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「り」


2002年鑑賞作品

RETURNER リターナー
2002年 116分 日本 カラー
監督:山崎貴 脚本:山崎貴 平田研也
撮影:柴崎幸三 佐光朗 音楽:松本晃彦
出演:金城武 鈴木杏 岡元夕紀子 村田充 飯田基祐 清水一哉 川合千春 ディーン・ハリントン 趙暁群 高橋昌也 樹木希林 岸谷五朗


2002/10/4/金 劇場(有楽町 日劇PLEX)
こんなにも“どこかで観たことのあるような映画”というのは、観たことがない。舞台(の一部)は近未来で、衣裳と動きはもうまんま「マトリックス」、肩凝り磁石のマグネバン(ピップエレキバンをスポンサーにして使っちゃえば良かったのに)が爆発物になるなんて、どっか「バトル・ロワイアル」風……。メカアニメそのものの宇宙人“ダグラー”の描写がなんつっても私にはダメなんである。ハリウッド映画でも、この手のものはあんまり(あくまで個人的に)好きじゃないから。確かにこのあたり、ハリウッドエンタテインメント映画と似ている(拮抗する、とは言わない)とは思うけれど。

しかし、そういうハリウッドエンタメが少なくとも、……そう少なくとも観ている間だけはドキハラさせるのと違って、正直、どうにも退屈。スタント使うのはもちろん一向に構わないんだけど、それが、どこからどこまでがスタント、とハッキリ丸判りになっちゃうとさすがにドキハラ感も薄れてしまう。あ、ここで本人のカットに変わった、なんてね。その上、やたらとそんな風にくるくる動き回っている割にはスピード感がないのは、カッティングが上手くいっていないせいなんだろうか?チャッ!と拳銃を突きつけあったりするのも、まんまジョン・ウーって感じでいまやベタすぎ。ベタすぎといえば、この黒づくめも、それこそ「ブルース・ブラザース」の昔から、先述の「マトリックス」「MIB」とベタベタすぎ。それだけで“どっかで観たことのあるような……”世界になってしまって新鮮味が薄れてしまう。

VFX監督による映画、ということで、監督ご自慢のVFXでスミからスミまで作り上げられているんだけど、監督が語るように“さりげなく見えるものもあえて手の込んだCGで作った”ことが、この“どっかで観たことのあるような”映画にしてしまった原因、人間としてのリアリティを生まない結果になってしまったんじゃないかって思えてならない。映画を助けるためのCGが映画のリアリティを損なうなんて、なんという皮肉。もちろん、映画はウソのものだけど、何か、どこかでヒューマニスティックなリアリティを感じるからこその映画なんだからさあ、ねえ。そうでなければ、映像標本としてのCG作品でしかないじゃない。

VFX出身の監督作品といえば、快ヒットをかっ飛ばした「ピンポン」の曽利文彦監督が思い出されるんだけど、この監督の場合はホント正反対で、いかにもVFXの映画だという主題を避けたって言ってた。なるほど、彼のその選択は正しかったわけだ。いかにもじゃない世界にVFXを使ったからこそとても新鮮だったし、とてもチャーミングだったし、人間を描く部分が対照的にクッキリ浮き出されて、そういうヒューマニティを描く点でもなかなか成功していた。その点、本作は、いかにもいかにもで、こういうのをベタなVFX作品って言うんだろうなあ。やはり、映画は特別なものだと思って作ってほしい。最初にVFXありきじゃなくて。

まあ、でもこの山崎監督は、そこでも勝負したつもりなのかもしれない。だって、お話は監督自身のオリジナル。このオリジナルストーリーで勝負したという中身も、ようまあオリジナル・ストーリーで挑むだけの自信があったもんだと思うぐらいのオリジナリティのなさで、ビックリしちゃうぐらい。さっき言ったのはあくまで見え方としての“どこかで観たような”だったのだけれど、その中身まで“どこかで聴いたような”では、も、どうしようもない。例えば“ヤバいこと請負屋”、例えば“秘密情報提供屋”、例えば“男と少女のバディ・ムービー”(即座に「レオン」だよね。しかも「レオン」だってその前に「グロリア」があってこそだったんだぜえ?)中国マフィア?が暗躍する無国籍感なんて、三池作品の100分の1も鮮烈じゃない。“どこかで聴いたようなオリジナル・ストーリー”だなんて、シャレにもならない。

それに未来での危機を過去で食い止めようとするのは、ついこの間映画化された「タイムマシン」で使われるような古典中の古典。このくだりだって、その古典の「タイムマシン」では、そのことによって生じるタイム・パラドックスも(これは、タイムトラベルものの基本よ)ちゃんと描写しているのに、本作ではそのあたりは全く手付かずで、これは突っ込んでくれと言っているようなものじゃない?だって、ミリが過去の原因を取り払って未来での戦争を食い止めることが出来たんなら、彼女がここに来る理由はないわけで、あるいは何百歩も譲ってそれを認めたとしても、それで未来が変わって、違う未来を体験した彼女が帰れる未来はないはず。だって、戦争が起きなければ、彼女の怒りの拠りどころだった弟の死だってなかったはずなんだから。それ以外だって、つつきはじめればあまりに基本的な突っ込みどころはありすぎるほどあるはず。

大体、これって、“未来は変えることが出来るのか”だなんて、妙に青春モノっぽい、もっともらしいテーマを掲げているように見えるけど、未来を変えてるんじゃなくて、過去を変えてるだけじゃない。アホか。そりゃーあ、あんた、過去が変えられるんだったら、皆苦労しないんだっつーの。未来を変えたかったら、その現時点であがくしかないのよ。こんなことを人生訓にされたら、ひじょーに困るんである。……てな、こんな私でも気づくような文句が、不思議なことにオフィシャルサイトの掲示板では一向に見当たらない、と思ったら……何とまあ、“すべての投稿が掲載されるわけではありません”だとお!?そんでもって、このエーガを褒め称えている書き込みしか載ってない。うっわ、サイテー!それのどこが掲示板の意味があんのよ。信じらんない。いろんな人のいろんな意見を聞くことに掲示板の意味があんでしょうが。こんなの、この映画のファンのためにも、映画自身のためにもなんないよ。

で、まあここまでケナしたおしといて、何で★☆☆☆☆じゃないかっていうと、やはりそこはガンバっている役者さんたちに感情移入するところが大きい。こういう展開だから、キャラ自体に感情移入することは、非常に、ひじょーに難しいんだけれど、役者はね、また別だから。そうそう、金城武。彼はせっかくこんなにチャーミングでいい役者なのに、何で日本での映画は今ひとつなんだろ?“アジアのスター”っていう決まり文句にとらわれすぎじゃないのかなあ。むしろ、何で彼が、数いる他のアジアのスター達の中で特別なのかというと、スケール感よりも、繊細さを醸し出せる役者だから、だと思う。むしろ、日本で組ませるんなら、篠原哲雄とか松岡錠司とか市川準とかとやったら、切な系のいい映画が出来そうな気がするんだけど。

そしてその相棒の鈴木杏。さすがハリウッド映画でスクリーンデビューした女優。オーバーアクトが実に上手い。いや、これは皮肉じゃなくて、ホントに。波の大きな表情の変化が、上手いんだよね。これが本当の意味での演技力かどうかというのを見たいためにも、彼女にも繊細な映画で勝負してもらいたい。これは本当に期待を込めて。目でっかいし、スタイルいいし、そういう意味でも非常にスクリーン映えがする。そのスタイルの良さは、女兵士として駆け回る薄汚れたパンツスタイルで実にカッコよく見せてくれるわけだけど、その対照として、宇宙科学研究所に忍び込むために身につけるスカート姿が実に可愛く、そんな彼女を見て金城氏演じるミヤモトが「悪くないわ」と言うシーンが、この映画の中での一番の名シーンに思えるぐらいなのだ。

樹木希林と岸谷五朗はヨユウで上手いんだけど、樹木希林はいつものマイペース?だからおいとくとして、岸谷氏に関しては、今年はどうしたってあの「新・仁義の墓場」があるから、本作で体を絞って挑んだとか言われても、「新・仁義の墓場」の激ヤセソーゼツには遠く及ばず、本作は余力でこなしたという感じがしてならないんだよね。それにこのキャラも、何かあまりにいかにも系のマンガチックなキャラなんだもん。キャラ自体がそうだと、やっぱり、ねえ。

ところで、鈴木杏演じるミリが弟の形見として持っていたあのクマのマスコット人形は、やっぱり「踊る大捜査線」→「スペトラ」のあのクマさんなのかなあ?金城氏だし、ねえ。★★☆☆☆


李朝女人残酷史
1969年 83分 韓国 カラー/モノクロ
監督:申相玉 脚本:
撮影: 音楽:
出演:南貞姙 崔銀姫 金芝美 南宮遠 申栄均

2002/12/25/水  京橋 東京国立近代美術館フィルムセンター(韓国映画―栄光の1960年代)
この特集上映でその前に一本だけ観ていた「男子と妓生」があまりにあまりだったので、もう観るのヤメようかなあ、と思っていたんだけど、最後の最後になってふっと思い返してもう一本に足を運んだ。で、もう何本か観とけば良かったかなとちょっと後悔。我ながらコロコロ変わるわ、まったく。「男子……」が当時の現代喜劇だったのに対して、これは時代モノ。そして儒教の教えの中でいかに女性たちが虐げられていたかを描くといういわば問題作。三つのオムニバスからなるそのどれもが、確かに残酷で哀しい物語なんだけど、不思議にどこか美しい色合いを持つのが出色。どこでカラーと白黒を分けているのか今ひとつよく判んなかったけど……。第一話目は途中から白黒になるから、嫁いでいってからが灰色の人生になるのかなあと思っていたら、第二話目は全編白黒、第三話目は全編カラー。うーむ、良く判らん。しかし白黒の方がどっかクラシックで、妙になまめかしい艶があるというのは時代モノだという頭があるせいだろうか。

「女必従夫」
家名安泰のための政略結婚で、ションベンたらしのジャリタレに嫁がされた名家の美女が、しかしこのジャリタレが病気で結婚前に死んじゃったにも関わらず、そうして寡婦になって“烈女”と呼ばれるようになれば、政府から嫁の実家は目をかけてもらえるし、世間からも讃えられる、というので、女ざかりだというのに、しかも好きな人でもなかったのに、恋も男も知らないまま、生ける屍とされてしまう。嫁ぐまでは彼女の世界はカラー。しかし嫁いでから白黒になってしまう。この彼女、みずみずしいまでに美しく、そしてまだまだ若く、嫁いだ先で自分つきの女中が男を作って子宝にまで恵まれるのを、何とも言えない“怨”の表情で見ている。母親が自分を心配して病気になったと風の噂で聞いても、様子を見に来た父親は、良くない噂が立つからといって、彼女が実家に帰るのを頑として許さない。

むしろ嫁ぎ先は結構イイ人たちなんだよね。寡婦の彼女を不憫に思い、一時的にでも帰してやりたい、と姑などは言ってくれるんだけど、彼女の立場からそれにうんと言うわけにはいかなくて。じゃあ実家が取り計らってくれるかっていうと、父親は娘の気持ちより、世間の風評と家名を守ることの方が大事。実家の母親は、娘に会いたいばかりに病気になってしまったというのに……。ここまででも充分にヒデェ話なのに、更に口アングリの結末が待っている。思いつめた彼女が尼にでもなりたい、と外へ出たところに、父親の矢が密かに彼女を狙っているのである。矢を引き絞り、額に汗し、彼女を狙う父親。そこには躊躇が見えなくもない、んだけど、結局彼女に矢をつがえてしまう!首に刺さった矢にうめいて倒れこむ彼女。血で濡れたチマ・チョゴリと悶絶する彼女の美しい顔……ひどく静かなシーンで、妙に彼女が美しくて息を呑んで見つめてしまう。そしてその瀕死の娘を父親が冷たい顔で覗き込む。「お父様……」そう言いかけて彼女は息絶える。こ、これが父親!?ひ、ヒデェ、何てヤツ!

更にもっとヒデェことに、こいつは娘を彼女の死んだ夫(あのジャリタレね)の墓の前に運び、貞節のお守りとして持たせていた飾刀を手に握らせて自殺に見せかけるんである(この姿がまた、美しいんだ……可憐な飾刀を、血で染まった白くて柔らかそうな華奢な手に持たせられ、鮮やかな鮮血が飛び散った薄絹をかさねたようなチマ・チョゴリに包まれて横たわるその姿が)。そのことで、死んだ夫の後を追った彼女はますます崇められ、門まで立てられちゃって、彼女の実家の家名はますます上がる……。その門を親に手を引かれながら何度も仰ぎ見る男の子の目が、どこかいぶかしそうに映るショットが印象的。

「七去之悪」
三話の中で、これが一番好き。好き、というのはちょっとアレだけど……。結婚して10年経つのに後継ぎが産めない嫁。後継ぎどころか、どうしても妊娠しない。せめて妾がはらんでくれないかと、夫を妾の部屋に行かせようとする嫁も切ないし、この夫婦は愛し合っているから、そんな妻の手をとって、彼女をなぐさめる夫も切ない。妾もはらまないんだから、誰がどう考えたってこの夫に原因があるのは間違いなく、夫自身もそうではないかと両親に進言するんだけど、聞き入れてもらえない。妊娠できないのは、あくまで嫁に問題があるから、嫁がハズれだから、と、あんな女でもかばうのか、もう離縁したほうがいいんじゃないか、なんて言いようなんである。

これって、現代でも決してない話ではなく、実際に妊娠しなきゃいけないのは女の方だから、子供ができないことを女のせいにさせられることが多いわけで……。でもさ、この夫、こう言うんだよね。女は嫁いでしまえば実家は他人と思わせられる。ここで追い出すのは、死ねと言うのと同じだと。泣かせるねえ。しかし、実際そうだったんだろうから、女がいかに理不尽な立場に置かれていたかが良く判る。この、嫁ぐまでは親に、嫁いでからは夫に、夫亡きあとは子供に従え、という三従の教えというのは、古い日本でも言われていたことだし、これって一話からも通じる話。ここではこの夫が妻を愛しているからまだいいけど、ホントヒデェ話だよね。しかしこの夫が妻を愛している、ということが、最悪の悲劇を招いてしまうのだから……。

思いつめた嫁は、林の中で偶然行き会った下男のソンチルに、「お願い、私を助けて!」と必死に頼み、彼と寝る。このシーンの彼女の壮絶な表情!追いつめられているのが、あまりに判りすぎて。このソンチル、頭がヨワいと皆に思われているんだけど、それはあくまで吃音のせいでそう見えるだけなんじゃないかと私には思えて仕方がない。この嫁は彼と寝たあと、秘密が漏れるのを恐れて、遠くへ行って二度と戻ってくるな、と彼に指輪を与えて遠ざけるのだけれど、無事赤ん坊を宿した彼女の元に、ある雪の晩、「奥様に食べさせたい」と鯉を下げ、寒さに震えながら帰ってくるのである。彼が、奥様を真に慕っていること……それは夫の愛とはまた違う、本当に純粋な慕う気持ちで、しかもその奥様に子種を提供してますます奥様を心配しているのが伝わって、何かもう彼のその必死な表情にジーンときてしまうのだ。彼女もまた、そんなソンチルを秘密がバレそうになった時、悩みぬいた末、かばう。しかし彼女自身は、何も疑わずに喜ぶ夫に罪の意識を感じることもあいまって、妊娠できなかった時以上に追いつめられていく。子を産んだら死のう、そう思っていたのに、子が生まれたら、乳離れが済むまで死ねない、と思う。やはり女は子供が出来たら死ねないものなのだ……(「命」だね)。

しかし、薬医が、この夫が子供の頃に煎じ違えた薬を飲んだことで子種がなくなったことを、うっかり漏らしてしまう。お、お前なー、子供が出来て喜んでいる彼に何でバラすかね!?しかしそれ以上に恐ろしいのは、その原因が父の煎じ薬であったこと、つまり父親はもちろん、もしかしたら母親も、彼に子種がないことを知っていたのである。嫁が妊娠するはずがないことも当然……それでも彼らにとっては、世継ぎが生まれればそんなことはどうでも良かったのだ。しかし、妻を愛していた夫は、そうはいかない。激しく妻に詰問する夫に、妻は決して秘密を明かそうとしない。この妻も夫を愛しているから、だから言うわけにはいかないのだ……そう、命をかけても。彼女はお願い、私を信じて、と泣き濡れて言い続け、そして刀を口からノドに差し込んで(うわッ!)死ぬ。死ぬ間際も、唇から血をしたたらせながら、お願い、私を信じて……と言い続けて、こときれる。

彼女の死にソンチルもまた大衝撃を受け、彼女の棺を担ぎながら悲壮な表情で泣き続けるソンチルのカットで終わるのが……ああ、ソンチル役の彼、本当に良かったなあ。笑顔も泣き顔もあまりに純粋で。彼は本当は自分の子である赤ちゃんのことも、凄く愛してた。こっそり赤ちゃんを抱きに部屋に忍び込んだりするのも切なくて。彼の存在が、この悲惨な女の運命をより哀しくさせる一方で、少しだけその純粋な愛情に救いがある。

「禁中秘色」
国王に仕える女官たちの物語。宮中に召されたら、もう女を殺して生きていかなければいけない女たち。寵愛を受けることでもなければ、もう尼になったも同様で、ただただ寂しく老いていくだけの女たち。彼女らもまた、この宮中に召されたことで、実家は安泰になっているに違いなく、一話、二話からそのあたり、やはり通じるのである。昔の日本も同じ、まず大事なのは「家」の時代。

最も辛いといわれる、国王の寝室つきの仕事。何が辛いかって、女を殺さなければいけない彼女たちの身体の炎を燃え立たせてしまうから。この仕事は、国王と夫人との睦言を、「鐘が鳴る」まで(これはつまり、セックスが始まるまで、ってことだろうな)一言漏らさず聞いていなければならないという仕事なのだ。そしてそれを報告し、官吏はそれを書き留める。息をのんで彼女の報告に耳を傾ける官吏や女官たちの姿はなかなか笑えるが、しかし一方でなぜそんな仕事があるのかも理解に苦しむのだが……。彼女は、「鐘が鳴った」あと、たまらず外に駆け出る。彼女の中の欲望が燃えているのが判る。喘ぐように庭の木にもたれかかる彼女。と、そんな彼女の気持ちが見透かされたのか、突然彼女を草むらに押し倒す男がいる。その姿からどうやら武官らしいが、顔が見えない。彼女は抵抗するけれど、その抵抗もやや程度で、その罪に、陥落してしまう。事後、立ち去ろうとする男のすそにすがる彼女の姿は、まるでもっと欲しているように見えて、それぐらいなまめかしくてドキッとしてしまう。男は彼女の手に二つに割った石?の片方を握らせて立ち去る。そして彼女は子を宿してしまう。

妊娠に気づいた彼女は何とか流そうとして、雪の斜面を転がり落ちたり、雪解け水の流れる小川に身を沈めたり(げげッ。あれ、スタントなしだよ。あれは冷たいよー!)果ては鏡の裏を削ったものを飲んだり(この堕胎方法、聞いたことある……)するのだが、その最後の方法の時に、血を吐きながらうめいているところを仲間に発見されてしまう。彼女のお腹はもはや臨月。どうしようもない状態。この秘密がバレれば彼女のみならず関わった女官たちの運命も決定的。その時、もう初老と思われるベテランの女官が言うのだ。私は彼女がうらやましい。国王の寵愛も受けることなく、寂しく老いていくしかない私たちにとって、相手が誰でも子供を持つのは女の夢だと。かくして女官たちは一致団結して、密かに彼女を出産させることに決める。

この場面、夜回り中の官吏たちに見つかりそうになるんだけど、意志を同じうした彼女たちが急いで隠し、床にこぼれている血も「女の病の下血だ」と言い放つベテラン女官がカッコイイのよね。しかしこの一致団結の彼女たちは、一致団結しすぎてエラいことしでかすんだけど……。と、いうのは、このはらんだ女官を抱いた武官が、彼女を忘れられなくて彼女がかくまわれている氷室に訪ねてくることが引き金になる。幼い命のためにも、二人共に生きていこう、と涙の再会を果たしたのに、その氷室から出てきた武官を見つけた女官たちは何を思ったのか、彼をひっつかまえ、力づくで殺してしまうのである。オイオイ、何でだよ!?秘密がバレたと思ったんだろうけど、でもこれって察しがつくことじゃないの?確かめてからでも遅くなかったのに。んでこっちが口アングリしている間に彼女たちはこの彼の死体に石をくくりつけて沼に沈め、証拠隠滅を図ろうとする(ゼイゼイ息を切らしながら必死になってる彼女ら、コワい)。そこにあの女官が駆けてきて、彼がもはや死んでいるのを知ってか知らずか、やめて!この人がそうなの、やめて!と泣き叫ぶんだけど、その時彼女たちは過ちに気づいてハッとするかと思いきや、泣き狂う彼女を冷静に力づくで押さえ込み、「子供と共にしっかり生きていくことが、死んだ男の供養になる」とは何事だよ!殺したのは、おめーらだろーがよー。この時にはさすがに会場皆失笑。絶対これ、理解に苦しむわ……。

女官がこの宮中から出て行ける時はただ一つ、その命が尽きた時。むしろにくるまれて、夜半、小さな裏口の扉から運び出されるのだ。宮中ではベテランの女官が天寿を全うしようとしている。通常ならば遺体はむしろにくるまれるだけなのだが、この女官は宮中に貢献した女性だったのか、国王から棺が贈られることになった。女官たちはこの棺に遺体とすりかえて彼女を入れ、こっそり宮中から出してやろうと計画する。しかし宮中内にその噂がたち、武官が真相を確かめにやってくる。本当のことを言わなければここにいる全員の目をくり抜く!と脅し、棺に刀をブスリ!中にいた赤ちゃんが大声で泣き出すのを聞いて彼はハッとし、「自分の思い違いだった」と彼女らを見逃すのだ。刀は彼女たちを傷つけずに空間を貫いたみたいで、それは確かに良かった良かった、なんだけどさあ、でもそんなラッキーを、その場で見守っていた女官たちは知る由もないわけじゃない?もしかしたらこの一撃で彼女や赤ちゃんが命を落としているかもしれないのに、すっかり安堵した顔で見送るってそりゃ、どーゆーことよ。これまた理解に苦しむわ……。

思えばこの話だけが一応はハッピーエンド……まではいかないか。彼女の愛する男は死んでしまったんだから。でも、輝く朝日に向かって赤ちゃんと共に宮中から外の世界に逃れることが出来た彼女は、このオムニバスの中で唯一、自由を得られた女性。しかしその代償はあまりに大きかったわけだが……。

不幸な女たちの物語なんだけど、性が絡んだそれらの話はどれも艶っぽく、色っぽく、韓国の女優たちは昔からやはりきめ細かい肌の美人揃いで、その艶っぽさに一層の匂い立つ華を添えている。チマ・チョゴリも可憐さとともに、薄絹が幾重にも重なった秘所を感じさせて、今までのイメージ以上になまめかしい。★★★☆☆


竜二 Forever
2002年 116分 日本 カラー
監督:細野辰興 脚本:細野辰興 星貴則
撮影:栗山修司 音楽:藪中博章
出演:高橋克典 石田ひかり 木下ほうか 奥貫薫 高杉亘 堀部圭亮 正司花江 藤田傳 水橋研二 田中要次 高橋明 桜金造 笹野高史 香川照之

2002/3/12/火 劇場(渋谷シネ・アミューズ)
あの、伝説の「竜二」をめぐる、つまりはその伝説の金子正次を映画化する、というのには、おおー!と思いつつも、ええー?金子正次役が高橋克典い?あのテレビドラマ俳優がやるのおー?(うっわー、我ながら何と偏見に満ち満ちた言い方!)とちょっと二の足を踏んでしまった。劇場に着いて、ただ今絶好調の御仁、窪塚洋介氏の映画が満杯になっているのを横目で見つつ、こっちは妙にガラ空きであることに更なる不安……。しかしまあ、私がこの映画を観に来たのは香川照之が出ていることもあるからだし、などと観る前からやたらと偏見満々。それが……。

び、びっくりした。まさか“テレビドラマ俳優”(しつこい)の高橋克典がここまでのり移り演技を見せてくれるとは思わなかった。もちろん、私も金子正次は「竜二」で見ただけ。その人が実際どんな風だったなのかなんて知る由もないのだけれど、少なくとも「竜二」から受ける金子正次(ほとんど金子正次=竜二、みたいな図式が一般的イメージだし)が彼にそのまんま降りてきたかと思わせるほどの熱のこもりよう。本当に、彼の体の中にそうした“熱”が充填されている感じなのだ。似ているはずはない。骨太の体つきが印象的だった金子正次に比べ、高橋克典はスラリと手足が長くスタイルがいいし、顔つきだって高橋氏の方は当然ながら現代の繊細なハンサム君であり、どこか泥臭かった金子正次とは遠くかけ離れている。しかし、何だってこうも……!例えばその唇のちょっと厚いところとかが似ているな、と思ったところから、どんどんどんどん観ている方も金子正次に引き寄せられる。体の仕草、手足の折り曲げ方とか、本当にそのまんまのイメージ。「エンドレスワルツ」で町田町蔵(現 町田康)がサックスプレイヤーの阿部薫にのり移り演技した時以来の衝撃、かもしれない。

しかし……金子正次以外の当事者は、皆この本作では名前を変えているのは一体何故?実在の人からは、使わないでくれとでもクレームがついたのかなあ。羽黒大介ってダレだよ、とか考え込んでしまったよ。松田優作との交友とエピソードは知っていたはずなのに……。だって、松田優作だというには、あまりにも高杉亘じゃ役不足過ぎるんだもんー。ぜっんぜんスターに見えないんだもん。オーラ無さすぎ。この時点から金子正次=高橋克典の方にオーラがあるというのは、ちょいとツラいんじゃないのかなあ。役不足といえば、荻島慶子、つまりは実際の永島暎子(なにげに音を似せているのね)を演じる奥貫薫もしかり。あの「竜二」は金子正次はもちろんだけど、永島暎子の存在があってこそのきらめきだったのよ。奥貫薫、まず風貌からして優等生すぎるんだよなあ。確かにちゃんと脱いではくれるし、高橋氏=金子正次との(劇、劇中での)濡れ場シーンもこなしてはいるんだけど、どちらにしてもさっぱりイロがないのはホント、困る。ここは大事なところなんだからさあ。まあ、こんな風に“仮名”のキャラたちだったからこそ、高橋克典の金子正次、というのがまたさらに生々しさを増した、ということも言えるわけだけど……。

そんな仮名キャストのなかでも、金子正次、そして「竜二」という映画を支える、という点で最も重要なキャストである田中と石原のキャストの香川照之と木下ほうかは大正解である。田中、というのが本当の名前かどうかは知らないが、石原は最終的に監督をつとめることになった川島透(しかしこれもまたペンネーム)。田中はドキュメンタリー出身の監督で、金子正次から監督に抜擢されるわけだが、劇映画の現場を知らない彼はろくに絵コンテも切れないありさまで、現場はイライラが募り、結局彼は金を出させられただけで降板の憂き目にあってしまう。石原を演じる木下ほうかのどこか抜け目のない、世渡り上手なキャラを演じるまさしく役者の上手さにさすがと思ったが、何と言っても田中を演じた香川照之が、本当に、本当に素晴らしかった。

彼は私の中では現在大森南朋と並んで最も気になる男優なのだが、彼の感情の滴り落ちるような負の演技のみずみずしい上手さは、主演である高橋克典を食いそうになる勢いだった。例えばこんなシーン……慣れない劇映画の現場でてきぱき指示の出せない田中にスタッフたちはイライラしている。ついにキレたスタッフが次々と現場を去っていった。見かねてプロデューサーである石原がその場を仕切ってしまい、やっと考えがまとまった田中が指示を出そうとした時には自分は必要のない人間となってしまった、という……。この時の香川照之の呆然と哀しさが入り混じった表情ときたら!このことが決定打となって結局田中は監督を降りてしまうのだが、正直、手慣れた感じで現場を仕切る石原ではなく、考えに考えに考えて画を作っていくこの田中が最後まで演出していたらどんな映画になっていただろう……などと考えてしまう。後に金子は「この映画で皆一緒に羽ばたこうと思っていたのに、こんなことになるなんて……俺は田中を潰してしまった」と嘆く。

ラスト、金子が死んだ後、田中は何だか意味深な言葉を吐いて新宿の街を歩いていく。彼が見切れた後に金子正次=高橋克典がクロスしてエンドとなるのだが、まるで田中が金子の後を追って……だなんてことが想像されてしまって。マサカ、だよね?この田中氏(本当の名前は?)は今どうしているのだろう……。そんなことを気にさせるぐらいの演技をする香川照之はやっぱり、凄い!

それにしても金子正次がこんなアングラ演劇をやっていたなんて、知らなかったな。劇中で描かれるようなものではなく、もっとカゲキな、それこそ同時期の寺山修司の「天井桟敷」と並び称されるぐらいのカゲキさだったのだという。金子は呑み屋を切り盛りしていて、それで生活を成り立たせていた。その呑み屋は金子と思いを同じくする仲間たちのたまり場。同じ思い、とは映画への思い。そこで語られる、当時の俊英たち、相米慎二だの根岸吉太郎だのといった名前がまぶしい。それまで劇団の主宰で世話をしてくれていた映画脚本家が去り、金子はその劇団を名実共にしょって立つことになる。そこに呼ばれたのが田中。劇団員オーディションで選ばれたのが、街で金子に助けられた幸子。幸子はやがて金子と結婚する。

破滅的な金子に、そして彼の不治の病に心を痛める幸子。演じる石田ひかりは、彼女特有のトロいダサっぽさ(ホメてます)がイイ感じで出ていて好感度大。彼女と対照的になるべき奥貫薫が前述の通りなので、余計に石田ひかりの好演が際立つ。それに彼女をオーディションで見て、金子と共に「いいなあ、彼女」と田中もつぶやき、後に彼女の金子への思いに応える彼の姿が、もしかしてやっぱりそうだったんだろうなと思わせて切なさに胸がつまる。うー、やっぱり香川照之、上手いよお!

「シャブ極道」(大好き!)で瞠目させられた細野辰興監督の手腕は、合格点クリアといったところか。「シャブ極道」であの渡辺征行を名優にしちゃっただけあって、本作にも、もっと映画で本格的に活躍してほしい堀部圭亮が実にいい味出してる。うるさいだけのカツマタなんてさっさと切り離して、本格的に映画俳優になっちゃえ!水橋研二も地味ながらやっぱり上手かったなあ。彼も若手役者のホープなんだよね。あまりに地味すぎて時々忘れちゃうけど(笑)。

本作に関しては「竜二」に後半だけ助監督として参加したという、阪本順治監督なぞがコメントを寄せていたりするのだけど、本当に聞きたいのは永島暎子さん、なのだよね。好きなんだもん、彼女……。彼女は「竜二」のこと、本作のこと、(本作中ではちょっとイイ仲になったように描かれていた)金子正次のこと、どう思っていたのかな……。★★★☆☆


竜馬の妻とその夫と愛人
2002年 分 日本 カラー
監督:市川準 脚本:三谷幸喜
撮影:小林達比古 音楽:谷川賢作
出演:木梨憲武 中井貴一 鈴木京香 江口洋介 橋爪功 トータス松本 小林聡美

2002/9/22/日 劇場(日比谷シャンテ・シネ)
カラーとしては対照的に見える脚本:三谷幸喜&監督:市川準というコラボレーションがどういう効果を生むのかが、この映画の最大の興味。正直、期待半分、不安半分と言ったところだったのだけれど、これが、まさしくケミカルな効果で、どちらのカラーも不可分なく出ていることに、かなり驚いたりする。考えてみれば市川監督は「大阪物語」でも非常に若々しい個性の脚本家と組んで大成功していたりするのだから、彼自身、脚本が自分の映画に影響をもたらすことに対して、意外に積極的に楽しむタイプなのかもしれない……実はそのあたり、結構正反対のタイプの監督も多くて、大林監督なんかはまさしくそうなんだけど、人の脚本でも自分のモノにガラリとねじ込んじゃうという……もちろんそれはそれで魅力の一つでもあるんだけど。市川監督は、そのあたり非常に柔軟なのね。

舞台のことは無知なので、舞台が先に上演されていたというのは知らなかった。確かにあちこちで舞台っぽさ……特にクライマックス、鈴木京香サン演じるおりょうが空をあおいで「竜馬!」と連呼するところなんか……を感じることはあるんだけど、それは単に三谷さんのクセみたいなものなのかな、と思っていたりしたので(笑)。あ、でもこの映画化に際して映画用に脚本を書き直したというし、そのあたりは四季がとても美しく出ているところなんかに表れているのかもしれない。こういうところは、実際、映画は有利よね。特に市川監督なんか、街の表情を実に愛しげに切り取る人。その中に四季の時間が組み込まれていたら、ささやかな、そして華やかな紅葉や雪や雨や……そんなものが、街の表情を豊かに変えていくのを登場人物たちと同様につぶさに拾っていくに違いないもの。特に本作は四季を描きつつもその殆どがセットだというから、用意された四季をひとつもこぼさずに映そうという意識も当然働くだろうし。

で、三谷氏と市川氏のコラボレーションの妙味は、このあたりのすり寄りから始まっているわけで。照れかくしも含んだような弾けた明るさと、どこか諦念の美しさを思わせるわびさびの境地。例えばメインの中でもただ一人主人公を挙げろと言われればこの人、松兵衛を演じる木梨憲武は三谷氏の匂いを大いに含んでいるお人なのだけれど、彼が市川監督の魔法の粉をかけられると、そのドタバタな部分が上手く可愛らしくくるまれて、テレやシャイな部分が切なく強調されて、実にキュンと来る渋味を出してくるんだから、このケミカル効果は大いに指摘されなければなるまい。

いや、本当に、このノリさんの素敵さには、参った。何だって今までずっと映画に出なかったのかなあと思うほど。まあ、このキャラが合ってたっていうのもあるだろうけど。画面の中で常にじっとしていられない、落ち着いていられないっていうのがいかにも松兵衛らしくって、他の登場人物がいろいろと喋っている間、後ろでウロウロして頭ぶつけたり、お豆の音たてたり、そういういろんなボケをかますところ、もうあまりに可愛くて可笑しくて最高なんだよね!もともと、とんねるずのお二人のうちでは断然ノリさんの方が好きだよなあ、とは思ってたんだけど、まさかこんなに素敵モードを放ってくるとは思わなかった。それに単純に、上手いよね、彼。本当になあんで今まで映画界は彼をほっといたわけぇ?ホント、もったいないよ。でも、女を愛するが故の、この何ともいえない哀愁の出かたとか、それ相応の年を重ねて、夫として父としてのキャリアを積んだからこそ出ている部分もあるのかもね。ノリさんって、何か家族大好きって感じじゃない?そんなところも実にいいのよね。こういうダンナさん、こういうお父さん欲しいッ!っていうような。

それにしても、三谷さんもよくこういうネタを拾ってくるなと思うんだけど。まあ、物語自体は完全にフィクションだろうけれど、竜馬の未亡人であるおりょうさんが再婚した、という事実だけで、ここまで広げるかっていう……凄いわ。実は私は歴史、特に日本史はからきし弱くって、竜馬のことも名前ぐらいしか判らず、彼と関わったのがどういう人だとか、どういう事件があったのかとか、ぶっちゃけ、どういう人物だったのかとかさっぱり判らなかったのだ(恥ずかしい〜)。ま、無論、判らなくったって、ちゃんと楽しめるわけで、こういう作品もまた、海外展開してほしいよなあ。33歳で死んでしまったとか、日本初の新婚旅行をしたとか、なんかそんな部分でドキドキしちゃうのって、ルール違反?

で、彼が暗殺されて、残されたおりょうさん(鈴木京香)が前々から言い寄られていた松兵衛と結婚して、で、この松兵衛ってのが人はいいんだけど実にカイショのない男なんで、どんどん貧乏になっちゃう。そして坂本竜馬の十三回忌に、おりょうさんを呼ばなければっていう話になって、彼女のもとを訪れた覚兵衛(中井貴一)はおりょうの妹のダンナ。おりょうは竜馬亡き後、彼の仲間たちにむげにされたことを怒っていて、今更ムシが良すぎるよ、と突っぱねる。しかも、彼女は竜馬にソックリな男、虎蔵(江口洋介)を愛人にしてヨロシクやっているというありさま。松兵衛は彼女にベタ惚れなもんだから、何にも言えなくてオロオロするばかり。果ては彼女に、今日はどっちに行くの(自分の方か、愛人の方か)と訪ねるありさまで、情けないったらありゃしない。そうこうしているうちに、おりょうさんはこの虎ちゃんと北海道開拓に駆け落ちする算段を始めちゃって……。

中井貴一がコメディをやると、本当におっかしいんだよね。ホント、チーム中井貴一って感じのその四角四面さが、ことごとく……そう、まさしくノリさんと正反対だから、劇中、彼とほとんどコンビのようにしてずっとボケツッコミをやってる感じで、ノリさん、松兵衛っていうよりもノリさん自身の言葉で、おそらくアドリブも相当入っているって感じでバシバシ突っ込むじゃない?「やっちゃった!」とかいうあたり、まさしくそうだよね。貴一サンの場合は恐らくきっちりと芝居を組み立ててて、それをノリさんに崩されることによって、それでもちゃんと貴一サンの四角四面さは保たれたままでそれを受ける、ここにもまたケミカルな妙味があるのよね。いやあ、この二人のシーンは本当に可笑しくて、可笑しくて。外が豪雨で、お互いの声が良く聞こえなくて叫び合うところとかさ。あ、特に虎蔵がおりょうさんを連れてく、と挨拶にくるシーンでの、いちいち後ろに隠れて打ち合わせをするところ!竜馬ソックリの虎蔵の男気にどんどん傾倒しちゃう覚兵衛にアセる松兵衛。あるいは虎蔵に押されっぱなしの松兵衛を叱咤する覚兵衛。座布団にうなだれて正座したまま、覚兵衛にズルズル引きずられていく松兵衛のかわゆさが最高なんだなあ!

そして、この虎蔵である。土佐出身で、竜馬ソックリのしゃべり方や思想で、驚いたことに竜馬と同じく背中にたてがみまである(これって、実際竜馬に……?まさかね)。小心者でおりょうさんに何も言えない松兵衛とは違い、非常に男らしく、同性である覚兵衛もホレてしまうような男。の、筈が、おおっとビックリ、何と彼は(竜馬など知らないと言っていたのに)坂本竜馬に憧れるあまり、実にオタク的な(劇中では通、と言っていたけれど、ま、これは時代だから。今で言ったら絶対オタクよね)研究を重ねて、竜馬ソックリに自らを仕立て上げた男だったのだ。背中のたてがみはつけ毛、おりょうさんに近付いたのも、無論、竜馬の妻である女と恋仲になることが、竜馬心酔者の彼にとってどれだけ名誉なことになるかしれないから。この、虎蔵の虚像が突き崩されていく場面は、役者江口洋介の見せどころでもあり、「いままでカッコよかったから、カッコ悪ぅ〜!」とやたらと突っ込むノリさんの暴れどころでもある(笑)。それに、結構信じきっちゃってた観客(え?私だけ?)の単純さも突き崩されちゃう。豪傑者がどんどんしなだれてく様子が、江口君、なかなか面白かったです。

そしてこの人がいなければ始まらない、おりょう役の鈴木京香。実はこうした時代物の彼女、ついこないだ「助太刀屋助六」で見たばかりなんだけど、あの時は年に合わないムリのあるおぼこ娘で、こっちが恥ずかしくなっちゃうぐらい、かなりの違和感があったんだけど、本作は年恰好、疲れた女の色っぽさ、全てにおいてドンピシャリである。失礼ながら、最近年とっちゃったよなーとか思ってて(「釣りバカ」とか、バリバリのキャリアウーマンを演じながらも、頬の感じとかが凄く気になったんだよね)でも、本作ではそうした年齢を重ねた部分こそが大事なわけで、亡き夫に似ている若いツバメに入れ込むところとかの愚かさも、年をとっているからこそ切ないわけだからさ。着崩した着物の色っぽさ、その襟首のあたり、これは若い女じゃ出ないよねー、実際。ひそかに彼女にホレていた覚兵衛が理性を失うのも無理はない。実際女である私だってあんなふうにされたら、くらっときちゃうわ、マジで。松兵衛が「こんないい匂いが世の中にあったのかっていうぐらいのいい匂い」だという、寝床の中の彼女、何かその台詞にも納得しちゃうものがあるんだわ。このおりょうさんだったら、確かにそんな感じ、するもんね。

おりょうさんは、心の中にいつも竜馬を持ち続けている。決して、忘れることがない。虎蔵に傾いたのも、覚兵衛に言い寄ったのも、彼らの中にどうにかして竜馬を見出そうとしたから。それが判るクライマックスは、もう泣けちゃったなあ。松兵衛の自分に対する想いは充分すぎるぐらいに判ってる。でもダメなのだ。その想いが申し訳なくて。だって、彼は竜馬じゃないから。自分は竜馬しか愛せないから。でもさ、松兵衛だってそんなこと、判ってたんだよね。判ってて、それでもいいと思ってたんだよね。この台詞、松兵衛が去っていく彼女に叫ぶ台詞「竜馬には何もかも叶わないけど、でもたったひとつ、俺、生きてっから。お前が背中かゆい時、どのあたりか大体判るし、寝床で足が冷たかったら温めてあげられるし、具合が悪かったらおかゆとか作ってあげられるし。お前は竜馬を心の支えにしているのかもしれないけど、竜馬は死んでるから。俺、生きてるから。支えになってあげられるから。俺、待つ!」

もうー!泣いたよー凄く!この台詞自体、かなり泣かせるんだけど、ノリさんが凄く凄くイイんだもん!マジでホレたよ、本当に!愛するよりも愛される方が幸せとか、よく言うじゃない?でも、それってどこかアキラメとかあるいはその方が楽とかいう感じを含んでるんだけど、でもさ、この台詞聞いたら、必ずしもそうじゃないんじゃないか、って気がして……いわゆる自分から相手に対する愛の感情、それよりももっと尊く、幸せなものもあるのかもしれない、なんて。そう……全然違う映画だけど「ホタル」における夫婦も、愛以上のつながりだった。あ、それと、このおりょうさんと松兵衛の関係って、私「めぞん一刻」思い出しちゃったんだ。響子さんの中には消しようもなく亡くなったダンナ、惣一郎さんがいて、五代君はそれを判ってて、というか、惣一郎さんを抱えている彼女、惣一郎さんは彼女の一部となってて、そんな彼女を愛したんだ、っていう……私、めぞんのあのくだりにもすっごい、泣いちゃったんだもん。

で、泣かせるだけで終わりになるわけがないのが、三谷さん脚本だから、ラストのオチにはまさしく椅子から落ちそうになっちゃったよ。竜馬がやすやすと暗殺されちゃったのは、松兵衛の仕込んだしびれ薬のせいだったなんて!あはは、覚兵衛が彼の首をしめにかかるのも、ムリはないわな。あ、覚兵衛がしびれ薬をなめちゃって、しびれてるシーンもおっかしかったよね、そういえば。「あ、しびれてる、しびれてる」って言うノリさんがまた、絶妙で。

三谷さんのカメオ出演は当然として、覚兵衛の妻役でちらりと出る小林聡美には喜んじゃったよー。あれだけなのに、絶妙で上手いんだよなあ。夫婦でいる限りは、自身の監督作に使うことはない、って言っているけど(何でよ!)脚本のみならOKなのね。実際、三谷脚本に彼女、一番ハマる女優だと思うからさあ。そして市川監督作品といえば、とってもかわゆい声の安部聡子さん。本作でも長屋の住人の一人で登場。うーん、やはりかわゆい声だ。さすがにもう少女という感じではなくなってたけど……市川監督、彼女がメインになる映画作ってよー。★★★★★


リリアン・ギッシュの肖像PORTRAIT OF LILIAN GISH
1983年 56分 フランス カラー
監督:ジャンヌ・モロー 脚本:――(ドキュメンタリー)
撮影:トーマス・ハーヴィッツ/ピエール・ゴダール 音楽:ローランド・ロマネッリ
出演:リリアン・ギッシュ/ジャンヌ・モロー

2002/10/28/月 第15回東京国際女性映画祭(東京ウィメンズプラザ)
ジャンヌ・モローが企画、監督した、サイレント時代のスター、リリアン・ギッシュへのロング・インタビューを核としたドキュメンタリー。ジャンヌ・モローの監督作品があるというのも知らなかったので驚いたが、その作品が、あのリリアン・ギッシュのドキュメンタリーだというのも、驚いた。フランス女優であるジャンヌがリリアンにインタビューするその流暢な英語も……だなんて、そんなことで驚くのは、日本人だけかな。この日もう一本、この作品のインタビュアーとして登場するジャンヌよりも更に10年ほど若いジャンヌの出演作品(これがモノ凄い。何が凄いって……)も観たけれど、その日本よりもこの日ナマで登場した現在74歳の彼女が一番若々しく、カッコいいというのが凄かった。

そしてこの作品のヒロインであるリリアンも。彼女を最初に観たのはもういきなり「八月の鯨」だったのかもしれない。その時にはサイレントスターの久々の復帰が騒がれてて、その関連で彼女のサイレント時代の作品も観たような気がする。「八月の鯨」のチャーミングな老婦人像にその時点で可愛いなあと思った記憶があり、何かそのキャラクターにリリアンを重ねていたようなところがあるのだが、実際のリリアンはそのキャラクター通りの可愛さと、最も驚くのは、あんな大人しいおばあちゃんではなく、まあてきぱきとよく喋ること!もう、本当にビックリした。だって、この時もう85歳超くらいだったはず。それが……声を聞いているだけなら、20代、30代のようにも聞こえるほどの早口なおしゃべりと、しかもその語りのウィットに富んでいてメチャクチャ面白いこと!

労働法にひっかかるゆえに、常に年のサバをよんでいたティーンの頃を振り返り、「だから今でも年より上に見られると嬉しいの。100歳なんて見られたら、やった!って感じ」とか、「あの頃は照明技術がひどかったから、皆死後三週間(!なんて言い方!)。とても老けて見えたから若い人が必要だったのよ」「グリフィスは私たち姉妹のことを、ギッシュ、キッシュ、ピッシュ、ディッシュ……何てひどい苗字なんだ、ですって」とか、もっと色々、たくさんあったんだけど、とにかくこんな調子で、もう何度も大爆笑してしまう。彼女の出演作品はそのままあの頃の映画の歴史である、それぐらい凄い映画人生を生きた人なのに、そういう厳しさが微塵もなくて、おまけにこれはいいのか悪いのか、演技に対する貪欲さとか、役者であることの云々とか、そういうのすら全然なくて、何か成り行きで始めちゃったのよね、と、ま、それはきっと謙遜も多く含まれているんだろうけれど、絶対に波乱だらけであったはずの自分の人生を、アドベンチャーとして楽しんでいるような感じ。だからきっと息長くやってこられたんだろうし、そしてこんなに素敵なままで長生き出来たのだ。

あの伝説の名監督、グリフィスとのエピソードというのがいちいち面白い。よくある監督と女優のラブロマンス、なんていう陳腐な話は一切なく、これはリリアンの姐御肌というより兄貴肌に近いような?そのサバサバした性分から来ているんだろうけれど、聞いていると、何か戦友というか同士というか、そういう風に聞こえるんだよね……年も離れているし、全てを指導監督する監督と、まだスターシステムが確立していなかったあの頃は特に、道具やコマの一つにしか過ぎなかったはずの役者との関係が、そういう風になれるのは凄い。あ、でもこれは、グリフィスの性分でもあったのかもしれない。リリアンが語るに、彼はスタッフも役者も、そして自分も含めてチームで動くのが好きな人だったみたいだし、あるいはもしかしたらあの頃はそういう点で今より理想的な現場だったのかもしれないな……完全にそれぞれの役割が分担されている現場より、ずっと親密でずっと信頼関係が得られるのかも。

その流れでか、グリフィスがふいと行方不明になった間、彼の新築しているスタジオの工事現場と、その時撮影していた映画の現場、双方の“初監督”をリリアンがまかされる。そのエピソードを語る時のリリアンの言い方……工事現場の監督、というのはこれまた爆笑モノだったのだけれど、グリフィスが言うに「監督が女性だと、皆喜んで従うだろ」どこかいつまでも少年のような茶目っ気があったらしいグリフィスの言いそうなことではあるけれど、彼がリリアンという稀有な女優を通して女性の中にそういう資質を見出してくれていたのかな、なんて思うとちょっと嬉しくもなってくる。

最初に観た時も衝撃的だった「東への道」の流氷で流されるシーンを久しぶりに観る。……再度今観ても、やはり凄い!当然CGなどあり得べくもなかったあの頃、でもそんなことわざわざ再確認しなくても、これが本当にホンモノであるのって、その役者のナマの演技だってことって、観ればちゃあんと判るもんなんだよね。現代の映画を観てても時々思うことではあるけれど……やっぱりCGなりスタントなり使っているところって、どんなに上手に処理しても、役者の熱や必死度で本当か本当じゃないかって、判っちゃうんだよね……。サイレント期、そして全ての映画の中でもトップに君臨し続けるホンモノ、「東への道」のこのシーンと、あとはやっぱりキートンの「セブンチャンス」の岩が転がるあのシーンかなあ。あ、でもジャッキーも入れたい!

リリアンが役者になったきっかけは、うだつの上がらない父親のために舞台女優として働いたお母さんに子役としてついたため。リリアンの語るこのお母さんというのがとっても素晴らしい人で、つまりはそんな風に巡業生活だったからろくに学校にも行けないギッシュ姉妹だったわけだけど、彼女が先生となり、全てを教え、導いたのだ。リリアンがスクリーンの中に友達を見つけ、それがメアリー・ピックフォードだった、というエピソードも凄いが、それを聞いて「あの家も大変なのね」と言ったお母さんが最高だね!でも確かにあの頃はそれほどに役者が差別的に見られていた時代だったわけだけど、その時代を語るリリアンに、そういう負い目があったようには全然思えない。彼女の凄さは多分そこなんだろうな。とにかく好奇心が強くて何でもやってみたくて、それで映画界にも飛び込み、その好奇心ゆえにカメラや編集にも興味を持って、グリフィスはそんな彼女を信頼して編集作業の助手にもつけたのだという。うーん、やっぱりリリアンはただのかわいこちゃんじゃなかったんだな。

リリアンは結局、結婚することもなく、子供も持たなかったけれど、そんなリリアンにジャンヌ・モローがこう質問する。「もし子供がいたら、自分のどんなところを伝えたい?」リリアンは即答「好奇心ね。」凄いな、普通こんな年で出てくる台詞じゃないよ!★★★★☆


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