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「み」


2015年鑑賞作品

味園ユニバース
2015年 103分 日本 カラー
監督:山下敦弘 脚本:菅野友恵
撮影:高木風太 音楽:池永正二
出演:渋谷すばる 二階堂ふみ 鈴木紗理奈 川原克己 松岡依都美 宇野祥平 松澤匠 野口貴史 康すおん 中村文徳 二宮弘子 キヨサク いまおかしんじ オシリペンペンズ ANATAKIKOU 中川晴樹 土佐和成 赤犬


2015/2/25/水 劇場(新宿バルト9)
タイトルに??と思いながらも、オリジナルを作ってくれる数少ない監督の一人として、前知識はないながらも、これは絶対オリジナル、よね!!とワクワクしつつ足を運ぶ。てか、オリジナル、だよね??絶対!
満を持しての、大阪が舞台。この世代の大阪芸術大学出身者にぼろぼろ才能を輩出している、彼もその一人。なのに、今まで大阪が舞台で撮ったこと、なかったんだね、意外!!

もうすっかり、オリジナルで、大阪で、こんなインディーズの匂いプンプンただよう映画を、思いっきり旬の女優と思いっきりアイドル迎えて撮ることが出来る、脂の乗り切った監督になったんだね!!
てか、アイドルをこういう世界に放り込むのが、好きなのかしらん、などと思ってしまう。でも確かにそれは、観客側も見たい欲求がある。キラキラ陽光の中、壁ドンするよりも(なんかどうも、壁ドンのことばかりクサしてしまう最近の私……)、こんなところに放り出される彼、彼女が見たいのだ。だってそれだけで、何かが産まれてくるんだもの!

観たことないのに懐かしさ漂う、かつてのキャバレー、味園ユニバース。クライマックスで赤犬ライブ、なんか昭和、昭和!!
てか、てか!!赤犬、赤犬っ!!赤犬が前面なのっ!!言ってしまえば赤犬が主役と言ってもいいぐらい、なのっ!主演の渋谷すばるは記憶を失った男、彼がボーカリスト、ポチオとして迎え入れられる大所帯のバンド。

ブラスありコーラスあり、昭和の匂いもプンプンしつつ、音楽性はごちゃごちゃで、コミックバンドかと思うぐらいのコスチュームやらのハチャメチャさ。そういう部分も当然あるんだろう……大阪なんだもん!!
一見してクレイジーケンバンドみたいにも聞こえるけど、ずっとずっと守備範囲、広い、というか、節操、ない!!

赤犬を前面に出したいために、山下監督は本作を作ったんではないかと思っちゃう。そう、思っちゃう。てか、私、全然イメージ、違った!!イメージ作るような赤犬に対する知識、なあんにもなかったんだけど(爆)勝手にね、なんかコワい、アングラ音楽集団のように思ってた、のは、その最初の出会いが熊切監督の「鬼畜大宴会」だったからであろう……。
熊切監督とのタッグ、というか相棒関係が強い印象にあり、そしてこの作品の強烈さがしばらく抜けなかったもんだから、本当に勝手に、そう思ってたの!!
まさかこんな、老若男女をノリノリさせるユニバーサルな魅力のお人たちだったとは!!やっぱりオオサカは凄い、苦手だけど(爆)。薄まった平均ヒットの文化の中に埋もれてると、強烈に衝撃を受けてしまう!!

と、すっかり赤犬にマイッたまま話が終わりそうだけど、まあそれでもいいような気もするけど(爆)、でももう一つ驚いたのは、主演の渋谷すばる君なのであった。
まあ、二階堂ふみ嬢はね、いい意味で予想通り。四つの世界の中だけで生きる、それもポジティブに生きる、赤犬のおっさんたちをばしばし仕切る女の子を、バツグンの安定感で演じてくれる。
PAやる時だけ懐かしの昭和スケバンスタイルになるのは何故なのかよく判らんが(爆)、赤犬の音楽性に合わせているのかもしれない……。

と、脱線したが、そうそう、渋谷すばる君よ。それこそアイドル事情にも関西のそれにも疎い私は、ここ数年、関ジャニがぐいぐい来ていることを世間的な知識としては知っていても、今一つピンと来てなかったし、個々の得意分野とかもイマイチ見えていなかった。
記憶をなくした男として、ショボい地域のイベントにフラリと乱入してアッコさんの「古い日記」を、たっぷりの声量の絶叫、ながらもたっぷりのブルージーを効かせて歌う彼にビックリ仰天!!

しかも、これは役柄のキャラだからだけど、常に能面状態で、声、歌声だけはたまらない情熱をあふれさせて、本当にアゼンとしてしまう。
こ、こここここ、こんなタカラモン持っててなんで関ジャニなんてやってんの、ってイヤイヤ!!うううぅぅ、そう言いたくなるほど、その魅力あるボーカリストっぷりに、ビックリ仰天したんだもの!!

……なんてことばかり言ってると、相変らず話が進まん(爆)。でも、渋谷すばると赤犬の魅力の予想外のオドロキだけで話を終わらせてもいいような気もしなくもない(爆)。それじゃあんまりだから、とりあえず最初から。
話としては、ヤクザもの、チンピラものにありそうな感じが凄くする。冒頭、刑務所から出されるシーンなんて、東映かVシネで散々見たような記憶がある。
彼がブチ込まれる時に来ていた作業着をそのまま着て出ることになり、「大体、服を差し入れられたりするんだけどな」(と、大阪弁で言う訳だが、スンマセン、再現できないので、カンベンしてくれ(爆))と送り出され、身代わり服役を匂わせる迎えの車中での会話も、懐かしいと思うほどに聞き覚えがあり……。

でもたった一つ違うのは、そうした、それこそ浪花節(大阪だけに!)的な感覚を今の時代のヤクザは持っている筈もなく、報復を恐れて彼を襲撃する訳。
あれは、ラストシークエンスの再襲撃のシーンを考えても、ただ襲うだけではなく、殺すつもりだったんではないだろうか、と思うのだが、そうしてしまえば、殺した側にも色々不都合が起きるし、やはり脅すぐらいの気持ちだった??いやいや、あのバットの振りおろし具合は、なんたって記憶をぶっ飛ばすぐらいなんだからやっぱり、さあ……。

ちょっとね、重箱の隅をつつこうと思えば、彼が所属していたヤクザともチンピラともつかないこの組織の意向はどうもアイマイだなあとも思うんだけど、そこをクリアーにしてしまったら、それこそただのヤクザ映画になってしまうから、ということなのかもしれない。
二階堂ふみ嬢の演じるカスミの境遇……両親は既に亡く、ボケ気味のじいちゃんを抱え、今にも潰れそうな前時代的音楽スタジオを、カラオケルームの併用で何とか切り盛りしている、という……。若干の浪花節に押し込める微妙さは感じるものの、「私の世界は四つだけなの」と、ストイックに言い切るふみ嬢に、押し切られてしまう。

四つ、というのは、ボケ気味のおじい、このスタジオ、赤犬、マキちゃん。マキちゃんというのは、鈴木紗理奈嬢が演じているんだけれど、医者なのか、医者崩れなのか、ヤミ医者なのか(爆)、その辺がなんだかこれまた微妙なのが何ともセクシーで魅力的なのよね。彼女はとても素敵な女優さんだと思う!もっともっと、映画に出てほしいと思う!!私にとっては「鳴かない蝉」の紗理奈嬢の素敵さが忘れられないのだ。
マキちゃんの頼みでナイショでタダ診療してくれる医師にいまおかしんじ!という山下監督ならではのサプライズも嬉しく、このお医者さんが「マキちゃんの頼みなら仕方ないなあ」とやにさがるのも判る、色っぽさなのだ!!

すばる君演じる、本名は後に明かされるポチオは、血だらけのまま、イベント会場で歌いっぱなしでぶっ倒れて担ぎ込まれ、そのままカスミの切り盛りするスタジオに居候することになる。
じいちゃんは彼を、息子、つまりカスミの父親だと思ってる。ポチオは何にも思い出せないけど、カスミの作る素朴な玉子焼きをウマイウマイとバクバク平らげ、勝手に身体が動いたんだと、これまた素朴な料理を作ってじいちゃんを喜ばせたりするんである。

倒れていた現場に行ってみたり、記憶を手繰り寄せる「ポチオノート」は次第にカスミにとっての、思い出してほしくない気持ちの方が優先される。
分析の言葉は塗りつぶされ、皆の楽しい写真ばかりが貼り込められる、のは、ポチオがシゲオとしての記憶を取り戻した後に、彼女から叩きつけられるそのノートを開いてみて知ることなんだけれども。

記憶喪失モノってのは、もうそれだけで定番、言ってしまえば今や古臭いテーマとも言えるんで、結構キケンかもしれない。それに、今や情報社会になって、記憶が失われる状況とか、状態とか、詳しくツッコまれる危険性もあるしさ。
マキちゃんというセクシーモグリっぽい?医者を介在させて、いまおかしんじというありそうでウソっぽそうでもある医者も介在させて(なんかひたすら、失礼なことしか言ってないな……)そのあたりをうまーく回避させ、それに何より、そんな、作品に漂う確信犯的なユルさを知ってか知らずかの、すばる君の超マジ演技(そりゃ、当然のことなんだけどね!!)により、更にケムに巻かれる感はあるんだけど……。

それこそ記憶喪失モノが流行った子供の頃の記憶では、記憶が戻った途端、記憶を失った期間のことは忘れてしまうとか、あったよね?手塚先生のブラックジャックでもあったような……。
それこそあまりにも昔々の知識なんで、その真偽さえ明らかではないけれども、少なくともポチオから元のシゲオを取り戻したすばる君は、豹変した。

てか、ポチオの時にはキャラ自体が白紙の状態、ただ美味しいという味覚と、歌への記憶と情熱だけが、残っていただけ。いや……歌への記憶は残っていても、情熱はまだ、取り戻せてなかったかもしれない。歌声だけは圧倒的に素晴らしいけれど、まるで能面のように歌うポチオに、歌うことへの情熱は感じられなかった。
そのまま赤犬単独ライブが決まり、街中にポチオをフューチャリングしたポスターが貼られ、彼を消そうとしたかつての仲間がそれを見つけてしまうんである。

その前に、ポチオの正体を探るためにカスミは彼の実家を突き止めるものの、もう彼は死んだのだと、関係ないんだと、帰ってくれと、ケンもホロロに追い返される。
小さな小さな豆腐とお惣菜のお店。眉を逆立てるのは、ポチオ、いやさ、シゲオの姉。私だってここを出て行きたかった。大っ嫌いだった、後に記憶を取り戻して訪ねてきた弟にもそう言う。
彼が言うように、出て行けばいい、と、こんなところ捨ててしまえばいい、という訳にはいかないのか。私のような根無し草には判らない……。

記憶を取り戻した途端、もう俺はやさぐれで、堕落するしかないんだとばかりに、単独ライブは勿論蹴散らして出て行ってしまうポチオ。
そして、裏切られた筈のボスに、仕事をくれ、と言う。何故、何故。襲われたことも仕事をくれれば恨まないから、と言えば、丸く収まるとホンキで思っていたのか。まさか。自暴自棄になっていただけなのか。このあたりからどうも、上手く理解することが難しくなる……。
まあ、判らなくはない。自分は普通に幸福に生きていける人間じゃないんだと、記憶を取り戻してスネる気持ちは、男の子にはありがちさ(爆)。

でも、結局は裏切られて、再度の襲撃を受ける場所を、なぜカスミは知り得たのだろう……。これはいくらなんでもツッコまずにはいられない。ただただ、ポチオがライブ会場である味園ユニバースに来てくれることを祈っているだけの筈のカスミが、そもそもこんな窮地に至っていることをどうして知り得て、その場所までもどうして知り得たのか。
百歩譲って、例えばそう、ポスターによってポチオの居場所を知ってヘラヘラ訪ねて来て、彼に半殺しになるまでボコボコにされた、あのウカツな舎弟にでも連絡を取って聞き出したのか。でも劇中ではそんなことをうかがわせる場面はちらともなかったしなあ……。

そんなことを気にしては、ラストのクライマックスの盛り上がりを堪能できないんだけど!!でも山下監督らしく、ワザとらしく盛り上げたりはしない。ポスターにあんなに大写しにされているのに、ポチオが出てこなくったって、聴衆は誰一人文句言わないしさ。
……そのあたりは、純粋に赤犬のファン、赤犬のライブを楽しんでいるということなのかもしれんが、それじゃ、本作の構築上、ちょっくら本末転倒という気もするし……。

でも、最後の最後の最後、カスミから「決めるのはアンタ」と言われて、悩む素振りすら、それこそ山下監督の演出だから見せないんだけど、さらりと出てきて歌うポチオは、初めて笑顔を見せるんだよね。
それまで、一度たりとも、ニコリどころか、口角を上げもしなかった。このシーン、いい意味で、ボーカリストとしての、ライブで歌っている、渋谷すばるになった、と思った。
そしてそれが、ポチオにもシゲオにも重なった。幸福になった。襲われそうになった場面でカスミから逆にぶん殴られるなんていう、キテレツな形で脱出して、これじゃ今後どうなるか、全然解決していないのに、渋谷すばるの笑顔で、すべてが解決した、気がする。★★★☆☆


映画 みんな!エスパーだよ!
2015年 114分 日本 カラー
監督:園子温 脚本:田中眞一 園子温
撮影:神田創 音楽:原田智英
出演:染谷将太 池田エライザ 真野恵里菜 マキタスポーツ 深水元基 柾木玲弥 柄本時生 神楽坂恵 安田顕 高橋メアリージュン 冨手麻妙 サヘル・ローズ 今野杏南 星名美津紀 篠崎愛 清水あいり 星名利華 板野友美

2015/9/22/火・祝 劇場(TOHOシネマズ錦糸町)
あぁー、これはドラマ版を見ておけば良かったなあ!とか言って、ドラマ全然見ないくせにその前提自体にムリがある(爆)。でも誰か私に勧めといてくれよ、と無体なことを思う(爆爆)。近年のテレ東深夜枠ドラマの台頭は凄まじく、劇場版が出来るたび、同じ嘆息を繰り返しているように思う……。
特に本作は、今年はヤスケンが映画において非常にいい役をゲットしていて、その流れでまさにドンピシャハマり役の本作の彼を見たので、更に嘆息は深くなるばかりなんであった。
私の知らない間に大泉先生以外のメンバーたちも着々と役者としての知名度とキャリアを得ているのは薄々感じていたが、ドラマというフィールドでそれをやられていると、本当に気づくのが遅くなってしまう。
今年はホント、ヤスケンはなんか賞を獲っちゃうんじゃないだろーか。てゆーか、私があげたい!

やっぱさぁ、どんなに劇場版というものが、それだけで独立しているものだと言っても、基本的にはファンをターゲットにしているというのが判っちゃうからさ。これが例えば「モテキ」であるなら、森山未來の周囲の女子を一新していたという点で、劇場版=全くの新規、というスタンスも得られたし、それ故にまさみちゃんも輝いていた訳だが、それはモテキが森山未來さえ中心に据えれば作れる物語であるのに対し、大体のドラマはそうじゃない、やはりオリジナルキャラクターこそが重要になってくるからさあ。
判るのよ、見てると。これをファンたちがワクワクして劇場に足を運んで、半ば復習のような形で振り返りながら楽しんで観ている、っていうのがさ。
むしろ懇切丁寧にエスパーになった経緯をご紹介されちゃうと、新参者は少々傷ついてしまう……なぁんて、それがなきゃ、訳判らんのは確かにそうなのだが(爆爆)。

監督は園子温。まさに今をときめく、である。こういうバカバカしいナンセンスエロコメディを撮るというというのは意外……というのは、近年の国際派監督のイメージからであるのかもしれない。なんて映画ファンの知った風は口幅ったいことこの上ない(汗)。
でもそれ以前の園監督を思い返したって、トンがって前衛的であったことはあっても、こういうこなれた商業作品を作るイメージは、まず、なかった。年をとったということなのだろーか(爆)。
ティム・バートンみたいにとりあえず奥さんを重要キャストに据えるのはそろそろやめてほしい気もするけど(今でもバートンはそれをやっているのだろうか??)。だって確かにおっぱいはおっきいけど、本作のこの役はとても重要で、彼女がそこまで魅力的な女優さんだとは正直思えないんだもん(うわ、ヒドい言い様!)。

染谷君と言えばその園監督の「ヒミズ」からの大ジャンプが印象的だから、本作もまさに、彼との強力再タッグ、といったところなのだろーが、彼は園監督のようなトンガリ系インディーズ監督をはじめとしていろんな監督に使われまくりなので、もう今となってはかなりこなれた印象が(爆)。こういう、まだまだ青春の青さの残る軽めのワカモン役はこれ以外でも多々見慣れた印象があり、少し新鮮味に欠ける気がしないでもない(爆爆)。
それでなくてもここ最近はこうしたエロナンセンス青春コメディ系が、低予算映画で軒を連ねていて、その中にはかなりの秀作もあるので、私的には少し遅れてきた感があったりして……。だって女の子最強の武器、おっぱいも出さないでパンチラだけではやはり、ねぇなどと言うのはヤボなのだろーか。

昨今では深夜枠でもおっぱいまでは出せないのだろーかなどとつまらぬことを思ったり……。でも仕方ないのかな、基本的にはアイドル的女の子たちに体当たりの仕事をさせるインパクト、というところにとどまっているのかもしれないから。
アイドルの女の子、という目で見れば、確かにこの画は刺激的に違いない。時にパンチラというのは、おっぱい出すことよりも刺激的かもしれないと思うことは確かに、ある。なんたってそこに隠れているのは大切なところなのだもの(爆)。そして、結構食い込み気味に見せるしさ(爆爆)。

まあつまらぬことばかり言っていても仕方ないので、先行こう。ぶつぶつ言いつつも、基本情報を示してくれるのはありがたいとか言ってるんだから、なんなんだ、私(爆爆)。
主人公はごくごくフツーの高校生。夜な夜な町の可愛い、色っぽい、あまたの女子たちをズリネタにしてしこしこやるのが楽しみな毎日。最近はもっぱら、転校生の美少女、紗英のことばかり思っている。

母親のお腹にいた頃会話をした運命の相手をずっと探している。オナッている最中、突然の閃光。後に明らかになるところによれば、それは稀なる天体の現象だとか。そして過去のデータによると、その光の最中に性的エクスタシーに達している、異性との性経験未経験者がエスパーとなるんだと言う。
とゆーのは、この田舎町に突然現れた大学教授、浅見が唱えたものだった。ちなみに紗英は浅見の娘。で、浅見はこの能力こそが世界を救うという。というのも、同じく能力を得た悪いエスパーたちの存在がいるから。今のところ彼らの能力はエロに関してだけしか働かないのだが……。

とゆー物語展開はうっすらと、「やるっきゃ騎士(ナイト)」に似ているような気がしなくもない(爆爆)。いや、全然違うけど、エロい妄想がパワーに変わるというあたりがさ。
でもエロナンセンスコメディは大体そこんところは共通してるよな、と思う。本作のオリジナリティはそれがエスパーというところに結実していることと、未経験者、つまり童貞なり処女であるということ。

処女というのはシリアスで笑いにはなりにくいが、なぜか童貞というのはコメディになってしまう。女子のオナニーシーンが色っぽいだけなのに対して、男子がマスかいているのは可笑しさと時に悲壮ささえ漂う。
なぜだろう……いや、ここにはまだ多分に、男系社会の価値観が作用していると思う。女子のオナニーシーンが色っぽいのは、男子の目線で描いているからだ。本当のリアルな女子のオナニーなんて、結局は男子のマスかいてるのと違わない、もっとエグいかもしれないのだ。エロナンセンス作品でもまだまだ女の権利は獲得できないのだーっ。

とか言いながら、メガネ女子には萌え萌えする私(爆)。本作にはヒロインたる女子はあまた登場する。染谷君演じる嘉郎が妄想する二大ヒロイン、転校生の美少女、紗英ちゃんと、ヤンキーっぽいが繊細な美由紀ちゃん。その他に、商店街の本屋の女店員やら、セクシー刑事、セクシー記者、勿論セクシー女教師、これが一番えげつない(爆)。
後から出てくるキーマンであるポルナレフ先生はもちろんだが、ほぼ関係なくただセクシーなだけの、てかエロいだけのセンセーがスゴすぎる。こーゆーあたりはさすがテレ東深夜枠!と思う。無意味さの魅力にあふれてる。

で、だからメガネ女子だってば(爆)。渡し船の船頭さんという役どころも凄いが、それを立ってるだけで食い込みパンツ見えてるフリフリ系ファッションのメガネ女子というのはかなりのインパクトがある。
しかも彼女は百合系で、可愛い女の子を見つけては悶えているんである。エスパーの能力を得てからは、好みの女の子を動けなくさせてコトに及んでいる。

コトに及んでいる……のかなあ??描写としては、動けなくさせる、というところで止まっていた。女の子萌えはしていたけれど、そこから先の決定的な描写がなかったのはもったいなかった気がする。
いや別に、がっつりやれとまではいわないさ。でもせめておっぱいもみもみしてチューぐらいはさ、してもいいんじゃない??
このメガネ女子を演じる冨手麻妙嬢が魅力的だったからこそ、なんだか残念な気がするんだよなあ。黒幕に操られているという後の展開があるから、確かに重要ポストではあるのだが、そこでシェイクスピア劇ばりに声張って印象付けてはくれるのだが、逆にそこでエロ萌え百合萌えが薄れてしまって、もったいない!!

エロエロに行き切らない、少し、そのあたりはブレーキがかかっている気がする。ドラマは深夜枠でも、映画はフツーにロードショー、PG12じゃ、おっぱいもチューもダメか……うーん、残念!
正直なことを言うと、ちょっと長い感じがしたんだよね。個人的な好みで言えば、こういうエロナンセンスモノは、90分ぐらいの短めの尺にしゃっきり収めて、あー、クダラナ面白かった!という感覚を得たいところ。
ドラマで長らく人気を得ていたんだし、人気キャラもあまたいるんだから難しいのは判ってるけど、ちょっと冗長な気がしてしまった。嘉郎がこだわる運命の相手探し、その妄想、というか予感の映像の繰り返しがまず長い。まあ、妄想男子の話なのだから仕方ないのか……。

そして、あまたいるヒロインの中で誰が黒幕なのか、それがポルナレフ先生だと判って、その目的が、彼女自身の純粋さから来ているという部分に、ある程度は尺がとられるのが判ってるのなら、そぎ落とせる部分はあったような気がしないでもない……。
個人的にはセクシー女刑事とセクシー地元記者の部分は、あんまり面白くなかった(爆)。彼女たち自身にセクシーさ以上の明確なキャラの面白さがなかったし……。
まあ記者の上司として絡む関根勤氏の登場には必要なんだけど(爆)、彼ならほかのどんな役どころでだって、エロ女たちに楽しく絡めたと思う(爆爆)。

そう、それだけエロ事情は厳しくなっているのよ。可愛くてエロなだけで登場させて許される時代は、終わったのだっ。
だから園夫人にもキビしくなる訳(汗)。しかも彼女が処女という設定は更に厳しすぎる(汗汗)。そんなに奥さん出したいなら、それをおちょくるぐらいのエピソードがほしい。

選民思想丸出しで、地球をダメにしたダメ人間どもは絶滅させて、選ばれし私と嘉郎君が新しく世界を作りましょう、とポルナレフ先生は言うんである。
そう、選民思想丸出し。それに対して人類の危機を救う役目を託された嘉郎は、自分はいろんな女をネタにオナりたいんだと、エロを声高らかに宣言するんである。
さっきまでエロいカッコしてたくせに、この時には幼児のピュアに戻ることこそが新世界に必要なんだとかいって、ピンクのスモッグなんか着ちゃってるポルナレフ先生は、嘉郎のウラギリ?に耳をふさぎ、哀しげに絶叫し、去ってしまうんである。

ぜっんぜん、違うんだけど、ふと思い出した。あの傑作、クレしんの大人帝国の逆襲。大人の穢れた思想を一新しようとたくらんだヒッピーカップルに対して、しんのすけのひとこと、「それでもオラ、大人になりたいから……大人になって、おねいさんみたいなきれいなおねいさんといっぱいいっぱいお付き合いしたいから!!」あのシーンで号泣したことを、思い出した。
嘉郎の言ってること、そしてこの状況って、不思議に一致する。でも同じようには感動しないんだ……。それはやはり、ここまでの物語の作り方にあると思う。いや別に、本作でカンドーさせなくてもそりゃいいんだけど(爆)。
でもここにクライマックスを持ってくるんなら、これはそれなりに重要なメッセージ、テーマということなんじゃないの?エロ、つまり誰か相手を求める気持ちは、一人じゃない世界を続けていくために、大切、どころか必要不可欠なものなのだと!!

エロエロオッサンなのに童貞だからエスパーになっちまった喫茶店のマスター、マキタスポーツが勧める形で、やたらとフューチャリングされるアダルトグッズ、テンガ。ここばかりは胸を張って全国ロードショー!とゆーにはなかなかチャレンジングだわ(汗)。爆発的に売れちゃいそう(汗汗)。
そして、とゆー訳では全然ないが、エンドソングは岡村靖幸のゴキゲンなナンバー(超死語)。思った通り、園監督自身のリクエスト、判るわー、年代だよねー。

とにかく、ヤスケンのはまりぶりが嬉しかった。現場でも才能ある若手役者を相当にホンローして楽しんでいたという話が聞こえてくるのが嬉しい。★★★☆☆


みちていく
2014年 89分 日本 カラー
監督:竹内里紗 脚本:竹内里紗
撮影:松島翔平 音楽:金光佑実
出演:飛田桃子 山田由梨 鶴田理紗 西平せれな 崎田莉永 山口佐紀子 篠原友紀 宮内勇輝 泉水美和子 小野孝弘

2015/7/7/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
映像系芸術学部の卒業制作作品が公開作品にまでのしあがるのが、結構最近あるんだよなあと思い、そういう作品ってやはりまだ商業映画ではないせいか、センシティブという点でかなり好みが分かれる傾向にあるというか、ドカーンと直球で大好きになる作品もある一方で、なんか最初から作家性ぷんぷんしている感じがしてめっちゃ苦手と思ったり……。
だから本作に関しても、最初に指導者たちがめっちゃ激賞しているのを目にしちゃったもんだから、かなり及び腰ではあった。でも、気になる。やはり気になる。いつだって若い才能は気になる。
しかも女性クリエイターなら、尚更である!最近は多くなったというものの、比率的にはまだまだ、まだまだ。そして肩の力が抜けない向きも、まだまだ、まだまだまだ。いや、肩の力が抜けてないのは私なのかもしれないけど。とにかく、青田買いはしたい訳で。

何かが、違った。今まで遭遇した、そうした作品たちと。そりゃ私は女の子が大好きで、女の子がそのセンシティブでぶつかり合う物語が大、大、大好き。まさにこれは直球どストライクには違いなかったのだが、何かが、違ったのだ。
それは、陸上部という設定だったのだろうか、年上の恋人に噛んでもらうというフェティシズムだったのだろうか、精神と肉体のバランスが危ういこの高校生たちを眺める視線は、単なるセンシティブとは違うような気がした。

だんだんと日焼けしていくヒロインのみちるは、体育会系の女子らしく、今時のメイクやアクセできらきら飾るタイプではないのに、一見して真面目な女子高校生なのに、恋人に噛んでもらうことで自分の存在を認識しているのだ。
その最初の提示で、何かが違うと思ったし、それが生々しい恋愛にいかないのも、それはそれで、女子高校生としての青春の悩みも鮮やかに描かれているのも、その距離感も、何かが違うと思った。凄く魅力的なんだけど、何が違うんだろうって……。

観終わった後、監督さんの出自を知ってはたと膝を打った。立教大学現代心理学部映像身体学科!これは初めて聞いた!いわゆる芸大系でもなければ、映画学科でもない、そういうところから出てきた作品に、私は初めて出会った。
この学科は名前からして、映画業界に才能を送り出すタイプの場所ではなさそうだけれど、ならばどういうスタンスの学科なのだろう……などと、作品とは関係ないことが気になったりし、それはこの監督さんが、そういうスタンスで本作品を撮ったのならば、この後、商業映画界に進んでいくのだろうかとも思ったりもし……。

とにかく、この出自を聞いたら、全てが腑に落ちた気がした。現代心理学、映像身体学科。ああ、腑に落ちる、腑に落ちる!!今振り返っても、なぜあんなにも精神、心理、気持ちでパンパンに満たされていたんだろうと不思議になるほどの時代、よくぞあんなにパンパンで、死んでしまわなかったなあとさえ思ってしまう。
そしてそれが私のような文化系女子ならただモンモンと内にこもるばかりなのだが、そのしなやかな身体で外に発散すると、また別の化学反応が起こる。同じ体育会系女子同士のぶつかり合いも、精神と肉体のバラエティミックスなのだ。

それも静かに、ひそやかに、女子らしい陰湿さと、逆に高校生らしい素直さが矛盾なく同居する、この不思議さ!後から考え直してみれば、かなり深刻で辛い高校生活が描かれているのに、淡々とことさらにドラマティックにしないのも、この出自のせいだろうかと勝手に想像してしまう。とにかく今までにないタイプの作り手が現れたことは間違いないのだ!
何かそれは、つい最近経験した、ももクロちゃんたちが熱演した 、演劇部の青春との見事な対照を思い起こさせるんである。文化部と運動部という差異もさることながら、ももクロちゃんたちの世界にだって当然ある筈の陰湿な対立があっちには見事なまでになく、それでいて運動部の世界なのにまるで文化部のように心理的、精神的対立のみに焦点が当てられているのだ。
ももクロちゃんたちが、文化部なのに懸命に運動部的な頑張りを描写しようと腐心していた(だけに、ビミョーだった(爆))のと完全な対照をなしているのが、ホント、面白いなと思って。

冒頭、柔らかい二の腕のアザを鏡に映し、ばんそうこうを貼るみちるの姿はとても鮮烈な印象を与え、ポスターなどの宣材写真にも使われているのは実に判る気がするんである。目をまん丸く見開いた、あどけない表情のみちるは、後に粛々と描かれていくのを見るにつけ、監督さんの出自が存分に発揮された、複雑な内面を持つ少女である、と思う。
陸上部のエース。同じ部活でなあなあに練習している友達とそれなりに付き合っている。つまり、本当に自分がやりたいことを言えてない。おとなしい優等生。

部活動の詳細をびっしり書いた部長のノートをこっそり持ち出したくせに、知らないと言うずうずうしさ。それをしれっと返しに行って、凄いと思う、としれっと褒めるしたたかさ。
いや、本人はずうずうしいとかしたたかとか、思ってはいないだろう。それが女子高生という季節なのだ。みちるに関しては、そうした、商業映画では決して描き切れない少女の複雑な季節を生々しく感じる。
陸上部のエース、重たくかぶさる黒髪、劇中どんどん日焼けしていく筋肉質の身体、その一方でぐっと年上の恋人がいる生々しさ。本田翼嬢がもてはやされるようなラブな青春映画では、決して得られないモヤモヤ感。

一方の部長である新田は、新田、とオフィシャル解説でも苗字読みなのが物語っている。彼女は少女漫画にも出てきそうな、女子校ではモテそうなザ・体育会系部長で、ダラダラ系部員を何とかしたいと、日々悩んでいる。
でも時期部長に指名したい後輩は勉強を優先したいと断ってくるし、顧問も意欲的じゃない。物語が始まった当初は、はっきりいって彼女一人が空回りである。

正直言って、その新田に、生々し系みちるが同調してくるというのは、意外だった。みちるの人物像は、それこそ監督の出自を持ち出したくなる、女子高校生の複雑な内面を肉体化した一種の不思議な生物、といった感じだった。
一方で新田は、先述したような、少女漫画にも出てきそうな真面目な体育会系少女。つまりこの二人は未知との遭遇なのだ。私は最後まで行っても、この二人が仲良しになるのが、なんだか不思議な気がした。いや、悪い意味ではなくて、純粋な意味で。

でもだからこそ、様々なキャラクターが彼女たちの間に入り込んでくるのだと思う。みちるの夢は部長になること。もともと足が速いみちるは、それだけで評価されてしまうことに不満を持っていた。私の夢は部長になること……部長としての立場で悩みまくっている新田にそう言い放つあたりも、この年頃の少女の不思議な心臓の強さである。
その意味では新田はとても判り易い繊細さを持っていて、ラクにやりたいという派閥から反発を受けると、それまで頑張っていた分ぽきりと折れてしまうのが決定的になって、部長どころか部活自体を辞めてしまう。

この、反発派閥は先述したようにみちるとナアナアで仲良くしていた女子なのだが、確かに記号的ではあるんだけれど妙に弁が立つ憎たらしさで、そして妙に冷静なのがさらに憎たらしく、非常に上手いキャラ。
冷静、つまりある意味静謐とも言える静かさ、というのが、また今まで見たことのない感じだった。バトル感がないのだ。温度は低いんだけど、凄く濃密な心理戦。演劇的クライマックスを持ってこようという意識がないということなのだと思う。それが本当に、何かが違う、という感じだったのだ。

振り返れば、劇的な人物は何人も登場するのだ。その最たるものは、みちるのクラスメイトで、「宇宙から見れば自分たちはちっぽけだって言うけど、宇宙を認識しているのは人間なんだから、そういう言い方は判らない。私たちが宇宙だよね。」と言う星野さん。
色の真っ白い、唇の薄い、見てるだけでどこか異世界からの転校生のような雰囲気を持つ彼女の手首に、無数の傷があることにみちるは気づいていた。そして、授業中、立ち上がった彼女がカッターでぐさぐさ手首を切りつける描写に衝撃を受ける……本作の中で唯一と言ってもいい、いわゆる商業的観客を意識した描写だった。

その後の展開も、それなりに商業映画チックである。この出来事にショックを受けたみちるは学校に来れなくなって、新田を退部に追い込んだあの性悪同級生も「私のせいかな」と気にしたりする。いやいやいや、そんなタマじゃないでしょ、アナタ!いやいやいや……。
新田がみちるを訪問してのやりとりは本作のクライマックスであり、二人の女子のセンシティブがぶつかり合うすがすがしい場面ではあるのだけれど、このあたりになると、商業映画な目配せを感じなくもないというか、ちょっとした気恥ずかしさも感じなくもなかった。

いや、それは、年上の恋人に噛んでもらうことで自分の存在を保っている、とみちるが言葉で解説しちゃったから、ということもあったかもしれない。
それまで断片的に出てくる恋人は決してサディストという訳じゃなく、フツーのサラリーマンな感じで、みちると恋人といってもキスシーンすら出てこない、タバコを吸ったみちるを叱り、仕事の悩みを知りたがる恋人に困った笑みを浮かべる、きわめて好青年なのだ。

みちるの求めに応じて様々な場所に歯を立てるのも、しょうがなしにそっと、という感じである。でもだからこそ、この恋人には判らないのだ。10代の頃の苦しさが、今社会人である自分の苦しさの何倍も上だということを、忘れ去っているのだ。
それは近すぎるから。近すぎるけど、恋人としては年上だから。社会人だという妙な自尊心が、愛しい恋人を無意識に傷つけていることを、この優しき青年は判ってないのだ。タバコが吸える年齢なだけで、彼の方が何倍も子供かもしれない、のに。

だって本当なら、このあざは二人の間だけの秘密の筈。それをみちるは新田に見せた。新田にだけ。もうこの時点で、恋人との秘密よりも、新田とのそれの方が大きく、深く、重要なものになった。なってしまった。
みちるが、そして新田が、それを自覚していたかどうかは判らない。腐女子ババアが勝手に妄想して喜んでいるだけかもしれない。でも彼女たちが距離を近づけ、プラネタリウムに一緒に出掛けた時、こりゃーもう、と思った。
プラネタリウム、王道のデートスポット、あるいはちょっと古臭いデートスポットで、見る限り他に観客はいない。秘密の恋人、秘密のデート。そしてこの場所を選んだのは、「宇宙は私たち」と言った、あの孤独の匂いを充満させていた同級生なのだ。

大人になれば、あらゆる個性も、人間性も、社会生活に合わせる芝居で慣らされてしまう。先鋭な感覚は丸く慣らされてしまう。もう、高校生活という舞台で、その砥石は用意されていて、星野さんはその存在に気づいてしまった犠牲者なのだ。その他大勢は、それに気づかず、自らその砥石に研がれて、丸くなっていってしまうのだ……。

でも、あの商業映画的クライマックスで星野さんが手首をザキザキ切り、みちるが学校に出てこれなくなって、新田が開口一番、報告したことがあった。「星野さん、来たよ。あの人は何度でも、来るよ」
新田は何の根拠があって、何度でも来るよと言ったのか。それは、それこそ、若き、体育会系の、直感というものなのだろうか。いや、星野さんの行為の意味が、具体的に新田の腑に落ちたのかもしれない。上手く言えないけど、自分が納得できる行為で示す、その行為が星野さんの場合はあまりに危険すぎるけれど……覚悟を示すためなら、何度でもする。ということなのだろうか??

個人的には、先輩たちを実によく見ている、練習熱心で新田から来年の部長に望まれている後輩の女の子がものすごく心に残る。みちるや新田がある意味自分自身でも説明しきれないもどかしさを持て余しているのに対して、非常にハッキリ、シッカリしている。
作劇上必要なキャラなのかもしれないが、尊敬はしているけれどかなり愚かな先輩たちがクリアに見えている彼女は、ある意味怖い人物設計なのかもしれない。とても頼りになる、可愛いしっかり者、というのが。

そして、「(先生の言う)前って、どっちだと思う?私はこっち(窓の方)!」と無邪気に言い放つ新田の後ろの席の女の子。彼女の風変わりさはそれこそ商業映画で光り輝くエキセントリック少女で、親の都合でバイトしてるとか、引っ越すからお別れとか、ちょっとベタなぐらいなんだけど、他の少女たちがそんな映画的から切り離されているから、凄くキラキラしていて、それでいて哀惜があって可愛くて、強い印象に残るんだよね。
あれ、あれれ、つまりしっかりエンタテインメント映画としての魅力も兼ね備えているということ??ヤラれた!!★★★★☆


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