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60歳のラブレター
2009年 129分 日本 カラー
監督:深川栄洋 脚本:古沢良太
撮影:芹澤明子 音楽:平井真美子
出演:中村雅俊 原田美枝子 井上順 戸田恵子 イッセー尾形 綾戸智恵 星野真里 内田朝陽 石田卓也 金澤美穂 佐藤慶 原沙知絵 石黒賢
そうなんだよねー。思えばあの胸ときめいた「狼少女」だって、最後にはメッチャ号泣したし、決してギャグ作家などではなく(いや、そんなこと誰も言ってないって(爆))しっかり物語を魅せられる作家さんなんだもんなあ。
そしてそのライトなシリアスさ、というものこそが、ヤハリ彼の真骨頂のように思う。
それは人生そのもの。人生は確かにシリアスなことばっかりだけど、それをそのまま重く受け止めてしまっては生きてはいけない。軽く、軽く、受け止めていく。
その昔、みゆきさんの歌にあったなあ「軽く、軽く、傷ついてゆけ」って。私、あの言葉に凄く共感した覚えがあるのだ。そうしていけば、人生なんて乗り切っていけるもんだ、っていうかさ。
まあそんな話はどうでもいいんだけど……でね、本作は3組の男女が登場し、それぞれがちょっとずつ関係が重なり合ってる。
まあ、重なり合ってるっていっても、ご近所さんだったり、医者と患者の関係だったり、お手伝いさんとして入った先だったり、っていう程度なんだけど、でもそれは、そんな風に軽く知り合い程度の人たちにも、実はそれぞれにこんなドラマがあるんだよね、ってことを示してもいるんだよなあ。決して、一組のドラマだけでは映画がもたないってんじゃなくて(爆)。
いや、これがさ、様々な60歳以上の人たちのラブレターをモティーフにしているから、一つに限定してしまうと趣旨が壊れてしまうというのもあったと思うけど、でも一つのテーマに絞っていたら、それこそ“ライトなシリアスさ”ってのが失われてしまったと思う。ただただシリアスになってしまったと思う。それこそベタなお涙頂戴になってしまった可能性も大。
だってそれってつまり、自分たちが自分たちだけで生きているって世界にはまり込んでしまうってことになるんだもの。皆、他人の人生とちょっとずつ関係してて、そこからいろんな価値観をもらって、自分の人生を決定していく、だからこそ素晴らしいんだものね。
で、また話が脱線しちゃったんだけど……メインとなるのは最初にクレジットがくる中村雅俊と原田美枝子の夫婦。結婚30年目、夫の定年を節目に彼らは離婚した。その仕事最後の日も、夫はまっすぐ若い愛人の元に向かった。社長の娘との愛のない結婚生活は壊れるべくして壊れた、のだ。
しかし少なくとも妻の方は、夫のことを愛し続けていて、だからこそ何も言えなかった。夫はそんな妻の気持ちなど気付いてもいなくて、“第二の人生はこれからだ”とか意気揚揚と愛人の経営するベンチャー企業にベテランとして参画するんだけど、結局は企業の一社員であり、しかも娘婿の肩書きも失われてしまった彼は、自分が何ほどの人間でもなかったことを思い知らされるんである。
……正直この話はね、私はあんまり好きになれなかった。若い愛人を作った夫が家庭を顧みないとか、妻は粛々と専業主婦を30年やってきて、ガマンの限界に来ていたとか、そんな両親を見て育った娘が結婚願望を持てないとか、そして何より妻は最初から夫が好きで、だから夫が改心して「30年前からやり直そう」と戻ってきた時、受け入れちゃうのも何もかも、クサすぎるわとしか思えなかった。
まあだからこそ、これだけで展開されたらホンットキツかったと思うんだけどさ。
でもそう感じたのは、観終わって設定をなぞってからだったかもしれない。やはりそのあたりは巧みだと思う。
妻が初めて箱入り娘の専業主婦から解き放たれて家政婦さんの仕事を始めて、そこで出会ったバリバリキャリアウーマンの翻訳家の女性から見せてもらった全く違う世界。着飾ってパーティーに出かけ、若いハンサムな売れっ子小説家に口説かれて夢見心地。
翻訳家は「この原石を30年ほったらかしにしておいたダンナは極刑ものね」と言うぐらい、そりゃ原田美枝子だから美しいし、ぐっと年下の石黒賢に口説かれたって似合っちゃうのだ。
でもさ私、スッピン(風メイク)で、大きなメガネをかけた専業主婦姿の原田美枝子の方がカワイイと思っちゃった……だってさ、華やかで美しい原田美枝子は、そりゃ女優さんだから見慣れてるんだもん。地味で奥ゆかしくて、世間のことなんか何にも知らない文学少女の延長メガネっコ、、みたいな原田美枝子がなんかすごい、カワイイとか思っちゃったのだよなあ。
この感覚って、「ただ、君を愛してる」で思ったことと似てるかもしれない……まあ、でもだから、素の彼女を知っているダンナが戻ってきたラストこそがハッピーエンドだということなのかもしれないけどさ。でも、“年下のハンサム”に口説かれたのに、古巣に戻っちゃう彼女に、ついついもったいないー、とか思っちゃうんである(爆)。
それに、このダンナの愛人ってのがさ……つまりは私はこっちに年が近いからやっぱりなんか……こんな風に描かれちゃうと、そりゃないよなとついつい思っちゃう。
なんかさ、これじゃ愛人はなーんにも気にしてないみたいじゃん。いいだけ彼を利用して、しかも最後には「あなたみたいなオイボレ、もうどこも相手にしないわよ!」なんてさ……言わないよ、いわば日陰の身で彼を愛していたんだったらさあ。だってこれぐらいの年いった女はそれで、もの凄くせっぱ詰まっているんだから。
でさ、キャリアウーマンの愛人との同居では彼は自分で家事をやらねばならず、魚さえも満足に焼けない。久しぶりの元妻の用意してくれたアジの開きの食卓に「……美味いなあ」と感慨深げな声を漏らす。
今までそんな言葉を聞いたことがなかった妻は感激し、夫もそんな実感を持っていなかったことに気付き、二人が元に戻る最大のキッカケを作るんだけど……まあ、これは何せ題材が「60歳のラブレター」だからしょうがないけど、……でもでもでもでも、うー、どっちにしろ女って、やっぱり家政婦さんかよとか思っちゃうよなあ。
だからこそ、魚屋さんのエピソードに一番心が揺れるのかもしれない。
魚屋さんともうひと組のカップルの話は、子供の存在がないんだよね。魚屋さん夫婦はもしかしたら子供はいるのかもしれないけど、少なくとも展開には出てこない。
糖尿病の夫を叱咤して、食事制限に大好きなお酒も勿論禁止して、毎夜率先してジョギングに連れて行く、いかにも神経の太い、ダンナを尻に強いているオバチャン。ダンナはそんな強すぎる女房に引きずられて、しかし見事病状も回復、大好きなお酒が飲めるようになった、と思ったところだった。
奥さんの病気が発覚するんだよね。しかも頭にできた腫瘍。糖尿病どころじゃない、一刻をあらそう事態。普段から奥さんはやたらあちこちぶつかったり、頭痛に悩まされたりしていたんだけど、年のせいだ、更年期障害だと思い込んでいた。というより、ダンナの病気のことを思うあまり、自分のことがないがしろになっていたのだ。
緊急手術が必要だと言われ、突然のことに奥さんは勿論だけど、夫の方が狼狽する。
「自分の方が早く死ぬと思ってたんだろ」という奥さんの台詞は、長年連れそう夫婦が必ず直面するテーマに違いない。死ぬことは怖くても、一人残される怖さに比べればなんてことない、ことを、つまり自分は奥さんに看取られたがっていた、ことを、彼はこの時初めて自覚したに違いないんだよね。
「俺より早くいったら許さないぞ!」そう叫んで奥さんを手術室に送り出した。運んでいく若い看護婦さんが「素敵なご主人ですね」と微笑んだ。奥さんの目にかすかに涙がにじんだ。
ほおんとに、素敵なの、イッセー尾形は。でも、それ以上に素敵なエピソードがあったのだ。
でもこれも、思い返してみれば、やっぱりベタかなあ。ダンナがいつも恋い焦がれるように楽器店のウィンドウに眺めていたマーティンのギターを、奥さんのヘソクリで、つまり病気回復のご報美に用意していた、なんてさ。
「このぐらいのヘソクリはあるんじゃ」なんて手紙が添えられてたりしてさ。
そうなんだよね、こうして思い返してみると、設定的にはかなりベタなものが多いんだよね。
この夫婦のエピソードが一番好きだと思っていたのに、案外とそうなんだよなあ……奥さんが目覚めるのを待ちながら、二人の思い出の曲、「ミッシェル」を、そのマーティンギターで弾き語り続けるのもそうだし。
二人の出会いは、ビートルズの来日公演の時、武道館に入れなかった奥さんが公園でビートルズのコピーをして「ミッシェル」を歌っているダンナのバンドに遭遇したのがキッカケだった。
その後追いかけ続けて、ボーカルだったダンナは「追っかけの中で一番可愛かったハズの子に手をつけ」て、まあつまり今は、ハズ、だったのにそうじゃない現実に嘆息しているんだけど……若かりし頃の夢に、糖尿治療のジョギングの途中で出会った楽器店のウィンドウのギターが火をつけたのだ。
でね、この楽器店のマスターが鈴木慶一だっていうのがミソでさ。こーいうところでベタな設定が、一気にリアルな魅力を放ち始めるんだよなあ。鈴木慶一が登場するだけで、一気にダンナの若かりし頃の青春が甦ってくるんだもん。だからこそ、ヘタクソな「ミッシェル」で奥さんが目覚めるまで歌い続ける夫の姿が心を打つんだもん。
んでもって、目覚めた奥さんが開口一番言ったのが「前よりヘタになったかも」って(笑)。
でね、旦那さんは、目覚めて両手がちゃんと効いていたら大丈夫、という医者の言葉をもらっていたから、右手、左手……と握って、ああ、良かった……と一気に嘆息するのだ。
これがさあ……グッとくる訳よ。だって今まで、この魚屋さん夫婦が、そんな手とか握ったりしてたとは思えないもん。医者から性生活はと聞かれて、ナイナイナイ!とお互い手を振りまくったぐらいだからさあ。
でもさ、セックスじゃないんだよね、夫婦をつなぐ絆っていうのは。
その意味では、三組目のカップルが一番ウブで、それこそこれからのセックスだって思わせるのかもしれないんである。
先に出てきた翻訳家と、ドラマの医療監修という立場で彼女と出会う医師。
翻訳家が戸田恵子で、医師が井上順、でもって、二人が実にウブに距離を縮めていくってのが、年はいってるけど、この組が最も純粋にラブな、恋愛要素を持ってて、ちょっとドキドキしちゃう。
女の方は、“ウッカリ仕事の出来る女になってしまった”ことで、恋愛の機会を逸してしまった売れっ子翻訳家。
男の方は、ベン・ケーシーに憧れて医者を志したものの、血が怖くて外科医を諦め、細菌の研究も外国に先を越されてしまい、あげくの果てには妻の病気に気付いてやれずに先立たれた子持ちの男。
個人的には彼女の方に、うすーく共感が持てる部分がある。それは彼女が転勤族の家族で、深い友達を持てずにここまできてしまったって部分。11回の引っ越しって程ではないにしても、私も転勤族だったからさ……。“幼なじみ”には憧れたし、ラジオが友達だったってのも凄く判る。
まあだからって、将来にこういう熟年の出会いを期待しているって訳ではないと言っておくけど(笑)。
でもね、彼女がやたらウブなデートの誘い方……「お礼に食事に誘いたいけど、奥さんに悪いかな」なんて牽制したり、彼のオタクな細菌話を一生懸命聞いたり、友達になった家政婦さんにおもてなし料理を習ったり、なんかもう、可愛すぎるんだよね。
で、彼には一人娘がいるもんだから、当然こんなハデなキャリアウーマンには拒否反応を示してさ、自分の方が料理も出来るし、仕事をしてたって死んだお母さんはちゃんと家事をしてた、と言い捨てる。
娘はね、お父さんのお相手にとピアノの先生を斡旋してたのよ。脈もあるし、私も先生ならお母さんになってもいいな、って。で、渋る父親にこう言い放つのだ。お父さんの介護をするのは私なんだよ、と。
ここに娘の本音が出ているってのがキツいんだよね。そりゃ彼女はお父さんに幸せになってほしいって気持ちもウソじゃないと思う。
でも一方で、お父さんが結婚するのは私のお母さんになる人、それは死んだお母さんと遜色のない人であるべき、という意識、というか、自分にとっての権利というぐらいの気持ちがあってさ……それは、結婚の当事者であるお父さんよりも、自分の方にその言い分がある、ぐらいに思っていた感じがあるんだもの。
でも、いわゆる日本的感覚で言えば、それってある意味、当然の価値観として語られてきたと思う。だから本作でそれが粉砕されたのが、しかもその当事者である女が、心の内をブチまけたのが、かなり画期的なことだったんじゃないのかなって。
死んだ母親の良い記憶を抱いている娘から、当然のように拒否される。失礼な態度をとった娘のことを謝る彼に余計にいたたまれなくなって、万感の思いを込めて「さよなら」と言う。
そう、本当にさよならのつもりだったのに、娘が戻ってきて、ホンキじゃないならお父さんをもてあそぶなとか言うもんだから、彼女、激昂しちゃうのだ。子供相手に、いや、子供だからこそ、自分が子供時代に今の自分を形成されたからこそ、言いたかったのだ。
「子供の顔したり、大人の顔したりしないで」と。それってつまり……彼女自身が、大人の顔なんてしていられない、ただただ恋するオトメになっているからなのだ。だから、「あなたから奪っちゃいたいけど、でも、もう疲れちゃった」のだ。
……この言葉は、凄い重くて。大人がただ恋することを許されるか否かっていうのを示してて。今は特に、結婚とかいうこともせずに来てしまった(私みたいな(爆))アダルト女が増えてくる時代だから、相手が結婚しているのかとか、子供がいるのかとか気にして、恋しなくちゃいけないんだもん。
恋愛以前、恋の気持ちさえ、抑えなくてはいけないなんて、子供時代では考えられないこと。恋は誰もが無条件に許される筈のものだったのに。
最終的にはこの娘が奇跡的に親思いの姿勢を見せて、父親の思いを代弁した英文を彼女に翻訳させるんだけど……うーむ、ありえないよねー、こんな物分かりのいい娘。だって娘役の子の演技力もビミョーだしさ(爆爆)。
でも、キャリアウーマンではないにせよ、彼女の姿ってなんか……何年後かの自分を感じさせるような……気もしたもんで、なんか見逃せない気はしちゃったかなあ。
ラストは原田美枝子と中村雅俊に戻ってくる。しかもラベンダー畑の中で抱き合って「やりなおそう」っつーラスト。
この地まであの憧れの小説家と一泊旅行の予定で来ていたというのに、元夫が草原の中に掲げたラベンダーの絵にほだされちゃったのだ。
……ううむ、やはりもったいないと思ってしまう私(爆)。30年の絆が重いのも判るのだが、しかし彼は「30年前に戻ってやりなおそう」と言うのだからそれも関係ないと思うしなー。ああ、結婚ってホントに判らない……。
コレを見てやっぱり結婚したいと思うかどうかはかなり微妙なところ……やっぱり一人がいいと思ってしまう気持ちの方が強い?むしろ大人になっても恋ができる可能性が残されているのなら、あるかどうかも判らない「30年の絆」に一発賭ける気には正直、ならないかも……。★★★☆☆
しかも本作の中に出てくる「最後にエッチしたの、いつだったか覚えてる?」という台詞は、「ノン子」のキャッチフレーズをそのまま想起させ、女がいつまでセックス出来るかっていうのが、“壊れゆく女”の一つの要素になっていることにもなんだかウンザリするものを感じた。
そりゃ女は生理や妊娠の問題もあるし、男よりもセックスの期限というものはあるんだろうけれど……でもそれは、女がセックスを受け入れられなくなると勝手に判断した男の側の問題じゃないの、セックスで女を定義すんな、と思っちゃうし、そうした女の造形でしか、ヒロイン映画が出来ないことにも、そしてその作り手が男性であることにも、絶望的な思いを抱いてしまう……。
そんな、毎回毎回、あー、判る判る、などと共感を示すほど、女だって心が広くないのだ。なんかこんなに続くと、バカにされているように感じちゃう。
……八つ当たりだよなー、これって。すいません。ただやっぱり、自分がそういう年だから、そんな風に哀れみで見られるのがたまらないってのがあるのだ。
勿論、それぞれに全く違う女性だし、物語だし、本作だって、そんな思いのないところで、まったくの単体で出会っていたら、素直に共感を抱けたと思うし……というか、結果的にはそれぞれの作品をそれぞれに受け止めることは出来るんだけど、恐らく私、ずっとそんな思いを抱えていたんだな、というのを、本作の冒頭で、気づかされたのだ。
ただ、本作はなんといっても渡辺真起子、山本浩司という実に興味ある顔合わせがあったから。
考えてみれば渡辺真起子は、常にそういう、女の孤独や焦燥を抱えるヒロインを任せられる女優さんで、私も常に彼女が演じるヒロインにシンクロしてきたことを考えると、何となく複雑な気分にもなるんである。
それまでの中でもその荒れようは一番と思えるほどの、まー、一見しただけでは同じ女の目から見てもいいかげんにしろよとぶん殴りたくなるようなジコチューな女なのだが、そうなった経緯が次第に、時間をジグザグに遡って明らかになってくる。
そして、彼女を寛大に見つめ、救い出そうとしているように見えた夫の方こそが、実は彼女に依存していた、弱い彼女の上に立つことで自分の位置を保っていた、と思われるラストは、爽快というにはちょっとイタイけど……ただ、“壊れゆく女”にウンザリしていたこっちとしては、ちょっとホッとするラストだった。
二人は、シェフ同士の夫婦なのね。もともとは妻、涼子の方が格上で、彼女の名前を冠したレストランは、女性シェフが切り盛りする店として評判をとった。
というのは、ずっと後になって描かれ、現在の彼女は部屋の隅に閉じこもって、菓子パンやらお菓子やらのジャンクフードを食べ続けては吐く、典型的な拒食症の症状に陥っている。
涼子に替わって店を切り盛りし、今や専門雑誌に紹介されるまでになった夫の大地はそんな妻を心配し、朝、昼、晩の食事をちゃんと用意して出かけていく。
涼子はその食事もちゃんと食べてはいるんだけど、その他にもそうしたムチャ食いをしては、吐くんである。
見た目は勿論、気持ちも荒んで、彼女を何とか通常の生活に戻してシェフに復帰させてあげようとする大地に「ほっといてよ、お前の作った料理はマズいんだよ」とただただ毒づくばかり。そして、「ねえ、厨房に復帰させてよ」の一点張り。
でも明らかに傲慢でジコチューで協調性を失った涼子をそのまま職場復帰させるわけにも行かず、「まずは身体を治すのが先決だろ」という大地との間で、ただただいさかいが耐えないんである。
三食食べることが治ることにつながる、という一点だけで話を進めていくのが、あまりに不自然に思えて仕方なかったんだよね。涼子は明らかに心も病んでいる。拒食症というのは、身体より心の問題の方が大きいじゃない。三食きちんと食べて、その他のジャンクフードは食べない、だけで解決される問題ではない。
つまりこれって、心療内科の受診とかが絶対必要とされる段階でさ。それが一切描かれないのが不自然に思えたんだよね。
あー、でも、薬を映したシーン、あったかなあ……あったような、ないような。とにかく、三食にだけ、こだわってたよね。その食生活のリズムを取り戻しさえすれば、治るってばかり。なんかそれが……凄く不自然に思ったんだよなあ。
後から考えると、それは大地のシェフとしての、そして夫としてのプライドをただただ涼子に押し付けていたように思う。
だからラスト、涼子は大地の元を離れていってやっと立ち直りの兆しを得た一方、大地は涼子の思い出を引きずったままだった。
ただあのラストまでは、彼女はイタイ女でしかなかったから、見ていてイライラしたし、ツラかったんだよね。食べている皿に吐く描写や、クチャクチャと食べ物を噛み下す音も生理的に拒絶反応があったしさ。
涼子がジャンクフードを食べ続けてしまう元凶として、友人、由佳の存在が指摘される。夫は由佳の存在こそが涼子の状態が良くならない原因だと思ってて、まあ見た目的にもそれは否めない部分もあるんだけど……果たしてそうだったのだろうか?
後に明らかにされるんだけど、由佳こそが、涼子がこんな状態に陥った原因、というか、きっかけではあったのね。涼子のレストランで供した牡蠣にあたってぶっ倒れ、店は営業停止になってしまった。その時から大地をはじめスタッフたちは、涼子をハレモノに触るように扱ったのだ……。
事情聴取から戻った涼子が最初に耳にしたのは、「俺は朝から晩まで顔合わせて、めんどくさいことばかり押し付けられてるんだよ」とい夫の台詞だった。
……ことによると、店が営業停止になったことではなく、この台詞こそが彼女の心を深く傷つけたのかもしれない。そんな風に、スタッフも思っているんじゃないかというどす黒い感情が、彼女を頑なにさせたのかもしれない。
実際、その後涼子を何とか励まそうとするホームパーティーでも、涼子は頑なな態度を崩さず、「メイワクなんだよ、帰れ!」とやさぐれまくる。
このシーンだけを見せられると、ただただ涼子が子供じみたワガママ女にしか見えないんだけど、やはりあの、一番彼女が傷ついた場面での夫の(彼女がいないと思っていたとはいえ)あまりに心ない発言が、ずっと彼女の心に影を落としていたと思われる。
そしてそのことに、夫がちっとも気づいてないことが原因だったんだよね。店から食中毒を出したってことじゃなくてさ。
ただそれを、そのことを、涼子があれだけやさぐれながら、荒れながらも、そのことだけは言えなかったっていうのがね……それが彼女の、人間としての、あるいは女としての弱さだということなのかもしれんけど、正直受け入れるには、キツイんだよなあ。
だってそれにしては、心臓に毛が生えてるんじゃないかと思うほど、言いたい放題なんだもん。その一点を抑えていれば、後はどんなに荒れてもいい、っていうのは違う気がする……バランスが悪いというのを越えて、もはや不条理なんだもん。
弱い女っていうなら、それでいいよ、それを納得させてくれるならさ。でも彼女の気持ちが、結局根本的に、どこに、何に、憤っているのかが、なかなか見えにくいんだもの。
夫のことは愛している。だから今の状況にイライラしている、っていうのまでは何とか推測できても……。
そういう意味で、最も判らないのは、涼子がこんな状態に落ちてしまったキッカケとなった漫画家、由佳の存在なんだよね。
冒頭から大地は、由佳ちゃんが来たんだろ……と嘆息し、もう由佳ちゃんへの償いは済んだだろ、と、彼女こそが諸悪の根源と言わんばかりなんである。
確かにそうかもしれないんだけど……ただ、由佳が事件後、涼子とどう関わってきたのかは、今ひとつハッキリしない部分が多い。まず、現在の時点で、由佳が涼子を、そして彼女たち夫婦の問題に関してどう思っているのかが、判りにくいのだ。
最初こそ由佳は、しめつけのキツい大地に涼子と共に反発している風だった。別れた方がいいんじゃない、と言うぐらい。
ただ、その由佳の言葉に対して涼子が「なんで?」というのが由佳にとっても観客にとってもちょっと、というかかなり意外で……。前半のシークエンスだったから、この時点でもう、涼子が、どんなに悪し様に言ってても夫のことを愛しているってことを、示していたってことかあ。ただ、その理由付けというか、納得させるだけの要素はとことん不足していた気はするんだけど。
で、この由佳がなぜそこまで涼子に執着して、夫から引き離そうとするのかも、そしてその後、突然冷たくなって、遠ざけようとするのかも、双方どうにも……判りづらいんだよなあ。
ま、後者の理由の方が判る。結局逃げ場として由佳の元に身を寄せた涼子が、「病気から脱するために縛って」と言うのも、自分一人ですればいいだけの話だしさ。
もう帰れよ、と再三告げる由佳にしなだれかかって「由佳ちん、そんな人じゃないじゃん」と言う涼子に、カリカリ原稿を書きながら由佳は冷たく言い放つ。
「そうやって弱ったフリするのが、人をイライラさせるの、判らないの。いい加減気づけよ」と毒づくんである。
この由佳の台詞が一番、観客の気持ちを代弁していたなあ……。でも、唐突だとは思ったけど。
だって由佳がそれまでは、涼子を連れ戻そうとする夫から、彼女を抱き抱えて離そうとしないまでにしていたのに、ってのがあったから。ただその場面で、涼子が由佳の手を振り払って、夫と共に帰ったのが、由佳にとってはショックだったのかもとは思うけど……。
一方の大地の方は、まずは一度、当然のことながら、涼子にガマン出来なくなって家を飛び出す。涼子の替わりに店を実質切り盛りしている同僚、堺君の家に転がり込む。
つまり涼子にとっては、この堺君が天敵のような存在で、仕事復帰したい旨で再三彼とぶつかるんだけど、ただただジコチューでキレる彼女は当然、いつも冷たくはね返される。当然ではあるんだけど……ひょっとしてこの堺君、夫のことが好きだった?
う、うーん、その辺はビミョーな描写なんだよね。というのも、大地は堺君の元に転がり込みながら、妻との生活を擬似再現していたからさあ。
部屋の隅に閉じこもる涼子とのケンカを、押し入れの中で堺君と再現するわけ。それが虚実ないまぜというか……。
堺君は律儀にその役割を演じつつ、大地が受ける理不尽な扱いに憤って、意見しようとする……と、大地はそれを制して、先を促がすのね。
で、涼子が大地を迎えに来た場面では、由佳から涼子を引き剥がした時とソックリに、堺君は大地を行かせないようにと必死に抱きとめる。それはやっぱり、女友達同士がやるのとは、違って見えちゃうんだよな。
堺君が「このブタ女!」と口走ると、大地は彼を……飛び出した自分を受け入れてくれて世話になっていたのに、グーで殴り倒してしまう。
……うう、私この時、なんか心に澱を感じてしまったなあ。多分、恐らく、彼のことを好きなんであろう、彼のことだけを案じている堺君の気持ちを考えるとさ。ま、ラストには結局行き場のない大地は彼の元に帰っていくしかないんだけど……。
蜜月を取り戻したかに思えた二人、「大地の料理、美味しかったよ」などと、いつになく素直な涼子に、大地は逆に不安を覚える。そっとキスまでする彼女の様子に、彼は思い当たるのだ、彼女が言おうとしていることを。
「私から言わなくちゃいけなかったんだよね」「言わなくていいよ」焦って涼子を制するけれど、もう遅い。彼女は出て行ってしまった。
それまで、ヘキエキしていたのは自分の方だった筈なのに。涼子にののしられながら、引き止められながら、出て行ったことだってあったのに。
このラストに、爽快を覚えるべきなのだろうか、再生を覚えるべきなのだろうか、いつか来る、二人の再スタートを感じるべきなんだろうか?
ちょっと、唐突だった気がしたんだよね、ラストのカットアウトが。
大地の方は、まだ判ったのだ。だって彼はこれまでの繰り返しなんだもん。涼子が出て行った家に堺君を迎えて、朝ごはんを供している。新聞を読みながら食べる堺君に苦言を呈し、「天才って言って。心を込めて、名前をつけて」と注文をつけ、ようやく満足する。明らかに彼に妻を投影している。バカッぽいポーズをするのもそのままだしさ。
一方の涼子は、一度ゴーマンな態度で受けた面接でハネれられた、小さな店に勤め始めている。由佳に何の変哲もないベーコンエッグの朝食を供し、それでも「どう?」と不安げな様子は、それまでのトランス状態とは明らかに違っている。
「悪くないよ」と今までどおり冷たい由佳に、涼子は「天才って言って」と大地と同じようにリクエストする。でも涼子は由佳のつぶやいた「……天才」のひと言だけで破顔一笑し、面接の時にはケンアクな雰囲気だった店主の女性とクルクルと踊り出すんである。
この“単純”を女の強さとポジティブに受け取るべきなのか?
難しいところなんだよなあ。
ところでこれって、監督自身の経験に基づくっていうんだけど……。
「自分を愛してくれる、好きだと言ってくれる人から、感謝を庇護を仕事をそして更なる愛を求めてしまった」と彼は語ってるんだけど、てことは、大地に彼を投影しているのか、それとも案外涼子の方なのかな。
何となく、消化不良なんだよなあ……。★★★☆☆