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「ち」


2014年鑑賞作品

小さいおうち
2013年 136分 日本 カラー
監督:山田洋次 脚本:山田洋次 平松恵美子
撮影:近森眞史 音楽:久石譲
出演:松たか子 黒木華 片岡孝太郎 吉岡秀隆 妻夫木聡 倍賞千恵子 橋爪功 吉行和子 室井滋 中嶋朋子 林家正蔵 ラサール石井 あき竹城 松金よね子 螢雪次朗 市川福太郎 秋山聡 笹野高史 小林稔侍 夏川結衣 木村文乃 米倉斉加年


2014/3/9/日 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
相変らずまったく情報を入れないので、これはなんで“小さなおうち”じゃなくて“小さいおうち”なのかなあ、などと思っていたが、なるほど、原作となる小説の、更にその元ネタがあって、それが古くから親しまれている絵本、そのタイトルがちいさいおうち、だからなのかあ。
思わずアマゾン検索してみたら、ちびくろサンボなんかもヒットしたりして、この元ネタのちいさいおうちがたまらなく読んでみたくなった。

そう、知らなかったんだもん。劇中、もうすっかり物語が固まりかけてくる後半になって、つまぶっきーのカノジョさんが「建築の仕事に就くなら、読んでおいた方がいい」とプレゼントする。
というのは、確かにそうなのかもしれんが、ちょっといくらなんでもカノジョさんが恋人に絵本のプレゼントかあ、という気もするけど。うーんでもこれは、原作にもある描写なのかもしれないしなあ。

原作、そう、原作。これまでも原作ものは手がけてきた山田監督だけれど、大抵彼の年代に近い感覚の作家や作品だったし、今回は確かに確かに、違う気がした。
大体、あの山田洋次監督が、自ら手紙を書いて映画化を熱望するだなんて、撮影所世代の最後のスター監督、自分から動かなくても企画も予算もふんだんに使える優等生監督が、そんなことをするなんて。

などと言うあたりどーも私もアレだが、だってやっぱり山田監督って、そりゃあ寅さんとか、他にも大好きな作品は数々あれど、特に時代が新しくなってくると何かこう、説教くさいというか、何となく時代にマッチしていないというか、あんまり好きじゃない時もあったんだよね。
前作の「東京家族」はもう、いったんガクーンと私の中で落ちちゃったし(爆)。だから本作も、観ようかどうしようかという点で止まっちゃって、足を運ぶのがだいぶ遅くなってしまった。

まあ、そうした、ちょっと気になる山田節は、なくはない。つまぶっきーがおばあちゃん(実際は大おば)のタキさんの自叙伝に、戦時中にトンカツなんて食える訳がないとか、いちいち年代ごとの歴史的事件を持ち出して、こんな時代だったんだよ、そんなことある訳ないじゃない、ウソついちゃだめだよ、と諭すのがウザくてさあ。
いやこれもきっと原作にある描写なのだろうとは思うけど、「東京家族」から連投の、つまりどうやら山田監督に気に入られちゃったらしいつまぶっきーが演じるっつーんだから何となく、監督の言いたいこと、みたいな気がしちゃう(爆)。

なんかね、こういうところ先生チックというか、ヤボな解説、注釈つける感じ、山田監督っぽいような気もするし、ちょっと苦手だなあ、と思う。
つまぶっきー扮する健史は決してそんな、狂言回しなだけのキャラではない。
タキさんの一番の理解者、そしてタキさんが最も可愛がっている青年な訳でさ、勿論その信頼関係が感じられるからこそ、タキさんの綴った自叙伝から派生する、後日談を彼が追うことが、とても感動的になる訳なんだけど。
でもやっぱり泣くのね、つまぶっきー。あるいはそのために彼がキャスティングされたような気もしないでもない(爆)。

まあそれは、最後の最後なんでおいといて。そう、山田監督らしからぬ、ヒミツの恋愛の匂いがただよう、どこかミステリーの魅力のある本作。
しかも舞台は昭和モダンの華盛り。バックグラウンドにしのびよる戦争はあるけれども、それさえもどこか甘美なスパイスに変えてしまう。

だなんて言うのはさすがに言い過ぎかしらん。でもそれこそつまぶっきー扮する健史が言うように、私らの戦時中のイメージは、暗く、強いられ、悲しく、我慢の日々よ。
若く健康な男たちは皆兵隊にとられ、次第に若く健康じゃない男たちも兵隊にとられるようになる。そんな中で美しい奥様の秘密の恋愛事情を目撃した女中さんのお話だなんて、それこそ年代ごとに歴史をいちいち持ち出す、健史のような平均的に勉強が出来るタイプの男子にとっては、ウッソだろ、おばあちゃん、というところだったのだろう。

でもどんな時代にだって恋愛も、その中の秘密の恋愛も、そりゃああったに違いないのだ。
そしてどんな時代にも、ちょっと庶民平均より上のレベルで生活する層はいた訳で、なぜだか私らが見る戦時中の日本は、貧しく、つましく、キュウキュウの庶民たちばかりだったのであった。

そう、なんかハッとしたんだよね。そうだよね、こういうハイレベルな人たちだっていたに違いないんだよね。
いや、この美しき奥様、平井時子の“小さいおうち”だって、確かにモダンで可愛らしい、最先端のおうちだろうけれど、「銀行にいっぱい借金したのよ」(ローンということだな)と言うんだから、超富裕層という訳ではないんだろうけれど。そのあたりは絶妙なんだよね。

時子を訪ねてきて、子どもは小さいうちから越境してでもいい学校に入れなきゃ、と、いかにも心配してます、てな風情で諭すおばさんは、まー、室井茂がピタリすぎて(笑)。
時子はそれに対して首をかしげる感じだし、一般的な常識的感覚は持ち合わせているんだろう。だからこそかもしれない。道ならぬ恋に、落ちてしまったのは。

時子奥様が恋に落ちた相手は、夫の勤めるおもちゃ会社にデザイナーとして採用された青年、板倉である。
山田監督の秘蔵っ子、吉岡秀隆。確かに彼は童顔だけど、まだ30前の男が、とかいう設定なのはいくらなんでも(汗)。でもまあ、当時の日本人の風貌を考えれば妥当なセンなのかなあ。
いつまで経っても変わらないウブな雰囲気、それを助長する独特な声、松たか子とは同年代、いや多分彼女が年下、なのにすっかり学生さんあがりって感じだもん。
下宿先の階段からランニング姿で降りてくる風情が、いまだ似合い過ぎる(爆)。でも、次の逢瀬では、彼女の手を引っ張りこんじゃうんだからねー、うおお。

なんて進めてくと、肝心のヒロインを忘れそうになってくる。そうそう、本作で見事ベルリン国際映画祭の女優賞をとっちまった!(すっげ!)黒木華嬢である。
彼女を最初に観た時には、蒼井優嬢に雰囲気が似てると思ったし、それこそ蒼井優嬢を山田監督は連投させたんだから、こーゆーのが好きなタイプなのかなあ、などとも思ったが、当然ながら微妙に違う。

いや、微妙というのもナンだが(爆)、黒木嬢はつかみきれない魅力がある。蒼井優嬢はあんなに柔らかそうに見えて、実は女優としては譲らないタイプであるように見える。
黒木華嬢はそこんところがまだ、判らないんだよね。あるいはまだ判らない、と思わせる今の現状が、そのまんまの彼女なのかもしれないし、そうだとしたら、確かに相当面白い素材なのだ。

彼女はまさに、家政婦は見た、である。奥様の秘密の恋に一人気づいてしまって、苦悩する。でも、苦悩するってことは、奥様が、そしてこの家が、好きだから、なんである。
女中という仕事がいかに当時のプロフェッショナルであったかを、タキは健史に力説するんである。花嫁修業という言葉は今じゃすっかりヤワになってしまったが、当時は強力な資格のレベルだった。
タキは口減らしのために雪深い弘前から出てくる。その最初の描写、雪深い上に地吹雪のすさまじさに、懐かしさと辛さがいっしょくたによみがえる。
板倉が同じ東北の出身だと知って東北訛りで喋り合う場面、冬でも青空なことが、人込みと同等にビックリしたというのがね、そうだよねー!!と思うのだ。

曇天と降りしきる雪、半年もの間雪で閉ざされる異世界から、タキはやってきた。目もくらむ大都会の東京で、おとぎ話のような、赤い屋根の小さいおうちに奉公した。
はめ込まれたステンドグラス、クラシックのレコード、紅茶のお茶碗、おもちゃ会社に勤めるご主人は、一人息子に次々と最新のおもちゃを与える。

ことあるごとに会社の上層部が訪れて、酒を酌み交わしながら明るい未来を語り合う。アメリカにはかなわない。ひじきと油揚げのこっちにくらべて、なんたってあいつらは、こんな厚いビフテキをバターで焼いて食べるんだ。女たちはたまらなくきれいなんだ、と夢見る顔して言う。
戦争の色が濃くなって、アメリカが敵にまわろうとしても、おもちゃのための鉄が手に入らなくなって会社が苦境に立たされても、そう言う。アメリカだけは敵に回すべきじゃないと。
ある意味彼らのような富裕層には判っていたのだ。鬼畜米英だなんてノンキなことを言ってる場合じゃないことを。

で、なんか脱線したけど、タキの話だったんだってば。そうそう、タキは確かに主人公だし、だからこそ黒木華嬢が主演女優賞をとったんだけど、そこんところが難しいんだよな。
タキが語る物語の主人公が時子奥様であり、時子奥様を演じる松タカがまー、これがまたまー、艶っぽいこと美しいこと!
こーゆーこと言うと単純すぎるかもしれないけど、やっぱり梨園の女性は違うかもっ、と思ったりして。
上品に着こなした、ミセスの和服が、年下の愛人の下宿から帰ってくると、“いっぽんどっこ”の帯の線が逆になっていた、ことを、タキが気づいてしまう。

ギャーッ!ダメダメ、ギャーッ!和服はそこが危ないところよ!バレちゃうんだもん!!でもそのバレちゃう要素がなんと美しいこと、色っぽいこと!帯の模様の線が逆になっていた、言ってしまえばただそれだけのことで、彼女の帯が解かれたことが判っちゃうんだもん!!
その後、時子奥さんは洋装で出かけるようになった、というのはタキちゃんに気付かれたかもというよりは、恐らくヤリやすいから(爆)と思っちゃうのは、イヤ、イヤーッ!!(涙)
ああもう、こんな風にヤボなことばかり考えちゃうのはホント、ヤだよーっ(涙涙)。

でも、時子奥様と板倉はやっぱり恋、恋だったんだもの。嵐の夜、心配して駆けつけた板倉を心細いからと引き止めた一夜は決定的だった。
でも、健史が言うように、タキちゃんだって板倉に惹かれてたに違いないのだ。最初に板倉が平井家を訪れた時、奥様は自身がときめきながら、「タキちゃん。素敵な人なの。見ていらっしゃいよ」と声をかけ、板倉の下宿を最初に訪れた時も、タキを同伴していた。
その、奥様のタキちゃんへの信頼は何とも言い難くて……だからこそ、この物語が成立するんだけどさ。

タキちゃんは最初に奉公した家は別にあったんだよね。もっと大きな、文豪の作家先生を抱えた家。そこでもタキちゃんは気に入られて、だからこそ間違いないからと平井家に推薦されたのだった。
そこの文豪=小中先生がなんとも良くてね!まあ当然、女癖が悪い訳。イイ女中はそれを巧みに隠してくれるもんだ、とこっそりタキに耳打ちし、でも奥さんだって吉行和子だから当然百戦錬磨に違いなく、判ってるに違いないんだもん。
まあ私はフェミニズム論者だからさ。そーゆー夫婦間、男女間に対して、肯定にしても否定にしても微妙な気持ちがあるんだけど……でも、恋となると、やっぱもう、どうしようもないもんじゃない……。

そう、恋はやっかいなのだ。タキちゃんはその気持ちを果たして判っていたのだろうか、実感していたのだろうか。
タキちゃんだって板倉に好意を寄せていたと思うけれど、奥さんを心配する気持ち、平井家を心配する気持ちの方が、当時の勤勉なる女中としては大きかったに違いない、と考えるのが妥当な線ではある。
実際、黒木華嬢だって、そういう的確な演技をしていると思う。でも、ただ、これを見るのは現代の感覚を持った観客なのだ。それを思うとついうがった気持ちにもなるではないか。

赤紙が来たことを告げに来た板倉、暗闇の中で刹那抱き合うしかできなかった。
奥様はどうしてもどうしても、最後二人きりで会いたくて、出かけようとした。タキちゃんが止めた。散々、悩んで止めた。周囲からの噂も彼女の耳に入っていて、悩み倒してたから。

そう、悩み倒してたの。それを我慢しきれずに、訪ねて来ていた時子の友人に漏らすシーンは、かなり大好き!
これもまた「東京家族」から連投の中嶋朋子だけれど、「東京家族」でも相当トンがってたけど、これは、尺が短いのにもっとトンがってる!!
タキちゃん曰く、男の人みたいな時子の親友、睦子は、つまり、時子のことを、“男の人みたいに”好きなんだろう。

時代が時代だから、現代では通じる難しい専門用語も理解されない。でも、口紅だけは真っ赤に挑戦的に染めて、ファッションはひたすらマニッシュにキメて、ヘアスタイルも、男のような短髪ではないけれど、肩には絶対に触れない短さのショートボブが彼女の意志をジンジン感じさせるのよー。髪が肩に振れるかどうかって、凄く凄く重要なとこなんだもの!!
それでなくてもマニッシュなファッションとマニッシュな口調の中嶋朋子は妙な色っぽさのカッコよさで、クラクラきてしまった!!

タキちゃんはね、何より一人息子に対する信頼度で、この平井家にいついた。小児麻痺をわずらったお坊ちゃんを毎日背負って日本橋の病院に通い、その先生から伝授されたマッサージを毎日ぼっちゃんに施した。
タキちゃんじゃなきゃいやだと言うのよ、と苦笑交じりに奥様は言っていたけれど、彼女に対する信頼度は、一人息子の信頼度が大いに手助けしていたんであった。

でも、奥様はどこまで判っていた、気づいていた、自覚していたのかなあ。最後の最後、ある意味タキちゃんは奥様を裏切った。板倉さんを訪ねて行って人目に触れるぐらいなら、自分が手紙を届けますと言って、その実届けなかった。
奥様は待って待って待って、待ちくたびれて……。そして板倉は出征し、戦争は激化し、東京大空襲が起こって、奥様は防空壕の中でご主人と抱き合ったまま焼け死んでしまった。

そしてあの時、赤紙が来た時、板倉がタキちゃんに言った、自分が死ぬとしたら、奥さんとタキちゃんを守るためだ、と言った、タキちゃんの瞳を潤ませ、板倉が思わずそんなタキちゃんをハグしたあの言葉は、結局はただ空回りしただけだったのだ。だって彼は生き延び、奥様は死んでしまったのだから。

でもね、奥様がご主人と防空壕で抱き合って死んでしまったところが発見された、というモノローグに、こう言っちゃなんだけど、私は何か、ホッとする気持ちがしたの。
恋はとても素敵なことだけれど、出来れば、出来れば……妥協でも成り行きでもいいから、信じたい。愛というもののあたたかさと、存在の確かさを。

板倉は生き延びた。生き延びて、アーティストとして成功した。自分のアイデンティティを後年絵に描き表して、その赤い屋根の可愛らしいちいさなおうちの絵は、彼の単独ギャラリーに飾られるほどの価値のあるものになった。
晩年のタキさんの家にも、絶対に、板倉の手のものに違いない、赤い屋根の小さなおうちの油絵が飾られていたのに、彼女の死によって、「いらないでしょ」と段ボール箱の中に突っ込まれてしまったのだ。なんということ!!
などと思うのは、カネになる価値のものについつい敏感になるお年頃なもんで。あーヤだヤだ(爆)。

私はね、タキさんのように、それなりに長生きして、それなりにお料理も出来て(だって食生活の充実って、一番の楽しみじゃない?)、それなりに若い子が訪ねてきてくれたりして(爆。それが一番大事かも……)、そして死ぬ時はタキさんのように、自分が住み慣れた場所で、ひっそり、あるいはうっかり、ぽっくり、死にたいの。タキさんの最期は、超理想なの。
「こんなことにならないために、一緒に住もうって何度も言ったんだけど……」と葬儀場で愚痴ったりする夏川結衣。でも彼女が言うように、判ってるんだ、彼女だってさ。それがタキさんの幸せだって。

一人で死ぬことがそんなに悲惨なことだなんて思わない。むしろ、死ぬ時に、望まないギャラリーがいたらヤだなと思う。
でもそう思うのは、やはり今まで死んだ経験がない……のはまあもちろんだな、死にそうになった経験もまあ、ない訳だし。
そういうことなんだけど、でも、確かにさ、自分がそう思ってても、近しい人がそういう状態になったら、やっぱり色々人を呼びたくなるし、……難しいんだよなあ……。

時子奥様と板倉の甘酸っぱい恋、でもそれは大人の恋だから、切なさを帯び、そんなつれづれがなんともたまらんかった。
濃縮カルピスを割って差し出す夏の昼下がり、ノンタクトの話題で盛り上がるクラシックのレコード、そしてそれが使われた映画「オーケストラの少女」、そこは赤い屋根のおうち、小さいおうち。
二階の窓はまるで鳩時計の窓のように可愛らしく、つまり奥様はこの小さいおうちのかごの鳥なのだ。それはタキちゃんもそうなのだ。
そこから誰も、生き延びた板倉も、妻と共に死んだご主人も、外の世界へと解放させられなかった。

板倉が生き延びて、有名アーティストとして名をはせて、それに健史が気づいた時には死んでいた、という設定は、どうなんだろうね。
でもまあ、タキが懸命に看護した平井家の一人息子、恭一は生きていて、かつての病気の影響なのか、足と、そして目も見えなくなっていて、健史とカノジョさんに会うんである。

タキちゃんのことはよく覚えていた彼。タキちゃんが一存で板倉さんに渡さなかった、奥様が最後に会いたいとしたためた手紙が未開封のまま出てくる。
健史に開けて読むよう促した恭一は、自分の母親の不倫の証拠を突きつけられたと言い、健史は恐縮するけれども、恭一はむしろ嬉しげである。

そんで、海岸に散歩に出て、なんかしらんが健史号泣。えーとなんだっけ、なんで健史号泣なんだっけ(爆)。
あ、そうか、ついこないだ亡くなったタキちゃんに会いたかったなと恭一、会えたらこう言いたかった、タキちゃんは悪くないよと、……あれ?ちょっと表現違ったかもしれないけど(爆)。
だあって、つまぶっきー、ちょっとしたことですぐ泣くんだもん(爆爆)。まあ、それでこそつまぶっきーだけどさ。

別にどーでもいいことだが、木村文乃嬢(つまぶっきーのカノジョ)を見るたび、伊藤歩の当時の年齢の頃に似てるなあ……と思うのであった。
年齢を忘れてマジで間違えたこと数回。伊藤歩ほどの激しい女優(というか芝居)人生をゆくのかっ。★★★☆☆


地球防衛未亡人
2014年 84分 日本 カラー
監督:河崎実 脚本:河崎実 右田昌万
撮影:須賀隆 音楽:黒澤直也
出演:壇蜜 大野未来 福田佑亮 福本ヒデ ノッチ きくち英一 古谷敏 沖田駿一 モト冬樹 堀内正美 森次晃嗣 なべやかん TABO 岩井ジョニ男 佐藤文則 元気屋エイジ 黒田浩史 色羽紫 山口敏太郎 森まさひろ 破李拳竜 岡田ゆういち 塩野勝美

2014/2/24/月 劇場(角川シネマ新宿)
この監督さん、よく見かけるお名前ではあるけれど、意外や作品は観たことがなかった。劇中、檀蜜嬢の部屋に貼ってあった「いかレスラー」のポスターから、ああ、と思い出した(しかしこれもまたあからさまだけど……)。
タイトルからも判る、脱力系コメディで名をはせている人で、興味はあったんだけど……。
今回はまず、そのタイトルに目が止まり、檀蜜主演ということで!迷いなく足を運んだ。

んだけど……。うーん、アイディアとキャスティング抜群だったと思うが、なんかいろいろ居心地が悪かった、のは、それこそ私がこの監督さんの作品が初見だったせいもあるのかなあ。
いやだって、なんでも常連俳優さんがぞろぞろ出ているみたいだし、もうファンにとっての世界観が構築されているのかな、と思って。
それにね、ちょっとこの日の客層がまた……。いや、そーゆーことが気になりだしたらキリがない、私だって他の客にメーワクかけてるかもしれないのだからと思うんだけど。

檀蜜嬢目当てのおひとり男子は勿論予想の範囲内。予想外だったのは、「舞台挨拶の日と今日で二回目」「あなたは今日初めてなんだっけ?」「あの人はどんな地方でも追っかけで来てるよね」という会話の、妙齢の女子チームだったんであった。
これはかなりの予想外で、結構な人数で、なんか囲まれてしまって、気分的に追い詰められた(爆)。

そういう対象になるキャストはこの作品中ではやはり、ただ一人の若き男子、ユースケ君なんであろうか。私は初見で、知らない男子だったが……。
そんなこんなでなんかアウェー感満載で、ちっちゃな劇場での一回上映だったから満杯だし、なんかもう、追い詰められてしまったんだよう。

私、大げさだろうか(爆)。でも特にこういう脱力系コメディは、ゆるい客層と客数で、リラックスして観たい気分。
若き男子がオトボケするたびに、ご祝儀のように爆笑する女子チームに取り囲まれると、本当に面白いんだかどうだか判断しかねて、笑いどころを失ってしまうんだよう(泣)。
結局、私は固まったまま、最後までクスリとも出来ずに終わってしまった。

しかも檀蜜嬢、おっぱいも出さずに終わっちゃうし。いや確かに、イメージ的なエロスは充分に発揮してる。バックヌードも美しいし。
パイロットスーツに身を包んだ、特に、意外に大きめに張っている丸いお尻の美しさは同性である私も見とれてしまうぐらい。特に巨乳という訳ではないし、セルフプロデュースの上手い人なので文学系エロスだと思っていたのだが、そのお尻はなんとも肉感エロスなのであった。

それだけでも充分に、この作品を見てペイは出来たとは思ったんだけど、おっぱいを出さないのは意外であった。
監督さんのフィルモグラフィーのタイトルだけから想像するに、案外そういうタイプなのかもしれない。帰りのエレベーターでお兄さん二人が話していた、「(R指定ナシで)小学生でも見られるってのがイイよね」というのが、逆にネラいなのかもしれない。

確かに檀蜜嬢のセクシーさは充分に発揮されているのに、ていうか檀蜜嬢が主演なのにR指定がない、小学生でも見られる、というのは、驚異的なことではある。
んだけど……でも、この企画なら、この企画だからこそ、たっぷりエロな檀蜜を見たいと思っちゃう!

だってパイロットスーツに、喪服に、病院ベッドでの包帯姿に、プライベートベッドでのエッチ直前姿に、居酒屋でベロ酔いしてくだまく姿に、芸者姿で日本舞踊まで踊る!
とにかくとにかく、これを檀蜜が演じたら、もーう、エロエロだろ!といちいちうずいちゃう(どこが?)シチュエイション満載なのにさ!

檀蜜嬢は「甘い鞭」でハード、シリアス方面で花開いたとは思ったけど、彼女の、いわば完成されたキャラクターは、そうだ、むしろコメディの方が似合っているのかも、いやそうに違いない!!と期待が高まったからさあ。
ここまで完璧にエロで、それも肉体的よりも精神的エロが先に来るエロで、シチュエイションエロが完璧にハマる人って、これが案外、今までいなかったからさ。
で、その完璧さが、完璧すぎるが故に、コメディという土壌に立ったら、最高に面白いと思ったからさ!最高に面白くなるためには、エロという方向にも振り切らなきゃダメだと思ったからさ……。
そう、私は、大人だけが見られるエロSFコメディだったらどんなに面白かっただろうと思ったの。

心から愛した婚約者を宇宙怪獣によって殺され、復讐を誓う未亡人。この婚約者の男性がいまどき珍しい紳士で、君を大事にしたい、結婚するまでプラトニックでいよう、と言った。後から思えば、R指定ナシにするための設定だったとしか思えないが(爆)。
この宇宙怪獣を倒すためにと、地球防衛軍に入った彼女は、エースパイロットに成長する。念願の宇宙怪獣、ベムラスに対峙した彼女……彼女彼女と言ってるとめんどくさい、彼女の名前はダン隊員(色々に突っ込みたくなる絶妙な役名だ)。
ダン隊員は、ベムラスと対峙するたびに、エクスタシーを感じちゃうんである。そのことを、慕ってくれる後輩の女の子にも、信頼している上司にも言えずにいるんである……。

R指定ナシだからさ、この“感じちゃう”ってところも、かなりハンパな感じがするんだよね。いや、オトナはどこまで求めちゃうのかっての(爆)でも、あれじゃ単なるイメージショットだよなあ……。
それこそこの感じが判って笑えるのは、それなりに判った年齢以上なんであり(どうも、奥歯に物が挟まってるな)、全ての、子どもにも開放する意味がどこまであるのかな、という気がしちゃうのだ……。

例えばこれが、幼稚園児や小学校も低学年あたりを連れて観に行って意味があるのかと。R指定ナシにこだわるあまりに(いや、こだわっている訳じゃないのかもしれんが)、本来の、本作を観に行きたいと思っている大人のターゲットをハズしているような気がして……。
最高に脱力のコメディと、最高に本気のエロス、それだったら最高に面白かったと思うのになあ。

まあでも、コメディ、の部分も、私は微妙についていけなかったけど……。
宇宙怪獣っていうだけなら、伝統的SFのパロディ的な面白さがあったと思う。怪獣の造形も、さすが有名どころを起用しているだけあって、本格的造形の中の絶妙なB級感がたまらなかったしさ。これぞ特撮!って感じだったよね。

なんていうか、やたらと現代的、社会問題的要素を盛り込んでくるところが、私はちょっと、ついていけなかったの。つまりおバカさんだから、社会情勢とかのシニカルな要素に弱いのさ。
まあでも、特撮ものってのは確かに、社会情勢を盛り込むよね。怪獣に放射性物質ネタというのは、まんまゴジラだしさ。
放射性廃棄物を食べるベムラス、六ケ所村をパロった地名の場所に連れて行き、次々に食べまくる。その有効性に世界中が飛びつく。

いや、それ以前に、ベムラスが出現した無人島は、領有権をめぐってトラブりまくってる島の名前をパロっている。
その時点でヤバいなという気がしたのに、便秘のベムラスの、四次元に行っちゃてた排泄物=つまりまんま放射性廃棄物が、ねじれが解消されて一気にその島に山積みになると、領有権主張までもが一気に日本に押し付けになる、という展開は……。

そりゃ、あの島での国同士のやりとりは胸の悪いものがあるけれども、こういう、ありえないタラレバで他国を糾弾するのは、いくらコメディ仕立てでも、ヒヤリとする、どころじゃない、ちょっと悪ノリしすぎだと思うけどなあ……。
勿論コメディといえども作品なんだから、作り手の主張は尊重されるべきだとは思うけど、個人的には好きになれなかった。

それに、その世界を構築するためのソックリさんたちがまた、なんとも見てられないというか……。
ノッチのオバマはまあ認知度もあるし、お約束感もあるけれど、アベさんとイシハラさんがねえ……。

確かに似てるさ。アベさんの独特の発声やアイラインをひいたような目元、控えめだけど、ていうか、控えめなまま、自分の立場を悪くしないように通す話術。
イシハラさんの、妙に力を入れてやたらまばたきする感じと、言ってしまえば所詮イチ自治体のイチ知事なのに、国政に、しかも上から目線で口を挟んでくるところ。
確かに似ている、上手いと思う。でもこれは、舞台とか、コントとかで見たら笑えるけれども、いくら脱力系コメディでも、これだけの尺があり、流れがある作品の中で登場してくると、なんか冷や汗のようなものを感じちゃう、のは、私だけなのかなあ……。

日本の政治家に対しての批判をしているのは、演じているニュースペーパーさん自体がそういうスタンスで活動している訳だし、判るんだけど、こういう風に切り貼りして使うと、皮肉や批判に昇華する前に落っこっちゃう感じがしてしまう。
それにね……私は、あくまで個人的な気持ちとして、映画は、どんなにパーソナルなテーマだとしても、世界に発信できるものであってほしいと、思ってるの。
この部分だけで、それが落っこっちゃう感じがしてしまう。少なくとも、イシハラさんの部分で、落っこっちゃう。ヨシズミの顔が気持ち悪いなんてことまで言っちゃうし(爆)。むしろ、ノッチのオバマは、世界的に笑いがとれるわなあ。

で、大分話を戻すけど、なんでまたダン隊員の死んじまった婚約者のお顔は、執拗なまでに出さなかったんだろうか??なんか、気になっちゃう!
顔を出すと、彼女が抱かれたいと思っている唯一の相手としてリアルに確定しちゃうから、R指定として引っかかるとか??まさかなあ……。

ダン隊員に関しては、このダンナのくだりも重要だが、その出生の秘密、彼女の母親は処女懐妊で、セーラー服姿で寺院に赤ちゃんを連れてきた。
そうだ、セーラー服もあった!成熟した女性なのにセーラー服をコスプレとかギャグとかじゃなく、最初からエロスでまとえる、ただ一人の存在が、檀蜜!ただこれだけで彼女は唯一無二の存在!!

……おっと、興奮してしまった。そう、ダン隊員の母親役も彼女が担い、しかもそこから、天岩戸に通じる!うーむ、盛りだくさんすぎないか、大丈夫か??でも、それもまた、檀蜜嬢にピッタリの雰囲気なんだよなあ……。
日本舞踊を妖艶に踊りこなす檀蜜が、神話の世界のコスチューム、つまりは、結構想像が効いちゃう、割とエロに改変できちゃうコスチュームで、腰をグラインドさせて、濃い目のメイクでカメラを凝視して踊る様は、そういうシチュエイションだからこそ、カメラがピントを合わせたり、ボケさせたり、そんなじらしもなんともウズウズして、イイんである!!
だって宇宙怪獣、種族が違うどころじゃない宇宙怪獣、ベムラスをもまどわせちゃう、天岩戸の色気、なんだもんね!

そう、アイディアも企画も、キャラ設定も何もかも、すんごく、檀蜜嬢にピタッ!!と合っていたんだよね。そうだ、こういう檀蜜が見たかった!と思ったキャラだった。
彼女もそれに充分応えたと思うんだけど……なんかなあ、どうも集中できないのよ。

あ、そうそう、女子チームの恐らく目的だったユースケ君は、彼女が乗り込む戦闘機、ジャップ野郎の開発エンジニア。
俺のジャップ野郎を傷つけるなよ、というキメ台詞に女子チーム爆笑だったが、あまりの先を越した爆笑に私はついていけず、その後も頑張っているであろう彼のコメディ演技にどうにも笑えない。

つまり彼はダン隊員にホレているのだが、相手にされない。しかも、彼は実は、伝説の超人、世界の危機に現れて人類を救うという存在なのだが、期待されて登場したら、あっという間にベムラスに倒されてしまう。
ここはかなーり重要な大オチだったハズなんだけど、やっぱりやっぱり女子チームに食い気味に爆笑されちゃって、笑えなかったのが残念……。
超人、ウルトラマン並みに大きな身体になってた筈なのに、倒されて意気消沈して、普通人間サイズになって、街の人たちから振り向かれながら、求人見ながら歩いてるなんて、すんごく面白いに違いないのに!……なあんか、どこまでも損した気がしちゃうなあ!!!!!★★☆☆☆


父は家元
2013年 91分 日本 カラー
監督:高野裕規 脚本:高野裕規
撮影:本間秀幸 音楽:喜多郎
出演:小堀宗実 坂東三津五郎 小堀正大 熊倉功夫 松岡正剛 遠藤隆雄 鈴木勝彦 矢頭美世子 潮田洋一郎

2014/2/2/日 劇場(テアトル新宿/モーニング)
日曜とはいえ、ドキュメンタリーのモーニングショーに劇場の外まで列をなしていたのでビックリこいた。上映時間までに入場がさばけなくて、予告編をカットして開映時間を遅らせたほどであった。
えーっ、だってもう公開からまる一週間が経っているのに、そういう推測ってつかないもんなのかしらと思ったが、やたらと前売り券を握りしめている&この劇場の入場方法を知らずに窓口に聞きに行く人が多いのを見て、こりゃーひょっとしたら関係者に招待券をバラまいて集まったか、などとうがったことを思ってしまった。
いやだってこういうタイプの映画って、いくら良作でもここまで人が集まることは稀だもの……。うーん、そんなことを思って映画作品に対峙しちゃうのは、とってももったいないことなのだけれど。

そんな思いもあるし、中盤までは結構歴史的な話も多くって、安土や室町の影響を受けてるとか言われても、とにかく歴史苦手、アホな私はイマイチピンとこないことも多くて、こりゃあ参ったぞ、と思った。
茶道の家元に密着したドキュメンタリーである本作は、まずその茶道、遠州茶道宗家の始祖の話から始まり、この小堀遠州なる人物の説明にかなりの尺が割かれている。
当然、千利休といった私でも知ってるビッグネームも出てくるが、そもそも利休が茶道ではなく歴史上どんな立ち位置にいたのかさえ、ホンットに歴史苦手な私にはちっともピンと来ていないので、徳川ナンタラ、下剋上がどうの、もうそのあたりには、こりゃ参ったな、という思いを更に強くしてしまった。あーあ、ホントに私ってダメダメだ。もう落ち込んじゃう。

恥ずかしい話なんだけど、このタイトルがなんか面白いなと思って足を運んだんだよね。なんかさ、まるでB級アクション映画みたいな響きがあるじゃない。なんかネラってるのかしら、と思ったのよね。
いや、予告編も見てるし大マジなドキュメンタリーだっていうのは判ってたんだけど、何となくそのセンスが面白いなと思ったのだ。
そしたらホントに大マジのドキュメンタリーで(当たり前だ)小堀遠州も古田織部も聞いたことがあるような気はするけど、判らないよーっ、と泣きそうになった(大げさ)。

タイトルが示す通り、これは家元家族の物語でもあって、次女の小堀優子氏がナレーションを務めているんだけれど、それはとても意義深いことなんだけど、やや高めの、いかにも女の子、な声は内容を深めて聞くにはちょっと聞き取りづらく、加えていえば喜多郎の音楽がなんかうるさい(爆)。
うーん、これは単に好みの問題だろうとは思うが、茶道って、とても静かな世界観だし、それはこうして改めて密着ドキュメンタリーを見てもそう思うし、静寂の中に響く音もまた重要なことで。
だって茶道は総合芸術、なんでしょ?喜多郎の音楽なんかなくても、てゆーか、茶道を語るには音楽なんかないべきなんじゃないのかなあ。

そう、総合芸術、なんだって!そうなのか!そう言われれば確かにそうだ。
五感の全てを駆使し、茶室や庭という建築分野、四季という自然分野、飾る花や絵画、お茶といえばイメージする一番の陶器、etc.etc.……なんで気づかなかったんだろう!!
私ね、総合芸術といって一番先にイメージするのは、映画なの。てゆーか、映画だけが総合芸術だと思ってたフシがある(爆)。恥ずかしい(爆爆)。
映画は五感のうち二つぐらいしか含まれないじゃないの。味覚も、触覚もない。茶道にはそのすべてがあるのだ。なんということ!!

でも、だからこそなのか、判りにくいところはある。というか、本作を観るまでは、あった。茶道は哲学的で、…道とつく中では一番判りにくい印象があった。
華道は華やかに目に見えて美しく、書道の筆遣いや空間の美しさも判りやすい。一番説明がつきにくいのが茶道だと思ってた。

でも違ったんだ。これほど入口が多方面に開かれているものはない。日本建築の粋をつめこんだ茶室、書画や花といった他の“道”が柔軟に、かつ必須として取り入れられているものは、他にはない。
一見、最もストイックに見えながら、どの“道”よりも柔軟。何よりその根底にあるのは、対、人間の精神。おもてなしする相手がいなければ成立しない。それが他の“道”と最も違う部分。

おもてなし。お、も、て、な、し!しかも本作中には、会席料理や当然、和菓子も登場するし、トウキョウオリンピックを引き寄せたあの名セリフ、そして無形文化遺産に和食が選ばれたタイミング、まー、まるで奇跡のよう!
だって本作は3年もの年月をかけて撮られた訳であり、滝クリの「お、も、て、な、し」だの、文化遺産だのといったことを狙える訳もない。なのにこの奇跡のタイミング。この作品は“持ってる”かもしれないなあ。

実際、いわばタイトルロールである父=家元、小堀宗実氏はかなりイイ男である。それこそ円熟期の映画スター並のオーラがあって、冒頭、ツカみのためと思われる大物ゲストの坂東三津五郎をしのいじゃってるんじゃないかと思われるほど、なんである。
まあそれは当然かもしれない、なんて言っちゃあ三津五郎さんに失礼かもしれんが(爆)、なんたって400年の歴史を誇る茶道の家元なのだから!!

でもちょっと驚いたのはね、お茶、茶道というと何となく京都方面のイメージがあった、のは、単に私の歴史バカのせいかもしれない(爆)、単に、古い歴史は京都方面、みたいな(爆爆)。
でもさでもさ、表千家とか裏千家とか言うじゃない。あれって京都のイメージで間違ってない??(なんか私、バカ丸出しだな……)

でもそうした一般的イメージ(と言ってほしい。せめて(涙))を裏切って、東京、トーキョー、TOKYO!三津五郎さん登場のツカミは、大都会の高層ビルディングの上層階にしつらえられた、いきなり異空間な茶室。後に他の場所でもこうしたシチュエイションは出てきて、ある意味本作のエポックメイキングな存在であると思う。
家元曰く、今の日本の(というか、東京の、と言っていたかもしれない)建築法では、木と紙の建物は作れない。だから建物の中に作るのだと。しかもそんな“不自然”に関して、彼自身はちっともそうは思ってないらしい、のが、最初は本当に不思議だったのだけど……。

だって、高層オフィスビルの中に、中にだよ?茶室があるなんて、不自然じゃん!と、最初に登場した時は、最初ゆえのインパクトもあってそう思ったんだけど、茶道のなんたるかをじわじわと学習していくにあたって、次第にそう思わなくなる。
それが何なのか上手くは言えないんだけど……少なくとも、外から差し込む光があるだけで、そこに存在するものとして成立するんじゃないかって、そんな気はした。

実際、家元の考えは柔軟である。いや、ハッキリとそれが明確に示される訳ではない。むしろ、この400年の伝統を変らないものとして受け継ぐ姿勢はハッキリと示されているし、まさにそれは、私ら凡人がイメージする茶道のストイックなものに他ならないんだけれど、なんかじわじわと、その柔軟性が判ってくるのが不思議なんである。
それこそそのツカミの冒頭からそうだったし、家元自身が茶室の建築設計に当たっているというのもオドロキだった。茶人は茶をたてることだけに没頭しているんだとばかり思っていた。

始祖である小堀遠州自身がそうしたマルチな才能を持つ人物で、建築奉行として数々の名城、茶室、庭園を造り、その中でそれまでの利休以来の質素な美学を打ち破っている。打ち破っていると言っても反駁のそれじゃなくて、そこから一歩踏み込んだ上質への昇華。
恥ずかしながら綺麗さび、という言葉は初めて聞いた。わびさび、は日本文化を表す一つの価値観で、それはもはやワールドワイドに知られている。それに綺麗、がつくなんて、まったく反対のことじゃないかとさえ思った。

でもこの家元はもう登場のオーラから、先述したルックスから(恥。すいません……イイ男なんだもん……だって……)、美しい所作から、そして日本のみならず世界各地にまで飛んで、そのイイ男オーラで遠州茶道を広める様は、質素なわびさびなんてことからは遠く飛んでいて、でもやっぱり、茶道のストイックな美しさを残し、そして綺麗、なんである。
あーもう、なんかズルい。女は入っていけない!!……てか、どっかで茶道は花嫁修業の一環、みたいに思っていたところがあって、それは華道もそうだけど、華道もちょっと、フェミニンな印象があるじゃない?有名な華道家は男性が多いけど、でもそれこそフェミニンだし(爆。誰を差しているかは……)。

でもこの小堀家元は、男の色気、なんだよね。男、なんだよね。勿論、日本文化はずっとずっと男子文化であり、女は排除されていたけれど、何かこう、お茶にお花、みたいな、やっぱり花嫁修業みたいなイメージかなあ、それがあったのは、それこそ男尊女卑の日本文化、なんだろうか。
実際、やはり、家を継ぐのは男の子である。この小堀家でも、上に女の子が二人いるけれど、彼女たちの弟である“長男”が後継ぎとして、元服の年から表舞台へと立ち始める。

お姉ちゃんたち、勿論ご夫人も茶の席にいるし、美しく茶をたて、客人をもてなしているし、決してそこに差別がある訳ではないんだけれど、そうか、やっぱりそうか、と思う。
この娘たちから言わせると、お父さんである家元はとても開放的で、映画やテレビをよく見る、とにかく最新の話題作は絶対にチェックする、んだという。それは先述した、おもてなしの精神に欠かせないことであるという。
残念なのは、それが発揮される場面を本作の中に見いだせなかったことで、意外な話題を振る家元の姿が見たかったとも思うが……それこそ喜多郎の音楽で艶消しするよりよっぽど重要だったような気がするが……。

でもね、なんてことを言いながらも、どこかで女は、男系継承に対して、悔しいながらもそれこそストイックな美しさを感じていたりも、するのよ。お姉ちゃん二人から見ればまだまだ年若い、幼い風貌を残す弟君が、父について習い始める、その男同士の、父と息子の美しさに、ズキューンときちゃうのよ。
うう、なぜこれが女で出来ないのだろう(涙)。美しく化粧して、美しいお着物に身を包んだ日本女性は美しいけれど、この境地には踏み入れられないのよ、やっぱり違うのよ。なんでなんで(涙)。なんでなんだろうなあ……。

でもね、小さな頃から叩き込むんじゃなくて、この弟君は野球に熱中してて、家族みんなで決勝戦に集ったし、劇中では出てこなかったけど、ナレーションを担っている次女の優子さんはなんとラクロスの日本代表!
先の、家元の最新作必ずチェックのことももちろん含め、茶道が総合芸術であるという誇りと自負、世の中のすべてが茶道につながっていくという高い意識をじんじんと感じるんである。
でもそれは、イジワルな見方をすれば、全てが茶道のための肥やし、つまり茶道以下であると思えなくもないけど(爆)。

いやいや、それは今ついうっかり思いついたにすぎません、すいません(爆)。家元の、特に茶室の建築監修に関する柔軟な発想にはヤラれ、“電気をつけていない時には普通の竹、明かりが入ると竹取物語のように竹が光る”というのには感動しちゃった。
そもそも茶室は、自然空間をとにかく重んじるんだと思っていたから、それがビルの中に入った時点でもうその発想自体を転換したんだろうし、いや、そもそも、言ってしまえば、“たかだか400年”ということなのかもしれない、と思う。
様々な流派の中に分かれた茶道、武家茶道、綺麗さびといった、いくつもの価値観は、それぞれ確かに伝統的、ストイックだけれど、凡人の私らがイメージするわびさびの世界からは確かにひとつ、飛んでいる。

作法の中で一番ズキュンときたのは、家元が口に懐紙を加えて進めている場面だった。神聖な行事で、息がかからないようにと。こんなに高みにいる、ストイックな家元なのに、その息が、穢れたものだとするなんて。
むしろ、逆に、わびさびの発想からはこれは出ないかもしれない、と思う。綺麗さびの世界は、一方で華やかで自由度を増しているけれど、綺麗であること、他に不快を与えないことへの価値観が発展した故のように思う。あら、だからこの家元はこんなにイイ男なのかしらん。いやいや!

一年中、四季の中で、驚くほど目白押しな行事。しかし、しかも、それのどれもが美しく、見とれてしまう。
特に大晦日の埋火の儀式の美しさ。次を継ぐまだ幼な可愛い長男が学習しながらアシストする美しさ。
……あーあ。女に生まれたことに不満はないけど、良かったと思ってるけど、でもやっぱり、なんか違うよね、悔しいよね。

数々出てくるお弟子さんたちは、みんなそうそうたる大企業の代表たちで、へえ、やずやは、矢頭って苗字なのかあ!と思わずカンドーしたりする。
その中でも最も驚いたのは、ルー大柴、てかこの中ではその名前では出てこない。与えられた名前、大柴宗徹。彼本来の熱情を静寂の中に落ち着かせた男の魅力。へーっ!!と思う。
いやいや、ルーさんは、インチキ英語かと思いきや、実は結構ちゃんと英語が喋れたりするし、なんか意外にあなどれない人なんだよね。

ああでも、やっぱり茶は、茶も、男のものなのか。男だから、カッコイイし、渋いし、色っぽいし、あの茶室の中に入れない。
あの、狭い空間の、禁欲的な茶室の中に女性が入っている画がないことが全てを物語ってる。開放感のある第二次の場所でしか、女は受け入れられないのだ。やっぱりやっぱり、悔しい!!!★★★☆☆


超高速!参勤交代
2014年 119分 日本 カラー
監督:本木克英 脚本:土橋章宏
撮影:江原祥二 音楽:周防義和
出演:佐々木蔵之介 深田恭子 伊原剛志 寺脇康文 上地雄輔 知念侑李 柄本時生 六角精児 市川猿之助 石橋蓮司 陣内孝則 西村雅彦 甲本雅裕 近藤公園 忍成修吾 和田聰宏 冨浦智嗣 舞羽美海 前田旺志郎

2014/7/6/日 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
城戸賞というのは有名なのに、そういやそれがそのまま映画化された話って、あんまり聞いた覚えがないような……などと思うのは、ただ単に私がその作品に足を運んでないだけかもしれんが(爆)。昨今、ベストセラー小説or漫画原作ばかりに偏っていて、本来あるべきはずの映画のオリジナリティーというところから離れていくばかりだったから(特に商業映画は)、なんだか嬉しくなる。
なあんて、ね。それを知ったのは映画を観た後だったんだけどさ(爆)。それにこれ、いったん小説化されてベストセラーになってからの映画化だというから、やはりベストセラー小説という冠は必要なのかなあと思うと、やっぱりなんだか悲しくもなったり。
うーん、でもやっぱりやっぱり、映画のために書かれた物語なんであるから!

映画のために。日本映画のために。基本的に時代劇はあんまり得意じゃないが、やはり日本映画のために書かれた脚本ならば、日本映画でしかできない時代劇というのも大きなポイントであろうと思われる。
しかもそれが、史実モノではないオリジナルであるというのも、更に大きなポイント。更に更に、そういう類は大抵ヒューマン感動時代劇になる傾向が強いが、そこをコメディ、エンタテインメントにしていく。そして大きなドラマはしっかりと、ある!

ああ嬉しくなる嬉しくなる。いやさ、時代劇のコメディといえば近々で三谷作品があったからさ、でもあれはしっかり史実、だったじゃない。それだけに私は頭がこんがらがりまくってしまったの(爆)。
だからこういう、時代背景をしっかり踏襲し、参勤交代というその時代の特異な制度をオリジナルな視点で読み解くという面白さ。それを通して、サムライの矜持のみならず、というかそれをさておいて地方者の意地、本当に大切なものはなんぞや、というものを見せてくれて、実に溜飲が下がったんだもんなあ。

本木監督は時代劇は初ではなかろうか。ゲゲゲの鬼太郎は時代劇ではないよね(爆)。ちゃんと作品をマメに観ている訳ではないんでアレなんだけど、なんか本木監督らしさが久々によく出た作品、作品に恵まれた、気がする。
いまだにデビュー作を言うのもアレだけど、やっぱり「てなもんや商社」が凄くインパクトが強かったからさあ、それ以降はずっと、本木作品の中にあの面白さを求める気持ちがあったような気がする。そしてそれが、本作で果たされた気がする。まさかの時代劇で!

まあそこは、もともと脚本があるからどの程度加味されているかは判らないけど、でもこういう、人間のあったかさが前提にある上での面白さ、シャレている方向ではなくて泥臭さの方が強いかもしれないけど、そんな人間同士の面白さをデビュー作で感じていたから、その感覚に久々再会できて、嬉しかった!
それにこれ、福島なんだよね。しかもドンピシャリの磐城。もともとの脚本からそうだったんだろうか?やっぱりアレ以降は舞台がソコだと意図は感じるじゃん。

意図はきっと、いや確実にあると思う、あるに違いない。内外から、いや主には外から、ちゃんと事実を見ようとしていない、事実を隠している、もう死の土地だみたいな言い方さえされて、本当に本当に、福島、そして浜通りは特に打ちのめされていたんだ。
劇中ではね、それを、取りようによっては揶揄するように聞こえる台詞がある。この磐城国の湯長谷藩のお殿様、本作の主人公である内藤政醇が何より誇りにしているウマい大根で漬けたウマい漬物、それを献上した徳川吉宗から言われるのだ。この土を大事にせよと。誇らしげにこうべを垂れる政醇。

でもその土地が今や、と思えば、皮肉にも聞こえなくもないのだ。でも、ここまでの描写、本木監督の思いを感じて、決して皮肉でも揶揄でもないと、そう思いたいと、思った。
磐城の誇りを持っている限り、外からイモ侍だのなんだの言われようと、権力というもので田舎者だからどうこうできると考える向きへの反発は、それこそ現代に照らし合わせていくらでもうがった見方は出来るのだが、この方向で進んでいくとどうもクサくなっちゃうからそろそろやめとこう(爆)。

そうよ、だって本作はエンタテインメントなんだから!ざっくりとあらすじを申しますと、参勤交代から帰ったばかりの貧乏藩に、五日以内にまた江戸に参勤に来いとのお達し。
費用も大名行列の人数も揃えられない、大体、お上の意図はなんなのか。お上、というか松平信祝(陣内孝則)の謀略で、湯長谷藩の金山を手中にせんと、貧乏藩に無理難題を言いつけたのであった。
それを吉宗(市川猿之助)が野放しにしたのは、彼の不正をあぶりだすためであった。後にそれを政醇(佐々木蔵之介)に明かすのだが、そのために犠牲になったものもいます、と低姿勢ながらもきっぱりと言う。

この構図は時代ゆえならず、現代でも当然ある図式であり、現代において時代劇を描く必要性っつーか、義務っつーか、そんなものを感じて、ちょっと青臭い気持ちにもなる。でもまあ、佐々木蔵之介がやたら素敵なのでヨシとする(爆)。
彼が本来持っているおおらかさ、ユーモラスさを交えて、基本色気のある人なもんだから(最近、そーゆー妙齢の男優をウレダンと言うらしいが……)、もう敵ナシ!

てかさてかさ、犠牲になったものもいるとかいうが、彼側の人間は全然死んでない(爆)。
いや、この時点で政醇はここまで一緒に闘ってきた秋山平吾が松平側が放った忍びの軍団によって鮮烈な死を遂げたと思っていたかもしれないから、アレなんだけど、あんなにぐさぐさ刺されていたのに、なんとまあ秋山、死んでないんだもん、ビックリ。あれで死なないって(爆)。なんてハッピーな物語なんだ……。

いやいや、だから、敵側はバンバン死んでるのよね。ビックリするぐらい、この“イモ侍”たちは強いのだ。
ベタな時代劇を見慣れていれば、忍びの軍団になまりきった侍たち(忍びに比すればそういうイメージ)が勝てるなんて思えない。それなのにこの“イモ侍”たちはバンバン勝っちゃうの!
曰く、日々鍛錬しているからとゆーことなのだが、そんな普通の理由で(爆)。だってこーゆーのって、実戦経験が大事なのでは(汗汗)。

いや、彼らは田舎侍だからこそ、常に危機感を持って鍛錬していたということなのかもしれない……と一生懸命優しく考えないと、超プロの集団であるべき忍びたちに「自分たちは一騎当千!」と自信満々、その自信以上の驚異的な強さで蹴散らすだけの説得力はなかなか見当たらない(爆)。
特に、このおっとり系のお殿様、政醇こそが強いからなあ……。目の覚めるような抜刀術で超プロの忍びの目を恐怖に見張らせてしまう、だなんて……うーむ。

まあそんな佐々木蔵之介がイイ男だから困っちゃう?んだけど!そんな厳しい場面の直後には、助けに入ってくれた抜け忍、雲隠段蔵(伊原剛志)に、あー!助かったー!!とめっちゃ無防備なお顔見せるし!
そう、この無防備な信頼感が、段蔵をここまで走らせたのだった……て具合に、なんかテキトーにストーリーつまんでると訳判らんが(爆)。
“超高速参勤交代”を手助けするために、つまり手っ取り早い金儲けのために助っ人を申し出た得体のしれない男。抜け忍だという彼をアッサリ信じちゃう政醇、そして以下の家臣たちも無邪気すぎるが、そんな無邪気に相当するような男なんだもの、段蔵がさ……。

段蔵が、報酬をもらうまでは、という時点で律儀だと思うが、まあそこは武士(ではないけど)の矜持、しかし早めに報酬くれちゃって、もうその時点で彼ら“イモ侍”のお人よしにぐらりと来ていたのかもしれない。
予定通り雲隠れするものの、その報酬が土くれまみれの古い銭の寄せ集めだったことに、人情篤い(だったのね)段蔵はウワー!!となっちゃう訳。
その場面は遊女たちを侍らせて酒飲み放題だったのに。やっぱり心のどっかで引っかかっていたのね。てか、演じるのが伊原さんだから、もう最初からそういう、人情に負けちゃう?予感がひしひしと。
人情で敵はバンバン斬って捨てるんだけどさ(爆)。ある意味非情だよな……。そこが本作ですんごい、明確に感じたところで。

てのも、敵方、判りやすい、コミカルなほどに判りやすい悪役、だって陣内さんだからさ(爆)。
この悪役、信祝に一番近くで、腹心という形でついている忍びの者がね、忍成君なんだよね。夜叉丸という美しき忍び、ほぼ台詞は「御意」のみのストイックさ。本当に美しくて、やべえと思うほど。
こんな重要な役なのに、なぜオフィシャルサイトの人物相関図に出てこない!!!でまあ、それはアレだけど(爆)、で、そう、こんな重要な役なのに、段蔵にあっさり斬られちゃう。アッサリすぎる(爆)。
えーっ、そんな弱い……いやそれだけ段蔵が強いということなのだろうが、「俺には酒しか効かんぞ」てのはズル過ぎないか!忍びのワザ、つまり忍び自体を全否定やんか!

……うーむ、あまりに湯長谷藩側に犠牲が残らないもんだからさ……。いや、確かにここまでとってもとっても大変だったんだけど、殿の腹心の知恵もの、家老の相馬兼嗣(西村雅彦)だって死にそうになるしさ。
てか仲間からもホントに死んだと思われて、ざんばら髪で吊り橋を走ってくる場面で仲間を恐怖に陥れる場面なんか爆笑だし!!
西村氏はホントさすが、もうポイントポイントで笑わせてくれて、見事というほかはない!あの、井戸にうっかり落ちちゃう時の間抜けた声が間遠になる感じとか、まさしく西村雅彦って感じで最高!

“超高速”で走り抜ける参勤交代は少人数だから、それぞれに個性的、実力派のメンメンが揃っているんだけど、かの寺脇氏ですらすっかり西村氏には喰われちゃう!
若手でも個性派の柄本弟君も歯が立たないんだから、ジャニーズ若手は更に苦しい!ダメだよ、西村氏、一人ヌケ過ぎだって!

西村氏のインパクトはヒロインサイドにまで広がってしまったかもしれない……。
家臣たちと待ち合わせるために投宿した宿で、気の強い遊女、お咲にウッカリ惚れちゃった政醇、という要素が後々大事になってくるのだが、いや、大事でもないか、別に陰謀云々に直接かかわる訳じゃないし、まあ判りやすく人質っぽくなるけど一瞬だし(爆)。
と、とにかく、お咲に扮する深キョンが、男たちのドラマにすっかり飲まれてしまってあんまり重要性がない(爆)。
最終的にお殿様の奥様になるんだからすんごい重要度高い、つまりお殿様が、身分など関係ない、てかもっとおおらかな言い方、人生楽しめばいいではないか的な(そういう言い方じゃなかったけど、忘れた(爆))、と、とにかく、本作の一番コアな部分をついたエンディングになる訳だから重要なんだけど、なんかイマイチ(爆)。

言ってしまえば本作に女は必要ないんだもん(爆爆)。それであえて登場させるなら、相当インパクトないとさあ、と思う。
ここまででまだ言い足りないエピソードいっぱいあるもん。それはすべて、男、侍、そんな同志のエピソードなんだもん、悔しいけど。
しかもそれが、老若問わずなんだもん!水戸の若様、旺志郎君とかさ!「飢饉のときに助けてくれた」からと、大名行列を貸してくれる磐城平藩主の甲本さんなんかホント泣かせるしさあ……。でも「お前らクサイぞ」と笑わせることも忘れない!(当然磐城訛りだが、上手く再現できなくてゴメン!!)
ポイント固めの猿の菊千代でさえきっと男子……。でもそこから派生する蔵之助様の腹話術には爆笑!!彼の“閉所恐怖症”は、ラブ絡みで解消されるものの、先述したように深キョンのお咲があまり深く印象に残らないから、思ったほどの重要性が感じられないのが、女子としては、ほんっとーに、悔しくもったいなく、悔しい!!やっぱ時代劇、しかもサムライ系は男子のものかね、やはり……。

基本的には大オッケーなのに、フェミニズム野郎はあれこれ言いたくなる悪いクセ(爆)。基本時代劇は、そこんところは仕方ないのは判っちゃいるのだが。
言い足りないことは色々、色々!大名行列を大人数に見せるために大急ぎで後ろに回る俯瞰の画とか爆笑!これは前半の大きなクライマックス!!
他の大名行列に出くわして、それをすり抜けるために飛脚に早変わり、つまりいきなりふんどしいっちょになるアイディアにも爆笑!
それもこれも、西村氏=家老の相馬が必死に知恵を絞ったっていう、その必死さが生み出す可笑しさが、いいの!だってふんどしアイディアはジャニーズ男子のあらわな股間から発想よ!(いや、誤解招きすぎな言い方だろ!)やっぱりそこは西村氏の醸し出す可笑しさなんだよなあー。

あ、あとどーでもいいことだがひとつ気になった、大根。冒頭シークエンス、こんないい大根がとれましたよ!とナレーションも担っている神戸ちゃんが差し出す大根、この漬物が絶品で吉宗公をも動かしたという、つまりかなーり重要なシロモノ。
あのシチュエイションではどう考えたって掘りたての筈なんだけど、葉っぱがしおしおにしおれている……うーむ。いくら蔵之助様がガブリとかじってウマイ!とやっても、その手にした大根さんの葉っぱはやはりしおしおである……うーむ。
こーゆーのって、案外気になる。野菜のみずみずしさは、最も直球にリアリティを表現できるものだと思うからさあ。 ★★★☆☆


ちょっとかわいいアイアンメイデン
2014年 97分 日本 カラー
監督:吉田浩太 脚本:吉田浩太
撮影:関将史 音楽:松本章
出演:木嶋のりこ 吉住はるな 間宮夕貴 矢野未夏 本山なみ 持田加奈子 葉山レイコ 内田春菊

2014/7/24/木 劇場(楽天地シネマズ錦糸町)
ああ、なんといい時代になったものよ。こんな可愛い女の子同士のエロを、フツーの映画館のスクリーンで見られるようになっただなんて。
個人的な感慨としては、最後の砦のピンクも崩壊寸前、AVも玉石混合どころか玉が石石の中に紛れて見つからない、かつて隠れて見ていたエロが大衆文化としてどんどん前に出てきて、もはやエロが恥ずべき文化ではなくなるところまで垣根が低くなった。

グラビアアイドルもセクシーアイドルも、つまりは一人の女の子、セックスをするのはAVの中の女の子だけではないんである!
……何を言いたいんだ、私は、段々判らなくなってきた……。つまり、女の子は素晴らしい。女の子のこんな可愛くて美しいエロが見たかったとゆー、ゆがんだフェミニズム野郎の理想がどんどん叶えられる昨今。
「赤×ピンク」でその硬派なところが満足させられたが、軟派な作品もどーんと現れて、ああもう私は大満足。

うーん、この客層はもったいないんだな!ああ、なんだか脂臭いよ。50代周辺の、リュック背負ったヒトリ男性客ばかりが集まるこの客層。
エレベーターの中が不毛すぎる。まあ私もきっと、不毛なおばはんと思われていたに違いないのだが(爆)、やっぱりやっぱりこーゆー作品にはこーゆー判りやすい客層しか来ないのか。いやここが錦糸町だからなのか(爆)。
もひとつかかってる池袋なら、私のようなおばはん含め、女性客がもっと来てるような気がする。だってこれは、個人的には、女の子(かつてを含め(爆))に観てほしい映画なんだもん!

男性諸氏は、そんなばかなと思うのかもしれない。そもそも青年誌に連載されているコミックスなんだというんだから、客層は男子で当然、そこにエロ可愛い女の子がカラミを見せるというんなら、余計当然、と思うのかもしれない。
しかし、しかあし!女子は女子エロが大好きなのだよ!いや、そう言い切ってしまうのはあまりに乱暴か(爆)、好きな人も多いのだよ!
だってだって、女の子は男子の目からじゃなくても、同性の目から見たって可愛い。それはあんな風になりたいとかいうありがちな定義じゃなくて、この世に神様が作りたもうた、美しき奇跡としての。
そりゃ女子だってフツーに男女のセックスにもドキドキするが、女子同士のカラミは、その何百倍もエロくて、美しくて、胸が高鳴る!

ああ、何だろうこの感情……。あのね、この物語設定もいいのよ。見事なまでに男子が一人も出てこないんだもの!
本当に出てこない。隅から隅まで出てこない。ここは女学園が舞台だけど、教師としても出てこないのだ。隅から隅まで女子だけなのだ。
それがね、男子としてはただエロ視線なのかもしれんが(すまん、フェミニズム野郎なんで、ついつい男子に対してランボーな口のきき方になってくる……)、女子にとっては、世界は女だけで構成することが可能なのだと、古い言い方だが、男は結局女の股から産まれたのだと(爆)。

まあ女も男の力を借りて女の股から産まれた訳だが、そういうリクツ?はおいといて、きっと世の中は女だけで完成することができる!とか、もうムチャクチャな理論まで突っ走ってしまいそうになる。
それぐらい、この女だけで作られた花園が、エロいのにストイックで、文学的に苦悩したりして、もうサイコーなんすよ!!

いい加減にしろ……つまり何なんだ、私(爆)。えーとね、タイトルからはかなーり判りづらいんだけど、女学園が舞台の、拷問部のお話なのね。
ご、拷問部(汗)。予告編に遭遇した時から、卒倒しそうなほどコーフンした(爆。ダメ人間……)。
ああ、谷ナオミの昔から、緊縛モノ大好き、緊縛は男ではサマにならないの。女が縛られなきゃ意味がないのっ、と萌えつつ、でも一方で……自分でもあんまり気づいてなかったけど、つまり縛る側は男なのよね、ということに、不満足を感じていたのかもしれない。この物語設定にこんなに喜んだということは、そーゆーこと(爆)。
しかも女子高生で、お嬢様学校で、その先には女同士のエロが待っているなんて、か、か、か、完璧すぎる。ああ、神様、ありがとーっ(涙)。

なんか言えば言うほど、自分のダメ人間ぶりを露呈するような気がしてきた……。しかし、しかあし、女が女を縛るということの喜びは判ってもらいたい。
このキャストの中に、なんか名前を見たことあるなあと思ったら、部長役の間宮夕貴嬢は「甘い鞭」で檀蜜嬢と共にヒロインの一翼を担い、彼女よりも観客のドギモを抜いてしまったあの子だと知っておおう、と思う。
しかし今回は彼女は割とワキにまわっている感じで、その抑えも好もしい。つまりはもう抑えからして信頼度高し!なのよね。

相変らずカドカワのオフィシャルサイトはやる気ゼロで、キャストの紹介も何もないんだけれど、そーゆーことを知ってしまってはつまらないかもしれないので、その他の女の子たちの来歴は特に探らないけど、でも、素晴らしいの。
成績はダメだったのに、拷問人の適正に合格して伝統ある拷問部に入部、責めの資質を開花させていく木嶋のりこ嬢がまず素晴らしい。
彼女のイイところは、まず普通にブリブリなところ(爆)。それこそ、AKBあたりにいそうな(ちょっとまゆゆに似てる気もする(爆爆))、エロなど感じさせない普通の可愛い女の子なんである。

それは私が、グラビアアイドルであるという彼女の仕事ぶりを知らないからなのだろーが、充分、「私、そんな、拷問なんて、出来ません……(泣)」とゆー、女の子に見えるんである。
しかし女の子、いや、女、いやいや、女優の変貌というのは素晴らしいもので、私はそれが見たくて映画を観ているようなもんかもしれない(などとゆーことを、今初めて思いついた(爆))。

マークシートをテキトーに埋めた、憧れのお嬢様学校の入試、撃沈したと思っていたその試験に合格(拷問適正でね)した彼女が、最初はホントにオドオドで、先輩に指導されてムチをふるうたび、ご、ごめんね、ごめんね、とオドオドするのがホントブリブリで可愛くて(ブリブリを同性に可愛いと思わせるなんて、凄いことなんだよ!)、本当に見守りたくなってしまうのだ。
だってこの女の子、結月はその散々だった(筈の)入試の日に、運命の出会いをしてしまう。自分でスパンキング(という言葉、初めて知った……言ってる割にはビギナー(爆))してオナってる先輩、碧生にココロ奪われてしまったのだ。

しかもこの時つい出来心で盗んでしまった“下着”が、思いっきりSM仕様の、乳首とワレメがギリギリ隠れるようなヒモ状のヤツ(爆)。
結月は自室でそれをこっそり身にまとい、ペットのウサギ、マリアちゃんを気にしながら、これまたオナっちゃうんである。

……男子のオナは美しくないが(ヘンケン(爆))、女子の、てか可愛い女の子のオナはなんと崇高で美しいのであろう……。
もうここまでくると、私、ちょっと頭オカしいかもしれない、などとも思うが、しかしラストシークエンスで、引き離された二人がお互いを思ってオナりあうシーンは、もう、これは、二人で愛し合っているってことでしょ!と涙が出るほどの美しい愛のシーンなのだもの……。

うー、もう、フェミニズム野郎は、脱線するにも甚だしいだろ!てか、どこまで行ったかもよく判らない(爆)。
えーと、だから、お嬢様学校に、拷問適正で入学して、拷問部に入部して、そうそう!拷問部!
同じ新入生だけど、小学部からの生え抜き(!)の部員である苺花が、拉致同然に拘束された結月に「これは部活ですから」と緊縛されながら息も絶え絶えに言うファーストシークエンスには驚愕&思わず噴き出す!

そう、決してシリアスにならないところがいいんだよね。この苺花ちゃんの部長への思慕はこれまた純愛と言いたいぐらいな感じで、生え抜きのエリートだけど、太めの縛りがいのある身体つきと、何より責められ専門のおどおどとした優しげなキャラが、なんとも和ませ、不安だらけの結月を支える存在ともなる。禁断の恋愛感情を持っているのも同じだし……。

そう、禁断、なんである。なんでも今回の映画化に際しては結月と碧生の関係性を新たに書き加えたというが、こ、これがなくては、だ、ダメだろー!!
てことは原作はそもそものオドロキの設定、拷問部というスポコンもの、なのか……それはそれで確かにメッチャ意外性の魅力はあるけれど、拷問に緊縛が含まれるのなら、てか、少なくとも映画の拷問部の前提はそれだし、ならば当然、エロになり、恋愛になり、ならば!
うーん、そのあたりの原作との相違は気にはなるが……青年誌なのだからエロは当然あるのだろうが……そこが男子と女子の差なのか??
うーん、気になるけど実写の、ナマの女の子カラミに触れてしまったら、やっぱりそんなことはもうどーでもいい訳!

確かにそうと考えれば、最初のスポ根風味、そのナンセンスな面白さから、女の子同士のリアルナマエロな恋愛展開は、乖離し、不自然なのかもと思わなくもない。
このお堅い女学園で拷問部が伝統のある部活で、その先には優秀なスパイの道が待っている。事実、部長は卒業後は国家公務員をめざしているというのだから、エリートコースまっしぐらな訳である。
そこからエロの恋愛に発展するのは、ある意味では俗に堕した展開なのかもしれない。でもだからこそ本作は素晴らしいと思ったし、演じる女の子が素晴らしいんだもの!

で、かなり遅くなったが、ヒロインのもう一翼、碧生先輩を演じる吉住はるな嬢がこれまた素晴らしいの!
校内の女子たちから、カッコイイと憧れられる中性系。男言葉でボンテージ姿、怯える結月を責めまくる。
しかし実はマゾの性癖を持っていて、その姿を初対面から結月に見られ、結月のサディズムの才能を開花させる形で彼女自身も解放されていく。

……なあんて、文学的解釈で言っちまったが、つまりはつまりは、この二人は運命の出会いでさ!男言葉でまっすぐな髪をクールに振り乱していた碧生が、「先輩……できません……」と泣きべそかいてたオドオドブリブリの結月と立場逆転。
その上下関係の言葉遣いはそのまま残しながら、碧生が結月の縄の下に、打ち据える鞭の下に、ろうそくの下に、許しを請うていくこの美しきSMの愛の姿!

そう、結月が最後まで、先輩を先輩として立てる言葉遣いをしながら、サディズムの側に立つという、一種、慇懃無礼とも言えるような逆転の感じが何とも言えず萌える。
しかもそこから女の子同士の美しくもエロエロなカラミに発展するのだから文句なし!
ああ、なんて美しいの。まあ正直、潮を吹くのが絶頂のしるしみたいな描写はアレかなと思わなくもないが、女の子の柔らかい唇、女の子の柔らかいおっぱい、それが触れ、絡み、吸い合うのが、聖なると言いたいほどに美しいんだもの!

まあつまり、女の子は、それだって性欲によってのコトなのは間違いないんだけど、異性によって貫かれるのと違って、同性、しかも可愛い柔らかい女の子同士だと、犯される感覚がないっていうかさ……。
そんなこと言ったら、ホモセクシュアルの向きに怒られるかもしれないけど、こと男女のセックスにおいては、その形状から、やっぱり女が犯される感が強いじゃない。貫かれる訳だからさ。

男女のセックスによって男は権威を得、女は従属を強いられる、そんな気がしちゃう。常々そんなことを思っている不毛なフェミニズム女子は、だからこーゆー物語に歓喜してしまうんである。
ビアンな物語は他にもあれど、大抵はどこかで男の介入がある。でもここではほおんとに、ないんだもの!女の子だけの、夢のような世界。

男子諸氏としては、それは世間の厳しさと違うと言うかもしれないが、だからこそ拷問部という厳しい世界が待っている。
それに、拷問に耐えうる強靭な肉体と精神を持っているのは、恐らく、多分、きっと、いや絶対、女子の方である。そうじゃなくちゃ、緊縛の文化が発達する訳はないのだっ。

基本は結月と碧生先輩の禁断の恋愛(恋愛は心身を弱くするからと、ご法度なのだ)にあるものの、本当に丁寧に細かなシチュエイションで満足させてくれる。
「これは部活なんです」と言って冒頭、観客のドギモを抜いた生え抜きの苺花ちゃんは、さすが生え抜き、更にドギモを抜く様々な拷問デモンストレーションを結月に見せてくれる。

三角柱にオマタをスレスレにされて緊縛、宙づりされるシーン、それでなくてもスゴい場面なのに、三角柱のカドがクイ込むスポットを、ショーツの柄と同じイチゴマークで隠す(あ、名前から来てるのか!)衝撃!ボカシよりもモザイクよりも金マークよりも、衝撃を受けた!
それでなくてもさすが、拷問部というテーマをしかと追求してくれて、緊縛ファンも満足させてくれる数々(爆)、「センパイ……(ハァハァ)、もっとキツく締めて下さい」という台詞に萌え死にしそうになるこの不毛(爆)。

タイトルとなっている中世の拷問器具は、代々の拷問一家(こう書くと凄い言い方だが……)の碧生先輩の豪邸にある重々しい、中世の騎士をかたどったもので、ここでの合宿が結月を開花させ、碧生を解放させ、二人のラブを目覚めさせる重要なシークエンスになっているというのがウマいんである。
しかもこの拷問器具が「ちょっとかわいい」と、そのタイトルの言い回しが上手くクライマックスに関わってくるのがイイッ。

そうなの、この碧生先輩の豪邸での合宿ってのがイイのっ。高校生の部活の合宿ってだけで萌え萌えなのに、それがお嬢様学園の、ヒミツの拷問部の、夏合宿っ。あー、もう死にそう(バカ)。
水着姿の後輩を縛り上げて、先輩がハチミツを塗り込む場面だけで死にそうに萌えたが(大バカ)、そこに這い回る幼虫!ギャー!!しかも碧生先輩、容赦なくバケツ一杯浴びせる!ギャー!!も、萌える……(爆裂バカ)。
ああ、その後の碧生先輩のマゾが解放される個人特訓といい、もう、涙が出るほど萌えまくる。……なんかホンキで私、頭オカシイ気がしてきた……。

でもやっぱり、女子なんだもん。やっぱり、切ない恋は終わってしまうんだよね……。
二人の恋愛がバレて、激昂した部長から過剰な拷問を受け、碧生先輩は重傷、コトが明るみに出てしまう。
きっと部長は碧生先輩のことが好きだったんじゃないかなあ……と思う。映画上での設定ではたった四人の部員で、つまり新入生が入るまでは二人きりで(小学部からの生え抜きの苺花がいたにしても)頑張ってきたんだからさ……なんてことを勝手に推測して、切なくなったりする。

で、苺花は部長のことを、きっとずっとずっと幼い頃から好きで、卒業してしまう部長に決死の思いで告白しようとすると、「それ以上はダメ。判ってたよ、苺花の気持ちぐらい」
つまりそれも、一流のスパイとなるために明らかにしてはいけない感情なんである。せ、せ、せ、切なすぎる!!!
ああもう、ホントに男子なんかいらない!(爆)。判るでしょ、これを女子にこそ観てほしい気持ち、判るでしょ!!

とか言いながら、ラストクレジットのバックで、一糸まとわぬ姿に赤い細縄だけを幾何学的に、エロティックにまとい、お互いそれを操り、締め合う、ダンスのような愛撫を見せる結月と碧生、つまり、のりこ嬢とはるな嬢にドギモを抜かれるんである。
勿論エロだし、可愛いし、美しいし、なんかもう芸術だし、やっぱり女の子って、素晴らしい!
だってこれを、同じ年頃の男子アイドル(グラビアアイドルは、男子にゃいないもんなあ)には出来ないでしょ。
いや、やってるところを見たことないだけで、やれるもんならぜひ見てみたいが、やっぱりそこには、セックスに征服の意味合いがある男子にとっては、負の意味合いが絡んでくると思うからさ……。
いやそれは、あくまでストレートの男子にとってということなんだけど、女子の場合はそれも全然関係なくしてなんだもの。

しかし監督は男子なんである。ああなんか悔しいが、「ユリ子のアロマ」から(私的には)ブランクあって、なんか突然連打してきた監督さんは、その、知らない間に超絶レベルアップ!
それに対して男子に対する敵意をむき出しにしてしまっては、それはそれこそ救いようのないフェミニズムおばはんなんである。ここは歯を食いしばって(爆)、認めてやることにしよう(かなり悔しい)。

悔し紛れにひとこと。コスプレっぽい超ミニセーラーの薄っぺらい生地が、すぐシワシワ、だって、通行してるだけの女の子のスカートが既にシワシワ、それはちょーっと残念だったけどねっ。
だってそういうことで世界観が安っぽくなっちゃうからさ、舞台がお嬢様学園だけに、いくらオフィシャルサイトがやる気ゼロの製作状態でも(爆)、そーゆーとこには気を遣うというか、プライドを持ってほしかったかなあ。それって、細かすぎるかな?

原作のついウィキペディアを覗いてしまった……。確かに恋愛に傾くにはディープそう……ダメダメ、映画と原作は別物なのっ!★★★★★


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