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「つ」


2008年鑑賞作品

築地魚河岸三代目
2008年 116分 日本 カラー
監督:松原信吾 脚本:安倍照雄 成島出
撮影:長沼六男 音楽:本多俊之
出演:大沢たかお 田中麗奈 伊原剛志 森口瑤子 柄本明 伊東四朗 マギー 荒川良々 江口のりこ 温水洋一 峯村リエ 佐野史郎 森下愛子 鈴木一真 甲本雅裕 田口浩正 六平直政 大杉漣


2008/6/18/水 劇場(丸の内ピカデリー)
河岸の世界がコミック化されるという話を聞いた時には、やはりこのコミック誌に載っていた「HOTEL」のように、映像化もあり得るなんて意気込みで、しかしまさかと思ってた。だって築地は移転問題も進んできてもう未来がないような気もしてたし。
で、大沢たかおと麗奈ちゃんがその撮影に来てる、と聞いた時も、スペシャルドラマかなんかだろうと思ってた。まさか映画だなんて。それこそ「HOTEL」を抜いてしまったじゃないの。

この原作に関してはね、でもなんか、どーかなーって気がしてたんだよね。最初はまだしも、なんかどんどん「美味しんぼ」と変わんないじゃん、て気がしてた。つまり、ひとつの食材(魚)の魅力や美味しさから、人情話に発展していく、っていうね、ところが。
河岸はもっとハチャメチャなのになあーっ、とか、別に河岸の皆が魚大好きって訳でもないしとか(爆。魚ばかり扱っているせいなのか、肉が食いたいという連中が結構多いような。釣りが好きな人は異常に多いけど)、そんな人情話ばっかり転がってないよとか、案外古くから河岸にいる人間ばっかじゃなくて、行くところがなくなって流れ着いた私みたいな新参者の方が多いんじゃないかとも思うし、不法就労含めた外国人労働者の問題とかもあるのになあとか。

微妙なんすよ……これだけ広い築地だから、いろんな店があるし、仕入れの仕方も経営の仕方も、人の出入りも、そして働いている人間自体、全然それぞれ、違う。
それは、ここにいて、仲間としていろんな仲買と付き合いがあると、判ることで。
それを、人情や歴史や世襲や、みたいな、口当たりのいい、でもこの先続かないだろってな切り口で描かれるのは、そういう側面は大事にしたいけど、今の築地はこれからに向けて凄くせっぱ詰まってて大変だから、そんなことだけで片づけてほしくなかったのだ。

なんかまあ、そんな自分勝手な期待があったせいもあって、一巻だけはコミックス買ったけど、その後立ち読みになって、更にだんだん読むのもやめてしまった。
だから今どういう展開になっているかさえ判らないから、こんな風に言ってしまうのも良くないのだけど。そして、今はすっかり忘れてるぐらいの状態だったから、映画化はちょっと、驚いてしまった。

でも映画化になってみると、なんたって映画、私の執着する映画、やっぱり気もそぞろになるんである。
「天国は待ってくれる」の、あまりにもテキトーな河岸の描写にも欲求不満だったしなあ。なんたって「築地魚河岸三代目」なのだから、ガップリ河岸を撮ってくれるのだろうと!でも、撮影している、というウワサを聞いたのはその一日だけだったし、実際観てみると、まあ当然といえばそうだけど、セットの方が多い感じ。でもさすが、ロケとセットの境目は判らないけど。実際映ってるところも、おお、また布長さんだよ、「天国は……」の。まあ、撮影に協力的な店は、限られるだろうからなあ。
河岸の中もまるでこの作品に対する盛り上がりを見せていないので(この話をしている人、聞いたことないし、ポスター貼ってるのもほとんど見かけないしなあ……)、正直どうかなという気はやっぱり否めなくて。

だって、最初からシリーズ化が約束されているって、ちょっとおかしくない?寅さんだって釣りバカだって、人気が出たからこそシリーズになったのだし。それにさ、本作のように、釣りバカの後のシリーズ化を、と登場した「サラリーマン専科」も、最初からシリーズありきだったけど、たった三作で沈んでしまったじゃないの。私あれ、結構好きだったのになあ……。
本作は、寅さん、釣りバカの次のシリーズにって触れ込みで、てことはサラリーマン専科は、今じゃ、すっかり亡きものとして葬り去られている感じなのが更に切ないじゃないの。
それに、魚の部分で釣りバカとかぶるし、大沢たかおには西田敏行のように老若男女(特にターゲットとしたいであろう老男女)を引っ張る力があるのかどうか、疑問だったし。だって彼って、決して老若男女に名前が行き渡っている俳優さんじゃないし、どっちかというと暗いタイプじゃない?
まあ、そのあたりは役者さんなんだから作りこんでくれればいいわけなんだけど、どうも??マークばかりが浮かんでしまう企画だった。

と、どうも前置きが長くなってしまった。そんな具合でなんとなく気が進まない気持ちで映画館のシートに身を沈めた。せっかくなら、河岸に一番近い東劇でかけてくれればいいのになあ、とか思いながら。だけど、まず軽快に誘っていく  のジャズに驚く。
おおっ!老若男女だよ、いいのか!という時点で、私偏見アリアリ。老だろうと若だろうと、カッコイイ音楽にはノるもんだろうと。しかし河岸の話にジャズとは、これは意外だったけど、あのムチャクチャでランボーな、ジャムセッションのような河岸には、確かに合っているかも!

そして、脚本に成島出の名前を見て、更に心躍る。共同脚本ではあるけど。ていうか、ならばいっそ、成島監督が手がけてくれれば良かったのに、ぐらいな!
だ、だって本作の監督の名前、初めて聞いた上に、なんかかなり年齢いってたんだもん(爆)。せめて40代ぐらいの人に手がけてほしかった。今後を考えるなら。まあ、それ言っちゃえば、成島監督だってそんな若いわけじゃないけど(爆爆)。
あ、でも知らんと思ってたら、この監督、映画作ってる。ちょっとビミョーな二作だけ。
私は築地の未来を信じたいから、シリーズ化するなら尚更、若い監督に託してもらいたかったんだよなあ……。

でね、これって原作と大分違うんだよね。ま、先述の様に私は原作は最初の頃をかじっただけだけど。
原作では主人公である元エリートサラリーマンの旬太郎はいきなり三代目として魚辰に勤めだすけど、映画ではまだ会社勤めをしているのね。しかも原作ではもう既に魚辰の娘、明日香と結婚しているのに、映画ではまだ恋人同士で、冒頭の時点では彼女が仲買の娘であることさえ、知らずにいる。
それがバレるのは、明日香が入院中の父親の替わりに早朝だけ店に入って手伝いに行くために、勝鬨橋をさっそうと自転車で走っていくところに、接待明けの旬太郎が出くわすからなんだけど、原作じゃ明日香は魚も触れないほどキライなんじゃなかったっけ?

そして明日香の仕事は原作ではグラフィックデザイナーなのに、映画ではデパート関係のディスプレイを任されるような装飾デザイナーの仕事をしていて、映画にした時のビジュアルを重視している感じがうかがわれ、それは同時に、原作の世界を大事にするよりも、これから映画のシリーズとして展開していくことを重要視していると思われる。
それは勿論、いきなり旬太郎が三代目に就任するのではなく、いわば原作の前日譚のようなエピソード、言ってみればゼロエピソードを持ってきた時点で、その意気込みが知れるというもんなんである。

更にもっと重要な設定の変更も。魚辰の番頭的立場の英二さんが、実は明日香の腹違いの兄だったなんて話になっているのにはビックリ。知らない間にそんなことになっていたのかと思って、私はまたウィキペディアに走ってしまったよ(笑)。
これは映画だけの驚くべき設定改変、だよね?でもそれって、三代目がいきなり店に入るってことが、いくら彼のキャラが人好きがするからって、観客の理解を得られるのが難しいってことを、逆に映画のプロの側から原作にイチャモンをつけたようにも感じてさあ(笑)。
でもこの思い切った設定にはビックリしたなあ。しっかしそんなことになった明日香のお父さんの浮気の相手が、向島の芸者っつーのもいくらなんでも時代錯誤な気もしたが(爆)
でも、これで映画のシリーズが進んでいくのなら、それこそ「美味しんぼ」的な原作とは違った、映画だけのオリジナルの道が開けるのかも。
思えば長寿シリーズってのは、恐らく釣りバカも、それこそドラえもんもクレしんもサザエさんだって、もはや原作からはキャラを借りているだけで、世界観を壊さない限りは好きにやっていい、みたいな感じになってるもんなあ。もう最初からその方針でやっていくってことなのか。

実際、いきなり、三代目としてこの店に入ります、魚は大好きだし、やる気もあります、ヨロシク!じゃ、反発は必至だよね。勿論原作でも、旬太郎は持ち前の人好きのするキャラでそれを突破していくわけだけど、でもこうして映画の旬太郎の、やはり河岸にホレて、この世界に入るために全てを捨てた、って意気込みを見せられると、ああ、なんか、嬉しいなと思うわけ。
冒頭、恋人の明日香と高級レストランでのデートを楽しむ旬太郎は、ガサツな河岸からは程遠い人物だった。
明日香は、こんな高そうな店、私が苦手なの知ってるでしょ、と言うから、彼に対しては仲買の娘だということは隠してるけど、特に気取っている風でもないのは見てとれた。
それでも旬太郎にとっては、女の子にはこういうシチュエイションが喜ばれるという意識があったのだろう。つまり、彼はまだまだ明日香のことを知らなかったのだ。

というのは、勿論、いきなり三代目として河岸に入ってくる原作では得られないことである。こうして見せられると、せっかくの、サラリーマンから仲買へ、というギャップが原作ではそれほど生かされていなかったことが判る。
銀座でバリバリ働いているOLが恋人だと思っていた旬太郎が、彼女が築地の娘だったこと、それでも変わらず彼女が好きだし、自分も食への興味があること、その原点がここ築地にあることに目覚めていくことを、ゼロエピソードとして、つまり原作に負けない気負いで描いていくのが、なんか頼もしいと言うか、嬉しかったんだよね。

ま、そんな明日香の親父さん、魚辰の二代目の風体は、いかにも人情松竹映画の趣アリアリでワザとらしいぐらいなのだが。
まーこれは、原作でも感じていたことだけど……こんなバリッと和服着て、大病院の巡回診察かって趣で練り歩くなんて、ない、ないって。魚の血が着物にかかっちゃうわよ。
それに言っちゃ悪いけど、この従業員数のこの規模で、河岸に名前をとどろかしているっていうのも不自然だし、大体、何百って数のある河岸の仲卸で、名をとどろかせている人なんていないし、劇中の台詞にもある「築地中の笑いものになる」なんてこと自体、ないだろ……そんな狭い世界じゃないよ。その周辺の店でウワサになるぐらいで。
実際、どっかの仲買でかなりヤバイ事情でクビになっても、他の店でしれっと働いているなんてこと、ザラなんだからさあ。

なんてついつい、細かいことが気になってしまう(爆)。でも、旬太郎が、人情もクソもなく社員をリストラしていく会社にイヤ気がさして、決死の覚悟で築地に飛び込んで、認められないならイチから魚を勉強しなおそう!とまで思いつめて、生け簀を扱う銚子の水産会社にまで行ってしまうような、原作の旬太郎よりも熱い、というよりもう思い込んだら走り出すしかない!みたいな、バカまるだしの感じが、なんか愛すべきキャラで、ああきっと、シリーズの主人公として観客に愛してもらうための、ゼロエピソードならではなのかな、と思ったんだよね。
あまりの猪突猛進、思い込んだらこう!みたいな旬太郎に、突然現われた娘の恋人に嫌悪感を示す父親、よりもむしろ明日香自身が、なんでそんな勝手に自分ひとりで決めるのよ!と彼を父親の前でぶん殴る始末なんである。

なんかね、まだ恋人同士の二人の間には、距離があるんだよね。明日香は自分が河岸の娘であることを隠して旬太郎とつきあってた。それはエリートサラリーマンである彼にそれがバレたら、アイソをつかされると思ってたからだろう。そして、築地にわだかまりを持っていた彼女は、銀座のOLとして彼とつき合うことで、築地から離れていられると思ったのかもしれない。
それなのに彼は会社を辞めて築地で働きたいというのだもの。そりゃパニックを起こすのは当然。

旬太郎には慕っている上司がいて、映画の冒頭も、その上司の病気の奥さんを見舞う場面になっている。彼が持参したのは自分の田舎で作っているという、酸っぱいけれど味のある甲州ぶどう。この時点で彼が味にこだわる男だというのが示唆されている。
奥さんが病気なことで、有給休暇を多めに使ったとかなんとか理不尽な理由をつけられて、この上司がリストラ要員にあがったことに、旬太郎は憤りを覚える。世話になった上司に、自分から早期退職を突きつけなくてはならないなんて。
それでもその上司は、「お前が担当で良かったよ」と言ってくれて、会社を辞めて田舎に帰り、奥さんの元にずっといることを選択するのだ。

この上司に紹介されたのが、築地の小料理屋「千秋」。そして奥さんはそこで出された赤ムツの煮物が、田舎を思い出すんだと、食べながら泣いたという。
旬太郎はなかなか手に入らないその赤ムツを手に入れて、奥さんに持っていきたいと思う。河岸中から冷たくあしらわれたのを見かねて、英二さんが都合をつけてくれるのだ。
千秋に、煮汁を持たせてやれ、とぶっきらぼうに言う英二さん、千秋は「えらそうに」と笑う。この時点でもう、二人の気持ちが思い合っていることも示唆されている訳ね。
上司の田舎に行って、皆で赤ムツの煮物食べて、上司は野菜を作るからまた魚持ってきてくれよ、と言う。小さな列車が発車する小さなホームでの二人の別れは、どうにも切ない。
映画オリジナルの場面が数多い本作の中でも、大杉漣、大沢たかおのがっぷりの演技が光る、心惹かれるエピソード。そしてこの時、旬太郎は会社を辞めること、築地で生きていくことを決意するんである。

実際ね、原作では既に夫婦である明日香と旬太郎が、どうして出会ったのかはちょっと疑問な部分もあったかもしれない。
こうして映画で前日譚が語られて、初めて思ったことだけど。しかも原作では、もう既に明日香の父親は旬太郎のことを三代目として認めてて、あとは皆に認めてもらうだけだ、この男なら大丈夫だ、と安心している風で、ならばなぜそれまで彼がサラリーマンをやっていたのか、どこをもってそこまで信頼するに至ったのか、そう、こうして映画化作品を観てみると、疑問に思うかもしれない、のだよなあ。

英二さんが小料理屋をやってる千秋と一緒になるエピソードまでが、この第一作に盛り込まれたのは意外でもあり、もったいない気もしたような。
原作で昔の男を待ち続けていた千秋、という設定は完全に封印された上、旬太郎と明日香のエピソードだけじゃ弱いからぐらいの感じで、ムリヤリ持ってこられたような感も。
原作での、ちょっと昔の男にくらっとくる千秋さんのエピソードは結構好きだったんだけどなあ……英二さんの寡黙で我慢強い男、が女心をくすぐってさ。
本作ではね、なんたってまだ旬太郎と明日香は結婚してなくて、旬太郎のことを突然闖入してきた邪魔者、みたいな雰囲気があるから、社員たちが、英二さんこそがお嬢さんと一緒になるべきだ、とか一致団結しちゃって、まあ、お約束なカン違い大会になって、旬太郎、明日香、英二さん、千秋ら、当事者たちを翻弄するのよ。彼らはそれぞれにもう固まってた思いがあるのに、余計な気ぃ回して、引っかきまわす訳。

本作での英二さんは、寡黙で渋いキャラではあるんだけど、千秋さんに対してのそれは、むしろ言うべき時に自分から言えない男、みたいな感じになっててちょっと残念。
自分たちだけ幸せになっちゃいけない、と思った旬太郎と明日香の後押しによって、まるで「卒業」のように、他の男と一緒になる直前に乗り込んでいくのは、なあんか渋い英二さんのキャラが殺されちゃって、こればかりは残念な気がしたなあ。
まあ確かにそのキャラ自体、時代錯誤な感じはあったんだけどね。

そしてラストは千秋と英二さんが、河岸の埠頭、海の間際で結婚披露を行う場面。そこで二代目が旬太郎の頑張りを評価して、皆に三代目として披露する。二人に贈る祝いブリを彼に選ばせるシーンは、原作で店の皆の前で彼の力量を見極める最初のエピソードだけど、上手い具合にここに移行されてる。
ブリは出世魚、今はまだモジャコの彼だけれど、築地でブリにまで出世できるのか、見守っていてください、と。まさにシリーズ化に向けての布石をキッチリと打った展開。

映画冒頭に、2016年東京オリンピック招致のポスターが控えめながらまず、映りこんだでしょ。そういう姿勢なのかと思って。今の時点では汚染土壌の問題で、移転が延びて、オリンピックのために築地の跡地利用は難しくなったみたいだけど、そもそも築地を豊洲に追い出して、オリンピックを招致して、その後の土地は売却しちゃうってことだったじゃない?うう、つまりカネよ、カネ。東京都の懐に入るカネのためなのよっ。
この映画自体は一体、どの位置に立ってるのかなあ。消え行く築地だからフィルムに残したいってことなの?

オフィシャルサイトを覗いてみると、築地で働く人へのインタビューで、ウチの後ろの店のお兄さんが出てるので驚いちゃった。しかも一回目だよ。おおー、そんなことやってたんかい(笑)。
でもなあ、鮮魚オンリーに語られても……まあこの作品自体そんな感じではあるけど。今は冷凍モノも大事。だから在庫も抱えるし、築地は一日一日で勝負が決まる!なんて、それだけじゃないのになあ。
なんか皆して、昔の話ばかりしてるみたい。今は違うのに。
長年培われた玄人だけが働いているとかさあ、そんなこと思われるから、募集しても人が来なくて困ってるんだよー。
仕事がなくて困ってるなら、築地に来ればいいよ。何件か店を当たれば、絶対、雇ってもらえるって。そういう状況なんだもん、築地は。

帳場のエリを江口のりこが演じてくれているのは嬉しい。だって私も帳場のエリさんだもん(笑)。まあでも、帳場は基本、現場には出ないんで。帳場の大変さを日々感じているこっちとしては、あまりエリさんには帳場の仕事を軽んじないでほしいんである。
旬太郎を慕う御前崎の漁師の息子、拓也に荒川良々っていうのが、一番ナイスなキャスティング。彼に慕われたら、そりゃー、面白かろう(?)。
そして、波除さんまで出してくるか。これもまた、今後のシリーズで面白いエピソードが出てきそうだなあ。だって宮司役に田口浩正まで引っ張ってきてるんならさ!★★★☆☆


椿三十郎
2007年 119分 日本 カラー
監督:森田芳光 脚本:菊島隆三 小国英雄 黒澤明
撮影:浜田毅 音楽:大島ミチル
出演:織田裕二 豊川悦司 松山ケンイチ 鈴木杏 村川絵梨 佐々木蔵之介 風間杜夫 西岡徳馬 小林稔侍 中村玉緒 藤田まこと

2008/1/17/木 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
オリジナルは12年前に観てるんだけど(えー、就職浪人時代ですね(爆))、「用心棒」と合わせ観たこともあってか、記憶がごっちゃになってた。とにかくメッチャ面白い!と夢中になったことと、トシロー・ミフネのとりこになったことしか思い出せなくって、どんな話だったっけ……と当時のメモを引っくり返してみたら、こうよ。

「まったくもって、「用心棒」とコレには、涙を流してまいりました!と言うほかはない。三船氏の何とカッコイイことよ!用心棒と違ってアウトローではない本作では、仲間の血気盛んからくるユーモアがたまらなく可愛くてオカしい!特に、押し入れに行きつ戻りつするとらえられた敵の男!天衣無縫な入江たか子の奥方、ちょっと哀しい仲代達矢との一騎打ち、アップ、ロング・ワンシーン内の構成、みっちり絵コンテを描いたであろう一部のすきもない演出、スピーディーなカメラ、言い切れない面白さ!」

と、これだけ。
これじゃどんな映画かさっぱり判らない(笑)。そう、当時はこんなメモ程度にしか残してなくて、後から読み返しても???である。中学時代からデータベース型とひと言感想が書き込めるようなメモを使っていたんだけど、その雛型は当時購読していたロードショーの付録だったりする(大笑)。
しかもね、私これ、テレビに入ったのを録画して観てるんだよね。自分じゃすっかり、どっかの名画座で観たんだとばかり思ってた……。当時はまだ、ビデオで映画を観る集中力もあったんじゃないのお。もう私、年々ダメダメだな……。

で、まあいいや、観始めればきっと思い出すだろうと思って、森田監督版に足を運んだんだけど……どんどん展開が進んでも、ちっとも思い出さない。自分に焦る。
やっと、あ、ここ覚えてる!と思い出したのが、なんともうクライマックスも直前、椿三十郎が敵が斬り込む合図に、椿を小川にたくさん流せばいいだろう、と打ち合わせをするシーンに至ってである。自分にアゼン。

で、まあ超有名なオリジナルもあることだし、ストーリーのことは無視してどんどん行きますけれども(もう別に、読み返して判んなくてもいいんだもおん)。
音楽、オリジナルのメロディを使っているのかと思った。それぐらいあの頃の時代劇映画の雰囲気を踏襲していた。さすが大島ミチル。
基本的に静か。シーンに重なる音楽は少ないし。ストイックに進行していく。

ところで、「椿三十郎」ってのはその前に「用心棒」があり、この二つはキャラをほぼ同一にしているのに、より有名で先になる「用心棒」ではなく、この「椿三十郎」をリメイクに選んだことが、どうしてだったのかなあ、と思ったんだよね。
まあ「用心棒」はそれこそ、黒澤作品として海外にも名を轟かすほどの超有名作品で、マカロニウエスタンに姿を変えたり、タイトルに頂戴したりと、様々な類似やオマージュが現われているから、そうしたいわば手垢のつかないものを、という思いがあったのかな……と思いつつ観始めて。
あ、違う、椿、だからなのかな、と。やっぱりそうだよね?

私、あまりにもオリジナルを覚えてなかったから、この度DVDを謹んで購入させて頂いて12年ぶりに再見したのだけれど、思い出したのだ。初めて観た時にも、この椿の赤白がハッキリ判ったら、きっともっとワクワクしただろうなあ、と思ったことを。だから「椿三十郎」の方だったのかあと。
実際、もう最初からバン!と赤い椿が鮮やかに画面に出てくるだけでインパクトがある。椿屋敷と呼ばれる一面の椿の迫力も、モノクロとは比べるべくもないし。
それにその問題のクライマックス、赤い椿がGO、白い椿が中止の合図だと三十郎がカマをかけるシーン、赤白の対照だけでも目にまぶしいのに、ついでに白に赤がほんの少し混じった変わり種の椿まで登場させて、敵を慌てさせる遊び心に至っては、カラーでなくては出来ないものねえ。
それも「慌てるな、白い椿だぞ」という脚本の台詞自体は一切変えずに、その変種の椿と彼の台詞に慌てる敵の姿の挿入で変化をつけるのにはワクワク!

そうなのよね、このリメイク作品のウリは、オリジナル脚本をそのままに作り上げたということ。
実はそのことを聞いた時、期待と不安がないまぜになった。期待、の部分はこれまで自分の個性を絶対に曲げずに映画を作ってきた森田監督が、例え世界の黒澤といえども臆することなどない筈だと思ったから。
そして不安の部分は、一時期ハリウッドでリメイク流行りが起こった時、こういうのも出るだろうなとは思ったけど……やはり作家性の強いガス・ヴァン・サントが逆にそれを封じて、オリジナルと何から何まで同じ「サイコ」を作り上げたことを思い出したから。

作家性が強いからこそ、逆により過酷な状況に置いてみたいと思ったのかもしれないけど、音楽はもちろん、カット割りから尺に至るまでビッチリとソックリに仕立て上げたその作品は……しかしまず主人公を演じるヴィンス・ヴォーンが下品だったし、その下品を象徴するかのように、たったひとつ違えた場面が、オリジナルの恐ろしいけれど侵しがたい雰囲気をブチ壊して、オリジナルの大ファンの私は大いにガス・ヴァン・サント監督を恨んだものだった。

でも森田監督は、そんな愚行は犯さないのだ!あのね、驚いたのはそう、オリジナルを見直してみると、確かにきっちり、脚本が同じだというのが判るんだよね。まあ多少、変えているところはある。例えば「お前はめくらか」というのは、これは今は使えない言葉だから「どこに目がついているんだ」となるし、室戸半兵衛が三十郎に向かっての二人称が「貴様」なのは、今の時代にはより敵意を感じる言葉だからか「貴公」に変えられていたよね?
でもその程度、なんだよね。現代だからやむをえない部分だけで。あとは奥方のお歯黒が、カラーだとキツイというのもあるのか用いられてなかったり、黒藤の邸宅で三十郎に食事を運んでくるお女中連が、本作ではやけにお色気タップリに彼に食べさせようとするあたりはちょっとした遊び心か。

でも、同じ脚本を使ってこうまで違うものが出来上がるのか、とオリジナルと比べる改めて思う。オリジナルの緊迫感の中のユーモアと、森田監督のマイペースなリズムとは明らかに違う。ま、あまりにおっとりしてるので、途中ちょっと寝ちゃったけど(爆)。
でも、嬉しいのは、やっぱりオリジナルがいい、とは思わないことなんだよね。この強烈な作品と同じ脚本を使って、当然って感じに森田作品になっているってことが、嬉しいのだ。本作を観て興味を持った若い人が、オリジナルを観ても決してタイクツすることはないだろう。きっとその違いに驚き、ワクワクと観てくれることと思う。そうでなければリメイクの意味がないし、だからこそ森田監督がディレクションする意味があったのだ。

なんたって森田監督は、日本オフビートの重鎮だから。この脚本をオフビートに読み解くんだもん。オリジナルを観ちゃってたらさ、これがオフビートだなんて普通、思わないよ。絶対、ズルズルと引きずられてしまうと思う。でもやっぱり違うんだなあ!
まず、そのオフビートを体現できる人ってことで、織田裕二が来た。確かにこんな大看板を背負える大スターという意味で、彼以上の人は思いつかない。でもそればかりが理由ではないはず。

あの三船敏郎が圧倒的に演じた椿三十郎に、一体誰が対抗出来るというのか。そのまま考えたら、誰も対抗出来る訳がない。でも森田監督の読み解くオフビートとして考えたならば……。
スクリーンに君臨する自信溢れる演技の揺るぎなさと共に、「踊る大捜査線」で印象的だった、人好きのする笑顔が似合う、親しみのあるキャラクター、それを彼自身のスターとしての自覚の強さで固めていることが、三船敏郎と対照的なキャラであると共に、対抗できる強さとして必要なことだった。
「主役はお前しか考えていない」と言われて織田氏、感激したという。キャー!!!なんて殺し文句なのっ!

彼を三十郎とするなら、三十郎の助けで世の悪事を暴くことになる9人の青侍たちもまた、オフビートでなければならない。これはまず、9人の中でたった一人のメインともいうべき井坂伊織を演じるのが、オリジナルの、正義感溢れて暑苦しいぐらいの加山雄三から松山ケンイチになった時点で、この作品の方向性は大決定、よね。
彼もまた器用でシリアスもこなせる役者さんだけど、でもちょっとマヌケな愛しさを演じさせたら天下一品、だもの。
実際、オリジナルより伊織はずっとフューチャーされている感じ。それは脚本が同じだから、カメラワークとかカッティングで判ることなんだけど。バカな愛しさが、もう抱きしめたいくらい可愛く溢れているんだよなあ。
そしてこの伊織にくってかかる若侍が、オリジナルの真剣さと対照的に、本作はまるで子供のような聞き分けのなさってキャラで、やはりコミカル色が強い。やっぱりキャスティングの時点で、方向性が全て決定していたことが伺われるのよね。

実際、この9人の青侍たちは、オリジナルより滑稽な感じに映る。オリジナルでも三十郎の後ろにズラズラと連なる場面なぞ、「金魚のウンコ」と三船敏郎が困ったように言うシーンで大いに笑った覚えがあるけれど、本作では三十郎の後ろで9人が一様に平伏する場面でもう可笑しさがこみあげる。
あ、そういや冒頭、神社に彼らが集まっているシーン、危機を切り抜けた後、床下から彼らが恐る恐る顔を覗かせるトコ、まるでもぐら叩きみたいで、オリジナルでも充分コミカルだったけど、本作ではそれを更に助長させて、三十郎、床板を踏んで押さえちゃうでしょ。前半のそのシーンで、ああもう、方向性の違いが決定付けられたなあと思ったんだなあ。

とはいうものの、織田裕二は三船敏郎の台詞の発音とかかなり似せてきているし、オリジナルの雰囲気をぶっ壊さないように気を使っている感じは凄くする。
実際、彼がいわゆる現代そのままの喋りで三十郎を演じたら、あまりにもかけ離れすぎて興醒めだったかもしれない。だってやっぱり時代劇という縛りはあるけど、半世紀近く前に書かれた脚本の台詞回しの独特さは、なかなか現代の役者そのままでは相容れないものがあるんだもの。
そして「俺とよく似ている」と、三十郎が斬るしかなかった室戸半兵衛に扮するのが豊川悦司というのも、実に興味深いキャスト。

あのね、彼に関しては森田監督のオフビートの手が及ばないというか……豊川氏にだけはオリジナルを託した感じがあるんだよね。
そりゃ、仲代達矢とは全然違うタイプの役者。何たって仲代先生はビー玉のように目ん球グリッグリの目力の持ち主で、豊川氏は仲代先生の目の10分の1ぐらいじゃないのという細目だしさあ。
役者が目の印象で決まることを考えれば、こんなに対照的な面立ちもないんだけど、不思議に……似てるのよ。仲代先生がそのギョロ目で不気味さを示したとすれば、豊川氏は対照的な細目で相手を狡猾に見据え、これまた不気味さを示す。
本当に、不思議なくらい、仲代達矢の不気味な存在感を豊川氏は受け継ぎ、オフビートの波にも飲み込まれないのだ。彼は森田作品でオフビートを演じたばかりだというのに、この切り替わり。いわば彼一人が黒澤オリジナルを受け継ぎ、支柱となってこの作品を支えているように思う。

三十郎と半兵衛の最後の一騎打ち、このシーンはオリジナルで超有名なシーンで……仲代達矢の胸から噴水のように激しい血しぶきが沸き起こり、昏倒した仲代先生はあのギョロ目をカッと見開いているという、一瞬なのにひどく印象にこびりつくシーンだから、リメイクでどう差をつけるかはさぞかし難しかったと思うんだよなあ。
本作では、一瞬で勝負がついたオリジナルよりは、少々長い感じ。しかもちょっと趣向を凝らしている。双方、相手の刀を抜くんだよね。自分のを押さえながら……。
台詞外のことだから、いくらでも作り手が解釈や思いを反映させられる場面なんだよね。しかも瞬間モノクロに転じ、その一瞬の居合いをよりクロースアップしたショットで見せる。

私一瞬、このモノクロでスローモーションのカットは、オリジナルをコピーしているのかと思ったのだ。でもオリジナルではやはり本当に一瞬で、こんないくつものカットを重ねていたりはしない。
でもやっぱりこのモノクロのスローモーションに、しかもやはり一番大事な三十郎と半兵衛の一騎打ちに、黒澤オリジナルへのオマージュが捧げられていたんだなと思うんだ。

オリジナルでも印象的だった、助け出された睦田夫人とそのお嬢様。オリジナル以上にノンビリとした雰囲気である。
オリジナルはやっぱり、もっとずっと殺気だった雰囲気なんだよね。なんたって三船敏郎が男臭く、9人の青侍たちもずっとせっぱ詰まっている感じだから。でも本作はまず三十郎と青侍が既に喜劇的要素を満たしちゃてるもんだから、よりスローテンポに設定された母娘が若干イライラさせるのが残念なところ。
ただ、娘のキャラはオリジナルよりもずっとキャラがたっており、例えば大声で言い合いをしている侍たちの様子をうかがいに行くシーン、オリジナルでは本当に心配そうにしているのが、本作ではどこか楽しそうにこのいさかいを覗きにきた雰囲気。

実際、このキャラ設定は実に上手く作用してる。彼女たちが助け出された時、そんな危機的状況をどこまで理解しているのか、まぐさ小屋で干し草のいい香りに包まれ、しかも「伊織様とよくここに来ます、誰も来ないし、静かなんですもの。一度など、伊織様の腕枕で寝てしまったこともあるんですよ」などと言う台詞、これって実に色っぽいニュアンスがあってさ。
ただオリジナルの方では本当にムジャキに昼寝したって雰囲気しかないんだけど、本作のお姫様を演じる鈴木杏はデカイアンパンマン顔が少々気になるものの、純朴お姫様の仮面をかぶりながら、全てを判っているんじゃないかと思わせる笑みを始終たたえていて、絶対キャラの解釈、オリジナルと違えているよなと思えて、楽しい。干し草の上で居眠りしただけじゃ絶対ないだろ!!とね、想像出来ちゃうんだよね。杏ちゃんに関しては、オリジナルより良かったかもしれない。玉緒さんとシンクロしてたし。

オリジナルでも人質になった敵の侍、小林桂樹は印象深いけど、それを受け継いだ佐々木蔵之助は、ああ、この人だったら!と思わせるハマリ役。
彼がもともと従ってた菊井たちが、三十郎たちの仕掛けたワナにまんまとはまったことを青侍たちと喜び合う場面はオリジナルより尺を長めに取っていて、しかも彼が喜び合うのが松ケンなもんだから、余計に可笑しさが際立つ。
彼は「間宮兄弟」で森田監督の期待に十二分に応えたから、まさに監督の信頼にきっちりとこたえた形。このキャラに関してはハッキリ、リメイクの本作の方に軍配を上げたいぐらいにハマってた。

そしてそして、茶室に閉じ込められた三悪人は、オリジナルよりコミカル色が強い。この三人にこそ本作の色が託されていると言うぐらい。
大体、風間杜夫の演じる竹林が心臓が弱いなんて設定はオリジナルにはないしさ。オリジナルよりもこの茶室がより狭い印象を与えて、狭い中で右往左往している彼らがホンット、可笑しいんだよね。

しっかし気になる織田氏と豊川氏の近さである。メイキングシーンでも森田監督からの再三の、もっと近くでという指示が飛んでいたし。
な、なんかちょっと耽美になりそうだよね。いや、勿論そういう意図はあると思うなあ。なんたって三十郎が「こいつは俺とソックリだ」と言うほどの相手、近親の情愛をきっと感じていたに違いないという読み解き。三船氏と仲代氏では絶対に出来なかった隠された耽美をここぞとばかりに示すための、この近い近いツーショットの数々だったように思う。

ところでさ、三十郎の髪型、三船氏のような、浪人にはありがちの後ろで止める髪形ではなく、いつもの織田さん風なのよね。
彼のハゲ説が立証されそうで、気になる髪型だ……。
その三船氏の髪型は、豊川氏が受け継ぐ。オリジナルの半兵衛は侍そのものの月代なのだが。うーんやっぱり耽美のためかと思っちゃう?
しっかしさあ……本当に哀しいラストなんだよね。痛快じゃない、爽快じゃない、それが椿三十郎の素晴らしいところ!ああやはりここに男同士のラブがっ!(もういいっちゅーに)★★★★☆


つまらないあたしのどうでもいい物語 (奴隷)
2007年 分 日本 カラー
監督:佐藤吏 脚本:福原彰
撮影:長谷川卓也 音楽:大場一魅
出演:平沢里菜子 本多菊次朗 千葉尚之 淡島小鞠 結衣 荒木太郎 久保新二

2008/3/4/火 劇場(ポレポレ東中野/R18 LOVE CINEMA SHOWCASE Vol.4/レイト)
最初に彼女を見た時からその冷たい美しさと女王様的なまなざしに驚いたもんだけど、あの時はまだまだ完成されていなかったんだなあ、と思う。まさにここに完成された平沢里菜子を見る。
いや今回は、初見であるこの佐藤監督に驚くべきなのかもしれない。この日見た二本、アッキー主演のリリカルな作品と、それはそれは、もう驚くほど違うのだもの!本作ではまさに、平沢里菜子のハードな半生をフラットな眼差しで綴る。そこにはアッキーの映画にはあった甘やかさはなく、むしろドライな笑いに支えられていた。

いやいやしかし、やはり平沢里菜子の究極を描いた作品!最初は小沢真珠のようだと思い、いやいや内面は結構オトメチックな真珠嬢とは違う、どっちかというとやはり女王様扱いされる沢尻エリカのよう?(八重歯も何となく似てるし)いやいやいや、そんな他の女優と比べるなんて失礼千万、平沢里菜子は、平沢里菜子でしかないのだ!とつぶやくしかない。
しかも彼女はMだというんである。こんなに女王様が似合うのに、劇中でも女王様になって男たちをヒールで蹴倒し、ロウをたらし、浣腸をぶち込み、鎖で引きずっているというのに、M女だというんである!

しかもこれが、彼女の半生のセミドキュメント?え?マジなの?それはどの辺まで?実は3年間結婚していたというところも?などと、ついつい俗な興味も浮かんでしまうが、まあそんな興味で引きずり込んでしまうのが、ネライなんだろう。
劇中彼女が演じているのはリナという女の子だし、そして彼女自身のモノローグで語っていく手法はまさにドキュメンタリーか再現フィルムそのもの。そしてその中には主演である彼女自身しかいないといっても良く、彼女の説明で語られる脇役なんぞは、まるで彼女の周りを彩るカキワリ程度でしかないのであった。

冒頭、平沢里菜子は荒野の中に素っ裸で吊るされている。一体、何事かと思う反面、その異様な美しさに惹きつけられる。彼女は胸は薄い方だし、胸ばかりかお腹も足も驚くほどスレンダーで、決して緊縛に似合うタイプの女優ではないのかもしれない。
実際、痩せた女優が緊縛されると私はどーにも物足りなくて、肉に縄がくい込まなきゃ!と思うんだけど、彼女の場合、スレンダーな身体がグルグル巻きにされる痛々しさが、妙にそそる。その小さな胸も、ギュウギュウに押し込まれる。苦悶に歪む美しい顔。女王様な彼女がMだなんてと思っていたけれど、このショット一発で思わず納得してしまう。

映画の王道よろしく、オープニングでなぜ彼女がこんなところに吊るされていたかを、エンディングに再び返ってきてつまびらかにする手法。しかし私は後半、すいません、睡魔で気が遠くなってしまったのだが(爆)。
まず最初のエピソードは、自分をMだと判らせてくれた高校の数学教師との場面から。里菜子嬢、セーラー服である!
地方の名門女子高に通っていた梨奈が、週末ごとに東京で教師と落ち合っては、SMにふけっていく。うう、このあたりは真実なのかしらと、ついつい俗な興味に走ってしまう。彼女の「名門の学校だったけれど、もうそんなことはどうでも良くなっていた」などというモノローグが、やけにリアルに聞こえてしまうんだもの。
セーラー服のまま後ろ手に縛られ、サイン、コサイン、タンジェント、などと口走るバカバカしさに思わず吹き出してしまうけれど、当然こんなのは序章に過ぎないのであった。

そして短大に進学した梨奈、学校に通う一方でSMクラブで女王様のバイトをする。「本当にMなんですよ。これは仕事だから仕方なく」などという彼女のモノローグに思わず笑いが漏れてしまうほど、ミニの皮パンからすらりと伸びた白い足を華奢なヒールブーツが包み、顎をぐいと上げて獲物を殴り、蹴倒す彼女の女王様姿ときたら完璧そのものである。一体どこまでが真実なのか、平沢里菜子!
M女として完璧になるために、Sをも学ぶ意欲がわいたのか、結局最後まで見てみればMに身を捧げた彼女の物語だから、この似合い過ぎるSも、Mへの従順な、ケナゲにさえ見える思いの一端に見えてくるから凄い。

それなのに、「卒業したら、普通に働こうと思っていた」というのもスゴイが、確かにリクルートスーツに身を包んだ彼女は、漆黒の黒髪に白い肌が映えて、決まってしまうんである。
梨奈の入った小さな派遣会社、社長であるヘビのような目をした“青年実業家”に、彼女は自分の性癖を即座に見抜かれてしまう。
社長室に呼び出された梨奈、口の中に指をぐいと押し込まれ、「君、Mだろ」たまらず腰砕けになってしまう彼女。
「……やっぱりな。君、私の奴隷にならないか」夢見ていた素敵なご主人様との出会い、梨奈は一もニもなく頷いた。

「どうやって私を辱しめようと、一生懸命に考えてくれました。私はそんなご主人様が大好きでした」というモノローグで進行される、様々な辱しめの日々。
「奥さんがいても気にしません。何なら他に女を作ってもいい。でも奴隷は私だけにしてください。私、独占欲が強いんです」
それって独占欲って言うんだろうかと普通の神経なら思うのだろうけれど、Mであることに人生を賭けている梨奈にとっては、それはちっとも矛盾することではないのだ。

社長が他の社員と話している最中に、彼に向かってストッキングだけをはいた足を開いて「その爛れたオ○ンコを見せろ」などという命令にも、「はい、ご主人様」と彼女は従う。電話で客からのクレームに応対しながら、そう、上半身はしっかりとOLを演じながら、彼に向かって足を開いていく。
見られているだけなのに、しかもこんな、次の瞬間には誰かにバレそうなギリギリの状態なのに、いやだからこそ、梨奈の奥はじっとりと濡れてくる。
同時に白い額にもじんわりと汗が浮かび、電話の応対に時として集中出来ずに、電話の向こうの相手がイラだっているのが判る。というのを、つまりは一人芝居状態で演じる平沢里菜子の、女優としての能力にも唸る。

他のS女王様を入れ込んで、彼女と梨奈をセックスさせながら、その女王様の後ろから社長がホンバンで突っ込むなんていうのは、梨奈にとってはいくらMでも、真実の苦痛だったかもしれない。
あの時、彼のことを本当に愛していたのだろうか、彼も私のことを愛していたのだろうか、いや、そもそも愛とは何なの?そんな本質的なことをモノローグしながらも、やっていることと言えば、夜のガード下を全裸で、いや正確に言えばハイヒールだけで歩いていくなんていうプレイも、梨奈は嬉々としてやっていた。
このシーン、カメラは道路を挟んでガードの向こう側にいて、その手前を車がびゅんびゅん行き過ぎていく。非常にスリリングな場面。毅然として歩いていく平沢里菜子嬢は、孤高の美しさ。

しかし、彼との関係は意外な形で破綻した。梨奈にラブレターを渡してきた男性社員にコナをかけて、会社でセックスしろと言うのだ。それを社長はロッカーの中から覗いているという趣向。
梨奈だってこんなヤボな若造は、ハナにもひっかけない筈だった。ただラブレターをもらった時、そのクサい文面にせせら笑いながらも、鏡に映った彼女は一瞬、自分はこのままでいいんだろうかという自答が浮かんだ。しかし本当に一瞬で、次の瞬間にはもう、こんなヤボな青年のことは頭からなくなっていた、筈だったのだ。

しかし、彼とのセックス、至極正当な、つまり梨奈にとってはある種新鮮なセックスだったのかもしれない。彼女は、イッてしまった。
彼を帰し、ロッカーの中の社長に声をかけると、飛び出した社長はダダをこねた子供のように怒り出した。「イかない約束だったじゃないか!」え?、そ、そうだったんだ……って、そんなことで、っていうのもおかしいけど、いままであんなことやそんなことを彼女に課してきたのに、そのことで怒るか?と驚いてしまう。彼女も驚く。
頭に血が上った社長は止められず、梨奈に解雇を言い渡す。自分のポケットマネーで退職金も振り込むから、もう自分の前に顔を見せるな、と。

「青年実業家なんかじゃなかった。ただの、金持ちのボンボンだったのだ」という梨奈のモノローグ、そしてSMだけにしがみつく自分への不安。
そこへ、梨奈に懸想していたあの青年が訪ねてきた。「あんな会社、先がないよ。俺も会社辞めてきた。……結婚しないか」あまりに突然のプロポーズ。ええっ!?と思っていたら、しかしピンクはさすが展開が早い。というかこの作品自体がとんとんと小気味よく進んでいく魅力に満ちているということなんだけど。
結婚、新婚旅行、明らかに合成と思しきものも交えて、アルバムをめくるようにどんどん写真で進んでいく。しかしM女の彼女が大丈夫なのか?と思ったら、「彼はセックスもとても上手くて……」あ、あら?うーん、M女というのはなかなかに奥が深いのね……どうも仕組みが難しい。

しかし、梨奈は社長に再会してしまう。いや、もう社長ではない。あの頃、髪をビシッと固めてバリッとしたスーツに身を包んでいた社長は見る影もない。会社は大手に食われて資金繰りが悪化して倒産、彼は奥さんにも逃げられてしまったらしい。
寂れた遊園地で観覧車に乗りながら彼の身の上話を聞いた梨奈は、たまらず金を恵んでしまう。そんな屈辱にも怒り出すどころか、ありがたく刺し頂いた彼が替わりに差し出したのは、副業でやっているというSMショーを見せるスナックの名刺だった。

もはや彼をご主人様として崇める理由などない筈なのに、この結婚生活にも満足していた筈だったのに。ただ、やはり心のどこかに物足りなく思う自分がいて、そこにこんな小さなキッカケが火をつけてしまったのかもしれない。
家に帰り着いた時には、梨奈の気持ちは決まっていた。夫の戻らないうちにと荷物をまとめ、その小さな田舎町に向かった。

縛られ、吊るされ、殴られ、ロウをたらされる。しかも今度は客の前で。究極のM。加えてご主人様だった男には一緒に暮らしている女がいて、その狭い部屋に転がり込む形での生活が始まった。
床に寝ている梨奈に気兼ねして、「気が散ってしょうがない」とその女はこぼしながらも、彼とセックスをする。二人の声を聞きながら自らを慰める梨奈。いや、この場合、慰めるなどという表現は当たっていないに違いない。究極のM。

かつて女王様とご主人様のセックスしている下に入れられて、その汁を一滴残らず舐め取れと言われた時に見せた悲哀の表情は、もはや梨奈の顔には見当たらず、そこにはただ喜びだけがある。
ここに至って、ただ受け身だけだった女子高生時代から、自分の中で昇華していくという、Mでありながら相手ありきではなく、自分が組み立てていく自立のMが完成されていて、ああ、ここまでを平沢里菜子は演じて来たのだと思い至る。彼と他人のセックスを聞きながら自分をまさぐる彼女は、むしろ美しいのだ。

そして、このあたりから私の記憶は怪しくなってくるのだが(爆)、彼と共にオープニングで吊るされていたあの荒野に梨奈は来ている。縛り上げられ、吊るされた梨奈に彼は優しく、「しばらく待っていてくれ」と微笑みかける。
彼女は一人、荒野に取り残される。その白い裸身をぶら下げたまま……。彼は、戻ってくるのだろうか?

最後に彼女がつぶやくモノローグが、一般公開のタイトルになってる。「これが、つまらないあたしの、どうでもいい物語」
M女だから、自分のことをつまらないなんて貶めるのだろうけれど、こんな面白い女優はいない、平沢里菜子!★★★★☆


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