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「け」


2022年鑑賞作品

ケイコ 目を澄ませて
2022年 99分 日本 カラー
監督:三宅唱 脚本:三宅唱 酒井雅秋
撮影:月永雄太 音楽:
出演:岸井ゆきの 三浦誠己 松浦慎一郎 佐藤緋美 中原ナナ 足立智充 清水優 丈太郎 安光隆太郎 渡辺真起子 中村優子 中島ひろ子 仙道敦子 三浦友和


2022/12/21/水 劇場(テアトル新宿)
こんな岸井ゆきのは見たことがない。本当に、驚いてしまった。予告編で遭遇した時、岸井ゆきの、え?違うでしょ??と思って、じーっと顔を見つめまくってしまった。
上手い役者さんだということは判っちゃいたが、それでも知らず知らず、可愛らしいイメージにはめ込んでいたのかもしれない。「神は見返りを求める」みたいに、冷酷に変貌する役に驚かされたことはあっても、やっぱり基本、可愛い女の子であったから。こんなやさぐれた、というか、ふてくされた、いや違うな、そういう風に見える、見えてしまうとっつきにくい女性というイメージが全くなかったから。

しかも、ボクサーとは!聴覚障碍者というんであれば、どこか賞取り的な役どころで、いろいろ思い浮かぶが、聴覚障碍者のボクサーとは!てゆーか、私が単にその存在を知らなかっただけ。実在の人物を元に紡がれた物語である本作、知らなかった……。
女性ボクサー映画と言えば即座に「百円の恋」を思い出すが、女性ボクサーというだけでもう大変なのに、聴覚障碍、手話はもちろん、その立場である彼女が何を考え、どう生活しているのか、ということを、鬱屈にさえ見えるその深い表現。

岸井ゆきの嬢演じるケイコの、言いたいことをうまく言えない、というか、言いたくないというか、その葛藤が、もどかしさが、どこかイライラとさえ見える彼女の身体全体から立ち昇ってくる。
だからケイコはボクシングを始めたのか。その熱心さに、プロになりたいのかと会長から問われてうなづいたけれど、その意味合いは、それで金を稼ぎたいとか、生業にしたいとかいうんじゃなくて、ケイコ自身の苛立ちを昇華させるために、突き詰めるために、ボクシングを突き詰めるにはプロという道筋しかなかったのか。

会長は三浦友和である。大林監督が老け待ちをしたということを思いだす。今やそれが枯淡の域に達して、目や耳の機能がかなり低下している様子が病院での検査シーンで示されるような塩梅である。
物語の後半では、倒れて入院、脳に影が見つかった、という展開で、ケイコのボクシング環境は激動にさらされる。きっとケイコにとって、会長だけが理解者だったんだろうと思われる。本当はそうじゃない。ケイコのことを認めているのは、コーチについている林(三浦誠己)や、松本(松浦慎一郎)だってそうだったんだけれど、ケイコには届いてなかったというか、そこまでの余裕がないように見えた。それが切ないというかなんというか……。

このジムは日本で一番古いと言われていて、そこからケイコのような異色のチャンピオンが産まれたことで、取材もやってくる。でもそこで、親父の後を継いだけれど、自分には子供もいないから……とジムの閉鎖をさらりと示し、本作のメインテーマはケイコの物語もそうだけれど、この小さなジムの終焉こそなのだ。 会長を演じる三浦友和氏の、このジムを愛しているけれど、もう……という、もうカウントダウンが始まっているかのようなオーラ。その雰囲気を感じ取って、あるいはもっと近代的なジムを選択して、ということなのだろう。電話を受け、赤線が引かれる。どんどん練習生が減っていく。
キツかったのは、「女ばかりを指導して、強くなれる気がしない。それにこのジム閉鎖するって噂聞いたから」と、言い捨てて出て行くヤツ。強くなれないのはオメーの努力と実力不足だろ!!と言いたいし、そのとおりだとは思うのだが、自分を認めてくれる、守ってくれる、と思えなければ、ということなのかと、思った。

女ばかり、というのは前時代的な男のプライドと思うけれど、自分を認めて、育ててくれる場所を求めて、ボクシングをしているのだ、きっと。そしてそれは、ケイコもまたそうで、だからこのジムじゃなきゃダメなのだ。
ジムの閉鎖に動揺して、会長が渡りをつけてくれた、めっちゃ近代的な、未来的、宇宙的とすら感じるようなジム。ケイコを連れてあいさつに来たコーチ二人が浮足立っちゃうぐらい。でも確かに、なんか、ケイコにはしっくりこない気は、観客側にも感じられた。

ケイコはその前に、会長に当てて、しばらく休みたい、という手紙をしたためていた。ジムの閉鎖を知って、言えなくなった。そもそもなぜ休みたいのか、明確なことは劇中でも語られなかったし、ケイコ自身にも説明のしようはなかったんじゃないかと思われる。
試合に勝った。次の試合が組まれた。表面上は順調なプロボクサー人生。独特なバックボーンで注目もされる。でも、そもそもケイコがプロボクサーになりたいと思った動機というか、それは、こんな風に注目されたり、期待されたり、ってことじゃなかった、ということなんだろうか。

いや、判らない。ケイコは徹頭徹尾、自分の気持ちを語らないから。不器用、不愛想、そうは見えるけど、同じろうの友人とのお茶シーンでは、リラックスして穏やかな笑顔を見せてる。普通の、本当に普通の女の子なのだ。
そして友人たちも同様。この友人たちもまた、それぞれの職場なりなんなり、健聴者の都合にさらされるところでは、違う顔をしているのだろうかと想像してしまう。
それは健聴者である私たちもある程度はそうだけれど、やっぱり違う。ここに、まだまだ深い、社会の無理解を思う。私たちもそうだけれど、というのと区別して考えてしまう。何気ない、友達と楽しく過ごすお茶シーンだけれど、重く深いテーマを内包しているように思う。

家族の中でケイコだけが聞こえない。母親と弟が出てくる。あれ、そういえば、父親が登場しなかった……それは何か意味合いがあったのだろうか??
弟とは共同生活をしていて、物語冒頭、家賃を入れない弟を叱責する場面があり、おおぅ、なかなか厳しいお姉ちゃんねと思う。弟君は何をしているのかな、若くて学生さんのように見えるが、ギターを奏で、宅録(死語?)なんぞしている。
カノジョがそのサポートをしている。耳の聞こえないケイコにとっては弟のやっている音楽は……どういう風に思っているのだろうか。ケイコがとにかく寡黙なのでなかなか心が読めない。弟はお姉ちゃんのことを心配して、話してみれば心が楽になるよ、と言ってみても、ムダだから、とはねつけられてしまう。

この対決?が解決される訳じゃない。実際、ケイコが言うように、誰かに言ってみたって無駄、何も変わらないし、言って楽になるなんて、そういうタイプじゃなければムダというのも判るのだ。
でも、そう、解決っていうんじゃないけど、弟のカノジョさんが、たどたどしく覚えたての手話で話しかけてくれたこと。あの一瞬。こんなにも心がほどけだすんだと、思った。誰かと、本当に、コミュニケーションをとりたいと思うこと。それがこんなにも、ヴィヴィットに示された場面を、私は見たことがなかった気がする。

お母さんはやっぱり、ボクシングなんて怖いし、怪我するし、と思って、試合には来てくれるけどマトモに見れなくて、いつまでやるの?とおずおずとだけれど、デリカシーにかける問いかけをする。
判るけど、この聞き方はない。母親特有の、子供のことが心配だからこそ、デリカシーがないのは判ってるけど、この愛の気持ちを判ってくれるよね??なこーゆー問いに、古今東西、子供は悩まされるんである。

凄く絶妙なんだけど……母親だってしっかり手話が出来る筈なんだけど、口話をむしろメインにして、大きく口で言いながら、伝えるのだ。何かそれがね……健聴者マウントに見えてしまう。
弟君が、口話を使わず手話だけでお姉ちゃんと会話してて、それを字幕で表していたから、ここはしっかり対照的、違いを見せていたってことは、さぁ……。

一方で、ケイコの生業、ホテルスタッフの仕事は、同僚には健聴者、後輩の指導もあるし、というんで、口話は必須である。そういえば、ジムではホワイトボードに筆談が基本だったけれど、職場では口話読みで、これがねぇ、このコロナ禍のマスク社会で、唇の動きが読めなくて困る、というのを早々に聞いた覚えがある。
ケイコが後輩に、マスクを下げて、と手ぶりで指示するのが、ああ、こんな風に、何十回、何百回なんだろうなと。ケイコが真夜中、川岸でたたずんでいるところを職質される場面も、警官の言ってることがマスクしてるから判らない。若手警官は食い下がるが、先輩警官はもういいやいいや、と後輩の肩を叩いて、行っちゃう。

これは、これはさ……どっちが正解?正解っていうのもヘンだけど……。しかもこの時、ケイコは負け試合の後で、ボッコボコにやられた顔をしていた。
だからこその職質だったのに、耳が聞こえなくて会話が通じない、じゃあ、いいやみたいに切り上げる先輩警官、後輩警官は、どう思い、今後、どう対応するのだろうか。

ケイコが寡黙だから、一見何事もなく進んでいく物語のように見えるけれど、こんな風に、ちょっとずつちりばめられているんだよね。ケイコは結局、あの近未来的ジムに行くんだろうか。代表の渡辺真起子、ああカッコよし。ぜひうちでお世話をしたいと言ってくれた。なのにケイコは遠いのを理由に難しいと言った。
本音はいまだ、やっぱり、会長への信頼と、ジムへの愛があるからなのだ。だって、プロとしてブイブイ活躍したいってんじゃない。プロを目指したのは、自分自身のアイデンティティやら、もっと複雑な、行き所のない思いを爆発させたい、っていうのが、あったんだもの。

ラストシークエンス、ケイコは最後の対戦相手から、思いがけぬ挨拶を受ける。相手はアルバイトしている時だった。ありがとうございました、また、ぐらいの邂逅だったのに、なぜこんなにも胸が熱くなるのだろう。
ケイコもずっと他に仕事をしながらボクシングを続けてきた。プロボクサーなんだから、それを主業に言ったっていい、んだけど、ケイコが言えなかったように、対戦相手の彼女もそうだったんだろう。警備員だろうか、礼儀正しく頭を下げて、去って行った。彼女にもまた、ケイコとは違う人生があるのだろう。

弟君が良かったなあ。彼女たんも彼と同様優しくって、なんか涙出ちゃう。こんな単純な、ピュアなやり口に、だからこそ陥落しちゃうケイコさんが愛しく、ああ、こういうこと、こんな簡単なことなんだなぁと思う。★★★☆☆


決戦は日曜日
2022年 105分 日本 カラー
監督:坂下雄一郎 脚本:坂下雄一郎
撮影:月永雄太 音楽:渡邊崇
出演:窪田正孝 宮沢りえ 赤楚衛二 内田慈 小市慢太郎 音尾琢真 たかお鷹 高瀬哲朗 今村俊一 小林勝也 原康義 石川武 松井工 久松信美 田村健太郎 駒木根隆介 前野朋哉

2022/1/20/木 劇場(丸の内ピカデリーA)
ああ、この監督さんのお名前、絶対面白いの作ってた人だけど、何撮ってた人だっけ、と思い出せなかったのはもちろん私の記憶力に問題が大アリに違いないのだが、しかし、実に四年ぶりの新作っつったらそりゃさあ!
その出会いでビッくらこいた「神奈川芸術大学映像学科研究室」ああ、「東京ウィンドオーケストラ」「ピンカートンに会いにいく」。間違いなく今の日本映画界を、しかもしっかりとしたエンタテインメントとして支える一人に違いないのに、四年ぶりとは!
でもそうか、これほどまでに名のある、大メジャーな役者さんを迎えるのは初めてなのかぁ……意外!小市マンや内田慈氏といった、これまでの氏の作品世界をがっちり支えた間違いのない個性に加え、音尾さんとゆー、それまで坂下作品のメンツに入っていなかったことが逆に不思議なぐらい、しっくりとくる投入よ!

そして何より何より、これはダブル主演、だよね?宮沢りえ&窪田正孝。初共演!お互い主役を張る人同士だからあいまみえなかったのか、それにしてもなんとまあ新鮮な顔合わせ!
宮沢氏がコメディに本格的には初挑戦だというのは実に意外だが、恐らく舞台ではやってるんだろうなと思うからかなぁ。いかにも三谷作品とかでやってそうじゃない?いや、そもそも三谷作品に出ていただろうか……。

日本の選挙がいかにばかばかしく、真に熱意を持った政治家が通らない仕組みになってるってことは、近年では良作ドキュメンタリーでも数々思い知らされてきたが、それをきちんと劇映画として、エンタテインメントとして描くことによって、もう本当に知らしめようと。
宮沢氏演じる川島有美は二世として担がれての出馬、それを彼女の父親にずっとついてきた秘書たちや後援会のお歴々が支える。よくある図式、政治に疎い、いや正直に言っちゃえば興味がないこちとらとしては、まあそんなもんなんだろうとそりゃ思ってた。

それが劇中、実に皮肉に、そうした無知で無関心で無責任な投票権を持つワレワレに壁打ちのボールみたいに激しくぶち当たってくる。地盤が約束されている二世議員、選挙に勝つノウハウが判ってる二世議員、時にそれがちょっとイケメンだったりするともうダメである。
その二世の政治的主義や、声明を聞くつもりもない。“どこの馬の骨”とも知らぬぽっと出を支持するぐらいなら、サラブレットを選ぼうっていうことになっちゃう。

それは私らが、誰を選んでも何も変わらないと思っているからに他ならなくって、その風潮は本当に長い間続いてきたと思うんだけれど、SNSが成熟したここ数年で急速に、選挙権を得た若い人たちの意識が変わり始めたことを感じている。
教育の場できちんと教えているということもあるのかもしれない。だから本作は、満を持しての登場なのかもしれない、とさえ心躍るんである。

宮沢氏演じる有美が、ただ神輿を担がれて出てきて、いかにもバカっぽい、お嬢様として描かれる中盤までが、本当に上手いと思う。
先述したように、誰を選んでも変わらない、それだけ政治に失望してるっていうのに、彼女に対して、政治の世界の、特に選挙に勝つ方法も何も判ってない箱入り娘め、と、劇中の秘書や後援会のおっちゃんたちと同様、私たち観客は思ってしまうのだから!!

怖い、怖すぎる。そのことこそを嫌悪して、だから政治家なんてクソだと、政治なんて誰がやったって同じ、自分たちは関係なく生活していくんだと、思い込んでいた、いや、思い込まされていたんじゃないの。
本作の中で描かれる、ここまでマンガチックにベタにしなければあまりに生臭すぎる地元企業との癒着やらのシーンだって、まあこういうことあるよね、としれっと観ちゃってる自分に驚愕する。こういうことは許されないことなのに、こういうこともあるよね、とは何事だと。

そしてそれに対して有美は声をあげるのだ。こんなもんだと、選挙に勝てばいいんだと、地盤を守ればいいんだと今までのやり方を繰り延べしてきたタヌキたちに。
でも当然、そんな世間知らずのお嬢様の声を聴く人なんていない、筈だった。なぜ谷村君だけに響いちゃったのか。

だって本当にヒドいのよ。有美は痛々しいまでに、まっとうなの。秘書たちがどこかあきれ交じりに、むしろ政治家に向いてるかもね、というのが、本当にそういうことだってことなのだ。
この台詞は、重要だと思う。夢物語として、秘書たちはそう言ったのだ。彼女みたいな人が采配を振るうような政治だったら、理想だよね、と。それが不可能だから、ありえないから、お嬢様の暴れようをどうどうとなだめてる。

なぜ谷村君が、彼女の想いを受け止めようと思ったのか。いや違う、有美があまりもこの理不尽に耐えられなくて、もう私、選挙に落ちる!と言い出して、最初こそは谷村君はそんなことは無理だと、もう流れは止められないんだと、下手に出ながらも聞いてみればあまりに横暴な理屈を有美に押し付けて、でもだんだんと谷村君自身が耐えられなくなっていったのは、何がキッカケというよりは、なんだろう……。

そもそも谷村君は有美の父親である手練れの政治家に、学生のアルバイトの頃からずっと世話になっていて、清濁、というか濁を見まくってもうマヒしちゃってて、幼い娘もいる家庭持ちだし、そんな青臭い正義感なんて振り回す気はなかった。
川島先生が北の軍事的なスキャンダルに関わってることも秘書たち全員知っていたけれど、そんなもんだと思っていた。むしろ、娘である有美がそのことを知らなかったことが、思った以上に谷村君の気持ちを揺り動かしたのかもしれない。

有美は確かに二世で、世間知らずで、理想ばかり掲げているお嬢様だけれど、それこそがまっとうな世間の価値観であってさ。スキャンダルが他の大ニュースによってかき消されることにラッキーだと浮かれたり、ライバル議員が介護を美談にしていたと唾棄するように言っていたのに、その介護疲れで撤退したことをラッキーと喜んだりする。
本当に選挙に勝つことだけが目的なのねということを、コメディだからホントに面白く、笑わせて描くんだけど、それが上手ければ上手いほど、うっわ、マジやだ、一体何のために選挙があるの。信念を持った政治家を選ぶための筈なのにと、心底ガッカリしてしまう。

有美は谷村君とタッグを組んで、選挙に落ちる大作戦に出た。川島氏がわいろを渡している隠し撮りを流したり、それをかき消す北の暴挙のニュースに喜ぶ動画を流したり、もうありとあらゆる手を流すのに、すべてが裏目に出る。
喜び動画なんて、ミサイル打ち込まれないでよかったねと無邪気に喜ぶ動画として拡散されちゃって、すっかり好意的にとらえられちゃって、逆に時の人になっちゃう。それまでは、悪意満ち満ちたユーチューバーに挑発されて取っ組み合いになっちゃって炎上しまくったりしていたのに。

本当に、何だろうね。紙一重っつーか。担がれてきた時にはね、有美はやる気満々だった。志半ばで倒れてしまった父親が、自分に託してくれたと思っていたから。結果的にそれは間違いではないにしても、彼が倒れると即座に回りが動いて、地盤を守るために有美を担ぎ出したのだった。
つまりそれだけ、孤立無援、足を引っ張り合う人たちしかいないということだった。だから有美は川島氏が戻るまでのつなぎに過ぎず、そりゃあ誰一人期待なんかしてるはずもない。敵陣営が流したに違いないスキャンダルにもやられたね、ぐらいの空気だったのはそのせい。想定内。有美だけがショックを受けているっていうのが、どれだけ彼女が埒外に置かれていたかっていう残酷さ。

でも、こういう事態を見せられれば見せられるほど、それがいわゆる世間、社会と乖離していること、有美をバカにしきってるあんたら狭い政治家世界が、政治家なんか誰も同じバカだと思ってる世間からバカにされていることを、ひしひしと示していくという、上手さなのだ。
谷村君はね、判ってるよ。どんなにやったって、無駄だと。この日本で、政治は革命でも起こらない限り、変わらないんだもの。でも有美と出会って、きっとそれまでなぁんとなくおかしいなって思っていたから、そしてその、なぁんとなくおかしいなって思う感覚はまさに、日本の政治におけるそれだから。

中盤までは先述のように有美の純粋な政治理念がゆえの、手練れたちからはバカっぽく見えるという、その図式がだんだんとそれこそがおかしいと思わせてって、選挙に負けることこそが勝ちなのだという、逆転の発想から展開される中盤からはまさに圧巻。
すっかり欲得にまみれた小市マンの、それまでは彼のあのおだやかな笑顔に癒されてたのに!という変貌へのショック、ことなかれ主義を最後の最後まで一心に体現し、谷村君がこっそり映像をメモリーに落としていたのを「私、何も見てないから」と関わりたくない無責任さ全開で目をそらす内田氏の、ああ人間を著してるわ、という哀しさ、何のメリットもないのにセンセーの身代わりになって前半で早々に姿を消す音尾氏、もう他にもいろいろ、いろいろ……一体私らは、何を犠牲にした人を、どう判断して、国を託す人を選んだらいいのか??

中盤までは、いい年してバカまる出しのお嬢様を痛々しく演じた宮沢氏、その彼女を最初こそは、はいはい、とあしらってた窪田氏。最初は笑えてた。笑えてたのに……。この実力者同士の化学反応が、前半はやりすぎな感じでコミカルに徹し、その徹したものがあるからこそ、この社会は、この国はおかしいと、声をあげられる後半の描写につながる。
コメディだし、コミカルだけど、しっかりと生臭い描写を連ねて、こういう現実があるんだと、確かにあるんだと、フィクションみたいにえげつないけど、リアルにあるんだと、生々しく感じさせてくれる。四年ぶりは長いよ、もっと早く驚かせてくれなくちゃ!★★★★☆


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