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「ゆ」


2006年鑑賞作品

雪に願うこと
2005年 112分 日本 カラー
監督:根岸吉太郎 脚本:加藤正人
撮影:町田博 音楽:伊藤ゴロー
出演:伊勢谷友介 佐藤浩市 小泉今日子 吹石一恵 山崎努 草笛光子 椎名桔平 でんでん 山本浩司 岡本竜汰 出口哲也 小澤征悦 津川雅彦


2006/6/7/水 劇場(銀座テアトルシネマ)
こういう映画らしい映画が映画祭でグランプリというのは意外な気がしたけど、確かに審査委員長を務めたチャン・イーモウが好きそうな、気はした。私といえばなんとなくホッとしたりして……というのは根岸監督の前作「透光の樹」にひたすらウンザリしたから。ああ、良かった。映画らしいいい映画を撮ってくれてと勝手にホッとしたんである。
それにやっぱり、北海道の映画というのには何となく肩入れしてしまうしね……。北海道新聞社が大きなスポンサーになってるのが目を引くのは、やっぱりかの地に思い入れがあるせいなのかな。

とかいいながら、ばんえい競馬のことは何にも知らなかった。ま、私が北海道にいた時は未成年だったからナ、なんてまあ、当時は眠たげに過ごしていたからなあ……。
映画の冒頭に示されるばんえい競馬のレースは、そりに乗った旗手を馬がうんしょうんしょと、観戦してる人が追っかけていけるぐらいのスピードで走る。いわゆる競馬とは全然違って、最初はどこが面白いのか判らず戸惑ったりしたんだけど、映画の最後にはそのフクザツな面白さが判って、おもしれーじゃん!とスッカリ嬉しくなる。

二つの障害の前で足をためて一気に駆け上がる駆け引きとか、鼻先ではなくてそりが完全に入ったところがゴールだから、最後の最後まで勝負が判らないとか、ホント面白いんだよね。ばんえい競馬が「荷物を運びきる」ことを目的にした競技であることから来ているルールだという。いやー、ナルホドである。
“スピードだけでなく、馬のパワーと持久力、騎手のテクニックが求められる”というのは、なんだか実に、大人のレースだよなあ。
それに、観客が一緒に同じスピードで追って行けるのも、遠くから眺めてるだけより、断然面白いんだよね。
何より、馬がどっしりとした、足の太い、これぞ本来の馬のたくましさで、生命力に溢れているのがいい。北海道開拓に活躍した農耕馬。これこそが馬よのお。

で、物語とはといえば東京での事業に失敗した学(伊勢谷友介)が、10年も帰っていなかった故郷にふっと現われるところから始まるんである。
というか、逃げてきた。本人はいつの間にか足が向かっていたというけれど、一文無しになって、信頼してくれた全ての人を裏切って、きちんと区切りもつけずに飛び出してきたんだから、逃げてきたに違いない。

彼は最後のわずかな金を、ウンリュウという馬にかけて、本当に全てを失った。その競馬場には調教師をしている兄、威夫(佐藤浩市)がいる。
学は北海道を嫌って、母親から事業資金を引っ張り出して家を飛び出し、それ以来音信不通状態になっていた。
その弟の突然の来訪に、兄は怒りながらも、ワケアリらしい彼を置いてやる。でも弟が母親に会いたがっても「元気で施設にいる」というばかりで、居場所を知らせようとしない。
そして学は競馬期間中、「関係者は外に出されない。お前は俺の弟だ。関係者だろ」という兄の言葉に従って、この厩務員で働くことになる。

伊勢谷友介って、こんな独特の喋り方するんだっけ?今まではいかにもワカモノの役でしか観てなかったから気にならなかったけど、その彼ももう30の声を聞くようになって、青年の夢が挫折したこんな役をやるようになったのね、などと思う。
年の離れた兄、佐藤浩市のどっしりとした存在感の前に、彼はあまりに頼りなく、折れそうに弱っていて、いかにも都会で夢破れた青年崩れ、といった趣である。
しかしその彼がここで馬の世話を、それも処分直前のウンリュウに自分自身を投影して世話をしていくうちに、「すっかり馬くさく」なり、最後、出て行く時には来た時と同じカッコのスーツが、ばりっと似合うようになっている。

そうなの、最後は出て行っちゃうんだよね。お兄さんに厩務員としての才能を認められたんだし、あのまま残っていてもいいと思うけど、でもこの物語のテーマが、つまり、逃げるなってことなんだろうから。今、目の前のことから。
ばんば競馬とか、地方や東京がどうこうってことは物語を成立させるキーワードに過ぎなくて、「ここから逃げるな」ってことを言いたいんだよね。
学は戻ってくるかもしれない。逃げていたことから決着をつけたら。そんな含みも思わせるラストだった。でも今のままではダメなんだ。
「須藤に謝ろうと思うんだ」と、たったそれだけのことだけど、とても重要なこと。たったそれだけのことが出来ずに、彼は逃げていた。

この須藤というのは、学と一緒に会社をやっていた友人。東京から彼を訪ねてきて、会社破産手続きの書類に判を押させる。
これを演じているのが小澤征悦。かなりもうけ役である。学のことを、調子いいことを言っておきながら、事態が悪化するとすぐに逃げる、お前は昔からそうだ、と罵倒する。それも食堂で、競馬関係者が皆いるところでである。
いやー、小澤征悦、すっごい怒ってる。周囲からはヤクザと間違われてるし。この彼の怒りようで、これまでの学がいかに、人生に対して未熟で、きちんと向き合ってこなかったかが判るのだ。

学がやってきたことっていうのは、聞いている限りでは机上のコンピュータのみで動かすような、いかにもイマドキの仕事である。
それはこの厩舎で働く人たちの泥臭さと非常に対照的で、ここでは金をもらうことがチョクで生きていくことに結びつき、それがいかに難しく、生々しいことであるかが判るんだよね。
月8万だなんて、エッと思うような額だけど、確かに家賃光熱費がかからずに過ごしていれば、他に使うところもないし現実的な金額ではある。でもエッと思っちゃうよね。いつからそんなに贅沢で孤独な生活を望むようになったのか。

競馬の開催期間中はここから出られない、から、厩舎で働く皆とはまさに、同じ釜のメシを食う仲間同士である。中には最初、学のことを疎ましがる同僚もいるけれど、それもつかの間で、あっという間に和気あいあいと皆と仲良くなっちゃう。それが小学校の男の子同士みたいでやけにほほえましい。
小学校の、といえば、学と小学校時代一緒だったというテツが最高である。演じる山本浩司は、今まで観た中で一番、良かったなあ。
小学校時代一緒、といっても学は途中で転校したからずっと一緒だった訳じゃないんだけど、それをキッチリ覚えているのがテツらしいし。

なんかね、ちょっと頭ヨワそうというか!?その場の事態を読めずに学を困らせることもよくあるのよ。
学がわけアリで身を隠していることを他の皆は薄々察していたのに、須藤が探し出して訪ねてきた時、テツはアッサリ通しちゃってさ。
学が「俺がいるって言ったのか」と憮然として言うとニコニコして「言ったよ。だっているべさー!」オイオイオイー!
あと、学がテツから金を借りようとしたことを兄にはナイショにしときたかったのも全然気づかずに、「大将、俺が預けていた金10万ください!矢崎君に貸すんだ!」と誇らしげに言った時には、もうテツのキャラも判っちゃってるから、しょーがねーなーと思わず吹き出しちゃう。
まあおかげで学は兄にまたも怒られちゃうんだけど……でもそうやって学も、自分に体当たりで向かってくれる兄や同僚のおかげで、人間として成長していくわけで。

父は早くに亡くなっているし、学が気がかりだったのは母のことだった。兄とは学の結婚披露宴で会っていたけど、母とは本当に長い間会っていなかった。
披露宴に母を呼ばなかったのもこの厩舎の仕事を恥じていたからで、そのことを知った兄はその場で弟を殴り倒し、それ以来断絶状態だったのだ。でも学は今や、その妻にも逃げられ、家族と言えるのは兄と母しかいなくなっていた。
兄がずっと母の居所を言わずにいたのは、会わせるのが辛すぎるから。

この場面は本当に辛い。施設にいる母親に会いに行く。一見しっかりと元気そうに見えるんだけど、認知症の進んだ彼女は、学のことが判らないのだ。
いや、学の存在は判ってる。自慢の息子。この時も、学のことを口にしてる。東京で会社起こして社長になって、いつか自分を迎えに来ると、誇らしげに話してる。でもそれを話している目の前の相手が学本人であることが、どうしても判らないのだ。

嗚咽を抑えられずに、母と手を取り合って踊る学の姿は、それまで彼が家族を捨てていたことを差し引いても、あまりに辛い。
「数年前からボケはじめて……」という、帰り道での晴子の言葉もなぐさめにならない。じっと、黙っている。ふいに兄が路肩に車を止める。二人肩を並べて放牧されている馬を眺める。
「馬を見てると和むべ」「……うん」

あっと、晴子っていうのは、この競馬の開催期間中まかないをやってくれているおばちゃんである。いやいや!おばちゃんなんてとても言えない。だって演じるのはキョンキョンだもん。
彼女はまかないの仕事のほかに、夜になるとバーのママもしている。きれいに化粧して出てくる彼女は割烹着を着ている時と別人で、学が思わず「キレイですね」と言うのもちっともお世辞じゃない。
「こんな田舎で女が一人で生きて行くには、水商売しかないのさ」
そう彼女は言う。
女一人だけなら、まかないの仕事だけでも食ってけそうな気がするけど、子供がいるからということなんだろうな。高校生の息子がいると語る彼女、いろいろと人生の辛酸があったに違いない。

学は二人が惹かれあっているのを薄々感じたから、そして兄が一人でいることに今更ながら心配になったから(以前の彼ならそんなこと思いもしなかっただろう)彼女に、この期間が終わっても兄についていてくれないか、と言うんだけど……。
「冬が来て、春になるまで大将の側にいられれば、それでいいのさ」
この言葉には、その額面以上の重みがある。もう大人になって随分たつから、その先の未来にこれ以上の欲はない。今のささやかな幸せを大切にしたい。そんな思いがなんだか私も判る年になっちまった。

そしてもう一人の女性、これがこの物語のキーとなるキャラ。女性騎手の牧恵(吹石一恵)である。
彼女は伝説の旗手とうたわれた父親の後を継ぐ形で騎手になったのだけれど、この父親は多額の借金を残して行方をくらませてしまっている。
彼女は辛いことがあると、父がたびたび連れて行ってくれた、父親の生まれ育った村が沈んでいるダムに行く。
水位によって消えたり現われたりするという古ぼけた石橋が、凍りついた白い世界の中に頭を除かせている風景は、どこか不思議で、なぜか暖かい。

彼女は今スランプで、映画の冒頭、学がかけたウンリュウを操っていたのも彼女だった。そしてウンリュウは今や成績があがらずに馬肉寸前である。
実はもうひとつ、劇中に馬が病気で死んでしまう場面もあり、倒れて苦しげな馬を一晩中看病してもついにダメで、世話をしていた男の子が号泣し、厩舎の皆も深く落ち込む。それは馬が死んで悲しいというのももちろんそうなんだけど、馬主から馬を預かっている責任、夢を、そしてつぎ込んだ資金を潰してしまったわけなんだから。

そして、学が心を通わせたウンリュウ、引退同然のはずだったんだけど、学が自分を重ね合わせたんだろう、このまま終わりたくないとトレーニングもさせてて、いい状態になっているのを獣医も太鼓判を押してくれた。
で、兄がウンリュウをレースに出すことを決めるのね。そしてそれには牧恵に乗ってもらう、と。
牧恵はここんところ負けどおし。今までは新人だから、そして女だからハンデをもらえて、それだけでも悔しかっただろうに、新人というカセがなくなってハンデが半分になったら途端に勝てなくなった。それはもっと悔しいこと。才能ある父親の娘だから期待されてた。だから余計にキツかった。
でも大将は、彼女なら勝てると思ったから。それは彼女がそんな風に人一倍悔しい思いの中、それを口に出さずに頑張ってること、知ってるから。だから、ウンリュウを託し、厳しいトレーニングを始める。

途中、どうしても自信が持てなくなった彼女、突然行方をくらます。学があのダムで一人じっと座っている彼女を見つけ出し、どうしてもウンリュウに乗ってほしい、そして勝ってほしいというのだ。
自分がウンリュウにかけていること。それは自分自身に賭けていること。その言葉が牧恵に響く。
「勝ちゃいいんでしょ。勝つよ!」
彼女ね、この前のシーンで、晴子のバーで学と一緒に酒を飲んでた時、その店を経営している町の実力者、カネで人間を牛耳る大関という男(津川雅彦)にすっごいイヤミ言われたのね。ホント、イヤな男で、金ならあるんだとぽんと札束出すし。

ここまでの物語の展開で、金に対する価値観は学の中で大きく変わっているから、それがどんなにイヤなことか、ホントに判るんだよね。
それに憤る気持ちはあるけど、カネがないから、ミジメに撤退するしかない。でも勝つってどういうこと。レースで勝つばかりが勝負じゃないと学は言いながら、じゃあ勝つってどういうことかって、考えてた。
結局は、ウンリュウで勝ってほしいといって、実際彼女は勝つんだけど(爽快!)そのレースを観ずに学は東京に帰っていくわけだし、やはりここでも、逃げないこと、それこそが勝つこと、いやそれ以上の大切なことだって訴えてるんじゃないかと思うのね。

ところで、当然登場人物たちは、長く東京にいた学を除いて全員ディープな北海道弁を話すわけなんだけど、惜しいかな、牧恵を演じるフッキーが特になんだけど、感情が高ぶるシーン、怒る場面なんかでは、フツーの喋りに戻っちゃうのよ。
惜しいなあ……あそこまでマスターしてるんだったら、そこらへんはカンペキにこだわってほしかった。フッキーは誠実な女優さんだから、この役を演じる彼女もとてもいいんだけど、だから惜しかったなあ。

そして、学は晴子にアイロンをかけてもらったワイシャツを着て、もう一度覚悟を決めてスーツを着て、出て行く。馬と一緒に生きていくうちに、ぎこちなかった彼が馬くさくなり、そこに生きている人間になった。来た時と同じスーツなのに、今は本当に、パリッとしててカッコイイよ!
そして水たまりを飛び越えて……長靴はいてた時は、水たまりを飛び越える必要もなかったのにね。
でも、ちょっと寂しい。兄は最初怒ってたけど、弟は弟なりに苦しい思いをしてること判ってたし、ここで頑張ったことも判ってたし、側にいてほしかったんじゃないかと思うもん。晴子には側にいてもらえないしさ。
厩務員として申請を出そうとしていたのを弟に断わられた時の、えっという顔を思い出す。でも、戻ってくるかもしれないものね。学の動きのあるストップモーションで終わるラストに、そんな希望のある帰還を予感する。

ところで知らなかったから今更驚く。「風花」の原作者だったんだ。あの物語で二人が北海道に行くことには、既に意味があったんだね。
そしてその映画でヒロインを演じていたキョンキョンが、それよりすっかり酸いも甘いも判った大人になってしっとりとここにいるのも、何か感慨深いものを感じる。
しかし、香川照之の役の意味が判らんかったな……。

寒気の中、湯気をあげる馬、そのシルエットの美しさに目を奪われた。★★★☆☆


/THE BOW/
2005年 90分 韓国 カラー
監督:キム・ギドク 脚本:キム・ギドク
撮影:チャン・ソンベク 音楽:
出演:チョン・ソンファン/ハン・ヨルム/ソ・ジソク/チョン・グクァン/キム・イクテ/チャン・デソン/チョ・ソギョン/コン・ユソク/ソ・ジェイク/シン・テッキ

2006/9/26/火 劇場(渋谷Bukamura ル・シネマ)
私はこの人を、世界でただ一人の天才だと思ってる。
もうだから、観もしないうちから最後に五つ星をつけているのだ。
メインに同じ役者を使うことはめったにしないその天才監督が、「サマリア」から引き続いて起用したのが本作の少女、ハン・ヨルムだった。
実を言えば、劇中のような17歳を待つ少女などではない。もう既に20はとうにすぎている。
でもそのサバは「ハード キャンディ」で感じたようなウソにはならない。このハン・ヨルムは17を待つ少女に完全になりきれる女優だから。大体が、海の上で老人の慈しみを受けながら10年を過ごした少女、なんてありえない設定がある以上、それをリアルな少女が演じる意味などないのだ。

しかも、同じ聖少女でも、「サマリア」とは全く違うんで、ハン・ヨルムだよな、と思いつつも、ちょっと信じがたいぐらいだった。
あの時から、浮き世離れはしていたけど……。
挑発のまなざし、魅惑の唇、それが微笑みを浮かべた時のなんと蠱惑的なこと! 風になびく無造作な髪がまた、浮き世離れの野性味を放ち、ゾクゾクする。
でも笑顔は無邪気な少女そのままなのよ。もう23なのにさ。

「サマリア」では、これまで男と何回寝たか判らないようなエンコウ少女。でも寝た男をすぐ好きになってしまう天衣無縫さが、まるで処女のような聖性を感じさせた。
一方、本作での彼女は、妖艶な雰囲気さえ漂わせているのに、処女である。17歳になる日、それは彼女が花嫁となり、処女を捨てる日である。
「サマリア」の彼女は、最初から処女ではない少女だったから、何もせずとも赤ちゃんを宿したマリアのような逆説性を持っていて、それが永遠に聖少女として存在していた故だったんじゃないかと思う。
そうやって、大事な友達の処女を守ってきた。だからこそ、その友達の処女が(彼女のためにとはいえ)失われた時、彼女はその存在を失してしまった。

本作では、少女が17になったら老人の花嫁になる、つまり処女を失うという赤裸々な前提がある。もうその前提で、少女としての存在が失われることを既に示唆している。
つまりこれは、最初から仕組まれたザンコクな物語なのだ。
一見して、あまりにお伽噺なのに。そう、おじいさんと女の子、なんて、一番クラシックなお伽噺の形態。でもそれだけに、その裏には、お伽噺の作者の欲望を、確かに感じてはいた。
だって、お父さんと娘、ならその欲望が見透かされそうだもの。禁断の愛情を隠すには、おじいさんと女の子、ぐらいの距離がなくてはいけない。
しかもそのおじいさんと女の子、が血がつながっていなければ、尚更である。

少女も老人も、一言も台詞がない。今までのギドク作品の殆んどがそうだったように。
しかし本作は、ほかの登場人物も多く、その彼らがかなり喋るので、二人の静謐がより一層際立つのだ。
いや、静謐とも思わない。二人の表情は激情がそのまま現われていて、黙っているのに激しく言い争っているように見えるほどなのだ。

本作での老人と少女の関係は、詳しくは語られない。けれど、少女は拾われたのだという。そして美しく成長し、17になったら老人の花嫁になる、と、老人はもとより、少女もその時を心待ちにしていた。
そう、こここそが重要なのだ。拾われて10年間海上に閉じ込められてきた少女が、その老人とプラトニックなまま、結婚する日を双方夢見ているというのが。
17歳になったら結婚する。それを何の疑問もなく彼女こそが楽しみにしているほどに、老人を信頼しているというのが。
外の世界を知らずに育った少女を、外の世界から来た誰もが気の毒に思っているのに。少女は、老人との二人きりの生活が幸せなのだ。

お伽噺でなければ、ありえない話である、確かに。大体が、海の上で、しかもピタリと動かない母船の上で10年間を過ごしたなんて、まるで人魚姫、完璧なお伽噺だ。「魚と寝る女」「春夏秋冬そして春」といい、監督は水上がお好きらしい。確かにその漂う不安定さや、底のしれない水の深さの神秘性といい、お伽噺をお伽噺たらしめるにはピッタリのシチュエイションである。
そして老人は、少女をたらいの風呂で丁寧に洗ってやったり(まるで、「完全なる飼育」だ!)、髪をとかしつけてやったり、そして寝る時には上段の寝床から少女の手を握りしめて眠りについたり、そんな具合にギリギリのプラトニックで、あと数ヶ月後の、17歳になる日を心待ちにしている。

でもそこに、現実は入り込んでいる。お伽噺のように、ただただ幸せに暮らせはしない。生活するカネを稼ぐため、海釣りの客を小船に乗せて老人はこの母船に運んでくるんである。
現実の世界に生きている野卑な男たちは、無防備な薄着が新鮮な色香を放っている少女にガマン出来ず、手を出そうとする。すると、老人は鬼のような形相で、弓で彼らを威嚇するのだ。
時には、このヘンクツな老人を疎ましく思った釣り客が彼を縛り上げ、少女を手込めにしようとするなんて事態も起こる。
しかし、自らも弓の技術を習得している少女は、男たちを巧みに追いつめ、老人に得意げな笑みを送りながら(この微笑のなんとまあ、小悪魔的なこと!)男たちに向かって弓を放つのだ。老人のように、ギリギリでかわしたりしない。足に深々と弓を打ち込むんである。

この弓は、タイトルにもなっているとおり、様々な意味を持つ。老人が少女を守る唯一の武器であり、彼女のためだけに奏でる楽器にもなる。
そしてもうひとつの稼ぎ頭となる弓占いが、なんといってもこの作品の白眉。予告編でもこの場面だけが使われている。船からぶらさげられたブランコに乗り、笑みを浮かべて揺れている少女、その少女を弓で狙う老人。少女をかすめて放たれる弓……その観たことのない画だけで心震え、そして観たことのない画なのに、ギドク監督だと即座に判る。
少女の手首には、色とりどりの布が結ばれている。ブランコに揺られると、その布もゆるゆると揺れる。少女の黒髪も揺れる。少女すれすれに飛んでくる弓は、船体に描かれた観音像に突き刺さる。
観音様は神様なのに。老人にとっては、そこで艶然と微笑んでいる少女こそが神なのだ。絵に描かれた観音様なんか、メじゃないのだ。
ピンと張った弓、はそれ自体に伏線を持ち、後のさまざまな展開を予告する。

起承転結の転、である。少女は恋に落ちた。釣り客の息子として来ていた青年。彼もまたミステリアスな少女にひと目で惹かれた。船の中に10年間も閉じ込められているという少女の境遇に、彼は青年らしい憤慨を覚える……正義だと彼は思っているんだろうけど、それは恋に落ちたからに他ならない。
老人は、不測の事態に動転する。いつものように弓で威嚇しても、少女がそれを拒絶する。今まで老人だけが彼女の世界だったのに、まるで憎き宿敵を見るような目で老人を睨む。それまでは上下の寝床で休んでいたのに、大きなベッドを普請して少女と並んで横たわり、やはり手だけを握ろうとするも激しく拒絶されてしまう。青年からもらったヘッドフォンステレオの、本体を老人が嫉妬に燃えて捨てても、そのヘッドフォンだけで、彼女は音楽を聴き続ける。彼の音楽を。それで身体が満たされていく。
結婚までの1日1日を、カレンダーでキチンとペンで埋めていたのに、青年の出現で少女の心がゆれたことに焦った老人は、ズルして早めて埋めていき、ついにはカレンダーごと破ってしまう。
それを、少女は寝たふりをして、しっかり見ている。

それまで、少女にとって、男は老人一人きりだった。彼女にチョッカイを出す釣り客はいても、そしてそういう魅力が自分にあると判っていても、なびかなかった。少女が女の本能を初めて感じたのが、この青年だったのだ。
あるいは、それだけってことだったのかもしれない。更にあるいは、恋というものはそういう現象のことなのかもしれない。
だって、少女は、結局は老人を選ぶのだもの。
それが、老人の、策略だったのだとしても。

私には、そう見えてしまったんだよなあ。一見、少女への純愛に殉じようとしたようにも見えたけれども……。
青年は、少女がこの老人に拾われて10年間を過ごした、というその事実にこそ不信を抱くのね。どこかに少女の両親がいるに違いない、とそれを探しあててくる。両親が彼女を捜している。彼女を外の世界に解放すべきだ、と実にまっとうな現実の方程式を突きつけてくる。
これは実際、現実社会に存在することであるから、キツい。でもそんな事件を最初に耳にした時、とらわれた少女がこんな風に、慈しみ、愛され、その相手を愛したんじゃないかと、夢想していた。そんなこと、ありはしなかったんだけれど。
だから、この完璧なお伽噺に、よりどころを求めてしまうのだ。

青年に恋した少女は、老人を拒絶しまくる。それは、現実にあるそういった事件の結末を裏付けるような行動ではある。その少女の態度に後押しされて自信を得た青年は、老人に挑むのだ。「あなたと結婚できるか、僕と外へ出て行けるか、占ってください」と。
老人はうろたえ、弓を引く手がブルブルと震えた。それを見ていた青年が最後の最後、心配のあまり、少女のブランコを止めてしまった。
そしてその後、告げられたお告げ……少女は初めて、ウソのお告げを老人に囁いたんじゃないかと思う。あるいは降りて来なかったのかもしれない。それは恋を知ってしまったからかもしれないし、青年がブランコを止めてしまったからかもしれない。
あの時だけは、少女はいつものような笑みを浮かべていなかった。哀しげに老人をにらみつけてた。
信頼しきっていた、今までの関係じゃなかった。

そのお告げによって、少女は青年と共にこの船を出て、陸地へと向かう……ハズだった。
小船がある地点からどうしても先へ行かない。首をかしげながらエンジンをふかす青年。
少女はハッと、不吉な予感に思い当たる。老人が小船に巻きつけたロープがその首にかけられていたのだ。
でも、でも、この場面がもっとも懐疑的なの。
老人は、本当に死のうとしていたの?
だって、だって、周到に、手の届くところにナイフが用意されていたんだよ。
そして、ギリギリ苦しくなったところで、そのナイフでロープを切ってまぬがれた。しかもそのナイフを敷布の下に隠した。
そこに、血相を変えた少女が船をユーターンさせてきた。

老人は、賭けに出たんじゃないの。自分が死ぬつもりだったことを少女と青年に見せつけるつもりだったんじゃないの?これで少女が戻ってこなければ、アウト、いや、戻ってくることを確信していたんだ、きっと。
だって、青年とこの船を離れることになった少女、決して幸せそうじゃなかったんだもの。
果たして彼の思惑通りだったか、戻ってきた少女は老人の無事を確認し、すがりついて泣いた。
そして、自分にしてもらったように、全裸の老人をたらいに入れて、慈しむように洗うのだ。
なんか、もう、この時点で、処女喪失のようにも思っちゃう。
だって、青年に恋した少女は、老人に身体を洗ってもらっている自分を見せつけていた。それはセクシュアルな意味で青年を嫉妬させる意図があったに違いない。だからこそこの場面にも少女の、意図的ではなく意志的なセクシュアルを感じずにはいられない。

そして、直後に結婚式をあげる。呆然と見守る青年の目の前で。この唐突さが、確信的な滑稽さに映る。
老人は、こつこつと用意していたんだもの。この質素な暮らしの中で、華やかな結婚衣裳を。
少女の頬とオデコに赤い丸を老人が貼ってやる、韓国の伝統的なその意匠が、心をさざめかせる。
そして、まるで新婚旅行のように、小船で揺られる二人。思えば少女は陸どころか、海の上でもあの母船からさえ離れたことがなかったんだ。
老人は、少女の衣服を一枚一枚優しく脱がしていく。
ちょっと、エッと思っちゃう。どうするんだろうと思ってたのだ……だって、老人と少女のそーゆーシーンはそのままじゃキツいんじゃないのと。まあ、この黒沢年男系のシブい老人だったら、そんなにキツくもないかもしれんけど。でもねえ……。

という、観客の気持ちを見透かしたわけでもないだろうけど、最後の一枚で老人は手を止め、弓の楽器で少女のために音楽を奏で始める。
その音色に心地良くなった少女は穏やかに眠りに入る。
老人は眠る少女に向かって弓をふりしぼる。そういうことなのかと、思わず緊張する。しかし老人はその矛先を上にそらす。空に向けて放ち、彼自身は海に飛び込んでしまう!えっ!何!やっぱり自殺しちゃうのと思ったら。

これぞ、全きお伽噺だったのだ。
少女を乗せた小船は、母船に戻ってくる。誰も濃いでないのにまっすぐに、戻ってくるのだ。漫然と待っていた青年は驚く。
穏やかに寝入っている少女は、夢うつつのまま、足を、開く……ええっ!?
その膝を高く持ち上げる。顔が苦痛と官能に歪む。息が荒くなる。こ、これは……!
一枚白い衣装を身にまとったままあえぐ少女は、あまりにもあまりにもなまめかしくって、見ているだけで心臓の動悸が激しくなる。
驚いた青年が、どうしたんだと声をかける。その青年に無我夢中で抱きつく少女。そして、絶頂が訪れた時、空から降ってきた矢が、彼女の足の間めがけて突き刺さる!そして、処女の証しの血が……。
ああ、ああ、なんということだろう。なんという、完璧なお伽噺。お伽噺の、鮮烈さ。
満足したように、目をあける少女。全てを悟ったようなその表情。
ただただ驚くばかりの青年は、何一つ判ってはいないのだ。

少女は青年と、今度こそ外の世界へと出かける。二人を乗せた小船が離れていくに従って、少女が長年を過ごした母船がその役目を終えたように沈みゆく。
何の前触れも原因も判らずに沈む船に青年は驚くけれど、少女は全てを了解した表情で、穏やかに見守る。
なんという、完璧な、結末だろう。

本作を観ていてなぜか、「処女の泉」を思い出した。処女の純潔と共に命をも失った少女が、そのことによって真の聖性、神聖を得るという悲しくも美しいお伽噺。
少女は、処女でいる間は、不思議な力を持っている。異世界の音を聞くことが出来たり、本能的な防御反応を示したり。巫女や尼が神の近くにいるために処女であることが絶対条件なのはそのせいだ。
本作での少女も、その力を持って、老人に弓占いのお告げを囁く。老人が放つ弓と共鳴することが出来るのは、老人もまたこの世界での時間が短い、神に近い存在だからなのかもしれない。
老人の少女に対する欲望の物語のようでありながらも、ラストに悲哀を残すのは、少女を誰よりも愛し、慈しんだ老人が、少女が処女でなくなった途端に見放したようにも、とれるからなのかもしれない。
実際、処女を失う前に、恋を知ったとたん、少女は聖少女ではなくなった。
ただの女になった。
それでも老人は、少女を外の世界へ戻してやる儀式だけは施し、その身を離したように見えはしないか。

でもこれは、恋の先の愛ではなく、愛の先の絆の物語。
残酷さがあるからこそ、真に美しく、パーフェクトなのだ。★★★★★


ゆれる
2006年 119分 日本 カラー
監督:西川美和 脚本:西川美和
撮影:高瀬比呂志 音楽:カリフラワーズ
出演:オダギリジョー 香川照之 伊武雅刀 新井浩文 真木よう子 蟹江敬三 木村祐一 田口トモロヲ ピエール瀧

2006/7/31/月 劇場(新宿武蔵野館)
凄い、凄い、やっぱり凄い。西川美和監督は凄い!今日本で一番優れた監督かもしれない。
なんかもう、ヤケるね!ちくしょー。「蛇イチゴ」一作で、これはマグレであるわけがない、ホンモノだと信じて疑わなかったけど、やっぱりホントだった。
んでもって、西川監督は兄弟(前回は兄妹)モノが好きなのかな。そしてお兄ちゃんがウソをつく(あるいはウソと思わせて真実を言ってる)ってトコも共通してる。あるいは葬儀(法事)というシリアスと、その中にあえてコミカルを挿入してくるギャップとバランス感覚も。話もテイストも全然違うのに。

そう、話もテイストも全然違うんだけど、そんなふとした共通点が何か、日本映画の黄金期に存在した、映画を面白くする、基本的でシンプルな要素と通じているような気もするんだよ。
昔と比べるのもなんだけど、でもその昔には確かにあった面白さが、西川作品に見え隠れしているような気がしてしょうがないんだもん。

そして本作も、堂々オリジナル脚本である。彼女はきっと、ずっとオリジナルで撮り続けるんじゃないかなと思う。そうであってほしい。
ベストセラー小説や人気コミックではなく。そういうのって、どんなに上手く映画化しても、絶対原作との比較が出ちゃうもん。
いや、それこそ昔はそうでもなかったのにな。今はある程度自由に尺が取れるせいで、返って中途半端になってしまうのかもしれない。
それに原作が長い場合が多いし……いやいやそれでいったら「細雪」なんて超長いけど、上手く纏め上げている監督はいたわけだしなあ……とここでは関係ない話だけど。
だから、原作モノで上手く作れる人が少ない今、オリジナル映画というのはそれだけでも貴重だし、私は、映画はやっぱりオリジナルが大前提だと思ってるし。
彼女を、是枝監督が押すってのも判るよなあ。彼もそうだもんね。外からアイディアをもってはきても、自分で練り上げることにコダワリをもってる。

かなり話が脱線してしまったが……。もうまたしても香川照之、助演男優賞とかとっちゃうんじゃないの?もう凄すぎ。
主演はオダギリジョーだし、彼は相変わらずヤラしいくらいの色気を振りまいて、芝居も憎たらしいほど上手いのだが、しかしキーマンであるお兄ちゃんを演じる香川照之にはさすがに太刀打ちできない。この鬼気迫る演技は尋常ではない。オダギリ氏が「香川さんが(演技に入ってて)怖かった」ともらしたのをどこかの記事で読んだけど、深く、深く納得である。
今回はそれに、前回よりも人物に肉薄してる。それはキャラとしてはもちろんそうだけど、キャメラがホント近いの。役者はそれに応える演技をしなければいけない。
まさにオダギリジョーと香川照之のガチンコ勝負であるこの作品、やはり勝負は香川照之にあがったんじゃないかしらん。

ちょっと、「羅生門」を思わせるような物語。真実はどこにあったのか、どの回想シーンが本当のことなのか。
それは「羅生門」のように、まさに藪の中、と言ってしまうことも出来るのに、いややはりこっちが真実だったのだ、とラストにガツンと思わせるところまで持っていく力量は、やはりタダモノではないのである。
兄が、つり橋の上で、智恵子を殺したのか否か。
当初、それは事故だと片づけられる。彼女が足を滑らせたのだと。しかし後に兄は自首をし、弟が弁護士を雇って事態は法廷に持ち込まれた。
ずっと、隠し続けていたことだけれど、弟はその現場を見ていた。
離れた場所からつり橋で起こった一部始終を、驚いた顔して目撃していた。

そもそも、なぜこんなことになったのか。物語は弟である猛が母の一周忌に出席するため、久しぶりに田舎に帰る場面から始まる。
売れっ子のカメラマンの猛。そのハデなカッコとヘアスタイル、出がけにはスタッフらしき女性に行って来るねのキスなんぞかまし、もう最初からプレイボーイがアリアリである。オダギリジョーがやるから、これが実にエッチっぽく良く似合う。
この田舎に、彼はあまり帰りたくなかった。父親とはウマが合わないし、家業のガソリンスタンドは辛気臭くてイヤだった。
今は兄が継いでいる。文句ひとつ言わず、まじめな人生を送っている兄を、彼は好きだった。この田舎で唯一つながっている存在だと、後に語るぐらい。
でもそれは、本当だったのだろうか?

もう、こうなるとね、誰のどの言葉もどう信じていいのか判らなくなるの。
香川照之演じるお兄ちゃんの稔だって、最初はホント、すっごくお兄ちゃんって感じだった。ストレートに。帰ってきたがらない弟を一周忌に呼び寄せ、母親の形見分けに「お前なら欲しいと思って」と8ミリフィルムをとっておいてくれる。「カッコイイな」「こういうトコはお前完全に母さん似だよな」
……なんて会話も今から思い起こすと、父親が猛を疎ましがっているのもなんだか判る気がする。この不肖の息子を、妻はきっとかばい続けていたんだろう、その妻の面影を宿す息子。
ガンコな父親の面倒をずっと見続けて、家の家事まで一手に引き受けていたのがお兄ちゃんだった。

猛は幼なじみの智恵子と再会する。彼女は実家のガソリンスタンドで働いていた。
彼女に気づいてハッとし、しかし声はかけない猛。遅れて気づいて声をかけようとした智恵子もなんだか躊躇して、その間に車は走り去ってしまう。
この二人の間には何かがある。恐らく猛がこの街を出る前までつきあっていたんだろう、ぐらいのことは推察できる。
でもそれ以上の何かがあったような気がしてならない……物語の中ではそれ以上のことは語られないけど、二人の気まずそうな雰囲気や、「私たちのこと(お兄ちゃんに)バレてるよ」という智恵子の言い回しといい。
それにしても、智恵子を演じる真木よう子、なんかやけに重用されるんだけど、香里奈に感じるような違和感。そんなにイイか、この子?みたいな。だから、28とかじゃないしさ。

母の葬儀にさえ、猛は帰ってこなかった。だから智恵子は、もう猛は帰ってこないと思っていたんだろうと思う。お兄ちゃんである稔とは、多分それなりにイイ感じになってた。猛が「気が合ってるね」と嫉妬めいた言い方をするぐらい、親しげだった。
猛が帰ってこなかったら、彼女はそんな過去の男をだんだんと忘れて、この穏やかで優しい男に惹かれていったかもしれないのに。
まだそこまでいかないうちに、猛は帰ってきた。都会の男の色気をプンプン匂わせて。
「兄貴を部屋にあげたりするの?俺はあげてくれる?」そんな風に言って、まんまと智恵子の部屋に上がりこみ、ヤッちまう。でも智恵子が猛のために食事を作ろうとすると、彼は服を着て帰ってしまうのだ。まな板の上に残された切りかけのキャベツとトマト。
このシーンは、あとで恐ろしいほどの伏線になるんである。

猛が帰ると、お兄ちゃんはまだ起きていた。背中を向けて、洗濯物を畳んでいた。
「智恵ちゃん、結構しつこいだろ」とお兄ちゃん。「……」意図することを図りかねて黙り込む弟。
「酒」ホッとしたように弟、「……ああ、そうなのかな。意外とイケる口なんだね」
ニッコリと笑ったお兄ちゃんは、「風呂は?」と弟に問うた。でもこの時点でお兄ちゃんは弟と智恵子の間に何が起こったのか、全て察知していた。彼女の部屋でシャワーを浴びたであろう弟を見透かしたのだ。
だって、智恵子は下戸だったんだもの。それを弟が知るのはずっとずっと後。
それを知った時、弟はお兄ちゃんを地獄に突き落とす。

でもさ、しつこいという意味は、そのものズバリ、そういう意味だったわけで、そういう言葉が出るということは、お兄ちゃんも彼女と関係していたんじゃないの、とも思うんだよね。部屋には入れなくても、あれだけ一緒にいればどこでだって可能性はあるじゃない。
それに確かに仲が良かった。弟がやってきて、過去の思い出を掘り返すまでは。
そう考えてしまうと、女って本当に恐ろしい。

そして、三人は渓谷に遊びに行った。お兄ちゃん曰く、子供の頃、両親がよく連れてきてくれた場所だという。猛は覚えていなかったけど。
懐かしい場所にはしゃぐお兄ちゃんに「小学生かよ」と猛は笑って、シャッターを切った。
そして猛は先につり橋を渡り、離れた崖のところで夢中になって花の写真など撮っていた。
そして智恵子が、お兄ちゃんと二人きりになるのを厭うようにつり橋に向かった。お兄ちゃんが、ああいう高いところはからきしダメだと言ったから。
お兄ちゃんは、あんな古いつり橋危ないよ、と彼女を追いかける。でも何たって高所恐怖症だから……ここで映されるのは、危ないよと智恵子にしがみつくように止めてくるお兄ちゃんを、彼女が「やめてよ!触らないでよ!」と強烈に振り払ったところまで、だった。
それを離れたところから見ていた弟の、驚いたような顔のアップと、そして次のカットでは、つり橋にへたりこんで下を見下ろしているお兄ちゃん。
一体、何が起こったのか。

いったんは事故だと処理されたのに、お兄ちゃんが自首したもんだから、弟は弁護士をやっている伯父に頼んで、裁判で戦うことを決意する。
弟はひたすら、兄を信じている。ボクは何も見ていないけれど、兄はそんなことをする人じゃない。街の皆が知っている、と。
伯父は、本当に何も見ていないのかと弟に何度も問うのだけれど、何も見ていない、と彼は繰り返す。
この時点で、観客は不穏な空気を感じ始める。だって、つり橋の方を見て、驚愕の表情をしていたじゃない、と。

この伯父もね、田舎に近づかないんだよね。兄である彼ら兄弟の父親と折り合いが悪くて。
猛と稔は、猛が家業を手伝わずに東京に出てしまった時点では、弟には才能があるんだしと送り出してはいたけど、でも心の底では、やっぱりわだかまりがあった。こんな事件が起こらなければ一生判らなかったかもしれないことだけど。
というのを、この伯父と父親が既に、ソックリに前哨戦を繰り広げてるんだもん。
やっぱり血なのかな、これは……争点も同じ。この田舎の家業を守るか、それを拒否して都会で勝負するか。そのための損得が、兄弟にわだかまりを作る。

弟が弁護を依頼して来てもらった伯父を、面会室でお兄ちゃん、ダメなんだと言ったんだよね。つまり、田舎を捨てて東京に出てきたこの伯父は、弟と同じだから、ってことだよね。そうでしょ。
……キッツいなー。お兄ちゃんは気ままに出来る弟がずっとキライだったってこと……なんだろうなあ。
そして、弟がこの伯父に弁護を頼んだのは、自分に近いキャラだから近づきやすかったんじゃないの……やっぱり。

「この狭い町で、女の子を死なせて今までどおりに暮らしていけるわけがない」から自白したんだという兄の言い方は、濡れ衣をあえてかぶったんだとも取れた。だから弟が絶対に無実を勝ち取れるんだと、奔走するのも判る気がした。
法廷で、「僕は、女性にモテるタイプではないですから」と智恵子に思いを寄せながらも、アプローチ出来なかったと供述するお兄ちゃん。弟が来たことで彼女の気持ちが揺れたのを、真っ先に気づいたんだろうけれど、智恵子との間に何もなかったかどうかは定かではない。
罪をかぶりたがっていたはずが一変、本当は事故だったのだとよどみなく喋り始めるお兄ちゃんに、弁護する伯父はその意図を図りかねる。
素直にとれば、最初は智恵子や遺族への思いやりが自白させたのが、今になって真実を語り始めたってトコだろうが、事態はもっと複雑で深刻だったのだ。

最終的な結論としてはね、お兄ちゃんは殺しちゃいない。確かに智恵子に拒絶されてカッとなって突き飛ばし、彼女の肩をゆすって問い詰めたりしたけど、彼女が落ちそうになった時、必死に助けようとした。
……というのが、最後の最後の最後に示される映像。無論、それまでのそうじゃない描写の方が真実かもしれない、というラショーモナイズはありうるんだけど、でもこの優れた監督の演出の腕は、最後の最後の描写こそがやっぱり真実なんだよと思わせるだけの力技を持っているのだ。

でも、弟は、その本当の場面を見ていたのに、それを見ていないと言い「俺が兄ちゃんを救ってあげる」と面会室で言った。
面会室、この狭い空間で、兄弟の、今まで当たり前だった穏やかな関係が、寄せては返す波のように刻々と変化する。
まず、弟の台詞にただでさえ投げやりになっていた兄は突然激昂し、ガラスに向かってツバさえ吐きかけた。この時の香川照之の平静を失った恐ろしさは……今思い出しても鳥肌が立つ程に恐ろしい。
何度となく訪れるこの面会室で、さまざまな会話が繰り広げられる。関係性がどんどん変化していく。
「兄ちゃんは偉いよ。俺は逃げているだけだもの」
「つまらない人生から、か?」
「……」
お兄ちゃんは、今まで言えなかったことをさらけだしていく。法廷が佳境に入り、お兄ちゃんが本当のことを言っていないと責める弟に対して、こんな言葉さえ浴びせかける。
「お前は智恵子をうっとうしいと思っていたんだろう?だから俺が殺してやったんだよ!」

……後から考えれば、猛がこんな風にお兄ちゃんを責めるのはおかしいんだよ。
猛が、お兄ちゃんが智恵子を殺したのを見たと証言する直前で、でも猛はそんな場面、本当は見ていないのだ(よね?その前提が崩れると、どうしようもないのだけど……)。お兄ちゃんは智恵子を助けようとしたのだもの。
でも、この台詞が猛の証言を変えてしまった。
それは、図星だったからじゃないの。だって、「猛君がダメなのはシイタケだけだよね」と智恵子が食事を作ろうとしたとたん、それまでイチャイチャしてた雰囲気を一変させて、彼女の部屋を出て行ったじゃない。
あまりにも、符合するんだもの、あの場面と。
全てをお兄ちゃんは知っていたんじゃないの。ひょっとすると、智恵子がうっとうしくて、この街を出て行ったのかもしれない、ことも。

智恵子は猛のように東京に出たがってた。でも男に連れて行ってもらえなければ、そんなことも出来ないような女だった。
ここは山梨。まあ微妙なトコだ。案外東京にはカンタンに出てこられる。実際、猛は車で来てるぐらいの距離。
でも、この海のない閉鎖的な中都会は、ハッキリしたエネルギーがないと出て行けない。
智恵子は所詮、男頼みだった。お兄ちゃんはここを守る義務があるという思いで残った。だから智恵子に惹かれながらも、弟がうっとうしいと思う気持ちを察せられたんじゃないかと思う。
お兄ちゃんの心の奥底に、彼女に惹かれる気持ちと同時にこんな気持ちも潜んでいるのかと思うと、彼女を突き落としたんじゃないかなんて幻想も、出てきそうになる。実際、それで弟は自分の中に悪夢が忍び込んでしまうのだもの。
このあたりの複雑さの妙には、もう唸るしかない。あー、もう凄いとしか言いようがないじゃないの。

お兄ちゃんが弟に浴びせた、最も強烈な台詞はコレだ。
猛がお兄ちゃんに、本当のことを言ってくれと迫った面会室での場面だった。
「最初から人を疑って、最後まで信じない。猛はそういう弟だよ」
あの時もう、猛の中には悪夢が忍び込んでいた。でも最後の最後、後押ししたのは、あの台詞だったように思う。そしてそれがお兄ちゃんの望む所だったのだ。

「僕の知っている兄は、こんな巧妙なウソを言う兄ではなかった」そう前置きして猛は「僕の兄を取り戻すために、本当のことを話したいと思います」と言って、お兄ちゃんが智恵子を突き落としたと証言する。
これはね、悪夢なんだよ。猛の中に忍び込んだ悪夢。そうだよね?
兄が7年の服役を終えた後「踏み外したのは僕だった」と猛が回想する場面こそが真実だとすれば。いや、これこそが真実でしょ!
一瞬の悪夢を現実だと語った弟に、でもそれを優しい笑みを浮かべて(そう見えた……)お兄ちゃんは、そうしてほしいと本当に思っていたんじゃないかと思う。

弟に巧妙なウソと断じられたこれまでの供述。確かに真実だったであろう詳細な記述は、でも正確に言えば言うほど、自分のせいじゃないと主張する卑怯者に思えたんじゃないかって、思う。
なんかそれって判る気がする。不慮の事故でも、それを説明すればするほど、逃げてる気持ちになる、ましてやこんな狭い街で、智恵子の家族とも親しい付き合いで今まで来たのに。
もしかしたら、お兄ちゃんの心の中にこそ、この悪夢のシーンがあったのかもしれない。弟に心が移った智恵子に対して、むしろそこまでハッキリ態度に出せたらどんなにいいだろうと、思ったんじゃないの。

だって、彼女は、自分を拒絶した。助け起こそうとした手さえ、恐怖の目で遠ざけたのだ。
こんな悲しいことってない。自分から離れようとしかしていない彼女を、それでも助けようとした自分を消したかったのかもしれない。彼女にとっては、この男に殺されて死んだっていう方が名誉だと、思ったのかもしれない。
だから今までとは違う態度をとって、弟を始め、皆を挑発して、差し向けた。
あの笑顔はしてやったりの笑顔だったのか。
だって、こんなことも言ってたもの。単調な毎日も牢にぶち込まれるのも、大して変わらないって。人間関係がないだけ返ってラクだって。
なんて、哀しいこと言うの。

なぜ、最後の最後に示される、お兄ちゃんが7年も服役したあとに、弟の脳裏に甦った場面が真の事実だと思えるかっていうと、……なんで忘れてたんだろ、証拠があるんだよ。
あの橋の上で、弟は兄の手首に残る女の爪痕を、まくりあげてたシャツの袖を下ろして真っ先に隠した。
あれこそが証拠だったのに、兄をかばうようになだめながら、隠したのだ。
あれこそが、落ちそうになる彼女の腕を最後まで握り、彼女も彼の腕に必死にしがみついていた証拠だった。
お兄ちゃんはそれを示すこともなく、弟も知らないフリをした。警察の調べはちょっと甘いけどねえ。
でも弟は、本当に、あの悪夢をあの瞬間は信じていたのかも。いや事実がどうだったのかは、この二人にしかもう判らない。
でも殺していない、のがやはり事実だとしたら、弟は7年間それを封じ込め続けてきたのか。

服役が終了する7年後、もう親父さんはボケちゃってて、家族しか面会に行けないからと、従業員の青年(新井浩文)が猛を訪ねてくる。
「兄を取り戻すためにって、あの時言ったじゃないですか。あんたは一体、何を手に入れたんですか」
新井浩文がほのぼの子供を抱くシーンが見られるとは、思わなかった。
7年前のヤンチャっぽさと、7年後の落ち着き。しかしその目の鋭さは同じ。やはり新井浩文はスバラシイ。

お兄ちゃんと関わっていた皆、戻ってきてほしいと願ってる。
もしかしたら皆、気づいているのかもしれない。お兄ちゃんが自らの罪悪感を、やってもいない罪に変換して決着をつけたこと。そうするために、弟に心理戦でけしかけたことをも。
弟が街を出てから、彼らはお兄ちゃんとずっと関わってきたんだもの。弟よりもずっと判っていたんだ。弟は、負けちゃったのよ。
弟に全てを奪われ続けてきたお兄ちゃんの、最後の逆転ホームランだったのかもしれない。

ラスト、刑務所から出て、バス停に向かうお兄ちゃんに、涙を流しながら必死に声をかける弟。「家に帰ろうよ!」
往来の車の騒音がうるさすぎて、なかなか気づいてもらえない。バスに乗る直前、やっと声が届いて、お兄ちゃんはゆっくりと笑顔を見せる。
でもそこで、カットアウトなの。お兄ちゃんはバスに乗ったのだろうか、それとも……。

ゆれる。つり橋。気持ち。そして二人しか知らない真実。あるいはそれぞれに見えている、見えてしまった真実。
お、重いよー、鉛のように重い映画だ……。
でも、これぞ、ホンモノの映画。★★★★★


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