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「は」


2012年鑑賞作品

ぱいかじ南海作戦
2012年 115分 日本 カラー
監督:細川徹 脚本:細川徹
撮影:芦澤明子 音楽:櫻井映子
出演:阿部サダヲ 永山絢斗 貫地谷しほり 佐々木希 ピエール瀧 浅野和之 斉木しげる 大水洋介

2012/7/27/金 劇場(新宿バルト9)
なんとなーく、今ひとつピンと来ないのは、私が家ん中大好きな非アウトドア女で、更に南国苦手、汗かくのとか嫌い、キャンプとかもってのほか、とゆー、もう、なぜこの映画を観に来たのか、てなヤツだからなのか。それともそれともこれが、男子人気の高い椎名誠の世界だからなのか??

いやそのう、椎名誠、実はひとっつも読んだ経験なかったりして(爆)。もう、イメージよ、イメージ。でも男子人気は高いんだよね?あるいはそのイメージで読むのを避けている……ていうか、私、現代小説あんまり読んでないもんなあ。それこそ映画原作とか賞とったのとか興味本位で読むぐらいで。

でもね、そのイメージの中での椎名誠の世界は、本作で充分に感じとることが出来て、まあそのう、あれやこれやイラッとする感じも含めて(爆)。
泥棒にやられたって恨む気はせず、若い女の子二人と仲良くキャンプやら、その子たちにホレられるやら、最後には国境さえも越えてやるさ!と超ポジティブに手作り船で航海に出るなんていう大ファンタジーの大団円まで行っちゃったら、微笑ましく見るのにもナカナカに限界が来て口アングリさあ。

いや、もう最初っからファンタジーだってことは判ってるんだけどさ。なんたって阿部サダヲが最初からコミカル全開に演じてるんだもの。
てゆーか私、彼のシリアス自体見た記憶ないけど(爆)。いや、そんなことないか(爆爆)。「アンフェア」の彼とかはシリアス……いやそれでもやっぱり微妙にコメディリリーフだよなあ。

で、まあ阿部サダヲ。主演映画というのは珍しい。え?ひょっとして初めて??ではないのかな。
いつまでも童顔の彼かと思ったが、このメンツの中にいると年相応に見える。しかも全裸にまでなるから(キャッ。いや後姿だけだし、笑わせる場面だけど。何キャッとか言ってんの(汗))それなりーに薄く腹回りに脂肪もついてるのねとか(爆)。
冒頭、彼はいきなり全てをなくす。会社が倒産、離婚も重なり、いきなり何もなく放り出される。
いや、何もなく、とこの時彼は思っていたが、職と退職金が出なかっただけで、貯金通帳にカード、いくばくかの着替えが「自分の全て」小ぶりなキャリーバッグに収まるその様に彼は嘆息するけれども、充分じゃないの、というのは後に判ることで。

しかもその全てをいったんはなくして、自分が充分に持っていたことに気づくという経験をし、そしてしっかり全てを取り戻すんだから、都合のいいことこの上ないのだが(爆)。
まあそのう、確かにね、心を許した人たちに一切合財持ってかれるのはツライ経験さあ。でもここでそれを彼の心の傷にしなかったからガクッと来たんだよな。
ここではもちっと相応に傷ついてもらわないと、どこで彼に共感してよいやら判らなくなってしまう。冒頭の彼はカワイソウではあるけど、物語が始まるシチュエイションとしてはありがちな要素だしさ。

こんなことばかり言っていても始まらないので、最初から。そもそもこのタイトル、ぱいかじとは南から吹いてくる風のこと。この風に吹かれると、全てがどうでもよくなる、という言葉は意外にイミシンで、この作品世界を上手く言い表しているんだけど、それがピンと来ないウラミもあったりする。

南海作戦。作戦はいくつか展開される。そのたび、浜辺をメンバーが等間隔で行進する。最初は何もかもなくなった阿部サダヲ=佐々木が、そこに迷い込んできた青年、オッコチ君を自分と同じエモノにしようという画策。
結局オッコチ君に心を許した佐々木は、続いてやってきた女子二人と仲良くなり、全てを打ち明け、佐々木の荷物を取り戻そう作戦で盛り上がる。
首尾よく荷物を取り返して大団円かと思いきや、佐々木の元妻がCM撮影隊を引き連れてやってきて、撮影に使う高い足場みたいなやつを、流木やなんかで作り上げる作戦。そしてそれを船にして、佐々木は果てのない航海へと繰り出すんである。

うーむ、なんというざっくりした書き様(爆)。しかも大切なところが落っこちてるし(爆爆)。
そう、中盤からは阿部サダヲ、オッコチ君に扮する永山君、女子二人の貫地谷しほり、佐々木希の四人組がガッチリ組んで、宣伝の画的にも彼ら四人なんだけど。
前半はね、とにかく佐々木が騙される、サバイバルの達人の男たち四人組、てか、海辺のホームレス四人組がメインと言ってもいいぐらいで、彼らがいなくなってしまうと、一気に平均年齢が下がって、まあ見目は麗しいんだけど、ちょっとインパクトがないというか……。

そう、このサバイバル四人組、傷心の佐々木がやまねこレンタカー(実在!)を借りて島を一周、「終点」の看板の先の獣道を走っていった先の、息をのむような美しいプライベートビーチに棲みついていた。
それぞれに事情はあるらしい四人は快く佐々木を受け入れてくれて、サバイバル術も教えてくれた。
四人それぞれの暮らしようは個性的で、和風の暮らしをしているセンセイが床の間まであつらえている様子なんか実にステキだったし、つまり彼らはここに根を張っている様子がうかがえたんで、佐々木を陥れるキッカケとか動機とか、最初から網を張っていたようにも思えず、そこんところがなんかピンと来ないまま、だったんだよね。

まあそうだよな。最初から網を張っていたのなら、最初の晩で酔いつぶれさせて全てを奪っていただろう。
てか、「終点」の看板の先に来る人なんてそうそういないだろうから、彼らにとっても予期せぬ客だったろうし、ビールはおごってくれるし、楽しかったんだろうと思う。
だからこそ、彼らがどこで佐々木を落としいれようと思ったのか、どこでヒソヒソ計画してあんなに完璧に全てを奪い、全ての痕跡を残さずに消えたのか、佐々木が思うように、憎む気にはなれないほどに、チャーミングなメンメンだったからさあ。
でも、憎む気にはなれない、っていうのは、そのチャーミングさが仮面だったということを受け入れられないということ、でしょ。甘いんだよね、なんか。
でもその甘さを肯定するように、見つけ出したヤツらはチャーミングなまんま、だしさ。これが椎名誠的、てことだろうか……。

でもここで彼ら、特にリーダー格のマンボさん(ピエール瀧、怪演!)が教えてくれたのは、仲良しグループで助け合うことではなく、自立して生活することだった。
それぞれがそれぞれの生活を尊重し、満喫する。それは凄くいいなと思ったのに、彼らが佐々木から全てを奪った後は、佐々木は最初に現われたオッコチ君、そして女子二人にもべったり仲良しグループになって、ひとりの自立なんてどこへやら、なんである。
ちょっとこれはガクッとしたかなあ。一体あの四人組の教訓はなんだったんだろう、ってね。

一人になって、オッコチ君を自分がそうされたように陥れようとしたのに逆にすっかり依存する形になって、ちょっとでも彼がここを出て行こうとするそぶりを見せると(単なる買出しなのに)全速力で追いかけて、ど、どこに行くの、なんで行くの!!とすがる阿部サダヲは可笑しくて可愛いけど、学習能力ないよなー。
最後までそんな感じなのに、唐突にラスト、航海に出たって、いくらファンタジーでもムリあるんでないの。

そうリアルツッコミばかりしてもしょうがないけど(爆)。でもね、永山君とのコラボは面白かったよ。永山君がさわやかにマジメだからねえ。
あの大きな歯をむきだしにするあけっぴろげな笑顔、間が抜けてて、決してイケメンじゃないところがイイね(爆)。
カンパンにカップめんぐらいしか持ってきてないオッコチ君に対して、「口の中がパサパサになっちゃうじゃないか!」と必死さから、あまりにも理不尽なくってかかり方をする阿部サダヲは確かに可笑しく、このあたりのシュールなやりとりは阿部サダヲの真骨頂だけど、あくまで阿部サダヲ的可笑しさで、うーん、なんかね。
マンボさんのピエール瀧に関してもそうだし、ちょっと彼らのキャラに頼ってる感じは、したかなあ。

女子二人がやってきて、彼らの生活は一変。いつもいつも魚鍋ばかりだったのが(いやそれを、こんなウマイものはない!って感じで食ってたのに!)うち一人は料亭の娘ということもあって、お造りまで登場、パスタだギョーザだと盛り付けもオシャレになって、まさにパラダイスである。
すっかり打ち解けた佐々木が事情を告白し、またあの四人が襲ってきた時にとっつかまえてやろう!と鳴子やら落とし穴やらを製作するのが南海作戦のその2、3あたりかな?まあいいや(爆)。

その落とし穴におっこちたのがイノシシ君で、やむをえず佐々木がしとめ、肉をさばいて燻製にしたり、売りに行って思わぬ収益を得たりして盛り上がっている他の三人。
一人、イノシシを殺してしまったことですっかり落ち込んで体育すわりをしている佐々木。皆がかわるがわる慰めるシークエンス、ここはちょっと、好きだった。
まあうがって見れば、都会人が受ける判りやすいショックとも見えるけど、阿部サダヲの落ち込み方がなんとも可愛らしくてね、キュンときちゃうのだ。

結局この“作戦”の網には四人組はかからず、町のウワサから佐々木はたった一人、孤島に向かう。
この時の彼の妄想は、うーん、イマイチつまんなかった(爆)。木製のオールをナイフで削って、「なんだかホッケーのスティックみたいになった」というのは可愛くて可笑しく、こういうところは好きなんだけどね。
船に乗せてくれた船頭さんの土地の言葉にちんぷんかんぷんなのは、まあお約束かなあ。阿部サダヲの絶妙な表情でつい笑っちゃったけど。

島で見つけた四人組が、自分のTシャツをちゃっかり着込んで、しかし抵抗もせず見事なタイミングと角度の土下座をしてきたことで、佐々木は責める気も失せてしまうんである。
で、でもどうなのかなあ……。もともと全てを奪われた佐々木がその時点から、彼らを憎む気にはなれないと言っていたのに、剣呑な妄想を抱えて島に乗り込むのもアレだし、乗り込んでみたら、その最初の思いがぶりかえした、という訳でもなく、その完璧な土下座と自分の服を着ている間抜けさで、あっさり彼らを許してしまう……。

なんかね、この四人組は確かに魅力的なんだけど、佐々木が彼らに対する気持ちの置き所が、フラフラしてて、そここそが本作のキモなのに、だから、なんか落ち着けないっていうかさあ。
無事荷物を取り返して、オッコチ君たちのもとに帰ってきて、次の“作戦”にはちゃっかりあの四人組も参加、どころか一番力を発揮。
佐々木が大航海に繰り出す手助けまでしちゃって、結局は彼らこそが若手チームよりもメインになってるんだけど、そんな具合に、なんかこう、落ち着きどころがないというか……。

女子二人が、まさに花を添えるってだけの位置づけで、あまりにも都合がいいだけなのも、それを加速しているのかもしれない。
せっかく貫地谷しほりなんていう芝居巧者を持ってきているのに、という思いもあるし、佐々木希嬢は「アフロ田中」とか本作とか、なかなか個性的な映画に積極的に参加している割には、キャラ的に弾けきらなくて、もったいない。

本作なんか、もっと彼女を弾けさせられるキッカケはいっぱいあったと思う。正直、しほり嬢扮するアパがオッコチ君に想いを寄せられまんざらでもなく、希嬢演じるキミが佐々木に「おっちゃんのこと、好き」なんてことになる雰囲気はまるでなく、それぞれの台詞だけであまりに唐突。
ことにキミに関しては、こんな若い女の子にホレられるなんて、それこそ椎名誠的、男子、いや、おっちゃんの夢としか言い様がない。

いやまあ、阿部サダヲは若いし、ていうか彼の実年齢的にもそんな年じゃない……とか思うのは、そう思いたがるのは、彼の実年齢が私の実年齢……ムニャムニャ。
佐々木希嬢の実年齢の女の子にとっては、彼の実年齢はやっぱり正しくオッチャンでしょう。軽く20の差だもの。やっぱりこれは、男の夢として描かれているとしか言い様がないよなあ。

でね、ラストシークエンスは、元妻が引き連れてくるCM部隊でしょ。かつては自分もこんなピリピリした世界にいた、むしろそれを先導していた、と述懐する佐々木。
彼がカメラマンであることは最初から示されているけれど、結局それに執着しないまま終わる……のは、あの大ファンタジーのラストがあるからだけど。

でも「以前は何百枚も撮っていた。でも今は、いい写真は一枚だけ撮れるということが判った」とかやけにカッコイイこと言って、元妻にも、それこそ一時は魚網にくるまって(全部持ってかれちゃったからね)彼女をズリネタに“集中”してたくせに、それぐらい未練があったくせに、再会してみると「全然、未練を感じない」
なんかさあ、なんかさあ……彼女だって未練なんかないんだろうけど、でもそれでも、彼の言い様、ていうか言動、結局ここまでサバイバルは中途半端、結構カネ使って(だってビールも泡盛も金がなきゃ買えんでしょう)たくせに、やけに悟った顔して、“都会”での生活を全否定して、ていう彼についついイラッとしてしまうのは私だけ、ですかあ?うーん、うーん。

タイトルである「ぱいかじ」を「エッチな意味じゃないですよ」と繰り返すギャグも今ひとつ笑えず。もうこの時点で、私はダメだぁ……と思ってしまった。
なんだろう、ギャグ自体は悪くない。タイミングとかそういうこともあると思うんだけど。画はさすがに美しいし見ていてさわやかな印象もあるんだけど、アクセントのひとつひとつがいちいちピンとこなかった。

今回初めて名前を聞いた監督さん、面白い経歴の持ち主だけど、うーん、いかにもテレ東製作の映画に抜擢された流れって感じ。
彼自身が映画への思いがあったのかどうか……どうなんだろう。映画はやっぱり、映画はやっぱり、さあ。★★☆☆☆


莫逆家族 バクギャクファミーリア
2012年 127分 日本 カラー
監督:熊切和嘉 脚本:宇治田隆史
撮影:近藤龍人 音楽:遠藤浩二
出演:徳井義実 林遣都 阿部サダヲ 玉山鉄二 中村達也 新井浩文 小林正寛 野中隆光 伊藤明賢 勝矢 石田法嗣 山下リオ ちすん 河井青葉 大悟 井浦新 大森南朋 北村一輝 村上淳 倍賞美津子

2012/9/22/土・祝 劇場(渋谷東映)
人間関係、敵と味方、過去のあれこれとのつながりがつかみづらくて頭を抱える。うー、ほんっと私、あったま悪い。後であらすじと相関図をつらっと眺めてみればそんな難しい絡まり方でもない、いや、むしろシンプルだとさえいえるのに。
観てる間中、あれはあの時のこの人(だってもはや役名覚えるのは不可能(爆))、あれ喋ったあの人、あの人を脅していたその人……と必死に線をつなげて、しかしその線が自分間違ってたり(恥)、そうなると最後にカンドーするどころじゃない。もうサイアク(爆)。

窓口でチケット買う時にね、言われたのよ。暴力描写が激しい映画ですが大丈夫ですか、って。フツー映画を観に来る時ってどういう映画か把握しているもんだし、いや把握してないとしたってこんなこと窓口で注意されたの初めてだから、へぇーっ、と思った。
今更、熊切監督の暴力描写に驚いたりしないって。いや、最初のアレは暴力描写というのとはちと違ったが……まあつまり、暴力映画からは、離れていたよな。近年の「海炭市叙景」なんかさ、もう感涙の詩情あふるる映画!だし!!

まあそれはおいといても……でも確かに、“熊切監督の暴力描写の映画”がこういう大きなマーケットにかかるのは初めてなのかもしれない?いやいや今や大メジャー監督さんではあるけれどさ。
でも監督の紹介文では鬼才と言われるような人だから(その割にはジャンルフリーなあたりが凄いけど)、やっぱりこういう、東映系、バーン!オールスターキャスト!となるとちょっとビックリかもしれない。ほおんと、オールスターキャストだよね。すっごいイイ役者これでもかと揃えてる。

そう、これでもかと揃えているのに、なぜあの人はこの人で……と必死に悩んでいたかといえばまあつまり、その暴力描写がアダになったような気がしてならない、と言ったら責任転嫁?
本作はかつてゴリゴリのヤンキー(という言い方はひょっとして失礼?超硬派とか、単にヤンチャとか暴走族とか??判んないけど(爆))だった男たちが、今は平凡で穏やかな、まあそれなりに幸福だったりちょっと冴えなかったりする生活を送っている中、過去の遺恨が噴出し、かつてのような抗争が繰り返される、という物語である。

しかもそれが、彼らが平凡で冴えない生活の替わりに手にした、かけがえのない家族が巻き添えにされるという形で。しかもしかも、主人公の鉄は、かつての仲間たちも家族だと言ってはばからなかった訳で、しかしそのために遺恨を抱えてしまい、“家族”である仲間に迷惑をかけ、のっぴきならないことになっていくのだが……。

で、ね。なんで人物認識に暴力描写がアダになったなんてことを言うかといえばね、ボッコボコで血だらけになると、もう人相判んないんだもん(爆)。
しかもね、結構な尺で“過去の遺恨”つまり、若かりし頃の彼らが描写されるのよ。まあ年齢的に結構キッツイ感じもあるのだが(微笑)、でもまあ、当時のワカモンは今のワカモンの華奢な感じとはやっぱり違うし(そのあたりを、鉄の息子である遣都君がリアルに示してくれている訳だが)、確かにこういうゴリゴリなヤンキー(いやだから、語弊があったらゴメンね)いた感じするよなーっ、と思うんである。

でもそれでも、若かりし頃には違いない。髪形の違いとかでそれを表現し、しかもそれがボッコボコにされて顔を血だらけの髪で隠され、本作のキーマン中のキーマンであるかつては鬼のような男と恐れられたナベさんを演じる中村達也なんて、カッターで上唇の上からガガガと切りつけられ(うげー)、血だらけのその顔で恫喝する顔なんて、後のビクビクしたナベさんと結び付けるまでに相当かかったよ。
その唇の生々しい傷跡でそうだよな、あの時の彼だよな、と自分の中に言い聞かせるように確認したぐらい。

そうなるとね、ナベさんに犬のように使われ、怯え続けてなかなか顔を上げてくれない五十嵐を演じるムラジュンなんかさ、彼相当個性的な役者さんなのにさ、若かりし頃、出所したナベさんに怯えている時、そして狂気が爆発してナベさんをぶっ殺して鉄と対峙する時、と、もう別人28号なんだもん。
それはムラジュンの上手さだとは判ってはいても、こうもメインキーマンに変貌を遂げられると困っちゃうんだよなーっ。

とはいえ。本作に足を運んだのは、勿論熊切監督の新作というのもあるけれども、予告編で目にして、主役を張るのが、へーっ、トックンですかあ、しかもかなりいい感じなんでないの、と思ったからなんであった。
彼が役者として活躍しているのは知ってはいたけど、なかなか見る機会がなくって……。熊切監督に抜擢されたというのが、かなりの興味シンシンだった。

結果的には彼はとても良かったと思う。かつてのヤンチャだった頃の過去から逃げられなくて、仲間思いがアダになる形で破滅に向かっていく、なんてさ。若い頃のヤンチャなシーンもありつつ、この若さで年頃の息子とキッツイ嫁に睨まれて嘆息しているなんてさ。そしてもうすっかりそんなくたびれた大人になっていながら、また抗争に巻き込まれていくなんてさ。
しかもそう、“この若さ”そんなに年食ってる訳じゃない、30代なかばぐらいなのに、みたいな微妙さも合わせ、これって結構、難しい役だと思うんだもの。
トックンの息子が遣都君だなんて、どんだけ彼ゲタはいた役やってんのと思ったら、年齢的にはドンピシャなぐらい、つまり今の遣都君の年頃に子供を持った的な設定な訳なんだよね。いかにもヤンキーだけど、17の息子を持つと30代なかばでも、同様にくたびれちゃうみたいなこの絶妙さ。

ある意味そうした難しさがあったからこそ、彼の周りがはっちゃけ過ぎてて、トックン結構埋没しちゃったかも(爆)。
一番はっちゃけたのはやはりムラジュン。バカな私が見分けがつかない三段変化はしかしやはりスゴかったと思う。クライマックス、鉄と対峙する前、牛乳なんだかペンキなんだかいきなり白い液体をかぶるのは、な、なんで(汗)。彼の狂気を示すだけのように思えてしまう……。
彼、五十嵐が怯え続け、五十嵐だけじゃなく、全ての人にとってのトラウマ、過去回想だけの登場で彼に殺されて死んでしまうのが北村一輝だというだけでその凄さが判るナベさん演じる中村達也。
彼は現在軸で登場するといきなり弱気で、弱々しくて、そのギャップがまさにはっちゃけである。鉄の、みんな家族、ってな理想で彼に情けをかけたことが、五十嵐の狂気を引き出すことになる皮肉。

他にも、冒頭、過去の仲間たちが集まるきっかけとなる、今は商店街のさびれた電気屋をほそぼそと続けているあつしの愛娘が荒くれどもに拉致されて暴行されるという事件。そのあつしが阿部サダヲで、彼が元ヤンというだけで結構ビックリしたけど、回想場面、意外に(爆)似合うし、しかも現在の時間軸での平凡さがまんま阿部サダヲだから、そのギャップが実に印象的でね。
しかもメインの騒動にもまたしてもこの娘が敵方に駆りだされ(カワイソ過ぎる……)、彼はブチ切れる訳だからさ、もうこうなると鉄よりも親としての印象度が高くなるのは仕方ないよなあ。

とはいえ、そう、鉄も父親なんである。息子は遣都君なんである。似てないけど、二枚目親子である。親にブーたれてヤンチャな遣都君を見ることになるとは。
いやー、つっても、彼は何気に色々チャレンジャーだよね。最初の印象で勝手に純真な男の子みたいに思ってるけど、実は野心マンマンな役者なのかも!?(いいじゃん!)
しかしこのキレーな顔で、今どきのブレザーで、壁蹴ったりしてムシャクシャして、親にブンむくれて、だけど本気になった父親から殴り倒されると太刀打ちできなくて、なんかいちいち、もういちいち萌えちゃうのはヤハリ、やっぱり美しいからさー、もう、困っちゃう。

しかして映画の宣材写真では、トックンと彼がツーショットでドンときてたから、彼ら二人で進行して行くのかと思いきや、全然(爆)。前半なんて遣都君はちょこっとしか出てこないし、うーむという感じ。
後半になって、ゲーセンでカツアゲしていたプーな男の子に正義感かムシャクシャの解消か立ち向かっていったところから、その男の子と友達になって、その子がなんとナベさんの息子という、なんと都合のいい偶然で(爆)。
まあそのあたりから、周平(言い忘れてたけど、遣都君の役名ね)は、暴走していく父親を追いかける形で前面に出て来はするんだけど……。
でもそれも、彼のモノローグによる進行役みたいな感じもするというか。でもこういう遣都君、かなーり新鮮だったから、ま、いいかっ。

新井浩文が凄く可愛かったんだよなあ。可愛いなんていう役柄でもないんだけど、なんとも切ない役柄。彼が演じる緒方は、五十嵐とは幼い頃からの友達。いや、友達というより、兄弟関係。
孤児院で、大きなメガネをかけて見るからにいじめられっこの緒方は、自殺まで考えて思いつめて、そこを五十嵐に救われた。ナベさんの下についた五十嵐、ナベさんの弟が増長してあつしの恋人にちょっかいを出し、そのいざこざの中で偶然のようにトラックにはねられて死んでしまう。
お前がついていながらとナベさんに責め立てられた五十嵐、震え上がり、その後ナベさんがブタ箱にぶち込まれても、恐怖は消えず、出所したという噂を聞いて幻影を見るぐらい壊れていた。
緒方はそんな五十嵐を捨て置けず、鉄たちを巻き込んだ騒動に発展した中で、「オレを輝かせてくれよ!」と五十嵐の前でノドをかっきるんである。驚愕に目を見開く五十嵐。

……こーゆー男の友情はイマイチよく判らず、このあたりでもナベさんも五十嵐も、そして緒方と五十嵐の子供の頃の描写から、それぞれどの役者に結びつくのかすら見ていて自信が持てないというひどいていたらくで(ひどすぎる……)、男同士の友情にカンドーするという以前の問題(爆)。
うーんでも、それが全部判明しても、いくら恩義を感じる相手でも、彼がいなきゃ今自分はいないぐらいに五十嵐のことを思ってたとしても、それでもそれでも、緒方が自分の首をかっ切るっつーのは、これは解せないのは、私が女だからなのだろーか……。

ただ、ただ、ただただ、緒方を演じる新井浩文は、凄くイイんだよね。凄く、可愛いのだ。
こんなことを言ったらアレかもしれないけど、兄弟分の五十嵐を演じるムラジュンよりは大分若いじゃない。キャスト相関図では親友という位置づけだったし、子供の頃の回想から言ってもそれほど年齢が離れているようには見えなかったけど、実際はひときわ新井君の方が若いじゃない。
彼は三白眼で、コワい役が多かったし、本作の役だって“色眼鏡をかけている男”と認識されているようなコワさなんだけど、近眼のメガネをハクをつけるために色つきにしているんだというのは設定から判るし。

ほわほわの天パの下の色眼鏡の下の瞳は、いつもの三白眼の怖さではなくて、なんか子犬のようでさあ。
いつもいつも五十嵐のことを心配してて、カッコイイアニキでいてほしくて、のどをかっきる場面のドアップなんて、枯れたムラジュン(その枯れっぷりが素敵なんだけどね!)に比してお肌つやつやで、なんかやけに幼く見えて……っていうのは、お兄ちゃんに対する弟の幼さのようで、やたら可愛くて、参っちゃった。

おーっと。だいーぶ新井浩文に尺を割いてしまったが。そもそもどういう話なのかここまで来てもやっぱりよく判らない(爆)。
まあともかく、皆家族だと。かつていがみあった敵方であっても(ヤンキー暴走時代は、「オヤジの過去」として、周平のナレーションによって描かれる訳だ)皆仲良くしようじゃないかと、鉄は奔走する。
かつての彼らのリーダーである北村一輝演じる夏目を殺したナベさんまで引き入れるから、仲間内ではふつふつと不満が残る訳で。そうそう、夏目をしのぶ食事会なんて場面もしっかり出てくるしね……。

だからね、若い頃、今の状態、その先の抗争、しっかり頭に叩き込まないと結構、どころか、かなりキビしいのさ。まあそりゃ、私が頭悪いだけなんだろうけどさ(爆)。
でも、鉄たちがお世話になったドンばーちゃんと呼ばれる倍賞美津子の営む場所、五十嵐や緒方たちのいた孤児院、暴走族の敵対する二団体、ぶつかった時代とぬるい時代、そこを切り裂くように現われた鬼っ子のような鉄、それぞれのリーダー、……もう場所や設定、組織、抗争、上下関係、位置づけ、さらにそれぞれの過去や現在の家族関係まで巻き込み……もう、私にはムリっす(涙)。
原作であるコミックスでは、長い時間かけてファンを魅了していたんだろうし、そんなことムリも何もないんだろう。映画って、やっぱり難しいよ。原作ファンが映画化の本作をどの程度評価しているのか……うーん……どうなんだろう……。

個人的には遣都君と石田君の若い世代の友情物語が、ほんの短い尺だけれど、結構キューンときた。
石田君演じるナベさんの息子、れんが、鉄に父親の死を告げられ、まるで意味もなく鉄から殴られる場面(いや、意味がない訳じゃないんだろうが……上手く意味づけできない、私(爆))、「オヤジが大きく見えた」という遣都君のモノローグ一発で、イマイチ意味は判らないけど萌えた(ダメだなー、私)。
メインである鉄たち世代が、私世代ではあるんだけど、まあそのう、ヤンキーの世界はあんまり判んないし(爆)、若くして彼らが子供をさずかり年頃に成長しているという点で、ただでさえ独女であることも手伝って余計に共感はなかなかしづらいし(爆爆)、うー、つまり私はいつまでも大人になれないオバサンだということ、かあ??そうかも……。

ラスト、五十嵐をぶっ殺すことさえ出来ず、しかしその後五十嵐はひとり死に、かつての仲間である刑事(大森南朋。彼の役どころもいまいち判らん)が心配するのも振り切って逃亡した鉄。
息子に電話をかけてきて、かつて自分が父親と最後に会った寂れた遊園地、どうやらもう閉じてしまうらしいことが食堂に張られた色紙で判る寂しい遊園地で、対面する。

かつて、の過去回想で、幼い鉄と最後の対面をする若き父親は井浦新氏。キャストクレジット見てなくて良かった。いつになったらアラタが出てくるのかと、見逃したかと、イライラしてそうだったもん。
この感じだとその後、若き父親は内部抗争に巻き込まれて、死んじゃったのかなあ……。幼き鉄を演じる子役ちゃんがあまりにコテコテでちょっとツラかったが……。

クラシックな観覧車を窓の外に眺めながら親子が対峙し、(刑務所から)出てくるまで待ってるから、と、まるでヤクザ映画の恋人みたいなことを息子から言われて涙ぐむ。
かつて父親と乗ろうと約束して果たせなかった観覧車に、この親子は乗ったんだろうか。それもまた、恋人みたいだ。夕日をバックに観覧車、それだけで充分だけれど。★★★☆☆


はさみ hasami
2012年 72分 日本 カラー
監督:光石冨士朗 脚本:木田紀生 光石冨士朗
撮影:猪本雅三 音楽:遠藤浩二
出演:池脇千鶴 徳永えり 窪田正孝 なんしぃ 綾野剛 樋浦勉 白石まるみ 拳也 石丸謙二郎 烏丸せつこ 竹下景子

2012/2/13/月 劇場(新宿K's cinema)
正直、そんなに期待してなかったのが良かったのかもしれない?予想外にしみじみ、ラストのちーちゃんの泣き笑いに泣かされてしまった。
いやまあ、さあ、この監督さんの「大阪ハムレット」はこう言っちゃなんだが、まあまあの出来という感じだったので(ヒドい言い方……)。
本作は作品としての立ち位置の感じもちょっとマジメな企画に見えたし、それこそ、○○学校全面協力!みたいな(まあ、そうなんだろうけどさ)、まじめに彼らの技術習得の様子を追ったりして、青春の何がしかがあったりして、なんていう、感じだろうなあと思っていたのだよね。

まあそれも、そのとおりっちゃそのとおりなんだけど(爆)、でもそのとおりの丁寧さが最終的には心に染み入るのだから、やはり作品というものは丁寧に作られてこそなんだなあと、当たり前のことを思ったりする。
当たり前のことだけど、これが出来てない(ように見える)映画も結構あるよね……。物語に、芝居に、人に、心を感じるには、そういう根本の丁寧さがやはり不可欠なんだなあと思う。

ところでちーちゃんは、まあ確かに主演という形ではあるんだけど、真の主演ではないというか……どう言ったらいいのかなあ。
彼女、永井久沙江はこの理容美容専門学校の教員。恐らく卒業してそのまま教員に収まったんではないかと思しき、彼女の年齢そのまんまの年若い教師である。
劇中、久沙江が学生時代の自分を語る場面があり、不器用で出来が悪くてひどく叱られた彼女が、しつこくしつこく練習を重ねたと話していて、恐らくその結果、優秀な生徒となり、その気質を買われてそのまま教師に収まったんじゃないかなあ、などと勝手に推測してしまう。

そう考えると、美容師になりたいためにこの勉強を始めたんではないのかなあ、とも思うが、人生、どこで自分の天職に出会うか判らないもんだから。
そして確かにちーちゃんは、大人になって教員となっても、不器用で真面目な気質は変わらない、そんな久沙江がピッタリなのだ。

な、もんだから、高校を卒業して入ってくる生徒とは、年齢もそうそう変わらない感じ。10も違わない、5、6歳上くらいがせいぜいなところ?
だから、彼らからは時にはタメ口きかれもするし、彼女の方もそれを特に気にする風もないので、余計に近い存在に見える。
でも、この5、6歳の差、そして学生と教員の差、子供と大人の差は、やはり大きいんだよね……。一見して久沙江と学生たちはホントに変わらなく見える。だから彼らは久沙江に気も許すし、それが感動エピソードにもつながってくるんだけど、でもやっぱり、違うんだよね。

同じ年頃の友達ではない立場。大人であり、教師としての立場。でも、そう、それこそ金八先生のように、バッチリな台詞と行動で生徒たちを導ける訳じゃないの。
久沙江は言ってしまえばありきたりな言葉でしか励ませないし、彼女の言葉や行動がハッキリとしたキッカケとして生徒たちを動かす訳ではない。時には、親がかりで人生テキトーに考えている生徒に何を言っても通じなくて、打ちのめされたりもする。
でも彼女が常に気にかけてくれていること、心配していることを、心ある生徒たちは判ってて、そのことこそが、彼らの心にしずしずと沈殿して、前を向かせることになる。その積み重ねの描写、そう、これぞ丁寧さが、素晴らしいのよ。

なんかワケ判らんまま行っちゃったけど(爆)、そう、ちーちゃんが主人公ってワケじゃない、彼女は生徒を見守る立場で、問題を起こす生徒たちが物語を展開させる訳で、男の子と女の子一人ずつ、いるのね、それが。つまり、彼らこそが主人公であると言う方が正しいかもしれない。
この学校に来るまでは引きこもりだったというのが信じられないぐらい、お調子者で落ち着きのない洋平と、カットに行き詰って学校を休みがちな弥生。

それぞれ現代の若者特有の行き詰まりを抱えていて、久沙江を厳しく指導したベテランの築木先生なんかは、「今の子はホント判らない」とお決まりの言葉を口にもするんだけど、久沙江は、私は彼らを理解したいと思う、と必死に訴える。
時代の変容によって追い詰められ方が複雑に変わっていく、いつの時代も若者たちは、こうして追い詰められることを、少しでも彼らに近い久沙江はやっぱり判るから。

そう、私らオバサンはどちらかというと、築木先生の気持ちの方が判るのよね。もっと自分をしっかり持ちなさいよ、まったく今時のワカイモンは……と言いたくなる。
でもそれは、自分が今の時代のワカイモンではないことと、何より、ワカイモンであった時の苦しみを、自分ひとりで乗り越えたような傲慢な錯覚をしているからに他ならないんだよね。

心のどこかで、どうせ今時のワカイモンなんだから、ちょっと叱られればすぐムクれるんでしょとか思ってるから。そう、すぐにキレる洋平が丁稚奉公よろしく叔母さんが経営する美容室に見習いで入って、無愛想な態度を先輩に叱られた場面、仏頂面していたから、ああ、もう、ダメだと思ったら……。
その先輩がアメとムチよろしく、手荒れのハンドクリームを彼に差し出して、ちゃんとケアしろよ、と言った時、ありがとうございましたと頭を下げた洋平に「やれば出来んじゃん」と笑って、洋平は、その仏頂面が、かすかに変化した、のだ。

ああ、こういうことなんだよなあ、と思った。この先輩もまた、洋平よりは大人だけど、年が近くて、そして多かれ少なかれ、洋平のような若くて何も判んない期間を過ごしてきたんだろうから……。
年の近い大人、年の遠い大人、子供と大人、大人に近い子供、子供に近い大人……社会ってこんな風に、きちんと構成されて作用すれば、大丈夫な筈なんだよな。

それにしても、理容美容の学校って、ただ技術だけを学ぶ専門学校だと思っていたから、こんなに生徒のいわゆる生活指導的なことにまで突っ込んで関わっているなんて、凄く意外でビックリだった。
高校までならそうした関与(干渉の場合も……あるかもしれない)はあるだろうけど、それこそ、高校を卒業しての学校なら、大学だったらちょっとそういうの、考えられないじゃない。
なのにこの学校では生徒に何かあれば、卒業した高校に報告や相談にも行くし、時には親を呼んで話し合い、学校会議にかける、なんてことさえするほどのきめ細かさである。

せめて国家試験に合格するまでは。そうか、国家試験なんだもんなあ。それってなんか凄いな、と思う。
このメインの学生二人のほかにも、その女の子、弥生の友達として登場するいちこの存在なんていうのは、更に印象的なんである。
いちこは秋田から奨学金で来ていて、努力家で、カット技術は学校で一番。だけど田舎の父親がギャンブルで奨学金を食いつぶしてしまうんである……。

住み込みで働ける店を探して、夜間に通わせる手立てを先生たちは考えるけれど、「それでも一度退学という形は取らなければならない」ことにひどく悔しがる。当のいちこは「それでも親だから」と涙ひとつ見せなくって、それが弥生や観客の涙を誘うんである。
正直、このいちこを演じるコは、その容姿だけでキャスティングされたんじゃないかと思うぐらい芝居はキッツイのだが(爆)、彼女と友達になる弥生を演じる徳永えりはそこんとこ、さすがだからさあ。

まあ、弥生が築木先生に、今時の若い子は判んない、と、言われるのは判るほどに、彼女の行き詰まりはアイマイなところがある。
というのも、恋愛がらみだからなんだよね。グラフィックアーティスト、なのかな?恋人の彼は。演じる綾野剛は色っぽい男の子なんだけど、長髪だとその神経の細い繊細さが、ちょっとコワい(爆)。
でもほんと、その印象がそのままで、最終的に彼が精神的に追い詰められて、電車の中で泣きながら女性にすがりつき、“痴漢”として捕まってしまった、という展開がさもありなん、と思うんである。

クリエイターとしての矜持を通せず、スポンサーの言いなりになるしかないことにジレンマを感じる彼はいかにも青くて繊細だけど、でも迫るものがあるというか。
弥生と飲みに出かけた店で、得々と話しているサラリーマンの会話……いかにもやり手の営業畑で、彼曰く、作り手のプライドなんてものはくそくらえであり、昨今の経済が成り立っているのは……なんか難しい言葉使ってたけど、要は予算の見直しや切捨てなんであり、つまり開発部の人間は結局何も出来ないんだとか、メッチャエラソーに言ってるもんだから。

まあこれは、誰が聞いてもムカッとくるよなー。ましてやスポンサーの言いなりになるしか仕事を得られないことへのジレンマを抱えている若いクリエイターの彼にとっては……。
いきなりイチャモンをつけ、一触即発になりそうなところを、弥生が慌てて止めに入り、侘び、店を出る。
「謝ることないんだ」そうつぶやき続けながら早足で歩いていく彼に、必死についていくしかない。
この時弥生が……ひょっとしたらスポンサーよりも上司よりも、彼を追いつめてしまったのかもしれない、よなあ……。

で、まあ、長々となってしまったけど、カット技術が上手くいかないことに加えて、この恋人の問題で浮き沈みの激しかった弥生は、しかし、あのきっかけはなんだったんだろうなあ。
いちこが「あの人は美容師ですよ」と街中で、中野ブロードウェイへと続くあの商店街で、見かけた背の高い男性。
「美容師ですよね?」「そうですけど……」弥生はあの時、何が弾けたのかなあ。美容師であること、それを普通にさらりと言ってのけられることだったんだろうか。でもなんかね、凄くここは印象的なの。

なんかかなりぐちゃぐちゃ前後するけど、洋平の方の話も書いとかなきゃ。彼が学校で落ち着きがなくはしゃいでいたのは、演技だったのだ。
実際は引きこもりの過去もある、物静かで悩み多き青年。
その悩みは、母親を早くに亡くして、お父さんは仕事に忙しくてコミュニケーションが取れなくて、そのうちにお父さんは再婚しちゃって、新しいお母さんにはやっぱり生理的な反発を覚えちゃって、逃げるように東京の専門学校に来たのに、いつの間にか自分の弟が産まれていることに「いい年して恥ずかしい」とこれまた嫌悪感を覚えているという……。
まあ、言ってしまえば青春ドラマにありがちな設定ではあるんだけど。でも、こういうこと、あるいは似たようなことがあって思い悩む若い子たちって、きっと沢山いるんだろうと思うんだよね。

新しいお母さん、そしてその間に生まれる子供、いわゆるセックスが絡むこと、それを父親が、死んだ母親を裏切って(と思えるのだろう、彼には)及んだこと、みたいな、生理的嫌悪って、あるんだろうと思う。そんな経験はないけど、もし自分が10代の頃にそんなことがあったら、想像するだけで判る判ると思っちゃう。
そう、ちょっと想像すれば判ることなんだけど、大人という名のムダな経験値の中に取り込まれちゃうと、そんな想像をするのもめんどくさがって、聞き分けのない子供と断じてしまうのよ。

この、大人から見ればメンドクサイ洋平を演じる窪田正孝君が凄く良くてね。私、彼をどこかで見た気がしてたんだけど、フィルモグラフィを見ても……うーん、気のせいだったかなあ。
この不器用に思い悩む青年の風情、なんとなく風貌も宮ア将君にちょっと似ている気がしたから、そう思ったんだろうか。

祖母が亡くなって、叔母さんと共に実家に帰る洋平。何年も口を聞いていないという父親と新しい母親と、ほんの少しだけど、ほんの少しだからこそ、とても大切な会話を交わすシーンが凄く、いいの。
父親は、見習い頑張ってるって叔母さんから聞いてるぞと言い、彼に銀行の袋……何がしかのお金だろうなあ、を差し出す。冷淡に突っ返すんじゃないかとヒヤリとしたが、洋平は「……ありがとう。助かるよ」と受け取ったのだ!

そして、それ以上にじーんとしたのは、葬式の喧騒から離れて寝かされている赤ちゃん、彼の弟をそっと抱き上げるシーン。
それに気づいた母親がそっと入ってくる。「俺の弟?」「そうよ。……気に入られたのね。懐くなんて珍しいのに」。
本当におとなしく抱かれてる赤ちゃんが可愛くて、じっと赤ちゃんを胸に抱き寄せ、産毛がほわほわしている頭に頬を寄せた洋平がね、その重みを、温かさを、優しさを、感じていることは、後に久沙江先生にそう伝えるシーンがなくったって、判るの!
赤ちゃんっつーのは、それだけで全てを解決してしまうパワーがあるんだよなあ……。

弥生と洋平が共に居残り練習しているシーン、何かあった?と久沙江に問われて、弟に会ったことぐらいかな……と先述の話をする洋平がね、練習台として久沙江先生の髪をセットしているんだけど、さらり、さらりとちーちゃんの髪を触る若いオノコ!ああああー、萌えるわあー!!!
しかもさ、「先生、結婚しないの」なんて台詞までぶちまかす!ああ萌える!しかもしかも、その台詞に、久沙江がボーゼンとする前に、すぐ横で弥生の指導をしていた築木先生がブハッと噴き出す!それも含めてなんとも萌えちゃうのよー!!

洋平がさ、そのぶっきらぼうな口調と表情はそのままながら、それまでに充分、久沙江先生に弱みを見せているからね、弟が温かくて意外に重くて柔らかかったことを淡々と話す洋平にすんごいジーンとするし、「洋平、上手くなったじゃん」「マジで。やった!」というシンプルな会話もなんともうるうるきちゃうのよ。

そうなんだよね、こんな風に、生徒たちを下の名前で呼ぶんだよね。それは久沙江だけじゃなくて、他の先生たちも、そう。
洋平、弥生、いちこ、そのほかの生徒たちも軒並み下の名前で呼ぶ。それがビックリでさあ。
それこそまるで金八先生のようと思ったが、でもファーストネームっていうのは、彼らが一個人であることを尊重している証なのかもしれないな、って。
彼らは世間的にはまだまだ子供で、いちこなんて、彼女は親よりずっとしっかり真面目で大人なのに、子供であることに押し込められて苦しむことになるんだけど、いちこはいちこ個人だから、彼女を尊重するから、真面目な彼女を助けたいからと先生たちは動くんであり、それって、さ。実は凄いことなのかもしれないなあ、って。

生徒、学生、イコール子供、日本の学校社会の落とし穴はそこにあるのかもしれない、と思う。
高校を卒業して入る学校とは思えないほどに生徒の家庭環境にまで密接に関わりながらも、高校までのそれと、大学になると途端にそれに無関心になることと、まったく違う形でこの学校や教員たちが関わるスタンスがひどく興味深く、ここに人間形成の、日本の社会のあらゆるヒントが隠されているようにさえ、思う。

この問題児の二人の生徒は何とか収束したものの、いきなり退学届けを突きつけ、もう飽きた、学校に来るのは友達がいて楽しかっただけ、アパレルの方が楽しそう、親のツテもあるし、と言い出す女子学生。
あと半年頑張ってせめて資格を取ってからと説得を試みるも「どうせ受からないよ」久沙江が、どんな仕事だって辛いことはある。今ここで投げ出したら、また同じことの繰り返しだよ!と必死に説いても「ないよ。(アパレルやってる人たち)皆楽しそうもん」

うわあ……これぞ「いまどきのワカイモンは」いや、これはいくらなんでもコイツ自身の問題だと思いかけたけど、何よりこの話し合いに同席した母親が「この子の思い通りにさせようと思います。ええ、父親も同じ考えです」
一見、ものわかりのいい親、自分の希望を応援してくれる親、のように見えて、これほど子供に無関心な親はいない、ってことなんだろう、な。
それを親も子供さえも判ってないどころか、逆に、理解ある親だと思ってるっていうのが、……ほんのちょっと、考えれば判ること、でもそのほんのちょっとが、なぜこんなにも難しいのか。理解と干渉と無関心の境目は、なぜこんなにも微妙なバランスなのか。

この女子学生を説得できなかった無力を感じてね、築木先生から飲みに誘われるも断って、とぼとぼ一人で帰っていた久沙江。
突然声をかけられたのはかつての生徒、かつて口をすっぱくして言われたカットの練習、苦手だったのが、今日改心の出来だった、先生にお礼を言いたくて来たんだと。
本当に、さらっと言うから、まるで不意をつかれたみたいでさ、久沙江は、良かったじゃん、と返すしかないんだけど、続いて彼は、次々に同級生の名前を出し、あいつらも頑張ってる、感謝してると思うよ。近々OB会やるからさ、知らせるよ、とこともなげに言ってさっそうと去っていくんである。

このかつての教え子にカンドーの告白をされている間、うるうるの涙をこらえていた久沙江=ちーちゃん、彼が去っていった後、たまらずうずくまり、ガードレールにしがみついて、泣きじゃくるの。
もうさあ、もうさあ、もうさあ……そりゃね、筋としても会話の展開も、ベタさあ、ベタベタさあ。でも、待っていた言葉、いや、違うな、思いがけなかったけど、ここで欲しかった最上の言葉、だったんだもん。ああ、なんて幸せなの。こんな言葉もらえる人はめったにいないさ!

でね、でね、一度は飲みを断った築木先生のもとに、走って、走って、走っていって、「やっぱり飲みましょう!飲みたいです!」築木先生、何があったのかと驚くけど、大人の笑みで飲み込んで、「そう、なら、とことん飲むわよ」「はい!とことん飲みましょう!」
この時の、さっきの号泣を引きずりつつ泣き笑いのちーちゃんのなんと可愛く、深い深いこと!
厳しい先生、築木先生の竹下景子もすんごくいいんだよねー。技術に厳しい彼女と、社会と関わる理容、美容師としてのスタンスを考える久沙江と、飲みに行く道筋ですら楽しげに論戦を戦わせるラストに、めっちゃカンドーしてしまうんである。

“きれいになる(する)って幸せ”ていうのは、豊かな経済社会である日本だから通用することなのかもしれないな、なんて、高い美容室に縁のない私なんかは、ちょっと思ったけど、でも、慎ましく、悩み、苦しみ、学んでいる彼らと、見守るちーちゃんには素直にじんわりしたし、したいなと思うのであった。★★★★☆


ぱぴぃオールドマン
2012年 72分 日本 カラー
監督:前野朋哉 脚本:前野朋哉
撮影:谷康生 音楽:野村知秋
出演:早乙女バッハ 眼鏡太郎 沖田杏梨

2012/1/29/金 劇場(ポレポレ東中野/レイト)
タイトルのぱぴぃオールドマンというのは監督曰く、可愛いおっさんという意味なんだそうで。
それは監督なりの造語なのか、あるいは結構通じるのか判らないけれど、主演を張る早乙女バッハなる人物が、監督の言う“自分の変な哲学がある。何を喋ってるかよくわからない。人に迷惑かける”その条件にあまりにピタリと当てはまるので、なんかその魅力だけで見てしまう。

ま、ていうか、彼自身のキャラとしては勿論、“何を喋ってるかよくわからない”のみの要素であって(爆)、それ以外該当するって訳じゃないだろうけど(爆爆)、でも何となくそれ以外も該当しそうだよなー、というあたりがなんとも味わい深い。
パフォーマーとか舞台の演出とか、なんか才人らしいのだが、こんな強烈な人を、私は知らなかった。いや、見たことあるような気も……しないか。うーん、判らない。

息子役の眼鏡太郎(ガンキョウタロウと読むというのが……)の、真ん中にパーツが寄せ集まっているお顔が超個性的なお人も見たことあるような気も……するようなしないような。
なんかこんな強烈な外見の二人なのに、そのあたりあいまい。何にせよよくぞこの二人を、しかも親子として(!)キャスティングしたよなあと。もうこの時点で勝負あり、って感じ。

しかし、劇中でもちょい出している監督さん自身も充分インパクトあるけど(爆)。この人のお顔は確かに見たことあった……どころか!大好きな「終わってる」のババケン!そうか!!そうだわ!!!
へえぇ、演出もやる人なんだ。しかもこんなウェルメイドで、ちょっとハズれているような味わいの映画作る人なんだね。

そんな具合にこの親子が強烈な外見インパクトだから、マドンナとして現われる韓国留学生、へソンが、確かに美人だけど普通に美人過ぎて、インパクトがなかった、のは、ひょっとしてそれも計算?いや確かに素晴らしい爆乳ではあったが……。
それより彼女の留学生仲間、というかもはや恋人?のウォン君がまたもの凄い海苔眉毛で、髪型もなんか昔の野口五郎みたいだし、しかし彼は特にギャグキャラという訳でもなくてヘソンとしっかりカラミシーンもあるんで、笑っていいものやらどうなのやら、なんか困ってしまった。ううむ、なんともシュールだ……。

確信犯的なのか、意図的なのか、そんなあいまいとも言える奇妙な記号が本作の魅力なのかなあとも思う。
だってさ、確かに何の手続きも身の覚えもない彼ら親子のところにヘソンがホームステイにやってきて、息子、とおるの方は普通に疑うけれど、お父さんの茂夫の方は「え?こういうのって(ホームステイする)家庭が選ばれるんじゃないのか?」というトンチンカンぶり。

まあそこまでは勿論、可愛いおっさんっぷりを発揮しているともいえるんだけど、ヘソンもウォン君に指摘されて確かめてみると「別の人と書類が入れかわっていた」というのは……ヘンじゃない?
だって、入れかわってた、ってことは、別の留学生が茂夫たちのところにステイしに来る筈だったってことじゃん。うーむ、そこを気にしたらいけない?でもそれって基本ではないだろーか……。

まあとにかく、最初から行こう。冒頭は、とおるが漫画のマニュアル本に書かれている「自分の一メートル以内のことを描きなさい。傑作はいつでもそこから生まれる」みたいな文章を読み上げて、はああ、とため息ついているところから始まる。
確かに、アイドルのポスターが貼られ、マンガがぎっしりある部屋に、彼は殆どヒッキー状態であろうことが一見して察せられる(察せられちゃう雰囲気を出してるってのは、凄いかもしれない)。

そこへ、お父さんの茂夫が、飲み屋あたりで意気投合したと思しき青年たちをどやどや引き連れて帰ってくる。しかしそんな雰囲気の割には、このエキストラ満点の今風青年の彼らがちっとも酔っぱらってないのはアレだけど。それとも茂夫のキャラを際立たせるための、これも作戦かな。

とおるの年齢はどうも判然としないけど、多分このスーツ軍団の青年たちと同じぐらいなんだろうな。つまり、充分社会に出ていていい年。
茂夫も仕事をしないでブラブラしている、どうしてこんな生活が出来るのかっていうのは、後にヘソンから聞かれてとおるが解説するところによると、祖父の遺産で家も建てて、生活費もまかなえているっていうんだから、なんともうらやましいじゃないのお。

変な哲学は確かに変な哲学だけど、でも意外にまっとう。かなり沢山あるから忘れたけど(爆)、どんなことがあっても女を泣かしてはいけないとか、結構そんな感じで。
まあ、どんなことが、っていうその状況がいちいちシュールで、とおるが確認すべきだよ!と言う方がそりゃーまっとうだわなと思うのだが。

自分がこんな風になってしまったのは父さんが自分を甘やかしていたせいだと、後にとおるが言うのは多分、その通りだと思うのね。
そこで茂夫が「自分は甘やかしているつもりはないんだけどなあ……」というあたりが、ぱぴぃオールドマンたるゆえんで。
親としてどうするべきかという方向性が、どうにも間違っていることに未来永劫気づかないであろうことが、彼の困ったところで、そして……確かに可愛いところなのかもしれないんである。

だって茂夫はとおるをめちゃめちゃ甘やかしてるよ。こんな年になって仕事どころかバイトもしたことないこと、ヘソンから指摘されるまで思いつきもしなかったなんて。
って、指摘されたのはとおる自身で、とおる自身はそのことに気づいていた、ってあたりがまたなんとも、ね。
とおるは、こんな甘えた状況でも生きていけること、多分ずっと、モヤモヤしてて、ヘソンのように指摘してくれる人を、無意識下でずっと待っていたんじゃないのかなあ。

その、ヘソンである。後に出てくるウォン君もそうだけど、ホントに韓国の人をキャスティングしたのかと思ったら、キャストクレジットは日本人のみだった。
そ、そうなんだ、韓国語がやけに流暢に聞こえたのは、まあ本場の人が聞いたらアレなのかもしれないけど、ビックリした。
確かに日本語台詞の部分は訛り調ではあるけど、時々フツーに日本語発音だったりして、単純に上手いのねとか思ってたら、何のことはない、日本人だったのね(爆)。
なんか、つまんない。ホントに韓国人キャストだったら良かったのに(とワガママを言う私……)。

とおるが言うように、どう考えても何かの手違いなのに、茂夫は嬉々としてヘソンを受け入れる。そりゃこんな美人が男所帯に住んでくれること自体奇跡だけど、彼の言いっぷりがイイんである。
マドンナだよ、と。しかも寅さんに出てくるアレを想起して言ってるんである。
でも、さすがぱぴぃオールドマン、ツメが甘いな。寅さんのマドンナはいつも寅さんが岡惚れするだけで、彼女は去っていってしまうのよ。
そう、もうここで、茂夫の台詞一発で、二人の寅さんがフラれるのは決定事項だった訳だねえ。

正直、ヘソンとウォン君のカラミシーンは、かなーりムリがあったように思う。
この青春H企画ではエロシーンが必須であるし、物語の展開上でも、親子が二人のエッチシーンを見てしまって二人玉砕、裏路地をさまよって、韓国訛りの立ちんぼに「一万円ぽっきり、サービスするヨ」と声をかけられ……という、親子の関係性においても重要なシーンにもつながるにしても、それにしても……。

まあこうして書いてみると確かに、自然につながるんだけど、でもいつも家にいる親子がたまたまいない、いつ帰ってくるか判らないのに、台所でヤリ始めちゃうってーのは、いくらなんでも、ど、どうなの。
ちょっとね、ウォン君の方には、ヘソンを悩ませている茂夫ととおるに、帰ってきても見せつけてやるぐらいの気持ちがあるのかな、という雰囲気も感じたんだけど。
帰ってくるかも、ということをウォン君以上に警戒している筈のヘソンがあっさり誘惑に負けて、おっぱいもあらわに台所ファックしちゃって、後に帰ってきたとおるの態度のおかしさに一発でピンと来ないってのはさあ、なんかねえ……。

まあでもさすがに、茂夫が帰ってこないこと、とおるの様子のおかしさに、ヘソンも判ったよね、いくらなんでもさ……。
そもそもここにウォン君を連れてきたのは、ステイ先の間違いのことを茂夫たちに告げるためだった。
最初から歓迎してくれた二人に、どうやら自分をめぐってピリピリしていることも感じていたヘソンは、別れを告げる。
とおるは二階の部屋から降りてこない。茂夫だけが、たまらない顔をしてヘソンを見送るんである。

このイマイチピントがずれてるおとーちゃんが、息子のためを思ってデリヘルを呼んじゃうっていう展開もね(笑)。
まあ、その前に、ヘソンとウォン君のズコバコを見ちゃって、とおるに一万円を渡して立ちんぼを買わせようとした場面で一度示されているといえばそうなんだけど。
その一万円は茂夫のために使われ……そうになったけど、彼も息子のことを思ってそんな気になれない。しかしデリヘルを息子のために呼んだ時はちゃっかり自分の分も追加で呼んでるあたりが(汗)。

失意のとおるは、去ってしまった筈のヘソンと夢想の中で幸せなエッチをしている。あの奇跡のようなふくよかなおっぱいに、赤ちゃんのように顔をうずめている。
しかしぼんやりした頭が冷めると、目の前にいるのは、ふくよかという表現が体全体に派生した、ヘソンには似ても似つかぬ女。
……多分とおるは童貞だろうし、そんな息子に対する父の思いからとはいえ、これは残酷だよなー。

そうなんだよね。とおるは、多分、まだ“かーちゃん”に対する思いが抜け切れてない。こんなふがいないとーちゃんだから、かーちゃんは彼らを捨てて出て行った。
でも、本当にそうなんだろうか……なんて、そこまでうがつのもやりすぎ?でもさ、茂夫は今でもかーちゃんのことが好きだと、かーちゃんを口説くためだけのギターだと、ヘソンに弾いてと請われても笑ってごまかしていた。
あの時だけは、理性がしっかりしてて、色におぼれてないとーちゃんだったじゃないの。

だからさ、最終的には、茂夫が出て行った奥さんにもう一度アタックするのかな、と思った。ていうか、それを期待した。そういう展開を期待するのは女、なのかなあ。
でもクライマックスは、茂夫は奥さんへの想いがつまったギターを捨てて、タテマエ上は息子のヨメになってくれとヘソンの新しいステイ先に直談判に行く。
慌てて追いかけたとおるから、とーちゃんがヘソンを好きなんだろ!と喝破され、とおるが拾い上げたギターでヘソンにヘッタクソなラブソングを聞かせる、という……。

この時にね、とおるは一世一代の漫画原稿を携えているのね。漫画家になると言いながらちっとも漫画を描かずに甘えているとおるにヘソンが激昂するシーンがあって、これはひとつのキーポイントになってるんだけど……。
入浴中のヘソンの着替えのパンツを手にとってしまうとおる、風呂上りのヘソンとのバトル、家族のいないヘソンが恵まれていることに甘んじているとおるに、マッコリ片手に激怒する、そこに町内会の集まりから帰ってきた茂夫、と。
いつもだらしない父親をクサしていたとおるが、ヘソンのパンツを手にしてて、さすがのピントがずれてる茂夫だって、息子の気持ちが判った筈で、でも自分も年甲斐もなくヘソンにホレてて……。

彼らが乗り込んだヘソンの新しいステイ先がね、親しげな感じを強調する不自然な二角スペースで、上品なティースタイルの食事で、隣にはアプライトピアノがいかにもハイソな家庭を記す風情で鎮座ましましてて、でもそんな構図だから、ヘソンはめっちゃ窮屈そうなの。
てか、見るからに窮屈だよな、配置は。それは、フツーに向き合って、ごはんとお味噌汁とヘソンお手製のキムチの食卓だった茂夫たちの食卓と比べて、距離はヘンに近いけど、近いだけに逆に気まずいの。

私、やっぱり女としては、ずっとギターを大切にしてきた、奥さんを忘れられずにいた茂夫に、ヘソンに触発される形で、行ってほしかったなあ、という気持ちがあったのかもしれない。
茂夫が、いつもどおりのどてら姿の、ひげ面の、何言ってるのかわかんないもやもや発音の茂夫が、表向きは息子の嫁に、ということで乗り込んで、とおるに言われて自分の恋心を笑うにも気の毒なほどに音痴にヘッタクソに歌い上げる姿に、笑うにも気の毒というより笑えなかったのは……そんな想いがあったからかもしれない。

判ってるよ、勿論、このブッサイク親子が(ゴメン!人のこと言えるか……)爆乳美人のヘソンにそろって恋して玉砕する滑稽さが愛しいってことぐらい。
でもね、やっぱり女としては何か、切ないよ。こんな可愛いおっさんを女だって可愛いなと思う気持ちがあるからこそ、ダメダメ甘やかされ息子でも、一世一代の漫画を描きあげた彼を愛しいと思うからこそ……。
まあ男にしても女にしても、身の程知らずにマドンナ、ヒーローに焦がれて玉砕する切なさなのだよね。

でも寅さんと違って、彼らは外に出て行ってないし、マドンナのほかにも彼らの魅力を認めている人がいないからなあ。
つまり、そこなのかもしれない。この物語はそこから始まる。ラストはそんな感慨を覚える。
とおるが「自分の周り一メートル以内」がまさにとーちゃんだとひらめいて描いた漫画は、とーちゃんのギターと歌と同じぐらい壊滅的にヘッタクソで、ヘソンがそうつぶやいて微笑んだけど、でも意外にヘタウマでイイかもしれない。

とにかく彼らは外に出て、歩き始めた。とおるはその前にとーちゃんを越えるんだと、一人で生活することも目指したけど、まあそれはとーちゃんとまず美味しいものでも食べに行ってからの話。
うん、とおるは多分、茂夫も多分、お互い、ずーっと一緒だよ(笑)。

何かふっと、そういう意味では「間宮兄弟」を思い出したりなんぞしたのは、森田監督が急逝したからであろうが……。
生活の基盤になる食事シーンに、外からの気持ちを持ち込んで意地を張ったり、はしゃいだり、と一番気持ちが出るあたりも、そんな感じがする。それって何か、子供みたいと思って、胸がキュンとなる。

成熟した大人なら、食事、食べるって、それこそエロであり、ヘソンとウォン君のエッチシーンが台所だっていうのもいかにも象徴してるんだけど、茂夫ととおるの親子はそこまで行ってないってあたりも、可愛くそして……切ないんだよなあ。
そういうサエない男同士って、その不思議な可愛らしさに、結構女は萌えてるんだよね。そのこと自体に男性自身が気づいていないのが、もったいない。モテない女にとっても、歯がゆい(爆)。 ★★★☆☆


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