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「ち」

2000年鑑賞作品

チャーリーズ・エンジェル/CHARLIE’S ANGELS
2000年 98分 日本 カラー
監督:McG(マックジー) 脚本:ライアン・ロウ/ジョン・オーガスト
撮影:ラッセル・カーペンター 音楽:エドワード・シェームア
出演:キャメロン・ディアス/ドリュー・バリモア/ルーシー・リュー/ビル・マーレイ/サム・ロックウェル/クリスピン・グローヴァー/ティム・カリー/ケリー・リンチ/ルーク・ウィルソン/トム・グリーン/マット・ルブラン/ジョン・フォーサイス


2000/11/26/日 劇場(錦糸町シネマ8楽天地)
とびっきりにチャーミングな女の子(女性、というよりこっちの方が似合う。年齢的なことは別にして)三人が、顔も見たことないけどメッチャ信頼しているボスのために体を張って探偵稼業にいそしむ!おそらくは、元のテレビシリーズでは(はい、知りません。だって私若いもーん)もっと大人の女のお色気モノだったと推測されるが、ここでの女の子三人組はそちらももちろんタップリ堪能させながらも、それが可愛さの方に転化するタイプのかしまし娘型。

さすがにルーシー・リューは一番お姉さんだけあるし、その黒髪もミステリアスにセクシーで、時々は他の二人のテンションと違うかな、という感じはするのだが(特にあの、チロリアン楽団などは。でもそこがいいんだけど、バランス的に)。それに彼女、最初ちょっとソバカスが気になったりして。東洋人ではあるけどその辺は白人ぽいというか、完全に東洋の血ではないのかなあ。でも、その典型的な美人ではないところが逆に美しいという希なお人。キャメロン・ディアスとドリュー・バリモアはとにかく“プリティ・セクシー”とでも言いたいはつらつとした魅力。思ったよりも太股バーンなチロリアンファッションの時のキャメロン・ディアスや、“ミロのビーナス”と称えられた時の(まさしく!)シーツ姿のドリュー・バリモアなど、本当に目が釘付けになってしまう!

コンピューターブレインの誘拐とか、音声ソフトの盗難とか、まあ、そうした一応なくては困るストーリーなんぞは、でもこの三人を見るために用意されているようなもので、それほど掘り下げなくったって誰も文句は言わないし、昨今のアクションものによくあるような“同情(共感)できる悪役”なんてのも、必要ナシ!そんなワキ役に気を取られているヒマはないのだ、この三人を堪能するためには!“女の武器も使い”というのはまあ良くあることだけど(でも、これって逆はないんだよね。なんで男はそう簡単にだまされちゃうんだ?うーん、でもここでは彼女たち、恋愛(魅力的な男)にはメッチャ弱いよね。だからトントンかなあ)、彼女たちの場合、女以外の武器、つまりはシンプルな肉体の強さをこれでもかと見せつける。男たちのような鈍重さは皆無で、軽くてしなやかだからこそスピードによる加重で男どもをぶちのめせる。

そのアクションは、まあ「グリーン・デスティニー」を観てしまった後にはね、あー、やっぱりスタント使ってる、ってのが判っちゃうのが残念なんだけど(実際、クレジットでのスタントの数が凄かった)。カットを細かく割ってるからさ、こう、凄い形相でキック!というところでカット割って、実際のアクションでは引いてたり、顔が見えなかったりするからスタント丸わかりなんだもん。「グリーン・デスティニー」では、すべて顔が見えていたから、ほとんどスタントなしってのがよく判るのだ。そういう意味でも、「グリーン・デスティニー」にはこの「チャリエン」より女性アクション映画としてヒットしてほしかったんだけどなあ。それに、「チャリエン」のアクションの撮り方、見せ所でやたらとストップモーションやスローモーションを使うところなんか、完全に「マトリックス」以降って感じで(銃弾をよけるところなんかも)ちょっとあざとい気もする。そういうのも「グリーン……」にはなかったぞ。

ま、いいんだけど。あ、でも、いいんだけど、などと見過ごせない気になる部分は……うーん、これを言っちゃうとミもフタもなくなるのかな、日本文化の描写がね……。悪役のおとりにされていた人が日本好きらしく、ルーシー・リューがニセマッサージ嬢になって「バンザーイ!」と言いながら背中を踏みつけたり、日本風パーティーで坂本九の「上を向いて歩こう」が流れてたり(いまだに……なのね。その前にピチカート・ファイブが聞こえていたのは嬉しかったけど)、かくし芸大会よろしくドスコイ相撲に興じていたりと(しかもそのバックには和太鼓が……(苦笑))、だんだんと寛容に笑うのも難しくなってくる。なんか「ティファニーで朝食を」(隣人の日本人男性の描写)の頃から、全然変わんないよなあ、などと思ったりもして。ま、いかんいかん、これはある程度のオバカさも魅力の映画なんだから……と思いつつも、アメリカの観客がどの程度までこの日本の描写がオバカだと気づいてくれるのかが……ちょっと不安(監督は気づいているのか?)。

それを言ったら、鼻血ブーだったチロリアンファッションも、これだけはちょっとボリューム不足だった中東風ファッションも、みんなその国の人たちは、なんだあれ、と思ったのかもしれないけど。でも日本の描写が一番長くて一番オバカだったよね……どーしてもバカにされてる気がするのは、やっぱり考え過ぎだろうか?

「クレイドル・ウィル・ロック」の時もすんごく良かったビル・マーレイが、ここでもちょっと頼りない上司(チャーリーの部下)がやたら似合ってて妙に可愛くて。可愛いといえば、ドリュー・バリモア演じるディランにちょこちょこ付きまとっているヘンなボーイフレンドのチャド(トム・グリーン。ほんとにドリューの婚約者になっちまったとは、このお!)がもう最高にカワユイのである。ディランのためになりたいと頑張っている割には妙にマイペースなところも、確信犯的に頭がチョイとヨワそうな感じのところも素敵なんである。特にラスト・クレジットで見せる「チャドちゃん、詰まった」には可愛くて可笑しくて爆笑!

あ、そう言えばさあ、このラスト・クレジット、軽いNG集みたいになってて、やっぱりこれはジャッキー映画の影響だよねえ!まあ、あくまで軽ーく、といった感じで、その後はハリウッド映画いつも通りの黒地に白文字のダーなんだけど(これもつまんないよね)。ルーシー・リューは「シャンハイ・ヌーン」でジャッキーのマドンナ役だったし、なんて思うとちょっと嬉しくなってくる。

確かに銃は使っていない頼もしいお姉さんたちではあるが、ヘリコプターアクションで(これはなかなか見せた)悪役ノックス(ドリュー、もといディランを誘惑しやがった!)に自分の発射したミサイルを戻らせて爆死させるのはちょーっとキツかったけどねえ。うーん、爆死、を想像しちゃうのが、させちゃうのが、マズいよ、ちょっとねえ。

どう見てもやっぱり女にしか見えない華奢な男装も好みだが、最も個人的にキたのはドリューがシーツ姿から外にガラス割ってはじき出され、そのシーツもどっか行っちゃって一糸まとわぬ姿を浮き袋で隠してコドモに助けを求める場面。マジのぼせそうでしたわ。★★★☆☆


CHAKA(チャカ2)
1999年 109分 日本 カラー
監督:渡辺武 脚本:本調有香
撮影:小松原茂 音楽:TORSTEN RASCH
出演:竹内力 益子和浩 遠山景織子 菅田俊 隆大介 やべきょうすけ 山口仁 大和武士 小野砂織 伊藤洋三郎 港雄一 中野裕斗 野崎数馬 滝川なお 武藤隆也 鈴木博之 松浦健城 こじ郎 渡邊稔久 山之内幸夫

2000/2/29/火 劇場(新宿昭和館)
竹内力主演のヤクザ映画が、まさかこんなに静かな作品だとは思わなかった。冒頭とラストのクライマックスにはそれなりにハデな銃撃戦が用意されているものの、作品全体は、哲学的とでも言いたい静謐さ。いつでも夕方のちょっと前のような雰囲気の、がらんとした田舎町。そこに建つすっかり寂れた廃工場、人のいない八百屋……沼だか川だか判らないような流れの止まった水辺で銃の練習をしたって、誰一人気づく人なんていやしない。曇天の中、乾いた余韻をたてる銃声。季節は冬の初めから真冬にかけて、だろうか。霜が降りて真っ白になった土手。雪さえも降らない、人の気配のない乾いた町。

この話は、前作である「チャカ LONELY HITMAN」の前日談であるという。残念、それは未見。“チャカ”という異名をとる怖いもの知らずの鉄砲玉、ヒットマンの島が、行きつけのハンバーガーショップで敵に押し入られ銃撃戦を繰り広げ、怪我を負ってしまう。現場を目撃したバイト店員、貴志(益子和浩)は島に近づき、「なぜ僕を殺さないの」と言うと、「素人は殺さない」と島は応える。死体から銃を取り出し、手になじませるように凝視する貴志。貴志は警察の尋問にも何も答えず、島を自分の田舎のかつて住んでいた廃工場に連れて行く。

後から判ることなのだが、貴志の父と島は、かつて刑務所内で知り合い、気の合った同士だった。貴志の父親は旋盤工だが、趣味で拳銃を作ったり直したりする。その後地元のヤクザに陥れられて自殺に追い込まれた。貴志もその父親の血を受け継いで拳銃密造にひとかたならぬ才能と情熱を傾けており、まさしく島とは因縁の出逢い。貴志が大切に修理している古ぼけた銃を「こんなボロ、使えんのか」と珍しそうに眺める島。川辺で射撃の練習をする島を「下手だね、島さん」と交代し、的をねらう貴志は一級の腕前である。「俺達はいつでもその場勝負だからな。練習なんて考えもしなかった」と無邪気に貴志とたわむれる島。それが銃ではなかったらなんだかちょっと微笑ましいような、年の離れた兄弟のような感じである。それをじっと見つめる、貴志のかつての同級生である透子(遠山景織子)。

高校を卒業して1〜2年が経過していると思われる貴志と透子は少年、少女という年でもないのだけれど、拳銃密造のほかは何をするでもない貴志と、専門学校をやめて田舎へ戻り、流行ってなさそうな家業を(あの町じゃねえ……)手伝っている透子は、大人になる時期も、これからを決める自らの意志もいつのまにか逸してしまったような二人である。まだこんなカッコをしていてもいいのかな……なんて感じの、特に女の子の方など、ミニのプリーツにソックスといういでたちで。演じる遠山景織子の、薄く鋭いカミソリのような、はかなさと危うさをあわせ持つさまが透子そのままである。透子……字からも消え入るようなイメージを受ける。

そして島もまた、一見してすぐにヤクザと判るようなガタイのよさと凶暴な風貌ではあるものの、ただまっすぐで打算を考えない子供のような無邪気さを持っていて、それが彼をいつでも窮地に追い込んでいる。しかしそんな島に大人の男を見、貴志も透子も惹かれていく。透子は島と関係を持ってしまい、透子を密かに好きだった貴志は、しかし島への思いもあって混乱した思いを抱える。立ち枯れた背の高い川辺の葦?をかきわけかきわけ、走っていく貴志のショットの美しさは、彼の少年期を引きずった葛藤をもその画面に刻んでいるから。

島にホレている男がもう一人いる。同じ組織の先輩格である深沢(菅田俊)。彼は、射撃の腕前が上がったことを自慢げに披露する島に「子供みたいだな、お前」と苦笑まじりに言う。「俺は時々、お前に背中から撃たれるような気がするよ。まさか正面から撃たれるとは(射撃の腕前を披露するために、深沢の顔の横すれすれに発射したのだ)思わなかったな」などと言う。「まさか」と笑う島。深沢はヤクザでありながら人を撃ったことがない。深沢は組織と島との間をつなぐ連絡係となっており、島に持たせた携帯電話に意味もなく電話をするのだ。「なんでもない、急にお前の声が聞きたくなってな」「なんだよ、それ、ホモか?」「いつでもお前のために背中をあけて待ってるよ」……深沢は島に殺されたいと願っていたんではなかったか。彼は後に島のおぜん立てによって、中原組組長狙撃でヒットマンデビューを飾る。サングラスをおもむろにかける深沢に、「なんだよ、それ」と島が笑うと「まず形から入ろうと思ってな」なんて返す深沢。……いつでもどこかコミカルさをテレのように入り込ませる二人……深沢を信頼しきっている島と、島に対する同性愛的感情を自覚的に持っている深沢という図式は、何だか切ない。

“ホモ”と言えば、貴志の父と島が刑務所時代、そうだったのではないか、と島の行方を追う腐敗刑事、榎本(隆大介)に迫られる貴志。「俺は、お前の父親が島と刑務所で知り合ってたのを知ってときめいたよ。こういうの、なんて言うか知ってるか、(貴志の耳元に口を寄せて)因縁、だよ」……貴志は島に依頼されて島の組と対立する中原組襲撃のための拳銃を作るのだけれど、透子のことや、こんないろいろなことがぐるぐる頭をかけめぐってしまう。貴志の作った拳銃を持って“仕事”に出かける島。しかし貴志はその拳銃に細工していて……途中で島に携帯電話でそれを告げ、島は組の幹部射殺に成功するものの、その理由を聞くために彼は貴志に携帯をかける。それに答えて「僕はただ拳銃を作れれば良かったんだ。島さんに会った時、この人だと思った。父さんとのことがなければ……」

その後、貴志は地元のチンピラでかつての同級生、さとる(やべきょうすけ)に殺されてしまう。島に追いつめられたさとるは、「お前が現れたせいで、俺は指をなくした。あいつを殺さなきゃ、俺が殺される。みんな、お前のせいだろ!俺だって友達を殺したくなんてなかった!お前がいなければ!」「そんなこと、判ってる!」苛立つように吐きすててさとるを殺さずに立ち去ってしまう島。

魂でわかりあえる相手を得たのに、それを他ならぬ自分のせいで失ってしまう島、それを判りすぎるほどに判っている島が、心に痛い。男くささよりも少年のような無邪気さ、激しさよりも静謐さを前面に出した、こんな竹内力を初めて見た。大人の男、その男と共犯関係の彼を慕う大人になりきれない青年、そして第三者的な目を持つ女、のコラボレーションは、まるで「dead BEAT」(哀川翔主演!)のよう。あちらの“大人”はもっと、完全な諦念を持った、哀しいまでの大人になりきった男だったけれど。静かで哲学的なところも何だかよく似てる。貴志が、哲学的なのだ。彼が静まり返った川辺で「拳銃はとてもシンプルなんだ。引き金で火薬が爆発し、それが弾を押し出す。ただそれだけなんだ。……」ととつとつと語る様は、まるで宇宙の真理でも語っているよう。

透子を後ろに乗せた島と貴志の自転車競争、貴志が習慣のように直して、耳元でいつも聞いていたアナクロなラジオ、貴志が透子を誘って行く、さびれた小さな二番館っぽい映画館……忘れられないシーンがいっぱいある。タイトルからは想像できないような、もどかしいようなやりきれなさが、どうしてかとても美しく感じて、胸に刺さった。★★★★★


ちんちろまい
2000年 107分 日本 カラー
監督:大森一樹 祭主恭嗣 中嶋竹彦 渡辺謙作 脚本:大森一樹 藤村磨実也
撮影:渡部真 音楽:加藤和彦
出演:武田鉄矢 牧瀬里穂 床嶋佳子 後藤理沙 高杢禎彦 小松政夫 高樹澪 田口浩正 ブライアン・ホルス ARATA シンシア・ラスター 千葉真一

2000/11/1/水 劇場(銀座シネパトス)
こういう企画ローカル映画で、出演者がオール地元出身者、なんていうワザができるのは福岡県ぐらいだろうなあ(大阪もアリだけど、あそこはローカルとは言い難いし)。だけどまあ、ここは大阪とはまた違った意味で、全くの独立した大都会なんで、地元に完全なるポジティブな意識を持ってて、そういうところが他の地方と全く違う。例えばこの主人公である観光協会に勤める貝原善哉(武田鉄矢)は、東京への単身赴任をリストラ同然に考えていて、地元から離れる気など毛頭無いし、彼女の娘たちも最初に博多ありきで、「マラソンと同じたい。出発は博多で、ゴールもまた博多なんよ」という長女、直子(牧瀬里穂)の言葉が象徴的。彼らの場合、ほんと東京と同じ、日本の中の博多じゃなくて、もう博多!それ以外ナシ!って感じなんだよね。うーん、うらやましいような、うっとうしいような。

四人の監督が明確なパート分けもせずに共同で演出にあたるという、かつての四騎会が果たせなかったことを、こんなところでつるっとやってしまう辺りが凄いかも。このへんのいい意味でのカルさ、イイカゲンさが博多のいいところなのかもしれない。なんて、すごい推測で言ってるけど。なんとまあ、これがまるで「燃えよピンポン」のような庶民派ミュージカルなのだ(そうそう、日本にはかつて無かった、なんて言われてるけど、あるわい)。見んしゃい、博多の良かばところを!とでもいったふうに、楽しげにオールロケで踊りまくる。しかし全篇その調子というわけではなく、割と考えられたストーリーがあって、その楽しさがチョット減退してしまうのが残念。後半からはまたこのミュージカルが復活して、博多弁が世界を救う!みたいな展開になって、大いに盛り上がるんだけどね。

そのストーリーというのが、殺人電波を発するCD−ROMをめぐる国際的な攻防というもので、かくれみのにするためのハリウッド撮影隊、なんていうものも登場する。まあ、博多ほどの大都会ならば、そうした最先端のコンピューター技術や、ハリウッドがどうたらというのも確かに信憑性があるのだけど、それがゆえに、ふーん……とツマラナイ気分になってしまうのも否めない。結局は都会がゆえの、東京に頼らなくても大丈夫!っていう強力な自我が在るがゆえの作り方なんだもん。地方ってそんなみんな強くないんだよ、ほんとはさあ。

まあ、これは単なる北国出身者のひがみか。ガーッと畳み掛ける博多弁はでも、大阪弁ほどのキツさもなくて、可愛らしくて聞いてて心地いいし、なんたってみんな博多の人なんだから、そのイントネーションもホンモノなんである。武田鉄矢は、熱血教師や恋愛モノやらをやっているより、この役が一番似合ってる。なにか、役柄は全く違うけど、その好感の持てる感じは「刑事物語」の頃を思い出させもする。デジタルに近未来っぽく紹介される博多に憤慨し、しかし世界に博多をアピールするとハリウッド映画来襲には狂喜し、東京や世界へはばたこうとしている娘たちには戸惑い……なんかどことなーく矛盾しているあたりが、武田鉄矢がやってるおとーさんっぽくってイイんである。その短い足をふんばってダンスするのも楽しげでね。

われらがスター、ソニー(サニー?)千葉や、アジアの大女優、シンシア・ラスターらが繰り広げるアクションが、ショボイ色の海や曇り空を吹き飛ばす勢い。うーん、さすがに彼らは貫禄があるわなあ。なんか浮いてる気もしないでもないけど(笑)。というか、全体的に調和に欠ける気もする。スカウトの声がかかるという設定にはちょっとムリなほどにヘタな少年少女バンド(オーディションで選ばれたというボーカルの男の子、ARATAという芸名はマズいよー。あの「ワンダフルライフ」のARATA氏と全く同じ名前ではないか)とか、世界を回るというほどの芸の持ち主には到底思えない大道芸人とか、どう見ても日本人な(当たり前だ)パイナップルコンピュータ社(この会社名も、ショッパイよなー)の社長(松重豊)とか。博多印の映画というには、あっちこっちに目を行かせすぎてて。それだけ視野が広いと言いたげな気もして。それこそ野暮ったいけど誰よりも地元を愛する貝原善哉一人に絞ってた方がよっぽど良かった気がするけどなあ。

そうそう、そのバンドの作曲家である次女の純子(後藤理沙)は、そのCD−ROMを聞いて曲を作るわけだけど、それって、パクッたってことじゃないのお!臆面もなく「これを参考にしたけど」なんて言うなよー。

などなどと、なんかケナしてるみたいになってきたんだけど、その実は、とっても面白かった。笑いに笑ったし。ミュージカルシーンにはワクワクさせられたし、コンピューターゴッドを博多弁で静まらせ、音楽に乗って博多弁講座をする展開にはのけぞったし。なんといっても、全篇の博多弁の魅力が大きいし。やっぱりね、ローカル映画がもっともっと出てこなくちゃだめだって、思うもの。こうした“地方の中の大都会”発信の映画だけじゃなくて。ローカル映画には、なんかすごく思い切った力があるから。その土地が文字どおり完全協力体制になるというのは、東京では有り得ないことだし。そうした力の入り方が野暮ったかったり気恥ずかしかったりもするんだけど、それも含めて通常のルートで作った映画とは明らかに違う魅力がある。大都会の博多発信映画ではあるけど、その点はまごうことなき素晴らしいローカル映画なのだ。

ちょっとチラシが冴えなかったけどね……地元の誇りである全員の登場人物を出したいってのは判るけど、これじゃいかにもつまんなそう。せっかくこれだけ面白いのに、こんな宣伝の仕方じゃ興行がはかばかしくないのも、ムリないって……。★★★☆☆


弱虫(チンピラ)
2000年 109分 日本 カラー
監督:望月六郎 脚本:石川雅也 平山幸樹
撮影:石井浩一 音楽:遠藤幸二 e−KLAY
出演:北村一輝 星遙子 田口トモロヲ 宮前希依 長門裕之 ガダルカナル・タカ 大杉漣 麿赤兒 竹中直人

2000/11/14/火 劇場(新宿トーア)
望月監督はあいかわらずエロが多くて、そのまんまピンク映画館にかけても全然違和感がないだろう。いやあ、これはまんまピンク映画だわさ。望月監督にはピンクと一般映画の区別がないんだな。その辺の、全くの差別意識のなさがこの人のいいところかもしれない。うーむ、しかしさあ、北村一輝に女の乳首エロエロなめさせるしさ、新人のヒロインに大して必要性のない場面でさえオッパイ出させるしさ、しかもラストシーンは海岸?の洞窟の中でこの女の子が全裸で横たわっているというものなのだけど、これがヘア丸出しで、そうじゃなかったらかなり美しい場面だったのに……これじゃあほとんど男性週刊誌のグラビア状態だわあ。

でも、ここんとこ感じてた望月監督に対する拒否反応は、今回はあんまりなかった。つきつめれば切ないラブストーリーだからか。何に苛立っているのか、リュックサックに入れたネコをメッタ刺しにして殺してしまう小学生の女の子なども出てくるのだが、このやよいという子と北村一輝扮する修の交流が、またイイのだ。彼女は「大きくなったら、エンコウするんだ」「あたしを高く買ってくれるオジサン見つけてよ」「大人は何でセックスするの、セックスって、気持ちいいの」などと、修に投げかける。この年頃の、そうしたものへの興味と不安と、それが絡むことによる大人への不信感がありありと感じられて、リアルである。修はそんなやよいにニコニコと、しかし真摯に応えてやる。……ステキなあんちゃんである。

彼と暮らしているのが、修がこの極道の世界に入るきっかけとなった、元とある組長の女だった有美(星遙子)。しかし、彼女と修は恋人というにはちょっと不思議な関係で、それは彼女が家に帰ってきた時、玄関に女物のサンダルがあるのをみて「入っていいのー?」と中に声をかける冒頭で判る。修とはセックスするし、気心の知れている感じではあるのだが、かつてはそうであったのだろうがいまでは恋人同士、という感覚とは微妙に違う感じである。そしてその時訪ねて来ていたのが、組の男たちから逃げていた、修の属する組長の女である少女、景子だった。

んで、そのエロ組長というのが長門裕之なのだけど、まあ、これがムチャクチャいいんだ!ほんとにこの女の子にホレきってて、なんとか繋ぎ止めようとひれ伏でもしかねん勢いで、ついには彼女をシャブ中にしてしまう。幻想の世界でユラユラしている彼女は狂ったように男を求め、自分では満足させられない彼は、見張り番に着いていた修に景子を抱くように命ずる。彼女に「ほら、あのポーズをやってごらん」などというと、景子はベッドの上でおしりをついたまま、足をまっすぐに上げる(当然パンツ丸見えだ)。「な、きれいだろ、きれいだよな」と彼女の足をなでさする組長。「この子の父親はな、小さな頃からおしっこは三回に分けてしなさいってしつけたんだ、最高だよ、英才教育ってやつだ」(どんな父親だよ!!)修は自分の股間に顔を埋めようとする彼女の顔を自分に向けさせ、その目を見つめる。でも彼女は焦点の定まらないまま、また頭を下に下げて行く。彼女を不憫に思ったか、愛しく思ったか、不意に激しく抱きはじめる修……エロだけど、いい場面。

有美は修が仕事として人妻などを抱いているのを知っているらしいのだが、責めたりはしない。この辺も実に微妙なのだが、でもイヤだと思ってはいるんだろうな、とかすかに感じさせる雰囲気がある。ある日、不意に修が「久しぶりにデートしようかと思って」と有美を誘うと、「本当?」と、パッと輝くような笑顔になる有美。食事しながら、ダンスしながらはしゃぐ二人の笑顔がまぶしいのだが、その場面はなぜだか切なく映る。修の気持ちが景子に傾きかけているのを、有美も、そして修自身も段々気づいて来ているから。そして、組自体も若頭を狙う朝村(ガダルカナル・タカ)によって、揺れ動いて来ているのである。

修の兄貴分であり、この朝村の陰謀をおさえているのが船水(田口トモロヲ)。このトモロヲさんがねー……びっくり、凄く素敵!組長の女、有美に手を出してボコボコにされている修を救い出す場面から、なんだか物凄くカッコよかったのだが、およそヤクザらしくない趣味のいい藍のスーツを着て、ヤクザによくある開襟状態ではなく、ノータイだけど柔らかい襟元はきちっと上までとめてて。そう、ヤクザには見えないんだけど、かといって冴えないサラリーマンなぞには絶対に見えない。ソフトな物腰と同時に厳しく対応するカリスマ性もあって。修のことをとても心配し、またしても組長の女である景子にホレてしまった(性分かね、こいつの)修を兄貴である自らぶん殴ることによって救ってやる。……こんな素敵なトモロヲさんは久しぶりに見た!カッコイイというより、素敵。なんか、妙にハンサムにすら見えるぞ!

そして家に戻ると有美が、修が景子を追いかけるための荷造りをしてやっていて、彼女からことづけられた携帯の電話番号を「プレゼント」と渡してやるのである。「……ありがとう」と、景子を追って出ていく修。その後たまらずしゃくりあげる有美。……くっそう、理解ありすぎるけど、だけど、でもやっぱりイイ女だ!……そうだ、この有美にしても、景子にしてもやよいにしても、女の心情が凄く出てて、昨今の男性監督の女性像にうんざりしてたからちょっと嬉しい。原作が女性漫画家ということもあるのだろうけど。でも割と望月監督の描く女性は、まあ、みんなエロではあるけど、結構、うんうんそうだよなー、と思わせる女性像があるんだ(もんのすごくイヤなのもあるけど(笑))。

楽曲協力として山崎まさよしの名前があって、えーなんで?と思ってたら、あ、あの山崎まさよし主演のドラマ「奇跡の人」に、そうだそうだ、北村一輝が実にイヤーな役で出てて、なんかそれ以来、かなりの仲良しさんらしく、その縁らしい!えー、なんかそれっていいなあ、山崎まさよしと北村一輝……ちょっと画になるんじゃない、映画で共演して欲しいなあ!ちょっと、篠原哲雄監督あたり、考えてくれないかなー?★★★☆☆


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