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「う」


2012年鑑賞作品

ヴァンパイア/Vampire
2011年 119分 アメリカ=カナダ=日本 カラー
監督:岩井俊二 脚本:岩井俊二
撮影:岩井俊二 音楽:岩井俊二
出演:ケビン・ゼガーズ ケイシャ・キャッスル=ヒューズ /蒼井優/アデレイド・クレメンス/トレバー・モーガン/アマンダ・プラマー/クリスティン・クルック/レイチェル・リー・クック


2012/9/28/金 劇場(渋谷シネマライズ)
えー、岩井監督、そんなに撮ってなかったっけ、何してたの今まで、などと思い、そうか、最近はプロデュース業の方が忙しいのか、とバイオグラフィーをつらつらと眺めながら思う。
ヒットしたか否かはともかく、プロデュース作品が必ずしも成功したとは思えないなあ(汗)などと思い、やっぱり彼自身が撮らなくちゃ、と思う。プロデュース作品の中のあるひとつなんて、岩井作品のコピーみたいに見た目ソックリだったけど、ホントに見た目だけでひたすらガックリきた覚えがあったっけ。

まあそんなことはどうでもいいんだけど……なんでそんなに撮らなかったのかなあと(短いものは撮ってたみたいだけど)考えて、ふと思った。
本作は、「花とアリス」以来の長編だという。「花とアリス」は岩井作品を支えてきたカメラマン、篠田昇と仕事をした最後の作品だったのだよね。
あの画を、岩井印とも言えるあの画を、篠田氏以外が担えるとはとても思えなかった。それ以来ふっつりと作品を発表しなくなった岩井監督を、そういえばしばらくの間ちょっと気にしていたっけ。忘れてたけど(爆)。

で、篠田監督の代わりに誰が抜擢されたのかと思ったら、なんとシネマトグラフィーbyイワイシュンジなもんだから、ビックリとした。それどころか、音楽まで手がけて、脚本、編集は勿論、プロデュースも自分自身、岩井俊二の名前がこれでもかとクレジットされる、言ってしまえばワンマン映画の形態をなしていることに驚く。
えー、そういうタイプだっけ、岩井監督って……なんかまるで塚本作品の塚本オンリースタッフクレジットを見ているかのようである(その塚本監督だって、最新作では相棒との協力体制をしいたのに!)。音楽もやる人だったんだ……。

あ、でも「花とアリス」も岩井監督自身が音楽だったんだ、そうだっけ、全然気にしてなかった(爆)。なんにせよ、やはり驚きなのはカメラが岩井監督自身だということで、しかもそれが、まるで篠田監督が乗り移ったかのように、その色合い、手触りが、そのまんま、岩井作品に熱狂してきた、そのまんま、なんだもの。なんかちょっと……ゾワッとするものを感じる。
考えてみれば、監督なんだから、カメラマンにこう、と指示して出来上がるんだから、彼がカメラマンに回った時にそうなるのは決しておかしくはないんだけど、なんかちょっと、ゾワッとしちゃったんである。

で、まあなかなか中身にいけないけれども(爆)。で、そんなにも待たされた新作が、海外制作だってことにもまたまた驚く。ええ、なんで!?なんでってこともないのかもしれないが……。海外映画祭の審査員やったりした流れのコネクションが働いて、なんだろうか。
キャストとしてはまあそこそこのネームバリューといった感じでなんとなくビミョーだけど(爆)、アマンダ・プラマーしか名前に聞き覚えがない、のは、最近の映画をちゃんとチェックしてないからだな(爆)。

それにしても岩井俊二がヴァンパイア映画などという、まあいわば擦り切れた題材を撮ること自体ちょっとオドロキだったけど。だからこそどう料理するんだろうという興味はあった。
吸血鬼である自分に罪悪感を持っている彼、サイモンは、出来る限り罪なき人に迷惑をかけず、恐怖や痛さを感じさせず、しかも一番究極なトコは、自分が吸血鬼だということを最期まで気づかせず、ということに腐心する。
なんかこれだけ聞いてるとギャグみたいだが、彼も、作品自体も至極真剣、大真面目。
ていう基本なもんだから、サイモンは自殺志願者が集うサイトに紛れ込み、自身も志願者のように振舞って本気で死にたがっている人を探し、その相手に苦痛のないように死に至らせ、いや何より大事なのは、キレイに血を抜き取り、摂取すること、なんである。

後から思えば確かに彼は、いつも若い女の子の血ばかり抜き取ろうとしている。そして改めてクラシックな吸血鬼映画を思えば、セクシーなヴァンパイアが美女のフレッシュな血を求めるんである。
しかしてここではサイモンは大してセクシーでもない、平凡な高校の生物教師であり、彼がターゲットにするのは確かに若い女の子だけど、ごくごく平凡な、どころか、自殺したいと思いつめるほど人生に絶望するような、ネガティブ度が増し増した女の子たちなんである。
だけどサイモンは、彼女たちを丁重に扱う。いや、誰かに見られるんじゃないかとビクビクはしているあたりがヘタレだけど(爆)。とりあえず丁重は、丁重である。

生物教師らしく、血を抜き取るボトルに献血のような注射針がチューブにつながれていて、手慣れた様子で両手両足に刺し込み、ご丁寧にも睡眠薬でより苦痛を減らし、致死量に達するまで血を抜き取る。
そしてその血を、飢えに飢えた彼は、待ちきれずにゴクゴクと飲み干す。しかし、現場を離れる途中、ガマンしきれず、吐いてしまう。それは緊張のせいなのか、あるいは“生き血”じゃないせいなのか。

そうなんだよね。私らがイメージする吸血鬼はさ、首筋の頚動脈にガブリと噛み付いて、生き血をすする、恐ろしくも蠱惑的な印象。しかしそれは確かに相当痛そうで、サイモンのような見た目からして草食系は出来そうもない(爆)。
彼が吐いてしまうのはやはりフレッシュじゃないせいなのかなあと、後に彼が「首から飲んだことはないんだ……」と心を許した女の子に告白し、首に噛み付かせてくれないかと頼み込む。やはりその欲求はある、というスタンスは基本にあるらしい。

しかしね、ここで我ら一般民衆の吸血鬼に対するいろんな疑問が噴出する。吸血鬼が血を頂いた相手は吸血鬼になる、とか、この心を許した女の子から「これからは、血がほしくなったら私の血をあげるから、人を殺さないで」という台詞と、そもそも彼が血を頂く手法とを上手くかけあわせると、何も相手は死ななくてもいいんちゃう、という単純なる疑問。
今までのヴァンパイア映画はそんなことに頓着したらロマンチシズムが失われるとばかりに、触れることさえしなかったけど、ずっと、ずっと、ずーっと、疑問に思ってたのよ、実はね。

てゆーか、そんなところに頓着してたら、この作品に対峙する態度として思いっきり違うような気がするけど……(爆)。
うー、でもさ、まさにその疑問を代弁するかのようなアホ男が現われるじゃん。自分が吸血鬼だと思い込んでるのか、吸血鬼に憧れている単なる変態か、まあどっちもって感じの男がサイモンに近づいて、どんな風にヤルんだよ、オレはこんな具合だよ、と、タクシーの運転手に化けてキャッチした客の女性の頭にビニールをかぶせて窒息させ、瀕死の状態でレイプし、首筋にガブリと噛み付き御満悦。さ、サイアク……。
秘密を握られたとはいえサイモンも憮然と、お前はただのヘンタイだ、と斬って捨てるが、ソイツは口元を血だらけにしながら、きょとんとした様子で、あんたもだろ、と返し、サイモンは絶句するばかりなんである……。

ところでね、そう、そうそう、唯一名前に覚えのあったアマンダ・プラマーは、そうか、もうそのぐらいの年齢だよね、サイモンの母親役。
アルツハイマーにおかされている彼女は、息子のサイモンがたった一人の身内なのか、徘徊を恐れる彼によって閉じ込められていて、その状況を見に警察がやってくるんである。
閉じ込めてはいても、この装具のために軽く自由に感じる筈だと、母親が装着している、大きな風船が無数につながれた様子を示し、試着さえさせ、なんとそれで警官を納得させるんである。
……まあ、吸血鬼と言う時点で充分にファンタジックだけど、自殺サイトなんていうあたりは現代のリアルさもあるのに、風船を沢山つけて、レースびらびらのオトメチックな衣装を身につけている母親は、……異様なファンタジック。誰も迎えに来ないまま年をとってしまったシンデレラか白雪姫かといった痛ましさ。

そもそも吸血鬼に母親がいるんだろうかとぼんやりと考える。母親のダンナが吸血鬼だったんだろうか。そもそも吸血鬼は血を受け継ぐものなのか。何千年も生き続ける、前にも後ろにもつながりなどない、孤独の存在ではないのか。
ボケきってしまった母親が息子のこともなんにも語らないという設定で終わってしまうのは、そんな古臭い吸血鬼伝説に侵されたトッショリにとってはうーん、と思ってしまう。

サイモンにはやたら言い寄ってくる積極的な女の子がいて、それは先述の、母親を監禁してるんじゃないかという疑いの元に訪れた警官の妹なんだけどね。
夕食作ったげる、と突撃したり、合鍵ちょうだいよ、と言ってみたり(てか、管理人にムリヤリ開けさせてるし!)、ここに来た女の子いるの?なんて母親に聞いてみたり、なんかさ、日本の恋愛モノにいかにもいそうな女の子でさ、こんな子、カナダにもいるの?などと素朴なギモン。
食材下げて夕食作ったげる、が一番日本クサくて違和感あったなあ。だってこういうの、女の子が男のために手料理を作るのが当然、それが相手を落とすワザだとかいうの、私が一番キライな日本文化だから(爆)。

……すんません、ちょいと、個人的な感情が(爆)。うーん、でもね、そういう感覚はそこここに感じたんだなあ。
自殺志願者を募るサイト自体、日本でかつてかなり話題&問題になった要素で、まあこういうのは万国共通なのかもしれんが、こと日本人監督が作った映画であり、先述のようなツマラン日本文化がちらほらと見え隠れしたりすると、なんか気になるんだよね。こういうの、違和感感じられてないかなあ、って。
自殺手法に「練炭が一番確実」ってあたりも、かつてのそういう事件が多々あったやんか。……大丈夫かなー、などとイラン心配をしちゃうんだよね。まあ余計なお世話なんだけど……。

そもそもサイモンは、そんな日本でかつて多発した集団自殺ではなく、自殺志願者の若い女の子を一人ピックアップして苦痛なく血を頂くために腐心していたんだけど、思いがけず相手が他の候補者を引き連れてきて、集団自殺に巻き込まれそうになるんである。
洗剤をまぜてガスを発生させる方法を強引に強行した一人によって、サイモンともう一人、レディバードというハンドルネームの女の子が生き残る。
人里に逃げ延びるまでそんなこんながあって(省略しすぎ……んーでも、そんなこんなよ)、サイモンが吸血鬼だってことも含めて理解しあい、惹かれあった二人は、これから先はお互いのために生きていこう、もう人は殺さない、とラブラブハッピーエンドンになりかけたのだが……。

おっと、この感じで進めていくと、唯一の日本人キャスト、岩井監督のミューズ、蒼井優嬢に言及する隙間がなくなってしまう。しかし確かに、話の流れ的には大して関係ない(爆)キャラではある。
日本人留学生という時点で思いっきりベタだし、そのキャラ的にも尺的にも最小限の英語台詞で、言っちゃ悪いけど岩井監督の肝いりで彼女をねじ込んだという気がしないでもない(爆)。

いや、確かにイイ役ではあるのよ。意味深い役だとも思う。留学生活に孤独を感じているのか、あるいはそもそも孤独を抱えてここに来たのか、彼女はまず自殺しようとしているところをサイモンに発見されて説得され、クライマックスで再び自殺を図って瀕死のところを病院からサイモンは呼び出されるんである。
そして、彼の血が彼女に注がれる。自分の血液型は知らないとゆるく拒否するサイモンだけど、あっさり調べられて、O型、オッケー、良かったわね、彼女に血をあげられるわよ、と。

……吸血鬼にも血液型があるのか、などとフツーに突っ込みたくなる。あるいはコレは、サイモンが吸血鬼であるということ自体への、妄想じゃねえの、というツッコミを期待しているのだろうか……いやいや、ここまで展開してきて、そらー、いくらなんでも。
やはりここは、私ら世代以上なら少女マンガ系で必須の展開、“大怪我or病気をして、好きな相手から輸血してもらう”というアレでしょう。
これ、必須だったよね??岩井監督世代なんか、まさにドンピシャだと思うなあ。病院に駆けつけた好きな男の子が、オレ、同じ血液型です!オレの血を彼女に!!みたいなさ(爆)。あー、ハズかしい。

なんたって血が、好きな人の血が身体を巡るわけ。単純な嬉しさ以上に、これって結構、エロティックなことだよね、後年考えてみればさ。だからあんなに青春時代、この展開にドキドキしたのかと。まさかその展開に、数十年経ってお目にかかるとは思わなかったけど(照)。
本作のここでの展開はまさに、そんなエロティックを、まあようやく、見ることが出来たのかなあという気もする。ヴァンパイアというセクシーさを、ここまでことごとく否定する展開だったからさ……まさかこんな、なつかしの少女マンガか少女小説的展開とは思わなかったけど(爆)。

最初のシークエンスで、縄跳びをしている彼女がその縄で自殺を図ろうと……している……っていうくだりが、ギャグのように見えちゃいけないのか、どうなのか??ってあたりから微妙だし。
まあ確かに蒼井優嬢は可愛いが、とてもとても可愛いが、可愛いだろっ!!と強調しまくる、皮膚の脂がつきそうなぐらい、ドドアップなカメラ。
……彼女が岩井監督のミューズであることは、そりゃあ、そりゃあ、判るが、なんか、なんか、やりすぎじゃないかなあー??全篇英語劇の映画で世界に打って出るなら、彼女のチャームをもっとフラットに見せてほしかった気もする……。

で、まあ、そう。あの、ラブラブになってハッピーエンドになりそうだった女の子、でもあの、夕食突撃合鍵女がサイモンの秘密、遺体を保存している冷凍ストッカーのある部屋を見つけてしまって、冷凍庫開けてしまって、サイモンは御用と……なりかけるのだが……。
サイモンが冷凍庫に遺体を隠していたことの理由がイマイチ、それなりのお年である彼が、それまで生きながらえてきたことを思えば、そしてこの劇中での活動の頻度を思えば、あんな冷凍庫の数で済む訳はないんちゃうと、つまんないツッコミをしたくなったり(爆)。
それならあのエセ吸血鬼君の「自宅でバラバラにして、海に流すぜ、エヘヘ」てな言の方がまだリアリティがある(のも、そりゃヤだけどさ)。そんなところを突っ込んでもしょうがないのは判ってるんだけど、どうもねえ……。

まあ最終的に、警察に追われたサイモンは、窓から風船でふわりと飛び降りた母親が、「サイモン!逃げなさい!!」と突然ボケも解消して叫び、無我夢中で駆け出すうちに突然足が宙に浮いて……でもまあ、つかまるんだけどね。
つかまるのかい!うーむ、うーむ、こうなると、ホントよく判んないけど(爆)。なんかちょっと、ちょーっとマザコン入ってる気もしたりして……。

画的には岩井俊二的耽美な美しさが完璧なのに、なんかクサしまくってる自分がヤだ(爆)。世界観を確立している人ほど、作品の成り立ちって、ホント難しいね……。★★☆☆☆


ウタヒメ 彼女たちのスモーク・オン・ザ・ウォーター
2012年 113分 日本 カラー
監督:星田良子 脚本:神山由美子
撮影:川田正幸 音楽:
出演:黒木瞳 木村多江 山崎静代 真矢みき 六角精児 栗咲寛子 太田基裕 相島一之 赤座美代子 佐野史郎 西村雅彦

2012/2/27/月 劇場(有楽町スバル座)
最終的なライブ場面では結構泣いちゃったし、悪くはないと思うんだけど、うーん、なんだろうなあ。これだけ実力、魅力共にゴーカな4人が揃ったのに、微妙に演技がサムイのがマズいんだろうか……。
いやあれは、特に真矢みきのザ・ハードロッカーないでたちとしぐさは、あくまでコミカルなそれとしてやっているのは判るんだけど、彼女も嬉々としてやっているのも判るんだけど、そして実際の彼女はそういうコミカルも似合う筈なんだけど……う、うぅ、正直かなりサムかった(爆)。

なんでだろう、なんでだろう。しずちゃんにしても、全身ピンクふりふりの大女、というのが彼女ならもっと、可笑しく、かわゆく、切なく感じさせられると思うんだけど、なんかこう……形から入ったまま、な感じというか……。
あ、それでいえば真矢みきの「エイミー・ワインハウス」と呼ばれているほどのコテコテのハードロッカースタイルもそうだよね。
後に、彼女がそんなカッコをしているのは、かつての夢に未練を残しているからであることが明らかにされる、つまり地味でちょっと不幸な今の自分からの変身願望であることが判るんだけど、それならそれなら、あんなギャグみたいにしないで、目ぇパッカーと見開いたりしないで、真矢みきのカッコ良さをそのまま出してくれた方が良かった気がするなあ。

それは、初めてこんなハジけた役をやったという木村多江が、ひょっとしたら最も顕著だったかもしれない。確かに憂いなイメージが多い彼女だけど、決してそれだけではないことぐらい、彼女の変遷を見続けていれば判ってる。
ちょっとコミカルな役もあったよね。「東京島」とかさ、深夜ドラマでも見た覚えあったし。
本作の彼女は、さあ……なんか、殊更にハジけた役によってイメージの払拭をはかろうかとでも言うように、なんかその騒ぎ立てぶりがかなり……うぅ、こんな言葉を使うのはイヤだが、イヤなのだが……ウザいの(爆)。

一番判りやすいのは、秘書課時代の先輩、美恵子(黒木瞳)にくっついて、万引き常習犯、雪見(しずちゃん)との談判の場でざかざか動き回っては勝手に口を出す場面。やたらセックスの幸福を言いたがるのも含めて、う、ウザーと思ってしまった(爆)。
コンビニの店長から29歳と推測されて嬉しがる場面があるが、確かにそれぐらい木村多江は美しいが、このウザさがオバサンそのものである。あ、てことは、つまりはリアリティなのかな?そうかなあ……。
うーん、でもとにかくそうした、消化不良のユーモアのセンス未満みたいなところがかなり散見されて、凄くそれがもったいない気がするのだ。

この中では唯一名前が出てこなかった黒木瞳はね、彼女ぐらいのエネルギーの出し方が、ちょうどいいと思う。彼女はこれだけ美人でミステリアスな雰囲気があるけど、実際はシチュエイションコメディとか好きなんじゃないかなあと、その仕事の選択ぶりで思うところがあって。
まあ、シチュエイションコメディならではのそれなりのワザとらしさはあっても(爆)、その緩急は四人の中では一番上手い、という気がする。

専業主婦で、優等生で、いつでも先回りして、ありがたがられると思っていたのがうっとうしがられていたというキャラは、家事も子育ても仕事と共に両立して完璧にやってそうなイメージの彼女にピッタリ、なのよね。
あくまで“やってそうなイメージ”であり、実際はどうなのか判らない、というあたりまで、彼女は自覚しているんだろうと思う。

正直彼女が陥っている、専業主婦が軽んじられること、姑から露骨にイヤミを言われること、夫が自分の目を見ようともしないこと、子供が引きこもりで口もきかないこと……等々のナヤミは、ありがちなメロドラマ的で、それこそ「一度も働いたことないの?シンジラレナーイ!」という一般的感覚の方が優先されてしまうんであろうと思う。
でも、これは働くことで気が紛れる共働きやパート主婦には、確かに判らないナヤミであり、彼女たちにはそうした専業主婦に対して、うらやましがりながら優越感を持つという、実にいやらしい方法によって自らを成り立たせているから、美恵子のような専業主婦が陥る闇は、想像を絶する訳で。

それでいえば、つまりは尺が足りなかったということなのかもしれない。映画の尺では、四人の女の孤独ややりきれなさを描き切るのは、ちょっと、どころかかなりムリがあるよ。
ただ、こういう構成だと確かに、誰か一人にだけスポットを当てて流すというのも難しい問題であるのは事実。結果としては、充分にスポットを当て切れたのは主人公の美恵子のみで、あとはかなり中途半端な印象。

木村多江演じるかおりなんて、ネットで知り合った男にカネを騙し取られたり、離婚した元夫から慰謝料を受け取ったりする場面が断片的に示されて、そのたびに彼女はコミカルに騒ぎ立てたり、シリアスに思い悩んだりするけれども、そこまで詳細なバックグラウンドを他の三人に話す訳でもなく、そんな観客にだけ共有を強いられても、なんかねえ、中途半端だし、と思っちゃう。
他の三人に対するキャピキャピ(年甲斐もなくね(爆))のはすっぱなファッションと対照的な、大人の女のたたずまいとのギャップの面白さはあるんだけど、そこで終わってる感じがする、のは、実は彼女だけではなくてね。

後の真矢みき扮する新子が“文房具屋のおばちゃん”だったこと、それ以前に、うつ病の夫の薬を受け取りに、青白いスッピンで処方箋を薬局に出している様子がそれこそギャップでね。
だからこそウザイほどに、ワザとらしいほどに、サムいほどに彼女たちがハジけた描写をしていたんだなあとは思うんだけど、なんかそれが上手く四人の絆に結びついていかないというか……。

そもそもなぜこの四人が結びついたか、バンドをやろうなんてことになったか。一番大事なところに今頃言及するのか(爆)。
でも、ここまで話してきたとおりのことだよなあ。美恵子はかおりと乳がんのマンモグラフィ検査の場所で思いがけず再会。
そういやあ、かおりは「彼氏が胸をもんでて、しこりがあるっていうから」と言ってて、マンモの検査室から「胸がとれちゃうよ!」と痛さにガマンしきれず飛び出してきたんだけど、彼女のしこり云々は結局どうなったんだろう……。
後にかおりは、「先輩と再会出来て、マンモに行って良かったです!」という台詞があるけれども、再会できたことだけなのかなあ、うーん、うーん。

美恵子は家族とのディスコミュニケーション状態に耐え切れず、「一度も働いたことがないなんて信じられない!」なんて優越感気味に姑の周囲のおば様連中に言われたこともあいまって、コンビニで働き始める。
まあ、というのも、夫が減給にあって、ローンの払いが厳しくなったというのもあり、姑からは「あなたの実家に資産はないの?……もっといいご縁があったのにねえ」と信じられないことを言われて……。
でも一番大きな理由は、やっぱり、入学した高校に三日しか通わないまま引きこもりになった娘が、そのコンビニだけには毎夜通っては立ち読みして帰る、という毎日を繰り返していた、からかなあ。

この引きこもりの娘の存在を思うと、やっぱりどう見繕っても尺が短い、と思う。それだけじゃない。必死にコミュニケーションを取ろうとする奥さんに、ごちそうさまも、行ってきますも言わず、ついにはそんな彼女に対して「お前、疲れないの?……疲れないんだな……」という夫。!!死ね!死ね!!死ね!!!
理解のない夫、と言ってしまえば簡単だけど、研究職から営業職に移され、途方にくれた彼のことを思えば、そりゃまあ、ちょっとはまあ、いやかなり……カワイソウである。

だからね、彼のことも含めて、尺が短すぎるんだよね。ママ友から「ブリブリ」と陰口を叩かれて友達がいない上に、彼女もまた夫に理解されていない孤独を抱えている雪見にしても。
だからこの辺は、しずちゃんがビールをかっくらってまくしたてる長台詞一発で示されるのみで、かなりテキトーだよな……そのシーンのしずちゃん、凄く良かったけど。
これはそれこそシーン一発で終わらせちゃう、うつ病の夫を抱えた新子にしてもさ。
でも何か……やりようがあったと思うんだよなあ。説明の不足気味をコミカルで補おうとしたから、なんか浮いちゃったって気がする……正直……。

雪見の万引きを店に知らせず収めようとして居酒屋に席を設けたところに、かおりが首を突っ込んで、夫(男)への不満爆発で思いがけず意気投合。
三人はカラオケにまでなだれ込み、隣のボックスのサラリーマンたちが熱唱していたのが、ディープパープルのスモークオンザウォーター。
「あんな風に歌えたら、気持ちいいんだろうな」とふと美恵子がつぶやいたことに、ノリのいいかおりが便乗し、雪見も「私、ドラムやりたい!」とノリノリ。
てっきり飲んだ勢いだけの話かと思いきや、かおりが別れた夫からの慰謝料、というか、その夫が早速若い恋人を作っていることにイラッときた彼女、美恵子用のギターをセール価格で速攻購入、「もう私、こんなことでもしなけりゃ、ダメなの、お願い、先輩」といつになく真摯な表情で頼み込んできたんであった。

その後、くだんの「エイミー・ワインハウス」こと新子をスカウト、元プロであるという触れ込みの新子のスパルタがコミカルに描かれる。なんかありがちに、まず体力づくり!てな感じでジョギングさせたりね。
新子の正体がナゾなのはいいとして、せめて、元プロであるという部分は示してほしかったなあ。ベースを担当する彼女の、そのテクニックとかさ。
いや、カラオケであまりにも音痴な新子にほかのメンバー、特にかおりが不審を抱くというくだりがあるから、そうなるとダメか……。
でも経過的にこのぐらいの時点では、それぞれの演奏を合わせる練習も出てこなきゃおかしいんだけど、なかなか出てこない、それこそカラオケでそのスモークオンザウォーターを歌うばかりなのがさあ。新子の正体を暴けない過程のせいなのかと、疑っちゃう。

そうなの、練習シーン、少ないよね。クライマックスのライブシーンで泣かせるためには、練習シーンの緻密さが不可欠だと思うんだけど、ない、んだよなあ……。
だって、新子以外は全くの素人で、演奏技術を習得するのに大変だった筈なのに、それこそ感動への道なのに。……まあ、そこまで追求してたらそれこそ尺が足りなくなるけど、でもだったら、一体この物語のキモはどこにあるんだろう……?
まあ、ね、そういうタイプの“感動”なら、高校生の文化祭的映画に任せておけばいい……じゃなくて!まさに彼女たちは、高校の文化祭に出るんだから!それも、美恵子の娘、三日行っただけで引きこもってしまった娘の高校の文化祭。

正直言ってしまえば、ここまで、引きこもりという、なかなか出てこない存在感だけで引っ張ってきた娘が一番、印象的だったかもしれないよなあ。
夜の散歩に出かけた彼女が、美恵子の同僚であるバイト君によってもたらされた野良の仔猫、それを大事に抱いて帰ると、美恵子は理解ある母親を示そうと必死で、つまりは彼女のもっともダメな部分を出す。
飼いたいんでしょ、ミルクあげようか、明日は獣医さんに連れて行って……、娘は、金切り声を上げる。「私のだから!」……まあー、猫好きとしては、この所有物めいた言い方は多少気に入らんが、アンタは猫初心者だから許してやろう(エラそう)。

美恵子が家族とのコミュニケーションに失敗している理由、夫も娘も、彼女に胸襟を開かない理由を、娘が仔猫という守るべき存在に母性を働かせたことによって、ようやく明らかにされるんである。いつもママは先回りして、全部やっちゃう、と。
それこそが気遣いで、感謝されていると思い込んでいたザ・優等生の美恵子はこの段に至って、ようやく悟り、娘と涙を流して本音を語り合い、同じような理由で出て行ったと思しき夫にハガキを書くんであった。
娘の文化祭でスモークオンザウォーターをやります。ぜひ見てもらいたい、会いたいです、と。

この文化祭での、ステージの二段構えのしんねりさを思えば、練習場面の希薄さだの、それ以前の人物展開の希薄さだのもしょうがないのかなあ、うーん、でもでも……。
そう、二段構えなの。バッチリメイクに衣装の四人に、コンビニ店長にホレられたかおりが「サッカーのスポンサーのユニフォームのようなもんだから」と頼み込んで着させるコンビニ、フォーリバースの上着で失笑を買うのは、後にそれを脱ぎ捨てて素顔の彼女たちとしてステージに向うことを考えてもかなりメンドクサイくだりだったが。

だってこれでの二段構えじゃないんだもん。新子がね、あの、プロの経験があるはずの、度胸があるはずの新子が一番ブルっちゃって、しかもステージにかぶりついた子供たちから「あ!文房具屋のおばちゃんだ!」と言われたことで、もうすっかり真っ白になってしまうの。
彼女たちの前に出た高校生バンドたちが、みなさらりとステージを盛り上げたのに、おばちゃんじゃん、とまず失笑されるし、新子はテンパるしで、もうどうしようもないの。
ここでこそ美恵子はザ・優等生の気質を発揮、雪見の万引き常習犯をバラしてまでメンバー紹介でステージを盛り上げるのだが……あっ!

……それで思い出したよ……重要なシークエンスをすっ飛ばしてた(爆)。夜更け、雪見からの切羽詰った電話を「明日ゆっくり聞くから」と切っちまった美恵子、もうこの時点でコイツの度量の程が知れるが(爆)、案の定、雪見はまたしてもストレスから万引きをしてしまったんであった。
理由は、ダンナの転勤。せっかく友達が出来たのに、その友達への緊急SOSもアッサリ無視された雪見の気持ちは察するに余りある。
ダンナに知られたくなくて、彼女たちに来てもらった雪見、そこでなんやかんやと不満が爆発、ことに美恵子が雪見に「万引きなんかするから!」と商店街の真ん中で大声をあげてしまったことが一番のサイアク。美恵子はうわっ!と口を押さえて自分の失言に瞬時に気づいたけれど、後の祭り。

ここが本作の一番のクライマックスだと思うんだけどさ、でもちょっと……弱いんだよね。何が弱いって、四人のやりとりというか、台詞のバランスというかさ(爆)。
それぞれに、あるいは自分自身に不満を持った四人の女が、感情を爆発させる会話のやりとりなんていうのは、相当難しいと思う。それはそうだと思う。その難しさが、そのまんま、出ちゃった(爆)。

まあ、美恵子の問題はちゃんと出てたと思う。ヒロインだからね。でも他の三人は、かなりあいまいな感じ。この時点で正体が解明されていない新子とか、バツイチであることを言っていない(言うシーンがないだけで、知ってるのかなあ……そのあたりも、あいまいなんだよね)かおりとか、ぶつける台詞が、全て相手からの(ほとんど美恵子)それに対しての爆発であって、こっちが共感できるほどの材料がないのよ。
雪見に至っては、材料はそれまでにそれなりに提示されているけれど、だからなのか、この場面では「バカ!バカ!!」と繰り返すばかりで、それこそ彼女がバカみたいで(爆)。
なんか、ワンカットで撮ったらしいけど、結局カット割ってるし(爆爆)どうにもグッとこないんだよなあ。

で、まあ、さっきの場面に戻るが。いたたまれず飛び出した新子を追って、「必ず連れ戻すから!」と盛り上がる高校生たちに約束して、美恵子も飛び出す。
その割にはノンビリとメイクまで落とした新子の身の上話など聞いてるから、おいおいと思ってたら案の定、一体どれくらい時間経ってるの、あれじゃ1時間ぐらい経ってそうだよな。
観客はすっかりいなくなり、客席には美恵子のダンナと娘、かおりに惚れてる店長、あとは後片付けしている高校生たちだけ。

こんな状態じゃ、「待ってないよ。観客なんて、そんなもんだ」なんて新子の台詞さえも、そ、そりゃそうだろ、ファンですらないんだし(汗)と、待たされたメンバー以上にいたたまれなくなる(汗汗)。
電源も落とされ、自分たちだけのためにやろう!とステージに上がる彼女たち、ギターやドラムはまだいいけど、冒頭を任されるキーボードは音すら出なくてカチャカチャ状態。
でも予測は出来たけどさ、バイト仲間の高校生君がバチッと電源を入れてくれて、そのあとは外に流れ出す演奏に帰りかけてた高校生たちが集まって、こぶし振り上げて大熱狂、号泣!

……こうして書いてみると、うだうだ言いながらこのシーンで号泣してしまった自分にちょっとハラが立つ(爆)。
うー、でも、判ったからさ、ちゃんと彼女たちがマスターしてこの場面に臨んだのが、ラストクレジットで吹き替えの名前もなく、パフォームドバイで四人の名前が記されていたのを目にして、やっぱりそうだよね、だから、ライブパフォーマンス場面(だけ)は、感動しちゃうのよね、と。
だけ、だけ……まあそうなの。でもそれで、いいじゃない。正直、これだけで終わっても良かったとも思った。

その後の四人、涙ながらに仙台に引っ越していく雪見「友達作るから!」。コンビニ店長とラブラブになったかおり「私、メンクイなんだから!」店長は六角さん(笑)。いつでもハデメイクで裏表がなくなった新子が「触るな!触ったら買うんだよ」と文房具店に来る子供たちににっかり笑顔。
そしてラストは、会社を辞めた夫についていくために“ペット可”のアパートに引っ越すための準備をしている美恵子夫妻、夫がコーヒーを入れてくれる。微笑む美恵子。あー、あー、完璧な大団円ですことー。

なんか、いい要素はそこここ、沢山あっただけに、美恵子の夫の西村さんもマジ演技だったしさ、凄い、凄い、もったいない気がする!! ★★☆☆☆


宇宙兄弟
2012年 128分 日本 カラー
監督:森義隆 脚本:大森美香
撮影:栢野直樹 音楽:服部隆之
出演:小栗旬 岡田将生 麻生久美子 濱田岳 新井浩文 井上芳雄 塩見三省 堤真一 益岡徹 森下愛子 吹越満 野口聡一 バズ・オルドリン 中野澪 中島凱斗

2012/6/4/月 劇場(TOHOシネマズ日劇)
これはかなーり原作が気になるけど、手を出しちゃったらかなーりキリがなくなるので(汗)。
いや、だってさ、宇宙兄弟だけど、本作に限っては、ずーっとお兄ちゃんは地球にいる訳じゃん。宇宙飛行士として採用されるところさえハショられて(という言い方もアレだが)、どーんと時間が飛んで“宇宙兄弟”となり、二人で月面でジャンプして一気にエンドに突入するというのは、ひょっとしたら原作ではその“どーんと時間が飛んで”の部分や、“二人で月面でジャンプ”のその先が描かれているのかなあと思い、実際の“宇宙兄弟”はここから始まるんじゃないかとも思い……。

いや実は、実際も、原作も、このとおりなのかもしれない。もう思いっきり推測だけで書いてるけど(いやだから、調べられるけど、調べちゃうとキリがないから……決してめんどくさがっている訳ではない!!)、だからこその“宇宙兄弟”なのかもしれない。
この距離感、同じ地球上なら、日本とアメリカでも携帯電話でリアルタイムにつながれる時代、でも地球と月となってしまったら……この距離感、で押しているのかもしれない。

ふと、観てはないんだけど、新海誠監督が注目された、「ほしのこえ」を思い出した。気の遠くなるような光年の距離で離れる切ないラブストーリー。遠距離恋愛にもほどがある宇宙の距離。
“宇宙兄弟”もだからこそ魅力なのかもしれないと思った。しかも先に宇宙に行ったのは弟。天真爛漫、純粋な思いだけをストレートに猪突猛進させて、最年少宇宙飛行士となって、今や月に行ってしまった弟。

NASAが撮影協力、JAXAが全面協力、ことこういう映画には欠かせないリアリティの面で申し分なく、そういう意味ではいくらだってスペクタクルな宇宙エンタテインメントだって作れそうなのに、実際の展開事態は地味と言ってもいいあたりが、日本的だなあ、と思う。
それこそハリウッド映画ならありえないよね、と思う。兄弟の絆と宇宙の取り合わせで作れと言われたら、とりあえずハリウッド映画なら兄弟の熱いハグがないこと自体がありえない。
いや別に、おぐりんと岡田君の熱いハグが見たかった訳じゃない……いやこう書いてみると見たかったかもしれないけど(爆)、ただただお互いを信じてることだけを、辛抱強くと言っていいほどの描写で展開していく、日本的だなあ、と思う。ある意味斬新なほどの。だって、テーマは宇宙なのに。

だってさ、言っちゃえば、お兄ちゃんはずっと、地球の、しかもJAXAの施設に閉じ込められて試験を受けている、その描写がずっと続く、まあ言ってしまえばそれだけじゃん。言ってしまえばにしてもほどがあるけど(爆)。
考えてみれば、宇宙兄弟と銘打って、こんな地味な展開、ないよね。勿論その合間には最年少宇宙飛行士として騒がれる弟がいよいよ月に出発するシークエンス、それをお兄ちゃん、両親ともに見送るシーン、往年の宇宙飛行士をゲストに迎え、今は使われなくなった管理塔から打ち上げを見守るシーン等々、華々しい場面もあるけれども、基本はお兄ちゃんの宇宙飛行士の試験がメインじゃん。

そうなんだよね。両主演のように見えて、実はおぐりん演じるお兄ちゃんこそが主人公だったのではないかと思う。
そりゃ弟は宇宙系?のハデなシーン……月面の巨大クレーターに墜落してしまって危機一髪とかあるし、ぐじぐじと悩むお兄ちゃんにあの天真爛漫な笑顔で、大丈夫だよ、ムッちゃんとキメキメで、こりゃ今の若手俳優の中でも岡田君に100パーセントのハマリ役だな、と思うほどのキラッキラなんだけどさ。
それでもやっぱり、どんなに地味でも、おぐりんが主人公だったんじゃないかなあと思っちゃう……。ぐじぐじ悩んで、弟をまぶしくうらやんで、試験を受けてるところばっかりのお兄ちゃんが主人公なんて、それこそ日本的斬新さ。日本人の発想でしか、作れないよなあ。

なんかどうもまたぐだぐだしてきたので最初から。お兄ちゃん、ムッタと、弟、ヒビトは幼い頃にUFOを目撃してからすっかり宇宙のとりこ。ヒビトは宇宙飛行士になって月に行く!と宣言、ムッちゃんは?と問われてお兄ちゃん、しばし考え、「火星に行く!」弟よりお兄ちゃんは先に行くんだ、と。
いつもいつも一緒にころころと遊んでいた時も、お兄ちゃんが弟の先を走っていた。でも、その頃の思いを純粋に抱えて突っ走った弟と違って、お兄ちゃんは現実を見据え、サラリーマンになっていた。
でもクビになってしまった。自分のプロジェクトの車がポシャッたとこに加え、上司が最年少宇宙飛行士のヒビトのニュースに侮蔑的な言葉を吐いたから、強烈な頭突きをくらわし、即座にクビを言い渡されたんである。

いまどき、っていうかムッちゃんはなんたってドーハの悲劇の日に産まれたんだから、近未来、まさにかなり近い近未来だけど、今だってこれだけの理由でクビになんて出来ないし、パッと見、それなりの企業なんだから余計に、さあ……。
ちょっとこの描写はムリがあったかなあ。そのクビをそのまま甘んじて受けるムッタというのもね。まあそりゃここでクビになんなきゃ、いくらヒビトが勝手に応募したといっても、宇宙飛行士選抜に行けなかったけども……うーん、現実的な大人はつまんないことが気になる(爆)。

この、かなり近い近未来、って、ちょっと色々ドキドキするよね。だって、あっという間に来ちゃうじゃん、とりあえず、大人になってからの時間軸の2025年にしたってさ。
あの「2001年宇宙の旅」が出た時……はさすがにこの私もリアルタイムではないが(爆)、2001年なんて遠い未来で、ノストラダムスの話とかもあったし(爆爆)来ない未来ぐらいな感じがあって、だからいくら破天荒なこと言ってもオッケーぐらいな感覚があったと思うんだけど、今の、2012年から2025年なんて、それこそ年をとるたび時間があっという間に過ぎるからさあ、あっという間に、来ちゃうよ。

そこまでに宇宙開発はどこまで進んでいるのか。それこそ“宇宙兄弟”は可能なぐらい、宇宙飛行士は誕生するものなのか。いや、そんなこと言ったら、特にムッタに失礼だけど(爆)。
でもね、私が子供の頃はさ、それこそ2001年宇宙の旅の頃には、誰でも自由に宇宙旅行が出来て、月だの火星だのにコロニーが出来て、人口過剰になった人間が移住してて、みたいな、完全に萩尾望都やら新井素子の影響だけど(爆)、もうそれぐらいに思ってたもんね。
でも今、2012年の今から2025年を現実的に見据えると、まだまだ、宇宙飛行士が宇宙の足固めをしている段階なのかあ、と。宇宙飛行士になること自体がまだまだ凄いことで、私たち凡人は彼らを仰ぎ見ることしか出来ないのかあ、と。

いや、ね。それこそムッタはその凡人としての立場で、弟を仰ぎ見て、宇宙飛行士への道を進んで行く訳なんだけどさ。
彼と一緒に試験を受ける最終選考に残った人たちは、パイロット、医師、霊長類研究者、何度も受験しているJAXAの職員等々、自動車会社のイチサラリーマンだったムッタと比べれば、そういう経歴ならネと納得出来るような人たちばかりだからさ。

そう、そうそう、地味とか散々言っちゃったけど、映画はなんたって役者が、彼らが演じるキャラクターがどれだけ魅力的かにかかってる。
パイロットてのは新井浩文。彼のイメージどおり(爆)、コワモテだし、キレ具合はコワいし、でもムッタがJAXAのスタッフにメンバーのことを問われるシーンで「Tシャツの三着に二着(比率、ちょっと違ったかも(汗))はガンダムTシャツという純朴さを持っています」なんて言われる感じが妙に似合ってたりして、後にムッタの搭乗を見守る時に、ちゃっかりJAXAの職員になっているあたり、キュンと来ちゃったなあ!

おっと、新井浩文だけにすっかり気をとられてはいけない。いわゆるマドンナ役となる、医師からこの道に飛び込んだ麻生久美子演じるせりかさんの素敵さは忘れられない。
後半にバーッと流される形で、ムッタと共に宇宙飛行士選抜に合格したことが示される彼女が、宇宙空間での新薬開発に夢を抱いていることを語るシーンは素敵である。
「でも、父の病気には間に合いませんでしたけど……」それでも彼らの根っこはやはり、純粋な、子供の頃の、宇宙への憧れにあって。
それは何度も宇宙飛行士の受験に挑戦しているJAXAの職員も同じで、演じる塩見さんが素敵で、そのことを皆で語り合う、これもメッチャ地味だけど、これぞクライマックスシーンがとてもとても、素敵なんである。

登場人物紹介しようと思ったのに、なんかまた脱線しちゃった。まあ、脱線ついでにこのまま行こう(爆)。新井浩文が、あんなにコワモテでキレまくっていた彼が、70を越えた宇宙飛行士のことを引き合いに出して、塩見さんに、まだまだ全然若いですよ、とぶっきらぼうにぽつりと言うの、メッチャ萌えた!
まあその、ね。このシーンはすんごく緊迫しているのよ。二班に分かれて作っていた試験の課題である模型を双方、何者かにぶっ壊されて、めっちゃピリピリして、犯人探しで疑心暗鬼で。
その“犯人”は、試験官から内密に“グリーンカード”でそのことを指示されたムッタと、恐らくもう一人は、この最終メンバーの中でも最優秀な真壁君な訳。
真壁君がそれと気づいて、ムッタにサインを送る緊迫した場面、ビリビリする訳!演じるのは井上芳雄!おおー!あら?髪形のせいかな、随分印象違って見える!いや、私にとっての井上芳雄はもうひたすら、「おのぼり物語」だけど!

でね。その時には弟の事故のことも知らされてたムッタ、もうこの雰囲気に耐えられなくなって、“グリーンカード”のことを暴露しようと……思ったのか、思わなかったのか。
ふいと笑顔を見せて「皆、もっと、宇宙の話をしよう」と言い出したのだった。こんなところでピリピリして、ライバルだ、競争相手だと言ってるけど、その動機は、子供の頃の、純粋な思いから始まっていることを。

ムッタとさわやか真壁君が“犯人”になっていること、それを秘して試験を続けていること。試験官たちがそのトラブルシューティング能力を見ていること、そして何より、宇宙飛行士選抜試験として、閉じられた空間での集団生活をしていること……。
めっちゃ、めーっちゃ、「11人いる!」だよねー!!と思っちゃう。それこそ、萩尾望都を連想したのもそんなに外れてないんじゃないかと思う。いや、勝手な関連付けだけどさ。

でも勿論、本作の魅力は兄弟にあり、演じる二人の役者にかかっていることは、無論である。最近ホンットに、男性二人のバディムービーの佳作、秀作が多く、女は立場ないよなーっと思う。
本作なんて、ほおんと、女の立ち入る隙、ないじゃん。マドンナ的に出てくる麻生久美子は確かに素敵だけど、マドンナ的、であるに留まり、ムッタがぽーっとなる程度の役回りだしさ。ヒビトにもムッタにも女の影はまるで感じられず、彼らはただひたすら、兄弟の絆だけを貫き続ける。
て、いうのも、しつこく日本的だな、と思う。それこそしつこく、ハリウッド映画なら、恋人を見守るブロンド女性ぐらい出てきそうなもんである。そんで弟、あるいはお兄ちゃんに食ってかかったりしてね。てゆーか、私、このイメージ自体、古い?最近マトモにハリウッド映画観てないからなあ……。

でまあ、ちょいと脱線したけど、おぐりんと岡田君。良かった。なんか最近、キャラ付けのためのアフロはハヤリなのか?妙に見る気がする……それこそ漫画原作だった「アフロ田中」とかさ。
岡田君は、今、弟を演じさせたら右に出るもののいない役者、って感じ。それは彼を初めて認識した「重力ピエロ」での印象が強いからかもしれないけど。それにしても、この人懐っこさ、天真爛漫さ、実に得がたいんだよなあ。

幼い頃のムッタ、ヒビト兄弟がまた、彼らの面影を上手くつないでてね!特に弟君の方は、岡田君に良く似てたなあ。本作の良さは、宇宙に憧れた幼い頃の兄弟の描写を、あざとくなく、しかし絶妙に切れ切れに挿入してくること。
UFOを目撃してから宇宙にドはまりした二人、JAXAに通いつめて、ナビゲーターのお姉さんの説明をすっかり暗記するほどになったこと。
しかしあの、「僕は宇宙飛行士になって月に行く!ムッちゃんは?」と問われたその先が、上手い具合に伏されたまま、録音テープによって思い出すところにつながるニクイ演出。
カセットテープ、彼らの世代でもカセットテープなの??ドーハの悲劇の日に生まれていた子供たちでも……いやいや、確かにカセットテープがお煎餅かなんかの空き缶に入っているシチュエイションは、我ら昭和の民にとってキュンキュンきまくりだけどさ!!

また若干脱線したが(爆)この幼い兄弟を見守り続けて、だからこそ“宇宙兄弟”の誕生にこだわった、JAXAの職員、ヒビトやムッタの試験官となった堤真一、ナビゲーターのお姉さんの堀内敬子やらが、劇中現在の時間軸で、わざとらしく老けることなく、そのままの風貌で彼らの成長を受け止めているのも、のも、っていうか、それこそが、一番、じーんとしたなあ。うーん、それはやっぱり、そっちの年齢こそに、近いからかな、やっぱり??★★★☆☆


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