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「あ」


2014年鑑賞作品

愛の渦
2013年 123分 日本 カラー
監督:三浦大輔 脚本:三浦大輔
撮影:早坂伸 音楽:海田庄吾
出演:池松壮亮 門脇麦 滝藤賢一 中村映里子 新井浩文 三津谷葉子 駒木根隆介 赤堀セリ 柄本時生 信江勇 窪塚洋介 田中哲司


2014/4/6/日 劇場(ヒューマントラストシネマ渋谷/モーニング)
ちょっと気になっていた「恋の渦」と似たタイトルだなあ、と思っていたら、同じ脚本家さんだった。あら!だったら「恋の渦」、足を運べばよかったなあ……。
登場人物が多くて、オムニバスじゃないけどそんな感じでエピソードが多そうだったから、なんか避けてしまったのであった。そーなの私は、オムニバス嫌いの女(爆)。

でも違ったのかもしれない。別に「恋の渦」と本作はタイトルの相似だけで、同じ脚本家さん……本作では監督さんでもある……というだけなのかもしれない。
でもでももしかしたらそこには、彼の中に横たわる、あるテーマがあるかもしれないじゃないの。大人数の男女でしかもテーマは性欲というあたりも同じだしさ。
でも判んないな、「恋の渦」を見ちゃってたらこっちに足を運んだかどうか……かなり過激な噂を聞いていたからさあ。

んでもってこの監督さん、あ、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」の人なのかあ。あの時はとにかく主演の峯田和伸のことしか頭になかったから(爆)。
んでもって、もともとは舞台畑の人。本作も、「恋の渦」も戯曲が元になっている。つまり舞台化されている、つーことで、ならば断然そっちの方が気になっちゃう。
だって本作のようなリアルセックスを描くものは、映像ならばいくらでもやりようがあるじゃない。見せ方だっていくらだって生々しく出来る。でも舞台だとさ、どこまで見せるのかなあ、と思ったのよ。

もちろんこれは人間の欲望の話。ハダカになればいいってもんでもないけど、でもハダカにならなければ意味がない。で、ハダカになって、エロいセックスを見せなければ話にならない、訳でしょ。
舞台でそれってどこまで出来たのか、いや出来たならばすんごく観たいと思っちゃうが、確かにこれは、自らの手によってでも映画化したくなるネタではあると思った訳。

でも正直、疑っていた。やたらあおってはいるけれど、宣伝映像の女の子たちは、きっちりと胸をバスタオルできつきつに巻いている状態だったから。乱交パーティーに集まる男女たちの一夜の話なのに。
まるで「つやのよる」のように、散々それっぽく見せながら、女優一人も脱がず、なんで結果になるんじゃないかと、疑っていた。
まああれは皆、キラ星スターさんばっかりだったからなあ……。

本作はそこんところはさすがに、見せてくれた。特に監督さんが、「彼女と心中するつもりで作った」とホレこんだ門脇麦嬢の小さめやわらかおっぱいに、同性でありながら心が震えた。「スクールガール・コンプレックス」を見ていて心底、良かったと思った!
正直あの映画は、少女映画としてはちょいと中途半端なトコがあると思ったし、不満はあるのだけれど、あの映画の中で、髪を切っただけで急に立ちのぼってきた門脇麦嬢の印象が凄く残っていたので……。
んでもってこの個性的なお名前でしょ、ああ、あの子だ!と思ったのが足を運んだ一つの大きな理由だったのだもの。

そしてもう一つの、私に足を運ばせた名前は、なんたって主演の池松君である。
もうさ、私にとっては「鉄人28号」のいたいけな彼がどうしてもどうしても抜けきらないのよ(爆)。
それだけ好きな作品だったってこともあるんだけど、でもやっぱり、ああ青年になったのねと、ショックにも近い気持ちで思っちゃうオバチャン(爆)。

これってさ、女の子ならそれほどショックは受けない。まあ逆に、男の人はショックを受けるのかもしれないけど(爆)。女の子は、小さな頃から女だってこと、知ってるから。
でもやっぱり男の子は……女の中では幻想があるのかなあ、池松君が凄くいい役者だってことは判ってるし、だからこそこの役もやれる訳なんだけど、息子のように思っていたからさあ(爆。おいおい)。
ああ、池松君も男なのねと、さすが野球経験者、いい身体してるわとか(爆爆)。

で、ちょっと話を戻しますと……そう、宣伝映像では女性チーム、きっつきつにバスタオル巻いてるのね。まるで温泉ロケみたいに、そんなきっつきつの巻き方、そんな技術知らないよ、みたいな(爆爆)。
本作のことを知った時、いわゆる一般映画でセックスありきの話を描く時、どういう感じになるのかな、と思ったのだ。
しつこいけど、それなりにセックスありきだった「つやのよる」のていたらくや、「さよなら渓谷」なんて、あれだけ作品も彼女自身の芝居も素晴らしいのに、このテーマでおっぱい出さないなんて信じらんない!……てゆーことが、スターさん映画では横行していたからさあ。

その点だけにおいては、満足度は半々、といったところである。つーかその点だけに着目しているのがあさましすぎるけど(爆)。
勿論、ご乱交の場面は女性陣もバストをあらわにしてくれる。んー、前半は隠し気味で、後半になってようやくちらりちらりと、という程度な気もしたけど。
でもそれは、ヒロインたる麦嬢が、ヘンな言い方だけど、言うに事欠いてっつーか、うーむ、どうも言いにくいけど(爆)、使い込まれていないおっぱいをおしげもなくスクリーンの中で瑞々しく揺らしてくれたから、それとの対比で、後の女性陣はそんなに頑張っておっぱい出さなくてもいいかなと(爆)。
いや、露出度の対照があるからこそ、麦嬢のインパクトが強くなるのかなと。

うーむ、どうもおっぱい事情になると映画そのものがそっちのけになるな……。でももう少し言いたい。
だからタオルきっつきつ巻きよ。最初、乱交状態になる前はまだ判る。こんな場所に来るのは初めての人、あるいはまだ2回目ぐらいの人ばかりで、普通の職業に従事している普通の人々で、つまりは自分の欲望を他人にさらけ出すことを恐れていて。
あるいはこれは日本人の習性かもしれない、こんな場面でさえ敬語を使って、世間話の話題を探して、探り探り、なんである。

その場面では女の子もタオルきっつきつはいいんだけど、二度目、三度目の“ご乱交”となった後も、ロビー?に戻ってくると女性陣はタオルきっつきつ、男性陣もちゃんと腰にタオル。うーむ、これが乱交パーティーなのかなあ。
……これってヘンな着眼点?でもね、興がのってくると、この控室みたいなところでちょっとした前戯も始まるじゃない。Gスポットはどこなの?だの、バイブを使ってみたり。そんな時でもこの場所ではタオルきっつきつ。な、なんで(汗)。
なんだろう、これは、何か役者の協定みたいなもの?ここまで気を許してきて、しかも乱交なんだからさ(……なんか言ってるうちにハズかしくなってきたが)。

まあやっぱりこういう映画が出てくると、その一方でそれありきの映画、つまりピンクとかロマポルとかも比較対象になってくるじゃない。
本作が一般映画の中での“ポルノ映画”と呼ばれるのだとしたら(いや、なんか報道でポルノだって書かれてたからさあ)、自然な形でのセックスとか、あるいは不自然でもセックス入れればオッケーとか、つまりセックスに肩ひじ張らない、それら専門?の映画との差別化が図られる訳でさ。何かそれが……私はあんまり、つまんなかった(爆)。
欲望むき出しの男女、はいいんだけど、そこになんで来たのか一番知りたかった若い二人、勿論、池松君と麦嬢よ。センシティブな芝居が素晴らしかっただけに、そこんところがいまいちピンと来なかったのが、差別化を図るがためにキャラが掘り下げ不足になった気がして、つまんなかったんだよなあ……。

彼女の理屈の方はまだ判る。人間として自然に、性欲を感じる季節。でも女子大の友人たちはそんな話をしない。それが彼女にはウソに感じる。
彼女の気持ちは判らなくはないけど、ていうか判るけど、それで乱交パーティーに参加するというまでの気持ちのバウンドを感じるのは難しい。

正直、ここに参加する女性チーム、どれもそうした、キャラが詰め切らないフラストレーションを感じてしまう。保母さんはスケベだって言われてるけどそれってホントなんですよ、と笑う女に、これを観客も笑っちゃうまで出来たらいいけど、会話のキャッチボールも大してない中で直截すぎて、保母さんたちからクレームがつかないかしらんと心配になっちゃう。
「マンコが臭くてクレームが出てるんだよ!」とこの保母さんから糾弾される、顔は可愛いOLさん。保母さんたら「クラミジアでしょ?そうじゃなかったらもっとヤバいよ」って、そこまで知ってるあなたって……そこまで知ってるなら、その辛さだって知ってるんじゃないの。

そりゃあ女は、特にこういう場面では残酷なんだろうけれど、何かね、何か……言葉にしても描写にしても、表面的にインパクトを与えようとしているとしか思えなくて、女としてのリアリティってのがどうもね……。
だからそれが、おどおどしながらこのパーティーに参加した麦嬢にも表れていてさ。表面上、それこそ表面上よ、とりつくろってる周囲に反発を覚えて、自らの欲望に忠実にここに来た、ということなんだろうけれど、そこまでの強い意志が感じられないんだよなあ……。

ただ、確かに麦嬢は素敵である。監督がほれ込んだだけはある。ぽってりとした唇にまで細かいホクロが散っているのが何とも危うい色気を感じる。眼鏡を押さえるたびにカチリと音がするのも、何ともそそられる。
彼女と池松君は、次々とカップルを作っていく周囲に取り残される形でセックスをした。でもその二人になった途端、彼女の方が積極的に彼を押し倒したから、確かにこの描写は彼女の有り余る性欲をあらわしているということなのかもしれない。
しかも彼女の叫ぶような喘ぎ声は、あのおとなしそうな子が、と他の参加者を瞠目させ、それまでは経験と華やかさを持っていた大人女性に偏っていた男性参加者が色めき立つんである。

でも結局、途中ニアミスはあったけど、最後まで、麦嬢と池松君はお互い同士だけでセックスした。あと一組、コワそうなお姐さんと童貞デブ君のカップルも他のメンツが嫌がって彼ら同士だけ。
童貞君は努力して見事ここで技術を磨き、お姐さんに「あんた、凄いよ……」と感嘆され、他のメンバーに拍手喝さいを浴びるまでになるのだ。そうした、ちょっとコミカルなハートフル?もあったりするんである。

しかし、酒、飲まないのかね。飲んでないよね?ソフトドリンクはテーブルの上に置いてあるけど、酒飲んでる雰囲気が皆無。こういう見知らぬ者同士で、こんな特殊なことやるのに酒なしでは……と思うのは酒飲みだからなのだろーか。
いやいや、でもさ、あのコワいお姐さんとかいかにも酒飲みそうじゃん。てゆーか、待機室はバー的なしつらえで、その中に従業員の窪塚洋介君が待機してる訳だしさ。なのに、スナック菓子に文句をつけるだけって!

こういうのも映画では描き切れない、戯曲にはある部分なのかなあ。確かに酒が入ったら、乱交じゃなくて強姦パーティーになっちゃう可能性もあるし……。
でもそれならそうで劇中で解説してくれないと。正直こんな大人たちが集結して、こーゆー場面で酒がないっていうの、かなり違和感を感じる。

飲み物ってことで言えば、冒頭、まだ参加するかどうか迷ってる麦嬢にプラカップでカルピスウォーター出すでしょ。
こういう特殊な風俗サービスを提供していることに、当然誇りを持っている雰囲気が全編通じてマンマンなのに、これから参加する客、しかもその後の運営側の感じを見ると、男性に対して相当に安く設定はされていても、女性客の方こそ大事にしているのに、プラカップはないだろーなーと思う。
でもプラカップにカルピスウォーターなんである。そりゃ当然、目的はハッキリしている。逡巡した後、参加しますと小さな声で告げて、麦嬢はこくこくとプラカップのカルピスウォーターを飲み干すんである。やはりこれは、ちゃんとしたガラスのコップでは、そーゆー妄想は出にくいのだ。

でもね、この冒頭の、というか、タイトルを出す前の、というか、タイトルに重ね合わすための画として用意したこれで、なんかなえてしまったの。あざといと、思ってしまった。
こういう方向で、演出で、進んでいくんだと思ったら、気持ちがなえてしまったのは事実かなあ……。

つまりは私は、タイトルがどう帰着するのかなと、ワクワクしていたのよ。愛、なのだから、愛としての帰着があると、待っていた。
残り物どうしではあったけど、明らかに池松君は麦嬢に恋していたし、声をかけられるしかない麦嬢だけれど、彼女の反応も悪くなかったのだ。
でも、悪くなかった、という程度だったのかもしれない……。最後まで、二人は本当に二人だけでセックスし続けたんだから、乱交パーティーですらなかった。途中参加のカップルによってそれはより強固になった。

柄本時生&信江勇の乱入はだからこそ、もっと揺さぶる期待があったけれどなあ。池松君と麦嬢を引き裂く、というか、少なくとも池松君はこのダイナマイト女子に強姦気味にヤラれてたし。
結局このカップルは、倦怠期を打破するためにここに来たのか、予想以上に男の子の方のダメージが大きく、痴話喧嘩、ていうかラブラブ喧嘩みたいになって、あっという間に出て行ってしまう。
あの二人、何だったんだろうねと誰かが言うけれども、それは観客の台詞だ(爆)。こう言っちゃなんだけど、監督さんが思うほどには、彼らは劇中の人間関係にも、観客にもインパクトを与えていないよ(爆爆)。確かに彼らの乱入の意図は判るんだけど……。

結局、さ。私が本作を気に入らないのは、この若い二人が結ばれないからに違いない(爆)。こーゆーあたり、ホント単純なの。ハッピーエンド好き、ロマンス好きだからさ(爆爆)。
だってだって、最後の最後の彼らは、舌を出し入れしてのキスからのカラミだった。メッチャドキドキした。
これは重要じゃん。だってこれ以外では、彼らも、他のどのカップル誰も、チュッとするキスさえなかったんだから!

朝が来て、ストーカー対策にと女の子を先に帰すという説明がある。カーテンをジャッと開けると、それまでの世界がウソのように明るい朝日が差し込み、皆気まずそうにしている(ってのもちょっとありがちでクサい(爆))。
麦嬢が、携帯が見つからない、と困っている。従業員の窪塚君が、放り出されていた池松君の携帯を借りて、彼女の番号を押してみる。バッグの中から聞こえてくる着信音。すいません、ありがとうございますと彼女は言う……。

これって、さ。だって彼女はバッグの中を探していたのに、結局バッグの中にあったんでしょ?しかも彼の携帯がこれ見よがしに放り出されていたから、従業員の窪塚君はそれを借りてかけたんでしょ?観客の誰もが、これは二人が後に連絡を取り合うためにしかけたことだと思うよ!
だから後に、発信履歴を消すように迫られた池松君がやたら抵抗するのにあれっと思ったけど、大丈夫大丈夫、だって彼女側には履歴が残ってるじゃん!と思って待っていると、ほーら、喫茶店で会っている!
しかし驚くべきことに彼女は、履歴を消してほしいために呼び出したのだと言う。

いやいや、いやいやいやいやー。本当にそう思っているのならば、単に着信拒否すればいいだけの話じゃないの。まあ今の世の中は着拒だけでは逃げきれない例もあるらしいが、消してほしいために呼び出すというこの展開はムリがあるんじゃないの……。
これじゃあ、彼女の心の葛藤をうがちたくもなるけど、うがつヒマもなく物語はエンディングを迎え、冒頭からただただ暗く沈み込むばかりの池松君が、ここでフラれたことでまた、どこへと知らず、がら空きの電車に身を任せるんである。

まあ単純に恋の成就を期待した私もバカだとは思うが、それにしても彼は何なの。時代の厳しさから無職だってのはまあ判るが、「実家から布団を買うように振り込んできた二万円でここに来た」って、布団、って!!
いや別にいいんだけど、青年、この年になって親が心配するのは、布団かよ。実家から送り出して今まで布団がなかったんかよ。質屋に売ったとか??彼の様子じゃ、そんな状況を報告しているようにも思えないけどなあ……。

なんかね、こんな具合にところどころ言葉の違和感を感じるところはあったんだよね。一番ピンと来なかったのが、“スケベ”って言葉。僕もスケベ、私もスケベ。そんな風に告白しあって笑うけれど、スケベって、使うかなあ……?
いや、ポピュラーな言葉ではあるよ。あるけど、日常的に使わなくなったというか、少なくとも自分を差して使う言葉としてはなくなったと思うけどなあ。「私、実はスケベなんです」それって昭和の香りじゃねーかな!!!★★☆☆☆


青空娘
1957年 88分 日本 カラー
監督:増村保造 脚本:白坂依志夫
撮影:高橋通夫 音楽:小杉太一郎
出演:若尾文子 菅原謙二 川崎敬三 東山千栄子 信欣三 沢村貞子 穂高のり子 品川隆二 岩垂幸彦 三宅邦子 ミヤコ蝶々 南都雄二 八潮悠子 藤田佳子 矢島ひろ子 田宮二郎 伊藤直保 高田信二 滝花久子 町田博子 清川玉枝 松村若代 高村栄一 渡辺鉄弥 千歳恵美 藤山浩一

2014/6/24/火 京橋国立近代美術館フィルムセンター
なかなか観る機会をつかまえられなかった、増村保造監督作品。今回の特集はいくつか足を運べるかなあ。
本作はなんとまあ、監督第二作!もはや才気があふれまくってる。うーん、やはり名監督とゆーのはもう最初から、その才能が明確に判っちゃうもんなのね。

だからもう、若尾文子も若い!彼女は後年、どんどん色っぽい年増(これは本来のいい意味でのねっ)になっていく訳であるが、ここでは女子高校生である。
いや、正確に言うと高校を卒業してからの物語ではあるが、その冒頭は卒業式が終わってのシーンだから、セーラー服を着ている。胸当てがない深い襟ぐりのセーラー服、エロ過ぎるだろ!
うーむ、そうか、やはり若尾文子はエロだった。んー、でも、エロを感じたのはここだけだったな。三人娘がキャーキャー言い合っているシーンなんだけど、その胸元がやたらエロいのが冒頭から気になってしまう。

そこへやってくる、後々にもメインパーソンとなる美術の先生。女生徒に人気のある彼は人懐こく話を弾ませるが、「あっ、そうだ、有子君、大変だ、君のおばあさんが倒れたんだ!」そんな大事なことをこんな刹那で忘れるかーっ!!
とゆー具合のテンポの良さとツッコミどころが昔映画の面白いところっ。

んで、有子は急ぎ駆けつける……の前に説明しておかなければ。三人のきょうだいがいるというのに、彼女だけがこの田舎で祖母に育てられた。
「私が身体が弱かったというけれど、ちっともそんなことないのに」「そうよね、陸上の選手だし」てなハツラツとしたところは、東京に出てからの重要なエピソードで大いに発揮されるところでもある。
で、そうそう、おばあさんが倒れた、であって、急ぎ駆けつけた有子に、お前のお母さんは他のきょうだいたちと違うんだよ、と衝撃の事実!
てか、現代のドラマじゃなかなかありえない、超クサ系メロドラマ!!しかもそれを告げる、やせぎすのおばあちゃんの、病で汗だくで、決死の形相がコワすぎる……。

てなトンでもない秘密を抱えて、有子は上京。父親以外は初対面の家族たちと暮らすことになるのだが、まー、これがまんまシンデレラ!これって、シンデレラの和製ストーリーじゃないかってぐらい、まんま!
継母(まさに継母だ!!)は「部屋はどうしようかねえ。空いてないからあの階段の下の部屋で」これがまんま物置部屋!ハデでわがままな義姉と共に有子を女中扱いするのも、まんま!

「人手が足りないから、ちょっと手伝ってやってちょうだいよ」という言い方はするものの、もう最初から新しい女中として幼い弟が傲慢に出迎えていることで、有子の立場はまさにシンデレラまんま!!
もっと言ってしまえばこの後の展開、義姉がホレこんでいた大会社の御曹司、つまり王子様を、有子のハツラツとした魅力で“奪われる”のまでまんまなんである。

まあ、本家のシンデレラはその美貌で、というところだけれど、そこはそれ、一応現代の物語だから、この苦境に明るく耐え、休日のパーティーで女中としてこまごましく働き、引っ張り出された卓球大会でこの御曹司を見事打ち負かしてしまう、そのあたりの負けん気の強さも現代の女の子って感じだしさ!

この卓球シーンは、映画のカッティングの醍醐味を大いに見せてくれる。まさにさ、日本映画の黄金期の、そのまた黎明期であることを考えると、映画ならではのこの描写に、どれだけ観客がワクワクしたかと思って、いや、今の観客である私だって、メッチャワクワク、ドキドキする!!
有子の放つ、コーナーに決まる見事なショットは無論、若尾文子自身が放ったものではない。そこは編集の妙な訳さ。ウソをホントにする映画の楽しさの原点を思い出させてくれるんだよなあ。

で、そうそう、こんなヒドい状況なんだけど、味方はいる。それがいなきゃ、とても悲惨でやってられない(爆)。
最初から味方に付いてくれるのが、ベテラン女中のミヤコ蝶々で、もう彼女が最高なの!!本作の魅力はひとつ、ミヤコ蝶々であると言っても過言ではないぐらい!!
勿論彼女はとても有名なお人だけれど、私にとってはややしばらく、「大阪物語」で、新旧の才能が奇跡の邂逅をした、その伝説のお人、という認識であった。
こんなハツラツとしたミヤコ蝶々を観る機会が今までなかなかなかったことが、なんとまあ、悔しいこと!

もう、彼女が出てくるたびにいちいち面白い。その早口の関西弁が、なんつーかいちいち当意即妙で面白くて仕方ないの!
考えてみれば舞台は東京なのに、ミヤコ蝶々だから当然大阪弁なのだが、そのバックグラウンドをいちいち説明することもなく、ずっといる古株の女中さん、という自然さがイイ!

有子を不憫がりながらも、女中の後輩ですからと言ってくれたことに喜び、いわば同志として彼女をサポートしてくれる。
てか、その明るさこそが本当にイイ!出入りの魚屋に、女中さんなんかやおまへんねん、ホンマはな……と耳打ちするようなところも大阪のオバチャンぽくてメッチャ可愛い!ああ、なんとミヤコ蝶々、素敵!!

そしてもう一人、有子を女中として迎えた最初の人間、幼い弟の弘志である。
後から思えば、一人年の離れた彼は、兄や姉にバカにされて育った感があり、自分より下の存在=女中が入ってきたことで、いち早くけん制していた、と思えばカワイイもんである。

おい、女中、オレの宿題やっとけ、というところからたしなめられた有子とケンカ、というか、彼女が受けて立つ形ですっかりねじ伏せられてしまい、「お前、強いなあ!」と弘志君、すっかり感服しちゃうんである。なんという単純さ、か、カワイイ……。
先述の卓球大会のことも、「大人たちのことだから、野球に行ってた。見たかったなあ!」と、有子の雄姿を見られなかったことを本気で悔しがるのが可愛すぎる!こういう相棒はホント、癒されるんだよなあ。

てな仲間がいるものの、何より有子が父親に一番愛されていること、そしてその父親が、そのことで家族にどんな波及がいくか判ってないことが、男のアホなところ!
そーいやー、きょうだいの中には兄もいるのだが、彼もまた有子をないがしろにはしているのだが、姉や母ほどハッキリと蔑み、憎み、いじめたおすことはしてない。むしろ、バンド仲間の友人と共に、へえ、ちょっといかした子だぜ、てな感じで、あとはノータッチである。

そのあたりはこの家族のバラバラっぷりを最も明確に表している存在ともいえる。それは幼い弟が言葉にして有子に説明はしているし。
確かに父親が家に寄り付かないせいで、有子が肩身の狭い思いをしている訳だが、母や姉はけんつく言いながらも、夫、父親に対しての愛情(というよりこだわりって感じだが……)を強く発しているからさ、なかなか判りづらいところもあり……まあ、複雑なのよね。

この鬼姉の嫉妬の逆上によって、パパ(って言うんだよね……うわぁ)から譲ってもらった大事な母親の写真を破られてしまった有子は、それまでの堪忍袋の緒もついに切れて、飛び出してしまう。
てか、それまでがあまりに笑顔で、しかもスピーディーに(この物語のボリュームでこの尺と展開ってあたりが、昔映画の凄くて面白いところっ)受け流していたのがウソみたいだったからさあ。
でもやはり有子は忍耐強いからこそ気も強く、このイジワル姉にパーン!と張り手をくらわして、家を飛び出したんであった。

そんで押しかけたのが、同時期に東京に出てきていた、あのお気楽美術教師、二見。いきなり押しかけていくってあたりがだいたーん!
彼は出張に出かける間際で、有子に合いかぎを渡して出ていく。青空を忘れるなよ、と二人の間の合言葉をキザに決めて。あー、ヤだヤだ(照)。
しかしそこに、彼に岡惚れしている隣室の女がやってきて鼻白んだ有子はそこも出て行ってしまう。ってあたりがさ、つまりはヤハリ、単なる教え子として、先生を頼ってきたって訳じゃないってあたりが明確な訳でしょ!まあそれは確かに判ってはいたが……。

その後、いったん故郷に帰った有子と、彼女を追いかけてきた二見、同級生たちが同窓会を開くと、女生徒たちはもう、この若き先生への思慕、てか恋慕をアッケラカンとあからさまな訳!そーゆー存在だったニヤけたヤツな訳!(爆)。
でも有子だけが、件の事件があったもんだから、すっかり気まずげ。でもそういう展開があったからこそ、有子と二見先生がゆくゆくは結ばれるのかと思ったから、その後の筋書きは意外だったのだが……。

でも、シンデレラ、と考えれば、確かに納得できるかもしれない。あの御曹司と結ばれる展開になるんだからさ。
この故郷への旅費を融通してくれたのがこの御曹司、広岡であって、彼はお坊ちゃまらしいさわやかで明るい余裕で、有子を口説きとおすんである。
現代のラブストーリーだったら彼とのハッピーエンドというのはなかなか難しい気もするけれど、やっぱりシンデレラストーリー、だからなのかなあ。

でもそのハッピーエンドまでには、まだ先が。故郷に帰った有子は、実の母がタッチの差で自分を訪ねて来ていたことを知った。
満州に渡って、戦争があって、生きているかも判らなかった母親。今は東京にいることが判って有子、俄然ファイトマンマン、先生や広岡を大いに使って母親を探し出すことを決意するんである。
しかしまあ、自分が故郷に帰る数日前に母親が訪ねて来ていたことやら、その母親が、二見先生の勤めている出版社の入っているビルの掃除婦になっていたことやら、「東京と一口に言っても……」的なことを一応言っているだけに、そ、そんな偶然あるかいなと思うが、まあ……。

ある程度のご都合主義は目をつぶらないと、どんな物語も成立しなくなる、特に尺の決まっている映画の場合は、というのはあるから、ま、いいか……。
それに、有子から見せられた母親の写真を見て、突然会社の用事を思い出し、「あれ?どうしてだろう……」といぶかしがりながら、有子と広岡の関係に嫉妬してカレーをおかわりする先生、という二重三重の可笑しさが、そういうつまんないコダワリを吹き飛ばしてくれるのは事実だしね!うん、こういうチャーミングさが、昔映画のヨイところなんだよなあ!

有子は故郷の友人の叔母がやっているキャバレーで、住み込みで働くことになる。
あらすじを確認するために某データベースを覗いてみたら、ジャズ喫茶になっていて、最終的に有子の父親が死んじゃうことになってて、全然違う!……てことは結構よくある話で、最終稿以前の稿がそのままデータベースになっていることがあるらしい……。

ジャズ喫茶よりキャバレーの方がずっと刺激的だし、先生も広岡もだからこそ心配する訳だし、でも新時代、女がイキイキと働く様相は、こういう、裸一貫の場所を示してこそ、キラキラと輝くのだ!
「了解!!」が口癖のこの叔母さんのチャキチャキとした魅力がまたいい、ミヤコ蝶々に匹敵するぐらいの、素敵さ!
こういうオバサンたちを見ると、オバサンになるのも悪くないと思っちゃう。てか、こういうオバサンになりたいと思う!!
広岡と有子の恋仲ぶりを察知し、先生の有子への思いと、彼女を思うが故に諦める気持ちも察知する彼女が、これまた明るく先生に乾杯を差し出す「了解!!」は、本当に素敵!

で、そうそう、お父さん、死にませんて……もしかして、原作ではそうなのかなあ。この当時の原作者としてよく見る源氏鶏太氏、明星連載、ってあたりがうわーって思う。うーん、だからシンデレラだわな……。
そう、お父さん、死なないの。これで死んじゃったら、少なくとも映画作品としての本作の価値は失われてしまう。

先生と広岡の尽力で実のお母さんと涙の再会、これから先は母子二人で生きていく、つまりお父さんサイドは捨てることを決意した有子だけれど、父が病に寝込んでいると、あの可愛い弟、弘志君の懇願に駆けつける。
相変らず継母や義姉にイジワルされながらも、病床に駆け寄る。そうそう、ここで観客サイドに、その決意が披露されることになる訳だよね。お父さんは誰に対しても愛情が中途半端なのよ、と弱っている父親にこともあろうに叱責するのには、観客は勿論、有子を憎んできた継母も、義姉も、無頓着な兄も、アゼン!

もう私はお母さんと生きていく、お父さんとは会わないから、奥さんを愛してあげなきゃダメよ。
す、すごいな、これって、シンデレラがハッピーエンドになる以上に、すんごい先鋭的な展開、てか、現代の、超現代の、家族社会を予言するような展開!
父、母は勿論、ワガママ勝手な姉、兄までもシーンとしちゃうのが爽快!そして無邪気な弟だけが、有子にすがりつくも、「そう、私たちはもう他人。でもとっても仲の良い他人よ」最高!

そして、こんな長年の確執が、愛する娘(それにつながる、本当に愛した女性ということだよな)によって諭され、やっと、奥さんにすまなかったと、優しい言葉をかけるお父さんに泣き崩れる、あんなに怖かった奥さんに、思わず知らずグッとくる。
うーむ、これで許しちゃうのか、と、直前までは鬼のように怖いこの継母を悪役扱いしていたのに、単純に彼女側の気持ちになっちゃうのは、まあそれが女というものさあ(爆)。

しかし、広岡となのかね。キャラ的には完全に先生だと思ったが、まあでも、ヤハリ若い者同士、なんですかね??
個人的には先生が住んでいる、有子が訪ねる東中野の街にオオー!と感激。
勿論今と全然違うんだけど、駅の形状(勿論、今は全然新しくキレイなんだけど)、出口から出てくる風景の角度とか、わあ、東中野、そうだそうだ!と思って!映画ってホント、映像の歴史だよなあ!★★★☆☆


茜色クラリネット
2014年 81分 日本 カラー
監督:坂本優乃 脚本:島崎友樹
撮影:(指導)品田圭人 松原夢人 音楽:塚原義弘
出演:佐藤楓子 佐藤莉奈 森田有紀 永井洸伎 大橋千絵 熊木梨沙 小林エレキ 斎藤歩 佐藤剛 南参

2014/11/9/日 劇場(渋谷ユーロスペース/モーニング)
やはり本作は、その成り立ち自体が評価されるタイプの作品なんだと思う。札幌で続けられている中学生の映画制作ワークショップが、近年高い評価を受けての今回の集大成となった、という経過は、不勉強ながら知らなくって、単純に、女子高校生(しかも1年生!)の監督、凄い!しかも北海道!という動機だけで足を運んだ。
しかし監督だけでなくスタッフキャストが全員、そう、全員だ……指導下の元、という形ではあっても全員、中学生(ちらほら高校生)だというのは更に驚いたが、そうか、そういう経過ならなるほどなのであった。

でもそういう経過は後で知ってなるほどだったので、観ている時はヤハリ、……正直ちょっと、文化祭の延長のノリかなあ、という気がしなくもなかった。
勿論映画としての形はしっかりとなされているんだけれど、勿論、キャストが大人はプロも交じっているけれど、子供たちは全員が素人、ということもあるんだけれど。
魅力的なカットがある一方で、ちょっとハラハラして見てるのがツラくなるような幼さもかなりあって、劇場公開長編、としては……うん、成り立ち自体が評価される映画かな、というところにとどまった、かなあ。

でもやはり成り立ちである。ここ数年、いやもう10数年かな、地域発信映画の活発化はそれ以前に比べて倍加している。古くはフィルムにこだわらなくなってから、そして大きなマーケットにこだわらない形態が定着してから、更に大きく、大きくなってくるんである。
それでもヤハリ、そのほとんどは、企画は地域で立ちあげても、キャスト、スタッフはプロを呼んで、つまり中央に打って出る、という意識が少なからずあった。それも段々解体して、脚本だけにタマゴを使うとか、キャストに地元の人を使うとか、いうことはあったけれど、やはり監督やメインキャストは中央の名のある人たち、ということがほぼほぼであったように思う。

でもきっと、地域発信映画は一段階上にいく時期に来ているのかもしれないと、本作の成り立ちを実に感慨深く思った。その地域から出る才能を育てること。お客さんを招いて撮ってもらうんじゃなく、真の地域活性化は、地元の才能を育てることなのだと。
この中からどれだけの子たちが、実際の現場に巣立っていくのかは判らない。実際は本当に一握りどころじゃない少なさなんじゃないかとは思う。でもゼロからは何も生まれないのだ。本作には確かな1を感じたんである。

この成り立ちにふさわしい物語だとは言える。市民公募だというから、大人かもしれないが、子供かもしれない。大人は信じられないけれど、子供は信じられること。そのことが奇跡を産むんだという物語。
具体的に言えば、交通事故に遭って寝たきりの同級生が、その原因は琴似の街のゆるキャラ、トニ子が子供の夢を食べてしまうからなんだと。
琴似には子供の身体のまま突然大人の心を持って、夢も希望もなくしてしまった、大人病の子供たちが蔓延している、ことに、たった一人の新聞部、大西君が気づく。
そしてその感染源が3年間眠ったままの少女、藍の病室なんだと。藍の親友の茜と夏輝が、トニ子を倒すために大西と共に奔走する!

彼等は中学三年生。受験も控え、難しいお年頃。お年頃的にも確かに、大人と子供の合間である。
高校生になると、個人差が出てきて、メッチャ大人の子は大人だが、そうでもない子もいたりして、でも中学生だと、身体的な面も含め、やはりまだ子供でいられる……いるべき年代だと思う。

しかしまあ、普段、テレビの中のスレた中高生を見慣れていて、実際の子たちに遭遇することがなかなかないもんで、今でもこんな紺サージのジャンスカの膝下長いスカートなのーっ、とそこが注目するところではないが。
ああでも、高校生はアレだけど、公立の中学だとまだまだそうなのかなあ。でもその中でもちょっとイケてる女子との差が出始めている感じは、結構リアルに描写されている。

病院で眠ったままの藍ちゃんの出席を毎回とる担任の先生に、どうせいないの判ってるんだから、とケチをつける女子は、その前髪のピンとめだけでイケイケ女子と判っちゃう。
そんな彼女に反発しながらも何も言えない茜と夏輝こそ、この年頃だった私に近いかもと親近感がわいていたから、実際に藍ちゃんが復帰した時にイケイケ女子が屈託なく拍手をするのには、素直に迎えられない気がしちゃう。
……のは、それこそ大人の感覚なのかなあ??ううむ、こーゆーところが大人のダメなところなのかも(爆)。

つーか、すっ飛ばし過ぎだっての。えーとね、大人病よ、大人病。てか、茜と夏輝は突然、夢の中に入る技術を習得するのよ。古書店の娘の夏輝が、古本に書かれていた方法からあっさり習得したんだけど。
確かにこういうあたりも。ありそうな古本、それともあの本は、実際にある本なんだろうか??
夢というのは、誰かの夢の中。それが藍ちゃんの夢の中だってことが判ってくる。茜と夏輝の二人だけで夢の中に入った筈なのに、そこに大西君が現れる。ここでなら大人病がひと目で判る、と。

警察官、政治家、市場で働いているおじさんおばさん、タクシーの運転手、様々な大人が子どもの姿になっている。
……でもよーく考えてみると、子供のまま大人の心になってしまったんなら、この現象はおかしいよなあ……夢の中なら外見も子供のままでバレる、ということで、観ている時には何となくなるほどとも思ったけど、おかしいよね、逆だよね。逆というのも違う?とにかく……うーむ、こういうツッコミはいけないのか??

そしてこの大人病に、トニ子というゆるキャラが関わっていることが判ってくる。茜ちゃんのお父さんが、昔映画を作っていたと言い、担任の稲垣先生も、帰宅部の茜にそう言うんである。
やたら映画ラブを押してくるのが若干うっとうしいなあと思ったが(爆)、それはさすがに、物語につながっているんであった。そりゃそうか(汗)。

今は大西君一人で新聞部として使っている部室は、今はなき映画部の部室で、そこからトニ子が寝たきりの少女の夢を喰らう映画の絵コンテが見つかる。
それは稲垣先生が寝たきりになってしまった妹を救うために作ったもので、でも途中で大人病にかかっちゃって、完成を見なかったんである。これを完成して、藍ちゃんを救おう!と三人は盛り上がるのだけれど……。

ところで、タイトルでもあり、それなりに重要な位置づけであるクラリネット。冒頭、茜ちゃんが突然買ってくる。なんか突然、やりたくなった、みたいなランボーな展開で、ここで練習させてくれと、古書店の店番している夏輝に頼みに来る。
そして夢の中に入り、ここなら存分に練習できるでしょというオープニング。この感じは確かに魅力的。きっと皆に覚えがあるんじゃないかなあ。夢の中で勉強とか、何かの練習とかして、身についたらいいのに、って。実際夢の中で勉強したり練習したりして、現実世界ではちっとも身についていないってこと、あるある!!って。

朝食の席につき、進路の話になり、父親が聞く。何か夢中になることはないのか?と。母親も父親も凄くフレンドリーな感じだし、とても家族仲がいい風なのに、この食事シーンは毎回なんか、見ていて居心地悪いんだよね。
なんでだろう……家族のコミュニケーションの場面を食卓シーンにのみ託している、からかなあ。確かに判り易い、家族が集まる場面ではあるけど、これほど記号的な場面もなく、それだけ、難しいとも言える、ということを、本当に、如実に、痛感した。現れちゃった、と思った。

かなり何度もあるのよ、この食卓シーン。この家族が集まるのはここしかないのか、と思うほど。実際、そんなもんだろうとは思う……てか、ここに集まれるだけ、今の時代の家族としては充分にマトモなんだろう。
でもそうした冷たい現実は恐らく、製作側は考えてないよね。だってこの両親は仲良さそうで、子供のこともちゃんと愛してて、大人病にかかる前の茜ちゃんもまた、普通に両親と和やかに接していたんだから。
でも、それが食卓シーンでしかないと、それを自然な家族の姿として描くのって、実はすごい、スキルがいるんだということに、気づいちゃった訳。

だってさ、茜ちゃんがクラリネット買ってきたのに興味を示してひとしきり話をしたのに、進路の話になって、「何か興味があることはないのか?」と父親。お、おかしいだろー。なぜクラリネットに興味があるのか?という展開にならないの……なんていうか、こういう咀嚼の足りなさがところどころ目についてしまう。
最終的には茜ちゃんはクラリネットがやりたいから、吹奏楽の強い高校に進学したい、という方向で、最後の家族の食卓シーンは落ち着くんだけど、正直、このクラリネットが、茜ちゃんがそこまで執着してやりたい!と思っているアイテムに見えないんだよね……。

最初はさ、タイトルにもなっている位、しかもヒロインの名前につながっているぐらいだから、かなりの大きなキーアイテムになってくるのかと思ったんだけど……。
トニ子が出てくる中盤に至っては、このクラリネットがどう活躍するのか、それは絶対、茜ちゃんが練習の成果を発揮して高々と吹き鳴らすのだ!とか、まあ単純な発想だけど思ったのに、正直クラリネットは一体なんだったの?……と思うぐらいの粗末な扱いで……。
トニ子に食べられてヤメて!と叫ぶ夢の中の茜ちゃん……。彼女はクラリネットを救いたいのか、捕らわれた藍ちゃんを救いたいのか、よく判らん。

藍ちゃんを救おうと、トニ子の出るイベントに出かけて、そこで茜ちゃんは大人病にかかってしまう。
白くてふかふかしてるトニ子はフツーに可愛いゆるキャラだが、夢の中で、トニ子のお面をかぶったギャラリーと共にどアップで迫ってくると、ファンタジーならではの恐ろしさが際立つ。
本作の中で最も魅力的だったシーン、ぺたりと坐り込んだ茜ちゃんに、ものも言わずに(まあ、ゆるキャラだから)迫ってくるトニ子と、トニ子の紙お面をかぶったギャラリーたち。まさに夢の中の世界だ……。

面白いのは、大人病にかかった茜ちゃんが、大西君と夏輝ちゃんに「判るけどさ、受験生なんだから」とスカした子になっちゃう、その途端にやけに芝居が上手くなることなの(爆)。
正直、明るくいい子の、友達思いの茜ちゃんより、もう子供じゃないんだからさ、と友達を憐れむ様に見下す茜ちゃんの冷たい演技の方が、メッチャ上手いんだもの、困ったな(爆)。
こーゆーあたりは、どんな女も女優かもしれんと思っちゃう。茜ちゃんはその後、夢の中でクラリネットを食べられて我に返り、藍ちゃん救出作戦に復帰するんだけれど、ここだけほんのちょっとの間、大人の映画になっていた気がする(爆)。

ところで、そのトニ子を倒す映画ってのが、黄色いトラックスーツでカンフー的アクション、明らかにブルース・リーで、若干、茜ちゃんたちの親世代より上な気がするんだけども、思わず脚本を書いたお人の年齢を勝手に推測しちゃう。
映画部っていうのも、私ら、あるいはそれの上の世代は映研というのが憧れのネーミング。部活として認められちゃダメなのよ!みたいな。
当然フィルム、それも8ミリフィルムというのがファンタジー。そう、やっぱり茜ちゃんたちの親世代ではちょっと合致しない気がしちゃうのだが……。

でも夢を食う怪物、夢の中のトニ子、夢の中なら何でもアリの世界では、やはり決してホームビデオではダメなんだよなあ。やはりそこは、カシャカシャ回る8ミリ、音さえ出ない8ミリじゃなきゃ、ってな。
でも、貞子はVHSビデオテープだったが……あれはファンタジーではないか……ホラーだとビデオテープもありなのかな……どちらかといえば、世代的にはこちらなんじゃないかという気もするが……。
ひょっとしたら、8ミリの世界観と今の世代の感覚のズレも、あったかもしれない、などとも思う。本来ならもっと感じる筈の、映画部に没頭していた茜ちゃんのお父さんや、稲垣先生の情熱が、感じられないからなあ。

茜ちゃんのお父さんはレンタルDVD店に勤めていて、茜ちゃんと夏輝ちゃんは「大人は判ってくれない」の前で、などと待ち合わせをする。これも映画好きが書きそうなシチュエイションだなー、と思う。
実際のシーンは「観たことあるの?」「ない」「でもなんかいいじゃん。大人は判ってくれない、って」なんて軽く会話を交わす程度で、まあ全くと言っていいほど映画への愛は感じられず、……まあなんというか、こーゆーところで脚本の解釈の乖離というか、どうしようもなく感じちゃうよね。
レンタル映画店に勤めるとか、私ら世代の映画ファンにとっては、メッチャ理想だったし、大人は判ってくれない、は、まさに本作のテーマなんだから、そこを軽くスルーするような”演出”じゃあ、やはり……。

妙に色っぽい担任の先生、小林エレキ氏も気になったが、彼が中学生時代、映画の撮影途中に突然大人病にかかったキッカケも不明だし、寝たきりの妹のその後も判らんし、何より突然事情を悟ったのが何故なのかも判らない。
それ以上に、茜ちゃんの父親は何もかもすっ飛ばして夢の中に入ってくるのには、オイー!!と突っ込みたくなってしまう。……尺的事情とかもあったとは思うが、このあたりはさすがにあんまりな気がするんだもの。

なんかこんな風にケチつけまくるの、ホント大人げないとは思うんだけどさ(爆)。でもマーケットに出る以上、一本の映画だもの、しょうがないよ。
藍ちゃんのお父さんとして、そして主治医として眠り続ける娘を見守る斎藤歩氏、その複雑な心境を娘の同級生に吐露する場面だけは、やたらとホンモノの映画的だった。
北海道出身の俳優としての、この作品に関わる矜持と、プロ意識を感じた。でも正直、ホント正直、ここだけだったんだよなあ。

短尺では評価できても、長尺ではなかなか難しい部分があったのかも……。 ★★☆☆☆


赤×ピンク
2014年 118分 日本 カラー
監督:坂本浩一 脚本:港岳彦
撮影:百瀬修司 音楽:三澤康広
出演:芳賀優里亜 多田あさみ 水崎綾女 小池里奈 山口祥行 前山剛久 杉原勇武 桃瀬美咲 桜木梨奈 三田真央 西野翔 周防ゆきこ 大島遥 安田聖愛 人見早苗 榊英雄 品川祐

2014/3/3/月 劇場(角川シネマ新宿)
何これ何これ何これ!てっきりイロモンかエロモンだと思っていたのに、何これ!
いや、確かにイロモンでもエロモンでもあるのかもしれないけど、それも含めて大興奮、こぶしを突き上げて立ち上がりたくなるほど!!間違いなく今年のベストの一本に入る!!(早い!!)

ガールズファイトの女の子たち、そのコスチューム、そして何よりそのファイトシーンのなんと素晴らしいことよ!!えーっ、こんなに日本には素晴らしいアクション女優たちが沢山いたの!
い、いや、それはスタントに騙されているのだろう。いやいやでも、そりゃ上手くスタントを使ってはいるのだろうけれど、そうは見えない!!
本当に血がたぎって、こめかみからピューと飛び出しそうなほどにアドレナリンが沸騰する格闘技シーンのパワフルさとスリリングさ!!

集まる観客のオタクっぽい感じがまた、イイ!コスプレ女子たちの興行だから、リングに上がるまで客の相手をする彼女たちの様子が、ちょいとキャバクラか、いやイメクラか、この場合、ってあたりが面白いけど、うーむと微妙な感じはするけど(爆)。

でね、この監督さん、私は知らなかったのだけど、特撮アクション界で名をはせた方なのだという。納得、なーっとく!!
いやそれどころじゃなく、名門倉田アクションクラブからハリウッドに乗り込んだ生粋のアクション野郎。
そんな人がいたなんて知らなかった。知らなかったことが恥ずかしい!悔しい!!来歴を見ると、今や彼が日本のアクション作品界をしょって立ってる人なんじゃないの、すごーい!!!

つまりは彼は、純粋なアクションをいかに魅力的に撮るかということを熟知している専門家であるのは間違いないんだけど、それと同時に、こんなにも女の子たちを魅力的に撮るとは、なんと、なんと嬉しいことなの!
だってさだってさ、やっぱりどこかアクション映画はいまだに男のものよ。あれだけの才能のある水野美紀が活躍の場がないという、お寒い現状よ。

でも彼のような人が映画界を席巻しだせば、きっと変わるんじゃないの。だってだって、このガールズファイトのシーン、凄いよ!!
そりゃ見た目はマンガチック。非合法の地下のファイトクラブ、集まってくるのはワケアリの女子格闘家たち。
それぞれにキャラクターを仕込んだコスプレ、SM女王様だの、チャイナガールだの、ゴスロリだの、巫女だの、ふわふわピンクだの、etc.etc.……まあよくぞ揃えて、そのどれもがクオリティハンパなし!
そんなコスプレ美女たちが、その見た目の麗しさからは想像できないハイキックに首絞めに、えーと、すみません、格闘技には明るくないもんで技名が出てこないんだけど(爆)、とにかくとにかく、凄いんだもん!

劇中、SM女王様キャラのミーコが女同士のけんかを揶揄して、「まさにキャットファイトね」と手を猫の形にしてからかうシーンがあるが、つまりはワレワレが想像する女同士の格闘技といったら、まあ女子プロレスはあるけどあれはちょっと女捨ててる感じがあるし(爆)。
女同士のケンカってのは髪引っ張り合ったり引っかいたり、キーッという感じの、そう、キャットファイトってイメージがやっぱりあって。

でも全然なの。むしろ男性同士の格闘技並み、いやそれよりも激しく、でも見た目の美しさにトコトンこだわっていること、そして女性ならではのしなやかな体躯……見せるための筋肉ではない、見た目は本当に美しい女性という姿、がマジファイトするというのが、こんなにもコーフンすることとは!
まあそれこそ、イロモン的な泥レスもあって、お約束でおっぱいむき出しにしたりもするのだが、それもまた楽し!
それを「もうこれでダブルヘッダーだよ、体力が持たないよ」とぶつぶつ言いながら闘ってるのがまた楽し!!

原作がライトノベルだというので驚いたのだけれど、驚くところがヘンケンたっぷりなんだけど(爆)、原作者は今や直木賞作家で、この作品はライトノベル作家からの転換点になったのだという。なるほどなるほど。
でも本作はこうして映像化して魅力爆発、文字だけの時にはどうだったのか、もうこれを見てしまったら全然想像がつかない!!

数々の個性的なファイターたちの中でヒロインを務めるのは、身体は女、心は男の皐月。演じるは芳賀優里亜。
あれっ、なんか名前聞いたことあるけど、よく思い出せないな、と思いながら見ていて、でも最後まで思い出せなくて、今こうしてオフィシャルサイトを確認してのけぞった。
え、え、ええ!「どこまでもいこう」がデビュー作!てことは、メッチャ子供だった時だよね!
昔過ぎて作品自体をよく思い出せない(爆)。面影があったのかどうか……。
でも子供映画の大傑作だったことだけは、鮮烈に記憶にある。男の子と女の子がじっとこちらを見つめているポスターの画も思い浮かぶ。
ということは、その女の子の方が、彼女だったのかなあ!なんということ!!

身体は女、心は男。つまりは性同一性障害。皐月は空手のエキスパートで、まるでゲームキャラの男装の麗人のように凛々しいコスチューム。胸にさらしを巻くとか、王道過ぎて萌え萌えである。
仕事先の図書館?(本屋?)で女子高生からアツい視線を浴び、ラブレターをねじ込まれるのも何度とないことらしい。
女だらけのガールズブラッドの中で、皐月は決して一緒に着替えをすることがない。恐れている。他人のハダカを見ることも、もしかしたら自分のハダカを見られることも。

そこに運命の相手が現れる。皐月が初めて勝てなかった相手、後に名門空手一家の令嬢だと知れる千夏。
黒髪が印象的な彼女に社長は、上海娘、リリーちゃんという設定を与える。
千夏は最初から皐月が“男の子”であることを見抜く。挑発するようにチャイナドレスの背中のファスナーをおろすよう頼み、シャワー中に勝手に入ってくる。皐月はうろたえるけれども、次第に彼女に惹かれていく。

そしてメイクラブ。千夏は「あなたみたいな人とやるのは初めて」と言ったけれど、ひょっとしたら皐月も……も、というか皐月はここまで経験がなかったのかもしれない。
子供のように女たちのハダカを恐れる皐月の強がっている姿は、ずっと自分のアイデンティティに苦しんでここまで来てしまったことを思わせた。

彼女たちが闘うリングも、廃校にしつらえられた殺伐とだだっぴろいところだけれど、皐月が一人で暮らしているところも、倉庫みたいなひどく殺風景なところ。
そこで皐月は千夏とのメイクラブを妄想しながら、自慰にふける。男のマスターベーションは見たくもないけど(爆)、美しき女の子のそれはなんでこんなにドキドキしちゃうんだろう、同性なのに(照)。

そして女の子二人のメイクラブシーンも、もう最高!女の子の身体の美しさにただただ見とれてしまう。
普段は女であることの理不尽さを感じることばかりの現実だけど、こうしてシンプルに女の子の美しい身体を見ると、ああ、なんて女の子は素敵なんだろうと思う。
皐月は心は男の子なんだし、女の身体である自分に違和感を感じている筈で、千夏から「キレイだよ」と言われることがどうなのか、メイクラブシーンがビアンのそれの美しさに見えてしまうのはどうなのか、なかなか悩むところで、こういうのは結構攻撃されてしまう可能性もあるよなとは思うんだけど……でも、でもでも、美しかったんだもん!

皐月の「千夏にいろんなことしてみたかった」という台詞のセキララさにうおー、と思う。芳賀優里亜のキレイなおっぱいが、千夏を愛撫するその身体に押し付けられてやわやわとした感触を見せる、あうう、ヤバい。
千夏を演じる多田あさみがスレンダーな芳賀優里亜と対照的に肉感的で、そんなコントラストもなんともヤバイのよね!!

女の子同士のドキドキは、この二人のみならず。SM女王様のミーコは、新しく入ってきたフワフワロリータな女の子、まゆを可愛がっている。
彼女たちは皐月たちのように明確なラブ関係(つまり肉体的な(爆))という訳じゃなくって、先輩が後輩を可愛がるような、姉が妹を可愛がるような、いやそれ以上ではあるか……女子校の疑似恋愛のような、そんな雰囲気にとどまっている。

でも、まゆがかねてからプロポーズされていた青年に連れ去られるようにリングを後にすると、ミーコは泣きぬれて、すっかり消沈してしまうのね。
そしてのちのち、まゆはミーコの元に、ガールズブラッドの元に戻ってくる訳だし……。

でも、皐月から「まゆのことが好きだったの?」と聞かれると、「判んねーよ!」とミーコは返す。それが本当の、本音だろう。
この、親愛と恋愛の価値観を試すように揺れ動くミーコとまゆの感じが、なんとも焦がれるのよ!
だって一方は豊満な肉体にボンテージファッションのSM女王様、一方は“14歳に見える21歳”キャラ、いちごのアップリケつけたピンクのフリフリにうさぎちゃんヘアの女の子なんだもん!!

だからこそ、そんな非力なまゆがクライマックスで見せる死闘が泣けるんだけどね……って、おっとっと、そこに行くまでには記さなきゃいけないことが山ほど!てゆーか、女の子に興奮しすぎて、全然概要が判らないまんま(爆)。
えーとね、まあとにかくガールズブラッドがあって、皐月がいて、千夏が入ってきて、ミーコとまゆがいて……。
あ、まゆみたいな、格闘技キャリアもない場違いな子が入ってきたのは、精神を病んだ母親とそれを見ぬふりをする父親の元で育ったまゆが、ここに入りたい!と強烈に願ったことからなんであった。

んでもって本作の始まりはいわばそこから始まる訳だから、まゆは一方のヒロインでもあるのかもしれない、と思う。
母親によって赤ちゃん用のゲージの中でずっと閉じ込められて育てられたまゆは、格闘技のリングというゲージの中で闘う女たちを見て、ここに入りたいと思う。
そしてクライマックスでは、皐月と千夏がリングの囲いネットをぶっ倒すほどの激しい闘いを目の当たりにし、ミーコは優しくまゆの頭をかき抱いて言うのだ。自分で囲いを壊すことも大事だと。

いやだから、概要でしょ。概要概要。ダメだな私(爆)。
えーとね、千夏がここに来たのは、暴力夫から逃れるため。名門道場を力づくで乗っ取った男に、千夏もまた乗っ取られて夫婦となった。
逃げ出した千夏を見つけ出した夫は、一度は皐月たちに撃退されたものの、ガールズブラッドの法的穴をついて脅し、力づくで千夏を連れ帰った。

恐怖の力の元に服従させられ、強制した会話上では合意を装っているけれど、レイプに他ならない夫の千夏への凌辱は、もう見るに耐えない……いやでも、これで男はコーフンするのかもしれないが……(泣)。
この暴力夫から逃れる形で千夏が皐月と恋に落ちたことを考えると、真正ビアン、あるいは性同一性障害の方面からはどういう意見が出るのか判らないけど……。
だって身体は変わらないままで、女性の身体同士の感じ方でセックスする訳だしさ……うーむ、ついついリアルに追究したくなってしまうのは、本作がホントに好きだから、大好きだから、なんだよ!!!

でね、もうすっかり怯えから洗脳のような状態になってしまった千夏を奪還することも出来ず、ガールズブラッドも解散に追い込まれる感じになって、諦めかけてたんだけど、お互い伴侶に去られた皐月とミーコが、どこか犬猿の仲だった二人がお互いの気持ちを理解しあったことで、事態は展開してくる。
ミーコは皐月が“男の子”であることを知っていた。いや、彼女のみならず、「知られたくないみたいだったからさ」という女の子の優しさに、皐月は気づいていなかった。

ショーマンであるミーコに、その女くささも含めてかもしれない、苦手、つーか、嫌悪かもしれない、感じてた皐月だけど、格闘技に対する真摯な気持ちに共感しあう。
「本当は、ミルコみたいに立ち技だけでやりたいんだ」ミーコは言った。女同士の格闘技的な、くんずほぐれつじゃなくて、カッコイイ立ち技。
両親が離婚、再婚した義父にセクシャルなサービスをしていた「他人が求めていることをやってしまういい子」だったミーコが、「やりたいこと、あるじゃん」と皐月に言われて目覚めた瞬間。それがクライマックスにつながる感動!!

……うーむ、どうしてもクライマックスに行きたい気持ちが先だって脱線してしまうぜ。まあでも、まあまあ言った感じにはなったかな?
でね、千夏の奪還、そしてガールズブラッドの奪還をかけて、安藤道場に勝負をかける!
あの暴力夫が女子校生とチョメチョメしてた(古い表現(爆))証拠をつかんでいたオーナー、ガールズブラッドと安藤道場のガチ勝負の興行を持ち掛ける。
そんな証拠があるなら、興行なんてやる必要もないだろと、うろたえながらもいぶかしげな安藤に、「だって面白いじゃないか」とオーナー。
アヤしげなサングラスにチンピラっぽいスーツのオーナー、演じる山口氏、ええ、こんな感じの人だっっけ!?彼もまたアクション畑の人なんだね、知らなかった!!

そうそう、暴力夫、安藤乱丸を演じる榊英雄がまたいいの。この役名がまたイイ感じにマンガチックでヨイの。
まー、憎たらしく妻を威圧的レイプしてくれちゃって、そりゃ女としては、いや皐月の気持ちとしては男としてか、でも見てるこっちとしては女としては、まあどっちでもいいや、とにかくとにかく、コイツから奪還してくれと願っちゃう訳!
そういう意味ではかなーりフェミニズム感覚を喚起させちゃう作品で、い、いいのかなと思わなくもないが(爆)。フェミニズム論者ではあるけれど、結構己を自制する気持ちは持っているのよ(爆爆)。
でもまあ、女たちだけではなく、オーナーも、そして安藤によって足をつぶされた過去を持つトレーナーも、男たちも彼女たちの味方だしね!
そうそう、この翳のあるトレーナーを演じる品川祐氏が意外にいいのよ。意外に(爆)。

で、さっきついつい先走って書いちゃったのをもっかい思い出すとですね、まゆがね、露払い的に一戦目に登場するまゆがね、いいのよ、泣かせるのよ。
正直言って、この三本勝負にマジで勝ちたいなら、なぜ非力なまゆを出すのかという純粋な疑問が浮かぶが……だって、他は、見た目はコスプレ女子たちだけど、リアルファイターばかりなんだからさ!
でももちろん、まゆが出るからこそカンドーするんであって、カタルシスがあるんであって、うー、こーゆーところが、作劇の難しいところ!!

ガールズブラッドに戻ってきたまゆが、基礎からトレーニングしている場面を丁寧に描き、百戦錬磨の空手家女子に対して奇襲も含めてしつこく食い下がる。
安藤道場側も、ガールズファイトに合わせてそれなりのコスチュームできているのだが、女子プロレスに毛が生えた程度、しかもルックスはいかにも格闘家らしくゴツくて(爆)、この対戦の画は、本当に不思議な感じなの。

ミーコがこだわった立ち技にも絡めて、「最後まで立ってたよ」と顔面血だらけフラフラのまゆを抱きしめるミーコにマジに感動(泣)。
だって、可愛い女の子のリアルファイト&血だらけ&フラフラ、って最強すぎるやん!
しかもその様子をハラハラ見守ってるのが肉感的なSM女王様で、駆け込んで抱きしめて、えらかったよ、と頭をかき抱く。やー、やー、ヤバイッ!!萌えすぎだろーっ!!!!

……どうやら私は、主人公カップルより、ミーコとまゆに萌えてるらしい。仕方ない、だって見た目の萌え度が上だもん(爆)。
いやいや、皐月と千夏の、男装麗人&チャイナガールもとてもいいんだけどね!てな訳で……?あれ?ミーコとまゆに萌えすぎて、皐月たちの感動ファイティングをはしょっちゃった。
まあ、いいかっ、って、良くないだろ!!皐月のアイデンティティに関わること、千夏を連れて長年疎遠だった実家に帰り、トラウマ的存在の母親に「ただいま」というシーンで終わるんだからさっ。

妄想しながらの自慰シーンで、「何やってるの!!」と飛び込んできた母親、男性向けのエロ雑誌を見つけられたという母親、その母親から逃げるように、友人からも誰からも行方不明状態で飛び出した実家に帰るシーンで、エンディングなんだから!!
まあとにかく、とにかくとにかく、出会っちまった、この映画に、出会っちまった。ああ、もう、出会っちまったんだよう!!★★★★★


アナと雪の女王(日本語吹き替え版)/Frozen
2013年 103分 アメリカ カラー
監督:クリス・バック/ジェニファー・リー 脚本:ジェニファー・リー
撮影:音楽:クリストフ・ベック
声の出演:神田沙也加 松たか子 原慎一郎 ピエール瀧 津田英佑 多田野曜平 安崎求 北川勝博 飯島肇 根本泰彦 杉村理加 増岡裕子 最所美咲 稲葉菜月 諸星すみれ 佐々木りお 小林柚葉

2014/5/28/水 劇場(TOHOシネマズ渋谷)
つ、つつ、ついに観てしまった。いやー、友人から薦められてはいたんだけど、そうこうしているうちにとんでもない大ヒット、どころか社会現象とまでなって、すっかり腰が引けてしまっていた。
きっとあと半年ぐらいやっているだろうから、収束するあたりにひっそり観に行こう……と思っていたら別口の友人から、お子が観たがっているので一緒にいかがとお誘いいただき、この機会ぞ!と飛びついた。

子供付きだから日本語吹き替え版だけど……ということだったが、まさに薦めてくれた友人も日本語吹き替え版をぜひとのことだったんだもの。
曰く、世の中的には松たか子ばかりが言われているが、これがどうして、神田沙也加が素晴らしいのだと。それがどうもイメージできなかったので、その点が凄く興味があったのね。

確かに。神田沙也加が素晴らしい。えっ、彼女ってこんな素晴らしかったの!いやー、ミュージカル畑で活動を続けていたことは知っていたけれど、なんたって母親があの、だからさー。まあ同じ畑では闘えないからかな、なんて思っていたらトンでもなかった!
確かな、そして素晴らしい実力の持ち主!!単純に、こんなに芝居が出来るんだというところでビックリしていたら失礼千万(爆)。

アナの、やんちゃ(というのは女の子に使っていい表現なのだろうか……でも、おてんば、というのは元気な女の子を表現するのに、なんか古臭い気がするのよね)で、単純で、だけどウィットにも飛んでいて、とにかく生命力にあふれている感じが素晴らしくて。
人が大好きで、人を信じることしか知らない……ことが、最初は両親や大好きなお姉ちゃんから発し、あっという間に恋に落ちたハンス王子との関係性にも及んでいき、確かに確かに、ダブル主演とはいえ、最初に名前が来るタイトルロール、アニメのヒロインといえばの、ヒロイックキャラ。

しかも姉の深い悩みを知らずに純真に育っていく……まあ彼女も、大好きなお姉ちゃんになぜか避けられる深い悲しみを背負っている訳ではあるけれど。
そしてこういうアニメのヒロインならではの、決して美女ではないキャラ。そしてそばにいる友人(本作の場合はお姉ちゃん)は美人だったりするあたりも、赤毛のアンしかり、キャンディキャンディしかりよねー(ま、私は更に地味目のパトリシアが好きっ)。

で、まあ、ちょいと脱線したが、同じ二世でもマツタカは絶賛されて神田沙也加は……いやいや、たまたま大ヒットした主題歌を歌っているのがお姉ちゃんのエルサで、つまり松たか子であることから、彼女の方にまず注目が集まりがちだってことだけで、沙也加嬢も勿論、大きな注目はされているのだが。
マツタカはまあ、予想出来るじゃない。舞台のキャリアも有名だし、サラブレッドの血筋でいえば、二世止まり(という言い方はアレだが)の沙也加嬢に対すれば歴史がスゴすぎるもの。
でもだからこその、知らなかったから、無知だったから、本当に感動したんだよなあ。あの偉大なる、というか派手に活躍した母親を持って、地道に実力を積んできた彼女に感動しちゃう。浪花節だよなー、日本人。

しかして、素朴なる疑問。あれれ、雪の女王ってこんな話だっけという素朴な疑問。
大体、ディズニーに取り上げられる元ネタとなる童話は、恐ろしく哀しきお話である、のは当然、日本のおとぎ話だってそうだし、世界中、伝承文学というものは、人間の戒めをモティーフにしているから当然そうなるんである。

そう考えると、ディズニーがそれをあからさまに改変してくることも、現代に即した変化とも言えるんだけれども、ここんとこ、ちょっとそれがアレやねと感じるところもあって、ディズニーから離れていた気がする。
まあ単純に、足を運ぶ気力と体力の問題ってのもあるが(爆。だってディズニー作品の観客は、みんな気力と体力みなぎりまくってるんだもおん)。

その一番のキッカケは、アリエルだったよなー。まさか人魚姫がハッピーエンドになるなんて、しかもそれが広く認知されて、今やディズニーシーの人気キャラクターよ。
今の子供たちにとって人魚姫といったら、ハッピーエンドの物語、勧善懲悪の、愛は勝つ!な物語なのかと思ったら、ガックリと肩を落としてしまうよ。
人魚姫はあの、残酷なまでの切なさがあるからいいんじゃない。死ぬほどの恋をつらぬく人魚姫の美しさが、いいんじゃない。
あのリトルマーメイドから、私の心はディズニーから離れてしまった気がしたなあ……なんて話をこの間もピアノの先生としていた(笑)。

しかし本作は、そんなツッコミも届かないほどに、そう、私が、雪の女王ってこんな話だったっけ?と思うほど、名前だけを借りたんじゃないかと思うほどに、遠い遠い、全ッ然違う物語なんである。
そもそもこれは、本当に雪の女王をモティーフにしているのか。原題がフローズンってだけじゃ、それさえも判然としないと思ったが、ディズニーがそう言うのなら、そうなのかなあ。

もはや"雪の女王"というキャラクターの造形アイディアだけ拝借という気もするが、それこそ先述の、私のような原作を引き合いに出してクレームつけたがるような観客にとっては、いやいやこれ、ベツモンどころじゃなく、本当に違う話だからね、ということなんだろうか……。何かモヤモヤとする気もするが……。

原作童話の雪の女王はとにかく冷たく悪役で、でもその冷たさが絶望的なほどの孤独をまき散らしていた。子供心ながらも、怖い悪役の雪の女王にその孤独を嗅ぎ取るからこその、情操教育があったのだと思うが……もうそれは古典ということなのだろうなあ……。
それは少し寂しい気もするが、本作によってその原作にも興味を持つ子供もきっといるという希望をもって、これは別物の本作の魅力なのであろう。

いやー、ミュージカルなのね。ミュージカル自体をなかなか観る機会がないんで、それをディズニーアニメで、しかもバリバリ本格的な感じで見ちゃうと、カルチャーショックだわ。
しかしやはり本作の魅力はこの雪の世界、氷の世界の美しさであり、真夏だったらもっと納涼効果が……いや、当然、真夏までこの社会現象は続いているだろうから、大きなお世話だろうが……。
先述のように、ディズニーはそれほど熱心に観ている訳ではないのでアレなのだが、それだけに久しぶりに見ると、その技術力の高さにビックリ仰天してしまう。

トイ・ストーリーのあたりからのフルCGは当時から大きな驚きではあったが、それこそ久しぶりに見たもんで、ビックリ度も飛躍的アップなんであった。
それこそトイ・ストーリーはおもちゃの世界だったけど、人間の女の子、特にアナの、頬ばかりではなく肩までうっすらと浮いているそばかすの繊細な肌描写には仰天した。
だってつまり、その肌合いひとつとるだけで、美しき女王様と、そうでもない王女様(爆。でもこれは、本人自らアッケラカンと口にするからね)が区分けされる。
しかもそれが、雪の様に白い肌を持つ美しき王女様は、まさに雪の女王様で人間離れしていて、そばかすが肩まで浮いているアナ王女は押さえていなければどこに飛び出していくか判らない、お猿さんみたいな女の子で、それは本当に、肌合いひとつで変ってくるんだもの。

でもでも、松タカが注目されたように、このレリゴーの主題歌、日本語版はありのままのー、の主題歌のエルサこそが、本作を象徴している、んだろう、か?
最初はそうなのかなと思って観ていたのだよね。なんせビッグヒットだし、アメリカ的な、女性自立を歌い上げた歌だし。
長年、その能力を忌まわしきものとして閉じ込めてきたエルサが、追われる形とは言え飛び出し、ありのままの私にようやくなれたのだ、自由になれた、♪少しも寒くないわ、と、自ら作り上げた美しき氷の城の主となる。
この場面で皆が歌いあげるっていうんだし、女性自立の、女性賛歌の歌だと思っていたから、ポジティブな展開だと思っていたんだけど。

違うよね……。

皆で歌うほど盛り上がる場面なのに、女の自立を歌い上げ、ようやく自分自身を取り戻せたと歌い上げる場面なのに、取り戻したことによって国中が凍り付き、皆が困ってる、なんて展開になるなんて、ひ、ヒドい。
ちょっとね、エルサのキャラ描写には、女としてはどうにも残酷な気がして仕方ない気持ちがあった。忌まわしき存在として閉じ込められ(まあこれは、女じゃなくてもキツいが)、妹にはパートナーが出来るのに自身は一人のままで、でも妹はいいヤツだからさ、最後には姉妹の仲を取り戻して、ハグして、その愛の力で忌まわしき力もコントロール出来るようになって国も平穏を取り戻す、なんてさ。

つまりはこの妹の存在がなければ、その愛の力がなければ、姉は存在自体が許されなかったってコトじゃんか……。いや、だから愛の力がスバラシイと言いたいんだろうけど、その賞賛は全部妹に行くじゃんか……。
しかも妹はもう一つの愛を見つけたのに、姉は……このエルサがこの先理解ある男子を見つけられるという気がどうしてもおきない……。

妹、アナはお姉ちゃんの戴冠式で舞い上がったのか、この日初めて出会ったとある国の王子と恋に落ち、その日のうちに結婚まで言い交しちゃう。
それを姉に反対されて、抑えていた姉の力が発露して物語が展開する訳なのだが、それこそ昔々のおとぎ話なら、一目合ったその日から、な恋は成立したんだよね。
今は現代社会だから、そんなことは成立しない、そんなことを成立させる男はインチキだということになって、姉エルサは妹を思うが故に反対し、結果、それが正しかったことが明らかになる。

兄弟の多いハンスは、うだつの上がらない自分を出世させるためには、異国の王女と結婚することが手っ取り早いと考え、アナに近づいたんである。
まあ、近づいた、ってあたりがメロドラマだけど、こーゆー話は今も昔もフツーにあったことで、それをハンスを悪役にするための材料にするには、それこそメロドラマ過ぎる気がする……今時こんな展開をすると思わなかったから、油断しちゃった訳(爆)。
いや、逆かな。ディズニーからしばらく離れていたから、ディズニーなら一目会ったその日に恋が成立する物語を描いてくれる気がしたのだ。

まあ、ね。おとぎ話でも、その後出会った男性が本当の王子様だったという展開はあるけれども、その王子様が、ハンス王子と比べれば決してハンサムとは言えない、デカ鼻で山男だからちょっと臭くて、つまりは粗野な男、だってあたりが、なんとも教育的というか(爆)。
まあたしかに、こういうギャップ王子展開はあるけどね、女子的には、あるけどね。でもそれは、やっぱりもう少しアダルトな、アダルトの中のファンタジーじゃないかなあ。
そのあたりがちょっとごっちゃなのよ。原点の残酷さを排除してハッピーエンドを用意して、でも展開には現代社会の厳しさを盛り込む、みたいな。

そういやあ、凄く基本的なところなんだけど、ちょっと気になったのは、幼い頃は姉、エルサの魔法の力で無邪気に遊んでいたアナ、しかし事故が起こってアナが死にかけちゃって、両親はエルサの魔法の力を封じるんだよね。
まあそれは、長老的な人たちの意見を聞いてそうするんだけど、その意見てのが、「楽しい記憶は残して、魔法を使えるという記憶は妹から取り去る」てんでさ。どうも解せなくない?
だってその後、姉妹は離れ離れ。姉の魔法を封じ込めるために、妹と過ごすことも出来ない。そりゃあ、突然大好きな姉と引き離された疑問だけが残るだろ。

こんなこと言っちゃ、この物語が成立しないということは判ってても、だったら、妹からお姉ちゃんとの楽しい記憶自体を消しちゃえばいいじゃん、と単純極まりない疑問。うーむ、それじゃただの鬼畜だが。
時々、こーゆー基本的構造の欠陥が気になるのよ。作り上げられた構造世界が完璧すぎるだけに。でも、とにかくとにかく、雪と氷の世界は素晴らしすぎるんだけどね!

えーと、ディズニーならではのキュート脇キャラに言及できなかった(爆)。夏の世界に憧れる雪だるまのオラフが、エルサに雪雲を与えられるエンディングが可愛かった。
アナの本当の運命の相手、山の男クリストフの相棒、トナカイのスヴェンはいかにもディズニーの動物の表情やね。身体の動きがリアリスティックなだけに、今の子供たちが、これがリアル動物と思っちゃわないか、なんて勝手に心配しちゃう(爆)。★★★☆☆


あの娘、早くババアになればいいのに
2013年 70分 日本 カラー
監督:頃安祐良 脚本:頃安祐良 寺嶋夏生
撮影:野口健司 音楽:原夕輝
出演:中村朝佳 尾本貴史 結 切田亮介 尾崎愛 高橋卓郎 藤田健彦 信國輝彦 ジョージ・エスチャート

2014/6/10/火 劇場(テアトル新宿/レイト)
タイトルはすっごく面白そうでかなり期待値が高かったんだけど、うーん。なんか劇場はやたらオッサン系の爆笑が上がり、え、ええ?そんなにこれ面白い……?もしかして身内ウケ?と更に引いてしまったが、私の思う意味とは違う意味での身内ウケだったのかもしれない……。
いや、こういうミニ映画にはよくあるんだけどさ、作り手の友人知人親戚……はどうか判らないけど、とにかく狭い仲間内が観客で集まっている雰囲気で、全然面白くないのに(!)爆笑してたりとか、そういう場合、門外漢の一般客はすんごい引いちゃうことが、そういうの、ホント結構ある訳。

で、本作もその手の観客が集まってるのかなあとも思ったけど、それもあったのかもしれないけど、オタクとしての身内ウケだったのかもしれないと、温かい目で見れば見れないこともない気がしてきた(爆爆)。
んー、でも、ヒロインに恋する同級生のウブが故の猪突猛進にもやたら大ウケだったから、ひょっとしたらモテない男の身内ウケだったのかしらん?(モテない女が言うなっ)。

そう、このタイトル、このタイトルが意味する展開が、いつになったら出てくるのかと、ずーっと待ってたんだよね。いつになっても来ない、全然来ない、と思ったら、ラストクレジットでヒロインが歌う歌詞の世界だということに至ってがくーっ。
しかもそれは、ババアになればいいのに、ではなく、オバサンになればいいのに、である。めっちゃ森高の世界観である。森高が女の子側の気持ちから、私がオバサンになっても愛していてねと歌っているのに対するいわばアンサーソングで、君がオバサンになったら僕が独り占めできるのに、という内容。
アンサーソングとしても、それを今はオバサンじゃない女の子に歌わせるというアイディアも確かに秀逸で、それをタイトルにした時にババア、と扇情的な言葉に置き換えて客を引き込むのにも、なるほど、面白そうと思って私だって足を運んだんだから見事成功しているんだよね。

でも、それには内容があまりに伴っていないような……。だって、このアンサーソングを思えば確かに、アイドルを目指す疑似親子のドタバタコメディはいろんな深い意味を持ってくる。
アイドルは若いうち(少なくともスタートは)じゃなくちゃ、ということを充分判っているのに、父親はいつまでたっても娘をオーディションとかにチャレンジさせようとしない。幼さの価値ばかりを信じるなと、まだ早いと、もうアンナは17にもなるのにそればかり言うんである。

結局はこのアンサーソングのように、彼はきっと、君がオバサンになれば僕が独り占めできるのに、と思うほどにアンナを愛していたという結論になるんだろうし、アンナが勝手に応募したオーディションが一時通過をしていたって、この様子じゃ彼女が本当にアイドルへの道に進むかどうかも判んないしさ。
そう、最終的に深く考えてみれば、アイドルオタで童貞のまま40まで来てしまったこの父親、平田が娘として育てたアンナに対してようやく男としての成長、人間としての成長を遂げた物語とも言える訳で、まあ思いっきり深くうがって考えればなんだけど(爆)。

そう、こう考える余地があるぐらいだから、せめて中身がもうちょっと(爆)。ともかくこれじゃ相変らず何にも判んないから概要説明。
てか、彼は平田でアンナは蟹沢。やっぱり疑似親子のままだったんだね 。
冒頭のシークエンスで、突然レディースな元同級生からあの時寝た時の子供だよ、と童貞なんだから身に覚えなど全くない赤ちゃんを押し付けられ、その直後にその同級生はバイクのままガーンと事故って昇天。
17年後のシーンではありがちの、バイクにまたがったレディースキメ顔の写真が飾られている。疑似親子の設定を作るためだけとは判ってるけど、あまりにもお粗末な……。

こんな預け方じゃ母親の愛も何もあったもんじゃないし、この死に方は事故なの?それともこれじゃ、最初から意図しての自殺の様にも見えるが、このナンセンスストーリーでそんな深刻さもなさそうだしなあ……。と、観客をムダに困惑させるだけのような気が(爆)。
それにさ、成り行き上とはいえ、父親として娘を育てていた平田が、戸籍上自分の子供としていなかった点も、先述のように深くうがって考えることも出来なくはないけど、このナンセンスの中ではそこまで親切に考えてあげるのも、なんだかとっても空しい(爆)。

とにかく、「俺は女性経験は豊富だぞ。なんたってのべ1500人以上と握手してきたんだからな」(会場は大いにウケてたが、微妙に笑えない)とゆー平田によって、世の男たちを幸せにさせるアイドルを目指して育てられたアンナ。
みすぼらしいふすまに区切られた部屋で、平田がサイリウムを振りながら観客役として歓声を飛ばし、アンナがそれに対して、ブリブリ振り付けで踊りながら「みんな、大好きー!」と叫ぶ、そんな個人レッスンが夜な夜な繰り広げられるという、絶妙な貧乏臭さに何とも言えなくなる……。
見ている限りではどうもこの家の規模が判らなくて、廊下を入ってくる角度とかでは結構ゴージャスそうな住まいに見えなくもないのに、狭苦しい台所やそれに続く茶の間とか、急に昭和になる感じ。

確かにこの平田は古書店を営んでいて、風情があるし、住まいがいきなり高級マンションでもアレかとは思うんだけど、アイドルオタで古書店で、娘にレッスンつけて、というのがすんなりとつながっていかない環境のように思う。
彼自身は営んでいる古書店を「アイドルメインなんです」と言うけれど、カメラに映される程度の範囲しかそんな品目はない感じ。

後のクライマックスでゴダール監督が訪ねてくる、なんつー展開が用意されている位の雰囲気のある古書店としてのたたずまいをしっかり保っていて、それなりの蔵書もあるし、どうもかれのキャラクターの成り立ちがピンと来ないんだよね。
まあ、映画関係の書物に関しては自身の映画監督としての矜持でもあり、この後の展開にも影響してくる部分だからだろうけれど、レジの前に並べられている入江監督の本とかは、これぞ身内ネタだよなあ……。
平田自身に全くその知識がないことを思えば、これは恐らく、単に古書店を継いだという形なんだろうけれど、見事に家族の影も出てこない。まあこの尺とこのテーマじゃそんなのは邪魔なだけだろうけれど、こうまでピンとこないとどうも気になっちゃう。

この疑似親子をかき回す存在として現れるのが二人、一人は先述した猪突猛進の同級生だが、メインはこの店にバイトとして入ってくる小西という妙齢の女性である。
珍しく、女性が苗字のみで呼ばれることに、その点だけには好感を覚える。役名もホントに小西、だけだもんね。
平田はちょいと可愛いこの小西さんにホレちゃって、彼女の好きなゴダールを勉強してジャン=ピエール・レオーのファッションをマネしてみたりもするんだけど、でも小西さん、としか呼ばないし、つまりそれって、彼女を女として見るまでにはまだ至ってない、ということなんだと思うんだよなあ。

まあそれも、親切すぎるうがち方だろうが(爆)。でも恐らく平田にとっては初めてではないだろうかと思われる。握手でしか介せないアイドル以外の女の子との接触、だなんて。
しかもこの子がウッカリ平田に好意、というか興味を示しちゃって、積極的に夕食を作ったり、飲みに誘ったり、果ては迫ってキスまでしちゃう!

でもその時、アンナは貞操の危機にあるんだ……。貞操の危機!うーむ、死語かな(爆爆)。
まあちょっとそこはおいとくけど、この小西さんという女性は、特に女から見ると微妙な感じだよねー。
アンナが彼女を嫌うのは、大好きなおやっちゃん(役名のフルネームも判んないから、どういうネーミングなのかも謎……)に近づく女だからに他ならないけど、この古書店での仕事も何してんだかよく判んないし(爆。古書店の仕事はとても大変だと思うけどね!)。
平田もアンナも全然判んないゴダールを熱弁して、たまたま(爆)おいてたゴダール関連の本に可愛らしげなポップを書いてみたり、なんか、確かにちょっと、イラッとくる女なのだ。

でも確かに確かに、彼女が平田とアンナの膠着した親子関係に風穴を開けたとは言える。
アンナはどうしてまだオーディションに挑戦してはいけないのか判らなかったから、敵意を持ちながらも小西さんのおだてに乗る形で応募。
平田の逆鱗に触れ、それに反発する形で同級生とデートに飛び出し、貞操の危機に、と、お、案外早くつながったな(爆)。

普通の観客の中で観てたら(爆)、確かにこの男の子はなかなかのコメディリリーフだったかもしれないと思う。
「学校での君は天使だ、でも今はハダカだ……天使の羽が見えてしまうほど可愛いっていうこと!」とゆー、驚きの登場シーンの台詞から、「リラックスと興奮が交互に現れる場所に行きましょう!」というラブホテルへの誘い文句や、平田に「俺は、アンナのすべてが可愛いと思ってる!」と殴られながら、「同感です!」と返して更にぶん殴られて、「なんで??」と呆然とするあたりやら、とんちんかんぶりは確かに愛しい。
うーん、これは、普通の客層で観たかった……とは勝手な物言いだが(爆)。ホント、私、左右されちゃうんだもん……。

小西さんがゴダールやらアンナ・カリーナやらを持ち出し、何にも知らない平田が、アンナはアンナ・カリーナからつけたんです、とかいう展開に、実際、映画ファン、それもかなり王道でアカデミックなファンでなけりゃついてけない道であり……。
だから平田やアンナの戸惑いぶりの方にこそ共感出来ていたのに、クライマックスでゴダール監督がこの古書店でアンナを出演させて映画を撮りたい、などという、架空といってもあまりにあまりな展開を持ってくるのにはアゼン!

だってだって、この物語はあくまでアイドルオタの、自嘲こそを主軸にしたお話じゃないの。なんでそれでゴダールをオチに持ってくる……これじゃ別の意味でのイタさだよ!!なんとも笑えない……。
結局は、アイドルオタとしてこの映画を作っていても、監督本人がアカデミック映画にアンビバレンツとしても思いが残ってるんじゃ、台無しだよー。

アイドルテーマの映画だけど、実際のアイドルとは全くつながっていかない、いわばアイドルというキーワードを使っての親子、というより現代の人間関係、いや社会関係を描き出した物語という感じで、実はそこが、これは勝手な期待値があった分、かなり物足りない感じがしたんである。
アイドルテーマで実際のアイドルと全くつながらない、家庭問題のところから一歩も出て行かない、というのは、悪い意味で日本映画の陥りがちな、囲われた家族ドラマの変形に過ぎない、という気がする。
タイトルからして新しい世界への風を感じたし、現代アイドルの特異な形をまっすぐテーマに取り入れることへの期待も感じたのに、結局そこに行きつかないんじゃあなあ……。

小西さんが元女優で、アンナに、女優とアイドルは全然違う、女優はお芝居してても自分自身が出てくるもの、アイドルはいつもニコニコしてウソもつかなきゃいけない、と語るシーンは一つの起点だったと思う。
アンナちゃんは憤然として、アイドルはウソつきだって言うんですか、私は皆を幸せにするアイドルを目指してる、それは父と私の夢なんです!と言い、小西さんは慌てて、アイドルをキライって訳じゃないよ。アンナちゃん、アイドルになりたいんだ。なれるよ、可愛いもの。応援するよ!と巧みに論点をすり替えてくる。

そう、結局小西さんは、女優とアイドルは違う、という自分の主点は捨ててない訳で、やっぱり結局は……アンナの言う通り、どこかでバカにしてる部分はあったと思う。
でもその女優の道も諦めざるを得なかったのは、アンナが清水君と入ったカラオケボックスで、イメージ映像でイタい演技を見せていた小西さん、それ一発で示されていた。
でもあの時硬い表情でストップボタンを押したアンナは、裏腹に、こんなチープな出演でも、彼女に負けたと思ったのかなあ……。

ところでアンナちゃん、劇中では平田や小西さんにどんなに言われても特に可愛いとは思わなかったが、ラストで先述の歌を歌いまくる、コスプレのようなオーソドックスセーラー服に髪を巻き巻きにして、勿論メイクも愛らしめにほどこした様はまさにアイドルの可愛さで、ちょっとビックリした。これがアイドルというものか……。★★☆☆☆


あるひもりのなか
2014年 70分 日本 カラー
監督:荒木憲司 脚本:荒木憲司
撮影:司木憲 音楽:清水雄史
出演:石原あい 渡邊世紀 若林立夫 和泉妃夏 寺田普景 横堀秀樹 右田万昌

2014/4/22/火 劇場(ポレポレ東中野/レイト)
うーん、うーん、言いにくいなあ。でも正直に言っちゃおう。観終った後思わずつぶやいてしまった。「これはひどい」うーん、うーん、これは好みの問題なのだろうか。それとも本当に「これはひどい」んだろうか。
いや、アイディアは悪くないと思った。とゆーか、これを本当にナンセンスに徹して、思いっきりマジメにやれば面白いと思った。……いや、本当にナンセンスに徹して思いっきりマジメにやってるかもしれない、確かに……。

うーん、うーん、でもなんだろう、この見てられない感。本作に接してね、即座に思い出したのは「 ヌイグルマーZ」だった。あの作品はまさに、こういうアイディアを本当にナンセンスに思いっきりマジメに作っていたからこその成功だったと思う。
成功……というのはあくまで、私は大好き!という、個人的な好みの問題に過ぎないのだが。

“大人の童話”うん、判る。森のくまさんを題材にしてね、くまさんは宇宙からの侵略者。いいじゃないの。
でも実はそのくまさんは、ヒロインが子供の頃大事にしていたくまのぬいぐるみでね、彼女のお母さんに捨てられた傷心で恐ろしい侵略者になった。うんうん、いいじゃないの。
そして、同級生との青春セックスで処女膜破られ、女になる、と。ちょっとエッチな大人の童話。うんうん、とってもいい。
なのに、なぜ……。

でもそれこそ、こういう、童話を大人の、しかもちょっとエッチに書き換えた題材って、実はとっても難しいのかもしれないと、思った。
童話は子供のもの、それを大人のものにして、エッチが入って。それをどの観点で見せるのか。童話の子供の心をどう残すのか、大人のエロの世界をどう入れ込むのか。
SFも絡めて来るならそのシチュエイションをどう見せるのか。徹底してリアルにするのか、あるいはバカバカしくナンセンスにするのか。

本作は恐らく、童話、つまり子供側に寄り添ったんだと思う。お星さまキラキラ、ぬり絵のようなバックにシルエットの人物が行きかい、ヒロイン、リルはその場足踏みでスキップのように歩いていく。
リルが電話を掛けるお姉ちゃんは、バッグから大きな受話器を取り出す。リルが電話を掛ける公衆電話は昔懐かしダイヤル式、お姉ちゃんの受話器にも小さなダイヤルがついている。このレトロ感は、“かつての子供”をネラったんだろうか。

こういうキッチュ感は嫌いじゃないハズなんだけど、なんだろう、このドン引き加減は。
何かね、“子供世界”を軽く見ている気がするのかなあ。こんなもんだろ、子どもの童話の世界なんて、みたいな気がするのかなあ。
正直、お星さまキラキラ、ぬり絵のようなバック、足踏み歩き、このテイストっていつの子供世界だろう……。思わず身体がひんやりしてしまったよ。

リルの超絶オーソドックスなセーラー服……は今でもまあ、あるけれども、そのわざとらしいほどのミニミニ加減といい、レトロというよりコスプレ。
まあこのあたりは青春H企画だからしょうがないにしても、頭につけた赤いおリボン(お、をつけたくなる……)には、……悪い方向のベタだなあ……と思ってしまった。
童話に出てくる女の子に対するイメージのオジサン的発想だよね(いや監督さんはきっとお若いのだろうが……)。

しかし何より、あまりにもヒドいのは、キーマン?となるべきクマさんに他ならない。こ、こ、これはいくらなんでも、もっと何とかならなかったの??
いや、判る、これがネラいだってことは判る。このチープさがね、ネラいなんだろう。でもそうだとしたら……大ハズしだよ。そうとしか思えない。
このクマさんが、ご丁寧にもアップになって、ストップモーションCGになって、眉毛だの涙だので表情を作ったりして効果音バッチリになるたびに、見てるこっちは氷の世界(爆)。

……こういう場合はさあ、むしろクマさんはむしろリアリスティック……はヘンだから、クマさんとしてのクオリティをそれなりに追求した方が良かったんじゃないのかなあ。
またしても思い出す「ヌイグルマーZ」。あのテディベアと編みぐるみは、テディベアと編みぐるみとしてのクオリティ、つまり可愛らしさをしっかりと追求していた。だからこそのアホらしさ、楽しさ、だったのよ。
森のくまさんがチープなハリボテ感なだけで、可愛くもなんともなかったら、この世界は成立しないよ、やっぱり!
ああそうか、あまりにもありすぎるから、どこがツッコミどころかなあと思っていたけど、やっぱりここなんだよ。クマさんなんだよ。
クマさんがテキトー過ぎる!計算だと言ったって、やはりテキトー過ぎる!少なくともこれじゃ、女子ファンはつかないぞっ。

うーん、それともこれはエッチ企画だから、女子は排除、という訳でもないんでしょ?思わずヒクツになってしまうが……そういう向きを感じる時がなくもないからさっ。
このクマさんのみならず、彼?を宇宙に連れ去り、地球侵略者に仕立てた悪役異星人はもっとヒドい!緑の布かぶって目を描いただけ!!……ってあたりがネラいなんだろうが……と言うのも疲れた。
ネラいなんだろうと思ってついていくほど観客は優しくないよ。確かにこの二人の闘いはミニチュア撮影技術のレトロ感を感じさせるけど、場面の切り替えといい、ネラいと優しく理解するには安っぽすぎるんだもおん。

そうそう、ミニチュア撮影は、きっとこの監督さんが好きなところなんだろうな。
リルが、ようやく侵略者のことを信じてくれる人を見つけた、その科学者の住んでいる、工場のような工房のような場所は、小さな歯車だの豆電球チックなものとか、まああんまり覚えてないけど(爆)そんな、いかにもミニテク小道具をミニチュア技術で大きく見せる。バックには白い雲がこれでもかと流れる。

……うーん、まあ、特撮好きの男の子が一度はやりたいことかなあ……。ちょっと、でもね、あんまりセンスがいいとは言えないような(爆)。これも絶対わざとのわざとらしさであろう、円盤形のUHOが釣り糸にぶら下がっているかのように動くのもしかり。
そもそもこの科学者が信じてくれる人だというのを見つける装置、レバーやつまみが沢山ついた箱型機械は、ピタゴラスイッチのお父さんスイッチよりチープだよな……などと思ってしまう。

この科学者のおうちでの様々なミニチュアテクノロジーは、確かに力を入れている感がある。クマさんよりよっぽどこっちがメインじゃねーかと思うんである。こういうのが好きなんだろうなあ、というのが伝わる微笑ましさは、なくはない。
リルの中に埋め込まれた爆弾を見つけ出すシークエンスなんて、そのクマ爆弾の造形のチープさにはこれまたひんやりしたけど(爆)、レトロな映像機器といい、なかなか風情はあったもんなあ。

レトロな機器、そうね、ここんところは、確かにちょっと魅力的ではあったかもしれない。
ピタゴラスイッチはアレだけど(爆)、リルがクマさんのことを訴えるために電話をかけまくる先の映像が、まるでブラウン管時代のテレビ映像のような砂嵐だったり、リルの身体を透視のようにエッチに映し出すモノクロ映像とか。

それにこの、科学者の息子、リルの処女膜を破ることになる同級生の男の子のニキビくささがね!今時こんな子いるの(いるんだろうなあ……)というやぼったさ加減で、だからこそリルとエッチする場面は青春の甘酸っぱさがある。
てゆーか、ここまで徹底してチープでアホらしくて見てられなかった(爆)のに、エッチシーンは極めてまとも。もっと言っちゃえば極めて普通。
これはこれでどうなんだろう……。なんかここだけ力が抜けたような気がしちゃう。どうせならすべてに筋を通してよ!と(筋ってなんだ??)と思ったり。局所をテーブルの上の小道具で隠すとか、こういうところにレトロを感じさせるのは、これも計算なんだろうか??

んでもって、処女膜破られたことで、爆弾はリルの外に出る。処女じゃなきゃダメだという設定はキリストの処女懐妊を思わせる、なんて言っちゃったらさすがに大げさ!
でも処女価値論はいつの時代になってもしつこく失われないよね。処女膜なんてものは、そもそもないのにさ。

しかし、リルは処女だった筈なのに、クマさんにはかされたパンツから爆弾が彼女の中に入った、てことは、まー、こーゆー企画だし、爆弾の形状もアレだし、そらー、挿入しちゃったに違いないのにさ。
なんか普通にもだえてるし(爆)。女としては気になる、こーゆーの。まあ個人差はあるんだろうけど(爆)。あー、ヤだ、こーゆーこと言う自分がイヤッ。

この同級生君、調べたいことがあるからと、一人旅に出ちゃう。んでもって、リルがクマさんの元に科学者と共に向かったところへ、同級生君、リルの母親を伴って現れるんである。
そもそもこんな事態になったのは、リルが母親とケンカしたからなんであった。なんとも折り合いの悪いリルとお母さん……だけどそこんところは特に掘り下げられることもない。
お母さんが幼いリルが大事にしていたクマのぬいぐるみを捨てたのは、「いつまでもおもちゃと遊んでいてはいけない」という親心。決してリルがクマさんを嫌いになった訳じゃないのだと説く。

……て点だけで、リルと母親の不仲を解くのは難しいなあ。でもまあ、一応納得したリル、しかし地球はこの後、侵略されてしまう(クマさんを操った宇宙人によってね)。
ならば、地球人の種を残すためにと、あの同級生と共に脱出するのね。で、そんな娘を見送った母親は、相手の同級生の父親の科学者とさっそく手と手をからめる。
まー、見るからに女くさい母親で(爆)、和服をきっちり着てるのになぜか艶冶、というかまんまエロい感じで。こーゆー雰囲気が出せるなら、これまたいくらでもやりようがあった気が(爆)。

なんつーかね、このお母さんにしても科学者にしてもリルにしても、クマさんにしても緑の宇宙人にしても、チープってのはそうだけど、それ以上にフィクショナルな魅力は確かにあった筈なのに、それが放り出される先の環境が整えられてない、っていうの?
なんつーか、もう荒野なのよ。そのまんま。フィクショナルに作っているのに、放り出される先は荒野。ただの今の日本のどっかの空き地。
観客の想像力ってさ、任されるほどに豊かじゃないよ。少なくとも私は(爆)。ホントにツラかったなあ……。★☆☆☆☆


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