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不倫中毒 官能のまどろみ
2007年 分 日本 カラー
監督:吉行由実 脚本:吉行由実 樫原辰郎
撮影:清水正二 音楽:加藤キーチ 小泉pat一郎
出演:薫桜子 吉行由実 内山沙千佳 なかみつせいじ 平川文人 国沢実
男のセックスの手管で、女としての快楽を感じる身体がどんどん開花していくという、ピンクらしいピンク映画。それに彼女のおっぱいは、劇中相手役のなかみつせいじ氏が「君はなんて豊満なんだ」と思わずもらすように、目を見張る爆乳で、それだけでピンクを観に来た観客の欲求を惹きつける。
ただこの二点は、こういう邪道な場所に観に来る女の観客にとってはいわばどーでもいいことで、あるいはちょっとカチンとくるような部分でもあるんだけど(ゴメンナサイ!失礼を承知で……)不思議と気にならない。
それどころか、その彼女が口にする、「これって恋なんですよ」という言葉の方に敏感に反応して、その恋のドキドキをずっと保ちながら見てしまうという、奇跡的なバランスに満ちた映画。
それは、女性監督、吉行由実のラブリーなセンスだからだろうか。もちろんそれはあるだろうけど、いやいやいや、単純にそう言いきってしまうのはあまりに惜しい。
女の子が文学者に向ける崇拝とアコガレが、くるりと恋心に転換(錯覚)させられる感覚というのは、確かに女ならば覚えのある道だし、それがすんごくリアルなのは、やはり女性監督ならではなのかなあと思う。そう思うのは単純かな?
でも何より、それを一心に体現する、これぞラブリーな薫桜子嬢の魅力に尽きる。ビックリした。まさかこんな爆乳クイーンが、こんなにも可愛らしさを振りまいているだなんて。
劇中、彼女は恋人もいるし、その男とのセックスシーンから始まるし、決しておぼこ娘(古い言い方だ……)というワケではない。
でも、そのたった一人しか知らない恋人とのセックスにのめりこめない。恋人は、「理沙ってあんまり声あげないよね」と不満声をもらす。「そうかなあ」と、別に満足してないわけじゃないよ、という意志を示しながら、でも彼女はセックスの最中、上の空だった。
もちろん、あまり声があがらないのは、セックスに対してそれほどの快感を感じられないからに他ならない。でもそれが満足していないことなのかどうかさえ、一人の男しか知らない彼女には判定できないのだ。
しかし彼女は、憧れ続けた一人の小説家に出会ってしまう……。
理沙は小さな編集部に勤めているのね。新しく就任した女編集長は、先輩編集者(国沢監督。ちょっとキモチワルイ(笑))が言うように、「女としてはちょっと……」な女傑なんである。それを聞いて理沙は「職業的能力と、女としての魅力を混同するだなんて」と憤る。
そのあたり、彼女が、理想を夢見る乙女の部分を持ち込んだまま大人になってしまったことを凄く良く示してる。
だってこの先輩編集者は爆乳の彼女に明らかに気があって、萩原朔太郎の朗読会に誘ったりしているのに(ってあたりがキモイのだが(爆))、それは彼女の乙女な部分がバレバレだからそういう誘い方をしているのに、ただ彼女はキモチワルイという拒否反応だけを示して、自分がそういう乙女のオーラを放っているのを自覚してないのだ。
もうこんな具合に、萩原朔太郎だのなんだのと、文学少女がいちいち反応してしまうようなキーワードに満ちていて、これは女の子のために作られた映画じゃないかと錯覚してしまうくらい。
女の子は太宰だの芥川だのといった、職業作家というよりは、自分の生死を賭けて作品に向かう、孤独でアウトローな作家に心惹かれる。んでもって、もし自分がそばにいたら、スランプのふちから救ってやれたんじゃないだろうか、などと妄想するもんなんである。
だから、理沙が、ずっと書けないでいる小説家を自分の身体の魅力で書かせるようにしてしまうなんて、究極のアコガレじゃないだろうか……って、あ、そうか!いかにもピンクならではのその展開こそが、くるりと裏返ると文学少女のアコガレに満ちているのか!
理沙が憧れているのは、「溺れそうな僕の小島」という傑作小説を残したきり、表舞台から姿を消してしまった、小山内誠二という小説家。
学生の時から何度となく繰り返し愛読してきたこの架空の小説のフレーズが、繰り返し彼女のモノローグと、あるいはまんま黒バックに白抜きの活字でも現われて、これが非常に、魅力的なんだよね。
間接的、あるいは暗喩、あるいはあいまいな表現で、性愛を描いたと思われるそれは、しかしそのあたりが実に、文学少女の心を揺さぶるんである。
“やっとたどりついた小島は、しかし人も食べ物もなかった。僕はまた、海へと漕ぎ出す……”彼が甘い果実のある小島に辿り着くまでに、漂流を続けるその物語は、まだ恋愛を知らなかった少女の彼女に、大きな影響を与えた。
こんな、身を焦がすような恋愛をしてみたい。
でも、それがただ単に性愛への欲望を描いていたのかもしれず、理沙は勝手に恋愛と変換したのかもしれない、のは劇中、執拗に、先生に対する思いは恋に違いないと言い募る理沙に、小山内の方は冷静に、それはきっと、君が錯覚しているんだよと言い、それを立証していく過程で示されているように思う。
小山内は、女編集長のダンナだったんだよね。ある日編集長の家に原稿を取りに行った理沙は、思いがけずアコガレの人が目の前に現われて驚く。
この場面がねー、またいいのよ。突然降って来る雨。家の外からのキャメラで、彼女を応対に出てきた小山内の声だけが聞こえてくる。
「急に振り出しましたね」
するとカットが変わり、雨に濡れて白いブラウスの下のアンダーが透けている理沙が、呆然とした表情で彼を見ている。まさに水も滴る美女で、その透けるような白い肌と愛らしい表情に釘づけになってしまう。
そして日を違えて後、彼女は小山内と関係を持って、白い肌がまさに名前の通り上気した桜色になっていくのが、しかもそれがエロティックというよりは本当に初々しい可愛らしさなのが、すっごいラブリーなんだよね。
本当に薫桜子嬢が可愛くて、恋愛にのぼせている様が、愛らしくて。
これはこの日、技術賞を受賞していた清水キャメラマンが撮っていて、それは 第四位の「うずく人妻たち……」でもそうだったんだけど、皮膚の美しさが凄く際立っているのだ。真っ白い薄い皮膚の下が熱を持って赤らんでいく様が、本当に瑞々しく、キレイで、もう見とれてしまう。
小山内は、今はすっかり女房に食わせてもらっているような状態、日々蕎麦打ちにばかり熱中していた。この日も理沙に食べていかないかと言うものの、すっかり舞い上がってしまった理沙は、名刺を渡すだけで精一杯。
後に編集長に彼に書いてもらいたい旨を申し出ても、「カンタンに諦めてしまったと思うの?書いて死ぬか、書かずに生きるか、どちらかだった。私は妻だから、生きてもらうほうを選んだのよ」などと言われてしまったら、引き下がるしかないんである。
ところでね、理沙は職場では大きめの眼鏡をかけていて、これがまたいかにもマジメな文学乙女って感じで、カワイイんだよねえ。白い肌と無造作な漆黒の髪、小作りな顔に大きな眼鏡が可愛すぎる。
小山内に初めて会った日、彼女は帰ってきて、自慰をした。自分にとってあまりにも思いがけないことだった。
そして休日、突然小山内から電話がかかってくるんである。君のうちにいって蕎麦を打ちたいと。これもまた晴天の霹靂。
小山内が蕎麦を打っている横で、彼の持参した日本酒で既に酔っぱらってしまっている理沙。もうそうでもしなければ、この信じられない状況に直面できないとでもいった可愛らしさ。だってつい先日、彼を思って自分でしたばかりなんだもの。
しかも理沙、酒の勢いも手伝ってか、そのことを彼に告白してしまうんである。私、先生と会ってからヘンなんです、と。
思わず目を見開く小山内。
もうそうなると、二人が関係を持つにはあっという間ではあるんだけど、それをね、「君の欲望を文学的見地から考察してみよう」などとマジメくさって小山内が言うもんだから吹き出してしまう。
しかし理沙は、それを上気した顔で受け止める。もうどこまでも、マジメな文学少女である彼女に、冗談など通じる筈もないんである。いや、小山内も、案外大真面目に言っているらしいのがスゴいんだけど。
でもここまで来るにも非常に日本文学らしい湿度と含蓄と遠まわしに満ちた表現で連ねてきているから、なんだかもう、その世界に引きずられて、アリかも、と思っちゃうんだよね。
もうこれは恋だと思い込んでしまう理沙。先生のことを思って思って、会いたくて仕方なくなる。
それを小山内は、恋ではなく欲望だと言う。僕じゃなくても、もっと感じさせてくれる男が現われたら君はソッチに行くよ、と。
そんなことない、と理沙は噛みつく。先生だからです、と。先生に恋しているから、私はこんなに感じるんだと言ってきかない。じゃあ、試してみます、先生、見ててください、なんて言って何をするのかと思ったら、恋人とのセックスを小山内に除き見させるんである。
でもね、彼女、見られていることで興奮したのか、今まではちっとも感じなかった恋人とのセックスに、大いに感じてしまうのね。
恋人が眠り込んだ後、小山内はからかい半分、嫉妬半分といった感じで、「あんなに感じてたじゃないか」と彼女を軽くいたぶる。
いたぶりながら、恋人を起こさないように、コッソリ洗面所でセックスする。もはや理沙の開花は止められない。
この密やかなヒミツの交合には実にドキドキしてしまうのよね。
そして次は僕の方だとばかり、小山内はデリヘル嬢を雇って、理沙の目の前でセックスをしだす。目を背ける彼女を椅子に縛り付けて、このデリヘル嬢、理沙に「濡れてるじゃない。アタシ、女の子イカせるの得意なんだから」といって、大人のオモチャでグリグリやりだす。
とまあ、このあたりになると、うーむ、ま、ピンクだしなとは思いつつ、すっかり文学乙女の記憶を呼び覚まして見ている元女の子(爆)のこちらとしては、ちょっと引いてしまう展開になってくるんだけど、でももう受け身になるしかないのに身体が反応することにたまらなく恥じらいを見せる薫桜子嬢があまりにもヴィヴィッドで可愛いので、ギリギリ踏みとどまらせるんである。
小山内は、書き始めた。理沙の存在が、彼にみすずというヒロインを誕生させた。書き進むたびに、理沙はそれを読ませてもらう。文学少女として、そして恋するオトメとして、至福の時である。そう、もしかしたら、セックスするよりも。
で、編集長も、理沙と夫との関係に気づきだす。というのも、小山内が再び書き始めた、と理沙に言うと彼女が「はい」と既知の顔で即答したから。
これはさー、やはり理沙が編集長に女として対抗したい気持ちがアリアリだよね。だって本当はこんなことバレない方がいいに決まってるのに……。
でもう、こうなるとラストになってくると、女編集長も巻き込んで、文学と性愛の世界を追及する展開になってくるんである。
女編集長が縛られて、理沙と小山内のセックスを覗き見させられている。この段階になってくると、理沙がどこまで恋の感情を信じて彼とこの官能に溺れているのか、非常にアイマイになってくる。でもきっとそれこそが、恋愛という、そして文学という、人間の生み出した芸術の魔法なのだ。
いやー、それにしてもこんなに可愛い薫桜子嬢に、ひたすら驚くばかり。
でもそれは、彼女が女優としての演技の幅を広げたってことでもあるんだろうな。
あるいはこれが素かも?と勝手に希望的観測。だって授賞式ですんごく嬉しそうだった彼女と重なる可愛さだったからさ!★★★★☆
そう、刑務所の面会室で、最後にはセックスまでしてしまうなんて、そりゃありえないのだ。
それまでの面会の過程だって充分にファンタジーなのに。
でもそのありえないことが重なっていくほどに、リアルに、真に迫ってくる。だって彼と彼女は、ここで奇跡の魂をぶつけあって、奇跡の愛が本当に生まれてしまった。
しかし、奇妙な符合があって、私はなんだか、いつものようにギドク作品そのものにだけどっぷりと浸れずに、いや、浸らずに、見ていたように思う。
ついこの間観た、万田監督の「接吻」との、奇妙な符合。
勿論そのアイディアはそれぞれ全く別方向から出ているのだし、全く関連も関係もないんだけれど。
でも、殺人を犯して死刑囚となった男に、一人の女が何かを感じて接触してくる、そして想いを、愛を通じ合う。そしてそして、直接相対する面会室で(接吻では一度きりだけど)、女が男を殺す、あるいは殺そうとする。そしてその場面でキスがとても重要な要素になること。本当に、驚くぐらい、設定から、要素からカブる部分が多いのだ。
もっと言ってしまえば、彼が殺したのがある家族で、その人数さえも同じなのも、何日かの間見つからなかったことさえも、同じ。ここまで偶然なのも怖いぐらい。
ただ、「接吻」では、それが全くの見ず知らずの、通りすがりの殺人であったのに対して、本作の彼は、自分の妻と子供たちを殺したのだ。そして彼はその遺体に添い寝していたというのだ。
あの「接吻」に、あまりにも相容れない思いを抱いていたもんだから、しかもヒロインが喋りまくるほどにどんどん引いていったから余計に、この静かな物語にはシンクロしてしまったことが、いつものギドク作品に反応するのと違う感じで、感慨を覚えた。
見ず知らずの家族を殺す理由も図れないけど、自分の家族を殺してしまった彼に一体どんな動機があったのか、ストイックなまでにここでは語られない。
ただ、刑に服してから、いや、捕まる前から、自殺未遂を繰り返している彼、チャン・ジン。もう外に発する言葉もなく(ノドをついての未遂だから、声が出ないのか)、ただ死にたいと、それが家族の元に行きたいという思いなのか、あるいは、贖罪の思いからなのか、それすら、明らかにはされないのだ。
それは、「接吻」で、自分には彼の気持ちが判る、と一方的に思っていた女が喋りまくるのとは実に対照的である。
チャン・ジンに接する主婦、ヨンは決して、彼の気持ちが判る、とは言わないし、そうハッキリと思っているかどうかも判らない。
「接吻」と同じように、テレビで報道される彼に釘付けにはなっていたけれど(ホント、いちいち符合するんだよね、不思議なぐらいに!)なぜ彼が気になるのか、会ってみたいと思ったのか、彼を喜ばせるために様々な演出を用意してしまうか、彼女の気持ちは、判らない。
そして情熱的なキスからどんどんエスカレートしてしまうのか……二人の気持ちは、ただ、その表情から、言葉ではなく圧倒的な感覚で受け止めるしかないのだ。
ただ、ヨンは結婚してて、夫に浮気されていた。しかもかなりあけすけに。車の中に落ちていた髪留めを、彼女がイヤミで髪にとめてみても、夫はあからさまにイヤな顔をして「それはお前のじゃない」とムリヤリむしり取ろうとするだけだった。
ミュージシャンと思しき夫。ダサイ眼鏡をかけているのが凄く気に触る、そういうファッションや中途半端に生やしたヒゲが、伊達だと思っているのかって感じの、なんっか、腹の立つ男なんである。
夫婦の場面の冒頭、彼は娘を送りしな車に乗り込み、妻に対して「土ばかりいじってないで、少しは人に会えよ」と言うのね。なんかその台詞一発で、まず、あ、この男、ヤなヤツ、と思わせてしまう雰囲気。
ヨンは何も言わなかった。何も言わずに、いつものように粘土の彫刻を進め、洗濯物を干し、夫のワイシャツをわざと道路に落としてみた。
そうなの、彼女は美術家なんだよね。ベランダには彼女が作ったと思しき男の子の全身像の彫刻があるし。そして羽根の生えた天使の塑像を黙々と作ってる。
芸術は、孤独な作業だ。夫が軽蔑するように吐き捨てるようなことは全然ない。
むしろ、妻に浮気がバレても、お前が暗いのが悪いんだぐらいな態度で開き直る夫の方が、芸術家としてサイテーだ。それは……音楽という、ちょっと華やかな場所にいるってわけじゃ……ないよね……そんなこと言ったら、怒られそうだな……。
彼女が、夫との溝を決定的に感じた時に、せっかく焼き上げた、天使を思わせる塑像をカナヅチで粉々に壊してしまうシーンが印象的で。それは、自分の中に必死に作り上げていた無垢な気持ちが、もう耐え切れないんだ、って悲鳴をあげているようで。
ギドク作品の登場人物はとにかく寡黙で、ひょっとすると最初から最後までひと言も喋らないことも珍しくない、というか、それがほとんどって感じですらあるんだけど、本作ではそのオン・オフが非常に効果的に使われている。
まず、ヨンは夫に対しては、最初から最後までひと言も口をきかない。夫の方は、後ろめたさもあってか、かなり饒舌である。全く言葉を発しない妻の表情だけで全てを感じ取って会話?を成立させているんだから、ある意味夫婦のコミュニケーションは奇跡的に取れているじゃないの、と思うぐらいである。
しかし彼女は、運命の相手、死刑囚のチャン・ジンには実に饒舌に話をするのだ。昔の恋人だとウソをついて面会にこぎつけたところから、もう彼女の饒舌は始まっていた。
いやその前に、タクシーの運転手に「行き先はどこでもいい……ハンソン刑務所へ」と告げた場面で、初めて彼女が言葉を発したから、あ、今度のヒロインは喋るんだ!と驚いたぐらい。しかし家族以外の場面では、彼女は実によく喋るのだ。
ことに、チャン・ジンに対しては、本当に饒舌だった。まずいきなり、自分が小さな頃、溺れて「5分だけ死んだことがある」と話し出した。見も知らない相手が訪ねてきたことを牽制する思いがあったのだろうか。そして自分に出来ることならなんでもする、と言った。
彼は、彼女を目顔で呼び寄せて、しきりの小さな穴から彼女の髪の毛を一本抜き取った。
そして、その透明なしきりに息を吹きかけて、そこに唇をおしあてた。
この二つの行為が、間接的だけど、ひどくひどくエロティックで、もう心臓がドキドキ高鳴ってしまうのだ。
その髪の毛を、彼は自分の歯に巻きつけて、無くさないようにしてた。
次に会う時に、彼はニッカリ笑ってその歯を彼女に見せる。
これも、すんごく、すんごく、エロティックだよね!
そしてこのチャン・ジンを演じるのがチャン・チェン。こんなスターが起用されたのは、それこそ「コースト・ガード」のチャン・ドンゴン以来。しかも外国人じゃん、どうするのかと思ったら……そこはギドク作品、メインが喋らなくったって、全然、問題じゃないのだ。
本当に、ひと言も発しないチャン・チェン。対する相手の彼女が、夫にはひと言も喋らないのに彼に対してはひどく饒舌に話すのと対照的である。彼女に会うことをひたすら楽しみにしているというのに、彼は彼女の言葉を嬉しそうに聞いてはいるけれど、自分の声は発しない。
それは、彼が外国人スターだからではなくて、やはりこれぞ、ギドク作品の登場人物だ、と思う。そしてやはりチャン・チェンは美しいのだ。
一方のヒロイン。演じるチアは、「コーストガード」のミヨン、「春夏秋冬そして春」で赤ちゃんを連れてくる女。数少ないギドク監督に複数起用される女優。
疲れた主婦が、どんどん目覚めていく鮮やかさ。
ヨンはチャン・ジンに面会に来る度に、四季の演出を携えてきた。まずは春。面会室の壁を花の咲き乱れる壁紙で貼りめぐらせ、春らしいオーガンジーのワンピースをまとい、持参したラジカセに合わせて春の歌を彼女自ら披露する。
歌い終わった後、恥ずかしがって顔を覆う彼女を、彼は黙ったまま、でも微笑んで見つめてた。
その時は、彼が彼女の頬に触れただけ。モニターで見張ってた所長のブザーが鳴り、今にも触れそうだった唇は未遂に終わる。
でも、次の「夏」で、二人はキスを実現させ、「秋」では、もはや所長も監視役も見ぬフリをして、二人の、もう今にもセックスしそうな勢いの、濃厚なキスを許していた。
ただ、その「秋」の時、妻の異変に気づいた夫が後をつけてきていて、その場面をモニター越しに目撃してしまっていたのだ。
ヨンが演出するのが、春から始まっているっていうのが、ちょっとイヤな予感を感じさせもしたんだよね。だって春から始まったら、最後は冬だもの。チャン・ジンの死刑執行は迫っている。最後に冬を持ってきてしまったら、もう救いようがないじゃない、って。
今の季節はまさに冬。春のカッコでウキウキしていた妻を、夫はまず見咎めていたし、夏のノースリーブで扇風機を抱えて往来を歩く彼女に、通りすがりの人たちは、頭のオカシイ女だと囁いていた。
そして秋の場面、夫が見てしまった濃厚なキスシーンは、そのショックだけじゃなくて、夫には気づくところがあったのだ。
この時、ヨンがチャン・ジンに言った言葉は、夫には聞こえていない筈だったのに。この紅葉の美しい山で、あなたと同じように遠い目をして見つめていた男を私は愛した、という台詞。それこそが夫との出会いだったのだということ。
もうあいつには会いに行くな、と夫は妻に言った。彼女の目の前で携帯に愛人からかかってきた夫は、別れを告げて、オレも別れたんだから、お前もやめろ、と言った。
でも、やっぱり根本的に判ってないんだよね。だってこんなヒドいこと言うんだもの。「オレは浮気していても、ちゃんと仕事をしていた」って。
何それ!と思う。つまり夫は、娘や自分の食事の用意やら、送り迎えをしなくなった妻に、アテツケてたわけでしょ。そしてカネを運んでくる自分に、だから浮気ぐらいしてても大したことないぐらいにさ!キーむかつく!
まあ、これは、ちょっと判りやすい夫婦間の溝であって、そんなことを言われても彼女はキレたりしない。
相変わらず夫には何も言わずに、しばらくはおとなしくしてても、チャン・ジンがまた自殺未遂したニュースを耳にすると、何も言わずに、彼に会いに行く準備をするのだ。
チャン・ジンの方の刑務所での生活もちょっと、というかかなり気になる部分がある。
徹頭徹尾寡黙、どころかひと言も言葉を発しない彼だから、犯罪の動機だけでなく、ここで一緒の牢に入れられている男たちとの関係性も微妙な感じなんである。
ことに、どうやらチャン・ジンに思いを寄せているらしい、若くてカワイイ男の子との攻防戦がスリリングである。
この男の子と何があったというわけでもない。ただ、男ばかりで押し込められてて、寒いから身を寄せ合って暖をとったりしてれば、起こりたくもないことも起こってしまうかもしれない。メンバーの中には、元の職業なのか、マッサージの上手い男がいて足の裏のツボをグリグリやったりしてるし。
そういやあ冒頭、チャン・ジンと男の子が絡み合って寝ている場面で、そんな雰囲気が既にあったかもしれないなあ……。
この男の子、そのくりっとしたタレ気味の瞳を常に泣きそうにゆがめて、チャン・ジンへの思いを爆発させているんだけど、そしてチャン・ジンは絶対、その思いに気づいていない筈はないんだけど(だって、彼が歯に巻きつけていたヨンの髪の毛を奪ったり、写真を破いたり、思いっきり判りやすいんだもん)当然、そんな思いに応えられる訳もなく……。
でもね、「冬」の彼女が来た時、夫からも牽制されて、もう会えないと覚悟していたチャン・ジンが呼び出される直前、彼が男の子をふいに肩車して、ほんの一瞬、気持ちに応えたような雰囲気があった。
ちょっと、永遠みたいな空気を感じさせる、美しい場面だった。高窓から光が差し込んで。でも、呼び出しがかかって、チャン・ジンは無常に彼を肩から床に落とした。チャ・ジンにつかみかかる男の子を払いのける彼。その後ももっとヒドイ修羅場はあるんだけど、この場面が一番残酷に思えた。
最終的にね、この男の子がチャン・ジンを、殺すのよ。彼の気持ちを奪ったヨンへの復讐と、カンタンに言ってしまえるのかもしれない。
でも、これは、それ以上の、彼を完全に手中にしてしまった重みがある。結局、ヨンは途中から割って入ったよそ者で、運命の恋に落ちても、どんなに心を通わせたと思っても、最後のツメに持っていけなかったのだ。
そうだ、きっとチャン・ジンも、あまりにも愛しているがゆえに、愛する妻と子供を殺してしまったのだ。愛して愛して愛しているのに、その手に入らないから。
そんな風に言ってしまうのは、いけないことなんだろう。そんな身勝手な理由が許される訳はない。だから彼は死刑になって、自殺未遂を繰り返し、死刑執行される前に、殺されてしまった。
でもそれが、同じ理由で、手に入らない彼を愛するがゆえに殺してしまった男の子の手によるものだとしたら……ギリギリ、チャン・ジンは幸せだったのではないか。
でもそう考えれば、一番哀しいのは、主人公である筈のヨンなのだ。
運命の相手を見つけたと思って、自分だけのものにするためにその手にかけようとさえしたのに、それさえ、他人に奪われてしまったのだ。
何ひとつ、自分が愛してその手中にあるものはない。
と思っていたけれど、最後に幸せなシーンが用意されている。
外で雪だるまを作って待っていた夫と娘、彼らと雪合戦に興じる彼女。
夫婦、お互いにキッツイ雪玉を炸裂させるのは、まあちょっと重い思いをさすがに感じはするけれど。
あの時、ついに面会室でチャン・ジンとセックスをしたヨンは、彼にまたがりながら、キスをする形をカメラに見せつつ、死角で彼の鼻をつまみ、唇から息を吹き込んだ。
彼女が再三彼に話していた、5分だけ死んでしまった記憶。身体が風船のように大きく膨らんだというあの記憶。
それを再現させるつもりだったのか、それだけだったか、それとも……。
結局はナイフを刺すという単純なやり方でしか、男を自分のものに出来なかった「接吻」との、明らかな違いと、でもそれで勝負が本当に決まったのか、という複雑さがある。
この場面で、ヨンがチャン・ジンを窒息死させられていたら、こんなに幸福なラストはなかっただろう。
いや、それは、あくまで女にとっては。
でも非常ブザーで引き裂かれ、チャン・ジンはこの場では死なない。そのことを、彼自身が助かったと思ったのか、残念に思っていたのかは、判らない。
そしてその後、彼は男の子に首を締められて死んでしまうのだ。泣きながら、彼の首をしめ続ける男の子の悲哀は美しく、締め上げられて真っ赤な顔をして、同じように涙を流しながら動かなくなっていくチャン・ジン。
なんか、悔しいのだ。女としては。
男の子の愛に、負けてしまった気がして。
でも、そうなのかもしれない。結局は、家族の愛に戻っていくんだもの、彼女は。
ファンタジーであるだけに、彼女と家族の関係だけが結局はリアルになってしまったことが、それは非常にいいことなんだけど……恋愛に溺れたい女としては、なんか、悔しい気がしちゃうんである。
今までずっと、ハッキリと水のイメージがあったギドク作品、それが最も見い出せない作品であると思う。
でも、やはり、ムリヤリにでも見つけてしまいたくなる。しかも、最も重要な部分だから。
ヨンが、「5分だけ死んだことがある」と彼に話す、溺れた経験、そしてそれを元にして彼を殺そうとする場面。
地球上の殆んどを占めるのに、人間が支配できない水への畏怖。この物語自体は息、呼吸というモティーフをこの世で息が出来ない、生きていけない苦しさに置き換えているんだろう。でもやはり、そこには水が存在する。
それがどんなに形を変えても変わらない、ギドク作品の崇高さを支えているのだと思う。
次作はオダジョー主演だって!?うっわ、楽しみ!浅野忠信とかじゃなくてオダジョーっていうのが、判る気がする……こういうどっぷり系の俳優がギドク作品には似合うのよね!★★★★☆