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喜劇 “夫”売ります!!
1968年 92分 日本 カラー
監督:瀬川昌治 脚本:池上金男 瀬川昌治
撮影:山沢義一 音楽:木下忠司
出演:フランキー堺 森光子 安芸秀子 芦屋小雁 多々良純 川崎敬三 浦辺粂子 田武謙三 橘ますみ 武知杜代子 岡野耕作 木村修 清川玉枝 大竹真理子 小林稔侍 須賀良 山浦栄 久保日佐志 和田みどり 佐久間良子
だって内容をずらっと並べれば、こうよ。うだつの上がらない運転手の夫、組紐の内職で彼を支える妻は、この夫が会社の美しき未亡人の奥様と関係を持ったことに激怒、ではなく使い物にならん夫、と見切りをつけて売りつけちゃう。
この会社では内乱が起きてて、若き副支配人が巨大観光ホテルを作って自分が支配人にのし上がるために策略。それは、この寂しき奥様にホレ切ってるこいつをあてがって銀行融資を決意させるというものだったのだが、奥様はこの運転手こそを支配人にしちゃう。
夫を売りつけた妻はその金を元手に会社を立ち上げあっという間に大金持ち。しかしエロホテル(ラブホテルだわな)だという噂が広がってホテル建設はとん挫。
銀行融資が暗礁に乗り上げ、手形不渡りとなる寸前に、子供が寂しがってるからと、売りつけた金で夫を買い戻してやる。メデタシメデタシ、ってそんなばかな!!
勿論一番凄いのは、タイトルにもなってる夫を売りつける、という部分だが、チャーミングな森光子があっけらかんと、まさに売りつけちゃうので、修羅場とかなんとかいう空気にもならないのが、凄い!!
森光子はね、中盤まではかなり地味ーな、おばちゃんな印象なのよ。最初にお顔が映った時には一瞬、ピンと来なかったぐらい。
冒頭はね、夫のフランキー堺とお祭りにきている。黄金期の日本映画は、こうしたご当地の風物詩をしっかととらえるから、見ていて大変楽しい。
ところで舞台は伊賀上野市という忍者の町で、組紐というのもこの土地の名物だと言う。他の土地の名産品として、その下請けの地位に甘んじているのだが、それもまた忍者の町の、そこに住む人たちの気質なのだと説明するのが可笑しい。
噂があっという間に広がり、当人に伝わる前に当人の親に伝わってしまうとか、勿論根も葉もいっぱいついて!というのが冒頭、実に軽妙に描写されて笑ってしまう。これがどう作品に活かされるのかと、ワクワクしちゃう。
でも、逆の方向、なのよね。そんな土地でも、隠せばいいんだろう!という方向での秘め事だし、噂が広がることを逆手にとっての、元ネタさえ嘘っぱちを広ませちゃう、というクライマックス、なのよね。
おーーーっと、またしても先走りばかりで!だってなんかもう、面白くて、何から書いていいか判んないんだもん!!
そうそう、脱線したが、森光子、なのよ。こんな大女優だがどちらかというとテレビや舞台の活躍の印象が強いせいか、案外映画でなかなかお目にかからない。
登場では地味な感じ。おばちゃん、って感じ。キョーレツな姑にじくじくいじめられている。あまりにもキョーレツなので、可哀相というより笑っちゃうぐらい。
金がないのは夫の(つまり彼女の息子の)うだつがあがらないせいなのに、客用の酒がないだの、このイカは明日私が食べるからとっておけだの、土産がないのは恥ずかしいと幼い娘が大事に抱いて寝ているリンゴを取り上げるまでする、ごうつくババア。
この姑の方が確実に悪いということは、夫の杉雄も弟の松雄も判っているのに、この兄弟とも、妻、そして義姉に無心することしか出来ないアホウどもなんである。
彼女がお金にしっかりしていて、小さな出費までいちいち数え上げて夫に迫るシーンは思わず噴き出すが、これが後半の、会社を立ち上げしっかり成功させるところにつながっているのはさすがだなあと思う。
そしてそうなると、仕立てのよい着物を着て、しっかり髪を結い上げ、お化粧も整え、それは私らが見慣れた女優、森光子であり、うわ、森光子になった!!と思う訳。
そして彼女に対照されるのが、杉雄が崇め奉る奥様、佐久間良子ーッ!うわぁ、めっちゃキレイ!!フランキー堺と同級生という設定、というのはちょっとアレだけど、まあ美人は落ち着いて見えるもんだし、フランキー堺は童顔で若く見えるから、なくはない、って感じ。
その、ある程度年をとって、実際、二回も夫に死に別れているという不運なこの奥様は、不運さと、その境遇とも相まって何とも色っぽく、確かに、そのう……欲求不満に見えなくもない、のよね。
てか、結果的にそうだったんでしょ!巨大ホテル建設をもくろむ支配人ジュニアの副支配人が、そう主張して杉雄をあてがったのが本気だったのか、単に弱みを握らせて、杉雄から計略を吹き込ませるためだったのか……。
でもさ、結果的に、なんかエロエロなんだもの!あんまの腕を持つという触れ込みで寝所に入り込むシーンから、緊張して怖気つきまくってみょーな手つきでもみもみするフランキー堺に爆笑しながらも、それもまた妙にエロなんだもの!
んでもって、結局……しちゃう訳でしょ!それを、副支配人とその恋人の事務員が、息をのんで離れから、部屋の明かりが落ちるのを見ている、っていうのが、古典的な手法なんだけど、すんごいドキドキしちゃう。
そしてその後、”特別な夜勤”と称してほとんど泊りがけの待機状態になる杉雄、フランキー堺が、げっそり痩せこけて、ぐったり昼寝に帰るのが、うわーっ、と想像しちゃって(爆)。
これはおかしいと疑った奥さんが、夫の上着から採取したいい香りのするハンカチを鼻先で振ると、「奥様、もう勘弁……」これは決定でしょ!!
いい香り、というのはもう冒頭に示されている。白檀の香り、である。奥様がいつもたいているお香の香り。
冒頭、お祭り見物している夫婦の前に、まさに高貴なお方として夢のように現れた奥様がくだされた、お年玉?(おこづかい?)。そのポチ袋にも焚き染められていた香。
お前も会食に呼ばれなさい、と直々に言われたから参上したのに、お前のようなものが来るところではない!!と冷たく一喝される杉雄。てゆーとヒヤリとする場面のようだが、まーなんたって喜劇なので、フランキー堺はひととおり来客の箱膳をひっくり返し、冷ややかな目で見られ、そしてこの奥様の一喝である。
その後の展開を思えば、なんたってついには50万で買い取られるほどのナニの持ち主……いやいや(汗)、これほどのツンデレもない訳。
それはこの喜劇(一応)の中で徹頭徹尾、美しき孤高の未亡人奥様としての高貴さを一筋も揺るぎなく君臨した、佐久間良子の怖いほどの美しさ、そしてそれを発揮し続ける芝居力にある訳で!
だって、だってさ、欲求不満の奥様なんだよ、結果的に(爆)。フランキー堺がゲッソリして、奥様、もうこれ以上は……と寝言で懇願するぐらいなんだよ!!
それが彼女に翻るとギャグにならずに昇華してしまう、ってどーゆーこと!!喜劇の中の奇跡のどシリアス、これはやろうったってなかなか出来ないでしょ!!
それは、森光子という対照がいるからこそ、なのかもしれない。いや、森光子だけじゃなく、森光子扮するなつ枝が見込んで引き抜く、副支配人の恋人である事務員、きく子といい、老け役ベテランの浦辺粂子といい、女たちが、凄いの!
面白い映画って、いつでも女たちが凄いの!いや、つまり女たちが凄い映画が、私が好きだというだけかもしれんが……。
きく子を演じる橘ますみの現代的な美女っぷりが良かったなあ。なつ枝が見込むだけある、そのさわやかな色香で営業をかけろと、でも身体は売ることない、と言うから、お、そこはきちんとしてんな、と思ったら、「身体を売るのは、金が出来てからでいい。安売りすることない」
言い回しは違うと思うけど、そんな具合の意味合いのこと、言う訳!おーーーい!!と一瞬思ったけど、でもこれ凄いかも!!と思った。
自分の価値を出来る限り上げて、その自分を高く買ってくれる、つまり評価してくれるところに行けばいい、と。スゲーッ!
本作はとにかくカネの価値観で進行していく訳だけど、最初にカネカネ言って、その価値は男こそが判っているんだ、とふんぞり返っている男たちこそがそれに負け、女たちがしたたかにそれに勝っていくことが、ほんっとうに溜飲下がるんだよなあ!!
とはいえ、最後はかなり浪花節な感じなんだけどね。もうすっかり女社長として立派になったなつ枝が、奥様の窮地を救う形で夫を買い戻す。それも、ただ買い戻すんじゃない。もう値打ち下がったわ、とメッチャ安い値段を提示して、まからんで、と言ってしれっとする。
奥様もプライドがあるから観念して、お返しします。この人は品物ではないのですから。もうこの家も終わりということです、と泰然と踵を返す。
これは……喜劇と銘打って、ドシリアスな方向??と思ったら、やっぱそうじゃないよね!管理費と言って、夫の弟の松雄を使って50万を届けさせるのが、な、泣ける!!
ホントはそんな甘やかしてほしくなかったけどね(爆)。女一人、50万の元手で成功させて、買い戻すその50万なんてポンと出せるんだから。
でも、冒頭の仲睦まじく祭り見物している感じ、そしてラストの、子供が寂しがってるから、という言い訳のもとに買い戻して、肩を並べて帰っていく感じ、調子に乗んなよ、って雰囲気を醸し出しながらも、やっぱりその、仲いい感じが、ああ、これが喜劇っていう銘打ったハッピーかしらん、と思うんである。
でもさ、言い忘れていたけれど、夫を売り渡した時にはかなりしっかりと、引導を渡してた訳よ。姑を追い出し、それまでの無心代、姑が茶飲み友達(という名の、これも恋人っぽい)のセンセーに貢いだあらゆる金銭をしっかり徴収、引っ越し荷物を運んだ弟からもしっかりツケを支払わせ、手間賃はチャラリーンで弟鼻白む、ってあたりがサイコーに溜飲が下がるの!!
こんな風にさっぱりと身辺をキレイにできたらどんなにさっぱりするだろう。いや、別にナニがある訳じゃ、ないですけど(爆)。
でもさ、劇中でちょっと悪役っていうか、ワリを食った役柄だった、野心に燃える支配人ジュニアの副支配人とか、ちょっとカワイソウな感じだったからさあ。
だって結局、彼は父親に計略を潰されたんだもの、そうよ、そうよ!!エロホテルだのっていうビラだの噂を巻いたのはこの支配人とやり手のベテランおばちゃんのよね(浦辺粂子)。
おばちゃんが加担したのはまあ先述したように女の強さと思うが、息子の野心をジャマした、それをラストまでしれっと隠していた、息子が「代々支配人として仕えたのに……」と報われない思いを野心の言い訳としてだとしても、涙ながらに痛切に訴えたどシリアスなシークエンスを挟みながらも、あっさりとそんなチャンチャンな種明かしのラストを迎えさせた、結果的にメッチャ鉄面皮な支配人にアゼン!
……唖然としすぎて説明が長くなった(爆)。女が強いのは嬉しいけど、ここまでくるとちょっと、さすがに……可哀相になったりして(汗)。★★★★★
まぁ、そこはそれ(爆)。おっぱい出しそうな女優さんたちということもあるが、その中でもメイン中のメイン、太地喜和子のおっぱいと特出しには単純にカンドーする。
私が彼女を見る機会がなかなかないから知らないだけだろうが、大女優、というイメージなので、カンドーするんである。決して大きなおっぱいじゃないあたりが(それはストリッパーの誰もが)、リアルな女で、カンドーするんである。
しかも彼女の役柄がふるってる。緋桜お駒という舞台名で、仁義に厚くて、ちょっと人情入ったらすぐ任侠風になっちゃう。だって登場は、私、女任侠映画を見に来たのかしらん、と錯覚するような冒頭よ。
シャバに出てきたお駒は、藤純子もかくやという粋な和服姿。フランキー堺扮する庄助に、お兄いさんにすっかり迷惑かけちまって……みたいな、もうゴリゴリの任侠調。
ご丁寧に、朗々と流れるのは、あれは藤純子の緋牡丹博徒、だよね!!庄助の方もノッて小雪降る空を見上げ番傘をバサリ、と差し掛けたりするが、そこに書かれているのは「春風ミュージック」と何か桃色チックな惹句。
「わざわざ舞台衣装で出てくることないだろ。ちゃんとGパンとジャケツを差し入れしたじゃねえか」「だってこの方がカッコイイだろ」
キャァ、ヤラれたっ。私の大好きな女任侠モノを完璧になぞらえられたから、すっかり騙されたっ。しかもこれが完璧に最後まで、この人情に篤いお駒のキャラに通していくんだから、本当に太地喜和子が素晴らしいのっ。
でも、主演はフランキー堺である。でもでも、これはこーゆー映画にはありがちなことで、彼が鏡となって、本当の主人公の女たちを照らし出すんである。
フランキー堺扮するストリップ小屋の主人、庄助。この冒頭迎えに行ったお駒はサービス精神旺盛で、特出し(つまり股間を見せちゃう)がウリなので、しょっちゅうわいせつ物陳列罪でしょっぴかれている訳。
でもって庄助は、小屋のスター、サリーにメリーに深雪太夫のヒモとして、なかなかに精力絶倫な日々を送っている。このあたりが、喜劇の喜劇たるゆえんで、彼女たちのプリプリな写真をきちんと枕もとに掲げ、君のことだけを愛してるヨ、と抜け目ないんである。
”プレスリーを骨抜きにした女”な設定で英語だけを喋ると、そのカタコトが実に安っぽかったり、女学生ヌードやら、寝技やら(つまり布団を敷いてアレだわな)、楽しい設定のストリッパーたちが続々と出てくる。
そしてフランキー堺は結構彼女たちと濃厚にブチューとやるんである。何回も、しつこくやるもんだから、警察官が(つまりまたしても迎えに行った先での場面ね)、困った顔をするぐらい。観客である私も困っちゃうぐらい!(照)。
この三人が鉢合わせをする場面は、実にベタな”喜劇”でとても楽しいのだけど(ドリフみたい!)、これが意外に、がっつり喜劇はこの場面ぐらいで、とにかくドラマで見せるんだものなあ。
なんつっても、湯原昌幸である。新進刑事として意気揚々と庄助のストリップ小屋検挙に乗り込んでくる、もう見るからにナマイキな、イラッとくるワカゾーなんである。
庄助とは会った時からケンツクで実に気が合わない。いや、あまりにも合わないから、めっちゃ合っているようなんである。周囲はそんな風に、いいコンビだと見ている。
お駒なんぞは、きょうだいみたいにソックリ!と爆笑するぐらい。だらしない小太りの身体、貧乏ゆすりのクセまでソックリ。
そして小原(湯原氏)は酒もたばこもやらない、ストリップなんて風紀を乱すものは撲滅すべき!!とか言いながら、一人暮らしの部屋に帰れば深夜テレビのストリップにくぎ付けだったりするんである。壊れかけのテレビをバンバン叩きながら(笑)。
そして秘密にしているそんな生活を、なんたってストリップ小屋の主人なんだから、スケベ男を自認する庄助からお見通しされて、ぶんむくれ、二人の火花はバチバチ散るばかり。
なんだけど、実は、実の親子!?な展開が……とゆーのはまた二転するのでちょっとワキに置いとく。
湯原氏がね、イラッとする、確かにするのだが、妙にカワイイ、実にカワイイ、何とも愛しいのよ。確かにフランキー堺に似ているかもしれない……!
踏切にいた子供を救うために殉職した、リッパな警察官の父親の後を追い、彼は刑事になった。夜間大学で法律を学び、ゆくゆくは昇進試験を受けて警視を目指している。
恋人もいる。大学の事務員をしている冴子。でも、小原は小遣い稼ぎにラブホ代わりに自分の部屋を友人に提供しているので、デートもままならず、フラれてしまう。
まー、そうだよね。お金がなくて部屋を貸してるのに、恋人とホテルにいく訳にもいかない訳で、いつもにんにくたっぷりラーメン屋でのデートじゃあ、そらフラれるわな。
部屋貸しの痕跡は、妙に生々しいのだ。食い散らかしたスナックやらお酒やらをばさばさと段ボールにかき集めて、ゴミに出しちゃう小原。ブラジャーが残されていた時だけは、それをサカナに牛乳を飲む(爆)。
本当は酒も飲みたい、セックスもしたい、欲望たっぷりなのに、それをモンモンと隠してる。後にそれが思わぬ形で発露、爆発することになるのだが……。
小原の母親が訪ねてくるのよ。そして偶然にも、ストリッパーたちを迎えに来て小原と衝突して暴れた庄助と鉢合わせる。
ハッとした顔をするこの母親、トミ。市原悦子なのよーっ!!若いけど、もう、ちゃんとあの、市原悦子なの!!つまり、なんていうの、ちゃんと老けてる感じの。
彼女もまた、若い頃から老け役を引き受けてきた人だよね、と思うが、当然ながらこの時はちゃんと若いから、そして匂やかな設定を施されているから、ちょっとドキドキとするのだ。
つまり、庄助とは戦後すぐの混乱の中で出会った。庄助はまだ18、戦地から引き揚げて来たばかり。トミは24(25だったかな?)、シベリアに抑留されている夫を待つ身だった。
二人は恋に落ちたけれど、トミの夫の存在もあって、庄助はその初恋を諦めた。実に25年後、再会して彼女が衝撃の発言「あの子はあなたの子」。ひぃ!!
周りからも散々似てる、って言われていたし、そのままの設定で良かった気がしたんだけどなあ。庄助も小原も、その”事実”にショックを受けながらも、ヤケ酒にも似た深酒を喰らいながらも、お互いをすんごく愛しい目で見つめていたじゃないの。
特に庄助、フランキー堺が、息子と思って小原を見つめる、見つめ続ける、あのほんわりとした笑顔を、様々な角度を駆使して!の場面は噴き出しながらもなんか……ああ、良かった、彼に女以外の、真の身内という幸せが訪れた、と思ったのに……。
女以外の、というあたりがミソで、本当に恋人同士みたいに、ヒモの女たちの替わりを努めるみたいに、ベッドにもぐりこんで足まで絡ませて幸せそうな笑顔を二人とも浮かべてぐーぐー寝てたり、したのに。
違うって、いうのよ。親子じゃなかったって!!それは証拠写真となったと思われたものが、逆のことを証明していた。国民服のその胸元に示された血液型から小原は産まれるはずのない型だった。
えーっ、つまんなーい。そのままでいいじゃん、親子のままでさ!だってそのことをお駒は決死の覚悟で知らせて、黙ってはいられなかった、って。
で、二人の門出のために、スターが逮捕続きで赤字で首が回らなくなった庄助を助けようと、敵のストリップ小屋にゲスト出演して、でもなんたって特出しだからさ、ハデに宣伝したからさ、張ってた刑事たちに包囲網張られて捕まっちゃう訳。
二人が親子だと信じていたからこその、はなむけだったのに。保釈中の身だから、次にやっちゃったら実刑くらっちゃうのに。
実の親子じゃない、という事実が提示されても、なんか見てる側としては、そうじゃない、って気がどうしても続いていたんだ。それは、トミが、市原悦子が、頬を上気させて、その”事実”を告白したから。
私は夫に対して後ろめたいなんて思わなかった。庄助さんとずっと一緒にいるような気持だった、と。いわゆる”不実”を、自分の正直な思いだと、だから後ろめたくないんだと、こんなにもまっすぐに言うなんて。
もうここまで来たら、”おふくろの勘違い”であったとしたって、ほとんど”事実”のようなものじゃないの!
こんなこと言ったらファンタジーかもしれないけど、彼女がそれほど思い込んでいたから、この長男は庄助に、見た目から性格からクセから似たんじゃないのと思っちゃうじゃん。それって、本当の血のつながりがどうとかいうより、女の想いが伝わってるって、コトじゃん!!
それ位……なんか、市原悦子の告白がセキララだったのだ。実際にはフランキー堺の方が全然年上なんだけど、彼の童顔と、早くから老け役に転じている市原悦子の雰囲気があいまって、騙されてしまう。
騙されてしまうけど、やっぱりやっぱり、市原悦子は当時ぐっと若く、その”告白”が、想い続けてきた男に対するそれだと思うと、もうなんか、生々しいのよね!!
市原悦子は、ストリッパーの女たちとの対照として、本当に対照的だから、地に足の着いた生活をしているから。でもその一方で、そんなトンでもない秘めた思いを抱えている、っていうのがね、本当に面白いと思って……。
言ってしまえばその不実に、親の顔も知らないそして今はストリッパーのお駒がカンドーして、二人を助けたいとムチャをしたわけでさ。ああ、なんかもう、上手い!!と思っちゃう。
最後ね、もう実刑確定で確保されちゃったお駒、彼女の心意気を汲んで、敵陣でのゲスト出演を引き受けたライバル小屋の店主、そこに駆けつける庄助と、すっかり意気投合したのに、捕まえる側に回るしかない小原。
降りかかる雪、番傘をさしかける庄助。ああ、親子のままで良かったのに、彼女のせっかくの好意が、さあ!!
でもでも、太地喜和子は本当にきっぷが良く素晴らしく、スターストリッパーたちがのきなみ庄助の愛人なのに、彼女だけが小屋主である彼を尊敬していて、ホント、任侠の世界そのままの、ただただ感謝してやまない相手だっていうのがさ、ホント、いい訳。
ストイックなんだよなあ。おっぱい出しまくりのストリッパーなのに、彼女だけがまるでサムライみたいに禁欲的なんだもの。
若き石橋蓮司が楽しい。ストリップ小屋の照明係。かなりイイ役なの。愛人や経営方針含めてこの情けない小屋主をことごといさめる。もじゃもじゃ頭と小さな目がなんとも愛しい!★★★★★
いやさ、やっぱり倍賞千恵子っていうとイコール寅さんの妹、さくら、っていうことになっちゃうじゃない。だから寅さん以外、あるいは山田監督以外の倍賞千恵子の意外っぷりを見ると本当に嬉しくなっちゃうのよね。
まぁ寅さんの中でも若い頃から年を重ねているから、若奥様の頃はミニスカに白のハイソックスなんぞという萌え萌えなカッコも披露している訳だが、しかしそこはエプロンとつっかけ、な訳で、良妻賢母で、けなげな妹、の像は最後まで崩れなかった訳だし。
もう、そのさくらとは逆も逆、真逆である。まず家事がダメ。朝食が出来たと夫に起こされてふわーぁ、と起きると、食事中の夫の前でがしがし歯磨きし、歯磨き粉をまき散らす。
更に夫の食べかけの納豆ご飯と味噌汁をちゃっかり頂戴し、「だって洗い物が増えるじゃない」とすまし顔。夫は佃煮と漬物と梅干をごはんに埋め込んだ粗末な弁当を詰めてしおしおと職場に出かけるんである。
妻が家事がダメだからといって、夫の料理がお上手という訳ではないあたりがイイ訳。お味噌汁は作ってるけど、お玉にたんまりの味噌をぶち込んで、ぐつぐつ煮立っちゃう出来上がりはあんまり期待できないもんなあ。
♪お味噌ならハナマルキ、なんていう、今でもあるCMソングを歌いまくる(結構、みんな残ってる!)のがかなり楽しい。
ところで、夫は小さな駅の駅員さん。駅員はたった二人でタイクツな業務をこなしている。ちなみに彼の名は坂本竜太。坂本龍馬はおじいちゃんのいとこのはとこだとかなんとか、なんかそんな触れ込みである。
つまりここは、土佐なんである。妻の町子は当時女子の花形職業であったであろうバスガイド。つまりは当時としては珍しかろう共稼ぎであり、それは経済的理由というより、ハデな性格の町子の性分に似合っているからだろうと思われる。
冒頭から倍賞千恵子サマの美声が聞けるんである。観光バスのワカモンたちは拍手喝さいでさっそくナンパにかかる。
この冒頭では確かに若くて可愛いし花形職業のバスガイドとは思ったが、けなげで可憐な倍賞千恵子のイメージがまだ頭にあって、その歌声もそのイメージをしっかりとつなげていたので、まさかこんな現代娘だとは!でも最後にはけなげさで泣かせるんだけど!!
おっと、うっかり口が滑った(爆)。えーと、どっから行こう。話としてはね、この二人の夫婦ゲンカが仲直りしてオワリ、と言っちゃったらミもフタもないんだけど(爆)、まあそういうことな訳。でもこれがさ、色んなマジックスパイスが効いてる訳!
その一番は多彩なワキたち、だろうなあ。まず大家さんのミヤコ蝶々が最高。関西女ならではのしたたかさが彼女自身のあったかさ人懐っこさ可愛らしさにくるまれて、なんともほっこりチャーミングに笑わせられちゃうのがイイの。
二人の家は色々せまくって、特にトイレの狭さは、新聞を読もうにも広げることも出来ず、ドアがどうしても開いちゃうぐらいの激狭さ。何とかしてくれと言っても、できまへんなぁ、と涼しい顔。
それでいて奥さんの不貞?はわざわざ竜太の職場に駆けつけてまで報告するというおせっかい、というより余計なお世話。それがイヤミにならないあたりが、凄いんだよなあ。
とはいえ、竜太も妻のことは言えないんである。妻の冷たさにヘキエキして、というのは言い訳、行きつけの小料理屋の女将、孝子に岡惚れしているんだもの。
彼が言うところの孝ちゃんを演じるのは長山藍子。そ、そうか、長山藍子か!!なんか、ワタオニのイメージしかないもんだから(爆)。すんごく可愛くて、それはチャキチャキ倍賞千恵子とは真逆のおっとりとした可愛さで、えーっ、こんなに長山藍子って可愛かったのかと(爆)。
彼女が竜太に接する態度は、外側から見れば間違いなく、お客に対するビジネス愛想だということは判るんだけど、竜太はカン違いしちゃう。確かにカン違いさせるだけの行動を彼女はするから。でもそれには理由があることぐらい、外側から見れば察しが付くのだけれど……。
で、ちょっと脱線したけど、多彩な脇役の中でハズせないのはなんたってバンジュン!最初のキャストクレジットで役名二つを冠した、しかも男女の名前で!!というあたりで可笑しいことは判っていたが、期待通りのナンセンス!
やたら厳しい駅長として赴任してくるバンジュンが、がらくただらけの荷物の中に、一緒に荷札をつけて運んできた(!)のが老母で、それもまたバンジュン!
かなり耳が遠くなってきている老母とこんな男手ひとつで?二人暮らしというのは一見泣かせるが、「私はハマチだと言ったんだよ」と、だから最初からそう言ってるやん!というベタなボケツッコミが新喜劇のようで(いや、見たことはないけど(爆)なんかイメージで)、しっかりと笑わせてくれる。
んで、このハマチを運んできたのが駅長の愛娘。これがなぁんと、竜太が岡惚れしている孝ちゃん。女将としての和服じゃないから、私ピンとこなくって、後に竜太の職場に訪れる孝子にあわてふためく竜太、にもまだピンとこないというありさまで(爆)。女の化けようってコワいなあ(と人のせいにしている……)。
町子が大学生男子と映画を見に行ったり、マージャンに興じて遅くまで帰ってこなかったりするもんだから、竜太はおかんむりになっちゃう訳。
ちなみにこの大学生男子というのは森田健作!!ザ・森田健作な青春美青年!!いや、人妻をマージャンだの温泉旅行だのに誘うんだから、なかなか食えないヤツではあるが、でも別に、二人きりで誘う訳じゃない。むしろ町子の方が自分のイケてる感じを保ちたいがために、彼を捕まえている感じで、伸介(森田健作ね)が女の子(しかも自分の後輩のバスガイド)を連れているのを見るとちょっとチッという雰囲気を出すあたりがね(笑)。
竜太にとっては若い奥さんだからこそ心配なわけだけれど、町子もまた若い男子に執着している訳で、でもそれは双方、自分の年齢を気にしている、ってことなんだよね。結局は似たもの夫婦で(笑)。
ところで、マージャンっつーのは、伸介が誘ったというよりは、彼の父親、竜太が近道にしている墓所の菩提寺のぼーさんが主導であるんである。
この藤岡琢也っつーのも多彩な脇役の一人よね!彼もまたワタオニのイメージだが(だから長山藍子との共演というのが、同じシーンがないというのも相まって楽しい!)、ヤクザ映画のイメージもあって、この生臭坊主がなんとも可笑しいんである。
あの彼独特のぼやき口調でね、こんないいところで死にやがって、みたいな(爆)、つまり枕経の依頼が来たのに、マージャンが佳境に入ってるから、他の坊さんに回しちゃう。おいおいおいおい!!
更には寺にストリッパーたちを宿泊させ、竜太と一緒に息をのんで覗き見しているというザ・生臭坊主。まぁ、竜太の方が当然入れ込みまくって(だって、フランキー堺だもぉん)、軒下にまでもぐりこんで猫の鳴きまねまでし、しまいには汲み取り便所からぐわぁ!と顔を出すというキッタネーオチ!おおおい!そこまでして覗きたいか!!この前に観たのがストリップ小屋の主人という役柄だったから、妙に符合して嬉しくなっちゃうんだよなあ。
んで、町子が夜遅くにこっそり帰ってくる描写が、夫のいびきのリズムに合わせて抜き足差し足、気づかれないように、ってのが可笑しくてね!だってそのリズムに合わせて、押し入れ開けて、布団を敷こうとまでするんだもん。きづくだろ、って感じでムクリと起き上がるフランキー堺がコワ可笑しい!
でね、若い男の子たちと遊び歩いている妻に激怒し、その温泉町にまで追っかけてって大喧嘩しちゃう。竜太は家を出て、駅に泊まり込む生活。
で、奥さんは謝ってくるどころか、いつまで経ってもウンともスンとも言ってこないから、竜太は本気で離婚を考えるのね。
でも観客側にはいや、ちょっとおかしいな、ということは判ってる。だって、伸介たち若い大学生クンたちは、軽い気持ちで町子を誘ったことを反省し、旦那さんのところに早く帰った方がいいよ、と促してくれて、町子も最初はぶんむくれだったけれど、結局帰ってくるのだもの。
でももはや夫は出て行ったっきり。で、そっから竜太側のみの描写にシフトするもんだからさ、奥さんはぱったり出てこなくなるもんだからさ。
竜太はそんな妻のことを冷たいヤツと思っている訳だけど、このしっかりとした伏線があるから、観客はそんな訳はない、とじりじりしながら待ってる訳!!
まあそりゃあ、孝子が何の理由もなく、あんなゴーカな、尾頭付きの弁当を持ってくるなんておかしいもの。
ただね、ホンットに奥さんがずーっと出てこなくって、しかも本作のかなりなクライマックス、豪雨が続いて土砂崩れが発生、しかし前の駅から列車は出発してしまった。止めなければ大事故は必至、というめちゃくちゃ大きなクライマックスの場面にいるのはこの孝子であって。
でも、彼女の本命、小料理屋の板前さんと思いを交わしていることを父親と竜太の前で告白。で、ひと悶着あり、土砂崩れが発生し、急ぎ駆けつける駅長と竜太、列車を止めるためにギリギリで、孝子の赤いミニスカートをはぎ取って(!!!)、迫りくる列車に向かって必死で振って、見事、止まってくれる訳!
孝子はスリップ姿。やはりそこは、ぱんついっちょになる訳にはいかなかったのね(爆)。でもここはかなりかなーりドキハラしたんだよなあ!
奥さん出ないなあ、と思っているうちにじわじわエンディングな雰囲気になるから、心配していたが当然杞憂だった。
お弁当を頼んで届けさせていたのが奥さんだということが判明。家事の不得意ということもあるだろうけれど、意地っ張りで、でも夫の身体も心配だし、夫が岡惚れしているというのも判ってて彼女に頼んだ、っていうのが泣かせてね!!
この事実が判明してからは、もうすっかりほっこりモードなの。土佐のお祭り、よさこいで町は大盛り上がりである。
孝子と板前さんは、竜太の尽力で上手くいきそうである。そしてずっと冷戦状態であった竜太と町子は……町子がこっそり耳打ちしたナイショ話に竜太は狂喜乱舞!判るでしょ、そう、子供が出来たのよ!!
一緒に家に帰ってみれば、懸案だった狭いトイレの改装中。それが町子の稼ぎからねん出されたというのも泣かせるし、働きのある女、として溜飲が下がるのもイイ!(フェミニズム野郎!!)
山之内一豊の妻みたいだ、とか言ってるけれど、ハッキリと、現代の、働く女の稼ぎで普請したんだもの、全然違うさ!!
劇中、奥さんが大学生カップルと一緒に観る映画のフランケンシュタインがフランキー堺(場所もめっちゃ日本の墓場!)だったり、その中でぐったり美女を相手にマッサージしてみたりなんだり、ホント、アホらし系のナンセンスが好きだなあ。
劇中映画や劇中メロドラマ(夫婦ゲンカ中にチャンネル権取り合いならぬ、テレビの角度権取り合いみたいな!)をしっかり作り込んでいる、アホなマジメさがイイの!!★★★★★
でも井口監督のそれは、全然違う方向だと思うからさあ。いや、私がそう思うだけで、彼もまた大林的踏み間違え方をしているのか?これが?
……いやいや、なんかこーゆーふーに書くとクサしているようだが、逆よ、逆。井口的世界観はシュールなのにキュートで、スプラッタなのにナンセンスだという、唯一無二のものだからさあ。それが少女映画を撮るとこうなる、という……。
でもなんか、解説的に言えば彼はもともとインディーズ時代に伝説的な少女映画を撮ったとゆーことらしく、世間的には少女映画作家、なのか?ホントに??そうかなあ……。
「櫻の園」や「台風クラブ」を超える、って堂々と宣言するって、す、すごいな(汗)。てかそーゆー方向性じゃないんだってば。いやそれを判っててのボケか?そう考えた方が自然かも……。
つーか、このノーメイクスがこの映画のためにオーディションで選抜、抜擢されたってのは、ほ、ホントなの??え?一体この映画はいつ作られたの??だってノーメイクスの名前はマルチオタクのしょこたんを通じて知っていたから……。
あ、そうか!そりゃそうだ、しょこたん、「ヌイグルマーZ」だもの!まあ、アイドルオタクでもあるしょこたんだから、別に井口監督のつながりがなくても知っていたのかもしれないけど……でも、そうでしょ!
少女同士のキスシーンの圧倒的数、ということにも惹かれたが、なんたって井口監督作品だから、それが甘美な少女同士のそれに没頭できるという訳にはいかないんである。
まあ数は多い。確かに。でも途中からムリヤリキスを奪えば一回三千円!とかいうよく判らないバトルになって、少女でもない(爆)女たちがくんずほぐれつ、クチビル突き出してほっぺにチューチューやりだすと、ああ、少女のキスの価値を下げやがって……などと思っちゃう(爆)。
やはり、女の子同士のキスはじっくりと、撮ってほしい。いや、中盤まではわりと甘酸っぱくじっくり撮ってくれる感があったが、後半になってキスバトルになると、もはや数だけ勝負、ナンセンス勝負になっているような。
いや、それこそが井口監督の良きところなのだが、私だって少女好きだからさあ、そこんところはどっかがムズムズするほどの(どこが?)甘露が欲しい訳よ!!
できればちょっとは舌ぐらい、入れてほしい(爆)。いやその、少女映画にそーゆーことを言うのはアレなんだけど(爆爆)、それこそ大林監督の意には染まないかもだけど(爆爆爆)。
ただ柔らかき少女の唇を重ね合わせて、その柔らかい触感を想像してどっかがムズムズ(だからどこだって)していたのはまだまだ幸福な時代、だったのだ。それこそ数を競うぐらいキスさせまくりなら、メインキスはレロレロチューで……うーむ、私、何言ってんだ。
でもこれだけコメディ場面も含めてキスの嵐なら、うーん!とクチビルを踏ん張って侵入を阻止するキスシーンが対極にあるならば、レロレロとまではいかんが、ちょっとぐらいの侵入は……いやその。でも、唇同士で角度を変えながら挟み合う感じはあったから、いいのかなあ、ってどーゆー分析してる(爆爆)。
なんか私、単なるエロヤローな気がしてきた……。大体、ここまで物語に全然触れてないし(汗)。案外、物語があるのよね。案外って(爆)。いや、なんか井口作品に対して、あるいは本作に対しても、それって大して必要じゃないような気がしたからさあ(失礼!)。
始まりは高校の演劇部。ストイックな部長が執拗なダメ出しをするもんだから、それでなくても数少ない部員の、後輩二人が抜けてしまう。後に、先導して辞めた後輩が部長をフッた相手だということが明らかに。つまり部長は性同一性障害、心が男性なんである。
てことはかなーりあとになって明らかになる上に、なんか単にマニッシュな魅力の女の子を出したい(つまり、そういう子と少女をキスさせたい)ためだけのような気もしたりして。
いやいや、全然それで、いいんだけどね。今はそーゆーことに妙に気ぃ使いぃになって、単純にエンタテインメントとして楽しめなくなるような風潮があって、それは確かにもったいないと思うからさ……。
いつの時代だって、女の子の世界、特に本作のように女子校と思しき環境での、この期間だけかもしれない、夢のように美しい同性愛の世界に、傍観者は耽溺してしまうものなんである。
んでもって、どちらも女の子同士とゆーのも美しいが、どちらかが男としての立ち位置、というのも、タカラヅカの例を持ち出さずとも、誰もがうっとりと夢見てしまう世界、なんである。不思議ね。これが逆の例だったらちょっと成立しづらいのに。
やっぱり夢見る世代の女の子は、色んな意味で傷つけられない男、それを演じられる女、と変換してあっさり恋に落ちることが出来る、したたかさを持っているのかもしれないなあ。
で、なんか脱線しましたけど、演劇部に所属する主人公のヨシエの姉、ケイコが芸大生で、自分の恋人である(ということは後で判明)、映画製作をしているナオミに、ヨシエと、彼女の親友であり、同じ演劇部員のアカリを引き合わせる。
本物の女子高生を使って映画を撮りたい、というナオミは、ヨシエの目から見ると、いかにも芸大生といったスカした雰囲気で、受け付けない訳。
なるほどその通り、自信マンマンに執拗なぐらいにテイクを重ねる演出を繰り出していくナオミに、恋人であるケイコは、演出を施される相手役のアカリに対する嫉妬も入って大混乱。スタッフもガマンが切れて去って行ってしまう。
もともとロクに台本もない現場、アドリブで繰り広げられる生々しい同性愛に、ケイコのみならず、その相手となるアカリに恋しているヨシエも爆発。アカリにひそかに恋している部長も巻き込み、そして更に幽霊までも巻き込み(!)、更に更に部長がかつて手ひどく振られた後輩たちも巻き込み(!!)、なんかみんなして勝手に映画を撮り始め(!!!)、本当にもう、ナンジャコリャー!!な展開、なんである!!
で、最後はトラウマをキスで払拭、しかもそのトラウマはなんと、殺人事件、って、さ、作劇ー(汗)。
シリアスに受け止めるべきなのかどうか迷っちゃう、ってのは井口監督の策略なのか、それともマジにシリアスドラマを作っているっていうのか?最終的にパンチラ百連発(もやってないが)なのに??……生パンな感じに萌えている……場合じゃないっ(爆死)。
……まぁ、井口監督だから、判り易く収まる訳はないことぐらいは承知の上なんでね。だから、むしろ、こうして筋を追うこと自体が意味ないんじゃないかとか思っちゃう訳(爆爆)。
あ、そうそう!解説眺めてて判明したこと、本作で最もマトモな芝居をしている(爆)子、しかし、後半は展開の大崩壊(それでこそ、井口監督よ!)でマトモなんてことから解放された彼女、ナオミ役の中村朝佳嬢は、私、観ていたんだ!「あの娘、早くババアになればいいのに」へーっあの子ですか!!見事にねじれたアイドル道を……いやいやいや(爆)。
でも、彼女は登場から、凄くしっかりした芝居をするなあと思っていたの、いや、ホントに(爆爆)。登場するどの女の子がノーメイクスの5人なのか判らないから、登場してくる女の子たちを一人ひとり当てはめて考えていたんだけど、彼女だけが一人、トンでないというか、井口世界の住人にしてはしっかり芝居をするから(爆)、彼女は呼ばれてきた女優さんなのかなあと思っていた。
しかし後半になってくると次第に、アイドルのコスチューム(若干安っぽいあたりが、彼女たちっぽい(爆))もまとうし、バリバリ主人公の元気いっぱい関西弁!のヨシエあたりにとりこまれていくし、何より最後にノーメイクスとしてキテレツな歌も披露するし(そうか、これがデビュー曲で、井口監督作詞なら、なるほど、本作で結成されたグループな訳だ!
結局どーゆー話かよく判らんが(爆)、あ、でも、中盤はちょっとゾクッとする雰囲気もあるんだよね。
アカリは霊感があって、昼日中の明るい中にも見えちゃう。長い髪で顔を隠してはいるけれど、うっすらと見える顔は明らかにこの世の人じゃない灰色の感じで、じわじわと恐怖を蓄積させながら、後に“心霊映像”として映される様は、かなーりコワいんである。
こーゆーところは、ちょっと井口監督っぽいなあと思ったりする。私が数少なく観てきた井口監督の一方的なイメージってだけだけどね。これだけナンセンスさがありながら、どこかダークなところを抱えているところが、井口監督の魅力だと思い、それは決して少女のキス数の多さでは測れないと思ったりするんである。
んでもって、この成仏できない?幽霊に、ジェラシーのせいなのかとりつかれちゃう、ケイコ役の上埜すみれ嬢がサイコーである。「ナオミの方を見るととりつかれちゃう」と振り返ってはとりつかれ、振り返っては元に戻り、という井口イズムを体現する様はサイコー!
てか、その取りつかれたホラーメイクとアガアガ動きとゾンビ喋りが、ビックリするほどブサイクで(!)、おーい、おいおいおいおい、一応(?)アイドルなんでしょ、大丈夫カーッ!と本気で心配になっちゃう!!いや、それだけ素晴らしいってことなんだけど、でも一応アイドル前提でしょ!?
てか、そもそもこの五人、そんなに可愛くない(爆)。いやその(爆爆)。ノーメイクだからとゆー訳ではなく、ファニーフェイスという名の実は美少女という訳でもなく、あのう、ホントにそんなに可愛い女の子たちなわけじゃないの(爆爆)。ちょっとそれがビックリでさ……。
そのすみれ嬢も平安フェイスといったら落ち着くけれども、顔がおっきくてぽよぽよ眉はじめパーツ小さいおかめ型、ヒロインの洪潤梨(ほんゆに)嬢も下歯のスキかげんが気になるし、アカリ役の美里嬢は近眼ぽいかなりの出目と出っ歯と、立体的(汗)。
部長役の柳杏奈嬢はその通りマニッシュな魅力だが、つまり女の子っぽさには欠ける訳で、まあ見事に、フツーにカワイイ女の子がいない、のが、スゴい!
だからといって、それが生々しく魅力的だとか、ハジけてるとか、そこまで褒めたくなるほどには至ってないんだけど(爆)、それは、あまりに井口カラーが強烈すぎるから、かなあ。
これはさ、判り易くチラシをはじめとした宣材はダメだよね。そこでは彼女たちは判り易く、ちゃんと可愛くアイドル。アイドル映画な見え方でしかない。それで騙されてきた人たちを……という寸法では、騙される人はそんなにいない気がする(爆)。
本寸法に、壊れた映画だということを示してほしい!確かにこのカバーイメージでは、大林監督にコメント欲しくなる、そーゆーことだったのかもしれないが、間違ってる、間違ってるだろ!!映画愛を持ち出したようなタイトルだって、どーせキネ旬のパロディだろー。★★★☆☆
第一作目は、まさに仲間が集まったという感じだった。少し内輪な映画という感じもしなくもなかった。でも愛しかった。
二作目で売れっ子作家の原作を得て監督に徹し、“映画”を作り上げる才能を発揮した。こいでんを男泣きさせるような映画愛を貫き、ウッチャンの映画と思わずともベストの一本に上げたくなる素晴らしい作品だった。
そして三作目。ある意味試されるかもしれない位置。彼はまるで自分自身を投影しているかのようなもので挑んできた。これを独り舞台でやったことは知らなかったけれど(観たかったなー)、ハラハラした原因は、そうした独り舞台くささというか、分身くささというか、そういう照れくささが、中盤……つまり青春時代に多く割かれる部分にはあったせいかもしれない。
全編ウッチャン自身がナレーションを担当しているのだけれど、なんとなく中盤まではそんな照れくささを……まあ私が勝手に思っているだけかもしれないけど、ちょっと感じたりして。
例えば両親を演じる宮崎美子と平泉成が、パーマやかつらで若さや昭和感をかなりわざとらしく、というか、コントのように演出しているのも、そういう雰囲気を増し増していると思う。
映画と同じぐらいコントを愛しているウッチャンらしいけど、映画でこれをやっちゃうと、なんか観てる方がテレくさくなっちゃうんだよね。
金メダル、つまり一等賞にとりつかれた男。ウッチャン自身は熊本出身だが、舞台は塩尻。このチョイスには自分自身を客観的に見るとか、そういう意図があったのだろうか。だってそれ以外は……あくまで推測だけど、本当にウッチャン自身の青春を見るかのようなんだもの。
恐らく町にひとつの映画館、文化祭でのスターダム、何より小さな町の中で有名人、あるいは没落人としてささやかれ、落とされ、人生の浮き沈みを味わうこと……子供時代を地方で暮らした経験がある人にとっては、多かれ少なかれ身に覚えのあることであって。
小学校の担任によーちゃんが配置されているのが嬉しい。舞台の時から彼を想定していたなんて、嬉しすぎる。音尾さんもそうだけれど、私と同世代の彼らは、ウッチャンはまさにリアルタイムの最高のクリエイターの一人なんだもの。
一番のキーマン、泉一を演劇の世界に誘い込む劇団主宰を演じるムロ氏は、今回でウッチャン監督作品全作制覇。あんだけクサしながら(つまりイジリながら)、ウッチャンはムロ氏が大好きなんだなあ。それがよーちゃんじゃないのがなんか、悔しい(爆)。
ウッチャン、もとい、主人公の泉一の若き頃を演じているのは現代ジャニーズスターの知念君。最近のジャニーズさんはすいません、なかなか判らないのだけれど、ウッチャンとは長い共演歴があるという(ウッチャン好きとか言いながら、テレビはあんまりチェックできてない……ゴメン。うっすら見た記憶が(汗))。
ウッチャンはもちろん、私ら世代あたりにとって、今のジャニーズ感とは若干異なる……もっともっと、本当にスターだった。アイドルというより、スター。社会現象と言った方がしっくりくるだろうか。
劇中、知念君、もとい若き泉一がジャニーズのオーディションに落ちる場面があって爆笑である。「少年隊にはなれなかった」ああ、私らリアルタイム!!ジャニーズということを最も意識しだしたのが少年隊あたりからだったなあ。
その前のたのきんはまだ一人一人に大金をかけて売り出す、という感じだったが、少年隊あたりから、後ろのジャニーズジュニアもセットで女の子たちにアピールしだした感。デビュー前から人気を獲得させて、メジャーデビューさせる、みたいな形をとったのは少年隊からだったんじゃないかしらん。
……思わず昔話をしてしまった。だってだって、バックに流れるのは昭和歌謡ばっかりだし(インストなのは、著作権を気にしている訳じゃ……ないよね?日本なんだから。まんまで色をつけすぎるのを避けたのかなあ)、大人になってからなかなか一等賞をとれない泉一が挑戦するのが仮装大賞やらウルトラクイズやらなんかもう、時代すぎるんだもの。と、いうわけで、このあたりまではちょいとハズかしい訳。
いやいや、なんかかなりすっ飛ばしちゃったけど、一応知念君とウッチャンはダブル主演なので、知念君の青春パートは力入れてるし、そんなすっ飛ばしちゃいけないわね(爆爆)。
彼のパートで特に好きだったのは、初めてできた友達と東座なる映画館に行く場面がまず一つ。
「表現部」なるざっくりした部活を立ち上げ(あっさり許可する校長先生の竹中直人、サイコー!これぞウッチャンコネクションよね!)さまざまな“表現”にトライ、特にタオちゃんとの“鳥の求愛ダンス”はまさに言われるとおり、ジャニーズのダンス、太鳳ちゃんのコンテンポラリーダンス、どちらもプロ!!あんなばかばかしいことやってるのに、めちゃめちゃ本格的!!笑っていいのか、感心していいのか!!
そして上京し、ムロ氏主宰の劇団に入って、これまたざっくり和洋折衷な、ポリシーがあってないような、勢いだけの和洋折衷劇団の中で、連獅子を披露する、頭を振ってイヤア!と歌舞伎顔する、あの表情、ウッチャンソックリ!!
ウッチャンに似ているということで抜擢されたと聞いたが、それまではそんなにピンときてなかったけれど、この表情はまさにウッチャンそのもの!!
劇団主宰のムロ氏からさらりと迫られ、それを拒絶してしまったことで劇団が解散、世界一周に挑戦する途中あたりから、知念君からウッチャンにバトンタッチする。
顔見世せずに紙芝居のように世界一周……の断念の様子をコミカルに描いていく中で、猿岩石のヒッチハイクに遭遇したりする。あるいはイモトの100キロマラソンを映してみたり。
そもそも作品のオープニングから、チャップリンやらの言葉と同列に出川の哲ちゃんの「首以外の骨は大抵骨折してる」という言葉で笑わせるんだから、もう仲間意識アリアリのウッチャンなんである。
そしてウッチャン自身に主人公がバトンタッチし、もういきなりクライマックスな感じ。手漕ぎボートで横断の途中、嵐に遭い、無人島に漂着。そこから実に七か月もの間サバイバルし、見事生還。
無論、コメディアンだから、そのあたりの模様はまさにコミカル、漂着した時のハゲタカとの闘いから始まって、長い漂流生活の中で、狂気や無に陥る姿さえ、絶妙の間合いでたっぷりと笑わせてくれる。
ウッチャン自身が主人公として現れると、なんかかなりホッとするのだ。照れ屋さんっぷりはやはりあるけれども、やはりそこは、プロのコメディアンという感じ。しかも七か月を過ごした肉体を見事再現した、鍛え上げられた身体!!ひげもじゃのお顔は若干コントめいているのに(爆)。
無人島から生還した男として、その一発だけで、泉一はスターダムにのしあがり、講演活動などで生計を立てるようになるんである。
ここでようやくヒロインの登場。マネージャーを務める頼子。演じるのは木村多江。ウッチャンとはドラマで夫婦役だった縁、だよね!(映画化作品もウッチャンになってほしかったが……)。ヤハリこの演技派女優が登場してから、俄然物語が動き出す感がある。
しかし、その前にしっかと伏線がある。若き日の泉一が焦がれていた“一発屋アイドル”が彼女だったんである。この場面も当時を知る年代としては感涙である。頼子の場面はもちろん今回作られたものだが、トップテンの映像、マチャアキとイクエちゃんはそのまんまである!!
10時以降はテレビ禁止だった私としては、つまり10時以降は大人の時間という認識だった子供の頃の私としては、ベストテンではなく、よりアイドルがアイドルらしくフューチャーされていた(公開番組だったからね)トップテンは、まさにアイドルを象徴する番組であったのだもの。
講演活動が尻すぼみになり、自分の憧れていたアイドル、頼子と結婚、子供をもうけることになると、泉一は定職につくことを決意する。一等賞の夢はしばらくおあずけ、と、オワリではなく、あくまで一時休止、と。
ここがイイところなんである。そのことをヨメさんである頼子もしっかと判ってる。だってそれまで、彼の一等賞の夢に、結婚してからも、彼が諦めかけても、ずっとずっと後押しし続けたんだもの。
夫婦漫才のサムさは、サムさも当然、計算の上であることは判るけど、もう見ていてひぃ!と叫びたくなるほど痛ましく(汗)、耐久ダンス大会は、ウリナリ世代としては感涙モノで、ここにこそナンチャンを登場させてほしかったが、彩姐さんがセットでいなきゃ、意味ないかー(それはムリだった??)。
思いがけず、商店街の垂れ幕を使ったアクロバットで「あの人は今」が復活?!的な人気を博すけれども(これもウリナリ、そしてウッチャン好きにはたまらない、ジャッキーアクション、プロジェクトAをほうふつとさせる!!!)それもほどなくして飽きられてしまう。
危険なアクションイベントでケガして戻ってきた時には、ミュージカル俳優が家電を紹介、てなすげかえでまたしても撃沈。
家電ブームの今、こういうのもありそうだが、演じている高嶋政宏氏が素晴らしく絶妙で、これもまたウッチャンコネクションの素晴らしさ。画策するモールの支店長の手塚とおるのたくらみ顔もサイコー!この人こんなにワルい顔だっけ(笑)。
落ち込んで布団にもぐりこんだままの泉一に幼き息子が「がんばったで賞」の手作り金メダルを差し出し、泉一号泣、息子を抱きしめる。
ただ、この場面は、泉一が布団にもぐりこんだままなのは、それだけが原因じゃなかった、よね?むしろ違う原因の方が大きかった、んだよね??……このあたりの奥ゆかしさっぷりが、いかにもウッチャンだと思うのだが……。
息子を抱きしめ号泣した後に映されるカットが、2011年3月11日のカレンダー。つまり恐らく泉一、あるいはウッチャンが、あの当時、自分は、人間っていうのは、こんな時、何の役にも立たない!!と思って、こんな風に布団にもぐりこんだ、そんな思いを抱えた人があの時、たくさん、たっくさんいてさ。
それをこんな風にそうと明確に示すことなく、まるでそのことで落ち込んでるんじゃないように構成するあたりが、ああウッチャンだなあと思ってさあ……。そして彼の故郷でも大地震があったでしょ。だからね、なんかね……。
久しぶりに故郷に帰ってみたら、高校生時代好きだった女の子が亡くなっていたりする。それを告げるのが当時の唯一の友人、温水さんはホントにウッチャンと同い年、そ、そうか!!髪の量で惑わされてしまう、ゴメン(爆)。
でもこの温水さんから逆算して、当時の友人役のささの君は(髪の毛はちゃんとあるけど(爆))ピッタリなのだ。このシークエンスの、のどかで緑豊かな渓谷にのんびりとかかる橋で、哀愁の背中を見せるウッチャンが……つまりここで彼は彼女にフラれた訳だから……あの後ろ姿と、だんだんに引いていくショットが、素晴らしかったなあ。
泉一は、一瞬スター復活したショッピングモールの仕事を辞めて、写真屋に勤める。自分でもカメラをいじり始める。何気ない日常を撮りためる。その写真を奥さんが応募、見事グランプリを射止める。久しぶりの金メダル獲得である。
その写真が、老いた両親のいたわりあう姿というのがいかにもウッチャンらしいし、感動的な写真に仕上がってはいるのだが、感動だけで終わらないのが、照れ屋のウッチャンらしい。
2020年の東京オリンピックを目指して、とゴルフを始める。勿論、時代への目配せはあるだろうけれど、そのきっかけが、幼き息子が初めて獲ったかけっこの一等賞、つまり自分と同じ、というあたりが、ウッチャンらしい定番ハートウォーミングなんだなあ。★★★☆☆