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「お」


2014年鑑賞作品

小川町セレナーデ
2014年 119分 日本 カラー
監督:原桂之介 脚本:原桂之介
撮影:柴崎幸三 音楽:古川はじめ
出演:須藤理彩 藤本泉 安田顕 小林きな子 高橋洋 阿部進之介 濱田ここね 大浦龍宇一 金山一彦 大杉漣


2014/10/22/水 劇場(角川シネマ新宿)
最近は大泉先生はじめ、ナックスさんたちは出まくりなのですっかりチェックも怠っていたのだが、おーっとビックリ!ヤスケン主演?の映画だよーっ!主演、主演、と言ってもいいんではなかろうか。
いや、正しくはヤハリ須藤理彩主演?確かに中盤までは案外とヤスケンの出番も少なく、ちょっとハラハラするものがあるのだが、ヤスケンの演じるエンジェルというキャラあっての物語だし、中盤からはもう大活躍!口をアングリ開けて、麗しきドラァグクイーン、エンジェル=ヤスケンを眺めるばかりなんであった。

しっかしこれほど女装(と言うべきではないんだろうか。身も心も女、なのだから)が似合わない人もいない、ガッシリ男性顔に男性身体だよなと思っていたが、意外にすんなりと美しいおみ足と(男の人って足細いもんなー)化粧映えする、つまり舞台役者としては最高のパーツの大きさが、まさしくオネエ、いやさ美人なお姉さまに大変身してしまうんであった。
いやあいやあいやあ。まあ、男優にとってオカマ、いやオカマもホントは正しくない、オネエもあまり正しいとは言えない、ニューハーフっつーのもちょっと蔑称な気がしないでもない。何と言ったらいいのか判んなくなるけど(爆)、まあとにかく、この手の役は男優にとって、いつの時代も、どの国においても実にオイシイ役であり、分岐点になる役であり、遠く振り返ればダスティン・ホフマンとか……遠すぎたかしらん(爆)。

でも、そうじゃん。その点、男優は恵まれてるよね。女優にとって逆のパターンはない。マニッシュな女、はただただカッコ良くなってしまう。宝塚みたいに。
数は少ないけどオニイのパターンもある筈なんだけどね。それが出てこなければ、男女同権とは言えんなあ。

とまた、フェミニズム展開で全然違う方向に行ってしまった。いけないいけない。
ところでこれ、川崎発信の映画。タイトルの小川町は、あら懐かし、私が学生時代、よく映画を観に行っていたチネチッタのある住所なんだという。
でも、物語の中で殊更に小川町を押し出す訳でもないし、川崎、という地名すら一言も出てこなかった……よね?
中規模のイチ地方都市、という風情は、父の転勤で渡り歩いてきた私のよーな人間にとっては非常になじみ深い感じで、この土地、小川町、セレナーデというほどの押し出しを感じないのが、あれれ、と思った。

オフィシャルサイトを見ても、この映画のそもそもの成り立ちが全然判んないんだよね……。
地域発信映画ならさ、大抵はもう地域全体リキ入って、押せ押せムードでやるもんなんだけど、ちょっとお隣が東京、てな土地柄だと、まあ、撮影の協力はしましょ、てな程度なのかなあ……。ちょっと、それが残念だったかもしんない。

ヒロイン(そうか、この子が主演とも言えるのかも)の小夜子は、小さなスナックを経営する母親の女手一つで育てられたんだけど、水商売の娘、というのがイヤでイヤで、東京へと飛び出す。
川崎なら、東京に行くなんてことは造作もないっつーか、こっから通えるだろ、という距離で、後に身も心もボロボロになった小夜子が「あの子、戻ってくるのよ。東京であまりいい思い出がないみたい」というほどの重要度が、ないよなあ……と思い……。

だからかなあ、明確に台詞に出して、川崎とか、小川町とか、言わなかったの。小夜子のスタンスって、完全に、イチ地方から東京に飛び出していく感じなんだもの。
川崎発信の割に監督さんは東京出身のお方だし、そのあたりの機微はピンとこないのかもしれん……などと、ついついイナカモンのひがみで思ったりして。
いやいや、本作は、青田買いしたがりの私にとってよだれを垂らして待っている、デビュー作品というヤツであり、そんなつまんないケチをつけても始まらんのだが。

まあ、ぐだぐだ言うのもこのあたりにして、最初から行こうか。物語は最初、モノクロ。かなり長い尺でモノクロなんで、まさか全編モノクロではあるまいな……とちょっと不安になるが、その長い伏線はヤハリ、主演二人の過去、物事の始まりとなるタネの部分なのであった。
既にドラァグクイーンとして舞台に立っているエンジェル、そのサポートスタッフである真奈美の若き頃の姿、その楽屋裏。
思えばこの二人、劇中でかなり長い年月を演じてるのよね。最後の最後、孫が出来る場面はとおーく引いて違和感を上手く回避しているけれど、一人の女の子がお酒が飲めるまでの年齢になるまでの年月なんだから、結構なモンである。

それを特に、若作りすることも、老けメイクすることもなく、芝居そのものでナチュラルに乗り切るのが、さすがのお二人である。まあヤスケンの方は常に濃い女メイクに隠されているから、年の役作りも何もない感じがするけど(爆)。
でもアレかな、現代の東京でオカマ(語弊があるかもしれないけど、劇中そう言われているから、許してね)として生きる彼女にとって、幼い子供やその母親を呪ったり、疲れ切って一人の部屋に帰ったりする描写は、そこんところを示していたのかもしれない。

というところまで飛んじゃいけない(爆)。だから、そもそもの始まりよ。タイに行って手術して、心身ともに女になる、というエンジェルを励まし、私はエンジェルが好きだよと真奈美が言い、エンジェルも、あんたが男だったらな、と言い、なんかイイ感じになって、つまりその先に、子供が出来た訳。
……こういう話は過去になくはないが、心が女、のエンジェルのような人が、女とセックスして子供が出来るようなことが、物理的に可能なのだろーか、とついつい思ってしまう。

それを言ってしまえば大好きな名作「メゾン・ド・ヒミコ」は成り立たないが、やっぱりやっぱり当事者側に言わせれば、そりゃないよと言うんじゃないかしらんとか思っちゃって……。
「ハッシュ!」「ぼくらの季節」の、ゲイカップルが子供を作るために苦労する描写を思い出し、こんな、雰囲気に流されて子供が出来ちゃうなんていう、フツーの男女みたいな流れに思わず首をかしげてしまう……どうしても……。

まあ、そこにとどまっていたら、話が展開しないから。自分の子供が出来た、自分が父親、ということにショックを受けて、エンジェルはその後、真奈美との連絡を絶った。
真奈美は川崎で小さなスナックを開き、産まれた女の子の名前を店の名とした。エンジェルは頑なに娘に会おうとせず、日々が流れる……。
テレビがブラウン管だったりするのをはじめとして、小夜子の子供時代はキチンと古い時代を描いていくのが、昭和の人間としては……いやいや、小夜子の今の時間軸が現代なら、既に平成ではないの!ブラウン管はいいとしても、あのダイヤル式のチャンネルのテレビは、ちょっと古すぎないか??

そーゆー、重箱つつきはヤメにして。でね、小夜子はスナックの子供だとからかわれ続けてイヤになって、ついに家を飛び出す。母親は笑顔で送り出す。
でも東京で次々に男に引っかかっては捨てられて、戻ってくる。とゆー描写は軽いタッチの駆け足つなぎで描かれ、彼女にとっては東京は忌まわしき場所なのだろーが、後にまでつながる小夜子の男運のなさ……それはエンジェルの血筋につながり、クスリとさせられるんである。

で、実家に戻ってみるも、時代錯誤なスナックは金のないご老人の憩いの場でしかなくて、借金まみれの火の車。
ついに手放さなければならない、というところで、店が身売りされる、大人気だという隣町のオカマバーを敵状視察することになる。

真奈美は乗り気じゃなかったんだけど、従業員であるふとっちょシングルマザーの亮子さんと小夜子がやたら奮起、しかし行ってみたらスッカリオカマバーの魅力に取りつかれ、私たちもやろうじゃないか!!と大盛り上がり。
ニセモノだっていいじゃない。ウケてるのはオカマキャラなんだから、という小夜子を、当然真奈美は厳しく叱りつけるんだけど、小夜子は「お母さんの仲良しのオカマを呼んでやる!!」
残された写真で、エンジェルさんの存在だけは知ってたのね。まさかそれが自分の父親だとは知らずに……。

というあたりまで、かなりの長さがあるでしょ?そう、そこまでヤスケン、ホント、出てこないのよー。いや、節目節目に、例えば小夜子が東京に出てきた時なんかに真奈美から留守電にメッセージが吹き込まれていたりするんだけど、ことごとく無視するの。
女になりたかったのに、女ではなく男として父親になってしまったことへの嫌悪だったのか……。そんな繊細な描写にまでは見えなかったけど(爆)。

しかしなんといっても、しっかと再登場してからのヤスケン、いやさエンジェルの魅力は大爆発!なのよ!!
正直、この中盤に至るまでは、ヤスケンに女装は似合わない、まさにイロモンにしかならないと思ったし、話題づくりな感アリアリだと思っていたの。
でも、半ばニセとはいえ、オカマバーのショータイムを作り出す、そのザッツエンタテインメント!には本当にワクワクしちゃったんだよなあ!!

途中まではね、エンジェルさんは、このオカマとしてもダンサーとしてもド素人の女二人に、シンプルなスパルタ教育なの。
でも言ってしまえばエンジェル風のダンスを叩きこもうとするのを、オカマバーへのリニューアル自体に反対していた真奈美が、「……それぞれの個性を活かした方がいいんじゃないの」とつい口をはさんだことから大展開!てか、エンジェルさんは絶対、それを見越していたに違いない!!

「だったらアンタも手伝いなさいよ」そもそもエンジェルさんの舞台スタッフとして裏方を務めてきた、いわばプロだもの。
ブアイソ気味な真奈美には、メタリックでスリムな衣装でクールな近未来風(パラパラっぽい?)ダンスを、ふとっちょで愛嬌のある亮子さんにはモンローみたいな衣装に網タイツはかせて、躍動感あふれるダンスで可愛いセクシー!!
どちらもピタリだけど、亮子さん=小林きな子のチャーミングにはヤラれた!!

もともと亮子さんとしてのキャラもとても人懐っこくて、人好きがしてて、出戻り?の真奈美ともあっという間に仲良くなって、友達になりたいタイプナンバーワン!!て感じだったけど、シングルマザーで、どっか女としてのキャラをあきらめている感じがしたのが、この肉感的、いやもっと可愛い系、マシュマロ女子というのはこういうことか!いやそれにセクシープラス!!
とにかくとにかく、ダンスシーンも含めて、亮子さん、いやさミシェルにはヤラれまくるのよ!!

彼女はお客さんの真下さんと恋に落ちるのだけれど、本当にその成就を祈るように応援しちゃう。
そもそも真下さんはミシェルになる前の、フラフラと自転車に乗って、通りを歩いていた真下さんにのしかかるように転んじゃう亮子さんにもう、ココロ奪われていたんであって、決してニセオカマ、ミシェルに恋していた訳ではないのだっ。
それでも「僕はオネエに恋してしまったのかも……」と彼は苦悩し、それが解けた時二人はめでたく結ばれる訳だが、でもちょっと難しい描写だよね……。

だって、オネエであろうがなかろうが、対人間として好きになったり、結ばれたりしてほしいもの。まあそれはあまりの理想に過ぎるのだろうけれど、でもエンジェルさん、あるいは視察に行ったオカマバー、シャープのモノホンのメンメンにとっては切実なる真実であり、だからこそ、このニセオカマバーに物申しに来るわけだしさ……。
そこんところは、同じくお客に恋しちゃった小夜子=パリス(このネーミングはピタリ!)が、「ニセモノ(つまり男)じゃなきゃダメなんだ」と言われてしまうことで一つの解決を見ているのかもしれないが、でもこの妙に色男の客も、それをニセモノ、と言うんだもの。なんか切ないよね……。

ニセモノとか、ホンモノとか、真実の愛なのか、ただタネだけで生まれる子供だとか、そんなまぜこぜをテーマとして差し出している、とも思うが、こうした台詞の端々に感じるものは、そこまできちんと理解し、昇華して差し出しているのかどうか、という危惧を感じる部分も正直あって……。
でも小夜子や亮子さんがシャープのホンモノのショービズプロの彼女たちに、本当に憧れて、ああいう風になりたい、と思う気持ちは、判るのよ、女として。それこそ単純かつ複雑な思い。

やはりどこかで、男だからこそ究極のプロフェッショナルを張れるという気持ち、でも心は女という、同志としての誇らしい気持ち、それがあいまっての、ああいう風になりたいという気持ち、リスペクトの気持ち、友達になりたい気持ち!!
ああ、こればっかりは、男の人には判らないよ、説明なんて上手く出来っこない!それこそ女の複雑なアイデンティティなんだもの……。

結局、オカマバーとしての営業はほんのわずかな間で、そのわずかな間で見事借金を返し、元の、味わいのある、スナック小夜子に戻るんである。
コワモテで取り立てに来ながら、あのさびれたスナックが良かった、などと言いやがる金山一彦がしかし、イイ味だして、そして本作の、そもそもの成り立ちの、地域発信のあたたかな地元愛を思い出させてくれるんである。

まあ、高齢化社会ということもあるかもしれんが(爆)、そこそこのお金で気持ちよく過ごせる場所、スナック小夜子。実際、公的にもそーゆー手当てが必要な時代になるかもという、示唆かも知れない??
ほんのちょっとだけハデな水商売、という感じ、「ウォーターズ」を思い出した。まあ大してヒットもしなかった映画だけど(爆)、今をときめく役者たちが、青臭さをふりまいていた可愛らしい映画。

水商売って、恋に限りなく近いときめきを与えてくれる場所で、それがこんな風に一時の、恋の純粋を奇跡的に盛り上がらせてくれるのなら、アリなのかな、って。
“ほんのちょっとだけ”の時間、というところに、巧妙に、許されてね、という気がしてちょいとハラたつけど(爆)、でもミシェルと真下さんの恋にはやっぱりドキドキしたもんなあ!

須藤理彩は、イイよね。何気に朝ドラ女優ですから!!いまだに、彼女を朝ドラで初めて見た時の、ドアップで初登場した時に、その凛々しげな笑顔に恋に落ちた瞬間を思い出すのだ(爆)。
そうよ、彼女は女が恋に落ちる女優。ヤスケン=エンジェルが「あんたが男だったら」というのは、まさにホント、判るのよ!!★★★☆☆


男はつらいよ 葛飾立志篇
1975年 97分 日本 カラー
監督:山田洋次 脚本:山田洋次 朝間義隆
撮影:高羽哲夫 音楽:山本直純
出演:渥美清 倍賞千恵子 樫山文枝 桜田淳子 下條正巳 三崎千恵子 前田吟 中村はやと 太宰久雄 佐藤蛾次郎 笠智衆 米倉斉加年 大滝秀治 小林桂樹 後藤泰子 谷よしの 戸川美子 吉田義夫

2014/1/19/日 京橋国立近代美術館フィルムセンター
冒頭に、本編とは何の関係もない夢シーンが挿入されるのはいつ頃からだったのかなあ。前の日に観た時代劇風も良かったけど、本作の西部劇風は出色。ホントに思いっきりベタ(笑)。
メキシカンハットにバンジョー、人型のような大きなサボテン、バタンバタンと開閉するバーのドア。

そして旅に出たまま戻らないお兄ちゃんを思って哀愁の歌を歌うのは、さくら、じゃなくて、なんて呼ばれてたっけ、とにかくさくら!!
寅さんの妹、さくらである間はその美声を聞かせる機会はほとんどないのがもったいない、と山田監督も思ったのかなあ。ほおんとに倍賞千恵子の歌声は可憐で繊細で心に染み入る、いい声だよね!!
ほんと、ほんっとに、この冒頭の歌を聞けるだけでも本作を観たかいがあるってなもん。

いや、まるでそれじゃ本編が面白くなかったかのような言い方(爆)。いえいえいえいえ、勿論、面白かった!
今回の重要なゲストは、なんとマドンナではなくって小林桂樹、であった。髭面のチェーンスモーカーにも程がある(たばこの煙をふかしながらお茶と団子を頬張る!)、泥だらけの、考古学教授。

“エラい”のに、全然そう見えない。寅さんから、身寄りのない(独身だってだけ)、お腹を空かせた可哀想なおじさん、と同情されかかる。
本当に可愛くて、だから彼が失恋するのが、寅さん以上に胸が痛くて、えーっ、どうしてーっ、と叫んでしまうのよーっ。

おっとっと、そんなオチまで言ってどうする。いつものことだが(爆)。
さて元に戻ると、そうそう、マドンナは今回二人いるのよね。それも小林桂樹の方に心が行ってしまった原因かもしれない。でも寅さんが恋するのは一人だけだけど。
まあ、それを言っちゃあ、そういう話はそれこそつい最近見た宮本信子篇でもあったが、今回の宮本信子に相当する(と言っちゃアレだが……アレってなんだ(汗))桜田淳子は、なんたって桜田淳子だから、もうアイドルイケイケだからさ!

桜田淳子っ。彼女が寅さんに出てたなんて知らなかった!山形からの修学旅行生で、寅さんをまぶたの父だと思い込んでいる。
それというのも寅さんが、毎年律儀に手紙とわずかなお金を送り続けてきていたから。
お金を送るなんて、寅がそんなことするかね、人違いだろうと言うおいちゃんに、500円なんですけど……と言うと、じゃあ寅ちゃんかねえ、とおばちゃん。切な可笑しい(涙)。

で、そう桜田淳子。やはりこれはいつの時代もある、その時点の売れっ子を出して客引きをするというハラだろーか。
いやいや、そんなことを言うには、それなりにちゃんと肉付けはされているんだから(汗)。
寅さんがセーラー服の彼女にハッとし、お雪さんという名前をひねり出す……それぐらい、母親と娘はソックリだっていうんだから、桜田淳子に二役やらせて、当時の寅さんとのやりとりなんぞを再現しても良さそうなもんだと思ったけれど、まあ女子高生の彼女にそれをやらせるというのもアレかねえ。でも見てみたかった気もする。

♪クッククックー、と「私の青い鳥」を口ずさむ通行人を出してきて笑わせたりする。でもそれで笑えるのは、当時を知る人たちなんであり、やはり映画は時代を描く風俗だなあと思わせる。
まあ私も笑っちゃったけど……でもリアルタイムじゃないんすよ!!(激しく抵抗)

本物のヒロイン、などと言うのもアレだが、つまりは寅さんが恋するマドンナは、大学で考古学を修め、教授の助手を務めている才女、筧礼子。御前様の親戚の娘ということで、とらやに下宿することになる。
なんかこういうパターン、他でも聞いたような。御前様はいろんな親戚持ってくるなあ。
しかも寅さんが恋するとひと騒動起こすことぐらい予期できる筈なのに、いつも、ああ、そうか、困ったなあ、と、本当に困っちゃうあたり(笑)。

当然、学問なんてもんにとんと縁がなかった寅さんだけど、学問に早い遅いはない、と山形の住職、大滝秀治に言われて一念発起した寅さんは、恋したことも手伝って、学問するぞー!と大はりきり。
大滝秀治が寅さんに問われて、石段をあがりながら、声はフェイドアウト、姿はフレームアウトしながら応答するのが、大滝秀治だからなのか、妙に可笑しい。
いや、可笑しいシーンなんぞじゃないんだけど、やはり大滝秀治だからなのか(爆)って、失礼だろ!

まずは形からと眼鏡を買ってかけてみたりする(笑)。当時のハヤリの大きなフレーム。寅さんがかけると更に、に、似合わない(爆)。
近所の子供たちにまで道路にチョークで似顔絵描かれてバーカと書かれて、ととと、寅さーん!!

礼子を演じるのは樫山文枝。知らないのになんか顔を見たことがあると思ったのは、朝ドラ人気の礎を作った「おはなはん」のヒロインとして、懐かしVTRなんかで見かけた覚えがあるからだったんだわ。
そのお顔のまんま、大人の女性になっている。ふっくら頬が朝ドラヒロインの頃の可愛らしさを残していて、きっとこれは当時の観客にとってはたまらんものがあったんでしょうに!!

寅さんとは喫茶店で出会う。よもや自分のうちの下宿人だとは知る由もない寅さんは、山形の住職からの受け売りで学問をすることは己を知ることだ、とかエラそーにぶちかます。しかしこれが、意外や意外、礼子の心をとらえてしまうんである。
まあ勿論、全てのヒロインの例にもれず、「面白い人ね!」という部分が大なのだが。
礼子から問いかけられると困って博に振る寅さんは、ズルいなあ、彼から勉強を学ぶのは「ヤだよ、こんな退屈な男に。さくら、悪いけどな、お前の夫に学ぶのはヤなの!」と言うに事欠く失礼千万なのにさ(笑)。

でもホント、博は、なんたって前田吟だから、寅さんが困っちゃうような深遠な問いにもスマートに応えるし、それこそ職工にしとくのはもったいない頭の良さ、なのよね。
本作の中で「博さんもさくらちゃんも、大学に行きたかったのよね」とおばちゃんが同情のため息を漏らすように、この二人は時代が時代ならきちんと高等教育を受けて、今とは違った人生を歩めたかもしれないのだ。

なあんて、ね。寅さんの中のさくらと博はだからこそ出会ったのだし、幸せな家庭を築いているのだし。
でもでも、こういう会話が出てくるあたりが、やはり時代を反映しているんだろうと思ってさあ……今みたいに、一億総中流で、大学の方が余っちゃって、頭がいいから大学に行く、という図式が壊れてしまっている昨今じゃ、こういう会話は出てこない。
この当時、……そうか、私はもう産まれてたけど、まだまだそういう時代、だったのだ。
それを知ると判る。両親が授業料の高い私立大でも私ら姉妹を進学させてくれたことが……。うー、なんかそんなことを思うと泣けちゃうよう。

でも、もちろん寅さんが絡めば、明るく幸せな笑いとなる。本作での寅さん=渥美清も絶好調で、いつも笑いをこらえているのが判っちゃう博=前田吟だけでなく、あれほどのベテラン、おばちゃん=三崎千恵子までもが寅さんの後ろで絶妙にピントをぼかした状態で、お顔の表情までがピントをぼかして、つまり笑いをこらえたあの独特の、慈悲の笑みのような表情になってるのが、もう可笑しくて、そっちに笑っちゃう!
寅さんのテキトー話に思う存分笑う樫山文枝は、これはもう、ほんっとに本気笑いで息も絶え絶え。
ムカデの足が絡まって、果てはかた結びになっちゃう、あの話はもう最高!こう書くと何の話だか分からんが、とにかく最高!

あー、でもでも、とにかく小林桂樹なのだ。こんな髭面のムサいオッサンなのに、超タバコ吸いなのに、なんでこんなに可愛いのだ。
思えば彼がとらやを訪ねてきたのは、愛する人がよく話をしている男=寅さんが気になっていたからに違いない。
私の大好きな先生、とあっけらかんと皆にこの田所先生を紹介する礼子は、彼に求愛されるまで、先生のことを自分も愛しているだなんてことに、気づいてなかったに違いない。

礼子さんもまた、田所先生を愛していた、なんて明確にそうとは言われないけれど、そうに、そうに、違いないんだもの!!
お高くとまった、おエライさんの学問だと思っていた寅さんを一瞬にして惹きつけたチャーミングな田所先生は、でも寅さんがシンパシイを感じる相手っつーことは、振られ体質も一緒ってか(爆)。そんな、そんなぁー。

柴又、寅さん一家にすっかりうちとけちゃった田所先生は、考古学の生徒たちを引き連れて草野球大会まで開催しちゃって、大盛り上がり。
いつもは年末年始が稼ぎ時の寅さんも、礼子さんに恋しちゃったことも相まって、たまにはここで正月を過ごそうかな、と思ったぐらい楽しい日々。

でも、田所先生、くしくも寅さんに愛を教わっちゃったもんだから……だからこそ、寅さんと意気投合、彼を師匠と呼ぶほどになったもんだから……。
難しく考えていた愛を、相手を大切に思う心ひとつだと寅さんに教えられて、礼子さんに愛の告白!……と言いたいところだが、酔いの力を借りて、というかへべれけになって、美しい愛の詩を書き連ねた手紙を、礼子さんに押し付けた。

忘れられないのよ。手紙を読んだ礼子さん、そのトレンチコートと控えめなヒールの美しい後姿が。
この時代は、ようやく、ようやっと、女が学問をするとか、研究するとか、とにかくそういう、男だけに独り占めされていたような、アカデミックな希求を許され始めた時代だった、のだと、思う。
今だって結構アヤしいけど、でも今なら、今の時代なら、きっと礼子さん、というか、今の時代のそうした女子は田所先生の求愛を受けたんじゃないかと思う。

今の時代なら、結婚したからといって、家庭に入って奥さんになることが即座に求められるようなことは、さすがにないから。
でも、“即座に”はなくても、やっぱりある、今の時代でさえも。ならば当時は推して知るべし、てなもんである。

結婚してしまえば、学問が出来なくなる。悩みに悩んだ礼子さんは、その一点に到達して、田所先生をフッちまったんである。
そうだよ、ね??だって礼子さんが田所先生のこと好きなのは、見てりゃ判る。それ以前に、礼子さんから田所先生のことを聞かされていたさくらは、若い独身の先生だったら、お兄ちゃんが失恋しちゃう、と心配していたぐらいだったんだもの。
若い独身の先生じゃなくて、年配の独身の先生だったけど、でも二人は確実に愛し合ってたのに、なのに。

ところで学問をする、って、なんとも時代な表現だよね、と思う。プロポーズされた礼子さんが悩んでいる、その本質のところが、恋男の寅さんには理解できず、やっぱり俺は学がないから……学問をしていれば、とうなだれ、旅支度をするんである。
さくらは、そんなの、学問とは関係ないでしょ、と、慰める、というより、厳しめにたしなめる。でもまあつまり言ってみれば、学問してなかった寅さんは、それが学問とは関係ないんだ、ってことが、判らないのだ。
愛のことはマエストロなのに、そんな、どーでもいいことが判らなくて、苦しむのだ。なんだろうね、なんだろう、学問って。

学問、っていう言葉自体がちょっと懐かしい。学がある、とは言うけれど、それも今ではなかなか聞けなくなっている。
貧しくて進学したくても出来なかったさくらや博、学問なんてところからは遠く離れていた寅さん。
そして今、さくらと博は子供に厳しく勉強を躾け、寅さんは美人先生を独り占めが目的だから、講義を聞いていても戸惑い……ならまだいい、眠気を振り払うのに精いっぱいといった趣。

寅さんが気にかけていた北国の少女は、勉強をするのにもかかるお金に苦労しながらも、周囲の助けも借りながら学生生活を送っている。
そして何より何より、愛する人から求愛を受けたのに、礼子さんは学問が出来なくなることを恐れて、その求愛を断ったのだ……何たること!

先生のお気持ちはよく判りましたと、つっかえつっかえ、電話口でそればかりを繰り返す礼子さんと、愛する教え子に気を遣わせていることと自身の失恋にただただ呆然自失の田所先生。
……切なくて切なくて、見てらんないよ。だって、礼子先生、あんたは田所先生のこと好きやんか、絶対!だから、好きだから、悩んだんでしょ!!

……あー、切ない……。いくらラストシーンで、同じく失恋した(寅さんの場合は知られもしないのに勝手に幕引いた感じだけど……)田所先生と寅さんが思いがけぬ一緒の道行き、可愛らしい珍道中にクスリとさせられても、ダメ!礼子さんと田所先生のハッピーエンドが見たかったよー!!時代って、男女不平等って、キライ!!

新しく赴任してきた巡査役の米倉斉加年、若い……でもまんま。その後、寅さんのみならず、散々(というのもアレだが)お目にかかることになる名わき役。
若くて美しい奥さん、さくらのことを好意的に思っているなら、それこそ恋エピソードで引っ掻き回す一つや二つ(爆)。

本作はとにかく、お金が切なかった。母子家庭に毎年贈る金額はようやっとの500円。修学旅行で訪ねてきていた彼女とその友達に、これで土産でも買いなよ、とお札を数枚握らせたらもう、すっからかん。
見かねたさくらが、それでも傷つけないように「もっと用意してくればよかったね」と兄に押し付ける数枚のお札は、寅さんにあらがうだけの気力は、もう残っていないのだ。なんか、それがもう、なんか、たまらなかったなあ……。★★★★★


男はつらいよ 純情篇
1971年 89分 日本 カラー
監督:山田洋次 脚本:山田洋次  宮崎晃
撮影:高羽哲夫 音楽:山本直純
出演:渥美清 倍賞千恵子 若尾文子 森川信 三崎千恵子 前田吟 笠智衆 太宰久雄 佐藤蛾次郎 森繁久彌 宮本信子 松村達雄 垂水悟郎

2014/1/12/日 京橋国立近代美術館フィルムセンター
タイトルだけで、観てないかどうかを判断して足を運ぶんで、どの年代の寅さんかも判らないままに対峙する。
良かった、まだまだノリノリの頃の寅さんだ。まだまだどころか、まだ初期の方の寅さん。
このシリーズはもはや、日本の風俗や生活習慣なんかをリアルに知ることができる、貴重な資料になっている気さえしてしまう。だって本作の寅さん、劇中で機嫌よく♪15、16、17と〜、なあんて「圭子の夢は夜ひらく」を口ずさんだりするんだよ!しかも何度も!!
いやあ、これを宇多田ヒカルに見せたいもんだ??いや実際、彼女は知ってるのかなあ、寅さんがお母さんの歌を口ずさんでいたなんて!!

ここでは何度も言及しているけれど、やはりさくらの移り変わりが日本のそれを如実に表してる。
膝上タイトのミニスカートに白いハイソックス、白いレースのエプロンかけてサンダルつっかけてお外にお買い物、だなんて、涙モノすぎる!
そうこのカッコはこの周辺の時代の寅さんで何度かお見かけして、お、奥さん、萌えすぎる……とウズウズ?したもんであった。

それで言ったら博なんかはあんまり、どころか全然変わんないんだよね。実直な印刷工のまんま。
でも本作では独立の夢を持っているエピソードが語られてビックリする。そうかそうか、そりゃこの年頃の博だったら、まだ息子も赤ちゃんで、一国一城の主、リスクがあっても男は人生賭けるもの、なあんてことを考えてもムリないよなあ!
でも博だから、ホントにちょっと意外で、あらら、タコ社長どうするのかしらんと思っていた。このエピソードは本作でかなりメインを担っていて、それこそ本作の寅さんの存在を凌駕するほどのものがあるんだけど、そうかそうか、博もアツい男だったんだねえ。

そういやー、毎回甥御の寅さんに悩まされまくるおいちゃんは、そういやーそういやー、初代はこの森川信であり、私だって彼のおいちゃんを見ている筈なのに、なんだか新鮮な気持であった。
あれえ、こんなに寅さんに真正面からつかみかかるような熱血、そしてユーモラスなおいちゃんだったけなあ、って!
……と思って鑑賞歴を思わずチェックしたら、第一作の「男はつらいよ」でしか森川信版のおいちゃんは観てなくて、私が見てたのはずーっと三代目の下條正巳だったんだわ!そらー、新鮮なハズだわ!!

イイじゃんイイじゃん、森川版おいちゃん!しかし私、二代目の松村達雄のおいちゃんは観てないのか……なんとまあ、まだ楽しみがあることよ。
んでもって、松村達雄は本作でテキトー過ぎる町医者を演じている、ってのがまた楽しいじゃないの!
美人の患者に色めき立って「いやあ、上玉だね。診たよ診たよ、じっくり診た。どこをって?こう、おっぱいを……」おいおいおい!!
寅さんやおいちゃんじゃなくったって、このエロ医者何言ってやがる!!と怒るよ!!……もう、油断しているとホント会話の妙にヤラれるからなあ、寅さんは!!

……なんて具合に思いついたことどんどん言ってると、判んなくなってくるから、最初に戻す。
最初、そうか、まだこの頃は、夢始まりじゃないんだ。そうかそうか、まだ初期なんだねー。
夜汽車に乗ってる寅さん。当時の列車の、向かい合わせの座席、しかも腰が痛くなりそうな直角椅子、何とも時代を感じる!!私の子供頃ぐらいまでは、こういう感じ、あったなあー。
他人とも否応なしに向かい合わせになるあの感じは、まあそういう列車は今でもあるけど、でも、長距離ではさ。新幹線に慣れきってしまっていると、ああいうのって、もう私、ムリかもしれないなあ、って思う。

隣に座ったって、一言も口きかないもんね。プライバシー社会で、それが当たり前になっちゃってるからさあ。
あんな風に向かい側の赤ちゃんに寅さんがあの小さな目を細めてガラガラ振ってあげて、故郷を思い出して、缶ビールをぷしゅと開けたら泡が飛び散って、隣の紳士どころか後ろの席の青年までもが寅さんにメーワクそうな顔を向ける、でもそれこそが人のふれあいであったかい、なんて、もうとんと体験できなくなっちゃったもんなあー。

考えてみればこの冒頭の赤ちゃんが、寅さんが旅先で出会う女性、という定番につながっていくんであった。
定番、ではあるけれど、その女性と恋に落ちる訳ではない、本当に旅の情けで関わるだけってあたりは、珍しいかもしれない。
寅さんと言えば、旅先の女性と恋に落ちるのが、定番中の定番、どころか必須、なんだもの。

今回寅さんが恋に落ちるのは、この女性との出会いで里心がついて帰郷した寅さんが目にした、ワケアリ美人の若尾文子っ。そりゃ若尾文子を一目見たら、寅さんが恋に落ちない訳がないっ。
じゃあ、寅さんには珍しく、旅先で出会ったのに恋に落ちなかった女性は誰かといえば、宮本信子。なるほど(笑)。などと言ってはいけないか(爆)。

キャストで名前を確認してはいたけれど、彼が寅さんのヒロインになったという話は聞かないしなあ、と思っていたところであった。
まんま宮本信子のままの顔なのに、あまりに若すぎて、コレと気づくのに時間がかかってしまった(爆)。
だってさあ、やっぱり、驚くよ。宮本信子もまた、当時だからミニスカからすらりときれいな足が伸びているんだもの!赤ちゃんをねんねこ背負いにしているってあたりが、時代で、な、泣ける(涙)。

そしてこの宮本信子の父親が森繁久彌っ!嬉しすぎる(涙涙)。てか、森繁が寅さんに出ていたなんて、知らなかった!!
渥美清とがっつり対峙する森繁が見られるだなんて、ああ、やっぱり映画ってなんて幸福なの。彼らがもはやいない、この現代になっても、それが見られるんだもの、なんて幸福なの!!

ある意味これは、喜劇対決よ。全然違うタイプの喜劇人、その奇跡の邂逅よ。
特に仕掛けがある訳じゃない、ただ対峙して、会話を交わすだけなのに、バチバチに対決してる。
渥美さんが「そんな怖い顔すんなよ」と森繁に言うだけで笑えるし、森繁の、娘への厳しくも愛のある威厳に、里心がついた寅さんが席を蹴るように最終渡し船に駈けて行くのを見て、「可哀想に、あいつは病気だな」と後姿でつぶやく森繁に爆笑!
ペーソスとユーモア共にがっぷりよつで、こんな贅沢な共演はないっ。

そうなの、これで寅さんは柴又に帰っちゃうし、尺自体は凄く短いんだよね。ここでのシーンと、ラストちょっとだけ顔を見せるだけ。
でもそのラストがまた抜群だし、本作のキモをきっちりと勤める森繁はやはりさすが、なんだよね!!

ギャンブル浸りの夫から逃れるように、何年も音沙汰のなかった故郷に帰ってきた娘に、すげなく、帰れ、と言い放つ。
それでもお前が好いた相手だろう。どこかにいいところがあったから好きになったんだろう。そのいいところを育ててやるのがお前のやるべきことだろう、とこう言う訳!

それこそ現代ならね、相手に欠陥があったら別れるのが当然、ガマンし続けることはない、ていう価値観。
いや、それが悪いなんて言わない。むしろ当然で、こういう価値観まで育った社会で良かったな、と思う。
でも、ゲーノー界の離婚率のすさまじさに、それこそこの父親が言うような「どこかにいいところがあったから好きになったんだろう」という言葉を言いたくなる。
結婚という決着までして、それが続けられないだけの理由って、こんなに噴出するもんなのかと思う。だったら最初から、結婚なんてするなと思う。

そして、ゲーノー界のみならず、今は一般社会も離婚の嵐、なのだろう……。結婚って、家族って、なんだろう、と思ってしまう。
離婚どころか結婚もしてない、当然子供もいない私が何言ってんだ、って感じだが、しかも基本フェミニズム言いたがる私が、フヌケ夫を妻が立ち直らせなきゃいけないなんて論に思わず頷いてしまうのは……やっぱり、森繁だからだろうなあ……。
この夫に苦しみぬいて、宿に泊まるお金もないのに長崎の五島まで帰って来て、宿賃を借りた代わりにと、服を脱ぎかかる宮本信子の切羽詰まったリアリティに、こ、これは寅さんじゃないよ……と胸がつまる。
宮本信子は、やはりこんな若い頃から素晴らしかったんだなあ……私は、伊丹作品の彼女からしか、知らなかったから……。

でまあ、こんなに言葉を尽くしてしまったけど、このエピソードはほんの序盤のキッカケで、里心がついた寅さんは一目散に柴又へと帰る訳。そうしたらそこに、絶世の美女の若尾文子がいる訳!!
おばちゃん、おいちゃんのみならずとも、若尾文子がいきなりいたら、寅さん、恋に落ちて大変!!と心配せずにはいられない。
もう、絵に描いたように恋に落ちる。この美しき夕子さんに気を取られて、鉢からズボッと根こそぎ観葉植物抜いちゃうのには爆笑!
ついには恋情がつのり過ぎて、食欲なくして寝込んでしまうほどである。しかし夕子さんから「早く良くなって、荒川の散歩に連れて行ってほしい」と、まあ当然、社交辞令大半で言われると、もう途端に元気回復!博の食べかけのご飯をぶんどってかっこむ元気ぶり(笑)。
こういうシーンはいかにも寅さんだよね!突き飛ばされて転がって、靴下の足先だけで画面から見切れる博(爆笑)。大好き!!

夕子さんは、おばちゃんが解説するには、えーと、……誰かのナントカの連れ合いの嫁の妹の、とか……そのベタな解説で思わず噴き出しちゃう。ベタだけど、上手いんだもん、三崎千恵子!
こんなきれいな人がうちの親戚筋にいるとはねえ、とおいちゃんは感慨深し、そして甥御の寅さんを睨み付け(笑)。
ホント、私のイメージしていたおいちゃん=下條正巳とこの森川信は、全然、全ッ然違う!!
下條正巳がまさにおいちゃんとして、寅さんの上の立場が明確なのに対して、森川信は、この困った甥っ子に困り果てているけれども、結構対等なの。それが何とも愛しい。

あそこが、面白かったなあ。住み込みで働き始めた夕子さんが、お風呂を使う場面。茶の間からくもりガラスの風呂場は丸見えで、夕子さんに恋してる寅さんは当然よからぬ想像。
それを自分だけに収めておけなくて、おいちゃんを巻き込もうと「何考えてんだよ」「お前と同じことだよ」
「汚いねえ、そんなことを考えてるとは!」「俺が考えてたのは、明日もいい天気かってことだよ」
「ウソ言っちゃいけねえよ。だって、俺と同じことを考えてるって言ったなじゃないか……あれっ?」……本当はもっともっと、百倍、千倍、面白いんだよ!!再現するって、難しいなあ……。

この場面はほおんと、血気盛んな頃の寅さん、って感じがあったなあ!最終的な「……あれっ?」で観客を爆笑させるまで、あの癒される四角い顔に小さなお目めの顔が紅潮し、眉が上下し、脂ぎり、もう、なんつーか、男の顔、なんだもん!!
寅さんが惚れっぽいのは定番だけれど、やはり初期では寅さん、まだ若いし……そう、冒頭の夜汽車のシークエンスで、40に手が届こうか、なんて言ってたんだもん、わ、若っ!そりゃ脂ぎるよなあ……(爆)。

夕子さんとは本当に何もなくて、彼女が思いを寄せられて困る、というのも、どこか形式的なユーモラスだけに収まっていて……そう、あのエロ医者がその相手だと寅さんが勘違いする、っていうような、自分のことなのに、っていう定番よ。
夕子さんの元に、アイソをつかしていた筈のダンナが突然迎えに来て、戸惑いつつも大して逡巡もしないまま、夕子さんは夫の元に帰っていくんである。
それこそ今の時代ならこんなこともあり得ないだろうとも思うが……。何かそんな風に考えて、どっちが幸福だったろう、なんて思うのは、切ない。
好きな人が好きな人のまま、そばにいられればどんなにいいだろうと思うけれど、それが可能になるには、この当時の女子の社会立場では、難しかったということであり、そして今でさえ過渡期であり、ならば男子を見捨てようという女子の価値観、ということなのだ……。

……なんだか、クラくなってしまった。これは寅さん、明るくならなければ。
夕子さんが去った時に、杵と臼を運んできた寅さんが、ショックのあまり、杵を階段からガタガタガタッ!と落としてみんながビックリする場面は、アドリブかと思うぐらい、リアリティがあったなあ……。

ところで、実は本作の一番のクライマックスは、独立しようとする博と、博を引き留めたいタコ社長、という攻防に、かんじゃいけない寅さんがかんじゃって、寅さん、こともあろうに投げちゃって、かみ合わないままの祝宴に進んじゃうという場面であって!!このシーンはまさに寅さんの真骨頂、「まあまあまあ、固い話はやめにしようや」と、先延ばしにしたってどうしようもないだろ!!という寅さんのテキトーさ、しかし不思議な純粋さが可笑しい!!!

結局博は独立の夢を果たせず、この印刷工場の工員として続いていく訳なんだけど、それこそこの当時、独立こそ花、一国一城、ていうのがきっと言われていたと思うし、今だって、若い人たちが起業するのが当たり前になっている。
時代の世相を映してきた寅さんが、こういう選択をしたのは、まあちょっと、時代に逆行しているとも言えるけれど……ある意味ここから寅さんは、寅さんであることを時代に要求されて、逆行し始めたのかもしれないとも思い……。

でも誰でも、寅さんにおける博が、独立して、つまりタコ社長を捨てて、柴又から離れた場所に一軒家建てて、なんてこと、望まないよね。
それは寅さんの中の博であるから、なんだけど、山田監督の、世相を映しながらも譲れなかったことなのかもしれない、と思う。
たとえ時代錯誤と言われても、世話になったタコ社長のもとで勤め人をまっとうするってことが、山田監督にとっての譲れない一線なのだ。
寅さんに、独立の夢を、それでこそ男だと言わせたトコがギリギリ譲れるラインだったのだ。
寅さんは大好きだけど、時に山田監督のアナログにイラッとする、その要素がここにあったような気がしてしまう……。

でもそんなこんなも、ラストの幸福感で帳消しにしたい!幸福感、ていうか、切ない幸福感。
正直、この段に至ると忘れかけていた宮本信子が、正月、もう寅さんのいないとらやを訪ねている。かしこまったスーツ姿のダンナも一緒である。
さくらにうながされて、故郷に電話をかける。
「あの時お世話になった寅さんの団子屋さんに来てるのよ。年賀状も出してないって言ったら、かけなさいって。長距離だからもう切るわね。(さくらに耳打ちされて)あ、忘れてた!(新年)おめでとう!」
突然の娘からの電話に、相打ちぐらいしか打ってなかったのか、相変わらずしんとしたこたつ部屋で、黙ったまま涙と鼻水をたらす森繁にズキューンと感動。
ああ、やっぱり森繁は最高。黙って鼻水垂らして感動させる役者はそうはいないさ!!!

手元に届いた年賀状、カクカクとヘタクソな字の寅さんからの年賀状。娘は年賀状も出してないのに、義理堅い渡世人の寅さんは、年賀状を出している。
文面こそ型どおりだけど、暖かいヘタクソ文字が、森繁の涙と鼻水にプラスして、観客をじーんと泣かせるのさあ!!

そう、あの時、寅さんは、国はどこかと聞かれて、東京の柴又だと言ったのだ。
東京が故郷だというのは、田舎の人間にとってはピンとこないものがある。実際、それを聞いた森繁も、そうか、みたいなリアクション。
でも寅さんは、何のてらいもなくそう言って、故郷を懐かしむ目をして、矢も楯もたまらず故郷に向かった。
これもまた、寅さんならではの視点だと思う。全国を巡り巡って、各地で人情を深め、恋をし続けた寅さん。
みんなの故郷を巡り巡った寅さんの故郷が、東京。ギネスに載るほどのこのシリーズは、それ以上の大きな意味合いを担っていたんだと思うなあ。

と、こう書いてみると、一体若尾文子はなんだったんだろう(爆)。そういう意味では、なんか上手くかみ合わない作品だったかも……。
「弟子入りした」と初々しい小坊主姿で登場し、寅さんとワカモン同士みたいなじゃれ合いをするガジローさんは言っておきたい!
私の中では、帝釈天の中でハンテン着て竹ぼうきで掃除してる場面しかなくって、この小坊主衣装、カーリーヘア以前の天パのような状態で、顔も若くて定まってないってガジローさんが、新鮮すぎたんだもん!! ★★★★☆


男はつらいよ 寅次郎忘れな草
1973年 99分 日本 カラー
監督:山田洋次 脚本:山田洋次  宮崎晃 朝間義隆
撮影:高羽哲夫 音楽:山本直純
出演:渥美清 倍賞千恵子 浅丘ルリ子 松村達雄 三崎千恵子 前田吟 中村はやと 太宰久雄 佐藤蛾次郎 笠智衆 吉田義夫 織本順吉 中沢敦子 成田みるえ 江戸家小猫 北原ひろみ 毒蝮三太夫

2014/1/18/土 京橋国立近代美術館フィルムセンター
ああもう本当、全然追いつけないね!そりゃそうだ、なんだかんだ言って寅さんを観だしたのはここ数年の話。恐ろしいことにまだ6/1にもなっていない……私は生涯で寅さんに追いつけるのだろーか。
いやそりゃさ、レンタルとかCSとかで観るのはカンタンだけど、せっかく寅さんという名シリーズはスクリーンにかかる機会もいまだ多い訳で、ならばならばその機会を追っかけたいじゃないの!!

……という訳で(訳で、が多いな(爆))。今回はリリーさん初登場の巻。
リリーさーん!!私ね、恐ろしいことにリリーさんを初めて見たのが最後の48作目だったという恐ろしさ(爆)。寅さんもすっかり年取って黙りこくった寅さんになってしまった、あそこから始まったのがいけなかった。
現役の?リリーさんに初めて出会えたのがようやく去年、そうだちょうど1年前だ……今はもうなき銀座シネパトス。チケット売り場でおばちゃんたちに横入りされてプンスカきてたっけ……。

という話はだからいいんだってば。その作品はリリーさん登場二回目で、すし屋の女将さん、やめちゃったの、というところから始まる。
リリーさん、結婚してたんだ、そして別れちゃったんだ、ということを知るところから始まってしまったという本末転倒??ぶりで、いくら1話ごとに完結しててどれから観ても特に問題なく面白い寅さん、であっても、さすがにマズかったかな……という思いがしていたので、そのリリーさん初登場をようやくつかまえられたのは感無量なんであった。

それこそ1年前の記憶ではあるけれど、そこから数年さかのぼった若いリリーさん=浅丘ルリ子の筈、なんだけど、なんだか不思議に本作の彼女が老けて見えてしまう、のは、1年前の記憶が確かじゃないのかもしれない(かもしれない……)のだが。
いやでもやはりリリーさんの出自や、寅さんちの、暖かい家庭にあこがれるところとか……そういうものが一気に、紹介的に、出てくるから、なのだろうか。

リリーさんの歌声にしんみりするシーンは、その二回目の登場作品にもあったし、本作でリリーさんが寅さん一家に聞かせるのは明るい歌声なのに、何だろうね、なんだか本作のリリーさんはとても影が差している、ように見えるの。
それだけ登場二回目では、リリーさんはそうしたものを一度吹っ切った明るさがあったのかもしれないなあ。

ていうか、北海道、それもベタに北海道、寅さんが「開拓部民」だなんて言うような、車道も舗装されていないような北海道が出てくるとは。
日本全国津々浦々旅する寅さんだけど、なんか北海道というイメージがなかった、のはなんでだろ。
それはヤハリにぎやかな縁日で啖呵を切る寅さん、のイメージがあったから、「ちょっと隣の家にいくのにも1、2キロ」(寅さんの台詞ね)なんていう広大な北海道の大地に寅さんがいるなんて、しかも酪農の手伝いのカッコしているなんて、想像なんてつくわけない!んだもん!!

実際、寅さんはこの酪農農家の手伝いにわずか3日で寝込んでしまうんだから、噴き出してしまう。自身が言うように体力には自信がある、ように見えるのに、寅さんの使う体力と酪農家の体力は違うということなんだろうかと思う。
それに寅さんの本領発揮、テキヤとして叩き売る場面も、本作でいつものように披露するのは地元で、源公がサクラの客としてヘルプしているんだから、やっぱり寅さんぽくはないんである。

この北海道、網走の繁華街、一応繁華街、で、寅さんは、神田のレコード会社が放出した、とかなんとかいう触れ込みのレコードを叩き売ろうとするんだけど、何せ人通りが少なくて、通りかかる家族連れも、こんなテキヤ自体見たことがないような雰囲気で、遠巻きに通り過ぎていく。
夜汽車に乗ってまで、なんでまた寅さんはこんな、というのもアレだけれど、こんな辺境の土地まで来たのか。

そう、何か、ね。今まで数少ない中でも観てきた寅さんとは、そのあたりからなんか、違う気がしたんだよね。
その地で出会うドサ回り歌手のリリーさんは、生まれは東京、でもその後は家を飛び出してフーテンのようなものだよ、と言う。マドンナの常であるその地元の女、ではないんである。
その点確かに北海道というのは、流れ者がたどり着く土地という感じはする。歴史も浅いし、先祖なり自分たちなりが他の土地からきて苦労して成し遂げる、そんな感じ。感じ、だなんて、私だってルーツは一応北海道なんだけどさ(爆)。

そのせいなのかな、寅さんがいつもと違う感じがするのは。数少なく観た中でも、どこに行っても寅さんは自分自身のアイデンティティをそうそう崩すことはなかったと思うのに、“開拓部民”の辛抱強さ、勤勉さにすっかりまいってしまって、ろうろうととらやの連中に聞かせるんである。
いや、ろうろうと聞かせるのはいつものことだけれど、その後、再度自分を叩き直すためにと再訪したシーンでラストなんだから、よほどのインパクトを寅さんに与えたんであろうと思われる。
リリーさんの登場と共に、この北海道の登場もまた、本作におけるインパクト大なんだと思われるんである。

て、言ってるうちに大分時間が過ぎた(爆)。だから、リリーさんよ、リリーさん。
寅さんが彼女と出会う、というか、寅さんだけが一方的に彼女を見かけるのは夜汽車の中。
夜汽車、という言い方は、もう現代では通用しない、よね……寝台列車ですら、今ではあるのかどうか、いや、あるのかな?
とにかく、こんな風に夜通し走る、それなのに直角の固い座席でいかにも居心地の悪い列車は、もう今の世ではお目にかかれまい。
私ですらここまで固そうな座席の列車はあまり……“私ですら”などとついつい言っちゃうのは、本作が私が産まれた翌年の作品だから!!キャーヤダー!!
母親が私を里帰り出産で産んだ、そして私も夏休みのたびに帰っていたわが北海道が、まだまだ「開拓部民」と呼ばれるほどのこんな土地だったなんて、キャー!!

……いや、広大な酪農、豊かな自然は今も変わらぬことだけど、やっぱりこの当時には、生活の雰囲気……なんたって社会の雰囲気が違うんだから……は違ったんだと思う。
だって今の時代はリリーさんのような旅回りの歌手は成立しそうにないし、それを言ったら寅さんだって……。
私がほんの少しだけリアルタイムで観た寅さんが、老いた物静かさもあるけど、すっかりリアリティを失った、寅さん、という人物造形に過ぎなかったのは、やっぱりそういうことだったんだと思うなあ……。

夜汽車の切なさ、というのものは、きっともう今では味わえないものなのだろう。
遠くにぽつんと見える灯に、そこに生活する家族を思って思わず涙をこぼす、なんてことは、美しいとは思う、胸締めつけられる抒情はあるけれど、どこか童話の世界のように、現代の私らには遠い。
その夜汽車の中でリリーさんは泣いていた。それを眠れないでいた寅さんが見ていた。

寅さんが眠れないでいたなんて、ねえ。そうなの、何かね、やっぱり、リリーさんに対峙する寅さんは違う、ような、気がする。
勿論、寅さん、寅さん、となついてくるヒロインに、とらやのメンメンの前できまり悪げにする風はいかにも寅さん、なんだけど、まるで最初から、肉親のような親密感、なのよ。

惚れっぽいけれど、その相手は高根の花に崇めて自滅するタイプの寅さん。
でもやっぱり、リリーさんだけは違うんだよね。最初から「ほっとけないヤツ」という視線があったし、自分と同じ根無し草ということを知って、余計にシンパシイを感じたというのもあるんだけど……なんかね、お兄ちゃんに見えちゃったんだよね。

いや、確かに寅さんはお兄ちゃんよ。さくらのお兄ちゃん。でもさくらにとってのお兄ちゃんである寅さん、あるいはとらやのメンメンにとっての彼は、帰ってこないと気になるけれど、帰ってくるとトラブルメーカー、でも去ってしまうとまた寂しくなる、みたいな、兄というより弟気質な可愛らしさがあるというかさ。お兄ちゃんらしいお兄ちゃんではないじゃない??
でも、リリーさんに対する寅さんは、お兄ちゃんらしいお兄ちゃん、に見えちゃったんだよね。なんか、何ともそれがさあ……。

数少なく観てる中でも(しつこい)、こんなリアルにシリアスな表情を見せる寅さんは初めて見たしさ!
酔って深夜にとらやに乱入するリリーさんが、寅さんにあしらわれていると感じて涙をこぼして出て行ってしまう場面。
そんなリリーさんを心配して、一人暮らしのアパートを訪ねてみたらあわただしく引っ越していった後で、隣には幼子をしかりつけながら洗濯物を干している若い母親が住んでいるのを見やる場面。

そして、リリーさんの居所がつかめないまま、次の旅に出る寅さんがさくらに、もしあいつが、万が一だぞ、訪ねてきたら、俺の部屋に下宿させてやってくれ。家賃なんかとるなよ、あいつはかわいそうなヤツなんだ……とラーメンをすすりながらしみじみと言う場面。
このシーンではさくらが、寅さんが甥っ子に満足な小遣いも差し出せないのを見て、これまたしみじみと兄の財布に心ばかりのお札を入れてやるのがやるせなく切ないのだが。

でもやっぱり寅さんは、ことリリーさんを心配する場面になると、今までの寅さんとは思えないシリアスな顔を見せるから、本当に驚いてしまう。それだけの存在感、というか、キャラの広がりを見せたんだと思う。
だってさ、リリーさんが母親に会う場面、だらしなく娘に金をせびる母親に大嫌いだと一喝して、踵を返して歩いていく場面とか、なんだかたまらなかったんだもん……。

リリーさんの母親はオミズな女で、リリーさんも世間的にはいっしょくたに思われているのだろう。
派手な服装に厚化粧。リリーさんはいつでもそれを自嘲していたけれど、彼女の母親は娘をネタにたかるのを何とも思ってないような、プライドのないオミズ。
その後、仕事のステージでも酔っぱらいに絡まれてすっかりやさぐれちゃったリリーさんは深夜、とらやに突入する訳で……。

柴又で寅さんと偶然再会した時、そのハデなナリでとらやメンメンの目を丸くさせはしたけれど、皆いっぺんにリリーさんを好きになった。
だから深夜に訪ねても、出てきたのはおばちゃんだけだったけど、でも、決して悪くは思わなかったのだ。

このシーンのリリーさんは、なんかもう、本当に、痛々しかった。最初に言ったけど、本作のリリーさんは、ホントにもう、人生を達観したようなやさぐれた感じが煙草にマッチで火をつけるしぐさひとつに出ていてさ。
後に寅さんが訪ねる一人暮らししていたアパートのあまりのボロさ、やさぐれ加減が目を覆うばかりでさ。

でもその中で必死に生きてきた彼女の糸が切れた瞬間で、でもでも、ことリリーさんに対してだけはなぜだかなぜだか寅さんは、本当にお兄ちゃんみたいになっちゃって、彼女をなだめちゃうの。判った判った、一緒に旅に行こうな、今はとりあえず飲もうや、なんて、寅さんらしからぬ大人の対応しちゃうの!
そんな寅さんの本気度を疑って、涙をこぼして駈けて行ってしまうリリーさんはまるで子猫のようで、最初に感じた老けた風が、いかに彼女のこれまでの人生を物語っていたかを、思ったの……。
渥美清は勿論イコール寅さんとして語られるけれど、寅さんの最多のマドンナ、とはいえ4回の登場で、浅丘ルリ子もまたイコールリリーさんとして語られるのだ。役者としては大変だと思うけれど、こんな存在は浅丘ルリ子以外にはいない、よなあ……。

基本、ヒロインは一作一人で終わりだから、異色中の異色な訳で。どうなんだろ。リリーさんだって最初は、本作だけの完結キャラ、だったよね?
でなきゃ、すし屋の女将として収まるなんてラストは用意されていなかっただろうし、リリーさんに関してさくらは、お兄ちゃんは自分と同じ流れ者、可哀想な女だと思っているけれど、あの人は賢い人、このまま収まらず、きっと自分で幸せをつかむと思う、と評しているんだもの。
んでもってそのさくらの言に対して夫の博も、ならばまた、義兄さんは(失恋して)大変だなと言う訳で、きっときっと、今までのヒロインのレール上にいたんだと思う。

でも結果、賢いから自分で幸せをつかむ筈のリリーさんは、その通りになったと思いきや、次の登場でその大将と離婚し、元の流れ者に戻ってしまって、そして最後までそのまま。
それこそさくらこそ賢い女性だし、彼女の目論見が外れるなんてことは、それこそそれこそ頭のいい山田監督が想定する筈はない訳でさ!!
でも確かに、すし屋の女将に収まった“筈”のリリーさんは、まゆ毛の細さがコワすぎる(爆)。いや、これは当時の風俗だから仕方ないが……でも妙に、それが後にリリーさんがこの幸せを手放してしまったことを、説得力ましましている気がする(爆爆)。

いわばリリーさんは“ハデなドサ回り歌手”の漫画チックなまでのカラフルさでキャラ立ちしているんだけど、さくらはいつでも時代の風俗をまとっているからさ。
あー、やっぱりまだまだミニスカートに白いハイソックスの萌え萌えファッション、三角巾までもが妙に萌える(爆)。
時代が出るまゆ毛はいつもナチュラルに落ち着いていて、さくらは時代の風俗と彼女自身のニュートラルさがいつも奇跡的に溶け合っていて、そしてリリーさんはそれらととことん、真逆を行ってるんだよね……。

うーん、もしかしたら、もうこの時点から、山田監督は見越して書いていたのかもしれない。時代から超越して、自分を確立しているように見えるハデハデリリーさんは、逆に自分の居場所を見失っているのかもしれないと。
細い眉とパールリップのままでは、すし屋の奥さんにはなれなかったのかもしれないと。

さくらはいい意味で自分がなくて、時代の風俗をなんなく受け入れて、でも幸せを、ささやかながらも、求めてる。
そう、そうそうそう!本作は、結果寅さんのコミカルを描出する場面にはなったけど、ピアノをめぐるバトルがあってね。
幼い息子にピアノを習わせたいさくらだけれど、経済事情からくる住宅事情から難しい。
それを聞きつけた寅さんが、よっしゃ!と買ってくるも、おもちゃのピアノ。ジョークじゃなくて、寅さんはピアノといえばおもちゃのピアノだと思ってる、っていうあたりから切なさが募って、定石通りタコ社長が真相をバラしちゃってすったもんだになっちゃう。

だけど、寅さんもまた意地になってピアノは上流階級の、白い犬が庭に転がってるようなお屋敷の居間で、そこの娘がポロンポロン弾くもんだなんて応戦するもんだから、ひどいこと言ってくれるなとおいちゃんに叱られ、おばちゃんに泣かれ、これまた定石通り寅さんはぶんむくれて飛び出す訳だが、そこでリリーさんに遭遇。
なあなあになっちゃって、唖然とするとらやのメンメンの前に、ちゃっかり手をつないで入ってくるシーンは爆笑!!

なんか、いろいろ、いろいろ、時代の風俗、だなあ!!ピアノが上流階級のもの、と寅さんがぶちあげるくだりは、当時としてもさすがに時代錯誤の表現だっただろうけれど、それこそ今は(というかだいぶ前から)電子ピアノがあるし、技術も向上してハンパなく、それだったら音を気にしなくてもいい訳で、大きさも気にしなくていい訳で。
本作の中で何度も繰り返される「貧しい暮らし」ってのが、慎ましいけれど、“貧しい”なんてことはこちとら感じてなかった、さくらと博の家族もそうなのだという衝撃。
私の生まれた年の翌年。つまり私の両親も同じように苦労したのかなあ……きっと……。

場つなぎのようだけれど、実はかなり重要だったかもしれない、タコ社長の工場の若い工人と近所で働いている娘さんの淡い関係。
双方青森出身の彼らがとらやで待ち合わせてささやかなデートに出かけていくのには、オバチャンならずとも「若い人はいいねえ」と言いたくなる!

純な二人はゆっくりゆっくり関係を詰めるはずだったのに、寅さんが「恋人が迎えに来たよ!」なんて言っちゃうもんだから、ショックを受けた女の子が泣き出しちゃって駆け出しちゃう。
デリカシーのないこと言ってくれるなと義弟から言われて、ブンむくれる寅さん。しかしその場にいたリリーさんの機転で、工人全員が危機の若い二人を追いかける。

先輩格の博が、このきっかけでお前の気持ちを言ってみたらどうだ、と水を向けたら、初々しすぎる告白と初々しすぎるリアクション(顔覆って泣きだす!!!!!)に、皆拍手喝采!!
きっかけを作ったのは寅さんなのに、ちっとも感謝されない寅さん(爆)。まあ確かに、結局経過も結果も、若い人たちの柔らかなトキメキが判ってないからさあ。
このあたりはいかにも男子よね(寅さんも男子と言っていいのか??)。リリーさんもさくらも、このオクテな津軽カップルの誕生に、すっかり盛り上がって話してるのにさ!!

その話の流れで、リリーさんは寅さんのコイバナを聞きたがり、次々出てくるエピソードにとらやのメンメンが笑い崩れる中、一人たばこをくゆらせて、じっと哀しい顔を見せている。私も恋をしたい。惚れられたいんじゃなくて、惚れたいんだ、と。
この時にもリリーさんは寅さんへの恋心を口にしたし、決して冗談のような口ぶりでもなかった。
そして、ラストシークエンスで、さくらが、リリーさんが結婚したダンナのすし屋に突入した場面でも、本当に柔らかな印象で、いまでも寅さんの方が好きだもの、とダンナの前でしれりといってのけた。

これは、本作だけでリリーさんが終わっていたら、それこそ素敵な恋のエピソード、なだけだよね。そのエピソードを聞いたとらやのメンメンも、寅に聞かせたいねえ、としみじみ言っただけだったし。
でもそれだけで終わらなかったのだ。終われなかったんだねえ、リリーさんとは……。

でもやっぱり二人は同胞、最初に寅さんが感じたように、同じフーテン、根無し草なんだ。これ以上なくシンパシイを感じ、シンクロ率が高く、そして……お互い好き同士なのに、でも、ま、それ以上の関係。
彼らが男と女になっちゃったら、何もかもが、原発並みにぶっ壊れてしまうのだ。なんかなあ、なんかなあ……。

寅さんが帰ってくる最初のシーンでの、法事のドタバタ(お約束だけど、最高のお約束!!)から、あのマジメな笠智衆=御前様をサカナに劇中のキャストが本気で笑っているのにも感化されて爆笑させられ、おいちゃんと取っ組み合いのけんかも堪能して更に爆笑。
そんなこんなのドタバタな始まりだったのに、もう、何これ!なんか寅さんが、男だったよ。いつもの恋する少年の部分がある寅さんじゃないんだよ!!
リリーさんが泊まってる隣の部屋でいつまでも待機してる姿は、少年もあるけど、ナイトなんだもの!!

松村達雄のおいちゃんは、なんと私、初!初だからかな、なんかちょっとしっくりこなくって、もじもじしてしまった。
これから色々対面したい。まだまだ、まだまだまだまだ、寅さん初心者なのだ、私はっ。

それにしても、しみじみ、してしまった。そうよ、私にはまだ、6/5も寅さんが残ってる!!!ひゃー!!どうしよう!こんなことで映画ファンなどと言ってたなんて、メッチャハズかしい!!
私死ぬ時に、寅さん、○本も観てない、あのマドンナの観てない、とか言いそう……。★★★★☆


大人ドロップ
2014年 119分 日本 カラー
監督:飯塚健 脚本:飯塚健
撮影:相馬大輔 音楽:海田庄吾
出演:池松壮亮 橋本愛 小林涼子 前野朋哉 渡辺大知 馬渕英俚可 諏訪太朗 美波 香椎由宇 河原雅彦

2014/4/14/月 劇場(ヒューマントラストシネマ渋谷)
初見の監督さんだと思っていたら、短編を一作だけ見ていた。この私が短編を観ているなんて珍しいこと……。
しかし、小説だ脚本だ舞台演出だとマルチに活躍するお方なのね。実はそういう人、ちょっと苦手意識なんだけど(爆)。私は古い人間なもんだからさあ、映画を作る人はそれに没頭してほしい気持ちがちょっとある。ホント古いな。いまどきそんなんじゃ生活成り立たないって(爆爆)。
その短編のことはスッカリ忘れていたが、記憶をたどってみるとまるで本作のように、夏のまぶしい思い出の空気感が詰まっている作品だった。まあ私が彼の他の作品を見てないからたまたまの符合だろうけれども。

本作に足を運んだのは、なんたって池松君だからなんである。つい先日の「愛の渦」にドキドキしたばかりだが(爆)、こんな風に青年から大人への時間をリアルタイムで見られるのは実に楽しい、嬉しい。
しかしふと考えた。そういやー、「愛の渦」では大学生あたりの年齢だと思ったが(明確にはしてなかったような)、本作では高校生。もしドラの彼は何年前だっけ。えーと、池松君は結局今、いくつになってるの?と改めて年齢を確認したら、そうかもう24、もうすっかり、大人じゃないですか。ダメだなー、私、「愛の渦」でショック受けてる場合じゃない(爆爆)。
てか、ならば、本作の高校生は、うーむ、いまだに彼に高校生やらせるかと思うが、ラストのラスト、社会人となって初恋(だよね)の彼女に再会するところに彼の年齢を合わせたと思えばまあいいのか??

いや実はね、またしてもの前野朋哉で、またしても彼に高校生やらせるかっ、いや、「銀の匙」 は主人公の回想だったから、中学生だったんでねーべか!と思うと恐るべしで、もう彼だけが年齢詐称??と思っていたら、池松君ももうすっかり大人なのに高校生役振られてたのね。
それどころかメイン女子二番手の方も、池松君の一つ年上。おいおいおいおいー、この中でしっかりバッチリなのは橋本愛ちゃんだけではないか。

いや別にいいんだけど。年齢相応で役を決めるなんていうのは確かに愚かな考えかもしれない。そう見えればいいんだし、何より芝居力とハマり加減だもの。確かにこの四人は見事に高校生に見えるんだもの。
でもでも、高校生という、本当に揺れ動く年頃の、青い季節を描く時には、やっぱりリアルタイム高校生のリアリティが欲しいと思ってしまう。
だってあの季節はあの季節しかないんだもの。でもでも、リアルタイム高校生でこの青い季節を演じられる演者がいないのかっ、そうなのかっ、確かに池松君を起用したいってのは判るのだが……。

うーむなんだかこれじゃ、彼らキャストに文句をつけているようだが、決してそうではないのよ。たまたま前野朋哉から発生してしまっただけ(いやゴメン、前野氏、大好きです)。
でも本作は、最後の最後にに大人になった二人が登場することもあいまってか、ひょっとしたら少し昔の高校生なのかもしれない、という気がする。
そう思ったのは、子供の頃に肝油ドロップを食べただなんて、今のリアル高校生たちにもそんな記憶があるのか??なんて思ったから。
いやあるのかもしれないけど、すいません、そこんところはリアル高校生とイマイチ接触がないもんですから(爆爆)。

確かに私の子供の頃、というか小学校前かなあ、肝油の記憶はあった。肝油ドロップとは言わず、ただ肝油と言っていた記憶。
劇中に出てきたもの以外に、メーカーがあったのだろうか。砂糖をまぶしたゼリー状の健康食品。あれが魚の肝の油だと知った時にはそれなりにショックだった記憶が(汗)。
あ、今では違うんですか。で、ビタミンを取るためのものなの?魚の油なのに?魚じゃないのか、うーむなんなんだ。

つまりそれがタイトルとなっていて、主人公の浅井由と入江杏はこの肝油ドロップの記憶でつながっている。共に転校生同士、下校途中の分かれ道で交わした会話と肝油ドロップは、双方共の初恋の記憶だった。
ただ、入江さんの方は「あの頃の初恋」ということに自覚的だったけど、浅井君の方はハッキリしなかった。高校生になって三年間同じクラス、いつも視線の端にとらえる気になる存在。
前の席にいる、親しく口を聞く気のおけない女子、野中春の親友。いつも昼休みにカノンを連弾している萌え萌え女子。

はっきりと入江さんに恋しているのは、由の親友である岡田始。我らが前野朋哉である。彼がいつまで高校生役をやってくれるのか、今後興味津々である。って、そうじゃなくて。
なんたって前野朋哉だからはっきりとコメディリリーフなんだけど、ちょっと気になることがある。それは冒頭、使いっ走りになっている始に由が「なんで言わないんだよ」「もうあと(卒業まで)半年だぜ?」とかいった会話を交わすシーン。……私なにか、見落としたかなあ。

この感じでは、由に何か過失があるのに、始がそれを負っているといった雰囲気があった。実際、授業中、「(テスト)はじめ!」の声にハイ!と立ち上がって皆に笑われたり、パシリだったり、いじめ……未満のようなそんな感覚があり、かなり気になった。
それがその後展開するのかなと思っていたから、すっかり青春の淡い恋の話のまま終わってしまって、引っかかってしまった。
あの含みは何だったんだろう。それこそ原作にはあったのだろうか。前野朋哉ならば、そして池松君ならば、そのあたりは深く見せられると思うんだけれど……。

原作ということで言えば、私、見てる間、これってコミックス原作なのかと思ったのね。というのも由のモノローグで進行していくことと、何より会話の感じ、いかにもいきがった青春送ってる少年少女の台詞回しが、マンガチック(この場合は悪い意味でね)に感じたから。
実際は小説だった。そうか……確かにモノローグは一人称の小説の方にこそありがちか。でもあの台詞の雰囲気、アクションを交え、皮肉を加え、つまり大人ぶったシャレ加減を加えたあの感じ、ひどくマンガチックな感じがしたんだよね……。

それは確かに、青臭い頃にありがちな虚勢を張った、大人たちに聞かせて喋っているようなそんな感じは、身に覚えがなくもないから気恥ずかしい思いでそう思ったのかもしれないけど、でもどうだろう……。
特に、二番手女子、由になにかとつっかかり、男勝りな口を聞き、そこんところは物静かな杏とはまさしく対照的な春に対して、特に特にそう思ったんだよね。
マンガチックというよりは、もっと突っ込んで、男子向け漫画に出てくる女の子という感じがした。

言ってしまえば男の子が夢見る女の子の一方が春で、もう一方が杏。男勝りの中に純情を隠している春と、暗いバックグランドの中でけなげに生きている杏。
杏の、夏休みの間に途中退学するとかいうシチュエイションなんて、なつかしーっ、て思うぐらいそーゆーの青春マンガにあるよね!と思ったし。いやマンガは大好きだし素晴らしいメディアだとは思ってるんだけど……難しいな。

そう、杏は、夏休みの間に学校をやめた。その前に、彼女に明確に恋してる始が由と春を巻き込んでダブルデートを画策したんだけれど、「お前が俺をナビる!」という遠隔操作があっさりバレて、杏を怒らせてしまった。
この時、春のホットパンツのカッコの方が100パー本気デートモードで、同性でもそのまぶしい太ももに目を奪われちゃう。
こっそり始君にナビってる由に自転車で突っ込む春は、自転車にまたがってるホットパンツ女子というアイテムのためだけの場面だろと思っちゃう。
いやー、実際、彼女が実は25歳だと知ってなかなかの衝撃だが、だからこその女の武器が生々しく映ったのかなあ。

最終的に由は春のことが好きだと気づき、物語は大団円を迎える訳だけれど、そこんところにこーゆー、いわゆる第二次性徴期にモンモンとする感じが充分に含まれているあたりが、こーゆーモンモン青春モノのポイントであるのは間違いない。
そういう意味ではザ・ヒロインである杏=橋本愛嬢は勿論、もう高校生をやっちゃいけない年齢の(爆)前野朋哉氏もまた、いわゆるアイコン的な存在なのかもしれない。

杏はそのマンガチックなバックグラウンドが明かされていくに従って、どんどんアイコン度が増してくる。つまり、ナマな女じゃなくなっていく。
最後に由が親友を抜けがけて彼女に会いに行くシーンに至っては、どうやったらこんな服チョイスするの、というピンクのフワフワである。引っ越し間際でなんでこの服(爆)。
いやうがって考えれば、由が訪ねてくるからとチョイスしたのかもしれんが、彼女が言うように、彼は確かに初恋の相手ではあってもそれ以上の存在ではなかったと思うしなあ。

今更だが色々説明不足(爆)。えーとね、杏は、両親が離婚して、父親のいる和歌山へ移り住んだ訳。和歌山……もともと彼らがいたところはどこだったんだろう、それなりにのどかな地方な感じ。
そうそう、のどかな地方な感じは、由を大人にしちゃう色っぽい農家の嫁、  によって明確になる。
無人野菜販売所でトマトやキュウリを貪り食ってる男子高校生という図だけでも萌えるが、キュウリにかじりついてる色っぽい人妻、しかもすっぴんのつなぎ姿のべらんめえ口調、という彼女に男子高校生たちが釘づけになるのはトーゼンなんである。

まあ言ってしまえばこの図もかなりのマンガチックで、後に「夫から別れを切り出された」ことで落ち込んだ彼女が、その慰めを由に強要する形で彼をオトコにしてしまう場面は、思いっきり男の夢だなと思う訳だけど(爆)。
春も杏もそしてこの色っぽい人妻も、それぞれにそういう、男子が求めそうな女子キャラ。リアル女子から見れば、リアリティがないと思っちゃう。いや、それぞれに、みんな同性から嫌われると思っちゃう(爆)。

一見、人妻や春はカッコイイし、杏はストイックで理性的だけど、でも明確な、男がつけ入る隙を用意してるんだよね。そんなの、リアルな女子にはないんだよ。わざと用意してる女子にしか、ないんだもん。
人妻を演じる美波嬢は素敵だったし、うらやましかったけど!!だって池松君とチョメチョメ(死語!!)出来てッ。

おっと、またフェミニズムに走って脱線してしまった。そうそう、杏は和歌山へ。
彼女を訪ねて由が問いかける素朴な疑問、「何も学校をやめることもなかったんじゃない」というのは、本作の中で唯一、そうだよなーと思った部分だったのだが、「色々あるのよ」という杏の、何にでも使える深そうで浅い一言で片づけられてしまったことにちょっと失望してしまった。
確かに色々あったのだろう。まあ端的に言えば、彼女は母親としっくり来ていなかったのだろうし、だからこそ父親の浮気相手と姉妹のようになじむなんてことが起こったのだろう。
良く出来た物語ならば、こういうこともアリだろう、実際、ほんの少しの間だけ義母となる香椎由宇嬢はとっても良くって。

彼が前夫人との離婚届けを震える手でサインするのを見届けて、たまらず場を辞してしゃがみ込んで泣いている場面、嬉しいんじゃない、彼の死にゆく運命と、その中での離婚の決意と、その先の自分との結婚と、それ以上のいろんな形にならない思いの涙を感じさせて、本作の中で一番、というか言ってしまえば唯一(爆)、リアルに赤裸々な女を感じさせてくれた。
新妻からあっという間に未亡人になってしまうという点では、作劇のためのキャラだとか言いたくなるところなんだけれど、年の近い義理の娘に友人のように、姉のように、そして母親として接する彼女がとても素敵で、あら、こんなに素敵な女優さんだったかしらと思った(失礼!)ぐらいだった。

そうそう、杏から聞かされていた男子2人が、遠路はるばる、ぜいぜい山を越えてきたのを車で追い越した彼女が、すっかりワクワクしちゃって、杏にシャワーを浴びるように促し、髪をオシャレに整えたりする場面には、オバチャンとしての立場の方に年齢的に近い向きとしては、なんともじーんとくるものがあったんである。

そう、本作のメイン、クライマックスは、由と始が杏を訪ねてくる場面なんだよね。まさしくひと夏の冒険、というにはトウがたっている気もするが(爆)、やっぱり男の子は成長が遅いからさあ、夏の当てのない旅行だけで、冒険になっちゃう。
でもそれを一度超えると、やっぱり方向が異なる。始はホントに杏が好きだったけど、この経験で大人になって、彼女の行く末を知っても、再度会いに行くことはなかった。

でも由は会いに行った。父親が死んで、仲の良かった義理の母とも別れて新天地に向かう決意をした杏に、のこのこと会いに行った。
このシーンは最も切なく胸に迫るシーンになってほしいところだったけど、池松君はともかく、強風の中でやたら叫ぶ杏=橋本愛嬢にかなり引き気味。
海岸、砂浜で青春の台詞を叫ぶというだけで相当にキビしいが、それをキャラじゃないことこの上ない橋本愛嬢にやらせるとは。
そりゃあ役者はどんな役柄も引き受けるのが仕事だけれど、だいーぶ前に先述したように、この青春の季節は、誰もが演じられるものではないのよねと、やはり個人的に思うんである。

大体、この強風にやたらこだわるのはなんなの。たまたま強風で撮り直しが効かないとかじゃないよね。最初に訪ねてきた時も、この場面も強風だもの。
せっかく義母が完璧に整えてくれた巻髪が強風にメチャクチャになったのを、ツッコむ場面さえない。いい場面も受けて拾わなければ、無意味になっちゃうよう。

どーでもよく、くだらないことだが、春が生理で体育休む場面も、えらくマンガチックだなと思う。
まともな?女子なら、たとえ水泳の授業でも栓して(爆)出るよ。生理はその通り、生理現象で病気じゃない。
しかも春はめっちゃ元気に由にまとわりついてるじゃん。だーかーらー、こーゆー女子が同性に嫌われるんだよ。一見男勝りに見えてさっぱり見えて、実際はこれ以上女くさいヤツはいないんだもん!

あー、ヤだヤだ、これじゃただ単にオバチャンのたわごとだな。それだけ青春モノは難しいのさ!
それで言えば、モノローグが多いことも手伝って、池松君の喋りも気になった。いや、これはネガというか……へえ、彼ってこういう喋り方だったのかあ、という方向の方が強いかな。★★☆☆☆


小野寺の弟・小野寺の姉
2014年 114分 日本 カラー
監督:西田征史 脚本:西田征史
撮影:相馬大輔 音楽:池頼広
出演:向井理 片桐はいり 山本美月 及川光博 ムロツヨシ 寿美菜子 麻生久美子 大森南朋 木場勝巳 モロ師岡 梅沢昌代 村松利史 秋本奈緒美 橋本じゅん

2014/11/3/月 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
今回、ビジュアルは最高に面白いと思ったが、初めて聞く監督さんの名前と、本作の前身が舞台であることに、興味と期待と、ちょっとハスに構えた気持ちが入り混じっていたというのが正直なところ。舞台の映画化かあ、と思い、映画より舞台を重視している監督さんなのかしらん、とついつい考えてしまうから。
やっぱりね、舞台を第一に考えてる人って、どんなに映画は別だと言っても、そういう姿勢や視点が出るものなんだもの。そしてそれが映画ファンにとっては、とてもとても悔しいことなんだもの。

でもオヤと思う。これが舞台でも確かに面白かろうが、映画としての面白さに満ち満ちている、のは勿論ビジュアルもそうだが、ビジュアルに関して言えば、大写しで見ることができる映画の方が、このビジュアルの面白さは絶対に勝っている!!とまたしてもついつい映画ファンの意地が出ちゃう(爆)。
このおとぼけ姉弟の日常会話のユーモラスさは、それもまた舞台でも生きるのだろうが、このあたたかな一軒家をリアルに感じることができる、映画というよりリアルなフィクションならではの愛しさを感じてしまう、とまたまたついつい意地が出ちゃう(爆爆)。

見ている間中、これで舞台が前身かあ、悔しいなあと思ってたから、オフィシャルサイトを見てアレと思う。原作小説がまずあることには触れているけれど、映画の前にまず舞台があったことに、触れてないんだよね……。
初監督をするために書かれた小説があって、映画があって、という流れ。あれ、舞台はどこに入ってくるの……と思って探ると、舞台はアナザーストーリーで、映画とは恐らく違ったものになっている、みたい。
それに舞台は去年上演、映画の本作の撮影とどちらが先かと考えたら、映画の方が先か、同時ぐらいなのか。
そうかそうか、舞台ありきの映画じゃないんだ、良かった(良かった??)。ヤだなあ、この、舞台に対してコンプレックスありありのひねくれ映画ファンの姿勢、なんとかしたい(爆)。

でも、この初めて目にする監督さんの、その経歴を見ても、ひょっとしたらこの人はもともと映像をやりたい人なのかしらん、と思うところもあって、いや、同時に舞台もバンバンやってるから判らんけど(まだ言うかっ)、でもとにかく、私のようなドラマ無知でも、ちょっと面白い作品がいくつも彼の手がけた脚本、あるいは演出になっていて、ほおーっ、と思った訳さ。
この姉、弟のはいりさん、向井氏の初顔合わせが「ママさんバレーでつかまえて」あーっ、これ、見てた見てた!(めずらしっ!)
そうか、言われてみれば!今回のカップリングはインパクト姉とイケメン弟の単なる面白さの組み合わせじゃなくって、監督&役者の中で充分に熟成された信頼関係だったのね。だからあんなに面白かったのかあ!

てなわけで、すっかり前置きが長くなっちゃいましたけれども(爆)。そうそう、映画を観た後だったんだけど、鼎談番組で、向井氏が、先に舞台があったけれども、という前置きして、だけど映像では表情ひとつで突っ込める、そういう映像の魅力を的確に指摘していて、それが凄く、嬉しかったんだなあ。
本作に感じた魅力はまさにそこだったんだもの。脚本の面白さは確かに、ある。姉と弟の日常の会話、やっぱりお姉ちゃんの上から目線と、それに仕方なく従う弟、だけどその間にコミュニケーションという形の愛情があふれているのを、これはやっぱり映像の、表情の、映画における役者の演技の魅力だと思うんだもの。

「これから横文字言葉は禁止ね」という他愛ないゲームをするシーン、「ああ、暑い。ちょっと温度下げてよ」とリモコンという言葉を誘い出したり、「アウトって言っただろ!」「違うわよ、カブトって言ったのよ」「あの状況でカブトって可笑しいだろ!」なんていうナンセンスに笑っちゃう。
それは、勿論そんな洒脱な脚本の力もあるけれど、こたつに半身突っ込んだままの弟と、キッチンテーブルで何か片づけ物をしている姉との感じとか、その表情、カメラワーク、そう、カメラワーク、やっぱり繊細なんだもの!!

……うーむ、私の舞台コンプレックス度は相当深刻らしい。そろそろそこから離れて進めなくちゃ。
そう、これはたった二人の姉と弟の物語。両親は早くに死んでしまった、らしい。ほんのちょっと触れられる程度で、この状況を深刻に語るものではない。
あくまで、この見た目だけで面白い姉と弟が二人で暮らしているための設定に過ぎない……というのはさすがに言い過ぎだけど。弟は面倒見のいいお姉ちゃんにちょいとした負い目がある訳だし。

しかしまあ、はいりさんはピタリにしても、この弟は、正直誰でも良かったように、まあちょっと思っていた訳。イケメンがちょっとぼーっとした、イケてない男子を演じて株を上げる風潮が、やっぱりあんまり好きじゃないから(爆)。
後から、彼ら監督と役者の信頼関係を聞いて、そうかそうかと納得し、まあ実際、向井氏の柔らかな風貌と、調香師という職業につけそうな頭の良さ、そして寝癖が似合う感じ(爆)とか、確かにピタリで。そしてその信頼関係があるんなら、まあしょうがないかっ!ていうような??
常に寝癖が女子の母性本能を刺激するズルさは、「サッドティー」を思い出したりしちゃうなあ。まあ、あの男子は女たらしのヒドいヤツだったけどさ(爆)。

はいりさんは、実際の年齢とは10ほど離れていて、そうなると、実年齢と近い役を演じてる向井氏と20近く離れる計算になるんである。役での年齢はほぼほぼ私の年齢なんで(爆)、何かと身につまされる(爆爆)。
まあ、女なんて、40過ぎればどれほど経っても大して変わらんさ(落)。

はいりさん演じる小野寺姉は、さびれかけた商店街の、さびれかけた眼鏡店に勤めていて、コンタクトレンズの営業マンに淡い恋心を抱いている。 この営業マンがミッチー。「イン・ザ・ヒーロー」といい、このひたー、マダムキラーやね、マジで。
ブルーのカラーコンタクトを「試してほしいっていうから」と装着して帰って、弟から「具合の悪いこけしみたい」と爆笑されるシーンは、彼以上に爆笑!
こういう、毒がありそうで愛しさに満ちている言い回しが、素敵なの。これこそが、この監督さんの強みだろうなあ。

一方、寝癖弟にも出会いがある。誤配の郵便物を直接届けに行こう!という姉にしぶしぶついていった先で出会った、絵本作家の卵の岡野さん。演じるのが山本美月嬢だから、ムダに美人(爆)。
姉と弟のそれぞれの思い人が出そろった時点で、ああ、こりゃー、そろって失恋するな、と判っちゃう。どちらかだけが成就するということは、二人等分に重点を置いている時点でなさそうだと思えば、まあ……アレなんだけど、やはりはいりさん、いやさ、より子の恋は、見るからに実のらさそうなんだもん(涙)。

それは、先述の鼎談で彼女が言っていたように、男にモテる女が、逆の場合と比べて狭すぎる現実にある訳で……。監督さんは、そこまでシニカルに描くつもりでこの展開を書いたかどうかは、どうか、なあ……。
確かにミッチー演じる営業マンは、上っ面だけのブリブリ女……より子には仏頂面しかしない、向かいのブティックの店員……にあっさり落とされる訳だし、そうした男の愚かさを描写しているとも言えるけど、弟=進が失恋するのは、性格にも特に問題なさそうな、ただただ可愛い美月ちゃんだからなあ。

うーむ、ついついフェミニズム体質が発露しちゃったぜ。しょうがないよねー、男優には色々いるが、女優は美人の割合が圧倒的に多いんだもん(涙)。
だからこそはいりさんは素敵だし、とてもとても可愛いのに!!と世の女性たちを代表してほしい向きとしては、彼女がまるで当然の様に失恋するのがつ、ツライのーっ。

ミッチー演じる営業マンはさ、より子に対して親密な態度をとるのさ。せっかく背が高いんだから背筋を伸ばした方がカッコイイとか、お昼を一緒しようとか、しまいには、休日の夜に誘いをかけて、より子はつけまつげまでつけかける(爆)さすがにとるけど(爆爆)。
ブティック女へのプレゼントを選ぶために誘い出したという、判り易いオチには、判っていながらもガクッと来たなあ……。

同時に弟の進も失恋して、悄然として帰ってくる。こっちは両想いだったというのに、進がオクテすぎてうじうじしてるもんだから、彼女の方が海外留学決めちゃって、「遅いですよ。なんで今なんですか」と涙を流すという、美しすぎる展開。
ズルいなーっと、完全により子側のクサレ女としては思うし、なんでそれが遅いのかも判んないんですけど!!とクサレ女は思う訳。絵本を勉強するために、一体何年、何十年行くつもりなのかよっ、と思う訳っ。
……クサレ女だったら何年遠距離だって平気ですわさっ。ああ、やっぱりなんか、なんか違うーっ。

……軌道修正。まあ、アレですよ。進の方は過去の恋愛の傷を抱えてて、それがとってもイイ子だったのに、より子も気に入っていたのに、仲良かったのに、別れてしまったというアレがあったから。
それはまあ当然といえば当然、彼女の方が、いつまでもお姉ちゃんと一緒に暮らすことにこだわる彼氏に、言っちゃいけない質問をしたことで、完全に破たんしたのであった。

アレですよ、アレ。「私とお姉さんとどっちが大事なの?」それ以前にもひとつあった。「進とお姉さん、ちょっとおかしいよね」どちらも絶対に言ってはいけない言葉であった。
まあこーゆー恋人はいるとは思うが、いるとは思うけど、メッチャステロタイプだよなとも思い、そう思うと、意外にパーセンテージ的にはそれほど占めないんじゃないかと思う……フェミニズム野郎の意見としては。

こういうカノジョって、特に前者の台詞はいろんなバリエーションで聞くけれど、男が描きがちな、恋愛体質のウザイ女、だよね。でも監督さんがより子さんのような素敵なお姉さんを描く人ならば、それってちょっと、単純すぎて残念かなあ、という気もし……。
でもしょうがないかあ。この二人暮らしの設定と、失恋をいつまでも引きずる弟を心配する姉、という前提を満たすには、それしかないかあ。
と思いつつも、それを演じるのがリアリティ女優、麻生久美子なだけに、更に更に、哀しい気持ちがしたんだなあ。

より子が進のことを心配しているように、進もお姉ちゃんがなかなか幸せになれないのは自分のせいだと心配している。ニカッと笑うと前歯の一本が黒く変色している。ううむ、ハリセンボンのはるかさんであろうか。
好きな男の子の話ばかりするお姉ちゃんにイラついた進が、自転車の二人乗りで後ろから目隠しして木に激突、より子さん、口から流血の沙汰にあいなったんであった。
そんなことになっても、彼女は弟のケガの方を心配していた。弟がそのことを悔い続けていると同時に、姉も、ヘタに歯を治したら、弟を傷つけてしまうんじゃないかと悩んでいた。そんな、優しすぎる姉弟。

弟が畳預金(畳の下にずらりと並んでいるのが、万札じゃなくて千円札ってのが愛しすぎる)してた目的が、「ごはんの炊ける匂いが大好きだから。高級炊飯器を買おうとしてるのよ」というお姉ちゃんの思惑からはずれ、お姉ちゃんの歯を治す治療代のためだってのが泣かせる!!
分厚い封筒をお姉ちゃんのエプロンに差し込み、「誕生日プレゼントが、現金って!!」笑うお姉ちゃんもまた、それをマグネットクリップで挟んで冷蔵庫に貼っ付ける日常さがヨイ!!
しばらくは、この二人の生活でいいかなあ。この二人の関係こそが好きだと思ってくれる相手じゃなければ、意味ないもの!……絶対、いるよ!!

こんな二人の良さを、誰も判らないままだったら哀しすぎると思ったけど、より子が盲腸で入院することになって、ちょっとしたエピソードが切な暖かい気分にさせるんである。
ハッキリ言ってここで出会っちまった中学時代の同級生、より子のかつての片思いの相手はサイアクである。何もこんなヤツに見栄張って、弟を”年下のイケメン夫”などと紹介しなくても良かったのだ。
結局バレていらんハジかいて、恩師の前で悄然としているより子さんが可笑しくも切なく、そして可愛くて、もうたまらなくなっちゃう!!

そう、偶然一緒に入院していた恩師が、知らずにバラす格好になっちゃった。でも泣かせるの、この恩師。自嘲するより子に、そんなことはない、私の自慢の生徒なんだから、って言ってくれるのさ!!
あーもう、言われたいわ。多分、私を覚えてくれてる先生っていないだろうから、ムリだわ(爆)。
そう、ここ大事なの。先生は膨大な生徒を教えてる。覚えてもらっている生徒なんて、やっぱりひと握りだよ。地元というものを持たないと余計に。うらやましいんだよなあ。

進の同級生、ムロツヨシ演じる、売れない役者、河田はコメディリリーフと思うけれど、セルフプロデュースの舞台とか、何より舞台!てあたりが、ムロ氏自身もそうだけど、やっぱり監督の思い入れもあるのかなあ、などと、この期に及んでまたしてもこだわっちまったりして(爆)。★★★☆☆


思い出のマーニー
2014年 103分 日本 カラー
監督:米林宏昌 脚本:丹羽圭子 安藤雅司 米林宏昌
撮影:音楽:村松崇雄
声の出演:高月彩良 有村架純 松嶋菜々子 寺島進 根岸季衣 森山良子 吉行和子 黒木瞳 杉咲花 森崎博之 安田顕 戸次重幸 大泉洋 音尾琢真

2014/10/8/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
あまりに宣伝展開していると、逆に避けてしまうもんなんである……アマノジャクな私は、このまま観ないで終わってしまいそうな気もしてた(爆)が、もはや一日一回の上映になった、その時間にピタリと合って、ちょっとした運命的に(おおげさ)鑑賞。
まあそれでなくてもジブリ作品は、同じような理由とロングヒットで観るのが大抵遅れるもんだけど、やはり今までジブリの看板を担ってきた、ジブリそのものと言ってもいいぐらいの大巨匠がハッキリ退いてしまった後の大一発だから、その割には地味だな……という印象はぬぐえなかったかもしれない。

いやでも、だからこそきっと良かったのだ。あの大巨匠に対抗して肩ひじ張って、後年やや独りよがり社会派に傾いていた巨匠の作風を追うようならば、きっと先は長くないのだもの。
監督が「借りぐらしのアリエッティ」でデビューしたことを考えれば、本作のチョイスは確かに正しいのだもの。

そう……米林監督はあの大巨匠のように、オリジナル脚本を書くタイプではない、のだろうか。もともとはアニメーターなのだから、脚色出来るだけで素晴らしい才能だとは思うが。
でも原作があって、それを魅力的な作品に作り上げる才能こそが、ジブリのように広く社会的に影響力のあるアニメスタジオにおいては必要なのかもしれない。

オタクのものではないアニメ文化。それだけに米林監督が「子供のための作品を作りたい」とはっきりと明言したことに納得もする一方で、ちょっと引っ掛かりを感じたりもする。
だってもはや、アニメは子供のものではないのだし、それを示してきたのがジブリ、ひいては日本のアニメーションだったのではないのか……。
確かにいまだに世界的にはアニメや漫画は子供のもので、それを超えるとオタクのものになり、中間層がない。

それを埋めてきたのがジブリだったのになあ、という思いはあるけど、確かにジブリ、特についこの間の二大巨匠の大作は、子供を排除したというぐらい、大人のものであった。アニメだから、ジブリだからと子供を連れて行ったら、親御さんは焦ってしまうであろうぐらい。
でも、子供だから理解できないという訳じゃない。子供の頃に大人のものを見て、柔らかな部分で衝撃を受けることはある。

なんか何を言いたいんだか、判らなくなってきた(爆)。まあつまり、本作はもともとが児童文学ということもあって、監督は子供のための、というスタンスで臨んだのだろうけれど、確かに前作のジブリ作品のように子供はツラそうな内容ではないにしても、決して“子供向け”ではないように思う。
いや、そもそも、子供向け、という意識自体が間違っているのか。大人は子供時代を経て大人になり、子供は大人になる部分を今育てているのだもの。

もう筋も何もすっ飛ばして書き始めるが(いつものこと(爆))、劇中、もう充分大人、どころか、もはや老婦人である、マーニーのお屋敷を絵に描いている久子さんが言う。「あなたもマーニーに会ったのね」という台詞。
久子さんはマーニーとは幼馴染だったのだから会っているのは当然だが、杏奈が会うとすれば、もうこの時点で本人が自覚しているように、空想、夢、はたまた妄想?の中でしかない。

ならば久子さんも、大人になってから、もうあの頃のマーニーが遠く失われてから、マーニーに会っているのだ。
少女のままのマーニーが、彼女が大好きだった、湿地に建つ屋敷に閉じ込められている。それを、10年に一度しか喋らないという、十一(まんまな名前だ!)という老人も、そんな滅多なことでは喋らない彼が喋ったんだから、彼もまた、そんなマーニーに会ったに違いないのだ!10年に一度しか喋らない老人にヤスケン!ピッタリ!最高!!

……訳判らなさすぎ。整理修正!でね、そうそう、これは児童文学、それもかなり有名なんだね!私、知らなかった……。
それこそ「借りぐらしのアリエッティ」だって、私が知らなかっただけで相当有名だったみたい、というのは、これってコロボックルじゃーん、と思って愛蔵書「誰も知らない小さな国」のあとがき解説をめくってみたら、その元ネタが出てきてビックリ仰天したことがあったし!
そうかそうかと思って今回もアマゾンを探ってみると、出るわ出るわ、子供の頃大好きでしたレビューと、映画化に対する不安とほんの少しの期待の気持。

実際、これだけ本好きの子供に影響を与えた原作を、映画化するのは恐ろしくないのだろうか……メッチャ恐ろしそうだ……。
でもそれを言えば、私がジブリの中でいっちゃん大好きな「魔女の宅急便」だって、そうだったんだもんなあ、と思うと、ジブリはあれだけの知名度と評価で安泰ながら、改めて、いつだって凄くチャレンジャーなんだなあと思う。ホント怖いよ、こんなの……。

まあとはいうものの、私はその原作を知らないから、あっさりと作品に対峙できるのは幸福……なのかどうなのか。でもそれこそが、映画ファンの正しい在り方だと信じて!(自信のない人の言い分(爆)相変らず知識を入れていないんで。
ナックスさんたちがゲスト声優として招かれているのは、これまでのジブリ実績があるのかと思っていた。そうか、北海道を舞台にしたのか……。湿地が実際にリアルに表現できるのは、確かに北海道が最適な場所かもしれない。

北海道が舞台なのに、冬景色が一切出てこないのも新鮮。杏奈がもともと暮らしていた札幌は、大都会の記号として示されるのみで、大抵、北海道、冬、雪、みたいにくっつけられるのに、そうじゃないのが、なんか、イイんだよね。
物語の後半、それまでは二人のヒロインで話が進んでいたところに、突然メッチャ現実味を帯びて飛び込んでくる女の子、彩香は東京から来た女の子である。
こんな重要かつ魅力的なキャラが、オフィシャルサイトのメインキャラの中に示されていないことには仰天するが、つまりはキーマンであるからこそのサプライズキャラなのかもしれない??私は本作の中で一番好きなキャラだったけどなあ……。

で、その彩香は東京の子な訳でしょ。でもここが北海道だとか、北海道の片田舎だとかいうこととは比較しないんだよね。
同じ北海道の中から、その中の大都会、札幌から療養のためにやってきた杏奈だけが、地元の子供たちに、うらやましがられたり、なんでこんな田舎に来たのと言われたりする。それが面白くてさ……。
まあ、彩香はまだ越してきたばかりで、まだ杏奈としか交流していないということもあるだろうけど、やっぱり意味深いものを感じたのだ。

北海道という、いわば一地域の、小さな田舎町の中で、親からほっておかれ、女中にいじめられ、ばあやに厳しくされ、ここから出られないマーニー。
優しい幼馴染と幸せな結婚をしたのに、ダンナに先だたれてしまって、体調を崩してしまって、娘にグレられてしまって、そのすべてが、広くて狭い、北海道という一地域の中での出来事なのだ。
実は杏奈がマーニーの孫であったという、ミステリの謎解きの大オチ、号泣必至の大オチもまた、その中に閉じ込められているからこその大オチであることを考えると……。

だーかーらー。もう、全然これじゃ判んないってば!!でもさ、それこそ原作を知らないからさ、結構映画化に際しては違ってきてるのかな、と思ってちょこっと探ったんだけど、ちょっとしたミステリ要素があるせいか、あんまり詳しく出てこないんだよね……。
まあ当然、舞台を日本に移したってことはあるだろうけど、それに関しては少々の不自然さを感じなくもない(爆)。

いや、日本の別荘地に屋敷を建てて、そこに一人娘を残して夫婦は仕事に遊びに飛び歩いている、まあ、なくはなさそうさ。
たまに帰ってくると派手なパーティーを催す。……この設定だと、そうそう近くにそんなパーティーに出席できそうなセレブがいるとも思えないが……いやでも、こんなお屋敷を建てるぐらいだから、彼らがお客を連れて帰ってくるのかもしれない!

しかし、そもそも完全に外国籍と思われるこの家族が、別荘とはいえここに居を構えたいきさつとか、マーニーが日記も含めて日本語ペラペラなのはなぜかなのかとか、てか、両親明らかに外国人、パーティーの雰囲気もまんまそうなのに、日本語なのかしらんと思ったり……。
うーむ、そんなところを突っついたら、興ざめになってしまうが、そういうことをすっ飛ばすことが子供向けということではないと思うもん!!
ばあやが完全に和服スタイル(吉行和子の声がサイコー!)、日本式のしつけを教え込もうという感覚はあるけれども、屋敷が完全に西洋のお城だもんなあ……。

だめだめ、そんなことは本当につまらないこと。本作の魅力は、謎の美少女、マーニーに出会うこと、そのものなんだから!
潮の満ち引きで、行きは歩いて渡れても、帰りは小舟を漕いで行かなけりゃ陸地にたどり着けない、なんて、もうそれだけで夢か幻のように素敵!
このお屋敷が建つ湿地のロケーションが、とにかく素晴らしいと思う。実際にあろうとなかろうと、少女の夢の中に出てくるロケーションとして素晴らしいのだ。

杏奈が古いお屋敷の中の、お人形さんみたいな美少女マーニーに、どこか女子校恋愛のような感覚で頬を染めたりするのは判るが、マーニーの方がどうして杏奈に対してストレートの愛情を表現するのか。
まあ大オチを知れば判るんだけど、いや大オチを知っても、あの場所に、どこか亡霊チックに閉じ込められているマーニーがそのからくりを知っていたのかどうかもよく判らんしなあ。

うーむ、そんなことを言ってしまったら、秀作ファンタジーは誕生なしえないんだけど!これが大人のツマラナイところなのかもしれない……。
でもさ、監督が子供のためのと言う割には、大人が納得するしっかりとした枠組みを建て込んで来てるじゃない。いやそんなことを言ってはいけない、それこそ、子供をバカにした発言だ(爆)。
でもねでもね、いや……これは恐らく(あくまで推測!)原作でもきっと残されていたあいまいな部分だとは思うんだけどさ。

見る限りではね、杏奈が一方的にマーニーに恋しているように見えて、それこそが私的には結構萌える訳(爆)。
杏奈は喘息という持病がジャマしていることもあるけれど、自分を表現することが苦手で、表面上仲良くするとか空気を読むとかいうことも苦手で、それゆえに孤立してしまう。
大人になればブリブリ演技も出来るのになあ、と、割と杏奈の不器用さが判ってしまうタイプの私は思う訳。

ホント、マーニーのような天真爛漫で美少女で、特にあの金髪!柔らかそうでめっちゃボリュームたっぷりそうで、杏奈が抱きしめると髪だけで柔らかな少女の肉体のようにふんわり、もっちりとした手触りが感じられるあの金髪は、日本人のあこがれの的だよ……。確かに杏奈が恋するのも判る。

でもね、マーニーみたいに、相手を引っ張りまわす人気者タイプは苦手よ。
ただマーニーは、人気者になれる器なのに、人気者になれる環境を与えられなかった。いつだって一人ぼっちで、いじめられて、青い窓の中に閉じこもっていた。
そこに、時空を超えて杏奈がやってきたのだ。時空を超えて。マーニーの人生が苦難に満ちていることを、彼女自身がどこまで判っていたのか。

そもそも実際の過去の時間軸のマーニーが、時空を超えた杏奈に会っていたのか、それとも、いわば生霊として閉じ込められたマーニーに杏奈は出会ったのか。
後者の方が物語の構成上はピタリとくるけど、なんか段々時かけを思い起こしてしまう日本映画ファンとしては、前者の推測を取りたくなってくる。
取れなくもないんだよね。どちらにもとれるような作りには、さすがしているんだよなあ。

妄想、夢、空想、その中でマーニーに出会い、楽しい時を過ごし、段々辛い時になり、その世界から杏奈が覚める時にはいつでも、現実の泥まみれの中である。最終的には、カンカンに熱を出して倒れちゃうんである。
もうこの時には、彩香に出会ったこともあって、マーニーが現実の存在ではないという自覚があった杏奈は、夢の中で、まさに夢の美少女、マーニーと熱い、愛のやりとりと言っていいような……いや、これは永遠の別れのやりとりだから、凄く哀しくて切なくて、でも未来に通じる思いをぶつけ合うのだ。

あなたが好きよ。こんな言葉、こんな言葉を絶叫するなんて、人生の中であるだろうか、あるだろうか……。
もう現実世界にはいないマーニーは、忘れてしまえばそのまま消えてしまう。杏奈は一度、忘れかけてしまう。

『トーマの心臓』にあった、実際の死と、二番目の、永遠の死の定義を思い出す。絶対に、一生忘れない。この高熱の中、その夢の中で約束しあう。
湿地に波が押し寄せ、高窓をバン!と開けたマーニーと足を潮にとられている杏奈とは、決してもう触れ合うことは出来ない。はかない約束。だけど……。

マーニーと親しくなった前半部分、自分の家庭事情を話そうとした杏奈は、記憶が薄れ、マーニーの映像も遠くあいまいになった。自分がスケッチしたマーニーの絵を見ても、一瞬彼女を思い出せなくなった。
この一連のシークエンスにね、夢と現実の表裏一体、夢の中では現実を思い出さない、夢こそがその時の現実で、夢を見る時間が長くなればなるほど、そっちの世界に実体も行ってしまう、そんな、かつての、アナログなSFやファンタジーの世界ではある意味常識のような定義を思い出してしまった。
だから前半、ちょっと怖かった。実際はヤハリ、アイデンティティこそが大事な、きちんとした良識の作品である訳で、この先に行っちゃうのは、つまりジブリの役割ではないんだろうと思ったり……。

なあんて、つまんないこと言いつつ、結構号泣してるんだけどね!マーニーは杏奈のおばあちゃんだった、という大オチだけでも泣けるが、私的には、マーニーの辛い経過を聞いて、大きなめがねの下の目をごしごしこすって涙をこらえる彩香ちゃんがメッチャ可愛い!
なんでこんな、後半のメインキャラなのに、オフィシャルサイトに出てこないの!メッチャメッチャ可愛いじゃん!
このお屋敷、マーニーの日記や久子さんの絵を大事に保存していく使命を担った大事なキャラでしょう!!★★★☆☆


おやじ男優Z
2013年 100分 日本 カラー
監督:池島ゆたか 脚本:五代暁子
撮影:清水正二 音楽:大場一魅
出演:なかみつせいじ 牧村耕次 竹本泰志 坂ノ上朝美 竹下かおり 星野ゆず 吉行由実 那波隆史 沢村麻耶 倖田李梨 日高ゆりあ 野村貴浩 久保田泰也 津田篤 柳東史 世志男

2014/10/25/土 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
初日に鑑賞。立ち見も出る満員御礼の熱気に圧倒される。どんな映画でも初日は混むんで避けたかったが、そうじゃなくても本作はホントに盛り上がっている、のかもしれない!!
ミスターピンクこと池島ゆたか監督作品。彼のピンク以外の作品は初めて観る……って、本作はピンクじゃない、よね?一応。一応??商業一般映画、だよね、やっぱり。うん、やはり、池島監督初の一般映画、だった!

そこらへんはヤハリ、ピンク愛にあふれた、限りなくピンク映画に近い一般映画、だとしても、である。近い将来、ピンク映画が消滅してしまうのかもしれなくても、である……ということを言い出すと後ろ向きすぎるのでやめとく(爆)。
しかし、こちらが思う以上に、池島ゆたか監督=ミスターピンクというのは、世間的に知られてきているのかもしれない??その精神のまま、たとえいつかピンク映画がなくなっても(すいません、失礼なことばかり言って……)、彼がその精神で撮りつづける限り、ピンク映画はなくならないのかもしれない!!

ピンク映画、あるいは映画そのものに対する愛にあふれている、のは、ラストにつながるオープニングで既に示されている。
オチというかラストを最初に言っちゃうと、ひと時を共にしたAV役者たちが最後に打ち上げた花火、売れっ子AV女優の引退作三本は、彼らが選び抜いた名作映画のAVパロディ、いや、パロディなどと言ってはいけない、オマージュ、であるのだもの。
男はつらいよならぬ、女もつらいよ、インタビューウイズバンパイアならぬ、ファックウイズバンパイア、ロミジュリだけがどうタイトル変えしていたのか読み取れなかった(爆)。とにかく、それだけでも涙があふれるような気持ちなんである。

同じアダルト分野としてのAVの作り手への愛にもあふれ、やはり私はどこか、ピンクは映画だから、オカズ産業のAVとは違う、みたいな、頭の固い映画ファンが陥りそうなことを思っていたんだけれど。
確かにメッチャ玉石混合、どころか玉を見つけるのが難しいぐらいの世界だろうけれど、やはりそこもまた、作品を作るために人間が集まっている場なのだと……。

基本コメディだから、何かと笑わせてくれるんだけれどね!しゃべくりキングでいつでもふざけているような姿しか壇上では見ないのに(爆)、作品を作るといつでも驚くほどの構成力と、映画としての力にあふれている池島監督作品に、改めて驚かされるんである。

思いがけず、汁男優という言葉を先に知っていて、良かったかも(爆)。去年観た傑作ドキュメンタリー、「セックスの向こう側 AV男優という生き方」を知らなければ、その言葉は知らなかったもんなあ。
勿論、本作だけ見たってその役割はするりと入ってくるんだけれど、やはり知っておいてよかった、と思う。

まあ言葉から予測できるとおり、発射要員(という言い方は、本作の中で初めて耳にした(笑))のAV男優。
でも私がそのドキュメンタリーで目にした汁男優は、本当にその能力に特化したスター男優で、本作のように、絶倫&ヒマ&貧乏な男たちが集められた集団、という感じではなかったから、これもまた新鮮な面白さ。

実際はこういう現場もあるんだろうか……あるんだろうなあ。そしてあまたのAV女優の中でも、態度のデカイ奴もいれば、人気者になっても汁男優たちから「あんないい子はいない」と言われるような、ヒロインの夏目ゆりあのような子もいたりして。
それはどんな業界でも一緒なのかね?だってまるで、現場が違うだけで、芸能界とか、演劇界とか、そんな内幕ドラマでも見ているような雰囲気なんだもの。その評価を下すのがブリーフいっちょの汁男優たちって違いは大きいけど(笑)。

そうよ、主人公は新人汁男優、これが体裁は一般映画だとしても(爆)、池島監督がミスターピンクなら、彼もミスターピンク男優と言いたい、なかみつせいじ氏である。
彼はやはり、コメディが似合うよね。ていうか、どシリアスのはあんまり見た記憶がないような(爆)。いや、コメディの印象が強いから、忘れてるだけかな??
でもその中でも、ペーソスというか、中年男の哀愁というか、それが彼の魅力でもあって、まさにまさに、本作の豆田満男はそのまんま、ピタシなんである。

もう最初から、妻子に逃げられる。それは彼が夢を追って脱サラで始めたスナックがあっさりつぶれたからである。
引っ越しして出て行く妻と娘を止めることも出来ず、飲んでいるのがビールではなく発泡酒だってあたりももの悲しい。
居酒屋でバイトしながらネットカフェ暮らしというどん底生活。ネットカフェ……よりも昔ながらの漫画喫茶と言った方が正しい、時代から取り残された店に「ただいま……」と入って、やっすいカップ麺(あれもリアリティ。決して日清のカップヌードルなんかじゃないんだもん)を夕食にスポーツ新聞を開いたところに、AV男優募集の求人を見つけたんであった。

居酒屋でのバイトシーンでも、しっかり笑いどころが用意されていたりして、そこここで逃せないので、なかなか大変!まあでもそこはスルーしつつ(ゴメン、体力なくて(爆))、だってその男優募集に応じて行った先が強烈すぎるんだもん!
そこは中継地に過ぎないの。男に飢えた熊さんにすっかりしゃぶられた日当1万円にボーゼンとする豆田さん(爆笑!)。
しかし一応ちゃんと、AV男優の道は紹介してくれる。そこで初めて豆田さんは、汁男優という言葉を知るんである。「女優とヤレるなんて、一握りのスター男優だけよ」と。

この熊さんは節目ごと(つまり、豆田さんが金に詰まった時)に現れて、なんか段々、しゃぶりしゃぶられ以上の関係になっていくことを想像させる(いや、やっぱりそこは一般映画だから(爆))、その間合いが抜群に可笑しくて、なんか熊さんの恋を成就させたくなってくる……のはかなり軌道から外れるから(爆)。
だって豆田さんは、汁男優仲間と熱い友情を交わすんだもの。そして何より、“最下層”の彼らを現場の仲間として分け隔てなく接し、それどころかこのおやじ男優たちの“どん底ハウス”に転がり込んでくる、人気AV女優、夏目ゆりあの存在!!

ゆりあ、と言うと日高ゆりあ嬢が受かんじゃうが、日高ゆりあ嬢は本作にゲスト的に出演していて、それはまさに、ヒロインの夏目ゆりあと対照的な位置におかれる、大ベテランが故に態度がデカい女優、という位置づけ。
ヒロインのネーミングといい、池島監督の絶大な信頼を感じずにはいられない。

そしてその、ゆりあ嬢の名前をもらったヒロイン、夏目ゆりあを演じる坂ノ上朝美嬢は私、初見で、しかもこれが引退作品なのだという!
AVは勿論、ピンク映画界も女優さんたちは次々と現れて消えていくが、それは本作の夏目ゆりあのように、様々な事情を抱えた女の子たちが、きっとその先の幸福に向かっていったんだろうと思うし、思いたい。

「AVの中でのちょっとした芝居で面白くなって、ピンク映画に来たり、自分で劇団立ち上げる子もいるし」という、ベテラン汁男優さんの弁はまさに、ちょこっとだけだけどピンク映画を観る機会を得ると、本当に感じること。
それがとても嬉しく、楽しみなことでもあったんだけれど、でもどんなに魅力や才能を感じても、なかなかその先、はやっぱり難しいのかやはり、残っていく女優さんは少ないように思う。
いやそれは、一般芸能界でも同じことなのかな……消費されていく女たち、になにがしか、哀しい思いを感じたりもして。

いや、そんなところで立ち止まっていては、本作の面白さには到達しないんだけど!!
何より本作の面白さは、AVの現場の面白さ。一発3000円、そのたびに手首に巻かれる輪ゴムでギャラが決まるという慎ましさ(笑)。
三本の輪ゴムに、おお、今日は凄いですね、テヘ、みたいな(爆笑!)。しかし「(汁を女優の)口に出すなって言っただろ!」と1000マイナス(大爆笑)。

そして、新人男優が上手く勃たなくて激怒する横柄なベテラン男優、という構図も可笑しかったが、そこにしれっと出てくる池島監督本人には更に爆笑!!
「疑似で行こう」疑似??たまごの白身と練乳の黄金比率をスタッフに怒鳴りつけるのにも笑ったが、「これぞニッポンのものづくりの技術」「プロジェクトXにすべき」とか冗談半分に盛り上がる汁男優ズには更に爆笑!!

てか、てか、このボロの一軒家“どん底ハウス”に集う、汁男優のオヤジたちの友情物語、なんだもんね!!
ボスの蜂谷さんは裕福なムコ生活から逃げ出してきた。最年少の大前さんは、震災にあって妻子は妻の実家の北海道に避難中。
……そうか、池島作品でも、震災は避けられないのか。そりゃそうか、常に現代の問題を模索しているんだもんなあ、映画は……。

結果的に大前さんが、地元の気仙沼にこだわることをやめて、妻の実家に帰っていくという決断は、豆田さん自身がやはり、家族の元に帰っていくために同じ選択をすることと重なり、充分に納得できることではあるんだけれど、少々の苦さを感じずにはいられないんである。
でもこれは確かに、被災者の大方の現実であろうと思う。現実を映すのが映画であるんだろうから。一歩を踏み出すためには、故郷を捨てることが現実になることなのだから。

なあんて、ついつい深刻になってしまった。大前さんには更に深刻なエピソードが課せられているから、やはり監督自身(あるいは脚本家さんがかな)、ちょっと選択の重さを思ったのかもしれない。
この楽しい現場の中で一人だけ辛かったと舞台挨拶で漏らした、喉頭がんで余命いくばくもない男、という役柄を演じた那波隆史氏。自分ではもう満足させてやれないからと、プロのAV男優に妻を抱かせる。
そのビデオを棺に入れました、と奥さんからメールが来て大前さんが号泣するシーンから明かされるこのエピソードは、コトの後に奥さんが顔を覆って泣き出し、声の出ない夫が大前さんに、声の出ない口を大きく動かして必死に感謝の言葉をかけるシーンがあまりにやるせなく、こみ上げない訳にはいかないんである。

蜂谷さんに関しては、いかにもブルジョアな奥さんに汁男優のなんたるかをぶつけて、その修羅場に周囲がハラハラする、といったコミカルさがあるから、殊更に大前さんのシリアスさが際立つ。
そして豆田さんは……そんな中で何もない、ことに自分自身、ガクゼンとする。この過酷な現状を乗り越えて、家族のため、あるいは自分のための未来が見えている二人に比して、自分は何もない、と。

それを慰めるのが、このオヤジの家に転がり込んできた夏目ゆりあ。ストーカーに追われて怖いから、というのがその理由だったけれど、彼女はまるで、彼らの娘かの如くすんなりと溶け込み、最初からこの生活がしたかったから来た、みたいな雰囲気。
それでも当然オヤジたちはセクシーな女の子との共同生活にドギマギしっぱなしで、自然向けられてしまう視線をそれぞれにツッコミ合うのが、お約束なんだけどメッチャ可笑しくて、最高に秀逸!こういうあたりにコメディセンス、ベテランの技量が現れるよなあ、と思う。

そのことに全然気づいていな、というのを、本当にプレーンに演じる坂ノ上朝美嬢が素晴らしいと思う。あれだけおっぱいとおみ足を見せつけ、マッサージするとか言いながら馬乗りになって巨乳をなかみつ氏の頭に押し付けながらもよ(笑)。
その豊満な肉体とギャップのある、どこか垢抜けない無邪気なルックスが、青山えりな嬢をほうふつとさせる、と思ったが……彼女は今でも活躍しているのかなあ……。

ゆりあの足抜けに蜂谷さんがボコボコにされるとかいうエピソードも挟みつつ、別れの時が近づく。
地元でケーキ屋さんを開くために引退するというゆりあは、三本の引退作品の契約を取り付けてきた、と言い、お世話になった三人を、汁男優ではなく、ちゃんとしたAV男優として相手役に迎えるというんである。そして先述した、名作チョイスに映画ファンはうるうるきちゃうんである。

なかみつ氏が演じるのはファックウイズバンパイアの吸血鬼。自分だけが何もない、と飛び出した彼を追いかけて、なぐさめてくれた娘のようなゆりあに対する恩返し。とてもトム・クルーズには見えない(爆。いや、ブラット・ピットか?判らんけど……)が、映画ファンにはうらやましいオマージュのオンパレード。
「女もつらいよ」のパッケージが巨乳まるだしの寅さんファッションなのには思わず爆笑!でも、そういう俗っぽさこそが、寅さんに似合うの!!

このタイトル、そしてゆりあの引退三部作に決起をはかるためにネーミングしたおやじ男優Z、劇中、居酒屋で気炎を上げる彼らの言い様からもヤハリ、ももクロのもじりであり、いやー、ももクロちゃんたちは、このことを知っているんだろうか、知らせたいわと思ったり(爆)。
彼ら曰く、Zはアルファベット最後の、彼らの住んでいたボロ家ももじった、最下層の意味でのZだけれど、でもやっぱりやっぱり、ももクロちゃんたちの気勢そのままに叫ぶおやじ男優Z!最高のオヤジ、汁男優たち!!という意味合いだと思うもの。★★★★☆


女の穴
2014年 95分 日本 カラー
監督:吉田浩太 脚本:吉田浩太
撮影:山崎裕典 音楽:松本章
出演:市橋直歩 石川優実 小林ユウキチ 布施紀行 青木佳音 酒井敏也

2014/7/8/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
「ユリ子のアロマ」の監督さんということもあるし、女の子エロものらしいということもあるのだけれど、かなりの動機となったのは、メイン級にクレジットされている小林ユウキチ氏のお名前なのであった。
話題作にも名前は連ねてはいるけど、ゴメン、そこでは判別出来ていなくて(多分ワキのワキだと思うのだが……いい役だったら更にゴメン(汗))「Sweet Sickness」での繊細な彼があまりに素晴らしかったので、その名前が一発で頭に入ったのであった。

んでもって今回は、ある意味主役の一人と言ってもいいと思うんだよなー。期待にたがわずやはり良くって、うんうん、人から言わせればかなり遅ればせながらの発見かもしれんが、この青年は実にイイ、とニコニコしてしまうのであった。
女の子好きの私が、女の子よりも男の子の方にニコニコしてしまうというのは実に珍しいこと!

でもこの一話目の方の女の子は、異星人という設定も手伝ってか終始無表情であるというのも、そして何よりエロものなのに肝心のおっぱいを出してくれないのも、それにちょっと声がアニメチックで今一つだというのも、なんか私の琴線に引っかかってくれなかったから……その点は二話目の女の子が全てを叶えてくれたのだけれども!

てか、そうそうそう、なんか色々先走っておりますけれども(爆)二話、あるんだよね。最初の話が割とコンパクトな尺に収まったからあれっと思ったら、「女の豚」が始まって、えーーーっ!と思った。そ、そんなあ(泣)。
ってほどおびえることもないのだが、オムニバス苦手な私。いや、二話じゃオムニバスというのもアレだが、かといって二話がつながっている訳でもなくって、まあ、同じ学校の同時期の話ではあるのだが……。

で、まあそれはおいといて(どうも話がまとまらない(汗))、この監督さん、すっかり「ユリ子のアロマ」以来だと思ってたんだけど、「ソーローなんてくだらない」も彼だったんだね!すっかり忘れてた!!そう思うと間かなり見逃しがあるのが残念!ユリ子とソーローだけとっても、エロエンタメを、しかも心理的にセンシティブにしかもユーモラスに描くことができるお人だということが判るから、もーこれは絶対追いかけずにはいられないのに!!
実際、新作の予告が早速かかっていたのだが、これがまたメッチャ期待度高い題材。凄い楽しみ!!

で、まあ、脱線するにもほどがあるので、とにかく第一話から。地球の女子高生の肉体を借りた宇宙人が、地球人の赤ちゃんを作ってこいという命令によって、若い男性教師と関係を持つという荒唐無稽な物語。
荒唐無稽なんだけど、舞台は地方都市ののどかな高校で、思いっきりストイックなセーラー服や学ランが実にしっくりとくる萌え萌え感なのだ。

こーゆーメタリックな?設定ならば、都会のミニスカギャル系女子高生を持ってくるという選択肢もあったかと思うが、まあスカートは短いけどそれも校則の範囲内のマジメな短さ。
この先生曰く、「ぽっかりと空いた穴のような目」は演じる、市橋直歩嬢の黒目がちな瞳にピタリとはまり、情感を一切交えず“性交”するんである。
そう、彼女は決してエッチだのセックスだのといった言葉を使わない。これはあくまで母星からの命令であるから。

そう考えると、女子高生の肉体を借りているけど中身は結構な大人なんじゃないかとも思えるし、そういう命令を受けているということは、それって地球を侵略する情報収集の一つなんじゃないの?などと、それこそこの福田センセーが買い込むB級宇宙雑誌に書いてそうなことを思うのだが、そんなヤボなところまでは全然到達しないんである。
何のためとか考えちゃうと、このキッチュでちょっと切ない欲望物語の魅力は成立しないのかもしれない。ただただ、この福田先生が彼女の目的を聞かされて「そうきたか……」と太刀打ちできなくなる感じの可愛さ可笑しさで充分なのかもしれない。

確かに充分なのだ。ボロ車をみかん畑に止めて、オートマチック?な“性交”から始まる彼らの関係は、彼女が、赤ちゃんを作るだけじゃなく、その過程を情報収集することが目的だと言ったから、いわゆる恋愛としてのいろんなことを福田センセーは彼女とするんである。
ドライブデートの先で釣りをしたり、自分のアパートで挿入だけじゃないセックスの過程を教えてみたり。

でもいつでもぽっかりとあいた穴のような瞳の彼女、それに見つめられてにゅぷっと(本当にそんな、リアルな音がするんだもん)入れられると、突然彼女が遠くなってしまう。
本当に、まるで宇宙空間にいるみたいに、遠くの空に穴がぽっかりと浮かんで、そこにぽっかりとあいた穴のような目をした彼女がじっと見つめていて、彼は宇宙空間に向かって腰を動かし、達してしまうような、そんな“性交”なのだ。それが夢の中にも表れて、朝方しこしこパンツを手洗いしたりもしてしまう福田センセー。

なんか、こういう“性交”いやさセックス、まるで男と女の距離をそのまんま表しているようで、切ない、と感じるのは女はそう感じるところがあるけれども、男の子はどうなんだろう??
この福田センセー、過去にも生徒に手を出しているらしく、よく立ち寄るコンビニ……とまでは言えない、さびれた酒屋がコンビニになり損ねたみたいな雑貨店で、「現役にまで手を出したのかよ」と“元カノ”に責め立てられる。

つまりこの元カノはまだこのセンセーのことが好きなのだ。彼を陥落させようとするフェラは、「データが正確に取れないから今日は性交できません」と言った宇宙人女子高生が、ガッカリした彼を「どう処理しますか?口でなら出来ますけど」と言ったそれとまるで同じなのだ。
ああなんと切ないのだ。しかも宇宙人女子高生は、「性交でしか、この事態はナントカできません」と及ぼうとするんだけれど、それはますます、彼女に恋しかけているセンセーの気持ちを悲しくさせることにしかならないのだ。……ああ、“性交”の、なんと切なく難しいことよ!

彼女は見事タネを得てそのまま卒業、しばらくして女とエッチしている(決して“性交”ではない)の福田先生の元にメールが届く。みかん畑で待ってる、と。
みかん畑、ああこれも、なんとものどかで切ない。都会の片隅のラブホでセックスする冷たい切なさより、みかん畑に止めたボロ車の中でする“性交”はあまりにあたたかな切なさ。
そこで赤ちゃんを抱いて微笑んでる彼女!ずっとずっと無表情に能面みたいだったのに!!
愛しげに彼女から渡された赤ちゃんを抱き、もろとも引き留めようとするセンセーに「これでもだいぶ待ってもらったんですよ」と光の中、天空に吸い込まれていってしまう彼女と赤ちゃん!

もうそれだけで充分だった。その後の、異星でのギリシャ神話みたいなチープな造形なぞはいらなかった。まあそれも含めての魅力なんだろうが。
だってだって、センセー、小林ユウキチ青年の必死さ、女とエッチしてたくせに、おっぱいもみもみしてたくせに、それこそセキララな“セックス”してたくせに、“みかん畑でまってる”というメール一発で、ハダカにジャージ引っかけて、ボロ車にエンジンかからないから自転車に飛び乗って、ハダカの上半身を風にさらしながらぜこぜここいでいって!

あーもう、あのぼってり唇はやっぱりヤバいし!(ここで突然言うことかっ)、本当に彼、凄く繊細でいかにも男の子な生活能力なさそうな感じがピタシで(失礼!)、それが女子の母性本能をくすぐりまくるのよねー!!
まあ今時、そんな男子は時代錯誤だという気持ちもあるが(爆)、だからこそ、すんごくこういうの、ズルいと思っちゃう!!

うーむ、第一話ですっかりエネルギーを使い果たしたような気がする(爆)。しかし、女の子が好みなのは第二話の方。
タイトルもこの第二話の方がインパクトたっぷりである。「女の豚」メインタイトルとなる「女の穴」よりも更に、え??どういうこと??と思っちゃうが、これが本当に切ないの、女の子も、彼女が恋するゲイのデブハゲ教師も切ないの。

女の子はおさげ髪にメガネという、まー、わっかりやすい、いまだにこーゆーの通用するの、というマジメ系女子。
まさかメガネをはずしたら実は美人、とかゆー展開になるんじゃないでしょうね、と危惧していたが、そこまでストレートではないけれども、メガネはずして髪おろして、更に服全部脱いですっぽんぽんになって(!)、その姿で「私じゃダメ?」と言ったらイケメン男子はあっさり彼女とエッチ(ここはエッチだわな)しちゃったんであった。
ああ、こう書いてみると、それもまたホント切ない。メガネにおさげ髪の地味系女子は、ここまでしなきゃイケメン男子とエッチは出来ないのだ。てか、エッチするという条件で考えるからあまりに極端なんだけどさあ。

てかてか、またしても先走り過ぎだってば。
そもそもなんで彼女、萩本小鳩ちゃんがそんな行動に出たかっていうと……で、ここでフルネームをわざわざ言っちゃうのはなぜかとゆーと、その名前を、先述のデブハゲ教師に「可愛い名前ですね。きっと胸に小鳩を飼っているんでしょう」と言われ、彼女が胸ドキュンしちゃったからなんである。

まーさーかーのー、デブハゲ教師に恋!!である。きっとそもそも彼女は、文学少女なのであろうと思われる。そこまで子細な描写はないけれども、メガネにおさげできっとそうだと考えるのは単純??
そして勿論、このデブハゲ教師は国語のセンセ。美しい日本文学を真摯に教えるセンセにうっとりとしているのは、勿論この小鳩ちゃんだけなのだが、このセンセが恋しているのは同じクラスのイケメン男子、取手君なのであった。
それを一番残酷な形で小鳩ちゃんは知ることになる。だってセンセ、取手君の机でマスターベーションしてるんだもん!!

小鳩ちゃん、鏡に映った鬼、自分自身を映した鬼によって、いきなり関西弁になり(舞台、静岡だよね……)、このネタでセンセを脅して、苛め抜くんである。
放課後の教室でマスターベーションを強要するだけでなく、授業中にまで!ハイ!と手を挙げて読み上げるそのノートの表紙に「日課をやれ!」「しながら取手を見ろ!」あ、悪魔……。
しかしそんな小鳩ちゃんの所業にセンセは、自分自身のアイデンティティを生徒たちに告白することを思いつく。
「先生はゲイなんです!」でも生徒たちはビックリも引きもしなかった。知ってたよ!と笑い、センセをあたたかく受け入れるのだ。なんと!!

何より切ないシーン。センセの取手君への思いを聞かされて、悲しくて切なくて、いつものようにブタ!お前はブタだ!と悪口雑言言いながら決死の思いでセンセに迫り、もう押し倒してパンツも脱いじゃって、逆レイプみたいにセンセにまたがっちゃった小鳩ちゃん。
センセ、こともあろうに、「女とヤることは、私にとってブタとヤるのと同じだ」と、あまりと言えばあまりの言葉を浴びせるのよ。
そりゃそうだろう、そうだろうと思うけれど、小鳩ちゃんの気持ちを思うとあまりに悲しくて切なくて、だって、後に再確認するけど、この二人は、永遠に実らない恋をしている同志、なんだもの。同志、なのに、なのに!

でも、ラストシーンでは同志、そんな感じになる。でもそのためには、何よりのクライマックスが必要なんだ……。
先も言ったけど、この小鳩ちゃん=石川優実嬢はすっくりと脱いでくれる。下までもすっかり。少女のリアルな肉体なの。もうそれはエロというより、それだけでセンセへの実らぬ思いを切実に感じさせてなんとも切ないの。
だって彼女がそんな姿になったのは、センセの思いを叶えさせる、いや、ちがうか、自分のセンセへの思いを判ってもらうって方が大きかったんじゃないかなあ。

イケメン取手君への思いを決して遂げることのできないセンセのために、そして、決してセンセへの思いを遂げることのできない小鳩ちゃん自身のために。
掃除用具ロッカーの中にセンセを閉じ込めて、取手君に全裸で迫って男の子の単純な欲望をあっさり引き出し、エッチに至っちゃう小鳩ちゃんの切なさがたまらないの。
だって小鳩ちゃんは、決してセンセに望まれないし、センセも取手君に望まれない。こんな三角関係、見たことない。
双方に愛憎の両方で見られている取手君は、三角関係の中にいるのに、彼だけが思いの輪から外れている。ある意味、彼もまた切ない。思われ、羨まれているのに、何も気づかない。

卒業式を迎え、すっかりカミングアウトしてスッキリしたセンセは小鳩ちゃんに、自分のことなど卒業したらすぐに忘れてしまいますヨと言う。
小鳩ちゃんが脅しネタのために持っていた使い捨てカメラの中の、マスこき画像はブレブレ、その代りしっかりくっきり映って残されていたのは、センセが知らないうちに隠し撮りしていた、植物を愛で、授業をし、帰宅する間際の笑顔を見せる、小鳩ちゃんが恋する、ナチュラルな魅力のセンセであったのだ。

もうこれだけで、彼女の恋心は、センセだって気づいちゃう。鬼のように、てか鬼に取りつかれてセンセを苛め抜いていた小鳩ちゃんだったのにさ!
もう本当に切なくて。髪を切った小鳩ちゃんだが、それは思いっきりウィッグくさくて、そのあたりのリアリティは難しいものがあったと思うが(爆)、物語の完成度、女の子度、胸キュン度、エロ度、全てにおいて、メインタイトルではない、第二話の方が勝っていたと思っちゃうなあ。

最後には、この二話のセンセ同士があいまみえる。卒業式で、福田センセは宇宙人女子高生を見ていて、村田センセ(あ、そういう名前なの)は……屋上で小鳩ちゃんと件の会話をしてるんである。
卒業アルバム制作担当であった福田センセは、そこで宇宙人女子高生と恋に落ち、この委員の中に取手君もいたから、村田センセは窓からじっと眺めていたりしたんであった。

一年が経ち、今や取手君への恋心も公然のものとなった村田センセが、昨年のアルバムを眺めている。それを覗き込んだ福田センセが、突然思い出したように、宇宙人女子高生こと鈴木サンのことを口にする。
全然目立たない、何もしゃべらない、存在感のない子でしたよね、そんなことを言って、テーブルの上にはみかんの皮がいっぱい!今思い出したような顔して、爆笑して、ごまかすようにして、ウソばっかり!!

もうすっかりお気に入り監督に間違いなく入ったから、続けざまの新作の予告に心躍る。
ああ、エロを秀逸に描ける人が、もっとすんなりメジャーに行ける柔軟な映画業界になってほしい! ★★★★☆


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