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「て」


2005年鑑賞作品

デーモンラヴァー DEMONLOVER/DEMONLOVER
2002年 120分 フランス カラー
監督:オリヴィエ・アサイヤス 脚本:オリヴィエ・アサイヤス
撮影:ドニ・ルノワール 音楽:ソニック・ユース
出演:コニー・ニールセン/シャルル・ベルリング/クロエ・セヴィニー/ジーナ・ガーション/ジャン=バプティスト・マラルトル/ドミニク・レイモン/ジュリー・ブローシェン/大森南朋/山崎直子


2005/3/17/木 劇場(渋谷シアター・イメージフォーラム)
まあ、大森南朋が初の海外進出!ってだけで観に行ったもんだから前知識も何も全然なかったんだけど、彼は結構チョイ出だし、その役柄もそうそう重要なようにも感じられないし、なんつーか話自体がよー判らんって感じで、観てる間は?マークが飛びっぱなし。でもこの、マンガチックさをスタイリッシュに持ってくるあたり、何か「イルマ・ヴェップ」みたいね、とか思ってたらホントにおんなじ監督さんだったのか……私何も知らないで観すぎだなあ。日本のアニメ会社が出てきて、それもちょっとエッチな少女エロのコンテンツだったりして、しかも残虐も入ってきて、そのソフトをめぐっての企業バトルって、不思議な感じがするなあ、とか思ってたら、その不思議な感じそのままにどんどんバーチャルに入ってって、あらららら?と思ってたらヒロインはネット世界に落ちてエンド、みたいな、あっ、私ってばついていけてないー。何が起こってるのか、判ってないー。だ、ダメだ……。

冒頭から、もうウラギリは始まってる。飛行機の中。朝。カップ型のミネラルウォーターに注射器から何かの薬が注入される。それを同僚に飲ませる、女。いかにもバリバリキャリアウーマンで、ミステリアスな、黒の似合う女。ヒロインであるディアーヌである。彼女はそうやってまんまとこのプロジェクトのリーダー、カレンを誘拐させ、重要書類を盗ませ、自分が後釜に座ってしまうんである。でも、ディアーヌは野望をかなえるためにそうしたんじゃない。彼女の目的はこの契約自体をぶっ潰すこと。ディアーヌはこのヴォルフ・グループに入り込んだ産業スパイだったのだ。
東京アニメとの提携は、資本をほしがっている東京アニメを傘下にすることで、その豊富なコンテンツをヴォルフ・グループが掌握すること。そうして展開するヴォルフ・グループとのWEB上での配給業務の提携を、デーモン・ラヴァーとマンガトロニクスという二つの会社が争っている。で、ディアーヌはマンガトロニクス側のスパイ。彼女の目的は東京アニメをヴォルフ・グループに有利かつ確実な形で取り込むことと、そしてそのヴォルフ・グループと東京アニメのつながりによって出来たアニメ市場の独占をライバル、デーモン・ラヴァーに渡さないこと、である。

だから結構、最初はバリバリと企業ドラマ的展開なんである。東京アニメがヴォルフ・グループを料亭で接待する場面や、東京アニメ社でソフトの説明を受けているところなんか、シビアなディアーヌがバシバシ突っ込んできたりして、海外ビジネスの厳しさをリアルに感じさせたりして、ね。で、ここでの東京アニメの社長が大森南朋であり、彼ってばつまり、20代の社長であり、その存在感はどことなく……不思議である。この若さで会社をまとめあげているというカリスマ性は、ない。どちらかというと、接待の席ではどこか頼りなさげであり、自分の会社のコンテンツを説明している時も淡々としている。ただそれが、この資本を待って子会社になるという運命の東京アニメ社の社長、というのを、不思議な浮遊感で体現しているように思えるというか。短髪に刈り込んだ頭に、ピアスなんぞして、微妙なセクシーさをたたえながら、しかしどこか不安げな社長、という不思議なぐらつきが、ああ何か大森南朋なアプローチだなあ、なぞと思えて、出番はここだけなんだけど、この初海外を足がかりにしてほしいなあ、と思うんである。

東京アニメの持つコンテンツや、その後に考えているという3Dアニメとか、まさに日本のアニメ事情を大きく、そして正確にとらえていて、アサイヤス監督は「イルマ・ヴェップ」といい、こういう世界がオタク的に好きなんじゃないのと思える。少女変身モノ、そしてエロ、規制によってヘアは描けないからつるりとしたヌードはフランス側からキッズポルノに当たるのではないかと指摘されたりしてナルホドと思う。確かに日本の少女アニメはそうした規制が逆にロリコンエロを助長しているふしはあり、かといってそれがとがめられることはなく、ひとつの日本の文化として事なかれ主義的に定着している。技術も描写も優れているから、確かに作品としての価値は高いけれど、市場として誰もが届く場所にある危うさがある。そうしたものが遠慮なく氾濫しているから、日本は、ことに東京は、不思議な、バーチャルな場所に映るのかもしれない、と思う。それは日本人として否定的に思っているんじゃなくて、そのおかしなバランスの自由さが、確かにネオ日本文化の魅力ではあるのだ。そしてそれがこの作品世界に大いに影響を及ぼしているのは事実。
ヨーロッパ映画がもともと持っている最初からのファンタジーではなく、日本のアニメやマンガのそれというのは、こんな風に全く隔絶されているところにあるんじゃなくて、現実の中に潜んでいて、違和感なく顔を出し、引きずられるもの。それはどこか、ネット社会の闇にも似ている。

東京アニメはソフトの提供。デーモン・ラヴァーはその配給業務の提携。ソフトがなければと言いつつ、実際は市場の掌握こそが問題で、ソフトの内容や質は、実はそれほど問題じゃないんじゃないかと感じたりしてしまう。むしろ量であり、市場占有率であり、何より問題を起こさないこと。日本の海外へのソフト供給って、ひょっとして現実、それ止まりなのかもしれないって気がする。あるいは日本国内の話であってもそうなのかも、と。冒険は許されない。量と占有率。
東京アニメは3Dに移行しようとしている。そうしないとアニメ業界で生き残れないから。そこで提示される3Dアニメは女戦闘モノで、例外なくエロであり、例外なく残虐である。その要素は今までのいわゆるセルアニメ(デジタル作業するにしても、基本は)と比べて、なんだかあまりにも血が通っていないように思える。戦闘で残虐、がセルアニメで感じていた痛みから遠くはなれ、エロもまたマネキンにポーズをとらせているだけ、みたいな。セルアニメで育ったせいもあるのかもしれないけど、この感覚は確かに最近のいわゆるCGアニメで感じていることではあるんだよね。日本の手作業アニメが生み出した血と肉が、こんな風に海外提携や国際マーケットを巻き込んでいくうちにCGという手法の中に取り込まれて、簡便さを追及するうちに、温度をなくしていってしまうんじゃないかって……そりゃCGも表現方法のひとつなんだけれど。

アニメコンテンツが出てくるのはこの場面だけだから、そんな風にまで感じてしまうのはちょっといきすぎなんだろうけど。でも結局ヒロインが落ちてしまうネットの闇というのが、そうしたアニメ的残虐でエロの世界であり、しかもそこはまさしく3Dの世界なんである。生身の人間がその中に生息しているんだからCGアニメなんぞではないんだけど、ただ、パソコンのこちら側から見ており、見ているこっちも見られるあっちも匿名であり、見ているこっちがあっちを好きなように、どんな残酷にも動かすことが出来る、というのが、セルアニメでは出来なかった最初からデジタルであるCGの、行き着く姿なのだとしたら、そこには作品性はなく、そしてこんな風に生身の人間が3Dアニメのコンテンツそのものになってしまうようなこのラストって、なんだかとっても皮肉、なんじゃないの。どこかファンタジック、スタイリッシュに見えながら、実はすっごくコワいことを言っているんじゃないだろうか。

なんて、いきなりオチかよ!と……思いっきり中身すっ飛ばしちゃったな。そこにいくまでには登場人物もいっぱい出てくるし、企業同士、スパイ同士の攻防戦もバシバシ出てくるし、それで私のようなヨワい頭の持ち主は、ハテナマークが頭の中に無数に飛び交っちゃうのよ。ディアーヌはマンガトロニクスからの産業スパイ。彼女は自分は仕事の出来る女だと思っていたし、無論スパイは自分だけだと思っていたハズ。しかしこれが驚くわね、敵であるデーモンラヴァーは更にウワテだったのよ。だってディアーヌが一緒に仕事をしている、つまりこの東京アニメのコンテンツを取り込んでのプロジェクトの同僚たちはみーんなデーモンラヴァーから送り込まれたスパイだったんだもの。たった一人のディアーヌがかなうわけがなかった。ディアーヌがどこかバカにしていた小洒落たパリジェンヌのエリースも、ちょっとイイ仲になりそうだった上司のエルベも、そしてディアーヌが葬り去った元リーダーのカレンでさえ。エリースが傷ついたカレンをなぐさめる場面が不思議に色っぽい同志めいた色をたたえているのは、偶然ではなかったんだ。

そしてディアーヌが考えているよりもこのエリースは仕事の出来る女であり、コンランし始めてきたディアーヌを脅しにかかる。デーモンラヴァーが契約のために接触してきたあたりから、ディアーヌはだんだんそのクールな完璧さが崩れてきた。デーモンラヴァーはアメリカの会社。ヤバい違法サイトにも手を出すようなトコなんだけど、そこをディアーヌがついても、どこかふてぶてしさというかずうずうしさがあるというか、確かにこの世界で生き残ってきた強さを感じさせるスタッフたちだった。クールなディアーヌと対峙する、このいかにもゴーゴーアメリカンな女性スタッフ、エレインを演じるジーナ・ガーション、彼女久しぶりに見たけど、このめくれ唇の魅力は相変わらずで、こういう上段に構えた女を演じると最高にハマる。ディアーヌはこのエレインのホテルの部屋に忍び込み、探りを入れようとしたところに彼女と遭遇してしまって殺し合いを演じる。え?ええ?おいおい、そんなことしてちゃマズいんじゃないの!と思いながら観てると、なんだかそれこそバーチャルな感じで……殺った、と思ったエレインから後ろから襲い掛かられて、次にディアーヌがガバッと目を覚ますと、その死闘の痕跡は何ひとつ残されていないわけ。
観てるコッチは、あら?これってディアーヌの夢だったのかしらん、とか思ってると、エリースからの脅迫がくるんである。カレンからの伝言だと。別に何が目的ではない。カレンはあなたがおびえているのが判ればいいのだと。そして一度はクラッときながらもスパイだからと距離をおいていたエルベから、自分たちはデーモンラヴァーの手先なんだと告げられる。どうやら彼らはディアーヌの正体も見破っていたらしく……。

まあ、だからなぜディアーヌがあの拷問サイトに落とされるのかはいまひとつわからないんだけどさ。何かよーわからんうちに追いつめられたディアーヌは、カレンの指示によるエリースの言いなりになり、「従うしかないのね」とか言って、デーモンラヴァーが運営する拷問サイトの住人になる……うーむ、今ひとつよく判らない。でもディアーヌにしても、このエリースやエルベにしても、スパイだから正体不明のようなところがあり、その匿名性は、すごくアニメチックな、バーチャルなそれを感じさせもするんだよね。自分の役目や存在意義が、外からの指示によってすべて決められてしまう、というような……。ディアーヌは自分の雇い主であるマンガトロニクスから、カレンやエリースによって奪い取られてしまった。そしてゲームでの支配者は彼女たちに移り、だからディアーヌはそれに従わざるを得ない、みたいな、それこそ、すごくこう、ゲーム的な世界での、ね。しかもそれがこういうバーチャル感覚が違和感なく溶け込む現代の都会社会において、不思議ではない感覚。人間は一人で一単体で、そこに家族や恋人や友人といった、人間的つながりをあまり感じることが出来ないところが。
ディアーヌ自身、最初は自分の思うままにできると思ってて。仕事の出来る女であり、そうやって相手を信用させる自信もあり、実際はウラギリモノである。つまり彼女は忠誠を尽くすところがない、自分だけを信じて生きてきたわけで。
それが、皮肉な形で裏切られる。誰にも忠誠をつくしていなかったから、誰にも忠誠を尽くさなくてもいい世界に突き落とされる。ネットとは、そういう世界。

エリースを演じるクロエ・セヴィニーが、彼女はホントいつでも印象的ね。常に目の下クマ状態の独特のダークな風貌、ハッキリと美人というわけではないんだけど、なんだか目に焼きついて、離れない。彼女のフランス語の達者さにはビックリしたけど(パリジェンヌの役だからね)そんなこと、ビックリするのは日本人だけなのかな……。生々しい生きているエネルギーというわけでもなく、しかしその退廃的な感じのどこかに、虎視眈々と何かを狙っているような光りを感じるというか、どこにでもいそうで、どこにもいない。特異、そして驚異さ。

マネー、イメージ、パワー、セックス。監督が語るこの要素は、そのどれもが、形のない、つかめない、バーチャルな、ネットそのものの。アニメというソフトもまた、そう。それが欠かせないものとなってしまった世界で生きているということが、もっと切実に、恐ろしく感じなければいけないんじゃないだろうか。★★★☆☆


鉄人28号
2004年 114分 日本 カラー
監督:冨樫森 脚本:斉藤ひろし 山田耕大
撮影:山本英夫 音楽:千住明
出演:池松壮亮 蒼井優 香川照之 川原亜矢子 薬師丸ひろ子 中澤裕子 高岡蒼佑 伊武雅刀 柄本明 中村嘉葎雄

2005/4/7/木 劇場(歌舞伎町シネマミラノ)
ここんとこの古典SFアニメの実写化の中で、最終登板となった本作は、宣伝も公開形態も他に比べて格段に地味な印象はあれど、実際はその中で最も原作の雰囲気を残したものになっているんじゃないかと思う。なーんて言いつつ私はその頃のそうした作品のことなんて全然知らないし興味もなかったから、今回のこの実写化ブームの中で見ているのなんてこれと「キューティーハニー」ぐらいのもんなんだけど、でも原作と映画は別物だという意識、監督の作家的野心、あるいは原作のファンからの糾弾への恐れから、それなら全く別方向でというような意識が働きがちであろう中で、元作品の雰囲気を大切にするっていうことが逆にとても勇気のいることなんじゃないかってことは、とても感じるのだ。

それにね、今って映像において何でも出来ちゃうじゃない。こんなCG礼賛の時代になっちゃってるから。でも本作はその利点を、原作のカラーをとどめるという方向でしか使ってない、って気がする。それこそそのことにはとても腐心してる。だって今の時代、こんなまるっこくてぎこちなくてパンチしか繰り出せないようなロボットを、いかに古典的原作があるからってそのまま出してくるって、かなりの勇気だと思うよ。映画としての画が寂しくなるんじゃないかとか、絶対考えちゃうもん。それこそやっちゃう監督なら、ガンダム級の新生28号に作り変えることぐらいしかねないんじゃないかなあ。でもしないんだよね。機能の複雑さじゃなくて、ロボットモノ、あるいは特撮モノの基本的な魅力である、大きさの迫力で魅せる。ロボットがビルに突っ込んでガラスが粉々になって降って来る、みたいな、今なら単純すぎて逆にやらないかもしれないようなそういう描写に、ロボットの動きが鈍いからこそ、重々しい迫力を感じる。その舞台、それは確かに現代の東京なんだけど、こんなアナクロでまるっこいロボットが矛盾なく出てくるぐらいだから、その現代性を主張しているわけじゃないんだよね。雰囲気としては、やはりその古きよき時代を残してる感じ。原っぱでラジコン飛行機を飛ばして遊んだり、夕暮れの神社の石段や、自転車で疾走する感じとか。ああ、富樫監督なんだもん。コドモ映画を撮らせたら右に出るものはいない(と、ここまで来たら勝手に決めちゃう!)富樫監督なんだもん!彼だからこそこの「鉄人28号」の現代での実写映画化をまかされたに違いないんだし、それに対して臆せず突き進んだのだッ。

そう、これは少年の、勇気と愛の物語なんである。ああ、もう富樫監督に対しては私、既にパブロフの犬状態かもしれない。すぐ、泣いちゃう。またしてもボロ泣きしてるんだもん。あー、男の子って、最高。この映画はね、いい意味での子供映画よ。男の子がワクワクしながら読みふける少年冒険小説そのまま。東京を襲撃する悪のロボットが首都へのサイバーテロだというあたりに現代への目配せが感じられもするけれど、基本的には男の子が冒険を通して成長していく物語。その最後にはハラハラしながら見守っていたお母さんが涙しながら「正太郎なら出来ると思ってた」と抱きしめるというお約束の場面も出てきて、こういうシンプルなお約束にヨワい私は当然涙ドバーなんである。
おっとっと、いきなりラストに話が走っちゃいけない。いやー、でもさー、「ごめん」といい、わたしゃ別にショタコンのつもりはないんだけど(つーかこの場合、まさしく真の意味での正太郎コンプレックスだよ!)、富樫映画の男の子の素敵さにはヤラれちゃうんだよな。「ごめん」では恋する男の子の大人への手前の素敵さだった。本作はそこからちょっと年齢が下がって、男の子としての自分を乗り越える作業と、男の子にとって絶対であるお母さんへの愛情が描かれてて、こーいうのを見ると少々子供ギライの私も、ちょいと男の子を産んでみたいような衝動にかられちまうんである。

ことに正太郎はお父さんを亡くしてずっとお母さんと二人で暮らしていたから、そういう描写には胸をきゅんとさせるものを感じるのだ。その亡くなったお父さんというのが、その前の祖父の代から科学者の家系であり、祖父の作った軍事用ロボットを平和利用に改造することに没頭していた正一郎である。正太郎の記憶の中には、最後、自分を突き飛ばしたお父さんの姿だけが焼きついていて、自分はお父さんに嫌われていたんじゃないかと思ってる。でもそれは正太郎に鉄人を託したいと思っていたお父さんが彼を守るためにしたことで、お父さんはその事故で死んでしまったんである。
ある日、首都東京に謎の黒いロボットが出現し、東京タワーをねじり倒し、街中を飛び回って人々は大混乱に陥る。どうやらこの東京、ひいては日本、世界全土を破壊する意図があるらしい。そんな騒ぎの中正太郎のお母さんはケガをして入院してしまい、正太郎は謎の老人に呼び出されるんである。いわく、「私はあなたのお父さんに仕えていました」と……。

ああ、もう、どうしよ。ヤバいキャスティングが目白押しなんだもん。この謎のロボット、ブラックオックスを作り出した天才科学者、宅見零児にうわわわわ、香川照之であるッ!銀髪で前髪を片方だけタラリとたらして、銀のマントっぽいコスチュームに身を包み、世を恨んでいる様がアリアリの、コミックそのままのこのいでたちを、まさかの香川照之が思いっきりツボにはまって演じていることに、かなり呆然とする。ま、まさかこんなキャラを彼に振るとは……ッ。いやでもそれをさー、もう何たって香川照之だから、なんの迷いもなく演じるから、もう観てるこっちは、観てるこっちは……ッ!あー、いいものを観せてもらいました。ナムナム。
その助手のレイラに川原亜矢子。おーい、こんな美脚の助手がいてたまるかあーッ!登場シーン、引きの画面で宅見とレイラのツーショットに寄っていくんだけど、もうそのありえないインパラのような足だけで判るんだもん、川原亜矢子だって。当然ながらの彼女のこのプロポーションの魅力を、こんなにもあますところなく見せてくれる映画作品というのも、ね。だってそれを見せちゃえば通常の映画だったら逆に不自然になっちゃうもの。こんなスタイルの美女が市井にいるか!って話になっちゃうもの。やはりここは古典SFの映画化だからこそ出来るワザなのよねー。いやー、いい足おがませていただきました。ナムナム。

そして、正太郎を鉄人28号へと導く綾部老人には超シブどころ、中村嘉葎雄で、もう彼の造形が完璧で最高なんだよなあ。これぞ、少年冒険モノに出てくる理解あるおじいさんだよね。まずこの知的な雰囲気。それはソフト帽、白いおひげ、長いチェーンがたれさがった鼻眼鏡などに演出されはするものの、やはりそこは彼の誰にも負けないキャリアがものを言ってるんであって、そりゃいくら少年冒険活劇とはいえ、こんな子供に日本の危機を託すなんて荒唐無稽に違いないんだけど、この中村嘉葎雄の説得力で、そうかー、とか思わせちゃうんだもん。
そして、意外に良かったのは、この映画化で発表されたキャスティングでオオッと思っていた中澤裕子姐さんである。娘。を卒業してからは、ちょこっとドラマには出てるみたいだけど、ほぼ娘。たちの統括みたいな立場でしか姿をあらわしていないのがもったいないと思うぐらい、落ち着いた演技を見せていて安心して見ていられるんである。思えばね、あのかなりイタい映画であった「ピンチランナー」で彼女だけがマトモな演技を見せていたんだよね。個性的とか鮮烈とかいったタイプの演技ではないけれど任せておいて安心、みたいなバイプレーヤーの基本形を見せてくれてるっていうか。それでいて彼女本来が持っている姉御肌がキャラとしてキチンと成立していて、黒髪のボブカットに黒のパンツスーツ姿で、彼女を慕う年下の男性部下を従えて颯爽と行動する女刑事は、いや、これが、実にカッコいいんである。

でもねー、やはりねー、この映画のチャーミングさの大部分を担っているのは、やはりこの人でしょう。ああ、愛しき蒼井優嬢である。天才少女博士という、少年科学モノにしか成立しないようなキャラを、これ以上ない萌え度で体現してくれるんである。このキャラは「花とアリス」と双璧と言っていいぐらいの、彼女の魅力が固まった形で出てる最高傑作でね!しかも半ズボン姿の男の子と共にだから、あー、もう余計に胸キュン度がッ!色白のきめ細かい肌に、透明感のある長いサラ髪、ユニホーム的に着ているベレー帽にネクタイ、膝丈のボックススカート、ハイソックスに茶の革靴。あー、あー、あーもう……可愛すぎます。こういう記号をきっちりと女の子の可愛いさとして体現しちまうこの美少女ってば、もうッ!
正太郎はね多分、この年頃はそろそろ男の子にとっての初恋の時期だからさ。一方で、今までは頼りっきりだったけど今初めて守らなければならないと思ったお母さんがいて、そしてこの年上の美少女は鉄人を操作する正太郎を指導する立場にあったりして。何かそういう、守ってくれる女性から守るべき女性への揺れ動きが正太郎の中に、お母さんと真美によってすっごく感じられるんだよね。ホントにもう、少年期特有の。鉄人の操作が上手くできない正太郎が落ち込んで飛び出してっちゃう場面、河原で正太郎を捕まえた蒼井優演じる真美がね、「本当は褒めたくてウズウズしてた」って言うの、良かったなあ。「正太郎君、本当に頑張ってるよ」ってね。女の子の方が大人になるのは早いし、なんたってこの真美は天才少女博士でここに科学者として呼ばれているわけなんだけど、その言葉にはどこか、擬似母親というか、そういうものに背伸びしてなってるようなちょっと生意気な初々しさがあってさあ。

正太郎がこの鉄人を操作することになるまでにも葛藤があるんである。最初は流れでわけもわからず操縦してしまった。しかも旧式のままの鉄人で、慣れない操作もあいまって最新型のブラックオックスにかなうわけもなかった。正太郎は深く落ち込み、鉄人の操作など二度としないと思うんだけど、でも、綾部老人のこの言葉に心動かされるんである。「男の子の人生は、冒険から始まるんだ」くうーッ!なんていい台詞なのッ!男の、じゃなくて、人間の、でもなくて、男の子の、ってところがイイのよねー、だからホントにこれは、少年の勇気と愛の物語なのよ。ここに、見事に象徴されてるもん。あ、それとこの台詞もそうだ。いざ決戦に向かう正太郎に真美が言う言葉。「戦う勇気だけが、あなたの武器なのよ」いやあーーー、もう、お姉さんしびれちゃう。それに応えての正太郎の台詞もイイ。「僕に何が出来るか、最後まで見ててください」ああー、もうッ、お姉さんとろけちゃうッ!見てるわよおー、もう最後まで見ててあげるわよッ(ハマり過ぎだって……)。

鉄人は武器を持たないロボット。敵のブラックオックスもさしたる武器は持ってないけど(旧型鉄人を倒した電磁波による破壊能力も、改良された鉄人がブロックしてしまったら、もうそれ以上何もないもんね)、鉄人はとにかくその無武器っぷりこそが個性みたいなところがあるんである。動きだって往年のロボットモノをそのまま残して、ぎこちないしね。驚くべきことに闘い方にはパンチしかない。それって人間のケンカと同じだろうっていう……。でもホント、それこそが、このアナクロをきっちり残したこの作品の、現代へ向けたメッセージよねー。だってロボットモノだもん。いくらだって想像の及ぶ限り様々な能力を搭載できるはずなのよ。それこそ前述のガンダムみたいな合体型ロボットに見られるようにね。でもそれを全然しないんだよなあ。そして驚くべきことに、倒したブラックオックスにとどめをさすためにその足で踏み潰すことさえしない。いや、出来ない。正太郎は当然それがリモコンで操作できると思って、必死にカチカチとやるのよ。でも鉄人は……自らの意志を持たない操作型ロボットのはずなのに、それに応じないの。そう、真美があとで言うように「まるで自分の意志があるみたい」に。

その鉄人の“気持ち”を正太郎が受け取って、争いの無意味さを説く場面は、これは男の子、つまりは子供が言うからこそいいんだよね。きっちりと説得力があるんだよね。やっぱりこれをね、大人が言っちゃったら、クサい偽善ものになってしまうんだけど、しつこいぐらい何度も言うように、これは少年冒険モノの子供映画だからさあ。それをこんなトゲトゲしい現代の世界にあえて問うた富樫監督にはバンザイ!でしょー。だって元々原作の鉄人は、自らの意思を持たないからこそ、操作する人間によって善にも悪にも染まってしまうってことがあったわけで、でもこの実写映画化で、鉄人が意思を持ち、それは悪を排除する気持ちなんだっていうのがね、作家として唯一変えたところがそこだったっていうのがね、もう、フツーに気持ちいいわけ、単純だから、私もさ。それは無論、正太郎が心の中にずっと持ち続けていたお父さんの思いであったに違いなくて。正太郎は鉄人にお父さんを見ていた。そのことがずっと眠り続けていた鉄人に反射したんじゃないのかな、きっと。

正太郎が鉄人を操縦すると知ったとたんに尊敬のまなざしになる、男の子たちのいい意味での単純さと、そこからシンプルに展開する友情も、あーん、好き好き。単純と言うなら言ってちょーだい。だって好きなんだもん!★★★★★


鉄砲犬
1965年 83分 日本 カラー
監督:村野鉄太郎 脚本:藤本義一
撮影:小林節雄 音楽:菊地俊輔
出演:田宮二郎 天知茂 山下洵一郎 小沢昭一 姿美千子 坂本スミ子 北林谷栄 西川ヒノデ 曽我廼家五郎八 安部徹 早川雄三 守田学 藤山浩二 大川修 小山内淳 蛍雪太朗 仲村隆 渡辺鉄弥 穂高のり子

2005/2/23/水 劇場(浅草新劇場)
世の中にゃあ、ほんっと、まだまだ私の知らないオモロイシリーズものがあるんだわねえ。かなり好きな田宮二郎の初ソロシリーズものだというのに、知らなかった。ハジ。いや、だってこれさあ、田宮二郎、天知茂、のキャストが並んでて、あ、観に行こ、と思ったぐらい、この二人が並んでいる姿が見たいためだったがぐらいなのに、田宮二郎主演で、天知茂がそれに絡むレギュラーのこのシリーズを今まで観てないばかりか知りもしなかったなんてー!ああ……。

くうう、田宮二郎、カッコカワイイ。私は彼は「白い巨塔」が初めで、しかもその悲惨な最期など聞いて、最初こそは悪魔的というかクラいイメージが付きまとっていたんだけど、もう「悪名」からコロッと、その軽やかで無邪気なハンサムっぷりの虜になってしまったの。このバタくさい顔がね、でもあの独特のとがった犬歯でニカッと笑われると、ああ、何でこんな、ヤンチャ坊主みたいな笑顔になっちゃうの!もうハートズキューンなんだけど!きっとこのシリーズはこういう彼の魅力が全開なんだろーなー、ああ、全作観たい。しかも彼のスタイリッシュなこと!もともと洋装の似合うばつぐんのスタイルだけど、このキザなカッコが似合うのよー。細身のグレーのボトムに、黒のジャケット、中は真っ赤な(!)ベストを着込み、白いシャツに、首元には黒地に白の水玉のスカーフを粋に巻き、赤いポケットチーフも忘れない。うわー、キザだけど、メチャ似合ってカッコよすぎ!で、彼のご自慢は自作(って言ってたと思ったんだけど、とにかく早口で)ハジキで、もう嬉しそうにくるくる回すだけでは飽き足らず、早撃ち、曲撃ちなんでもござれの鮮やかさ!ええッ、あれって、見切れたところでそれなりに細工はしているだろうけど、割と引き画面だし、基本、田宮二郎自身の腕前なんだよねえ!か、カッコよすぎるぞ、田宮二郎!特に「オープン&ファイヤー」という、並んで置いた三つのジッポを拳銃の弾で次々開け、そして一気に火をつけるワザには、シビれた。あー、田宮二郎、カッコイイ。しかも、どうだ、オレッてスゲーだろ、みたいな、うっれしそうな笑顔がたまらんのよ。あー、カワイイ。

あ、違った。こんな東京弁じゃ、なかった。彼、大阪なの。この軽々しい大阪弁がまた、イイんだなー。「悪名」でもご当地言葉がステキだったけど、ここでの早口で聞き取れないぐらいの大阪弁の、コテコテなんだけど思いっきりカルいノリが、スゴくステキなの。今の大阪弁となんだか違う気がする。いや、違うというより、こんな“粋”な大阪弁、私は今も昔(の映画)でも、他にあまり聞いた覚えがない。どぎつくないっていうのかな、毒というよりはウィット、まるでフランス語みたいに!?ステキなんだよなー、ホレボレ。
でも、早口すぎて、ホント、聞き取れないんだけど。というより、展開が早すぎて、ついてけない。つーか、ここ浅草新劇場は手癖の悪いオッチャンが多くて、私はすっごい席移動しちゃって、一回目じゃ話がいまひとつ判らんかったよ。で、田宮二郎があまりにカッコ良かったこともあって、もっかい観たいなー、と三本(立て)が終わってからもう一度観て、ようやく話が飲み込めたの。昔の映画は尺が短いけど、話はキッチリ盛り込むから、もうホントに展開が早い、早い。そこがイイんだけど。

いくらなんでも話を書いとかないと、何がなんだか判らない(汗)。最初、田宮二郎扮する鴨井は九州にいるのね。まあちょいとバクチで遊んで、そろそろ大阪帰ろか、みたいなところで、賭場で知り合った同郷の小玉という男に頼みごとをされる。大阪にいる病身の母親に見舞金を届けてほしいって。実はこの小玉という男はお尋ね者の身で、大阪に自ら行くことが出来ないのね。あ、お尋ね者って言っても、警察からのそれじゃなくて、ヤクザの組の中での、っていう。でも彼はいわば犠牲者。競輪の八百長の片棒かつがされちゃって、それをバラされると組が困るってんで、見つかると、消されちゃうの。かわいそうに。
でも、この小玉、鴨井にこう頼みつつも、後に大阪に来ちゃう。どうしても母親に会いたくて、来ちゃう。大阪には彼を消そうとしている組の他にも、彼が持ちかけた八百長によって選手生命を断たれ、見つけたら殺してやると息巻いている早川という男もいて、絶対来ちゃいけないところだったのに。……なんて具合に、鴨井はめんどくさい事態に巻き込まれちゃうわけね。

もともとこの鴨井も、ここ大阪では暴れん坊としてかなり知られた存在らしく、大阪に来たとたん久しぶりやなーって感じでさっそく顔を合わせちゃって、以来何かとつきまとう、腐れ縁みたいな感じの木村という刑事がいるんである。この木村が天知茂。ああ、天知茂、もう、大好きなの、私!それにしても、すっごい、イメージ違う!確かに顔は天知茂なんだけど(当たり前だよ)、私が数少ないながらも観てきた天知茂のイメージとずいぶんとかけ離れていて、あれ?これが天知茂なんだよね?と中盤あたりまで自信が持てなかったぐらい。彼もねー、田宮二郎とのかけあいを演じるぐらいだから、そのカルーい大阪弁がなんとも魅力なのよ。この二人の会話シーンは、ホントに漫才みたい。それもツッコミ同士の(笑)。食べに行こうと言えばいつもうどん、ごっそーさん、と鴨井が言って席を立とうとしたら、コラ、誰が奢る言うたんや、自分の分は置いてけぇ、と木村、相変わらずセコいでんな、と硬貨を一枚チャリンと置き、これもとっといてや、と自分の残りの汁を木村の丼にザバッとあける、みたいな、この流れるような一連のシークエンス、ああ、これは観なきゃ判らない、逆にこれだけの流れをね、今の関西系の人が出来るかって言ったら、きっと出来ないよ。コミカルなんだけど、何かもう既に、神がかり的なんだもん!

あー、だから、天知茂もステキなんだってば。くすんだクリーム色のトレンチコートに同色の帽子、いつも少し目のクマっぽいところとか。そしてこれは初めて見る、口の回りとあごの無精ひげ、そしてそして、私の大好きな、目の間の、鼻にしわを寄せる表情、ああ、シビれるわあー。んで、ヤンチャハンサムの田宮二郎とツーショットでの場面は、もうなんつーか、パーフェクトね。贅沢にステキすぎ。身体検査だと言って、田宮二郎の○○○○を画面下で見切れてギュッとつかむシーンなんか、ああッ!(何喜んでんの!)

鴨井はね、もともと大阪での要注意人物でもあるし、そしてお尋ね者の小玉に頼まれものをされて関わったりしちゃったもんだから、鴨井が小玉の行方を知ってるだろう、連絡を取り合うだろう、と当然、ヤクザさんたちにも思われて、刑事の木村もそれでマークするわけね。鴨井は人情篤い男だから、小玉の大切な家族、病身のおっかさん(でも、エラく元気で面白すぎ)と、けなげな妹を何とか守りたいと思うのね。

この妹はいわば本作のヒロインなんだけど、別に彼女とどうなるとかいうわけでもないあたりが、またイイんだよなあ。気持ちの上でも、お互いにそういう雰囲気は、全然というわけではないけど、ま、ほとんどないの。鴨井は見るからに女好きそうな感じなんだけどねえ。彼には、九州の時から懇意にしているつる子という女がいてね、でも彼女も別に恋人というわけではない。つーか、このつる子はかなりのコメディリリーフでさ。胸ボーン!お尻ボーン!なんだけど、ちっちゃくって、つまりはオデブちゃんなわけ。しかもヤバイ秘密を平気で大声で言っちゃうし、愛すべき天真爛漫なおおらかさ。確かに恋人というわけじゃないんだけど、鴨井が彼女を「チンチクリンの可愛らしいコ」と言うように、可愛がっているというのは、判るわけ。彼女はこの大阪で“BGをしている”と言うんだけど、ビジネスガールなどではなく、バスガール、それも、バス、はお風呂のバスで、つまりトルコ嬢なんである。客として来た鴨居との会話は木村の時とはまた違って可愛らしい楽しさで、もう爆笑モノ。パウダーをはたかれてマッサージされる場面で、彼女に迫りまくられ、「ブルドーザーの下敷きになってるみたいやな」「蒸されてコナをはたかれて揉まれるなんて、餅やがな」と言う場面なんて、大好き。つる子さんてばさー、彼の大事なトコとか結構見ちゃってるしさー、可愛がられてて、うらやましい!(妄想しすぎ……)。

えっとね、結局大阪に来た小玉は、ヤクザによって殺されちゃうわけ。で、鴨井は小玉に復讐しようとしていた元競輪選手の早川と組むことになる。鴨井は大事な自分のハジキをこの組に奪われていて、その銃で小玉が殺されちゃってるもんだから、小玉の妹の照子は鴨井が犯人だと思っちゃってるのね。組とグルだと。木村もその線で鴨井を追ってる。鴨井は自身の汚名返上というより、小玉の恨みと、彼の家族を守るためになんとしても組の野望を叩き潰さなきゃいけないのだ。
組一番の腕ききのヒットマンとの攻防戦や、組員に囲まれての銃撃戦など、ここからはハジキオタクの鴨井、イコール田宮二郎のカッコよさ全開。いやー、それ以前に、その長い足で塀をひらりと飛び越えちゃうとことかも、もう、シビれるのよー。壁かげから撃ってきた相手にその弾丸が弾き飛ばされる音で、右は何人、左は……などと聞き分け、前方を見もせずに手だけ差し入れて撃ちまくって命中しちゃうわ、四方を囲まれた彼、二挺拳銃でまるでダンスでも踊るように華麗な銃さばきで、同時に四人が倒れちゃうわ(俯瞰のカメラだぜぇ!)ありえねー!って画が、もう、もらしそうになるほど、カッコイイー!(大丈夫、もらしてないからね)。あー、ヤバい、これをカッコイイと思うのはヤバいって。だって、ありえないもん。ある意味ギャグだもんなー。でもカッコイイんだもん。田宮二郎がやると!

ラストは捕まった照子を助けるべく、望遠鏡を覗きながら、遠距離からのパーフェクト狙撃。うーむ、これもかなりありえないです。早川の電話によって駆けつけた木村が(鴨井は駆けつけてほしくなかったみたいだけどねー。このあたりが実にコドモなわけ)「お前が撃った?あいつが勝手に海に落ちたんじゃないのか」と皮肉ともイジワルとも冗談ともとれる台詞で言うぐらい、ありえないわけ。んんー、でもイイの。カッコイイから。

ああー、ヤバい。このシリーズ、もう、ホント、全部観たいよー!★★★★☆


電車男
2005年 100分 日本 カラー
監督:村上正典 脚本:金子ありさ
撮影:村埜茂樹 音楽:服部隆之
出演:]山田孝之 中谷美紀 国仲涼子 瑛太 佐々木蔵之介 木村多江 岡田義徳 三宅弘城 坂本真 西田尚美 大杉漣

2005/6/27/月 劇場(歌舞伎町 新宿アカデミー)
原作を読んでモロ感動のツボにはまってしまったもんだから、この映画化作品を観るに当たっては、あの感動のクライマックスを頭に準備しちゃって、最初っから涙目状態、そして待ちに待った電車男決死の告白のクライマックスに、もう手放しでおんおん泣いちゃったんだけど、そんな風にドップリつかりながら観ている頭の片隅で、時々の違和感が……それは、覚えのないエピソードや言葉に対して。実は原作を読んで、なんて言っちゃったけど、それはネットでダイジェスト版をざっくり読んだだけだったので、あ、本当はこんなこともあったのかな、こんなことも言ったのかな、って気になって原作本を購入し、読む。んで、やっぱりないんだよね、あの違和感を感じた部分が……そりゃこの本自体もだいぶ編集してあるし、もしかしたらあったことかもしれないけど、いや、でもやっぱりないと思うなあ。だって、あれって電車男らしくないんだもん。だから違和感を感じたんだもん。

あれ、というのは、彼がスレ住人たちからアドヴァイスを受けて、告白するためのキメキメのデートを演出するところである。高級食材を買い込み、二人っきりになれる会員制の個室をリザーブしようとして失敗する、というくだり。そりゃあ電車男はアキバ系から彼女のために努力してステップアップしていったわけだけど、こういうことはしないんじゃないかなあ、と思ったのだ。そしてこういうことをスレ住人も勧めはしないような気がした。まあそりゃムードのある大人のデートを勧めるような発言はあったけど、このスレが何より魅力的なのは、成長していく電車男に、無理はしないで、電車男らしく頑張れ!と言いつつ、その当の電車男はスレ住人の思惑をすっ飛んで自分だけで加速度的に成長していっちゃうわけで、スレ住人たちは応援するはずがスッカリ置いてかれちゃって、そんな電車男をまぶしく見つめる、っていうある種の微笑ましさにあるんだもんね。

そう、この電車男の、遅れてきたラブストーリーが、あまりに純粋で、ああ、こんなん今時お目にかかれるとは思わなかった……っていうもので、だからこそ胸がズキューンときちゃって、それこそに感動しているんだ、と思っちゃうんだけど、だから舞台だの映画だのドラマだのもこぞって手を出してきたんだけれど、そういう部分は勿論大前提としてあるんだけど、でもこの「電車男」が何より面白いのは、やっぱりこの妄想系スレ住人たちのリアクションにあるんだと思うんだなあ。これぞ、2ちゃんが2ちゃんであるゆえんである。電車男の“爆撃”に次々倒れてゆくスレ住人たちに、共感し、爆笑し、あー、こいつらってイイ奴ら……などと思っちゃうわけ。

正直、私2ちゃんって、ホントキライだったんだよね。全否定してた。検索で時々引っかかっちゃう度に、ちょっと読んじゃあ胸が悪くなる感じがして、慌てて退散して、こんなんホント、やめちゃえばいいのに、と思ってた。でもこれには……やられちゃったんだなあ。匿名性ということにズルさばかりを感じてたけど、匿名性だからこそ、無償の思いで人を応援できるっていうのが、あるんだなあ、って。
で、その中で妄想の世界に入って楽しんじゃうっていう面白さもね。そりゃ、自虐的な楽しみではあるんだけど。
実際、活字の力って、こんなに興奮させるものだったんだなあ、って思う。驚く。電車が報告してくる恋の進展って、20年前の少女漫画だってこんな純な展開はなかったよ!というぐらいの、アナクロなまでの胸キュンものなのよ。実際、映画として映像にしてみると、活字で読むほどのインパクトは正直ないわけ。まあそれは、掲示板で報告するたび、それに爆撃されるスレ住人、という描写が映画ではあまり挿入されないせいもあると思うけど……これは正直しつこいぐらい挿入してほしかったなあ。そのまま映像化してしまうと、ホントに、なんてことないラブストーリーになっちゃからさ……こんなことさえ、“毒男”(独身男)たちにとっては超強力な爆撃であり、もう逃げ場のない中、銃弾を次々に撃ち込まれちゃうんだもん。

そう、ここは基本的には毒男板であり、リアクションを返しているのも(匿名だから特定は出来ないけど)毒男がほとんどと思われるんだよね。だからこそ、どんどん先を行く電車男に置いていかれ、まぶしく彼を見つめるばかりなんである。電車男は自分では上手く書けないとか言いながら、報告の文章が凄く上手い。冷静に振り返る目を持っているから、毒男たちはじらされる気分で電車男の爆撃に無防備でさらされてしまう。
でも映画版では、老若、とは言わないけど、かなりバランス良く男女が配されており、倦怠期気味の夫婦もおり、失恋したての女の子もおり、みたいな。原作から連想される掲示板の孤独な毒男たちはかなりコミカル化された、しかも仲間として出てくる三人組のみで、仙台に住む引きこもりの青年は、……うーん、ここで引きこもりというテーマを持ってくるには消化し切れなくてマズい気がするし、映画化ということに向けて、一般化しすぎてる気がして……不特定多数のスレ住人の、バックグラウンドまで描くには、映画というフィールドはちょっと限界があるんだよね。
電車とエルメスの純愛と、ネット上のやりとりと、スレ住人のバックグラウンドと、それらがそんな具合に中途半端になっちゃった気がしたんだな……うん。

ネット上のやりとりをどう映像化するか、っていうのは、それを最初に始めたのは「(ハル)」だったと思う。チャットのやりとりをそのまま画面に出してきて、それを中心に物語を展開させて登場人物にはほとんど喋らせないという、先鋭的な手法だった。ネットがまだまだ出始めだったから、その思い切った手法がとても効果的だった。で、今やネットが特別なものではなくなった現代に、パソコン上はむしろアナクロになってきて、携帯メールでのやりとりの方が一般的になり、「子猫をお願い」なんてそのあたり、実に自由に画面にメールやタイプのやりとりを乗っけてきてて、その手法が本作の延長線上になってきている感じ。もはやそういう手法が珍しいものではなくなってて、クレジットを画面上の窓にタイプしてみたり、パソコン画面に流れるように現われるメッセージや、彼女の台詞を垂れ幕のように配したり、「床屋じゃなくて美容院」の言葉が、彼が美容院に行くシーンに合わせて、くるくると、あの床屋の三色に巻かれていったりと、自由奔放でポップな遊び心がやけに楽しかったりする。

でもそれって、前半だけなんだよな……かなり、面白いと思ったんだけど。途中からスレ住人たちはいつ電車男の報告を受けられるんだかも判らないような状態で一喜一憂するばかりで……っていうのは実は原作?もそうなんだけど、でも電車男の印象はかなり、違う。実際の板では、スレ住人にアドヴァイスを受けたのは、最初のデートにこぎつけるまで、つまりとにかく電話をしろ、というところから始まって、アキバ系を脱出して、どういう店を選べばいいのかとか、会話はどうしたらいいのかとか、そういうことを、この時点では今の自分たちとさして変わらない位置にいる電車男に、彼らは嬉々としてアドヴァイスしていたわけで。
でも、その後は原作での電車男は、迷い悩みながらも、自分で行動し、自分で何もかも決めて、ぐんぐん成長していく。正直なところ、その最初の出会い、エルメス嬢を酔っ払いから助け出した電車でのシーンでも、本人の記述では、オタクっぽい(という言い方も偏見アリアリだが)オビオビしたところは見られないし、それ以降は戸惑いながらも、凄く頼もしい印象を受けるんだよね。それは彼女のためにと、美容院に行き、コンタクトにし、イケてる服を買って、変身したところからのような感じがある。

映画での電車男は、外見が変わっても、内面のオビオビしたところは変わらない。電車の中で酔っぱらいを追っ払った場面でも、かなり情けない感じである。
その流れで、あのイケイケデートを企画して失敗したエピソードの追加がなされた印象があるのね。映画での電車男はとにかく自信がないんだもん。デート中も携帯PC?を手放せないし(家が何平米ですか、と聞いたり、同じ質問を繰り返すシーンには思わず吹き出しちゃう)、言われるままに身の丈に合わないデートをセッティングしようとしちゃうし。
映画という短い尺の中、あるいは、あのクライマックスシーンにすんなりシンクロさせるためには、このフィクションの挿入はしょうがなかったのかなあ……。あのクライマックスシーンでは、経験のない毒男であった電車男が素直に出てて、確かにそれまでの頼もしく成長していった電車男からの流れからは少し引き戻された感じはあったから。

そこまでに至る電車男とエルメスのデートシーンは割とさらさらと流される感じ。あの、エルメスが彼を電車から手を引いて降ろしちゃうシーンは、彼が手を引かれてトンと、ホームに降りてしまう場面で電車内からホームへとカメラが切り返しされ、電車が走り去ってゆくのを引きのシーンで、というのが何とも良くて、原作と同じく、いやそれ以上にキューンと来たけど、手をつなぐエピソードと合わせちゃったから、終電に乗ったのに家まで送らせるのかよ!という矛盾もあったりして……難しいやね。
あのクライマックスシーンではね、それまで毒男たちを呆然とさせるほどまぶしく成長していった電車男が、本来の純さを取り戻したように、逡巡しまくって、エルメス嬢に「頑張って!」と両手を取って励まされ(ここ、激しく好き)ようやく「好きです」という言葉を搾り出し、お互いに気持ちを確認しあった時にはもう止まらない涙を押さえきれないわけでしょ。そんな電車男が愛しくて可愛くて、だからこそここは屈指の名シーンになっているわけなんだけど、ここに照準を合わせると、確かにそれまでの、毒男たちの目にまぶしくてしょうがなかった電車男、という展開は、この映画という尺ではちょっと難しいものがあるのかもしれない、とも思う。でも多分、ここにみんなが感動しているんだ!っていう解釈があるから、電車男を必要以上にヘタレに落ち込ませた、っていう気もし……。

ドラマティックにするために、こんな風に電車男をいったん落とす判りやすいエピソードを挿入しちゃってるのがね……。このイケイケデートのみならず、彼女のオフィスに押しかけるシーンまであるでしょ。優雅に英語を操る彼女、をわざわざビジュアルで見せてる。しばらく彼女に会えなかったという理由も、原作の海外旅行から海外出張に変えてるあたり、とにかくエルメスを高嶺の花に、という意図はハッキリとしている。原作では、海外旅行に行って、英語を駆使して、違う文化に触れるエルメスに、それだけでオタクな自分を振り返ってちょっと落ち込んじゃった電車男、という程度のくだりである。そんな電車男に、スレ住人たちが叱咤激励して、「やっぱりこのスレに来ると自信が沸いて来ます。俺頑張るよ」と電車男は言い、それは地味な心理的葛藤と立ち直りではあるんだけど、このシンプルな「俺頑張るよ」という台詞は、別にドラマティックな場面で発せられなくても、充分に力のある言葉なんだよね。
それが、よりドラマティックにするためのこのフィクション味の増大によって、エルメス嬢の電車男への気持ちを判りにくくしていて、最終的に「私も好きです」と言ってくれ、その後原作にはないような、じっつにドラマ的な、「思い出がどんどん増えていく云々」みたいなことを彼女からつらつら言われても、あんまりヴィヴィットに感じないんだよなあ……。

しかもここでは電車男は本来の姿に戻っている。家で着る、怪しげな言葉を書いたTシャツそのままで、コンタクトも落としちゃってあのダサダサな眼鏡で、秋葉原まで全力疾走。彼女にすべてをさらけ出した、とかいう感じの一方で、次のシーンでは、オタク的でもなく、頑張って変身、のオシャレ的でもない、適度にカジュアルな感じに収まっているのはまあまあ上手いのかなあ……最終的に実際の電車男も彼女にすべてをさらけ出したらしいし、彼女の方も準オタだったらしいし(準オタって……ジャニオタ?)。

電車を演じる山田孝之は、原作での“いっくん”の雰囲気も感じさせて、変身すると可愛くて、すっごく、イイんだけどね。変身したとたん、勤務先で合コンに誘われるなんていうエピソードはなかなかさりげなくて好き。でも彼がエルメス嬢に告白する時にね、その前に、死ぬまで一人だと思ってたし、それでいいと思ってた、でも会うたびに一緒にいることが楽しくて……みたいなことを言うじゃない。判るんだけど、電車男は、「好きです」って言う言葉を口にすることでせいいっぱいなはずなんだよね。こんなこと言う余裕なんてないはずなんだよね。だから、そう、ダイジェストのしか読んでなかった私、ここでまずすっごく、あれ?と思っちゃったんだよね。そこまでもう泣く用意満々で、さあ、キタ!泣かせてくれ!って思ってたから、この電車男の説明にあれれ?って思って……。

で、対するエルメスなんだけど、演じる中谷美紀はさすが原作で名指しされただけあって、お嬢な雰囲気満点で、電車男が高嶺の花だとめり込むのも判るんだけど……これは、恋愛経験値ゼロの電車男に焦点を当てるとしたら仕方ないのかなあ……あまりに、高みの位置にいすぎる気がする。彼女の思わせぶりっぽさとか、代表的な台詞以外はほとんど排除されちゃってるから、彼女の気持ちが今ひとつ伝わってこない。エルメスの言葉っていうのは、活字だけで妄想をかき立てる2ちゃんの場ではすっごく力があって、もうそれこそ萌え萌えで、こりゃ、エルタンは電車を好きに違いない!って思わせるだけの力があったんだけど、この短い時間の中でそれをあらわすには……その力のある台詞はそこここに配されてるんだけど、とりあえず配しているって感じでどうしてもその間は短くなってしまうからさあ……。特に電車の告白場面で「好きになったらもっと好きになっちゃいました」と「もらい泣きしました」の大事な二つの台詞の間が短すぎるよー。ここは感情の波のシチュエイションが全然違うトコなのに……。
それにこの場面で私がいっちばん好きだった、「ああ、もう本当に愛しい」という原作での台詞が採用されていないのはショックだったなあ……まあ、あれは告白したあとにかなり進展した展開での台詞だったけど、本当にあの台詞が好きで、きゅーんと来ちゃって、この台詞がいつ出るんだろーと、すっごく待ち構えていたのに……うーん、残念。

原作では公園での告白シーンだったけど、ここではまさにキーワードとなる秋葉原電気街である。このアイディアは良かったね。もう店も軒並み閉店したような時間帯の秋葉原だから、そんなに公衆の面前で……みたいな違和感もなかったし(電気街だから、夜になるとホントに人がいないしね)。んで、二人の思いが遂げられたクライマックス、原作では待ち構えていたスレ住人たちの凝ったアスキーアートも含めた祝福の「キター!!!」が怒涛のように押し寄せるわけで、それを秋葉原電気街の電光掲示とかでバックに彩らせるアイディアはとっても良かったんだけど……よく、見えない……あーん、よく見えないよお!スレ住人たちにとって待ちに待ったこの瞬間こそが、この「キター!」こそが最大重要事項だったのに……。アイディアは最高に良かったのにー。

本当は国仲涼子とYOUを足して二で割った風貌かもしれなかったエルメス、国中涼子がスレ住人の一人として、失恋したての看護婦さんとして登場するのは遊び心かな。電車男が背中を押される「最初はみんな震えるんだよ」というイイ台詞を彼女に言わせるのは役得ね。「エルメスの家行きのチケットはJTBじゃ売ってくれないんだよ!」と絶叫する(この台詞を原作で読んだ時にはマジで号泣)瑛太も、引きこもりの青年って設定はあまりに作り過ぎって気もしたけど、抱いてる巨大ウサギが可愛くてさあ(関係ないか……)
エルメスの友人の西田尚美は、原作ともイメージぴったり。ハデというわけじゃないけど、明るくしゃべりまくって、電車男を圧倒する、みたいなとこがね。でもこの友人の意味を(原作でもなかなか明かされなかったけど)ちゃんと記してほしかったなあ。つまりはこの友人こそがエルメスの電車への思いを最初に指摘した人物であり、多分その後、エルメスとこの友人の会話だってあったはずで、そういう原作にはなくても予想されるような展開を映画でこそ、再現してほしかった。この友人のエピソード、ほっぽりっぱなしなんだもおん。もったいないよー。

原作をちょっとかじってから見ちゃったのが失敗だったかしらん……でも電車男!凄い好きです。その後の電車男さぐったらやけに生々しい記述があってビックリしちゃったけど……(読みふけっちゃったよ)何にせよ、末永く幸せになってもらいたいです、ホントに。★★★☆☆</font>


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