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「ま」


2002年鑑賞作品

マッスルヒート
2002年 分 日本 カラー
監督:下山天 脚本:大石哲也 金剛
撮影:山本英夫 音楽:遠藤浩二
出演:ケイン・コスギ 哀川翔 橘実里 金子昇 李耀明 盧惠光 橋本真也 高山善廣 冨家規政 渡辺典子 竹中直人 渡辺いっけい 加藤雅也


2002/11/12/火 劇場(有楽町スバル座)
下山天監督で、哀川翔が出ているっていったら、そりゃもういくら食指が動かなくても観に行くしかないんだけど、やはり食指が動かないという気分がカベとなっていたのか、役者や演出にそう文句はないんだけど、どうもノリきれない。もちろん、主演のケインにも大いに興味はある。彼は今の日本人俳優にはめったに見られない野心が、最初からその身体に燃えている人だし、スクリーンで観ても充分にスターのオーラは感じられたので、それは嬉しかった。哀川翔は(意識してんのかどうかは知らないけど)この若いスターを迎えておさえ目に演じている感があり、ケインはそれで引き立たせてもらってて、そんなことは気にせずガンガン来る加藤雅也とは違った悲壮のオーラで、意外に彼にも食われずに済んでいる。他の人はどうか知らないけど、私の中のケインのイメージっていうのは、かわいそうなくらいマジメで悲壮感が漂っている、というものなので(最初に彼をマトモに見たのが、「筋肉番付」で優勝して涙を流している時のものだったからなあ。あの時の印象をそのまま引きずっているのだ)その、これもまた稀有なイメージを大切にこのスクリーンに再現しているというのも、満足点。彼の悲願を叶える最初としては基本クリアであったように思う。それにしても、ケイン、「キャッツアイ」だの「WHO AM I?」に出ていたなんて知らなかったなあ。

ノリきれなかったというのは、もうタイトルからノレなかったんだけど(笑)。タイトル、気にならない時は全く気にならないんだけど、タイトルでホレて、それだけでホレきっちゃうこともあったりして、結構左右されるものなんである。そんで、このタイトル……マッスルヒートってのは、それは……キツいでしょう。確かにケインのイメージからは判るけど、それだけにベタすぎて。んで、内容が、もはや昨今使い古された感のある近未来の廃墟モノで、その中ではギャンブルが横行しているとか、マフィアが暗躍しているとか、中国人がうようよいるとか、すでに三池監督作品あたりでさんざん観た覚えのあるこの雰囲気。そうそう、哀川翔とか加藤雅也が出ていることで、余計そんな感覚が強くって。

んで、潜入捜査官で、彼らが追っているのが違法取引されている、身体能力を高める代わりに狂ってしまうドラッグ、“ブラッドヒート”とまでくると、何かうわっと思ってしまう。どっかで見た、聞いた気がしすぎなのよ……しかも“ブラッドヒート”っつーのも、ずいぶんとまあ、センスのないネーミングというか……何かちょっと恥ずかしくなってしまわない?マッスルヒートにマッスルドームという時点でもう息もたえだえだったのに(私、おかしいかなあ。でも、こういう感覚、判るよね?)ま、このブラッドヒートの造形はなかなかキレイだったけど。照明にかざすと、赤いカプセルの中が透けて、透明な大きめのつぶつぶが光って見える、という……しっかしいかにもインチキくさいクスリだけど。最近出回っている危険なダイエットカプセルみたいね。

ケインと哀川翔が相棒役として共演、というのも、なかなか興味は覚える、観てみたい組み合わせではあった。しかし、哀川翔、なぜそんなに早くに戦線離脱しちゃうのよお!っつーか、上映時間、短いよね。最近には珍しく……いや、スリムにまとめるのは悪くはないけど、それこそベタな要素を並べて、さっさと終わってしまったという感覚がしなくもない。悪の組織が妻と娘を人質にとって研究者を脅して……だなんてくだりも、何かいろんなところで何万べんも観たって気がするしさ。哀川翔の戦線離脱の早さも、この上映時間の短さのあおりをくらってる?何となくさあ、これって、客の回転を早くしようとしているっていうか、上映回数で稼ごうとしているような気がしちゃうというか。その辺も香港映画スタイル?うーむ。

この研究者家族のくだりは、妻が命をかけて逃がした娘にスポットが当てられる。加藤雅也扮する健仁の組織に追われているこの女の子、遥を“偶然”(ってあたりも……)ケイン=ジョーが見つけ、助けて保護するんだな。で、彼女を預ける場所として地下組織にもぐりこみ、金子昇=ケンとの出会いもあるわけ。この女の子がまたベタなんだなー。ロングヘアーにピンクのリボンつけて、ピンクのワンピースに白いレースのソックス。それで、両目にこぶしを当てて、えーん、えーん、と泣くという……ヤメてくれよ。しかし意外なところに見せ場が。彼女が父親と再会した時、この父親、この子ばかりは離すまいとヒッシと抱きしめるんだけど、抱きしめれば抱きしめるほど、彼女のワンピースのすそがめくれ上がって、もうちょっとでぱんつ見えそうなぐらいかわゆい太ももまであらわになっちゃうのだ。はっきり言ってこの子は演技とはいえその体勢が実にツラそうなのだが、そのロリコン狂喜のながめが実にいいやねー。って、何を薦めてるんだか……。しかしこのベタな物語の中で、期せずにオオッと思わせるところなんて、こんなところしかないんだもん。

戦線離脱したといっても、後半も後半、もう終わっちゃうよ!という時になって再び登場はしてくるんだけど、しかし、哀川翔、ゾンビ状態である。うっそお、ヤメてよお!でも、ま、ヤラれっぱなしでそのまま死んじゃうよりはいいけど……あのケインを相手に、まあある程度はスタントを使っているのかもしれないけど、哀川翔らしい実戦(ケンカ)の強そうなアクションで、ああ哀川翔だわあ、などと見とれる。しかし、彼は狂っちまってるわけで、だから妹に背後から撃たれてしまって、そしてこれもまたお約束で最後の一瞬だけ正気に戻って、死んでしまう。しかも、その後、ケインVS加藤雅也のバトルが気合が入っているので、何だか哀川翔の印象が薄れてしまうんである。いやああー。

あ、この子は「純愛譜」の子だわね。どっかで観たことあるよな、絶対、と思って、映画観ている間中ウンウン考えて、思い出した。いつもは観ている時には思い出せないんだけど、思い出せて、良かった。これは珍しいことなのよ、私としては。哀川翔の妹、っていうにはあまりに年が離れすぎてると思うけどね……それだけにこのお兄ちゃんが妹を溺愛してて、いつも写真を持ち歩いているぐらいで、その溺愛している妹を預けてもいい、と思う信頼できる男がケイン=ジョーだったんだわね。信頼できる、というにはあまりに期間が短すぎるけど……でも、まあ、哀川翔=桂木に男を見る目があったということでいいことにしておこう(哀川翔には甘い私)。この子は華奢で、しかし唇に妙に存在感があって、発音がなかなかきれいで、という点で、私は結構好きなタイプの女の子なのだ。うん、可愛いよね。まだまだインパクトに欠けるというか、ま、それは初々しさが残ってるっつーことで、しかも映画作品に連投しているわけだし、期待したいです。可愛いから。

しっかし、加藤雅也は三池作品からハジけちゃったわね。もう、バランス考えない、考えない(笑)。ある意味とっても楽しそう。眉一つ動かさずに、自分の情婦(だよなあ、あの女はやっぱり)も殺してしまう男。中国語と日本語と英語のチャンポンを、クールに決めちゃうあたりはさすが鍛えられてる。その点、思いっきり悲壮に一生懸命なケインとバランスがいいとも言え、ケインの怒りと憎しみと哀しみのこもった、あの彼独特の負の表情を最大限に引き出すことに成功しているんである。まさに、この顔こそがケイン独自の個性なのよね。彼はジャッキーを目標にしているらしいけど、カラーとしてはどちらかといえばブルース・リーに近いんじゃない?このあたり。いや、でも若い男の子なんだから明るくサワヤカな部分もあるとは思うけど、この稀有な個性は大事にしてほしい、やっぱり。

意外に良かったのは金子昇。彼のことはウッチャン&哀川翔のこないだのテレビドラマで見ただけだけど、スクリーン映えするというのが、まさしく意外(失礼)。割と上背があるのかな?ホント映えるよね、スクリーンに。表情もこのキャラクターを理解してきちんと作りこんでいるというのが伝わって好印象。何か彼の感じ、北村一輝に似てるなあ、と思ったのね。顔の濃さなんかもちょっと似てない?それにこういう世界観の中、しつこいようだけど三池作品を思わせるようなカラーの中にいるとますます似ているような気がするのよね。似ている、っつっても、あの北村一輝になんだから、それは決してマイナスの意味で言っているんじゃなくて、それだけのインパクトがあったってことよ。その顔立ち、薄め小動物系の男の子が多い中でもいい感じじゃないかなあ。

こうした濃いめのキャラがうじゃうじゃする中、ケインは確かに健闘しているけど、それにしても喋らなさすぎね。それこそハリウッド映画でのジャッキーみたい。でも、まあその方がいいのかなあ。その肉体、そのオーラだけで勝負するっていうのが……。彼が雄叫びをあげて肉体を誇示すると、さすがボディビルダー並に弾けた美しい筋肉がてらてらと光って、迫力。でも、力を抜くと、割と普通なのね……当たり前か。と思ったのは、ほら、この加藤雅也との対決の時、ウオーと雄叫びって、タンクトップビリビリに破いて、ムキムキッとさせるじゃない。で、闘いが終わって外に出た時にね、まあ、当然破いちゃったんだから上半身裸のままで、これまた当たり前だけど力抜けてて、その身体とのギャップに結構驚いたんだなあ。これは見ていいものだったんだろうか?だなんて。

下山天監督、初期の「cute」や「イノセントワールド」にあった独特の雰囲気が、メジャー作品になってから、ちょっとずつ薄れちゃっているみたいで……。★★☆☆☆


マルホランド・ドライブMULHOLLAND DRIVE
2001年 146分 アメリカ=フランス カラー
監督:デイヴィッド・リンチ 脚本:デイヴィッド・リンチ
撮影:ピーター・デミング 音楽:アンジェロ・バダラメンティ
出演:ジャスティン・セロウ/ナオミ・ワッツ/ローラ・エレナ・ハリング/ロバート・フォスター

2002/4/25/木 劇場(恵比寿ガーデンシネマ)
私とデヴィッド・リンチとの出会いは遅くて、「ロスト・ハイウェイ」でようやく頭をカチ割られたクチなのだが、それでも彼の過去作品を探ってみようとは思わなかった。それは、単に私のめんどくさがりの性質のせいもあるけど(それの方が確かに殆どを占めるが)こういうタイプの作品を発信する作家であるらしい彼の作品を、系統だった見方をすることは、無駄な作業、というか、つまらない気がしたのだ。それは多分に「ロスト・ハイウェイ」にホレこんだせいもあるのだが、つまりこの作品が過去の作品群のラインによって生み出されることを確認することはイヤだったし、私自身、一個の作品は一個の作品として何からも切り離された状態で観るべきだし、感じるべきだと思っていた。そう言いながらも、私もやたらと関連付けて考えてしまうキライは確実にあるのだが……。そういう思いをより強固にしたのは、リンチがそれまでの作品とはまるで違うと評されていた「ストレイト・ストーリー」を撮った時に、そうした観点からやたらと語られていたのに、嫌気がさしたせいもおおいにある。

そんなこんなで、本作である。世間的に言えば、これぞリンチな世界なのであろうが、まだビギナーの私にとっては大いに新鮮である。故意の事故にムリヤリ遭遇させられて、奇跡的に生き延びた黒髪が神秘的な美女。死ぬはずだった彼女の生還は、果たして正解だったのか。後に記憶を失っていることが明らかにされる彼女は、なぜかその足で警察などには行かず、民家に忍び込む。その家の女主人は旅行に出かけようとしており、家に入り込む彼女を確かにその目で確認しているのに、何も言わない。この時点で事象的な不穏がただよってくる。事象的ではなく、雰囲気だけならば、もう最初から不穏だらけの空気だった。闇、闇、闇……まるで事故ってくれとでも言いたげな程に暗い魔の道、マルホランド・ドライブ。必然の事故、そして偶然の生還。そこから始まるのは一体、現実なのか、夢なのか。

そんな不穏な闇そのものを体現するかのようなこの女、仮の名前をリタ(リタ・ヘイワースから来ているというだけで、もはやファム・ファタルは決定的である)と自称する彼女の、白い肌に映える黒い髪と黒い瞳、しなやかでエロティックな体つきにまとわれたドレスは一見していいものとわかる品で、彼女がいわゆる市井の人でないことは明らかである。この彼女が忍び込んだ家に、持ち主である女性の姪であるという、女優志願のベティが留守番がてら夢の女優に向けたオーディションを受けるため、はるばるオンタリオからハリウッドのこの家へやってくる。二人が出会うのはリタが汚れた体を洗い流していたシャワー・ルームで、すでにここからどこか艶めいた予感は感じさせる。実際、ベティはリタの、おびえながらも風格を備えたその美に惹かれていることはありありで、彼女に協力しようというのも、好奇心は勿論、この美女の吸引力に抗えないせいだというのは、後に二人がメイク・ラブするシーンを待たずとも、この時点で充分にうかがえる。

しかし……二人の愛は偶然?必然?そもそも、二人は現実の二人?まるでパラレル・ワールドのような奇妙な世界がねじれてやってくる後半を観るにつけ、はてこの二人にどう決着をつけたものかと、現実的、倫理的な推理は迷宮の闇に入り込んだまま出られなくなってしまう。ベティがリタを相手に練習をしていた時とは打って変わって天才的な演技をオーディションで見せるのも(まさしく、あのオーディション場面は劇中のスタッフたちのみならず、鳥肌もの)レストランのウェイトレスの名札からリタが“ダイアン・セルウィン”という名前を思い出すのも、そのダイアンの部屋で腐乱した死体を見つけ出すのも、あらかじめ全てが時のかなたで用意されていた、これ以上ない必然なのだと後半のエピソードを観るにつけそう確信させられてしまうと、ここでリタとベティが惹かれあったのも、そうした人間の感情、どうしようもないはずの偶然の上に成り立った必然であるはずの気持ちも、機械的に用意された、味も素っ気もない“必然”なのだと、そう言われている気がして。

その腐乱した死体に、まるで覚えがあるかのように痛烈な悲鳴をあげるリタ。動揺するリタを鎮めようと、ベティは彼女の髪を切ってやり、ショートのブロンドのウィッグをかぶせてやる。するとどうだろう……まるでベティそっくりではないか。彼女のこの行動は確かに愛情に違いない。そう彼女も思っているに違いない。けれども……後半のエピソードを観てしまうと、これは拘束だと。高嶺の花を自分の位置に引きずり下ろす、愛ゆえの傲慢だということが判ってしまう。その姿を鏡に映して見とれるリタ、という図も、ベティの願望だということが。これは夢。ベティの、願って願ってかなわなかった夢。たった一回のオーディションで上手くいってしまうのも、自分の愛する人が、自分の位置まで降りてきて、それに満足してしまうのも。その夜、二人はロマンティックな気分が盛り上がり、ついに結ばれる。しかし真夜中目覚めたリタがベティを伴って出かけた劇場での奇妙なステージングが、彼女たちを別の世界へ……いや多分、これこそが現実である世界へ(と、私は思ったのだけれど……残酷だろうか)引き戻す。そのステージでは、すべてがまやかし。吹き鳴らされているように見える楽器も、歌い上げられているように見える歌手も、ただの吹き替え。本物にはなれない代役達ばかりなのだ。おびえるベティの姿を今こうして思い起こして見ても、ああ、彼女にとって指摘されたくないことなんだ、と首肯できる。けれども……泣き続けていたリタは?その意図するところを一生懸命考えているんだけれど……。

いつのまにか、リタのバッグに入っていた小さな青い小箱。それは、記憶喪失になったリタが持っていたバッグの中、札束の下に入っていたカギと合致する小箱だった。部屋に戻ってきた二人、いざ小箱に鍵を合わせてみようとすると、突然、ベティが姿を消してしまう。リタは部屋中探し回るが、彼女の姿はない。いぶかしがりながら、小箱に鍵を合わせるリタ。蓋を開けると……そこは闇。ただただ闇。そしてリタもすとっ、と、その闇に吸い込まれ……次のシーンでは、ベティのおば(であるはず)の女性が、部屋の中をのぞいている。彼女は本当に出かけていたのか。一体、あれから時間が経っていたのか、ベティとリタの物語は、時間軸とは異質の世界で展開されていたのではないか?

なぜならそこから、また全然違う世界の物語が展開されるから。リタと呼ばれていた彼女はカミーラという名前のスター女優。ベティであった彼女は(まるで別人のようにやつれた風貌だったので、私は別の女優がやっているのかと思ったぐらい)、リタだった彼女が覚えていた名前……ダイアンという名の、カミーラに恋焦がれている売れない女優。カミーラとの差は広がるばかりで、カミーラは自分に恋しているダイアンを半ばもてあそぶようにスター連中のパーティに連れて行って、その場で監督との婚約を発表し、ダイアンの顔色を失わせる。

その監督とは、前半部分でベティがオーディションに合格した時、次の作品のヒロインに起用した監督。前半と後半の世界には奇妙な中継ぎが存在していて、それはダイアンの願望が生み出したのか、それとももっと説明のつかない、漠たる存在なのか、人間の思い通りにさせない、強引な意思決定をさせる不気味な男たちが暗躍している。それによって、ベティのヒロインもあらかじめ決定されているのだが、ベティを一目見た監督は、それとは関係なく彼女に心惹かれている様子なのである。しかしそれもまた、ただの代役、まやかしに過ぎなかったのかもしれない。そうでなければあんな男たちが出てくる必要もないわけだし、あんなステージングを見せられる理由もない。人の気持ちなんて、ちょっとした暗示で簡単に操作できるんだという皮肉な見方を示唆しているのか……?実際、氾濫する情報にただただ流され、促されているだけの世の現状を思うと、正直ゾッと、思い当たるふしがあるから。

カミーラを愛してやまないダイアンは、愛情が募るがゆえに、彼女の仕打ちに対してその気持ちが憎しみへと裏返る。彼女は殺し屋に、カミーラ殺害を依頼する。その打ち合わせの場所は、前半部分でこの場面を夢に見た、と冒頭に登場してくる男性が、彼にしか見えない無気味な男を見た場所であり、リタがダイアンという名を思い出したレストランである。実際、この場面にはその男性がおり、同じウェイトレスが今度は“ベティ”という名札をつけている。“ベティ”という名札……ということは、まさか、もしかして、この世界とあの世界はどちらが本物とかニセモノとかいうのではなく、ただ表裏一体の、まさしくパラレルワールド、なのだろうか?単純にこの世界はこうこうで……などと決着をつけようと、そうすることでこの不安を何とか解消しようとする観客をこの名札ひとつでまたしても迷宮の闇に突き落とす。それはまるで……現実の何かなど、存在しない。今こうして確実に生きていると思っている世界も、誰かの想像の中の世界だと言われているみたい。自分の意思決定だと思っていることも、全てがもっと大きな、全てを包括する存在によって決められているといったような、不気味さ。ああ、それこそが……この作品の重要なテーマ、世界観なのか。

カミーラを思って一人自慰にふけるダイアンの目に映る、オールヌードのカミーラが横たわる姿は、やはり願望が生み出した幻想、なのだろうな……。顔を紅潮させて自分をなぐさめるこのダイアン……演じるナオミ・ワッツが抵抗を感じたと語るシーンだが、ベティの時とはまるで別人のようにすさんだダイアンを熱演し、このシーンでも彼女の惨めさがとてもよく出ていた。

それにしても、あの腐乱死体が意味するものはなんだったんだろう?解説では“女の腐乱死体”と書かれていたけれど、私の目にはどっちともつかず、男のようにも見えた。あるいは意味するもの、などと追求しようとすることこそがヤボなのかもしれないけれど……。あの死体が映るシーンは何度かあるけどいつも一瞬で、一瞬だからこそ、トラウマ的に脳裏に焼きつき、離れなくなる。悪夢を究極的に表したら、あんな画になるのではないかと思われるような。全編、それをこそ追究しているかのような本作における答えが、あのシーンだということなのだろうか……。★★★★☆


マンホール man―hole
2001年 109分 日本 カラー
監督:鈴井貴之 脚本:伊藤康隆
撮影:佐野哲郎 音楽:直枝政広(CARNATION)
出演:安田顕 三輪明日美 大泉洋 北村一輝 中本賢 本田博太郎 金久美子 きたろう 風祭ゆき 田口トモロヲ 李丹 尾野真千子 上良早紀 駒勇明日香 小池栄子 坂本サトル 小野寺昭 高瀬春奈

2002/7/9/火 劇場(シネリーブル池袋/レイト)
来た来た来た、来ましたよ、北海道映画がキテる!「パコダテ人」に続いてやってきた北海道映画は、監督からすでに北海道人であり、主演者、制作、公開、反響全てが北海道で実績をあげたものが満を持して東京に“輸入”されてきたという実に頼もしいローカル映画。しかもこれがなかなかやってくれるんだ。面白いじゃないかあ。「パコダテ人」で製薬会社の若社長役をコミカルに演じた時には殆ど顔が見えないような状態だった安田顕は、今回主役の正義感あふれるおまわりさん役。そして「パコダテ人」であおいちゃんと並んで主役の一方を担った大泉洋は、根無し草のちょっとおポンチな青年。特に大泉氏は「パコダテ人」よりはるかにこちらの方がイイ。ぽんにゃりとした人好きのする雰囲気が凄く良く出てて。二人とも、「パコダテ人」の時のちょっとオーバーアクト気味な演技とは違って、凄く上手くてビックリした。しかも主演の安田顕ときたら、王道タイプのイイ男なんだもの。当然のことながら、才能、人材は東京にだけ存在するんじゃないのだ!

北海道のみならず、東北を含めた北の地方の中で飛びぬけて都会の札幌は、北海道とか、北の地方都市、という感覚とは違って、都会の抱える普遍的な表現がそのまま当てはまる街。今までローカル映画というと、とりあえずその地方特有の……という肩ひじが張りがちだったのが(もちろんそれはいい意味を含めてだが)、それをすんなり飛び越えてくれたという意味でも画期的。例えば主人公のおまわりさん、小林は同じ北海道でも地方の方から都会であるこの札幌に来て一人暮らしをしており、田舎の母親からは折々ジャガイモと手紙が送られてくる。田舎から都会という図式は、何も東京ばかりではないのだ、当然ながら。そしてもう一人の主人公、女子高校生の希は、札幌郊外に住み、親の期待に応えて“札幌にある予備校にわざわざ”行っている。しかし彼女は家族とは名ばかりの、体面ばかり気にしている両親にウンザリしており、予備校をサボって札幌のデートクラブで“お仕事”している。彼女に関してはエンコウまではいっていないものの、こうした近年良く見る女子高生映画の図式をローカル映画で見ると、予想していないだけにより現実的で生々しい感じがする。

この希には、少女女優のカリスマ、三輪明日美ちゃんがのぞむ。全くあいかーらず明日美ちゃんはカワイイが、コワイ色気を見せた「死びとの恋わずらい」あたりから、彼女がただのかわいこちゃんなだけではないことが判明しており、ようやく来た主演映画で、タダモノではないその実力を充分に発揮している。デートクラブを仕切るお気楽青年、純ちゃんに対する時のニッコリ笑顔の可愛さには当然陥落だが、世間体のことしか考えていない父親を上目遣いに睨みつける彼女の、三白眼気味のその迫力!凄い怖い顔になってて、うっそお、あの可愛い明日美ちゃんが……と驚く。でもそれが予測できるような底知れぬ部分を彼女は確かに持っていて、本当に将来が楽しみなんである。

希の父親は、彼女の通う進学校の数学教師。おまわりさんの小林は、バイクに乗った男が彼女のバッグをひったくった現場に遭遇し、男を取り押さえるものの、助けられた彼女は、何も言わず現場から去ってしまう。やがて希の客であるショボい中年男、佐藤(きたろう)の奥さんがデートクラブをかぎつけ、そこで暴れて刃傷沙汰を起こしてしまう。現場に駆けつけた小林は、あの時の少女、希を見かけ声をかけるが、彼女は純とともにまたしても逃げ去ってしまう。どうやらエンコウしているらしい……父親もまた巡査だった正義感の強い小林には、彼女を救うことは警察官として、そして人間として当然の行為であると思う。しかしそんな小林に反発して、希は彼を中傷したネタを写真入でサイトに公開してしまい、自宅謹慎に追い込んでしまう……。

小林は札幌の小さな交番に勤務しているのだが、そこでの同僚が実にイイ味を出している。元オペラ歌手だったというオバサンにつきまとわれている先輩の村田は、どこか田舎の交番でノンビリやりたいと思っている、理想主義の小林から見れば幻滅してしまう先輩であり、仕事はテキトーに受け流して昇進試験の勉強ばかりしている野心家の吉岡は、自殺騒ぎで知り合った女とヨロシクやっている。ガチガチのマジメなおまわりさんである小林が、こうした二人とそして希との関係を通して、段々と人間らしくなっていく。

吉岡を演じるのは何とまあ、北村一輝である。警察官にしてはセクシーすぎる彼は、ナルホド、その制服のまま女の元にシケこむというのが良く似合っている。その女がちょっと神経症気味で、吉岡の銃を奪って彼に怪我を負わせ、更にその銃を自分の口に突っ込んで自殺未遂騒ぎを起こす、という場面、ブルブル震えるその女の怖いほどの迫力!吉岡はこの事件のためにあんなに野心を持っていた警察官を辞めざるを得なくなるのだが、どこかふっ切れたようになって去っていく。そしてあれほどあのオバサンを毛嫌いしていた村田巡査長は、希望通り田舎の交番に勤務が決まり、小林あてに送られてきた挨拶状は、その彼女と仲良くツーショットで映った写真の絵葉書である。二人とも、女で人生が変わったわけである。苦笑しつつも何か、嬉しい。

小林もまた、少女、希によって人格形成が大きく転換する。あんな事件があってデートクラブも解散、予備校をサボっていることも親にバレた希は、家出して純の元に身を寄せている。心配して希を説得しようとする小林に、彼女は言う。「人の心に土足で踏み込んできて、何様のつもり?」ふいをつかれたように立ち尽くす小林。彼の中にはそうした人間としての複雑な感情が正義感よりも先に立つ、という感覚がなかったのだろう。キョトンとしたように謝る彼がどことなく哀れで愛しげである。そんな彼に希は言う。「付き合ってほしいところがあるんだけど」

ようやく出てきたタイトルのマンホールである。夢のマンホール。そこで願い事をするとかなうと噂されているマンホール。札幌のどこかにあるといわれるそのマンホールを、希は近頃よく夢に見ている。不思議なインスピレーションで「いつもこの絵を描いてしまう」というイラストには、月のような黄色く光る丸い物体。小さな頃の記憶をたぐり、辿り着いたそこは(牛模様の車体と制服を来た牛タクシーのドライバー、トモロヲさん登場!)、一面の野っ原と、遠くに見える観覧車。「これ、観覧車だったんだ……」彼女の中に眠っていた、家族で楽しい時を過ごした大切な記憶。あの時覗き込んだマンホールを発見し、二人は奥へ、奥へと入っていく。それはまるでそうした自分の記憶、現状に満足できないことばかりにとらわれて、昔の幸せを忘れていた、その遠い記憶をさかのぼっていくような感覚。そして見えてくる光。その光源はどこなのか……一体どこからふりそそいでいるのか、マンホールの中だというのに、まるで夕焼けが海を照らしているようなさざなみの立つ美しさ。安心と不安が入り混じった様な、暗さの中に神々しい明るさがもたらされるそこは、まるで胎児の記憶の場所のよう。映画らしい、印象的なシーン。

希が小さな頃のことを思い出すきっかけになる場面がある。お気楽青年、純は希の学校の先輩で、希の父親である教師と折り合いが悪くて中退してしまったのだが、その彼の元に身を寄せている時、希が「私、オムレツうまいんだよ。昔は毎朝お父さんに……」と言いかけてハッとする。今ではとんと口もきかなくなっている父親と、でもほんのちょっと前までは確かに幸せな時間を過ごしていたはずなのだ。父親が、妻の作る固いオムレツに箸をつけず、「オムレツはふわっとしていないと」というのは、希の作るオムレツを思い出しているに違いないのだ。あるいは、彼もまたその記憶が希の作ったオムレツだということを忘れているのかもしれない。なぜ人間は幸せな記憶をすぐに忘れて、目の前の不幸にばかり心をとらわれてしまうのだろう?

希の家族の決着はどうついたかというと、何と教師である父親の方が登校拒否に。「教師が登校拒否なんて珍しいよね」などと言いながら朝食のオムレツを作っているのは大学進学をやめて、夢である絵の勉強のために専門学校に入った希。その表情は晴れ晴れとしていて、作るオムレツはふわっとして本当に美味しそう。母親も娘と会話ができて、本当に幸せそう。実はこの母親の描写も結構気になっていたのだ。彼女は夫とも娘とも通じ合えない孤独な主婦で、固いオムレツは誰にも食べてもらえないし、家の中に飾った花も誰にも褒めてもらえなくて、双方ともにドサッとゴミバコ行き。そのゴミになった自分の空しい努力をどんよりとした無表情で眺めていた彼女は、悩みとしてはある程度の明確さを持つ夫や娘と違って、本当に空虚な哀しさを感じていたから。いまどき専業主婦のこうした悩みなんてアナクロニズムにも思いがちだけれど、でもやっぱりあるんだよね。娘が登校拒否を決行している父親に対して「やっと人間らしくなったってことじゃない」と言うのに対して、嬉しそうに「そうね」と返す母親。ダンナは元気で留守がいい、なんてことじゃなくて、そばにいてくれる方が嬉しいと思うなんて、ラブラブでいいじゃないかあ。元気に体操している父親、イイよね。本田博太郎、ホント上手いんだから。

遅刻しそうになっている希は全速力。出会った時のように自転車に乗った小林と正面衝突である。「試験に遅れそうなの」という希に、「緊急事態だから」と交通法規を破って自転車の後ろに乗せてくれる小林。快活なちょっとオトナっぽい格好が似合っている希は、ブーたれてた少女期を脱してキレイになってて、小林も部下を持ったおまわりさんとしてこんなシャレた融通もきくようになった。二人乗りで春風の中を疾走するラストは、とてもさわやかな後味。

初監督らしからぬ洒脱な語り口と、上手い役者陣をそろえ、それを使いこなす手腕。“映画少年”であるというこの鈴井監督には、一作だけで終わらず、意欲的にもっともっと北海道から映画を発信してほしい。★★★★☆


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