home!

「わ」


2002年鑑賞作品

若妻快楽レッスン 虜
2001年 57分 日本 カラー
監督:渡辺護 脚本:渡辺護
撮影:鈴木志郎 音楽:
出演:里見瑤子 岡田智宏 佐々木ユメカ 永井努 佐倉萌 かわさきひろゆき


2002/4/21/日 劇場(池袋新文芸座/第14回ピンク大賞AN)
舞台に上った、今活躍している若い監督さんたちの中で、一人ベテランの風格を備えた恰幅のよさと銀髪で、まるでヤクザの親分さんみたいに目立っていた渡辺監督。言われなくても、ベテランだということは一見して判ったけれども、この作品は12年ぶりにカムバックして撮ったものなのだという。ピンク映画、あるいはかつてのロマンポルノの中で、確かに観たことのあるような世界で、つまり新婚とはいえだんなさんが初めての男であり、そのだんなさんにあまりかわいがってもらっていなくてうずく体をもてあましている若妻を、よってたかっていじくり倒し、女の喜びに目覚めさせる、という……。今の目から見れば、正直、ちょっとどうかね、と思われるような、女ってそんな単純なもんじゃねえだろ、と言いたくなる様な世界観ではあるのだが、これまた現代の化石と言いたいようなウブな魅力のヒロイン、里見瑶子が、そう80年代のアイドルの女の子みたいなつぶらな瞳をパチクリさせる愛らしさなものだから、まあ、いいか、なんて気分にさせられてしまう。

女優賞を獲得した彼女に対して、壇上で彼女に目を細め「この子には何でもしてあげたくなっちゃう」とか何とか、とにかくメロメロだった司会進行の池島ゆたか監督の気持ちも確かに判る愛らしさ。体を張っても清純さを失わない愛くるしさに、何となく、「駅弁」のヒロイン、白鳥さきなんぞを思い出してしまった……と書いたら、改名した同一人物だということをお教えいただきました。びっくり。この日、彼女は感極まって涙し、それでもしっかりとした口調で自分の思いをマイクに乗せているのが、クレバーな印象をも与えた。劇中、彼女演じる舞は処女を夫に奪われるという、痛さに顔をゆがめる初々しさから、高校時代の友人で、バーのママである洋子とのレズプレイ、洋子の差し向けたセックスの達人、……というより野卑な男、村木に殆ど犯されるようにして見せるセックス、そして洋子にマザコン的な愛情を抱き続け、ついには愛憎がピークに達して彼女を殺してしまう晃の童貞を優しく受け止める、浴槽の中で湯水を波立たせる最後のセックスまで、実にありとあらゆる痴態を見せてくれるにも関わらず、その清純な、愛らしい印象はそのままで、これはスゴい、と思っちゃうんである。

佐々木ユメカ演じる洋子とのレズプレイの場面は、手順を丁寧に踏んで、最後までじっくりと見せてくれ、思わず、ふーん、なるほど、と感心してしまった。ほう、女同士の場合はこういうふうに道具を使うのかとか(笑)。高校時代から舞よりずっとススんでいた洋子は男性経験も豊富で、使い込まれていない(笑)舞のキレイな体に向ける視線は、どこか羨望にも似たものを感じさせる。ベテランピンク女優である佐々木ユメカは、口元のホクロが実にセクシーなのが印象的である一方、ボーイッシュなショートカットのヘアスタイルが良く似合い、小ぶりな胸とその子鹿のような肢体がどこか少年をも思わせ、ふっくらと少女的なやわらかさを持つ舞とのそうしたシーンは、耽美的な空気ももたらす。しかもユウコはその薄い胸に鮮やかな薔薇のタトゥーなどしており、そうした感覚は一層増大する。

高校時代の二人を回想するシーンが出てきて、何とまあ二人、超ミニにしたセーラー服とルーズソックスという、ウワッとこちらが赤くなりそうな格好で登場する。こんな定番中の定番のセーラー服なんて、逆にいまどきないんじゃないかと思うほど。しかも、舞役の里見瑶子は違和感なく似合うが、佐々木ユメカは、かなりムリが……。だってユメカ嬢、もう27だぞお?彼女、他の作品でもこういう格好をしているのを見た覚えがあって、その時も、うわ、キッツー!と絶句したものだが、それを判っていて楽しんでいるんじゃないのかしらん?と疑っちゃうある種の潔さ(笑)。しかも、河原で女子高生特有の淡いレズビアン的空気を醸し出す、そのじゃれあい場面では、その超ミニから食い込み気味のパンツをチラリズムどころかバンバン見せちゃっているんだから、かなりスゲー場面なのである。

母子家庭で育ち、その母親は男への欲望を息子の前でも隠さず、男の下であえいでいる母親をいつも焦れた思いで見つめ続けてきた晃。彼は、母親に女を求めていて、それが果たせずに家を出、母親とソックリの女、洋子に出会い、進んで彼女に服従する。母親に似ている、というのは、ひょっとしたら晃の妄想であるのかもしれない。母親を犯そうとしたことに対する罪滅ぼしのように、女王様のようにふるまう洋子にどんなに足蹴にされても、彼女のアソコをなめることしか許されない屈辱を味合わされても、ただただ無言に従う晃を見ると、何だかそんな風に思えてしまう。どこか同志的な思いで、純粋に心を通わせる舞と晃。晃が洋子と、そして彼女とセックスしていた村木の二人を惨殺してしまい、彼が警察に出頭する前に舞が優しく晃を男にしてあげる場面を経ても、二人の間に流れるそうした感覚は変わらない。ラスト、自分の家へと帰っていく舞は、カメラに向かって、夫へのメッセージ……これからは私、快感を求めるわ、寝かせないわよ、とかそんなことをのたまい、タイトルどおり快楽レッスンに体を開発されちゃった若妻、として物語を終わるのだが、それがあまりにもとってつけたものに感じるほど、その直前の二人の優しく切ない関係が、印象的だった。

夫との回想セックスシーンにおける、白い世界に白いベッド、横たわる舞=里見瑤子の白い肢体、といった人工的、舞台的な美しさが、こういう手法、どこかノスタルジックでもあり、この作品を印象づけるものとして、ずっと頭の中に残った。ところで……晃に対して「若い男だわあ!」と犯しにかかる、肉感的なホステス、明美役として、コメディリリーフを買って出ている佐倉萌、あんなキャラをこなす女優になっていたなんて……。佐倉萌といえば、「蜘蛛の瞳」で哀川翔と寝転んでゴロゴロやっていたのがすごく、もっのすごくうらやましかった記憶のある、あの時は多分にアンニュイな女優さんだったのに……。で、でも面白い……。監督にも挑戦したとのこと、それってぜひ観てみたい。★★★☆☆


WASABIWASABI
2001年 95分 フランス カラー
監督:ジェラール・クラヴジック 脚本:リュック・ベッソン
撮影:ジャラール・ステラン 音楽:エリック・セラ/ジュリアン・シュルタイス
出演:ジャン・レノ/ミシェル・ミューラー/広末涼子/キャロル・ブーケ

2002/2/19/火 劇場(渋東シネタワー)
東京国際映画祭で「ジャンヌ・ダルク」を出したリュック・ベッソンが、同じく「秘密」の涼子ちゃんに、パーティーでやたらとまとわりついている記事を見て、ひょっとしたらベッソンが涼子ちゃんを起用、なんてことがあるかも??と密かに思っていたことが、まさか実現するとは思わなかった。しかしここでアプローチしていたのは実は涼子ちゃんの方で、「秘密」のビデオを渡したところが、お義理でちょっと観るだけのはずがベッソンはスッカリ気に入り、今回の大抜擢につなげただけでなく、「秘密」のリメイク権までをも獲得したというのだから、本当に世の中、何が起こるか判らない。いやー、涼子ちゃん、大正解よ!やっぱり世界に出て行く野心があるなら、これぐらいのプッシュはしなくちゃね。実際、「秘密」の涼子ちゃんはナカナカ良かったからなあ(今ひとつ世間のノリは悪かったが……)。

しかし、本作は、……ウム、映画としては、正直B級……。またしてもリュック・ベッソンは監督ではなくラク?な製作にまわり、「ダンサー」の時と同じような、今ひとつパッとしない、精彩に欠ける映画になってしまった。まあ、話自体がよくあるというか、予測できるというか、その時点であまり面白くないというか……。でもそれで言えば「レオン」だって、話だけで考えれば特に凝ったストーリーという訳ではなく、やはりそこは映画言語で魅せた勝利だったと思うわけだし、そう考えると、ベッソンは監督としての手腕はやはり並以上なわけで。何でベッソンは自分で監督しないんだろ?正直、ベッソンに演出された涼子ちゃんを観たかったなあ。「ダンサー」のヒロイン、ミア・フライアよりは涼子ちゃんの方が印象の強さといい、断然良かったのが救いだが。だから、涼子ちゃんのポイントで★☆☆☆☆ではなく★★☆☆☆なのだよ。

うん、涼子ちゃんは、良かった。彼女独特な、ヴィヴィッドな表情の作り方というのは、欧米系の映画でこそ、しっくりくるのかもしれない、なんて思った。この彼女の表情の作り方というのは、ホント、諸刃の剣で、監督の腕、あるいは相性次第でワザとらしい大根にも、生き生きとし繊細な表情を持つ演者にも見えるから。テレビドラマなどの涼子ちゃんが今ひとつ演技的に評価が低いのも、やはりワンクールのドラマにおいては台詞喋りが中心で、演技に対する丁寧な演出がなされないせいじゃないかなー、などと、見ないくせにテレビに対してやたらと偏見女な私なんぞは思うんである。映画デビューであり、女優デビューである「20世紀ノスタルジア」においては、10代の躍動感がそれにドンピシャにはまり、「秘密」ではちょっとビミョウなトコだったけど、非常にフィクショナルなお話で、入れ替わりという点で大味気味の演技が要求される点において、彼女のその表情はハマり、同時に実に微細な点までついていた。そして本作、浪費癖のある、やたらと元気な、母親を亡くしたばかりの、そして父親を知ったばかりの、バイリンガルだったりする19歳の女の子、という、そしてハリウッド的な味も持つフランス映画という舞台において、このヴィヴィッドさが輝く。もちろんジャン・レノがトップクレジットにくるのだけれど、彼女のための映画と言ってもいいくらい。

つまり話はこう。短気で、すぐ人を殴っちゃう問題児刑事、ジャン・レノ扮するユベールが19年間ずっと思い続けているのは、何も言わずに彼の元を去った一人の日本人女性、ミコ。そして突然やってくる彼女の死の知らせと、彼に全ての財産を残すという遺言、そして日本に飛んでみると、そこにいきなり現れる、彼との間の子だというユミという女の子。もちろん、これが涼子ちゃん。彼女はあと2日で20歳になる、その時まで、彼女の後見人になってほしい、というのである。彼に託された、ユミの口座を調べてみると、何と2億ドルもの超、大金!当然それをネラっているあやしげな男たちがチラホラ。どうやらミコはいわゆるスパイとしてヤクザ組織に潜入し、そこの不法なカネを失敬したらしいんである。いきおい、彼らの周囲がキナくさくなる。

……ね?かなり単純な話でしょ?中盤の展開も、ラストの親子の感動場面も、大方予測できるじゃない。フランスにとってはエキゾチックな国なのかもしれない日本でロケをしたっていったって、やはり、できることには限度があり、並み以上の作品に仕上げるには、監督のジェラール・クラヴジックじゃちょっとヨワいかなあ……って感じなのだ。だってこれ、脚本はベッソンでしょ?それで彼は涼子ちゃんを見つけて、いわば彼女に当て書きしたに違いなく、そうしたらやっぱりさあ、ベッソンが監督しなきゃ、思い通りの画にはならないんじゃないかなあ、って気がするんだわ。印象としては、中途半端なコメディ。コメディにしちゃったのはちょっと失敗だった?フランスのコメディで笑ったことって、ないからなあ……。大体、冒頭ユベールの紹介を兼ねて彼がその問題児ぶりをあらわにする数々のエピソードは、ドリフのコントかよ!ってぐらいにベタすぎて、苦笑すらできないありさま。そういやあ、ジャン・レノは「おかしなおかしな訪問者」という、ベタベタなギャク映画をやっているのを観たことあるけど、こんなに笑わそうとしてるのに笑えないコメディもないなあ、と半ば凍りついたことがあったっけ……。

涼子ちゃんはコメディエンヌとしての才能は大いにあると思うのよ。ただねえ、ここではねえ……。用意されてる笑いドコロが、センス無さすぎる……加えて、演出センスやカットセンスも無さすぎる……。この辺はほとんどノリはB級香港映画並みなんだよね。しかし、涼子ちゃんは泣きの感性は、最高。そういやあ、この映画の製作発表の場で、彼女が突然泣き出して、意味不明とかヘンにバッシングされていたけれど、彼女がああいう場面で感情が高ぶるのはよーく判るんである。「鉄道員(ぽっぽや)」で、撮影はこれからの彼女が大竹しのぶと高倉健の演技を見学に行き、「どうしてかわからないけれど、涙が止まらない」と泣きどおしだった、というエピソードでも判る。演技という部分を離れても、彼女自身がそういう泣きの感性が繊細な女性であり、女優なのだ。涼子ちゃんの泣きの演技における表情は絶品である。それこそ、ヘタな監督が扱うと、ワザとらしくもなるし、本作でもかなりその辺は危ういところだったのだが、やはりイイ。彼女の感情が高ぶっていくさまが実によく感じられるのだ。それに、泣きの演技の時の、彼女の黒くつややかに光る瞳の美しさときたら!しかし時々カッティングが唐突で、いきなり彼女の泣き顔になったりとか、表情の変化をきちんと拾い上げなかったりするのが気になったんだけど……でもそれはもしかしたら、それこそ泣きの琴線にいきなり触れちゃう涼子ちゃんの豹変の早さにカメラがついていけなかったのかも。

ああ、そうそう、「修羅雪姫」の釈由美子なんかと比べると、その辺の上手さの違いがよーく判るんだなー。あ、田中麗奈と比べてもいい。麗奈ちゃんは笑い泣きは上手なんだけどね……。何かさ、世間では麗奈ちゃんは女優としてやたらと持ち上げる一方、涼子ちゃんに対しては妙に冷ややかなんだけど、私は監督によって揺らぐだけの、いわば未知数を備えている上に野心やガッツが目に見えてある、涼子ちゃんの方が断然好きなんだけどなあ。何たって桃井かおりサンと仲良しであるというだけで、大物!と思っちゃうもんねー(関係ないけど……)。それに、まあこれは外国映画に出るんだから、ある程度当たり前のことではあるけれど、フランス語での演技、本当に頑張ってる。フランス語を喋れるようになった、というところまでは至らず、台詞を音として暗記し、それを日本語訳の意味で理解して感情を入れる、という方法をとっているみたいだけど、そのワンクッションを感じさせず、きちんと感情としての言語になっている。この辺がねー、吹き替えはイヤッ!とこだわった割には全然喋れてなくて、どんどん台詞が減っていったとおぼしき、そしておっそろしく大根演技だった「もういちど逢いたくて/星月童話」の常盤貴子なんかとはえれー違いなんである。外国映画できちんと輝ける、というのは、むずかしいことだと思うのよ、ホント。

いくら日本のギャル(死語)でも、こんなキテレツなカッコしてんのはいないんじゃないかなー、と思われるほど、涼子ちゃんのファッションは極彩色でかなりキテるんだけど、まあ、これがやたらと似合う。あれえ?涼子ちゃんって割と優等生ファッションのイメージだったのに、こういうのが似合うのってちょっと意外……だったけど(だってほとんどシノラーのノリだぜ)、そういうあたりも女優としての柔軟さを感じて嬉しくなる。ふわっふわのペチコート風の赤いスカートに、明るいモスグリーンの厚底スニーカーだなんて、それこそしつこいけど田中麗奈じゃちょっと着こなせないよねえ。涼子ちゃんが着こなせちゃうというのが、ホント、意外だったぐらいだもん。デパートの中でユベールが敵をひそかに倒しているのも知らずに、るんら♪とバカスカ買い物をし、帝国ホテルの超ゴージャスな部屋でユベールと彼の相棒のモモが武器のチェックをしているのも知らずに買ってきた服でタラー!♪とファッションショーをやり……というあたりは描写はベタなんだけど、涼子ちゃんがかわゆいから許しちゃうッ。

あ、そうそう、このユベールの相棒、モモを演じるミシェル・ミューラー、典型的なボケ役なんだけど、今ひとつハジけきらないジャン・レノに対して、この人は顔からすでにハジけているので、かなり面白い。しかも最後にホロリとさせるとかいうこともぜえんぜんなく、最後までボケキャラなのもいい。しっかり二人を助ける大活躍をしながら、ボケ役に徹しきっているところが。ま、この顔じゃそうするしかない!?しかしさあ、最初にユベールを空港に迎え出て、車で彼の言う住所……ミコの死を連絡してきた弁護士?の事務所……に送っていくんだけど、その住所を一目見て、シンジュク、やった!女がいっぱいいる!とか言っていたのに、なぜかついたのは秋葉原の電気街とはどーゆーこったい!しかも何の訂正も入らないので、あれでは本当にあのコテコテカラフルな場所が新宿みたいな感じじゃないかあ!

日本といえば、京都、とばかりにほとんどムリクリに京都も出てくる。ミコは病死ではなく殺されたのだ、という真相を追ってユベールとミコが出会った、“始まりで終わりの地”である京都に降り立つユベールとモモ。ユベールが決意の表情を見せて、カメラが引くとほとんど絵葉書ショットのごとくキレイに入り込んでくるのが清水の舞台、ってあたりが上手いんだかベタなんだか判らんわ。まあ、それこそ“清水の舞台から飛び降りるつもりで”ってことなんだろうけど。

クライマックスは銀行での銃撃戦。い、いくらユベールが刑事だからって、あくまで異国のそれなんだから、日本の治安にこんなに横入りしちゃあ、マズいんではないのお?だって、いくらワルいヤツだからって、あんなにバカスカ殺しちゃってさあ、日本の警察に向かってフランスの刑事証を掲げ、それであっさり放免、だなんてかなり、んなバカな!なのだが……。まるで自分はインターポールだ、みたいなぐらいのデカい態度は何なんじゃい!例えばここで、何言ってんだ、お前、ってな感じでユベールがお縄になって、釈放になるまでまた一くさり笑えるやりとりがあるとか、そういう展開があったらちょっと面白かったかもしれない?

ラストはお約束、空港での涙の別れ。涼子ちゃんはここでもちゃーんとカワイイ泣き顔でシメてくれたが、いきなりガクンと来たのはモモがユベールに土産として持たせたチューブわさびセット!?ダッ、ダサダサ……。いや、もちろんこれには伏線があり、劇中でユベールが居酒屋?で山盛りに盛られたわさびを美味しそうに指ですくってなめる、というシーンがあるのだけれど、あれもかなりワケ判んなかったなあ。第一あのシーンでユベールはモモに「これ、何て言うんだ?」とワサビの名前を知らなかったのに、一体どうオーダーしたらあんな山盛りワサビにしょう油、なんていうメニューが出てくるんだろう……ナゾだ……。大体が、「WASABI」ってタイトル自体、あまりにダサで実は許せないものが……。

昔ほどではないにしても、やはり日本文化描写のトホホは、あったやね。ショーチューを日本酒みたいにお猪口で呑むのはヤメてほしい。でもこれは、個人の趣味もあるし、許せる範囲かな?★★☆☆☆


トップに戻る