home! |
最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。
2014年 107分 日本 カラー
監督:青山裕企 伊基公袁 脚本:伊基公袁 港岳彦
撮影:今井裕二 音楽:ハジメタル
出演:橋本甜歌 小林ユウキチ 繭 矢野未夏 穐田和恵 福島綱紀 草野イニ 岩谷健司 益田愛子 島田一斗 大津苺花 金井凛空 青山裕企 井上肇 葉山レイコ
そう、どんなところからスターが出てくるか判らないんである!女の子萌えをするかと思いきや、オープニングのキャストクレジットでキャー!とばかり喜んだのは、お兄ちゃん役の小林ユウキチ青年なのであった。
ワキにいた時には気づかなかったんだから私の目はフシアナだが、「Sweet Sickness」で瞠目し、「女の穴」で“再会”してからは、もうスッカリこの繊細な青年のトリコなんであるっ。
しかし、しかあし、えっ、高校生役って。彼いくつよ。こないだは高校の先生役の方だったじゃんよ!と思い慌ててプロフィルを調べると(今更(汗))ほーらやっぱりもう26歳じゃんか。いくらなんでも高校生役って(汗)。
いやまあ、最近そんなことばっかり私、ここで文句言ってるけど(爆)、それにしてもこの繊細な青年にそんなそんな。
いやでも、見えるんだな……見える見える、誠実まっすぐな高校生のお兄ちゃんに。
髪がすっきりと短いせいもあって、オープニングクレジットで名前を発見して狂喜したけれども、高校生役ということもあって、え?ホントに彼??と何度もスクリーンの中を覗き込むように凝視してしまった。
いや、あの唇は確かに小林ユウキチ氏に間違いない(照)。いやしかし、しかあし……。
ああ、役者とはなんと見事なものよ。童貞(もしかしたら)な清純高校生を見事に体現しちゃうんだもん。それでいてお兄ちゃんよ。妹を心から心配するお兄ちゃんなのよ。もお、ヤバいじゃん!!
うーむ、本来、本作に感じる萌え度ポイントとは別のところで盛り上がっている気がするが。
でも、本作の原作は女性なのだし、ビアンのエロ度はまさに女の子が萌えるエロなのだし、そういう女性の感覚が発露するエロなんじゃないかと思う訳なんである。
勿論、先述したようなAVパッケージのような完成されたエロ感覚、妹萌えという一つの確立されたジャンル、はある訳だし、ダブルヒロインとも言うべき妹、美月と、幽霊、日和は対照的なエロ度を競っていて、これがものすごく完璧な訳だし。
そう、完璧なの。妹萌えである以上、妹度は高くなければいけない。イメージする妹萌えのキャラよりは、この美月は気も強いし声のドスも効いてるしそれなりに孤独も知っているし、やはりそのあたりは女性作者ならではの、女の子としてのリアルを持っている訳なんだけど、おっぱいが小さかったり、なのに感度がやたら良かったり、そのあたりはまさに、妹萌えのエロ感覚、なのよね。
男子の好みはようわからんが、少なくとも妹萌えに関してはきっと、小さなおっぱいもまた、エロを感じさせる部分なのだろうと思う。小さいのに感度がいい、というあたりがね(照)。
一方の幽霊の日和は、まあ早々にネタバレになっちゃうけれど、美月にとっての理想の自分、というだけあっておっぱいもいい感じの大きさで美しく(ただ単に巨乳という訳ではないあたりが、女子的理想のポイントなのだっ)、ウエストは美しくくびれ、緑の黒髪と言いたいような美しいロングヘアをなびかせ、ひたすらに女子度が高く、色っぽい。
どこか檀蜜風味を思わせる。つまり女子も認めるところの、男子に対するセックスアピールがあって、美月の客観的視点が認められると言ってもいいかもしれない。
そんなこんなで、このダブルヒロインの二人は記号的と言ってもいいぐらい対照的で、そう、それこそAVのように、ゲームのように、記号的ヒロイン、なのだよね。
だってそもそもこの設定、こんな設定、現代でも通用するの(爆)。こんな設定、私が子供の頃読んでた少女漫画や少女小説に出てきた時だって、ち、陳腐……(爆)と思ったよ。
お互いコブつきのシングル同士が結婚、同じ屋根の下に思春期の男の子と女の子。それだけでもうわ、懐かしい設定……と思うのに、「義父の海外出張に母はついていった。」つまり、つい最近兄妹になった二人がいきなり二人暮らし!あ、ありえない(汗)。
そんなの、親がまず、そういう状況にさせないだろ、いくら子供を信用していたって、そんなそんな(爆)。……などと思うのはヤハリ私が古い人間だからなのだろーか。
美月のモノローグの中には、確かに現代性が見え隠れしている。男をとっかえひっかえしていた母親、これで何度目かの“新しい家族”。中にはいい人もいたけれど、私は信用していない、と。
若い男の子といきなり二人暮らしにするのも気にせず、“新しい男”に着いていく母親、というのは、そんな母親を冷たく見ている娘、というのは、確かに現代性であるのかもしれない。
でも、新しくお兄ちゃんになった夕哉は、どうやらこういうことは初体験らしく、新しく家族が出来たことを素直に喜ぶんである。
二人の親は幼馴染なんだし、物語の展開を追っていくと、美月の父親が事故死した現場に夕哉親子がいて、つまりつまり、辛く苦しい経過をずっと知っていた訳で。
で、この兄妹はこの時運命的な出会いをしていた訳で。うーん、こう書いてみても、やっぱりなんだかハズかしいけど(爆)。
まあでも、基本的にはラブコメディだから、そんなに気にする必要はないのだ。あ、違った、エロラブコメディだった(爆)。
成仏するためにと美月にとりついた幽霊、日和は乳首スケスケの白いミニワンピースにレースのソックス、バレエシューズ、片耳に羽のピアスといったいでたち。
そんな乙女チックなカッコなのに顔は檀蜜風で妙に出来上がってるし、基本エロなので、イイ感じに居心地が悪い(爆)。
そんな日和にとりつかれる美月の方は、急な階段をのぼっているとリアルぱんつ丸見えのミニスカ制服。
リアルぱんつはリアルにがふがふしていて、赤裸々すぎて恥ずかしくて見ていられないオバサン(汗)。ああ、女の子よ、お願い安売りしないで(涙)。
まあ、このチラ見え(ですらないけど、丸見えだけど(爆))があってこそのTSTなんだけど。TST?貞操帯!提案したのは原作者じゃなくて編集者だとか。や、やっぱり(爆)。
貞操帯は確かにエロアイテムだけど、この物語世界で女子から出てくる発想じゃないなと思ってたんだ。いや、こういう拷問系は好きだが(爆)、でもこのTSTは拷問としてのそれじゃないもんなあ。
いや、拷問か、ある意味。おしっこ我慢してて保健室でガマンが限界、花瓶に放尿しているところをお兄ちゃんに見られる、なんてゆー、商業映画としてはギリギリ(を超えてる(汗))場面も出てくるもんなあ。いやはや。
TSTについてるゲージが満タンになると、天国までの階段がレベルアップする。それはいわゆる満足度、性的満足度なんである。こーゆー形容詞はいかにもオバサンくさいが(爆)、まーつまり、イッちゃえば満タンになる訳。
てな訳で、この設定だし、美月の身体を乗っ取った日和は夕哉に迫りまくるし、当然お兄ちゃんと妹のエッチシーンが、少なくともクライマックスではあるだろ、と思ったら、ないの!クライマックスにも、ないの!にも、と言うあたりが、もう物語全般バンバン出てくるものと思ってるハズかしさであり(爆)。
このお兄ちゃんは、本当に、信じられないほど、ストイックなのよ。いや、ストイックですらない。本当に、この新しく出来た妹を、家族として案じている。驚くべきことに、本当に一瞬も、一秒も、男子としての本能に揺らぐことはないのよ!
いや、それは言い過ぎか、ついつい小林ユウキチ青年に肩入れするあまり、言い過ぎてしまった(爆)。
剣道青年で、その流れでか?書道もたしなむ彼は、「忍耐」という文字を筆でしたためたり、エッチな週刊誌の記事を見て動揺し、狭い部室で素振りを繰り返したりするのだから、年頃の青年らしくエロな気持ちは持っているに違いない。
それがいい感じで現れるのは、幼馴染だという教育実習生で、彼が“ユキ姉”と呼ぶ巨乳女子の存在。“商店街の福引で当たった”とこれまたいつの時代の設定……と脱力しそうな過程で温泉旅行に行った先で、混浴風呂で(これもまた……)、一糸まとわぬ姿で迫られ、首を絞められたニワトリみたいな声を出して追い詰められる様が、せ、青年やなー!!!
こんな企画の作品で、実は男女のカラミが一つもないというのはホントに驚くべきことで、それをお兄ちゃん、演じる小林青年の驚くべき繊細な魅力で乗り切っている訳!もう26歳とかいいよ、どうでもいいよ、彼がお兄ちゃんであることだけで、いいよ!!
そう、男女のカラミはないのに、美月と日和のカラミはバッチリあるというあたりが、ビアン好きの女子を喜ばせる訳(爆)。
でも本当に美しいエロだった……小さなおっぱいの、頑固な女の子といった感じの美月と、檀蜜風エロ度満点の豊かなおっぱいの日和が、つまりは二人はいわば同一人物、お互いの泣き所を判ってる訳で(エロな言い方やなー)。
まあ安易に潮吹きが頂点の描写とされるのはアレだけれども(爆)、美しく、エロであった。
スポーツが苦手な美月が理想とするスポーツ万能、あるいは豊かなおっぱい、あるいは素直な女子度の発露、コミュニケーション能力もそうかもしれない、美月が理想とする女の子としての日和だから対照的ではあるんだけど、両極が引き合うように両極であるからこそ似ている、それになんたって二人は同一人物な訳だから。
TSTの満足度が更新され、ついに天国への扉が目の前になってきた。その経過に従って、美月とお兄ちゃんの距離もだんだんと近づいていった。
あの、お風呂に二人閉じ込められたシーンはドキドキしたなあ。美月と日和のラブシーンの後に、二人が汗を流すために入る。それだけでもエッチっぽいんだけど(照)。
ドアがイカれてて、内側から閉じ込められちゃう。お兄ちゃんが外側からドアを開けてくれるんだけど日和がイタズラ心を出して、二人を閉じ込めちゃう訳。
こーゆーあたりは、美月と日和が同一人物、日和が素直なじゃない美月を後押ししている感じが良く出ているんだけど、夕哉をめぐるライバル同士な訳でもあって、なかなかにややこしいんである。
ま、それは置いといて、このお風呂シーンは、お兄ちゃん、そして演じる小林青年の誠実さ繊細さナイーブさが凄くよく出てて、メッチャドキドキする訳!
一糸まとわぬ妹と閉じ込められて、シャツのボタンをはずし始める。美月は慌てるけれども、彼がそんな気持ちを起こす訳がない!
案の定、妹に自分の着ているシャツを着せてあげる訳!それだけでも涙モノだが、その閉じられた空間で二人はお互いの、欠けていた家庭環境を忌憚なく話し合い、その結果、きっと美月は、今まで母親が連れてきた男たちとは違うのだと感じたのだろうと思う。
まあそりゃそうだ、母親のツレではなく、ツレの息子、なのだから。でもそれ以上に……このお兄ちゃんは奇跡のように誠実で、これはやはり、女性作家でなければ描けない夢だ。この設定で男性作家だったら、こんな無防備な妹とエッチしない訳がない(爆)。
このお兄ちゃんの役って、難しいんだ、それこそ、リアル年齢の高校生には確かに出来ないかも。26歳の彼に振るしかないというのもアレだけど、やっぱりやっぱり、このお兄ちゃんでなきゃいけないんだもん!
日和は美月が夢見ていた理想の自分だから。父親が事故死した現実を受け止められなくて、母親は男に走って自分を顧みてくれないし、だからこそ生み出した理想の自分だから。エロ度も満点だし。
お兄ちゃんと二人で水族館デート、それを日和に譲り、しかし肝心な場面で美月が入れ代わっちゃった事から大ゲンカ、それがなぜか水場でのケンカってあたりが素晴らしきご都合主義(爆)。
水場でおぼれている(ように見えた)美月を助け出すために飛び込むお兄ちゃん、泳げなくてバタバタ、しかし実は足がついてる、休むために見つける廃屋、高熱を出してぶっ倒れる美月、「ヘンなことするんじゃないんだからな」と濡れた衣服を脱がせて毛布にくるませるお兄ちゃん。
…………おーいおーい、少女漫画あるある事典にいくつ載ってるかチェックせーい!ああもう、ハズかしくて見ていられない……とか言いながら見てるけど(爆)。
やっぱりさ、これは男子向けエロ作品のように見えながら、それを満たしているのはわずかTSTだけでさ。驚くべきことにお兄ちゃんは家族の存在を守るために、こんな据え膳を唇がつきそうなキワキワで止めるし!
まあこのお兄ちゃんならそうかー。貞操帯ひとつで「お兄ちゃーん」と迫ってきた妹に、あの下着は妹の趣味であるロックを体現したものなんだ、と理解するなんて、あ、ありえない。
せいぜいゴスロリファッションでノリノリの姿を見ただけやんか。それこそ昭和並みに古い考え(汗汗)。
ああ、でもだから、現在26歳のお兄ちゃんでいいんだなあ。26歳ってことは昭和か平成かギリギリだけども(爆)。
ところで本作、「スクールガール・コンプレックス」の元ネタ写真家の監督デビューなんだとか!スクールガール……は女の子萌えのオバチャンたちにとって、パーフェクトな世界観で、でも映画作品となると別の手も入ってくるし、悩み悶えた作品であったのであった。
まあ本作も正直悩み悶えたんだけど(爆)。だって、監督のお名前、もう一人いるんだもん。しかも正体が突き止められない(爆)。
少女モノはいろんな才能が跳梁跋扈してて、ある意味コワい!それにくわれるほど、少女は弱くないけどさっ。★★★☆☆
言ってしまえばこういう、人間関係がつながっていく群像劇っていうのは、ちょいと才能を自覚しているようなクリエイターはやりたがりがちであり、ちょいと才能を自覚しているようなクリエイターは、そのワナに陥り、そのつながりの上手さだけに腐心して、イマイチ共感出来なかったりすることが、そう、特にここ数年多かった気がするんだなあ。
いわばつながっていく人間関係が上手すぎて、もうそこだけで感心しちゃって終わっちゃう、みたいな。それに私、頭悪いからあんまり何人も人が出てくるとコンランするし(爆)。
だから本作に関しても、じゅ、十二人ですかあ……と思わずアキラメムードの嘆息をこぼしたものの(実際それだけの理由でスルーした映画も少なくない(爆))今泉監督作品とくりゃー、やっぱり観たい!観たいじゃないのお。
実に12?13?もっとあったかなあ、それぐらい細かくチャプターを割って語っていく物語は、確かに人が見事につながっていて、他の人間関係からつながってくる一人、のリンクに、おお、つながった、つながった、とワクワクしながら観ていた。
そんな風に思うのは、私としてはなかなか珍しいことだった。こういうつながり群像劇では大抵、頭の中で一生懸命相関図を作って、ややこしやー、と心中涙目になりながら観るのが常なのに。
細かいチャプターごとに、つながっていく人間が一人、うん、大抵一人だった気がする。だから、すんなりと私みたいなバカな頭の中でもつながっていったんじゃないかなあ。なんか優しさを感じる(涙)。
特に若い人のお顔は判別に自信がないし(爆爆)。いや失礼!みんないい意味での普通さで、そして人間がちゃんと分かれてて、それはきっとキャラの書き分けもしっかりしているからだろう、そんな心配もなかった。
12人はそれぞれに、メインの物語を抱えている、全てが主人公と言ってもいいぐらいなんだけど、やはり核となるのは宣材写真でも一人任されている、若き映画監督、二股かけてる、それも二股のそれぞれの女の子もそれを承知しているという、柏木君だと思われる。
しかも彼に思いを寄せている女の子はもう一人いて、その子は、カノジョさんがいるからと諦め、別の男の子と付き合っているんである。
で、その男の子は柏木君の後輩で……といった感じにつながっていくんだけれど、それを言い始めちゃうと終わらなくなるからまずいったん、柏木君から。
いつも頭に寝癖をこしらえている、というのが、適度にワザとらしくて、イイ。それは演出的にはワザとらしく、彼や、彼を好きになる女の子たちにとっては、当然それが、自然な形なんである。
いつも寝癖をこしらえている男の子、母性本能を刺激する男の子。しかし彼自身はそれとは相反して、女の子たちに結構クールに接するんである。
俺、今脚本書いてるんだよ、判んない?みたいなね。だったら一人でネカフェで書いてりゃいいのにとか思う訳(爆)。
でもそうしない。女の子なんて興味無さそうなクールさで、二人抱え込んで、行ったり来たり。
この柏木君に、これまたクールに接する、彼行きつけの喫茶店の店員の女の子、棚子は言うのね。人を好きになるってどういうことですか?と。
……という問いかけは前半のシークエンスでもあったかなあ、一番最初あたりの人間関係が、この喫茶店で繰り広げられるから。でも印象的に響くのはやはり、ラストシークエンスになってから。
これを聞いたのは、棚子ちゃんを好きになった、柏木君を好きな女の子の彼氏(うーむ、ヤハリつながりをすっ飛ばして書くと、人間関係の説明がややこしくなる)だったかな。
柏木君に対しては、「本当に人を好きになったことがあるんですか」とそう、聞いたんだった、そうだ。どこかアタリ強くそう聞かれて「そりゃあ……」と口ごもる柏木君に棚子ちゃんは言い放つのだ。「私と同じですね」と。
本作は宣伝の惹句でハッキリと示されているとおり、「人を好きになるってどういうこと?」であり、12人の男女による様々な恋愛模様によってそれが掘り下げられる、という趣向なんだけど、”さまざまな恋愛模様”でもない、というか、方向性はハッキリしてるんだよね。つまり誰もが、結構なんとなく、人を好きになる、という感情を構築しているということ。
遠い過去を思い起こせば……いやこの場合は彼らにとっても遠い過去を思い起こせばということ(トシヨリの不毛な反発(爆))、初恋と呼ばれる頃、まだ第二次性徴期も訪れていなかった頃の恋はさ、本当に口から心臓が飛び出るような恋、だったじゃない。
告白するどころか、目を合わせることすらトンでもないようなあの恋心は、大人のドロドロの恋愛劇なんつーのを見せられても、あの時の恋心の方がずっと沸騰していたのになと、思ったりしていた。
まあつまり、私のような未熟者にとっては、大人のドロドロ恋愛劇よりも、あの初恋の熱さの方がリアルだった訳よ(爆)。
でもそれこそリアルな大人になると、ドロドロ恋愛劇なんつーもんは割と一般的には縁がなく、彼らの様に、好きだと言われて付き合ったら好きになるかもしれない、ぐらいなスタンスで、人を好きになるという気持ちを測れないでいるように思う。
あ、でもそれに自覚的なのは、この柏木君と棚子ちゃんぐらいなのかな。他のキャラたちは割とちゃんと人を好きになってるのかな(爆)。
でも、自分を好きになってくれた人と付き合ったら好きになれるかもと思う、柏木君に恋する園子ちゃんや、そんな園子ちゃんの気持ちを判ってて付き合ってる早稲田君あたりになってくると、絶妙にそんな気持ちが希薄になってくる。
早稲田君は園子ちゃんにプレゼントするための洋服を買った古着屋の店員、かけもちバイトしていた棚子ちゃんに一目ぼれする。
このシークエンスがまた実に絶妙で。着るとこんな感じなんですよ、と断りもせずに彼が買おうとしているワンピースを着出しちゃう、そんなヴィヴィッドな棚子ちゃんには、彼ならずとも、同性の私だってなんかドキュンとしちゃう!
実際、彼女、可愛いし……。この棚子ちゃんが、まず本作をけん引する形なんだよね。あのファーストシークエンスは恐らく、いや絶対、妄想だよなあ……。
彼女がバイトしてる喫茶店のマスターに告白するというくだり、そのことでニヤニヤして奥さんと夫婦喧嘩、しかし後のいくつか後のチャプターで、奥さんはこの喧嘩の時に仮の話で言った”若い男の子”との関係を持っているという発展形。
いやでも、この奥さんの話もネイルサロンのスタッフ間の噂話に過ぎないし、結局この夫婦ともども妄想に過ぎなかったのかも??
そうか、そう考えると実に秀逸なオープニング!もうだって、この時にしっかりツカミはOKて感じだったもん。今泉監督のユーモラス&ヴィヴィッド会話劇炸裂!!だったもの。
でもね、結構終盤までは、その会話劇もかなり静かに聞かせる感じだったから、意外だったんだよね。この最初でツカんでおいて、中盤展開されるいくつもの恋愛模様は、かなりシリアスに聞かせるものがほとんどだった。
かなりの長回しも多々あり、私、ホンット、長回し苦手なんだけど、息をのんで見入ってしまうシークエンスが多々あった。
シリアスパートは、二股彼女を抱える柏木君もそうだし、自分よりも柏木先輩を好きだってことを判っていて、ずっと園子ちゃんと付き合っていた早稲田君もそうだった。
特にスリリングだったのは、結婚を間近に控えたDV婚約者にいつもビクビクしながら今日の予定を告げる夏であり、彼女が見事に物語を収斂していくんである!
……とここで先走っちゃうと、アレだけど、でもどう上手くつなげて書いていけばいいのかなあ、難しい(爆)。
ああでも、この夏=いちごちゃんのシークエンスはまさしく、恋とは何ぞや、人を好きになるとは何ぞや、ということを端的に示していたと思った。
そうだ、考えてみれば本作のオープニングは、このいちごちゃんに10年もの長き間、一途に恋していた朝日君が、東京の狭い公園を、ぐるぐるぐるぐる、競歩トレーニングしている場面なのだから、彼と彼女の関係が、この物語の、人間関係の、人を好きになるということを、まさに象徴していたのだ、きっと。
”東京の狭い公園”ということを、彼の出自も何も示されていない冒頭から、もうちゃんと、感じさせていたんだよなあ。カメラを据えて、そこから見切れては戻り、見切れては戻ってくる、ぐるぐる競歩は、いかにも”東京の狭い公園”であった。
背後には定期的に列車が行き交い……高架じゃないってあたりは下町の風情なのだろうとは思うけれども、その”東京の下町感”でさえも、結局は都会の風情なのだ。
この朝日君は、地元のアイドルに恋して10年、そのアイドル、いちごちゃんが、”海岸で大人になった”ことを告白してアイドルを卒業しても、ずっとずっと好きでい続けた。
毎年、その”大人になった”日に、その海岸に花束をささげる。その話を柏木から聞いた第二の彼女、緑ちゃんは「まるで死んじゃったみたいだね」と笑う。
実際、彼の中で、アイドルとしてのいちごちゃんはその日、死んでしまったのだ。柏木の第一の彼女、夕子に語る場面で「死んじゃったんですけどね」と言い放つ朝日君に思わず爆笑!
不思議なつながりで、このいちごちゃんは夕子さんのネイルサロンの先輩、夏であり、「それ、アタシだ。ある意味海岸でおぼれて死んじゃったわね」と納得するんだからこれまた爆笑!!
前半部分の人間同士の恋模様は先述したとおり、間もたっぷりととった、かなりシリアスな恋愛模様という感じで、それも凄く見せて聞かせてとっても魅力的だったんだけど、冒頭でしっかりと登場していた朝日君が改めて登場しなおすあたりから、私が期待してた今泉監督の会話劇の面白さが炸裂しだしてくるんで、大喜び。朝日君が、期待通りすぎる!!!
実際、朝日君のいちごちゃんに対する思いは、恋といえるものなのだろうか??いや、それこそ先述したような初恋時代を思い起こせば、まさにそのアツい思いこそが恋心だと自信をもって言えそうなもんなんだけど、その対象がアイドルであるだけで、それが揺らいでしまうのは、それこそヘンケンなんだろうか??
実際、人を好きになることってどういうことなのかと悩める若き、大人に入門したての彼らは、”真実の愛が見られる”という朝日君の年一回の花束セレモニーを見に三々五々、集まったんである。
そこで、これまでつながり続けた人間関係がちょっとした一堂に会する形となり、真実の愛の結末を見守るとなあんと!
と、もったいぶる訳じゃないけど(爆)、そのいちごちゃん=夏自身、DV婚約者の愛を、その暴力を愛なのだと言い聞かせている訳で、真実の愛を知りたいと、いわばこのキモ男のセレモニーに引導を渡そうとやってきた訳で。
そして三々五々集まった男女たちも、どこか惰性で付き合ったり、人を好きになるという感情を自分に納得させたりしていたんであり。
海岸へのドライブの最中、棚子ちゃんは早稲田君から告白されて、古着屋でのほんの短い時間で好きになったと言われて、しかもその時買ったのが彼女へのプレゼントだったこともあって、憤る。
どこが好きなのか、どうして好きになるのか、好きって、どういうことなのか。
早稲田君は、"ほかに気になる人がいたら、恋人とそのまま付き合ってはいけない"というケッペキで園子ちゃんをフり、柏木君からマジメすぎると言われ、じゃあお前はなんなんだよ!とケンカになる。
確かに、こういうアヤフヤや、惰性や、計算が働くのが大人になってからの恋であり、いや、恋ですらない、恋愛、と口当たりよくステップアップすると、こんな具合になっちまう訳。
でね、まあちょいと脱線したけどいちごちゃんだって、自分に対する真実の愛が見たくて、他の連中も見たくて、ここにやってきた。
なのに競歩ヤローの朝日君は、前夜、柏木君が第二の彼女のトコにいたもんだから第一の彼女の夕子さんと二人きりで過ごして、なんか意気投合しちゃって、でもその会話も酒の席らしいシュールさで何とも可笑しくて大好きなんだけど!!
とにかくね、好きになっちゃう訳。10年の一途ないちごちゃんへの恋心を一気に凌駕しちゃう訳!
まさかここに当のいちごちゃんがいると思ってる訳ないから、海に向かって大声で叫ぶ訳。友達の彼女を好きになっちゃった。ゴメン、いちごちゃん。正直、もういちごちゃんなんかどうでもいい!!(爆笑!)
嫉妬深い彼氏の目を盗んで、超おめかししてきたいちごちゃん=夏が激怒、車の中ですっかり居眠りしている柏木君越しの、サイレントな構図が好きだなー。
全然方向違うけど、「NINIFUNI」の、死んでる将君越しのももクロを思い出したりして。いやいや、将君が死んでるんじゃなくて、彼が演じてた男の子が(爆)。いや、言わなくても判るって(爆爆)。
まさしく、人を好きになるってどういうこと??なんだよなあ。朝日君は、それを本当に素直に自分自身に取り入れてた。
10年好きだったいちごちゃんへの思いを、たった一晩の夕子さんへの思いが乗り越えた。
いや、彼にとっては競歩で数十時間かけてたどり着いた、その時間をかけて自分自身で思いを確定したのかもしれない。
競歩ってちょっと笑っちゃったけど(失礼!)、そう考えれば、かなり意味があったのかもしれないよなあ。
ホント、恋は難しいよ。いや、もうこの年になると(爆)、恋というのも難しくなる……。結婚という条件が出てくる年頃になると、恋だの好きだのという言葉さえ、こぼれ落ちてくる。いや、私は単に人からの又聞きだが(爆爆)。
でもそれは、まさにこの年頃を経てのことであり、彼らの感情が何か懐かしく、いとおしく。
それで言えばさ、めっちゃメイン、クールな柏木君が二番目の彼女、緑ちゃんをフるつもりが、彼女の思いにほだされて結局別れられないシーンとか、少年、いや、子どもみたいで、なんともはやなのよね!
だってこのシーン、緑ちゃんを好きな小デブな同級生の男の子が事態を進展させるために呼ばれてて、そんな重要な役割で呼ばれてるのに、二人が世界に入っちゃうとうっすらうすらと消えてっちゃうんだもん!!彼自身がえーっ!!!って顔して!!もう爆笑!
なんとゆー、ああなんと、恋は切なく可笑しきよ、人間世界の永遠のテーマだね!!
早稲田君が棚子ちゃんにフラれてボーゼンと首を突き出してる感じも好きだったなあ。てか、早稲田君はいつも首突き出してる感じが可愛かった。てか、みんな可愛かったんだわぁ。オバチャン発言やね(笑)。★★★★★
その後も何度か映画化、ドラマ化されてはいるものの、この私が耳にしたことがあるぐらいの、有名な溝口版があるのをスルーしてこっちを観ちゃったのはやばかったかなあ、早まったかなあ。この「残菊物語」で印象を植え付けられちゃうのは……。
いや別に、それじゃこの島耕二監督版の本作をクサしているみたいだけど、そーゆー訳ではないのよ(爆)。メロドラマとして凄く良く出来ているあたりは、やはり大映だからかしらんとか思ったり。
本作の企画特集が日本の初期カラー作品、カラー技術にも当時はいろいろな手法があって、作品によって色味を落としたり……てのが評価されたのが本作だということらしく、そうした技術を観るための特集な訳であって、「残菊物語」といえば溝口版、というのを置いての本作を観る機会ということの方が、なかなかないものだったのかもしれないし。
そう、メロドラマが良く出来ているのは、やはり大映だからなのかしらん。伝統かしらん。メロドラマはやはりカラーで観たい。それも暗めのカラーは、メロドラマの湿度に良く似合う。
本作で最も印象的なシークエンスは、落ちに落ちた菊之助とお徳が、いかにも寒々しい雪国を旅一座でドサ回りする場面であり、それまではハデな色味だった衣装も着古し色褪せ、雪国の色味の乏しい白い世界の中で、本当にそれが切なく響くのだもの。
……と!またしても先走ってしまった!てか!そう!菊之助!尾上菊之助、ですよ!!
あー、私はもう、今更ながらだが、自分の無知が恥ずかしい。尾上菊之助、そして会話の中でで来るテラジマという苗字、てことはてことは、これってマジにホントの話っすか!ときっと歌舞伎ファンなら、いやファンならずとも誰もが知っているかもしれないことを、初めて知るんである。マジっすかー!!
歌舞伎界に養子として入って、だからなのかイマイチ才能に恵まれなくて、でもボンボン気質がなかなか改まらなくて、恋女房をうっかりこんな境遇に貶める、なんていう話、ぜえったい、当時の流行小説の類に過ぎないと思ってたんだもん!!
いやそんなことを言ったら名匠、溝口監督に失礼だが……って、島監督には失礼じゃないのかい!(ノリツッコミ)。
とにかくとにかく、この原作が“実録小説”だということに、無知な私は新鮮な驚きに包まれるんである。だってつまり、この尾上、そして寺島一家は、今の名優一族につながってくる訳でしょう??スゲーッ!!
……うーむ、無知なミーハーでひとしきり盛り上がってしまった。だからそーゆーことではなくて、本作本作。
本作はなんたって大スター、長谷川一夫&淡島千景のコンビ。長谷川一夫はえーとえーと、これで観るのは何回目だったかしらん。
えーとえーと……本作の彼、なんとゆーか、ちょっとかなり(どっちだよ)微妙で、どうしようかしらんと思ったもんだから(爆)。
恰幅がいいのはまあ、歌舞伎役者としてのスタイルとしては、まあありかなとも思う。和服は恰幅がいい方が似合うもんね。いやでも女形だからそこはどうだろう……。
いやね、なんかね、ちょっとね、いやちょっとどころじゃなくて、長谷川一夫が、いやここは長谷川一夫が演じる尾上菊之助というべきだろうか、うーむ……とにかくとにかく、なんかクネクネしてるの、ハッキリ言っちゃうとオネエなの、なんか(爆)。
いや、そんな筈はない。だって菊之助は乳母として雇われたお徳と身分違いの恋に飛び込み、仲を引き裂かれても根性(というか執念)で探し出し、結構エロエロな場面もいくつもあり、そう、男!!な筈なのだから。
しかし、しかあし、「ばか、お徳のばか!」と恋する相手に恨み言を言う、その言い方は、オネエにしか見えない……。ばか、お徳のばか、って、おい……。
そんな感じでところどころで、客席から失笑に似た笑いが起こり、無知な私としては笑っていいものやらどうなのやらと悩んでしまったり。
だって知らないながらも、どうやら歌舞伎の実際の役者たちが特別出演している様子は、彼らのオーラで判っちゃうし、その中で長谷川一夫がオネエなのか大根役者なのか区別のつかないようなクネクネキャラなのが、いやこれは、笑うところではないのだ、きっと……とこらえたりして、もうどうしていいのか判らない(爆)。
おっかしいなあ、だって長谷川一夫といったら、それこそ無知な私だって知ってる大スターさ。美しい男の代名詞である筈だよね。なんだけど……。
微妙な恰幅の良さは、いや、デブという訳じゃないんだけど(爆)、なんか女形にはちょっとこれまた微妙で、お坊ちゃまキャラのわがまま奔放な口ぶりが、オネエに見えてしまうこの辛さ(爆)。ああ、大スター、長谷川一夫なのに、どうしたらいいのー。
しかし救いは(爆。長谷川一夫に失礼極まりない……)、相手の淡島千景の美しさ。彼女が美しいのは知っていたが、案外観る機会がなくって、本当に、見惚れてしまった。
「春との旅」で、仲代達矢がお姉ちゃん役の淡島千景に対峙する場面で、厳しいことを言われても凄く嬉しそうにニコニコしてるとこがあったじゃない。そう、そんなことをふと思い出したのだ。
彼にとって淡島千景は、まさに憧れの、銀幕のスター、美しい、憧れの女優だったんだろうなあ、って思った。
本当に、美しかった。なんつーか、彼女でなんとか泣きを引っ張っていけた感じがした(爆爆)。
周りがチヤホヤする菊之助に、彼女だけが意見をし、薄々そのことに気づいていた彼はそれだけでスッカリ彼女にのぼせあがる。……という表現をついついしてしまった。周囲から見れば、そう見えてしまうだろう。
菊之助にとって、ただ一人、自分のために本当のことを言ってくれる人=ただ一人、自分を理解してくれる人=ただ一人の運命の人、という図式が稲妻のように進んでいくのが、周囲から見れば、甘いことを言って女に丸め込まれていると見えるのだろう。
だって父親でさえ、彼に言えないんだもの。義父だからなのだろーか。わざわざ冒頭にそれを示す場面が置かれているから、菊之助の立場を示す重要なポイントなのだろう。
菊之助の方はボンボンだからまあ、お徳にのぼせあがっちゃうこの図式は当たってるけど、お徳は本当に、ただ正直で誠実な女であるだけであった。
ただマズいことに、彼女が寡婦で、ここに奉公してきているというのも、彼女がよろしくないことを考えていると勘ぐられるネタになったのだろうと思われた。
菊之助の父によって彼女は暇を出され、恋の火が付きかけていた菊之助は激怒。まさにこれで着火された具合になって、探し当てた彼女と燃え上がり、引き裂かれるならこっちから家を出るまでだと、衝動的に大阪に下るんである。
この、二人の恋情が燃え上がる前半の盛り上がりの中で、先述の「ばか、お徳のばか!」があり、「こっちにおいでよ、おいでったら」があり。
オネエにかき口説かれる絶世の美女、淡島千景なのであった。恋する女、しかも妙齢の女の、渾身の芝居を見せる淡島千景、ああ、この乖離具合、どっちに感情移入していいのやらー、と心かき乱されるんである(爆)。
ほおんとに、淡島千景の美しさ、恋する女の切なさやるせなさときたらなくってね。
菊之助に居場所を探し当てられた時の、鶏のエサをどさっと落として呆然とする表情、彼を目の前にしてそばに行けない逡巡、うながされて座敷に上がり、抱きすくめられる、接吻(やはりここは、キスではなく!)シーンは時代の色っぽさで上手くカメラが逃げ、意味ありげな白い足袋が映し出される色っぽさ!
そして後ろ手で障子を閉められ、その中で何が行われているのかはご想像に……って、決まってるだろー!!こーゆーのは、やっぱりこーゆーのは、時代よねっ、この時代にしか醸し出せない色っぽさ、てかハッキリエロがあるのよねっ。
うーむ、大喜びしすぎ(爆)。でもね、こういう隠されたエロは、やはりやはり、現代ではなかなかね、上手くいかないんだもの。
一度二人は離れ、菊之助は意地を張り通して大阪のおじさん、尾上多見蔵を頼って東京を出立。
その時にはお徳は同行しないのさ。来てほしいと彼は言ったけど、そらー彼女は大人だから、立場を判っていたのさ。
でも大阪に行っても菊之助は相変わらずうだつ上がらず、相変わらず大根役者の呼び声高し(爆)。
それを如実に表すシークエンスは、菊之助を贔屓にする下宿先のおかみさんがあんまさんなんだけど、彼女が菊之助をクサす客に途端に冷淡な態度になり、フン!とばかりに踵を返すところ。あーもう、こういう場面の可笑しさを上手く説明できないのが悔しい!
そう、だってさ、大阪に舞台が移るから、東京の、しかも歌舞伎の名門という、スノッブな雰囲気と一転するのだもの。
そうだそうだ、こういうあたりは本当に明確で、鮮やか。だって二人はそれに苦しめられてきたんだもの。
まあ大阪でだって菊之助は相変わらず大根と言われていたし、しかも下の下のコネで舞台に出させてもらっている彼は、東京のような名前だけで獲得できる人気も持てず、細面の若手役者がキャーキャー言われているのを、かつての自分そのままの様子を、眺めていることしかできない。
しっかし女子の黄色い声っつーのは、いつの時代もおんなじなのね。ほんっとに、これだけは驚異的に変わらない。時代ならではの声やアクセントが替わっても、スターにキャーキャーいう女の子の声は変わらない、この驚き!
ホンットに、現代の、ジャニーズだのにキャーキャー言う女の子の声と寸分たがわないんだもの!驚くよ!!
ま、それはどうでもいいのだが……。大阪に行く誘いを袖にしたお徳が、一年後姿を現したのは、解説にあるように「相変わらず大根役者」だから心配になったのだろうか……うーん、それはそれでなんか切ないな……。
しかしまあ、下宿先のおかみさん、そしてその娘が二人の仲を、それこそキャーキャー盛り上がって応援してくれるから、なんとも心強いんである。
ホンットに、ここは、本作の中でも数少なくほっこりと笑顔になれるシークエンス。おかみさん役の浪花千栄子がサイコー!二人のラブラブをこっそり覗き見ていながら、あーらあらあらと娘には目隠しさせるあたり(笑)。
娘ちゃんもまた純真ではつらつとしてて、二人のラブラブに少女らしくキャーキャーな感じで、本当に可愛らしいんだよね!
最後には菊之助を東京に送り出したお徳さんを再び迎え入れ、病身の彼女の最期を看取ってくれるこの親子が本当に、泣けるんだ……。
そう、最後には結構、うっかり(そこまで貶めなくても(爆))泣けるのだ。女の気持ちは、女たち、この母親と娘だから、判るんだ……。
だってね、隠されたエロはここが一番エロエロだったと思うわ。お前がいなくなってからこんなものにも手を出すようになったよと、菊之助がラベルがはがれかけたいかにも安酒といった風情の一升瓶を示す。
お前が来たから、もうこんなものは飲まない!と捨てようとする菊之助に、そんなもったいないこと!とお徳さんが止めて、ならばこれで結婚の固めの盃をかわそうかということになる。
湯呑もない。ならばと、菊之助がラッパ飲みで一口含んで、濡れた唇をお徳さんに向かってウーと突き出す。おいおいおいおいおいおい(爆)。観てるこっちがブリザード(爆爆)。
しかしお徳さんがちゃんと?恋する乙女の顔で彼のウーを受け止めてくれたからキャーである。まあ宝塚的上手く隠した角度だけどね。これをエロエロでやったら、それこそ「モテキ」だわなあ!
大阪のおじさんが死んじゃって後ろ盾がなくなった菊之助が、カットが替わるとあっさりとドサ回りに転落している、潔いにもほどがある転換にもビックリしたが、単純バカだけど意欲だけはあった菊之助がこれまたあっさり「(母親の形見の)珊瑚の簪を売ったんだろ、金をくれよ。遊びに行くから」と簡単に転落しているのにもかなーり口アングリ。
しかしそっから改心するのも早すぎるけど(爆)。このあたりは尺の問題もあろうが、せっかく?観客が菊之助をいったん嫌いになってからの気持ちの揺り返しの面白さを、そこまで固まる前に菊之助、速攻で反省して謝っちゃう。いやま、別にいいけど(爆)。どーも、菊之助に対する観客側としての気持ちが難しいんだよなあ……。
このドサ回りのあたりではもう、お徳はヤバい咳を繰り返していて、こりゃあ、ラストが見えちまったな……と思ってしまう。
この苦しい生活の中でようやく菊之助の役者としての芽も出始め、旅一座が夜逃げ(つーか、昼逃げ)したのをきっかけに、お徳さんは前々から考えていた、菊之助を東京に戻す計画を実行するんである。
でまあ、そのためには当然、“身分違い”の彼女が身を引くのが条件。菊之助が後に声高に言うのを待たずとも、彼女がこのボンボンをずっと支え続けてきたのは誰もが判ってる。それでも歌舞伎界という“名門”は、少なくともこの当時は、彼女は身分違いの恋だったのだ……。
大阪の舞台で汚名返上すること、そして東京への帰還、お徳さんの気持ちを汲んで泣く泣く引き離された菊之助は、立派になって大阪に凱旋する。
あの下宿のおかみさんがキャーキャー言って群衆の最前線。笑いながら、もう泣ける。
だってお徳さんはやっぱりもう、死の床にある。もう、もはや死にそうである。
正直、いまわの際にも会えないと思った。でもおばちゃんが決死の思いで頼みに行ってくれて、しかしそれを菊之助のお父さんが彼にそっと耳打ちするのが、こともあろうに舞台の上。いくらメロドラマでも、そんなえげつない(爆)。いやこれぞ大映のえげつなさか(爆爆)。
さすがに観客からは失笑……いや……暖かな笑いが沸き起こったよ……。
まあつまり、最後までこんな調子なんだよね。淡島千景は素晴らしくシリアスな芝居を展開して、あのほんわか親子に看取られることもあってなかなかに観客の涙を誘うのだけれど。まあ菊之助もね、白塗りの状態で人力車を飛ばしていまわの際の彼女の元に駈けつけてくれるしさ、まあ泣けるんだけど、舞台の上で耳打ちはないよなあ……。
もう思い残すことはないと、終幕を残した“旦那様”を送り出したお徳は、彼の帰りを待たないでこときれる。
ここで充分泣けるのに、舞台上で客席に背を向け、カメラに向かって「お徳、死ぬなよ、待ってろよ」的な台詞を吐いて、鏡獅子で頭を振りまくってラストとは。
うーんうーん、カメラ目線の台詞は結構興ざめだよう。淡島千景はとても美しく死にゆきしたのに……。
でもあれやね。溝口版があると思うから、なんかこっちはアレとか先入観かもしれないなあ。そういうのって良くないよな……。うん、でもとにかく、勉強になった!★★★☆☆