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デメキング(痴漢電車 弁天のお尻)
1998年 80分 日本 カラー
監督:今岡信治 脚本:今岡信治
撮影:鈴木一博 音楽:
出演:鈴木卓爾 長曽我部蓉子 児島なお 佐々木ユメカ 伊藤猛 岡田智宏 川瀬陽太
ピンクの中では時々、んん?というような演技をする役者さんもいるけれど、ここに出てくる役者さんたちは、みな総じてピンクのメインを張りまくっている人たちだけあって上手く、安心して見られる。そしてその中に、鈴木卓爾が入り込むとその安心感が、これまたいい意味で揺らぎ、不安な期待を観客に抱かせる。この人は、見ているだけで、切ない。そういう役者さんは大森南朋とか大森嘉之とか(あ、大森同士だ)水橋研二とか、いるけれども、その中でもピカイチの切なさ度だと思う。地顔がもう、切ないんだもの、彼。
彼、大黒が電車の中でヒロインの弁天様(役名がね……あったかな。こう呼ばせてね)に出会った時、寄りかかったドアのところで、何かブツブツとつぶやいていた。彼はこの後、特にパニックに陥った時に、何かウンチクみたいなものをブツブツとつぶやき続けるのだ。一般的に見れば、まあ、ちょっと、近づかないでおこ、と思うようなアブナさである。しかし彼女はその彼に、自分に触れと言うのだ。どこか自暴自棄になっているような、疲れた感じの、それがまたエロティックなまでにセクシーな女。
この大黒、フラフラと歩いていると、唐突に車にはねられてしまう。車の下に、大量の血を流して倒れる彼……うっわ、あんなに頭から血い流したら死んじゃうよ!でも彼は死んでない。彼はその間にタイムスリップしているのだ。荒涼とした地、あちこちから上がる小さな火、うつぶせに倒れている全裸の女の背中には見事な弁天様の刺青がある。振動に彼が目を上げると、B級どころかC級並の、合成映画そのものの、目が飛び出たカッコわるい怪獣が、高層ビル街に現れて破壊せんとしている。大黒はそのあまりのチープな出来に、目の前に現れたんだから映像ではないのに、思わずクスリと笑ってしまう。でも死んでいる女は気になる。そして、デメキングは世界を破壊し続ける……。
目覚めた大黒は、そばに紙の入った大瓶を見つけた。紙を広げてみると、実に巨大で、その怪獣とおぼしき、「デメキング」の足跡である。しかも採取人は自分で、採取日は未来なのである……。
ところで、これは原作モノ。で、マンガらしい。うーん、今岡監督は原作者に了解を得たんだろか……ピンクでは結構勝手に持ってきちゃうことが多いっていうから……ちょっと、心配になる。ピンクとしての題名は全然違うから、その時点ではバレないだろうけれど、一般向け公開の時は、しっかとこの原作と同じ名前になっているんだもの。
でも、どうやら原作と沿うのはこのあたりまでで、原作はその後は打ち切りになっているらしいんである。それに、ヒロインの登場もないみたい。一体どういう話なのか気になるけれど……。
今岡監督はここに、なんと七福神をぶつけてきた!かなり、予想外。コメディとかじゃなく……まちょっと、笑わせもするけれど、案外と大真面目に七福神、なのである。勿論大黒は大黒様、ヒロインは弁天である。そしてその他の五人が次々と彼らの前に現れる。男性陣は、痴漢で相手に気を取らせてサイフを奪うスリが二人と、そのスリに自分から痴漢をヤラせてサイフを取られた女(弁天の、フーゾクでの同僚)、会社のギセイになって大借金を抱え、思い余って消費者金融に強盗に入ろうとした男とその男を手助けしたそこに勤める女、の五人である。
実はこの、消費者金融の女、も、女、というのがはばかられるようなまだまだ少女の面影を残したコなんだけれど、もう会社を辞める決意をしていて、ずっと乗り続けていた通勤電車で、自分だけを痴漢しなかった実はスリの男に詰め寄り、なぜ自分だけを触らなかったのかと、詰め寄るんである。ピンクならではと言いつつ、でもそこには、その子の強烈な孤独がひしひしと感じられる。何も変わらない。ずっとずっと続く空しい生活。お昼のお弁当は毎日自分で作る。でもそれを一緒に食べてくれる人はいない。彼女はさびれた神社の社の階段に腰掛け、強盗しようとピカチュウのお面をかぶってブルブル震えていた男を「一緒にごはん食べない?」とそこに連れ出すんである。「一人で食べても美味しくないから」でもそのお弁当を投げ出してしまう。孤独な二人の出会い。
その無人の神社の社には、大黒が住み着いていて、で、彼らと出会うんである。そこには弁天も入り込んでいる。彼女は、いきなり恋人を失ってしまった。何がおこったのか判らない。ラブラブの恋人だったのに、いきなり商店街から出てきた男に、撃たれたのだ。その現場に大黒もいた。大黒は弁天をつけていた。夢の中で見た彼女。彼女をデメキングから守らなければいけないのだ。そんな大黒を彼女は気味悪がり、ことさらに恋人とイチャイチャしてみせた。その矢先だった。
恋人はヤクザだったから、誰かに恨みをかったのかもしれない。でも……。
その場からとにかく、大黒は彼女を引っ張って逃げ出させる。撃った男はただただ薄笑いを浮かべている、普通の商店主に見えた。あの神社に彼女を入れる。彼女はただただブルブルと震えて……「あいつ、私と温泉に行くってあんなにはしゃいで。ちゃんと喜んであげればよかった。あいつが最後に見たのは、逃げ出す私なんだ……」震えがとまらない。大黒は彼女を毛布でくるんでやる。何枚も何枚も、重ねてくるんでやる。それでも震えが止まらない……。
大黒は彼女にあの巨大な紙を見せ、デメキングのことを打ち明ける。あの未来の夢で見たのは確かに弁天だったと。弁天は大黒の話にちょっとクスクスと笑いながらも、「私、デメキングに踏み潰されて死ぬんだ……」とつぶやく。それはなんだか、そうなるのを待っているみたいな、遠い目。
大黒は、僕が守るから、と繰り返すのだ。
弁天は、死んだ恋人のネックレスを事件現場で見つける。大黒が見つけたのだ。彼女はそれを埋めて墓を作る。折りしも黄金色の夕焼けである。そこに同僚の女(七福神は弁天様が紅一点のはずだけど……彼女は何に振られてたのかな)、佐々木ユメカがやってくる。「何してんの」「お墓」。本当に、金色の夕焼けに、三人の姿がシルエットに近く映し出されて、夢のように、キレイだった。この映画の中で、一番印象的な場面。
弁天は、ずっとずっと、この死んでしまった恋人のことを思っていた。でも……七人が揃い踏みで焼肉をつついている時に、あの狙撃犯がどうかぎつけたのかフラリと現れて……やっぱり薄笑いを浮かべて……一体彼は誰を恨んでいるのか、それさえも全然判らないんだけど、大黒は彼の顔を覚えていたから、足をかすって撃たれた弁天をかばい、この犯人に銃弾を撃ちこんだ。
その銃は、えびす役にあたる男が、家庭のためにスリをやめることを決心し、警察に出頭した時に、最後の記念に、とそこでスッてきたものである。(神社に住んでいるから)神様のところで持っていてもらえば安心だ、と大黒に託したのだ。
でもこの出来事で、大黒は壊れてしまった。
とにかくこの場から逃げよう、と七人はケガをした弁天を肩車してゲームセンターへと逃げ出す。カスリキズだから、と弁天の手当てをする。大黒の様子がヘンである。じっと黙り込んで、そして突然暴れ出す。……冷静に見えていたけれど、相当のショックだったのだ。
弁天は、いいから二人にして!と叫んで彼を抱きしめる。
帰ろうとする男たちに、佐々木ユメカが一喝する。「大黒のおかげで、私たち死なずにすんだんだよ。なんとかしてやろうよ!」
ここが多分、七福神の誕生だったんだろうな。それにしても、佐々木ユメカはこういう男っぽいところが実にカッコイイんだよなあ。
ずっとずっとブツブツ言い続けて、弁天の存在さえ目に入っていない大黒に、弁天は必死に振り向かせようとする「……一人にしないでよ」
前は、それを、死んだ恋人に向かって言っていた台詞だったのに。
押さえ込むようにして、大黒に乗りかかる弁天。孤独の魂が響きあうのは、なんて寂しくて、そしてなんて……心に響くのだろう。
前半は、え、これでピンク?と思うぐらい、ソウイウシーンが(痴漢シーンはあったけど)少なかったんだけど、後半、その埋め合わせをするかのように、まあいろいろとセックスシーンが出てきて……でも大本命の大黒と弁天のシーンは、うん、やっぱり、ね……やっぱり、切ない、のだ。切ない、っていうのは、それに希望を見出せないから沸く感情だと思うんだけど、二人のセックスは将来の固さを感じさせるなんてことは微塵もないから、もうこれが最後じゃないかってしか、それしか考えられないから。セックスなのにポジがなくて、その行為自体がまるで、……泣いてるみたいなんだ。
その夜、振動で目が覚める大黒。ついに来たんだ、デメキングが、と起き上がる。彼女は眠っている。弁天様を守るんだ、と彼は一人で外に出る……。
その世界は、大黒が夢で見ていたまんまの、すこし青みがかった世界。彼の衣装は……あ!大黒様!私はこの時点で、あ、大黒、あ、弁天!七福神だったんだ!とようやく気づく。彼以外の六人も三々五々集まってくる。同じように、そのおめでたい衣装に身を包んで、である。彼らはなんだか妙に明るくて、ポジティブで、やってやろうよ、みたいなノリノリである。眼前にはデメキングが迫っている。そして……。
もう、このあたりは、夢か現実か判らない。いや……こんなの、現実であるわけはない、という言い方は当然、出来るけれども、ラストカットは“現実”の大黒とひとつになった後の弁天が穏やかに、どこか幸せそうに一人眠っている、というもので……やっぱりこれが現実ならば、大黒は一体、どこに行ってしまったの?彼女をおいて、どこかに行ってしまったんだろうか。
奇想天外だし、ラストも、いやラストどころか全編ワケ判らんって言いも出来るけど、不思議に、どうしようもなく、心惹かれるのは一体なぜ?神社のしんとした、犯しがたい、それでいてボロな雰囲気、デメキングというチープな怪獣が張り詰めそうな世界をやわらげつつも、一番ナゾであり、ずっとずっと大黒と弁天を縛り続ける、矛盾にも似たやりきれなさのようなもの。7人の仲間たちが総じて孤独であり、孤独同士が集まって共鳴して仲間になりながらも、だからといって孤独から抜け出せるわけでもなく、みんなといても、カップルでいても、あるいは誰かと一緒なほどに孤独で、それを同じ境遇の彼らと確認しあうから余計に孤独が増して……。いや、これはつまり、判りやすい形なんだ。だって、みんなそう。人間みんなそう。彼らが哀しいのは、それが判っているから、なんじゃないだろうか。★★★★☆
そりゃ、まあもしかして、言ってしまえばちょっとした男の理想が入った話ではある。なあんかさあ……「透光の樹」でも思ったけど、男は死に際に運命の女と出会いたがるのね、で、どっちにしろその女は男の死後に残される。なーんか、勝手、みたいなさ。
でも、「透光……」がその後女がその男だけを思って恍惚の人になっちゃったのに対して、本作の女はまずその最初から男を見つけ目覚めさせ、そして自らの女を呼び覚まして男の死後、ますます輝くように美しくなっている。ま、それもまた男の理想なのかもしれないけど(M的な、ね)そりゃあこっちの方がずっといいに違いない。
そう、だから、奥田瑛二ありきの映画なのだ。思い出した……ジェラール・フィリップの不朽の代表作「モンパルナスの灯」がリバイバル上映された時、彼がチラシだったかパンフだったか……に寄稿していたのを。この映画のジェラール・フィリップに奥田氏はショックにも近い感銘を受けたことが、淡々とではあるけれど、とても感動的な筆致で書かれていた。まさに、「モンパルナスの灯」の奥田版、ではないか、って思ったのだ、本作。最期の灯を必死にともしてともして、魂を燃やして作品を残した、水木。
でも彼は、その死の間際、こう言った。「山が描きたい。今なら描ける気がする」と。でも、そう言った直後、彼はこときれていた。最後の望みは、かなわなかったのだ。
彼の才能にホレこんだ画商の女、橘今日子は大作を描いてほしい、と彼を山奥へと連れてゆく。その時は水木は描けなかったのだ。とても、描けなかった。その時彼は、人生のどん底に落ち込んでいたから。家族に見放され、ホームレスとなって、それでも絵にかじりつくしか出来なくて、ダンボールの切れ端に絵を描いていた。でもその絵は、ごくごく身近な題材ばかりだった。山や大樹や大自然などに向かい合うと、とたんに彼は怖じ気づいてしまった。圧倒されて、輪郭をなぞることさえ出来なかった。
そして、水木が題材として選んだのが女、だったのだ。今日子をモデルにして描きたい。鬼気迫る水木の申し出に、最初は驚いた今日子も、意を決して脱ぎ捨てた。いやむしろ、水木のその言葉を待っていたのかもしれない。
今日子が水木の絵に出会うのは、水木が描いたダンボール画をホームレス仲間のアカちゃんとキィちゃんが川岸で売っている場所で、である。一枚500円、ただし一人一日一枚まで、なんて、ずいぶんと売れっ子の様子である。
……このあたりは少々おとぎばなし入ってるような気もするけど(いや、そう言っちゃえば全編おとぎばなしなのかもしれんけどさ)。そりゃあ最終的には水木は才能ある画家だったわけだけど、ホームレスの絵を一枚500円で、しかも一人一枚と限定するだなんて。
今日子はこの作家にホレこんで毎日通い、毎日買ってゆく。ホームレスのほったて小屋の前に、膝上のタイトスカートにハイヒール姿の今日子の姿はかなり異様である。彼女は画廊に勤めているけれど、独立したいという野心がある。そのためには全てをつぎ込んでもいいくらいの新しい才能の発掘が不可欠。一人の画家をデビューさせるには大金がいるんである。ちょっとやそっとの才能じゃダメなんである。その今日子のおめがねにかなったのがこのホームレス画家、水木だったのだ。
彼女の中には、ホームレスということがゆくゆくは話題性になるであろうという計算も働いていたに違いない。
彼女の愛人である画廊のオーナー、岡本は偶然にも水木と同じ芸大の出身だった。「あいつの才能に嫉妬していた」そう彼は言った。絵の才能はもとより、水木には女を狂わせる天性の才もあった。モデルの女が次々と彼に狂っていった。岡本の恋人でさえも。その恋人は水木の子供を妊娠して自ら命を断った。
そんな話を今日子に聞かせたのは、勿論、今日子もまた水木の毒牙にかかるんじゃないかということを危惧してのこと。でも岡本は妻子持ちで、今日子は愛人なのだ。「今はお前しかいないんだよ」なんてそらぞらしい甘い言葉を、この今日子は受け流して聞いているように見える。
そこが、このヒロインのいいところね。この愛人はソデにするし、水木には確かに惹かれるけれども、彼の存在は彼女の女をあげる材料になる。決して、食われはしない。水木の最後の女としてのつとめもきっちりとこなした上で、水木を後世に伝え、イイ女になる。
……とか言いつつ、このヒロインの黒沢あすかは、描かれているほどのイイ女では正直、ないんだけど。
「六月の蛇」があまりにもあまりにも素晴らしかったもんだから、……やっぱりあれは作品と演出が素晴らしかったんだろうな、なんて失礼なことを思っちゃったりして。彼女、かなり独特な声と喋り方をしていて、それが「六月の蛇」ではそこにあるべきそれ、として素晴らしいものになっていたんだけど、本作ではかなり……浮いた印象を与える。かなり芝居じみているというか……まあこの作品自体かなり芝居じみた部分はあるんだけど。
それに、「六月の……」ではかなり美人に見えたのに、あれもやっぱり作品のパワーに圧倒されたせいなんだろうなあ、それ以降彼女を見るのは二作目だけど、全然きれいじゃないんだよね(ゴメン!)。ただ彼女の個性を際立たせているのは、その個性的なヌード。これまで見た三作品ミゴトに脱いでるけど(まるでそれが条件みたいに)オンリーワンなヌードに目がいってしまう。小さめで寄った形のバストが特に個性的。そして力強く張った太ももと、これまた筋肉がありそうにしまったふくらはぎ。総じてそれは、女性の柔らかさというより、意志の強さを感じさせるヌードなのだ。それだけで意味を持つ肉体。なるほど、脱ぐだけの意味はあるわけだ。
彼女をモデルに水木は憑かれたように描きまくる。大自然の中に彼女をハダカのまま置いて、時にはかなりアクロバティックな姿勢などもさせて。描く側、描かれる側、そのガチンコ勝負。それは見る、見られるというエロな気分など全く排除される、ストイックな戦いの場である。かつての水木のモデルとなった女たちというのが回想シーンで出てくるんだけど、そこでは彼女たちはスケッチする彼に見られるだけで吐息が荒くなるようなていたらくだった。でもここでは違う。画商として勝負をかけている彼女と、画家として再生をかけている彼と、人生がかかっているんだから。
ついに、今日子が望んでいた大作に着手する水木。大樹と一体になる今日子を、一気の筆致で描きあげた。「絵にはさ……多分絵には完成なんてないんだ。どこで終わらせるのか、それを決める作家の意思だけだ」「……出来たのね」それはまるで、迷っている水木を今日子が断じたように、思えた。それはその作品の終わりだと、少なくとも今日子は思っていたんだろうけれど、水木は感じていたのかもしれない。これが、本当の最後だということを。
水木の唇を求め、彼の衣服を脱がせにかかる今日子は、それまでの女のようにガマンしていたというよりも、なにか、お疲れ様、ごほうびよ、みたいな感じに見えてしまう。
いや、そりゃもちろん、水木の才能だけにホレこんでいるだけなら、こんなことはしないんだろうけれど。
しかしそれを受ける水木は……多分きっと、判っていたんだろうな。
少々、辛いんである。水木が、「今なら山が描けるかもしれない」と言ったことと、それを果たせずに死んでしまったことが。
そりゃ、壮大なる山にかなうわけがないよ、女なんて。でも、山を描くためのレッスンにさせられて、そして男はそれを夢見ながら死んでしまうなんて……男にとっても女にとってもあんまり、切なすぎるじゃない。
……そうだよねえ、山に、大自然に、かなうわけなんてないんだよねえ……それは判っているんだけれど。何だか、ちょっと、クヤしい。
山への思慕の、ダシにされた気がして。女なんて、人間なんて、実際、やんなるぐらい、ちっぽけなものなんだ。
彼が描いている間、今日子は折々彼に向かってシャッターを切っていた。展覧会に添えるためのその写真が、彼の最期を記録する写真になってしまった。劇中の奥田氏は酒やけしてて正直こ汚いんだけど(……だって……)写真になると、カッコいいのよね、コレが。
ホームレスを無造作に生み出す冷たい都会と、圧倒的な自然。過去軸と現在軸を同時に見せていく手法。彼と彼女がどんどん変わっていくのが、舞台と時間で引き戻されるたびに強烈に印象づけられる。皮肉な言い方だけど、水木は死んでしまって、彼女に取り込まれて、大きくなったのかもしれない。山まではいかないにしても、あの、大樹のように。
水木の理解あるホームレス仲間の、アカちゃんとキィちゃん、年齢差がありながら信頼関係が素直に感じられる三谷昇、田鍋謙一郎(この役者さんが、私かなり好き)のコンビが物語をいい具合にやわらげてて好きだなあ。何より彼ら二人は、多分私たちがついつい持ってしまっているホームレスに対するイメージと相反して、頭の良さというか、芸術や社会や人間関係に対する深い洞察力があって、なんかついつい、人間って……などと考えてしまうのよね。ちょっと浮き世離れしたホームレスさんのような気はするけど、どこかおとぎばなしめいたお話だから、まあいいんだろうな。★★★☆☆
最初は現世と天国の話が同時進行で、どことなく散漫な感じも正直、したんだけれども、天国の翔子と現世の香夏子がおばと姪の関係であるということが語られていくに従って、だんだんと寄り添っていき、最後には見事に溶け合い、融和する。この二人の女性を演じる竹内結子は、特に外見を変えているわけでもないんだけど、わざとらしくない程度にサラリと雰囲気を変えていて、このあたりはやはり上手いと思う。翔子は失意のピアニスト。心の傷がもとでピアノが弾けなくなってしまっている。そうしたどこか生気のない、淡々と天国での日々を過ごしている女性と、和菓子屋の娘(お、朝ドラの設定と同じじゃないの)で、商店会主催の花火大会開催に燃える生気あふれる香夏子はとても対照的なんだけど、それをあからさまに対照的にせずにサラリとしているのが、イイ感じなのだ。
ピアニストはもう一人、いる。一方の主人公である健太である。勝手気ままにピアノを弾く健太はコンサートツアーから突然解雇されてしまう。呆然とする彼は飲み屋でクダを巻き気がついてみたら……何と天国にいた。
しかし彼は死んだわけではない。勿論死んだ人が来る場所ではあるんだけれど、彼みたいに生きる意味を見失った人たちも、天国の本屋の店長、ヤマキはピックアップしてくるんである。「短期バイトだ」と。
かくして健太はワケも判らないまま、この天国の本屋で働き始める。
天国の本屋。本屋というよりは図書館という雰囲気。客はそれぞれ、自分のお気に入りの本をカウンターに差し出し、朗読を依頼する。
好きな言葉を音にして聞き入る……。
人は100年生きるのが基本、なんだという。この中で語られるのはそういう設定。
そしてその前に死んでしまった人間がここにきて、残りの人生を過ごす。
死んだ時の年のままで。子供は子供の年のままで。中身の成長はその人それぞれ。
子供は子供の年のままで、かあ……ちょっと、切ない。
うん、だから、やっぱり人は長生きしなくっちゃ、いけないんだ。
この優しい空気が音もなく流れる天国は魅力だけれど、ここを素通りして生まれ変われるぐらい長生きする方が。子供のまま天国で長い時を過ごすなんて……哀しいもの。
でもここは、そんな哀しさがそれぞれの胸のうちにあるから、美しい光に満たされて暖かいんだ。
健太はこの天国で一人の女性に出会う。朗読を依頼に来た翔子、その本には書きかけの楽譜が記されていた。
思わずハッと彼女の顔を見る。そして思い出す。彼がこの桧山翔子に憧れてピアニストになろうと決心したこと。
ここ天国では、現世で知っている人には出会えない。それは死んだ人に会えると思って命を絶つ人がいると困るから。
でも、健太のように短期バイトで来ている人にはその限りではないらしい。ま、健太の場合、知り合いというわけじゃなかったけれど。
この天国の本屋で彼より先に来ている由衣という女の子もまた、現世で生きている。
ビルの屋上で飛び降りようとしたところをヤマキに連れてこられたのだ。
由衣の心の傷は、死んでしまった弟のこと。彼女は自分が殺してしまった、という表現を使っていたけれど、彼女が恋に夢中になったことでほんの少しだけ、よそ見をしてしまったのだ。仲の良い、可愛がっていた弟だった。
彼女はここで、その弟に出会えることをずっと待っている。そしてついにその時が来る。
弟が持ってきた本は「泣いた赤おに」だった。それを読んでやりながら涙を流す由衣。これで彼女は浄化されたのだ。
私ね、この「泣いた赤おに」の話にヨワいのだ。由衣と弟君の話に関係なく、この童話の話で泣いちゃう。だからここで私が落涙してしまったのは、ちょっと違うんだけど(笑)。
彼女が生きている人間であるということを知らなかった、ヤマキの助手であるサトシは、この由衣に恋心を抱いていた。
生きるべきだ、だけど帰ってほしくない……その思いを彼は海にぶつける。
ああ、天国にも海があるんだ……なんて思う。うん、あったらいいな、天国にも海が。
由衣がいよいよ現世へ戻るという時、サトシは彼女を……これは決死の思いだったかもしれないな……そっと抱き寄せる。
そして、小さなトラックの荷台にのせて、現世へと送ってゆく……。それは柔らかに吹き渡る青い草原の中にどこまでも続く一本道。まさに非現実的な、ファンタジックな画、だ。あの世とこの世を結ぶ道。
サトシを演じるのが新井浩文で、これまでで一番フツウの青年役である。
今までのイメージがあるせいかなあ、どうも違和感があるというか、似合わない気が(笑)。
現世でのお話。商店会の仲間たちと花火大会開催に燃える和菓子屋の元気娘、香夏子である。
お年寄りたちが話す、恋の花火の話。それを共に見た男女は、深い仲になれるんだという。
その恋の花火=和火こそがこの物語のキーワード、なのだ。それを作っていた花火師は翔子の恋人だった。
この和火の存在を教えてくれたお年寄りというのが、吉田日出子である。お年寄り……それもヨネという名前のおばあちゃんだなんて、彼女にはいくらなんでも早すぎるとは思うんだけど、この年になって恋人とラブラブであるというこのカワイイおばあちゃんは、確かに吉田日出子でなければありえないんだな。本当に可愛いくて。
香夏子はおばである翔子とは小さな頃、とても仲良しだった。翔子が死へとつながる病気で入院していた時、一緒に花火大会を見ていた。
翔子はひとくさり花火が終わって、看護婦さんが「終わっちゃいましたね」と声をかけて去った後も、祈るように窓の外を見つめていた……そして「やっぱりあげてくれないの」と窓に顔を押し付けて涙を流した。
恋人、瀧本は自分のためにあげていてくれたのだ。毎年。そしてその花火があがるごとに翔子は一曲、曲を書いた。組曲にするために。
でも、最期の年、花火はあがらなかった。そして組曲はあと一曲を残して未完成のまま……翔子は逝ってしまった。
翔子の片耳の聴力が失われてしまった不幸な花火事故から、二人の距離があいてしまっていた。ヤケ気味に瀧本にあたる彼女だったけれど、でもやっぱり彼を愛していたし、何より花火師を続けてほしかった。
そして、今、天国にいる翔子は今でも彼の花火を待ち続けている。それまで彼女はピアノが弾けないのだ。
そんな彼女と出会った健太。遠い記憶の中にあった、楽屋の中に迷い込んだ小さな男の子が自分の演奏を聴いてピアニストを目指したと言われ、今はピアノが弾けないでいる翔子は多少の戸惑いの表情を浮かべる。
しかし、翔子の家に通ってきて、お茶を飲んで、ピアノを弾いて、時には外でランチなぞ食べ、翔子が過去のトラウマから来る発作を起こした時には親身に介抱してくれたこの健太に……きっと彼女は少し、恋に似た気分を味わっていたんだろうと思う。
健太が天国の本当の住人ではなく、現世で今生きていることを知った翔子の、とりつくろった言葉と表情はそれを語ってあまりある。
でも、健太のおかげで曲は完成した。二人で時を忘れてメロディやアレンジをつむぎ出す作業は何だかとても楽しかった。彼女は、自分がなぜピアノを弾いていたのか、きっとこの時思い出したのだ。
香夏子や翔子の老母に言わせると、ピアノを弾いていた時の翔子はまるで別人だったという。それはかなりのプレッシャーもまたあったんだろうと思う。自分にはピアノしかないと。だから聴力を失った時、彼女は恋人を罵倒してしまった。彼女にはピアノだけではなく、何より大切な彼がいたのに。
そして、ピアノもまた彼女の愛するもののひとつだったということを、きっと忘れていたのだ。
出会えて良かった、そう翔子は健太に言う。健太が現世に帰る時、あのどこまでも続く一本道で彼を見送る。両手を握りしめて……会えて良かった、そう言う。
そして翔子は花火を見るのだ……天国の、窓の外に。
それは香夏子が翔子のためにと奔走してついに実現した、瀧本のあげる恋火だった。
香夏子は本当に頑張った、よね。ついにはスゴい奥の手まで使って。瀧本はもう花火はやらないの一点張り。彼にとってあの工房での事故で翔子の聴力を奪ってしまい、それどころかそのまま翔子が病気にかかって死んでしまうという悲劇に見舞われ……そう、彼にとっての花火の意味は失われてしまったのだ。
今は香夏子言うところの“くもった生活”に甘んじている。どう見てもヤバいおっさんである。
あの香川照之が、ヤバいおっさんなんである。ホントに、汚いおっさん。
この瀧本に香夏子はそう、奥の手……おばである翔子の浴衣を着て一人乗り込み、おばを名乗って迫りまくるということまでするんである。うろたえまくる瀧本。そして彼は……むせび泣く。
あの事故の後、結婚はしないと言ってきたのは翔子の方なんだと。彼はいったん泣いてしまったことを恥じるように香夏子に背中を向け、泣きそうになるのを必死でこらえながらそう言う(これがやけにコミカルに演じてて、可笑しい)。
それにしても、ここでの竹内結子と香川照之の一騎打ち芝居は凄かったな。香川照之とあれだけタイはれるなんて、さすが竹内結子だわ。
そしてこれ以上……香夏子は瀧本に何を言うことも出来なくなってしまった……けれども、花火大会当日、彼を信じて待ち続ける。もうダメだと思っていたんだけれど……。
窓の外に上がる恋の花火、和火。それを見ながら本屋のピアノを開けて弾きだす翔子。そして現世へと戻された健太は、浜辺に置かれたピアノを見つけて、まるで翔子のピアノが天から聴こえるかのように一緒に弾きだす。
浜辺にピアノ!「記憶の音楽―Gb―」で草原に置かれたピアノ以来の、凄い画だ……浜辺にピアノの方が凄い。潮風にやられてさぞかしピアノに悪そうだけど。
恋火をあげている最中、このピアノが聴こえてきて瀧本と香夏子はハッとする。少しだけ書かれていた未完成の楽譜の、そのメロディだったから。
この時聴こえていたのは健太のピアノだったはず、ではあるんだけど、でも天を仰ぐようにそのメロディに耳を傾ける二人は……やはり天から降ってくる翔子のピアノをこそ、聴いているようだった。
その時、翔子は無心にピアノを弾いていた。瀧本のあげる恋火をかたわらにしながら。
三々五々、人が集まってくる。そして彼女が弾き終わった時、大喝采である。
少し戸惑ったように、でも嬉しそうに翔子は自分の両手を、まるで抱きしめるかのように握りしめる。じんわりと涙が浮かぶいいシーン、現世の瀧本もまるで彼女の気持ちを受け取ったかのように、ここは自然に涙が流れるのにまかせる。
そして、現世では浜辺でピアノを弾いていた健太に香夏子が近寄ってゆく。
翔子ソックリの香夏子に驚く健太。香夏子は健太から曲の題名を聞いてこちらも驚く。なぜ知ってるのかと。
不思議な縁。香夏子、そして瀧本は信じるだろうか、健太の話を。天国で会った翔子の話を。
きっと、信じるだろう。そして天国でピアノを弾いているおばに、恋人の愛を取り戻した翔子に、話し掛けるのだ、きっと。
自分は、生きていきます、って。★★★☆☆
なんていきなり書いてしまったのは、マスターベーションのシーンのあまりの執拗さに思いっきりゲンナリしてしまったから。そんなに面白いかなあ、人がこいてるのって……。まあ、男が女のソレを観たがる気持ちは判らないけど(正直、ホント判らんよ)男が男のそんなシーンを見たがっている?気持ちはもっと判らん。だって村木のこくシーン、かなりエゲツナイんだもん。コタツの中でこいてる時点でもう思いっきりばい菌がはびこりそうで……あ、でもこれは名美の方もそうだけど。村木の部屋ときたらそんな病気になりそうな汚さ全開なんだもん。で、彼の妄想でコタツの中からヌルヌルした女の手がのびてくる……これはもはやホラーではないかい?興奮どころかゾッとしたよ、このシーン。ここまでくるとかなりアクシュミだと思うなあ。ああ、気持ち悪。
それでもやっぱり、この作品に傑作の匂いがするのは、石井隆の世界である、豪雨の中の村木と名美の姿が鮮烈で、そのストップモーションの美学にうたれてしまうから。まだ彼の監督作品じゃなくて、原作、脚本での参加だけれど、それだけで、石井隆の世界そのものになってしまう力。今まで見た中で最も刹那の美しさを放つ村木と名美かもしれない、とまで思う。村木と名美、映画史の中で姿かたちを変えながら永遠に生き残ってゆく運命の恋人たち。そして、悲劇の恋人たち。
村木は仕事が決まらずうだつのあがらない、フラフラしている男。頻発する下着ドロは彼じゃないかと周辺住民に疑われている。しかし彼にはそんな勇気はない。偶然見かけた隣の女子高生の自慰や、SM写真集を見ながら一人シコシコやってるのが関の山である。そのSM写真集のモデルになっていたのが、名美だった。
名美はデパートの店員。そのモデルのバイトをしたのは、友人の紹介。まさかそんなバイトだとは思わず(って、ヒドい友人だなー)、行ったら有無を言わさず脱がされ縛り上げられ、泣き叫んでいる間に、撮られてしまった。本気で泣き叫んでいるのが良かったのか、その写真集は大ヒット。たちまち売切れてしまった。それ以来、彼女はヘンな男に尾行されたり、無言電話がかかってきたりということに悩まされるようになる。
そんな時二人は出会った。名美はあの写真集がバレてしまい、不倫相手の上司も自分を助けてはくれずに、会社をクビになってしまっていた。上司が名美を見捨てたのは、もう彼女にそろそろ飽きがきていた、という雰囲気があって、名美は結構、哀れだった。確かにその頃村木と出会っているわけだけれど……。上司と寝る時にコンドームを用意していない名美の腹に膣外射精して、「買っとけよ」だなんて言うこの上司はヤな感じだけど、名美は狙っていた部分があったかもしれない。それを見透かされて……こいつは名美を捨てるという決断を下したのだ。
二人がすれ違ったとたん、村木はあの写真集の彼女だとすぐに判った。どこまでも追ってくる村木に、名美はこの男こそが自分が悩まされているストーカーではないかと思い、恐怖で逃げまどう。しかし村木はどこまでもどこまでも追ってくる。彼女が部屋に逃げ帰った後も、豪雨の中窓の外に立ちつくしている。公園に座り込んでいる彼のもとに、彼女は傘を持って出て行く。そして雨の中胸のボタンを外しながら言う。一度だけ言うとおりにするから、もうこれきりにしてくれ、と。
思わずむしゃぶりつく村木だが、ハッと我に帰る。自分はそんなことがしたいんじゃないんだと。そんな男じゃないと。そして明日の7時、もう一度会ってくれないかとそう言って立ち去る。
そんなことがしたいんじゃないって、じゃあ、どんなことがしたいのかしらんと思わなくもなかったけど。名美の写真集を見ながらこいてるのに、そういう欲望がなかったとも思えないし。だけど不思議とこの村木にはどこか思いつめたような、プラトニックな雰囲気があり、そのまなざしは純粋に彼女を見つめ続けるのだ。名美が彼ともう一度会ってみようと思ったのは、そのせいだったのかもしれない……まあ、あのしつこいぐらいのコタツの足との交情の後だったとしてもね(笑)。
確かに村木と名美の関係は最後までプラトニック、なのだ。最後まで……最後のシーンまで。
7時と約束したのに待てど暮らせど村木は来ない。名美はまるで恋人を待ち続けるように彼を待つ。一時間近くがたった時……。
地下鉄への階段で崩れ落ちる村木に駆け寄る名美のショット、でストップモーション、ラストカットなのは、どういう意味にとればいいのか。でも村木のケガは肩の部分だけだからそれで死ぬともそりゃ思えないんだけど。でも何だかそれは……ハッピーエンドと素直にとるには、悲劇への階段を下り始めているように思えてならない。
村木がケガをしたのは、強姦殺人犯と疑われて隣家のオヤジに猟銃で撃たれてしまったから。
恐らく下着ドロもこいつだったのだろう、太ったいかにもスケベジジイが、あの隣の色情女子高生を殺し、パンツをはぎとってほおずりし、死姦し(あ、強姦じゃなくて、殺した後だった……これもまたアクシュミだな)、あまつさえそのむき出しにされた哀れな死体に小便をかけて悦に入っていたのだ。その場面を目撃されたこの犯人は慌てて逃げ出したけれど顔を見られてはいなかった。で、前から疑われていた村木があの雨のシーンでの名美と別れて帰ってきた時、いきなり撃たれたのである。それにしても体型で違うと判りそうなもんだけどねえ……そして肩をケガしながらも村木は明日の名美との約束のためその場を逃げ出し、まるで瀕死の状態で街中をさまよっていた。名美がコタツの足とヤッていた時に(しつこい)。
村木は捕まってしまうのだろうか。無実の罪で?何かそんな予感も思わせるラストシーンである。悲劇への転落。
セックスシーンよりマスターベーションのシーンが多いというのが何だかなという感じだが。村木と名美は寝ないから、セックスシーンはもっぱら名美が不倫している上司との場面のみ。彼女がこの上司に誘われて酔わされて、ホテルに連れ込まれ、かなり強引にやられる場面は、しかし名美の方もそれを予期しての行動だったから、そういう駆け引きを匂わすので、イヤな感じはない上手さ。ブーツの片方だけをそのままに、スリップ姿で窓際に押し付けられてのその最初のセックスはそういう男と女の、双方してやったりの思惑がぶつかり合ういいシーンなのだけど、あとはズルズルと続く愛人関係のそれ(プラスこの上司夫妻のもいっこあったな)なので、割と退屈してしまう。だから、重きをおかれているのはやはり自慰行為と名美のSMであり、ちょっとやっぱり……エゲツない。
タイトルが象徴する、コタツの中の赤い光が、隠微な雰囲気をかもし出す。名美もコタツの中で自分を慰めるのが好きなのだ。彼女の股が大開きになっているのをコタツの赤い光の中大写しにするショットもまた……エゲツない。そしてノリにノッた彼女はコタツをひっくり返すまでにこきまくり、そしてあのコタツの足との……だから私もしつこいって。★★★☆☆