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「の」


2007年鑑賞作品

悩殺若女将 色っぽい腰つき
2006年 60分 日本 カラー
監督:竹洞哲也 脚本:小松公典
撮影:創優和 音楽:
出演:吉沢明歩 青山えりな 倖田李梨 なかみつせいじ 柳東史 松浦祐也 岡田智宏 サーモン鮭山


2007/4/15/日 劇場(池袋新文芸座/第十九回ピンク大賞AN)
今回のベストテン1位作品。監督が語っているようにこれが1位というのもなんかスゴイというか。でも前年の「かえるのうた(援助交際物語 したがるオンナたち)」のような流れで、コメディ方向に傾いているのだろーか。
うーん、確かに物語として落ち着いて観れば、最後の最後にはちょっとホロリと来なくもないが、しかしなかなか落ち着けない。だってヒロインぶっ飛びすぎ。あ、でもそうか。ぶっ飛んでいるのはこのヒロインとうどん屋の出前持ちの礼君と、冒頭ヒロインを騙す男ぐらいで、それ以外は案外みんなしっとりと悩める役どころなのだよなあ。

そーだよな。この作品で落ち着く必要などないのであろう。なんたって脚本家先生が、吉本新喜劇を頭において書いた世界だというんだから。
そのインタビューを読んだ時にはほお、なるほどとも思ったけれど、観ている時には、特にそのちょっと頭のトンでる礼君に関しては、なんとなく「男はつらいよ」の蛾次郎さんを思い出したりもしてた。いや、蛾次郎さんが頭がトンでいるというわけではなく(笑)、あくまで周りでニギヤカに騒いでいる小物、という感じでね。
いやいやいや、蛾次郎さんが小物というわけではないのだが!(墓穴掘りまくり)しかし、ちょっとこの礼君には目が行っちゃうんだよなあ。だって、かなり異様なんだもん。

目が行くといえば、ヒロインの弾けっぷりにも行くといえば行くのだけれど、これはかなり紙一重というか……脚本家は、「頭足りない役とは書いてないですよ!」とは否定してたけど、その否定もそう言われるのが判っててあえてしているような、スクリーンを観ている限りではかなりギリギリの路線。
まあ、そのギリギリの線を軽やかにステップしているのは、この主演女優の力量というものなのかもしれない。私は寡聞にして知らんかったが、超人気AV女優であるという吉沢明歩の飛びっぷりには、かなりドギモを抜かれるものがある。
ちょっとね、これはアフレコじゃなくて、現場のナマな声がどうだったか聞きたかったなあとも思う。アフレコの声が、画面の彼女の飛びっぷりについていってない感じなんだもの。いや、そりゃそれも本人の声なんだけどね。

冒頭、彼女が貢いでいる男に騙されて捨てられる場面から始まるのだが、まずはその男とのカラミのシーンからである。
部屋の中のどこかに隠れている彼女を、この男の目線でヘンタイよろしく追いまわすカメラワークは遊び心タップリで、最初っから浮き立つ気分を起こさせる。
んでもってこの男がさー、たぐい稀なるヘンタイ男でさー。いや、別にセックスは普通か。だけどキャラがどうにもヘンなのよ。
インチキ臭いテキトーな英単語並べる、べっとりとした粘着質の男。彼女のおっぱい揉みながらオー、ハニーパイだのホワイトマシュマロだの言うのはまあいいとして(ホントはちっとも良くないけど……)、頼むから絶頂を迎えて「ホワイトリキッドー!」と叫ぶのはカンベンしてくれ。一瞬、ホワイトリキッド……?などと考えて、了解した時点で考え込んだ自分が果てしなくバカバカしくなっちゃったよ。
いやー、それにしてもサーモン鮭山氏、怪演。実際、実に気持ち良さそうに演じてる。この名前は以前からクレジットで折々見かけてたけど、ようやく顔と名前が一致する。この日壇上で見た彼は、実に良識人といった感じの好青年。これが役者というものなのね。

この男が青年実業家だなんて、どー考えたってインチキに決まってんのに、花子は彼に事業資金が足りないと言われるがまま、貯金をかき集めた100万を渡してしまう。んで、「ここが僕たちの新居だよ」と空き地に置き去りにされちまうんである。
次のカットでは、彼女が泣きながら歩いているシーン。白いワンピースに緑のカエルのリュック、首からはヒヨコのがま口を下げた姿は、どー考えても頭の弱い女の子である。
道のはるか向こうから自動販売機を見つけて突進する、バカバカしくもやけに迫力のある画や、ヒヨコのがま口を開けて10円玉が2つしかないものの、「ギザ10!」(縁がギザギザになってる10円)を掲げて狂喜したり。うーん、この子大丈夫かしら。このテンションのままでいくのかい?とやや心配。つーか、このテンションにこっちが最後まで付き合えるのかしら、というのが心配なんけど(笑)。

かくしてお腹ペコペコの彼女はいい匂いにつられて、うどん屋の前で行き倒れ。……なんかさ、わざわざうどん屋を持ってくるなんて、「UDON」をおちょくったのかしらと思わなくもなかったけど、これはうがちすぎかな。でもさー、結構ピンクって、その年の一般映画のヒット作をおちょくったりしてるじゃん。まあ、ここはうどん屋ってだけだから、それは考えすぎか。
で、行き倒れの彼女に、一杯のうどんをご馳走してくれるご主人。彼女はテーブルの上にひらりと飛び乗って正座し(この唐突な身軽さが、スゴイ)「今、これしかないんです!足りないですよね……」とがま口の中の20円を差し出す。当たり前だ……。

「困ってるヤツからカネなんか取れねえよ」というご主人に、「でもこれ、ギザ10ですよ!」……ううーむ、大丈夫だろうかこの子と思ってたら、それどころじゃなかった。ご主人がふと振り返って見ると、彼女、全裸でカエルのリュックだけ背負い、柱にすがりついているんである!?
あ、アホじゃないのかー!「これでお礼を……」慌てたご主人がいいから服を着るように促すと、花子はご主人のやさしさに感激し、勝手に住み込みで働くことを宣言。
つーか、花子が感激するほど優しいってわけでも……アンタがぶっ飛びすぎなんだよお。

まあでも、花子のキャラに押されてなかなか見えにくい部分ではあるけど、彼女はあの男にこっぴどく騙されたわけで、恐らくこの調子だと今までも色々苦労したんだろうし、台詞にもあったけど天涯孤独の身だそうだから、それこそ「一杯のうどん」の優しさに心打たれたんであろう。
かくして花子が働くようになって、うどん屋はキュートな彼女目当ての客で大繁盛。しかし主人は客の男たちがエロい目で花子を見るのが気が気ではない。この時点から、彼は花ちゃんにホレていたのかもしれないなあ。

彼らだけじゃなくて、このうどん屋の常連で、ご主人の幼なじみである本屋の男のエピソードが泣かせる。というか、ここの夫婦は二人ともマトモなキャラなので安心して観ていられるというか。
でも、この奥さんに横恋慕している礼君の妄想から、彼らのエピソードに入っていくんで、やっぱりかなりブッ飛んではいるんだけどさあ……。
礼君の唯一のマトモな仕事は、この奥さんにうどんの出前をすることなんだけど、客なんか一人も来ないこの本屋で、奥さんをチラチラ見ながらエロ本を立ち読みし、妄想にふけって、その感覚をキープしたまま……つまりズボンの前をふくらませたまま、帰っていく、というのが常なのよね。
で、まー、ピンクだからその妄想もクッキリと描かれるわけだが、ギリギリの下着姿にハイヒールで、ウネウネとベリーダンスを踊りながら近づいてくる奥さん、しかも本屋の中で、ってシュール過ぎるだろー。礼君はこの奥さんがエロ本の中と同じあえぎ声「ハヒー、言った!」と大喜びだし、いや、これ妄想だっつーの。ホントはとってもケナゲでマトモな奥さんなのにさあ。

彼が親から引き継いだ本屋はもうにっちもさっちも行かなくなってて、奥さんにはナイショでサラ金から借金も重ねてて、どうしようもない状況だった。だけど彼は「心配をかけたくない」という理由で、その窮状を奥さんには言わなかった。どこかナゲヤリになって、バイトも辞めていた。
だけど、この理由は、ウソだよね。結局、ミエだもん。もう税金の督促状までくるようになって、奥さんは心配してダンナに恐る恐る進言したりするんだけど、彼は逆ギレして、奥さんをレイプに近い形で突っ込んだりしちゃう。ピンクというのがなければ、いやあっても、このあたり、かなりサイテー男なのだけれど、彼女は、妻の鏡なんだよなあ。
夫が、もう店を畳むしかない。迷惑をかけるし、別れよう、と切り出すと、「私はまだあんたにホレてるんだから!どこまでもついていく」と言うんである。
この言葉は、ウラには「そんなことぐらい、何で判らないの」ぐらいな、強い意味を感じもする。だってさー、こんなことで別れを言い出されるぐらいなら、そんなことでヤになるぐらいなら、とっくにこっちから捨ててるって!いわば、女の意地だよなー、ここは。もちろん、この男に惚れた意地ってヤツだけどさ。

うどん屋のご主人の方にもひと波乱あるんである。花子は彼に一人娘がいるのを知る。18の時、結婚すると言って家を出て行ったこと。確かに若かったけど、相手は腕の立つ料理人で、申し分のない男だった。つまり、自分が子離れできていなかったんだなと、ご主人は酒の勢いで花子にそんな弱い姿を見せる。
なんかね、そうなの、この辺りになるともう落ち着いちゃって、そうか、物語は落ち着いてるんだわ、で、花子のブッ飛びに見慣れると、マトモな物語として見られるんだわ、などとミョーな感心をしたりするのだが。しかしそんな風に和んでると、ご主人の夢として、またトンでもない場面が現われてくるんだけどね。

妄想とか夢とかでいきなりブッ飛びのカラミシーンが出てくるのが、ピンクの油断できないトコなんだよなあ。
花子がテーブルの上で全裸で大股広げて、その股間にはうどんが乗ってて(……もー、ヤメてよ。うどんが食べられなくなるじゃないー)、そのうどんを「ツユも美味であります!」と礼君がすすってて(食うんかい!)、しかもテーブルの上には客がもう一人、彼女のおっぱいを箸でつついてて、花子はこの客にフェラを仕掛けているという……んでもって花子、うるんだ瞳で「大将、この新メニューで恩返しを……」どんな新メニューだよ!
この悪夢?からガバリと起きて、モノを見下ろし、ため息をつく彼。「オレもまだ若いな……」

おっと、思わず脱線したが。だからね、花子はその娘さんの話を聞いて、いてもたってもいられなくなって、ご主人のうどんを持って彼女の家を訪ねるわけさ。もう赤ちゃんも産まれて、親子三人、ささやかでも幸せな暮らしをしているのが描かれるから、娘さんがこのうどんを突っぱねるんじゃないかってハラハラしたんだけど、「大将は……お父さんは、あなたのことを愛しています!このうどんを食べれば判ります」と言われて、受け取るんだよね。
で、ダンナと二人、そのうどんをすする。「これ、お義父さんのうどんだろ」「うん」「優しい味だよな」「……」

シーン替わって、ご主人の元に娘さんから郵便が届く。孫の手足の型と、手紙。彼女のダンナさんが、このうどん屋で弟子になりたいというんである。花子がやったことだと察しがつき、彼は感謝に泣きむせぶ。花子もまた喜ぶんだけど、でも彼女はこの店を出る決心をするのね。

それは、家族水入らずの中で、自分の存在がジャマだと思ったから。
最後、うどんを一から作ってみたい、と夜中に厨房に立っている花子。気づいたご主人が、そのうどんをゆでてやる。不器用なご主人は、なかなか上手く言い出せないんだけど、「オレは、素うどんが一番好きなんだ。何も入ってないからごまかしがきかない。だから……いていいんだよ」とつぶやく。
戸惑う花子に一瞬の間を置いて、「だから、いてほしいんだよ!」テレかくしのように、それ食ったらもう寝ろ、と背を向けた彼の手を掴み、抱きつく花子。んで、二人はようやく結ばれるんである。

なんかね、シナリオ採録を見ると、次のカットでは花子は帰ってきた娘夫婦とともに、仲良くこのうどん屋を切り盛りしている、とすんなり決着がついているんだけど、映画ではクッションが挟まれてるのよ。
これで思い残すことはない、とばかりに、花子はこっそりと抜け出し、うどん屋に向かって深々と頭を下げて、出ていくわけ。あら……なんか切ないラストね、と思って、ご主人もなんか憮然とした表情のまま、娘夫婦に半ば任せたような状態の店で、ちょっと手持ち無沙汰だったり。
しかしそこに、花子が再びやってくる。いらっしゃい、と声をかけられ、応対しようと出てきたご主人と、しばし無言で見つめ合う。
「……手伝え」そう言って、厨房に入っていくご主人に、花子破顔一笑、頷いて、めでたくハッピーエンドとなるわけだ。

あら?と思ってみると、少なくとも花子がブッ飛んでいたのって、うどん屋の前で行き倒れてご主人と出会うまでの、プロローグ部分だけだったのかしらん……まあ、夢シーンでもトばしてたけど。
でもあそこで、完全に観客のドギモを抜いちゃって、すっかり手綱が握られた感は、あるわね。割と話は王道だったんだなあ。

それにしても、これのどこが若女将よ。まあでも、間違ってはいないのか……若女将なんていうと、温泉旅館とか思い浮かべちゃうじゃない。ピンクのタイトルつける人も、ある種の才能だよなあ。★★★☆☆


紀子の食卓
2005年 158分 日本 カラー
監督:園子温 脚本:園子温
撮影:谷川創平 音楽:長谷川智樹
出演:吹石一恵 つぐみ 吉高由里子 光石研 並樹史朗 宮田早苗 三津谷葉子 古屋兎丸 手塚とおる

2007/1/23/火 劇場(渋谷UPLINK X/レイト)
去年度に観ようかどうか迷いつつも、「夢の中へ」でかなりついていけないものを感じていたので、結局逃がしていた。だけど、瀬々監督が激賞していたのを見かけて、そうか……と思い(人の意見に弱い……)、今回の二日間の再映に足を運ぶ。
観ながら、圧倒されながら、思う。
やっぱりついつい追いかけてしまう監督、であるべきなのかもしれない。正直、全然判んない。判んなすぎて憤ってしまうことさえも。それでもふと、窓に隙間が開いた時、私でも入っていけそうな時、やっぱり追いかけずにはいられない気がしてしまう。

物語としては、今回は案外追いやすいのかもしれない。地方都市に住む姉妹が、東京へと出ることによって家族崩壊を迎える。その基点にはあの「自殺サークル」があり、擬似家族、虚構といったエポックメイキングになりやすい要素もちりばめられている。それでも、やはり園子温作品として特異な位置にいる。
それは何より、この膨大な、洪水のようなモノローグだ。
姉と妹がそれぞれ失踪し、前半と後半それぞれ、彼女たちのモノローグが切れ目なく続いている。それが後半、父のためらいがちのモノローグと融合した時、津波のような効果をあげる。本当の家族なのに、擬似家族の中に置かれた三人の、悲鳴。

園子温監督が詩人であるということを、いや、詩人である園子温監督を刻み付ける。モノローグ、それはまさしく、すべてが詩なのだ。一冊の詩集がこの映画になってる。
でもね、モノローグは、実際に口に出して言えないから、モノローグなのだ。
そして詩も、同じ意味で存在する。
お父さんへの気持ち、娘への気持ち、この街への気持ち、東京への気持ち……。

それにしても、フッキーが園子温監督作品に出るなんて思いもよらなかった。いやこの人は、正当で誠実だからこそ、役者の仕事というものを正しく理解しているのだ。
冒頭の、17歳の彼女はさすがにキツいものも感じたけれど、そこからの数年間を彼女は生きた。映画祭で女優賞をとったのも納得の、ほとばしる、女の子の混沌。
彼女が演じる紀子は、この場所を抜け出したくてたまらなかった。だけど、地元の大学に行かせたい父親は、絶対にうんとは言わない。紀子の従姉妹の二人もが、東京の大学の在学中に出来ちゃった結婚をしてしまったからだ「妊娠するために、東京に出るんじゃないよ」そう言いたい言葉を、紀子は飲み込む。

父親は、のどかな記事ばかりを載せている小さな地元新聞社の記者。紀子が学校で広報部に所属し駆けずり回っているのは、明らかに父親の影響だと彼女自身も認めているけれど、それでも、のどかに取材している父親とは随分と違って見える。
タイクツな学校のルールを変えたくて、いや、自分だけこの問題意識のないのんびりとした学校の中で違うのだと思いたいみたいに、必死に忙しそうにしている。彼女の要求に学校側が折れるのは、熱意にほだされたというより、めんどくさいな、しょーがねえなー、みたいな趣。
なわけで、情報室のパソコン使用時間の延長をゲットした紀子は、その中のあるサイトにのめりこむ。
それはあの、「自殺サークル」で54人の女子高生がいっせいにホームから飛び降りた事件の、彼女たちを結んだと言われていた「廃墟ドットコム」。
ただ、この時点で、まだあの事件は起きていない。紀子自身も、その事件をこの目で見るなんて、思ってない。

紀子は町で、小学校時代の仲良しだったみかんちゃんと再会する。
てらてらと光るハデなせーラー服姿の彼女は、イタズラっぽく「この制服、どこのか判る?」と笑う。それは、制服女学館というイメクラ。彼女はそこに「通学している」んだと笑う。そしてこの路地が私の「通学路」なんだと。
冗談ぽく言っているけど、それもまた確かに学校であり、通学路であり、何より実際の学校よりリアルな、彼女の生きる道なのだ。
紀子はひと言の言葉も出ない。
幼稚な精神論では、父親はもちろん、世の中に対抗することなど出来るはずもない紀子が、その肉体をぶつけて生きているみかんちゃんに衝撃を受けたのは当然である。
でも、一緒にいた妹は、まだその姉の衝撃を判っていない。「フーゾクだよ」のひと言で片づけてしまう。
みかんちゃんというニックネームの由来さえ知らなかった紀子が、彼女に再会したところから次の人生に踏み出すのはむべなるかな、という気がする。
みかんちゃんには、その表面上で見えている以上の、人生の波があったことだろう。あえて描かないからこそ、深い。

そしてある停電の夜、紀子は失踪する。
突然、決意した。荷物をまとめて夜汽車に飛び乗った。
あっさり東京に出てしまえた。夜の銀座を歩く。ぎこちなくキャリーカートを引く。「旅行から帰ってきて遅くなってしまった」と見せかけようとしていた。でも、東京は誰もそんなことを気にしない。彼女が、「周りの女の子は皆私よりオシャレしている」と思ったって、周囲の人間はそんなこと考えもしてない。
それは、東京の冷たさでもあるし、優しさでもある。年若い時、地元の暖かさはがんじがらめにしか思えなかったのと対照されるけど、結局は一緒のこと。
東京に何があるかなんて判らない。別に東京でなくてもいい、ここではないどこかなら。でも地方にいると、ここではないどこか、は、あまりに知識が乏しくて、東京になってしまうのだ。
そういう意味で、地方の人間はある意味逃げ出せる場所があって幸せなのかもしれないと、東京に出てきて思う。

紀子の頼りはたった一人、廃墟ドットコムで知り合った上野駅54さんだった。紀子はサイト上でミツコと名乗っていた。パリの香水の名前。精一杯背伸びしてミツコを演じていた。
でも東京に出てきて、思いがほとばしって、サイトに集まる皆をアネゴ肌でまとめていた上野駅54さんに会いたい気持ちをネットカフェで書きなぐった。ミツコを演じている余裕さえなくて、彼女をガッカリさせたかな、とちょっと思った。
しかし出迎えてくれた上野駅54さんことクミコは、「家族」とともに紀子を迎えてくれる。そして紀子も「家族」に加えてくれる。
それは、レンタル家族という彼女のビジネス。実際のクミコは、コインロッカーに捨てられた天涯孤独の少女だった。
上野駅54というのは、上野駅のコインロッカーの番号だった。そしてその中にクミコは虚構の思い出の品を、たくさん、たくさんしのばせていた。

東京だって一都市に違いないんだけど、こんな風に根拠を失った人間が集まっているから、レンタル家族、というのは非常に象徴的である。
コインロッカーベイビーというのも、懐かしい響き。でも思えば、記憶に引っかかっているあの頃の赤ちゃんは、こんな年頃の女の子になっているのかもしれない。
ワゴンに乗った「一家」が次々と「おばあちゃん」を訪ね、楽しそうで、幸福な一家を演じる。紀子はそのことに衝撃を受けていない自分にちょっと驚く。ちょっとした飛び入りゲストの趣で、「娘の友達」にすんなり入り込んでしまう。
でも、「絵に描いたような幸せな家族」なんて、本当はありっこない。「弟らしい弟」「姉らしい姉」なんて、本当はちっとも魅力的じゃない。だってそれは人間の望みの最大公約数。一人の人間じゃないんだもの。でも今の紀子には、この虚構の家族の方が幸せそうに見えるのだ。

クミコを演じるつぐみは相変わらず愛くるしい魅力をふりまいているけれど、凄みがある。ちょっと驚いてしまう。「娘」を演じている彼女と、ビジネスの彼女は180度違う。可愛い顔をしているだけに、その恐ろしいギャップにゾッとさせられる。
クミコは、ある一線からは絶対に踏み込ませない。時間内は客のどんな望みも、仕事仲間の紀子の望みさえ聞くけれども、時間が過ぎればバッサリと切り捨て、客を足蹴にさえする。
そう、紀子は最初のうち、自分の中の記憶とごっちゃになって、「父親」の客に本気で同情してしまったりしていたのだ。涙する紀子の目の前で客を蹴り倒すクミコに目が点になっていた。でも客はルール違反を詫びて金を払い、また利用すると言った。二人の娘を所望した手塚とおる、かなりイッちゃっててコワイ。

一体、クミコの人生はどこにあるのか。サイトの中で女の子たちを導くアネゴの彼女も、孤独な人間にひととき夢を与える擬似家族の彼女も、素顔の彼女じゃない。いや、その隙間、甘い人間に対して厳しい顔を見せる彼女が素顔なのだとしたら……哀しすぎる。
でも、そうしたのは、彼女をコインロッカーに捨てた両親と、世間というヤツなのだ。
その両親もレンタル家族に登録させ、彼女は本当の人生を拒絶した。
だって、それは、クミコが演出するレンタル家族より、うそ臭い涙にいろどられていて、信じられなかったから。役者として大根だと、彼女は思った。鍛えてやるとクールに判断して、「家族」に引き入れた。
でも、本当に拒絶したいと思ったら、引き入れることさえしなかったんじゃないかと思ってしまうのは甘いのだろうか……。

そして、紀子の妹、ユカもまた、姉の後を追うように失踪した。
きっと、姉が失踪してから彼女はずっと考えていた。そしてあの女子高生集団自殺の事件が起きた。姉がその中にいるんじゃないかとユカは思った。だって、その謎が隠されている廃墟ドットコムに姉が出入りしていることを知っていたから。そして今、ユカがそのサイトの住人になっている。
ユカはモノローグを重ねながら、それをノートに書きとめている。自分が失踪したあとに、父親が読むことを想定して。姉よりは上手くいなしているように見えながら、彼女もまた理解のない父親に拒絶を感じていたのか。
部屋のあちこちにヒントを残す。お父さん、私たちを見つけてみて、と言っているみたい。

自分が失踪した後のお父さんの行動をシュミレーションしたノートを残し、ユカは姿を消す。
父親はそのノートを見ながら、「ユカは全てを見通していた」とモノローグした。ただ、彼はユカが予測、いや夢見たようには、すぐに仕事は辞めなかった。そこだけが、違ってた。
娘が思うほど、家族思いではないのだ。家族のためと言いながらやっていた仕事を、家族がいなくなっても続けてしまうのだ。
女の子はシビアだけど、でもツメが甘い。
それは愛されたいと思っているから。

母親は、娘二人が失踪して、しばらくしたある日、自ら命を絶った。
雨の降る中、血まみれの彼女を父親は涙にむせびながら抱き締めた。
どうすることも出来なかったのか。父親は、家族の一人である妻をも失ってしまった。家族のための仕事、をこの時になってようやく辞める。たったひとりぼっちになって、やっと。
絵を描くことが趣味だった母親は、家族写真をお手本に、幸せな家族の絵を描いていた。
でも、その写真の中では本当は笑っていない娘を、ムリに笑顔に導いていた。
そこにもまた、虚構の家族が存在するけど、でもそれは現実から目をそむけているんじゃなくて、ささやかな、ささやかな希望だったんじゃないの。
それを子供たちは、大人はウソツキだと言うのかもしれないけど、そうじゃない。
娘たちが失踪した理由は、年だけをとってしまった大人の目から見たら、ほんのささやかな、青臭いものだったのかもしれない。
こんな代償と引き換えにするには、あまりに青臭い。
でも、彼女たちにとって、その時それは、人生のすべてなのだ。
今、くだらない選択肢ばかりがたくさんある大人には、到底およびもつかないものなのだ。

紀子は、「私は処女なんだ」と叫ぶようにモノローグしていた。それはそのもの事実でもあり、自分が経験してきた地方都市とはあまりにも違う、東京という洪水の中での自分の精神的なものも指していたように思う。フッキーのマジメなキャラが、紀子のそんなウブさをダイレクトに表現してる。
でも多分、ユカは違っただろうと思う。「お姉ちゃんがあの自殺した女子高生の中にいる」と仲良しの男の子と戯れながら冗談ぽく言っている彼女は、肩に置かれた彼の手を慣れた手つきで外していた。二人の間に何かがあること、あるいはユカ自身の経験をふと匂わせた。
お姉ちゃんより世間のなにがしかを判っている、と思わせていたその自信が、実は紀子よりももろい彼女自身を後に露呈させる。

この作品が、「自殺サークル」が前提になっていると知った時、一体どうリンクするのだろうと思っていた。
あの事件の前後を挟んで描かれる。廃墟ドットコムは女子高生集団自殺事件の発信地であり、ネット上で集まって一緒に自殺する、自殺クラブのようなものがあるのだと囁かれていた。
それをあえて、自殺サークルと呼び替えていた意図が、ここで明らかにされる。

父親は、娘たちの失踪、妻の自殺の後、廃墟ドットコムの存在にまでたどり着いた。自殺クラブの中に娘たちが入っているんじゃないか、それがクミコたちのレンタル家族じゃないかというところまで突き止めた。そしてそのスタッフに接触する。
しかし、彼の前に現われた若い男は、自殺クラブなど存在しない。自殺をするために集まっているわけじゃない。いわば食物連鎖のサークルなのだと、したり顔で説く。
ここではモノローグではなく、まるで大学の講義のような一方的なダイアローグの洪水だ。
言いくるめられるなと必死に自制を保とうとしていた父親だけど、ついつい聞いてしまう。「あなたは、あなたの関係者ですか?」そんな禅問答のような言葉が、彼を貫く。なんだか……人が勧誘に騙されてしまうのはこういう状態なのかもしれないと思う。

狼に食われるウサギがいるように、世の中には役割というものが必要なのだと、彼らは説く。
誰しもウサギにはなりたがらないけれど、その存在は必要なのだと。
レンタル家族サービスはいわば、その縮図なのだ。客の要望に応えて、殺されるウサギとなる役割の人間が必要となる。
それを、芝居の稽古さながらに円陣になってディスカッションする少女たちは、あの廃墟ドットコムの住人たちだった。その中心にクミコがいた。
クミコの指揮下で、何人もの少女たちが「役割」を全うして、客の手にかけられ、死んでいった。
しかも、幸せそうに。次にその「役割」に向かう少女も、「私も頑張る」と練習試合に向かうテニス部の女の子みたいに、生き生きと笑っていた。
一体、何を頑張るというの。
クミコだけは、彼女たちのそばで、殺される彼女たちを見守った。しかも、やっぱりどこか満足そうに。
それは、いつか自分も、という幸せな待機状態だったからなの?

クミコはあの集団自殺の現場に、紀子を誘っていた。返り血を浴びながら、その光景に動けなかった紀子。
いつか、紀子もそういう役割を担えると、クミコはそう評価したから、彼女を連れてきた。
クミコは紀子たちを、ひょっとしたらうらやましいと思っていたのかもしれない。
本当の家族がいるくせに。そして今、お父さんが二人を探し出して東京にまで出てきていていることに。

ある日、一人の男から依頼があった。紀子とユカを娘役に、クミコを妻役に指定した。仕事場で二人が一緒になっても、今は他人、それがプロの仕事だと、クミコは二人に言い聞かせた。
父親は、地元の家とよく似た間取りの家を探し出し、そこに実家の中のものを全て持ち込み、東京の友人に代役を頼み、二人を待ち構える。
旅行から帰ってきたという設定で家の中に入ってきた二人は、すぐに気づいた。動揺する二人だけど、最後まで、演じきった。途中、かなり危なかったけど。
タンスの中からそれを見守る父親は、「クサイ芝居だ」とつぶやく。いや、今まであんなに楽しそうな娘たちを見たことがなかったからだ。あまりにも大げさに見えたのだ。
でもかつて、特に紀子は娘としての芝居をせず、正直な気持ちをぶつけていた、その方がよっぽど親子として幸せなだったことに、こんな事態になってしまった今、気づく余裕などない。

代役の友人がクミコを買い物に追いやっている最中、本当の父親がタンスから出てくる。二人はさすがに動揺し、ちょっと、実際の姉妹に戻ってしまいそうだった。でも、紀子は「私はミツコ」と繰り返し、父親が触れようとするとまるでレイプでもされるかのようにビクリと身を震わせて引く。妹は怯えて泣きじゃくった。
父親は何かを決意しているようだったから。そのふところに忍ばせていたのは、ナイフ。
一家心中するつもりだったの、そんな……。

取り押さえにきたサークルのメンバーと格闘して、父親は彼らを殺してしまった。一体これは、現実なの?夢なの?だってその後、囲んだすき焼きの風景は、血の汚れなど一滴もない、遺体もどこかに行ってしまって、幸せな家族の情景そのものだったじゃない。
そう、妹は、異例の、自らの時間延長を申し出たのだ。泣きじゃくりながら。それは、もういいじゃない、お姉ちゃん、と言っているようだった。
それでもあくまで、擬似家族としての食卓だった。「うちのごはんが一番だね」そんな台詞、実際の家族の時には言ったことなかったんじゃないの。クミコは相変わらず母親役を演じ続けていたし。
でも、その食卓の楽しげな二人は、今まで家族の中で見せたことのない楽しげな二人は、芝居じゃなくて、こうなりたかったっていう心の叫びじゃなかったのか。
というか……ユカがさ。

お姉ちゃんより世の中をドライに見ている経験済み、みたいに見えて、姉より先に崩れてしまった。姉は目に涙を溢れさせて震えながらも、そんな妹を背中にかばってた。
家族として、それぞれ眠りの床についた後、妹はこっそりと起き出し、早朝、家を出て行った。どこへとも知れず。
お姉ちゃんの寝顔を見つめ、その寝言も久しぶりに聞いた、と愛しげに見つめてた。
彼女はお姉ちゃんのマネをして失踪したのかもしれなくて。だからこの時点で、彼女もまた本当の自分を発見できていないのだ。
擬似の自分がそこにいるだけ。

監督自身の地元、愛知県豊川市を出発点としているのが興味深い。彼もまた同じ心を抱えていたのかな、なんて思って……。家族の幸福を安易に造形する場所にシャボテン公園なんか使って、実にシニカルである。
娘二人に理解のない父親から、必死に受け止めようとする父親へと変わっていく光石研が、壮絶だった。
監督は、自分の父親の要素も少し入っていると語ってた。むしろこれは、娘ではなく、父親の物語だったのかもしれない。★★★★☆


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