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異動辞令は音楽隊!
2022年 119分 日本 カラー
監督:内田英治 脚本:内田英治
撮影: 伊藤麻樹 音楽:小林洋平
出演: 阿部寛 清野菜名 磯村勇斗 高杉真宙 板橋駿谷 モトーラ世理奈 見上愛 岡部たかし 渋川清彦 酒向芳 六平直政 光石研 倍賞美津子
そりゃそうなるさ。そしてそれだけで充分に号泣さ。でもなんたって警察音楽隊、というのがミソで、よくぞまあ、こんな面白い題材を見つけて下すったと思って!
それこそ「スウィングガールズ」やら「東京ウィンドオーケストラ」やら、その展開は大体共通する楽隊ものは数あれど、警察音楽隊、ってのは盲点だった!他のどの楽隊ものにも出来ない、オリジナルな人間関係や事件や展開が作れる。これはなんというアイディア!
主人公の成瀬はたたき上げの刑事から音楽隊に、栄転という名の左遷。
彼は音楽隊の公報という専任の立場だけれど、音楽隊のメンバーはみんな交通課や警ら隊に属しての兼任で、それぞれの部署にプライドがあるからやたらとぶつかり合う。
それと同時にその部署での仕事で疲れ果てているのに音楽隊に駆り出されてへとへとであり。おっもしろい、面白い!
警察音楽隊がテーマと聞いた時、確かにその画を見た経験があるのに、そんな内情は考えたことがなかったんだよね。考えてみれば、どういう組織なのか、思いついたら不思議なことだらけ。
それ単体で従事しているのなら、音楽だけやっていて警官、というのも不思議だし、という謎も解き明かされるが、それが故に、軽視されるもどかしさ、というのもめちゃくちゃなるほど!である。
予算不足で廃止危機にあるというのも、彼ら自身にアイデンティティがないのだから、警察幹部自体にそう思われるのも必然で、それをどう克服していくのか。
それは音楽隊の存在意義を飛び越え、音楽の存在意義、そして、人そのものの存在意義をあらわにしていくという、もう胸アツそのもの、警察音楽隊という着想からだからこそ、産み出され、あぶりだされる魅力的要素とキャラクターと展開が満載なのだ!!
成瀬に扮する阿部寛氏は、見事に時代遅れの刑事を体現する。私たち凡人の一般人は、警察と言えば刑事、刑事ドラマ、古くは「太陽にほえろ!」から、近年の「踊る大捜査線」はかなり現代的な警察内部を描いていたとは思うけれど、でもやはり刑事が花形、だったんだよね。
なのにその花形の筈の刑事、その花形の時代の記憶を捨てきれない、いや、捨てきれないという自覚もないまま、シャツをインしただっさいファッションと傲岸な態度の成瀬の造形は、もうイッタイイッタイ。
今、街中ではアポ電強盗なる、警察を装ってお年寄りに電話をかけ、家の中に金を隠し持っていないかを探り、あると確認したら宅配業者を装って押し入るという、卑劣な犯罪が横行していた。
成瀬はその元締めが、以前取り逃がした大物ボスであることを直感して、その手下を締め上げるが、つかめない。てか、直感だけで、しかも令状もなく、ムチャな脅しで押し入る成瀬に、後輩の坂本もさすがに困惑である。あるんだけれど……。
坂本を演じるのは、最近出ずっぱり、忙しすぎて大丈夫??と息子のように心配になっちゃう磯村勇斗君である。成瀬が音楽隊に飛ばされたのは、絶対的に自信たっぷりの成瀬が、退屈な対策会議を嘲弄し、足で情報を集めるんだと言い募って事前の打ち合わせやチームワークを無視し、決定打は匿名の投書でそのパワハラが訴えられたからなんであった。
めんどくさいからもう言っちゃうけど(爆)、てか、成瀬も、そして多くの観客も判っていたんだろうが、私はバカだから結構ビックリしちゃった。坂本こそが、その告発者であった。
成瀬が音楽隊に飛ばされ、それでも事件が気になって会議に飛び込んで白い眼を向けられたり、音楽隊のファンのおばあちゃんがその被害に遭って、……殺されてしまって、判ってるのに、もう部外者だって判ってるのに、現場に突入しちゃったり、そのたびに、先輩をいたわる痛まし気な目で押しとどめていた坂本。
だからこそ、そうか、そうだったのか……と思う。結果的に成瀬の読み通り、彼がかつて取り逃がした闇社会のボスの男が元締めだったんだけれど、直感だけみたいな感じだったし、だからこそその主張は排除されたんだし、ここんところはどうかなあと思ったりもしたんだけれど。
で、まあそんな訳で(そんな訳で?)成瀬は音楽隊への異動を命じられる。ここまでも、ここからしばらくも、成瀬は、メチャクチャ嫌悪感を抱かせる男。もう正直に言えば、イヤな男!!というのは、劇中、同僚となる来島(清野菜名)に吐き捨てられる男。
刑事課にいた時すでに、上にも下にも、その傲岸で高圧的な態度は疎まれていたのだから、イヤイヤながら音楽隊に来た彼の、侮蔑しきった様子がカチンとくるのは当然である。
ただ……音楽隊の他のメンバーたちもその点では同じで、来島だけが、いや、来島と、この音楽隊の隊長、沢田だけが、音楽をやりたいがために、この隊にいる、っていう配置がまたもう、上手いんだよなあ!!
そういうことも、ありそう、あるんだろう。取材して作劇しているんだから。来島は音大卒。音楽を仕事にしたくて、音楽隊のある警察官になった。この台詞、というか、考え方は……音大を出ても例えばオーケストラに就職するとか、ミュージシャンになるとか、そして何よりそれで食べていける人は、一握りどころでは、ないんだろう。
夢をかなえるために、現実的な就職先。なるほど!!と思うものの、先述のように音楽隊員専任の状況は許されない。シングルマザーである彼女にとってこの兼任は重く、後に泣く泣く除隊の道を選ぶことになる。
これは、これはね……。生きていくために音楽を捨てる、それは、音楽があくまで趣味嗜好と思われていて、兼任にされているってのがまさにそうで、だからこそ、片手間だとされちゃうってのが、あまりにも理不尽でさ。真剣にやってるのに、兼任の大変さの中頑張ってるのに、なんなん!!ていうさ……。
でも最初は、メンバーみんな、そんな風に思ってた。練習にも身が入らないし、イベントでの演奏でそのひどさが露呈して、険悪な状態になってた。でもだからこそ、よりヘタクソな、よりやる気のない成瀬が入ってきたことで、変わったのだ。
自分たちの大変さを判ってないだろ、というところから、所属する課の仕事へのプライドで身内ケンカみたいになって、成瀬は警察という中に、刑事以外の部署があるんだと初めて知ったみたいな顔をしていた。まさか、そんな訳はないけれど、先述のように、凡人の一般人の私たちが思うように、刑事ドラマの影響が強いからさあ。
成瀬には認知症の母親と、離婚した妻が残していった一人娘がいる。日本では母親側に子供が行く傾向が強いから、この娘が父親側についた経緯が気になるところだが、正直なところを言うと、認知症の母親、そのおばあちゃんを心配する孫娘、父と娘の確執、といった物語を作り出すための一点だったのかな、と思い、ここだけはちょっとモヤモヤとする部分かなと思う。
娘ちゃんは出来た子で、おばあちゃんと父親の朝食を用意したり、おばあちゃんの食事の補助をしたり、仕事人間で家にいない父親の代わりにおばあちゃんのことをとても気にかけている。だからこそ、おばあちゃんを喜ばせたいというのもあって文化祭でのバンド演奏を父親に見てもらいたかったのに、仕事だから、忘れていた、というサイテーの理由でスルーしちゃう成瀬にそりゃあ激怒するわさ。
おばあちゃんは、もうだいぶ前に亡くなった自分の夫、そして息子の嫁のことをいまだにいるものと思ってる。深夜、外でぼんやり、旦那さんや嫁を待っていたりする。
それだけ旦那さんや嫁に頼り切っていたのか。それだけ頼られていた嫁が息子と離婚したことも、旦那さんが死んだことも忘れ果てたのは、その事実がそれだけショックだったのか。
そして娘ちゃんがその経緯でどういった思いで、母親ではなく父親の、そしておばあちゃんの元に残ったのか。……だってこんな、仕事人間で家族を顧みず、母親に対して、何度言ったら判るんだ、親父は死んだんだ!!と怒鳴って怯えさせるなんて父親、サイテーだもの。
もう言語道断だよ。絶対にやっちゃいけない。認知症で、違う世界、違う時間軸に生きているのに、待ち続けている愛する人が死んだんだとか、息子の嫁は離婚して出ていったんだとか、急激に言われて、忘れては言われ、忘れては言われ……辛すぎる。
部下への高圧的な態度で飛ばされた成瀬だけれど、それと同等、それ以上に、家族に対してやっちゃいけないことを繰り返していた。仕事という名目で……そしてそこから左遷されて。
成瀬に命じられたのはパーカッション。理由は子供のころ、お祭りで和太鼓を担当していたからだったという。その写真は今もリビングに大切に飾られ、母親の自慢の愛息子であったことが提示される。なぜ和太鼓だったのか、それにこだわった母親の想いも判らないままなので、ここもまた正直、作劇のためのテキトーさを感じなくもないのだが……(爆)。
家の倉庫に無造作に残されていた和太鼓。あんま知らないけど、和太鼓は天然材質で作られてるから、こんな無造作にほっとかれたら、湿度とか繊細にかかわってくる楽器だと思うから、……こんな、以前通りの乾いたきれいな音、出してくれるのかなあ??
楽器を大切にすることの描写は、娘ちゃんの文化祭帰りと知らずに、男子二人とギターを背負って夜遅く帰ってきた彼女ともみあいになり、ギターが放り出されて「バイトでお金貯めて買ったのに!」と娘ちゃん激怒の場面があって、これはまさしくなんだけど、和太鼓、それ以上に繊細だと思うんですけど……。
個人的にグッとくるのはやっぱり大好き、渋川清彦氏。パーカッション担当、最高のパンクバンドさと、ラフィンノーズの名前を口にした時、昭和世代は感涙ものよ。しかもカセットデッキをガシャン!て!これぞエモいってことでしょ!(単にエモいって言いたいだけ……)。
渋川氏演じる広岡が、パンク仕込みで情熱をもって教え込むのが、イイのよ。阿部寛氏はさ、コメディ役者として押しも押されもせぬ定評のある人で、本作だってそういう色合いはあるけど、本作の役柄、成瀬は、決してそっちには振らないんだよね。あくまで、時代に取り残された、頑固な、アナログな男。笑わせてくれるとしたら、周囲の、渋川氏や、この左遷に追い込んだ光石氏演じる上司とかでありさ。
成瀬=阿部氏がドラムがめちゃくちゃ上達していっちゃう過程、もうクライマックスでは号泣必至のカッコよさに至るまでに、まあいろいろとある訳。クライマックスは定期演奏会。あー、これもさあ、楽隊映画(ヘンなくくり方だが)だったら、必須、だよね!
でもそこに事件が絡み込む。冒頭から示され、成瀬も情熱をもって関わっていたアポ電強盗事件。初めての死者が出てしまった、よりによってその被害者は、音楽隊の熱烈なファンのおばあちゃん。いつもきちんとオシャレに和服を着こなして、応援してくれた人。成瀬の迷いを見抜いたのかどうなのか、真っ先に激励をくれた人。
もう部外者の成瀬は、同じ署内なのに、何も知り得ない。音楽隊の定期演奏会は迫っているけれど、その廃止がなされるかもしれない、この二つの、音楽隊の危機と、街の危機を、一気に解決するクライマックスにしびれまくる。
最終的に坂本は、自分が成瀬を告発したと告白したし、成瀬しかボスの素顔を知らない。恥をしのんで、いや、……自分が告発したことを告白する覚悟を決めて、先輩に協力を依頼する。
成瀬がこの音楽隊にすっかりアイデンティティを見出し、穏やかで満ち足りた様子を目撃しなければ、いや、それ以前に、この事件の防犯イベントという形で顔を合わせなければ、坂本は、いわば成仏できなかっただろう。
尊敬と軽蔑、いや、軽蔑は言い過ぎだろうか。恐怖、戸惑い、時代の差と恐る恐る言っても、突っぱねられる恐ろしさ。ちょっとね、これは私自身も気をつけなきゃいけないと思ってる。昭和世代は、スパルタ信仰があって、ぬぐいきれない先入観があるからね……。
たっくさん、言い切れなかったところがある!!メンバーたち。指揮者で隊長の沢田の、ヨワヨワだけれど音楽を愛してやまない一途さ。
高杉真宙君が良かったなあ。彼は刑事課志望だったから、警ら隊との兼任で音楽隊という多忙さだから、ことさらに成瀬にくってかかる、わっかりやすいポジションなんだけど、でも彼がさ、サックスのソロをまかされ、緊張気味に、だけど見事に全うした直後の、喝さいの中の、恍惚と言いたいほどの充実した,紅潮した表情が、忘れられないよね!!
なんたって、制服萌え。もうこの一点。警察音楽隊に萌える人たちはきっとたくさん、いるんだろうなあ。そこから入るか、この映画から入るか。
劇中でも言われていたけれど、自衛隊にも、消防隊にも、確かに音楽隊って、ある。だったら警察には別に要らないだろ、という発言があるんだけれど、自衛隊にも、消防隊にも、同じ葛藤があるんだろうなあと即座に想像されちゃうと、こういうトップ人たちの、想像力のなさというか、それこそこれぞ、多様性への理解のなさ、ってことなのかも、と思ったり。★★★★☆
ちょっと、ムリがあるんだよね。だって、香取氏演じる裕次郎の妻、日和(ひより)が不満を爆発させるのは、夫婦間がちっとも対等じゃない。女ばかりが家事をやって、女の持つ仕事が誰でもできることだと軽んじられている、……実はもっと切実な、キモとなる事件が潜んでいるんだけれど、まぁとにかく、夫婦間の、年齢やキャリアも含めた関係性が、ある程度拮抗しているからこそ出る不満のように思うから。
いや違うな、それも正しくない。そんなことを言ってしまったら、女の方が若かったり、キャリアがなかったりするのなら家事をやるのは当然、という議論になってしまう……。
上手く言えないけど、香取氏の実年齢、つまり昭和世代は、夫婦で妻の方が家事をやることを疑問に思わない、んだよね。これが平成、特に今の20代30代となるとぐっと変わってくる。家事も子育ても協力してやるのが当たり前。そんな時代に産まれたかった!!とフェミニズム野郎が咆哮してしまうほど、時代が変わったのを感じる。
もちろん今でもイクメンだなんだと男側が持ち上げられる風潮はあるけれど、それをするのは昭和世代からで、当の彼らはそんなことは当たり前と思ってる訳で。
もちろん、すべてだと思ってる訳じゃない。今だって、夫婦間不平等に苦しんでいる人たちはたくさんいるだろうと思う。でも、これを香取氏とゆきの嬢でやっちゃうと、こんな風にねじれというか、説得力を失う気がして仕方がないのだ。
まぁいいのかな。これは気楽に見られるブラックコメディ。もちろんその中には真髄が貫き通されているけれど、結局二人は、あるいは旦那デスノートなる書き込みサイトに投稿する奥さんたちは、夫大好きの裏返しという側面があるんだもの。
まぁこれも、実際はそうじゃない事例の方が多いんだろうけど(爆)希望をもって、悪口は愛情の裏返し、だと、思いたい、みたいな??
少なくとも本作の主人公夫婦である裕次郎と日和、そして裕次郎の職場の同僚、余貴美子氏演じる蓑山さんとそのご主人は、そうである。後々判るところによると、蓑山さんは、旦那さんにデスノートの書き込みを見せている。それによって、愛情を確認している、もうプロフェッショナルなのだ。
蓑山さんが職場にこの話題を持ち込んだのは、彼女と旦那さんがそのことによって愛情確認できていたからこそなのだ。
そしてこの時、セックスレスが5年半、と言ったのもそのとおりだった。旦那さんが病気に倒れてからの年月。そんな事情は知らない裕次郎たち同僚は、逆にこのオバチャンがそれ以前はセックスしてたんだ……と意外の感に打たれる。このあたりも、昭和的感覚が見え隠れする。いや、でも、若い世代は、自分の親世代の人たちのセックスはやっぱり想像しづらいのかなあ。
裕次郎と日和は、ぱっと見は仲がよさそうな夫婦。友達夫婦、という言い方がかつて流行ったが、それこそが危険信号なのだ。友達、だから、セックスレスになる。
裕次郎は結婚を控えた後輩同僚に、幸福セロトニンが出ていればセックスなんてしなくてもいい、と訳の判らないレクチャーをする。そこに割り込んでくるのが蓑山さんの、そして旦那デスノートの話題であり、蓑山さんイチ押しの書き手が、身に覚えがあるエピソードばかり……しかもハンドルネーム(って今は言わないよな。普通にペンネームかな)がチャーリー、それは二人で飼っている小さなフクロウの名前なのであった。
結婚して4年、会話も弾んでいるし、一見して仲が良さそうなそれなりに若い夫婦が、2年以上もセックスレス、そんなもんなのかと思いきや、クライマックスにその事情が待っている訳で。
つまりはその事情ゆえに、お互い言いたいことも言えなかったってことか、と思うと、説明がついちゃうというか、世間的に、このデスノートに書き込みたくなる事例ってのは、そもそもの、ダンナの無神経さとか無知とか無理解とかマッチョ思想とかによるものだから、根本から、違うんだよな、と思っちゃう。
あららら、結婚の経験もないのに想像だけで言っちゃったけど、フェミニズム野郎だから勘弁してね(爆)。まぁいいのかな。そういうスタンスの人たちはもちろんいる。むしろ、大多数である。
それが示されるのは、この書き込みサイトの人気書き手たちの投稿を集めて出版しようという話があって、そのメインに据えられているのが日和なのだけれど、他の書き手たちと飲み会に参加して、彼女たちの、ほんっきでダンナをディスってる、死ね!と思ってるのがマジじゃないかという雰囲気に圧倒される。
遅刻して参加してきた蓑山さんにお互い驚き、つまりこの二人だけがこの書き手たちの中で違う、実はダンナを愛しているからこそ、もどかしい思いを吐き出しているのだ、という図式なんである。
蓑山さんはそのもどかしさを通り越して、ダンナと共有しちゃってる。日和はその想いを裕次郎にぶつけることが出来なくて、想いが濃ければ濃いほどに、その書き込みの辛辣さが彼女たちの共感を産んでしまうという皮肉、なんである。
出版という話が出ることから、日和は隠していた自分の想いに直面せざるを得なくなる。印税とかなんとかいうんじゃなく、多くの女性たちに共感を与えているということも興味がなく、つまり日和は、本当は裕次郎に言いたいことを、面と向かって言いたいことを、言えないから、ここで吐き出していたのだ。
いいね!が付けられて嬉しいのかよ、とバレた時に彼から言われて、そうだよ!と吠えたけれど、本当に判ってほしかったのは、ダンナだったのだ。
そうか、誰もがそうなのだ。日和と蓑山さんは実際はダンナラブの裏返しでのスタンスだけど、今やダンナにっくきで投稿している女性たちだって、にっくき、というぐらいの強い思いで、言えないけど、本当はこの思いを相手に知ってほしい!!なのだ。
それが逆転している夫婦がいる。いや、それは、ちょっと言い方違うかな。裕次郎の後輩同僚、結婚を控えていて、裕次郎がスピーチを頼まれている。
このデスノートサイトの存在によって、後輩君はすっかりマリッジブルー、それというのも、かなりたくましい彼女、尻に敷かれるどころか、尻で圧殺されるんじゃないかというぐらいの。
マリッジブルーが極まって結婚式当日、イヤイヤ遅刻しちゃって、彼女に首根っこつかまれて会場入りするというていたらく、なんである。
香取氏演じる裕次郎は、日和の投稿を読んでゾッとしたりしても、しばらくは彼女に真相を問いただしたりは出来なくて、なんとなくのケンアク状態が続く。
彼らが抱えていた最大のもやもや、それは、授かったお子を、流産か、死産か……日和はエコー写真を今でもお守り、というか、戒めのように肌身離さずにいる。
そんな事情があったなんて、思いもよらなかった。そらまぁ、結婚から四年、セックスレスが二年以上とかしれッと語る裕次郎に、それほったらかしにしてることが問題では……という観客側のもやもやを、そういうことか、と納得させたにしても、でも、やっぱり、納得できないものを感じた。
納得できないのは、出来なかったのは、彼ら二人こそで、どうぶつかりあったらいいのか、判らなかった。自分を責める日和は、でもその時そばにいてくれなかったダンナを恨み、当のダンナ側としては、そっとしておいた方がいいという、いわば逃げを打った裕次郎は、そのうしろめたさがありつつも、本当に、どうすればいいか判らなかったから……。
そして、裕次郎が母親に、つまり日和にとっての姑にその事実を明かされていたことを今更ながら知り、決裂しちゃう。
でもでも、日和はお義母さんには言わないで、と言ったかどうかも判然としないので、ここの軋轢は難しいんだよなあ。
子供の問題、しかも流産が絡むと、本当に難しい。姑に、若いんだから、一度ぐらいは、と言わせるのは、この姑世代にこそ年齢が近いこちとらとしては、こんなこと言わせてくれるな、と思っちゃう。
もう一世代上なら、私らの親世代なら、そういうことを、悪気なく、悪気ないからこそサイアクなんだけど、言っただろうと思うが、劇中の彼らの親世代、演じる美代子さん世代は、こんな気休めの、当事者の内心を考えもしない紋切り型の励まし(になんてなっとらんし!!)は、言わない、決して言わないと思うんだよなあ。
いや、無神経な人なら言うか(爆)。でも、この、言ってしまえば構文だよね。お決まりの構文。ドラマや映画で、何度も聞いたよ、みたいな。
でもその意味合いが、かつてと今では大きく違ってて、励ましではなく、無神経な自己満足。それをきちんと示すために、美代子さんにその役割を課したのだとしたら、納得できる。
セックスレスになったのは、授かった子供が死んでしまったことが、またそうなるんじゃないかという恐怖だったのか、その意識に向き合うことさえ怖くて、セロトニンだのなんだの、言い訳して逃げを打っていたのか。
後輩男子の結婚式で、一度持ち直しそうになるのだ。出会った頃のこと、家具や雑貨のすべてを、ひとつひとつ相談しながら決めていったことを、用意していたスピーチ原稿を紛失したことから、裕次郎は思いがけず、ナマな記憶を思い返すことで、はじめの気持ち、愛している、あの時の気持ちを、思い出すんである。
この結婚式のスピーチ場面が一つクライマックスで、ここでもう大団円!!と思われたが、そう上手くはいかなかった。上手くいきそうだったが、キモがあった。
もう先述しちゃったけど、姑が流産のことを知っていた、つまり、ダンナが話していたことを今知って、日和は激怒した。彼女にとっては、哀しみだけではなく、……言いたかないけど、プライドが、あったのだろうか。あんな優しそうな姑に、言えない。いや、優しい、理解あるからこそなのか。
もうそれ一点で、いやもちろん、それまでの積み重ねもあって、飛び出しちゃう。離婚届をバーン!おいて、飛び出しちゃう。
その後、裕次郎が日和の職場、コールセンターに乗り込んで、コールセンターの社員たちの、カン違いセクハラ上司への不満やらをぶちまけてからの、裕次郎と日和が、対峙するシークエンスときたら!
だって、その前段階の、上司対全社員の怒号、というヒリヒリがあるからさ、全社員がかたずをのんで、裕次郎と日和のやりとりを見守っている訳。
彼らの道行きが自分たちの結末になるんじゃないか、みたいな緊迫感は、中盤のクライマックス、結婚式のスピーチですでに盛り上がりまくっていて、正直ここで回収されたと思ってた。
裕次郎に言い寄ってきてた女の子がレズビアンで、同僚に恋人がいるんだけど、裕次郎と仲が良かったから嫉妬してそんな行動に出て、それが日和の嫉妬を産み出すというややこしい展開よ。多様性!!
ラストは二人、外に飛び出す。固唾をのんで見守っている社員たちをすり抜けて。空に舞い上がったレジ袋、あれを空中でキャッチ出来たら奇跡が待ってる。そんなたわむれが彼らが恋人になるきっかけになったことを二人して思い出したのだ。
高い木の上に引っかかったレジ袋を、裕次郎が日和を肩車する。手を伸ばす。靴を脱ぎ捨てた日和の足をそのまま持ち上げて、日和はうん!と背を伸ばして、手を伸ばして……届いたよね??そこでカットだけど!
裕次郎がたくわえまくってる、どーでもいいうんちく。時に話の接ぎ穂をつなぐとはいえ、大抵は、涼しい空気が流れる。
でもそれが、いいと思う。ところで、今更ながらだけど、チャーリーはフクロウ、フクロウ……コワイんだよー!!ミケーレ・ソアビ監督の「アクエリアス」が、30年以上、私の恐怖の最上なの!!フクロウ、可愛いけど、怖い!!★★★☆☆
最初こそ、井口監督的テイストなのかなと思った。だって“異物”の造形が手作り感、手動かし感満載の、チープ……と言ってしまったらミもフタもないけれど、あえてそこをネラっているんじゃないかと思われるような作りなんだもの。
そんなアナログな魅力がある一方で、第一作はどこかホラー的な雰囲気に満ちている。あ、これは四本の短編をまとめることによって“完全版”として公開されたいう経緯。最初からシリーズ化?の意図があったのかどうかは判らないけれど、第一作目は他の二作と明らかにテイストが違うように思う。あ、四本あって四作目は一作目に帰ってくる感じなのだ。一年後のお話として。“異物”がどうなったのか、いわば謎解きするラストとして。
なんたって押し入れから気配を感じて、そっと開けてみたら、長い触手を何本も持った、エイリアンみたいなタコみたいな、訳の分からない生き物がうごめいている、というオープニングなんだもの、そらホラーだと思うじゃんか。
最初と最後のヒロインとして、いわば彼女が引き寄せ、彼女が見届けたピンのヒロインとして登場するカオル、演じる小出薫嬢はぶっきらぼうタイプの美人。好み。“異物”のエロエロ攻撃に美しいヌードを見せてくれるのも嬉しい。
彼女の生活ぶりが気になる。幸福そうにはとても見えないんである。朝、ぼんやりとニュースを見ながら袋パンをかじり(そのたびごとに違うパンなのが芸が細かい)、日中のお仕事はどうやら、裕福なおじさまたちをオンライン会話でいい気持ちにさせて金を巻き上げる的なものらしい。
一つ部屋に集まって女子たちがスナック菓子をつまみながらワイワイやっている中、彼女だけが他のキャピキャピ女子と違って淡々とクールである。
カオルには彼氏がいる。彼氏、なのだろうかと疑うほどの描写である。夜、カオルの手料理を食べ、ビールを飲んで、帰っていくだけ。しかも手料理も、時に一口かじって吐き出したり、露骨な反応を、一言もなくあらわし、「じゃ、俺帰るわ」である。
何それ。セックスどころかチューどころか、会話さえないのだよ。カオルが毎朝、ぼんやりたばこを吸いながら、ハンドドリップでコーヒーを入れている、あの小さな台所で、つまらなそうに作る料理は、コーヒーは自分のために心が少しはこもっているようだけれど、料理は、本当に心がこもってない。確かにマズそうだし、彼氏に手料理というより、ブタにエサを食べさせてるみたい。いや、それはブタに失礼だ。ブタさんはちゃんとおいしそうにがっついてくれるじゃないか。
カオルの部屋の押し入れに出現した“異物”が、まずカオルの欲求不満を解消し、彼女の部屋に集まるキャピキャピ同僚たちも巻き込まれ、最終的に彼氏と共に3P?(と言っていいのだろうか……)状態になる。
でもそれは、彼女が意を決して彼を誘って拒絶された、その直後なんである。そもそもカオルは彼氏とセックスしたかったのか、いやそもそも彼氏を愛していたのか……。
第二章は、カフェで語らうカップル。いや、一度別れていて、今再会しているカップル。レコードショップに勤める彼氏と、彼女の方の仕事は判らないけど、まあそんな感じの下北沢系(彼氏が引っ越した先は東北沢だと言っていたが)ダウナーな感じのオシャレ男女。
彼氏がバッグに詰め込んできたのが、あの“異物”。てっきり同一異物(ヘンな言い方だが……)かと思いきや違う。第三章に至っては、世界中のいたるところに大量発生し、その死骸の廃棄を町工場が担っているという展開になるのだから、この第二章での“異物”は、あちこちで増殖しだした、その一体であり、彼氏君が、「最初は気持ち悪いと思っていたんだけれど……」と言いながらこの“異物”にパフェを食べさせ、彼女も微笑ましくそれを見守り、どうやらヨリを戻すらしい、そのきっかけになるらしいという、オドロキの展開なんである。
この第二章がコメディ要素としては最も傾いていると思われる。第三章になると、人間の身勝手さみたいなシニカルな視点が感じられるけれど、この時点ではまだ平和なのだ。まだ笑っていられる。そんな“異物”を持ち込まれて、コーヒーやパフェを運ぶことになる店員さんはたまったもんじゃないけど(爆)。
そして二人が帰り、店員さんが看板をしまう刹那ふと空を見上げると、巨大な“異物”がビルの上から垂れ下がっているんである。
第三章、ただ一人のビッグネーム、ダンカン氏が登場する。一人だけのビックネームなので、なんかちょっと、違和感というかビックリしちゃう。
彼の役どころは廃物処理工場の経営者。“異物”の死骸処理を請け負っているのだけれど、工員の青年がまだ息のある“異物”の声をうっかり受け取ってしまって、とても殺せない、自分が引き取る、と言い出す。
この時点で“異物”を助けるのは違法となっていて、しかし経営者はそのことに疑問を抱いていたらしく、青年の申し出を了承するのだが……。
なんかね、殺虫剤とか、ゴキブリホイホイとか、なんかそんなことを思っちゃう。増えて、気持ち悪くて、見たくないものは抹殺する。人間にとっての害虫や害獣でも、生態系の中ではそうじゃない、人間こそがいびつに増えていることこそが原因なのにと。
……そこまで本作が迫っているかどうかはしらんが、序章でホラー的に登場し、結果的には人間の欲求不満を解消する、象徴としての存在という印象だった“異物”が、愛贋物になり、それゆえにか増えに増えて手が付けられなくなり、殺せ殺せという世論になるのは、いろんな、アレンジした現代の様々を思わせ、実に皮肉である。
第三章で、なんとか助けようと思ったのに、その“異物”と共に、世界中の彼らが一瞬にして消えた。そして迎える最終章である。
もうあのクソ彼氏とは別れたんであろうカオルがふっと入ったバー、絶妙な距離をとって座った見知らぬ女性。でも何か、感じるものがあった。「じゃあ、また」と女性は言った。追いかけて非常階段に出たカオルに、女性は、あの……触手を……のばしたんである。
最終的な印象としては、結構メッセージ性の強いSFだったんじゃないかしらんと思ったりする。かなりアナログな、可愛らしいと思うぐらいの異物君、特殊撮影だったが、そのアナログ的な感じに隠して、性的、精神的、欲望の欠落、渇望、よりどころ、そんなことを糾弾していたような気もしなくもない。
しなくもないって(爆)。いやその、だんだん言い過ぎかなって気がしてきたから(爆)まあちょっとね、役者さんたちの熱演の割にはというのが正直なところってのはあったから、一生懸命いろいろ考えてみたんだけどさ。★★★☆☆
音尾さん!もはや名バイプレーヤーである彼が、これだけのメインを張ってるのって、私初めて見たかもしれない。本作は確かに主演は玉山鉄二氏ではあるけれど、四人が主役、その中でも玉山氏と音尾さんの二人の主役、と言っていいぐらいの立ち位置。
そもそもこの二人が顔を合わせたところから話が始まるし、その後はがっつり音尾さん扮する落ちぶれたテレビマン、宮川の自暴自棄っぷり、そのことでの家庭崩壊がじっくり描かれるから、あれ、音尾さん主演ちゃうのん、と思っちまうぐらいなのだ。
それにしてもナックスさんの中で一番年下の音尾さんが、こうまでいい感じに老けるとは思わなかった(いい意味いい意味!)。すっかり中年のやさぐれ親父。
イケイケのバブル時代、消費されまくりのテレビ業界からバブルがはじけて、明らかに左遷の雑務業務、それにも納得していた筈の彼が、どこでがくりと来て仕事を辞めてしまったのか。
やはりそれは最愛の母の死なのか。あるいは、それまでは家庭を顧みていなかった彼が、すっかり妻や娘とつながりを失っていたからなのか。
正直、宮川家の家庭崩壊は、最初から判りあうつもりもないような奥さんとの衝突が見てられなくて、それは双方ともに観客側に苦々しさを覚えさせ、崩壊の経過を全然見せなかったから、それはちょっとないかもと思ったかなあ。
玉山氏扮する立花とは、双方の母親が入居している介護施設で出会う。そこは彼らの故郷であることがだんだんと明らかになる。
かつてネイチャードキュメント番組でカリスマ的な人気を誇っていたカメラマンである立花のことを、宮川が眩しく思っていたことは、この出会いの時点ではみじんも感じさせないのだ。
それはのちのち双方の事情が判ってくれば、そりゃそうなのだ。宮川だってかつては、華やかな業界でバリバリ働いていた。なのに落ちぶれた。あの、故郷のスターにひがみ根性の目線でくってかかっちまうのも判らなくはない。
しかして、立花だって今は同じような状況である。それこそのちのち明かされる経過は想像以上に過酷、人気者になったが故の、大バクチに出たというところだろうか。
詳細は明らかにされなかったけれど、黒幕の、あれはプロデューサーかなあ、「詐欺じゃないよ。君のハンコを僕が押したわけじゃない」と言うように、確かに立花自身の甘さがあったのか、人のよさゆえにつけこまれたのか判らないけれど、大借金を背負い、自己破産し、カメラからは遠く離れていたのだった。
立花がスマホで撮った宮川の母親の写真が、そのフォトブックがとても良くて、母親が死んだ後も夜な夜な眺めて酒に明け暮れる宮川。奥さんと衝突、話し合いもままならず家を出た。
立花との再会は、宮川の娘が自身が所属するバレエ団のプログラムのカメラマンとして依頼したから。おばあちゃんのフォトブックがとても素敵だったから、と。
ほんっとうにこの娘ちゃんは、お気の毒である。娘のためにと彼女を盾にして、夫を攻撃する母親にうんざりして家を出たのは想像に難くない。
もちろん、父親にも情けない思いを抱いているに違いない。だったら自分は自分で居場所を見つけなければいけないのだと、家を出た彼女の想いの壮絶さに戦慄するが、案外そこはスルーするんだなあと思っちゃう。
まあ尺的に追いきれない部分はあるんだろうな。正直、四人ものメインを抱えて、一本の映画に仕立て上げるのは、ムリがあるようにも思うし……。
家を出てホテルで酒ばかり飲んでいる宮川を、立花が連れて行ったのは、シェアハウスだった。
ここで三人目の登場である。かつては女の子だけのシェアハウス、クリエイターたちが集うそこでは、一人、また一人と、独立していった。
ただ一人、瀬戸だけが残された。美容師をしていたけれど、接客下手で、薬剤で手が荒れたことを表向きの理由に退き、美容部員として得た技術を発揮できるあらゆる職業についてみるが、どれも上手く行かないまま。
演じる深川麻衣嬢は、地味ながらも(失礼!)堅実な芝居で、常に足跡を残してくれる。
彼女のエピソードの中では、あやしい新興宗教なのか、スピリチュアル系なのか、たっかい貴石系のグッズを買わされそうになる場面が印象的。瀬戸がその、つまりは騙そうとして手練手管の優しくて理解ある聞き手になって彼女の話を聞いてくれている相手の中に、つまりはウソの理解ある言葉の中に、必要な言葉を選び取るのだ。
「その中にも真実はあったかもしれない」という表現だったと思う。これって、思いがけない着眼点だけれど、実は、そういうことって、ある、むしろ、そういう、勘違いじゃないけど、本来とは違う解釈を、自分自身にとっての大事な答えとして導き出していることって、ある、というか、それがほとんどかもしれないとさえ、思ってしまった。
人間なんてそれぞれみんな、自分勝手だ。100%他人のためを思って発する言葉なんて、どれだけあるだろう。でも、100%、そんなことを思わずに発せられた言葉を、自分のものにすればいい、ただそれだけでいいじゃないかと。
瀬戸だけが残されたシェアハウスで、困った大家さんが男性を入れていいかということになって、立花と宮川が入ってくるんである。この時すでに二人はタッグを組んで、写真事業を営んでいる。てゆーか、立花がすでに始めていた仕事に、アシスタントの形で宮川が転がり込んだ、という形である。
最初はあくまでそんな、仮の形だった。でもそこに、瀬戸がうっかりメイクの手助けをする。婚活用の写真をお願いに来ていた女性、明らかに素人メイクで、宮川があっけらかんと、老けて見える、と言ったのは、実際はそうじゃないのに、という裏返しだった。
彼女は瀬戸を見かけて、なにかを感じたのか、助けてほしいとお願いした。戸惑う瀬戸だけれど、心の中に響くものがあった。瀬戸は美容部員としての技術の中で、美容師ではなく、メイクこそを仕事にしたいと思っていたから。
めちゃくちゃいい写真が撮れて(ほぉんとに!感動する……全然違うの!!)、客からは感謝され、三人の距離も一気に縮まる。チームを組んでのプロジェクトに発展するのに時間はかからなかった。
でもそれが長くは続かなかったのは、物理的には大家さん側の、物件の処分ではあったけれど、根本的に彼ら三人が、自らの問題にしっかりと向き合って、乗り越えてないままだった、ということなのだろう。
四人目は、彼らの顧客として現れる。まあビックリ、安田団長である。なんか、音尾さんに似てる(爆)。
もういい年になった芸人、事務所からの契約が切られ、途方にくれ、SNS発信のための写真撮影を依頼してくるんである。
結局はさらにのちのち、動画撮影のプロジェクトにも巻き込まれる訳で、写真そのものから遠ざかっていた立花が、それを飛び越えて動画の世界にいわば成り行きで巻き込まれていくのが面白い。
でもそれも、まったく違う世界の、まったく違う存在である芸人という会田であっても、いい年になって、思い通りにならなくて、今途方に暮れている、というのは、宮川ともども、同じなのだ。
若い頃は、その違いばかりを気にしていた。華やかな表舞台の仕事、物理的な、数字に出る成功、確かにそれは、バブル時代には通用する価値観だったのだ。
本作が、ガラケーとスマホが共存しているバブル崩壊後の絶妙な時を舞台にしているのが面白い。原作の時代設定がそうだったからかなとも思うが、バブル前と後って、きっとこんな風に、ドラマあり放題だったんだろうと思う。私はその当時はまだ学生で、恩恵どころかそんな騒がしささえピンと来てなかったのだけれど。
安田団長は、面白かったなあ。実際の芸人であり、ベテランだけど独特の立ち位置にいる彼がこんな役柄を演じるのが、妙にリアリティを感じた。
自分自身を演じている、とまではないにしても、役者として演じている、芸人としてその姿を見せている、そのギリギリのところにいるというかさ。
大家さんの都合でシェアハウス解散、四人はバラバラになり、その間、特に立花の方に、彼自身のアイデンティティを整理するような出来事がある。自身をスターにし、そして奈落の底に突き落とした巻島である。
演じる高橋和也氏が強烈な印象を残す。彼自身、立花と同じように、あの人は今、という存在らしい。なのに、バブル時代のプライドを失わないことこそがプライドと考えているような、強烈なプライドである。
自分を取材する番組のレポーターを立花に指名し、彼を困惑させる。その再会の場面は見てるだけで苦しくなる。立花は、こんな諸悪の根源に会いたくなかったに違いないのに、会わないでいるのも逃げているようだと思ったのか、会いに来ちゃう。
でもその会いに来ちゃったことこそが、立花の弱さだと、巻島は威風堂々語り、過呼吸に陥らせるほどに立花を苦しめるのだけれど……。
でも、そう、こうなることが判っているのなら、何故、会いに来ちゃったか、ということなのだ。立花は結局、レポーターの話は断った。その代わり、巻島の交換条件を飲んで、その代役として、かつて自分の次に据えられた女性タレントの娘を推薦した。
「彼女にもうそんな大きな娘さんが……」と驚く立花には、つまりそういう方向での人生はなかったのだ。きっと考えもしなかった。多額の借金、自己破産、自分をかわいそがって、だから母親ははがゆがっていたのだ。介護施設で車いすに乗りながらも、コノヤローとばかり、息子を叱咤激励し続けていたのだ。
立花と宮川が、シェアハウス解散後、久々に再会した時、まさに立花は、このひがみというか、嫉妬というか、自分には得られなかった、宮川の人生をうらやむ言葉を、思い切って口にした。結婚し、家を持ち、娘さんを育て上げたと。
宮川の方だってもちろん、立花に対して全く別ベクトルからの嫉妬があった。誠意あるスタッフの熱意によって作られた伝説の番組、自分もそんな番組を作りたかったと。
どっちが幸せだったかなんて、そんなこと、言える訳ない。お互い、自分が出来なかったことをうらやましがって、でもうらやましがられている内容に、ないない、そんなんじゃ実際はなかったんだって、っていうことでさ……。
最後の最後、一度はバラバラになった四人が、まずは立花が宮川に決死の思いでもう一度一緒にやってほしい、というシークエンスで涙涙、音尾さんの泣きじゃくりにこっちも泣いちゃう!
そしてもう一度四人集結、案内状を手分けして書きながらビール飲んじゃったりしてさ、そして外部スタッフと合流しに、焼肉屋予約できましたよ!なんて言いながら、夜の外気に浸りながらそぞろ歩く。
立花が、母親にあてて、お菓子の外箱に住所とメッセージを書いて投函できる、その箱を手に、メッセージを書き加える。「ついてない時は、脱せられたみたいです」
タイトルであるこの言葉は、はっちゃきおかあちゃんがうじうじ息子の背中を押すために、言ってくれた宝石のような言葉。タイトルになっているあの言葉。
玉山氏は端正なお顔立ちで、こーゆー、弱虫さんが失礼ながらよく似合ってて、それにカップリングされるのがこれまた泣き虫さんの音尾さんってのが、年の違い、風貌の違い、あれこれ化学変化が楽しくて、嬉しかったなあ。安田団長ってのがまた予想外で!とても良かった。★★★☆☆
目張りを入れたメイクのせいか、妙に鶴田浩二が若く見えたが、この時もう41を超えているのか。不思議、「飛車角」での男っぽさとは違って、なんだかぴちぴちした(爆)若さを感じるのは、やっぱりこのキャラクターと目元を強調したメイクのせいなのかなあ。
個人的には悪役の、しかも大悪役じゃなくて、サブで悪知恵をささやくような姑息な役どころに佐藤慶がいるのが、もうぴったり、キャー!!と嬉しくなっちゃう。彼もまた、そのふてぶてしい風貌がもっとベテランになってくるとまさに異形の怪優ここにあり!という感じになってくるのだけれど、彼もまた絶妙の若さで、なんか妙に色っぽくって、彼がアップになって悪いことささやくたびにキャーキャー言っちゃう(爆)。
落ち着いて、私。もう言いたいこといろいろあるんだから、整理してかからねば。まず、黒バックにずらずらずらっと、観客への説明書きから始まる。刺青というものが武士においてはいかに恥ずべきものか、お家断絶になるほどの罪だということが大前提である物語だと示される。
あれれれ、金さんは桜吹雪じゃんか、とこの時には思っているものの、その後のテンポよい展開にすっかり忘れちゃってるんだけど(爆)。
その説明の後、いきなり転落死である。高い高い足場の組まれた上から転落した一人の男。
まるで舞台装置のようなこの高い足場といい、当時の、カネをたっぷりかけた映画界の潤沢さを思わせるが、高い足場を組んでの大立ち回りがまさにクライマックスに用意され、ジャッキー・チェンもかくやという見せてくれる。まぁそれはかなり先の話。
この転落死の男を自殺と処理してしまったのが、金さんこと遠山奉行。材木問屋、難波屋の資材納入、入札がからむあれこれの疑惑が浮上したため、遠山はその判断が間違いであったのではないかと、もう一つの材木問屋、近江屋に人足として潜り込む。
そしてまず出会うのが、賭博の手入れから逃げ出した金さんをかくまってくれた夜鷹のおしの(南田洋子)、おしのへの礼にと彼女行きつけの夜鳴き屋台で一杯、そこの主人の幸吉(藤山寛美)、妹のお加代(藤純子)というメンメン、もう豪華きわまりない。
この兄妹は一旗揚げようと大阪から出てきたものの、不景気と親の残した借金でにっちもさっちもいかなくなったところを、近江屋の旦那に救われた、と語る。毎晩、うどんを食べてくれるんだと、あんないい旦那はいないんだと、兄と妹、夫婦漫才ならぬきょうだい漫才のようにぽんぽんかわして泣き笑いして、この導入部の魅力的なこと!!
この後、幸吉はハメられて人殺しとしてとらわれ、この幸福なやり取りはまさに冒頭のこの場面だけで、それっきりラストでようやく嫌疑がはれるまできょうだいは離れ離れになるのだが、藤山寛美と藤純子の、この最初のやりとりだけで、胸アツになっちゃう!!
近江屋の旦那が殺されたのは、お上が難波屋とどぶどぶに癒着していたことに、誠実なお役人であった梶川が、自身も分け前をいただいてしまった罪悪感に耐え切れず、もう何もかも明るみに出してしまう!!と宣言したために、殺された、突き落とされて転落死したのであった。
梶川はいわばムコ殿で、妻のお藤が家つき娘。梶川の死後、贅沢三昧しているんだと、その贅沢の下請け内職をしている長屋の住人が証言する。梶川には芸者の愛人がいて、この疑惑の妻と墓場で一騎打ちになったりするのだが、もう予想外の展開が続々待っているんである。
進め方がヘタクソなのは判ってるけど、も―、言っちゃう。芸者の愛人、小春は、金さんを助けてくれた夜鷹のおしのなんである。そして、お藤には隠している、心を病んだ弟がいて、この弟のために恐らくは望まぬ結婚もし、夫にも望まぬ賄賂を受け取らせていたんだろうと思われる。
その夫が死に、彼女は愛する弟のためにマジでどうにかせねばいけない訳で。で、実は、本当に後々になって明かされるんだけれど、お上から所望された賄賂だの割戻金だの、どぶどぶの関係とはいえ難波屋の方もギリギリのそろばん勘定だった。
お上の、そう、これは有名なお名前だよね。悪名高い水野忠邦よ。演じる内田朝雄の、まーこれが、わっかりやすく、憎ったらしいこと!!ベタなザ・悪役ヅラで、そこにナマな現実味を添える若き日の佐藤慶のほんのり色気の悪いヤツよ。
様式美バクハツの、遠近感バーン!!の、ドリフのコントに出てきそうな、金色のふすまが奥の奥までターン!ターン!!と開け放たれた、どこまで続くねん!!という距離。その上での、近う寄れ、という台詞がギャグに思えちゃう。
だってまさに、いきなりぐぐっと、とおーいところから、近い近い近い!!というところまでずずいっと近寄ってきて、まさに悪知恵をお耳に入れちゃうんだもん。
こうした様式美は、もう全編にあふれまくり、言い切れないほど。さすが沢島忠監督と思う。お兄ちゃんが死罪を命ぜられたショックでフラフラと川に分け入るお加代の場面、バラバラと木材が金さんめがけて落ちてくるスリリングな場面。
そしてクライマックス中のクライマックス、無謀を承知で、無礼も承知で、死をもいとわず、水野の元に突入する金さんを止めようと、入れ代わり立ち代わり取りすがって止める、でもさ、皆本気で止める気ないんじゃない、という気持ちがふと起っちゃうようなあのクライマックスである。
そもそもこの廊下どんだけ長いの、というのは、先述のふすまが無数に開け放たれたところでも思うところで、まさに様式美、言ってしまえばお約束、でも美しいんだよなあ。
で、まぁ色々すっ飛ばしちゃったが、どこまで言ったんだっけ。えーと、おしのと小春が同一人物、梶川のなじみの芸者が姉とは知らずに梶川は死んだ。しかも、どこか遠くに一緒に行こう、なんて取り交わしまでしていた、なんてことを聞いちゃうと、おいおいおいおい、それはなんだな、ナニをしてたのかどうなのかっ!!??と無粋な勘繰りをしちまうが、ど、どうなのだろう。
弟を殺したのはこの冷たい奥さんじゃないのかと勘繰る、そのお藤にしたって、恍惚の人である弟を愛するばかりに、この弟を守るためなら何でもする、という基準ですべてが回っていたからこその、悲劇なのだ。
この二人の女子は、敵同士だけど、ひどく似ているのだ……。弟を愛する度合いが、はたから見てちょっと踏み込みすぎじゃないか、一線を越えたんじゃないか、と勘繰らせるところまで、ひどく似ている。
なのに、いや当然か、愛する者が原因となる闘いなのだから、100%敵になっちゃうのは。でも後から思えば、この二人が敵になっちゃうのは、あまりにも悲しいのだ……。
近江屋で横領を繰り返して追い出され、難波屋に拾われたぐず安は判りやすく利用され、あっさり殺されちゃう。
でも幸吉は、死罪の申し渡しをされたのにギリギリまで引き延ばされるし、その他にもまあいろいろと、都合よすぎない??と思う部分はあるんだよな。幸吉に関しては冒頭でとらわれ、ずっと放置されるから、もうとっくに処刑されたのかと思っちゃったぐらい(爆)。
金さんが探索に動き回ることで、敵方の難波屋、お上との攻防も激しくなる。金さん暗殺の命まで出ちゃう。ビックリするぐらい、あっさりかわしちゃうんだけど(爆)。
お藤さんが一番、哀しかったなあ。彼女はもちろん、不憫な弟こそが一番愛する存在であり、彼女自身のアイデンティティでもあったんだろうと思われるもの。
その弟は、あまりにも非業の死、であった。お藤さんに接触してきた金さんを敵だと誤解して、弟を住まわしている蔵に閉じ込めた。同時に突入していた小春と共に。
そこにやってきた、難波屋とお上の悪役ミックス団。お藤が、弟のためということは隠して、自身の保身のためにと脅迫材料に掲げた、夫がしたためた詳細な賄賂の明細である。
駆け引きに使ったものの、結局は女だからとナメられて、力づくで奪い取りに来て、蔵に放火されちゃう。愛する弟が蔵の中にいる、半狂乱、つーか、ザ・狂乱のお藤さんが見てられない。キツい、キツすぎるよう……。
この危機的状況からしっかり脱出しちゃう金さん、小春も救って、ってあたりが、まぁスターなのだが……なんかを見つけてなんかこすったりしてなんかを作り出して、窓の格子に火をつけたりしたから、あれ?火事になっちゃったのは金さんのせいちゃう??と、ウィキのあらすじを読んだ後に見返してしまったが、確かに乗り込んだ敵集団が火を放ってはいるんだよね。
でも、金さんも火を起こしてたよね。何で起こしたかよく判んないけど、あ、格子を外すためか?違う??もー何何、よく判んない!!
まぁとにかく、金さんと小春は無事脱出。黒焦げの焼死体が運び出され、それが金さんだと思い込む敵方。もちろんお藤さんは、それが愛する弟のものだと知っている訳で……。
結果的にはさ、お藤さんは、利用しつくされて、殺されちゃう。夫の墓前で力尽きる。小春とは最後まで相容れない仲だったけど、金さんが言うように、お上の犠牲になった可哀想な人であり、金さんは何も言わなかったけど、ホントに、ホントに、小春と似ていたんだもの。
そう考えれば、姉と弟じゃなく、兄と妹だけれど、幸吉とお加代、藤山寛美と藤純子という、お藤や小春と比すれば幸福な、仲良しで信頼しあってるのが、先述したように、夫婦漫才ならぬ兄妹漫才なやりとりにパーフェクトに出ててさ。
お兄ちゃんがとらわれて、もう半狂乱になっちゃうお加代ちゃんに、人殺しなんかする筈がない幸吉ってことも含め、長屋のみんなが力になる。按摩の宅市に芦屋雁之助
がキャスティングされているあたりも、その後のシリーズ化をもくろんでいたことをうかがわせる。だって彼、めっちゃ説明係だもん。それを楽しく聞かせる、まさにプロ!
結果的には、梶川の書付をやいやいやい!!とかざしたらあっさりワルモンどもがひれ伏しちゃうってのは、この閉ざされた場面は限られた人物しかいないんだし、本当にワルモンならどうとでもできるのに、案外イイ人??と思っちゃうのは間違ってる??
だって今の政治家のあれこれとか考えたらさあ……案外こんな、かの悪徳と呼ばれるヤツら、単純で、イイヤツじゃん……(間違ってる??)★★★★☆