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ローリング
2015年 93分 日本 カラー
監督:冨永昌敬 脚本:冨永昌敬
撮影:三村和弘 音楽:渡邊琢磨
出演:三浦貴大 柳英里紗 川瀬陽太 松浦祐也 礒部泰宏 橋野純平 森レイ子 井端珠里 杉山ひこひこ 西桐玉樹 深谷由梨香 星野かよ 高川裕也
本作でも、そのどことなく頼りなげな華奢な身体を三浦貴大の身体の下で見せてくれて、ああ、あの時の、幼さの残る彼女とは違って、寂しさを愛とすり替えている、大人の女の入り口にやっと差し掛かった彼女、という気がしてしんみりと胸が熱くなるんである。
本作は男の物語だと思うけれど、そこに彼女のような女としての魅力ある変化の途上にある女の子が扇のかなめのように差し込まれると俄然見え方が変わってくる。だから、こんな風に作家性を持った監督さんの作品でも、バカな私にも訴える力を持って迫ってくるように思う。
だって、確かにこの監督さんらしい(つって、ロクに観てないくせに(爆))独特な奇妙なセンスを持った作品だと思うけれど、基本的に男の美学というかロマンというか、男にとっての愛の形、みたいなものを描いている作品だと思うんだもの。それは作り手として、商業映画なども手掛けてこなれていった先に獲得したものなのかもしれないけれど、でもやっぱり男の人だよなあ、という思いはする。
ファムファタル、欲望の先にある転落、一攫千金という夢、そしてまた転落、ファムファタルは色っぽい酒場の女……という形式は薄く残しつつ、薄幸の美少女という、日本が最も好む像をこそ大事にする。
男は夢と野望を持つけれどそのどちらにも破れ、でもそのそばにいたのは……という大オチに、結構素直にビックリした。ああ、こんなねじくれたセンスを持つ(どうも苦手意識が残ってるな……)監督さんでも、こんな王道のロマンチシズムを持ってくるんだって。そしてそこには、女への過剰なまでの理想があって、美しいラストで感動はしたけれど、思わず身もだえてしまう。
私らしくない、オチを言いかねて口ごもってしまうなんて(爆)。とにかく概略から行こう。概略、というのもこの作家さんにはちょっと似合わない言葉だけれど。
水戸、とはっきり明示されている地方都市。水戸は不思議と映画都市のイメージがある。生活するにも楽しむにも困らない程度に何でもあるけれど、それだけに劣等感や寂寥感がある地方都市、というのは、私が転々としてきた地方都市の特徴ではあるけれど、ある程度東京に近いとか、訛りがはっきりとあるとか、茨城県という県自体が持つ独特のイメージが(上手く言えないし、言っちゃったらいろいろ言われそうな気がする(爆))、本作の一番の魅力であるように思う。
そこに流れてきた元教師が川瀬陽太氏。彼は伊藤猛氏がいなくなってしまった今、ピンク映画で培われなければ出せないやさぐれ感を持ってクロスオーバーに活躍できる、唯一に近い役者さんだと思う。
正直、やさぐれ過ぎてる(爆)。ちょっと前まではもう少しとんがったイメージがあったのに、なんかすっかり中年おじさんを体現している(爆爆)。
でもそれが、イイんだよね。盗撮騒動で教師職を追われ、地元からも追われ東京に逃げたものの、そこからも舞い戻ってきた、権藤というやさぐれ男。
ただし、若い女、みはりを連れて。それが柳英里紗嬢。盗撮された女生徒から慰謝料を迫られた権藤は、みはりをその教え子に人質に取られてしまう。まあ、人質っつーか、キャバクラで働かされる、ということ。
自身は一度は教え子の貫一のおしぼり工場に職を得るものの、人生投げてるからあっという間に転落人生。あの盗撮ビデオがカネになると元教え子たちに持ちかけられちゃってから、もうあっという間に転落人生。
物語は全編、権藤に扮する川瀬氏のナレーションによって進められる。それが、どこか奇妙なセンスがありながらも一般性を獲得しつつ進められる要因だと思う。まあそれが作り手にとってどうなのかはアレだけれども(爆。どうも作家性のある人に対しては苦手意識があるな……)。
でも、物語の冒頭に巣作りしているツバメを映し出して、今はこんな姿になってしまいました、とまずジャブをかまし、それを物語の折々に挟んでくるもんだから、これはこの人特有のシュールな世界をブチかましてくるのかな、と身構えていたら、先述した大オチで、男のロマンチシズムを充満させたそれにしっかり落としてくるもんだから、女として納得できない部分があれど、ヤラれたなあ、という感じがしたんである。
だから、なんかどうにも奥歯に物が挟まってる。気にせず行く(爆)。ナレーションされているんだから主人公は川瀬氏……という側面もありつつ、ヤハリここは、それなりのスターさん、ネームバリューに華やかな人が欲しい、というところの三浦貴大君。いや、別に他意はありません(爆)。
それこそそれほどチェックしてないもんでアレなんだけど、勝手に誠実で青臭いまでのさわやかな、言ってしまえば朴訥青年みたいなイメージがあったもんだから、本作の貫一のキャラに、見ていてなかなかなじめないものがあった。
いや、貫一は別に清廉潔白、絵にかいた好青年という訳じゃない。最初から権藤のナレーションで語られるように、先生の女を寝取った男だ。しかも一目見た時から、狙い撃ちで。
なんていう、感触はない。あくまで、お互い一目ぼれで、こんな堕落した先生の元から救ってやりたいという意識。でもそれは、ただホレてしまったからに過ぎない……という男としてのズルさは、私の勝手なイメージがあったせいだろうけれど、貴大君からはなかなか感じ取れない……のは間違いなく、川瀬氏のやさぐれ男が強烈だったからに他ならない。
やっぱり、叶わないよ。ダメな男なのは判ってる。こんな男と一緒にいたら、幸福になれないのも判ってる。でも、みはりが彼についてきたのは……離れられない、ほっとけない、からなんだもの。
みはりが貫一に“救い出されて”からも、二人の会話から権藤が消されることはない。なぜ今二人が一緒にいるのか、の原因になっていることは確かだけれど、それ以上に消し去れないのは、みはりも、そして決して尊敬できない先生であったにしても教え子の貫一も、彼にいわば、惹かれていたに違いないんだもの。
ちょっと、気の毒だよなあ。川瀬氏、貴大君を食っちゃってるもんなあ。でも仕方ない、それが役者としてのキャリアの差というものだ!
胸板の厚い、いかにもマジメに鍛えてきたその身体に、きっちりと会社のユニフォームを馴染ませた貫一は、おしぼり工場勤務という地味さの中にもやっつけ感がまるでなくて、彼ならではのマジメ感がアリアリである。つまり、設定上は先生の女に横恋慕し、キャバクラに通い詰め、彼女を寝取って自分のものにした、というスタンスがあったとしても、彼自身が持つ清廉さからは逃れようもないんである。
それは不幸を染みつかせたみはりに扮する英里紗嬢や、転落するしかない運命をしょったような権藤に扮する川瀬氏には太刀打ちできない感があるというか……。
権藤が教師時代盗撮した更衣室の映像の中に、今芸能人として活躍する女の子の、しかもレズビアンカラミがあったもんだから、同級生たちは騒然とするんである。貫一はそれ以上に衝撃を受けた……のは、この子と当時付き合っていたから。
この映像を売り飛ばしてひと儲けしようという教え子たちの盛り上がりに流されて、権藤は元刑事を引き連れたコワモテの芸能プロダクションと取引することになる。
このシークエンスは一つの山場で、この元刑事が、キャリアの知識が古すぎて使えない可笑しさと哀しさがあって、それが権藤に自分自身を見るかのような強烈な印象をまず与える訳。可笑しいんだけれど、なにかもう、見ていられないのだ。社会から必要とされてないのに、元の肩書を利用しようとする輩にやとわれ、なのに役立たず、みたいな……。
そして同席していた、これは敏腕そうな弁護士から、この芸能人の女の子がCMしているソーラーパネルの商売をしないかと持ち掛けられる。ハタから聞いてるだけでもいかにもアヤしい話なのに、すっかり転落人生に再度踏み込んでしまった権藤は、……だってもう、支えにしていた女も教え子にとられちゃったんだから……「一年後には10万の靴」てな話にすっかり騙されちゃう訳。
いや、あれは、騙されたんじゃないな。判ってたのに、ただ身をゆだねていただけ。何もない山の中腹で、気持ちよさそうに目を閉じて微笑んで、弁護士の話を聞いていた権藤は、この先に転落しかないことぐらい、判っていたはずなのに。
でも、転落がどういうことなのか、つまりは男の美学が貫けるかどうかなのか、ということなのかもしれない。いや判らない。それはこの作品の中で時々ついていけなくなる部分に女側の私がつけた勝手な想像(爆)。
ところでね、貫一はみはりを手に入れてからもなんか信じきれないというか、落ち着かない訳。みはりは貫一にホレている。入れられるだけで一度イッちゃう、のが体質だとしても……若い二人の幸せそうなセックスを見せられるだけで、もう権藤になびく要素はないと思われたのになあ。
いや、この時権藤のナレーションで語られたように、この体質が教え子に知られてしまったと、貫一の方だって、先生の身体の下でも彼女はこんな風なのだと思ったに違いなく……。
でもそんなこと言ったら、男女はいつもそんなことを思いながらセックスするのかなあ??いややはりここは、権藤という男にお互い、気を引かれていたからに違いない。特に男が男に気を惹かれる、つまり嫉妬、というのは大きなものなんだもの。
みはりは、貫一と一緒に暮らしたいから、荷物を運び出したいから先生の家に行ったんだと言ったけど、それは真実かもしれないけど、結果的に貫一の危惧が本当になったことを考えると、やっぱり違ったのかもしれない。
あのね、貫一とみはりが出会った時、つまり権藤が舞い戻った水戸で教え子たちに追われていた時、靴擦れなのか、みはりは足の小指をケガしていた。迷い込んだ雑居ビルのエレベーターフロアに積まれていた使用積みおしぼりで血をぬぐったところに、新しいおしぼりと交換にきた貫一が現れた。
「こんな、誰が何をふいたか判らないおしぼりは雑菌だらけだからダメだ」と、新しいおしぼりで吹きなおしてくれたけれど、この時ホントに雑菌が入っちゃったのかもしれない。
痛々しい傷はいつまでたっても治らず、貫一と一緒に暮らし始めて、貫一が彼女のその小指にワイヤーをくくりつけるから、何をするつもりなのかと思う。まさか自己流で切り落とすつもりなのかと。
結局その本意が判らないまま、この行為は大オチで、白骨死体がみはりのものだと特定される決定的証拠となる。つまりそれだけのためのような気もする。
更に言うと、貫一はそのことに気づいていない。気づいているのはもはや死んでしまった権藤が「あいつは貫一に探されて喜んでいるに違いない」というファンタジックな要素でだけ。
もったいぶっていた割にはさらりと大オチを言っちゃいましたが(爆)、でもそういうことなのよ。これって、男のロマンチシズムだよね……。すんごい、美学、だよね……。
確かにそれまでは、いや、こんな最期を迎えたことだって、男としてはサイアクの領域に違いないけれど、自分を捨てたと思った女が結局は、こんな、ともに、共白髪どころじゃない、共白骨になるまで連れ添ってくれたんだもの!!
ああでも、なぜなぜ、みはりは、貫一と一緒に東京に行く筈だったのに、その手前だったのに、その前にかき口説かれただけで、なぜこんなやさぐれ男のもとに戻ってしまったの??なぜなぜ??
このままだと貫一は殺されてしまう、エロ動画を流した疑いで殺されてしまう。そうなったら俺が変わりに死んでやるから、一緒に連れて行ってくれ。そう懇願する権藤に陥落する形で?それなら彼女は貫一を助けたいために?
……そう思えなくもないけれど、でもやっぱり、違う。共白骨になるなんて事態、共に餓死するような状態の男に、みはりはついていったのだ。一目ぼれした同士の若い恋人を捨てて。
そんなことって、あるかよ。ああ、これを、男のロマンティシズムと言わずしてなんと言うの!!
まあ、それ以外にもいろいろ、ある訳よ。件の芸能人になった女の子が訪ねてくる。この件は確かにスキャンダルだけれども、レズ相手の女の子、地味な子だった、その子のことを誰も覚えていなかったことを、彼女は悲しむ。だってその子は死んでしまったんだと。どういう事情かは知らないけれども……。
あの子のことを、知ってほしい、だからあの動画をネットに流してほしい。そう、頼まれた貫一は、でも出来なかった。貫一自身は、自分だけがコピーを持っていたと思っていただろうし、コピーを渡した友人もそう思っていたから、スキャンダルの後に追われる身となる。
芸能プロダクションからヤクザまがいの脅しをかけられて、友人が一人、死んだ。貫一を殺そうと、自家発電機と延長コードを山ほどもって電気ドリルを構えてぱんついっちょでぶるぶる震えながら迫ってくる、という、それこそこの監督さんならではの?奇妙なセンスあふれる緊迫感のあるシーン。
でも当然、そんなことでは貫一は殺されず、逆に迫っていた友人二人が仲間割れして一人が死んでしまう。
もう一人、コピーを持っていた友人こそがネットに流し、この芸能人の女の子と結婚するんだ、という。それが大オチである。この友人、貫一の次ぐらいに真面目そうな子なんだけど妙に目力が強く、目の隈取が濃くて、ちょっとゾンビみたいな強烈さがある青年で(爆)。でもそれが、ホント強烈で、これまた貫一、つまり貴大君をくっちまうんだよね……。
白骨が散らばる山の中の廃屋に案内したのが彼で、「細長い骨は鳥が巣を作るから」と指導したのも彼。つまりそれが、「今はこんな姿」それはツバメではなく、その巣の材料にされたということだったのだ。そしてその中に、みはりの骨、足の小指に巻き尽きたワイヤー、その骨があったのだ……。
この骨が、権藤がちょっかい出してた隣のセクシー奥さんだろうと思われてるのがね。この奥さんも行方不明。奥さんは自分自身で幸せになったんだろうか、判らない……。
権藤の行方は教え子たちに突き止めらているけれど、誰も知らないもう一人の白骨の身元は、一緒にいた権藤しか判らないなんて!!
私ね、女はそんなに男のロマンチシズムに付き合わないと思うよ。それだけつまりは権藤の方が好きだったのか、権藤に対するのは愛で、貫一に対するのが恋だったということなのか。
でもそれこそ美学過ぎて。ああでも、確かに美しいのだ。あの大オチにはグッときてしまったけれども、でもなんか、違うと思いたいのだ!
オチ的にも川瀬氏と英里紗嬢だったのかもしれないなあ、と思う。さらわれてしまった。この奇妙な純愛物語に。★★★★☆
ロマンスカーのアテンダントの制服が似合いすぎる大島優子。彼女のことはAKBの娘、という認識ぐらいしかなかったので「紙の月」では大いに驚いたが、フィルモグラフィーを見てみると中原俊監督とか矢崎仁司監督とか、結構いいとこに出てるんだよね。観てる筈なのに全然気づいてない私(爆)。
同時期トップの前田敦子嬢の揺らぎ感の魅力とは全く違う、安定した芝居力で、だからこそ今までも、評価された「紙の月」でも、助演という形で力を発揮していた訳かあ、と思う。
そんな彼女の主演作である。しかもタナダユキの、しかもしかもタナダ監督7年ぶりとなるオリジナル作品!えーっ!そんなになるっけ!
ちょっとした佳作のあれこれが、ああタナダ作品だったんだっけと思い返すにつけ、彼女もまたそういった意味では安定感のある監督。でもやはり、オリジナルが観たい。今の日本映画界はホントにオリジナルにお目にかかれないんだもの!
今回の企画は小田急からの発案かなあ?だってこれは、その協力がないと絶対に実現できない。あるいはロマンスカーじゃなくて、単なる車内販売の女の子がトリップする物語から始まったのかもしれない。
久々のタナダ作品にいろいろ想像が膨らむ。箱根ロマンスカーがそれに合致したとなれば、これ以上強力なタッグはないに違いない!!
でも、面白いことに、主要な舞台はロマンスカーの中じゃない。ヒロイン、鉢子のお仕事はロマンスカーで車内販売をするアテンダントだが、そのワゴンから万引きしくさったおっさんを追いかけて、ユーターンするロマンスカーに乗り損ね、思いがけず職場放棄しちまったことから、そのおっさんと、箱根での小さな旅が始まるんである。
勿論、そんなことになるのには理由がある。おっさん、いやさ映画プロデューサーを名乗る桜庭が、鉢子が破り捨てた母親からの手紙を拾って読んで、これは大変だ、死のうとしているに違いない、ここに書いている家族旅行の思い出の場所に探しに行こう!ということになるからなんである。
桜庭を演じるのは大倉孝二。劇中で彼が言うように、おっさんと呼ばれるような年じゃない……大島優子嬢と充分恋愛関係になれる年具合だよなと思うのは、同年代の贔屓目なのだろーか。てか、彼私より年下かよ、うっそショック!(爆)
……軌道修正。この映画プロデューサーのキャラクター造形は、これまでそれなりに小さな作品展開をしてきたタナダ監督の、慈悲というか、映画作りをしている人たちへの愛を、感じるんである。
きっと彼女の中に、こういう映画プロデューサーのモデルになるような人が、いるんだろう。ちょっとニュースになった人もいたよな、と思い出す。それこそタナダユキクラスの監督さんが映画を作っていそうなところでの事件であった。
観客は映画を気楽に受け止めて、こーゆーところで無責任にグダグダ言っていればいいんだけれども、作り手は、それも資金を集める役割は、本当に地獄を見るんだろうと……。
作る前には、それが良作になるのか駄作になるのか、ヒットするのか大コケするのか、せめて評価されるのか、取り上げてすらもらえないのかも判らない。映画の出来不出来にはいろんな原因があるだろうけれど、少なくともプロデューサーの罪は作品自体に関しては軽いだろうと思われるんだけれど、一番被害をこうむるのはプロデューサーにほかならず……。
大倉氏演じる、大コケする映画ばかりを作ってきたダメダメプロデューサーに注がれる視線が、何とも慈愛に満ちているんだよなあ。
鉢子は、映画には全く興味を示さず、彼が作ったという映画も「友達が観て、後悔してた。テレビまで待てば良かったって」としれりと言う。これが一般人の感覚。
テレビに持ってこられる可能性のある映画を作れるだけ、彼は幸せなのかもしれないが、この台詞はキツい。いやでも、この物語は映画プロデューサーの話ではないのだ。ついついそっちに気が向いてしまうけれども……。
鉢子が抱える、家族のトラウマの話。幼い頃両親が離婚して、それ以降、母親は男をくわえこむばかり。なのに男運がなく、フラれてばかり。
幼い頃の鉢子の記憶は、小学校の上級生たちに取り囲まれ、「あんたの母親に私のパパを取られた」なんて詰め寄られる過酷さ。お父さんになれる器の男は現れず、高校卒業後は母親とは音信不通のままであった。そんな時に届いた思わせぶりな手紙。
物語の冒頭、その手紙をアパートのポストから取り出す鉢子。そのポストのガタガタしてる感じ、南京錠の感じが、彼女の生活のつつましやかさ、言ってしまえばちょっとした貧乏くささを感じさせてなんとなく身に迫る感じがある。
そしてその部屋には惰眠をむさぼる恋人?がいて、ベッドで眠そうにしながら「一万円貸して。五千円でいいや。……三千円……千円」と、ダメダメぶり満載なんである。そんな男に二千円置いて仕事に出かける鉢子。母親の血を引いている、なんて言ったらあんまりだけれど、今の鉢子は母親のことを言えない状況。
それこそ血を引いてて、捨てられるのが怖いのだろうか……?いや、そこまで突っ込んだ描写はない。一見した印象では惰性で付き合っていて、最低限のカネを仕方なく渡しているような感触。
でも判らない。鉢子は母親の手紙が来るまで、自分が母親に似ているのかもしれないことを気づかなかったのかもしれないんだもの。
桜庭と一緒に、死ぬつもりかもしれないお母さんを探す箱根での旅。かもしれない、というやみくもさで、探す先は思いっきりザ・観光地。
ちょっと演出を間違えれば、アホくさい観光映画に成り下がる危険度大。しかしそこはさすがタナダユキ、観光地めぐり満喫しまくりの桜場に、ぶんむくれの鉢子、という形が、いい意味でザ・観光地を潰しまくっているのが可笑しい。
その一方で、鉢子は家族三人で旅行した幼い頃を思い出し、「家ではケンカばっかりだったのに、凄く楽しそうなの。ずっと旅行していればいいのにと思った」と吐露するんである。
この台詞は、上手いと思う。確かに旅行にはそういうマジックがあって、だから旅に出ましょう、という、この映画のスポンサーにしっかとしたアプローチをしている。
でも一方で、そのマジックはやはり、現実に戻るとまさに魔法がとけてしまう場合が大半であり、だからこそ鉢子の両親も上手くいかなかったのだ。そのひとときだけの幸せは、実際に幸福だったのだろうか、不幸だったのだろうか??
当然お母さんが見つかる訳もなく、ナビ嫌いの桜庭は真っ暗な山道で道に迷い、たどり着いた先はムダにゴージャスなラブホテル。こんなところをロケハンで探してたんだよな!とはしゃぎまくる桜庭に、何もしないでよ、と氷のような一瞥を送る鉢子だけれど、過去の記憶に不覚の涙を見せてしまったのは彼女の方だった。
まぁ、一応は妙齢の男女のロードムービーだし、ちょっとした場面がなければおかしいよね、と思ってた、そのいい具合の程度で収まるあたりは、やはりまだまだ、大島嬢はアイドルの影を引きずってる??
「弱ってる女を押し倒すサイテー男」が、ふと我に返る、だなんて良識持ってるかしらんなどと思い(爆)、私は何を期待していたんだろうとか思い(爆爆)。この場面で桜庭は、自分の弱さを鉢子に吐露するんだけれど、彼女はすっかり寝に入ってる。あぁ、お約束(笑)。
アテンダントの制服のまま、このプチトリップに突入してしまった鉢子は、桜庭に服を買ってもらう。いかにも安そうな……いやいや、カジュアルな店で選ばれる服は、いつもかっちりとこの年齢の女子を作り上げている鉢子と違うもんだから、この旅から帰ってきた彼女を見て、後輩の久保ちゃんは目を見張るのね。
似合いますよ、と言われて初めて、鉢子は自分の油断した服装に気づいたみたいな感じ。
でもそれがね、年下彼氏にカネを渡し、制服をきっちり着込んで仕事に臨み、後輩のポカをフォローするなんていう完ぺきな鉢子だから、凄く意外性があるんだけどだからこそチャーミングなの。大島優子という確立されたキャラがありながら、それを感じさせるのはちょっと凄いかもしれない。
この後輩女子がね、凄くイイのよ。そうかそうか、言われてみれば、「ジャーマン+雨」の彼女だわ!でもそれ以降も当然数々の作品で見た記憶があり……でも本作の彼女が凄くチャーミングで!
「強力なコネで入って」、お客さんにコーヒーぶちまかすとか、同じ失敗ばかり繰り返す……しかもそれを、自分でちゃんとカウントしている……イマイチ反省がない……なのにそのあつかましさが不思議にチャーミングなの、なんでだろう!
ホウレンソウ(報告、連絡、相談)なしに仕事に穴をあけた鉢子をかばうつもりで、「私も辞めます!」と言い放ったら上司から、「彼女は成績いいんだから、クビになんかしないよ。君は辞めるの?」と言われ、「辞めません!」とぶぜんと言い返すトコとか、サイコーに可愛いんだよなあ!
桜庭が最後に鉢子に渡すストラップが効いている。鉢子、という珍しい名前は、旅先によくある名前入りのストラップでなかなか見つけ出せない。はつこ、ならありそう、というあたりが、「赤い文化住宅の初子」を思わせ、ニクいなぁと思う。
幼い頃の家族旅行の記憶でも、意地になって探す両親は、結局見つけられなかった。
しかし、桜庭は旅の最後に鉢子に手渡すんである。はちこちゃん、とちゃんと名前が入っているストラップを。
「……だっさ」「こういうののダサさって、ブレないよな」「奥さんと娘さんにも渡せればいいね」「……バレバレ」
決して恋愛関係にはならない。押し倒しても未遂。キレイすぎる気はするけれど、この一昼夜の同志の関係は、そんな奇跡もあるのかもしれない。小田急さんのロマンスカーならば!(笑)★★★☆☆