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「お」


2005年鑑賞作品

大いなる休暇LA GRANDE SEDUCTION
2003年 110分 カナダ カラー
監督:ジャン=フランソワ・プリオ 脚本:ケン・スコット
撮影:アレン・スミス 音楽:ジャン=マリー・ブノワ
出演:レイモン・ブシャール/ディビッド・ブータン/ブノワ・ブリエール/ピエール・コラン/リュシー・ロリエ/ブルーノ・ブランシェ/リタ・ラフォンテーム/クレモンス・デロシェ


2005/7/1/月 劇場(シネスイッチ銀座)
カナダ・ケベック州の小さな島、サントマリ・ラモデルヌ島でのこの物語は、フィクション味たっぷりでまるでおとぎばなしみたいなんだけど、その中にかなり切実な問題を感じさせる。小さな島での死活問題。かつては漁業で栄えた島が今やすっかり落ちぶれて、若い人はどんどん島を出て行ってしまって老人率が異様に高くなり、仕事もなくて、みいんな生活保護(失業保険?)でようやっと暮らしている状態。仕事がなくてもそうやって島でノンビリ暮らしてられるならいいじゃないなどと、とかく仕事にお疲れ気味の現代人は無責任にもそう思ってしまいそうになるんだけれど、彼らは働きたい!働く充実感がほしい!と切実に祈ってる。

ハッと、するんだよね。この物語自体は島に工場を誘致する条件としてのお医者さんを、一ヶ月間何とかだまくらかしてこの島に定住させようと奮闘する、その大ハッタリが面白いんだけれど、でも本質は、人間の生きていく価値観とか意味とか、そういう部分にあるんだなっていうのに思い当たって。
だって、それまでの彼らったらくすみっぱなしなんだもの。島全体がボロっちい感じで家も全然手入れされてなくて暗ーいトーンで、空もずっと曇りっぱなしみたいな感じ。ある日の朝っぱらからうつむきがちで郵便局に並ぶのは、生活保護だか失業保険だかの通知をもらうため。そしてその足で銀行に直行して一か月分のお金をもらうのだ。なけなしの金。一日中何もすることがないからそんなわずかなお金は二週間で消えてしまって、いつだって生活は苦しいままなのだ。
つまんなそうにバーで酒を飲む彼らにそうか……と思い当たる。そりゃ仕事は時にはツラいけど、でも仕事の後のビールほどウマいものはないんだよなあ、と。休みの日のビールより、数倍もウマいんだよなあ、と。

皆働きたくてたまらないから、街に働き口があると聞いちゃあ、出て行ってしまう。街に希望がないから、集会に集まるのも町長含めて三人だけというアリサマである(あ、四人だったかな)。教会の鐘を鳴らすために宙ぶらりんにぶら下がるのが妙に可笑しいんだけど、その時点ではそこで吹き出すにはあまりにも暗いトーンなのである。
しかも町長までこの島を見限って夜逃げ同然に出て行ってしまうし……。
この物語の主人公のジェルマンも、奥さんが街での仕事を見つけて島を出たがっていた。ジェルマンはもう死んでしまった友人の分も生活保護をズルしてもらってて、奥さんはそういうこともイヤだったし。でもジェルマンはやっぱりこの島を愛しているから、あきらめたくなかったのだ。彼の中には少年の頃の記憶がこびりついている。漁師の男たちのたくましさ、夜になると両親含めて島のあちこちから聞こえてくる幸せな声(まっ、つまりセックスね)そしてその後の一服の明かりが、島中の家々からポッ、ポッと照らされて、それを屋根にのぼってながめていた幸福だった少年時代。

今、チャンスがないわけではないのだ。島にプラスチック工場誘致の話がきてる。工場が建ってくれれば島全員の仕事が確保できる。このくすんだ生活から抜け出すチャンスなのだ。でもそれには大きな問題があった。定住している医者が必要なのだ。工場が出来てから最低5年はいてくれる医者が。
こんなさびれた島に医者など来てくれないと、町長はハナからあきらめているようなフシがあったんだけど、ジェルマンは一念発起、島でただ一人インターネットができる男を捕まえて情報を収集させ、ケベック州中の医者に手紙を出す。収入は減るけれども、豊かな島でのスローライフをうたってね。
でもぜえんぜん来ない。ジェルマンたちからは無論見えているわけではないけれども、封を開けもせずに、あるいは開けて「いいね」なんて言いながらも、結局はハナで笑ってゴミ箱にポイ、のエリート医者たち。スローライフなんて所詮彼らにとって生活の中でちょっとオシャレに取り入れるぐらいのものにしか過ぎないのだ。

でも、ここでそのたった一人の医者を見つけるエピソードがふるってる。あの出ていっちゃった町長さん、町で警察官になってるんだけど、スピード違反の男を捕まえたらしかもそいつは麻薬まで持ってて焦ってる。で、医者だから急いで病院に行かなければいけない、などと言い訳めいたことを言っている。町長さん、ニタリと笑って「医者?」(笑)。
哀れ、この若いお医者さんのクリストファーは網にかかっちゃったわけ。
猶予は一ヶ月、その間に彼にこの島に住み続けたいと思ってもらわなくちゃいけない!島民上げての大ハッタリ計画が始まったのだッ!

あの冒頭のくすんでいたトーンはどこへやらで、島がどんどん光り輝いていくのが判るんだよね。家をキレイにするだけで、小さな島に可愛らしい色の家々が立ち並ぶ風情が何ともイイし、それだけで海まで美しく見える気がする。
このクリストファーがクリケット好きだという情報を入手して、彼らは「クリケットってなんだ?」状態。またもやインターネットで一生懸命情報を入手して、ユニフォームから道具から手作りして、丘にガタガタの白線を引いて(風にあおられて防護メガネごと粉だらけになっちゃうのがオカしい!)、キテレツなフォームで球を投げて、もう懸命なの。ハッキリ言ってヨボヨボ状態でハラも出たおっちゃんたちが、真っ白のユニフォームに身を包んで必死な様がもう可笑しくて。
でも、船で島に向かったクリストファーが船上で彼らの試合?を見て狂喜するんだから、ビックリ、作戦は大成功!なんである。いや成功すぎる。クリストファーは試合をぜひ見たいと、ムリヤリ上陸してくる。ルールなんて全然判ってない彼ら、とにかく形だけの急ごしらえだったからもう慌てちゃってどうしよう!?ハッと思いついて、ウオー!と歓声上げて両手突き上げて、クリストファーを案内していたジェルマン「残念、終わりましたね」(笑)敵も味方もなく喜んでいる様子に(打ち合わせしろよー!)クリストファー目を白黒させつつも仕方なくあきらめ……。

クリストファーに提供する家には、盗聴器までしかけちゃうのだ。旧式の電話交換機である。彼の電話は逐一盗聴されて(ヒデエ……)その情報は島中に知れ渡ることになる。この島にたった一人で来て、おいてきたカノジョが恋しい彼はしょっちゅう電話をし、そこで細かい情報をもたらしてくれる。でも恋人との電話だからね、ラブラブセクシーな会話に、盗聴係のオバチャンたちはもう釘づけなわけ。だってあわやテレフォンセックスかってな会話もしちゃうんだもん。もう目をギラギラさせてのめりこむったら(笑)。「マシン?マシンッて何ッ!?」と音量つまみを大きく回したら、大ノイズが発生して甘い会話を楽しんでいたクリストファー、椅子ごとひっくり返っちゃう(笑)。次の日にはクリストファーの「マシン」が島中の女たちの話題になり(知らないとはいえ気の毒に……)、その愛撫の会話が足に執着していることに目をつけたジェルマンが女たちに足の露出を命令、女たちは素足に華奢なサンダルなぞはいて、クリストファーの目の前をしなつくって歩くんである(笑)。あるいはクリストファーが恋人のビーフストロガノフを食べたいと言うと、少年がレストランに走って走って「ビーフストロガノフだ!」クリストファーがレストランに到着すると、壁に貼られた特別メニューにビーフストロガノフがあるってわけ。

この島にはただひとりすっごい美女がいてね。郵便局で彼らに手紙を渡すエヴである。こんな美女なのに島の男たちは目もくれないのが凄いけど、ジェルマンの回想にもあるように、彼らは基本的に奥さんを皆しっかり愛してるし、やはりそういう色気が出るには生活の余裕がないと難しいのだ。だってそれまでの彼らはうつむいて生活保護を受け取るだけ、そしてクリストファーが来ると決まってからの彼らは、とにかくクリストファーを騙すことに必死になっていて、そのはざまでぽつんと存在しているこのエヴというのはとてもミステリアスに映る。彼女ももちろんこの大ハッタリに加担しているんだけど、色目を使ってくるクリストファーに何も言わず、それどころか「恋人のいる男はお断わり」とけんもほろろなんである。すっごい巨乳なんだよねー、それでいて身体が細くて。キイイーッ。

クリストファーが着任した日、医者を待ちわびていた島民がズラリ並んでいるのを見て彼はうろたえる。一日中必死に患者を診て、ジェルマンに疲れたよなんてコボすもんだから、ジェルマンは集会で激怒、水虫なんてしつこく見せるな!これからはオレが抽選する!(ええええー)と言ったらみんないっせいにザッと手をあげる(笑)。工場のことだけでなく、本当に島民たちは医者を必要としていたんだよね。
あんなこと言いつつ、本当はクリストファーは充実感を感じていたのだ。ここでは本当に医者が必要なんだと電話の向こうの恋人にアツく語っている。……でもその恋人はどこかよそよそしい。忙しいんだね、ゴメンね、などといってクリストファーは電話を切るんだけど……。

クリストファーもまた、そういう点ではこの島民たちと共通する部分があったのかもしれない。確かに仕事はあった。医者という仕事はエリートで、満足もしていた、と思っていた。でも彼の仕事は、整形外科と言ってるけど話の内容じゃなんか美容整形っぽくて、金持ちの自己満足のために切ったり削ったりすることに虚しさを覚えていたらしいのだ。ここでは医者として本当に尊敬されて感謝されて、そのことがとても嬉しかったに違いない。
んでね、ジェルマンが、クリストファーにこれを強調するんだ!とちょっとボケ気味のじいちゃんをけしかけて代理医者の話をさせるんだけど、でもこれはウソというわけではないらしいの。代理医者というのは一刻を争そう時に傷を縫うのがなんと肉屋だという(!)。だからヒドい傷跡を持っている人が何人もいるの。このじいちゃんはともかく、その次に傷跡をクリストファーに発見された女性は、そのことは話したくない、代理医者ってなんのこと?などと頑なに口をつぐみ、なかなか真に迫るものがあって……って、ホントなんだろうけどさ(笑)。

クリストファーに父親がいない情報をゲットして、ジェルマンが彼を釣りに誘い、「私の息子も生きていれば君と同じぐらいだった……」などと言う場面も爆笑なんである。だって、ウソだもの。子供がいるかどうかはちょっとさだかじゃないんだけど(現時点では夫婦二人)、とにかく息子が死んでしまったなんて大ウソなんだもの!ワザとらしくクリストファーの頭をぐしゃぐしゃなでたりしちゃってさー!だけどクリストファーってば、ああこの人も!みたいな顔してジェルマンを見つめるもんだからもう笑っちゃう。しかも釣りがヘタッピなクリストファーを喜ばせるために、船の下には釣り針に魚をかける水中部隊が待機!「大物だぞ!」と釣り上げてみたら、おいおい、凍ってるじゃないのッ!「深い海の底は冷たいからな」ってどーいう言い訳よッ。凍っててエサにかかるんかい!でもクリストファー納得しちゃって「初めて釣れた!」とジェルマンと抱き合って大喜び。……か、カワイイ……。

こうして首尾よくクリストファーはこの島に魅せられていく。……でもジェルマン、多分間違っていたんだよね。いやこんな大ウソ間違ってるに違いないんだけど(笑)そうじゃなくて、クリストファーがこの島にいたいと思ったのは、やっぱり必要とされる医者になりたいと思ったからなんだろうし。
その点に関してもジェルマンたちはきっちりと布石をうってるんだけど……つまりただ島を好きになってもらうだけじゃツメが甘い、とニセの医者を用意して、もう一人候補がいるんだとばかりにクリストファーに診察を休ませちゃったりして、今までただ一人必要とされていたクリストファーは明らかに焦りの色を見せる……自分が必要とされていることにどれだけ充実感を味わっていたかを、思い知るわけで、なるほどジェルマンのこの計画は当たったのだ。
しかもその最中に彼のカノジョが3年にもわたって彼の親友と浮気をしていたことが発覚、別れてしまう。そのことを盗聴したオバチャンたちは「これで街への未練がなくなった!」と報告し、ジェルマンたち共々大喜びなんだけど(オイオイ……)酒場ですっかり落ち込んでいるクリストファーをなぐさめようとジェルマンが隣りに座ると、クリストファーはこう言うのよ……「これまでの三年間はずっとウソだったんだ。その間の僕の人生は何だったんだ……」思いっきり思い当たることを言われて、戸惑いを隠せないジェルマン、ここが一押しだと思って来たに違いないのに、何も言えずにそっとその場を去る。

工場誘致はもうひとつの問題を抱えていた。ライバルの島が現われたのだ。そこはリベートを5万ドル支払うという。その上実はこのサントマリ・ラモデルヌ島は人口の条件を100人下回っていた。
5万ドルに関してはこの島の唯一の銀行員であるアンリの奔走が泣けるんだよね。16年この島で銀行員をやってきた誇りがある!と彼は半ばジェルマンたちに脅しつけられながらも(笑)、本店に融資をかけあうんだけど、何度もハネつけられる。しまいには「その島は別にね……」何を言われるか察知して、「言うな、言うな……」とつぶやくアンリ。「ATMでもいいのよ、アンリ」言われたー!とガビーンときて、電話を切ってしまうアンリ。お前なんかただのATMじゃないかとずっと揶揄されて、そうじゃないことを証明したいがために頑張っていただけに、ついに本店からも言われてしまったこの台詞に大ショックのアンリ。カワイソ……。
彼がねどうやって5万ドルを作ったか、判んないんだけど、とにかく銀行員は辞めてしまったらしい。多分、その後にはATMが来るんだろうと推測される。5万ドルプラス彼の土地を売った5千ドルをジェルマンに差し出す。失業してしまった彼もまた背水の陣、何が何でも工場が来なければ困るのだ。

で、もうひとつの問題。本当にこの島に200人以上の人口がいるのか、調査員が視察に来る。本当は100人ちょっとしかいないこの島、ジェルマンが打った作戦がホントかよっていうギャグ的でね!まずカフェに島中の人間を集めて、ガヤガヤとにぎわっているところを見せる。「ここに何人いると思いますか?」「100人ぐらいかな」「ではこちらへ」とジェルマンが調査員を伴って店を出たとたんに島民大移動!暗い夜道を大勢でダアーッ!と走って教会へ!ゆっくり案内するジェルマンが調査員と共に着くと、そこではビンゴ大会で大盛り上がりの100人!おいおいおいー(笑)。しかしこれで大成功!と思いきや、カフェに帽子を忘れた、と調査員が言い出すからタイヘン!また慌ててカフェに戻ろうとする島民だけど間一髪間に合わない!カフェに戻るとクリストファーと、彼にいつもジャズを聴かされてる青年が二人すっかり酔っ払ってこちらを振り返る。「……みんなは?」「7時になると、テレビのショーを見るんだ」最高!

そうそう、このジャズを聴かされる青年、ね。この島では音楽好きだからとこの役を抜擢されるんだけど、クリストファーの聴くジャズはかなりのフリージャズで、その騒々しさに青年は裏で顔をしかめてる……なのに、クリストファーをこのまま騙し続けるのかっていう集会を開いた時彼は、何かすっかりジャズが好きになっちゃってるらしいっていうのが、笑えるんだよね。いや微笑ましいというのかな。お前ら親友になってるんじゃん(笑)。
そう、ジェルマンがクリストファーのグチを聞いて、自分たちはこのまま5年間彼を騙し続けることが出来るのか、いやさ、本当にそれでいいのか、と集会を開いて島民たちに問いかけるのね。そこへふいとクリストファーが入ってくる。「君たちに言いたいことがあって……僕はこの島で医者になりたい」ジェルマン、何とも言いようのない顔をして、「いや……すまない。もう一人の医者と契約した」と言ってしまう。何も言えない他の島民たち。クリストファーは悄然と出て行ってしまう。

ジェルマンも、そして島民たちもイイ奴らなんだよなあ。だって工場誘致のためにここまで頑張ったのに、クリストファーを傷つけることになるんだって気づいて、それまでの努力をふいにしてしまったんだもの。で、クリストファーは別れの挨拶に行ったエヴから初めて食事に誘われ、今までの全ての事実を知るんである。
クリストファー、乗り込む!そこはあの調査員との契約交渉の真っ最中。肝心の医者との契約書がない、とモメているところだった。僕を騙してたんだな、なぜみんな僕に真実のことを言わない!と激昂するクリストファーを追いかけてジェルマン、「真実は、122人の島民が生活保護をもらって暮らしていることだ!」あッ、122人って言っちゃった!でもそのあたりはテキトーにごまかして(笑)。この島が決して美しくてのんびりしている島じゃないこと、皆が仕事を熱望して必死だったことを、もうぶちまけちゃうジェルマンに、クリストファーはこう言うの。「クリケットを覚えるか?」ひと時の間の後、ジェルマン、「ノン!」えッ?いいの、そんなこと言って!でもクリストファー、ニヤッと笑って、「僕がここの医者になる」思わぬ大どんでん返しにジェルマンたちは大喜び、クリストファーと抱き合って喜ぶ、喜ぶ!

やっぱさー、自分にウソをつき続けることを止める決心をしてくれたことと、真実を言ってくれたことがクリストファーにとって大きかったんだよね。この島では確かに彼にさまざまなサービスをしてた。アンリの自腹で毎日同じ道でお金を拾わせたりなんてことまで(笑)。でもそんなことは、島を好きになるきっかけにはなっても、人々を好きになるのとは別なんだよね。
それにやっぱりエヴも目当てに違いないし。すっかりこの島になじんで長靴姿で釣竿片手に闊歩するクリストファー、エヴに声をかけるも、桟橋でヨガみたいな体操してる(胸が強調されるー)エヴは知らんぷり。でもクリストファー、めげない。「いいさ、あと5年もあるんだし」これはエヴの、5年後も引っぱる作戦かも??

カワイくて切実で、ホロり加減が実に絶妙でニッコニコ。ああ、良かった!★★★☆☆


オーギュスタン 恋々風塵AUGUSTIN, ROI DU KUNG―FU
1999年 89分 フランス カラー
監督:アンヌ・フォンテーヌ 脚本:ジアンヌ・フォンテーヌ/ジャック・フィエスキ
撮影:クリストフ・ポロック 音楽:リ・マー/オリヴィエ・レブ
出演:ジャン・クレティアン=シベルタン・ブラン/マギー・チャン/ファニー・アルダン/アンドレ・デュソリエ/ダリー・コール/ベルナール・カンパン/ポーレット・デュボスト

2005/6/25/土 劇場(渋谷ユーロスペース)
これの前作である「おとぼけオーギュスタン」は結構好きでね。それにしても続編って、あれからもう何年よ!と思っていたら、本作自体が1999年製作のものだったということで。えー、なんで日本公開までこんなに時間がかかったんだろう。「おとぼけ……」は割とヒットしてたし、それなりに覚えているファンもいたと思うし、何より何よりこの作品にはマギー・チャンが出ているというのに!

そう、マギー・チャンが出ている!おっど、ろいた。「イルマ・ヴェップ」もそうだけど、フランス人に彼女は人気があるのだろうか……と思っていたら、ホントにそうらしい。カーウァイ監督作品で人気があるらしいのね。なるほど、実に納得。彼女って彫り深い美しさというんじゃなくて、アジアの美しさをよく映した女優さんだし、何たって演技がバツグンだし、そう、彼女の繊細な演技は、確かにフランス人にはウケがいいかもしれない。そして「イルマ・ヴェップ」のアサイヤス監督と結婚(後に離婚)してからは、本格的にフランス映画界に進出しているということだし。あー、やっぱりマギーは凄いなー。

でも彼女は、その始まりはジャッキー映画だったんである。ジャッキー映画のヒロインとして、若き日のマギーは泣きながら慣れないアクションに悪戦苦闘の毎日だったんである。ということを知っているジャッキーファンでもある私も含めた多くのファンは、本作には特別の感慨を抱くに違いないんである。だって、このオーギュスタンはカンフー映画に夢中で、ふらりと入った映画館でやっているのはジャッキーの出世作、酔拳なんだもの!(待ち続けたけど、ジャッキーの名前「成龍」の文字はついに出ず……いいんだけどね、画面に彼が出ているんだから)。マギーの漢字名、張曼玉を見たと思ったのは(時代的にまだまだ早いから)カン違いだったのかなあ、それとも遊び心でこのクレジットに付け加えたのかしらん。
だから私はてっきり、そう、「イルマ・ヴェップ」のように劇中本人の役かと思ったら、違った。この「酔拳」の画面には本作のタイトルである中国タイトルもちゃっかりと後づけされているという遊び心である。そしてマギーは本作で、中国に恋するオーギュスタンがそれを重ね合わせて恋してしまう“パリの中国人”鍼灸師のリンなんである。

それにしてもおっかしいの、オーギュスタン。この味はまさに健在。これはコメディだし、彼は無論笑わせる存在なんだけど、爆笑させるとかじゃないの。クスリと笑わせるでさえない。あのね、彼の笑いは苦笑なんだよね。吹き出しちゃうほどの可笑しさも、苦笑、なんだよね。そのシニカルな笑いは言われるようにMr.ビーンに似てなくもないけど、このオーギュスタンには彼ほどの頑なな強さがなくて、まず情けなくて、弱いの。思い込みは激しいんだけど、あっさりと崩されちゃうようなところで笑っちゃうから、“苦笑”なんだよね。

俳優志望のオーギュスタンは日々オーディションやエキストラ募集を探して電話攻勢に余念がない。しかしその一方プライドが高いのか、すぐ来いと言われると断わってしまったり。電話攻勢はすごいけど、公衆電話ってのがね……(製作された1999年は、携帯電話はもう普及してたよね?)。せっかく端役にありついても、台詞もろくに覚えられずにNG続きで、大スターを待たせまくる始末である。でも全然気にしてなくて、その大スター(ファニー・アルダン!!)にカンフー映画に出る夢をアッケラカンと語っちゃうんだもんなー。そう、カンフー映画に夢中のオーギュスタン、入った劇場で「酔拳」を観ながらおもむろにマイクを前の椅子にセットする。そのマイクをつなげた先はいつの時代のよ、って感じのでっかいテープレコーダー。映画の音を録音(録音って!)し、持ち帰って、音を聞きながらスクリーンで観たジャッキーのカンフーを復習するんである。あ、あのね、あのね、あのね!おまいは関根勤かッ!気合いばかりでぜっんぜん様になってないじゃないのッ!身体がやせぎす過ぎて、手足がひょろひょろ過ぎて、その目はいつでも黒目が上に浮かんでて下に白目部分が多いし(説明しすぎだけど、この目がとにかく可笑しいんだもん!)ぼってりとした口をいつも物憂げに開けているのも、あー、とにかくそんなんでジャッキーのカンフーとかやらないでー!可笑しすぎるから!しかしそんな彼のもとに、映画に出てくるカンフーマスターが降臨する。本場で修業しろ、と。

それで彼が向かうのがさあ……てっきり中国かとおもうじゃない。普通、そう思うって。次のシーンは空港か、それともいきなり天安門広場だったりして?などと予測するこっちを裏切りまくって、パリのチャイナタウンってどーゆーことよ!まあ、自転車で向かった時点であれ?ては思ってたけど……このあたりがオーギュスタンの“苦笑”大全開なんだよなあ。
でもチャイナタウンっていうのは独特の趣がある。チャイナタウンって、どこの国にもあるでしょ。それが中国人のバイタリティの凄いとこだって、ホント思うよね。中国人はどこの国でもその国に文化的影響を与えてるんだよね。オーギュスタンはそれこそ、その典型的な影響された例と言えるのかもしれない。
“ホテル上海”に居を求めた彼は、カンフー道場の門を叩く。「僕はベテランですよ」とか言いながら独学の型を見せるオーギュスタンのヤー!てな感じのヘタレっぷりに、ここはさすがに苦笑を通り越して(でも苦笑が前提なんだけど(笑))大爆笑。果たして修行を始めるオーギュスタンなんだけど、型で腕をゆっくり回してたら目の方が回っちゃって、キモチワルイー、となっちゃったりとか、もう徹頭徹尾ヘタレまくりで可笑しすぎだって!それに彼ってば接触恐怖症なの。人と肌を触れ合わせることが出来ない。そんなんでカンフーなんぞやれるわけがない。それこそ一人でマネしてる分には良かったんだけど。
こんなおとぼけな風貌のオーギュスタンが接触恐怖症だなんていう、どこか自意識過剰な症状を持っているっていうこと自体にうすーく笑いがもれちゃうんだけど、全ての生活を捨ててここまで来たオーギュスタンにとってこれは深刻な事態である。
そして、オーギュスタンは鍼灸師、リンの元を訪れるんである……。

リンはパリに来て間もなく、フランス語も心もとない。オーギュスタンの症状には精神的なものがある、と見て取って、鍼治療を始める。「フランス人の患者は初めてよ」と。この狭い中国人社会の中で、少々の孤独を感じているようにも見える。
そこは、同じように、中国文化に憧れ、中国人になりたいとさえ思っているようなオーギュスタンと、不思議に符合するものがあったのかもしれない。
正直言って、マジメで美しいマギーと、この、ホントにおとぼけなオーギュスタンが恋に落ちるなんて、ありえない、ありえない、とか思ってたんだけど、これが結構、プラトニックながらもマジなラブストーリーだったりするんだもん。
美しいとか言いながらも、ここでのマギーはかなり地味である。ブラウスにカーディガン、ブラウスの下からは白いシャツなぞのぞいて、正直かなりダサかったりする。あれ?マギーってこんなにサエなかったっけ、とか思うんだけど、シーンが変わってパーティーの場面でちょっと紅さしたり、何より後半、数年後の設定で出てくる、ドレスアップして洗練された彼女はハッとするほど美しく、まさに女優、マギー・チャンなのだ。

おっと、ちょっと話が先走りすぎちゃった。だから、オーギュスタンとリンはこうして出会うわけ。接触恐怖症ながらも、治療として彼女に触られるのは何とか問題ないらしいオーギュスタン、「目をつぶって」と言われて「両目を?」と返すのには、彼が真顔だけにさすがに吹き出しちゃったけど、鍼を顔中に刺された状態でフツーにリンと穏やかに会話している方がもっと可笑しいかも(笑)。しっかしさ、リンもちょっとおかしいのよ。本見ながら治療すんだもん。「あなたの症状は本には出ていない」とかさ、ツボも「きっとここよ!」なんて言っちゃったりして。おいおい、実験台かい!?それは、最終的な治療の場面でなんだけど、その治療で身体が熱くなったのか、息苦しくなったのか、オーギュスタンはその場から逃げ出してしまうんである……。

おっと、これまた話を急ぎすぎちゃったかな。その間にもいろいろあるのよ。オーギュスタンは大好物のブロッコリーを蒸すためにせいろを買った、その中国雑貨屋に積極的にアピールして職を求め、勢いで、タダ働きでいいです!なんて言っちゃったとたんにオーナーの目がキラリと光り、タダ働きとして入ることに。そこの店長のレネは最初こそ彼を煙たがってたけど、その店の中で一番高い、しかも趣味の悪い(笑)商品を見事売りさばいたことオーギュスタンを見直し、それ以来ミョーに面倒見がイイんである。オーギュスタンとリンとの関係を気にしたり、彼に、「君は魅力的だ」と言ったり、アパートに招待して果ては彼をそこに住まわせ、「他人と一緒に寝るのは久しぶりだ」(いや、寝床は当然別よ!)と言って、就寝前にうなじに香水なぞふりかけまくったり、共同生活では恋人がごとく面倒を見たがったりして……何かだんだん、怪しくなってくるんだよね。

最後の鍼治療で逃げ出したっきり姿を見せなかったオーギュスタンを心配したリンが、わざわざ彼の働く店まで来てブッダ教会のパーティーに誘いにくる。ブッダ教会とはこのチャイナコミュニティにあり、リンがフランス語を学んだりしている場所である。オーギュスタンもそこで中国語を個人教授してもらってる。
あ、そうそう、そこの語学教師の男性が、みょーにリンに近づいてるんだよね。表向きは中国を題材にした小説のアドバイザーとして、と。どうやらオーギュスタンと負けず劣らず中国オタクらしい。でも彼は結婚してて、オーギュスタンから問い詰められても、自分は妻ひと筋だから、と言うのよ。実際、この人がリンとなにかマチガイを犯すってわけじゃなくて、彼の妻も何ひとつ疑わないあたりがご都合主義っぽくもあるんだけど、何よりオーギュスタンとリンがお互いの気持ちを確かめ合うことも出来ずに離れ離れになってしまう原因を作るのが彼だったんだよね。

このパーティーで久しぶりに会ったオーギュスタンとリン、接触拒否症が治ったかどうか試してみよう、とリンからダンスに誘われるオーギュスタン。しかしそこで彼は昏倒してしまう。それは病気が治ってなかったわけじゃなくて、彼が彼女のことを好きだったから、いつもよりもドレスアップしたリンは花のようにキレイだし。だから異常に緊張してしまったに違いないんだけど。
でもついてきていたレネは、怒っちゃうのね。あなたが彼に与える影響力を理解していない、と。何かね、それはやっぱり嫉妬のように思えるんだ……レネはリンをオーギュスタンに会わせようともしないし、リンが「明日の夜、カフェで待ってる」とオーギュスタンに残した言葉も伝えない。これで二人はすれ違い、その後、リンへの気持ちを思い知ったオーギュスタンが彼女に会いに行くと、あの語学教師と抱き合っているリンを目撃してしまって……でもそれは、オーギュスタンがカフェに来なかったこと、そして彼のことが気になって仕方なくて哀しくなってしまったリン、ってだけだったのに。あの夜、当然来ないオーギュスタンを待ち続けながら、泣きそうになるのをこらえるように煙草を空吸いしてるマギーが、彼女は全編全力投球だけど、本当にシリアスに、哀しくて。

そして、オーギュスタンはレネのはからいで、本場、中国に旅立つことになる。最初からそうすれば良かったのかもしれない……。

オーギュスタンが彼女への思いを再確認したのが、またあのカンフー映画を上映している映画館だったてのが、心憎い。彼が劇場のスクリーンの中観るリン、ホントに当時のマギーかと思っちゃったよ。だって使われてるの、あれ、リー・リンチェイ(ジェット・リー)の若き日の映画じゃないの?きっちり巻き巻きの髪形にチャイナ服、きっちりメイクの彼女は匂うように美しくて、スクリーンの中に入り込んだオーギュスタンと思い入れたっぷりのキスを交わす……いやー、映画ファン、永遠の夢だよね、こういうの。

オーギュスタンは自転車を愛用しているんだよね。それも妙に姿勢よく乗ってる。背中まっすぐよ。それは、中国が語られる時によく映像で出る、自転車の群れの、その人々に良く似ている。なんだろ、バランスを上手くとらなければちゃんと乗れないような安っぽい!?自転車に乗ってるっていうか、妙に曲芸的な可笑しさがあるんだよね。
オーギュスタンはホントにどこに行くにも自転車を手放さない。上りエスカレーターに乗ってるな、と思ったら、自転車をたずさえてぽん、と降りたりするのが妙に可笑しい。
それが彼が本当に、本当の中国に行くという伏線にもなっているのが、イイんだよね。
中国に行った彼、自転車の群れの中に紛れ込んで、まるで違和感がないんだもん。笑っちゃうぐらい。そして彼はそこで中国美女と結婚し、当然なんだろうけどやたら中国語が流暢になってるのも可笑しい。自身のカンフー映画出演の夢は、この中国美女の奥さんとの間に生まれた息子に託したらしく、息子は父親を完全にしのぐ見事なカンフー型を披露する。その姿を目を細めて見てるオーギュスタンに、キュンと胸がしめつけられる……かもしれない(笑)。息子はまんま中国人顔で、フランスとのハーフとは到底思われないけど。

パリのフランス人だったオーギュスタンは、リンのようなパリの中国人がうらやましく、そうなりたいと思ったけど、できなくて、中国に渡って、中国のフランス人になった。いや、今や、中国の中国人と言っていいのかもしれない。こちらも結婚してすっかり洗練され、フランスのフランス人と言ってもいいぐらいのリンが「今も彼のことを思い出すんです」と言っているのを聞いたら、オーギュスタン、どう思うんだろう。

いやー、結構、マジなラブストーリーだったなあ!★★★☆☆


オーシャンズ12OCEAN’S TWELVE
2004年 125分 アメリカ カラー
監督:スティーブン・ソダーバーグ 脚本:ジョージ・ノルフィ
撮影:ピーター・アンドリューズ 音楽:デイビッド・ホルムズ
出演:ジョージ・クルーニー/ブラッド・ピット マット・デイモン/キャサリン・ゼタ=ジョーンズ/アンディ・ガルシア/ドン・チードル/バーニー・マック/ジュリア・ロバーツ/ケイシー・アフレック/スコット・カーン/ヴァンサン・カッセル/エディー・ジェイミソン/カール・ライナー/エリオット・グールド/シャオボー・クィン

2005/2/15/火 劇場(錦糸町シネマ8楽天地)
今回のコレはちょっとキビしいよねえ。いや、私の頭が悪いだけだったのかしらん。うーん、そういう可能性も十分にあるが(……)難しいよ。最後にカラクリが一気に披露されるまで、何か、さっぱり判んないんだもん。伏線の映像だらけ。そういうのもアリだとは思うけど、せめてひとっつぐらいが私にとっては限度です。それに、うーん(うなってばっかり)今回って、今回って……胸が、すかないよね。リメイクであった前回は泥棒モノの王道を行く、ビシッと盗んであースッキリ、みたいな。で、爆発だのなんだののハリウッド大作風ヤボな部分もなくスマートに、いやあ、いいね、シャレてるね、素敵!でさ。でも、今回は、……あー、でも、最初からこれが狙いだったみたいだけど、つまり、今回のオーシャンたちは上手く行かない、いっつもつまづいちゃう、っていうのが。でも、それって、アイディアとして言うほど面白いのか?特にこういう性格の映画の場合、面白いのかあ?

それに、同時進行している要素が多すぎて、それも判りにくい原因になってるし。金を盗むことだけにストレートに邁進していた、これこそが泥棒映画じゃなくちゃいけないよね、っていう前回は、ま、それでもオーシャンとテスの復縁物語ぐらいはそりゃあったけど、今回はメインで三つ、プラスアルファ、ぐらいに同時進行してるでしょー?まずそもそものはじまりで、オーシャンたちが再結集しなければならなくなる、ベネディクトの復讐、そんでもって、ラスティとユーロポール捜査官、イザベルのラブストーリー、っていうのが、それぞれに絡みながら同時進行し、ヨーロッパ一の大泥棒、ナイト・フォックスがオーシャンたちの仕事に、対決しよう!ときて、もう既にアタマゴチャゴチャになってくる。うう、なんだなんだ、と思ってると、つかまったオーシャンたちを出所させたのがFBIかと思いきやライナスのお母さんで、しかるのちにイザベルのお父さんがナイト・フォックスのお師匠さんである伝説の泥棒であり……ああ、もう、そりゃ盛り込み過ぎだって!そいでもってオーシャンズだけでも多いのに、また色々とプラスアルファなキャストが続々と……助けてー。

キビしい。それはもう最初から。ベネディクトが自分のカジノから奪われた金を(保険でおりているにもかかわらず)絶対取り戻すもん!とばかりにその執拗な復讐心で全世界に散らばっているオーシャンの仲間たちをそれぞれ探し当てて脅しあげるんだけど、これに実にたっぷりと時間を使ってくれちゃって。もうすっかりオーシャンズの顔も名前も忘れ果てていたこっちとしては(復習しとけばよかったのかなあ)実に12人分、現在の彼らの状況を次々見せられるもんだから正直何が起こっているのか判らず、このことがメインの話につながっていくのかもしれないと焦りながら画面をつぶさに見続けるんだけど、当然ながら別にそういう訳ではなく、既に最初から頭が混乱気味。それにしても盗んだ金を、しかも利子つきで返せと言われて、すんなりそれに同意しちゃうあたりがオマヌケなんだけど、そこらあたりもさらりと流すもんだから、そのオマヌケの面白さも全然追及されなくって、あ、何かいかにもオーシャンの次の仕事をつくるためのきっかけだあ、って感じ。このオマヌケはよく考えてみるとホントにオマヌケで、結構面白いと思うんだけど、誰一人そういうことをツッコまないんだよね。

うーん、それに、アメリカでは顔が割れているからというだけの理由で、ラスティの提案に従ってあっさりアムステルダムに行ってしまうのもどーなのかしらん。ラスティはだって、イザベルに会いたかっただけでしょ?ある日偶然運命の出会いをした(ってあたりも……)彼女がアムスにいるから、どっか思いつきみたいに言うと、皆、何の疑問もなくついてっちゃう。別にそこに大きな仕事が待っているというコトもなかったのに、行っちゃう。えー?そんなん、アリなのー?
だからとりあえず行っちゃった後は、何か小さい仕事をもらって、あとはベネディクトに交渉するしかない、とかなんとかショボい話になってくる。とか言いつつその後はヨーロッパの大泥棒、ナイト・フォックスが彼らに挑戦状を叩きつける形で大仕事が舞い込んできたりして。うーむ、さすがにこれは素敵なご都合主義とかのんきに言う気にはなれないなあ……。

で、そのイザベルに扮するのが今回のプラスアルファ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ。髪を肩までバッサリ切った彼女は、今までのハリウッド風ベタなスターっぽさが払拭されて、こざっぱりと、さらりと、イイ感じである。それにしても彼女イギリスだったのね。何かめちゃめちゃハリウッドスターっぽいけど。ブラッド・ピット演じるラスティと恋物語を繰り広げる彼女、どっちかっつーとラスティの方が彼女にホレている感じで、彼女は何たって敏腕捜査官だから、ラスティに心を寄せつつも、オーシャンズと、そしてナイト・フォックスを捕まえることを何より優先している。そのためには書類の不正だってやっちゃう。しかし彼女の父親はナイト・フォックスの師である大泥棒だったわけで……。

そんでもって、このナイト・フォックスに扮するっていうのが、フランスからのゲストさんであるヴァンサン・カッセル。富豪という仮面に身をやつして、だから金が目的というより、その才能とヒマをもてあまして泥棒家業で自分を誇示している、というヤツである。そーいうヤツだから、お師匠さんがオーシャンズをホメたことでキレちゃって、自分が一番だ!ということを証明する為にオーシャンズと対決しようとするわけ。狙うは国宝級の“卵”えーと、あれはどういうシロモノだったんだっけ?何かキレイに宝石でほどこされている卵状のヤツです、よく判らんけど。これの展示はとにかく警備が厳重で、最新のセキュリティに囲まれてて、盗むのがヒジョーに困難だというわけなのね。
ナイト・フォックスはこれを見事盗み出すんだけど、実はそれはレプリカで、本物はすでにオーシャンたちの手に渡っていた……ていうオーシャンたちの行動が伏線映像になってて、後にナイト・フォックスにオーシャン自らナゾを明かしてあげるんだけど、これが最も判りにくくて。伏線映像だから、その時には彼らがなぜそういう行動を取っているのか、カバンの中身のこととか、当たり前だけど全然触れられなくて、え?今のはなんだったの?どういうこと?とかコンランしているうちに次に進むもんだからさあ。ま、気分としてはアレね。劇中で若手テストされちゃうライナスと観客は同じような立場なのかもしれん。

でもさあ、このナイト・フォックスがレプリカ(とその時点で彼は判ってないわけだけど)を盗み出したことを自慢げに話すところ、あれって見栄からくるジョークかと思ったけど、マジなの?クネクネダンスでアトランダムに照射されるレーザー光線をかいくぐっていくというやつよ。そら、だからこそ彼は天才的な怪盗なのかもしれんが、それに彼がそういうトレーニングをつんでるところも一応見せられはするけど……でもこれって、ジョークにしか思えないんだけど。うー、ルパンだってさすがにこんなことしないと思うよー。

今回でいっちばんは、やっぱり何たってジュリアがジュリアのニセモノに扮するところ、だよね。まー、かなりの身内ネタですけど、ハリウッドスターの身内ネタだから、そりゃ観てるこっちはソーゼツに面白い。なんかワケ判らんうちに指名手配されて、美術館に入る前にアッサリつかまっちゃったオーシャンたち。で、何とか逃げおおせたライナス以下三人は、自分たちだけで“卵”を盗み出すために、オーシャンの元妻にして現妻、テスを呼び寄せるのね。最初、何を言ってるのか判らんかったのよ。「彼女似てるだろ」とか「でも南部訛りじゃない」とかね。つまり、ジュリア・ロバーツに似てるんだという……って、当たり前だろッ!あー、びっくりしたよ、ホントに。で、その時(というか、この映画が公開されるあたりは、ってことだろーなー)ジュリアは妊娠中だから、ということで腹ボテになって帽子かぶってサングラスで、ジュリア本人だと思っている(って、本人だもん!)ギャラリーにキャーキャー言われながらホテルに入ると、なんとそこにはブルース・ウィリスが!(こちらはニセじゃなくてホンモノの、ホンモノ役)テスがブルース・ウィリスに久しぶり!と抱きしめられて、目をグワッと見開き、「大好き!」と言うあたりは笑ったなあー。演技の出来ない女、を演じるジュリアの上手さ。それにしても彼女、やせたねー。もともと痩せてたけど、顔なんて頭蓋骨の形そのまま出てるみたい。
共通の友達に電話で話させようとしたりするから、もうテスはあわてまくり、そこを「携帯電話の電磁波は胎児に良くない」とかもっともらしくお仲間のソールがご登場。んん!?えらくまた突然出てきてびっくりしたんだけど!

結局、その前にオーシャンたちは“卵”を手に入れていたわけだし、いわばイザベルのワナに自らかかって捕まった、てわけよね。ライナスのお母さんがFBIに化けて、書類を偽造していたイザベルを半ば脅すような格好でオーシャンたちを移送(逃がす)するって形。またしてもライナスはオーシャン&ラスティに遊ばれちゃったワケよね。
というのは、実は今回はもう最初っからでね。ライナスはいつまでもペーペーじゃなく、今度こそ自分が前に出たい、と必死なのよ。そんなに言うなら、ボスを怒らせないよう、交渉しに行こう、とオーシャンとラスティに連れてかれたところでの会話が、隠語で話しているのかちんぷんかんぷんで、ライナスが思いつきで言った言葉が実は大変な意味になっちゃったと二人にどやしつけられる、という……。遊ばれているとも知らんと必死についていこうとするライナスの表情ときたら、もう万年下っ端若手みたいなマット・デイモンの真骨頂で実に最高に笑える。しかし、このゲームというかなんというか。後に彼らを出所させにきたニセFBIの、ライナスのおっかさんが、「マツイ」そして「あのロスト・イン・トランスレーションよ」と言うでしょ。つまりさっぱり通じなかった会話のアレよ、と。「ロスト・イン・トランスレーション」といえば「ロスト・イン・トランスレーション」よね(しつこい)。えー?あの映画って、そんな、こんな風にメジャー映画の中でキーワードとして語って判っちゃうぐらい、向こうでヒットしたっていうこと?そ、そうかー。日本のイメージはああやって伝わっちゃってるのか……。

あ、あと、本筋には殆んど関係ないけど、このシーンは好きだったな。時計が狂っていたらしく、集合時間よりとんでもなく早く起きちゃったオーシャンが、もうコーヒー飲みまくって眠れないから、ラスティが仕方なく部屋に迎え入れるのね。で、二人してワインをざっくばらんに(ざっくばらんすぎるよ。注いでるの、殆んどグラスに入らなくてこぼれてるじゃないの)飲みながら、ダラダラテレビ見て、ダラダラ恋人の話とかしてる、演技とは思えないあのユルさ加減。あれはハリウッド映画じゃ見られないでしょ、普通。それと48だとか52だとか言われて憮然とするオーシャンも笑えた。不機嫌になる彼に、「いや、首から上だけだ」って……そこが問題なんでしょって!えー!本当は43!?クルーニーさん、ロマンスグレイに落ち着き過ぎだって!思いっきり素敵なオジサマ状態じゃないのお。

ハリウッドモノには珍しく、監督自ら撮影、編集を手がけてるんだけど、それをことさらに珍しがり、「俳優をないがしろにしている」とかいう説まで飛び出しちゃうあたりが、スターシステムの過剰さを物語ってるよなー。実際、この映画、ギャラだけでどこまでいっちゃうの。心配になるよなー。しかしキャサリン・ゼタ=ジョーンズがかつての大泥棒の父親と再会し、で、オーシャンたちと打ち上げ?に参加するラスト、というのは、これはひょっとしてオーシャンズ13もアリってことなんだろうか。大丈夫かなー??★★☆☆☆


ALWAYS 三丁目の夕日
2005年 133分 日本 カラー
監督:山崎貴 脚本:山崎貴 古沢良太
撮影:柴崎幸三 音楽:佐藤直紀
出演:堤真一 吉岡秀隆 小雪 薬師丸ひろ子 掘北真希 もたいまさこ 三浦友和 須賀健太 小清水一揮 マギー 温水洋一 小日向文世 木村祐一 ピエール瀧 神戸浩 飯田基祐 麻木久仁子 奥貫薫 石丸謙二郎 松尾貴史 小木茂光 益岡徹

2005/12/5/月 劇場(有楽町日劇)
国民的コミックスと言われても私は全然知らないんだけど……それに、VFX出身の監督さんというのも腰が引けたしなあ。まあ「リターナー」は見てるけど、それもいかにもそういう肩書きの上に作られたような作品だったし。私がそんな偏見があるのは多分、やはり特撮出身の某監督の映画がどーにもつまらないことがあったんだと思うけど、この人はそういう意味ではまっとうなエンタテインメントを作れる人なのね。

結構泣いたくせに、それでも、原作に助けられたせいかしら(未読のくせにっ)、などとついつい思ってしまう私はヒネクレ者なんだろうなあ。でもコミックス特有の、いくつかあるエピソードを、断絶感なく自然につないでゆく手腕はいいと思った。こういうところで気持ちが分断されちゃうと、あー、今感動してたのにー!とか結構思っちゃうから。自然にブラックアウトし、フェイドインしていく感覚が心地よい。

でもやっぱりVFXさんよねー。まあこの作品自体、いかに当時の日本をノスタルジックに再現するか、ってところにウリがあって、そこんところはVFX出身の監督自ら、いわゆる特技スタッフに丸投げじゃなくて、心血を注いでいるのがよく判る。建築途中の東京タワーがだんだんと出来上がるのをはじめ、蒸気機関車や路面電車、はては冒頭に登場する蛾を食うヤモリまでも。でもね、目が回るのよー。そうした隅々まで完璧に作られた世界を見せようという意図なんだろうけれど、特に前半、カメラがいろんなところに入り込んで動きっぱなしなので、目が落ち着いて一点を見ることが出来なくて酔いそうになるの。え?これは年だって?ほっとけ。
文学者をパロった名前にも最初のうちコンラン。本当に芥川、吉行かと思って、え?時代と関係性は……これってフィクションを元にしてんの?とかカン違いして動揺してしまう。単なる名前のパロなんだよね。でも“古行和子”まで出てきてしまうのは、いいのかなあと思ってしまったりして……。

家族のつながりもあったかいけど、他人のつながりもあったかい。ことに、身内を失ったり、貧しさから東京に就職しに来なければならなかったりといった状況のあるこの時代に、それは今みたいな冷たい時代とはまるで違って、本当に、必要なこととしてそこにあった。
芥川、の名前とソックリな茶川竜之介が酔った勢いで引き受けてしまう男の子、吉行淳之介、じゃなくって古行淳之介。そして青森からの集団就職で町の小さな自動車修理工場、鈴木オートにやってきた六子。この二つのエピソードをメインに、この街のあったかい人々とのかかわりが描かれてゆく。そしてバックには少しずつ出来上がってゆく東京タワーが見える。
二つのエピソード、ではあるんだけど、この茶川と鈴木オート(とまんま会社名で呼ばれる社長さん)とは向かい同士で、犬猿の仲というかしょっちゅういがみ合っているし、この淳之介と鈴木オートの一人息子、一平は友達同士なんで、物語が自然にからんでゆくのもいいんである。

まず最初に語られるのは六子。ちょっと大げさかな、とも思えるけれど、懐かしい響きの津軽弁。真っ赤なホッペして大都会、東京に来られたことにウキウキのように見えるけれど、彼女がその中に寂しさを抱えていることが後になって判る。
のはここではおいといて。自動車工場と聞いていたのに、迎えにきたのはボロくてちっちゃいトラックであり、ついたところは小さな家が隣接した作業場で彼女は明らかに落胆してしまう。
それを察知した奥さんが心配そうに夫である鈴木オートに言ってみると、鈴木オート、もうそれだけで激怒しちゃうんだもん。どうやら相当に短気な性格らしく、六子に怒鳴り込みそうになるところを奥さん必死で押しとどめ、廊下の、見えないところからドスの聞いた奥さんの、こんな声だけ聞こえてくるのが可笑しい。「これまで何人辞めたと思ってるの!」

それでアッサリ引き下がるあたりがこの鈴木オートのカワイイところなんだけど(笑)。自分の非を認めるとすんごく素直なのよね。この後の展開でも、六子がちっとも修理技術なんて持っていないことにイラだって彼女をウソつき呼ばわりすると、六子も負けじと、自分だってこんな小さな町工場だなんて思ってなかった。自動車工場なんて、社長さんこそウソつきだ!と応戦するもんだから(気の強さは負けてないっ!)鈴木オートもう激怒も激怒、ガラスに体当たりしてぶったおして茶川の駄菓子屋に逃げ込む六子を追っかけ、さらには彼女の荷物を二階から次々と放り投げちゃうの。でも一平が彼女の履歴書を見つけ、「違うよ、お父ちゃん!」鈴木オートが彼女の特技が自動車修理、と読んでいたのが、実は自転車修理だったと知って、鈴木オートもういっきなりしおしおとなるんだもん(笑)。しかも息子の一平に散々横目でうながされて謝るところもいい。しかもしかも、一平の顔が画面の右下、目のところで見切れているのがさらに可笑しい(笑)。

ここで、信頼関係が生まれるのね。血のつながりはないけど、家族同然の。鈴木オートは、確かに自分の見栄殻“会社”なんて書いてしまった。「でもこれから車はどんどん伸びる。大きな会社になるのだって夢じゃない。その夢を手伝ってくれるよな」と言う鈴木オートに、六子が自分は何も出来ないけれど……と涙ぐみながら言うと、「一から覚えればいいのよ」と奥さん。うーん、最初の泣けるシーンである。でね、奥さんを演じる薬師丸ひろ子ね。最近母親役が似合うようになっちゃったよね。しかも彼女、その風貌が、古い時代も良く似合うんだよね。猪突猛進の鈴木オートを支える奥さんが彼女で実にしっくりくるんだよなあ。

この鈴木オートにはテレビがやってくる場面もあり、そこに街の人々が大勢集まってくる、というのがいかにもこの時代の物語である。一平は毎日毎日、「今日テレビ来る?」とお母さんに聞いていて、どんなに楽しみにしているかわかるんである。力道山の試合が映し出され熱狂する人々。でもコンセントの接触不良で映らなくなったのを、酔っ払った茶川が「オレが直す!俺は東大を出てるんだ!」とバッラバラにしちまうんだけど(笑)。まったくダメだね茶川。
そして冷蔵庫も。まさに三種の神器が次々とそろってゆく。それというのも、その前の、氷を入れて冷やしていた旧式の冷蔵庫にシュークリームを入れっぱなしにしていて、どうしてもそれが食べたかった六子が腹を下しちゃったこともあってね。「初めて見たからどうしても食べてみたかった」というあたりがカワイイんである。でもね、こうして冷蔵庫が来て、氷屋さんが、捨てられている旧式の冷蔵庫を眺めているシーンとかちょっとグッときちゃうんだよね。

ここらへんで茶川の話に行こう。女将のヒロミ目当てに通っている居酒屋で、知り合いの子供、淳之介を預かってほしいという彼女の頼みに鼻の下を伸ばして引き受けてしまった茶川。ヒロミもまた、踊り子時代の同僚の生んだ子供を押しつけられたらしく、つまりは淳之介はヤッカイモノ扱いでたらいまわしにされていたわけで。
酔った勢いで引き受けてしまったことを激しく後悔する茶川。しがない小説家でしがない駄菓子屋の彼に、子供を育てる才覚があるわけもなく、とにかく最初は、静かにしててくれ、外に行って遊んでこいの一点張り。淳之介もきっとそれまでもそうだったんだろう、所在なく、大人のジャマにならないよう、学校でも皆に溶け込めずにただひたすらじっとしているんである。
それが変わったのは、茶川が淳之介のあこがれの少年冒険物の作者であることが判明してからだった。そのことを茶川は、純文学から脱落したコンプレックスと思っていたぐらいだったのに、淳之介の目は明らかに尊敬のまなざしになる。それというのも淳之介も創作活動などしており、ガリベンと囃し立てていた一平たちも、淳之介の書いた物語を読むやその創造世界のトリコになり、(一気にバックが近未来!)仲良し、どころか淳之介を尊敬の対象とした一段高い友達になるところが、さっすが単純な鈴木オートの息子なんだよなー。

そんな淳之介にとまどいつつも、信頼関係を築いてゆく茶川。なんといってもあのエピソードがいい。ネタにつまった茶川が、淳之介の書いていた物語をパクってしまうのね。開き直って「俺はお前を養っているんだから、お前のアイディアは俺のものだ!カネなら払うから文句ないだろ」とか言いやがる茶川には、見てる側のこっちもサイテー!とか思っちゃうし、淳之介の物語の熱心な読者である友達の一平達も盗作だ!と騒ぐんだけど、掲載誌を持って思いつめた表情で茶川を見つめる淳之介の口から出てきたのは、意外な言葉だった。「嬉しいんです。おじさんが僕の書いたものを小説にしてくれるなんて。それがこうして雑誌に載るなんて」茶川はあまりにも意外な淳之介の言葉に何も言うことが出来ずに黙り込んでしまって……彼はそれまで、淳之介に尊敬されててもこの仕事に誇りを持っているとは言いがたかったじゃない?口では文学で子供を育てるとか大きなこと言ってても、文壇の流れから取り残されたことに対する焦りや未練は隠しきれなかった。でもこの時が、真に彼が小説家としての自分をプロとして思えた瞬間だったんじゃないかと思うんだ。

そして茶川とヒロミの間も急接近。茶川に淳之介を押しつけた形になったヒロミは、それを気にして彼のもとを訪れては食事など作って一緒に食べていってくれる。家族のように見えながらも、茶川いわく、縁もゆかりもない三人のその風景は、でも慎ましく幸せな三人家族に見えるんだよね。冗談めかして、「あの子の母親になってあげようかな。ね、センセイ、一緒にならない?」と言ったりするのも、どうやら少々本気が入っているらしい。
でもそんな時、行方不明になっていた淳之介の母親が見つかったらしいという話をしていたのを淳之介に聞かれてしまう。彼、一平にそのことを言うと、「母ちゃんに会いたいんだろ?会いに行こう!」と。
でも淳之介、判っているのだ。自分が今こんなところにいるのは、母親が自分を疎んでいるからに違いないことを。だから会いたいけど、躊躇し、でも強引な一平に連れられてなけなしのおこずかいをはたいて都電に乗って高円寺まで行くけれど……結果は判りきっていた。

帰りの電車賃がない。途方にくれる二人。一方、二人の子供が行方不明になったことで大騒ぎになっている。「人さらい?」と六子が取り乱し、「テレビや冷蔵庫なんか買ったからかしら!」と奥さんも取り乱す。そこへとぼとぼと二人が帰ってくる。短気な鈴木オートはさっそく一平に平手打ちを……と思ったら、茶川が淳之介の頬を叩く音の方が先だった。意外なことに鈴木オートの手が止まっちゃうところが彼らしい(笑)。「心配させんなよ!お前とは縁もゆかりもないんだからな!」後半の台詞はことあるごとに茶川が淳之介に言っていた常套句なんだけど、それが前半の台詞とまるでつながっていないところが、それこそが、感動的なの。そして縁もゆかりもないはずの淳之介を折れんばかりに抱きしめ、淳之介もまたがしっと抱きつき……一平も母親とぎゅっと抱き合うところがカワイイ。
どうして二人が帰ってこられたのかというと、お母さんが一平のセーターのつぎあてに「お守り」として入れてあった一枚のお札のおかげだった。一平はつぎのあたったセーターなんてカッコ悪い!とナマイキ言っていたんだけどね。熱が出て寝込んでしまった一平、布団から手を出し、お母さんに「これ、お守りのおつり」と手渡すところがイイよねー。でも「だから宅間先生は呼ばないでね?」と言うも、ニッコリ笑ったお母さん、「もう呼んじゃったもん」カブで到着の宅間先生に、夜空に響く一平の「アクマー!」の声(笑)。

そう、このアクマこと宅間先生が、すんごく好きだった。なんかね、切ないっていうかね。演じる三浦友和が枯れた寂しさで、もうこの人はすっかりこんな味まで出してきちゃって、もはや名優の域に入ってきたわよね。アクマ、と呼ばれるのはぶっとい注射を子供たちが恐れているから。でもそれで一発で治るわけで、街の大人たちは宅間先生をそりゃあ信頼してる。彼がヒロミの店で飲んでいて、焼き鳥をお土産に包んでもらう。「娘が好きでね」と。でもその後に展開される、妻と娘との幸せな風景は、酔って道端で寝込んでしまった彼の見た夢であり、もう妻も子供も戦争で死んでしまって、彼はひとりぼっちなのだ。
宅間先生は茶川とヒロミに頼まれて、淳之介の前にサンタクロースとして現われる。効を奏して淳之介は大喜び、そして居酒屋で落ち合った宅間先生は、「私もとても楽しかった」そしてヒロミが私のおごりだから先生、今夜は飲んでいってね、と言うんだけど、「いや、この一杯でやめておくよ」と言い、満足げに、でもやはりどこか寂しさを背中に漂わせて雪の中を帰ってゆくのが……ああ、宅間先生、なんというか、禁欲的というか、妻も娘もなくして、彼は自分から積極的に楽しんだり幸せを追い求めたりしてなくて、こんな風に子供を幸せに出来たことに満足して、帰っていくその姿が、ああ、もう胸に迫るわけ。やはりこれは三浦友和だからこそなんだろうなあ。

淳之介が万年筆を欲しがっていることを知った茶川がヒロミに相談して、このサンタクロース劇を仕立てたわけ。淳之介はこんな風に厳しい状況で育ってきてたから、もはやサンタに対して懐疑的だった。だから何か欲しいものがあればサンタに言っておいてやるから、と茶川が言っても、「それならえんぴつと消しゴムが欲しいです」と言う始末である。でもサンタを目撃した淳之介は目を丸くし、「本当にサンタっていたんだ!」と大興奮、更に、サンタが届けてくれた万年筆に目をキラキラさせて、「すごい、どうして僕が欲しいものが判ったんでしょう。」「そりゃ、サンタだからだろ」そしてその後は、もうためいき声でずっと「すごい……」の連発、もう嬉しそうで嬉しそうで、茶川も鈴木オートにカネを借りてまで買ったかいがあったもんである。
鈴木オートにカネを借りたのはその理由だけではなかった。指輪を買ってヒロミにプロポーズしようと思ったんである。でもやっぱり足りなくて、決死の思いでそのことをヒロミに言い出すも、パカッとあけた中身はカラ!「箱しか買えませんでした!」に思わず吹き出しちゃうんだけど、ヒロミはその見えない指輪を、涙ぐみながら彼にはめてもらう。でもね、でも……その翌日彼女は姿を消してしまうの。父親の入院費用のために、また踊り子に戻ってしまったらしい。
「父親のために身売りなんて、江戸時代じゃないんだから」などという台詞が聞こえてくるのは、“もはや戦後ではない”高度成長期に差し掛かり始めているこの時代ならではの言葉だけれど、まだまだ底辺の人たちには苦しみは待っているわけで……。

そんな折り、誰か判らなかったはずの、淳之介の“父親”がやってくる。大会社の社長で、妾に囲っていた淳之介の母親が子供を生んだことを知り、引き取りに来たのだ。といっても、そんなお涙ちょうだいな理由じゃない。妾に生ませた子供を認知しないなんて世間に後ろ指を差されるからであり、更に、自分の血を受け継いだ子供に一流を身につけさせるという金持ちの思想である。それこそが子供の幸せだと思っているらしいが、それは自分自身の見栄と自己満足以外に何ものでもない。
でも……こんなしがない暮らしよりも、お金持ちの、しかも実の父親に引き取られた方が幸せに決まってる、と茶川は、淳之介を送り出すのだ。
でもね、でも……ここが決定的だったんだけど、茶川からもらった万年筆を見つめている淳之介に、その引き取りに来た社長は、そんな三流品は返してしまえと、お前はこれから一流のものだけを身につけるんだから、と茶川に渡してしまうのね。しおしおとそれを受け取ってしまう茶川。そして車は走り出す。

元に戻っただけだ、茶川はきままな一人暮らしをしていたわけだし。でもヒロミも淳之介もいなくなってしまい、元に戻っただけのはずなのになぜこんなに寂しいのか。
荒れまくる茶川は、何か書かれた紙を見つける。それは淳之介が書き残した手紙。「本当にサンタクロースがきたのかと思ってびっくりしました。でもおじさんが買ってくれたんだと知りました。おじさんと暮らしていた時が一番楽しかった」
茶川、万年筆を握り締め、猛然と走り出す。
もう車で走り去ってしまったんだもの、ムリだよと思うんだけど、転んで倒れた茶川の視線の先には……淳之介が呆然と立っているの。
「ばか!なんで戻ってくるんだよ!お前とは縁もゆかりもない他人なんだぞ。金持ちなんだ。何でも買ってもらえるんだぞ!」
そう言って何度押し返しても、首を振りながら茶川に抱きついてくる淳之介に、ついにはこらえ切れずに茶川も彼を抱きしめる。そして二人であの貧乏長屋に帰ってくる。「またお姉ちゃんのつくったライスカレー食べたいね」「すぐに食えるさ」その頃、ヒロミは茶川からもらった見えない指輪をながめながら、キャバレーの屋上でたばこをふかしている。いつか、うん。いつかそんな時がくるよね。

でもやっぱり血のつながりも大事なんである。鈴木オートは六ちゃんへのサンタさんからのプレゼントを、青森行きの往復切符にした。でも嬉しそうじゃないの。沈んでる。そして帰る当日も、いつまでたっても出ようとしない。
「私なんかが帰っても、喜ばないんです」
故郷を後にする時、口減らしが出来たと親がアッサリ送り出したと言うんである。ずっとそのことが彼女の心の中に引っかかっていたんだ。鈴木オートと大喧嘩をした時も、帰るとだけは言わなかった。自分には行くところがない。その意地で頑張ってきたのだ。
泣き出して二階に駆け上がってしまう六子。顔を見合わせる鈴木夫妻。やがて静かに六子の部屋に入ってきた奥さん、ずっと隠していた六ちゃんの母親からの手紙を見せるのね。
「里心がつかないように、六ちゃんには見せないで、ってお母さんから言われていたんだけど……」毎月来ていたという、ビッシリと書かれた手紙には、六子を心配する言葉が書き連ねられていた。涙をこぼし、手紙を抱きしめる六子。いやー、お約束だけど、こういうのは泣いちゃうよなー。

「子供に会いたくない親なんていないわ。六ちゃんが帰ってくるのを、首を長くして待ってるのよ」と六ちゃんに言う奥さん。そうとも言い切れないんだけどね。淳之介の例があるわけだし……。でもともかく、六ちゃんの親御さんは娘が都会でもくじけずにやっていけるように願い、辛い気持ちで子供を送り出した。六ちゃんは意志が強い、頑張り屋さんだから、立派にやってこれた。
駆け出す六子。荷物を持って追いかける奥さんと一平。すでに鈴木オートはトラックでスタンバってて、東京駅まで六子を急いで送り届ける。そして、ここからがいいの。列車に乗り込んだ六子、流れる窓の外の風景の中に、列車と並走するトラックが見える。六子、窓を開けて、「社長さーん!おぐさーん!ありがとうございましたー!よいお年をー!」と叫ぶ。鈴木一家、トラックを走らせながら手を振って、「よいお年をー!」なあんか、涙出ちゃうね。マンガチックだけど(まあ、マンガだから)あったかくて。
三人が六ちゃんに指し示す、列車の後方に、ついに出来上がった東京タワーが見える。
六ちゃんを見送り、夕日の中に佇む三人。「きれいねえ」「きれいだな」「当たり前だよ。夕日はいつでも、50年後だってきれいだよ」一平ったらマセちゃって!
「そうだといいわね」平和だったら、夕日はいつでもきれいだろうな。

個人的にお気に入りは、タバコ屋のおばちゃんのもたいさん。いきなり登場が自転車爆走で、これもお約束の、蕎麦屋の出前に激突してひっくり返しちゃう。「サイクリングが流行ってんのよ」とね。その時、六ちゃんの特技、“自転車の修理”が発揮されるわけで、「あんた、なかなかやるわね」とまずこのおばちゃんに街で一番初めに認められるのだ。そして言葉を直そうとする六ちゃんに、「お国の言葉は大事にしなさい」とあのニタリ笑顔で言って走り去ってゆく。おばちゃんなのに流行りものに鼻が利くらしく、鈴木オートがタバコを買いに行った時も、お客さんなんかそっちのけでラジカセでロカビリーにノリノリで、派手な赤いアロハみたいなの着ちゃってるし!“新発売”のコーラをぐびぐび飲み、「そんなしょうゆみたいなキモチワルイ」と鈴木オートが顔をしかめるのを、「知らないのお?」とまたあのニタリ笑顔!いやー、もたいさん、最高っす。★★★☆☆


おかぐら兄弟
1946年 82分 日本 モノクロ
監督:稲垣浩 脚本:藤木弓(稲垣浩)
撮影:石本秀雄 音楽:西梧郎
出演:片岡千恵蔵 古川緑波 上田吉二郎 越川一 村田宏寿 渡辺篤 原健作 嵐壽之助 市川左正 三浦志郎 南部章三 猿若三吾 大川原左雁次 牧竜介 滝のぼる 市川春代 仲上小夜子 近藤りん子 竹里光子 二葉かほる 市川小文治 佐久良憲

2005/5/12/木 東京国立近代美術館フィルムセンター(稲垣浩監督特集)
片岡千恵蔵、まあ出演映画は何本か目にしているものの、主演映画としては初めて観る気がする。つまりは今まではマトモに眼中になかった彼が主演というのをね。ああ、そうそうこういう顔の人、いたような、みたいな。でもそれにしても多分今まで観た中で一番若い彼だから(何か最近こういうことを言ってばっかし)、やっぱり、ちょっと、驚いてしまう。いやー、なんつーか、少女漫画みたいなんだもん。目えでっかくてさ。両主演である古川ロッパがあのとおりのお顔だから余計に、そう見える。キャラも双方ともマンガチックだから、うん、余計にそう見えるんだなあ。
彼が興した「千恵プロ」時代の作品というから、もうこの時には片岡千恵蔵は自らの力で作品を動かしていたんだね。んで、無論古川ロッパだって、そう。彼を始めとしてこの作品の中にはヒロインの市川春代(こないだ「最後の攘夷党」で見たばっかりだ)をはじめ幾人か、ロッパ一座の肩書きの役者たちを見ることが出来る。そんな二人がお互いのキャラクターを生かして、絶妙にやりとりする、このドタバタ喜劇の楽しさ!

そう、もうドタバタもドタバタ。クライマックスのおっかけっこなんて、サーカスもかくやという軽業まで飛び出して、チャップリンもビックリのナンセンスドタバタが繰り広げられるんである。いやー、こういうの、久しぶりに見た気がするなあ。サイレント風早送りな映像を、確信犯的に使うあたりも(こういう手法なんて今だって使うよね!)実に楽しい。
何たって旅芸人、気楽な流れ者の話だから、そのあたりの心地よい軽さはバツグンに効いているんである。

二人はおかぐら兄弟と呼ばれている(っていうか、自分たちで、特にロッパ演じる留吉が嬉々として言ってるだけって気もするけど)、ひょっとこ面をかぶって面白おかしい踊りを踊るコンビ。その日も巡業途中なんだけど、双八(片岡千恵蔵)はある村に入る直前に、その間の公演を休ませてくれといって一座を離れてしまうのね。留吉はいきなり双八がクビになった!とカン違いして慌てて後を追い、双八をふんづかまえる。「俺たちは二人でひとつのおかぐら兄弟じゃねえかよお、バカ、バカ!」とだだっこみたいにしつこく繰り返すロッパがちょっとカワイイかったり(笑)。
実は、この村は双八が生まれ育ったところ。でも今は幼き頃を過ごした風景は見るかげもない。裕福な資産家に貧しい民たちは軒並み全てを取り上げられて、皆、ほうほうの体でこの村を出て行ってしまったのである。その資産家、矢来新兵衛に会いたくないと、双八はこの村での興行だけ暇をもらったんである。

双八はね、最初から最後まで平和主義者なんだよね。こんなにヒドい目にあったのに、例えば復讐なんてことは全然考えてない。そりゃウラミには思っているんだけど、それで今更何をしたって無意味だと思ってる。彼はこの懐かしい地で、その昔とても仲の良かったお春と出会う。彼女もまた双八と同じ運命をたどり、父親は悲嘆に暮れて自殺してしまい、今はしがない女旅芸人としてこの地を訪れているのだと言う。でも、実は、彼女はある決意を秘めてここに来ていた。彼女は女にだけできる、逆に言うと女はコレしか出来ない、という方法を使って、長年の恨みつらみをはらそうとこの地に来ていたのだった。それはつまり復讐、である。
一方で留吉は、この村一番の金持ちである矢来の家に泥棒に入ろうとしているヤツらと遭遇し、黙って手伝う代わりに口止め料をもらうという算段をはかってる。元来単純な留吉は、民を苦しめているお金持ちのところから金をちょっとちょろまかすぐらいのことを、全然気にしない。後からそのことを知った双八が言葉をつくしてそれをいましめると、泥棒たちが悪いんだからという寸法になって、じゃあその盗まれた金を騙し取って困っているみんなに寄付してやろうとして、またしても双八に怒られちゃう。

つまり、双八は世の中の定規に当てはめた時に罪になることに対して、すっごく潔癖なほどに、キビしいんだよね。まあ現代社会じゃそれも当たり前なんだけど、こういう、いわゆる時代劇の中では、双八のキャラクターというのは、ちょっと特異に見える。道徳的を通り越すほどに、あまりにも彼自身の頑ななまでのまっすぐさが際立っている。
お春は双八と久しぶりに再会した時嬉しそうだったし、一緒に旅館に泊まろうなんて言って(だけど、双八が巻き込まれた決闘騒ぎの青年との相部屋だったけど)、その夜、ウキウキした双八が「お春ちゃん、もう寝た?」と隣りの布団の彼女に何度も話しかけるところなんか(なんつーか、ほんっと少女漫画っぽいんだよなー、片岡千恵蔵ってば)可愛くって可笑しくって吹き出しちゃうんだけど、彼女、復讐のこと、隠してるんだよね、彼に。ここには旅芸人として訪れたんだと彼女は言うけれど、双八はどうもそれがおかしい、と思ってて、それはホレた男ならではのカンだったのか。次の日、双八がなんとはなしに歩いていると、お春の三味線と細い歌声が聞こえてくる。ついつい忍び込んだ料理屋には親密そうに寄り添っているお春と新助がいて、双八はにべもなく追い返されてしまう。そしてその夜、お春はついに帰ってこない。双八は思い人と再会した喜びもつかの間、すっかり意気消沈してしまう。
しかし彼女は、矢来新兵衛への復讐のために、その息子で自分に気があると知っていた新助を騙してカネを盗ませ、駆け落ちさせてしまっていたわけね。で寸前のところでそのことを明かして、彼からついと身を翻して出て行ってしまう。彼女はこれが卑怯な手だってことは判ってる。ヒドいことをしたのは父の新兵衛であって新助ではないんだから。しかも新助の自分にホレている気持ちを悪用して、傷つけてしまった。でも彼女には本当にこれしか方法がなかったのだ。

このお春の行為に対しても、双八はすっごく厳しく糾弾するんだよね。お春が新助に気があるわけではないことを知って嬉しくないわけはなかったのに、やっぱり彼女をこんこんと諭しちゃう。お春は自分も卑怯なことをしたと判ってるから、そのお説教を甘んじて受け入れるんだけど、うーん、実に双八、道徳の人なわけ。
それが最も表われているのは、クライマックス。父親が民を苦しめたことを実感してすっかり落ち込んでしまった新助、双八たちのおかぐら芝居のもとにしおしおと現われる。そこには、矢来の家から盗み出した金を、留吉が泥棒から預かったままになっていて、双八も留吉も、ちょうど良かった、あんたに返すから持ってかえってくれ、と言うわけね。だけど新助、これは父親が貧しい人たちから搾取した金だ、僕はそれを皆に分け与えたい、とお神楽の高いやぐらの上からバラまくことを提案、それを聞いた留吉はノリノリで、そりゃあいいや!と賛成する(もともと、留吉も似たような考えだったからね)。観客であるこっちも、そりゃあいいや!とワクワクする。だけど、いざ新助の音頭で皆でカネをバラまき始めると、双八だけは「何をするんだ、やめろ!」と、顔色を変えて止めにかかっちゃうのだ。

まあその……彼の言い分は確かに判るんだけど。この金は父親の金であって新助の金ではないわけだし。そして降って来るお金を必死に拾い集める民の姿は、確かに双八の言うように醜いもの、なのかもしれない。「あの人たちをこんな姿にして!」と新助の胸ぐらをつかんで涙を浮かべんばかりの双八は……う、うーん、そんな、いいじゃん、新助だっていろいろ考えたんだし、そんな言うほど悪いことをしたとも思えないし、この場面はいかにも痛快だし……と、見てるこっちはちょっと、戸惑っちゃう。そうやって責められた新助はわっとばかりに泣き伏し、双八は「これから死にもの狂いで村人たちのために尽くすんだ。やってやれないことはない」とこれまたありがたい訓示を述べるんである。ほおんとに、双八は平和主義で、律することに厳しくて、道徳的で、正しい人間なのね。こんな平和な娯楽モノには違和感があるほど。でもそれはあまりにざっくばらんな留吉が(というか、その場での正しいことは一生懸命考えてるんだけど、その先を考えてない)コンビとしての一方にいるから、このキャラはまあ、仕方ないとも言えるのかもしれない。でもここがクライマックスだと思っていたから、これで終わっちゃったら息がつまるなあ、と思ってたんだけど、

そのあとに、もう最初に言っちゃった、あのチャップリン並のドタバタおっかけっこがあるわけね!双八と留吉が泥棒なんだとおまわりさんにウソついてたホンモノの泥棒さんたちが、新助に「お前たちが盗んだんだ!」と返り討ちにあって、慌てて逃げ出すわけ。こ、この単純さが愛しいわー。その日は村全体が三日三晩のお祭りの日。昔からそのお祭りの間は一滴も雨が降らないと言われているぐらいの、まさにハレの日。泥棒さんたちは女性の踊りの輪の中に逃げ込む。そこはさながら闘牛場のようなつくりになっていて、すり鉢状の会場に人々がつめかけており、そこかしこになぜか(ホント、なぜだろう)丸太の枠が設置されてあって、そこを曲芸さながらに泥棒さんはつたって逃げてゆく。そしてそこにはなぜか(ホントになぜだろう……)ターザンみたいに行き来できる縄がぶら下がっていて、双八と留吉は順繰りにそれにぶら下がって泥棒さんのところにびよーん、と行くわけよ。それを泥棒さんに蹴返されてしまう。うーん、実にドタバタの面白さ。おっかけっこにしたって、丸い舞台の周りをぐるぐる回るもんだから、追いかけられている方が危うく追いかけてる方を追い越しそうになったりする、という、これぞお約束の場面もついつい笑っちゃう。

そして悪人どもはつかまってめでたし、めでたし。お春ちゃんも、本当はやっぱり双八のことが好きなんだと判明してめでたし、めでたし。留吉は二人の仲はジャマしないヨ、とばかりに二人を残してひょいひょい、と先を急いで行ってしまう。テレちゃう双八はお春ちゃんの手を引きつつも、彼の後を「待ってくれよー」とばかりに追いかける。
結構中身は暗い要素もあったのに、終わってしまえばひたすら明るいコメディだったのは、やあっぱりこの単純バカな(ごめん!でもそこが愛しいのよー)古川ロッパの存在があったからなんだよなー。だってロッパ演じる留吉は、双八がとにかく大好きなんだもん。彼がいないとすぐ間違った方向に行っちゃうし、一人で舞台も勤まらない。でも双八がいない間に、彼も彼なりに頑張って、双八のいない分まで立派に舞台を勤めることが出来るようにもなる。つまりは成長したわけだね。でも双八が大好きだってことには変わりはない。双八が戻ってきたことで心底嬉しそうで、そしてお春ちゃんとの仲も彼なりに見守ってやったりして、イイ奴だよお、お前は!

おかぐらシーンの、ひょっとこ面かぶった二人のコミカルな踊りもなかなかに見応えあり。そして脇のエピソードではあったけど、文学青年っぽい青二才と、おまぬけ泥棒さんの決闘シーンに双八が巻き込まれるトコも何の決闘だったのかも判らないってのが妙に可笑しいんだけど(笑)、双八に諭されて決闘を止めることを決意した青年が、相手にそのことを伝えるためにおいまわし、おびえた相手が逃げまくるという、これまたお約束なベタギャグが好きだわー。★★★☆☆


奥さまは魔女BEWITCHED
2005年 103分 アメリカ カラー
監督:ノーラ・エフロン 脚本:ノーラ・エフロン デリア・エフロン
撮影:ジョン・リンドリー 音楽:ジョージ・フェントン
出演:ニコール・キッドマン/ウィル・フェレル/シャーリー・マクレーン/マイケル・ケイン/ジェイソン・シュワルツマン/クリスティン・チェノウィス/ヘザー・バーンズ

2005/9/6/火 劇場(渋谷TOEI2)
往年のテレビドラマと同じタイトル使って、題材も同じで、でも堂々のオリジナルストーリーは、しかもそのテレビドラマの存在をすごく上手く使ってる。私はテレビ版「奥さまは魔女」の世代じゃないし、知識として知ってるだけで、映像もチラリとしか観たことないけど、やっぱりすんごく確立しているものだから、それをまんまリメイクすると、当然オリジナルにはかなわない、とか違和感が出るということになって、リメイクっつーのは大抵そういう部分で失敗してきたわけで。
だからこういう設定って、すんごく上手いんだよなー。あ、気がつきそうで気がつかなかった!みたいな。
ヒロインはイザベル。でもイザベルは劇中で往年のテレビドラマをリメイクすることになり、そこでかつてのヒロイン、サマンサを演じる。その辺の二重性が、お伽噺に不思議なリアリティを与えてる。つまり“だれもが知ってる「奥さまは魔女」のサマンサ”という部分は、私たちと共有するリアルなんだもん。
でもイザベルはこのテレビドラマを観たことがない、というのね。魔女には観るのを禁止された番組だったと。つまり、この物語のキモになっている部分でもあるんだけど、人間界、ことに人間と恋すると魔女は魔界に戻ってこれなくなるから。
でも子供だった彼女が、「奥さまは魔女」見ちゃいけません!って言われてるの想像するとすっごくカワイイんだけど。
こんな風に、テレビドラマの中だけの存在だった魔女を、つまりはファンタジーを、ホントにいるものだと堂々と語って成功しているのは、この二重性ありき、なのよね。

それにしてもニコールをサマンサ、いやイザベルに当ててくるとは!彼女のクールな美貌のイメージから入ると、これってちょっと意外なキャスティングなんじゃないかと思うのよ。それこそこの監督ノーラ・エフロンなら、何作かコンビを組んでたメグ・ライアンの方が少女性といいキュートさといい、ハマリじゃないかと。でもメグだと確かにハマるけど、ベタにハマりすぎるのかな。意外だったのはそのニコールが、ホントに、キュートだったということなのだ!いやー!ビックリ!ああ、ニコール!キュート!こんな冷たい美貌の絶世の美女が、なぜこんなキュートにハマる!彼女って実際は凄く可愛らしさのある人だと思うし、そういう彼女自身の中にある素の部分が出ているんだろうなー、などとニコールフリークの私は思ったりするんである。いや、もちろん彼女の役者としての上手さでもあるんだけど!

彼女はつい最近、この人間界に降りてきた、のかな?あの冒頭の感じは。ステキな家を見つけたら、魔法でさっそく自分が借りる算段をつけ(しかも、ペット自由とかさまざまな条件を全部魔法でつけちゃう!)、新しい生活にルンルンである。そんなことしててあまり説得力ないんだけど、彼女が言うには、すべてが思い通りにいく魔女の生活にはもうウンザリなんだと。上手くいかない楽しさを味わいたい、んだという。
そんな娘を心配して先々に現われる(時にはマーケットの冷凍食品や、お菓子の袋のキャラクターにまでなって(笑))父親、無論魔法使い……この場合は魔女じゃなくて魔男!?マイケル・ケイン。うーむ、彼もハマっている。こういう魔法使い、いそう……彼は人間に強い憧れを持っている娘を心配してる。魔女なら何でも出来るじゃないかと。でもイザベルは断固拒否、その割にランチの時間に間に合わなかったからと時間をくるくる戻したりしてるけど。「これで最後よ」なんてね。全然最後じゃなかったけどさ(笑)。
おりしも雨が降ってくる。魔法で傘を出した父親に、もう魔法はやめたから、と雨の中を濡れながら嬉しそうに走って行くイザベル。不自由の楽しさを味わいたかった、という彼女の気持ちが、うん、なるほど上手く伝わるんだな。

そんなイザベルを街中で発見するのがいまや落ち目の俳優、ジャックである。本屋で、本棚の隙間から、イザベルが鼻をピクピクッ!ってやるアレを見かけて、彼女こそサマンサだ!と狂喜するんである。つーのもジャックは映画で続けてコケたもんだから、ソープドラマ俳優に転落しちゃってて、でもそこで往年の「奥さまは魔女」をリメイクの話がきてて、しかし「奥さまは魔女」はなんたってヒロインのサマンサがメインのようなもんだから、サマンサ役に無名の女優を起用して自分を目立たせよう、と画策しているわけ。
でもねー、彼、別に最初からそんなコソクなことを考えてたわけじゃないのよ。実際は素直な心根の持ち主で、イザベルから叱責を受けるとちゃんと反省してしまう要素は最初からあったんだよね。ガンはマネージャーの小男、リッチー。実はジャックは往年の「奥さまは魔女」の大ファンで、こたびのリメイクに自分が参加できることに最初は無邪気に喜んでて、オタク話でスタッフと大盛り上がりだったりしちゃう。そこをこのリッチーは制して、もっとスターとして威厳を持たなきゃダメだ!と。でもこれって威厳っつーかただのカン違いのワガママ役者だけど、そういう方向に位置づけちゃう。ジャックは、素直というか単純な人ってことなのかもしれないな、そう言われるとそういう方向に突っ走っちゃって、じっつに鼻持ちならないスターになってっちゃうんだよね。

「奥さまは魔女」のリメイクに参加できることに単純に喜んでいたのに、「そういえば、ダーリン役は途中で俳優が替わっても誰も気にしなかった……」なんて女々しく落ちこんでんの。
鼻ピクピクのイザベルを見つけた時、その時には彼、多分「奥さまは魔女」マニアとしてこの女性だ!とストレートに喜んだんだと思うし、やっぱりピンとくるものがあったんだと思うけど、何よりそういう事情だったから、素人のイザベルを騙すような形になってしまう。

イザベルを演じるニコールが、こういうテレビドラマや芸能人などの世界にうとくて、どっかカマトト的な部分が、この年齢にしてこの美貌にしてワザとらしくなく、本当にカワイイのが凄いのよね。なんかホントにセックスのこととか知らなさそう。ジャックから、指をパチンと鳴らせばなんでも願いが叶う芸能界だと誘いを受けるも、「ダメダメ、そういう世界からは足を洗いたいの」と最初はすげなく断わっちゃう。
あー、またニコールの可愛いさの話に戻っちゃうけど(笑)、隣人のこれまた小女のマリア(離婚してフリーの彼女は、後にパーティーでリッチーを見つけて猛アタック!)が彼女のお家に初めて訪ねてきた時、なんか意気投合して盛り上がっちゃって、キャー!とばかりに手をぶんぶん振りながらピョンピョン飛び跳ねるのね。マリアがやるといかにもブリブリって感じなんだけど、それを真似してキャーと飛び跳ねるニコール、楽しいー!なんて言って、こ、この美女がそんなことを……カワイイ……。

すまん、話を戻します。スカウトされたニコール、スタッフの前で鼻ピクピクを披露、おおー!と絶賛され(それまで素人のオーディションでここまでカンペキに出来た女性がいなかったのだ)しかも本読みの時、アドリブで、彼女にとっては本当の魔女の世界のエピソードを、「面白い」と脚本に採用されてしまったりする。そうやって彼女はスタッフの間ではどんどん評価を高めていくから、その彼女にひと言も喋らせずにジャックだけが目立つ番組作りがどんどん不自然になっていく。
しかもこれ、アメリカのソープオペラの王道よろしく、スタジオに観客を入れ込んでの撮影(観客のリアクションも同録ってヤツね)だから、彼の勝手なふるまいと、目立つようにハイテンションだけどさっぱりお寒いギャグに、もう観客も引きまくりなの。
ちょっとジャックのことを好きになってたイザベル、決定打はテレビのトークショーでジャックが、イザベルに鼻ピクピクを僕が教えたんだ、なんて語っていたのを見て。彼女、だまされた!とショックを受け、おりしも訪ねてきていた魔女のおばさんに相談すると、そんなの呪いをかけちゃいなさい!と。おっとー!これはまたいきなりストレートですが……魔法を封印することを決心していたイザベルは難色を示すんだけど、マリアや記録係の女の子なんかもノッちゃって(それはこのおばさんが魔法をかけたのよ)、ホントに呪いをかけることになってしまう!

呪いっていうか、そんなコワいものじゃなくって、ホントに魔法って感じだけど。つまり自分中心の彼を、イザベル大絶賛の男に変えちゃったのだ。お前はビビる大木か!ってぐらいに両手両足ビョーンと伸ばして飛び跳ねるわ、くるくる回りながら迫ってくるわ、イザベルに対するラブラブ光線にはさすがに苦笑(笑)。イザベルはね、なんたってジャックが好きになってたから、最初のうちはちょっとこれに舞い上がっちゃって、魔法だってことをついつい忘れて、なんかフツーにデートとか楽しんじゃうのね。一緒にロック歌ったりするとこ、可愛くてすんごい、大好き。でもいい雰囲気になった時、あ、これは彼の本当の気持ちじゃないんだ、って気づいて、そのことが凄くイヤになっちゃって……呪いを解くのだ。
それまでの不当な扱いを憤っていたのは本当なんだけど、こうなることを望んでたわけじゃない、と彼女が思ったのは、これが本当に自分にホレてくれたんじゃなくて、魔法のせいだから。本当に、ホレてほしいんだよね。恋するオトメの考えることは万国共通なのだ。

くるくると戻り続ける時間……彼女がテレビのトークショーを見ていた時間まで。翌朝、アンケート結果の彼の支持率の低さ、そしてイザベルの圧倒的な高さにキレまくっている彼に、彼女まっすぐ歩いていって、魔法の力に頼らずに、ガーン!と怒鳴り散らすのだ。「この自己チュー男!嫌われて当然よ!」ってね。クビを覚悟で。それでバーン!とジャックも目が覚めてしまうんだから、愛すべき単純な男よ。「こんな風に怒鳴られたのなんて初めてだ」「私も人を怒鳴ったのなんて初めて……」それ以降、オリジナルと同様、キュートなサマンサをフューチャーしてドラマが進行していく中、サマンサとラブラブのダーリンもスウィートな味を出すようになっていき、それと同時に二人の中も急接近。
このジャックを演じるウィル・フェレルのB級な雰囲気がイイんだよねー。まさしく落ち目の俳優って感じで(笑)。そもそもこの「奥さまは魔女」はソープドラマでシチュエイションコメディだから、ドラマとしてのリアリティっていうよりは、バラエティ番組みたいなテンションであり、そのドラマの世界をそのまんま引きずるようなテンションをイザベル、あるいはサマンサによって決定させられちゃうようなダメ男っぷりがピッタリで。

でもね、ジャックにホレちゃって彼女、彼の元奥さんに嫉妬して、ヨリを戻そうと戻ってきたこの奥さんに魔法をかけ、大道具を頭の上に落としたりしちゃう!(思いっきり直撃してピクリとも動かなくなる奥さん!)さすがに「ヤリすぎね」(ヤリすぎだよ!)と時間を戻し、でもやっぱりガマン出来なくて、離婚しようとしない奥さんに手を焼くジャックを助ける形で彼女に離婚を決意させ、今日中に引っ越す、とまで言わせるんである。
ジャックは喜ぶんだけど、でもイザベルは後悔する。しかもその後、離婚成立パーティー(笑)でスタッフやら皆を豪邸に呼んだジャック、みんなの前でイザベルに感謝と愛を捧げるんだよね。もうイザベルはすっごく後悔していたこともあったし、正直な気持ちで接してくれた彼女に本当にホレてくれた彼に、魔女だということを隠し通していくことが出来なくて……。
小さな魔法を見せてみても、手品だと思われて信用してくれない。仕方なく、ほうきで彼を飛ばしてみる。と、案の定、うろたえる彼。もう、ちっちぇーなーお前!ってぐらい、うろたえまくり。木の枝で彼女を追い払おうとまでするもんだから、イザベル逆ギレしちゃって、ほうきに乗って飛んでいってしまう……。

もう、ね。人間界からおさらばしようって、決意するのね、彼女。その頃ジャックの元には、彼の大のお気に入りの「奥さまは魔女」のキャラクター、アーサーおじさんが!これは妄想なの?それともイザベルのお父さんがかけてくれた魔法だったりして。しかしこういう展開は、最初からファンタジーだって定義がある強みだよねー。もうリアルとかどーでもいいんだもん。いやナゲヤリに言ってるんじゃなくて、本当にそこがイイのよ。
とにかく、テレビのキャラが出てくるぐらいだから、ジャックももう、彼女が魔女だってことぐらいどうでもよくなるって感じ。
それにアーサーおじさんから、人間界から去ると決めた魔女とはもう会えなくなると知って、彼は慌てちゃう。だって彼女のこと、本気でホレてんだもん。
二人が恋に落ちた、「僕たちの家」であるというオープンセットで二人は再会する。どうしてここにいるの、と彼女に問う彼。「ふるさとってどこか判らなくて……」二人にとってのふるさとは、このカキワリのオープンセット。でも六ヵ月後、この家にソックリのスウィートホームを二人は手にいれる。引っ越してきた新婚夫婦を覗き見していた隣りのオバサン、みるみる木が生えてきたり花が咲き始めたりに目を丸くする。どうやらイザベルは魔法を封印する気は最後までないみたいね(笑)。

すごく魔法使いっぽかったマイケル・ケインも粋でステキだったんだけど、更に、このお父さんが恋する、女優アイリスに扮するシャーリー・マクレーンはさらにすんごく魔女っぽいのよね。テレビドラマの中のキャラ、エンドラがそのまんま魔女である彼女そのもので、毛皮やら羽根やらのハデハデ衣装がもう似合う似合う。「伝説の女優」として紹介されるのも、まんま。すんごく楽しんで演じているのが伝わってくる。いや、役者みんな楽しんで演じてるなーっていのは本当に感じるし、それがこの作品の楽しさそのものなんだよなー。★★★☆☆


男の世界
1971年 82分 日本 カラー
監督:長谷部安春 脚本:中西隆三
撮影:山崎善弘 音楽:鏑木創
出演:石原裕次郎 沖雅也 鳥居恵子 内田良平 宍戸錠 大滝秀治 菅原謙次 なべおさみ 二瓶正也 小高雄二 三田村元 武藤章生 川地民夫 玉川伊佐男 チコ・ローランド 町田祥子 加藤博子 高樹蓉子 牧まさみ

2005/2/7/月 劇場(浅草新劇場)
“男の世界”だもんねえ。凄いタイトルだなあと思ったら、本気でそのまんまなわけ。劇中、自慢げな男たちによって、あるいはちょっと呆れ気味の女たちによって「男の世界だから」とまんまな台詞が発せられ、私は当然女だからそっちの気分の方に同調し、男の世界ねえ……などと嘆息したくもなるんである。うーん、男の世界って、なんだ?復讐?仲間意識?兄弟分の義侠精神?殺し合い?なあんかどれもこれも寒いよーな気がしてならん。いや、様式美的なそれは大好きだけど、これは現代の時代設定だし、裕次郎のスター映画のように見えながら、若い恋人同士の話に妙に集中してたりして、どうもそのへん、アイマイなのよね。一応主人公の裕次郎は一匹狼てな風情なんだけど、彼を助けようとする同輩たちがいつも彼の周りをわらわらとしていて、どうしてもハードボイルドな気分になんぞなれんしさ。

うーん、裕次郎かあ……。リアルタイムで見ていたのは「太陽にほえろ!」だから、私のイメージの裕次郎は確かにこっち。若い頃のカワイさからはちょっと信じられないこの……誰かが言ってたなー、黒豚だって(なんとゆーことを!)。うう、否定しきれない。恰幅がいいというよりはどことなく不健康にふくれあがったような印象、特にあの黒ずんだまぶたはどうしてなんだろう……病気みたいで(病気か??)すっごく気になる。

裕次郎演じる紺野はかつて恋人を殺されちゃったわけ。もともと彼自身が街の顔みたいな存在で、それを疎ましがるヤクザ(組織、っていう言い方してたけど、そんなカッコイイ言い方せんでも。まんまヤクザでしょ)によって彼は狙われ、一緒にいた恋人に弾が命中してしまったのだ。すっかり魂を抜かれた彼は、外国を放浪し、彼女の行きたがっていたカナダにも足を運んだ。そして5年後帰ってきたその目的は……?ちょうどその時、狙撃犯の白石が出所する時でもあったんだけど。

正直、このあたりはかなりアイマイというか。周りの皆は「復讐するために戻ってきた」と敵も味方も当然思うんだけど、彼はそれを否定し、信じてもらえないことで(かつて自分の店だった)クラブのピアノマンにグチっぽく語る。「どこにいても、自分は自分だということに気づいたから」とか何とか、キザだけど何かよく判らんことを言うんだけど、結局最後の最後には白石に銃口を向けるしさ。一体どっちやねん!って感じで。
白石は、当然自分が狙われていると思っているから、その手下ともども(コイツもカッコつけてる割には、手下わらわら常にいるのよね)紺野にしつこくつきまとい、挙げ句の果てには、コイツに心酔している一番の手下が、今度こそ俺が!と(つまり、彼は5年前、本当は自分がやるつもりだったから)窓の外から狙撃しちゃったりする。しかしコイツもバカでさ、窓のシルエットが倒れただけでやったと思い込み、その場を去るんだけど、紺野は腕にかすり傷を負っただけなの。でもさー、それも別にギャグとしてやってるんじゃなくって、みいんな大マジメだから、観てるこっちとしては、オイオイ……とか思いながら、困っちゃうわけ。

紺野や白石より、印象的なのは刑事の茂木さんである。だあって、もうコテコテの宍戸錠なんだもん。うわー、なんかギッタギタって感じの。彼だけだな、真に一人で行動してるのって。彼こそが一人「男の世界」だわね。白っぽいトレンチコートに口ひげ、あの頬でニヤリ。うーん、こんな刑事現実にいるかっつーの。だって目立ちすぎるだろー、尾行するにしても何にしても。いつも意味ありげな笑みを浮かべて紺野をガードするかのごとくにマークする彼。5年前、白石が逮捕されなかったら紺野は絶対に白石を殺していた、その彼を見ているから、今回の突然の帰国に茂木は心配してるんである。刑事としてというよりは、どことなく男の友情っぽい感じで。

でもねー、確かにこの紺野と白石の話がメインのはずなのに、若い恋人たちが絡んでくるそっちに持ってかれちゃうのよね。うーん、沖雅也であります。何がやりたいのか判らないのに、意味もなく反抗的な手のつけられない若者、がピッタリで、それをけなげな恋人の女の子が支えているんである。紺野とは、経営者が彼と旧知の仲である旅行会社の店先で出会う。どこに行こうか、カナダがいいかな、そんなことを楽しげに話し合っている二人に彼はふと心誘われる。二人が次に向かったラーメン屋で、勝手に同じテーブルに座る(あの位置は、突然会話に加わられたら、結構ビックリするよ)。この二人、本当は旅行に行ける金などなかった。青年は失業中だし、そんな彼を女の子がウェイトレスのバイトで支えている状況。でもこの青年、ちまちましたことをやりたくないって感じで、だからと言って何が出来るとか、何がやりたいというわけでもなくって、紺野の紹介した仕事もテキトーでしまいにはカネを盗んで行方をくらましてしまったり、この女の子を困らせてばかり。
この彼が、あの紺野狙撃事件の犯人を目撃しちゃったことで、話がややこしくなる。このバカはそれをネタに白石側を脅して大金を脅し取ろうとしたんだけど、当然、つかまっちゃうわけ。一方で紺野がかつて経営していたクラブの今の持ち主で、ヨット連盟の阿川(大滝秀治!てきぱきしてるー)の裏金が発覚して……まあ、これはいいや。
白石たちに呼び出された紺野は彼らを助けようと一人スタジアムに乗り込む。激しい銃撃戦!

紺野がなぜこれほどまでにこの若い恋人たちに入れ込むかっていうのが、またクサい理由でさ。あの旅行会社で、カナダ旅行に行きたいわね、などと話していた彼らに、かつての自分と死んでしまった恋人を思い出した紺野は、自分たちでは果たせなかったことを、この恋人たちに託したいと思うわけ。でもこの紺野の行動って、そういうあたりかなり自分勝手っつーかなんつーか……。でもね、ちょっとズルいの。この全身反抗心のカタマリの青年に、あんたの世話は受けないとか拒絶されると、寂しそうな顔しちゃって、それは悪かった、とか言っちゃってさー。それなのにまたいちいち手出ししたりして。確かにこの青年は自分じゃ何にも出来ないワカゾーであり、就職の世話してあげたりするのも彼にとってはありがたいことに違いないんだけど、でもある意味、彼らの行く先を勝手に決めているような感があって、青年のいらだつ気持ちもなんか判るんだよね……だって二人のデートまでセッティングして、自分もついてきちゃうんだもん。
あー、ここらあたりはねー、ボートに興じる彼らがふんだんに出てきて、裕次郎の世界という感じです。裕次郎の世界、といえば、もう彼ってば歌いまくっちゃって。あの「夜霧よ今夜もありがとう」からはじまり、「胸の振り子」とか、気持ち良さげにフルで歌う、歌う。でもこうやってあらためて聞くと確かに……絶品の歌声の持ち主なんだよなーとか思いつつ、こんな何度も歌われちゃうと、この映画の目的がどうにも判らなくなってしまう(笑)。

阿川を茂木に逮捕させ……る前に、茂木に目をつぶらせて、阿川を殴り飛ばす紺野。「現行犯逮捕だな」と言う紺野に、「何か音が聞こえたかな」とそらとぼける茂木がちょっとカワイイ。そして紺野はあの恋人たちにカナダ旅行をセッティングする。しかし、彼らは飛行機に乗らない。紺野と同じように、どこに行っても自分は自分だからと言って、マジメに働いて生きていくことを誓うわけ。うーむ、なんという大団円だ。それにしてもカナダに行ってからにすればよかったのに。飛行機に乗らずに後ろから現われるなんて、キャンセルも出来ないじゃないの、もったいない。

個人的に、ヨットハーバーで船の設計をしてる、川地民夫がステキだったなー。彼はお気に入りなのだ。★★☆☆☆


同じ月を見ている
2005年 106分 日本 カラー
監督:深作健太 脚本:森淳一
撮影:北信康 音楽:藤原いくろう
出演:窪塚洋介 エディソン・チャン 黒木メイサ 山本太郎 松尾スズキ 岸田今日子 菅田俊 竹井みどり 春田純一 伊藤洋三郎 モロ師岡 水川あさみ 西田健 三谷昇

2005/11/25/金 劇場(有楽町 丸の内TOEI1)
もともと窪塚氏はドンの役をやるつもりだったというし、ドンをやる窪塚氏を見てみたかったし、そっちの方が似合っている気もした。まあ……あんなことがあった後、相当のブランクがあっての本格的な復帰作だし、そんなこと考えなくてもいいんだけど、正直最初、ハラハラしながら観てしまったせいもあって……ドンの役だったらそんなにハラハラしなかったんじゃないのかなと思うのは、先入観ありすぎかな……。でも、役者としては絶対ドン役の方がおいしいと思うんだけれど、挑戦したい役としては確かに鉄矢の方なのかもしれない。でも、窪塚氏は鉄矢役に関して、演じている間もなんだかかなり葛藤がある感じがして、消化しきれたかどうかは難しいところなんだけど……でもその悩んでいる感じも、鉄矢として良かったようにも思うけれど。

窪塚氏の解釈を聞いたりすると、やっぱり頭のイイ人だと思う。すごく理路整然としてるし、映画を正しく理解してて、愛してるし。
自分の欲望や感情をコントロールできるのがドンだと。
そして人はその間で揺れているんだと。
ドンを見せたいがために、この映画に参加した。「ドンを見に来てください」と再三言うのはなんだかちょっとズルいなあと思ったりもしたけど、よりドンを魅力的に見せるための鉄矢役に挑戦したということなんだろう。

いつもいつも、三人だった。最初は鉄矢とドンの二人。相手の心の中や見えないものが見えるという、不思議な能力を持つドンを、鉄矢は素直にスゴイヤツだと認めていて、しかもドンは絵も上手くて、いつも念力ごっこをしては遊んでいた。そこに心臓の弱い女の子、エミが入り込んでくる。最初は、二人だけの秘密をジャマされたと思った。でも恐る恐る友達になってほしいと申し入れるエミに二人は……きっと同時に恋をしていた。三人の目配せは、それぞれの思いを敏感に察知していた。
でもあの時……あの時からエミは鉄矢を少女マンガのハンサム君みたいに描いたり、明らかにまぶしい目で見ていたけれど、そうだったんだろうか。鉄矢が言うように、ドンのことを心の中で思っていたようにも思うし。
ただ、エミが言っていたのは、大人になっても言っていたのは……本当はずっと三人でいたかったんだということ。そんなことムリだと判っているんだけど、と。そして鉄矢と結婚することを決意する。

映画の冒頭はそこから始まる……いや、それは観客の私たちはまだ判っていない。でも冒頭、夜の闇の中、草原を走りぬけるドンは、エミからもらったその手紙によって、刑務所を脱走した。
その意味が、しばらくは判らないのだ。なぜドンが脱走したのか。その直前にエミが手紙を送っていたというのは鉄矢との会話で示唆されるけれど、彼女がそこに何を書いたのかも、しばらくは明かされない。
だから鉄矢は不安に思う。鉄矢とドンだけが知る秘密がある。そしてそのことはドンの優しさに他ならないのに、いつしか鉄矢にとって弱みを握られているような感覚に陥っていて、エミを奪いにくるんじゃないかって。
鉄矢は、エミがドンに暖かい愛を感じていることを、そばにいて感じ取っていたから。
ただ、忘れていたのだ。鉄矢もまた、同じことをドンに感じていたことを。

ドンがなぜ刑務所なんぞに入っていたかというと、山火事の放火犯として捕まったからである。
そして、その火事によってエミの父親が亡くなってしまった。
この時、ドンは何ひとつ申し開きをしなかったけれど、捕まり、警察の車に押し込められ、振り返って二人を見つめるその目は、彼が犯人ではない、とハッキリと判るものだった。
哀しげで、そしてどこか挑戦的だった。
このあたりは……このあたりの演技に関して、窪塚氏は映画が出来上がるまではドンがドンとして成立しているのか不安だったと語っているのも判るような、かなりチャレンジングな造形なんだけど、最終的にドンが優しさばかりを相手に分け与えて、自分の内面がどんどん苦しく、悲しくなっていく部分を見せていくから、この解釈は成功だったのだ。
ホントね、なんでエディソン・チャンに声がかかったの?と思ったのだ。普通に日本の役者でいいじゃん、って。でも確かにこれは正解だった。こういう、ちょっと知能的障害があるのかな、という人の中には、他人にない能力や、天才的な芸術能力を持っている人がいて、そして信じられないほどに純真でっていうドンの造形が、エディソン・チャンは想像よりずっと流暢に喋ってて驚いたけど、でもやっぱり流暢じゃなりきらないところもドンっぽかったし。

ドンは自分がどういう位置の人間か判っていた。子供の頃、自分と対等に接してくれていた鉄矢も、社会の仕組みを知るにつれ……つまり、ドンはあからさまにいじめられ、そのドンと仲良くしていると鉄矢までいじめられるから、鉄矢は次第にドンから遠ざかっていってしまったのだ。でもドンは、子供の頃仲良くしてくれたことをきっとずっと感謝してて、だから彼を避けるようになった鉄矢を哀しく見つめてた。両親のいないドンは高校に行けなくて、マトモな職にもつけなくて、スクラップかなんかをリヤカーに積んで運んでて……高校に通っている鉄矢と行きあう。親しげな笑みを浮かべるドンの目を見ようともせずに行き過ぎる鉄矢は、明らかに社会に負けたと言えるけれど、でもやっぱりこの時既に、エミへの思いでドンに嫉妬する部分があったのかもしれない。

エミはそういう点では、ドンに対する態度はいつだって変わらなかった。それを気まずげに見ているような鉄矢に気づいているのかいないのか、「いつでも、私の誕生日の時には二人ともそばにいてね」とくったくなく言っていた。彼女はもう二度も心臓の手術をしているんだけれど、治らない。鉄矢はエミを治すために医者になることを決意、宣言する。でもそれは、ドンのように根本的なところで、深い愛情で支える自信がなかったようにも、後から考えると思えるのだ。彼女を愛しているのは勿論、そんなことをしなくてもドンが彼女の心をつかんでいるのを知っていたから。自分だけがエミを救えるんだという存在にならなければ負けると思ったから。
ドンが刑務所に入り、その間鉄矢は研修医となり、経験を積もうと焦る。ノンキな他の仲間たちに、「俺はお前たちとは違うんだ」と吐き捨てて。

ドンは、当然、山火事の放火犯なんかじゃなかった。そのことも、ずっと後になって明かされる。エミの父親がドンの理解者で、それというのもドンがエミの心の支えになっていることを知っていたから。かつての秘密基地でドンとエミの父親との会話を聞いてしまった鉄矢が、ドンの絵を焼き捨て、……秘密基地が火事になり、その火の粉がエミの家にまで飛んでしまったのだ。
でもね、エミの父親が死んだのは、この描写だとどー考えてもエミのせいだよなー。エミはドンに描いてもらった絵を取りに行こうと両親が止めるのを泣きながら振り切ろうとするの。それを見て父親、娘がドンに支えられているのを知っているから……自分が、と取りにいっちゃうのね。この時点で父親を止めろよ、とも思うし、……なにもさあ、ドンは死んじゃったわけでもないんだから、また描いてもらえばいいじゃん、なんて思うのは冷たい?でもそうでしょ、それで父親が死んじゃったんだからシャレにならないじゃん。
なのに、ドンが放火犯として捕まったその背に、エミは「人殺し!」と叫んでしまうしさ……お前のせいだってーの。
ごめんごめん。基本、女の子には私優しいのよ(笑)。うーん、でもこの黒木メイサ嬢はちょっとカタい感じがしたもんだからね。あんまり私の琴線に触れなかったのよ。

脱走したドンが出会うヤクザの金子とのエピソードが実に秀逸である。金子を演じるのは山本太郎。やはり彼はイイよね。主演作がもっと作られていい役者だと思う。
まさに肩で風切って歩いている金子なんだけど、その目はかなりヤバいことになってて、ぶつかったドンは彼のちょっと先が、見えてしまう……組員たちにボコボコにされているところを。
彼の後を、ドンは追ってゆく。地下の店で案の定、ボコボコにされている。金子は“仕事”に失敗したらしい。死体がひとつ必要だという。身寄りがないドンの乱入で、ヤクザたちはいいカモが来たと、嗤う。二人をトランクに押し込め、山奥に行く。金子に、ドンを撃てと命じる……ブルブル震えながらドンに拳銃を突きつける金子。ドンはまるで恐れることなく、ふっと上を見上げる。そこにはさえざえと青く輝く月。
つられて金子もその月を見上げ……そして彼はドンを撃たずに仲間達を撃ち、ドンを連れてその場から逃走するのだ。

ドンは絵を持っていた。エミに届ける絵だった。鉄矢は、ドンがエミに会いに来るはずと踏んで、待ち構えていた。金子に送られてやってきたドンは鉄矢に裏路地に連れて行かれ、どつかれ、殴られ、蹴られる。「お前、ムカつくんだよ!なんでいつもそんな顔してんだよ!もう二度と俺らの前に現われんな。俺たちとはもう世界が違うんだ!」ドンは何も言い返さない。何も言い返さず、ただただ殴られるばかりで、でも、絵を、どうしても渡したいと言うんだけど、鉄矢は頑固に拒否し……金子が駆けつける。
「誰だ、お前」「ドンのダチや!」泣かせるんだよなー、金子。山本太郎は絶対いつも関西弁なんだけど、もうそれでなきゃいけないよね、彼は。

ドンは金子をかばって銃弾を受けていた。そのことに今ごろ気づいた金子は焦って、知り合いの医者のところに連れてゆく。この医者ってのが松尾スズキ。おいおい、また医者役?しかも毎回アヤしい医者役!「ムリだよ。俺、美容外科医だよ」には吹き出したが、「おい、これ銃創じゃないか」と焦りまくり、でも金子の凄みでしぶしぶ、いや必死に治療し「久しぶりに医者らしい手術やったよ」などとご満悦なのも可笑しい。
そう、美容外科医だから、訪れる患者さんに、「成功」とか「うーん、失敗」なんて言うのも可笑しかったな(笑)。
あの時、ドンのケガを見た鉄矢はあらゆる病院をあたったんだろう、この場所を突き止めてしまう。「みーつけた」と無表情で言って、手にあやしげなアンプルを持ち、ドンを“見舞い”にくる。でももうドンはいなかった。金子が待ち構えて、「お前、これでドンに何する気やったんや」とつかみかかる。と言う割には、「お前がドンをどうしようと関係ない。だけど俺はドンに会いたいんじゃ」まあ、この後半の台詞があるからいいんだけどね。
そう、金子もドンの行く先を知らなかった。「アリガト」とだけ描かれたまつぼっくりの絵が残されていた。あの頃に比べて、ドンの絵の能力は格段に上達していて、まるでそこに本当にあるようなまつぼっくり。
お互い、ドンを見つけたら教えあおうと約束して別れる。その頃ドンは……。

どこをどう歩いて行き着いたのか、大きな寺院の門前で、スケッチをしている。そこにやってくる老婦人。ドンの絵に見入っている。「中にはもっと色んな絵の具があるのよ」そう言ってドンを誘い入れる。
この老婦人を演じているのが岸田今日子。相変わらずちょっとコワいが、相変わらず凄い存在感である。どうやら名のある画家らしい。この寺院の住職が、「先生が弟子を取るなんてめずらしいですね」と言う。「弟子じゃないわよ。お友達」でもそれって、弟子より尊い存在かも。
存分に絵が描ける場所を提供すると、それまでは粗末な道具しか使ったことのなかったドンがたぐいまれなる能力を発揮しだすんである。
部屋中に絵の具をほとばしらせて、怒りや苦しさをダイレクトに絵にぶつける彼のシーンは、見ていて鳥肌が立つ。
出来上がった、燃え上がるような色の中に、ぽっかりと月と思しき黄色い輪郭が浮かぶその絵に、穏やかに見える彼の心の中の苦しみを感じて、岸田今日子も住職もうたれるんである。
ドンはずっとこんな燃えるような苦しさを、胸の中に押し込んでいたのだ。

その頃、金子はカタギになり、張り切って肉体労働なぞやっている。ドンから松の絵が送られてきていて、松尾スズキと共にまぶしげにその絵を眺めている。カタギになった自分を生まれ変わったようだと言った彼、また仕事場に戻ろうとするところで……四方八方から刺されてしまう。
まあ、こうなるとは思っていた。仲間を殺して、フツーにカタギになれるわけない。
金子は息も絶え絶えになりながら鉄矢に電話をする。ドンの居場所が判った、と。「三人でちゃんと話し合ったれ」そう言って、息絶える。

鉄矢はエミを伴って、ドンの元に向かう。その車中で自分こそが放火犯であったことを告白する。この7年間、ずっとドンは自分の身代わりになっていたんだと。「俺、ドンに謝らなきゃ」そう言って鉄矢は車を走らせる。
ドンは小さな頃からいじめられたり、周囲の人の、「ちょっとヘンな人」という偏見から、カンタンに放火犯にされてしまうような(このあたり、警察へのシニカルな視線も感じられる)存在だった。でも鉄矢がそうだったように、ドンと個人的に関わると彼を好きにならずにいられなくなる。勿論エミも、そして金子も。岸田今日子もね。
そう、鉄矢もそうだったってことを、彼は嫉妬心のために忘れてしまったか、忘れようとしていたのだ。

またしても、ドンはどこかに姿を消していた。あの時、エミに渡せなかった絵を、二人が来たら渡してほしいと言い残して。二人が来ることを、彼はその不思議な能力で察知していたのか。だとしたら金子の死ももう知っていたのかもしれない。そして、……あの頃をほうふつとさせるような、山火事が起きることも。

この寺に引き取られた、両親を交通事故でなくしたという心臓の弱い少年が、山の方々で火をつけていたのだ。そして追いつめられた少年は逃げて、廃屋に閉じこもってしまう。シンナー類が保管されたその小屋に山の火がせまって来る。そこで三人は再会する……それにしてもエミは心臓が弱いのに、鉄矢は後ろを振り返りもせず、めちゃめちゃ走ってたよねえ。エミもさ。
まあ、そういうツッコミはやめといて。エミはやっとドンちゃんに会えたと泣き笑いして、ドンは鉄矢にゆっくり近づいてゆく。そしてその耳元で「おめでとう」そう言って、火の中に少年を助けに入ってゆくのだ。
エミが送った手紙は、あの時、「人殺し」なんてひどいことを言ってしまったお詫びと、そして鉄矢と結婚することを報告したものだった。
ドンはそれをどうしてもすぐに祝いたかったのだ。
出所間際だったのに、待てなかった。それがドンのドンらしい純粋なところだったのだ。

ドンを追って、鉄矢もまた火の中に飛び込む。「ドンを助けられるのはオレしかいないんだ!」と。
二人がやっと対峙する、この炎の中でのクライマックス。二人の、いや三人の思い出をここで一気に思い出そうとするドンは、もう最初から、こんな危ない体勢になっていなくても、死ぬつもりだったんじゃないかって、思う。

「また、念力やろう、てっちゃん」「判ったから手をつかめ!」
鉄矢は必死に言っているのに、今にも落ちていきそうなドンは、まるで嬉しそうな笑顔しか、しないの。
思い出してしまった。あの時、エミが手紙に書いたこと。
ずっと三人一緒でいたかった。どちらかを選ぶなんて考えられなかった。
言ってみたいねー、こーゆー台詞、なんて思ったけど、でもこの手紙を受け取った時、もう既に、この時点で既に、ドンは決意していたかもしれないんだ。
ドンは、エミのことはそういう意味でも好きだったと思うけど、でも鉄矢と結婚するというの、本当に嬉しかったと思う。
でも、三人ではもういられない。“自分がそういう立場の人間だってことは、判ってる”人だから、だから……。
唯一友達になってくれた鉄矢が好きだから。だから彼が手を差し伸べてくれたことが嬉しくて、「また念力やろう、てっちゃん」そう言って、彼は落ちていった。炎の中に。

人の心の中や、未来が見えてしまうドンの能力は、もともと先が長いものではなかったのかもしれない。
天才や、他人にはない能力を持った人は、長生きしないって、いうもの。
ドンの心臓は、この時助け出された男の子に移植された。その間、鉄矢は意識を失っていて、目覚めた時、既に移植手術中だった。鉄矢は跳ね起き、手術室に駆けてゆく。「俺、ドンに話したいこと、沢山あるんだよ!」
それまでは割と冷静に見てたけど、このシーンはさすがに涙が出る。
でも、もっと涙が出るのは、二人がようやく、ドンから贈られた絵を見るシーンで……だって、だってこの絵、たまらなく、幸せな絵で、見るだけでたまらなく、涙が出てしょうがないんだもん。
あの時念力で言い当てたてんとう虫や、さまざまな動物たちに祝福されて、ウェディング姿の二人がしずしずと歩いてゆく後姿。
「でも、ドンちゃんがいない」
「……いるじゃん」そう言って鉄矢が指差したのは、二人を照らす、ニッコリと微笑む月。

そしてラストシーン。二人に話しかける。手術が成功したあの男の子。スケッチブックを持っていて……それだけでドンを思わせてドキっとする。
「何か、心に思ってみて」男の子はそう言う。あの頃のドンと同じように。鉄矢は目をつぶる。男の子はさらさらとスケッチブックに筆を走らせる。
「出来た!」そこに描かれた、虹の上の、カラフルなてんとう虫!
なぜ判ったのかと問うと、男の子は言うのだ。「念力!」
そうだ、あの時、あの最期に、鉄矢の手を離したドンは、「また念力やろうね」って言ったんだ……。
なんとも言葉を発せずに、ただ黙ってエミの肩を抱き、海に目をやる鉄矢の、いや窪塚氏の表情がたまらない。

同年代の深作健太が、窪塚氏の復活に全精力を傾けたのが、何か嬉しいな、やはり。
窪塚氏は、過去シーンの学生服が違和感ない華奢さ。
それにしても、このキャラ名のクマカワテツヤっていうのは、ネライがあるのだろうか……やはり。
原作はとても気になる。後で読んじゃうかも。

それにしても、順撮りってわけじゃなかったのかもしれないけど、前半はやはり窪塚氏の演技にハラハラとしてしまう。……何か最後のほうになってくるに従ってそれも薄れて、こなれてくる気がしたんだよね。
うーん、でも確かに鉄矢のキャラクターはもっともっと複雑で、この映画の尺で描ききれるものじゃなかったようにも思うし。だって一度はドンをその手にかけようとさえしたのに、結構その後アッサリとドンに謝らなきゃ、とか言うんだもん。
いや、アッサリってわけじゃ、ないんだけど、勿論。でもこの尺だとそう見えてしまうの。
その辺にも演じる窪塚氏の葛藤が見えたんだけど……でもラストシーンの彼の表情はバツグンだったな。少年に「念力!」と言われた時の。
窪塚洋介は映画界に必要な存在。俳優なんてマトモな神経を持ってる必要ないんだから、彼が実際はどういう人かなんて、キョーミないし。ヘンな人で片付けられて追いやられてしまうのは、惜しい。 ★★★☆☆


おわらない物語 ―アビバの場合―PALINDROMES
2004年 100分 アメリカ カラー
監督:トッド・ソロンズ 脚本:トッド・ソロンズ
撮影:トム・リッチモンド 音楽:ネイサン・ラーソン
出演:ジェニファー・ジェイソン・リー/エレン・バーキン/スティーブン・アドリー・ギアギス/リチャード・メイサー/デブラ・モンク/シャロン・ウィルキンズ/マシュー・フェイバー

2005/6/7/火 劇場(渋谷シネマライズ)
ソロンズ監督のデビュー作にしてその時から痛烈な皮肉と可笑しみを印象づけた、「ウエルカム・ドールハウス」のあのしたたかなヒロイン、ドーンが自殺して、その葬儀から始まる、というオープニング。うっそおーッ、あのドーンが自殺なんかするわけがないよー、あんなに、ずぶとく生きていく力に満ちていた女の子が自殺なんて……と思いつつ、その理由に呆然とする。いわく、ドーンは“レイプされ、自分の分身が生まれてくるのに耐え切れず”自殺したというんである……うッ……。
で、このドーンはこの映画のヒロイン、アビバの従姉である。幼きドーンは自分もそんなふうになるんじゃないかと、泣きながら母親に言う。そうなりたくない。私は子供をたくさん産むのだ。たくさん、たくさん、子供が欲しい。だってそうすれば、いつだって誰かを愛していられるもの、と。
最終的に、物語を通してみれば、この台詞はとても美しく、とても美しいだけに、ひときわ皮肉に響くんである。

アビバは、子供を産めない体になってしまった。子供を熱望していた彼女はその理由だけで、両親の友人の息子であるデブチンのジュダとのセックス(っつっても、ほんの10秒程度……めっちゃ、入れただけだ……)で子供を宿すのだけれど、その時まだ彼女は12歳。両親の猛烈な反対によって堕胎させられ、あまりに若い母体だったものだから子宮が傷つき、全摘出となってしまった。
そんなことになるぐらいなら、産ませてあげればよかったのに……。この時、アビバを説得する、特に母親が、一見子供の将来のことを考えていそうで、実際は自分たちのことしか考えていないのがアリアリに判る。だって、恐ろしいんだもの……自分も中絶の経験があったんだと語るんだけど、それが経済的な理由、とか言いつつ「だって、産んでしまえば、今までのような生活は出来ない。ステキなお洋服もあきらめなきゃいけない」ってなことを言うんだもの!たくさん子供を産んで、いつだって誰かを愛していたい、と思っているアビバに対して、この台詞がどんなに恐ろしいものか判ってないところが更に恐ろしい……だって、それじゃあ、アビバがこの両親のもとに生を受けたのは、とっても運が良かっただけと言わざるを得ないじゃない。彼女だって同じ理由で葬り去られていたかもしれないんだよ?そして、アビバの赤ちゃんが葬り去られたのだって、似たような理由だったと言えなくもないじゃない。
母親は、アビバが子供を産めない体になったということを、とても言えなかった。堕ろされた子供が女の子だったと聞いたアビバは、ずっと考え続けていた子供の名前、「ヘンリエッタ……」とつぶやく。今更泣いても遅いんだよ、お母さん!泣きたいのはアビバの方でしょお!
いや、アビバは自分の体に何が起こったのか判らないから、やっぱり子供が欲しくって、家を出る。ここからアビバの旅物語が始まるんである。

実は、こここそがこの映画のスゴいところなんだけど、冒頭、幼いアビバが白人の両親のもとなのに黒人の女の子だったことから始まり、旅の最中のアビバはどんどん違う女の子によって演じられていくんである。その数実に8人!肌の色どころか、年齢、性別(男の子が一人入ってる!)までもが違うという驚くべき試み。「またの日の知華」でも四人の女優が同じ知華という女性を演じてたけど、あれは女優の競演という趣ぐらいに終わっていたのに対して、ここでの8人のアビバ、というのはそれだけで大きな意味づけがある。
どんなに外見が変わっても、アビバはアビバであり、たくさん子供を産んで、その子供たちを愛したいと思っている12歳のイノセンスは変わらないんだということ。
この作品の原題は「回文」で、そこには運命はもう決まっているというような皮肉な響きを感じなくもないんだけれど、どんなことがあっても、アビバの愛情とイノセンスが変わらない、外見がたとえ違っても変わらない、という大きな希望も感じることが出来る。

最終的にアビバが家に戻ってきて、パーティーが開かれた時、やけに懐疑的な従兄弟、マークがそういう、運命論的なことを強調していて、彼は結婚願望もないし、周りからはロリコンだと囁かれているキラワレモノなんだけど、そのマークにアビバは「(ロリコンじゃないと彼が主張したことに対して)判ってる。だってロリコンは子供を愛しているもの」と痛烈に投げかける。うーん……わざわざ招待して言うのがそれかよって気もするけど、でもその主張こそがアビバでもあり。
おっと、あまりにも話が飛びすぎた。だから、アビバの旅の展開に従って、彼女を演じる女の子がどんどん変わっていく。女の子、そう、女優というより女の子って感じである。だって、よくもまあ、こんな、いっちゃえばブスだったりデブだったりする女の子たちを見つけてくるなあ、と思っちゃうもんな……あのハラであんな腰ジーンズをよくはけるよなとか(妊娠してないのに妊娠してるみたいなハラだもん)。最終的なアビバをジェニファー・ジェイソン・リーが演じてても、彼女ですら、そんな風にちゃんと12歳の、フツーの女の子に見えるのがスゴイと思って……ここでは、旅を終えて、アビバはやけに老成しちゃってるわけだけど。

家を出たアビバはまず、従兄弟のマークに発見されて、これはどうやら家に送り届けられると察知して、逃げる。そして止めてあったトラックの荷台にもぐりこみ、その運転手のジョーとモーテルでセックスをする。
子供が欲しいと、ただそれだけの熱意でこの旅を始めたアビバだから、彼女からそう誘いをかけたのかもしれないけれど、とにかく……どうやらここでアビバはセックスの喜びを知ったらしいんである。……あんまりそういう風には見えなかったけど。
でも、そんな風に熱っぽい目でジョーを見つめていたアビバだけど、あっさり置き去りにされてしまう。
ひょっとしてここで、セックスの喜びが愛の感情に通じることも感じたのかもしれないんだけれど、アビバは男にとってのセックスはセックスでしかないことの方が多いことは、多分まだ判ってない。あのデブチンのジュダがそうだったように(その時はアビバも子供が欲しい一心しかなかったけど)。
そしてアビバはまた次の旅へと出かけるんである。

アビバが旅に出た時に、彼女の失ってしまった赤ちゃんの名前、ヘンリエッタ、と名乗っているでしょ。この物語のフシギな雰囲気といい、私、これは産まれてくることが出来なかったヘンリエッタが別次元で旅をしているのかと思ったの。演じ手がどんどん変わっていくから、そういう風に見ても違和感がなかったし、何より、サンシャイン・ホームで彼女が、両親は9.11で死んで、優しかった祖母も死に、里親にはヒドい目に合わされて……なんて言って泣くから、それがアビバのついたウソだったとは思えなくて、そんな旅を子供を熱望していたアビバが夢想しているのかと。
でも、実際は、アビバ自身がやっぱり子供が欲しくて出た旅だった、のね。

次に彼女が行き着く場所が、この物語のエポックメイキングとなる。森の中で寝込んでいるところを発見されたアビバは、今までで一番キョーレツな姿……巨大なお尻とかなりキテる二の腕の黒人の女の子、である。アビバは物語を通じて衣装はちゃんと変わらないから、おヘソを出した水色ストライプのトップにジーンズといういでたちは、彼女が一番キツいのだが、一番キツいだけに、妙におとぎばなしめいて感じるんである。
それは、彼女が見つけられたのが森の中だったからかもしれないし、彼女を見つけたピーター・ポールが連れていったサンシャイン・ホームというところが、めぐまれない子供たちをまとめて面倒見ている癒しの楽園だったからかもしれない。
しかし、一見、これ以上ないぐらい優しい人たちに見えた、ママ&パパ・サンシャインにしても、アビバの母親とさして変わりはなかったのだ。
自分たちは子供のことを考えていると思っているけど、本当はそうじゃない。自分たちがそれで気分がいいだけ、という……あるいは世の親たちはみんなそんなようなものだっていう、ソロンズ監督の痛烈な皮肉なのかもしれない。
アビバのために用意してくれた新しい服は、この巨体の彼女にはとても似合っているとはいいがたい、白とピンクのフリフリで、ここの子供たちをお人形さん扱いしている感じが端的に表われているように感じる。

ここに集ってきている子供たちは、確かにみんなカワイソウな子たちなのだけれど、小人症や盲目(だけじゃなくて、なんだかやたらと色が白すぎるのもコワい)といった、見た目にも判るような身体的障害を抱えていて、何となくそれが……フリークス的なのだ。
子供たちに歌や楽器をやらせる、のはいいけど、「テレビで何度も紹介されているんだよ」と子供たちが得意げに言うのが、逆に痛々しいのは、やっぱり見世物にされてるじゃないのとか、自分たちが子供を救っているんだということを、サンシャイン夫婦は世間に喧伝しているじゃないのと思ってしまうせいなのか。
それを裏付けるかのように、アビバを診察した、皆から優しいと慕われていた医者が、あの子は少女娼婦だとパパ・サンシャインに告げ、パパ・サンシャインは、売女はここにはおいておけない、と言っているのをアビバは聞いてしまうんである。
こらー、お前たちはカワイソウな子供たちを救ってるんじゃねーのかよー。ほんっと、シニカルだよな、ソロンズ監督……。

彼らはアビバが中絶に向かったあの病院の前で、中絶反対運動を繰り広げていた団体とつながりがあったのか……中絶を請け負っているその医者の暗殺計画を練っているんである。
しかも、その殺しを依頼するのが(自分たちの手を汚さずに、ってあたりも汚いよなー)、アビバを捨てたジョーで、ここではアールと名乗っていた。しかし本当はボブなんだという。森のはずれのトレーラーでひっそりと暮らす彼とこのサンシャイン・ホームで再会したアビバは驚き、そして彼への思いを再確認するんである。
どちらにしろ、自分は追い出される。それなら、自分から出て行こう、とアビバは抜け出し、彼の“仕事”を手伝う、と言う。自分はその医者の顔を知っているのだから、と。
実際、アビバはこの医者を憎んでいたのかもしれない。自分の大切な子供を取り上げた医者を。でも本当は……取り上げたのは両親なんだけど。

医者の家の庭に忍び込み、彼女が、あの男よ!早く引き金を引いて!と言う……ぶるぶる震えるボブの引いた引き金は、一瞬その前を横切った、医者の娘も撃ち抜いてしまった。逃げ出した二人はモーテルに駆け込み、ボブは地獄に落ちる、とぶるぶると震え出す……。
そんなことを言わないで、あなたを愛しているのに、そうアビバは彼を泣きながら抱きしめる。ボブはそんなアビバの言葉を聞いているのか、いないのか……ただただ、地獄に落ちることを恐れるばかりなのだ。彼はどうやらその前にどこかで罪を犯したらしい。そしてこの仕事を請け負ったのは、そうすることで神からの慈悲を取り戻そうと、いや取り戻せるんだとあのヤツらに言い含められたのかもしれない。トンだ癒しの楽園である。
なのに、あの医者と同じように子供を殺してしまった、と激しく動揺するボブ。
愛しているというアビバの言葉は届いてないのに、罪をかわりに私がかぶる、という言葉には反応するあたりがやけに皮肉である。さすがにそんなことは出来ない、とすぐに撤回するけれど……。
警察に包囲されてしまった二人。ドアを開けたとたん、ボブを銃弾が貫く。初めて愛した人の最期を目の前に見てしまうアビバ……。

この時のアビバ、つまり老成したジェニファー・ジェイソン・リーにバトンタッチする直前のアビバは、つやつやとした黒髪と真っ白な肌がエキゾチックなちょっとした美少女である。でもやっぱり少々太めだが……。確かに12歳の少女という幼さを残しつつも、女としてのあまりの悲劇に見舞われるこのアビバにピタリとくる。
ボブが、この作戦を決行する前にダイナーで彼女と向き合いながら、自分たちの関係を決めておこうと言う場面が印象的である。父親と娘にしようか、でも腹違いの娘なんだとか(なんだよそれ……)、教師と生徒はどうかとか、その場合の教科はなんだろうとか、数学は出来ないからすぐボロが出るとか、そんなことを汗びっしょりになりながら真剣に考えているボブは、バカバカしくもなんだかちょっと愛しくて……アビバが彼のことを直感的に愛したことも、判る気がして。
アビバは、夫婦ということにしようと、お願い、絶対に上手く行くわ、と言うんだけれど、さすがにそれは却下される。……まあどう見たって12歳のアビバだから夫婦には見えない。でもその願望には、あれだけ赤ちゃんが欲しいということだけを願っていた彼女が、彼への愛だけを考えているのが判って。

いつでも誰かを愛していられる、子供をたくさん持つことで、たくさんの愛が手に入る、と考えていたアビバは確かにイノセントな気持ちの持ち主だったけど、でももしかしたらそんな考えは、サンシャイン・ホームの夫婦のメッキ仕立ての愛とさして変わらなかったのかもしれないんだよね。
でも、そう……親の愛なんて、そんなものかもしれないと、先述のように思ったり。
この時点で、彼への愛だけを考えているアビバが、そのことに気づいていたかどうかは判らないけど、やっぱりそこから始まるんだということを、順序が逆だったけど判ったんじゃないのかなと思うのだ。
いつだって誰かを愛していられる、いつだって愛をその手に感じていることが出来るという、所有欲の愛ではなくて、何もかも与え、何もかも背負い込んでもいいと思う愛。
そして、アビバは両親のもとへ戻ってきた……。

アビバが帰ってきたパーティーを催そう、と招待する人たちを決めるお母さん。旅で出会った人たちを呼ぼうとするアビバに、遠いからとかなんとか言って、彼女の意見をしりぞけようとするあたりに、相変わらず判ってない部分が多々ある。つまりは彼女の害になる(と母親が思っている)人たちを呼びたくないと勝手に思っているフシがあるんだけど、アビバはそれを責めるわけでもなく、自分が呼びたい人を呼びたい、とだけ静かに、しかし譲らずに主張する。そんな娘の静かな抗議にさすがに気づいたか母親は、「これからはもっといいママになる」と、顔をおおって泣き出すんである。気持ちは判るけど、ここはなんだか冷めた目線を感じたりもする。実際、母親を抱きしめてあげるアビバの表情は、もう弱々しく泣いている子供じゃない。旅をして彼女は大人にならざるをえなくなり、心はとっくにこの縛り付ける母親のもとから巣立っているんだから。

8人のアビバという大胆な手法によっておとぎばなし的な雰囲気を、しずかに、しずかに語りながら、やはりそこはソロンズ監督の皮肉のスパイスを全編に感じてしまう、だけど、それだけに、監督の子供たちへの、これは真の意味での愛もやはり感じるのだ。
本当の愛を知っている人は、本当の痛みも知っているから、ということなんだろうな、きっと。★★★☆☆


女が階段を上る時
1960年 111分 日本 モノクロ
監督:成瀬巳喜男 脚本:菊島隆三
撮影:玉井正夫 音楽:黛敏郎
出演: 高峰秀子 森雅之 加東大介 中村鴈治郎 仲代達矢 小沢栄太郎 団令子 淡路恵子 細川ちか子 賀原夏子 織田政雄 北川町子 中北千枝子 塩沢とき 柳川慶子 野口ふみえ 横山道代 園田あゆみ 佐田豊 菅井きん 谷晃 本間文子 山茶花究 千石規子 沢村貞子 多々良純 藤木悠 瀬良明 三津田健 田島義文 十朱久雄 河美智子 東郷晴子

2005/10/27/木 東京国立近代美術館フィルムセンター(成瀬巳喜男監督特集)
はああ、なんつーか……キビしい話だよねえ。一瞬、ハッピーエンドになるのかと思ったの。でもそんなわけないんだよなあ、成瀬監督なんだもん。それに、私もやっぱり甘いんだよな。ヒロインの圭子のように、劇中の男の甘い顔にまんまと騙されちゃった。でもだったら一体、何を信じて生きていけばいいの。弱っている時に親身に優しくされたら、本当の愛情だと思っちゃうじゃない。
圭子だって判ってたはず。バーのマダムは客商売。お客さんみんなを恋人だと思わなきゃやっていけないって。でも心が弱っている時、客から寄せられた愛情が、ふと本物のように思えてしまう。あるいは客の中に本気で好きになってしまう人もいる。あるいは客じゃなくて一緒に仲間として働いている男が自分にホレていると言ってきたりする。でもそのどれもこれも、こんなにも虚しい。一見、沢山の愛があるように見えて、この手に残る愛は一つだってない世界。

圭子は、関根の言うとおり、家庭に入って幸せなおかみさんになっているのが似合っていたのかもしれない。そもそももともとはそうだった。夫に先立たれて、女一人生きていくためにレジでバイトしていたところを、マネージャーの小松にスカウトされたのが、雇われマダムの人生のはじまり。
圭子が結婚しようとした関根が、本物の愛情を持ってて本当に結婚してくれていたら……この時、圭子は心が弱っていた。そして関根をはじめとして計三人の男が彼女の横を素通りしてゆき、彼女は、ある意味乗り越えてしまったのだ。
あんなにイヤだと言っていた、バーへの階段を登り、店に入った時の彼女の笑顔は、今度は本当の、プロのマダムの顔になっている。
それまではどこか、躊躇があったのに。どんなにキレイで、客の誘惑にも負けない鉄の女でも、あまりに頑なだからこそ、逆にもろくて……、でも彼女は乗り越えてしまったのだ。
乗り越えることが、本当に女の幸せかどうか、判らない。結婚ばかりが女の幸せでは無論ないし、ラストの彼女はムリもなにもしていない本当のマダムの顔になって、カッコイイんだけど、どこか寂しい風が心を吹き抜ける。

高峰秀子のバーのマダム役を観るのは、これで2度目か3度目だけれど、実にしっくりとよく似合っている。あの時代の、銀座の、和服のマダム。しっかしこれで「ちょうどよ」つまり30だっていうんだから!こんな和服がいろっぺー30とは!今の時代はどんどん幼稚になってるなあ……って、私だけか?
圭子はイイ女だから、彼女目当てにやってくる客は大勢いる。小松は圭子をプロのマダムとして育て上げてきた。全ての客を恋人だと思えって。その彼の言うとおり圭子はやってきた。彼女は死んだ夫を深く愛していたし、そのことに何の苦労もなかったんだけど、だからこそその鉄の女っぷりはどこか痛々しく、小松は彼女がプロに徹しているその気持ちを汲んで、自分の気持ちは胸の奥底にしまっていた。
あるいは、彼が早くにその思いを伝えていればよかったのかもしれない。彼が一番いい相手だったかもしれない。でも彼の思いは最も悪い形で彼女に伝えられることになってしまって……。

圭子を抱けないから、小松は店の女の子に手を出すなんてこともする。またこの場面がナマナマしくてさ!いや、カットがかわって、女の部屋でベッドでしどけなくタバコをくゆらす女と、向こう側に立ってネクタイを締めている彼、ってだけなんだけど、唐突にそのカットがくるから、ドキッとしちゃうのよ。それにそのぐりっとした目が何を見ているのか判らなくてコワい仲代達矢なもんだから、しかも彼、このとおり奇妙な色っぽさがあるしねえ……。対するこの店の女の子、純子はアッケラカンとしていて、彼に「お金」と手を差し出し、「お前、オレが好きだって言ったじゃないか」「好きでも、仕事は仕事」なんて言うんだもんなー!(笑)
実際、この純子が、一番この仕事に向いていたのかもしれない。一見そうは見えないのよ。決して頭良さそうには見えない、なんかキャピキャピの女学生上がりみたいな雰囲気だし。でもこのドライさはあらゆるところで徹底してて、彼女がたわむれのように言う「いつか店をもって銀座のマダムになるのが夢」というのが、実は本気だったというのが最終的に判るのが……彼女はそれをかなえてしまうんだもん。しかも、圭子には出来なかった、パトロンに身体を許してカネを出させる(しかもそのパトロンはもともと圭子に店を出してやるために、つまり圭子を抱きたいためにカネを用意していたのに!)こともさっと乗り越えてしまう。圭子にフラれた小松がマネージャーの職を求めて彼女の元にやってきても、「嬉しいけど、こまっちゃんに払えるようなお給金ないからなー」と明るく言って断わってしまう。あのおへちゃなファニーフェイスで、情に流されることなんて全然、ないのだ。

そう、圭子は情に流されちゃったんだよね。それまで鉄の女でいただけに、だからこそしっかりしていると思っていたのに、逆だったのだ。意地になってふんばっているから強風に倒れてしまう。言ってしまえば純子は柳のように、風に逆らわずに柔らかく受け流すタイプなんだよね。で、この圭子と似ているのが、かつて彼女の店で働いていたナンバーワンで、いち早く自分の店を持ったユリである。彼女も一見、したたかに見えたのだ。自分の店に、圭子の店のごひいきさんをどんどん持ってっちゃうし。でもある日、圭子のお客を引っ張ったことを謝ったりして、ふっと弱音を漏らす。ムリして店を持って、借金で首が回らないこと。虚勢をはってそうは見えないようにしてきたから、追い詰められていること。そして、「だから、死のうと思って」ギョッとする圭子に、明るく笑って「狂言よ。ホントに死ぬわけないじゃない。狂言自殺でもすれば、しばらくは借金取りもよってこないでしょ」圭子はホッとし、がんばんなさいよ、とユリを送り出すものの、これが彼女との最後の会話になってしまった。ユリは、確かに狂言自殺のつもりだった。ほんの少しのクスリだったんだから。でもブランデーにまぜたのがいけなかったらしく、命を落としてしまったのだ。

圭子がお線香をあげに行くと、一人残されたユリの母親の元に、次々と借金取りがやってくる。その中には、かつて圭子の店の客で、ユリの店にとられた美濃部からの使いもあり、しかもこの美濃部、その日シレッと圭子の店に現われるもんだから、圭子はキレ気味に絡むのね。この男はいけすかないから、圭子は新しく移った店を教えないでいたのに。そんな圭子を奥の事務所で小松は注意する。客なんだから、と。カネを払って飲みに来ているんだから、と。圭子は今日だけは、そしてアイツだけはイヤだと。今日私はユリの家にお線香を上げてきたばかりなんだ、ユリから甘い汁を吸うだけ吸って、死んだ者からでさえケチケチ金を取り立てようとする美濃部が彼女はどうしても許せず、でも小松はそんな圭子に、プロに徹しろと言ったろ!と怒って……この時の圭子のワガママだけ、聞いてあげてれば良かったのかもしれない。圭子の中のガマンがぽきりと折れたのは多分ここからだったんだもの。

以前、店の女の子たちが、おかたいママを口説き落とすのは誰かと言い合っていたことがあったのだ。その中で「あの人だけは残念、予選落ちね」と言われていたのが太った恵比須顔の関根だった。確かに予選落ちだったのだ……彼だけは圭子も軽くあしらっていたんだもの。誘われても翌日断わるのがイヤな感じがしないでしょ、と女の子に実践で教えてたのに、関根だけは即答で断わったりして、思わず笑っちゃいながら、カワイソーとか思ってた。つまり、観客も油断していたのだ。演じる加東大介が本当に人の良さそうな男をにじみださせるもんだから、彼だけは圭子ママにムリを言わないし、酒が飲めないのに通ってくるし、しかも自分の店を出したいと、でもパトロンに抱かれて金を出させるなんてイヤだと、お得意さんから少しずつ出資してもらおうと圭子が思いついて、他のみんなは賛成してくれたのに、この彼だけは、金を出す約束はしてくれるものの、圭子は水商売には向かないと優しく諭したりするんだもの……ふと心が弱った時、彼の優しい言葉がホンモノに聞こえてしまうのだ。「僕がママに結婚を申し込んだら、笑うだろうね」そんな言葉をつい信じてしまった圭子を、責められない。

この時、圭子は確かに追い詰められていたのだ。胃潰瘍になって、血を吐いてしまった。佃島の自宅で療養していたんだけれど(劇中でも、昔の日本が残っていると言われる佃だけど、今もそのまんまなんだから、ホント、ここは奇跡の町だよね!)そこにも経営者のおかみさんが支払いの催促にやってくるし、母親からは普段はカネを無心してるくせに、この仕事のために見栄を張っている圭子に贅沢な生活をしているなどと言って口論になるし、妻に逃げられた兄は仕事でも騙されて裁判が待っており、しかもその子供は小児麻痺で、彼もまたおそるおそるながら圭子に金を無心してくるんだよね。病気をして久しぶりに帰省しても圭子に心の休まることはなく、母親はともかくこんな兄をほっとくわけにもいかなくて……でも、キレちゃうの。

何とか体が持ち直して仕事に復帰した圭子の元に、兄が裁判が何とかなりそうだ、お前が弁護士費用を出してくれたおかげだ、と言いにくるんだけど、それは、今度は子供の手術費用を出してくれないかという無心だったから。彼の頼みは確かにせっぱつまっていて、かわいそうな子供のためだし、ムリないんだけど、圭子だってギリギリでやってるのに、こんなナリで見栄張ってるからお金があるように思われて、無心されるのが、彼女だって誰かに頼りたいのに、だから、キレちゃうのだ。すごすごと帰ってゆく兄。そこへタイミングよくあらわれたのが関根だったもんだから……しかも彼、誰にも教えてないはずの圭子の実家にまでお見舞いに来てたし、圭子、心を動かされちゃって、彼のプロポーズを受けることにする。ここでは私も、ああ、良かったハッピーエンドだ、この人となら幸せになれるんじゃないかと、これがキビしい成瀬作品だということを一瞬忘れちゃってそんなことを思ってしまったら、すぐに驚愕の事実が。

行方不明になった彼を探して、彼の奥さんから電話がかかってきたのだ。奥さんがいるということさえ、知らなかった。慌てて奥さんに会いに行くと、あの人は、あれで女癖が悪くて、ホレちゃった女の人に都合のいいウソを言って、でも言ってるうちに自分でもそれが本当のような気がしてきて、結婚を言い出してだますということを繰り返しているんだと言うんである!エエーーーー!!!もお、ビックリ!でもそのジミーな奥さん、でも悪い人じゃないんですよね……あなたはキレイな人だから、まさかそんなだまされたことはないですよね、と言う。圭子は呆然としながらもやっと首を振るんだけど……。“自分でもそれが本当のような気がしてくる”ってところが落とし穴だったんだ。確かに悪い人じゃないのかもしれない、その点で。つまり彼もある意味本気だったんだから。でもだからこそ始末に終えない。女遊びをしちゃいけない人だったんだ……なんてことっ!

そんなことがあったもんだから、圭子はその直後、酔いつぶれて押し切られる形でやはり客である藤崎と寝てしまう。藤崎はイイ男でね、森雅之だからさあ。圭子は彼のこと、好きだったんだよね。でも彼は出資の話にも一番シブチンで、圭子はその時、軽く失恋したような気分だったのだ。だから彼が好きだと言ってくれて、こんな形にしろ思いを遂げられたことは素直に嬉しかった。弱っていたから。でも、でも!幸せだと言う彼女に向かって彼!昨日から言おうと思ってなかなか言えなかった……と何を言い出すのかと思ったら、大阪に転勤で、明日発つんだと!押し倒す前に言えアホーーー!寝てから言うなんてサイテーじゃ!これが最後だからヤッておこうってか!サイテー!んで、彼、10万の株券をおいていくの。更にサイテーじゃ……慈悲のつもりか、これじゃ商売女を買ったのと同じじゃん……。

またも呆然とおいてかれた圭子、そこに小松がやってくる。今まで鉄壁を通してきたのに、ぐずぐずに身体を許す圭子を叱責する。彼女の頬をぶつ。口論になる。「プロに徹しろと言ったのはあなたじゃない!」と、圭子はあくまで客として寝たんだと主張するけど、彼女が藤崎にホレていたのを小松に見抜かれてしまう。小松は、圭子がプロのマダムとして固く守り通してきたから言わなかったのに……ついに彼女に思いをつげてしまう。結婚していっしょに店をやろうと言う。うっわーーー!!!ドキドキ!それまであれほどポーカーフェイスだった小松が、彼女の腕をつかんで唇を奪おうと迫るもんだから、もうドキドキ!でも圭子……すんごいヤな顔して、拒否しまくるの。それが……キビしくてさあ……彼、ひるんだように、「もう二度と姿を表わさない」と去ってしまうのね。まあ、彼女の気持ちも判るんだけど……二度も男にだまされた直後に、そういう関係じゃなく信頼していた男にまでそんなこと言われたらねえ……みたいな。自分の価値が、寝るだけの女にあるみたいじゃない。

彼女、次の日そしらぬふりして藤崎を見送りに行く。奥さんと子供と列車に乗り込み、会社の連中に見送られている彼は驚いて、どう対処していいか判らない顔をしているのを尻目に、圭子はお得意さんを見送るバーのマダム、という顔を崩さず、にこやかに奥さんにあの株券を返し、お子さんに、とコロンバンの菓子折りを手渡す。列車が動き出し、奥さんが、「キレイな人ね。しっかりしてて、バーの女の人って感じがしないわ」とダンナに言う。まるで疑っていない奥さんに、なんとも返答しようもなくくちごもる藤崎。いやはやなんとも痛快だね!

そう、そしてラスト、階段を登り、バーのドアを開け、客たちに笑顔を振り撒く圭子はカッコよくはあるんだけど、胸にチクリとした痛みと虚しい風はやっぱり少しだけ感じつつ、でも彼女、本物のバーのマダムになったな、という感慨なのだ。

この作品、高峰秀子が衣装も手がけてるのよ。これがまたことごとくセンスが良くってさ、特に圭子が身にまとう和服の落ち着いた美しさが実にすばらしいの。こんな才能まであるとは!★★★★☆


女吸血鬼
1959年 78分 日本 モノクロ
監督:中川信夫 脚本:中沢信 仲津勝義
撮影:平野好美 音楽:井内久
出演:和田桂之助 中村虎彦 三原葉子 池内淳子 天知茂 水原爆 矢代京子 杉寛 千曲みどり 鮎川浩 倉橋宏明 鳴門洋二 高松政雄 奥田洋 国方伝 和久井勉 晴海勇三 浜野桂子 美舟洋子 五月藤江 万代裕子 信夫英一 岡竜弘 板根正吾 伊達正三郎 川原健 由木城太郎 千葉徹 西一樹 秋山要之助 高村洋三 渡辺高光 川部修詩 上野綾子 小林瑠璃子 小野彰子

2005/11/26/土 東京国立近代美術館フィルムセンター(東京フィルメックス 中川信夫監督特集)
ああ、これぞまさしく中川信夫監督っぽいのだわー。と嬉しくなる。ま、私、そんな観とらんのだけどさあ。それに私のそういうイメージって、怪奇モノであり、しかも今までのイメージでは日本モノだった。でもね、これってね、ヴァンパイアだもおん(英語字幕ついてるから、余計にそう思う)。なんかヴァンパイアってやっぱり洋モノのイメージだわよね。んでね、中川信夫といったら「地獄」でも「四谷怪談」でもこの人アリ!の素晴らしさである天知茂でさ、で、やっぱり天知茂っつったら、その端整な顔立ちはどっちかっつーと、洋の方が似合ってたんだわね、とここにきて思い当たったりする。もう、まさしく、彼、吸血鬼そのものって感じじゃない?一歩間違えれば爆笑モンのコスプレ状態、いや、一歩間違えるどころか、そのベタなファッションに時々こらえきれず吹き出しちゃうぐらいなんだけど、まあこれが似合うのなんのって話なのよ!

うー、だってさあ、彼の登場シーン、まず首に白いスカーフをネクタイのようにふわっと巻いて、一昔前のタモさんみたいな真っ黒なサングラスに黒のスリムスーツの上下といういでたちなのよお。しかもキメキメの時にはもっと凄いの。シルクのような光沢のある、袖のふくらみがたっぷりととられたドレープ感のあるシャツに、腰高のパンツが実に足が長く、しかも黒マントをひるがえし、しかもしかも、なぜかフェンシングの剣を持って闘うのよ!ぜえったい、それ、ギャグでしょ!と思うんだけど……天知茂ほどの端整な顔立ちとスタイルの良さだから、これがウッカリ似合っちゃうのよー。もうファンファンやってるジェラール・フィリップかってほど、似合っちゃうんだもん。時々吹き出しながら(笑)、う、美しいわー、と私ゃ見とれるばかりなのよ。

しかし、洋モノっぽくはあるが、やはり日本の伝統的な感覚を織り交ぜてるところが中川信夫的なんである。だってルーツは天草四郎。あの島原の乱である。まー、私は歴史はとんと苦手なんで、天草四郎が少年だったってところとキリスト教だったってところ、つまりは萌えっぽいところしか頭に入ってないんだけどさ。でもやはりその萌えっぽいところがやはり大事な部分なんである。天知茂扮する竹中は、その時代から生き延びてきた。天草の血を受け継ぐ勝姫に恋をし、追い詰められたその姫が自害の際、介錯を頼んだのが彼で、欲望に負けて恋しい姫の生き血をすすってしまった彼は、その時から何百年という年月を生き続けた。そしてあの天草の、そして勝姫の血を受け継ぐ美和子のいる現代に、今度こそ永遠の恋を実らすために(つまり彼女もまたヴァンパイアにするために)姿を表わしたのだ。

冒頭から、不穏な雰囲気。タイトルクレジットには、運転手の白い手袋がハンドルを右に左にと切り続けるアップが重なる。クレジットが終わると、車の前にいきなりフラリと女が現われて、どん、と車にぶつかってしまう。運転手、驚きながらもこともなげにって感じで「轢いちゃいました」とアッサリ言うから思わず吹き出してしまう。思えば最初っから、ホント全編こんな感じなのよね、重要なことをアッサリ言ったり流したりしちゃうのが。
この車に乗っていたのは、東洋タイムスの記者、大木民夫。フィアンセの松村伊都子の誕生パーティーにやってきたところなのだ。そしてこの轢いたはずの女はどこにもいなくて、彼女の家についた時も、フラフラ歩いているその女を民夫は目撃している。そして遅刻した理由としてアッサリ、サッパリ、明るく皆にその話をご披露するのもどうかと思うんだよねー。なんかそれが逆に怖い。

バースデイケーキを切ろうとして伊都子は指をケガしてしまう。それを見た執事と父親は不安な顔になる。奥様が行方不明になられたのも、指を怪我した後でした……と執事は言うんだけど、その後披露される回想では、奥さん=美和子が姿を消したのは、旅行先で執事はいないし、指をケガなんかしてなかったじゃん。
まあ、いいや、そういうツッコミをしだすと止まんなくなりそうだし、先進もう。んで、パーティーの最中、停電になって、“20年開かずの間”だった部屋からベルの音が聞こえる。おいおいおい、台所にいて、こんな広い屋敷の中で、そんな正確にベルの音がどこから聞こえるかが判るってのもずいぶんだし、20年開かずの間……つまり夫人が行方不明の間、誰も入らなかった部屋ってことだけど、こんな女中さんいるんだから掃除ぐらいするんじゃないの。しかも探索に行くと、カギもかかってなくてカンタンに開くしさー、結構笑う。開かずの間じゃないじゃん……。でもその部屋の中の、ベッドに黒髪が踊っているのにはさすがにぞくっとくる。20年前失踪した美和子が、当時のままの若い姿でそこにいたのだ。

美和子は怯え、その後はこんこんと眠り続け、謎はサッパリ解けない。しかも上野でやってる二期展に、この美和子ソックリの絵が出品され、しかも大賞をとっており、しかもしかもその作者は正体不明なんだという。そしてその絵を美術館に観に行った民夫と伊都子、伊都子に声をかけてきたシーンが初登場の天知茂扮する竹中は、もう最初っからアヤしすぎるよ!二人、絵を見ているその背後に、サングラスをかけて画面に入ってくるだけで、もう会場から笑いが起こるんだもん。だって、あんな、アヤしい人を絵に描いたようなカッコでフレームインしてくるからさあ。

でもやっぱりカッコいいんだけどね!彼の演技には迷いがないから、私も迷いがなく、ひたすらホレボレとするしかないのさ!美和子は竹中のもとから逃げ出したのだ。そりゃそうだ、美和子には愛する夫と、生まれたばかりの娘がいたわけで、美和子の中に勝姫の面影しか見ていない竹中から逃げ出したくなるのは当然。それもこりゃ拉致だしさ。でも、彼女の中には20年もたったという意識はあったのかな。竹中の、月の光を恐れるのを利用して逃げ出したんだけど、永遠の若さを彼によってもたらされた時から、彼女の中でそうした時間的感覚が失われていたような気がする。だって彼女がここにたどりついたのだって、徒歩?それとも吸血鬼ならではの能力?とにかく九州から東京にたどりついているんだから、こうした奇妙な感覚はどこまでいってもつきまとうんである。

ねえねえ!だけどさあ、吸血鬼って月の光を恐れるんだっけ?私のイメージでは太陽の光、なんだけどなあ……。そういや、日中は竹中、平気の平左で行動してたっけ。美術館に現われたりしてたしな。えー、そうだっけ……なんかイメージ違うんスけど……吸血鬼って、日中は棺おけの中で眠ってて、夜、それこそ月夜の晩とかに活動するんじゃないの?でもここでは、月の光を浴びると、通常の人間の姿から、キバが生えて理性が押さえられなくなる吸血鬼に変貌する、っていう感じ、なのよね。当然、目の周りのアイメイクもキツくなる(笑)。通常、クールにふるまっている天知茂は当然、端正なハンサムで相当ステキなのだが、やつれメイクに髪をかきむしり、つけ歯の吸血鬼スタイルの彼がまた、しびれるわけ。ああああー!似合い過ぎるッ!吸血鬼メイクがここまで似合う俳優は、日本の役者じゃ他にちょっと思いつかないでしょッ!月の光をあびると理性をなくして手当たり次第、女に噛みつく天知茂、もとい竹中、いや天知茂よ、彼にあんな組み敷かれて抱きつかれるんならいーじゃない。大歓迎だよ!?恐怖の奇声を発する女に噛みつく天知茂ッ!ああ、しびれるわあー。

ああ、私こそ、理性を失ってしまった(笑)。でもこの段でいくと、彼は定期的に血が必要なわけじゃなくて、月の光を浴びて変身してしまうと、血を欲する、というわけらしいのね。オリジナルな解釈やね。で、彼は美和子をモデルにした絵を美術館から盗み出して、それを松村家に届けたりと、意味深な行動を繰り返す。テレポーテーションの能力でもあるのか、あ、そうそう、竹中はめちゃめちゃ鏡に映る(鏡に映る彼、というのがミステリアスな画面構成で頻繁に使われる)んだけど、吸血鬼って鏡に映らないんじゃなかったっけ……。
ま、だからここでは吸血鬼の標準装備?じゃないんだってば。で、竹中は美和子を奪還して、自分の根城である島原の洞窟に連れ戻す。で、ここからは彼らを追いかけてくる伊都子、民夫、その他警察などモロモロとのアクション活劇と化すんだけど……これがまたさあ……ところどころ中途半端に、可笑しいのよ。

そもそも島原の山の奥地にあるこの洞窟の糸口をつかんだのは、三百万円を強奪した強盗犯。彼が山にカネを埋めようとしてこの洞窟を発見、バケモンがいたー!とカネを置いたまま逃げ帰り、あまりの恐怖にそのまま自首してしまった、ことが発端だった。でもこの強盗犯、場所を案内して、中に入って、バケモンに遭遇して、淡々と逃げて外に出てから、「あ、三百万」っつってまた淡々と引き返すのが、アホか!って感じのマイペースっぷりでさあ。こういうまったり感、時々襲ってくるのよね。この作品、いや、中川監督のカラーかしらん。
でね、この場面で捉えられた伊都子を助けるべく、真っ先に洞窟の中に入っていった民夫と竹中の壮絶な戦いがメインになるんだけど、何百年も生きてきて、不死の強靭さを持ってるはずが、民夫との戦いに手こずる、のはまだいいんだけど、後からかけつけた警察官たちに見せつけるように特撮の身軽さを見せたりするのに(これには笑った)、手こずってるのが、おかしいだろ、ってさあ。ここだけアクション映画みたいなんだもん。
それ以上におかしいのが、民夫の前に、入道みたいなつるっぱげの大男が現われるわけ。しかしこの男、威圧感はあるんだけど動きがニブくてさ、民夫の回し蹴り(これもスゴいけど)にアッサリヒットして、沸騰する池に落ちて死んじゃうのにはこらえきれず爆笑!オイオイ!お前、よええじゃんかよ!それになんで、自分たちの根城にこんな危険な池をしつらえてんだよ!こういう敵を落とすためかもしれないけど、この入道だけでなく、最終的には竹中まで落ちてんだから!意味ねえー!

そうなの。最後は竹中も死んでしまう。その前に、ここには美和子を助けにきたハズなのに、美和子は既に蝋人形にされてしまっていて……。竹中が犯してはならない親子不倫をしようとしたことで、ここの相棒のオババがすべてを無にしてしまおう、ってワケなのか、爆薬をしかけてしまうわけ。そうそう、もう一人、竹中の相棒の小人症の男がいてね。ブラウニングのフリークスって感じで、この物語の不気味さをいっそうかきたてる……んだけど、この男が案外とドジで、月の光をイヤがる竹中に命じられても素早くカーテンを引けなかったり、同じく月の光を嫌って地下のバーに逃げ込んだ竹中を追ってきた彼、何を思ったか暴れまくり(これは意味がホントに判らん)窓ガラスを割っちゃって月光差し込んじゃうし。やけに身軽で動きはすばしっこいんだけど、だから不気味なんだけど、ヘンにコメディリリーフを担ってるところがあってさあ。

洞窟の中から爆発を逃れて脱出した警察官やら新聞記者、カメラマンが「あッ、しまった!写真を撮ればよかった!」と言ったのには、お前、何しに中に入ったんだよ!とツッコミたくなったが、それにおっかぶせて、「俺たちが見たものは誰に言っても信じてはもらえまい。しかし俺たちは確かにこの目で見たんだ」とシブい刑事がしたり顔でシメちゃうもんだから、おいおい、ツッコまずにシメかよ!と思うも……ついに母親を助けられなかった伊都子に、「ご先祖さまのルーツのあるこの地で眠れて、幸せだったかもしれない。気をしっかり持って生きなければ」と民夫は伊都子の肩をしっかりと抱くんである。あららら、いつのまにやら大団円にされちゃったぞおー。

ま、とにかく、吸血鬼の天知茂がもおー、ステキだったってことで。★★★☆☆


女賭博師 尼寺開帳
1968年 分 日本 カラー
監督:田中重雄 脚本:高岩肇
撮影:中川芳久 音楽:鏑木創
出演:江波杏子 三條玲子 川津祐介 大坂志郎 志村喬 早川雄三 千波丈太郎 夏木章 水原浩一 蛍雪太朗 北城寿太郎 京唄子 鳳啓助 南州太郎 萩本欽一 坂上二郎 小山内淳 中田勉 谷謙二 伊達正 三夏伸 喜多大八 八重垣路子 八代順子

2005/2/7/月 劇場(浅草新劇場)
女賭博師シリーズを観るのも何か久しぶりだなあー。うーん、相変わらずちょっと怖い江波杏子。きれいでたおやかな「緋牡丹博徒」の藤純子とそこんところが対照的なわけで。きれいなんだけど、冷たい美貌というか、ちょっと怖いんだよね。人を寄せ付けない美しさ。

今回は、このお銀さんの父親である辰三が物語を引っ掻き回すキーマンとなる。演じる大坂志郎がなんともはや魅力的。もうしょーもないおとっつあんなんだけどさ。彼はとにかくイカサマのアイディア開発に余念がないわけ。絶対にバレないイカサマを作る!が彼の口癖なんだけど、いっつもことごとくバレてエライ目にあっちゃうの。だってああいう場ってつまりはヤクザなわけでしょ。イカサマやってんのバレたら袋叩きの上にヘタすら指までつめられちゃう。でもいつも何とか切り抜けられていたのは、組合長の岡崎さん(人情味たっぷりの志村喬がステキだわー)や、なんといっても父子家庭で彼を支える娘、お銀のおかげだった。しかし懲りずに何度も何度もやるのよね、このおとっつあん。どうしても山っ気が抜けないというか、いや、というよりは、発明に目をキラキラとさせている少年みたいな趣もある。一度なんてそれで8ヶ月も刑務所にブチ込まれ、お銀さんや彼の古い友人の奔走で何とか出所できて懲りたかと思いきや、「絶対にバレないイカサマを思いついた」と言うんだから、お銀さんももはや呆れ顔。ホント、しょーもないおとっつあんなんだけど、不思議と憎めないというか、カワイイというか、チャーミングなのよね。

あ、そうそう、こういう順序で話が進んでいくんで、登場はお銀さん、まだ女賭博師ではなくって、賭博師である父を支える若い娘さんなんである。一瞬、誰かと思った、スッピン風メイクで、可憐な女子学生風にロングスカートなんかはいてんだもん。ぜえんぜん、イメージじゃない。で、次のシーンで「結局、お父ちゃんの子やね。いつのまにか、女賭博師になってしまった」と言うお銀さんは男のように帯を腹の下に締めた粋なスタイルで、化粧のノリもバッチリの、その冷たい美貌でカリスマ性をふりまきまくる、女賭博師となっている。いやー、何か別人だよ、これってほとんど。女性って、女優って、恐ろしいねー。

父一人、子一人、ではあるんだけど、実はこの家をもう12年も前に出ていった兄がいた。「もう、29になるわね」などというお銀さんに、辰三はぷい、とそっぽを向く。父親に反発して出て行った息子は、彼にとってずっと心に刺さっている棘だった。そしてお銀さんにとって、物心つくかつかないうちに出て行った兄。
ある日、お銀さんと賭場の深見が乗った車が事故にあった。それはお銀さんとのサシでの勝負で緋桜の梨江がこてんぱんにやられた川井組のさしがねだった。深見は死に、お銀さんも重傷を負ってしまう。組長の深見が死んでしまった今、辰三には彼女の入院費用なんてなかなか出せないのね。難しい手術もしなきゃいけなくって、大金がいるわけ。で、辰三はやめときゃいいのに、また彼考案のイカサマで一攫千金を狙う。でも彼、直前に「やっぱやめとこか」と言ってるから少しは成長したかしらんと思うんだけど、彼の友人がいまだ衰えない彼の腕前を見せられて感心して、俺も手伝うから、なあんて後押ししちゃうもんだから、賭場で梨江に見破られて、ひどい目にあっちゃう。
そこに現われたのが、川井だったわけ。辰三はあの事故が川井によるものだったことを、知らない。ここを助けて、お銀さんの治療費を出す代わりに、彼女が治ったら胴元として受け入れたい、とこうくるわけ。無論辰三に断わることが出来るわけもなく……。
と、いうことは、あの梨江はお払い箱になってしまうわけで。お銀さんに勝つことだけを考えていた勝ち気な梨江はこの非情な決定に地団太踏んで悔しがる。そして彼女は尼寺に入って、いつか来るお銀さんとの対決に備えて朝な夕なに壷をふる……。

この梨江に扮する三条魔子がじっつになまめかしくってねー。江波杏子の冷たい美貌とまさに対照的な蠱惑的で小悪魔的な彼女。登場シーンは深いスリットの入った、しかもミニのチャイナドレス。そしてお払い箱になったことに激怒して川井にかみつく場面で川井にふんづかまえられて髪をゾリゾリと刈られる衝撃。さらに床下にドンと落とされて、倒れてうめく彼女、めくれあがった白い太ももとむっくりとした胸元があらわになるトコなんて、思わず生唾飲み込む男二人、でなくて女だって思わず生唾飲み込んじゃう。しかしその次のカットで「かわいがってやるぜ」と抱かれる彼女、いきなり全裸なのは、どういう時間の短縮なんじゃ。そして尼寺に入るでしょ。白装束に身を固めた彼女を後ろから抱きすくめる男に「いや、やめてよ」を繰り返し、その白装束からあのなまめかしい白い足がにょっきりと現われ、坊主頭も現われて、なんともエロチックなんである。「いいじゃねえかよ」とばかりに彼女の身体をまさぐる男に、彼女はお銀さんへの復讐を口にしながらも、息も絶え絶えになりながら悶えまくる。いやー、なんともエロでいいわあ。

で、川井組の胴元になったお銀さんなんだけど、そのお披露目の席で、辰三のどうしても、という懇願に負けて、最後の勝負に辰三考案のイカサマを使ってしまう。それを見破ったのが、12年間行方不明だった兄だった。でもこの兄は大勢の前でそれをあばくようなことはせず、ただただ「お銀さんほどの腕の人が、イカサマなんか使う必要はない」とお銀さんの将来を慮るようなことしか言わない。思い余ってこの兄を刺してしまった辰三、その顔を改めて見て、他ならぬ自分の息子であることに気づき、愕然とする。このことでお銀さんは賭場を追われる身となり、辰三は刑務所に入っちゃうんだけど、この兄は辰三の罪が少しでも軽くなるようにと奔走し、そのことをお銀さんは、自分への言動も含めて不思議に思うんだけど、辰三は何も言わないのね。

お銀さんは辰三の弁護士を雇う金を稼ぐため、逃れ逃れて下田にやってくる。そこにはかつて世話になった組合長の岡崎が、スーパーマーケットを営んでいたんだけど、地元のヤクザに資金繰りを抑えられてキュウキュウになっていた。かつての恩人の窮地を救うためにと、お銀さんはこのヤクザにサシでの勝負を申し込む。しかしそこにいたのはあの川井で……このオヤジ、「もしお銀さんが負けたら、俺の言うことを何でも聞くか」とエロオヤジ全開のことを言うわけ。お銀さんは一瞬ひるむものの、その条件をのむ。
で、あの懲りない辰三さんは、あいもかわらずイカサマにせいを入れてたのね。今度こそお銀を助けるんだ!とばかりに。でも今回のは確かに凄かったんだ。サイコロにわずかなおもりを仕込んで、振り方によって五つめの目までがキッチリと決まるという細工。このお父ちゃん、もともと手先が器用なのね。
でもそのことを、川井組の手下に聞かれてしまう。お銀さんはこんどこそ真剣勝負で勝ちたいから、とこのイカサマサイコロを受け付けないんだけど、敵に奪われて、しかも辰三さんは殺されてしまう。

今度のは確かに、すっごくいい出来だったのよ。辰三さんが娘のためにと精魂込めて作ったイカサマサイコロ。そのサイコロとお銀さん、勝負の場で再会する……かわいそうなんだよね、だってあれほどお銀さんともう一度勝負したいと特訓を重ねていた梨江なのに、このイカサマサイコロを使うよう強要されちゃって、で、お銀さんに見破られてしまうんだもの。
お銀さんの勝利と、だけど辰三さんの死。そして兄は、そのことをお銀さんに感づかれながらも頑なに固持する。彼の気持ちを察して、「あんな放浪人がお銀さんの兄さんのわけはない」と彼を行かせてやる岡崎……うーん、浪花節だねー。

本筋とはまったく関係なく、ゴーカなオマケで出てくる、京唄子とコント55号の漫談のようなやりとりが、んー、得した気分。当たり前だけど欽ちゃんの若さ!ぴちぴちだわー。★★★☆☆


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