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怪獣ヤロウ!
2024年 80分 日本 カラー
監督:八木順一朗 脚本:八木順一朗
撮影:柴田晃宏 音楽:ゲイリー芦屋
出演:ぐんぴぃ 菅井友香 手塚とおる 三戸なつめ 平山浩行 田中要次 麿赤兒 清水ミチコ 武井壮
きっとこの主人公は、監督さんの分身なのであろう。監督さん自身は、お写真で見るとシュッとしていて、本作のぐんぴぃ氏のような豊満ボディではないのだけれど、でも怪獣映画を撮り続けていたという学生時代の監督さんの、その熱い思いを誰かに判ってもらいたいというもどかしさが、ぐんぴぃ氏の独特のフォルムとキャラクターに託されているのだろう。
冒頭の、中学時代の山田一郎、文化祭と思われる、自分としては一世一代の怪獣映画を上映したのに生徒たちに失笑され、深く傷ついたシークエンスは、多かれ少なかれ、監督さん自身の経験に基づいているのだろうと思ったりする。
だって、怪獣映画って、やっぱりすたれてしまっているもの。いや、ゴジラとかそーゆーことじゃなくて、いわゆる手作り感満載の、ミニチュア合成で撮る怪獣映画。このノスタルジックは昭和のものだと思っていたから、このお若い監督さんがそれにのめりこんでいたというのが、ある種多様化の時代ゆえかもとか思ったり。
そしてそこにご当地映画が絡む。ミチコさんが出演しているのは勿論、これが彼女の地元、岐阜の映画だから。
劇中、全国各地のご当地映画のチラシがぶちまけられる中に、函館雪物語とかいかにもなものがあって、あーありそうありそう、みたいな。でも、函館はそもそも商業映画の舞台として数多く登場するし、わざわざご当地映画として自治体が乗り出す必要すら、ないんだよな。そこらへんの皮肉もひょっとしたらあったのかもしれない。
北日本、いやもっとおおざっぱに東日本に住んでいると、それ以外の事情に途端に疎くなる。それは、南日本、西日本の方たちもきっとそうであろうから、責めないでほしいが(及び腰……)、岐阜県、は、多分47都道府県の中で一番最後に絞り出す気持ち確実である……ごめんなさい……。
でもそれが、ある意味武器になる。それこそ函館なんて散々映画の街として使い倒されているんだから。ご当地映画はちょいちょい見かけるが、まぁ大抵やっぱりこの町っていいよね!みたいなテーマであるように思う。
市長が書いた脚本がまさにそのとおり、いきなり主人公にその台詞を言わせるっていう、ベタ中のベタである。市長が言い出したご当地映画プロジェクトなのだが、ザ・ご当地映画ありがち盛りだくさんの脚本で、その時点で観光課のメンメンは意気消沈。いや、その前に、山田が提出した怪獣映画の企画があっさり却下されたというのはあるのだが……。
市長が、清水ミチコ氏、なんである。自治体のトップを演じるというともう即座に、都知事をモノマネする彼女を思い出しちゃうし、本作のキャラもかなりそんな感じで可笑しい。
代々市長の家系だという、その市長室には、もーこれは、真骨頂でしょ、ぜーんぶミチコさんの歴代の市長の肖像写真が飾られてて思わず噴き出す。正直言うと、ここが面白さのピークだったかしらんとも思うのだが(爆)。
山田が敬愛する、地元に住んでいるということは彼にとっての怪獣映画のスターであり、地元のスターでもあるということなんだろう。でもどうやら、地元民には伝わってない。
なんたって本多猪四郎と円谷英二を掛け合わせた役名というザ・オマージュ、今や自治体は地元出身の著名人を観光資源にすることはマストな訳だから、手落ちと言われても仕方ない状況。
それとも、山田は車で乗り付けたから、関市ではなくちょっと離れたところに住んでいるのだろうか。このあたりの設定の曖昧さは気になるところ。だって、ご当地、この地を宣伝する、というキモの部分だからさぁ。
市長が用意したぶ厚い脚本は、ベタベタな、やっぱりここがいいよね!という、タイトルもまんま、「ふるさと」。ご当地映画と言われて想像する、100%パッケージで山田をはじめ観光課のメンメンはうんざりするけれど、ワンマンの市長には逆らえない。
でも、地元の伝統をとにかく守ることしか頭にない市長が、なぜご当地映画などというものに手を出したのか、というのがキーワードとなっていて、もうオチバレで言っちゃうと、市長もまた、山田と同じだったのだと。映画少女で、学生時代映画サークルで撮っていたのだと。
その点で言えば、1人で映画を撮っていたとおぼしき山田とは、同じではないのかな。サークル仲間とザ・青春な写真が、モノクロで(涙)示されるのだから、市長には映画が黄金期として、観るにも作るにも華やかな青春時代があったということだろう。
でも今、市長はいわば孤独で、映画に青春を燃やしていた情熱を、誰かと共有することも出来てないってことなのかな。
そこまで推測するのは優しすぎるかしらん(爆)。市長はなんたってミチコさんが演じているんだからオーバーアクトな可笑しさに満ちているんで、そんなヒューマンドラマを感じさせるキャラではないし。
そもそも、山田の企画は却下されたのになぜ、怪獣映画を撮ることになったのか、という流れであり、それは正直、かなり強引というか、まぁそもそも、怪獣映画を撮らざるを得ない状況を作るための、作劇であるんだから仕方ないっちゃ、仕方ないんだけれど。
そもそも予算のない中作っていて、市長が街のVIPを引き連れて撮影現場を訪れたいと。その時までにこれまで撮影した素材でイイ感じの予告編作っといてねと。あー、もう、この流れでやばいやばい、判っちゃう。何が起こるか、判っちゃう!
素材を編集していたプロデューサー、まぁ最初こそは市長お抱えの秘書であり、そっち側の人物だった女子なんだけど、これまでの撮影素材を全部すっ飛ばしてしまったところから急展開する。
山田に、どうにかできませんか!とムチャぶりする彼女は、それまでは山田のことを、バカにしていたとまでは言わないけど、やっぱりこの時点までは市長側だったし、それは山田以外の観光課のメンメン、特に手塚とおる氏演じるベテラン職員は特にそうで、ここで公務員やっている限り、市長の言うことを聞くことが俺たちの仕事なのだと言ってはばからないぐらいだったから。でも……。
雷、なのよね。市役所に誘雷針があるということは、この土地は雷が多い土地、なのかもしれない。それが、この作劇に生かされているのかもしれない。それによって、怪獣映画そのものを強行突破しようとしていたその撮影現場が、爆発、ボロボロ。まるで原爆のきのこ雲みたいに、爆発している様子が遠くから見ている市民を驚かせるのは若干シャレにならんが(爆)。
この事件が市民を怒らせたと市長は大激怒で、職員は懺悔行脚。でも市長は隠していたのだ。実は、賛同、激励の言葉も同じぐらいあったことを。
ただでさえ予算がないから諦めかけていたメンメンが、この市民たちの言葉に一念発起。なんたって、怪獣映画、いいじゃない!と思っている市民がそんなにもいることに、山田自身が奮起する。
前半のくだりで、山田が自転車をこいでいる、それがもう、哀しいぐらいのシャッター商店街でさ、もうこれは、全国各地の問題で、そしてそこから離れた、車でしか行けない郊外にショッピングモールが立ち並ぶ、まさに地方都市の図式、なんだよね。足がない市民、お年寄りとかハンディキャッパーの人たちとかが、取り残されてしまう。
本作は、怪獣映画で市民たちの心を一つにする、というところまでで、こうした根本的な問題にはアクセスさえできてないし、そういう部分は甘いかな、と思う。だってこうして、問題提起としての映像を示しちゃっている訳だから。
そのシークエンスで、山田は中学時代の恩師に声をかけられる。あの中学生の時、文化祭のあの忌まわしき記憶の時、自暴自棄になりかかった彼に、人と違うことをやったら、叩かれるものなんだと、このまま突き進めと、背中を押してくれた先生。
ラストシークエンスで、この先生が完成した映画を見てくれて、拍手喝さいしてくれるのは、泣ける。だけど、そもそもこの場面は市政説明会的な場所で、山田たちがゲリラ的に乗り込むことを先生が知っている訳がないので、これはちょい甘いかなぁと思っちゃうけれど。
で、結局は怪獣映画にはなってないというか、いや、どうなんだろう……難しいな。その前段階は凄くいいのよ。特撮するだけのお金がない、でもこの土地には、まさに伝統があるこの土地には、特撮でなくても撮れる素材があると、レジェンド本多英二監督が言い、火花散る鉄鋼加工、鵜飼いの鵜の鳴き声、花火師のおっちゃんたちにバーン!あげてもらって、それらを合成する。
でも、合成……怪獣が、着ぐるみが、あの落雷爆発でボロボロ!どうするどうするとなり、山田が編み出したのは、彼がブリーフいっちょで(ふくよかだから、巨大なブリーフ!)関の街を、口から火を吐きながら、ぶっ潰し歩く!
でもそうよね、考えてみれば、第一作のゴジラはまさに、そうだったんだよね。いや、ぱんついっちょの男子怪獣ではなかったけど(爆)、ミニチュアをゴジラが踏みつぶし、カットが変わって逃げ惑う人々が映し出される。その基本でありシンプルなカットのつなぎこそが、臨場感を感じさせたのだ。
この日居合わせた観客たちは、どっちかっつーと爆笑モードだったけど、そういう、プリミティブは感じたかなぁ。
大抵の映画が、こうした非モテ男子を主人公に出してくると、恋愛サクセスを持ってくるもんだけど、なかったね(爆)。いやいやそれこそが、リアリティ。でもいろんな意味で幸せになってほしいけど!★★☆☆☆
まるでジェットコースターだ……カットが異様に早く、人物へのカメラの距離感がぐわんぐわんと変わっていく。息もつかせぬ、という言葉を久々に思い出した。
事実、こういうことはあるだろうというアイディアの元に練り上げられた物語は、なにもこんな短尺にしなくてもというほどのドラマティックなのだが、この尺とこのスピード感と、グラグラ揺れるようなカメラでなくては得られないナイトメア感に、恐れ入ってしまう。
とても面白い導入、アイディア。夫が失踪し6年半、7年が経過すれば死亡扱いになり保険金が下りる、という状況。佳奈は今、孝明と夫婦になっている。死亡扱いになるのは7年かかっても、離婚するのは3年でOKなんである。
失踪して死亡扱いになる年数についてはなんとなく聞いたことがあるような気がしていたが、3年で離婚が成立する、というのは知らなくて、このそれぞれの時間経過の違いが見事にこのスリリングな物語を作り上げてて、ここに気がついちゃったことでほぼほぼ勝ち決定!なのだ。
いや、その上で、いわばほとんど死んでしまっている男、見えない影におびえる物語のなんという面白さ。あと半年、もう少し。しかもその保険金は、今の夫が友人たちと共に立ち上げる映画館設立の事業に投資される約束であった。その事業の準備のために孝明は会社も辞めてしまっていた。
でも、なんということか。6年半も行方不明だった元夫の由紀夫が、佳奈が友人と訪れた近所の居酒屋で働いていたのだ。いや、正確に言うと、瓜二つ、ソックリの男だが、この倉田という男が記憶を失っていることが店長によって明かされ、そら由紀夫だろ!と佳奈も孝明も、そして見ている観客も思うのだけれど……。
果たして、そうだったのか、などと揺れ動くことになるとは思わなかった。当然、由紀夫だと思った。佳奈はそう確信したからこそ動揺し、孝明を引き連れて、リスクを負ってまでわざわざ確かめに行ったのだけれど。
もうね、展開していくうちに、何が本当か判らなくなる。いや、最初から何一つ本当じゃなかったんじゃないかとさえ。
てゆーか、そもそも、孝明は、もう見るからに油断していたのだ。見るからに、そのお顔から、油断しまくりのダメ男なのだ。佳奈と由紀夫の離婚が成立してからの結婚なのだから、由紀夫が失踪してから3年は経っているけれど、でも言ってしまえばたった3年。
いつから二人は付き合っていたのか。佳奈は一度、試すように言った。子供でも作ってみる?と。それに対して孝明の反応が一瞬、遅れたのは、観客にはもう既に提示されている、彼は他に女を作っているからさ。
そして本気かどうかは判らないけど、まぁ不倫する男のすべてがそうであるように、いずれ妻と別れてキミと一緒になるから、ということを言っている訳。
すべてが、後から思えばうわうわうわ、っていうことばかりなんだけれど、佳奈は孝明が女を作っていること、それどころか、夫の死亡保険金を事業の出資金に当てることは了解しているものの、この女の出資金分も含まれていることも、知ってたんじゃないの。それどころか、それどころか!!
……という、加速する解釈のしようが怒涛のように押し寄せるのだが、ちょっと落ち着こう、軌道修正。
そう。もうね、この孝明が、見るからに、ダメ男なの。素晴らしいキャスティングだという。ダメ男フェイス(失礼!)。一見とても優しそう。昔風に言えば草食系。困ったような笑顔、眼鏡が似合っていて、イケメンというんじゃないけど、こういう男子が一番モテると思う。
真面目そう、優しそう。それは間違いじゃないけれど、ワキが甘いというか、つまりね、あんたみたいな男が外に女を作って上手くいくと思っている時点でアウトなのだ。
佳奈の父親の具合が悪くなって、急遽実家に帰ることになると知ると、不倫相手のあゆみを家に呼んじゃう。し、信じらんない。せめてホテルでの逢瀬だろ。証拠が残るとか、急遽予定が変わって帰ってきちゃうとか、考えないのか。
自分のテリトリーに女を呼び寄せることでステイタスを感じる、男子のマーキング的本能なのかなぁ。それにしてもこれは!不倫がそもそもアウトにしても、まぁ不倫は文化と言っていた人もいたし(爆)、それをやるんだったら、守るべき一線はあるでしょ。絶対にダメなことやってる!
後から思うと、こういうシチュエイションにこの男はどういう行動を選択するのか、と、女たちが見定めていたように思えてくるのが本当に怖いのだ。
佳奈に関しては孝明側の被害妄想的な感覚の方が強く感じられるけれど、不倫相手のあゆみは、ベタアマ女子だったのが豹変し、孝明を戦慄させるという図式で、結構判りやすい。いやでもそれも、イチャイチャ場面と、素の場面での女の違いに、騙されたとでもいうように夢から覚めたみたいな顔をする孝明の幼さこそに、あーあ、と思わされる。
あゆみはいかにも、いかにもなしたたか愛人キャラなので、イラっとさせられそうなのに、不思議とそうならない。そうならないうちに、孝明を戦慄させる脅迫キャラに移行していくからなんである。
そして、妻のいぬ間の宅飲みのシークエンスで、あゆみがテイクアウトした総菜が元夫、由紀夫の働いている居酒屋のものであり、頼んだものが入っていないとあゆみが激高して、キッツイクレームを入れ、家に届けられる手はずになって、孝明は狼狽する。元夫の由紀夫かもしれないあの男が、配達するかもしれない。自分がかつて住んでいた住所に記憶が呼び覚まされるかもしれないと。
このあたりになってくると、もうなんつーか、孝明の精神状態は普通じゃないんだよね。そもそもキミは、外に女を作るとか、奥さんの元夫の保険金を当てにするとかゆー器じゃないんだよ。
その感じが、困ったようなヤサ男笑顔に現れてて、身の程知らずを追い詰める様に、彼は、いわば勝手に、恐怖の妄想の渦に巻き込まれていく。
そう……私は、妄想だったんじゃないのかなぁ、と思った。解釈は、めちゃくちゃそれぞれにあるように思う。孝明が友人たちと共にたちあげようとしている、映画館プロジェクトだって、まるで学生サークルの延長線上のように楽し気に喫茶店で打ち合わせしている様子が、深刻さを感じられなかったし、それぞれの出資金のめどが、打ち合わせのたびに段々と崩れていくさまが、いかにも理想だけの机上の空論のように見えた。
こうなると、このプロジェクトさえも、孝明を陥れるワナに見えてくる。すべてがそう、見えてきちゃう。それが、怖い!!
居酒屋で働いている、元夫の由紀夫に瓜二つだという男、そもそも孝明はその元夫のお顔を知らなかったんだよね??写真を見せられるでもなかった。ただただ、佳奈の動揺にどこか面白げに付き合っている感じだった。
そして佳奈の父親の具合が悪いという展開になり、手術費用に保険金を半分使わせてもらいたい、と言い出した。そもそも愛人分の半金なのだから、孝明が否と言える筈もない。
でも確かに、このあたりから……佳奈の言うことって、何一つ事実として見えてこないことに気付いてくる。失踪した夫、瓜二つの男、それらはすべて、佳奈が言い募っているだけなのだ。それを補完するような店長だって、佳奈に言いくるめられていたなら。
そして愛人のあゆみだって。そもそもあまりにも自信満々だった。自信満々に過ぎる様に見えた……と思うのは、後からの感覚だけれど。
意味ありげに示される、佳奈の泥だらけのパンプス、行方をくらました由紀夫に瓜二つの居酒屋店員、あゆみが孝明にあおったことで明らかになる、元夫だけでなく今夫の孝明にも生命保険がかけられていたこと、そして、元夫の由紀夫かもしれない男の死。
孝明が悪夢に見た、まるで二時間サスペンスドラマのような崖上でのシーン、妻と愛人ががさがさと揺れるカメラで彼に迫る。あれは、現実ではないと思ったけれど、どうだったんだろう……。
解釈のしようだよね!と冒頭で勢い込んで言ったのは、泥にまみれた佳奈のパンプスを映し出された時、マジでゾッとしたから。そこにしれっと愛人のあゆみが一緒しているラストに、さらに戦慄し、いやいやいや、これは夢であってほしい、あるいは、女子が男子をからかっている茶番だと思いたい、と思ったが……。
そう、見えなくもない。自身の裁量を過信していたダメダメ男の孝明が、女たちの恐ろしさ……ひょっとしたら自分に生命保険をかけて亡き者にしようとしているんじゃないかと思い込んで必死に逃げ去るラストシーンは、いかようにも受け取れて、いかようにも受け取れることこそが、めちゃくちゃ怖いと思った。
孝明、あるいはかつての元夫もそうだけれど、勝手に女たちに陥れられることに恐怖して失踪し、女たちはじっくり時を待って保険金を手に入れる。決して自ら手を下したりせず、でもそうしたんじゃないかと男に思わせて追い詰める。
……ありそうな気がする。一度手に入れた女、妻や不倫相手に安住した男に対する復讐、思いがけず、妻と不倫相手が結託する、そんなことを男は考えもしないという恐ろしさ。
でも結局、本当のところは判らないのだ。これが一番不安。こういう映画は不安!!そうじゃないと言われたら終わりなんだもの。
でも、観客にゆだねてくれるのは、嬉しいし、何より、あぁ、正解が知りたい!監督さんにはあるんだろうから、知りたい!!★★★★★
つまり、この3人は幽霊。だから世間の人には見えていない。彼女たちは子供の頃に痛ましい事件に巻き込まれ、殺されてしまった。3人は世の中の人には見えないけれど一緒に暮らしはじめ、世の中の人には見えないけれど成長し今や大人となり、世の中の人には見えないけれど学生生活や仕事やバイトに従事している。
彼女たちが暮らす一軒家は女の子三人が暮らす可愛らしさに満ちていて、朝はバタバタと弁当を包み、夜には三人一堂に会して夕食を共にする。バレバレのサプライズを仕掛けたり、ラブレターみたいな感謝の手紙に感動してイチャイチャしまくったり、……そうね、いつもの私なら、女の子の可愛いワチャワチャにキャーキャー萌えまくっている筈、なのだが。
幽霊なのに成長したり、食事したり、トイレのドアは開けっ放しにしないでなんて言ったりするってことは、消化して排泄までいってるってことをわざわざ示している訳で、ヤボとは思いつつ、この設定はいくらなんでもなぁと思ってしまう。しかも、彼女たち幽霊が元の世界に肉体を持って戻って来られるかもしれない、だなんて展開になると、更についていけなくなる。
彼女たちが暮らしている世界線は、SF的見え方とすればパラレルワールドに属すると思うんだけれど、それは幽霊としての存在の仕方では、どう考えても人間の肉体をもって成長して食ってクソして、という形をとらざるを得なくなるから、矛盾という以上に、……冒頭に言ってしまったような、茶番に思えてしまう。
しかもそれを、ホントらしく、まことしやかにするために、また違うどこかの世界線からのラジオ、そしてあろうことか、ノーベル賞をとった日本の素晴らしき功績、ニュートリノを彼女たちの存在を証明するものとして持ち出してくるのには唖然としてしまう。
大学の講義にもぐりこんで、図解を示しながらさもありそうな感じで解説するけれど、SFとしても御伽噺としてももちろん科学的にもあまりにもあいまいで適当すぎる。
そもそもの物語の始まり、彼女たちがまだ幼い、小学生だった頃、なのだよね?合唱クラブ、女の子が圧倒的に多い、目にもまぶしい白いセーラーのお揃い、大会前に写真を撮ろうよと、上級生の主導で撮った写真は、皆ドアの方に目を向けている。美咲(のちの広瀬すず)が、姿を消した典真(のちの横浜流星)を気にしていて、彼が来たんじゃないかと音に反応したのに皆がつられたのだ。
典真は美咲が、……彼女はどうやら家庭の事情で貧しくて、お腹を空かせていたもんだから、彼はコンビニに肉まんを買いに出た。その間に、悲劇は起こった。この時の写真が今も、彼女たち三人の暮らす家に飾られている。この直後、三人は乱入してきた少年の刃に倒れたのだった。
少年の刃。そう、少年犯罪。少年法に守られて、こんなに凄惨な犯罪を犯したのに、プライベートを守られて、出てきてしまう。その理不尽さは判るけれど、本作での描き方はあまりに雑過ぎると思ってしまう。
すみません、かなり展開が先のことになるんだけれど、そもそもの核の部分の話だからもう言っちゃう。この少年が出所したことを知ったさくら(清原果耶)が、彼に会いたいと言い出す。それは、先述の、この世界に戻れるかもという方法に、会いたいと思う誰かを強く思う気持ち、というのが示されているから。
ニュートリノなんていうめっちゃアカデミックな科学をこれが証拠だ!みたいに出してきて、そんな根性論をぶつけてくることにこれまた唖然とするのだが……。
優花(杉咲花)が母親を見つけてしまう。花屋の車で配達しているところを。大学生たちをぼんやり眺めていたのは、優花が順調に成長していたなら、と考えていたに違いなく、実際、優花はその大学に、まぁ幽霊だからそれこそ幽霊学生として通っているんである。
この優花の母親が、出所した元少年である犯人に接触し、手紙を読みましたかと迫り、……こう言っちゃなんだけど、被害者家族だから当然だとでも言わんばかりに、結局あなたは反省なんて出来ていない、結婚して幸せになろうとしてるじゃないの、と涙ながらに、ナイフまで出して迫りまくる。
そんな彼女の方に感情移入出来なくなることが、この物語自体に感情移入できないこととイコールで、しんどい。理不尽に他人の命を奪う殺人犯を憎み、許せないと思う。それは当然のこと。でもここで描かれているのは、その殺人犯のそれまでもこれからも、罪を償う時間を費やしたことも、何もかも否定し、更生なんかする筈もないし、することも許さないし、話し合う価値も余地もないという、まぁこれまでの、日本の、死刑制度がいまだにあるからこその考え方なのだと思ってしまう。
それは当然、私自身が、そうした立場になっていないからのんきに言えるのだということは判っている。でも、それは作り手側も一緒じゃないのだろうか。こうして、エンタテインメント映画の中で描くのなら、結局こーゆー奴は許すべきじゃないだろ、と、被害者や被害者家族からの制裁を良しとするのは、あまりに無責任だと思うのだけれど……。
このいわば、ひとつのクライマックスの中で、元少年の犯人は、車に轢かれ、重体に陥る。もしかしたらその後、死んじゃったかもしれない。優花の母親が、彼をにっくきと思っていたのは当然としたって、自分とのおっかけっこで彼がそんな目に遭ってしまって、ざまーみろと思うだろうか。余計に辛い想いを背負ってしまうとしか思えないのだが。
そもそもこの優花の母親、幼い娘を連れているのを目撃した優花は、自分を忘れて幸せになっている、とショックを受けるも、先述のように、決してそんなことはないんである。
事件後再婚して、娘を授かり、前を向いて歩き始めたとか言うが、そもそも事件後再婚、というのが、いかにも事件があったことが理由みたいに言われるけど、もともとシングルマザーだったのか、事件があったことで離婚したのかも明らかにされないので、家庭の事情も全部この事件のせいにしてんじゃないの……と思っちゃう。しかも自分が幸せになるのはオッケーで、犯人には許さないというのがなぁ。
えーと、なんかぐちゃぐちゃしちゃったから、軌道修正。そう、この三人は一緒に暮らしている。結構早くに秘密は明かされるけれど、それまでは本当に、仲良くわちゃわちゃ普通に暮らしているように見える。末っ子のさくら(清原果耶)は水族館でバイト、次女の優花(杉咲花)は大学に通い、長女の美咲(広瀬すず)はオフィスに勤務。
でも当然、誰にも彼女たちは見えていないんだから、勝手にバイトし、勝手に大学に通い、勝手に勤務している訳で。最初だけちょこっと、いかにもコミュニケーションとれてるような描写を見せるけれど、実際は、誰にも聞こえていない、見えていない。
当然、給料も発生していない、講義もタダで聴いてる。美咲が、誰も手を付けない入力作業をもくもくとこなしたり、さくらが飼育動物のエサのバケツを持ってきたりしても、それは一切、現実の世界に反映されていないことが、これはご丁寧に示されていて、だったら彼女たちは一体何をモチベーションにこの暮らしをしているの、意味なくない??としか思えなくて。
車に閉じ込められた赤ちゃんを助けたいのに、当然、誰に訴えても聞こえないし、美咲が再会した典真にかつての想いを伝えたくたって、そのすべがない。
典真はあの事件で自分が助かってしまったことで、……きっと当時から両想いだったであろう美咲の命が奪われたことに、余計にキツい想いが加わってしまったのだった。ピアノ男子と歌劇の台本を書いている女子。メチャ萌えではあるのだけれど。
で、そうそう、ラジオ電波から聞こえてきたパーソナリティー、彼女たちと同じ立場だと。現実世界に戻れるんだと。会いたい人を強く願って、この日この時、この灯台まで来て「飛べ」と。
キャストクレジットで誰??と思いつかなかった唯一の人、松田龍平氏があの声だったのか。優花の母親と元少年の犯人との追っかけっこの後、まだ時間が間に合うかも、と三人はその灯台に向かう。ご丁寧にドローン撮影で豪華に、三人手をつないで、飛べ!!と叫ぶんである。
うわー、これはかなり、観客側としても恥ずかしい。なんつーか……学芸会チック。ドローンでドラマチックに上空に飛んでっての画だから余計にハズい。
現実の世界線で、三人が暮らしている一軒家はすっかり廃屋になってしまっていて、新たな買い手が内見に来ている。三人は、典真との再会によって当時なしえなかった合唱コンクールに出場することを目標にする。その過程で、美咲は典真と、あの事件の時、直前、書きあがった歌劇の脚本を、見せられなかったそれを、彼と、読み合わせるんである。
当然、典真は気づいていない。恩師から大会でのピアノ伴奏を依頼され、いろいろ逡巡し、かつての部室であり、自分がピアノを練習していた部屋を訪れるんである。
雑然とした状態、アップライトピアノもほこりをかぶってて、こらー調律全然してねーだろと思っちゃうと、彼が感慨深く鍵盤に指を落としても、いやだからこそ、ピアノをずっとやってきたオメーなら、このピアノの状態判るだろ、と言いたくなっちゃう。
美咲と典真の、美咲側にしか判っていない筈だけれど、典真もどこかで、感じているかもしれない、的な、時空、じゃないな、幽霊と人間なんだから、違うか、とにかくそのクライマックス、これで泣けとばかりな圧を感じたけれど、結局典真が彼女のことを見えていないし、なのに彼女との読み合わせを感動的にこなしてて感動モードに持っていくのが、ムリでしょ……ムリだと思うんだけどなぁ。
そして、本作はなんたって合唱である。圧倒的に女の子が多い、小学生時代の合唱クラブ。だからこそ、数少ない男子が象徴的になるし。
ラスト、美咲、優花、さくらの三人は、かつて参加できなかった大会に参加しようということになる。当然、誰にも見えない、ここまで作品に感じていた、身勝手な社会参加に過ぎない。
正直言うと、その、身勝手な、という気持ちは、そのままだったかなぁと思う。結局、この可愛い女の子三人を見せたかっただけじゃないかと思ってしまう。
絶妙にダルダルファッションも含め、常に可愛くて、だから、常に、世界に入り込めなかった。クライマックスの合唱コンクールに、幽霊自分勝手参加に至っては、それぞれいい感じに違うデザインの制服スタイルで可愛さ倍増させ、合唱シーンは感動的だけれど、彼女たちの可愛さを見せたいだけちゃうん、というのは、全編通して感じていたので、つまり、ヤだった、ヤだったんだよなぁ。
そして、買い手がついた一軒家、彼女たちはあらたな住処を求めて旅立つ。こうしてずっとこの世界をさまよって、しかも成長し続けて、おばあちゃんになって、幽霊なのに死ぬところまで行くのかと余計な想像をしてしまう。めっちゃ矛盾。死んだら火葬とかするのかとか、幽霊なのに。こういうヤボなことを思う私がやっぱり間違っているのか??★☆☆☆☆
前作もそうだったし、照屋監督は死生観というテーマが根っこに、大事に、あるのかもしれない。それは沖縄という土地の、それこそアイデンティティによるものも、絶対的にあると思う。
あるいは、宗教的とは違うけど、沖縄の人が持っている生き方に対する考え方、そしてその歌うような言葉からもそんなことが感じ取れる。
なかなか凝った構成である。冒頭、口紅を丁寧に塗り込む、その口もとの超至近距離アップのカットからスタートする。
レトロなデザインの青いワンピースに、白いハイヒールをかつかつ言わせて病院の廊下を歩いていく足元、年配の女性看護師さんと作業着の男性が車いすの髭面男と共に出迎える。奥さんが来ましたよ、と言う。
その車いすの髭面男の前で満面の笑みで、くるりと一回り、ワンピースの裾をひるがえして見せる女性。
遺産目当てかとヒソヒソささやかれる中、彼らは病院の外へ行き、女性はぱんつ見えそうな勢いでブランコをこいだり、浜辺のパラソルの下で髭面男と一緒にカクテルを楽しんだり、パラソルの影で生着替えをして思わせぶりに下着を投げたり。
果てはなんと、ウェディングドレス姿になって、パワーショベルのショベル部分に乗って、イエーイ!そして社員たちが結婚おめでとう!!と。こ、これは……。
もうオチバレで言っちゃうと、これは娘の美花が余命いくばくもない父親、しかも認知症が進行して娘の自分のことを、奥さん、つまり美花の母親の町子だと思い込んでいることを見て、最後の美しい思い出作りのためにした演出なのだった。
このくだりが後半、裏方の必死こいた苦労を交えてもう一度繰り返されるのだが、それまでの間に、この父親悟と娘美花の7年もの空白とその理由、そしてもう恍惚の人となってしまった父親に会いに来た娘、美花の両親への想い、確執、亡くなった最愛の母親の真実が明かされていく。
フェミニズム野郎としては、正直、ちょっとなぁと思う部分は沢山ある。ありていに言えば、優しすぎるというか。
美花の両親、先に病気で亡くなってしまった優しい母親、町子と、飲んだくれだけどこれまた優しく愛嬌があって憎めない父親、悟はザ・相思相愛で仲が良くて、何の問題もないように客観的には見える。
でも、町子が病気になって、家事もままならなくなったというのに、それを夫には言えなくて体調不良を悪化させてしまう最初のシークエンスで、うーむと思ってしまう。これは懐かしき昭和の家父長制度、家父長にワガママを申し立てちゃいけないってアレだぞと。
ベテラン看護師も、娘の美花も怒って町子を諫めるのだけれど、毎晩飲んだくれて帰る夫を、好物のてびちを作って待つような妻、町子は、一向その態度を改めることはない。
こう書くと、よくある亭主関白、夫に服従する妻、夫は暴力とかもふるっちゃう、みたいな図式を思い浮かべるのだけれど、全然そうじゃなくて、悟はいつもにっこにこで町子とベッタベタの仲の良さ、まるで恋人同士のよう、なんだよね。
だからこの齟齬というか、違和感というか……それだけ仲がいいのに、この奥さんは夫に甘えることが出来なかったり、言えないことがあったりするのが、なんかすごく、悔しいというか、いまだにこんなことあるの、と思ってしまったのだ。
これは、なんなんだろう……。沖縄的、ということではないと思うんだけれど、不勉強ながら判らないから……でも、沖縄、というんじゃなくても、地域的に、こういう、夫を立てる、家父長としての旦那を尊重する、尊重?……なんか違うな、町子の言い様は、お父さんは私たち家族のために頑張ってくれている、我慢してくれている、と再三、言っていた。
そんなことは判っている。でも美花が、そして観客がもやもやしたのは、この文脈では、家族のため、というのは生活費を稼ぐためということでしかなく、そのために他の家族が辛い気持ちになることが仕方ないのだとしたら、その関係性って、ちっとも対等じゃない。尊重じゃなく隷属しているに過ぎないんじゃないの??と思ってしまって。
美花は、そこまで自身の中で明文化はしていなかったと思うけれど、そんな感覚はあったと思う。ただ、まだ若くて、子供で、娘である自分より父親の二日酔いを優先してコーンスープからアーサ汁に変更されてしまうことにいら立ってしまうようなところでしかなかった。
でもそれって、結構根本的だよね。町子は母である前に妻、いや、悟の女ということなのだから。それは全然いい。むしろいいと思う。今はそうでもないかもしれないけど、昭和の日本は特に、結婚した途端、あるいは子供が出来たとたん、特に妻の方が母親完全版になってしまうきらいがあると思う。
だから、大好きな夫のために、あの人の前では女でいたいからと、毎日メイクをして可愛い服を着ている町子はとても可愛いし、いいと思った、思ったけど、いわばその”理由”が、本作の最大のもやもやを生じさせてしまう。
それは、美花が問い詰めたのだった。お父さん、お母さんが倒れた時の電話にも出ないで、女の人の匂いさせて酔っぱらって帰ってきたんだよ、と。
再三の問い詰めに、町子は覚悟を決めたのか、娘に吐露した。本当のことを知ることが幸せとは限らない。私が病気になって、お父さんはセックスを諦めた。でも、私はお父さんの前では女でいたい。だから毎日お化粧をするんだと。
この衝撃的な告白を聞いて、美花は一度耳をふさぎかけるも、おかぁ、ごめん……と抱き合って、母親の思いを受け止める。
でも結局、町子が亡くなってしまう、その倒れた時に、やっぱり父親は彼女からの再三の電話に出ず、つまり女とよろしくやっていたに違いなく、そらー美花は激高して、許せなくて、そこから実に7年間、故郷を離れて帰らなかった。
夫婦間のセックスに踏み込んで、その事情を子供に聞かせるというのは、確かに思い切ったと思う。でもなるほどと思いかけて、セックスが出来なくなった奥さんの代わりの女がいる、ということを、事実として公認もしてないし、知らないテイでいるということに、やっぱり違うと思ってしまう。
それじゃ仮面夫婦じゃんと。表面上どんなにラブラブで仲が良くても、倒れて息も絶え絶えな時に、夫は他の女とセックスしてて電話がかかってきたことにも気づかない。それを、私が病気になったがためにお父さんはセックスが出来なくなったから、という理由で納得させるのは、あまりにも無理がある。
これはね、倫理観というんじゃなくて、まぁそれもあるけど、男子はセックス封じられるとキツいから、浮気に目をつぶるんだという理論でしょ。これを夫婦愛、純なる愛にされちゃ困る。ツッコミどころがありすぎる。
まず、じゃぁ病気によってセックスできなくなった女の側は、そうした苦しみはないのか、その観点が完全に抜け落ちている。病気の症状や個人差にもよるけれど、夫の性欲に想いを馳せられるほどなんだとしたら、この病気がなければ、この夫婦はセックスを普通にしていたということなんでしょ?
だったら彼女側にだって、出来ない苦しみはあるんじゃないのかなぁ。病気だから性欲があまりなくなるというのはあるかもしれないけど、でも問題はそこじゃないよね??
もう露骨に言っちゃうと、だったら風俗でいいじゃんと思っちゃう(爆)。実際はどうだか判らないけど、いまわの際の電話にも全然出なかった、それ以前もにやけた電話をするシーンが描かれていたということは、フツーに女がいたと受け止められてしまう。
本作は許しの物語、どんな愚かなことをした人間も、もう死ぬ時にはさ、そしてそれまでとても反省したならさ、許してあげようよ、というテーマなのだけれど……ちょっとね、昭和フェミニズム女としては、むしろウチらを怒らせることを目的にしてんちゃうのと思うぐらい。美花が怒って7年も島に帰らなかったのは当然だと思っちゃうし。
まぁだから、美花がいわばほだされたことには、7年も怒っていたのにさ、と思うが、でも人の死に接すると、もうそりゃしょうがなくなっちゃうのかなぁ。しょうがない、お母さんはお父さんを深く愛していて、お父さんもお母さんを深く愛していたのだから。
なのに愚かなことをやっちゃうのが男だとしたら、それを許すわけにはいかんぜよ!許してあげなよ、という雰囲気を、故郷に帰った美花に対して発動する、父親の右腕だった男性があれこれ美花を連れまわして、そのシークエンスはとてもコミカルで笑っちゃうのだが、そう、それこそが、芸人ゴリ氏の真骨頂のユーモラスな脚本なのだが……。
でもやっぱり基本、男は頑張ってるんだよ、仲間を大切にしてきたんだよ、というスタンスだよね。知らんわ!!と言いたくなるのは良くないかなぁ。亡き妻のために彼女の好きだったテッポウユリを、手植えでこつこつと、広大なスペースに咲きほこらせた、そこに美花を連れてきてどうだ!とばかり……まぁ美花は感動してたけど、お母さんが死んでからだからなぁ、と思っちゃう自分がヤだなぁと思っちゃう。
で、ここで感動のクライマックス、タイトルとなっているかなさんどーを琉球衣装もばっちりで美花が歌い、その姿が、夫婦が出会ったきっかけの町子の歌う姿にオーバーラップする。悟は泣きながら、テッポウユリ畑の町子を、娘が演じる町子と、彼だけに見えている町子を見つめている。
まぁ、まぁ、優しすぎるよね(爆)。正直、7年島に帰ってこなかった美花の気持ちの方が判る。だって、病気の奥さんに対して、表面上はラブラブ愛してるけど、結局はその現実から目を背けて、娘を怒らせて、最後の最後もサイアクの行動しか出来なかったんだから。
まぁそれでも、許した方がそらまぁ、双方気持ちが落ち着くのは判るけれど、でもやっぱり、男の性欲が夫婦愛の問題と切り離されて、対話せずに、議論をぶつけずに、男が知らんままに女側が勝手に許して我慢して譲歩しているのは、おかしいと思う。
この一点が私、腹が立ってるんだな。自分がセックス出来ないから他の女としていることを黙認するなんて、やっぱりおかしい。そんなの夫婦愛じゃないと思うんだけどなぁ。★★★☆☆