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「ひ」


2022年鑑賞作品

引っ越し大名!
2019年 120分 日本 カラー
監督:犬童一心 脚本:土橋章宏
撮影:江原祥二 音楽:上野耕路
出演:星野源 高橋一生 高畑充希 及川光博 小澤征悦 濱田岳 松重豊 西村まさ彦 山内圭哉 飯尾和樹 正名僕蔵 富田靖子 丘みどり 向井理 岡山天音 ピエール瀧 和田聰宏 松岡広大 中村靖日 矢野聖人 斉藤暁 鳥越壮真


2022/12/5/月 録画(時代劇専門チャンネル)
公開当時、なぜチョイスしなかったんだろ。なんとなくおちゃらけ時代劇だと思ったのかなあ。確かに宣材写真はかなりポップな感じで、人気者、星野源氏のスター映画のような感もあったかも。
でもこれが、これがこれが、驚くほど見ごたえがあった。何か所も、思わず涙ぐんでしまうようなエモーショナルな展開もあった。それでいて基本、確かにパッケージの印象通り、軽やかに笑わせてくれる。

そして何より、星野源氏はこのかたつむりなる書物狂いの片桐春之介を、彼のチャーミングさ全開でピッタリである。最初は日の光を浴びるのさえ怖気づくような、言ってしまえば書庫引きこもりの青年、いかにも頼りない、“純潔”(つまりドーテーだな)だったのが、引っ越し奉行に任命され、様々な難局にさらされ、どんどんたくましくなっていく。

書庫引きこもり、つまり本大好きってのが、なんとも心惹かれるキャラクターなのだ。厳しい引っ越し事情に、他の藩士に無理を強いるのに自分だけが優遇されてはならんと、泣く泣く大量の書物を処分するのだけれど、それを四日かかって中身をすべて頭に叩き込み、青い顔してぶっ倒れる、とかサイコーである。
本好きにとっては、本を焼くなんて、そうしなければいけないなんて、ツラすぎる。あれ、ヘンなとこから入っちゃったかな。でもやっぱり春之介の人物造形はこれだもの。

そして引っ越し奉行に任命されたのは、てかそれは、幼なじみのこちらは肉体派、鷹村源右衛門が勝手に推薦した訳だけど、でもさすが幼なじみにして親友、彼には春之介が適任、うってつけだと判っていたのだ。
ただ、なぜうってつけなのか、イマイチ知能が回らない彼にはうまく説明できないし、だから春之介も自分の才能を開花できなくて、切腹じゃ!!と言うところまで追いつめられる。

でもそれをひも解くのが、かつての引っ越し奉行の娘、当然後に春之介と夫婦になる、可愛い可愛い高畑充希嬢扮する於蘭(おらん)。
彼女の保有している、亡き父がつづった大量の引っ越し指南書、つまりはマニュアルなのだが、本好きは、活字好きでもある。活字であれば何でもむさぼり読んじゃう。
風邪薬の説明書でも、新聞の業界雑誌の広告でも、とにかく活字が読みたい。だからこの、どさっ!!!と積み上げられるマニュアルにもう胸アツなんである。

この膨大な活字の中に、すべての世界が詰まってる。それは、時代劇=チャンバラと思われがちなところから遠く離れている面白さ。それが近年、「超高速!参勤交代」や、「殿、利息でござる!」などなど、秀逸なアイディアの作品が続々出ているってこと……あれ、だったら私、何で素直に本作に足を運ばなかったのかしらん。

春之介が於蘭を訪ねても、彼女の父親は使い捨てのようにされ、無念のうちに死んでいったもんだから、けんもほろろだった。しかしそこは、そもそも於蘭を春之介に紹介した源右衛門がとりなす。
高橋一生氏扮する源右衛門は、肉体派、は色恋の方にも波及していて、でもなんつーかね、彼はとりあえずイイ女なら見境なく声をかける、本気なのかどうなのか、春之介と於蘭が上手く行っちゃったことに表面上はメチャクチャ悔しがるけど、実際は、彼はみんなのアイドル、それこそ春之介の母親やその周辺のおばさまも彼に夢中(爆)。
こういう気のいい男、いるんだよなあ。女にモテモテなのに、友達が大事で、でも表面上は遊び人を気取ってて、みたいなさ。

どうもうまく解説できない。そもそもさ、これ、それなりに実話というか、ミッチー演じる松平直矩という実在の大名さんがそもそも。マジでか!実際、こんな風に何度も何度も国替えを命じられたお殿様。実際、男色というのもあったのだろうか……気になる。

展開の中では国替えはメインのものも含め実に三度にも及ぶのだが、そのメインの国替えの原因、というか、心当たりってーのも、男色の、プライド傷つけられて―の、逆恨みでーの、な展開なんである。
その原因の柳沢なる江戸幕府の将軍側近を演じるのが向井理氏。ミッチーに色目使って袖にされ、キー!!となっての……この二人の×××も見たかったけど(爆)。そして直矩のそばには常に美青年のおつきが控えているし、なんたってミッチーだし、うわー、気になる気になる!!

……落ち着け、私。本作はなんたって、江戸時代の、政治的、軍事的駆け引きに使われたる国替えという名の強制引っ越し、しかもそこには、石高の上げ下げも関わり、藩士たちの先行きもかかわってくる。
これは何か……現代の就職事情にも重ね合わされるような深い問題。石高が減らされるから、抱えられる藩士の数も減らさなくてはならない。つまり、リストラである。

それを、この引っ越し奉行に任命されなければ真っ先にリストラされてそうなかたつむりこと春之介が担わなければいけない辛さ。
リストラに納得してもらわなければいけないし、春之介の真摯なスタンスに共感して次から次へと協力者が現れる中に、彼にヒントを与えてくれた人がいたのだった。この後ふんばって、認められれば、加増される国替えのチャンスもあるのだと。

この国替えには、裏切り者が関わっている。国替え、減俸とくれば、リストラされる藩士たちに恨みが生じる筈。そこを突く筈だった、んだけれど、春之介は真摯に勤めていればいつか叶うかも知れない加増の可能性に賭けた。
ただクビにするのではなく、百姓としてこの地に残り、加増がかなった暁に呼び寄せる時まで待ってほしいと、説いた。説いた、というか……。

春之介がクビを切った、いや、一時百姓になってくれと頭を下げた人たちは、むしろ優秀な人たちだったのだ。家族がいない人たち、というのはそうだったんだろうけれど、それだって色々事情がある。でもそれでも、春之介は、この人はと思っての説得だったし、ただ数だけで、斬って捨てたくはなかったのだ。
それこそね、活字もそうだけど、数字も、である。本作はなんたって、予算がない中での国替え=引っ越し、引っ越し自体にも予算が少ないのに、引っ越し先での減俸まで言い渡されちゃうんだもの。人員削減は必須な訳で。 春之介を陥れようとした内部の裏切り者は、このリストラで当然ウラミが噴出すると思っていた。春之介が、単純に切っていたらそうなっただろうが、春之介がそんな非情なことを出来る訳がなかった。

加増で呼び戻せるまでに、実に15年かかっているし、加増になったら必ず呼び戻しますという、こんなワカゾーの言うことを信じられるのか、って。でもそこは星野源氏だからさぁ。足りない資金を町の商人に借りに行く談判でも、春之介は、さらけ出すのよ。
土下座して、いや、土下座が重要じゃない。彼の目と、訴える言葉と感情。それを商人の和泉屋の主人は受け入れる。岡山天音氏の「あれはちゃんと金を返す男の土下座だ」という言葉が心に染み入る。

個人的にメチャクチャ心に染み入るのは、ピエール瀧氏扮する北尾である。彼はこの沙汰に本当に苦しんで、春之介に刀まで振り上げて、でも、飲み込んだ。そして15年経って、彼は、百姓としてこの地に留まることを決めたのだ。
きっと、そういう人たちが、一定数いるだろうな、と思った。なんていうかさ……いつか呼び戻す、っていうのは、確かに約束の出来ないことだったけど、そういうことじゃなくて、春之介を信じていなかった訳じゃなくて、違う人生を、違う生き方を、思いがけず得た。

帯刀したサムライであることしか考えていなかったけれど、その土地に生き、出会いがあって夫婦になって子をなして、大地を耕し、糧を得る。春之介が、彼らに提示した土地、単純に、いわば無理強いに、この草ぼうぼうの山の土地を開拓してくれと、言ったのだ。
国替えも途中もう一度はさみ、ようやく加増が認められ、百姓として留め置いた彼らを迎えに行った春之介が遭遇する予想外の、でもメチャクチャ嬉しい展開。眼下に広がるみずみずしい、透明な、美しい棚田の風景。草ぼうぼうの、ここを開墾するのか、と呆然とするような土地を、唖然とするほどに見とれてしまう棚田の風景に彼等は作り上げた。そして、四十人ほどがここに残ることを決めた。刀を返納して。

人生、まさにここに人生がある。特段何事もなくお仕えしている藩士ならばこんなことは起こらない。眼下に広がる美しく緑色に透明にきらめく棚田を見ちゃったら、ああ、ここに、人生がある、とそら思っちゃうでしょ。
六百人百姓として従事していた中で、この地に決意をしたのは四十人でその田畑を分配する。逆に長者ですよ、と笑った。

城の明け渡し、交換の儀式。城というより陣屋じゃねぇかよ、と毒づくほどの狭さ。呼び寄せる藩士、迎える春之介たちの喜び。
春之介は於蘭と一緒になり,子をなした。そのことを、辛さを強いたことを、山里一郎太(小澤征悦)に詫びた。自分ばかりが安穏と暮らしていたと。山里は春之介が最も信頼して、百姓たちをまとめあげてほしいと頼み込んだ人。彼は、言ってくれた。待つ身より、待たせる身の辛さを、慮ってくれた。そして、自分も子をなしたぞと、背後を振り返って、笑った。

国替えの地に向かう道中、隠密たちに襲われるシークエンスが大好き。無事すべてを完了したのに何か物足りなさげな源右衛門が、隠密たちが現れたとたん、うろたえる春之介たちを尻目に、フゥー!来たー!!と大喜び。高橋一生氏のめちゃくちゃカッコイイ立ち回り、あり得ない強さに胸がすいちゃう。
そしてここで裏切り者が誰かも判明するし、ケチ藩士の大事にしていた伊万里の皿をぶん投げて応戦しちゃう楽しさと言ったらない。毛色の変わった時代劇でも、やっぱりチャンバラの楽しさは最高。いやー、見ごたえあったなあ。

道中の、野村萬斎氏が手掛けたという引っ越し唄の楽しさ、飼っていた三毛猫、タマもちゃあんと風呂敷包みから顔を出して、連れられているのがめちゃくちゃ萌えた。判ってるぅ!

ラスト、直矩がこの15年の間に亡くなった藩士たちの名を刻んだ石碑と、帰農して返納された数十本もの刀に涙する。国家老に任命される春之介はもはや、あのかよわいかたつむりじゃないのだ。おかえりなさい。お殿様にそう告げてラスト。いやぁ、なんと胸アツ。これはスクリーンで観たかったなあ。★★★★☆


ひとくず ディレクターズカット版
2019年 117分 日本 カラー
監督: 上西雄大 脚本:上西雄大
撮影:前田智広 音楽:ナ・スンチョル 吉村ビソー
出演: 上西雄大 小南希良梨 古川藍 徳竹未夏 城明男 税所篤彦 川合敏之 椿鮒子 空田浩志 中里ひろみ 谷しげる 星川桂 美咲 西川莉子 中谷昌代 上村ゆきえ 工藤俊作 堀田眞三 飯島大介 田中要次 木下ほうか

2022/2/14/月 劇場(渋谷ユーロスペース)
国内外の映画祭で絶賛されてるっつーと非常に言いづらいのだが、自分に正直に言うしかない。こんなひっどい映画、観たことない。ディレクターズカット版とまで出てアンコール上映にまでなっているんだから評判が高いのだろうが、正直言って信じられない。
長い。盛り込みすぎ、芝居がクサすぎる。それら余剰のもりもりが、大事な大事な、この重大な社会問題を安っぽい下町フィクションに突き落としてしまっている。
児童虐待という大問題を伝えなければいけない、という想いが判りすぎるほど判るだけに、ならばなぜ、その問題をリアリティをもって描写し、その問題だけを見つめなかったのかと理解に苦しんでしまう。

うわー、監督主演、なんだ。リキ入ってるのが判るから余計に言いづらい(爆)。監督さん扮する主人公、金田を筆頭に、出てくる人出てくる人みぃんな声張り上げてのやさぐれ芝居。
この物語は二つの虐待の現場が並行して描かれ、次第にそのうちの一つは現在進行形ではなく、金田の幼少時代を描いていることが明らかになってくるのだが、そのことにまるで気づかないぐらい、おんなじ雰囲気。まるで児童虐待はこうしたやさぐれ系の環境、男にすがらなきゃ生きてけないオミズ系母親の元にしか発生しないと言っているみたい。

アイロンやタバコを押し付けられた跡が生々しく残っている、というのはそりゃまあ実際の事例にもあるんだろう。でもこんなワーワーうるさく芝居している大人たちに怯える子供たちには、それぐらいの残酷な傷を負わせなければ対抗できないてなぐらいのわざとらしさになって逆効果もいいとこ。
しかも子供たちも次第に、そう、最初のうちは怯えるばかりだったのが、後半になってくると大人役者のワーワー芝居に対抗しなきゃとでもいうように、吠えるように泣き叫んじゃって、この問題が持つデリケートなものもぶち壊しもいいところなんである。

なんでこんなに物語モリモリにしちゃうんだろ。殺人、売り飛ばし、恋愛、疑似親子関係、ヤクザによる脅しでの逃亡計画、結婚を目前に逮捕、そっから10年経っての妻となり娘となる筈だった二人との再会、そしてこともあろうに、金田が最初の殺人に手を染めたその理由となった母親とも再会させるというてんこ盛り。
もう児童虐待なんかどっかにふっとんじゃう。ただでさえ怒鳴り合うクサ芝居に疲れ果てていって、もういいよ……と思っていたところの、涙の別れの後の、母親との再会て。これはないだろ……。

まぁ私だってさ、児童虐待の実態についてそんな詳しい訳でもないさ。ただ、よく言われる、子供たちはお母さん(不思議とお父さんというのはないのだ)が大好き。どんなにひどいことされても、お母さんは絶対なのだという言われ方がね、それはそうなんだろうけれど、本作はそれを、はき違えた方向に導いている気がして仕方がないのだ。

金田は母の恋人に虐待を受け続け耐え続けていたのに、この男を殺す勇気が出たのは、母親が騙されて、売り飛ばされるという段に至ったからなのであった。「淫売屋に売り飛ばされる」っつー台詞は、金田の少年時代にしたって、い、淫売屋って、と谷崎あたりの時代の小説を読んでいるようなアナクロニズムを感じちゃう。
結局全編に渡ってそうなんだよな。親子とは、愛情とは、家族とは、みたいな価値観に、すっごい古い、家父長制度時代の理想を持ってきてるから、なんかおかしいのだ。

お母さんが大好き、その気持ちに縛られてしまうという苦しみが子供たちを苦しめるのなら、そこから解き放たれなければ真の解決は得られない。
なのに本作は、金田が助ける母子が、親子としての愛情を回復し、金田当人も、先述したように、二度と会うこともない筈だった母親と、彼女たちの導きで再会、涙を流すという、一見感動的なラストで終わる。
これは……ないんではなかろーか。どちらも、絶対に、ないと思う。子供を虐待してきた母親が、改心する訳がないとまでは言わない。でも、本作のスタンスでのそれは、あまりにも無理がありすぎる。

金田は空き巣に入った筈が閉じ込められた女の子、鞠(まり)がいて、自身の経験から即座に状況を察して関わっていくことになる。そして、鞠の母親、凜の恋人が虐待をしていることを知り、もみ合ううちに彼を殺してしまう。
死体を山に埋め、焼肉を食べに行ったり、鞠を学校に行かせたり、その先のいじめっこを制裁したり、ヤクザに脅されたり、そのために引っ越しを決意したり、誕生日祝いをしたり。

あーもう、盛沢山すぎる。鞠がどんなにひどい目にあっても母親が大好きだから離れられない、という深刻な問題を、盛沢山エピソードの中で埋もれさせ、なんかいつのまにやらママと一緒で楽しい、金田と一緒で楽しいとなって、じゃあ結婚すっかって、何それ。

凜が苦悩する、自分自身が親に虐待されていたから、どう子供を愛したらいいのか判らないという、これぞの大問題を、結局金田もそうだから黙り込むっていうところからの展開こそが大事な筈。
自分がされて、本当に苦しんだことを自分の子供にしちゃうという悪循環は、本当によく指摘されるところで、二人ともにそれを課しているのだから、これは精神的にもかなり深く苦しい掘り下げになるかと身構えたが、なんかあっさり誕生日プレゼントとケーキとごちそうで解決しちゃう。

何それ。しかもその場に、金田が凜の恋人を殺した容疑で刑事が踏み込み涙の別れ。
「カネマサ、パパになってくれるんじゃなかったのー!!」と鞠が絶叫、ギャン泣きするという、とてもとてもほろり涙とはいかない大仰さ。

そもそも、引っ越しはどうなったんだよ……。
凜の恋人を殺して山に埋めちまったことで、その彼氏さんを使っていたヤクザさんたちが凜の元に押しかけ、さんざんにいたぶるものの、金田を張っていた古くからの知り合いの刑事さんたちによって一度は追い払われる。
これは遠いところに逃げるしかないと荷造りまでしていたのに、結婚すっか、みたいな流れで幸せモードになっちゃったらうやむやになっちまう、っておいおいおい。

結局はその後の展開、金田が凜の恋人殺しで挙げられるシークエンスに持っていくために、しかもそれが幸せの絶頂、鞠の誕生日祝いの準備をしていたその日に、という浪花節ドラマチックを涙涙で盛り上げて、何事もなかったかのようにスルーする。
マジで忘れちゃったんじゃないかと疑っちゃうぐらい、つまりはさ、ドラマチックになればいいぐらいの余りの単純さに、満ち満ちているんだもん。

このヤクザさんたち、ボスが木下ほうか氏というビッグネームで、彼はこんな出来上がりになるのを知ってか知らずか、なんか楽しそうに漫画チックなヤクザの黒幕を演じてて、皮肉にもそれが本作の安っぽさに一役買っちゃってるんだもん。

凜はあれだけ、どうやって鞠を愛したらいいのか判らないと言い募り、自分も殺したらいいと金田にくって掛かるぐらいの勢いだったのに、鞠の誕生日パーティーを準備するあたりから愛情たっぷりに鞠を抱きしめて、今までゴメンねとか言って、鞠も嬉しそうにママに抱き着いて、カネマサがパパになるの?と無邪気に喜ぶんである。
おいおいおい、やり方判らん人がなんかあっさりなんのきっかけもなくやり方習得しとるやんか。おめーはそもそも、玄関ドアに南京錠をかけて、恋人と何日もしけこみ、電気も止められ、娘を餓死寸前に追い込んだんだよ。そんで帰ってきたらカギが壊されていることに激怒、そこかよ、と思うぐらいのキチク母親。

つまりは彼女はキチク恋人に洗脳されていたという、これまた重要な問題があるのに、金田にひとつふたつ怒鳴り散らされ、言い返しているうちにほだされて愛情回復、ってなんじゃそりゃ。
それが説得力がある描き方なんならいいよ。でも先述したように、もうとにかく、クッサい、観るに堪えない芝居のオンパレードで、Vシネのネオやくざもの、いや、そんなこと言ったらしっかり世界観を大事に作ってるVシネに失礼、それのバッタモン的雰囲気。画はやけにスタイリッシュに、マットな色合いで妙にカッコいいだけに、余計見てられない。

私はね、結局はお母さん大好きから逃れられなくても、でもやっぱり、そんなクソ親は捨て去るべきだと、その展開に導くべきだと思ってる。
もちろん親側にも事情があって、それは大抵、本作で描かれたように、彼ら彼女らが苦しんだ事をなぜか自分の子供にもやってしまうという、これぞ国で、いや世界で解決しなければならない謎の悪循環なのだろう。

でもだからと言って、情状酌量は許せない。この悪循環を断ち切るためにも、虐待を受けた子供と親は引き離さなければ、真の解決は得られないと思うし、こんな風に、本当は子供を愛していたのにごめんね、なんていう決着を、しかも二例も出してしまうのは、絶対にダメだ。
だってそんな解決がなされないからこそ、この問題は根深く、なくならないのだし、やっぱり親子の愛情は永遠だよねーみたいなノー天気な決着されて、そんな作品が絶賛されちゃったら、逆効果もはなはだしい。
そうなのかと苦しんで、親を断ち切れなくて、さらなる悲劇を産んでしまう原因を作ってしまったらと思うと、本当に恐ろしい。だってこれが、大絶賛されちゃってるんだよ??

今、現在進行形で社会問題、国際問題になっていることを取り上げることが、どれだけデリケートで、重要な責任があるのかを、本当に考えていたのかと、どうしても思ってしまう。
児童虐待の深刻さを描くなら、人を殺して山に埋めたり、ヤクザに脅されたり、空き巣の描写や何で足がついたかなんてことを展開する必要があるのだろうか。

そうした、いわゆるドラマ要素を足せば足すほど、そして役者さんのモリモリの絶叫芝居を足せば足すほど、本当に苦しんでいる、虐待にさらされている子供たちの問題がヤクザエンタメの一要素に貶められ、家族が賛美され、何一つ解決されないどころか、虐待されている子供たちがその毒親から抜け出せない構図をわざわざ作ってしまっている。
オトナも苦しんでるんだよという方に重点が移っちゃってて、子供のアイデンティティなど本作では考えもされていなくて、ただ、弱く、ママ、ママとすがりつくだけの存在でしか描かれていないのだ。

ただ子供、それだけなのだ。虐待されている子供が、いや、どんな子供でもだ。一人の人間であり、考える一個体であり、ただただ、ママを愛するがゆえに苦しみに耐えている存在ではないのだ。
ああそうか、私、こんなにイラッとしているのは、クサい芝居や、余計なモリモリエピソードではなく、この一点だったのだ。子供たちを、大人の都合のいい言い訳にして終わっていることこそが、一番腹が立ったから、こんなにこんなに、サイテーだと思ったのだ!!★☆☆☆☆


人妻の湿地帯 舌先に乱されて
2020年 70分 日本 カラー
監督:工藤雅典 脚本:工藤雅典
撮影:村石直人 音楽:たつのすけ
出演:希島あいり 並木塔子 麻倉ゆあ 関幸治 折笠慎也 古本恭一

2022/7/29/金 録画(日本映画専門チャンネル)
記憶喪失っつーのはさんざんに使い倒されて、ヘタすればかなり陳腐な物語になる危険性があるけれど、本作は夢魔といった言葉がふと頭をよぎるような、あるいはラショーモナイズかもしれないという視点の変換があったり、結局妄想、夢オチなのかとはぐらかされたりといった、幻惑的な構成で飽きさせない。

タイトルの湿地帯、というのが、その湿度が、ぬかるみ感が、異次元感覚を強くさせる。湖なのか、死んだような水面に長く通路が張り出した(あれはなんて言うんだろ)、乾いた色味の水際は、物語中何度となくキーポイントとして現れる。
そこは彼女が自殺未遂をはかった場所だったのか、はたまた夫が猟銃を抱えて彼女をねらった場所だったのか、あるいは……。

物語は、ヒロイン、陽子が手足を拘束され、赤ワインを飲まされ、レイプされる場面から始まる。
ピンクだからレイプの残酷さよりむしろ彼女が感じているかのようなエロだが、後から考えれば、それはピンクだからという衣をまとって、そもそもこの記憶さえ本当だったのか、彼女が妄想したのか、捏造したというのが一番正しいのかも、とどんどん受け取るこちらの感覚が変わってくる場面。
だから、顔の見えない男にムリヤリ犯されているのに、“ピンクだから”なエロ優先のソフト拒否が、後からどうともとれることに気づくと、戦慄するんである。

だってこの陽子は見るからに、可憐な、守ってあげたくなる系な女性。ピンクの女優さんでこんだけおっぱいが可憐(つまりちっちゃい)のは、伝説の林由美香以来かもしれないとさえ思う。
上唇の右上にぽつんとあるほくろに後々気づくと、それが、それまで感じていた彼女の可憐さからファムファタルに急転換する感覚がある。

水際に倒れている陽子を、ジョギング中の精神科医、松村が見つけた。記憶をなくしている彼女の診察を自宅のクリニックで引き受けるようになる。
自宅の診療所、ってのがミソである。そもそもこんな、誰がなんのために住んでいるのかと思うぐらいの寂しい山奥で、自宅で心療内科のクリニックをやっていて誰が来るのか。
実際、陽子以外の患者は見当たらない。だから(陽子を運び込んだ)医院で外来も診ているんだと松村は言うが、この病院だって患者が来るような雰囲気は皆無である。

こんな具合に、もう設定からして、不可思議に満ちてるのだ。陽子を迎えに来る夫は特に不可思議。一体彼は何のなりわいで妻との生活を成り立たせているのか。しかも彼が陽子を連れ帰った家は唖然とするほどの大豪邸。
そらまあ、松村の家も、医者ということもあり、山奥ということもあろう、それなりの大きなつくりではあるけれど、陽子が連れ帰られた家はなんかの施設みたいだし、その中はラブホテルみたいにいくつもの個室があって(実際、撮影はラブホテルなんじゃないかなー)、インターフォンでお手伝いさんに用事を言いつけたり。

後に陽子が、夫の匡とお手伝いさんとの情事を目撃した記憶を取り戻し、あの人を追い出して二人きりになりたい、と申し出た時、夫は困惑気味に言ったものだった。あの人をクビにしたいの?そうしたら僕たちはまともに食事もできなくなるんだよ、と。
一体どんな王様生活なんだよとアゼンとする。フェミニズム野郎の私はそんなことをあっけらかんと陽子に言う匡にこそ憤るが、陽子はまだ記憶を取り戻し損ねているのか、そこんところは、私が作るから!!とかいう、私が望まない反応は示さない。

でも、とにかく奇妙である。何をしている風でもないのに、この夫は一体どうやって、この生活を維持しているのか。猟銃を手にする場面が何度も現れるし、それがラストの衝撃にも関わっては来るんだけれど、なんだろう……猟師さんなの?
それともそもそも、陽子が記憶喪失になった過程が、後々彼女自身が描いた大いなる妄想劇のような様相を呈してくるから、もう本当に判らなくなる。

てゆーか、意外に松村の方が問題である。一見してマジメな医者。心を病んだ奥さんのために東京から、静かな環境のこの地に移ってきた、というのは、心温まるエピソードのように思えるが、後にこの奥さんが言い募るように、そうやってあなたは私を少しずつ殺しているのよ、というのが、きっとそのとおりだと思ってしまう。
それはもしかしたら、直接的なじわじわとした投薬もあったかもしれないと思うほど、松村はこの奥さんを愛していないことを、最初から観客にも感じさせてしまっているからだ。

ここに連れてきたことで、もう責任は果たしたぐらいに思ってる。てゆーか、こんな奥さんを抱えている自分をかわいそがってる。
奥さんの性欲に応えることも出来ない……てあたりはそれこそピンクならではだけれど、シャワーを浴びている彼の元へ入ってきて抱きついた奥さんを、時間がないからというだけで突き放すだなんて、こういう時に応えてあげてこそじゃないの!!

奥さんを演じる並木塔子氏はさすがのベテラン、狂気の女を背筋がぞっとする芝居で見せてくれる。もう明らかに気がふれているという印象で、性欲が満たされないために水道修理人を垂らしこんでヤリまくるという、これまたピンクならではの(こればっかり言いすぎだが)設定があるのだが、なんか、哀しいのよ。
エロだけど、エロを感じない。だって、彼女は満たされてないんだもの。ただヘラヘラと笑って、タトゥーが入った屈強な水道修理人とファックしてるだけ。何笑ってんだよと、手荒なファックをされても、気のない笑顔を貼り付けてるだけ。

奥さんは、夫の松村を愛していたからこそ、我慢ならなかったんじゃないのかなあ。自分を頭のおかしくなった女、つまり欲望を覚える対象じゃなくなったととらえている、同情ならまだしも、重荷に感じている夫に対して、世間体だけでこんなところに閉じ込めている夫に対して、怒っていたんじゃないのかなあ。
そんなことも感じられずに、松村は陽子にのめり込む、のは、自分の支配下における女だからに違いない。彼自身はそこまでの自覚はなかっただろう、可哀想な女、守ってあげたくなる女、……どんなに時代が進化しても、いまだに男は、恋愛を対等関係で成立させられないのだ。

そこにまさに、女たちが付け込む。攻撃する。夫に殺されそうになったのだという記憶を取り戻したと、そんな言葉をあっさり信じて、てゆーかある意味引き出して、松村は彼女に劇薬を渡した。
観客であるこちとらがビックリしちゃうよ。アルコールに混ぜれば死に至るから、必ず水に薄めて、と。そらーあんた、ダンナをこれで殺せと言ってるようなもんやんか。

だからまあある意味、こちらも騙されたのだ。巨乳のお手伝いさんと浮気していた夫から、殺されかけた、というストーリーを、松村同様、観客も信じちゃっていたのだから。
松村の奥さんが言った、あなたは誰も治せない、という台詞は当たっていたのだ。単なる見栄っ張りから上っ面だけの転地療養だけで、実質奥さんを一人きりにないがしろにして、心のケアも身体のケアもなんにもしなかった松村が、患者なのに欲望のままに関係を持った陽子を治せるわけがない。てゆーか、最初から手玉に取られていたのだから!!

でも判然としない部分はいろいろあるんだよね。すべてが陽子の、時には被害妄想めいた改ざんされた、あるいは作り出された記憶、ということなのかもしれないけれど、そもそも陽子の夫として突然にこやかに現れる匡の人物像がどこまでホントなのか。
こーゆーことは言いたかないけど、男は浮気はするだろうと。あんな巨乳のミニスカ女中(あのミニ丈はないと思うわ……ちょっと笑っちゃう)と何もない訳ない。

ただ目撃しただけだったのか、それとも本当に、陽子が松村に訴えるように、二人が結託して陽子を駆逐しようとしたのか。松村は陽子に溺れるがままに(つーか、アオカンとかするなよ……)彼女の言い分を信じるんだけど、おめー精神科医だろ、あっさり騙されすぎだろ。
先述したけど、人を殺せる方法をわざわざ教えて、そうはしないで正しく使ってね、と言って劇薬渡すとか、ありえんわ!

それをツッコミどころとするべきかどうかはなかなか難しいところなんだけれど……。松村は、奥さんから先述のように図星を刺されたことで逆上して、彼女を殺してしまう(アホか!!)。
そんな動揺しているさなかに陽子から、夫を殺してしまったから死体を始末してほしいと連絡が来る。慌てて駆けつけると、陽子は不可解な行動、わざわざお手伝いさんを呼びつけて、現場を目撃させちゃう。慌てた松村は女中を階段から突き飛ばしてしまう。そして女中は頭を打って死んでしまう。

いやいやいや。そもそもそんな都合よく階段から落ちないって。陽子がそこまで周到に計算していたようには到底見えなかったし、そらまあ打ち所が悪けりゃちょっと頭を打っただけでも、というのもあるが、フツーに考えれば階段から転げ落ちたくらいで死なんわ。

あーら、都合よく、邪魔なヤツが死んだわ、しかも、松村先生が私をレイプして(夫の死体の前でヤッたからね)、嫉妬に狂って殺したって図式にできるわ!と警察に電話をしようとする陽子。
なんでも夫は眠っているだけで死んでいないという。その言葉通り、目覚めた夫は松村に猟銃を発射。もう訳が判らん!!こうなったら、一体陽子はどう事態を収拾するつもりなんじゃ!

つまりは夫は、フツーに陽子を愛していた、そんな悪い夫じゃなかったという図式なのだろうが、陽子はもうすっかり、魔女になっちゃって、さぁ、松村先生からもらったこの薬で、ダンナを殺そうか、どうしようか、とコルクとワインオープナーの間で薬瓶をくるくると回し、SMセックスを待ちわびる夫の元に向かう場面で終わるんである。

並木塔子氏の怨念あふるる存在感に、ヒロインの陽子が芝居的にもオーラ的にも負けてしまった感はあるかなあ。
なんかやっぱり、女として見られなくなった女の怨念つーか、男のテメー自身はどうなんだよとか、それなりに年を重ねた女子が次第に心に重く抱える負の感情を、うっわ、見たくないけどこれこれ!!というのを見せてくれちゃって、ああ、もう、この社会は生きづらい!★★★☆☆


百花
2022年 104分 日本 カラー
監督: 川村元気 脚本:平瀬謙太朗 川村元気
撮影:今村圭佑 音楽:綱守将平
出演:菅田将暉 原田美枝子 長澤まさみ 北村有起哉 岡山天音 河合優実 長塚圭史 板谷由夏 神野三鈴 永瀬正敏

2022/9/25/日 劇場(TOHOシネマズ錦糸町オリナス)
えっ?これ、原田美枝子氏はどっちがホントなの?老けメイク?でも若い肌にするメイクなんて今なら出来るの??それとも若い頃は原田美枝子じゃないとか……いや、原田美枝子だよなあ、と観ている間そのことばかりが気になっちゃって。
私だけではなかったらしく、鑑賞後、前を歩いている二人連れの女性が同じことを言ってて、そうだよねえ、みんなそう思ってるんじゃないのかなぁ。どうなんだろう。

いくら何でもあんなまでの老けた状態ではないとは思いつつ、でも年相応と言えば年相応……。でも若い頃の、つまり息子を置き去りにして妻子ある男と彼の単身赴任先で一緒に生活をしている時の原田美枝子は、中盤このシークエンスがかなりの長尺で描かれるのだけれど、なんかカメラが逃げてるように見えるんだよね。観客にじっくり観察されるのを避けるように、不自然に寄ったと思ったら離れるような……感情の揺れをあらわしているかのように二人の間をゆらゆらと揺れまくったり。
友人とお茶しているシーンでは、話している相手の顔を原田美枝子の後ろ頭ナメでずっと映し続けたり、フィックスされるシーンでも、暗さとか絶妙の距離感で、ホントの原田美枝子……?みたいなもどかしさを感じる。

きちんと彼女のお顔がしっかりと確認できる距離でのお芝居を、決して見せてくれないのだ。これはどういうことなのかなあ。私がヘンに勘繰りすぎなのかしらん。
これはさ、実際の原田美枝子という役者さんの、年齢なりなんなりを判っちゃってるからどうしても気になっちゃうだけで、日本以外の国の観客は、そんなこと感じないんだろうとは思うんだけど、こちとら判っちゃってるから気になってしょうがない。
だって、永瀬正敏氏と恋人同士という年齢のつり合いじゃ、ないんだもの。まあ言うほど年が離れてもいないけど、でもこの設定では、明らかに彼よりもぐっと年下、幼い子供を抱えている女性としては、せいぜい30代ってとこだものなあ。

ああ、気になる気になる。これって、実は意味ある描写だったのかと思わなくもない。本作の主人公、泉(菅田将暉)が勤めるレコード会社(だったのね)で、新プロジェクトとして進めているのが、数々の記憶のデータを元に歌うリアルに作り上げられた映像上の歌姫である。美しい女性だけれど、何人ものデータを足して、つまり何者でもない彼女のビジュアルは、本当にいそうだけれどいない、はかなさというより虚しさを最終的には感じさせる。
このプロジェクトは迷走した上に結果的には惨敗し、積み重ねるだけじゃなく、忘れさせることを盛り込んだ方が良かったのかもしれないと、泉の同僚がぽろりとこぼすのが、まさに本作のテーマにつながっていたからさ。

気になるところからおっぱじめちゃって、訳判らんので、整理整理。泉は冒頭、一人暮らしの母親を訪ねる。年またぎのタイミングは、母親の誕生日が元旦だからということもあった。
でも、母親の様子がおかしかった。ぼんやり夜の公園のブランコに座っていて、探していた泉を目にすると、恋人にするかのように、寂しかった、と胸に顔をうずめた。泉は困惑して、突き放した。

この最初のシークエンスですべてを物語っていた。後に、奥さんの香織(長澤まさみ)に言われる、「うすうす判ってた。ちょっと変わった親子だから」という台詞が、もうすでに提示されていた。
母親は、母親である前に女である。そんなことは当たり前だけれど、こと日本では……母親であることを強要される日本では(父親であることは強要されないのに!!!)、重大な罪のように扱われるのだ。
ことにそれが、一人息子に対しては余計そうであり、シングルマザーという立場であれば、さらにその“社会的罪”は倍増してしまう。

私はここで何度も言っているように、フェミニズム野郎だからさ。シングルファザーはほとんどいない、シングルファザーは称賛される、シングルマザーはまず軽んじられるし、そして子供のためだけに生きることを強要される。お前が招いた事態だろ、とばかりに、イチ女であることさえ、認められない。
理不尽!!!という、ね……まさにそれをついてくるんだけれど、私が思う理不尽をついてくれている訳ではやっぱり、ないんだよなあ。そういう作品にはやっぱりいまだ、出会えないし、もう繰り返し繰り返し、シングルマザーの身勝手さを、可哀想な子供の視点から描かれることに疲れてしまったよ。

それはまた違う問題だからおいとくか……納得できないけど(爆)。泉の母親、百合子はアルツハイマーと診断された。ループする記憶の中で、混乱した彼女がスーパーのかごを持ったまま、かつての恋人の幻影を追いかけて外に飛び出したことから発覚した。
その時、泉の妻の香織は妊娠していて、子供が出来たと母親に告げようとしていた時だった。その直前の、年末年始の時に、泉は母親の異常に気づいていたものの、ショックは大きかった。

永瀬氏演じる百合子のかつての恋人、浅葉は、泉の父親というわけではないということなんだろうが、このあたりもあいまいである。どこで知り合ったのか、だなんてヤボな描写はないにしても、運命的な恋に落ち、幼い息子を置き去りにして、浅葉の単身赴任先での同棲、という選択を彼女はした、してしまった。
泉は当然、その恨みの記憶を忘れられるはずもなく、母親側も罪の意識を抱えて、今ぎくしゃくとした親子関係である。

百合子がアルツハイマーにかかり、じわじわと忘れゆく彼女に、自分は覚えているのになんで忘れるんだよ、と怒りをぶつける泉だけれど、それこそが、本作のキモなのだ。
実は一番大事なことを百合子は覚えていて、泉は忘れていた。それは、まさにこの愛憎に関わる部分であり、自己正当化しちゃう人間の愚かさというものに直面させられること。そして同時に、やはり記憶というもののあいまいさとか得手勝手さとか、あらゆることへの言及。
やっぱり、あの、人形のような人間のような、生きているようなからくり人形のような、ちょっと不気味に思えながらも美しい、作り出された記憶人形、そんな言い方をしたくなる、あのプロジェクトの造形が、根本の示唆をしている気がしてならない。

若さというあいまいさがとらえどころのない不安のような、逃げまくるカメラの原田美枝子が、そう考えれば落としどころに落ち着く気がする。
阪神大震災が襲って、恐らくこれで、浅葉とは切れたのだろう。行方が判らなくなったのか、この事態で息子への想いを取り戻したのか、どうなのか……。

今の、現時点での百合子は、半ば恍惚の人となり、泉をかつて愛した浅葉と取り違えたり、女の部分を見せてくるので、泉は取扱いかねてしまう。
奥さんの香織は同居を申し出てくれたりするが、そもそも泉と母親の関係性が、ぽっかりと空いたあの少年期があったから、そんな平和な解決策は到底受け入れがたいのだ。想像もできない、という気持ちなのかもしれない。

実際の原田美枝子氏の年齢、泉を演じる菅田君の年齢の親世代を考えても、アルツハイマーになったからって、施設に入らなきゃいけないというのは、マジか、と思っちゃう。現代社会でさえ、家族と同居できなければ即施設、という選択肢しかないのか、本当にそうなのか。そうだとしたら、マジでこの日本社会、クソと言いたくなる。

まぁさ、ちょこっとは、ヘルパーさんを頼んでなんとかやっていこうという経過はあったにせよ、あっという間に終焉を迎えてしまうからさ。そもそもお医者さんが、経緯と尊敬をもって、みたいな、もうそれだけで押し付けだよ、てな表現で、これからが大変ですよ、ってなプレッシャーを与えるのが、だからダメなんだよ!!!と思っちゃう。
ヘルパーさんの手に負えないとか、周囲に迷惑かけるとか、息子としても申し訳なく、母親としても申し訳なく、そんな状態で施設に行くって、いっちばんサイアクな選択じゃないの。

百合子は、半分の花火が見たい、と言った。言い続けた。泉には心当たりがなかった。香織が調べてくれたら、そういう花火イベントがあった。これだこれだと、泉は母親を伴って花火大会に出かけた。
水面で打ち上げる、つまり下側はもぐっちゃうから、水面上に半円形に花開く花火である。へぇー、こういうの、あるんだ……と観客は単純に感動、百合子も喜んでいたから、てっきりこれで万事解決!!と思ったのに……。

ちょっと目を離したすきに姿をくらました百合子、焦って探し回る泉。水際にたたずむ百合子は、ついさっき見たばかりの筈の“半分の花火”を、見たい見たい!!と駄々っ子のように訴えた。泉は堪忍袋の緒が切れて、もういい加減にしてくれよ!!と怒鳴った。
……百合子は、泉が、息子だということが、判らなくなってしまった……。いつかは来ることだと彼は覚悟していたけれど、ひょっとしたら、今彼が追い詰めたことが良くなかったのか……。でも、でも、半分の花火、見せたのに!!と彼は、それが導火線に火が付いたような感じだったから、まさかそれが、ドン!と返されることになるとは……。

奥さんの香織はね、何気ないように、泉に吐露するのだ。妊娠したと判った時、正直素直に喜べなかったと。仕事を休みたくなかったし、お酒が飲めなくなるのかとか、そんなことを考えちゃったと。
そう……子供を授かるのはとても尊いことだけれど、酒飲みにとってはまず第一にだし(爆)、いまだに日本社会の職場環境では、……わっかりやすく、舌打ちされちゃうぐらいの理解のなさだから。
それを身にしみて感じているから、子供を作るどころか、結婚さえも、女性は躊躇してしまうのだ。男はいいよなー。奥さんが妊娠しても酒も飲めるし産休しなくていいし、育休取る男性なんてほぼいないし、取ると言ったらそれだけで称賛されちゃうし!!

……なんの経験もないのに吠えまくっちゃった。えーと、なんだっけ。そう、半分の花火。水面から半円の、半分の花火、というんじゃなかったのだ。
だって、百合子は、泉だったら判る筈、と嫁の香織に話したのだもの。泉は記憶になかったし、調べてくれたイベント的花火に食いついちゃったのだけれど……。

違ったのだった。そこからそれなりの年数が経ったとおぼしき、生まれた赤ちゃんも、よいしょと抱っこするような成長。百合子はすっかり恍惚の人となってしまって、住処を引き払うのに整理しているラストシークエンスである。
ぼんやりベランダに座り込む百合子、泉は横に座ってる。宵闇が迫る。花火が上がる、のだ。泉はハッとする。遠くに、住宅街の、団地の屋根の上に、小さく半円の花火が上がった。この地域の小さな花火大会なのだろう。香織が調べてくれたような、有名な“半分の花火”をウリにしたものじゃなくて。

泉は一気に思い出す。その半分の花火と同時に、まさしく芋づる式に、母親との幸福な記憶を思い出す。
確かに捨てられた。辛い思いをした。その恨みの気持ちだけに支配されて生きてきた。大人になったんだからという義務感で、母親とぎこちない関係を過ごしてきた。

忘れていたのだ。確かに捨てられていた。そしてその時の母親の気持ちを、子供の自分は判りようもなかった。もちろん、それを理解してあげる義務はないけれど、大人になって、判る部分はあったんじゃないか。
いや、それもあるけど、重要なことは、子供心のままのその憎しみが故に、お母さんに確かに愛されていた記憶を、塗りつぶされていたという不幸な事実。同程度であっても、ネガティブがポジティブを凌駕してしまうというのは、本当に、あるからなあ……。

個人的には、あまり好きになれないのさ。フェミニズム野郎だからさ(爆)、シングルマザーもの、母親至上主義もの、あーもう勘弁して!!おめーら男ども、責任持たなすぎやろ!!!と叫びたくなる訳。
本作に関しては、まぁ一言で言えば、マザコン映画と思ったかなあ。そりゃまあ、ヒドいめにあったし、サイアクの母親とは思うけど、息子じゃなく娘なら、あるいは父親だったら、ここまで憎んだかなあ。
なんかね、息子と母親っていうだけで、ヤバいっつーか、危険な絆が見えちゃう。だから裏切られた時も、もう一生許さない、みたいな。怖いわぁ……。★★★☆☆


ビリーバーズ
2022年 118分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:城定秀夫
撮影:工藤哲也 音楽:曽我部恵一
出演:磯村勇斗 北村優衣 宇野祥平 毎熊克哉 山本直樹

2022/7/14/日 劇場(テアトル新宿)
期せずしてタイムリーというかなんというか……。新興宗教、しかも後に明らかになるところによると主人公の“オペレーター”は、信者だった母親を救い出すはずが沼に溺れた“二世信者”であるんだからなおさらである。
二世信者の問題はオウムの時でも、そして清水富美加=千眼美子氏の時にも取りざたされたし、映画でも意欲的な問題作をいくつか見てきていたので(「あかぼし」とか、そうそう、つい最近では、「星の子」が素晴らしかった!)社会問題であることは判っちゃいたのだが、あんな驚きの事件が起き、そしてそのまさに今、本作が公開されているというのは……。
あの事件の彼は二世信者ではなく、信者の二世と言うべきなのだろうが(彼自身は信者じゃないから)でもそれでも、なんだか今の現代をバチッと映し出した符号のように思えてならない。

山本直樹という鬼才漫画家は、鬼才映画監督がこぞって映画にしたがる。今度は城定監督とか!!という感じである。
ニコニコ人生センターという妙にポップな名称の宗教団体。いや、宗教団体という衣さえもまとっていなかったのかもしれない。巧妙に、人々の悩みを聞きますよ、という感じの思想団体、搾取団体だったということなのかもしれない。

その信者である三人が、孤島プログラムという名のもとに派遣されている。本部から不定期に送られてくる食料もわずかで、時に謎かけかと思われるような意味不明なものを送ってきたりして、三人は“先生”の意図を必死に探りながら、魂の浄化を目指している。

三人は、オペレーター(磯村勇斗)、議長(宇野祥平)、副議長(北村優衣)の三人である。一目見た時から、年若く美しい女性である副議長が、二人の男性と共にいることに、あったりまえの不穏を思わせる。
当然それは現実のものとなるのだが、年齢が釣り合うオペレーターと副議長とは、もうやりまくりっつーか。そこは、山本直樹vs城定監督となったらそらまあ!と予想以上に満足、というか。

胸焼けするほどの煩悩大爆発、性欲大爆発、美しくもむさぼり食うようなシーンが繰り返し繰り返し、そう、本当に繰り返し繰り返し描かれ、表面上は役職が残っているから敬語でむさぼりあうのが背徳感が漂いまくる。
そして議長は……若い二人が罪の意識をいわば懺悔という名の言い訳に変えてやっちまうのと違って、彼はあくまで、あくまで先生のお気持ちを探り、浄化されるために命が消えるのさえ厭わない、と言い募る。

なんかかなりすっ飛ばして行っちゃったけど、ここに至るまでは、結局は副議長とむさぼりあうオペレーターだって、自身の中の欲望の汚さに幻滅して、だからこそ他人のそれも許せなくて、逆に自らの欲望を押さえつけることで濃縮されちゃう事態に陥っちゃう。
そもそも副議長は、女性ゆえのしたたかさがやっぱりどこかにあって、途中からオペレーターにため口で話しかけだすし、服脱いじゃうのも予想より早い。無防備という名のもとの、計算高さが見え隠れする。

この、怪しげな団体が教えるのが、夢の告白なんである。後に、24時間を二つに割って、12時間寝て、12時間起きて、その夢を告白し、“淫夢”と呼ばれるエロ夢を告発しあう。
後に、12時間の夢の告白と懺悔が、夢とうつつのあわいが判らなくなり、それでなくても過酷な修行状態に置かれた信者たちが、内ゲバ状態になって崩壊寸前になっていることが明らかになる。

それを、議長は知っていた。孤島の海岸に打ち寄せられたぶわぶわに海水を吸った週刊誌の記事によって。もちろん、オペレーターから糾弾されるように、マスコミのインチキ記事を信じるのか、という葛藤に彼はさらされている訳なんだけれど、でもオペレーターだって、議長だって、特に副議長は最初から判っていた筈だ。
こんなのは茶番だ。騙されている方がラクだから、信仰が篤い自分でいる方がラクだから、厳しい孤島生活も、信仰のためと思っていられれば責任が生じずに幸福感が得られるから、ただそれだけでそこにいるんだということを。

絵文字の笑顔マークをプリントしたやっすいTシャツは、海水に濡れれば副議長のあらわなおっぱいがくっきり判ってしまう。こんな生活じゃ、ブラジャーなんてそりゃやらんだろうなと思いつつ、この布陣は最初から爆弾抱えたもんだろうと思う。
団体の実力者、本部長の愛人とささやかれていたのが副議長だった。副議長は夫からのDVに逃れる形で信者となっているのだが、そもそもその経過もどういうことなのか、本部長との関係、本部長の脱会、そもそもこの三人が孤島プログラムに投じられた経緯……謎が多すぎる。

最初からこの三人だけではなく、今この三人、であるらしいことが、オペレーターの言葉の端々から判ってくる。そもそも、オペレーターこそが議長であった。弱い人間が処理されていったことが、判ってくる。
副議長は時に砂浜にミイラ化された遺骸を見たりするけれども、それもまた妄想か幻影かの如く、一瞬にして消える。

だから何が、どこまでが真実か判らないのだ。最後まで夢のようだ。先生と共に最後の信者たちがこの島にやってきて、名目は極楽の地へ行く中継地点だとか言いながらも、実はここで先生もろとも集団自決する算段だったのだと。
敵味方判らない混乱、乱れ撃たれる銃撃、だれかれ構わず倒れ死に、乗り込んできた防弾部隊と信者たちとの、まるで、いや、これぞ戦争の状況。

夢がベースになっているのは、「眠り姫」といい、映像作家たちがこの原作者の物語を映画にしたい、と思う魅力的なモティーフなのだろうと思う。
夢の中に、その人の本音というか、欲望が現れるという、そんな考えがベースになっているのはいかにももっともらしいけれど、そんなことは誰にも解明できない。でも無防備なままに見てしまう夢だからこそ、そんなうしろめたさを感じてしまう。

そもそもの発端となったオペレーターの夢は、学生の頃、下宿屋の娘に恋していた時のものだった。実際はなされることなどなかった、“淫夢”というには可愛らしい煩悩の夢……彼女の生足に触れるという夢。しかも、階段の上に立っている彼女に、階下から、お顔も見れずにそっと触れるという、欲望にしても恐る恐る過ぎる夢。
なのにその夢の告白が、いや、それを告白したかしなかったかという軋轢が発端となったことがこじれて、そもそものこの団体における夢の思想性の重さ、煩悩、欲望の悪徳感が秘密や仲間内での排除やを産み出していく。

議長を演じる宇野祥平が、そらまあこの三人の中ではベテラン中のベテランだから、ことにここ最近の評価の爆上がりもあって、この人を招聘すれば間違いなくヤバい!!みたいなドキドキの安心感(?)があって、まさに本作でもそれを否応なしに発揮してくれる。
自分が見てしまった淫夢に苦悩し、その欲望の形として夢に現れた副議長に共同責任を問い、夢のとおりにフェラをして、そのまま射精と共に自分の陰茎を食いちぎってくれ、とトンでもないことを言いだす。
それしかない、それこそが、浄化なのだ、先生の求めることはそれなのだと、口からツバ飛ばして、よだれ流して、陰茎をしゃぶって、射精したら食いちぎれと、磔になったキリストよろしく、自らその状況を望んで、吠えまくる。

そうなるまでには、様々な事件があった。本部から食材として送られてきた怪しげな紫色の、水槽に沈められたぷよぷよの物体を食べてしまって死にかけた議長は、生還して以降、ヘンにクリアになりヘンにおしゃべりになり、抑えが聞かなくなった。
エンジントラブルで島に乗り込んできたパリピ男たちと争いになり、彼らを殺してしまった。だって……三人が孤島プログラムの中で仕事として本部に送り出していたのは、銃だったから。判ってなかった筈はないのに、まるでそのことに議長だけが気づいていたかのように、何故銃がそこにあったのか、副議長もオペレーターも不思議そうにしているのが恐ろしい。

5、6人はいたと思うのに、その“処理”は特に問題にもされずに行われる。議長とオペレーターは、仲間内のそれは経験があったから、ということなのだろうことは、じわじわと判ってきている。
そして何より、たった一人の女性である副議長の存在ということが、あらくれ漂流者の男たちによって鮮明にされ、もはや判り切っていたオペレーターと副議長の乳繰り合いも議長の知るところとなってしまう。

オペレーターは粛清のため土に埋められ何日も放置され、一方で議長の煩悩を正すためにとフェラの後の陰茎食いちぎりを副議長は課せられ、出来なくて出来なくて、つまり何日もフェラをおこない、んでもって副議長とオペレーターの関係があって、ああ、もう、堂々巡り。

結局欲望、性欲、愛欲、征服欲だよ。単純に三角関係だよ。それがこんな、命を賭したものになるんだよ。議長だったのに、若い二人を監督する立場だったのに、いわば裏切られた。
産まれたままの姿で愛し合う、妙齢の男女の姿のなんと美しいこと。宇野祥平氏に彼らの美しきセックスを眺めるしかないこの役柄を託すのはピタリすぎツラすぎる。
もはやここには何の宗教も信仰もない。淫夢という名の欲望を、絶対に相手は出来ないと確信して、射精した後に食いちぎってくれという。いや、満にひとつ可能性があるからこその欲望か。まさかホントに食いちぎられるなんて。

だから、死んだと思っていた。だから、島に二人きりになって、まさに、おとぎ話の二人きりだった。
海や山から食材を調達、海水をろ過する方法も考えられるかも、二人きり、いずれは赤ちゃんだって、というのは口にはしなかったけど、ちんこを食いちぎって本部に“遺体”を引き渡した二人にとって、ヒマさえあれば裸でヤッちゃう、もう、本能のままの幸福な時間だったのだ。

荒くれ者どもにナマ乳をもまれて、悔しいけれど濡れてしまった、とオペレーターに告白した副議長、そっからはもう、タガハズレまくった。このきっかけはなかなかに難しい。このきっかけで、物語ってしまっているともいえる。
議長はまぁ、問題外というか、単純に、普通に、自分が副議長に愛されるとは思えないから、トリッキーというか、信仰を、先生を盾にして、命を賭けて、死んでもいいと思って、副議長とヤリたいと思った。なんという、なんという、切実な!!

副議長は、もうかなり最初の方から、タガが外れてる。濡れたTシャツを脱ぐ前の方が、透けたおっぱいの方がエロくてヤバい。脱いでしまえば、バランスの違うおっぱいが逆にやったらエロくて、これは余計ヤバい!!と思う。

議長はさ、議長のバックグランドが語られないまま、ちんこを食いちぎられ、でも生き延びてて、ゲリラ部隊になって見知らぬ国を占拠して、ここに安住の地があるとか妄想爆発しちゃってて、もうなんか、哀しすぎるのよ。
思想活動が成立してない、そもそも彼自身が成立してない、自己の確立が出来ないままに、こんな風にテロ行為に及んだりする、ってことが、あるってことなのか、と、判らないから、判らなかったから、戦慄した。ここまで踏み込むんだ、って……。

あっけらかんとした、不条理な、新興宗教コメディ、ちょっと怖めの、みたいなところに収めるのかと思っていたから。でも考えてみれば、原作の山本氏といい、城定監督と言い、そんなところで終わらせる訳ないもんなあ!★★★☆☆


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