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「く」


2012年鑑賞作品

苦役列車
2012年 113分 日本 カラー
監督:山下敦弘 脚本:いまおかしんじ
撮影:池内義浩 音楽:SHINCO
出演:森山未來 高良健吾 前田敦子 マキタスポーツ 田口トモロヲ


2012/7/17/火 劇場(丸の内TOEI)
あ、これってまずフィルムで撮ってるのか、どうりで、ってそこから入るか、私??
いやあ、さ。時代の、そして何より作品の空気感を出すためであろう、この懐かしい独特の暗さ、映画の暗さ、手触り感のある色調が、あ、そうかあ、今時珍しくフィルムで撮った(で、あとでデジタルデータ化)と聞けばなるほどと思ったから。
それは別に、いまだフィルムが普通であるピンク映画界の天才、いまおかしんじ氏が脚本だからってワケじゃないよね??こじつけすぎ……。

ていうか、そんな風に引き合いに出したくなるほど、いまおか脚本であることをタイトルクレジットで知ってえーっ!!と驚いたのだもの。
てゆーか私、情報なさすぎだろ。それにしてもビックリした。いまおかしんじと山下監督の顔合わせなんて、久々にワクワクするコラボレーション。
あ、もともと知り合いではあったんだ。それで今まで一緒に仕事したことがなかったのが不思議なほど、なんか、二人のどこかがしっくり来る。なんでだろうなあ。全然違うタイプとも思うのに。

てゆーか。山下監督はもうすっかり職人監督で、タイプとかなんとかいう、それこそタイプでもないのかもしれないけど、でもその中でもやっぱりこだわりはあるような気がする。
フィルムへのこだわりは、山下監督にもあったのかもしれない。前作「マイ・バック・ページ」は、もっと賞レース的に評価されてもいいような気がした。なんか不思議なぐらい、無視されてなかった?「ノルウェイの森」もあった松ケンは主演賞に当然推されると思っていたのに、ホント、無視されたようになっていたのが不思議でならない。死んだ人にあげたってしょうがないじゃん(爆。いやいや、それを言っちゃいけない!!)

でまあ、その「マイ・バック・ページ」も過去モノだったし、今回はその時代とはまた全く違う、浮かれたバブル期の物語だけど、そのバブル期に、バブルなんてどこの世界の話、という具合にビンボーまっしぐらの一人の青年の話な訳で。
あ、また現代じゃなく、ちょっと過去の物語なんだ……とちょっと思い、しかし前回で手慣れたものか、あるいはそれこそこの時代をしっくりと知っているいまおか脚本がいいのか、こういう過去モノにはどうしても感じる、ちょっとしたとってつけ感が全然、ないのね。
それこそいまおか脚本は、あるいは原作がそうなのかもしれないけど台詞の言い回しが独特、特に主人公の貫多の言い回しが文学的というかなんというか、ホントに独特なんだけど、なんかそれが不思議なチャームで味わい深いんだよなあ。

そうそう、ところで、これは芥川賞作品。で、作者の自伝的小説なんだという。すんません、賞作品とか、そもそもそうした旬なニュースとか全然チェックしてないんで、もう、私、ホント、ダメだな(爆)。
ただ、受賞の時にこの西村賢太氏がエキセントリックな会見をしたってことは、なんとなく耳の端に引っかかってて、うろ覚えな感じ。
そうか、あの時のあの人の、その小説なのか。この貫多が彼自身を投影しているとするならば、あのラスト、パンツいっちょで猛然と書き始める、それが彼の作家への第一歩なのかと思うと、すすす、スゲーと思う。

でね、どーんと元の論に戻るけど、そう、フィルム、そしてこの時代、暗い質感、山下監督の作品は「マイ・バック・ページ」の時にも思ったけど、こんなハデな公開形態でバーンと展開する感じじゃないなあ、と、スクリーンで対峙して改めて思って、だ、大丈夫なの、と。
正直この日もかなり客席ガラガラめで(爆)。なんかもったいないなあ、と思う。特に同じ公開日に当たってしまった、一本かぶり状態大決定らしいあの、かなりハデめの作品がそういう意味では対照的だからさ。
こういう作品はもっと大事に公開してほしかった気がするけど……そんなのは、それこそ劇中に出てくる、貫多が吐き捨てる、サブカルに判ったような口を利くクソ女子のたわごとだろうか(爆)。

確かにね、主人公は森山未來、セカチューでブレイクなんてことは、今はもう言うべきでもない若き演技派は「モテキ」で再ブレイク……なんて言うのも失礼に当たるか。
同じダメ男でも本作はもう見た目も汚いし、境遇は同情するけどそれに寄りかかって甘ったれだし、そのくせ強気で、他人をクソ呼ばわりするし、そもそもここから這い上がる気ゼロだし(だからラストのラストでね!)まあ、見事に見事に、ここまでやらなくてもいいよと思うぐらいの堕落男子。

そう、境遇は同情する……父親が性犯罪を犯し「ウィークエンダーって知ってる?それに出たんだ、オヤジ」そこからは近所から迫害され、一家離散、中卒以降、日雇い人足の毎日。
超安いボロ住まいの家賃さえも滞納しているのは、その稼ぎを食事時に酒をかっくらい、のぞき部屋からソープから風俗を渡り歩くから。
もうすっかり開き直って、土下座をすればすむと思っているあたりが冒頭からなんともイラッとくるダメ男。
そう、これだけ同情する境遇なのに、それを言い訳にしているからイラッとくるんである。

と、いうことを観客のこちとらが胸に抱えつつも、やはりそれをまっすぐには思えない。だって彼のような壮絶な境遇ではないし、少なくともその日暮らしの生活ではないから、彼の気持ちが所詮判らないと言われればそれまでだから。
でもそんなモヤモヤを、後に打ち砕いてくれるのが、それこそ貫多からそう喝破されてもおかしくない、キラキラ青年、正ニ。
そもそも日雇い現場のバスの中で最初に声をかけてきたのは、正二の方だった。

九州から出てきて専門学校に通っているという正二は、後にワンルームマンションに住んでいるという事実が発覚しなくとも、一見して貫多とは違うキラキラ青年なんである。
アルバイトとしてとはいえ、なんでこの日雇い人足の仕事を選んだのかといぶかしく思うぐらいである。
同学年ということで意気投合した正二に感化されたか、勤続が認められて、あったかいメシの食える社員食堂つきの倉庫番見習いに彼と共に昇格する貫多は、人生いい方向に向かい始めたように見えたのだが……。

正二を演じているのは高良君。映画ではトンがった役柄が多かったからこのキラキラ青年は意外だけど、朝ドラで市民権を得た、その柔らかなイメージでのつながりはある。
でもそれも、計算のうちかな。だってまったくの善人では、ないもん。善人……善人、悪人などと分けられるものは、ないけれど。
貫多だって、イラっとくるけど、メンドくさいけど、どつきたくなるけど、悪人かって言われたら、決してそうじゃない。でも、貫多にとって、恐らく初めて出来た友人である正二の“裏切り”は、悪人と言いたくなるほどのことだったかもしれず……。

だってさ、正二は、ただヤリたいヤリたいばかりの貫多をやんわりと制して、恋の道筋を作ってくれたり、借金の申し出に散々難色を示しながらも最終的には出してくれた。
とにかく徹底したビンボーを全うしている貫多に、呆れるを通り越して尊敬の念を抱いてくれたぐらいのお人だったんだもの。
そんな人、そんな同い年、今まで皆無に違いなかったでしょ。

初めて出来た友人、などというのは、推測だけど、“同学年”の見知らぬ相手から親しげに話しかけられた貫多の、あの慣れないぎこちない、しかし嬉しげな感じが、もう、めちゃめちゃ雰囲気出してるんだもの。

そう、貫多は恋をしているんである。フーゾク通いが板についてしまった貫多にとって、その思いの表現方法は「ヤラしてくれねえかなあ」しかないのだが、彼女の前に出ると途端にモジモジしてしまうその様は、まさにまさに、恋である。ひょっとして、初恋ではないかと思われるぐらいの初々しさである。
貫多は元カノの話を酒の席で得々と正二に披露しているけれど、「ジャガイモみたいな女。色々試せるかと思って」付き合っていたというんだから。

でも、判んないな。後にこの元カノと、のぞき部屋のオプションのおしゃぶりサービスで再会する場面があってさ、タダでやってもらえるかと帰り道待ち伏せし(こーゆーところがダメなのよ……)この元カノの今カレがコワモテで散々怖い目にあうのだが、なんかこん時の雰囲気でさ、このジャガイモみたいな彼女(そんなことない、エロティックで可愛い女の子なんだもん)に本気でホレてたんじゃないかって、いや絶対そうだろうと思うんだよなあ。

で、まあそう。今の恋よ。その恋の相手が、本作の客寄せパンダかと思われた前田敦子嬢だが、そんなことを思ったのは、実に失礼であった。
なんたって彼女は市川監督が抜擢し、璃子嬢と堂々渡りあったのだから、と「もしドラ」の時も言ってたな、私(爆)。
でもそう、それこそ「もしドラ」の時にはね、だからこそ、彼女が何か抑えた風に見えてね、それはAKBの同僚、みなみ嬢がすんごくはじけて可愛かった対照もあったんだけど、あの時の敦子嬢は、やっぱりなんだか、AKBの責任を思っていたような雰囲気があった。
まあ、あの作品自体、見るからにアイドル映画だったしなあ(爆)。

本作の彼女、そのキャラクターは映画オリジナルだという。そういう意味でも原作者がどう思うかも気になるし、それこそそれだけで客寄せパンダと思われかねない立ち位置だが、このキャラが原作にはないと聞くと、そりゃー、そのままじゃ映画として成立させるには難しかろうと思ってしまう。
と思ってしまうのは無論、このキャラなくして映画としての本作が成り立たないからであろうと思われる。

恐らくね、正二の彼女のサブカル女は、原作にも登場するんじゃないかと思うんだな。違ったらゴメン(爆)。
でもああいう感じ、いかにも時代を象徴してるじゃん。志望はマスコミ、マスコミってテレビとかじゃないよ、出版とかネ、なんてしたり顔で言う感じもいかにも。
イベントの司会に呼ばれたことも「うなづくだけだもん、大したことないよ」評論家や小説家の名前をぽんぽん口にのぼらせ、いい出会いがあるかもが口癖のような女の子。
一見して見るとハデな訳じゃなくトラディショナルな、真面目系オシャレみたいな感じも貫多にとってカチンときたのが、わ、判る、判るんだなー。
正二がそんな貫多の心持ちも理解出来ず、このイケてる彼女にすっかりゾッコンであることもね。

でまあ、そう。その正二の彼女と対照として現われる敦子嬢演じる康子。古本屋でバイトして学費を稼ぎ、お手製のお弁当を作って頑張ってる“苦学生”。
普段の貫多なら、これを“頑張ってる”とか“苦学生”とは決して、決っっして、言わないであろう。
それこそ康子が早稲田大学(多分そう言ってたと思うが)なんていういいトコの大学に行ってるだけで、スカした女だと吐いて捨てるだろう。
でも、彼は彼女に恋をしてしまった。いつもいつも、店の窓から覗き見ることしか出来なかったのだけれど、正二の助けを借りて、“友達”になることが出来た。

“友達”を承諾した時点で、この彼女が意外にしたたかであること、見た目の純朴さ以上に何もかも知っていることに、気づくべきだったのかもしれない。
貫多は正二やその彼女に対して、世田谷や杉並に住みたがるのは田舎モノの証拠だとか、江戸っ子、地元っ子である自負を言いたがり、それこそが都会人の証のように言うけど、地元っ子であることと、都会人……というか、大人の人間であることは、違うんだよな。
まあ確かにね、康子が遠距離恋愛の、地元の先輩を彼氏に持っていることを知ってからは、自分が康子とヤリたいことプラス、彼女もヤリたいに違いない、みたいな思考は発生したさ。でもそれも、どうだろ、どうなんだろ……。

康子の部屋に押しかけたシーン、印象的なシークエンスがある。四つんばいになって本を探すそのお尻に欲情した貫多は、すわ押し倒そうかとしたところに、壁の薄い隣の部屋から聞こえてくる寝たきりおじいさんのうめき声。
もれそうだと訴えるおじいさんを見かねて、布団をめくって尿瓶をあてる康子。止まらないおしっこに思わず笑い声を上げ、止まらない、と彼女の笑いも止まらない。
呆然と見守る貫多のみならず、アイドルの彼女のファンにとっては結構ショックかもしれない。

康子を忘れられない貫多がどしゃぶりの中彼女を訪ね、トモダチ、を強調されてキレ、キスし、押し倒し、泥水の中取っ組み合い?になるなんて、それこそ、ねえ。

それ以前に、貫多、正二との三人での海のシーン、パンツいっちょで冬の海に飛び込んでいく二人を笑いながら見ている彼女が、康子ちゃんもおいでよ!と言われて、えー??と躊躇するから、これは、彼女はアイドルだし、行かねーだろ、と思ったら、えーい!とセーターを脱ぎだしたからビックリ!
まあスリップ姿にとどまったとはいえ、波間にめくれて純白なショーツがあらわになるのは、今の彼女の立場としては、かなりじゃないの!いやー、目にまぶしいよ!

てかね、それこそ貫多が、康子ちゃんもヤリたくて仕方ない筈だと妄想したり、そもそも彼女が「タイクツでしょうがない!」と彼ら、つまり男二人を従えてポーンと遊びに出かけたりするのがね、そして何よりあの海のシーン、あるいは彼女に遠距離の彼氏がいること……、一人の女の子、いや、女としてのモヤモヤを感じさせて、それが敦子嬢だからというのもあって、ドキドキするんだよなあ!

今回はこの程度に収まっているけど、収めているけど、彼女、実ははじける準備マンタンなんじゃないかという気がする。
自分は女優、歌手とは思ってないとかいう発言がバッシングされたりしてたみたいだけど(つまんない話だよなー)、それだけ言うだけの、自負があったんだろうし、なんかねえ、早く彼女が本格的にはじけるのを見たい!と思ったなあ。

そう、この康子は映画オリジナルのキャラクター。しかも“脚本家の実体験を基に創られた”おいおい、いまおかさーん!そ、そうなんだ……。
でもなんだか、判る気がするなあ。いまおか脚本だと知って、その痕跡をついつい探しながら見てしまっていたけれど、そして特に、ラストにつながる時空を超えたファンタジックな感じはいまおか風と思ったけど、そうか、康子ちゃんの造形こそが、そうだったのか!!
思えば、貫多は、バブルの浮かれた時代から取り残されたようにビンボーで、その時点でなにか時代を超越してるけれど、友達になる気のいい正二が、こぎれいなファッションといいいかにも80年代でね。

康子ちゃんも確かに80年代ファッション、ヘアスタイル、なんだけど、あの当時の女の子のファッション、特に康子ちゃんが選択するファッションは、後に登場する正二の彼女のトラディショナルとは違って、よく言えば可憐、悪く言えばやぼったい方向だからさ。
そして働いているのは古本屋、貫多とは本を通じて意気投合、なんか、なんともさ、時代を超越してる、いまおか氏の実体験と聞くと、ああ、なんと甘酸っぱい、かも!と夢想しちゃう!
でもきっと、いつの時代もこんな女の子はいて、その内実は見た目ほどに純粋可憐じゃなくて、「トモダチじゃダメなの?」と男を振り回して、勝手に傷ついて去っていくのだろう。嗚呼。

最終的に貫多を動かすのは、正二でも康子ちゃんでもないんである。職場の先輩で、やたら、若者は夢を持て!と諭してきたウザいオッサン。
俺は歌が上手いから、かつてはスカウトされたんだとか自慢話するし、工場に隣接したこんな汚い海で、とても食えそうにないカラス貝拾って意気揚々としたり、なんか、なんともウザくて。
だから貫多はバカにしてたのだ。あからさまに、挑発して、正二にたしなめられてた。
でもね、後から思えば、波風立たぬよう、事なかれ主義に、平和的に収めようとしていた正二より、この時くってかかって、ケンカになって、真の意味でこのオッサンの苦悩を受け入れることになった貫多こそが、まっとうな人間だったのかもしれない、って、思うのだ。

オッサンは、せっかく倉庫番に昇格になったのに、事故にあって、足の指を切断してしまう。
若い頃に歌が上手くてスカウトされた、でも女に子供が出来て断念した、という話を自慢げにしていた彼、その日暮らしの彼が、どうやってこの後生活していくのか。
会社からの慰労金だか退職金だか手切れ金だか、スズメの涙のような封筒を携えて、待ち合わせのカラオケスナックでオッサンと気まずく応対する貫多。
ヘタヘタな歌を聞かせている客を蹴散らして、オッサンは見事なノドで「襟裳岬」を披露する。それは、そう、自慢していた通り、見事な見事なノド。
でも、もう歌手の夢を追うにはキツい年齢だろう、ここでほろ苦く思わせて終わりだろう、と思っていたら!!

貫多、更に三年後である。唯一の友達の正二からも付き合えないと突き放され、康子ちゃんにはフラれ、三年後の彼はまたしても引っ越すと言ってる。また家賃をためたのか。
でもいつもの定食屋でつけられていたテレビ、勝ち抜き番組。あのオッサンが出てる。二週目の挑戦、ギターを抱え、ハリボテの仲間人形を背負い、たった一人、たった一人、歌ってる。
その見事なノドは、カラオケスナックで聞かせたのとは違う、こぶしをころがすんじゃなくて、ストレートに魂をぶつけるロック!貫多は、いや観客も、クギ付けになる。
アダルト巨乳タレントの番組に替えようとするチンピラとケンカになる。いかにもケンカ強そうな二人を相手に無謀である。ボコボコである。

カットが替わり、貫多はパンツいっちょで走ってる。オーオーー!!と走ってる。
突然はまりこんだ落とし穴、空からゴミ捨て場にドボン。おばちゃんが玄関先を掃除しているボロアパート、最初に暮らしていたトコじゃないの?
家賃を催促するおばちゃんを受け流して猛然と自分の部屋に突進、机代わりのビールケースの上のガラクタをザザーッとのけて、ごみための中から原稿用紙?あるいはただのさら紙かもしれない、あえて接写しない、とにかく取り出して、猛然と書き出す。

あのおっちゃんに会社の金を渡しに行った時、自分は本を読むのが唯一の楽しみだと。何か書きたいんだと言った。
正二にも康子ちゃんにも、元カノにも、恐らく誰にも言わなかったのに、あのおっちゃんに、言った。
唯一の楽しみ、貫多が実際本を読んでいる描写はほとんどないんだよね。だから康子ちゃんにそう言う時も、フリなのかと思うぐらい。
それはもしかしたら、貫多自身が、“唯一の楽しみ”つまらないことだと、自分の人生と同じように卑下していたからなのかもしれない、と思う。

三年後、ぱんついっちょで髪も伸び放題で帰ってきたきったない部屋も、その埋め尽くされたものはゴミではなく、本、本、本。
文庫本がほとんどなのが物悲しいけど(ま、私もだけど)、でも、本、なのだよ。本がいつでも、彼の人生の悲劇の最初から救っていたことに、もっと早く気づいていたら。
いや、いつ気づいてもいいのか。だって私だって、ずっとずっと本に、救われていたのに。映画よりもっともっと先に、本に救われていたのに。 ★★★★☆


くそガキの告白
2011年 94分 日本 カラー
監督:鈴木太一 脚本:鈴木太一
撮影:福田陽平 音楽:佐藤和郎 八澤勉
出演:今野浩喜 田代さやか 辻岡正人 今井りか 仲川遥香 北山ひろし 高橋健一 石井トミコ 片山亨 樋口史 太田正一 松木大輔 國田一成 森本73子 鈴木雄貴 平野舞 根岸憲一

2012/7/11/水 劇場(テアトル新宿/モーニング)
本作は墨田区(&埼玉県北本市)のご当地映画って、えっ、そうなの?墨田区民なのにそんなこと、全然知らなかったよ!
まあロケだらけの東京なんてそんなもんかとも思うが、がしかし、これがご当地映画の第三弾で、そんな企画があったこと自体、知らん知らん!

もうさ、この映画に足を運んだのは、本当に休日と時間があったから、もうそれだけでさ。通常はレイトショー公開の本作が、水曜日にはモーニングもやってたから、休市日だったから。最近はとみにレイトショーを観るのはキツく、観たいと思ってもなかなか足を運べてないのが現状だったし。
んでもって私、ちょっと覗いてみたいお弁当屋さんがあって、その沿線上の朝イチの映画を探してて、ってまあそんなことはどうでもいいんだけど!でもさ、でもでもでも、この出会い、映画はまさしく出会い、それに心底感謝!

いやあさ、その前日に、ザ・商業映画って感じの映画を観てさ、それがなんとも不発で、なんかガックリしてたもんだから。
製作形態も配給形態も、勿論作品のタイプも全くちがうこの映画に出会えて、これぞ拾い物、拾い物とはこのことだ、拾ったーっ!!と思って、なんとも嬉しくてさあ。

この主人公が監督自身を投影してて、つまり自伝的な要素があって、まさしく本作で長編デビューを飾ったとなれば、その自伝的要素は生々しく迫って来る訳でさ。
こおんな、自我ばっかり強いダメ男、サイアク!ブサイクなのはおいといても!とか前半ではすっかりノセられてイラッとしてたからさ。そうかー、自伝的要素、そうかそうか(笑)。

でもね、でもでも、好きになっちゃうの、好きになっちゃったなあ、キンコメの今野君。ブサイクというより妖怪フェイスの(爆。ゴメン!でも最高だよ、それって!)彼。
ニートだし、口ばっかりで態度デカいし、母親に暴力……まではいかないけどとにかく高圧的だし(ま、母親は息子よりずーっと強いんだけどね!)。
ほんっと、ホンットサイアクなヤツなんだけど、なんかうっかり、うっかり純情なラストに突入して、それこそラストシーンなんて、やべえ、今野君、ホレそーになっちゃうよ!

それはつまり、この監督さんにホレこんだということだろーな。今後どんな映画を撮っていくのかは知らんけど、挫折要素みたいに書かれたホラー作品の経歴が本作に見事に生かされてて、てゆーか、かなり破天荒っつーか、ムチャクチャな活かされ方なんだけど(爆)。
その怖さと青春(大分遅れてきた、ね!)の熱さと純情さが、もうハチャメチャミックスされて最後にはどーんとやられる!みたいな!
あー、なんか私、何を言ってるのか判らなくなってきた。なんかとにかく、とんでもないもの、そしてとんでもなく愛しいものを見ちゃった!という感じなのよ。

結構、シネフィル的な感覚も見え隠れするのよ。一目ぼれしちゃった女の子のベストショットを8ミリフィルムで収めるノスタルジックな映像とか、そこに至るまでのクライマックスなんてえっらい長回しだし。
長回しに陶酔するようなオタク系作家、めっちゃ苦手なんだけど(爆)、これは見事だった。なんたって今野君が……あーあーあー、もう、先走りすぎだよ。何がなんだか判らないうちにクライマックスまで行くなっ、もう。

あーもう、あーもう、どこから行こう……とにかくひとつ言いたいのは、主役を任されたキンコメの今野君が素晴らしいこと。芝居をしている彼は「ちょんまげぷりん」で初めて見て今回が二回目だけど、その最初の時から、そのキャラに本気でイラッとくる、つまり達者ぶりを印象付けられていた。
本作で、マジでスゲーと思った!!芸人さんって時に、ビックリするような役者っぷりを見せる人が出てくるけど、これまでで一番オドロキの才人かもしれない、気がする。

いやね、基本、まくしたてる場面なんかは……特にヒロインに対してビッチ、ビッチ!お前はビッチだ!とかヒデーことまくしたてて、その邪悪さっぷりったらないんだけど、でもヒロインが泣き出して、途端にうろたえて、いや、ビッチ、じゃなくて、ピーチ……桃、モモコちゃんだから!なんて苦しいにもほどがある転換するあたり、芸人さん、それもコント芸人(なんたってキングオブコントのチャンプだからねー)の上手さも確かに感じはするんだけどさ。
でもやっぱりやっぱり、役者、だよなあ。なんていうか、集中力の凄さを感じる。ホレちゃったがために猪突猛進するヒロインに対してもそうだし、学生時代の映画仲間とケンカするシーンも、母親とのシーンも、そして何よりクライマックスの……ああっ。

あーもう、また先走り。どうしたらいいの。なんか好きすぎるかも、この映画(照)。えーと、とにかく概略から行こう。これがまた破天荒すぎるんだけどさ。
今野君扮する馬場大輔は、大学時代の友人の映画製作の現場でメイキングを担当しているけど、もう冒頭から、“オレをバカにした奴らに見せる自殺映像”と撮ろうとしてる訳。ブサイクな俺をみんなバカにして、と。
この時にはそういうシリアスな物語なのかと思ってヒヤリとするけど、そんなタマじゃないよなあ。まあ確かに自分のブサイクを全てのせいにしているけれども。
でも、どうだろう。後から考えると、この冒頭がひょっとしたらマジだったかもとも思わなくもない。クライマックスで、彼は追い詰められて、自宅のベランダ(なんていいもんじゃないな、物干し台)から身をひるがえすんだもの。まあ低すぎたこともあってか、事なきを得るんだけど。

どうも先に先に行ってしまう。好きな映画ほど、そうなる。どうしよう(爆)。
で、どこまで行ったんだっけ。あ、そうそう、自殺しようとしていたところに、突然現われたエキストラの女の子。そのゾンビメイクにギョッとするけど、てあたりがまた後々の伏線的にも上手いのだが、ここで言っちゃうとまた脱線するから(爆)。
彼女は本作のヒロイン、桃子。同じ事務所で親友の女の子が主演を張る映画に、ゾンビ1みたいな役柄でようやく出ている有様の、セーラー服姿ではあるが、もう20代も半ばの、つまり賞味期限が早い女性タレント世界ではなかなか厳しいお年頃。
っていうのは後に示されることで、この場面では突然大輔に話しかけてきた運命の相手。だけどこの時にはホラーメイクでコワいんだけど。
彼に、よりコワい演技をつけてもらって、現場で納得いくカットが撮れた彼女だけれど、主役を演じている親友と打ち合わせている監督に視線を投げる意味ありげなショット。

その監督、イケメン男子は大輔の大学時代、映研時代からの友人である。同窓会のシーンで、「俺には世界観があるから」と大学時代からいっかな映画を撮ろうとしない大輔に、他の皆はまた言ってるよ、と失笑気味。まー、そりゃそうだわな。世界観って、撮ってもないのになんだよそれ、ぷぷっ、てなもんだものさ。
大輔の席が調味料置いた奥の、お誕生日席だけどメッチャ追いやられてる感じが、大輔を仲間たちがどう思ってるか、物語ってるんだもん。

でも、ただ一人、くってかかる友人がいた。その友人と、この監督はきっと、言いたいことは同じなんだと思う。映画が好きならなりふりかまわずやれよ、と。世界観?それってなんだよ、それが判ってるんなら、撮ってみろよ、と。
大輔のことをこの二人以外は、言っちゃえばケーベツしてるから、失笑するばかりなんだけど、イケメン監督の彼と、この時ケンカになった友人は、大輔を気にかけているから……。
いや、ケンカになった友人は、親元でノーノーとしながらそれなりに映画の現場にいられる大輔をうらやむ気持ちがあったから、かなあ。

そう、大輔は恵まれてるんだよな。自分自身は苦悩しているのかもしれないけど……。
で、思わぬチャンスがやってくる。撮影現場でノイズ映像と共に入っていた笑い声、プロデューサーは盛り上がって、ホラードキュメンタリーを一緒に撮って同時公開しようと言い出す。
その製作に「お前、ヒマだろ」とメイキングの大輔が抜擢された。当初大輔は、またまた世界観がどうのとやる気ゼロで、せっかくのチャンスなのにと友人のイケメン監督は呆れ気味だった。
だけど、あの撮影現場で出会った桃子をつい追いかけていたメイキング映像で、彼女がパニックに陥っていたことから、その糸口を言い訳に大輔はこの仕事を引き受け、口うるさく言われていた母親にも意気揚々と「明日から仕事するよ!」と胸を張るんである。

自宅に突撃してリアルな映像を撮る筈が「女の子の部屋に突然来ちゃ、ダメですよ」とラブリーなパジャマ姿で言われちゃあっさり撃沈、ニヤニヤしながらアパートの入り口で待っている大輔を、おでぶな小学生が不審げに見てるのが可笑しい。「俺が何してると思う。女を待ってるんだよ」どんだけ得意げ!
オシャレして出てきた桃子のインタビューは、ホラーのドキュメンタリーとは程遠い、単なるグラビアアイドルのPVと化してるし!すべり台やらシーソーで遊んでるし!ダメダメ〜。

でも「お腹すきません?私昨日、肉じゃがいっぱい作っちゃって……」という、肉じゃがというアイテムからしてヒヤリとするぐらいベタすぎる誘い水は、実は真の恐怖への一歩なのであった。
肉じゃがを狂ったように口に運び始めた桃子は、とりつかれたように叫びだす。うろたえながらもその映像をばっちり捉えた大輔は、映画監督への第一歩を……と思いきや、「俺が桃子を救います」オイー。

でも、実際実際、最終的には、そうなったのかもしれない。そうかもしれない。
いやー、さ。マジにホラー的な展開になるのには、マジビックリなのよ。大輔のメイキングに映っていた、撮影している背後で、廃屋のはしごを上っていく桃子。何気なく登っていくその様が、繰り返されるとえれー怖いの!
そして大輔がそこに再訪してみると、真っ黒な重たい髪の、雪白の肌の女子高生が現われて、恋を成就するおまじない、というより呪いの占いとしか思えないものを教えてくれる。

天井から無数につるされた赤いてるてるぼうずは、中に好きな人の名前が書かれ、針で刺して滴らせた自分の血をしみこませたもの。うげげっ。
しかもその、まるでこの世のものとも思われない女子高生は、「もう好きじゃない人のてるてるぼうずは、燃やさなきゃいけないの」とこともなげに言って、火の中に投じる。
そ、それは、恋多き女の子というより、好きじゃなくなったその相手はど、どうなったの、と思わせる怖さ。ゾゾー!!

こんな具合に、ホラー要素がうっかり?本格的だから、かなり動揺しちゃう。だってさ、だって、撮影フィルムのノイズや笑い声、狂気に陥る桃子の様は、マジに手抜きナシなんだもん!だからこそ、それが純愛に収束していくのがホンットに驚きなの!
大輔は、桃子が作った赤いてるてるぼうずの中に、あの友人のイケメン監督の名が記されていたことに愕然とし、彼女の元へとつめよる訳。
桃子が、この監督の学生時代に撮った作品に感動して女優の夢を持ったと聞いた時の大輔の、今野君のキレっぷりは、最高、というか、最悪、というか、とにかくもう、圧倒される。

監督主演を務めたその作品がラブストーリーだったこともあって、明らかに嫉妬まるだしにこき下ろす、というか、罵倒する、というか、クソミソ、というか、もうそんな言葉がみんな甘ったるいほどに攻撃する大輔、いやいやアンタ、そういうアンタは何も撮ってないじゃん!と口を挟む隙すらない。
桃子が泣き出すと、急にうろたえて、いや、あれはいい映画だよな、賞もとったし……と急に言い出す情けなさ。ああー、もう……あのね。もうこのあたりからちょっとずつ、このサイテーサイアクな大輔のこと、うっかり好きになり始めちゃってるんだよな。

彼は自分が出来てないことが判ってる、それが見えてきてるからかもしれない。でもやっぱりやっぱり自分の見てくれのせいにしてさ、この場から飛び出しても、母親に「こんな顔に産んだお前のせいだ!」とかサイテーなこと言ってさ、「情けない!」って泣かれてさ。
そりゃそうだよ、でもそれを彼だって、判ってるハズ、ブサイクなせいじゃない、って。ていうか、めっちゃ魅力的な顔なのにさ!
で、彼、もう追い詰められちゃって、物干し台から飛び降りて、母親、ギャー!と叫んで、額から流血もしてるんだけど、でも、ムクリと起き上がる。
そして、まるでつきものが落ちたかのように「行って来ます」と母親にサワヤカに告げて、プロレスマスクをかぶり、イケメン監督を呼び出して、桃子のアパートに向う訳。

桃子が、もうウダツあがらなまくりの彼女が、事務所の社長に辞めます!と言ったら「彼氏でも出来た?確かにもう限界だったかもね。30前に気づいて良かったじゃん。おめでとう!」と、もう一語一語トゲトゲなこと言われてさ。
恐らくこの時、全てのタガが外れてしまったんだと思う。ピンポーンと鳴ったのが大輔かと思いきや、桃子の親友であるあの映画のヒロインの女優。
事務所を辞めると言い出した桃子を友達よろしく止めようとやってきたのが逆効果、激昂した桃子はあの発作に襲われ、鏡の中で狂ったように笑い出した。
その自分に驚愕するショットは、お定まりだけど、相当コワい!一体この映画、ホラーなの、青春映画なの、純愛映画なの、なんなの!!

純愛映画、だと、思いたいなあ。青春でもあるだろうけれど。相当、遅れてきた青春。
大輔があのてるてるぼうずのことを責めた時、桃子から告白の見本を見せろと言われて、自分だって告白したことなんかない、と情けなく詰まってしまった彼がね、プロレスマスクで自分を隠して乗り込んできて、でもマスクを外して、桃子のことが好きなんだと、桃子の映画を撮りたいと、撮りたい映画が見つかった、と“告白”するのさあ。もう、キュンキュンで、既にこの時点で今野君のこと好きになっちゃいそうなのさあ。

更にこの後が重要なんだけど……。でね、ある意味照れ隠しで自分の発言を隠すようにして、桃子に、イケメン監督への告白を促す訳。桃子の狂気、発作は、好きな相手や友達への溜め込んだ思いのせいだから、って。
確かに赤いてるてるぼうずを作っていた桃子は恐ろしいし、好きな相手に好きと言えない思いも狂気の一端だとは思うけど、でもやっぱり桃子の狂気は、親友であるヒロイン女優に向けた、溜まった思いの方が強い気がするなあ。でも確かにそれだけだと、女としてコワ過ぎるけど……。

まあともかく、ここからが素晴らしいの。超、超、クライマックス、なの!!イケメン監督もヒロイン女優も気を利かせて辞した。大輔が見つけた、撮りたい映画、桃子を起用して撮りたい映画を、こともあろうに(爆)この場で撮ろうとする!
彼が恥ずかしげに告白した「女の子が、キスした後に恥ずかしそうにしている顔が、一番可愛い」そんな経験もないのに、である(爆)。
こっからの、いやそれ以前からだけど、とにかく尋常じゃない長回し、こんな緊迫感と、盛り上がりと、胸キュンと、驚きと、怒りと、もう全ての感情が入り混じった長回しは、見たことないよ。
後から思い返しても、やっぱりやっぱり、カット割ってない、よね??凄いよ、二人とも、凄い!!

一本も映画を撮ったこともないくせに、女優として臨む姿勢を厳しく指導する大輔の、今野君のおっそろしさ。つまり、このブサイクに本気になれと。うう、そんなそんな、メッチャ、チャーミングだよ、今野君……。
でもねでもね、そのやりとりのスリリング、そして何より、自分を卑下して(爆)犠牲にして(爆爆)、桃子の“女優”を引き出す大輔の、今野君の、非情とも言える“監督”“演出”っぷりに、心がかき乱されまくるのよ!!
もんどりうち、絡みまくり、ディープなキスをかましまくる二人にめっちゃドキドキし、大輔“監督”が“演出”してると判ってても、本気のように思っちゃってドキドキしまくる。

そして、“あの瞬間”が来る。それまでも、唇を離した後に何度も8ミリ(学生時代の!)をカタカタと音をさせて構えていた大輔。それまでは、違う、違う!!と桃子に怒りまくっていたのに、このクライマックスのラスト、黙ってフィルムを回し続けた。
8ミリの懐かしい質感のフィルムの中で、視線を外し、合わせ、外し、微笑みかけ、戻し、また微笑む、その“恥ずかしがってる”以上の、余韻ありまくりの桃色の色っぽさ、うわー、うわー!うわー!!!これだけで、これ一発だけで、もうオッケー、大オッケー!!

そう、これだけでオッケーだったけど、ラストクレジットの更にラストはチャーミングな大ラストだった。
会心の出来の“キスの後の恥ずかしそうな女の子”の映像、マジでそれだけ?主演の桃子の名前と、監督の大輔の名前。ホラードキュメンタリーを撮らせてるハズだったプロデューサー、はあ?って顔で大輔を見る。
てへっ、やっぱ、ダメっすか、と悪びれない大輔=今野君のブサイク表情のなんというチャーミングなこと!ホレた、ホレた、ホレとぅあーっ!!

あー、ホント、こういう映画に出会うとホントに幸福。本当にドキドキしたし、ワクワクした。何コイツ、訳判らん!えーっ、何が起こるの、ちょっと待って、そんな展開アリ!? そんな原始的な気持ちで見られる映画って、実は実は、そうはないのさ!
そうか、墨田区……建設途中のスカイツリーは確かに映ってた。まあ今や、そのことはどうでもいいや(爆)。
今野君は、芸人出身の役者の中でも、トンでもない才能の持ち主かもしれん。凄いよ、本当に凄いと思う。今後が楽しみ、てか、コワい!★★★★★


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