた。
もう新二郎、死ぬなと判っちゃった。先述のように、島崎が新二郎の亡骸を届けた。確かに彼が勝負の相手だったけど、彼が殺したんじゃなかったのに、潔すぎる島崎は、姓名を告げて、お藤さんの無念を晴らす道を、示したのだ。
ああ、なんと、なんか、天知茂!!って感じ!!勝手な私のイメージ(爆)。

島崎は、胸の悪い奥さんと寄り添いながら生きている。会話の端々でどうやら、駆け落ちしてきたことがうかがわれる。いつか身体が良くなったら、島原の親御さんたちに許しを請いに行こう。島崎は奥さんに優しくそう言う。
判っちゃう。そんな日が決して、来ないことが。それは奥さんが胸の病が克服できなくて、という結末だと思っていた。サナトリウムなんて言葉に不謹慎にキュンキュンしながら(爆)、純愛過ぎる夫婦の物語の終末に身構えていた。

確かに奥さんは死んでしまった。でもそれは……この渡世の、ヤクザの矜持というよりは欲得にまみれた愚か者どもに巻き込まれてしまったのだ。
大田原。そう、新二郎と森戸の決裂に上手く入り込んで、堀川一家が持ってたシマを奪おうとした巨悪の根源。

でも、やっぱりそもそも、堀川の親分さんが甘すぎたと思うよ。だって彼は、大田原の悪事にさえ気づかず、死んでしまったわけでしょ??そんで、自分の子分たちを反目し合わせる結果にしちゃってさ、甘い、甘いわ!!男の嫉妬は女のそれより実はずーっと、ヤバいってこと、こと男の方が判ってないんだから!!
本作の中で、森戸側の女たち(森戸の女房とか、子分の恋人とか)こそがギャーギャー言ってて、いかにも女がこういう現実に欲深いように見せるけれども、違うんだよね。女はふがいない男に腹を立ててるだけ。男は自分のふがいなさを自覚せず、他人のせいにする。ああ、愚か!!

で、冒頭の時間にようやく追いついてくる。お藤さんは今や名うての女胴元である。仇の一人である島崎を探し回っていると聞きつけ、島崎が身を寄せている組の親分さんが心配げに注意してくる。島崎はむしろ待っていたように、彼女を迎え入れる。もう死ぬ気まんまんである。恋女房はサナトリウムに向かわせたし。
でも、ああやっぱり、恋女房、察知して来ちゃう!愛するダンナの前に立ちはだかって、その刃を自分で受けようとする!!

お藤さんは、最初から判っていた筈。自分から仇だと名乗る島崎が、真の仇ではないことを最初から判っていた筈。
この時、島崎も、その恋女房にも手を出せなかったのは、サブちゃんには「自分のような女をもう一人作ることになるから」とは言ったけれど、判っていた筈だよね、島崎は敵じゃない、むしろ愛する新二郎を真に理解してくれている、唯一無二の味方なのだと。

だからもう、最後はね、島崎の、天知茂の死にざまを、涙目ながらヘンに心待ちにするような気分だった。
恋女房を巨悪大田原の刺客に殺され、島崎は鬼になった、いや……違うな、早く恋女房の元に行くために、お藤さんの元に現れて請うたのだ。もう自分には失うもなど何もない。どうとでも使ってやってください、と。

その時お藤さんもちょうどおんなじ気持ちだった。最後の巨悪を倒すチャンスの直前。ずっとずっと、新二郎の墓前に、早くあなたの元に行きたいと、何度も何度もつぶやいていた。
島崎と同じ、愛する人の元に一刻も早く行きたい、そのためにはやり残したことがある、ピタリと一致した。敵同士だったけれど、これ以上ない味方同士の二人が、大田原が渡世の大きな組織を取りまとめる代表に就任するという晴れがましい場面に乗り込み、すべての悪事を暴露する胸のすくクライマックス。

でもそれは……ああやっぱり、島崎だけが、死んじゃうののね。お藤さんもずっと、早く新二郎さんの元に行きたいと言ってたけど、ヒロインだし、江波杏子だからしぶとうそうだし(爆)、なんか死なない気がしたんだよね。
天知茂は、期待通り、それ以上の耽美バッチリに死んでくれる(爆)。死にゆく天知茂にもれなくキュン死にする私は、精神的に何か問題があるんじゃなかろうかと思う(爆爆)。ああ、血だらけの天知茂(私やっぱりヘンタイかしらん)。 だってそもそも男主人公バトンタッチの場面、新二郎の亡骸を双方血だらけで抱き起し、血だらけでお藤さんの元に送り届ける、ああ血だらけの男二人!!(なんか精神的に問題がある気がホントにしてきた……)

でもね、やっぱりね、女は生き抜くのさ。早くあなたの元に行くとか何度も言ってたくせに、お藤さんは、江波杏子は、死なずに、ただ茫然とした背中を見せるその場所は、新二郎が命を落とした場所ではあるにしても、そこで終わるのだもの。きっと彼女はこの先も生き抜いていくのだろう。

おっと!!森戸をぶっ殺す場面を書き忘れた!!位置的にはかなりのクライマックスだったのに。色っぽい女胴元のお藤さんにクラッときて××しようとしたところで、かみそりでバサッ!!頸動脈から血がブシャー!!……そんな鮮烈な場面を言い落しちゃったのは、やっぱりコイツは小物だったっつーことだわな。男は哀しきね。★★★☆☆


新宿パンチ
2018年 93分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:城定秀夫 永森裕二
撮影:田宮健彦 音楽:林魏堂 
出演:小澤廉 吉倉あおい 毎熊克哉 宮崎秋人 財田ありさ 森本絢斗 佐倉萌 鼠先輩 鈴木隆仁 矢柴俊博

2021/3/24/水 録画(チャンネルNECO)
天然パーマどころか天然パンチの童貞青年が、歌舞伎町でスカウトマンとして成り上がる、だなんて青年誌当たりのエロコメディみたいだなあと思ったが、これが意外にマジメな話。
おっぱいが出てくるのは主人公の道場方正(みちばほうせい)が普通のキャバクラだと思って入っていったおっぱぶでぐらいなもんで、城定監督ならエロ路線に行ってもちっともおかしくないのに、そうならない。
童貞君、道場方正は実にこの映画の最後の最後になってようやく、思い人のルミとそうなるけれど、それだって、幸せな朝を迎えた二人の寝姿で示すという上品さなのだから!

ならば本作は何を描いているのかっつーと、新宿、いやもっと狭く歌舞伎町、この狭いようで宇宙的に広い、日本一の歓楽街での人間たちの生きざまである。いや、もっと狭めて言えば、女たちの生きざまである。
方正は見た目はパンチだけど中身は純情田舎青年だから、その怖さにも深さにも最初ぜんっぜん気づいていない。

てゆーか、なぜ彼がこんなところにいるかというと、その天然パンチの外見ゆえに不良や反社からの”スカウト”に業を煮やして、田舎を飛び出してきたんであった。
思えばその”スカウト”から新宿のスカウトマンになるとゆーのだから、これってシャレ??とも思うが、彼にとっては生きるためのギリギリの選択である。

彼の父がまた、パンチであった。同じ苦しみを味わってきた彼は息子に、反社にならないためにはひょうきんで乗り切るしかないと身をもって教えるのだが、父はその気の良さで子供にも好かれたが女にも好かれ、母親は家を出ていった。
その母親との出会いが、新宿歌舞伎町のテレクラだった。方正はそこから人生をやり直してみようと思うのである。それは意気地なしの父親が、本当は愛している妻が出ていく背中を未練がましく眺めるばかりで、その後を追っていけない情けなさを目の当たりにしたからかもしれない。

つまり、その冒頭から思わず吹き出してしまったオチはちゃんと伏線が貼られてるんだよね。父親もまた、”別れた女房と出会った歌舞伎町で出直したい”と、スカウトマンの後輩として方正の下に入ってくるという!!
てゆーのは、ずっとずっと後の話。まずは方正は運命の出会いをする。彼が目指した両親が出会ったテレクラはとっくの昔につぶれている。そらそーだ。テレクラなんて、私が子供の頃に大人がイケナイ出会いをしていた昭和の文化だもの。

途方に暮れた方正だが、道行くスカウトマンたちが女の子たちに次々に声をかけているのを見て、そうかナンパだ!とカン違いしてそれを真似て、職務質問受けちゃう。
スカウト禁止?なにそれ、ナンパしてただけなんですけど!!というピントの合わなさは、ルミとの運命の出会いからしばらくたってもなかなか彼の中で消化されないあたりが、純粋誠実な愛すべきキャラなんである。

ルミは典型的な、歌舞伎町で堕ちてしまった女である。ラストシークエンス、方正との二人乗りの自転車でしみじみと語る彼女の人生は、最初こそ彼と同じく田舎から出てきた女の子だった。
そのさみしさゆえかホストにはまり、借金まみれになり、それを救ってくれたのが方正と出会った時に縛り付けていた”彼氏”タカシであったのだった。

客観的に見れば、救われたんじゃなくて、最初から陥れられてたんだろと思うし、彼女自身も本当は判っているのだろう。カネで縛られて、働かされて、クスリで縛られて、離れられないようにする。
少しでも反抗的な態度をとると、暴力をふるう。なのにそれを、「急所は外しただろ。鼻は折れないようにしたんだ。愛情だよ。お前を愛しているから」うっわうっわうっわー!!こわっ!!
演じるのがさ、初めて見た時 から顔で殺すわこの人、と思って遭遇するたびにビビりまくってしまう毎熊克哉氏である。クスリでイッちゃってる顔とかマジリアルで怖いんである。ああもう。

そんなルミと方正はバッティングセンターで出会う。色っぽいお姉さんなのに、見事なバッティング。思わず見ほれる。思わず彼女の後をついていく。
ガールズバーで働いている彼女に、「スカウトに来ました!野球の……」とヘタな冗談をかます。そして、彼女を監視しているタカシに気づき、本能的に「あの人はダメだ」とルミの手を取って逃げ出すんである。

当然、追いつかれてボッコボコにされるんだけれど、方正の唯一の武器の石頭で頭突きして、いい勝負になるんである。
いや……ルミが、必死に言ったのだ。私が一緒に逃げてと言ったのだと。借りた金は必ず返す。お願いだから別れてくれと。

タカシはひどく、傷ついた顔をして、返せなかったら風俗に売り飛ばすからな、とあっさり踵を返した。
この時には簡単な展開だなと思ったけれど、タカシは、本当にルミにホレてて、彼自身がこの地獄から抜け出せないからこそ、自分が手なづけていると思っていた女が反抗したから、まるで叱られた犬みたいに傷ついた顔をしたのだ。

方正がルミの職場を探すために、歌舞伎町のルールも知らずにノンキに売り込みをした先で、シマを荒らしたと首根っこつかまれて、スカウト会社の事務所に連れ込まれてしまう。
しかして、その首根っこつかんだ先輩の玄も、スカウト会社の社長、露崎もめっちゃいい人なのだ。
露崎!!演じる矢柴俊博氏、「きのう何食べた?」の美佐子さんの夫!!あの優しい役柄と比して、まさかのぜんっぜん違う裏社会だけれど、その柔らかな物腰はそのままに、包容力と厳しさがブレンドされて、とってもいい感じなの!!驚 いたなあ。

面倒見のいい兄貴分の玄さんを教育係に、方正はめきめきとスカウトマンとして成長していく。
最初の成功例、一見地味なのに化粧映えしてすっかり見違える”さっちゃん”をはじめとして、次々に女の子たちを送り込み、意気揚々としていたのだけれど、そのさっちゃんこそが、彼のつまずきとなる。

自分が思わず知らず傲慢だったことを突きつけられ、どこへとも知れず消えていったさっちゃんのことを心配しながら、この歌舞伎町という地獄に生き抜く女の子たちの、たった一人の味方が自分であるという自覚を、彼は痛切に感じ、叩き込む。
それ以降、彼は歌舞伎町の女の子たちの誰もが知る、大好きなパンチ君として、毎朝挨拶をかわし、悩み事を聞き、ストレス発散の遊びや酒に付き合い、朝起こしに行ってついでに部屋の掃除をし……まるで女の子たちの執事、恋人、友達、家族、そんな存在に成長していく。

一方でさっちゃんは行方不明のままだし、その事件に端を発した、強引な引き抜きが次々と発生する。裏にはあのタカシと、……めっちゃ悲しいけど、玄さんがかかわっているのだ。
とても気のいい兄貴分だったのに、天性のスカウトマン気質を発揮してぐんぐん伸びていく方正において行かれるばかりの玄さんは焦っていた。タカシにつけこまれた。情報を流し、クスリで荒稼ぎし、もう裏切りも裏切りの、のっぴきならない状況になっちゃってた。

方正がさ、無邪気すぎるんだもの。ルミさんのことばかりフォローして、さっちゃんはじめほかの女の子たちのことをほったらかしていたことを、玄さんから指導されてた筈なのに、社長から指摘されなければそれに気づけなかった。そこから心を入れ替えたけれど、そんな具合に、一つのことにしか目が向かない。

敬愛する先輩が、まさか自分に嫉妬してるなんて、思いもしなかった。先輩の成績が上がってないことは、事務所の営業成績グラフで一目瞭然なのに、一つのことにしか目が向かない方正君は、自分のことだけでいっぱいいっぱいで。
いや、そもそも先輩は敬愛すべき先輩の位置から揺るがないってだけでさ。なんかもう、あらゆる意味でドーテー君!バカやろ!!って感じなのよ!!

クスリっつっても、混ぜ物だらけの粗悪品で、それで荒稼ぎしてるもんだから、純正扱ってる純正反社に追われてる次第、なんである。
タカシはそーゆー、なんつーか、破滅が見えている哀しい男で、それを愛する女への暴力が愛情だと勘違いしてるようなところにも表れてて、演じる毎熊氏が、どうしようもなくそれを体現してて、胸が苦しくなるんである。

正直主人公を担う小澤廉君は青臭いし、ヒロインのルミを演じる吉倉あおい嬢もそこそこといった感じで、本作はとにかく、地味ながら脇を固める役者たちの滋味あふれる存在感にヤラれるんである。
主演の小澤君と同年代だけれど、彼の先輩として最初こそはアニキ風を吹かせていただけに、落ちていく玄さんを演じる宮崎氏も心に残ったし、毎熊氏氏、矢柴氏、しみじみ素晴らしく、胸が熱くなるのだ。

ことに矢柴氏はヤラれたなあ。女の子たちを引き抜かれ、兄貴分の玄さんが裏切ったのも自分の責任だと、猪突猛進する方正。ルミを監禁しているタカシのもとに乗り込み、あわや殺されかけるような事態に、改心した玄さんからの通報で、事務所の面々が乗り込む。
「俺たちはチームで動いてる。群れから離れたかったら、好きにしろ」とか露崎はメッチャ凄んで言うのにさ、すみません……と悄然とする方正に、「弱虫だから、群れなければやっていけねえんだよ。お前も、俺たちもな」と肩をたたくのよ。めっちゃ目を見つめて、言うのよ!!
うっす、と方正は返すのよ。キャー!!!!もう、萌えまくるじゃないのー!!矢柴氏、超素敵!!

先述した、やはり田舎者だったルミの独白があり、平穏な時間が戻ったところに、思いがけずタカシが訪ねてくる。ルミに最後の別れを告げに来た、と言う。
方正はかみつく。タカシさんみたいな人、地元にいましたよ。ほんの些細なことにつまづいて、やさぐれて世間や周りのせいにしているヤツ!!と。

方正は本気だったんだけど、タカシは爆笑した。お前面白いな、久しぶりに笑ったよ、と。当然、タカシは刺さったはずだし、それを判ってないのは、方正だけだよな。
ルミはもういいでしょ、と追いすがる方正を止めた。まだ判んないの、この童貞君は、ぐらいのことだろう。そしてタカシは、ルミにただいまと言ってほしかったタカシは、敵に追われて、……きっと死んでしまったに違いないのだ……。

今日も方正はパンチ、パンチ君と呼ばれて、歌舞伎町の女の子たちに大人気である。玄さんが抜けた代わりに後輩として入ってきたのは、同じパンチのお父さん、である!!おっと、鼠先輩、ですか!★★★☆☆


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