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「め」


2005年鑑賞作品

夫婦善哉
1955年 120分 日本 モノクロ
監督:豊田四郎 脚色:八住利雄
撮影:三浦光雄 音楽:団伊玖磨
出演:森繁久彌 淡島千景 司葉子 浪花千栄子 小堀誠 田中春男 田村楽太 三好栄子 森川佳子 山茶花究 志賀廼家弁慶 万代峰子 上田吉二郎 沢村宗之助 谷晃 若宮忠三郎 三條利喜江 本間文子 沢村いき雄 春江ふかみ 梶川武利 大村千吉 河崎堅男 如月武子 丘寵児 出雲八重子 江端秀子 二條雅子 豊ひさ子  宮田芳子 登山晴子 広瀬正一 吉田新 土屋博敏 泉千代 市川絹子 桜井巨郎 坪野鎌之 渋谷英男 手塚勝巳


2005/7/2/土 東京国立近代美術館フィルムセンター(豊田四郎監督特集)
最近はもうスッカリ若い頃の森繁久彌にメロメロ状態が続いているのである。
ぜっんぜんイイ男なんかじゃないんだけどね(笑)。
ムチャクチャ上手い役者だと思うんだけど、その上手さを感じさせないのは、まず彼のキャラから見事に役に入っているからに違いない。
案外どんな役でもこなしていながら、どの役も彼をアテ書きしたように思えるというのが凄い。
あのね、本作の役もね、この問屋のボンボンっていうのがね、しょーもないボンクラっていうのがね、彼そのまんま映したようにピッタリなの。

この柳吉、ほんとしょーもない男なのに。勘当されても親の金をいつまでも当てにして、好きな女と駆け落ちした後も家のことばっか気にして、その女、蝶子が彼と商売でも始めようとこつこつ貯めた金をくだらないミエからアッサリ遊びに使っちゃって、女の気も知らんと幾日も平気で家をあけたりする。
なのに困ったな、本当に何だか憎みきれないんだもん。
そりゃあ、蝶子だってもうコノヤロー!ってなることは何度もあって、プロレスもかくや!ってマジギレで柳吉にどかーんと体当たりして、彼、思いっきり一回転してひっくり返り、上から乗りかかられてめくらめっぽうに殴られまくる、なんて事態になったりするんだけど(ここはもー、最高)、でも、なんでだかほっとけない。私がいなきゃこの人はダメなんだから、って思わせちゃう。
確かにそれは真実で、こんなしょーもないボンボン、蝶子ほどのこらえ性のある女でなきゃ、とても支えきれない、と思うんだけど、そう思わせちゃう柳吉、いやさ森繁久彌が、もー、憎らしいッ!の。

この豊田作品の森繁を追いかけていると、頻繁にコンビを組んでいる淡島千景、絶世の美女である彼女だけど、本作では柳吉に振り回される蝶子、が何ていうか、凄く可愛いのだ。女の可愛さが出てる。売れっ子芸者だし、商売やってもきちんと当てるし、ソツのなさは充分なんだけど、柳吉にホレてしまったことが運のつきだったんだなあ。いや、それのせいで、柳吉と相対している時の、つまりひと時も安心してられない彼女は凄く、可愛いの。
それに、しっかり者の彼女だけど、柳吉の前ではすんごくメロメロなんだよね。感情さらけ出しすぎ。相手は自分がヘトヘトになるまで働いて帰ってくるまでの間、呑気に昆布なんぞ煮ているというのに、ちょっとはこっち向いてよ、なんてベタベタするあたり……。

柳吉はもう彼なんぞに用はない実家に対して未練タラタラなもんだから、でも彼ってば計算が浅はかというか、バカなのに計算高いというか、そりゃどーだろって計画ばっかり立てるんだよね。蝶子と別れたフリして手切れ金をふんだくろうとかさ。でも蝶子は芝居とはいえ、柳吉と別れるなんて言葉を口に出来ない、とその芝居を反故にしてしまう。まあ、正解だよね。彼女の働く店の女将さんが言うように、芝居だといって芝居じゃない可能性が、柳吉みたいなイイカゲンな男だったら否定できないもん。でもそんな可能性のあるイイカゲンな男が好きで別れたくなくて、その芝居に乗らない蝶子が切ないくらいにカワイイんだよなあ。芝居やがな!と帰ってきて怒る柳吉に、かに(堪忍)して、ウソでもあんたと別れるなんて口にしたら本当になってしまう気ぃして……としなをつくって笑う蝶子がすっごく可愛くて。柳吉も今ひとつ追及し切れずに(というか、もともとそんなキビしい性格じゃないしな)、蝶子に着物を着替えさせてもらって(ほんっとに、一から十まで彼女にさせるんだから……いやこの時代の男子はこんなもんか)着替え終わった頃にはもうすっかり忘れ果てているあたりが(笑)。

そうそう、このシーンがね、蝶子がすっごく可愛くて、ちょっとエッチで大好きだったの。どっか食べに行こか、と立ち上がりかける柳吉を制して、ニッコニコの笑顔でカーテン(だったわ!)を閉めにかかる蝶子に、柳吉がカメラ側に向かって顔の片方をぐしゃっと潰すような何とも言えん困惑の表情を浮かべて(爆笑!)「疲れてるんやがな」と言う場面!蝶子が期待満面の笑顔でルンルンとカーテンを閉めてるギャップと、匂わせるエッチさ加減が良くてね!柳吉の妻は2年も病気で療養してて会っていないとはいえ、蝶子は愛人だし、そのあたりの色香を絶妙に感じさせるんだよなあ。

そう、最後まで柳吉の妻は出てくることはないんだけど、厳然と、存在しているんである。子供もいる。一粒種のみつ子。柳吉にとって目の中に入れても痛くないほど可愛い娘である。
ほどなくして柳吉の妻は死んでしまう。柳吉はそれを蝶子に隠したままで、バレた時「お前が喜ぶところを見たくなかったんや」などと言う。こーいうことを考えもせず言っちゃうあたりが、小憎らしいヤツで、当然蝶子は「うちをそんな女やと思ってんの!」と激怒するんである。
まあ、実際はお妾さんが本妻の死をラッキーと思うのはそうなんかもしれんし、実際彼女の芸者時代の友人はそうやって首尾よく後釜に入り込んだわけだけど、蝶子は本妻さんを祭った仏壇を作り(朝っぱらからの念仏に柳吉が閉口するトコが可笑しい)、母親に死なれたみつ子ちゃんを不憫に思い、一緒に暮らせないかしらん、と提案するんである。
しかし、柳吉は今ひとつ乗り気ではない。彼の場合ね、会いたくなったら会って、仲良く過ごして(蝶子の金で!)、嫌われずに済めばいいぐらいな気持ちにしか見えないのね。
ほんっと、都合のいい小憎らしい男なんだけど……あー、でも何で、憎めないんだろ。
それは彼が、愛情を注ぐところではまるで打算なく注いでいるのを目の当たりにしてしまうからなのかもしれない。みつ子に対しても、蝶子に対しても。計算する割には計算高くないのもそれに含まれるかなあ。

でもホント、こいつには苦労させられっぱなしなんだよ。いよいよ家に見切りをつけ、二人で頑張っていこうと始めた関東煮(おでん?)屋が軌道に乗ったと思ったら、どうも柳吉は遊び足りないのか浮かぬ顔。ここでね、蝶子が遊びに行ってらっしゃいよ、と言う。私は相手出来ないから、と。それに対して柳吉が、そういえばお前ここんとこ、とんと調子よくないな、みたいなこと言って、蝶子がもうすっかりヘトヘトやわ、みたいに返して、ここでもほのーかにエッチな雰囲気が漂ってるのよね。だって、これって、蝶子がそういう意味で柳吉を満足させてあげられないから、外で遊んでいらっしゃい、っていう会話でしょー?店では美人女将としてマドンナ的存在でお客さんに人気者の彼女、でもそれは当然営業スマイルで、疲れきっていて、女としての本当の魅力を失いかけている、というのが、彼女の頑張りが判るだけに、しかもそれでほーか、それなら遠慮なく、と遊びに行こうとする柳吉が憎らしくてさあ……。

でも、柳吉、そこで倒れちゃうの。腎臓結核である。この男はどこまで蝶子を苦労させたら気が済むのか……。腎臓を片方取らなければならない、ということに、ハラを切るんやでえ、なんてすっかりオビオビして。蝶子は手術費用をどう捻出するかにキュウキュウとしているのに。
恥を忍んで柳吉の実家の化粧問屋に無心に行くも、柳吉の妹の婿養子は異常なぐらいの潔癖症(ほぼ30秒ごとに細かい掃除の指示を出しているのがスゴい)のシブチンで、金など出すわけがない。見舞いに来た柳吉の妹はその非礼を詫びるんだけど、その時言った「(勘当した)父親も、あなたには感謝している」という言葉に当然ながら蝶子は歓喜するも、それが本当だったかどうかは……。

その時蝶子の母親も子宮ガンになっていて、治療を拒んだ母親は彼女を心配しながら死んでしまい、哀しいことは続くものだ……とすっかり意気消沈してる。しかしこの実家の両親の描写はサイコーでね。特に父親がね。惣菜てんぷら屋?みたいなものを営んでいるんだけど、おとーちゃん、蝶子がグチをこぼしに来ると、そりゃ判る!おとーちゃんが乗りこんだる!ぐらいの気迫でノッていたと思ったら、次の瞬間にはくるりと掌を返すのがサイコーに可笑しくてね。柳吉の手術費で困って来たことを承知で「ところで、お前、金が必要なんやろ」と言うから都合してくれるのかと思ったら、「親の義務として聞いただけ」みたいにサラリと流して、オイオイ!と……。万事がこの調子でさあ、このおとーちゃん。でも、娘のことをとても心配しているのはすんごく感じるんだよね。それは柳吉んとこの家族の冷たさとの対比なんだろうと思う。まあ、こんなボンクラ息子じゃ無理もないんだけど……。でもね、あの妹の社交辞令はね、真剣に、柳吉のお父さんに認めてもらいたいと思っている蝶子にはかなり酷だもん……。

柳吉のお父さんに認めてもらっていると思ったからこそ、頑張ることが出来た蝶子。結局柳吉の手術費用の捻出のために上手く行っていた店を売りに出さなければならなかった。そして蝶子は再び芸者で稼ぎ、その間柳吉は療養先の有馬温泉で呑気な養生暮らし。娘を呼び寄せ、実家から金をせびり取り、ここにいられるのは蝶子のおかげなのに、その苦労なぞどこへやらである。蝶子は富豪に召し上げられた昔の芸者時代の友人が金を貸してくれて、またあらたに店をオープンさせる。小じゃれたカフェには蝶子のセンスがそこここにうかがわれる。でもね、そこで大きなクライマックスが。柳吉の父親が死んでしまうんである。いわばキーマン。柳吉にとってはずっと自分を勘当していた父親で、蝶子にとっては何とか認めてもらいたい愛する人の父親。蝶子は何とかこの父親が死ぬ前に自分たちのことを認めてもらえるように柳吉に重々頼み込むんだけど、柳吉はそんな気、最初からサラサラなかったと思うなあ……自分の、長男としての立場を何とか知らしめようと、そればっかりで。

双方の思惑はアッサリ裏切られる。葬儀に出る準備をしていた蝶子を、愛人に来られたらややこしくなる、と柳吉が止め、さらにあの冷徹な婿養子が、「あなたはウチと関係がないから」と斬って捨てる。柳吉はこの機に長男である立場を強調したかったみたいだけど、もうすっかりこの婿養子の力が行き渡ってて、柳吉の味方、というか腰ぎんちゃくであった従業員も店の金を使い込んで姿を消している。唯一の本当の味方であろうと思われた娘はお父ちゃんと一緒に住もう、という柳吉の提案に戸惑い、「うち、寄宿舎に入ろうと思うねん」と……。
まあ、そりゃあ、柳吉は都合が良すぎるんだよね。愛人と暮らして、都合のいい時だけ仲良くしてお父ちゃんヅラしようなんてさ。だから彼を支え続けられるのは蝶子しかいなかったんだけど……。

彼女、自殺を図っちゃってるの。彼女にとって、お義父さんに認められるのが積年の夢だった。なのにたよんない柳吉はその話さえせずにお義父さんは亡くなってしまって、しかも、あの異常なほどのケッペキ婿養子に「ウチとは関係ない」とバッサリやられたことで、蝶子はもうすっかり……意気消沈してしまうわけ。
そして、店でガス自殺を図ってしまう。この店は外国人やらマスコミ関係者やらが集まるハイカラな店なもんだから、美人マダム、日陰の身をはかなむ!の現場はびっちり押さえられて、各新聞に出ちゃうの。でも第一発見者はこの呑気夫でね……慌てふためくも彼女の息があると判ったとたん、返ってうろたえるのがあまりに彼らしくてコラー!とか思っちゃうんだけど……とにもかくにもこの事件で柳吉は完全、実家から断絶になってしまうわけ。

療養から帰った蝶子。もうあのボンクラ男の話はしないで、と言いながらも浮かぬ顔である。こんなことになっても、外に出たっきりの柳吉に、あるいはこんなことになっちゃったからアイソをつかされたかと危惧しているのかもしれない。そんな時、彼がヒョッコリ帰ってくる。この帰ってき方がまたイイんである。蝶子自慢の、レコードコレクション。その一枚が店の中で鳴ってて、その声に合わせて柳吉の声が聞こえる。帰ってきた蝶子はハッとして、レコードの針をあげると、それと同時に柳吉と思われた声がピタリと止む。うちはアホやな……とすっかり幻聴と思った彼女が座り込むと、トイレから柳吉が呑気に出てきて……何かね、なんでもないシーンなのかもしれないけど、どんな目に合っても、このしょーもない男のことがどうしても好きでたまらなくて、あんたなの、あんたなの?って言う蝶子が涙が出るほど可愛くてさあ……そんなことを知ってか知らずか、呑気に出てくる柳吉が憎らしくも可愛くてさあ……。

最後のシーンは、二人でぜんざいのお店に行くのね。ぜんざいを頼むと、小さなぜんざいが二杯出てくるというお店。そこで仲良くぜんざいをすすり、外に出るとあのちょーしよく柳吉を持ち上げてた元従業員が、女連れでいるところに出くわす。でも彼、柳吉を見ても、慌てたように目をそらして、行ってしまう。「あんたがもう利用価値がないと踏んだのよ」落ち込む柳吉に蝶子は言い、雪の降る中二人歩き出すのね。そう、そういう人もいるけど、うちは違うんだと、そういうことなんだろうと思う。病持ちの柳吉を気遣って(っていうか、それを理由にやたら弱気にヤイヤイ言う柳吉は完全にヘタレだけど)雪の中彼を支えてそぞろ歩く蝶子。店の軒先で丁寧に彼の肩の雪を払ってやったりして。でもね、でもね!柳吉ってばやっと、やっと気づいてくれたのか、ずっと側にいてくれるのが蝶子だってことがね、彼女にようやく優しい言葉をかけてあげて、雪に降られてもいいか、と二人雪の中に歩き出し、彼女の肩掛けを彼の頭にくるませ、家に認めてもらうとか、子供のこととか、世間のこととか気にしながらも、結局は二人仲睦まじく、結局は二人、お互い同士しかいないんだってことが、何か、良かったねー!って、じんわり涙が出て、ニコニコで、しょうがなくて。

日本って、いやアジアってくくりにまでなるかな、まず家!じゃない。ぶっちゃけ、愛人でも妾でも二号サンでも持っていいけど、まず家(本妻もそこに含まれる)って感じじゃない。それって、(ぶっちゃけ以降)寛大な部分もあるように見えて、ものすっごい冷たいっていうか、個人の感情にね。だから結局そこに認めてもらえなくて良かったんだよね、二人は、と思う。社交辞令のためなら平気でウソをつく妹や、結局は他人なのに正式相続人という立場ですっかりふんぞり返っちゃって人の心なんて、ソレナニ?みたいな妹婿や、その他、家を中心に考えている人々が幸せだとは思えないもん。柳吉だって最初はそうだったんだけれど……だから、その中でないがしろにされてイジケた息子になっちゃって、飛び出して、蝶子と出会って、そこから抜け出せて、良かったんだよね。

森繁&淡島コンビの鉄壁さに、何かもうもう、嫉妬しちゃうなあ!★★★★☆


めし
1951年 97分 日本 モノクロ
監督:成瀬巳喜男 脚本:井手俊郎 田中澄江
撮影:玉井正夫 音楽:早坂文雄
出演:上原謙 原節子 島崎雪子 杉葉子 風見章子 杉村春子 花井蘭子 二本柳寛 小林桂樹 大泉滉 進藤英太郎 田中春男 山村聡 中北千枝子 谷間小百合 立花満枝 音羽久米子 浦辺粂子 滝花久子 出雲八重子 長岡輝子

2005/10/20/木 東京国立近代美術館フィルムセンター(成瀬巳喜男監督特集)
ある部分で、「女人哀愁」と共通する部分が凄い感じられるんだけど、それが時代によって決定的に違う部分、そして解決の仕方も違ってて、一応女は幸せになっていっているのかな、と思うけど、でもちょっとビミョウだな……。共通する部分、っていうのは、結婚して家庭に入った女がイコール女中のように思われて立ち働かなければいけなくて、それに疑問を感じる部分。ただ「女人……」ではそれが、対「家」だったんだよね。そして時代もあって、家のための、見合い結婚だった。でも本作の初之輔と三千代は駆け落ち同然の恋愛結婚で、そして彼女が同様の不満をもつのも、対「夫」ただ一人である。すっかり倦怠期、自分の顔を見ればめし、とか腹減った、しか言わなくなっている夫に、私はメシ係じゃない!いや、結局その程度なのかもしれない……などと思い悩んでしまうのも想像に難くなく、かといっていまさら新婚時代のときめきを取り戻そうったってムリな話で、一体私の人生なんだったのと彼女が思うのもムリないんである。

家に帰って来るとなあんにもしない夫。朝ごはんの時だって、新聞から片時も目を離さず、手だけをこっちに向けて、ご飯やお味噌汁を受け取ろうとする夫、何を相談してもただ首肯するばかりで「あなたって、何を聞いても落ち着いているのね」と三千代だってイヤミのひとつも言いたくなる。こっちはひと時も休まずにこまごまとした家事をこなすため立ち働いているのに、夫はいったん会社の仕事が終われば後はいっかな動こうとせず、家の奥さんがコワいと、外でノンキに酒などかっくらって帰ってくる始末、……こういう専業主婦の苦悩って、今でもすんごくリアルに響くんだけど、多分今はまだ逃げ道があるのは……色々と文明の利器が進歩して、これほどまでに一日中家事に拘束されなくて済むようになり、さっさと家事を終わらせて、趣味なり、パートに出るなり出来るようになったからなんだろうと思う。やっぱりね、いくら好きあって結婚しても、いや、好きあって結婚したからこそ、その人の専任女中みたいになっていくのは耐えられないよ。彼女のイラ立つ気持ち、すっごく判っちゃうんだなあ。

そんな三千代のぶすぶすとくすぶり続ける気持ちをかき乱す火種がやってくる。東京から家出してきた夫の姪の里子である。あ、ちなみにここは大阪ね。もともと二人とも東京の人間だったんだけど、今は大阪の、森の奥の小さな長屋に住んでるわけ。んでね、この里子ってのがかなりトンでもない娘でさ。古い言い方で言うと新人類?いや、結局こういう奔放な人種っていうのは古い新しいじゃなくて、やっぱり本人の性格なんだよね。
この里子と夫の初之輔はとても仲が良くて、里子はもうすっかりパッと目を引く美人に成長したもんだから、こんな娘を一緒に住まわすことに三千代は穏やかでないわけ。確かに自分勝手なところなんかまだまだ子供、だけど、その無邪気さがかえって始末に終えないんだもん。自分の女を自覚してない(いや、自覚しているのかな……そういうしたたかさもありそう)彼女はどうも危なっかしく、隣りのカルい青年に引っかかりそうになったり、夫婦をヤキモキとさせる。

いや、ヤキモキの感情は夫と妻では違うんだ。初之輔は、ハッキリと、このすっかり美人になったカワイイ姪にドギマギしてんだよね。それを三千代は女のカンで見抜いてる。こんな風に里子が心配をかければかけるほど、夫の関心が彼女に向くのが判るわけ。しかもさー、この里子ってのが無神経はなはだしいコで、初之輔のネクタイを見て「あら!こんなヨレヨレのネクタイしてるの!」とかしれっと言う。二人の生活はかなりキュウキュウで、新しいネクタイなんてそうそう買えないのよ。それなのにコイツはハデなカッコしてタダメシ食いで、三千代は米がなくなることを本気で心配してるってのに、こんな姪を夫はノンキに遊覧バスに連れてったり、こずかいをあげようと給料を前借りしてきたりするしさ!なんで家出娘にこずかいやらなきゃいかんのよ……それを聞かされた三千代が、「里子ちゃんに?」とピクリと眉をつりあげるも、それ以上言わずに黙ってしまう気持ちがもう痛々しくて。

この遊覧バスには、三千代も入れて三人で行くはずだった。「せっかく切符買ったのに」と言う初之輔に、「戻してもらえるんでしょ。二人で行ってらっしゃいよ」と三千代は送り出す。送り出すっていうか……その時点で三千代はまだ家事が終わってなくて、用意の出来た二人が、というか里子がキャイキャイ初之輔にまとわりついているのを三千代は見ていられなかったのだ。そしてどこか苛立たしげに、いいかげん家事を切り上げろよ、などと夫は言うし……。まあ確かに家事はいいかげん切り上げられたんだろうと思う。でも彼女はそうしなかった。意地があったんだ、きっと。いつだって自分はこうして毎日を過ごしているんだもの。二人を送り出して、三千代は床の吹き掃除までこなす。まるで、意地になってるのが判って、彼女の気持ちが判って、胸が苦しくなる。

この里子がさー、なんで家出してきたかっていうと、縁談を嫌がって出てきたのよ。でも何の考えもないの。この大阪で仕事を探そうかな、などと言って、まだこれ以上ここに居候するのか、と三千代は戦々恐々となる。しかしそれも給料を高望みしている里子は結局本腰入れて探そうとせず、毎日プラプラしているばかり。そんな中、事件がおきる。
まあ、事件というほどでもなかったんだけど……きっかけというか、ただ三千代の胸にさざなみを立てるには充分だった。三千代はある日大阪に出てきている学校時代の友人の集まり、ま、つまりは同窓会に出かけた。彼女はね、何たって原節子が演じているんだから、こんな疲れた専業主婦でも、美人の奥さん、で有名なわけ。着ていく服もなくて、結婚する時に持ち出した一張羅を着て出かける。「幸福な奥さんね」皆にそう言われる。給料取りのダンナさんと二人きりで、専業主婦、それが皆にとってはそう見えるのだ。「……生活に疲れた長屋のおかみさん登場ってとこよ」三千代は自嘲気味に言う。確かにここに集まっている女友達たちは、三千代よりもいわゆる判りやすい人生の苦労を抱えてて、まだ女一人で踏ん張っている人もいるし(メガネのダサ系の女、っていうのが……何か身につまされるな)。少々やつれてもまだまだキレイで、ダンナさんの給料で生活できている、三千代は皮肉にも羨望の対象なのだ。

それでも三千代は久しぶりに羽を伸ばして、初之輔に買ってやりたいけど買えないネクタイをうらめしげにウィンドウショッピングしたりして、家に帰ってみるとね……。
初之輔の食事の準備を頼んでいたはずの里子は二階で寝ている。一階で悄然としている夫は、靴を盗まれたんだという。「なぜ?一階にいなかったの?」「二人とも二階にいた」「里子ちゃんは?」「鼻血が出たんだ」一階には二人分のお茶の用意がされている。お茶の用意なんて、この夫、恐らく一度だってしたことがなかったに違いない。三千代の顔色が変わる。二階に登ってみると、里子の寝ているそばにタバコの吸い殻がニ、三本入った灰皿が置いてある。さらに顔色が変わる三千代。初之輔のワイシャツの腕に血がついている。「お茶を飲ませようと思って起こそうとしたらついたんだ」お茶の用意をしただけでもカチンときたのに、そんな接近遭遇をしたのかと三千代の頭はさらに沸騰する。「おやさしいこと」そう言ったきりクルリと背を向ける。

あのね、この、初之輔が里子を起こすシーンっていうのは、確かにかなりスリリングなのよ。この里子は食事の用意を頼まれてんのにノンキにぐうぐう寝てるわけ。初之輔が二階に上がっていってその彼女の寝姿を見て、どうしようかとか逡巡としてる。もうね……彼が男としてドギマギしてんのが判るのよ。だって里子の寝姿をとらえるアングルがうなじのあたりとか、二の腕のあたりとかをさりげなく収める角度で、妙に意味ありげなんだもん。思いあぐねて彼は電灯をつける。そうすると里子が寝ぼけ眼で目を覚まして、「起こして、初之輔さん」とかたわけたこと言いやがる。自分で起きやがれ!ガキか!とかついつい観てるこっちは罵詈雑言を心の中で叫んじゃったりして(笑)。子供のように両手を伸ばして、彼がそれを引っぱる。「重いな」笑いながら、里子は自力で起きる気が全然なくて、この子供のようなじゃれあいを無邪気に楽しんで、反動で二人重なり合って倒れこみそうになる。うっわ、いよいよ間違いが起きるのか!?とちょっとビックリするも……まあそこで里子が鼻血出しちゃってこういう事態になってるわけなんだけど、それだけでも三千代の心を乱すには十分なんだよね。

しかしここでの三千代の言いっぷりがおかしくてさ。あなたの食事の用意もせずに……と怒る彼女に初之輔が、仕方ないだろ、鼻血が出たんだから、と言うのね。するとそれに返して、「ずっと鼻血が出っ放しだったんですか?」といきり立って言う彼女が可笑しくてさ!だって、鼻血が出っ放しって!もうそこで会場皆吹き出しちゃって大爆笑。結構ね、コケギャグとか、よそ見しててボールがあたるとか、お土産の菓子折りを踏み潰しちゃうとか、ちょいちょいと笑わせどころが入ってて、全体的にユーモラスではあるんだけど、ここが一番笑ったなあ。

もう三千代はガマンできなくなっちゃって、里子を説き伏せて一緒に東京に帰ることにする。まあ里子もいいかげん飽きてきた頃だったのか、案外アッサリと三千代に従うんである。三千代は東京が恋しくなっていたのもあったし、何より……疲れちゃったのだ。三千代が東京に行くと知って初之輔はうろたえるのね。すぐに帰ってくるんだろ?と。でもそのうろたえは、せいぜいが家事をやる人間がいなくなるぐらいのうろたえにしか見えず、三千代はしばらく何も考えずにいたいと思っていたから、そんな夫を振り切って出て行ってしまう。
そのきっかけになった人はいた。たまたま大阪に出てきていたイトコの一夫と久方ぶりに再会したのだ。一夫とは仲がいいし、彼がなんとはなしに自分に思いを寄せてくれていたのも知っていた。彼もそろそろ東京に帰るという。偶然を装って列車で一緒になる。里子はさっそく興味シンシンで、あら、イイ男じゃない、とウキウキである。てめえ、列車の中でみかんだのせんべだの、食ってばっかりじゃねえかよ!

今はただ、母さんの胸に飛び込んで、ぐっすりと眠りたい……そう三千代は思って、母親と妹夫婦が暮らす店舗兼家に転がり込む。本当に、朝から晩までただただ、泥のように眠る。「まあ、お姉さん、寝てばっかりね」そう呆れ気味に言う妹に母親は、「疲れてるんだろ、女は眠いもんだよ」と暖かく見守ってくれる。
そう、一日立ち働きっぱなしで、しかもこんな火種抱えて、三千代はこんな風にぐっすりと眠ることも出来ずにいたのだ。
そして皆で囲む食卓。妹婿は、「だまされちゃいけませんよ。この家はコロッケとライスカレーと味噌汁がかわりばんこに出てくるんですから」などと冗談を叩き、妹は「ヒドいわ」と言いながら笑い、なんだかとっても仲睦まじい。三千代は「おいしいわ……こんなにごはんを美味しく思うなんて久しぶり」と言う。母親は笑って、「お前、ごはんを食べるために帰ってきたわけじゃないだろ」そして、「2、3日ゆっくり寝たら、大阪に帰るんだね」と諭す。三千代はあいまいな返事をする……。

三千代には少し休ませてあげたい、いや新しい人生を始めさせてあげてもいい、観客の誰もがそう思うんだけど……でもね、皮肉なことにね、この時の三千代の状態って、家出して転がり込んできたあの時の里子とソックリなんだよね。そうは思いたくないけど……そうなんだよね。タダメシ食って、一夫と料理屋にシケこんで(ま、ホントに食事だけだけど、彼女をほのかに思う一夫から温泉に誘われたりしちゃうんだもん)ここで職を探そうとしたり、しかし家ではなあんにもせず、日がな一日雑誌ばかりめくっていて、……ホント、ソックリなんだもん。母親は勿論、妹も、そして妹婿もイイ人でね、三千代がゆっくり出来るのも、彼らのおかげなんだよね。

でもね、そこにまたあの里子が転がり込んできてさ、映画を観てたら遅くなったから泊めてくれとか、また寝ごと言うわけさ。三千代は彼女のことを個人的に嫌っていると自分で思っているフシがあるから、黙り込みながらも嫌悪感あらわなんだけど、そこで妹婿が言う台詞がふるってんの。
「自分の感情をベタつかせて人に無意識に迷惑をかけるヤツは、僕は大っ嫌いだ」
それは一見、里子にだけ向けて言い放たれたように思えて、いやー、よくぞ言ってくれたと快哉を上げたくなるぐらいで、実際里子はその言い様にブンむくれで、ナマイキな人ねとか言う始末で(お前がナマイキじゃ!)しかも彼、「自分が寝る布団ぐらい自分で敷けるでしょう。お母さんも光子(妹ね)も一日働いているんですから」と追い打ちをかける。ハッとして立ち上がる三千代……彼女もまた、これまでそんなことまで周囲にさせっぱなしだったのだ。つまり、彼女に向けても言われた言葉で、この妹婿がサッパリとそう言いはなってくれるのが、イイんだよね。三千代に気付かせてくれるものがある。

翌朝、三千代は里子を家まで送っていく。怒る父親の前ではしおらしく見せるも、ちょっとそっぽむいてみたら大あくびの里子……コイツはもう、テンでダメだな。三千代はこの土地で古い友人に再会したりして、その彼女は戦争から帰ってこない夫を待ち続けて女手ひとつで一人息子を育てている。三千代の追いつめられている気持ちは充分判ってたつもりでも、彼女自身も自分がツラいと思ってても、この友人の辛さに比べたら、などとやっぱり思っちゃうわけ。そんなところに初之輔がヒョッコリ顔を見せる。今まで手紙も出さずに、もう夫と会うこともないかもしれない、ぐらいに考えていた三千代はうろたえて、思わず逃げてしまう。でも初之輔はノンキについてくるんだよね。出張のついでに寄った、という彼に、自分を連れ戻しにきたわけじゃないんだ……と彼女が一瞬、落胆したように見えたのは、うがちすぎではないと思う。手紙を書くも出せなかった彼女の気持ちは揺らいでいたし、このノンキな夫がヨレヨレのネクタイに汚いワイシャツを着て、靴もボロボロで、でもノンキに笑っているのが、なんだか不思議に……なごませるんだもの。

この夫、三千代がいなくなって、つまりは家事係がいなくなって、家の中はそりゃあヒドいもんでさ、もう絵に描いたようにしっちゃかめっちゃかになっちゃってんの。でも三千代の読みどおり、なんとなく世話してくれる女が出入りしてたりして、その中には三千代の差し向けた友人、つまりはスパイもいたりするんだけど(笑)。でもとにかくもうヒドい状態なんだよね。でも彼が、それで帰ってきてくれって言うんじゃなくて……つまり家事をやりに帰ってきてくれって言うんじゃなくて、本当にヒョッコリと顔を出して、わだかまりない笑顔で、「一緒に帰るか」などと言うのが、悔しいけど、なごんじゃうんだよね。列車で居眠りをする夫の横顔を見ながら、幸せそうな顔した三千代、手紙を破り捨て、車窓から風に舞い上がらせる。女の幸せは、こうして愛する人のそばに寄り添って、求めるものかもしれない……とかつぶやく。まあ、それもどうかと思うけど(笑)。でも確かに穏やかで幸せな決着だし、この時代ならそんなものかなあ。これが不思議と、より古い時代の「女人……」より保守的な決着っていうのもね、面白いけど。

生活に疲れた原節子、嫉妬にヤキモキする原節子、が実にリアルに切実だったなあ。★★★★☆


メゾン・ド・ヒミコ
2005年 131分 日本 カラー
監督:犬童一心 脚本:渡辺あや
撮影:蔦井孝洋 音楽:細野晴臣
出演:オダギリジョー 柴咲コウ 田中泯 西島秀俊 村上大樹 新宿洋ちゃん 森山潤久 井上博一 柳澤愼一 青山吉良 歌澤寅右衛門 大河内浩 草村礼子 藤井かほり 岡庭淳志 沖中玲斗 峯村淳二 枝光利雄 高橋昌也 筒井康隆(声)

2005/10/2/日 劇場(新宿武蔵野館)
観るの二度目で、二度目だから大丈夫かなと思ったけど、もっともっと、特に、ラストクレジットでは、思う存分って、感じで、泣いた。
二度観たのは、オフィシャルサイトのBBSで、ゲイの方の一部がその違和感を痛烈に批判しており、私はこの映画があまりにも大好きになっちゃってたからそれが哀しくて、そういうことも踏まえて、そしてサラの状態でもう一度観たいと思ったから。

うん、やっぱり、大好き。
なんだろう、幸せになるの。幸せだなと思う。
胸の中にあったかい空気をふうっと吹き込まれているような感じ。胸が、いっぱいになる。少しだけ重苦しいけれど、その百倍、幸せな気持ちで胸がいっぱいになる、そんな感じ。
一度目に観た時に、劇場から出てきた女の子、私の後ろで、「……すっごい、良かったー」って、体の中の空気を全部出すような勢いのため息と共に言って、プログラムを買いに走ってた。ああ、何か、おんなじ気持ちを共有しているなって、嬉しかった。
確かに、ここで描かれているゲイは、オカマで、オネエ言葉で、って感じで、ゲイの人たちから見ればあまりにステロタイプで腹が立ったりもするんだろうと思う。あるいはゲイの人ならこんなこと絶対にやらないとか、BBSですごく細かく書かれてて、この人、よっぽどそれに腹が立ったんだなって、判った。

ただね……なんというか、それは映画を観慣れていない感じがしたのね(勝手に決めつけてごめんなさい)。
私はそういう部分、往年のプログラムピクチュアの感覚と同じなんじゃないかなと思ったのよ。例えば寅さん、本当にあんな香具師の人いる?みたいな。例えば座頭市、本当にあんなあんまいる?例えば健さんや藤純子の仁侠映画、本当にあんなヤクザいる?例えば若大将、例えばギターを持った渡り鳥、例えば駅前社長……。
ゲイの人の姿をリアルに映し出す役割を担う映画作家は別にいると思う。それこそ橋口監督とか。
犬童監督はそういう役割の人じゃないと思うんだよね。彼はゲイの世界を勉強しつくしてこの映画に臨んでいるわけではない。でもそれはこの映画がそういう作品ではないから。
だからといって、世俗的な上っ面をなでているわけではないことは、そういうことにこだわらない視点で観れば、きっと判ると思うんだ。寅さんや座頭市がリアルじゃなくても、そこに描かれている人間を好きにならずにはいられないじゃない。

それにしても、犬童監督は、そういう批判を受けやすい人物をよく題材にするもんだから……「金髪の草原」でも老人介護の問題だったし、「ジョゼと虎と魚たち」は身体障害者、そしてそのどれも、そんな風にファンタジックに描いちゃうから、同じような批判が必ず出てしまう。
そういう意味では犬童監督は、自分の世界にゆるぎない自信があるから、そこから逃げないで堂々と世界を構築するんだと思うんだ。
その世界っていうのは、ふんわりとした少女的な世界の中に、見えないくらい、ささやかに、人生の辛さや哀しさが、でも限りなく優しいまなざしで描かれてる。監督はストレートなんだろうけれど、大島弓子が好きだったり、少女漫画的な手触りがあったり、ゲイの世界が好きだったり、何か、女の子風で、彼自身がこの中で描かれているゲイの一人に見えてくるのね。多分彼も、自分の作品の誰もが犬童監督自身なんじゃないかと思う。

この作品も、もともと大島作品が発想の元になっていたんだという。そして、ゲイのための老人ホームがあるという海外の新聞記事からアイディアが発展していった。でも“老いたゲイの老人ホーム”というテーマはスポンサーの触手をなかなか動かさず、完成まで五年かかってしまったという。
でも、ことこれに関しては、実際海外の新聞記事から拾ってきただけあって、これからの日本でも、十分にリアリティのあるテーマなんだよね。ここでは老人ホームというよりは仲間同士で最後の時を過ごす共同マンションみたいな感じで、ホテルを買い取って改装したというそのホームはとても瀟洒なつくり。それぞれの部屋はそれぞれの個性や憧れを全て注ぎ込んだ、まるで昔のフランス貴族か、お姫様のためのお部屋みたいだし、本当に……なんだか大島弓子的、少女漫画的なんだよね。でもそれはその最後の時に、同じ感性を共有する仲間たちがいるからこそ、誰はばかることなく注ぎ込めるんであって。

棺に入る時に着るドレスを自ら作った山崎はこう言う。「棺に入ってしまえば、鏡を見てドレスの似合わない自分を哀しまなくてすむものね」と。
この山崎に関しては、女装をしてヅラをかぶらないのはヘンだとか、そのくだんのゲイの方からツッコミがあったんだけど、でも彼のキャラは、女性のカッコに憧れながらもそれまではフツーのサラリーマンしてたから女装とかしてなくて、このホームに入ってから自分で衣装を作ったりして、でもやっぱり着るまでは至ってなかったわけでしょ。棺に入る時だけ、その時だけ、のためにドレスを用意してた、仮装としての女のカッコ、じゃなくて、女である自分として。だからヅラがないのは正解じゃないのかなあ。
ああ、ついつい、あのBBSに引きずられちゃう。だってあんな言われちゃってるの、哀しかったんだもん。

このお話は、その老人ホームを設立した卑弥呼、そしてその娘の沙織、そしてそしてヒミコの最後の恋人である春彦を中心に、このホームに暮らすゲイたちのそれまでの人生をあぶりだす形で展開してゆく。
卑弥呼は銀座にその名を知られた名店ゲイバーの名物ママであった。しかし突然引退して、ゲイのための老人ホームを設立した。
その娘の沙織の職場に、雨の日、春彦が訪ねてくる。いやその前に何度も電話をもらっていた。でも沙織は自分と死んでしまった母親を捨てたオカマの父親を心底憎んでいたから、頑なに拒否する。
でも、春彦は金を払うと言った。
母親の治療費と手術代で多額の借金を抱えていた沙織は、その言葉につられて、老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」での週一のバイトを承諾する。
いや、その言葉につられて、だけではやっぱりなかったのかもしれない。
だって、気になっていないはずはない。そりゃ、勝手に死ねぐらいに思っている男だけれど、だからこそ、会って、文句のひとつも言いたかったからかもしれない。
ホームで働くようになった沙織は、卑弥呼に面と向かって、「赤の他人」と言い放つ。それが言いたくて、ここに来たんじゃないかと思うぐらいの、憎々しげな調子で。
沙織が来たことに難色を示す卑弥呼に、「おめでたいわね。私はあんたの男が金払うって言ったから、来ただけよ」という台詞も、やはりそうじゃないかと思う。
他人じゃないもの。卑弥呼がいなきゃ、沙織は産まれなかったんだもの。でもそれを認めたくない沙織の気持ちが、こんな風にわざわざ敵地に赴いて爆発させるしかなかったんじゃないかって……。

柴咲コウは、すっごく、イイ。
「GO」なんかで賞とるより、こういう作品で評価すべきだったって、ホント思う。
絶世の美女の彼女がすんごいブスメイクで、そういうのって結構イヤミだったりするんだけど、犬童監督の、“そもそもスター性のある人じゃないとダメ”という言が、判るんだよね。彼女は美人で、スター性もあるから、ブスに陥った時、凄く生々しくて、でもそこには美人が美人である時には見えなかった輝きが見え隠れしている。
普段ブスッとしている彼女がはしゃいだり、ムキになったり、泣いたりする場面が、本当に、本当に可愛くて、愛しくて、胸がいっぱいになってしまう。

卑弥呼を演じる田中泯の存在感ときたら、もうただただ圧倒的で、まさにそこにはかつての銀座の伝説のママがいて、春彦が愛する卑弥呼がいる。頭にターバンを巻き、華やかな、だけどシックなドレス姿で、静かに、静かに、最期の時を過ごしている、その荘厳な姿。
沙織が自分を憎んでいるのは百も承知。オカマである自分を娘が嫌悪しているのも百も承知。でも沙織の母親は娘に内緒でこの元ダンナの店に会いにいっていて、その時はとびきりのおしゃれをしていたという。
それを知った沙織は、「あんな貧乏生活だったくせに」と憤るのだけど、卑弥呼は「そんなところがかわいい人だった」と振り返る。
お互い、観ている姿は違う。でも双方共にリアルな一人の女性で、二人ともその女性を愛していたのだ。

確かに、ゲイは、女を愛することが出来ない。でもそれはセクシャルな意味で、ってことでしょ?
その点についての描写でBBSでやいやい言われていたんだけれど、卑弥呼は自分の性的志向を隠して結婚して沙織をもうけたものの、それを続けられなくなって別れたわけだけど、奥さんに対しては信頼関係としての愛情は持っていたわけでしょ。
あのね、犬童監督が少女漫画的だっていうのはここらへんで、女の子は、いや女は、こういう幻想を持つのよ、特にゲイの人に対して。
なぜ女の子はゲイに惹かれちゃうんだろう。
大人になっていくに従って、自分の弱さや男に依存しちゃう汚さに直面するからかな……。性の目的としての女としてしか見られないことに疲れて、そうじゃなくして見てくれる男は、ゲイだけなんだもの。
しかも、過去に結婚の絆で結ばれていた相手は、また特別なんじゃないかなあ。
そして、もうけた子供。卑弥呼のことをやっぱり許せない、ママのために許せない、と言う沙織に卑弥呼は、私にもひとつ言わせて、って言うの。
「あなたが好きよ」
思いもしなかった、ふいをつく台詞に、しばらく返す言葉が出ない沙織。やっと、「……何よ、それ!」と言うも、悔しさなのかなんなのか、その顔は真っ赤で、涙があふれそうになってる。

この映画の中で、ゲイの人にとって最もありえないのは、春彦が沙織とセックスしようとする場面。
まあ、そりゃそうであろう……。
でも、犬童監督と脚本の渡辺あや氏は、それはあり得ると、踏んだ。
私も、あり得ると思う、というか、思いたいんだよね。前述のような理由で。
それはちょっと哀しいというか、切ない理由なんだけど……。沙織は春彦に純粋に恋していたと思うけれど、春彦は沙織に対して、愛する人の娘ということもあるけれども、それ以上にこれまでの過程で、信頼関係としての得がたい愛情を感じていたんだと思う。で、沙織はストレートだから、そして彼女の気持ちを春彦は多分感じていたんじゃないかなと思うから……その信頼関係を彼女に対して真摯な形で示すにはセックスだという結論に至ったんじゃないかと思うんだ。
ただやはり春彦はゲイだから……キスまでは親愛の情も含んで出来る感じだけど、体を触る段になって沙織から「……触るとこ、ないんでしょ」と言われてしまう。

この場面に至るには、春彦と沙織が卑弥呼を媒介にして共有関係を密にしていく積み重ねがある。
そもそも遺産の問題もあるから、と言って春彦は彼女を呼び出したのだ。しかし卑弥呼はこのホーム設立に全財産を使ってしまっていた。
ホームの住人、ルビーが脳卒中で倒れた時、「遺産なんかいらないからそれを(介護費用に)使いなさいよ」と言った沙織にその事実が突きつけられ、「サイアク……あいつに足元見られた」「……だから悪かったって」とやりとりする二人は真剣なんだけど、妙にカワイイものがあるのだ。

そして、ドレス姿を夢見ている山崎さんと、風俗のバイトの面接でバニーガール姿を却下された沙織とが、コスプレごっこで盛り上がって、すっかり意気投合しちゃって、このまま外に遊びに行こう!って話になる。臆する山崎の前にダンディにドレスアップした仲間たちが現われる場面には、まず最初の涙腺が決壊しちゃう。「卑弥呼が、レディをエスコートするのにちゃんとした格好をしなきゃダメだって怒るから」というのが、またジンとくるんだ!
でも、その遊びに行った店で、山崎さんはかつての部下に見つかっちゃって、散々嘲笑されてしまうのね。
キレた沙織、謝んなさいよ!とこの男にくってかかる。ぜったい謝らない、と言う男に、沙織はキイー!っとなってしまう。山崎さんはすっかり魂を抜かれたみたいになって、椅子に呆然と座り込む。キレまくる沙織を春彦がいさめに来るのね。もういいだろ、って。この時「だってあの男、許せない!」と子供のように地団太を踏む勢いの沙織がとても……可愛くて、愛しくて。

そんな沙織に、フロアーでムリヤリダンスを踊らせる春彦。
そしてナンバーが変わり、悄然と座り込む山崎さんを、ホーム一番の若者のチャービーがビシッとダンスに誘う。ああ……もう涙腺がゆるみかけてる。
次のナンバーは「また逢う日まで」イキのいいナンバーに合わせて、みんなが楽しそうに踊る。本当に、本当に、楽しそうに……ああ、なんだろ、なんだろ、何でこんなに楽しそうなのに、こんな、たまらず涙が出るんだろ!
ああ、もうダメ……。
本当に不思議なんだけど、楽しそうな山崎さん以下、仲間たちを見てたら、急激に胸がぐぐっとなっちゃって……このダンスシーン、ミュージカルかッ!っていうようなかなりの唐突感があるんだけど、本当に、不思議と、不思議と、たまらない幸せ感に襲われて、胸いっぱいの涙が後から後からあふれだしてしまう。ああ、今思い出しても、ダメ、泣きそう……。

このダンスシーンは特にそうなんだけど、春彦を演じるオダギリジョーは、反則なぐらいに美しいの。ちっくしょー、悔しい!ってぐらいに、美しい。なんだろ、なんでだろう、唇厚いし、目は一重だし、無精ひげで、こんなにパーツはアンバランスなのに、それが絶妙なバランスをとって、その危うさも良くて、ハラリと無造作な前髪もあいまって、もう呆然とするほど、美しいのだ。彼がそんな不思議な美しさを持っているのは判ってはいたけど、本作での彼は、もう、もう、奇蹟的なぐらいなの。ちっくしょー、ホントに悔しい!って、何が悔しいんだか(笑)。

このダンスシーンともうひとつ、彼に釘づけになる場面がある。
卑弥呼が大量の血を吐いて、動揺した彼が沙織を呼び出すシーンである。
「血の匂いって、とれないのかな。かなり洗ったのに」と上半身ハダカで、首にタオルを下げて出てくる彼の、なめらかな肌と逆三角形の体形の美しさにウオッとなってしまう。
彼は、壁の落書きを消す塗装に来た、沙織の勤め先の御曹司に目をつけている。「今度細川さんと食事に行くんだ」とこんな時にそんな話をする。
「俺、細川さんと寝られると思う?実際過去二、三人引きずり込んでるし」
「ヤメてよ……聞いてるかもしれないでしょ」
ベッドで静かに休んでいる卑弥呼を気にして、沙織は言う。
「……刺激が欲しいんだよ。欲望なんだよ。毎日だんだん死にかけてる卑弥呼を見てると、たまらないんだよ。愛なんて、関係ないじゃん、って。欲望なんだよ。それだけなんだよ」

細川さんと寝たいなんていうヨタ話を仕掛ける時から、春彦の瞳には涙があふれていて……欲望が欲しいんだよ、と訴えかける、瞳にあふれる涙を流すまいと目に力を入れて、いや全身に力を込めて震えるように言葉をしぼりだすオダギリジョーに、呆然と、見入る。
まず、美しい、美しいけど……壮絶で。彼は卑弥呼を愛してるけど、それは確かなんだけど、もはや卑弥呼は決まっている死に向かって突き進んでる。持っている価値といえば若さぐらいである春彦に、どうやって卑弥呼を愛していることを示せばいいのか。

それ以前に、入居者のルビーが脳卒中に陥ってしまう。入居者の中で一番明るくて人なつっこかったルビー。孫から届いたハガキに書かれた、「ピキピキピッキー」っていう言葉が判らなくて、沙織が二千円の代金の代わりに、魔女アニメであるその呪文の振りつけを教える場面が最高に好きだった。「レインボー戦士」だというそのアニメもちゃんと用意されて、「よおーし、こうなったら!ピキピキピッキー!」と叫んで。オマヌケなポーズに合わせて、でもルビー、段差から落っこっちゃう。思わず吹き出しちゃうんだけど、ルビーの、まだ見ぬ孫に対する愛情が感じられて、すっごく、イイの。
でも、ルビー、倒れちゃって。大学のゲイサークル、つまりは若くてピチピチの男たちが慰問?に来たのにはしゃいじゃって、というのがルビーらしい感じだけど、ホームは途方にくれてしまうのだ。
だって、ここには介護をする設備がないから。ルビーの家族で彼がゲイだということを知っていたのは死んでしまった彼の元奥さんだけ、息子夫婦も、勿論孫も、その事実を知らない。

仲間たちは思い悩むんだけど、賭けだといって、ルビーを息子夫婦に託してしまう。
つまり、ルビーには時間がないから。息子夫婦に事情を話して理解してもらう間にルビーは死んでしまうかもしれないのだ。だから、何も言わずに息子夫婦に渡して、事実を知って戻されるかもしれないけど、そのまま引き取ってしまうかもしれないからと。
それを、沙織は烈火のごとく怒るのね。突然その事実を知らされた息子の、そして息子家族の苦しみが判るのかと。あんたたちは、息子に押しつけて安心したかっただけでしょ、と。
……彼らの言い分も、そして沙織の言い分も、判るんだよね。でも沙織は実地でそんな体験をしているわけだから、沙織の言うことに、誰も何も言い返せないの。

ここが、監督の言う「判りあえる人たちだけが集って、集団で何かを変えようとしたり。あやちゃん(脚本の渡辺氏)のシナリオの中に、そういうことに対する批判のようなものも感じたんですよ」というところなんだろうなと思い、ますますもって、監督の、そして脚本家のチャレンジングを感じるのだ。
誰もが黙ってしまうんだけど、ただ一人、春彦だけが、つぶやくように言う。「……お前は関係ないんだけど。ここはゲイのホームだから。ゲイが幸せになるためにあるんだよ」
それまで仲良くしていたのに、突然、お前は俺たちとは違うんだ、と突き放されたような感覚。所詮、女はストレートもゲイも関係なく、男から、女なんかには判らない、と排除されてしまうのか。
「こんなところ、ウソじゃん。インチキじゃん」沙織は悔し紛れなのか、そんなことまで言ってしまう。
「……出てけよ」春彦はついにそんな言葉を口にしてしまう。
みんながせっかく作ったおはぎをつかんで春彦に投げつけて、沙織は出て行ってしまう……。

この日はね、盆の入りだったの。自分の大事な人たちの写真を丁寧に飾って、ろうそくの火を点して、野菜の動物作って。とうろうをプールに流して、提灯に火を入れて。……日本の伝統文化って、なんて、なんて、美しいんだろう。
そしてその後、海岸に面した洗濯台で、政木さんのオルガン演奏に合わせて、春彦の指揮のもとみんなで歌う、「母が歌い給えし歌」が、もう、もう、たまらなく胸に、染みる。
敬虔な気持ちって、神聖な気持ちって、こういうことかなあ、って。
彼らの歌声に合わせて、そのかすかなろうそくの光りに点された、闇の中の古い写真や、プールに浮かべられたとうろうがオーヴァーラップして、死にゆく人間の切なさと尊さ、そして残された人間の哀しさと愛おしさを、ギュッて、ギュッて、感じるのだ。
そして多分、春彦は、出て行ってしまった沙織のことを考えている。
共に同じく愛している人のことを思いながら。

中学生の男の子が手伝いに来てるのね。いつもゲイの彼らを遊び半分にからかいに来ていた子たちの一人。ヒドい落書きをして、沙織の会社が塗装に来たこともあった。その時に春彦が細川専務に目をつけるのよねー、私はオダギリジョーと西島秀俊の××シーンを想像して鼻血が出そうになっちったよ。いや、じゃなくて、ゴメン。だから、この男の子、ね、イタズラに一度スゴイ迫力で春彦にドヤされ、彼にすっかり参っちゃったらしくて。
いや……この辺は実はビミョウなんだよね。この子はひょっとしたら自身がゲイなのかもしれない。それは、このホームを手伝いに行く直前、いつも一緒にイタズラしていた仲間たちに、「これから先、お前たちが俺と友達になれないっていうなら、それは仕方ないかもしれない」なんて言い方をしているから。
……考えすぎかな……。
この子が帰る時、食卓の一番奥にいる春彦を見やる。春彦はどこか悄然とした表情で座ってる。まるで魂が抜けたみたいに。

でもこんな具合に、余計に説明せず、多分そうなんだろうな、と思わせる場面は他にもある。沙織の会社の同僚の女の子、家庭のある細川専務と不倫の関係にあって、でも後半のシーンで沙織と一緒にベンチに座ってジュースを飲みながら、しゃくりあげて泣いている場面があるのね。それは多分、先ごろ採用した新人の女の子にとられてしまったんだろう……ていうのは具体的に示されない。ただ、この彼女が辞めてしまった、という事実が告げられ、その次のカットで、ヨユーの表情のこの新人の女の子が髪の毛をかきあげるカットが挿入されるだけなんだけど。
この女の子の採用を決めたのは、不倫してた彼女で、写真を見ただけで「足が太そうだから」という理由だったんだよね。それはとりもなおさず、細川専務を取られまいという理由だったに違いなく。
でもその後、沙織も細川専務と関係してしまうんだもん。
沙織が、細川専務を誘惑したのは何でだろう。
春彦とセックスという形でつながることが出来ないから?ホームにいる誰とも、その感覚を共有することが出来ないから?
でも、みんな戻ってきてほしいと、思ってたのに。

卑弥呼が死んで、沙織が荷物を取りにくる。すべてをダンボール詰めにして運送屋に頼む手はずをする沙織。少し形見分けしてくれればいいのに……という春彦に「ヤだ。だってどうせあんた、新しい男がすぐ出来るだろうし」そんなことを言う沙織に苦笑いする春彦。
彼女をバス停まで送っていく春彦。「俺、この間細川さんと食事したよ。あの人と、寝たんだって?」
「……」
「うらやましかったよ。あんたがじゃなくて、細川さんが」
立ち止まり、顔をくしゃくしゃにさせて泣き出す沙織が、もう……、胸をかきむしられるほど切なくてたまらない。この時の彼女の思いは、卑弥呼が死んだこともあいまって、そんなこと言ってもらっても春彦とはやっぱり出来ないし、でもそんなふうな思いはやっぱり嬉しくて暖かくて、でもやっぱり自分はココから去るしかない人間で、でも……。
本当に、ここから、去るしかないの?
バス停に着く。春彦、「……もう、会うことも、ないかな」ゆっくりと、去ってゆく。その後ろ姿を涙が落ちるのをこらえるように睨みつけるように凝視しながら、バスに乗り込む沙織。

そして、月日が流れる。

冬になり、残業をしている沙織のところに、次の現場の資料が回ってくる。「夏にやった現場だよ。また落書きされたんだって」はっとした顔の沙織が封筒から出した資料を見ている引きの場面。
カットが変わり、マスク姿の彼女の顔のアップ。手前から手が伸びてきて、彼女のマスクを引きおろす。「チューしていい?」その声は!「ダメ!」そう言う沙織に吹き出した切り返しの美しい男は、春彦!
いっせいに周りの仲間たちも笑い出す。「じゃあ、僕は?」なんて言ったりして。
壁の落書きはね、「サオリに会いたい!ピキピキピッキー」と書かれてるの。
もう……ここでどんだけ落涙したか、判る?もう……。
「今日はお祝いね。おはぎを作ったの」あの時沙織が食べられなかったおはぎを。
続くラストクレジット、美しいオペラの、「母が教えし……」に後から後から流れる涙に、呆然と身を任せる幸せをじっと、かみしめる。

最初から映画のために作られている尺と展開だから安定しているんだよね。最近の、原作ありきの映画と違って、焦っている感じがなくて、じっくり見せてくれるのがいいんだよなあ。一応元々のアイディアはコミックスにあっても、もうここまできたら全くのオリジナルだもの。
とにかく、幸せなのだ。すこうし、哀しいけど。
でも、幸せって、100パーセントじゃ気づかない。すこうしの哀しみのスパイスがあってこそ、じんわりと胸に染みるものなんじゃないのかなあ。★★★★★


メリンダとメリンダMELINDA AND MELINDA
2005年 100分 アメリカ カラー
監督:ウディ・アレン 脚本:ウディ・アレン
撮影:ヴィルモス・ジグモンド 音楽:
出演:ラダ・ミッチェル/クロエ・セヴィニー/ウィル・フェレル/キウェテル・イジョフォー/ジョニー・リー・ミラー/アマンダ・ピート/クリスティーナ・カーク/ブルック・スミス/ウォーレン・ショーン

2005/8/5/金 劇場(恵比寿ガーデンシネマ)
仲間たちが集う飲み屋で生まれたのひとつのアイディアから、悲劇、喜劇双方のライターが同じ設定から双方の話を展開させていく、というアイディアをそのまま見せていく。思えばリアルな世界というより、粋で、シャレていて、フィクション味の中に人間のやりとりを見せてきたアレンだから、そういう、フィクションありきなんだよ、というこの始まり方が、ああ、アレンらしいかもしれないなあ、と思う。それに思えば、ま、半分だけではあるけれど、まったくコメディの挟まれない、徹頭徹尾のシリアスであるアレン、を観るのは初めてではなかろうかと思う。多分ね、アレンはシリアスなまま進行していくのは耐えられない人だと思うのよ。いつだって人生をシニカルにとらえているから、シリアスなままではもうどこかかゆくなっちゃうんじゃないかなあと思うぐらいなのよ。だから何かナナメにフザけちゃったりして。でも今回はそれを同時進行である喜劇の方で思う存分やってるから、シリアスはホントにどん底にシリアスなわけ。

で、今回はアレンは出ていない。アレンが出ていなくても、彼が出ていたらこの役だろうなー、というキャラクターはハッキリとしている。喜劇の方で、メリンダに恋してしまう既婚者のホビーである。自虐的なところや、単純にホレちゃうところや、感情の浮き沈みの激しいそのキャラクターはアレンが演じているのがもう想像されちゃうんだよなあ、あ、奥さんの方が経済的にも主張的にも強いところも(笑)。
結局ね、アレンはやっぱり喜劇の方に軍配をあげているんだろうなあ、と思うの。当たり前だけど、結局ハッピーエンドを迎えるのは喜劇の方で、悲劇の方のメリンダは、なんというか、悲劇の結末にホッポリ出されてしまう、という感じなのよね。展開は同じなんだけど、悲劇は悲劇だから、ハッピーエンドを迎えるわけにはいかなくて、そう、途中で作り手から投げ出される、といった趣があるわけ。つまり言ってしまえば尻切れトンボ的に。そこにね、アレンは喜劇の完成度を観ている気がするんだなあ。悲劇はそんな風に投げ出してしまえば出来る、みたいな、完成度としては喜劇の方だ、っていうような。そしてそれは、人生を喜劇に見立てることへの希望や、いい意味での楽観性をも感じるんだよね。

で、双方に共通するストーリーはこんな感じである……↓

夫婦が主催しているパーティーにフラフラになったメリンダが突然乱入してくる→彼女はエリート医者との結婚に破れて心身ともにボロボロになっている→そんなメリンダに独身歯科医を紹介してあげようとする→しかしメリンダはその歯科医には興味を示さず、別に出会ったピアニストに恋をする→しかし結局ピアニストとは結ばれない、と。

で、ピアニストと結ばれないことでどん底に突き落とされるのが悲劇の方のメリンダで、喜劇の方のメリンダは、結ばれないっていうのは自分からフッというか、いやそこまでは描かれていないんだけど、本当に愛する人の存在が別にいたことに気づいて、でそれがホビーなわけね。いやー、実に人生に楽観的だと思わない?
あ、ちなみにダンナの方の職業も共通してるんだよね。双方共に売れない役者。で、妻の方はというと、悲劇の方は音楽の先生(週に何回か教えている程度)、喜劇の方は、新進の映画監督。悲劇の方の妻、ローレルを演じているのはクロエ・セヴィニーで、売れない役者であるダンナを抱えているとはいえ、どことなくのんびりしたパートタイマー主婦って感じである。で、彼女はメリンダに歯科医を紹介するパーティーで、実はメリンダより先にピアニストと恋に落ちていて……で、泥沼になるんである。

この悲劇の方のピアニストのエリスはだからヒドいんだよねー。最初っからローレルの方に惹かれていたんだけど、彼女の結婚指輪を見て、じゃあ、とばかりにその次に出会ったメリンダをロマンチックな会話でメロメロにして、そっちと付き合い始めた。でもローレルと交えて三人で飲んだ時、メリンダの見てない隙をついてローレルを平気で口説いちゃうのだ。で、ダンナと今ひとつうまくいっていないローレルは陥落してしまう。
で、あの悲劇のラスト、言うにことかいてこのエリス、どうしてかこうなってしまった、みたいな物言いなの。なりゆきだったと。なりゆきって、お前ねー、めっちゃ確信犯じゃないの!ま、ローレルもヒドいけどさ……自殺する!と狂乱するメリンダを、「私たちじゃ手におえない」と親友のキャシーに投げ出してしまうんだもん。お前らのせいだろ……。

ちなみに、ローレルのダンナのリーはこのキャシーにホレているようなところがあるんだけどね。ちなみにキャシーは三人目の子供を妊娠中。妊娠している女はセクシーだとばかりに、酔った勢いで口説きにかかるリー、キャシーは、「ダンナはデブの女としているとしか言わないわ」と言うんだけど、リーのそんな思いには気づいているのかいないのか、そんな倦怠期気味のダンナとの優雅な生活を謳歌している風がある。
そういやあ、喜劇の方には、キャシーに相当するキャラって、いないわ。メリンダに歯科医はどうかと紹介する友人はいるけど、悲劇の方ほど彼らの関係性にくいこんでいない。悲劇の方はメリンダと夫婦はキャシーをまじえて高校時代からの友人同士であり、だからこそ親友に恋人をとられたメリンダは更にどん底に突き落とされるんだけど、喜劇の方はメリンダと夫婦の関係も、彼女が迷い込んできた時が初対面だし。

それに悲劇のメリンダには別れた夫との間に子供がおり、しかも彼女が浮気した相手とはその相手の女も含めてすんごいドロドロになってる。喜劇の方のメリンダは結婚はしてたけど子供はいないし、浮気した相手というのも彼女の話でサラリと流されるだけである。そう、メリンダがパーティーの最中に転がり込んでくるのは同じなんだけど、知り合い同士の悲劇では、いかにもメーワクといった態度、一方喜劇の方はいきなり知らない彼女が転がり込んできたことで、彼女の身の上を聞いてパーティーはおおいに盛り上がる、つまり、みんなメリンダを好きになっちゃうんだよね。同じ展開で悲劇と喜劇を分けていくそういう設定の違いが、なるほどなあ、と感じさせたりもする。でも、喜劇のメリンダも、もしかしたら悲劇の彼女と同じようなドロドロが裏にはあったのかもしれないよね、とも思うのね。それを喜劇のメリンダは前向きなキャラクターだから表に見せないだけなのかもしれない……そこにも、アレンが喜劇に軍配をあげている感じはするのだ。

そうなの、悲劇のメリンダは、友人夫婦には情緒不安定になって病院に入ってた、ぐらいにしか言わなかったんだけど、本当は刑務所にいたのだ。彼女が浮気した相手が他に女を作ったことで逆上、その彼を殺し、その相手の女性も殺しかけたんだと、エリスに告白する。それはエリスを本当に愛してしまったからこそ、隠しごとをしていたくないと思っての告白だったんだけど、ひょっとしたらエリスはここでアイソをつかしたのかもしれないなあ……まあメリンダを慰めてる感じではあったけど、彼がローレルを口説いたのはその直後だったんだもん。うう、メリンダ、報われない……。

そういやあね、双方ともに出てくる、メリンダに紹介される歯科医、ね。双方共に金持ちで、エリートで、キザったらしいんだよね。このあたりにもアレンの意識が働いているような気がするなあ。医者でも、人の命を救うとかせっぱ詰まったところにはいなくて、でも稼いでて、みたいなさ。あ、悲劇の方のピアニストのエリスが現代作曲家ってところにも、なんとなくそんな冷めた視線を……アレン、あんまり現代音楽に興味なさそうだし!?喜劇の方のピアニストは、ホントにただのピアニストで、しかもメリンダとの出会いである、引っ越しの時に道端においてあったアプライトピアノで二人連弾をするっていうのが、その時の曲はジャズっぽい感じで、いかにもアレンなんだよね。

でね、そうそう、喜劇の方の、メリンダにホレちゃうダンナの方、アレンが演じるならこの人だっていうホビーである。夫婦のうち、妻の方に浮気をされる、っていうのは悲劇も喜劇も共通しているんだけど、喜劇の方の、このホビーは、妻の浮気に狂喜しちゃう。それはだって、彼はメリンダに恋しちゃってるからさあ。こともあろうに妻の浮気のナマな現場に遭遇しちゃうんだけど、慌てた妻が、しかしここはもう言ってしまわねば仕方ない!って感じで謝るのに対して、ホビーは喜色を隠し切れないの(笑)。「判ってる。つまり君はプロデューサーのスティーブと恋愛関係になったんだろ?」おいおい、理解早すぎるぞ!
離婚しても慰謝料は請求しないから、と言うのが妻の方だっていうのがかなりオカしい気がするんだけど(笑)。ホビーってばさ、このやり手バリバリの奥さんの下で、映画関係者を招いたホームパーディーで自ら料理の腕をふるったりして涙ぐましい夫ぶりでさ、しかも奥さんの映画で使ってもらえるはずだった役を、映画を成功させるためにと有名俳優にとられちゃうし、ホント可哀想なの。しかも、メリンダに恋したことで悶々としていた彼、妻の浮気で、これで晴れてメリンダにせまれる!と思った矢先にメリンダから「私、恋しちゃった!」とピアニストとの出会いを打ち明けられちゃうしさー。

思えばいつも、アレン自身が主人公になることもあるからだけど、若い女の子との恋愛話が多いよねー。ホビーがメリンダにホレてしまうのがね……まあメリンダの年齢は判然としないし、悲劇の方のメリンダはとても大人の女性に見えるけど、こっちの喜劇のメリンダは学生上がりかってほど若く見えるからさあ。
それにしてもホビーの妻のスーザンが映画監督で、成功するために夫の配役を降ろし、はてはプロデューサーと浮気までしてしまい、夫と離婚する、っていうのがね……アレンは決して女性を排斥する人じゃないと思うけど、どことなくバリバリ進出する女性に対するシニカルな視線にも思えるんだよね。
まっ、アレンは強い女性にいつものされてるからな。結局はマゾ的にそういうのが好きなのかも!?

それにしてもホビーがメリンダに恋しちゃうきっかけっていうのもね!メリンダは、タッチに弱いんだとホビーに言う。タッチ、つまりはアレよ、セックスよ。それを聞かされたホビー、もういきなりムラムラしちゃって、ちょうどその時、友人を交えて競馬観戦に来てたんだけど、盛り上がってるフリして、横に座ったメリンダの頭をかきいだいたりなんだりしちゃう。おーい、ホビー、そりゃあまりに単純すぎるって!
単純過ぎるといえば、ホビーがメリンダと歯科医の仲が気になって、彼女の部屋のドア(同じアパートの階下に住んでいるのだ)の前をウロウロ、うっかり開いたドアにガウンが挟まってしまって慌てふためくなんてベタなところは、何か前作のアレンを思い出しちゃうよなあ(笑)。実際、スラップスティックの才能にこれほどあふれていたことを今更ながら思い知る。思えばアレンもスタンダップコメディアンだったんだもんね。

あー、やっぱり私も、アレンの導くコメディの方に惹かれちゃってるのかなあ。でも悲劇の方の世界観も、このメリンダだったら悲劇に行っちゃうよなあ、しかもこのメンツだったらそうだよなあ、ってのがあってそのズルズル、ドロドロ感がいいわけよ。クロエ・セヴィニー、金髪のロングヘアーが、ピアニストのエリス曰く「神秘的な美女」うん、まさにそのとおりで、こんな大人びた彼女は初めて見るって感じするなあ。エリスと連弾するシーンなんて、まあ実際には弾いてはいないんだろうけど、しっとりと美しく、なるほどエリスが恋に落ちちゃったのも判る気がする……けど、ならその後メリンダを口説くなよとは思うが。

で、悲劇の方のメリンダはセクシー系で、すらりとした足を巻きスカートの間からチラリと出して組んだり、華奢な胸元が程よく開いた感じとか、実に色っぽい。でもそのセクシーさっていうのは、やっぱり悲劇性というか、堕落系なんだなあ、と思う。彼女が堕ちていくのが、その服装やメイクの色っぽさで想像されちゃうんだもの。いわば刹那系なのかなあ、と思う。
一方、喜劇のメリンダはカジュアル系。悲劇のメリンダがアイラインばっちりのメイクだったのに対して、ナチュラルメイクでとても若々しく見える。メリンダは悲劇も喜劇も同じ女優、ラダ・ミッチェルが演じているんだけど、メイクや装い、そして演技ももちろんだけど、これほど変わるか!っていうのにビックリ。ホントに同じ人なんだよね??とホクロの位置とかすんごい確認しちゃったよ。いやー、女優って、スゴイなー。だってさ、悲劇のメリンダは本当に大人の色香で、人生に疲れてて、って感じなのに、喜劇のメリンダは学生さんみたいな活発なキャラで、花のように明るく笑って、ほおんとにカワイイ女の子なんだもん。
でね、カワイイ女の子好きの私としては、やっぱり喜劇のメリンダの方がダントツで好きなわけ。いやー、ホントに同じ女優かあ?喜劇のメリンダ、メッチャかわいいんだもん!

ところで、予告編のナレーションってあれ、おひょいさんだった?いやー、ピッタリだよね。どこか古きよき時代を感じさせて、しかも粋でシャレた世界を任せたらさ!★★★☆☆


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