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「き」


2011年鑑賞作品

奇跡
2011年 127分 日本 カラー
監督:是枝裕和 脚本:是枝裕和
撮影:山崎裕 音楽:くるり
出演:前田航基 前田旺志郎 林凌雅 永吉星之介 内田伽羅 橋本環奈 磯邊蓮登 オダギリジョー 夏川結衣 阿部寛 長澤まさみ 原田芳雄 大塚寧々 樹木希林 橋爪功


2011/6/25/土 劇場(有楽町スバル座)
まえだまえだありきという訳でもなかったんだろうけれど。この映画が出来るプロセスには九州新幹線や、鉄道ファンであったという監督、そして「誰も知らない」ではない子供たちの映画を作りたいという監督の思いがプロデューサーの提案と合致したことや色々な、それこそ“奇跡”や偶然が重なっているのだろうけれど。
でもそれでも、この映画のためのオーディションで監督がまえだまえだの二人に出会ったこと、この二人ならばと惚れ込んだこと、そして彼ら自身が物語を大きく膨らませただろうことは想像に難くなく、監督が「将来、貴重な俳優になるだろう」という惜しみない絶賛には大きく頷かずにはいられないんである。

いやあ、さ。まえだまえだが予告編で出てきた時から、もうこれは勝ちだな、と思ったもん。まあ「赤鼻のセンセイ」でちらりと見せた演技も確かに上手かった。他にも色々演技経験はあるのかな、ちょっと知らないけど。
でも彼らの、いわゆる“子役”にはない子供らしさ、子供らしさをきちんと判っている子供らしさ、なのにいやらしくない、完璧な子供らしさの愛らしさというのは、彼らがまさに、自分たち自身のプロであるということを示しているように思えて、それってそれこそ、ものすごく“奇跡”的なことなんではなかろうかと思ったのだ。

今はブームといっていいほどの子役天国で、それぞれ皆才能がある子達ばかりだとは思うけど、こういうタイプの子って、後にも先にも見つからないんじゃないかと思うもの。
子役としてのプロじゃなくて、子供としてのプロ。その上に立つ風格と度胸。もちろん漫才の舞台で培われたものもあると思うけど。やっぱりこの映画はまえだまえだありきだったと、思うなあ。

それにしても是枝監督は、シリアス作家だと思っていたのが、なんかだんだんいい感じに角が取れて、素敵なユーモラスを組み込むようになって、それこそ前作の「歩いても 歩いても」の、毒がありながら温かな洒脱さには大いに驚かされたけど、今回もまたしかり。
「誰も知らない」の子供ではなく……というのが本作はまさに、であり、へえ、監督ってば子供が出来たの、そういうのってやっぱり作用するんだなあ、と自らの大人としての未熟さを改めて思ったりする。

だってさ、優しいんだもん、子供たちを見守る天上の視線が見える。それはやはり「誰も……」とは違う。本作の兄弟だって両親の離婚によって離れ離れになり、もしかしたら今回の邂逅から次に会えるのは何年も先かもしれない。
普通、なんてところをどこに設けるのかは判らないけど、でも普通、よりはちょっと不幸かもしれない子供たち。例に漏れず、大人たちの勝手な都合によってそうなってしまった子供たち。
でもそれでも、完全に大人たちによって見捨てられてしまった「誰も……」と違って、確実に彼らを見守る監督の目線は温かいし、身勝手で都合のいい大人たちでさえ、彼らを見る目線は温かなのだ。
勝手なのに。あんたらのせいでこうなったのに。でもそれを判ってるから、申し訳ないと思ってるから……でもそれは言い訳じゃなくてね、本当にこの子供たちをいつくしむ視線があるから、なんとも救われるんだよなあ。

そう、これは両親の離婚によって離れ離れに暮らすことになった兄弟の物語。なんたってまえだまえだだから、もともとは大阪で暮らしていたという設定みたいだけど、そこんところはかなりあっさり。
今は福岡と鹿児島とだから、完全に九州で、それは親の地元であるということらしい。お兄ちゃんがついていったお母さんのところは完全に実家だしね。お父さんは「久しぶりに帰ってきました!」とライブ会場で言っていたし。

……それを思うと、お兄ちゃんが「いつかまた家族四人で暮らしたい」と思っている場所が万博公園に象徴されるザ・大阪であり、弟も“本場大阪”なんてなのぼりが立ってるたこ焼きをほおばる場面があるし、やっぱり兄弟の原点は大阪、なんだよね。めちゃめちゃ大阪訛りでしゃべってるし。
でも彼らが離れ離れになり、両親はそれぞれのアイデンティティがある場所に戻った。なのに、彼らはそのアイデンティティを奪われ、家族を奪われ……。
お兄ちゃんが鹿児島での友達の中で、転勤族なのか、引越ばかりの友達に、もとの土地が恋しくないのかと問う場面が痛切に物語る。その友達は表面上だけはサラリと言う。「もう慣れたよ」と。

……実は、兄弟だけでなく、それなりに周囲の子供たちも大なり小なりしこりを抱えているんだよな。
女優の夢を抱えている女の子は、女手ひとつで育ててくれた母親が、自分を産むためにその夢を諦めたんじゃないか、しかも同じクラスに強力なライバルもいてくじけそうになっていたり……なんていう、ちょっと華やかな中でのエピソードもありつつ、ね。
そんな熊本と鹿児島双方の子供たちが、兄弟を介してではありつつ、大冒険に出るのは、お兄ちゃんの方のクラスメイトがまことしやかに囁いた「今度できる九州新幹線の一番列車がのぼりとくだりですれ違う時、奇跡が起こる」という噂話から。願い事がかなうのだ、と。

こういう話、いいな、好きだ。授業中にこっそりと話す、そんな都市伝説みたいな話を小耳に挟んで「それ、ホンマ?」と超真剣な顔になるお兄ちゃん=前田航基君愛しすぎる。
この兄弟は、外見もそんなに似てないし、キャラも全然違う。子供らしいところは二人ともそうなのに、ホント、違うんだよね。そのキャラがそのまんま生かされてる。
やっぱり、お兄ちゃんなんだよな。どんなに子供らしくて天真爛漫でも。
監督は、前田航基は物語を理解して動いていた、と言ってた。それが画面にもにじみ出ていた。
彼は家族が一緒に暮らすことこそが幸せだと信じてやまず、リーダーシップを発揮して仲間たちを先導するものの、かたくな過ぎて事態を硬直させもする。でもそれを理解すると素直に受け止める。その素直さがなんとも愛しいんだよなあ。

一方の弟はザ・天真爛漫。演じる旺志郎君が可愛すぎる(涙)。実は彼の方こそが、お兄ちゃんよりもずっと現実が見えていたんじゃないかという気がする。
家族四人でもう一度暮らすなんて、実はムリなんだと、判ってたけど、お兄ちゃんが一生懸命だから言えなかったし、いや、そんなマジメに考えてなくても、ま、いっか!と思っていたかもしれないし(爆)。
だってね、まあ日本の離婚事情だと、大抵は母親の方が子供を引き取り、父親に養育費を請求する、てのが一般的よ。まあこの父親の場合は「夢ばかり追いかけて、すぐ仕事をやめてしまう大学生気分が抜けない男」と奥さんからばっさり着られてしまうようなヤツであって。
実際、弟君と一緒に暮らしてる感じも、ボロアパートにメンバーがたむろし、弟君が学校に出かける時にお父さんを起こし、ぼやけた頭で作曲を始めようとするお父さんに、もうちょっと寝とけや、というと、言われるがままバッタリ二度寝するようなさ、もう生活力なさすぎよ。

でも弟君は、お父さんを選んだ。いや、選んだなんて言うのは良くないかもしれない。それにお兄ちゃんが言うことには、両親を別れさせないため、つまり、弟に父親を監視させるために父親側に弟を残した、ということらしいしさ。
でも実際は違ったんじゃないかと思うんだよなあ……。弟君が自らの意思でお父さんの方に残ったんじゃないかと思うんだよなあ……。
そんなことを言ってしまえば、お母さんよりお父さんの方が好きなのかとか、家族が離れても平気なのかとか、そういうつまんない議論になってしまうんだけど……ああ……つまんないなんて言っちゃ、マズいか。それこそお兄ちゃんはそれに全精力を傾けているんだから。

でもそこが、兄弟の微妙な感覚の違いを上手いこと表している気がしたんだよなあ。お兄ちゃんはやっぱりお兄ちゃん、家族が一緒であるべきだと、親よりもきちんと考えて高い目標、というか理想を掲げる。
でも弟は親よりも周りが見えていて、結局は離れて暮らすしかないのなら、お父さんを一人にしとく訳にはいかない、と思う。
……二人がそれぞれまったく違う立場と考え方で、親たちよりもずっと大人なのが泣かせるんである。
結局は離れて暮らすしかない、てのを弟が身を持って感じたのが、カイショのない夫にキレて妻がたこ焼きをぶつけるシーン、お兄ちゃんは両親を止めようとするけれど、弟は急ぎたこ焼きの乗った皿を持ってオンカメの位置にて急いで次々たこ焼きをほおばる、と。
思わず噴き出しちゃうような場面なんだけど、これがすんごい上手いこと、その後に至る兄弟の立場や考え方を示してるんだよなあ。

兄弟は密に連絡を取り合っている。それは主に、お兄ちゃんの方がいつか家族四人で暮らすという夢、というか彼の中では計画を実行するためであり、弟の方は割と新生活を満喫しているようである。
というのは、お互いスイミングスクールにいる時、つまり親から離れた時間帯で携帯電話が使える時に連絡をとってるんだけど、弟の方にはにぎやかに仲間が群れているんだよね。それをお兄ちゃんが聞きつけて思わずムッとする。
いやさ、お兄ちゃんにだって信頼できる友達はいる。だからこそあの奇跡への大冒険に彼らを連れて行くんだけど、弟君はその仲間に女の子も入っているからなあ。やっぱり違う訳さ。

そういやあ、弟の方がクセやなんかがお父さんに似てて、だからお母さんは僕が嫌いなのかと思って、とさらりと電話で言うシーン、お母さんは虚をつかれて嗚咽し、そんな訳ないじゃない、言うけれども……でもこのシーン、さらりと言う弟の邪気のなさが、でも実は結構計算のようにも見えて、やっぱりこの弟、あなどれんかも、と思った。
そしてお母さんの気持ちが察せられて泣いちゃったけど、でも実はやっぱり、お父さんの方が孤立無援であるということを、弟君は感覚的に知っていたんだろう、なあ……ヘラヘラしてるばかりのお父さんだけどさ。

このお父さんを演じているのがオダギリジョー。反則なぐらい色っぽいとーちゃん。確かにこの弟君がついてなきゃ、彼はもっともっとダメになったであろうと思われる。
それが、女(妻)ではダメだったってあたりがなかなかに皮肉なんだけど、妻は夫としての責任を求めるけど、子供は親としての愛情があればオッケーだから、なのかなあ……。

確かにこのオダジョーの父親、息子に対する愛情は、あるんだよね。ただ、今そばにいる弟君に対しては、今そばにいるからそれが感じられるけど、お兄ちゃんとは電話で話す場面ぐらいで、それはまたしてもお兄ちゃんらしく、お母さんと仲直りするなら今がチャンスやで、と忠告される場面で、であり……。
彼は器用な男ではないんだな、きっと。そばにいる、自分を心配してくれる存在には愛情を注げるけど、そうでなければ……。
悲しいけど、家族であっても彼を見切った奥さんや、その奥さんについていったお兄ちゃんにはなかなかそれを向けるのは難しいのだろう。
大人は年齢で決まる訳じゃない。そしてそういう意味で大人になることだけが意味のあることでもないのかもしれない、とも思う。

しかし、なんと言ってもメインは、この兄弟が友達を連れ合って合流し、“奇跡”の起こる新幹線のすれ違う瞬間を追って旅する冒険である。
テキトーな大人たちばかりの弟君の方は割とアッサリと抜け出すけど、お兄ちゃんの方はなんたってお母さんの実家だし、お兄ちゃん自身がマジメだから、タイヘン!
“いかにして自然に早退するか”を考えて、三人相次いで授業中に貧血になるシーンは爆笑!メッチャ不自然!
しかもその、明らかに不自然なたくらみに気づいた保険の先生が、体温計の温度を上げる秘策を伝授したりしてくれるのがイイんだよね。
ていうか、その前にお兄ちゃんはおじいちゃんを共犯者に引き込んでるし、だけどおじいちゃん、学校に迎えに来るのが早すぎて三人は顔を見合わせてため息(笑)。
超正義感タイプの暑苦しい担任はこの不自然なタクラミにうすうす気づいていて、彼らを問い詰めようとしてるんだけど、でも結局逃がしちゃうのは、彼も判ってくれている、てことだろうなあ。

そういやあ、このお兄ちゃんの友達の中の、先述した転勤族の友達、そんな具合に妙に世間ずれしてませてて、図書室の美人司書、裸足ではなく生足がまぶしい若い先生に恋して、「奇跡が起こるなら、先生と結婚したい」とマジに言うのがめっちゃ萌えるんである。
だってこの、サラリと前髪が長めのちょっと色っぽい雰囲気の小学生の男の子って、ヤバいんだもん(爆)。それを受けるその美人司書がまさみちゃんってのも、更にヤバいんだよなあ。
彼らが地図を広げて何かたくらんでいるのを見て取り、「旅行の計画?熊本かあ、馬刺しが美味しいよ」て、小学生に馬刺しを勧めるかっ。後にそのキーワードがユーモラスに効いてくるのもいい。もう生足の司書のまさみちゃん、超素敵っ。

彼らはさまざまな思いを抱えて、鹿児島と福岡から、運命の地である熊本に集結する。当初は女の子なぞ引き連れてきた弟におかんむりだったお兄ちゃん。でも、駐在さんに目をつけられてあわや、という時、あの女優志願の女の子が咄嗟に、地元の祖父母を訪ねてきた、と装って切り抜ける。
しかもそれが駐在さんの良く知る家で危機一髪になるんだけど、その老夫婦が超イイ人たちでさ。泊まるところなど考えてなかった彼らは、ずっぽりお世話になっちゃう。

この老夫婦の、出て行ったきりの娘に、この女優志願の女の子がソックリだった、なんてちょいとメロドラマ過ぎるかもね、という感もあるんだけど、でも実は、実際は、そんなに似てなかったんじゃないの、と思ったりもする。
出て行った娘さんをずっと思ってたから、こんな風に身内のように現れて、夢のように、そう感じてしまっただけかもしれない。
でもこういうところもマジックなんだよね……。本作が“家族が一緒に暮らすこと”を、しかもそれが現実世界では叶わないことの方が多いことをテーマにしているからさあ……。

それにね、このイイ人すぎる老夫婦を気にして「(奇跡を起こす)願い事があれば、私が替わりに……」と別れ際に言うのが、そのくだんの女の子じゃなくって、ポジションとしては普通の女の子、この女優志願の女の子を理解して仲良くしている女の子、という程度である子なのが、妙にグッとくるというか……。
その子も、絵が好きで、絵が上手に描けるようになりたいと思ってて、そうした才能への純粋な希望はあるから、決して“普通の女の子”などと断じられる訳ではないんだけど。
そう考えると、ホンット、普通ってなんなのか、って思っちゃう。普通という定義のなんとつまらなく、あいまいなことか。

それで言えば、お兄ちゃん側の友達たちは、女優だの絵が描きたいだのという“普通じゃなさ”とは違って、確かに“普通”である。
あの転勤族の男の子は萌える美しさだが、もう一人の男の子は、一見“普通”ながらも、かなり見逃せないエピソードを抱えている。
彼がいつも連れているもう足腰が弱っている老犬が、冒険の旅に出かけるまさにその時に、死んでしまう。
彼はその犬を生き返らせたいと思う。だから「イチローになるのはやめた。」と言う。黙り込む友人二人。
つまり、二人は、いや本人も、そんな“奇跡”はムリだと判ってるんだもの。そのあたりがね、純真に、無垢に、この“奇跡”を信じているように思わせて、でも実は彼らは全て判ってる、て感じさせて……それは実は見てるこっちも、劇中の大人だって判ってるんだけど、改めて示されるとなんとも切なくて。

これは“奇跡”ではなく、いや、“奇跡”が本当にあるのかどうかなんてことは関係なく、それを信じたい、いや、それを叶ってほしいと切なる思いを爆発させるための場なんだと。そんな大人っぽいことを、漠然とであっても、子供たちが判っているんだということ……。
もちろん、女優になる夢を固めた女の子は、この決意表明が自分自身による大きな後押しになっただろうと思う。そして、判ってはいたけれど、死んだ犬は更に冷たくなるばかりで、生き返ることなどないことを、本人も友達も、判ってて……ようやく向き合うことが出来た。

ならばあの兄弟は?あの兄弟は……。お兄ちゃんは、あんなにも願ってやまなかった家族四人で一緒に暮らす願いを口にしないまま、すれ違う新幹線を見送った。
そして弟は……私ね、実際の場面で、しょっぱなに叫んだ彼の台詞が聞き取れなかったのよ。最悪(爆)。
でも、彼がお兄ちゃんに、お兄ちゃんの言う願いを言わなかったこと、そして福岡に帰り、お父さんのバンドが番組出演を決めたことを知ると自分のおかげだから、と満面の笑みで言い、何事か判らないオダジョーと以下メンバーが、そ、そうか、と返す。
それで、ああそういうことか、と思い、この弟君はほんっとにぶれなかったんだなと思うと、何かお兄ちゃんが切ない気もするけど。

もっとね、言い切れないことがたくさんあるの。お兄ちゃんが桜島の噴火の、その灰が積もる毎日にヘキエキする、それにあいまって、家族四人で暮らしていた大阪時代を思う。
この灰のエピソードは、干していた洗濯物に積もる灰を苛立たしげにはたいたり、学校での掃除の場面などなど、やはりちょっと都会な雰囲気のある福岡と違って、いかにも鹿児島の特異性を思わせる。
だからこそお兄ちゃんの家族一緒の思いに拍車をかけるんだけど、でも結果的には彼は鹿児島の子供になっていくんだなあということを、この導入部があるからこそ思わせる。灰が降る土地なんて、ここしかないしね、やはり。

そう、特にお兄ちゃん側は、母親の実家ということもあって、おじいちゃんやおばあちゃんのエピソードが満載でさ。フラダンスに興じるおばあちゃんと、銘菓、かるかんの職人魂に燃えるおじいちゃん。
特におじいちゃんを演じる橋爪功はキーマンでもあるし、お兄ちゃんとの観覧車の場面とか、良かったなあ。
おじいちゃんが情熱をかたむけるかるかんが、再三「ぼんやりした味」だとクサされるのがさ、なんとも切ないんだけど、でもそれを久しぶりに会った弟にお兄ちゃんが持っていって、同じ感想を言われるも「お前にはまだ早かったな。だんだんクセになるんだ」と大人ぶるお兄ちゃんが可愛すぎる!
んでもって、ランニング姿で背中を合わせてかるかんをかじる二人が愛しすぎる!ああ、やっぱりやっぱり、まえだまえだだったなあ!!!★★★★☆


吉祥寺の朝日奈くん
2011年 91分 日本 カラー
監督:加藤章一 脚本:日向朝子
撮影:戸田義久 音楽:野崎美波
出演:桐山漣 星野真里 要潤 柄本佑 田村愛 水橋研二 村杉蝉之介 徳井優

2011/11/24/木 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
へーっ!星野真里って、こんなに可愛かったっけ?こんな髪型の彼女は初めて見るからかなあ、ボブに揺れるヘアスタイルがまるで学生のように初々しくて、それでいて確かに小さな女の子がいるお母さんだといっても驚かない大人の女でもあり、という揺らぎがなんとも魅力的で。私は彼女をスクリーンで何度も見ているのに、まるで全く違う女性に見えた。
これもひとつの街が舞台だった「私は猫ストーカー」の彼女よりずうっとステキだった。もうひとつの主人公ともいえるこの吉祥寺の街の、特に自然の多いナチュラルさがとっても似合ってた。
それも、冬の、寂しさと優しさが同居したようなそのナチュラルさが、彼女そのもののように見えた。

吉祥寺という街を味わいつくす素敵さは、同じ神保町でも「私は猫……」よりも「森崎書店の日々」 のような味わいだな、と思ったら、脚本にその「森崎書店……」で監督デビューした日向氏が携わっていたり、なんとも嬉しい符号。ヒロインの寂しく優しい感じが共通している感じがしたのは、だからかもしれない。
星野真里がそういう女性が似合う、というか演じられるというのも意外だったし、彼女と年下の男の子の恋物語が本当にセンシティブで、まさかあんなどんでん返しが待っているなんて、全く思わずに、本当に、心しずしず、ときめきながら、二人の様子を見守っていたのだ。

それは、“実はこういうことだった”ということが示されてからも、その感覚は、揺るがなかった。そりゃまあ確かにあんな展開は予想もしてなかったけど、なんというか、不思議に驚かなかったのは……確かにその恋物語は、本物だったという確信が揺らがなかったからかもしれない。
もうメンドくさいから先に言っちゃうと、彼女、山田真野に恋する彼、朝日奈君、という図式は、一応は、芝居だったのだ。

一応は、などと言ってしまうのは、形式はそうだったけど、実は彼は、ずっとずっと彼女に恋していたのだということがラストにほのめかされることもあるけれど、何より、最初からそれを感じられるから、なんである。
芝居の恋には、見えない。いやその、彼がその演じ分けが出来ないからとかじゃなくて(爆)、まあ実際彼がそんな繊細な演じ分けが出来るかどうかは判らんが(爆爆)、でも結局は、彼は初めて彼女を見た時から恋をしていた、という含みが感じられるんだから、いいじゃないの。

などとクサしたつもりもないのだが、しかしこの朝日奈君、なんたってタイトルロールである彼を演じる桐山漣君は悪くなかった。というか、良かった。
テニスの王子様、仮面ライダー、イケパラと、今時のイケメン俳優の王道をベタなまでに突っ走ってはいるが、ある意味それが嫌味じゃない方向にほどよく草食系、ほどよく受身な感じで、だからこそ彼が決死の覚悟をしたクライマックスが、殊更にグッと来させるものがあった。

朝日奈君がかつて、小劇場の役者をやっていたという設定も効いている。つまり彼は芝居心があり、芝居への未練を捨てきれず、真野への芝居が本心を大いに含んでいることもあって、自分が本当にやりたいことは何か、という、今まで何となく遠ざけてきた命題に直面することになるんである。
劇中、真野と観に行く芝居の台詞が、芝居と人生は共通するか否か、台詞に本心が入り込むか、などという、この物語の核心をあまりに直球に突いた場面が出てくる。

しかもご丁寧にも、朝日奈君が見ているうちにその中に自分を投影し、舞台上に立っている自分を夢想する、なんていうザ・伏線な場面のサービスまで満点である。
まあ私はアホだからまるで予測できず、後からこんな風に考えて、あちこち伏線がちりばめられていたことを知る訳だけど、でもこのシーンは朝日奈君の有り様をほんっとに直球で描写してるよね。彼女への思いも芝居への思いもハンパじゃないっていうこと。

25歳という年齢がまた絶妙である。それでいえば、真野が彼よりちょいと年上、30間近であろうことも絶妙である。二人とも男と女ではちょっと異なるけれど、人生の岐路にバッチリ立たされている年齢なんである。

……と、また筋すっ飛ばしだけど。ていうか、まあ、筋言ってるようなもんだが、一番大事なトコ、なぜ朝日奈君が人妻を引っ掛けるようなマネをしたのかってこと。しかも実は心ひそかに想っている相手、というあたりもややこしい。
またしてもオチバレで言っちゃえば、朝日奈君の先輩に頼まれた訳ね。彼のバイト時代の先輩として出てくる要潤。いつもの毒なきイケメン、手足長すぎ(関係ない)。
朝日奈君の良き理解者として飲み屋のシーンでさりげなく出てくるから、よもや彼がキーマンで、こんな悪魔のような男だとは思いもしない。
おっとお、私、要潤を毒にもクスリにもならんぐらいに(ヒッデェ!)見くびっていたか(スマンーーー!!)。

実際、あの、それこそイケメンの要潤が、これぞ馬脚をあらわすってトコだろう(どんな意味か一応調べとく)、ネタが観客にもバレた時の、鬼のような表情にゾッとし、彼ってこんな怖い顔出来るんだ、などと思う。
最後の最後まで、その正体が明かされない(まあこういう構成上、当然だけど)なだけに、結構ショッキングである。
朝日奈君を追い払って同僚の女の子とヨロシクやる場面ぐらいじゃ、まあイケメン氏だし、それぐらいはあるだろう、ぐらいにしか思ってなかったから。

この要潤扮する哲雄先輩てのが、実は真野のダンナなんである。しかしフツー、先輩は苗字で呼ぶよなと、ちょっと都合の良さを感じなくもないけどさあ。
で、哲雄先輩は奥さんとの仲が上手くいってなくて遠からず離婚だと。子供がいるから養育費の支払いを命じられるだろう、そんなカネは俺にはない。何よりこれからの人生設計が狂う。
女房に不倫させて逆に慰謝料を取ってやる。あいつの実家は金持ちだから、そんなことは造作もない。女房に近づいて、寝てくれ。そうすれば慰謝料が手に入る。何百万だ。女房と寝るだけでお前にも何百万だぞ、と。

フツーに考えればこんな話にノること自体、鬼畜なのだが、役者であった朝日奈君にとって、これ以上ない大一番の“芝居”であること……は先輩からエサとしてぶら下げられていたし、でも朝日奈君にとっては多分、それ以上に、相手が真野だったことが大きかったように思う、のは、勿論全てが終わって、今、思うことだけれど。
そう思うとこれって、ダンナから依頼されたことだという大どんでん返しが一番のメインではあるけれど、実はちくちくとちりばめられている小さな伏線こそが、大きな意味を持っているし、魅力なんだよね。

だってね、先述したけど、前半の、二人の気持ちが、ていうか、想い募る朝日奈君の気持ちに、戸惑いながらも近づいていく真野、という、もう少女漫画の王道もかくやという展開を、本当に丁寧に、吉祥寺のセンシティブな街の描写と共に示されて、もうこれだけで充分満足、これで終わっていいよ!と思うぐらいだったからさ。
正直、実は全てがダンナが仕組んだ芝居だった、なんて展開が現れた時、驚くというよりは、あーあ、あのトキメキが全部ウソなんてガッカリ、という気持ちの方が大きかった。
それぐらい、二人の気持ちの丁寧な描写が全然ウソだとは思えなかったし、あの描写をウソにしてほしくないと、思った。

実際、朝日奈君が先輩の彼女として邂逅したそのほんの一瞬が後段で示された場面、幸せそうな先輩夫婦、特に彼女のその笑顔に釘付けになる朝日奈君の、涙ぐんでいるような表情が、ああ、一目ぼれっていうのはこれなんだと。そんなこと都市伝説だと思っていたけど(爆)、本当にあるんだと。本当にね、思えたんだもの。

それで思い出した。こんな伏線もあった。ほんっと、丁寧にキーワードが散りばめられている。
朝日奈君が真野の雑貨屋での買い物に付き合った場面、運命って信じますか、と朝日奈君から問われた彼女がそれを否定した後、「朝日奈君は信じてるの?……信じてるんだ」とからかい気味に、つまりは、まだまだ若いね、なんて含みを感じて言うシーン。
ダンナと上手くいっていない真野と、“運命の彼女との再会”をこうして果たしている朝日奈君とのことを、後になって考えると、このシーンもまたひどく含蓄があるんだよなあ。

朝日奈君はやたらと推理小説を読んでいる。映画の冒頭は、彼の本棚や荷造りされた雑誌やらをズラーッと映し出す。
全てをちゃんと見れないけど、このラインナップだけで彼が役者(だった)てことはちゃんと示されているし、好んで読んでいる推理小説は、この、ネタが明かされるまでは初々しいラブストーリーのように見える本作が、実はミステリの要素を持っていて、それこそが大前提なんだということをしっかりと示しているんだよね。

しかも朝日奈君と哲雄先輩が飲んでいる飲み屋で遭遇した客(徳井優氏、適度にワザとらしくて最高!)が、ここでは実に意図的なワザとらしさで、不倫の末の悲惨な事件の話題を突然話しかけてきたり、離婚で優位に立つには、相手の浮気、それも性交の証拠になるものを抑えるんだとか(このシーンは朝日奈君が一人で飲んでる)この物語の核心に迫る、ってか、核心そのものを、まるで関係ない人の立場でズバリ言ってくる訳。
後から考えればずいぶんとワザとらしいな!と思うんだけど(徳井さんのキャラがまたいい感じにワザとらしいんだ!)、ネタが明かされないうちに頭の中に刷り込まれる彼と彼のもたらす情報は、凄く上手いんだよね!

そりゃまあ、まさか哲雄先輩が真野のダンナだとは思わなかった。いや、ミステリ慣れてる人にとってはそんなのお手のモンに予測できたのかもしれないけど。
真野がダンナとケンカして家を飛び出し、朝日奈君に連絡してくる。
この前のシークエンスで、先述の、二人で観劇に行ったんだけど、いつもは冷たい夫が思いがけず彼女をすんなり送り出し、子供の世話も引き受けてくれる。
それどころか、芝居の後に“友人と”食事をして帰っていいかと電話をすると、OKを出した上に、子供の食事も作って一緒に食べるから、とダンナが言ったもんだから、真野は急速に罪悪感にかられ、やっぱり帰ると、しばらく会わないようにしよう、と朝日奈君に告げたのだった。

後から思えばダンナ、つまり哲雄先輩はこの時、いわば下手を打ってしまった訳だ。浮気を促進するハズが、彼女の情を自分に向けてしまった。
これぞギャップのマジックってヤツであろうな。普段冷たい人が優しくなると、ハッとする。今の自分の行動が、本心であるかどうかに自信が持てなくなる。
ダンナに対するアテツケなだけなんじゃないかと、自分は愚かな人間だったんじゃないかと。
こーゆー、女心、女房心が判らないまま、こんな下品な計画を立てた時点で、このダンナはもうアウト、負けだったんだわね。

で、この場面の後、しばらく彼女からの連絡がなくって、朝日奈君は大いに意気消沈する。ようようバイトも始めたけれども、真野の勤めるカフェに行っても彼女はいないし……。
そうそう、このカフェの店長、村杉蝉之介もいい台詞を残す。飲食店でバイトを始めたという朝日奈君に、そういう方向をやりたいのかと聞く。
いえ、そういう訳では……まあとりあえず、と濁す朝日奈君に、彼は自分の抱き続けていた夢を叶えたこの店のことを語り、朝日奈君は、自分がやりたいことって何なんだろう……、とふと落ちてしまう訳。

数ある伏線の中でも、これはまあちょいと、ありがちすぎる感じではあるけど、数ある、だからこそ、いいのかもしれない。しかもこの時点では、朝日奈君がかつて芝居に熱中していたことは明かされていないのだから……。
そういやあ、真野との出会い、というか、物語の最初の場面、このカフェで痴話げんかしているカップルの巻き添えを食らって鼻血ドバー!(女の子の投げた椅子が命中!)っていう、つかみはOK!てなところから始まるんだけど、実は、というか、勿論、というか、この場面は既に芝居で、このカップルは朝日奈君のかつての劇団仲間な訳ね。
ただ、朝日奈君が彼らに計画の全ては言ってなくて、自分の恋の成就を助けるために協力してくれ、ということだったのが後に明らかにされるのも、イイんだよね。

だってこここそに朝日奈君の本音があったのは、それこそ明らかなんだもの。朝日奈君の恋を成就させてあげようと“設定”以上にハッスルしてしまった女の子が椅子を投げちゃって朝日奈君負傷!てのも可愛いじゃないの。
しかもこの女の子、マジで心配して、後にネタが割れた後も「(もし病院にかかったら)連絡待ってたのに」とトンチンカンな責めよう。
ここでもこの子もマジだったし、真野も「あの女の子、連絡欲しそうだった。しなかったんですか?残念。どうなるか知りたかったのに」なんて冗談交じりながらも本音でさ、ここにも芝居と本音の入り混じりがあって、絶妙なんだよね。
それは、芝居、つまり役者の感じる本音を言っているような気もしてね。芝居だからウソだというんじゃない、役者は芝居の中で生きているんだ、って。

“性交の証拠の写真”を獲らせない為に真野親子を裏から脱出させ、契約違反だと哲雄先輩からボコボコにされる場面に至って、観客、そして真野も真実を悟る。
当然ショックを受けた真野は朝日奈君のほっぺたを平手打ち、それ以来いっかな連絡が取れず、落ち込む朝日奈君。
もうガマンならんと彼女を待ち伏せし、ひとつだけ言ってなかった、“あのカップルも自分の仲間”と、そんなしょーもないことをも告白するのがカワイイ。

朝日奈君が、それこそ“性交の写真”として哲雄先輩が飲み屋の席に連れてきた、いかにもこれからヤリます、って感じの同僚女性とのキスシーンと、ホテルに連れ込むところを抑えて、それによって真野は、無罪放免どころか逆に慰謝料をふんだくることが出来た。
しっかしこれは朝日奈君に彼女から語られるだけなんだけど、そうなるまでには相当骨肉の争いがあった筈だしさ。

しかし、朝日奈君が再会した真野は、故郷に帰ると言い、あなたのおかげだと先述のことを言い、まあその、いい感じに、お互い思いが残っていたらまたやり直そうとか、こうして言葉にするとケッと思うが、しかし奇跡的にそれが信じられてしまうような二人のセンシティブな魅力で、実に気持ちよく、未来に希望を持って終わるのだが。
が、しかし、やっぱりやっぱりよーく考えると、いくら朝日奈君の撮った哲雄先輩の浮気写真があったとしても、慰謝料を獲得するまでにはかなり闘いがあったと思うし、意外に真野はしたたか?いや、意外に強い女、ということなのかも。

この神田川の上流の先はどこまで続いているのか、とまるで子供の冒険のように朝日奈君と真野がさかのぼっていくシーン、原作にはないというけど、これがまあ、凄く凄く、イイ。
その途中で手をつなぐドキドキがあり。そしてダンナのたくらみに朝日奈君が乗ったという、あの大クライマックスの後にもその“続き”が用意されて、で、そのどちらも、真野がもう帰ろうと、言うのだ。そのどちらも、上流の、その始まりをつきとめてはいないのに。
その最初は、真野が子供の迎えの時間が来たから。その次は……ダンナのたくらみによって朝日奈君が芝居で真野に近づいたと知れた後は……真野が、高知の実家に帰る、と朝日奈君に告げるため、だった。

正直、ね。オチ的な展開が示される前から、人妻である彼女、やりたいことも判らない“実家に帰り損ねた”彼、という組み合わせでは、切ない結末が用意されていると思っていたんだよね。
この恋の末に、苦い思いを抱えながら彼はちょっとだけ大人になった、的な、それこそベタなね(爆)。
でも、違ったんだなあ。思いがけず、ハッピーエンド……ではないか、に近い、それを予感させる、期待させる……まあ、とにかく悪くない後味の終わりだった訳さ。

確かに彼女は実家に帰る。でもその間際、わざわざ朝日奈君を追いかける。その会話の中で、二人の本当の、最初の出会いが明らかにされる。
なぜ真野が、朝日奈君が小劇場の役者だと知っていたのか、なぜ“偶然”にその芝居を見ていたのか。
偶然ではなく、必然。先輩のもとに転がり込んだ朝比奈君がおいていったチラシ、彼が仰ぎ見た、先輩と一緒に幸せそうな真野の笑顔。
この時の朝日奈君、いやさ桐山君の涙ぐんだ表情が、刻み込まれて、もう、それだけでいいさ、と思う。下手な小細工なんぞなくても、二人の純情ラブストーリーと言っちゃっていいじゃん、と。

これも何気に伏線だったかなあ。朝日奈君のお兄ちゃんとして登場する、大お気に入りの役者さん、水橋君。
実家のお店は畳んでチェーン店に貸し出した。お前は好きなことをすればいい、って。これだけ言うシーンなのに、さすがの説得力。
そして、これもまた、見事な伏線。もう、全てが伏線。やんなっちゃう(爆)。

後に、朝日奈君が、真野に「役者をやめたのなら、なぜ実家に帰らないのか」と問われて、一瞬言葉に詰まった彼が言ったのが、タイミングを逸した、ということで、これってテキトーに聞こえるけど、実はメッチャリアリティがあるんだよな。
だってつまり、朝日奈君は、まあ役者がダメなら実家に帰ればいいや、アニキももう勤めてるし、俺が店を継ぐって言ったら、喜ぶだろ、ぐらいに思っていたんじゃないかと思い……。役者に対する思いも、そこんところに甘さがあったのかもしれないし。

そんなこんなで、意外に?深い物語。切ないだけで終わらないで、光が見えて良かった。
二人の、いや、遠野ちゃん(真野のお子ちゃん)含めて、三人の幸福な未来を想像しちゃうぞ!
最後まで朝日奈君が遠野ちゃんになつかれないまま、しかし最後の最後の、真野からの手紙で、三人で見たゾウのハナコさんの絵が描かれているのが泣かせる!
それに、ぐったり寝てしまうとこだわりなく(まあ、寝てるから)朝日奈君に抱っこされてしまう子供の無防備さ、無邪気さも、萌えてしまう!!

なんか、私、癒されたかったのかも(爆)。ミステリ部分はどーでもいいとか思ってるあたり、そうだよなあ、多分……。
しっかし星野真里嬢は、めっちゃめっちゃ、可愛くて、本当ビックリ。あら?新婚の幸せ可愛さですかあ?★★★★☆


キミ/ハミング/コーヒー
2009年 18分 日本 カラー
監督:勝又悠 脚本:勝又悠
撮影:勝又悠 音楽:rakira
出演:前川桃子 宮野光輝 葛上昇悟

2011/4/19/月 劇場(新宿K’scinema)
お互いを親友だと認め合うほど仲のいい女の子と男の子が、でもひょっとしたら女の子の方の気持ちだけが思春期のあの気持ちに変化してしまって……という物語。
と、書いてみて、「紙風船」の一編「あの星はいつ現はれるか−」を思い出したりもしたが、印象が全然、違った。
本作のリリカルさは並み大抵ではなく、これは「はい!もしもし、大塚薬局ですが」 のオマケ的につけられた併映の短篇なのだけれど、ユーモアの先にどっぷり思春期の切なさがあった
「はい!もしもし……」はなるほど、この監督の得意分野であることが、この短編からも推し量られた。

余計な人間が出てこない。まあ途中、彼らに絡んでくるヤンキー三人組ぐらいはいるものの、それだってちょっとジャマなぐらいである。
女の子はもう最初から、彼への気持ちが観客にじんじんと伝わってくる。男の子の方はそれに気づいているんだかいないんだか、という、もう典型的なドンカン男子である。
いわゆるモテ系でも、ハヤリの草食系でもなく、ほんっとに、フツーの男の子。フツーだからこそなんとも好ましい男の子。

それに対して女の子は、きっと中身は純朴なのだろうけれど、ちょっと外見は突っ張った感じのする女の子。髪を染めて、大ぶりのピアスをゆらゆらぶら下げて、男の子から「さぼりっすか、不良ですねえ」とニコニコ言われる。
「不良っすよ」と彼女もニコニコ返す。それだけで二人の長年の信頼関係はおのずと知れる。

女の子にハミングを教える男の子。こうして両耳を両手で抑えてハミングすると、自分の声だけが聞こえる、と。
女の子はホントだ、と驚く。砂浜、波の音、女の子はブレザーを脱いで男の子に渡し、靴を脱ぎ、靴下を脱いで、さくりさくりと砂浜を歩いていく。

なんとも、距離が近いんだよね。顔の、そのパーツに近寄るぐらいの近さは、二人の近さも感じられるのだけれど、その仲の良さはホンモノなんだけど、でも不思議に、やはり、二人の気持ちは今、ちょっとだけ違っていることがなぜ判っちゃうんだろう。
「私たち、いつまで親友なのかねえ」という女の子の台詞一発で、彼女の気持ちが判ってしまうのに、それに対して男の子のリアクションはどっちにも判断しかねるんだよね。本当に気付いていないのか、テレているだけなのか、それともまさか本当に本当に、親友としか思っていないのか……。

まさか、などとありえない風に言ってしまった第三の選択肢だけど、でも人生においてはこれほど重要な信頼関係はないに違いなく……でも青春においては、これほど残酷な宣告もなく……。
正直、この時点では判らないのだ、彼が本当はどう思っているのか。

この重要な台詞がちらり、ちらりと展開される間に、二人は“秘密の場所”である、のどかな田舎の風景が一望に見渡せる塔の上に、これは絶対やっちゃいけないことだろう、非常ハシゴをうんせうんせと登って辿りつき、お互いの目を隠しあって、何度も何度も隠しあって、凄い凄いとハシャギあう。
客観的に見ればどう見たって恋人同士にしか見えない。だから、この感覚に半ば背中を押される形でふと女の子は男の子に抱きついて、先述の台詞を言った、でも……。

で、そう、途中ヤンキーにからまれるのだ。タイトルのひとつになっている缶コーヒーを飲みながら、夜の公園で話している二人。ブラックコーヒーを飲めない男の子をからかう女の子、なんて、なんて甘い風景だろう!
そしてそこにヤンキーがからんできて、「つきあっとんのか」「これからセックスするんか」とやいのやいのと言うのも、なんと青春の風景なのだろう。それに激昂する男の子を女の子が止める場面だってしかり。
そしてヤンキー達から逃げて物陰に身を潜めてふいに“そんな”雰囲気になってしまうのは、もっともっとしかり……。

だって、物陰で、女の子はふいに耳をふさいでハミングをし出すんだもの。バカ!と彼女の口をふさいだ男の子、見つめ会う二人。
そんな雰囲気になってしまった、その雰囲気に負けたかのように、あるいはケジメであるかのように、男の子は女の子にキスをした。
「親友だって言ったくせに」女の子の声は嬉しそうで、そして男の子は……顔をそむけたまま何も言わない。それが何を示しているのか、そんなこと、知りたくなかった。

朝を迎える。この間、二人がどこで時を過ごしていたのか、何を話していたのか示されないのがある意味気になる。
でも女の子が、親友がキスするかねえ、と確かめるように質問をしているのを見ても、本当に何も、なかったんだろう。

あのヤンキーたちが土手の上をわらわらと歩いている。ケータイを片手に若手二人をドツいている兄貴分、といった雰囲気の彼らに、女の子は絶妙にアテレコをする。俺、これから塾なんっすよー、じゅ、塾―!?なんてなかなかウィットに飛んでて笑ってしまう。
女の子はそれに紛れてあの疑問を繰り返すのだ。キスしてるとこ見たんだよ、つきあってないのにキスするかねえ、と、アテレコに託して。

男の子はね、黙ってるの。黙って、その沈黙が耐え切れなくなったあたりで、「……ゴメン」とつぶやくのだ。
ああ、なんてことだ。女の子は、……予期していたのかなあ、それともまさかと思ったのかなあ、判らない。長年の付き合いだから、どこかで判ってて、それでもキスしてくれたことに一縷の望みを抱いたのかもしれない。

「ゴメンって言われてもうたー!」アテレコの続きに任せてアハハ、と笑うような口調で言って、彼女は、バイバイ、また明日、あ、今日、学校でね!と言うのだ。
くるりときびすを返したその顔は、その顔は泣き顔で、どんどん遠くなる彼が、どんどん小さくなって、その遠近感があまりにも切なくて、追ってこないってことはそういうことなんだ、って思って……。

実は短篇の併映があるって知らなかったから、予告編だと思って見始めて長いから焦っちゃって(爆)。ちゃんと心を構えて観たかったなあ。
でも、なんとも心を揺さぶられた。女の子の発音がちょっと平たくって、まあ今の女の子って感じなんだけど、ちょっとそれだけは残念だったけど、でも、良かったなあ。★★★★☆


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