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スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師/Sweeney Todd: the Demon Barber of Fleet Street
2007年 117分 アメリカ=イギリス カラー
監督:ティム・バートン 脚本:ジョン・ローガン
撮影:ダリウス・ウォルスキー 音楽:スティーブン・ソンドハイム
出演:ジョニー・デップ/ヘレナ・ボナム=カーター/アラン・リックマン/サシャ・バロン・コーエン/ティモシー・スポール/ローラ・ミシェル・ケリー/ジェイン・ワイズナー/エドワード・サンダース/ジェイミー・キャンベル・バウアー/
確かにシュレンジャー版で物足りなく思っていた部分が、このバートン版ではキチン、キチンと押さえられていて、やっぱり同じことを思ったのかしらなどと嬉しくなる。
あの時代のロンドンの暗い異様なムード、スウィーニーの殺人鬼としての恐ろしさ、それに至る妄執とも言えるほどの強い動機づけ、残酷な殺人場面に目をそらすことなく畳みかけ、それでいて怪奇ホラーとしてのロマンティシズムに昇華する力ワザ、それを助けるべく編み出されたオドロキのミュージカル!
まさにシュレンジャー版でこうだったらと思っていたことが、全て叶えられているんだもの。まあそのせいでか、多少デップのハンサム度は失われているけれど。
そういやあ、ジョニー・デップも最近は私、あまり観る機会がない感じ。前回もバートン監督作品だったかな?シリーズモノを避けがちにしているもんだから、近年「パイレーツ・オブ・カリビアン」にかかりっきりになっていた感のある彼の作品に出会う機会がなく……しかしこのシリーズに関わってたことで参加するかもしれなかった数々の秀作の話を聞くたびに、ちょっと歯がゆい思いも抱かずにはいられないんだけど。
ジョニデなどという略称もすっかり定着し、今やその名を知らぬ者のいなくなったスーパースター、インディーズ映画の雄というイメージをずっと持っていたこちらとしては、あの彼がねえ……となんだか遠い目をして彼を眺めてしまう。
しかし彼を「シザーハンズ」で本格的に役者の道に押し上げたティム・バートンとの名コンビとくりゃ、やはり違うのだ。
大がかりな映画作りが出来るようになっても、基本的にはオタクで変態気味なところは変わらないティム・バートンと、基本的にアウトローなジョニー・デップの固い絆は、黒澤と三船に匹敵するぐらいのものなのだもの。
そうだよなー、「シザーハンズ」ほどのハマリ役に出会わなかったら、もしかしたらデップはどこかの時点でミュージシャンに戻っていたかもしれない……って!そうだ思い出した。
本作は、「ジョニーの歌声が聞ける」ことがウリになってて、ジョニー自体もまさかの経験、もうやらない、みたいに戸惑っていた感がアリアリだったけど、もとはといえば彼はバンドマンだったじゃないの。最初から役者を目指してたわけじゃない、というかニコラス・ケイジに勧められて、ちょっとやってみようかと踏み出して今に至るってなお人で、もともと音楽畑の人だったのよね!ウッカリ忘れてたわ……。
あー、でもそのバンドではギタリストだったから、歌は未知だったのかもしれないけど。
でも本作で聞かせる歌声はなかなかのもの。いやそれ以上、上手い!やはりこの辺は役者の面目躍如。
歌の節回しっていうのは、ことにミュージカルは歌詞にキャラの心情や時には物語の筋も含まれてくるし、やっぱり演技力がモノをいってくる部分はあるものなあ。
それに今回の歌に関しては、当時のバンドマンに相談を請うたというエピソードもいい。
んで、シュレンジャー作品が、まあ判んないけど、見た目な感じではスウィーニー・トッドの伝記映画的なスタンスをとってて、彼の感情や、殺しの動機なんかにはまるで無関心に展開していたのに対して……まあそれは、スウィーニーの無機質な殺人者という恐ろしさを表わそうとしていたのかもしれないけど……失敗してるけど……本作は、スウィーニーは感情剥き出しなんだよね。感情が爆発してる。人を殺すことに全力を傾けている。
そこには明確な目的が存在し、それは確かにムチャクチャなんだけど……スウィーニーの強い妄執に引きずられて、ウッカリ共感してしまうのだ。
まだスウィーニー・トッドとなる前、理髪師のベンジャミン・バーカーは、美しい妻とまだ赤ちゃんだった娘と幸せな生活を送っていた。それを、妻に懸想したターピン判事によって奪われた。
無実の罪で彼はブチこまれ、15年の月日を棒に振った。その間に妻は判事の手によって衆目の中で辱しめを受け、毒薬をあおった。娘は判事の後見のもと、かごの鳥となって閉じ込められている。
そのことを、オーストラリアの牢獄を脱獄し、シャバに出てきたバーカー、いや今はスウィーニー・トッドは、流行らないパイ屋をやっている未亡人、ラベット夫人から聞いて怒りに震えた。いつかにっくき判事を殺してやる。そして愛する娘に会いたい思いでいっぱいになった。
ラベット夫人は幽霊が出るといって借り手のつかなかった、かつてバーカーの理髪店があった二階をスウィーニーに提供した。
残されていた商売道具のカミソリも、ちゃんと保管してあった。繊細な細工の施された銀色に光る美しいカミソリは、スウィーニーの元に返ってきた。この後、次々と客の命を奪う美しき凶器。
スウィーニーが人を殺す理由は、にっくき判事を殺すための、その日のための訓練。どこかスポコンモノにも似た一途さで、来る日も来る日もトッドは客のノドをかき切るんである。
最初こそはその殺人は偶然だった。法王のひげをそったと豪語して怪しげな育毛剤を売りつける大道芸人よろしいインチキ理髪師を、その見事なワザで衆人の前で撃破。
実は捕らえられる以前のトッドの元で下働きしたことがあったそいつは、正体をバラすぞ、と脅してきたもんだから、スウィーニーは咄嗟に彼を殺してしまうんである。
それを知ったラベット夫人がしれっと、「それなら死んで当然ね」などと言い放つのもずいぶんだが、この台詞で彼女のメチャクチャさも判るってなもんである。
なんたってこの死体を「もったいない」と言って、それは肉の値段が高騰しているから、そして売れているパイ屋は猫の肉を使っているし、という理由で人肉ミートパイを作っちゃうんだもん!
殺した客を地下に落とすべく、特別仕様のどんでん返し椅子を黙々と細工するスウィーニー、いやジョニー・デップの姿は、妙にシニカルに笑えるものがある。
なんか……素直に妻の言うことに従って日曜大工をしている夫みたいな図で。勿論その細工をしながらスウィーニーは恐ろしい野望を胸に秘めている訳なんだけどさ。
スウィーニー・トッドという人が歴史に残る殺人鬼になり得たのは、ラベット夫人の存在があったからに他ならない。人肉でミートパイを作ろうなんて考える、それも大マジで!なんて人がいなかったら、彼はここまで名を馳せなかっただろう……ていうか、一応?フィクションだけど。
彼女はスウィーニーと、そして彼が殺したインチキ理髪師のもとでこき使われていた少年との、幸福な生活を夢見る。海辺に小さな家を買って、三人で暮らすのだ、と。
明らかに顔色の悪い二人が、カラフルな水着をまとって海岸で無表情に前を向いて座っているのが、シニカルな笑いを誘う。
このあたりはバートン監督ならではのブラックさ。そんなことあり得ねえだろうという画を、ここまで確信犯的に作る人もいない。
だって彼らに、「穏やかな南の海岸での幸福な結婚生活」だなんて、赤ちゃんがライオンと戦って勝利を収めるぐらい、あり得ないことなんだもの!
しっかし、リサ・マリーと結婚していた頃からのことだけど、ヒロインは自分のパートナーって決めちゃっているのがどうにもね。今回はオーディションを受けたってことだけど、ホントかなあ。
昔はそんなことなかったのにな……。それこそ「シザーハンズ」の昔はね!ああ、あの時はジョニデの恋人だったウィノナが相手だったんだっけ……時代の流れを感じるよなあ……。
と、とにかく、なんかもうね、ヘレナも見飽きちゃってさあ、彼女だって夫の作品にばかり出てたら、他のいい企画に参加するチャンスを逃がしてしまうかもしれないじゃないの!それこそジョニデのようにさあ。
なんかね、ラベット夫人が凄く明るくてきらめいていたら、面白かったかもなとか思ったのね。だって彼女って、現実的で、タフなんだから。ヘレナじゃ、やっぱり暗いもん。
ターピン判事が幽閉しているジョアナ、スウィーニーの娘に対して彼は最後まで自分が父親だと名乗ることも出来ず、ウッカリ彼女を殺しそうにもなる。その娘、ジョアナに、彼と帰ってくる船で一緒だった船乗りのアンソニーが恋をする。
スウィーニーは、この純朴な彼を最初は利用するつもりだった。窓越しだけで惹かれあった二人、アンソニーはジョアナと駆け落ちする決心をし、当座の隠れ場所にスウィーニーの店を使わせてくれないかと言う。娘と会えることを思い、スウィーニーは胸を高鳴らせる。アンソニーはその後、いつものように始末してしまえばいいのだと。
しかし、その直前、判事が店にやってくる。ジョアナと結婚するつもりなのだと彼は言った。
ここと、後にもう1回二人のシーンはあって、「女のシュミが一緒」ということで表面上意気投合して、歌い合うシーンが絶妙。それってかなりアブナい匂いを放っているのよね。
判事はかつては彼女の母親に懸想していて、つまりジョアナとは親子ほどの年が離れているんだし、スウィーニーの方も、娘に対する愛情で何人も人を殺せるほどに歪んでしまっている。その二人が、彼女のことを思って歌声を合わせるんだもの。
この時は、アンソニーがジョアナとの駆け落ちの計画を披露しに飛びこんできて、オジャンになった。ジョアナは精神牢獄に監禁された。囚人の髪をカツラのために買い上げるというアイディアをスウィーニーから持ちかけられたアンソニーは、そのとおりに入り込み、ジョアナを救い出す。
ジョアナは一時、スウィーニーの店に身を寄せるんだけど、その時彼はいなくて、スウィーニーが帰ってきた時とっさにジョアナは衣装箱の中に身を隠し、判事殺害をこの目で目撃してしまう。
そして、スウィーニーに見つかったジョアナは、男の子に変装していたことで彼に気づかれず、アヤうくノドをかっ切られそうになるんだけれど、階下の騒ぎで難を逃れる。
最終的に彼女と、彼女と好き合っているアンソニーだけが生き残った形で、その後のことは何も語られはしないけど、この可能性を残したってことが、希望なのかなと思うのだ。
そう、スウィーニーも死んでしまう。そしてラベット夫人も、彼の手によってオーブンの中に押し込められて死んでしまう。それに至るには、驚愕の事実が待っていた。
いつもいつも、ラベット夫人が追い払っていた乞食の女性。顔は醜く爛れて、艶のない白髪じみた乱れ髪。老女のように見えた彼女が、まさかまさか、スウィーニーが愛した妻だっただなんて。
ラベット夫人は知っていた。確かに彼女は毒をあおったと言っただけで、死んだとは言わなかった。
毒のせいか絶望のせいか、もう頭がイカれているらしい彼女は、かごの鳥になっているジョアナが自分の娘だということも、愛する夫が受けた悲劇も、判っていなかった、のかもしれない。
でも判事が、ジョアナに群がる男たちを半殺しにしたりしているのは知っていたし、スウィーニーと顔を合わせた時も、「どこかでお会いしましたっけ?」とつぶやいた。トッドはキチガイ女のたわごとと聞き流し、彼女の首をかき切って殺してしまった。
でも、彼が改めて彼女の遺体の顔を覗きこむと……肌は爛れていたけれど、その安らかに目を閉じた美しい死に顔は、愛する妻のそれだったのだ。
その事実を知って隠していたラベット夫人をオーブンに押し込み、愛する妻の変わり果てた姿を抱き抱えて涙に暮れるスウィーニー、その背後に、ラベット夫人を恩人とあがめていた、少年、トビーが手にナイフを持って近づいている。
彼だって、ラベット夫人に殺されかけていたのに。でも、彼女のことが好きだったのだ。
勿論ラベット夫人はトビーに対して擬似母性を感じていたけれど、トビー自身は、彼女の胸に抱かれる彼は、スウィーニーは悪魔だと、あの人からは離れるべきだと彼女に言い募っていた彼は、それ以上の思いがあったとしか思えない。
スウィーニーよりも鮮やかに、一瞬のきらめきで、トビーは彼の首をかき切った。一直線の線から、血が帯状に流れ出す。
妻のなきがらを抱えながら、スウィーニーは息絶えた。
人肉パイを考え出したラベット夫人と、そのアイディアに賛同するスウィーニーが色々な職業の人の肉の味を想像して歌うのが一番印象的。
しかも「役者の肉の味はたいてい少しくどい」 とジョニデに歌わせてしまうんだもん!★★★☆☆
OLのユキエと婚約者の玉川。居候なのか、同棲なのか、だらだらと彼女の部屋にい続ける玉川は、もう大分いい年だと思われるのに役者への夢を捨て切れない。
そしてユキエに思いを寄せる、というか興味を示す同僚の真島。彼がユキエに惹かれたのは、彼女が他の女とは違うからだった。でもその異質がまさかこんなことだなんて、彼は予測していただろうか。
こんなこと……恐らく彼女が、もうこの世にいない婚約者と共に、過ごしていることを。
冒頭から早い段階で頭に浮かんだのは、「溺れる人」だった。そして恐らくオチ(という言い方は、この作品に対しては単純すぎてしたくないけど)は同様に当たっていたと思う。
隣人から苦情の出る異臭は、気づくことを避け続けた愛する人の死の腐乱臭であり、執拗に手を洗い続けるヒロインは、「溺れる人」の夫が死んでしまった(ことに彼は気づかないフリをし続ける)妻に対してこっそり消臭剤を置いたり、好きだった刺し身が食べられなくなったりする描写によく似ている。
ただ、「溺れる人」がそのオチを最後まで観客にバレないようにし続けたのと比べ、本作はそれを早い段階から観客に予測出来るように仕向けていた気がする。
匂いのことは勿論だけれど、玉川が出演すると言っている監督の映画ポスターが、玄関先からすべり落ちてはすっとフェイドアウトして消えてしまうイメージショットが何度も挿入されたり、彼が両親からの電話に決して出なかったり、隣人が「あの女、一人で喋ってるんですよ、絶対頭おかしいですよ」という台詞はそのものズバリを示している。そして中盤からは、彼の姿さえも画面に殆んど出なくなる。
玉川は、そのフランス映画みたいなポスターを眺めながら言った。
「(映画で)死んだことないんだよ。死なないって言うのも、キツイよな」
そう、それは、まるで夢だ……。夢は夢でも、ナイトメア。
玉川の姿が消えたのは、ユキエのあの台詞がキッカケだったように思う。ずっと、もう望みがないとしか思えない役者への夢を捨て切れず、しかし彼女に黙って田舎の両親には旅館を継ぐと言っているらしく、それもはっきりせず、何よりずるずるべったりと関係を続ける玉川。
お前がしたいなら結婚してもいいよ、なんていう逃げを打つ彼を……そんな彼にどこかの時点でユキエがキレて、殺したと考えても全然、おかしくないんだけど、殺したのか自殺したのか、死んでいるんだとしたらどんな原因なのかさえ明らかにはされない。
でもユキエが言い放ったひと言から、一応はラブラブに見えた恋人の姿が、消えがちになるのだ。
「あなた、誰?」というひと言……。
それはユキエが、友達が結婚した話を彼にした前後だったように思う。まるで人ごとのように受け流し、婚約者であるユキエとの関係さえ人ごとのような彼に対する皮肉なのかと思っていた。
だって、「結婚してもいいよ。一緒にいられればいいよ」なんて、あんまりヒドイ言い方じゃないの。
でも、その後のユキエの言動は、何だかやっぱりおかしかったのだ。職場の同僚から恋人の話を振られても、「……玉川?」と誰か知らない人の名前を言われたような反応を示した。そしてちっとも連絡をよこさない息子に業を煮やして彼の母親がユキエの部屋を訪ねた時も、ただ絶句しているような様子で、ひと言もリアクションを返さなかった。まるで、見ず知らずの人が勝手に入ってきたことに戸惑うかのようだった。
この場面はかなりコミカルに出来ている。突然日本舞踊を始める母親にユキエがぼんやりと背後についてまわって、振り返ったところにぼーっと立っていたりとか。しかもこの母親、師匠のお免状をとるのにお金がかかると言って、ユキエからこずかいをせしめる始末だし。
そういやあ玉川は、実家の旅館を、もう傾きかけているのにしがみついてるんだとこぼしていたし、なんだかこの母親自体が、非現実にしがみついている幽霊みたいな感じだったのだ。コミカルなんだけど、何だかひどく、怖かった。
でもやっぱり怖いのは、どこまで自覚しているのか、判っているのか判っていないのか、あるいは彼女自身さえ存在しているのかどうか判らないような不安定さを持つこのヒロイン、ユキエだ。
江口のりこ、この人の凄まじさを改めて、というか、決定的に知らしめた。どちらかというとコミカルな役を振られることが多い彼女だけれど、そのストイックな魅力は既に「闇打つ心臓」で立証済み。それが不安というよりメンタルな繊細さを求められるヒロインを振られたらどうなるのか……それもこんな、表情も読み取りにくいようなざらついた8ミリ映像で。
しかし彼女は、実は肉体派女優だったのだ。と、思うほどその驚くべき手足の長さ、スレンダーな身体を繊細な不安さに読み替えて見せる。顔は地味なんだけど、それだけに妙にひきつけられるそのはかなく美しい肉体。その地味な顔も……日本人形のストイックな、ストイックを強要された哀しい美しさに見えてくる。
職場で、ユキエに妙に興味を持って近づいてくる男がいた。これが、中盤から消えかかった玉川の替わりに登場してくる第二の男、真島である。
演じるはARATA。彼もまた、顔はフツーの青年なのに、その永遠かと思われるような深い声で、作品の深度さえも掘り下げてきた要注意人物。この監督と江口のりこ、更にARATAが顔合わせしたことは、ちょっとした事件だと言っていいかも。
思えば、「すべては……」の西島秀俊も声がステキだったものなあ。甲斐田監督は、役者の声がどうスクリーンに響くかを綿密に計算しているように思える。
真島がユキエに惹かれたことに、特に明確な理由はない。ただ、ユキエの同僚のアホ女が対照とされるぐらいで。
あー、判る判るってな感じの女なの。まあ、その女に「この会社でたばこ吸う人(女)は少ないの」という設定を付加するのは、ちょっと女に対する理想を押してきた感じがしなくもないけど。
でも真島曰く「息継ぎしないで喋って、口を挟むヒマを与えない。決め付ける言い方をするくせに、それが間違っている」という言い様が、うう、判る判る、そういう女、いるよなー……と思ったりして。
だからこそ真島は、自分のことを何ひとつ喋らないユキエに惹かれるのだけれど、でもそれは、結局は決め付けることさえ出来ないユキエの弱さを、逆にあぶりだしていたのだろうか……。
真島は、ユキエのアパートまで押しかけてポストを物色したりと、ストーカーまがいの行為をするような、ちょっとアブない青年なんだよね。ついには彼女の部屋に上がりこんで、彼女との思いを遂げようとしつつも未遂に終わったりもするし。
なんたって会社の倉庫の中に、自分の部屋みたいなスペースを勝手に作っているぐらいだもの。そしてそこから、イケナイことする男女を除き見たりしている。つまり真島は、自分の世界をこの腐った世の中にしれっと置いちゃったり、世の中をシニカルに見つめる強さがあった訳で、彼にユキエが吸い寄せられていったのは、そうした強さへの憧憬という意味では当然の帰結だったのかもしれない。
ただ、そうした自分の居場所を取り除かれると真島は極端に弱くなり、ユキエに自分と一緒の逃避を誘いかける。なぜ彼女に惹かれるのか、それが自身の弱さとリンクしているなど思いもせずに、いくら待っても来ない彼女を車の中で待ち続けるのだが……。
真島の気持ちを感じ取ったユキエが、どこかケッペキめいた言い方で、「婚約者がいるんです。愛してます、彼のこと」と言うと、その微妙なニュアンスの違和感を真島は敏感に察知する。
「『愛してます、彼のこと』?変わった言い方だよね」
ユキエが一瞬、ひるんだような顔を見せたように思ったのは、気のせいではなかったと思う……。
今から思えば、ユキエの部屋に積み上げられた、引っ越し直後のダンボールをほどかないままになっていたのが、ちょっと意味があったのかなあ、と思ったのだ。
積み上げられたダンボール、殺風景な部屋。大家さんからもらったソバばかりを食べさせられてヘキエキする玉川、食欲のないユキエ……。そこに示された一人分の食事という意味。
そして、無数のダンボールの中に何があったのか。いや、最終的に大家さんが見つけたのは、風呂場の中の何か、だったんだから、そこまで考えるのは穿ち過ぎというものなんだろうけれど。
でも、ユキエがどこまで判っていたのか、普通にOL生活をしていたら、いくらヒモ状態の恋人がいたからって、あんなボロアパートでエアコンもない生活って不自然な気がするのに、と。
彼が暑がる描写が、あの部屋に彼が死んでいたら、そして暑い夏なら、きっと腐乱はヒドいことになっていたんだろうにと。
それとも、そんな暑さなど感じずに、終始冷ややかな顔をしていた彼女の方が、あの部屋で死んでしまっていたのだろうか?いや、まさか……なんだか考え出すと、どこまでも行ってしまう。
だって、タイトルにもなっている砂のイメージも気になるし。砂のショットは、ほんの2、3度示されるだけなんだもの。
一面の砂、砂漠の中をさ迷い歩くユキエ、ラストには、そう、大家さんが風呂場を覗いて愕然とするショットの後に、くるりと反転された、砂から突き出している手のショットがあって、その手は彼女のものなのか、彼のものなのか。
そしてまた彼女は砂を踏みしめて歩いているのだ……。
玉川は、登場からムカつく男だった。何でもかんでもユキエにやらせて、ヒモのくせに、エアコン買うぐらいのカネはあるだろ、なんて言ったり。ソバばかりの食事に文句を言うのも、ユキエとの関係を真剣に考えてないのも、結婚をバカにしたような態度をとるのも、もういちいち頭に来る男なのだ。
そう女に思わせることが、少なくとも女性観客に思わせることが、伏線だったのか。ユキエが玉川を殺したとしか思えないんだもの。「あなた、誰」とユキエが言った時から、彼女の中から彼は排除されたと。
「すべては……」が夜の夢が朝覚めてしまうものだったとしたら、本作は白昼夢にずっとうなされているよう。砂ののったりとした白さは、まぶしくもないけれどどこまでも続いて、その安定しない足元の感覚が永遠に続く不安を思わせて、狂いそうになる。
そこを、既に自分を失った江口のりこが、スレンダーな身体をノースリーブのワンピースに包んでただ歩いていくショットは、ひどく美しく、狂った女が美しいという映画の定説に、もはや憤りを感じることさえ忘れて、ただ見つめ続けてしまう。★★★☆☆
しかししかし。私今回、陣内作品初見なんだよね。デビュー作の「ロッカーズ」は、なんか彼が作る映画のものすごく予想の範疇って感じがして、いや、観てないのに勝手なこと言ってるけど(爆)あまり興味がわかず、それにその一作だけで終わるんじゃないかって、これまた勝手に思ってたもんだから、足が向かなかったのだ。
しかし意外や意外?彼は二作目を作った。おおっ、ホントに意外にも(ホントに失礼)彼は映画への情熱があるんだわねとちょっと嬉しくなったりもして。
で、そう、こんな風にまっすぐに映画を作る人も、今の日本には意外に(意外にばっかり言ってるけど)いないんじゃないのとも思ったのだ。もんのすごく真っ直ぐだった。気持ちいいくらい豪速球。白血病で涙を誘うという要素さえ、彼にかかると何のてらいもなく素直に受け止められる気がした。
物語は、恋人のお父さんに認めてもらうために、経験もないのに小学生のアイスホッケーチームの監督に就任した青年の奮闘を描く。その、お調子者でダンサー崩れの新任教師、修平が、しかし彼らの強くなりたいという思い、病気の少女との出会いや、その少女のために勝利の意欲がわいてくる様を、実に爽やかに綴っている。
修平を演じる森山未來君が素晴らしいのだよね。彼が素晴らしいのは判ってたけど、その出演作で心から好きになれるものが正直、なかった。だから彼の出る映画でそんな作品に出会いたかった。それが叶ったのは、勿論陣内監督が彼の良さを思いっきり引き出したから。
まず、マフラーぐるぐる巻きの姿が妙にカワイイ。そしてタップはムチャクチャカッコイイ!そしてそして、この作品のことを語っているインタビューでの素の森山君は、イメージよりずっと大人っぽく、ストイックな感じだったのがまた意外で、ちょっとホレそうになってしまった(爆)。
演出にしても演技にしても、ちょっとテレ隠しが入ってんじゃないの、と思うぐらい、あまりにハジけたキャラなんである。登場シーンからして、恋人の静華を雪の中死にそうになりながら待ち伏せし、ドーン!と体当たりを食らわせるのは、彼女が「相変わらずバカなんだから!」と言わなくたって、もう心からバカだと(笑)、愛すべきバカ野郎だと明快なんである。
修平は、ダンサーになるために東京に行っていた筈だった。一人前になったら迎えに来る、と静華に言っていた。しかし彼はアッケラカンと「人生で二番目に好きなものを仕事にすべきだと」ナントカいう哲学者も言っていると(誰だっけ)、教師になるんだと彼女に宣言するんである。だから結婚しよう、と。
静華は即座に、修平、子供好きだもんね。児童心理学専攻してたし、と特に疑問も持たずに反応するし、なんたって修平の子供と同じ目線のシンクロっぷりは、こんな先生がいたら私の人生も変わっていただろうと羨ましく思うぐらい。
だから、観てる間はするすると、彼が子供たちと共に歩んでいくのを受け入れることになるんだけど、でも……結構含みがその中にはある気がするんだよね。
修平は人生で一番好きなものを諦めた。その苦しみは決して明示されることはないけど、どんなにか苦しかったことか。それは、彼が諦めた筈のタップを結局ひと時も離さず、指導にも使っていることで判るのだ。
そして、二番目に好きなことを仕事にする、とある意味割り切って帰ってきて、その途端に静華にプロポーズするということが……それだけ一番好きなことを手放したことが、どれだけ辛かったかを物語ってもいるんだよね。一人では立っていられない。そう彼は感じていたんじゃないのかなあ。
まあ、うがちすぎかもしれないけど……そんなこと、静華は全然思いを馳せたりしないし。でもそう、彼女、彼が諦めたことに関して、なんか淡白すぎる気がしたからさあ。まあ、あっというまにホッケー監督の話に巻き込んじゃったから、考える暇もなかったけれども。
でも彼が子供たち、ことに病気の少女と出会って、本当に好きなことを諦めちゃいけないんだよな、とつぶやくシーンなぞが用意されているもんだから、ついついそんなことも思っちゃうんだよね。
でもとりあえずそれはおいといて、というかだって、子供たちと森山君のハツラツとした展開が素晴らしいんだもん!なんか見てるだけでニコニコとする。
一回も試合に勝ったことがないというから、どんなヘボチームかと思いきや、そうでもなかった。少なくとも短い時間でなら。
つまり人数が少ないのと、短気な選手がいることで退場勧告されて、メンバーの疲労や焦りが重なり、自滅していくパターンから抜け出せなかったのだ。
最初は修平、とにかく一勝すれば結婚を許してもらえる筈だったから、1回こっきりなら使える手……ホケツや弱い子を前面に配置して火事場のバカ力を引き出し、他のメンバーには、彼らに恥をかかせないこと、守ろうと思う気持ちを奮い立たせて、見事勝利を呼び込むんである。
いやーしかし、小学生とはいえ迫力の、そして知的なホッケー場面には思わず血がたぎる。なかなか接する機会のないスポーツだけれど、もうメチャクチャカッコイイ!でもマスクのせいで、なかなか誰が誰だか判らないのが難点だけど(爆)。
実際、陣内監督の息子さんがアイスホッケーやってて、小学生でも大人と遜色ない迫力の試合をすることを、監督自信が判っていたからこその企画だし、この画なんである。実際のホッケープレイヤーにカメラを持たせたというこの迫力!
しかし静華のお父さん、まさか勝つとは思わなかったからなのか、この勝利では結婚を許してくれない。全道大会で優勝したら!とかムチャなことを言いやがるんである。
しかもこの時、恋人との結婚のために監督になり、勝ちたいと思っていたことがメンバーの一人の少年にバレ、ラーメンをおごって懐柔する場面がカワイイ(笑)。
でも修平は終始子供たちに対してはこんな感じで、つまり常に対等なんだよね。というか、尊敬、敬意を持って接している。それが子供たちが、この監督を即座に好きになるゆえんなんだよなあ。
そう、子供たちはまっすぐで「僕、監督のこと好きだよ」とストレートに言ったりするもんだから、きゅんときちゃうのね。
子供たちが「先生はタップが上手いけどどうして?」と聞いてくる。彼は「お前はどうしてホッケーをやってるんだ?」と聞き返す。「好きだから!」と即答する子供。「そういうことだよ」と彼もまた即答する。
なんかこれがね、子供たちの心をぐっとわしづかみにするっつーかね。
確かにこれまで修平はアイスホッケーのアの字も知らないドシロウトだったけど、何かが好きだから続けられること、その理屈のない情熱は判ってた。その部分で子供たちとすっとつながれたんだもの。
そう!森山君のタップが存分に発揮されるんである。いやー、私ね、彼がもともとタップの名手で、俳優ではなくダンサーを目指していたと聞いた時からその腕前を一度見てみたいと思っていたのよね。だって、これだけセンシティブな演技をする彼が、そもそも役者を目指していないでこの場所にいるって、凄く興味をそそられるじゃん!
で、初めて見た彼のタップは……私さあ、私、感動した。彼の舞台、一度見てみたい!
最初はね、この物語にタップなんかどうすんの?って思ったのだ。彼の特技を活かすにしても、あまりにとってつけてない?って。
でもこの不思議!陣内監督を尊敬しちゃう。アイスホッケーのリズムを、タップのリズムで伝授して、それが見事成功しちゃう興奮!これはやっぱり、音楽をベースにする陣内監督だからこそ思いつく発想かなあ。
その脳内シュミレーションにCGアニメを使ったりするのもね、なんつーか、ちょっと作家的意識のある人ならなかなか出来ない、いい意味での臆面のなさでさ。好きなんだよなあ。
で、そうそう、白血病の女の子の存在が、彼らの奮起に大いに影響するんである。
もう本当にね、天から舞い降りてきたような可憐な女の子。彼女、礼奈はこのリンクでフィギュアスケートをしている、静華の教え子(それにしてもローサ嬢はアイスリンクに縁があるわね)で、ホッケーの彼らとは入れ替わりで練習してる。
最初に礼奈が登場してから、ハナ垂れ小僧たちはこの天使のような女の子に皆して釘付けなの。次々に滑ってきて追突して数珠繋ぎになって、一列で彼女に見とれてるのがカワイすぎる(笑)。
そう、フィギュアスケート。フィギュアファンの私は、映画を観る前にフィギュアニュースで礼奈を演じる岡本杏理嬢の頑張りを読んで、もうその時点で涙が出そうだったんだけど(爆)。
劇中では、彼女の滑るシーンはほんのちょっと。でもまさか全くの素人とは思えず、そして吹き替えなしとは思えず!(いや、あのアングルではそれしか出来なかろうけどさ)なんか一気にこの子のファンになってしまったんであった。
ね、せっかくなんだから彼女のフィギュアの見せ場をもっと作ってあげても良かった気がするけど。
礼奈はホッケーチーム随一の美少年で、笑顔を決して見せない昌也と淡い恋に落ちる。
昌也が笑顔を見せないのは、交通事故で両親を一気になくした日から。養父母に対しては決して父さん母さんとは呼びかけず、礼儀正しい、つまりは一歩引いた態度を保ってる。
彼だけではなくチーム内には、まあ今の時代にはそう珍しくはないのかもしれない……離婚して父子家庭の子もいるし、なかなか波乱万丈である。
ま、それを修平に話してくれるコは、「ウチは普通のサラリーマン」となぜか出遅れたように話すんだけど、でもこのコの妹も義足だったりする。
少年少女の淡い恋、そしてデートの最中に倒れてしまったこと、そのデートが映画だったことや、そのことで彼が彼女の親に拒絶されてしまうあたりも「Little DJ」にやけに通じる。というか……メッチャ王道ってことだろうが。
この劇中映画は本作のためだけのオリジナルで、本作と同じタイトルがつけられている。心を閉ざして笑顔を見せない彼に願いを込めてスマイルと名付ける女性、ほんのワンシーンが断片的に示されるだけだけど、おそらくはかなく美しい話だろうと推測される。
そのスクリーンの裏に、礼奈は入って行く。ここに一度行ってみたかったのと。そこで二人はそっとシルエットだけのキスをする。
礼奈は、今度入院したら、もうきっと出てこれないだろうと言った。そんな弱気なことを言うなよと、通り一遍の慰めしか言えない昌也に静かに微笑んで、それでもどんな形でも、昌也君の前にいつか現われるよ、と言った。
ラストは、オープニングで一度示されている。昌也が長じてホッケーのスター選手となり、フィギュアを滑っているある女性との出会いに、死んでしまった礼奈の生まれ変わりを感じるというものなんだけど、ど、どうなの、これ。ああでも……10歳ぐらい違うと思えば、ありえるのかなあ……。でもちょっと後ろ向きなエンディングのようにも思えるんだけど。
そうなの、礼奈は死んでしまうんだよね。メンバーたちは礼奈のために奇跡を信じて邁進していたのに。「おれたちがサンダーバーズに勝つより、お前の病気が直る方がカンタンだろ!」と言って。
全編明るさに満ちているし、オープニングで出てきた女の子に礼奈を重ねていたから、きっと礼奈ちゃんが長じたのが彼女なんだ、生きぬいたんだと思っていたから、軽いショックを受けたのは……否めないかも。
昌也と礼奈が思い合っていることを知っているメンバーたちは、こっそり昌也もバッグに入れて連れて行って(おい!)、彼女が今したいこと……リンクで滑りたいという願いをかなえるために、このバッグに彼女を入れて(おいおい!)連れ出してしまうんである。
病院から連れ出すってのも、やっぱり「Little……」と同じ。王道なのかしらね。
礼奈と昌也、二人手をつないで滑る。昌也が彼女にクリスマスプレゼントだと手渡したのは、母親の形見のオルゴールだった。「ありがとう」微笑む礼奈。
礼奈のために、優勝しようと思う。一勝するたびに、彼女が入院している病院に集結し、部屋の窓に向かってスティックと足を踏み鳴らしてメッセージを伝える。集中治療室に移っても。
最後にはもう、彼女は窓辺に立って彼らに手を振る体力もなくなって、ただベッドで涙を流すことしか、出来ないのだ。
決勝でぶつかる相手チームは強豪だった。とても勝てるとは思えない花形チーム、サンダーバーズ。スマイラーズにいるコたちの何人かも、このサンダーバーズの落ちこぼれだった。コーチもカリスマ性溢れるオトコマエで、テレビカメラが密着している。
このコーチは静華の大学での先輩で、修平を明らかに見下げる態度をとったことにカチンときた彼は、何が何でも勝ち進んで、彼らと決勝でぶつかるんだと奮起。
常にスティックを持ち、遊びの中からでも何かをつかめという修平の指示に、柔軟な遊び心を持って臨む子供たち、あるいはゴルフや雪合戦といった違う視点からのトレーニングも功を奏し、彼らはどんどん勝ち進んでゆく。
決勝、さすがに手ごわいサンダーバーズ。歯が立たない状態が続いた休憩時間、礼奈からの手紙が届く。
みんなに、たくさんのありがとうを綴ったその手紙に、黙り込んだ彼らの中から次第に声がわきあがってくる。
「勝つぞ」「勝ってやる」「勝てるよ」「絶対に勝つ!」
♪君のためにラパパッパー と歌いだす彼らの合唱から飛び火し、子供のお母さん役のモリクミさんの見事なソロ、そして吹奏楽の演奏までがアドリヴで合わせ、会場全体で大合唱になるシーンは、そんなことがあるか!と思いつつもちょっと胸が熱くなる。それを導き出す森山君のタップがまた、グッとくるんだもん。
「自分のため、自分たちのために勝とうとする奴らより、誰かのために勝とうとする。お前たちは最高だ」と送り出す。
今までも修平は子供たちをしっかりと抱きしめ、お前は最高だ、落ちこぼれなんかじゃない。と伝えてきた。その集大成がここにある。修平と子供たちの魂がしっかと響き合ってるのがものすっごく伝わっちゃうんだもん!
そして、まさに奇跡の優勝を勝ち取り、歓喜の渦に巻き込まれるのだが……その瞬間、昌也が礼奈からもらったミサンガが切れてしまう。ああ……と思った。
その時、静華と熱い抱擁をかわそうと思った修平、リンクサイドに佇むその彼女が歓喜とは思えない涙をたたえた表情をしているのを見て、何が起こったかを悟るんである。
優勝インタビュー、彼らはあの喜びから一転、うつむいて涙を流してる。それでも修平は真っ直ぐ前を見て静かに語り始める。
一人の女の子が天に召されましたと。彼女の奇跡のために頑張ってきたけれど、それは叶わなかったと。
彼女こそが自分たちに起こしてくれた奇跡を静かに語る修平は、あのお調子モンの彼ではなかった。すごく大人になって、そして少年たちも大人になって、会場からは嵐のような拍手。
そうそう、少年たちの中にたった一人、女の子のメンバーがいるのよ。昌也に恋して礼奈に対抗心を燃やす千夏。フィギュアをやっていたんだけど、自分になびかない昌也を殴り飛ばしちゃって、一日入院した彼の替わりにと練習試合に出てからめきめき実力を発揮。フィギュア時代からとても女の子とは思えず(笑)「お前ら、チンチンついてんのかー!」とゲキを飛ばす勇ましい女の子。
私、このコがメッチャツボでさあ。こんなキャラだけどカワイイし、礼奈ちゃんに対して率先して背中を押すのも彼女だし、しかも相撲から転向した男の子にホレられるし(笑)。
この相撲少年は、つまりマゾで、千夏にぶっとばされたことで目覚めちゃったのよね(笑)。
彼女、本作をキッカケに、この役名をもらって女優として発進!いやー、楽しみだわ。
そうそう、千夏もそうだし、相撲少年やらコサック少年やらを次々に修平がスカウトしていく描写も好きなんだなあ。
学校の廊下をワニ抱えて(!いやもちろん剥製だけど)歩いている修平、切れかけた電気を接触が悪いんだよ、と直している同僚教師。そこに、他の同僚教師がコサック少年とともにコサックダンスしてる(笑)ところに遭遇。すると、修平の頭の上でその電球がピカリ(爆笑!)直していたセンセイはほら、やっぱり接触だよ、と。修平はそのコサック少年をスカウトする、という展開が、相撲少年に対しても全く同じく繰り返される。しかも今度は修平、巨大なカメを抱えてるし!なんなんだー!このナンセンス、好きすぎ!
真冬の凍える寒さの中、レストランが予約でいっぱいで、外で合コンをするアホさも好きすぎる。
ビールもワインも、パスタもピザも、カチンカチンに凍ってるのはいいとしても(よくない!)、凍ったバラが粉々になるのまで入れてくるからあっと思ったら案の定、なぜかそこにはバナナまであって、しかもなぜか椅子からはクギが飛び出していて、凍ったバナナで釘を打つ!あ、アホかー!
こんなの切っていい場面なのに、監督とプロデューサーは頑として切らなかったという。「月9の合コンシーンで食ってきたから」いいっ!陣内氏、ナイスすぎる!
ところでね、監督が影響を受けたのは、「小さな恋のメロディ」なのだってね。ああ、「Little……」ではなく、こここそに小さな恋のメロディがあったのだなあ!★★★★☆
確かにその通りだった。クライマックスなぞ、“親子”の目線のやりとりに、胸が痛くなるほどの“秀作”だった。
そう、主人公である筈のバンツマよりも、私はこの、まぶたの父にひと目会いたいという一心で命までも賭ける、美しい少年に心を奪われてしまったんであった。
物語においてはむしろこの少年、最初は宝沢と名乗っていた山伏が、天一坊様とまつりあげられる彼こそが、主人公ではないかと思われてしまう。彼の願い、父にひと目会いたいという切なる願いを叶えてやる為にやはり命を賭する(恐らくあの含みでは……実際命を落としてしまったんだろう)バンツマ演じる伊賀亮は、むしろ狂言回しに見える。
確かに後半からは、義憤に駆られた伊賀亮の奔走がメインとなってくるんだけれど、それにしてもやっぱり、この美しい天一坊様に魅せられるのは必定で、伊賀亮だって、彼の純粋な目に屈したからこそ、こんな無謀な賭けに出たのはないか。
そう、最初はただの山伏の少年。冒頭は、この宝沢少年が江戸へと向かう旅がいつの間にやらウワサがウワサを呼び、カネの匂いを感じとったヤジウマたちが十重二十重と追っ手軍を組んでいく、実に皮肉な様が描かれる。
「ご落胤ともあれば、百両が千両、千両が万両になるというわけよ」と下衆な人間どもがほくそ笑む。
それを結局最後まで、この純真な宝沢少年、後の天一坊様が気づいていないあたりが、彼の愚鈍なまでの純真さを示している。
彼は旅の途中、カミナリに打たれて気を失ってしまう。それを助けたのが山寺の娘、お千枝であり、その山寺の住職は彼の持ち物から勝手にご落胤であると判断、「徳川天一坊様ご宿泊」と大仰に掲げる始末なんである。
この住職が高貴なるお人への純粋な思いでやっているのか、はたまた腹の中で考えていることがあるのかは、正直あまり判らないんだけど、娘のお千代は彼を慕い、彼もまた彼女を思う。
そして住職のあつらえによって豪華な装束と御供を得た天一坊は確かに、生まれながらにして高貴なオーラを放っているんである。
たった一人で故郷を出たのが、今や駕籠に揺られる彼。フザけて屋根の上に登った少年が「上様より高いところにいるとは何ごとだ」と引きずり出されると、慈悲のまなざしを向ける。
寺子屋に通っている少年を引き取りに飛び出してきたお春に、親のいない子供たちを引き取っているのだと聞かされると、涙を光らせて、よく面倒を見てやってくれ、と言い残す。
もうこの時点で、彼のオーラは大決定。されどそれだけで、将軍にすんなり会えるほどことは簡単ではないんであった。
そして、このお春の亭主で、長の旅から帰ってきた、という風に登場するのが、バンツマ演じる山内伊賀亮。この騒動の一連をじっと見守っていた。
そう、やっとご登場なのよね。もうここまでで、全体の三分の一は終わっちゃっているんじゃないかと思うぐらい。
彼ら夫婦が営む手習い所は、ムジャキな子供たちのカワイイ悪ふざけがホッとさせる笑いを生み、唯一息がつける場所になっている。
先の、屋根に登って捕まった少年に始まり、顔じゅうに墨で落書きをして立たされている子あり、先生のひとり言をなぞって暗誦する子供たちなんて場面もあり、なんとも微笑ましい。
しかしもうここで既に、シリアスな展開が入り込んでいるのよね。暗誦していた漢詩の中に、伊賀亮は、人のために自分を滅する一文を見つけ、それを無意識に何度もつぶやいていたのだもの。
伊賀亮は、天一坊様を奉る取り巻き、そして何より天一坊様に、これは単なる暴挙だと戒めに乗り込む。
実に不遜な態度の彼に取り巻き連中は、恐れ多くもご落胤なるぞ!と大いに憤るんだけど、確かに伊賀亮の言うとおり、後継者争いの種を生むだけの天一坊様の存在は握りつぶされるだけ、大体その前に、奉行所に引っ立てられて、騙り者だと処されるに違いない。
それもまたもっともで、この後再三示されるんだけど、当然将軍家と奉行所は大いにつながっているんだから、こんな不埒者はひっ捕らえよ、ということになるわけでさ。
でも、伊賀亮の予想に反して、天一坊様その人に、何の欲目もなかった。こんな取り巻きに奉られても、むしろその高貴は、最初から持って生まれたものと思しきものだった。
伊賀亮の前に素直にこうべをたれて、自分はないと思っていた父というものに会いたいだけなのだと、ひと目会いたいだけなのだと訴える。さしもの伊賀亮も心動かされてしまう。
いや、心動かされていたのはその場に同席していた妻、お春の方と言った方がいいかもしれない。二人のショットからカメラがずー滑るように横移動していくと、案の定、そこには涙をぬぐうお春、というお約束のショット。
彼女は自分のダンナが恐らく命を落とすであろうことを判りながら、あなた様しか天一坊様をお救い出来る人はいない、と泣き崩れながら言うのだ。
ずっと考え続け、突如として決心して立ち上がった夫に、くみかけていた井戸水の桶を取り落として、井戸の底で大きな響きをたてる場面の印象的なこと!
で、もうここからは、老獪なる将軍家の内部との戦いになる訳。いや、老獪なのは一部。一人だけと言ってもいいかな。松平伊豆守、だけだよね。
彼の言う、後継者争いに混乱をきたすだけだというのは、確かに正論なのかもしれない。たとえ天一坊様がそんな気はないと言っても、そんなの判らない、本人がそのつもりでも、周りが担ぎ出せばことは動いてしまう訳だし。
しかし将軍が「親が子に会えないのか。私が会いたいと言うてもか」と声を張り上げても、平伏しながらも頑として受け付けない松平の老獪さと来たら、もう正論だけに憎たらしくて、殴りたくなってくる。
しかも、本当のご落胤である可能性の方が高いのに、不穏分子としての可能性の方を重視して、亡き者にしようとする非情さ。いや、彼の言うことは判る。天一坊様を認めてしまったら、第二、第三の“騙り者”が現われるだろうと。
しかし、あまりにあまりに天一坊様が哀れである。本当に、まぶたの父への思い一徹なだけに……。
しかしね、この鷹揚な将軍、吉宗がね!演じる守田勘弥、私この人、知らない……映画への出演歴もあんまりないから、舞台の人だったのかもしれない、と調べてみたらやはり、歌舞伎の人だった。
本当に、お殿様って感じでさ。実におっとり、大らか。天一坊様の出現にもうろたえず、彼の母親の名前を耳にして、「おお、確かに覚えがある」なんて、なんか鷹揚な調子とはウラハラに赤裸々な感じがして、ドキドキしてしまう。
で、なぜ親が子に会えないのかと闘ってくれるのが嬉しいし、それがムリだと悟っても、ひと目会いたいという我が子の願いをかなえる為に、大岡越前守に鷹狩の采配を命じ、「道順も、時間もまかせたぞ」とわざわざ念を押すのが心憎い。
それが、親と子が一瞬だけ視線を絡ませる、胸がぎゅっと痛い名シーンにつながるんである。
もともと大岡越前守にこうした動きをさせたのは、伊賀亮の頑張りだったのよね。
名奉行、大岡越前守に挑む伊賀亮、という息詰まる相対場面は、まさに歌舞伎役者の見得の切り合いで、バンツマはそれまでのコミカルとも言えるチャーミングで自然体の芝居から一変、彼とのシーンから、やたらに見得を切り出すんである。声の調子もガラリと変わるし、何だか見てるこっちが戸惑ってしまうぐらい。
慕い合う親子を会わせる、それだけのことだと迫る伊賀亮と、むむむと悩む大岡越前守とのシーンは、途中、だんだんに日が落ちて場面が暗くなっていき、部屋に明かりを持ってくる小僧が登場するなどというかなりねちっこいシーンになっている。
そりゃここまで粘られたら、大岡越前でも、落ちざるを得ないつーか……しっかしホント、ここからバンツマの演技スタイルが歌舞伎寄りにガラリと変わるがビックリでさあ。
しかし先述のように、大岡越前守の進言も不発に終わり、天一坊様はすぐにも捕らわれの身になる運命。それもにっくき松平によって、盗賊扱いで御用の命が下されたんである。
時は将軍の鷹狩出発の時間から。天一坊様と、彼のために呼び寄せたお千枝に未来を託して逃がした伊賀亮、追っ手に立ち向かう。
一方、天一坊様とお千代は途中、捕らえられるんだけど、将軍の鷹狩の一行に行き合う。それはきっと、大岡越前と伊賀亮の上手い連絡にあったのだと思われる。
将軍様の前で縄を打っている訳にはいかないと、枷を解かれた天一坊様は、将軍の馬が行く通りへと出る。近づいてくる。一瞬だけ合った目線は、まるで永遠のようだった……。
判っている、と言うように二、三度うなづく将軍に、涙目を絡ませ、膝をつくばかりの天一坊様、ああ本当に、たまらないシーンでさあ……。
その後は、伊賀亮に追っ手がかかる。ここでもチャンバラはなされないんである。
伊賀亮は刀を抜こうとしない。最後の最後に、小刀を手に大見得は切るけれど、チャンバラはないんである。
思えば圧倒的ヒーローが、大勢を次々に倒していくチャンバラがザ・フィクションだということを考えると、小刀をかざしながらも、自分をひっ捕らえよ!と両手をあげる彼、というエンドは、哀しくも、あまりにリアルなのかもしれない、と思う。
占領軍によって制限された表現が、リアルな哀しさをたたえた秀作を生み出したというのは、皮肉なのか、なんなのか。★★★☆☆