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「う」


2015年鑑賞作品

海のふた
2015年 84分 日本 カラー
監督:豊島圭介 脚本:黒沢久子
撮影:戸田義久 音楽:宇波拓
出演:菊池亜希子 三根梓 小林ユウキチ 天衣織女 鈴木慶一 羽場睦子 吉岡睦雄 平澤宏々路 重田裕友樹


2015/7/24/金 劇場(新宿武蔵野館)
今サブカル人気らしい菊池亜希子嬢と、四半世紀ぶりの原作が映画化になったことが記憶に新しいよしもとばななのコラボは、今なかなか少なくなった、“ミニシアター系”という作品の良質さを感じさせる。ホント、そう感じる作品が少なくなった。いわゆるミニシアター系に属するものでもシネコンにかかっちゃうし、つまりミニシアター自体が激減してしまったし。
菊池亜希子嬢はそうした少し古いタイプのインディーズ系を醸し出す。充分若いんだけどね。すらりとした肢体は確かにモデルさんなんだけど、めちゃくちゃナチュラル感が漂う。

そしてそれは、よしもとばななという作家自体に感じる圧倒的なイメージ。それほど彼女の著作を読んでいる訳ではないんだけれど、初期の頃に次々と映画化された、「TUGUMI」や「キッチン」といったあの頃の印象を思い出した。
基調は白や麻のようなクリーム色、洗いざらしのジーンズ、無造作に束ねた髪。まあ、無印良品のCMみたいな感じのような気もするけど(爆)。現代社会の女性たちがきっちりメイクしてオシャレしてガードしているところからは対照的な場所。

監督さんは、私的には「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」ぐらいしか遭遇したことがないので、この、それなりに年齢を重ねた女の子のリアル感を出してくる作品、というのは結構なオドロキであった。
ざっとストーリーを示してみると……。舞台美術の仕事に限界を感じて故郷に帰ってきた、まり。「私が誇れることは、あれだけ食べてきたのにかき氷を嫌いにならなかったこと」ということから、かき氷屋を始めることにするんである。
しかもメニューは糖蜜とみかん水のみ。そしてエスプレッソ。エスプレッソは、母親の大学時代の友人の娘、はじめちゃんが淹れてくれたものが美味しかったためと思われる。そこまでの説明はなかったけれど、その直前に、はじめちゃんがおばあちゃんの遺品と思しきコーヒーミルでガリガリと豆をひいていたから。

はじめちゃん、というのが、まり以上に本作のキーマン。原作ではまりとはじめちゃんは同等の存在感だったと監督さん自身が語っているんだけれど、その監督さん自身が、まりがはじめを見る物語にしよう、というのがとても成功していたと思う。
映画化作品だけを見れば、“まりとはじめが同等の存在感”だというのはちょっとピンと来ないぐらい。いやだからといって、まりとはじめのどちらかの存在感が劣っているというんじゃなくて、あくまで視点の問題。

はじめちゃんは最愛のおばあちゃんを亡くしたばかり。そしてその遺産相続で親類じゅうがもめている。彼女が愛したおばあちゃんの家も売りに出されることになってしまう。
はじめちゃんの頬に残る真っ赤なやけどの跡は、おばあちゃんがらみのエピソードだったかしらん??言っていたようにも思うけど、覚えてない、ゴメン(爆)。

まりはさばさばとしたゴーイングマイウェイで、はじめちゃんはその顔のあざが象徴するように少し内向的に見える少女。かなり対照的なんだけれど、実はそれは、お互いの鎧だったんじゃないかと徐々に思われてくる。
こんなに対照的な二人なのに、不思議なぐらいすぐに仲良くなる、のは、はじめちゃんが「発作みたいなものなの」とコーヒー豆をミルにかけながら激しく泣きじゃくったところからだと思われる。

はじめちゃんは、まりの本音や隠れた本心をさらりと指摘するところがある。そういう意味ではちょっと少女漫画っぽいキャラかなと思うところもある。つまりまりから見て、はじめちゃんはやはり異邦人であり、まあ言ってしまえば不思議ちゃんな訳。
まりは主人公なんだけど、同時に語り部であり、もう一人現れた主人公のはじめちゃんを知っていく、あらわにしていく、ちょっと脇役めいた存在にもなってる。
それだけまりという人物像が無防備だってことも言えると思う。いわばまりははじめちゃんや、幼馴染のオサムに気を取られて、最初は気を張っていたのに、どんどん無防備に、皮をむかれて、本当の自分がさらされていく訳。それが、本作が成功、というか映画作品として独自に成立したカギのように思う。

オサム、そう、オサムよ。本作の情報を得た時真っ先に目に入った、イチオシ役者さん、小林ユウキチ君。それを忘れて映画を観ていた。そうだそうだ、小林ユウキチ君なんだと、ラストクレジットを見て思い出したていたらく(爆)。
それは、相手となる菊池亜希子嬢の背がすらりと高くて、あれ彼ってこんなに背が低かったのかと、ちょっとイメージ想定外だったせいかもしれない(爆爆)。

さびれてしまった観光地で酒屋の息子である彼は、日々重い酒をチャリに乗せて走り回っている。配達にいそしんでいるように見えるが、まあそうなんだろうけれど、時々神社でぼんやりしていたりする。この神社というのも誰もいなくてさびれまくって、朽ちかけている。
まりは「昔はこんなんじゃなかった。もっとにぎやかだった」と再三口にし、オサムが「今だって海岸沿いのホテルは満室になってる」と反論しても「でも街には降りてこないじゃない。あーあ、前はこんなんじゃなかったのに」と言い募るんである。

こんな言い方ばかりするまりに、ずっとこの地で暮らしてきたオサムが爆発するのもムリはなく、まさにそこが原作でも描かれていて、監督自身もそこを描こうとしたという、きれいごとではない現実の部分。
オサムの気持ちは凄く良く判る。この地を離れて東京で暮らして、そこで挫折したからといって地元に帰って店をやるという人間に、昔は昔はと言われたらそりゃイラッとする。
でもそれは、正論だからこそ苛立つんであって、しかもその現実に負けて、自分は(そして両親も)夜逃げ同然にこの地を後にしてしまうんだもの……。

一方のまりは、自分が東京で充分に苦労し、傷ついてきたという自負が、つまりは傲慢になっていたことをオサムによって気づかされたんだと思う。
元カレという存在は複雑だけれど、この地元で唯一頼れる、信頼できる存在だったのに、自分がそれを裏切ったのだという事実を目の当たりにしてしまったのだろう、夜逃げする彼に振り切られてただただ泣きじゃくるしかなかったのは。
そうだ、あの時、はじめちゃんが現れて最初に号泣した時のようだ。それが反転して、今度ははじめちゃんがまりを包んだ。そして言ったのだ。「あのイラストを、ぬいぐるみに作らせてくれないかな」と。

こうして追っていくと、不思議な唐突感ばかりが続く。でもそれには常に布石が打たれていて、心地よい収束感へといざなっていく。
まりは美大出身だったらしい、舞台美術の仕事をしていたのもそういことだったんだろう。なかなかお客が来ないかき氷屋の暇つぶしに、ちょっとシュールなイラストをチラシの裏に描き散らして、それをはじめちゃんが拾って保管しているんである。
はじめちゃんは、ある国の子供たちを引き合いに出す。結婚するまで一つのぬいぐるみをずっとパートナーとして手元に置いている。すべてを吸い込んでくれる存在なんだと。そういうぬいぐるみを作りたいんだと言う。ちゃんとビジネスとして、ネット販売をし、イラスト料も払うからと。
そういえば最初に糖蜜のかき氷を食べた時も、「最初のお客さんになる」ときっちり500円玉を差し出していたはじめちゃん。遺産相続に巻き込まれるような環境で、そういう感覚が発達したのだろうか。

思えば、親戚でもなく、母親の友人のもとに預けられるという事態も、相当に複雑と思われるけれど、そのあたりはどうなんだろうか……。まりとはじめはタメ口で会話しているからそんなに年は離れてないのかなと思うけれど、見た目的にははじめちゃんはぐっと若いし、演じる女優さん同士の実年齢も10も離れているのだもの。
それがまりとはじめちゃんの関係性の不思議感を出していると思い、それはやはり文学の文字上ではなかなか出しえないものだと思うと、ふと嬉しくなったりするんである。

はじめちゃんはいつもスマホを気にしている、ことは、観客はもちろんまりもすぐに気づいた。恋人からの連絡を待っているのだ。それは単純な恋愛ではなく、家庭教師であった恋人は、アフリカの恵まれない子供たちを救いたいんだと言って、旅立ってしまったんだという。
「それを最初に聞いたとき、だから私と付き合ったのかなって」可哀想な子を救いたい、そこまでの結論は言わなかったけど、そういうこと、だろう。
かき氷屋に訪れた客から「こんなにきれいな顔をしているのに……」的な声をかけられた時でも、にこやかに対応していたはじめちゃん。その客は決して悪気があった訳じゃなかった、いい人たちだったと思う。でもだからこそ、キツかったと思う。
でもでも、慣れていたのかな……慣れちゃっていたのかな……まりはそれを、ただハラハラと眺めるしか、なかったのだけれど。

はじめちゃんはね、あるいは演じる三根梓嬢が、というべきだろうか、監督が言う、“どこか獰猛な感じが見え隠れする面白さ”というのが、そうかもしれない、そうそう、と思って、だからこそ監督が意図した、まりがはじめちゃんを見る物語、という形が成功したんだと思う。
獰猛、というのは言い得て妙。島に来るはじめちゃんをまりが迎える最初のシーン、船の先頭に立っているはじめちゃん、いやさ三根梓嬢の孤高の存在感はどうだろう!その頬の真っ赤なやけどの跡を隠そうともせず、まっすぐに前を向いて、でも絶望の色を隠さない瞳をしている。
傷ついた野生動物が助かりたいと思いながらも、本能的に他者を排除しているよう(つい最近読んだ、唯川恵の小説の一節に影響を受けている(爆))。

彼女はまるで巫女的に、いろんなことが判るのだ。いや、まりのことだけが判ると言ってもいいかも。オサムが元カレだってことも、唐突に花火をしに来た彼の様子のおかしさが、この地を去るということだってことも、判っちゃう。
いや、まりが気づかなすぎなのかもしれない。ドンカンなのかもしれない。まりはなんていうか……東京で苦労して挫折したのかもしれないけど、地方で苦労してきたオサムから見れば、確かに甘いのかもしれない。

オサムはいつでも優しくて、得意先の客を閑古鳥の鳴くまりの店に誘ってくれたりした。その優しさこそが強さだということが、まりには判っていなかったから、弱さを見せまいとこの地を去ろうとした彼を糾弾してしまったのだ。
それがどれだけ、彼を追い詰めるかを……途中から気づいただろうけれど……止められずに。だからその後のまり=菊池亜希子嬢の号泣が胸にしみるのだ。

そのまりを、はじめちゃんは後ろからそっと抱きしめる。そしてぬいぐるみのことを言い、そしてアフリカの彼のもとに行くと言ってこの地を去るんである。
まるで妖精のようだった。初めからいたのかと疑ってしまうぐらい。後に送られてきたと思しきぬいぐるみは、見事にまりのイラストを可愛らしくあたたかく再現していて、素敵だった。この小さな海の街から、熱く貧しい大陸の子供たちへ。

小さな子供が、イチゴはないの?イチゴが食べたい!とぐずり泣く。糖蜜とみかん水しかないこだわりは、都会のハヤリにはウケるかもしれないけれども、いくら美味しくてもこの小さな街ではなかなか難しい。
イチゴのかき氷、っていうのは、実際はイチゴなんか入ってない、ただ着色料と香料で再現しただけだというのは大人になれば判るけど、大人になったってイチゴのかき氷は食べたいのだ。

だったら本物のイチゴシロップを作ろうじゃないか、という発想になったかどうかまでは、正直判らない部分はある。でも、糖蜜やみかん水を作っていた時と同じように、丁寧にいちごを煮込んでいるシーンをさっと挿入させているから、まりが都会的なこだわりを、自らの誇りを確認することによって、さらりと捨て去ったことが判る。
“苺始めました”の黒板とイラストも可愛らしく、この子供たちにいずれはみかん水、糖蜜、そしてはじめちゃんのエスプレッソを判ってもらえばいいのだということなのだろう。

それにしても、明らかにさびれているこの街を撮影場所として提供したことに感嘆する。街にはちっとも降りてこない観光客、人っ子一人いないシャッター商店街、管理する人が居なくて朽ちまくった神社……どれもマイナスイメージにしかならないもの!
でも、人がいない、ことをプラスイメージにとらえ、スローライフを真の意味で提示したんだと思う。★★★☆☆


海街diary
2015年 126分 日本 カラー
監督:是枝裕和 脚本:是枝裕和
撮影:瀧本幹也 音楽:菅野よう子
出演:綾瀬はるか 長澤まさみ 夏帆 広瀬すず 加瀬亮 鈴木亮平 池田貴史 坂口健太郎 前田旺志郎 キムラ緑子 樹木希林 リリー・フランキー 風吹ジュン 堤真一 大竹しのぶ 中村優子

2015/6/29/月 劇場(TOHOシネマズ渋谷)
原作が吉田秋生だと聞いて、大変素晴らしい漫画家さんなのに映画化作品はなかなかアタリがないんだよな、やっぱり早い者勝ちっていうか、先に権利を取っちゃう作り手が誰かで決まっちゃうってのって、不幸だよな……と、原作は大好きだったのに映画化でウームと思った「ラヴァーズ・キス」などを思い出していたら、本作の原作はその「ラヴァーズ・キス」とのクロスオーバー作品なのだと知って飛び上がる。えーっ!!!これは原作もぜひ読まなければ!
映画となった本作の中ではそうしたクロスオーバーの部分は見られなかったけれど(私が気づかなかっただけかも(汗))、今回ばかりは、映画化作品として幸福なクリエイターとの出会いになったと思う。思うというか、これ以上のマッチングはないと思う!

是枝監督自身が自分の手でと、熱望したという話が嬉しい。彼は過去の吉田氏原作の映画化作品のことを知っていただろうか……なんて(苦笑)。
もう評価も実績も高い監督さんだけど、スター女優を揃えてのザ・商業映画というイメージはなかなかなく、予告編に接した時には期待しながらもどうかなあという思いがあったのだが、まさに杞憂だった。まさにまさに、評価も実績も高い監督さんなのだ!

今までのような心理的ドキュメンタリー手法とでも言ったようなスリリングさは抑え、しっかりと商業映画ではあるんだけれど、でもやはり、是枝節が冴えわたる。
スター女優さんたちを迎えたことで公開館数も多い本作を、同時期公開のアニメ作品に負けたとかくだらないことで価値を決めるのはホント、ヤメてほしい。

なんか、久しぶりにザ・商業映画でも良質な作品を作ることが出来るんだと思えた。半世紀前のスター全盛期映画や、あるいは80年代の角川映画なんかも思い出した。
四姉妹というのがまたいい。四姉妹というのはなぜこうも絵になるんだろう。細雪の昔から、何かどこかクリエイターの心をくすぐる、観客の心もくすぐる。これが四兄弟じゃちっとも絵にならないの(爆)。
四姉妹を、今現在の花咲き誇るスター女優さんたちの中から誰を選ぶのか。それだけで心ワクワクとなってしまうのだ。

綾瀬はるかと長澤まさみ。ともに主役を張れる超超スター女優。この二人の顔合わせだけで奇跡だし、是枝作品にこの二人が出るというのも全くの想定外だった。
ともに大好きな女優さんだけど、是枝作品に出るというイメージが全くわかなかった。ああ、私はバカだ。大好きとか言っていながら、どこかでスター女優である彼女たちを見くびっていたのかもしれない。

二人ともなんてイイ女なの!!もうすっかり妙齢ということは判っていた筈なのに、彼女たちが持つ天真爛漫なキャラに、知らず知らず観客や、これまで彼女たちを使ってきたクリエイターたちでさえ、そのイメージに閉じ込めてしまっていたのかもしれない!!
しっかり者の長女に綾瀬はるか嬢を抜擢するなんて、一体誰が考えつくだろう!!ミスキャストだと言われかねないこの采配を、はるか嬢は見事な大人の女で跳ね返して見せた。こんなにイイ女だったとは、本当に本当に嬉しい誤算!

そして次女役のまさみ嬢。天真爛漫さはその役の中に残しつつも、恋愛体質で酒飲みで、妹の甘えっ子体質で、でもキャリアウーマンとして颯爽と仕事している足の長すぎる彼女はまあ、ボーゼンとするほどイイ女なの!!ああ、いつの間にまさみちゃん、こんなイイ女になってしまったの(爆)。
物語の冒頭、年下チックな恋人の横で寝ていた彼女が起き上がるシーンから始まり、ラブリーな下着姿も見せてくれる。ちょっと見せてくれよとも思ったが(爆)、まあ作品カラー的にそれはないかな。

三女は夏帆嬢。彼女はどんどん彼女自身の持つおおらかな魅力を出してきて、本作ではイイ女姉ちゃんのクッションになる形の、ちょっと風変わりなお姉ちゃん、が実に好感たっぷり。
今までは末っ子だった彼女が、そりゃあこんな次女がいたら甘えたちゃんばかりではいられないだろうと思われ、でもそんなこともひょうひょうと受け流す自然体な妹で、彼女がいたからこそ腹違いの妹、四女を受け入れられたんだと思う。

上二人が看護師、銀行員、と颯爽としているのに対し、ヒマそうなスポーツショップでゆるゆると仕事をしているのもイイんだよね。
姉妹それぞれに恋模様が描かれるんだけど、恋模様、まではいってないけど雰囲気がある、アフロヘアーの店長とのゆったり感が、これまたお姉ちゃんたちとは全然違うんだなあ。

そして四女である。彼女こそが、最も今をときめく女優であろうと思われる。広瀬すず。彼女のお姉ちゃんのアリス嬢はちょくちょく目にしていたが、お姉ちゃんに比すると素朴系の妹が突然ドーン!!と出てきたので、世の中は癒しを求めているのかな……などと思っていた(爆)。
でもこういうタイプの女の子は確かに、得難いに違いない。能年玲奈嬢が熱狂的に受け入れられた時と似た感じがする。現代人は疲弊しているのかもしれない(爆)。

四姉妹という設定自体が、それこそ細雪を思い起こさせるような、往年の、王道の、懐かしさ、あるいはメロドラマを喚起させるんだけれど、四女として彼女がお姉ちゃんたちと出会う設定自体も、ホント、うっかりしちゃえばこれほどクサいメロドラマもないんである。
15年以上も会っていない父親、母を捨てて再婚、再々婚した先での訃報が届いた。父を恨むだけの記憶がある長女は、妹たちに葬儀に行くように指示した。

そしてそこで出会ったのが父が再婚して生まれた妹、すず。再々婚した先のすずの継母は見るからに頼りなく、すずも出来たばかりの弟の手を引きつつも居心地が悪そうだった。
それでも気丈にふるまっているすずに、ベテラン看護師である長女の幸は、この頼りない妻ではなくすずこそが亡き父の看護をしていたのだと直感する。

こーゆーあたりは映画ゆえの尺の短さでかなり割愛感覚があるけれども、三人の姉たちが、このいたいけな妹を自分たちの手元に呼ぼうと思う気持ちを一致させるのは、そういう判り易い展開の部分ではなく、役者が役を生きてにじませる、ものなのだと思う。
役名が自身の名前と同じ、ブレイク時期も重なり本作に抜擢されたと思われるすず嬢は、この役との運命の出会いなのだ。こういうのって、ホント嬉しくなるんだよなあ。

父親が母親を捨てて出て行ったという図式なのに、不思議と彼女たちは父親に対する嫌悪を持たない。次女以下はほとんど記憶がないから、ということなのだろうが、長女の幸にしてもむしろその後、思春期の自分たちを置いて出て行った母親に対しての嫌悪感の方が強い。
その母親が大竹しのぶ。ぴ、ピッタリ過ぎる(爆)。高校生の時に母親に出て行かれて、鎌倉の古い一軒家で妹二人の面倒を見てきた幸の、母親に対する嫌悪感は尋常じゃない。

祖母の法事で顔を合わせる母親との口論、つまり綾瀬はるか嬢と大竹しのぶ御大のバトルは本作の見どころのひとつで、あの綾瀬はるかが大女優、大竹しのぶとねえ……と思うだけで目頭が熱くなるんである。
そう、それだけ私ははるか嬢を見くびっていたのだ。ある意味大竹しのぶは自らに課せられたイメージを最大限に、クサイ位に体現して、この若手女優たちの花を咲かせたのだ。

幸は自身もまた不倫をしていて、母親をおいて出て行った父親、そして自分たちを置いて出て行った母親を責めきれない。そんな苦しさがある。
幸の不倫相手の医師が堤真一で、このおおらかなイイ男とはるか嬢がそんなせつな苦しい大人の関係である、というのも、是枝監督の手によってでそんな奇跡がなしえたんだと思う。
本当にはるか嬢の生真面目な長女が素晴らしく、ああ私は彼女の何を見ていたんだろう!!

おっと、はるか嬢の素晴らしさについつい脱線してしまった(爆)。そう、父親に嫌悪を持ってない。それはこの姉妹の中で一番長く父親と過ごした四女のすずもまた、そうなんである。
お姉ちゃんたちと価値を共有したくてちょいと飲んでしまった年代物の梅酒で酔っぱらったすずは、継母とお父さんに対するのろしをあげる。
継母に対しては本当の憎き想いだろう、でもお父さんに対しては……。このあたりはヤハリ、継母が判り易い悪役という感じもするが、時に“商業映画”ではそれも必要と思われる。
妻ですから、と言いながらよろよろしている継母を演じる中村優子がまた上手くて、この女くささは大竹しのぶとまた違ったタイプで、女をイラッとさせるんだよなあ。

冒頭がまさみちゃんだったことを考えると、ある意味ナビゲーターのような雰囲気もある次女。彼女の奔放さが長女の生真面目さや三女の風変わりさをあぶりだす役目を果たし、家族がお世話になっていた定食屋や喫茶店とのつなぎ役も果たす。
定食屋の女主人、風吹ジュンがかなりのキーマンで、次女の勤める銀行が彼女の家族トラブルを担当することになるのだが、女主人は末期のガンを患い、長女の勤める緩和ケア病棟で亡くなるんである。
外回りの営業となった次女が、つまり真の大人になるステップアップを用意した形でのこの女主人。

定食屋の常連客で、彼女のレシピを引き継ぐ喫茶店のオーナー、リリー・フランキーがまた素敵で、この二人の、もうすっかりすっかり大人同士の関係が、凄く良いの、泣けるのよ。
もちろん恋愛的な感情はお互いあったと思う。でももう人生も後半に差し掛かって、だからどうするとかじゃなくて、お互いにあたたかく、穏やかに、一番いい方法を考えて、支え合おうというのが見えて、すごくじんとしてしまった。
リリー氏は「そして父になる」からの連投、他にも是枝組の役者がそこここにいるけれども、リリー氏の暖かな存在感にはじんとしてしまったなあ。

遺影は彼が撮った“最後のデート”での写真だというんだけど、その最後のデートも、その遺影すらも、画面に出てくることはない。それが、いいのよ。これがそれぞれ出ちゃったら、やっぱり違うんだよね。クサくなっちゃう。ベッタリしちゃう。こういうあたりにクリエイターのセンスが出ると思う。あるいは原作でもそうだったのかもしれないけど。

本作はクロスオーバー作品となる「ラヴァーズ・キス」がそうだったように、原作者自身のアイデンティティが色濃く反映される鎌倉が舞台となっていて、その印象が非常に鮮やか。心象風景が実際の風景に赤裸々なまでにピタリとくる。穏やかで美しい風景にマッチする、その唯一無二な魅力が映像クリエイターたちを惹きつけるのだと思う。
しかも本作は、もう一つの風光明媚な舞台が用意されている。すずが暮らしていた山形の温泉街。お父さんがよく連れて行ってくれたという山の上から見下ろす風景が、これで向うに海が見えればとてもよく似ていると、姉妹全員が太鼓判を押した。

山形の山からの風景だって見せたって良かったと思うんだけれど、ちらっとだったよね。あくまで、鎌倉が主軸になっていて、お父さんが山形のここに居を決めた理由が判ったとすずも言うしさ。
若干山形サイドが気の毒になる気もしなくもないが(爆)、そーゆーあたりはきっぱりと決めておくことも、作品世界をクリアにさせる秘訣なのかもしれないなあ。

是枝組からはもう一人重要人物。前田弟の旺志郎君。上映終了後の劇場内で、「まえだまえだの弟」「気づかなかった。言われれば」「織田信成に似てる」というさまざまなささやきが聞かれた。
最後のコメントは私的にはツボだった。私もそう思って見てたから(笑)。「奇跡」での前田兄弟は本当に素晴らしかったから、今回のみならずこれからも彼ら兄弟が是枝作品に呼ばれることを期待したい。

兄弟のうち役者資質がどちらかと言えば高そうな弟君(お兄ちゃんの方は、芸人、タレント気質の方が高そう)の、転校生の女の子に対するセンシティブな関係性がキュンキュンさせまくる。
確かにぐんと背も高くなり、しゅっと細くなって男の子やなーっと思わせたが、それでも同じ年頃の女の子と比べると幼さがどうしても残るという男の子!というのがね!!

で、すずはサッカーの才能があって、鎌倉に移り住んでも男の子たちに交じってクラブチームに所属して頭角を現す。そのチームメイトが旺志郎君演じる風太で、学校の帰り道を一緒したり、波打ち際を二人で歩いたり、花火大会で小舟に同乗したり、桜のトンネルを自転車二人乗りしたり、キュンキュンなことをやってるのに、劇中の範疇ではあくまで友達、なのさ!!
あうー!!!でもこのあたりが、映画の尺だから、限界があるから、欲張らない、というストイックなスタンスを感じさせ、だからこその思春期のキュンキュンで大人は卒倒しそうになってしまうのさ!!

お姉ちゃんたちが仕立て直してくれた浴衣は、今風のシャレたデザインのものじゃなかったけれど、すずによく似合っていた。
「その浴衣、似合ってるよ」と別れる間際に呼び止めて言った風太は、友達としてのニュアンスを強調していたけれど、だからこそとても萌えちゃったんだよなあ!!

これまた是枝組、もはや欠かせなくなった感の樹木希林御大は、大船に住むおばちゃん。すずを引き取ったことを「犬や猫じゃないんだから」「子供を育てるってのは大変なことなのよ」と、腹違いであることを世間並みに心配するんだけど、それはこのワンカットだけで、それ以降は樹木希林らしい気にしなさがいくつも救ってくれるんである。
長女と母親が険悪な言い争いをした時も、お互いの悪いところをバシッと言って、もうこの話はおしまい!!とビシッと幕引き。何よりすずが傷つくことを一番に気にしてくれた。

それを一番気にしていた筈の長女の幸が、母親に感情的になってしまって忘れてしまったことを、これぞ年の功(樹木希林にイマイチ合わない感じだけど!)で補ってくれるんである。
この独特の感触を持つおばさんを姉妹たちがそれなりに慕ってて、次女の佳乃を演じるまさみちゃんが、ゆらゆらとした声音を真似て言うのには爆笑!まさみちゃん、う、上手すぎる。

庭の梅の木の実を収穫して梅酒を仕込んだり、シーフードカレーやちくわカレーで家の味を確認したり。今はファンタジーと思えるぐらいの古びた一軒家は、長女の幸の恋人が住むのが近代的マンションだったりするのと対照されてさらに存在感を増すんである。
その恋人から海外についていってほしいとの誘いに乗りそうだった長女も自分の道を優先し、次女も失恋の先でまずは仕事に価値を見出し(でも絶対、一緒してる上司の加瀬亮とあるに違いないけど!)、三女は勤務先のアフロ店長とゆるやかないい感じで、すずはまだティーンエイジャーの恋の甘酸っぱさの段階。

いつかはみんなこの家を出て行く、という苦い価値観からスタートしたけれども、四姉妹のワイワイ生活はまだしばらく続くという幸福感を残しつつ終わる。
いつか、はいつかでいい。それまでに楽しければ、別れる時もちょっとだけ切ないだけで済む。それでいいんだもの。

音楽が感動的なまでにとても良かった、素敵だった。これもまた、上映後、あちこちで観客からもれた。
菅野よう子氏はこれまた著名でいくつも名のある仕事をしているけれど、作品とこんなにも重なり合ってこんなにも心に響いたこと、なかったなあ。 ★★★★★


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