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2022年鑑賞作品

兵隊やくざ 俺にまかせろ
1967年 89分 日本 モノクロ
監督:田中徳三 脚本:高岩肇
撮影:宗川信夫 音楽:鏑木創
出演:勝新太郎 田村高廣 内田良平 渡辺文雄 須賀不二男 佐伯勇 上野山功一 杉田康 渚まゆみ 長谷川待子 清川玉枝 藤山浩二 一条淳子 酒井修 豪健司 小山内淳 九段吾郎 中原健 竹山洋介 山上友夫 森田健二 北城寿太郎 橋木力 早川雄三 大川修


2022/4/16/土 録画(日本映画専門チャンネル)
うーん、本作は大宮一等兵と有田上等兵殿のラブがあんまりないわぁ。などと言っている場合ではない!シリーズもいよいよ終盤にさしかかり、敗戦の影が濃厚になってくると、もとからこのシリーズはそうだったけれど……。
戦争というのが、確かに敵はいるし、その敵との激烈な戦いはシリーズを追うごとに本当に飛散になってくるんだけれど、でもそうじゃないのだ。敵は味方の中にいる。直接、物理的に戦っている敵の顔は見えず、本当の敵は、裏切りという名の味方の中にある。

これまでもそうした皮肉はこのシリーズの中に数多く描かれてきたけれど、こ、これは……本当に、ひどい!
でもそういうことだったんだろうと思う。もう敵に勝つとかじゃないのだ。武勲をあげるために。もう戦争に負けることなど彼にとっては判り切っているのだろう。だからこそ自分だけが危険地帯を切り抜け、ついでに出世するために、このクソ参謀は二個分隊を見殺しにした!!

怒りのあまりにメチャクチャな書き出しをしてしまった(爆)。本作のスタートは、目を覆う全滅状態の部隊の救援に来た木崎部隊、そこに辛くも生き残っているのはもちろん大宮と有田上等兵。
死屍累々とはまさにこのこと、兵隊やくざの貫き通すリアリティのためのモノクロームが冷徹にその修羅を映し出す。

いつでも流れ者として生き残る二人は、この木崎部隊に拾われる訳なのだが、数々の武勲をあげ、表彰されている厳格な部隊に、まぁどこに行ってもそうだけど、まず大宮は自由気ままにして大暴れする。
面白いのはこの部隊には日本各地のヤクザ者たちが集結していて、お国訛りも誇らしく、イレズミと通り名を誇らしく告げて大宮にケンカを売るんである。

そもそもこのタイトルはタイトルロールである大宮のことなんだけど、シリーズも深くなってくると大宮がやくざ者だということはもうわざわざ言われず、ただケンカが強い、石頭で殴った方がケガをする、強いものに屈しない、長いものに巻かれない、という誰もが憧れるフリーダムな魅力こそを発散していく。
それを常識人の(筈なんだけど、大宮と一緒にいるとどんどん非常識に外れてくあたりが(笑))有田上等兵がフォロー。

いつものシリーズならもっと二人はべったりなのにさぁ(不満)、大宮が部隊で衝突を繰り返しているのを上等兵殿はもう信頼してほっといているって感じで、彼は彼で、時計修理が上手な青年に話しかけたり、思いがけず再会した小学校の同級生である参謀の様子を窺ったりしている。
上等兵殿はつまり、この後の展開の伏線を、登場人物を通して確認して回っているような役回りなのだ。

この参謀、田沼こそが本作の悪である。演じるのは、ああ!そう言われれば確かに渡辺文雄氏!恰幅のある押し出しのいい存在感が、切れ者、リーダー気質を充満させまくっている。
幼い頃の同級生という有田上等兵殿を演じるだーい好きな田村高廣氏が、端正な、彼に比して言えばちょっと線が細い、文学青年のような趣であるのとはホントに対照的である。

それを言えばラブラブカップル(爆)大宮とだって水と油ほど違う対照なのだが、それとは違う、なんていうのかなあ……もうコイツは人間として、誰とも対照的なぐらい、腐っているのだ。
そのことに、ずっとそばにいる腹心も最後の最後まで気づかなかった。強いリーダーシップを高く評価していたのに、まさかの、まさかの。

大宮と妙な友情関係を結ぶのは、鬼曹長と後に大宮が名付ける岩兼である。岩兼はいかにもな軍人、自由気ままな大宮と衝突するのは当然なのだけれど、内部のつまらない盗み騒動とか、そんなことがきっかけで大宮と一対一の、軍律も何も関係ない決闘だ!ぐらいな対決を言い出した時、あ、この人、全然立ち位置も何も違うけど、実は大宮と似た者同士なのかもしれない、と思った。

充分に殴り合ったところで、田沼参謀が駆けつけ、大宮を叱責する。しかし岩兼は自分たちの問題だと割って入る。
一見して田沼参謀は岩兼の立場に配慮して大宮を叱責したように見えるが、この岩兼の態度で即座に:豹変したのを見れば、もうコイツの浅はかさは一目瞭然である。

表向きはリーダーシップのある上官のように見せながら実は違う、自分に反抗するヤツなんてものは、もはや存在すべきじゃないぐらいのスタンスなのだ。
決闘していた筈の二人が、共通の敵を見つけたけど、どうしよう……みたいに顔を見合わせるこのシークエンスの結末は思わず笑ってしまうが、このことこそが、本作の、そして戦争の、悲惨な一つの結末を予測させる経過なのであった。

このことで大宮は営倉にぶち込まれる。こっそり差し入れなんぞをしていた上等兵殿もくらうんである。その間に孟家屯に増援隊を送る作戦が浮上する。これがねぇ……。

その前に重要な人物を言い忘れてた。張という、田沼参謀の密偵である男。腹心は張がどこまで信頼できるのかいぶかしんでいたが、田沼は口を出すなと一蹴。正直見ている限りでも、田沼が張に対してどこまで信頼していたのか判らない。
張の報告と本部からの報告に食い違いがあることにいぶかしげではあったけれどそのまま張をコマとして動かし続けたのは……双方、判っていて、タヌキとキツネのばかしあい、というところだったのだろうか??

このまま転進を進めるための通過点として、孟家屯は外せない。ゲリラの襲撃がある危険地帯としての認識がありながらも、ここを通過するための勇気あるリーダーを募った。
それに手を挙げたのが岩兼であり、つまりはさ、この時点で卑怯な訳よ。危険なところというのは判らせて手をあげさせてる。でもそれはここを突破して仲間たちを進ませる栄誉ある役目であり、救援があるべき前提、なのだ。最初からおとり、最初から見捨てられるだなんて、思う訳がないのだ。

だから、思いがけない手ごわい敵襲にあっても、まったく救援が来る気配がない、そのまま死守せよ、という通信に岩兼たちの部隊は呆然とした。
そしてその間、岩兼たちの分隊に入れられていた大宮と上等兵殿はどうしていたかというと……まーた、ほら、美女にひっかかっちゃう。

今回は言葉の通じない中国美女。孟家屯のゲリラと死闘を繰り広げた、そこに大けがをしてうずくまっていたのが彼女だったのだった。まさかあの張の妹だなんて、この時には知る由もないし、張が実は裏切り者で、この地でのゲリラのリーダーであり、ウソの報告をして誘い込んだことなんて、そらー大宮のみならず、観客だってビックリしちゃうんである。
この時点で愛する上等兵殿は大宮とはぐれてしまってるしさ。ゲリラたちに捕まった上等兵殿が、なぜか殺されずに木に逆さに吊るされたんですんだのは、張の指示によるものだったんだろうか……。大宮だって結局、解放されるし。

張の妹、秀蘭からの手紙は、実は日本語が出来たのにそれを隠していた彼女からの日本語の手紙は、読み書きができない大宮は読めず、それを懐にしまって、愛する上等兵殿を必死に探し回り、奇跡の再会を果たすんである。

つまりは、秀蘭が負った銃創を二人が必死に治療したことが、大きかったんだろうなあ。そのままでは命にかかわる状態だった。
張は、妹に語ったように、彼らは日本軍に両親を殺され、その恨みできっと彼は、日本語を習得し、日本に忠誠を誓うスパイとなり、でも心は決して売り渡さないまま、虎視眈々と復讐の機会をねらっていたんだろう。そして田沼参謀は、そこまで見抜いていたんだろう。見抜いていて、彼が選択したのは、スパイの裏切りを利用して、味方を裏切ることだった。うわぁ……。

もう、敗戦、なのだ。それは目の前に見えているのだ。皆が、もう死ぬしかないと思っているような状況。「母ちゃんの写真か」「美人だな」だなんて冷やかすも、家族にあてた手紙はもはや遺書だし、検閲でよけいなことも書けない。
そんな状況ならせめて、現代の価値観ならばかばかしいけれど、せめて、お国のために砕け散る状況であればよかったのに。

秀蘭からの手紙、そして上等兵殿がなぜか殺されなかったこと、日本軍をにっくき敵として入り込んだ彼らが、大宮と有田上等兵との出会いでかすかなヒントをくれて、見逃してくれた。
でもそれは、もうホントにかすかな意趣返ししか出来ないんだもの。自身の出世欲で二個分隊を見殺しにしたコイツを、殺したって飽き足らないのに、それさえできない。ボッコボコに殴り倒したって、数十人の命は戻ってこない。しかも、裏切られたという絶望の中で死んでいった無念爆発の命は、戻ってこない!!

ただただ頭でっかちの鬼曹長だと思っていた岩兼と、お互い筋を通しての決闘、まるで子供同士のそんな純粋なケンカみたいな相対をした大宮と岩兼、それを無粋に割いた田沼参謀。
もうあの場面で、すべてが決していたんだなあ。実はゲリラのリーダーとして日本軍を裏切っていた張からの情報で大宮と上等兵殿は岩兼たちが、見捨てられた、おとりにさせられたことを知った。
「あの鬼曹長の死に際を見に行きますか」と大宮と上等兵殿が熱視線を交わしたのが、ああもう……もう、さ、助けられないのは判っていたと思う。その先に、許せる訳がない田沼参謀に対する思いもあったと思う。でも本当に、その腕の中で、無念の死を迎えたのはもう……見てられないよ。

ゲリラとの熾烈な戦闘は、あの寡黙な時計職人の青年が、同僚の時計を直した、その時計が動き出したよ!という直後から始まった。まさか直るとは思わなかったな!と笑い合った直後、ドカーン!!なにこれ、なにこれ……。時間が、未来が、動き出したのに。

このシリーズはね、確かに戦争映画。でも、敵と戦う映画じゃないの。シリーズが深まるほどに、本作の大きな意味を思う。戦争は、敵がいて、敵と戦うんじゃない。自らの中に敵がいる。
だって、誰も戦争なんかしたくない、誰かと戦いたくなんかない。だったらなぜ、戦争が、戦いが、起こるのかと言えば、自らの中に、味方の中に、敵がいるからだ。つまりは、自己の傲慢が産み出すものなのだ。

今現在起こっている事態を思えばまさにそうじゃないのか。かつては、情報分析が自由にできなかった時代は、ただただ、無自覚に巻き込まれるしかなかった。
今、かつての戦争映画、でも、その時代背景からは離れて、未来からの視点で、作り手の、過去の負の記憶へのアプローチであった本作、そしてそれを、更に遠く遠く、数十年後に観て、なのに今も戦争がある今……。

本シリーズに腐女子でキャーキャー言っちゃってる私だけど、確かにその魅力は満載なんだけど、シリーズが深まるごとに、敗戦の影を製作当時の時間軸から分析している答えがこれなのだと感じるのも深いし、いま改めて、兵隊やくざシリーズの意味深さを思い知るんである。★★★★☆


兵隊やくざ 殴り込み
1967年 89分 日本 モノクロ
監督:田中徳三 脚本:笠原良三 東条正年
撮影:武田千吉郎 音楽:鏑木創
出演:勝新太郎 田村高廣 野川由美子 岩崎加根子 細川俊之 安部徹 小松方正 南道郎 丸井太郎 三木本賀代 稲葉義男 守田学 戸田皓久 水島真哉 水原浩一 伊達三郎 橋本力 小林直美 近江輝子

2022/7/16/土 録画(日本映画専門チャンネル)
この作品のラストが、戦争が終わっちゃった、ということは、ああもう、兵隊やくざも終わってしまった。この後に一作あるんだけど、それはもう10数年前に映画館で観る機会があって、まさに終戦後の話だったんだよな。でもそこにはまだ……終わらない戦争があったんだけれど。

本作では、てゆーかシリーズが深まってくると段々とそういう感じになってくるんだけど、大大大好きな有田上等兵の出番が少ない(爆)。
本作では途中、完全に二人は離れ離れになっちゃう。荒くれ者の大宮が自由奔放に動き回れるのは、インテリの有田が策士についているからだ、ってんで、悪徳上官たちが陰謀を巡らして有田上等兵殿を暗号部隊に追い払っちゃう。 それも大学出のインテリが出世を拒んで能力を発揮できないのは惜しいから、というもっともらしい理由をつけて、である。

しかしこれが後々効いてくるんだからそこんところは上手いのだが……おっと、なんか中途半端なところから話し始めちゃったな。元に戻す。
本作ではね、大宮は浮気、いやそう言ったらマジで有田上等兵殿は恋人かっつー話になるが、私の目からは二人は恋人同士にしか見えないもんだから(爆)浮気と思っちゃう(爆爆)。
考えてみればそのお相手は、有田上等兵殿とちょっと似たところがある。悪徳上官どもからは(優秀な軍人である親を持つ)毛並みのいいヤツ、と揶揄されるし、本人も悪所などには行かず、静かに本を読んでいる方がいい、というタイプである。
14歳で女を抱いた、いや抱かれちまったんですよ、と頭をかく大宮に驚き、そのやり取りからするとどうやらこのインテリ少尉はまだ女を知らないらしい……だなんて、ちょっと待ったちょっと待った、なんかまた私、話がヘンなところに行ってるんですけど!

だからこれが大宮の浮気相手、じゃなくて(爆)、愛する有田上等兵殿を差し置いて、この香月少尉殿に心酔しちゃうんだから、やっぱり浮気浮気!!香月少尉を演じるのは、まーこれまた、まーまーまー美しいこと細川俊之。う、美しい……軍隊にこんな幽玄の美青年を置いちゃいかんよ……。
女を知らない、女を知るよりやらなければならないことがある、というには色気が過ぎる美しさだが、でもそう言われると納得してしまうようなまっすぐさがある。それは大宮=カツシンの真逆さに対比するから余計そう思えるんだけれど。

軍隊にはなじまないインテリ美青年という点で有田上等兵殿=田村高廣とタイプの違う美しさなんだけど、妙に共通するところがあり、しかも劇中では有田上等兵と香月少尉はほぼ相対することはないってのが、もー大宮、二股かけやがって!!とかやっぱり思っちゃう。おいー。

傍若無人で自分勝手に見える大宮が、実は義侠心に篤く素直な男だと認めた香月少尉、相撲試合で行司の不正を正して大宮の勝ちをとらせたことで急接近(もう、ラブストーリーにしか見えないあたり……)。
本作では大宮と無邪気な友情を結ぶ同僚も登場、大宮の窮地を香月に訴えるというシークエンスもあり、ますます有田上等兵殿の立場が薄いんですけどっ(爆)。

相撲の勝ち名乗りで得た一升瓶を持って大宮が真っ先に向かうのは、香月少尉の元だしさー。いつもだったら有田上等兵殿と飲み交わすのにさー。
まぁそこで、先述の、女を抱いたのはとか、それよりも自分にはやることがあるとか、実は童貞とか(爆)エモい(ん?使い方合ってる??)会話が繰り広げられるのだが。

最初に言ったように、もう敗戦も見えかけてる。それが象徴するのが、ぼろぼろの軍旗なんである。もはや四角形のワクしか残っていないスカスカである。
数々の部隊を渡り歩いてきた大宮と有田上等兵殿、大宮はこっそり、旗を作るキレも無いんじゃ、ここの出入りも先が見えましたね、と上等兵殿にささやくんである。

この軍旗が、こんなただのぼろぼろの、四角形のワクしか残っていない軍旗が、軍隊のよりどころになってて、クソの役にも立たないのに、これを奪還することに命をかけて、もう戦争に負けるのはトップでは判っているのに、無駄な殺し合いをさ……いや、勝っても負けても無駄な殺し合いなんだけどさ!!

有田上等兵殿が、暗号部隊の研修で得たのは、まさにそのまごうことなき事実であった。
ちょっと先走って言っちゃうと、戦争が終わってしまえば、もう軍隊も意味をなくす。上官だの一兵卒だの、そんなことは何の関係もなくなるから、最後の最後、大宮はまさにその鉄拳を悪徳上官どもにふるいまくるのだが、本作で何度も痛感したように、それはもう後の祭りっていうか、もはや溜飲を下げるには遅すぎるのだ。
その時にはすでに、こんなご時世じゃなければその才覚や魅力で活躍できたであろう、幸せに暮らせたであろう、この場には似合わない人たちはすでに、命を落としているのだ。本作においてはもちろん香月少尉であり、大宮=カツシンの女好きキャラが大いに発揮される慰安所の哀しき女たちである。

彼女たちは総じてなかなかにたくましく描かれることも多いのだけれど、時代ゆえに肺を病んでいたり、女だからと学問、知識欲を封じられたり、何より上前をはねる悪徳上官たちにムリな奉仕を強要されて、暴力まで受けている。
戦争が終わり、ならばと大宮が彼らに制裁を加えたって、もう後の祭り、留飲も下がらない、香月少尉も彼女たちも何にも救われないのだ。このむなしさこそが、本作がエンタテインメントでありながらも反戦映画だと確信できるところなんである。

香月少尉が率いる部隊が向かうところは、もはや死にに行けと言っているような状況だった。
いつも思うけれど、あの戦争から時間的距離が近い時代に製作されている、そしてこの乾いたモノクロームの兵隊やくざシリーズの戦争場面は、……もうなんつーか、容赦なさ過ぎて、命なんて人形のように扱われて、見るに堪えないんだよ。
こうなるのが判っているのに、そしてこの直後に敗戦も判り切っているのに、向かわされる。全滅が判っているのに!!

瀕死の香月少尉からの通信を受ける有田上等兵殿、それをそばで聞いていた大宮が飛び出す。
香月少尉、香月少尉!!と死屍累々の中探し回る様は、なんだか既視感がある。有田上等兵殿の名を呼びながら、死屍累々の中を探し回った大宮(大脱走)のあの場面だ……。

あの時は、有田上等兵殿は奇跡的に生きていた。熱い抱擁をかわして、腐女子はギャー!!と叫んだんであった。でもここでは、もう、香月少尉は、もう……。
んでね、大宮がそれでもムチャにも敵方に突撃するのは、香月少尉の軍旗を奪還するため。記号に過ぎない。しかも、もはやどんな図案だったかもまるで判らない、四角形のワクしか残っていないぼろぼろの軍旗をだ。
それを入隊最初に見て、もうここも長くはないですな、と大宮自身がドライに切り捨てていたぐらいだったのに。記号でしかない、そして戦争が終わっちゃえば軍隊も何にも意味のない軍旗を、命を呈して奪還に行ったのだ。

香月少尉の生きた証という意味合いがあったんだろうけれど、そしてそれが、こんな虚しさであり、大宮自身だって戦争が終わったって知れば、じゃあもう関係ねーだろ!!と暴れまくるしさ。
なんだろう、このむなしさ……。大宮が戦争が終わったというのを知るのは、あの修羅場を潜り抜けて、軍旗を奪還してきた直後、有田上等兵殿たち通信部が暗号解読、通信に使った膨大な紙を、もう必要ないからとドラム缶の炎の中にばんばん入れている場面に遭遇するからである。

このムダ感、紙くず感、戦争自体がそうだと思わされる感。なのに、あんなぼろぼろの軍旗を、それ自体にひとりの軍人の魂を反映させて、英霊だのなんだのと奉るのだ。
それは今の時代から見ての虚しさなのか、当時の感覚でもあったのだろうか。判らない。確かに大宮も有田上等兵殿も、戦争が終わったことにあっさり、そうだよね、みたいな感じで、さあもう、自由だ、引き上げるぜー!!って、ガックリきている同僚たちを尻目に歩き始めるのだけれど、でも軍隊にいる時には、そんな具合に、絶対に意味のない虚しさに時には心を寄せて、よりどころを感じていたりも、したんだもんなあ……。

香月少尉の軍旗を奪還するために一人乗り込み、無数の敵からの攻撃をものともしないのは、いっくらなんでもさ、おめーはランボーかよ、と思わなくもない。なんでそんなに弾当たんないんだよ、って。
そしてそこに、現地住民の女性が流れ弾に当たりうめいていて、その先に泣き叫んでいる赤ちゃんがいる。大宮はその女性と子供を救うために突進する。その様が見えたから、敵方も沈黙して一瞬見守る。

でもやっぱりその後は、この母子を安全な場所に置いた後は、やっぱり殺し合いになっちゃうんだよね。話し合いになんてなる訳ない。見守ってくれた相手も敵に立ち返るから、結局ぶっ殺して、大宮は軍旗を奪還して、帰ってくる。
この描写は、なかなかにキツい。だって、敵方の母子を救うために相手は攻撃をやめた、だけどやっぱり、敗戦がもう決まっていたのにこの時には殺し合うしかなかったなんて、あんまりだ。

それでも、もう死んだと思った大宮を、ボロボロになって帰ってきた大宮を、熱い抱擁で迎えてくれた有田上等兵殿に、もう腐女子は死にそうなぐらい悶絶するし、その直後に、ドラム缶でムダ書類をボンボン焼いちゃう爽快さよ。
その後には先述したような、留飲の下がらぬ報復もあるんだけれど……いいよ、もう、二度と戦争はやらない!

ひまし油をちょろかまして作った天ぷらで一隊全員腹下しちゃったり、文学好きの慰安婦との会話に手こずったり、カツシンのチャーミングさは、数ある彼のシリーズの中でも母性本能バクハツしちゃう魅力。
女にも、上官にも、公平にラブを感じちゃう、しかも何人も並行にって、何それ!ズルい!!有田上等兵殿だけにしてほしい!!!★★★★☆


ベイビー・ブローカー ???/Broker
2022年 130分 韓国 カラー
監督:是枝裕和 脚本:是枝裕和
撮影:ホン・ギョンピョ 音楽:チョン・ジェイル
出演:ソン・ガンホ カン・ドンウォン ペ・ドゥナ イ・ジウン イ・ジュヨン イム・スンス

2022/7/13/水 劇場(TOHOシネマズ錦糸町楽天地)
全然情報を入れていなかったので、赤ちゃんポストと聞いて即座に、日本の赤ちゃんポストの病院を舞台にしてて、ソン・ガンホはそっから盗み出して韓国に赤ちゃんを売りさばくとか、そんな話なのかと思い込んでいた。それにしちゃあ予告編に日本人役者は出てこないなあ、なんて(爆)。
劇中では赤ちゃんポスト、ではなく、ベイビーボックスという言い方をしている。赤ちゃんポストというのはあくまで、日本人観客を意識した、あの場所を共通認識として持っているがゆえに興味を持たせるためだったのだろうかと思う。

身寄りのない、親に捨てられた、あるいは虐待されたとか、子供を育てることができない親たちの元に産まれた子供たちの抱えた、壮絶な自己問答に接した監督の想いに接すれば、更にその核心は強くなる。
もちろんこれは劇映画だけれど、もともとはドキュメンタリーの作り手であった監督が、ドキュメンタリズムな演出方法で観客の度肝を抜いた出世作「誰も知らない」といい、やはりその根底には社会と接するジャーナリズム精神がメラメラと燃えていることを改めて思い出させた。
もちろん毎回の作品にそれは感じてはいたけれど、本作は何か、そういう意味では原点に立ち返ったかのようにさえ、思ったのだ。

そういう意味では、監督が「可愛いから」起用したと公言し、まさにそのキュートさでワレワレをメロメロにしたぺ・ドゥナを迎えた「空気人形」だけが(だけ、と言い切ってしまうのもアレだけれど)是枝作品の中で、まさに彼女の可愛さを映したいがために作り出したファンタジーだったように思う。
もちろんその中にも社会性は潜んでいるけれども、でもそれでも、あの時の、あのぺ・ドゥナが、クールな女警察官として是枝作品に戻ってきたことが、もうこんなワクワクすることはないのだ。そもそも彼女はそのキュートな魅力の一方でハードな演技派としてワレワレのドギモを抜き続けた稀有な役者だったのだから、こうして是枝作品にホレボレする女丈夫として、実に13年の時を経て再タッグしてくれたことが嬉しくてたまらんのであった。あーだって、あの作品を観た映画館も今はなくなっちゃったんだもん!

おっと、ぺ・ドゥナ愛があふれて先に進まん。そうよそうよ、ソン・ガンホを主演に迎えるだなんて。もう思い出しちゃうわよ。日韓文化が解禁されて、まず送り込まれた「シュリ」、まさにあの時だった。
お隣なのに何にも知らなかった韓国文化、その中でまず入ってきたのが映画で、乾ききった砂漠の中に水がどんどんしみ込むように、恐るべき韓国映画の才能にただただ圧倒されていった、落ち着くまでに数年かかったほどの衝撃を思い出す、その最初の作品で、「シュリ」ですでに、ソン・ガンホがいたんだ。
それからずっと、彼の活躍をリアルタイムで見続けていたんだと思うと、なんかもう、歴史!!って思っちゃう。そのソン・ガンホがまさに満を持しての是枝作品参戦。マジ泣くわ。

彼が演じるのは、さびれたクリーニング店の店主、サンヒョン。クリーニングだけではなく、服の修繕も行っているという、昔ながらの職人。そのことが示されるのは、冒頭の、衝撃的な赤ちゃん強奪の後なので、一体この人は悪人なの、善人なの??とコンランする。
そもそも彼は赤ちゃんの人身売買という悪に手を染めるようなったきっかけはなんだったんだろう。かなり件数を重ねたベテランのように見える。顧客には事欠かないんだから。借金のためにやっている裏稼業、その借金はなんでこさえちゃったのか、言ってたっけ。なんか途中結構ねむねむになっちゃって(爆)。
とにかく、サンヒョンは離婚経歴アリ、後半、別れた妻との間に生まれた娘と会う切ない場面が用意されている。借金の取り立てに来るのはコワーイヤクザさんで、そのヤクザさんの舎弟に入っているのが親戚の男の子であることを知ってサンヒョンは愕然とする。

後から考えてみれば、いろんなしがらみの伏線が敷かれている。サンヒョンはお人よしで、自分では親稼業を全うできなかったから、この親戚の子を何とかしたかったんだろうかと思ったりする。
そこから考えれば、行き当たりばったりの出まかせに思えた、大事にしてくれる夫婦に引き渡す慈善行為だ、という言葉も、あながちウソじゃないというか、犯罪の、金もうけの言い訳に過ぎないにしても、他にいくらでもリスクの少ない儲け話はあったに違いないのに、こんな危ない橋を渡ったのは、サンヒョンの根底にそういう思いがあったからなのでは……とか思っちゃうのは甘い考えだろうか。

サンヒョンの相棒となる青年が、そんな思いを更に加速させる。ちょいと坂口健太郎似の塩系美青年、カン・ドンウォン君演じるドンスは、児童養護施設出身、まさに親に捨てられた彼が、親に捨てられた赤ちゃんを売り飛ばす商売をしている。
だからこそ、そんなやさぐれた事情を仮面にして、実際は彼こそが、幸せに暮らせる夫婦の元に赤ちゃんを送り込むために、この犯罪に手を染めているんじゃないかと、思っちゃうんである。

これは、マジック?騙されてる??だって、サンヒョンとドンスがこれまでに、どういう引き渡し方をしたかなんて、判らないのだ。ただ、高く買ってくれる相手に、そもそも裏ルートなんだから、そんな人道的なことなど考えずに取引していたと思う方が普通だ。
それが今回は予定外だった。情報を得て二人をマークしていた警察、ベイビーボックスに捨てに来た若い女性は、思いがけずその後すぐに、引き取りに来た。でももうサンヒョンたちが奪った後だったし、記録も消されていて、事態がややこしくなった。

母親であるその若い女性、ソヨンと、サンヒョン、ドンス、赤ちゃん、そしてドンスが育った施設で暮らす傍若無人な男の子が途中から参戦してくるロードムービーなんである。
ソヨンの事情は後々、思いがけず深刻であることが明らかになる。彼女もまた家を飛び出して、売春生活に入ってここに至る事情を持つ。ソヨンは客との間に子供をなし、産むことを選択したことで売春宿の“お母さん”とも、もちろん客ともトラブルとなって、その客を殺してしまうという事態にまで至っている。

事件としては、そもそもこの違法な売春宿、女の子たちにお母さんと呼ばせて、いわば洗脳状態で売春させていたから、みたいな判りやすい図式で警察は踏み込むし、それを裏付けるような“お母さん”のふてぶてしさと、ごちゃごちゃと不衛生な売春宿の様子にしても、裏付けアリアリな雰囲気は満点だった。
どこかに原因や、責任を一手に引き受けさせなければスッキリしないような気持は人間社会には確かにある。そうとはいかないのが判っていても。ソヨンに関してだって、複合的な要因があった。お母さんのところに行く前から売春してたから、と蓮っ葉に言い放ったのが、それを端的に物語ってた。

どんな事情で、どんな経過で産まれた子供でも、そんなことは関係なく、生まれる命に優劣など、産まれなければ良かった命などある訳がない。きっと監督は、この信念のもとに本作の製作をスタートしたのだと思う。語られる言葉からは、その固い信念をひしひしと感じる。
一見すれば当り前な誠実さに見えるが、これが……。本作の事例のように客のとの関係で、不倫で、またもっともっと深刻な例では……、レイプで妊娠してしまったら。その相手が親兄弟だったりしたら。
本作ではソヨンが相手を殺してしまったことで、殺人犯の子供になってしまうことを慮って、ベイビーボックスに託す、という経過である。犯罪者の子供として産まれた、という後付け要因まで含めれば、一体“許される子供”ってのはどんだけ完璧じゃなきゃいけないのだろう??

レイプで妊娠してしまったら、というのは、彼らの取引の中で、まさかレイプじゃないでしょうね、という台詞が出てきて、震えてしまったんであった。そこには、そんな穢れた血、とか、あるいはもっと残酷な、そんなんで妊娠してなんで中絶しなかったんだよ、みたいな、冷酷な視線を感じるから……。
でも、判らない、判らないよ。私はフェミニズム野郎だから、認知されない妊娠や、レイプによる妊娠によって苦しむ女性に産めなんて言えない。でも一方で、それこそ生まれる子供が女の子である可能性がフィフティフィフティだから、女の子として、楽しい人生の可能性を持った赤ちゃんを産んでほしいと思ったり(男の子の場合を考えてないあたりが……)、元が不倫でもレイプでも、あなたの命はあなただけのものと言いたいし!!そうだと思うし!!その勇気が本当に私にあるのか、自信は正直、ないんだけれど……。

でもさ、是枝監督が、親から育児放棄された子供たちへの取材から、この作品を作らなければと思った強い気持ちって、きっとこんな私の気持ちに遠くないと思う、思いたい。
私はさ、すっごく無責任。気楽に暮らしてる独女だし、私にできることなんて、何もないのかもしれない。でも、こうして、信念のある作品を通して感じたことをつぶやくことは、出来るじゃない??

年若くして思いがけない出産をしたソヨンが、不安しかなくて赤ちゃんを捨ててしまったこと、でもそれに後悔して、自分で育てる自信はないけど、せめて幸せになれる養父母の元に“売られる”のを確認したい、という着地点。
こう書いてみると、なんたって是枝作品だし、あのソン・ガンホを主演に迎えてだし、壮大な社会派、まあそれはそのとおりなんだけれど、なんというか……凄くパーソナルな、一人の女の子の、自分自身でも思いがけなかった罪の意識と母性が後押ししていくロードムービーでさ。

そう、ロードムービーなんだもの。途中から、ドンスをお兄ちゃんと慕うサッカー少年が参戦して、洗車マシンで窓開けちゃったり、赤ちゃんのミルクシフトに僕やる!!と手を上げたり、なんかもう、なんかもう……家族、なんだもん!!
本作はさ、家族、そうね、なんだろう、誰かが、この場合は、観客かも知れないし、作り手である是枝監督かも知れないけど、こんな家族がいい、こんな家族の下で暮らせたら、というスタンスだったのだろうかと思う。

当然彼らは捕まる。でもサンヒョンは逃亡する。それは、この事件に関わった親戚の男の子を救いたいがために、危険な戦線離脱をしたんである。
ぺ・ドゥナ嬢扮するスジンの説得もあって、ソヨンは殺人罪の自首に応じる。赤ちゃんはどうなるのか……ラストでは、服役中はスジン夫婦の元に預けられ、ソヨンが育ててほしいと望んだけれど同じく罪に問われた売却側の夫婦とも交流を得られてて、もうすぐ出所のめどもついている。サンヒョンの行方は判らないまま。

産まれなければ良かった子供なんて、ない、と言い切るには、どんな材料が必要なのかと思ってしまった。だってベタに、俗にいえば、単なる交合じゃん。不倫だから、レイプだから、殺人犯だから。その考え方にふと、めちゃくちゃ飛躍なんだけど、いわゆる高貴な血、言ってしまえば皇族、天皇、みたいな!(言っちゃった!!)ことを考えてしまって。
不敬ですかぁ?でも結局はそういうことでしょ。高貴な血で生まれても、ぶっちゃけレイプの血で産まれても、同じ命で、どんな面白い才能が産まれるか判んないんだよ、ってこと!!(言っちまった、ギャー!!)★★★★☆


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