home!

「し」


2010年鑑賞作品

シーサイドモーテル
2010年 103分 日本 カラー
監督:守屋健太郎 脚本:柿本流 守屋健太郎
撮影:鰺坂輝国 音楽:YOUR SONG IS GOOD
出演:生田斗真 麻生久美子 山田孝之 成海璃子 玉山鉄二 柄本時生 温水洋一 古田新太 小島聖 池田鉄洋 山崎真実 赤堀雅秋 ノゾエ征爾


2010/6/15/火 劇場(ヒューマントラストシネマ渋谷)
この監督さんは初見ね♪とか思っていたら、五年前のデビュー作を観ていた……しかも、タイトルを聞いてもまったく思い出せず軽くショック。
思い返してみるとかなりキョーレツな話で世界観で、確かに本作のキッチュさに通じる部分があるのに、なんでまあ、こんなにキレイサッパリ忘れてたんだろ……森山未来君を見た第二作目だというのに、彼の出演作、というのを頭に浮かべる時に、この作品が入ってきた覚えが全くない(爆)。
かの作品を観た時ね、多分……“想像と違う”ことが、凄く作家的方向に行っちゃった感じがしたのが、なんかふっと心から離れてしまった原因だったのかもしれないなあ。
その後5年も間があいてしまえば、そりゃあ思い出すチャンスもないんだもんさあ(涙)。

そのデビュー作を思えば本作に関しては、ある意味期待通りで予想通りだったように思う。その点の破綻はなかったように思う。
私の苦手なオムニバス風な流れで、これからひとつずつエピソードを記していかなきゃいけないのかァと思うと若干気が滅入るけれど、その、いくつもの物語が並列して語られることに関して、見事に破綻がなく、バランスがとれている。

けど、画は凄くはじけようとしてるって感があるんだよね。んんー、それは思えばデビュー作で既にそうだったかも(爆)。
それぞれのエピソードが全て、登場人物の目がパチリと開くところを接写で撮って、そしてザッ!とカメラが引くと、その登場人物の今の状態が明確になる。
そのどれもが、山の中にあるのになぜかこんな名前のカビくさいシーサイドモーテルなる、安旅館の一室なんである。
そして総じて、なんだか湿っぽいカラフルさと、登場人物のテンションの高さに、最初から若干疲労感を感じる。

そうそうたるメンバーを揃えてるんだけれどね、なんかその点、総じておんなじ感じでちょっと残念だったなあ……。
ああ……璃子ちゃんは、演出によって凄く波があるんだよなあ。本作では彼女、おんなじ顔しかしてなかった気がする。
そりゃあキャラ的には「ねえ、どーして、どーして」とやたら聞きたがるウザイ女の子(しかも男の見る目ナシ)なんだけど、それがまさにセリフだけって感じで、もうずーっと眉根を寄せてちょっと口開けてる、あの顔なんだもん。
これってさ、誤解を恐れずに言えば、彼女のある種、地顔だよね(爆)。ここからどう開いていくかが見せ所だと思うんだけどなあ……。
鎖骨の黒猫のタトゥーが可愛かっただけに、なんかすごい残念!それに彼女が言う「猫祭りに連れてってよ」ていう、その猫祭りもすんごい気になる!!

……おっと、なんか全然判らない方向から始まってしまった。
ええとね、だからね、一応本作は、生田斗真君がメインというかウリとしては宣伝展開されているけれど、ほおんとに、並列だよね、各部屋のエピソードは。
まあ彼がメインだとすれば、この安モーテルの各部屋に飾られている海辺の写真、夕陽にヤシの木が手前に梢を茂らせてて、波打ち際にカップルが背を向けて寄り添って座っている、というあまりにもベタなその写真の場所に、彼がラスト向かう、つまりケツを任されているという点だろうなあ。

そこで恐らく、ウソの応酬を繰り返したデリヘル嬢のキャンディと約束の再会を、数ヶ月を経て果たす、という幸福な予感を持って映画は閉じられる。
この日この時時を同じうした各部屋の人間たちは、隠し通したハズの不倫の道行きが交通事故死によって明るみに出たり、ヤクザから数千万円を借金して逃亡した男が、正視出来ない拷問を受けたりと、何気にブラックな運命も満載で。
てゆーか、まあそんないちどきに起こらないよな……しかもこんな、夜間には節水という名目で水が止まるような安モーテルの部屋が、こんなに埋まっていること自体が不自然だし。
結局はなんとなく大団円なのがスゴイといえば、スゴイかも。

まあだから、生田君から行こうか。彼はインチキ美容クリームのセールスマン。だけど、ちっとも売れない。“年に二回の社員旅行”はこんな具合に地方への出張営業なんである。
原価数百円のクリームを数万円で売るってんだから、こういうのを聞くと、世の美容クリームはヤハリマユツバものだよな、と思う。
ごっそり残った美容クリームを抱えて安モーテルに宿をとった彼の元に、呼んだ覚えのないトウのたったデリヘル嬢がキャピキャピッとした定型挨拶と共に現われる。
確かに間違いではあったんだけど、彼は彼女のフーゾク嬢としての手練手管に、未熟なセールスマンとしての術を賭けてみたくなって……。

で、このデリヘル嬢をホントに呼んだのが、古田新太演じる激安スーパーの社長である。ここには奥さんと共に投宿している。
豪華な籐椅子に座らせて、エマニエル夫人ごっこなぞしたりするが(「氷の微笑」よりも、やはりこっちの世代って……そうかなあ?古田氏なら「氷の微笑」の方が近くないだろうか……)彼の“エマニエル坊や”はちっとも元気になってくれないんである。
たまには他の女の子の刺激をと、彼はデリヘル嬢を呼ぶために、いつもは眉をひそめている奥さんのパチンコ狂を、「ヒマ潰しに行ってきたら」と勧める。まさかそれが奥さんとの永の別れになるだなんて思いもせずに……。

奥さんは出かける直前、彼に女装を施し「私が帰ってくるまでにメイクを落としてたら、即離婚だからね」と飛びっきりの笑顔を見せた。
まったく嫉妬深いんだからと、彼は苦笑さえ浮かべて、まさか彼女が不倫の道行きにあるなんて思いもしなかったのだ。
そして彼女は……従業員の若い男の車で、トラックと衝突、命を落としてしまう。

その、古田新太に自らの命を賭けるのが、璃子ちゃんを従えてこの山ん中に逃げ込んできた山田孝之扮する、まあ安っぽいチンピラである。
彼が一番、本作の中では立っていた気がする。まあ正直、どのキャストもある程度のハジけ方と、ある程度のキャラで動いているという感が(それは確かにテンション高めではあるんだけど、その高めのところで平均化されているというかさ)ある中で、彼のそれは、私の好きな彼の独特の暗さが非常に上手く作用していたように思う。

絶妙に造作の濃い顔つきといい、ていうか、彼は絶妙に毛が濃いのよね……男優に対してとりあえず言っとくような“イケメン”では決してない、と思う。そんなヤサ系からは一線を画している、ある種の泥臭さ。
それはね、彼を追っかけてきた幼なじみの、ソレゆえにイマイチ非情になりきれない優しいヤクザ、玉山鉄二が、確かに“イケメン”であるが故に、非常に対照的なんだよなあ。
山田孝之は、その適度にムッチリとついた体つきもひどく生々しいよね……璃子ちゃんはここでは思い切った魅力を発揮できなかった感はあるけど、こんな“野獣系”(イケメンというより、そんな感じ)の彼にゾッコンほれ込んでるってのが、そりゃーまあ、いろんな想像しちゃってドキドキしちゃう。

ていう、その流れで言うと、一組取りこぼしてしまう(爆)。外見的には最もインパクトのある池田鉄洋氏。彼がキャバクラに通いつめて口説き落とし、ここに連れてきたキャバ嬢が泊まる一室。
他の部屋のエピソードもつながりが薄いけど、ここは一番薄い……だって、隣室の(生田君と麻生さんのトコね)楽しそうな笑い声が聞こえてきてキャバ嬢がイライラするってだけなんだもの。

あ、そういえば言い忘れていたけれど(てか、大事なトコなのに!)山田孝之と璃子ちゃんのとこと古田新太氏の部屋のつながりは、今にも殺されそうになっていた山田氏が、玉山氏に、窓の外を通り過ぎる人間が五人連続で男だったら今までの借金をチャラにしてくれ、と決死の大バクチをしかけたこと。
古田氏の奥さんが不倫相手と事故に遭ったことでおまわりさん二人が訪れ、そのおまわりさんの往復と、おまわりさんが連れて行く古田氏とで五人連続男、となるはずが、古田氏が奥さんに女装メイクさせられていたことで事態が混乱、一度璃子ちゃんを売り飛ばそうという発言をした山田氏に怒った彼女によって、「あれは誰が見ても女!」と断言されちゃって、山田氏は窮地に陥るのね。

なんか役者名で話してるとヘンだな……でもこれだけ並列にいると、役名を言ってる方が混乱しそう(爆)。
……でもさ、最初から拷問師の温水さんとの決死の芝居が決まっていたんなら(数千万の借金どころか、組から盗んだ億の金を持ってトンズラする!!)こんなところでムダに命を賭ける必要はなかったけれども……だってさ、いくら玉山氏が熱くなっても、山田氏からそれなりのカネなりなんなり、なにがしかの収穫を得なければ彼は組に顔が立たないんだから、拷問師が来る前においそれと殺したりはしない筈じゃない?
それとも……ここで本当にチャラに出来たら、山田氏は璃子ちゃんを連れての幸せも考えていたのかなあ……いや!そんな雰囲気もなかったよなあ……。

で、なんだっけ。ああ、そうそう、それでいえば池田氏扮する  とキャバ嬢のエピソードはやはりちょっと薄いかなあ。
いや、なんたって池田氏だから見た目のインパクトは大だし、“この世の果て”の安モーテルに連れ込んで、高飛車なキャバ嬢をモノにしようという安易な考えがあっさり突き崩されてしまう情けなさは圧巻なんだけどさ。
彼女を釣った、“二泊で十六万の高級旅館”という、数字をリアルに出しちゃうヤボさといい、寝る前にヨガを三時間!やるという彼女にウンザリしつつも、その股広げに釘づけになるお約束についつい笑っちゃう。

そして、思わず逆ギレしたことが功を奏して?彼女とヤレることになるものの「誰の体液か判らないベッドはイヤ」という彼女のリクエストで、駅弁スタイル!そしてギックリ腰!!世界サイアクにナサケネー!!
せめてパンツだけははかせてくれ……と懇願する彼を置いて、一応は救急車を呼ぶ優しさだけは見せて、彼女は去っていってしまったんであった。

……あー、やっぱりオムニバス(風)は、エピソードを語るだけで疲れる(爆)。で、その救急車の音に、山田氏が裏切って警察を呼んだとカン違いした玉山氏が、拷問師が用意した致死量の毒薬が入った注射器を押して、彼を“殺して”しまう。
ああ、そうだったそうだった、そのつながりもあったんだっけ……でも改めてそれら各部屋のつながりを思い返してみても、やっぱり薄いよな……やっぱり一連の流れというより、オムニバスの雰囲気が強い。
で、こうやって見てくると、やっぱり見ためのインパクトからも、メインであるはずの生田君と麻生さんの部屋のエピソードが一番弱い(爆)。
せっかくのカラミも、監督さんのムダな気の使いようで一人ずつの顔のアップでの描写という、ポップにもならねーヤボさでさあ。

他の部屋のエピソードとのつながりが最も薄かったと思われた彼らだけれど、玉山氏の下についているいかにもバカそうなヤクザの見習い君がさ、彼の将来を慮った玉山氏によって“解雇”され、キャンディにフラれた生田君と道行きを共にしてラストを迎えるのだから、ヤハリそのあたりは上手く出来ているのかもしれない。
それに、フラれたというのは彼の思い過ごしで……まあ、そう思うのはムリないほどに、デリヘル嬢の彼女と未熟な詐欺師であるセールスマンの彼との騙し合いっこはスリリングだったんだけど。

でも結局は、騙し合いと見えていた、あるいは彼らがそのつもりで繰り広げていた睦みあいも、実はそのつもり、っていうのが、自らに言い聞かせていただけで、最初から最後までマジだったのかもと思えば、もっとスリリング、なのよね。
まさに生田氏が何度も言うように、インチキクリームも、客によってはホンモノになるる。インチキの愛をばらまいてきたデリヘル嬢が本当は本物の愛を欲しがっていて、今、今日出会った彼にそれを感じたと言われて……。
そりゃあ十中八九セールストークだと思うのがフツーで、彼もそう思ったからこそ未熟な詐欺師として挑もうと思ったんだけれど……これが思いがけず、まるで奇跡みたいに、二人共の思いが、本物だったというファンタジーなのだ。

夜明け頃には、また戻ってくる。水着と日焼け止めを持ってね、と彼女は言って、出て行った。
彼はそれを信じて有頂天になった。
でも、彼女は日が高く昇っても来なかった。思い返すと、彼女の居眠りした文の時間を延長した朝方ギリギリに、彼女はそのセリフを言ったことを彼は思い出し、してやられた、と思ったのだが……。

実は、山田氏と温水氏の逃亡チェイスに巻き込まれていたのよね。
やはり最後まで鬼畜だった山田氏は、手引きしてくれた温水氏さえも手にかけ、大金を独り占めしようとした。
メチャクチャにアクセルを踏んだ車が迷走する。
この時間に車が通るとは、彼らは思っていなかったんだろう。
キャンディが水着と日焼け止めを積み込んで、鼻歌交じりで運転していた車が見事に突っ込んでしまう。
だから、彼女は来れなかったのだ。

で、まあ、ラストは書いた様な気がするから(爆)言わないけど、あー、こういう作りって、ほおんとエピソードを連ねるだけで、疲れる(爆爆)。
だから、オムニバスとか、オムニバスもどきって、苦手なのだ(大爆発)。
それになんか……一応はリンクしていないことはないけど、一つの長編映画に収めるようなネタではないような気がするなあ……。
ああ、そうだったのか!というカタルシスはないんだもん。つながり方が、偶然と、ご近所さんつながり程度で。

ちなみにさ、パイナップルはお肉系ととても合うんだから。私だって大好きさ!
やたらキライ系に挙げられる酢豚のパイナップルだって、あれはあるべくしてあるのさ。軽くフォローはあるけど、あんな趣味悪い、趣味悪いって連呼しないでよね、もう。 ★★★☆☆


四季・ユートピアノ
1978年 90分 日本 カラー
監督:佐々木昭一郎 脚本:
撮影:吉田秀夫 音楽:
出演:中尾幸世 堀口礼世 小林千秋 工藤斗久

2010/7/27/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
上映15分前に到着したら、ロビーに人があふれていてビックリした。私の整理番号は130番を超えていた。ホントに立ち見になるかと思った。
ユーロスペースの右隅の席はエアコン直撃でキツいんだよなあと知っていたけれど、座れる幸運に感謝しなければいけなかった。
正直、本作がどうしてそんなに人気なのかその理由が判らなかったので、とにかくビックリした。

というのも私は出演者、中尾幸世の名前を見つけて、うわあっ!と思って飛び込んだってだけだったから。
ゴールデンタイムにテレビから締め出されていた10代、それでも特に苦にはならず、私はアッサリラジオっ子になっていた。
それもNHK−FMをよく聞いていた。ラジオドラマも好きだった。思えば、テレビドラマの替わりにラジオドラマを熱心に聞いていたんじゃないかと思う。その時私がすっかりとりこになった声が、彼女だったのだ(声フェチなの、私)。

だから、顔も知らなかった。名前も、こういう漢字を書くんだということさえ、今回初めて知ったぐらい。ひそかなファンが多いらしいことを、恥ずかしながら今回初めて知る。
今でも彼女が出演したラジオドラマを録音したカセットテープが、いくつか手元に残されている。
特にニュートリノを観測する地下施設に勤務する女性を描いた「天の記憶」はお気に入りで、何度も繰り返し聞いていたから、冒頭なんか音がのびのびになってしまっているぐらい。
ああ、チェレンホフ光!地下何千メートルで響く彼女の密やかな声に魅了されて、一時期、こんな仕事があるんならしてみたいわと地図帳を広げたりして、妄想していたぐらい。

その、ラジオドラマも多く手がけた、NHKのドラマディレクター、佐々木昭一郎氏の特集の一本だった。ラジオドラマも!もしかしたらあれも彼の作品かも?と心躍らせて聞きなおしてみたけれど、残念ながらそれは違った(爆)。
でもNHKドラマで彼女を数多く起用した、つまり彼にとってのミューズだったというんだから、私が聞いている中でも彼演出のラジオドラマがあったんじゃないかな、などと夢想する。

とはいえ、今回目にした本作は、私がラジオドラマを聞いていた頃よりはずっと溯る。だからか、私が声から想像していたよりも彼女はずっと若くて瑞々しくて。
でもやっぱりその声は、私がなんどもなんども、テープが伸びるほどに聞いていた中尾幸世その人の声で、なんだか不思議な気がした。

と、すっかり前置きが長くなってしまったけれども。
本作は、そんな声だけの印象の彼女のお顔を初めて拝見したにも関わらず、まったくもって、私の中で勝手に作り上げていたであろうイメージから外れることはなかった。不思議なほどに。
全編が彼女のひそやかなモノローグで綴られるのも、その印象を強くしたし、はやりすたりを超越したクラシック音楽、しかも使い古されていない絶妙な選曲バランスが、時空を越えて浮遊するような、研ぎ澄まされていてかつ癒されるような、不思議な感覚をもたらした。

そんなことを思うのは、私がラジオッ子だった記憶を、殊更に呼び覚ましてしまったからなのだろうか?
後から考えてみると、それなりに彼女の調律師としての成長物語を追ってはいるんだけれど、観ている間はまるで詩を聞いているようだった。いや……詩の響きの中にたゆたっているようだった。
こんな作品が作られているということ事態に、さすがNHK、という感嘆も覚えた。いや……さすがのNHKも、現代だったら、こんな作家的で私的な作品を作り、電波に乗せるのは難しいかもしれない。

ひとことで言ってしまえば、田舎育ちの女の子が調律師になるまでの話……でも、そう言ってしまうと、100パーセント違う気がしてしまう。
彼女は幼い頃亡くした兄や、父の思い出をモノローグしていく。それは常に、彼女の音の記憶に直結している。
線路の音、ピアノの音、一つずつ積み重ねられた音の記憶。
初めて聞いたピアノの音を彼女は「ダイヤのような音がお腹に響いた」と表現した。もうそこでドカーンとヤラれてしまった。
なんて、キラキラとした言葉を使うのか。それを、こんなかすかなそよ風のような、密やかな声で語るのか。

そして、アナログレコードからは、かすれたクラシックが響き渡る。その中には爆撃の音が収録されている盤なぞもあって、それでなくても音に怯えていた父親は、ひどくひどく怯えて……「赤くて丸いものも怯えた」のは、爆弾そのものを想起させたからなのか。
戦争の記憶が色濃く残るらしい父親は、軍服を着てやぐらの上によじのぼり、そんな父親を彼女が必死に家に連れ帰る場面もある。
その時彼女はセーラー服にもんぺ姿。そして手には、ラッパ型の蓄音機。もうこの時点で、音のない世界に行きたいであろう父親との乖離がハッキリと示され、何かたまらない思いになる。

青森か、あるいは東北の北の方に住んでいたと思しき、ほっぺの赤い幼い兄と妹は、雪をキュッキュッと踏みながら橋の上までたどり着き、たくさんの赤いりんごを川に放り捨てる。
りんごが川に流れるその様を、じっとじっと、見つめていた。もうその描写も、私の幼き北の記憶を思い起こさせてビリビリきてしまった。

兄が火事に巻き込まれ、死んでしまった記憶も鮮烈である。
いや、死んでしまったとは、言わない。その後も彼女の周りから幾人も親しい人が失われ、それはきっと死んでしまったと思しきなのだけれど、一度としてそうは言わない。ただ、風の中に消えて行ってしまった、と言うだけである。

ことに、彼女が師事していたおじいちゃん調律師、ミヤさんは、調律に出かけた豪華客船の中で行方をくらました。
その直前、手の震えが起きて、もう調律が出来なくなったことを悟っていた彼は、自分の引き際を知っていたように見えた。
若くはつらつと美しい、孫のような女の子の弟子を慈しんでくれたミヤさんは、まさに風のように去って行く。

お兄ちゃんの時も、ミヤさんの時も、そしてその後、彼女の助っ人をしてくれた先輩調律師が“風のように去った”時も、彼女は「一つ音が失われた」という表現をする。あの、それこそ風にかすれて消えてしまいそうな、ひそやかな声でそうモノローグする。
彼女そのもののように肉薄するカメラが、微細な表情をかぎわけるように拾い集める。
彼女は常に口元は明るく笑っているんだけれど、一見して明るい印象も持つんだけれど、その長い長い漆黒の髪と、何よりそのひそやかな声が、ひどくしんとした印象を与える。
足も長くてスタイルもいいのに、風の中に消えていってしまいそう……それは、私が長年、彼女の声の印象を強く抱き続けてきたからだろうか。

およそ調律師になることとは関係のない描写も印象に残るのは、女の子が一人生きていく物語が、一つの目的に全て通じている訳ではない、でもやはりその全てがひとつに通じている、などとアンビバレンツなことを思うからだろうか。
たった一人になって祖父母の元に身を寄せた彼女、祖父が倒れて酒びたりになって以来生活が苦しくなり、馬を手放し、家財道具を手放し……。
しかしそれらの様子も、音楽でも奏でるみたいにさらさらとしていて、殊更に困窮している様を見せる印象はない。
彼女はどうしても馬を買い戻したいと思う。その欲求と、彼女がゆくゆくは調律師になりたいと願うそれとは、不思議なほどに共振していく。

海辺で音叉を拾う。なぜこんなものが砂浜に埋もれているんだろうと思うけれども、それが囁くような、歌うような彼女のモノローグに乗せられると、何ひとつ不思議はない気がしてしまう。
古いピアノを見つけて、一日学校を休み、調律を試みる彼女。音叉を握る手と、ハンマーを握る手、身体の中をダイヤのようなピアノの音が震え、通り抜ける。それを彼女は本当に嬉しそうな笑顔で受け止める。
この描写自体、ひどく詩的で、たまらなく胸を締め付ける。ダイヤのようなピアノの音が、右手から左手を通って自分の体の中を駆け抜けるなんて!

それと、馬を迎え入れた時もおんなじ顔をしている。電球の下で馬を買い戻すためのお金を勘定している。暗闇にあかあかと点された裸電球と、彼女の清新な顔のコントラスト!

祖父母に見送られ、田舎町を後にする。小さなピアノ工場に勤め始める。年の近い仲間たちとの、まるでキャンパスライフのような若くニギヤカな生活。
それぞれに夢がある。ジャズミュージシャンになりたい青年、作家になりたい青年、女だてらにボクシングの強い女の子……そんな若者たちがひとつひとつ丁寧に、慈しむようにピアノを組み立て、磨き上げる。

ここに、いわゆる親方めいた人がいないというのも、なんだか森の中のお伽噺を覗いているかのようで、現実感がないんだけど、それがひどく魅惑的である。
ほどなくしてこの小さな工場は潰れてしまうのだけれど、ここで培った人間関係はその後も続き、彼女を訪ねてきた作家志望の青年に、カワイイおじいちゃん調律師匠のミヤさんが、「あまり感じのいい青年じゃないね」などとちょっとヤキモチめいた響きを感じさせてつぶやくのも微笑ましいんである。

でも、ひょっとしたらこの工員たちの中では、彼女だけが現実感があったかもしれない、と思う。一見すれば彼女こそが、風のようにさらりと行き過ぎそうにも思えるけれど、彼女の周りからみんな、風のように去っていってしまうんだもの。そうして音がひとつひとつ消えていってしまうんだもの。
そういえばカメラが趣味の青年もいたけれど、海岸で、彼ご自慢の高そうなカメラをいじっていた幼い男の子に投げ捨てられてしまって、怒るにもしょうがなく、ぼうぜんと壊れたカメラを眺めているシーンもあった。
あまりにもあっけなかった。それを彼女も何も言うこともなく見つめている。この時も、ひとつの音が失われたのかもしれない。

ひとつひとつ、失われて。でも彼女はきっと、その度にピアノでひとつひとつ、取り戻していったのだろうと思う。
ピアノ工場が潰れた後、しかし全くめげた様子も見せずに、さっそく調律師への道に邁進する。
最初に訪れた場所で「女性の調律師はうちではダメだということになって」とあからさまなことを言われるのに、あ、そうですか、てなぐらいにアッサリと笑顔である。
このあたりは、現代のありがちなドラマならば、決してスルーはしないところだろうと思うけれど、彼女はそれこそ、風のように駆け抜けるんである。

そして紹介状を書いてもらった、老調律師のミヤさんのところに転がり込む。本当に、娘のように可愛がってもらえる。
寝るところがないなら、あのピアノの下がいいです。ダメかしら、などと無邪気に言う彼女に、このミヤさんだけではなく、こっちもヤラれてしまう。だってピアノの下で寝るって……何となく色っぽい想像もしてしまうではないか。あ、私だけ?そんなこと思うの(爆)。

彼女が風邪をひいたりすると、まるで大事なおにんぎょさんを横たえるように、ソファに寝かせてそっと毛布をかけてやって、アロエを口に含ませてやったりする。
私、このミヤさんとのシークエンスがよほど好きだったんだなあ。なんかね、師弟だし、ずっとおじいちゃんだし、そういうことになる訳もないんだけれど、なんかこのおじいちゃんが、彼女を慈しんで慈しんで、そう、まるで音のしずくをひとつひとつ染みこませるみたいで、なんかそれが、乾いた心を心地良く湿らせてくれた気がしたんだもの。

彼女が最初に訪れた、調律センターにひしめくピアノもそうだし、勿論、ミヤさんの家に置かれた古いピアノもそうだし。
かつての工場仲間が訪ねてきて、随分古いピアノだね、と半ば呆れたように言うと、そのことには頓着せず、彼女は自然に、そう、風のように言うのだ。ここにいるピアノは患者さんなのよ、って。
調律って、その言葉通りの意味以上に、ピアノがいくら古くなったからって、寿命がきたっていうんじゃなくて、“入院”して“治療”すれば、“健康”な音を取り戻せるっていうことなんじゃないかと思う。

古いピアノほどに、彼女はいとおしげに触れる。本当に色々個性的なピアノが出てきて、シックな深緑色に塗られているアプライトピアノなんて、ああ、私凄い欲しい!と思ってしまった。
そんなピアノを頓着することなく往来で楽しげに押して移動している様なんかも、なんとも好きだった。

そして彼女が……貯金をはたいて自分用のピアノを買って、雪深い故郷の田舎町まで運ぶ描写がまた良かった。
配送について行きたくてたまらなくて、何度も何度も駅員さんに手順を確認して、厳重に梱包されたピアノを、粉雪舞い散る中見送る。二両ばかりの小さな輸送列車。なんてロマンチックなんだろうと思った。

しかも、そのピアノが行き着く先は、実家ではないのだ。彼女が調律に行く先の生徒たちに話して聞かせていた、“音楽室は大抵、二階の北側にある”
それは、幼い頃兄と二人で入り込んだ学校で、兄が風の中に消えてしまった記憶。そこに、彼女はピアノをおさめた。失われた音を紡ぎ続けて、そうして今やっと、お兄ちゃんに返せた、そんな風に。

彼女が綴り続けている音の日記が、非常に印象的である。春、夏、秋、冬、彼女に降り注ぐピアノの音、そして失われゆく音。
思えば音は、常に失われるものなのだ。記憶の中にしか存在しない。音楽という、時間の芸術のはかなさを思う。それがこの、中尾幸世のはかなさ大全開の声でモノローグされ続けるんだから余計である。

時間芸術のはかなさ、それは映画も同様だけれど、それ以上に、たった一度きり放送されるきりのテレビ番組の運命、しかもソフト化もされていない現状を思うと、その感慨は余計に感じてしまう。
でも、それこそ中尾幸世の声に魅せられて、今でも彼女の出演ラジオドラマのカセットテープを大切にとっておいている私のように、このたった一度きりが多くの人を魅了したから、今回の特集が実現したんだろうと思う。
今回はこの一本にしか足を運べなかったけれど……なんか、私の青春の記憶と、それが今の自分を形成していることを肯定してもらえた気がして、ちょっと、嬉しかった。

中尾幸世が実際のピアノ演奏を担当していることも、感動したなあ。最初に訪れるピアノ調律センターで、さらりと弾くのが「人形の夢とめざめ」可愛らしくもファンタジックな、なんとも絶妙な選曲で、嬉しくなってしまう!
勿論その後、この作品のテーマ的な存在感で登場する、「主よ人の望みの喜びよ」も……これはもう、万人にそれぞれの記憶を呼び覚ますメロディ。人は、いや、地球は、なんて美しいものをこの世に作り出してくれたんだろうか。★★★★★


島田陽子に逢いたい
2010年 77分 日本 カラー
監督:いまおかしんじ 脚本:秋本健樹 いまおかしんじ
撮影:下元哲 音楽:
出演:島田陽子 甲本雅裕 加賀美早紀 鈴木智絵 山内としお 杉崎真宏 成田裕介 貴山侑哉 生島ヒロシ

2010/10/21/木 劇場(テアトル新宿/ラブ・アンド・エロス・シネマ・コレクション/レイト)
島田陽子に関してはリアルタイムでは勿論のこと、作品を観る機会がなく、最近のAV出演報道のことも知らなかったのだが、別に元々脱ぐタイプの女優さんではなかった……のかな?
んでもってAV出演と本作は別に関係ない、よね?ちらりとその記事を覗きに行ったが、またしても“バストトップも披露する激しさ”と、このくだらない基準はどーにかならねーのかと思う内容でさ。

映画として公開された本作は、別にさらりとそのあたりもクリアしているし、57歳とは信じられない余分な脂肪がまるでつかない美しい身体に、私は絶対ムリだな……と唖然と見とれてしまう。
全然昔の話だとしても、彼女が高校時代まではバレリーナを目指していたというのはこのあたりに出るのかも、などと思う。草刈民代のヌードもひどくストイックに美しかったものなあ。

これは企画時代がラブ&エロスな訳だし、なんたってピンクの鬼才、いまおかしんじ監督作品な訳でもあるし、70分という尺的もかなりピンクに近い絞り込まれ方で、ほおんとにこれはそのAV報道とは関係ないのかなあ……などと、どーでもいいことを考えてしまう。
そりゃー、“バストトップを披露した”カラミはフツーに(そう、フツーになのよ。男と女が愛しあうシーンで出ない方がやっぱり不自然だよ)あるものの、そう、普通に、なんだよね。

いまおか監督のラブへの暖かなぬくもりが感じられる、虚構とファンタジックが交錯するラブシーンは、“ちゃんと”見せるけれど、エロというよりは、やっぱりラブである。
かといってこの二人の間に、越し方行く末に続くラブがあるかといえばそうではなく、言ってしまえば行きずりの関係であり、二人の間に流れる感情はラブというよりは同志、尊敬といった言葉の方が似合うというあたりが、この作品を一介のエロ映画とは一線を画しているよなあ、などと思う。

そもそも、この映画の中で島田陽子は島田陽子自身を演じているというあたりがキモなんである。ご丁寧に冒頭から、生島ヒロシに映画の内容に関してインタビューされる場面から切り込まれるし、途中何度かそのインタビュー場面が挿入され、彼女自身がこの映画にかけた意気込みを示されるんである。
だけどこれがね、二重どころか三重の構造になってるのかも、と思わせるラストに至るまで、実に巧妙に作りこまれているんだよね。

そもそもこの映画自体、島田陽子は島田陽子自身を演じ、その、映画の中の島田陽子は、更に映画を撮っているという、入れ子構造になっているんである。
インタビューを受けているのは、その劇中映画を撮っている島田陽子を語る島田陽子、と思いきや、本作そのものを語っている島田陽子であり、生島ヒロシから「こんな恋人が本当にいたんですか」と突っ込まれると、これはあくまでフィクションで……と交わすものの、そのインタビューを受けている楽屋に、その“恋人”の娘がやってきて、彼女に挨拶をする、というシークエンスが用意されている。

その“恋人”は劇中映画で、ピンチヒッターの男優からやたらしつこく触られまくって飛び出した“島田陽子”が偶然出会った彼女のファンであり、末期ガンに冒されている五郎である。
で、本作自体は島田陽子と五郎との心と身体の触れあいが描かれ、最終的には彼女は五郎を劇中映画の相手役に抜擢する。で、生島ヒロシがインタビューしているのはあくまで、本作そのものに対してのハズなんだよね……。
いや、でも今思い返すと、劇中映画に対してだったのか?そうか、そう考えた方が実は自然かも……いやそれはないよな。だって“島田陽子自身が島田陽子を演じている映画”として生島ヒロシがインタビューしてるんだから。

ああもう、コンランしてきた。そんな具合にかなりの二重三重構造。でも島田陽子が「実際にこんな人はいなかった」というインタビューに対する台詞だけがウソだとすれば、全てはすっきりとするけれど。
ああでも、それを映像として切り取られているってことは、そういう現実があったことを彼女が制作側に話して、そういう映画が作られて、ならば娘さんが訪ねてくるのも再現された映像な訳で……ああ、もう、考えれば考えるだけ、迷路に入り込むような気がしてきた!

そこまで考え込まなくてもまあいいか(爆)。これね、中盤、いや、後半まで、全然エロな場面がなくて、この企画でこれでいいの?島田陽子はメジャーな女優だから、エロはムリなんじゃ……(だからこの時点ではAV云々の話は知らなかったのね)と思っていたのね。
なんたって、ピンチヒッターの男優に尻を撫で回されるだけでショックを受け、撮影現場を飛び出してしまうような設定だったんだから。

余命いくばくもない恋人に付き添うという設定で、病院で撮影していた彼女は、次々にサインをせがみにくる一般人ににこやかに対応している。
その最後に、駆け込むようにして握手を求めて来たのが五郎だった。ずっとファンだった、握手が出来て、これから生きていく希望がわいてきたと。
この場面だけ見ると、彼は島田陽子が撮影に来ていると入院仲間に聞いてもふーんという顔をしていたし、口からでまかせなのかなと思っていた。
しかし、退院する態であった彼は実は病院を抜け出すところで、そこに撮影現場から飛び出してきた島田陽子が彼が乗り込んだタクシーに飛び込んできて、思いがけず逃避行を共にすることになったんである。

とはいうものの、最初のうちは彼女は若いツバメの元に転がり込んだんだけど、たわいもない痴話げんかをして、そこもまた飛び出してしまい、路地で座り込んで泣いているところを五郎に発見されるんである。
あの若い恋人はひょっとしたら20代、せいぜい30代?彼女とはヘタしたら30ぐらいの開きがあるんだけど、この素晴らしいボディだと彼のような若い男の子が絡めとられるのもムリない描写に思えちゃう。
が、かといってそれが年食った女にとって希望になる訳でもない。だってあんなボディを維持するなんて絶対、ムリだもん(爆)。ああ、結局女は身体のメンテ次第なのかぁ……(爆爆)。

まあ、それはおいといて(あまりおいとけないが)。五郎を演じる甲本雅裕はそこまで若い訳じゃない。とはいうものの、島田陽子に比すれば軽く10歳強は違うのだが、でもやっぱりあの若いツバメに比べれば……ていうか、男女とも年を食えば食うほど年の差って近づいてくるし、ことに男性の方が平均寿命も短いし(いや、本作の設定とは関係なくしてね(汗))、二人が一緒にいる感じは、違和感ないんだよなあ。
五郎がひたすら彼女に恐縮しているのは、あくまで彼にとっての憧れの人だからということであるし……。
そう、単にファンだからという訳じゃない、役者としてのファンだったのだ。いつか共演するのが夢だった。今は日雇い労働者で、末期ガンを宣告されて命が尽きるのを待っているような状態だけど、かつては“期待の新人”なぞと呼ばれた存在だったのだ。

島田陽子は五郎の汚いアパートに転がり込み、そこから数日を彼と一緒に過ごすのだけれど、ひたすらかしこまりまくる彼からそんな過去も聞き及び、次第に距離が縮まってくる。
彼女が新人時代、台詞を覚えるために過ごした公園はすぐ近くにあり、「なら、すれ違っていたかもしれませんね」と五郎は相好を崩すんである。
しかし、病院から脱走した五郎を医者が訪ねてきて彼の病状が発覚、彼女もいつまでも撮影現場から逃げている訳にもいかないし、ほんの刹那ではあるのだが、五郎は両親の墓参りに彼女に付き合ってほしいと請う。

何にもない田舎町にのんびりと深呼吸する島田陽子。五郎は墓参りした寺で、役者として芽が出ないままにいたたまれなくて逃げ出して別れた元妻と再会する。
元妻は、そこの住職と再婚していたんであった。いま、この島田陽子さんと映画で共演しているんだとウソをつき、ただただ彼を案じていた彼女は、手放しで喜んでくれるんであった。

そしてガソリンスタンドで働いている娘とも再会する。父親とは告げずに、ただ、幸せかと聞く。気楽に答えてくれればいいと。
娘はピースサインを下に向ける若者独特のポーズで「幸せっす」と笑顔を見せる。もういい、これでいい、と、彼は満足した筈だったんであった。

ここからなんだよね。ここからようやく、エロなシーンが展開するんである。
妻と娘に自分の病気のことを告げられず、娘には自分が父親だということさえ告げられないままだった五郎にいくじなし!と投げつけた島田陽子、それでもお疲れ様の意味を込めたのか、高そうな旅館に彼をいざなう。
一緒に露天風呂に入るシーンで、背中を向けて固まっちゃう彼にこっち向きなさいよ、とカマをかけるシーンぐらいでお茶を濁すのかと思ったら……。

ゴーカな部屋食シーン、新婚旅行みたいだね、と言う彼に、今日はその設定で行こうと提案、初々しくお酌をする彼女に、それまで敬語だった彼もつられて新婚の妻に対する口調になる。
夜になり、布団を並べ、これは芝居なんだとお互いに言いながら、ついに……愛しあっちゃうんだよね。
そこまで全くエロの雰囲気がなかったから、いきなり畳みかけるようにきて、思わず息を飲んでしまう。

これってさ、いわゆるピンクや、あるいはエロもののVシネとかのように、尺の中でエロがまんべんなく散りばめられなければならないという制約がある作品とは、やっぱり違うなと思う。
エロは入れさえすればいい、という制約ならば、つまり青春ラブストーリーで告白シーン、あるいはキスシーンまで焦らしに焦らすように、焦らしまくることで、こんなにも……純愛どころかそれ以上の純粋さを表現出来る。
もっと深いところで信頼し、尊敬しあっている同志としての、つまりラブとしてのカラミじゃなくて、そこには、お互い了承済みの、フィクションとしてのセックスがあって、それによって、お互いの何かを乗り越えようっていうのがあって……すんごい、深いなあ、と思っちゃうのだ。

それは、その翌朝、彼が、もうこれ以上どうしようもない、とどこか発作的に森の中で自殺を図るシーンにも連動している。この、劇中の中の劇中、虚構性に満ちたセックスから、自殺未遂のシーンに至るまで、どこか夢の中のようなファンタジックさがあり……だって、朝起きて、布団の中に彼がいないことだけで、ハッとなって森の中に探しに行くってこと自体、充分ファンタジックじゃない。
私の前で死んでみなさいよ、と挑発し、出来ずにむせび泣く彼に、元の奥さんと娘さんに、自分の病気のことを言うべきだ、と島田陽子はかきくどく。

そして、台本の読み合わせよろしく彼の“リハーサル”に付き合うんである。それは、まさに年齢を超越した島田陽子のバケモノのような(失礼……)美しさを保持したタマモノである。
40代の妻も、20代の娘も、カンタンに再現して見せちゃうんである。そして彼はもう一度、あの寺に向かった……。

それだけじゃ終わらない。ていうか、本作の泣かせどころは、それこそ現実と虚構の交錯……島田陽子のキモイリにより、ピンチヒッターのピンチヒッター、余命いくばくもない相手役に、五郎が抜擢されたことによるんである。
最初から牽制気味に示される生島ヒロシのインタビューにより、あくまでこれはフィクションであるのだと強調されるんだけど、先述したように、このインタビューの楽屋に、あのガソリンスタンドに勤めていた娘が挨拶に現われるんだから、なかなかに粋な構造になっているんである。

考えれば考えるほど、この映画としての現実はどこ?と思ってしまうんだけれど、それこそが映画の醍醐味だよなー、と思う。
さすがいまおかしんじ、とも思ったし、それを信じさせてくれる浮き世離れした映画女優、島田陽子の存在感だよな、と思った。

彼女は、生島ヒロシのインタビューで、女優としての成功と、女としての幸せは別物だと、スカウトされた時に社長にクギをさされた、と言っているんだよね。この定義自体は別に目新しくもなく、なんかそれこそ、ありがちな言い様だな、などと思ってしまうんだけど、それをありがちだと思うのは、私たち一般人とゲーノー人は別だと、“フツーに”思っちゃってるからなんだな、と思わされる。
そして島田陽子は、そういう境界線がハッキリしている恐らく最後の時代の、女優然とした女優であり、今の芸能人は正直、そこまでオーラがないから……(爆)。

ある意味これは、手の届かない存在の芸能人と夢の交わりが出来るという、まさしく、夢の映画なんだよなあ、と。
インタビューシーンがそういう境界線を巧みに作り上げ、だからこそ五郎とのシーンは、これが特別な、奇跡なんだとドキドキさせてくれた。
素人同然の五郎が起用されて、しかし評判が良く、彼は夢を叶えて、逝ってしまう。
その直前、彼を診続けた医者が、彼のいきいきとした様子に目を細め、腫瘍が小さくなったと言ったのは単なる気休めだった訳じゃない、よね?ほんのひとときでも、彼は命を延ばしたんだ。

島田陽子氏自身にどんなしがらみがあるのかは知らないけど……ただ、劇中言ったあの台詞、女優としての成功と、女としての幸せは別物だという、ベタとも言える台詞が、彼女の完璧なボディが図らずも証明しているのが、なんだかふと哀しく思えた、だなんていうのは、失礼だろうか?プロとしての身体が。
インタビューシーンではひとときも隙を見せなかった。それもまた女優としてのガードだとはいえ……何か、言い様のない悲哀を、感じてしまった、のだ。★★★☆☆


清水の暴れん坊
1959年 88分 日本 カラー
監督:松尾昭典 脚本:山田信夫 松尾昭典
撮影:横山実 音楽:二宮久男
出演:石原裕次郎 北原三枝 清水将夫 芦川いづみ 赤木圭一郎 松下達夫 近藤宏 内藤武敏 金子信雄 西村晃 木浦佑三 林茂朗 横山運平 垂水悟郎 河上信夫 須藤孝 佐野浅夫 木下雅弘 光沢でんすけ 鈴村益代 深江章喜 土方弘 野呂圭介 山之辺閃 榎木兵衛 瀬山孝司 黒田剛 宮原徳平 鏑木はるな 八代康二 青木富夫 紀原耕 宮崎準 浜村純

2010/9/24/金 劇場(銀座シネパトス/加山雄三・赤木圭一郎特集)
赤木圭一郎特集の一本だけど、主人公は石原裕次郎。ま、赤木氏は夭折なさって出演作自体が少ないんで仕方ないのかなと思っていたが、観てみれば、本作が今回上映作品に選ばれたのも判る気がするんである。
だって確かに、主人公の石原裕次郎よりインパクトが強いんだもん。クレジットが“新人”扱いということは、本作がデビュー作ということだろうか?んー、でもこの年だけでも何本も出演してるから、そういう訳でもないのか。
いずれにせよ、この翳りのある青年が、観客に新鮮なインパクトを与えたであろうことは想像に難くない。

だってさー、石原裕次郎はもう、そのお坊ちゃま的八重歯笑顔の風貌からして、ザ・スターなんだもん。私なんぞは彼のリアルタイムは「太陽にほえろ!」だったから、彼が没して後、若い頃のキラキラな裕次郎を見てえらく驚いたクチなんだけど、なんつーか、ホントに王子様なんだよね。

この映画黄金期に、いい意味でフィクション味たっぷりというか、虚構性バリバリというか。
本作も、ありえねーご都合主義がバンバン出てきて、ラストなんて赤木圭一郎に一発ぶっ放されて、血まみれの腕を抑えながらニッコリと「イテエじゃねえか」よ、予想出来すぎて噴き出しちゃったよ!
赤木圭一郎が思いっきりド・シリアスだったから余計にさあ。

おっと、ついうっかりオチまで突っ走ってしまった(爆)。そうなのよね、今はもう、夭折スターとして見てしまっているから、こんな出始めから思いっきり翳りがある彼に、なんとも感慨深い思いを抱いてしまうのよね。
劇中、交番のおまわりさんの拳銃を奪って追われる彼が「18歳ぐらいの少年」と手配されるんだけど、そして彼も実際そのぐらいの年ではあるんだけど……ううう、ぜえったい、見えない(爆)。いや、もちろん、今とあの頃とは見た目年齢がまるで違うってのは判ってるんだけど、それにしても、見えない(爆)。

いや、決して彼が老けているという訳じゃないのよ。若さゆえの無鉄砲さ全開のキャラを、つまりはちょっと落ち着いて考えればこんなムチャなことしないでしょ、ってことを納得させられるだけの“若さ”は確かに感じるんだもの。
でもね、それがなんか……赤木氏にこの先待ち受ける運命を思うと、この翳りはやはり、タダモンじゃないと思うんだよなあ。

これが例えばね、それこそ石原裕次郎だったら、どんなに外見が現代の同じ年齢の男子より大人びていても、ちゃんと18なりハタチなりの若者に見えたと思う。太陽のように明るく、華やかで、彼には全く翳りを感じないからさ。
だからこそ、本作の二人の対照には、何とも重いものを感じたんだよなあ。

なんてことを言ってると、相変わらずどんな話か全く判らない(爆)。
あのね、これ、最初のキャストクレジットから、結構脱力しちゃうのよ。一応、ていうか、めちゃめちゃアクションものだとは思う。それなりに裕次郎が相手をブチのめす場面も出てくるし。
でも、彼はジャーナリストであり、決して喧嘩上等!なキャラではない。喧嘩シーンも、何人も相手にしてもオッケーというほどの強さではない。

そのあたりはリアルにしてるのに、オープニングのキャストクレジット、いわば彼を紹介するような流れの中で、横移動するカメラに合わせて次々と登場する喧嘩相手をきちんきちんと、片付けていくのがさあ。
それも、ワンカットなのは頑張ってるけど、明らかにスピードが落ちてて、喧嘩相手さんがめちゃめちゃ待っててくれるのが丸判りで、裕次郎が疲れてくるのも丸判りで(爆)。実はこの冒頭シーンからかなり気力をそがれるんだよなあ。

そもそもなぜ、清水の暴れん坊?裕次郎の役名は石松俊雄で、石松、もう明らかに森の石松なのまではまあ判るんだけど、だから清水で、だから暴れん坊なんだろうか??
てか、石松である必要性や、そこまでこだわって、清水から東京に転任してきたという凝った設定もいまいち必要性が判らないとゆーか(爆)。

あ、ちなみに彼は、ラジオプロデューサーという役どころなのね。彼が所属する全日本放送はテレビもやっているし、同じスポンサーを取り合ってテレビ担当とライバル意識を燃やす場面もあれど、テレビが登場してきた時点で、ラジオ番組の方をメインに据える設定自体にかなりオドロキを感じる。
いや、確かにラジオはずっと庶民のかたわらにい続けてきたし、そのラジオを大事に、誇りに彼が思ってて、それにこだわるってんならまだ判るがそーゆー訳でもなく、特にラジオであることのコダワリを感じないんだよなあ。

あ、あれかな?麻薬組織の黒幕に迫るために、最新型の小型テープレコーダーを懐にしのばせて、街中に変装して出かけていくという、あのスリリングさのためだろうか?
まあ、そういうのも、どうしても新しい時代から見ると、微笑ましくなってしまうのが致し方ないところで、それこそ隠しビデオカメラとか出てきた時点でアウトだよなあ、などと思ってしまうのは、ヤボなんだろうなあ。
だって、「これがレコーダーか、随分可愛いな」って……うーん、微笑ましすぎる(爆)。

この石松が麻薬事件に関与するようになったのは、これまた恐るべき偶然なんである。
東京に転任するに当たって、しばらく山にも登れないだろうと、「山に別れを告げて」そのまま東京に向かってきた彼は、登山のカッコのまま、ご丁寧にピッケルまで携えている。
一週間風呂にも入っていないという彼に、迎えに出た美紀は顔をしかめる。

実はこのカッコと、そして蕎麦屋に入って「大盛りとビール」を注文するというのが、麻薬受け渡しの合い言葉だったという恐るべき偶然で(ナイナイ!)、運び屋とカン違いされた彼は、知らない間にリュックの中に麻薬の袋を入れられているんである。
しかもその組織には、彼が麻薬を憎んでやまない原因となった、ヤク中になって妻を殺し、逃げ出した子供たちまでもが絶望から電車に飛び込もうとしたところを助けた、そのきょうだいの弟の方が下っ端のチンピラとして加担していたという、これまたありえない偶然が潜んでいたんである。

まー、弟の関わりのくだりは映画だから目をつぶるにしても、この麻薬受け渡しの偶然はいくらなんでも、ねえ。しかもそれがギャグになるかと思いきや、大マジらしいもんだから、うっかり笑いそこねちゃうところもツラいんである。
しかもリュックに入れられた麻薬が、寮のおばちゃんが「小麦粉まで持って来たのかい?」とカン違いするぐらいのどっさりとした量だというのも、微妙に脱力感を感じさせるんである。あの量じゃ、それこそ蕎麦ぐらい打てそうだもんなあ(爆)。

思いがけず闇の組織に触れることになった石松は、義侠心とジャーナリスト魂が発奮して、これを一大スクープとして番組を作ろうと思い立つ。警察も味方に巻き込んで、変装も駆使しての潜入捜査を敢行するんである。
それが全て音の、ラジオ番組ってのはやっぱりどーもイメージしづらいのだが……。この時代は、まだテレビは娯楽としての機能だったということなのかなあ。
その組織に、彼が助けたきょうだいの弟の方、健司が関わっていることを知り、ますます捜査に熱が入る石松。姉の令子を呼び寄せ、何とか健司を救い出そうとするのだけれど、闇の掟は当然、そう簡単じゃなくて……。

てことは、当事者の健司じゃなくても、石松だって判りそうなもんなのに、石松ってば、警察に全てを話せばいいんだとかカンタンに言うし、そうすることで殺されることを恐れて逃亡した健司の居所が知れると、組織から尾行されるなんてこともまるで予測せずに(ふつー、警戒するだろ……)令子と一緒にのこのこ出かけていって、俺の番組のために証言してくれなんて言ったら、そりゃ健司も怒るに決まってるって……。
てゆーか、組織に殺されることが怖くて逃げたのに、石松と令子が会いに行くと、健司もフツーに喜んでるあたり、ダメだろ……。

てな具合に、石松よりはマトモなキャラと思われた健司も、けっこー、テキトーなところがあるんだよな。組織から追われて彼が身を隠すところは、「あいつが行くところはあそこしかない」と、組織がアッサリ予測出来ちゃう、彼が信頼する爺さんのところで、しかも一度それで見つかっているのに、二度目も同じ場所に行って、しかも爺さんから自首を諭されてノンキにごはんなんて食ってるあたりが(汗)。
「これを食べたら、爺ちゃんと一緒に自首するか?」って、そんなノンキに構えてる場合じゃないでしょー!やっぱり、組織からの追っ手に、爺ちゃんドスで刺されてしまったじゃないのっ。

しかもその事でパニックになったのか、てゆーか、爺ちゃんが刺されたこと自体、判っているのかいないのか、倒れた爺ちゃんほっぽらかして、追っ手を羽交い絞めにして拳銃突きつけて、ブルブル震えながら包囲されたあまたの警官たちの輪の中に出て来ちゃう。
いやいやいや、もうコイツが人を殺した(多分……爺ちゃん、死んだよな……こんなことしてる間に助けようもあったかもしれないのにさ)んだし、この時点で拳銃を捨ててれば、ぜんっぜん問題なかったのに。そんなことも判らないほどにパニクってたのか。

いや……これは、明らかに、この後、裕次郎、いや石松が健司を説得する場面のためにお膳立てされた構図だよなー。
だって、そうでなければ、姉ちゃんをさらわれた緊急事態に石松に連絡した時点で、健司があんなに「緊急の用事なんです!」と訴えてるのに、いくら石松のラジオ放送の時間が迫ってて、彼が編集に没頭しているからって、相手が誰かも聞かないで、「あ、もう帰ったよ」のひとことで電話を切るなんて、しかも、そんな電話があったよ、とかいう伝言のひとこともないままスルーするなんて、ありえない!
まあそりゃあ、これもタイムアクションをハラハラさせるためなんだろうけれど、それにしたってテキトーすぎるだろ!

そのために追いつめられた健司に、もうワケが判らなくなっている健司に、お前はそんな、人を殺せるようなヤツじゃない、何やってるんだ、などと、お姉さんも交えて三人で遊んだ幼い頃の思い出話なんかをしながら、ニコニコと石松が近づいてくる、なんてさ、そりゃー、健司の気持ちを考えたら、ちょっとそりゃー、あんまりじゃないの、と。
しかも、警察が呼びかけるために持っていた大きなマイクを手にして、笑顔でゆっくり前に歩いて行くと、もう、スター、裕次郎のオンステージ、歌でも歌っているようにしか見えない(爆)。

もうパニクりまくっている健司が野良猫の音にさえビクリと反応して発射してしまって、石松の腕に当たってしまった!すると、裕次郎「イテエじゃねえか」とニコリ。いやいやいや!
……さすがにこれを、裕次郎カッコイーとは思えなかったなあ……だって、結構アンタのせいでこんなことになったって展開、大アリだったんだもんさ。

まあだから、これは石原裕次郎のスター映画なんだもんね……。
劇中、特に展開上に意味をなさずに「ウールファッションショー」などが行われ、令子が東京にいる間の仕事としてそのモデルなんぞになり、ツイードのコートやらといった秋ファッションが展開されるのはちょっと楽しい。ま、それも、協力の“羊毛振興会”とかゆー、いわばスポンサーのためだろうけど……。
その“羊毛振興会”は、重要なスポンサーとして、ラジオとテレビで取り合うほどの、重要な役どころとして何度もコールされている。いやー、なんか……今じゃ考えられないぐらい、気持ちいいぐらい、ロコツよね(汗)。★★★☆☆


社長紳士録
1964年 95分 日本 カラー
監督:松林宗恵 脚本:笠原良三
撮影:西垣六郎 音楽:山本直純
出演:森繁久彌 久慈あさみ 岡田可愛 山本忠司 杉山直 小林桂樹 加東大介 三木のり平 司葉子 左卜全 フランキー堺 草笛光子 池内淳子 中島そのみ

2010/1/21/木 劇場(銀座シネパトス/森繁久彌特集)
いよいよこの劇場での森繁特集もオワリ。なんか駅前シリーズばかり観ていたけれど、最後は社長シリーズ。この日の二本でいったん終了する雰囲気かと思いきや、評判が良くてその後続行されたというのがちょっとオマヌケだけど(笑)。
ところで本作、森繁は登場時点では社長じゃないのよね。まだ課長。ていうか、三人の子供と教育熱心な奥さんに囲まれてかなりヘロヘロになってる。とはいえ、この奥さんにちゃーんとラブな感じがあるところが森繁のステキなところだが、しかししかしその一方でウワキする気マンマンなのも楽しいところなんである。
まあそれは後述として。

その朝の情景で、いきなり笑わせてくれるんだよなー。なんかね、「今日は三角だな」とつぶやくのね。何のことかは後に明らかにされるのだが……。
奥さんは子供たちのラジオ体操の面倒を見、学校に送り出してからもう一度寝に入りに二階に上っていく。森繁は「モーニングサービスでも」とつぶやきかけるも、イヤやめとこう、って、その“サービス”ってナニよ!
そして朝食の席につき、給仕してくれるいかにも田舎娘の女中さんにも、エロッ気マンマンなんだもん。
ミョーにおっぱいの大きい女中さんでね、彼女に新聞を持たせて、壁新聞みたいに朝食をとりながら読むんだけど……「もうちょっと下げて、もうちょっと。うん、そこでいい」って、新聞に隠れていたおっぱいが現われたとたんじゃないの!
「あんれまあ、だんなさん、どこ見てんだ」とこれまた田舎っ子女中のリアクションも完璧!

さて。だから会社に行かなければ、この話は始まらないんだって(爆)。
彼、小泉課長についている秘書の原田(小林桂樹)。彼とのコンビがなんたってこの話のキモだよなあ。
同僚の女性社員、房代ちゃんとの結婚を控えている原田は、もうそっちの方にばかり頭がいってる。とりあえずこの課長夫婦に媒酌人を頼もうと、こう思っているのね。
でね、それを頼みに課長室に向かってのやりとりがまた……。なんかさ、今回の森繁特集でやたらと「エスタロンゴールド」なる栄養ドリンクが登場したんだけど……なんかスポンサーかなんかなのかしらん?

ていうか、課長が飲んでた栄養ドリンクのその効能を原田が読み上げるんだけど……「すぐに間に合う」といきなりの文句だから爆笑!ナニに間に合うんだよ!(て、当然アレか……)
しかも小泉課長がつけていた△だの×だのという表は「これは朝、元気な時の統計なんだ。大体10日に一度の割合だな」バ、バカヤロウ……。もう、これは森繁が前提のキャラなのよね、ホントに!

ところで、小泉課長が後に社長に就任する会社は、大型で丈夫なクラフトの紙袋を作っている。粉モノとか化学肥料とか、そういったものを入れるヤツである。
あ、ちなみにこの「製袋」業をホステスが「せいぶくろ」と読んで「キミキミ、そんなはしたないことを言うんじゃないよ」って、そう想像するアンタの方がね!!!もー!

ホステス……そうだ、まあ当然森繁、いや、小泉課長には行きつけの店があるんである。そこのマダムにご執心で、マダムも案外まんざらではない、のは……どうなのかなあ。営業トークのようにも見えたけど、でも彼女、休みの日に彼をホテルに呼びつけたりもしたもんなあ。
そう、マダムを誘うチャンスがないんだよ、と尻込みする小泉の尻を叩いて「チャンスは勇気が作るのよ」(いい台詞だなあ……コトがコトじゃなければ(爆))と言って。

しかしそこはお約束で、毎回なにがしかのジャマが入ってお流れになっちゃうんだけどさ。大体、子供の運動会をホゴにしてマダムとしけこもうとしてたんだからそりゃいくらなんでも(汗)。
それもね、原田君に「社長に呼び出されている」とウソを言わせる算段だったんだよね。最初こそはさ、原田も、社長が何か言い出す前に速攻で「それで?」と促がすぐらい(この間のなさがサイコー!)判ってるかと思いきや、「ほう、ホテルでゴルフですか……」と微妙にトンチンカンだし、やっぱり判ってなかったか(爆)。

しかもいったんは飲み込んだかと思いきや、房代ちゃんとの結婚の仲人を頼むことで頭が一杯でさ、課長との約束をスッカリ忘れて、しかしそこに本当に社長から電話がかかってくる!「ホラ、君が忘れるから、ホンモノから電話がかかってきちゃったよ」いや、その場合、原田は忘れていた方が逆に良かったのでは……。

という訳で、急ぎ社長の元に駆けつけると、小泉を子会社の大正製袋の社長に抜擢するお達しだった。有能な?秘書、原田を引き連れて、いよいよ一国一城の主となるべく張り切る小泉。
そこに勃発したのが、えげつないやり方で顧客を奪い取る赤羽製袋の暗躍だったんである。昔からの取り引きだった鹿児島の南国澱粉がいったん契約を白紙に戻したい、と言ってきたことから、小泉達は急ぎ南国製粉に談判に向かうのだったが……。

じゃなかった。その前に、原田の結婚式があったんだった。いやさー、もう彼の結婚式は散々伸ばされまくっちゃうのよ。
最初の予定日が小泉の社長就任の日でお流れ、次が社長歓迎の宴会でお流れ。まあその宴会部長は当然、三木のり平なのだが(笑)。
社長となった小泉は、宴会なんて食堂でアンパンとラムネでも食べてやればいい、とスゲナイのだが(凄い言い草だ)「アンパンとラムネじゃ胸がやけます!」……突っ込みどころが違うんじゃないかい?
でね、まあ、いくらなんでも結婚式が二度もお流れになるのはカワイソウだからと(ていうかこの宴会部長、原田の必死の訴えも全然聞いてないんだけど(笑))、宴会は結婚式の前の日にしてくれるんだけど……。

その宴会の二次会で、クラブ・パピヨン(あのご執心のマダムがいるところね)での「マダムのキッスをかけたイス取りゲーム」でくだんのライバル会社、赤羽製袋の社長がいたもんだからハッスルしちゃった小泉、尾てい骨を打って入院!
しかもその時、社長を援護射撃するべく一緒にイス取りゲームに参加した営業部長の富岡が小泉を尻で押しのけ、しかもマダムのキッスまで獲得しちゃったんだから(笑)、そりゃまー、森繁、いやさ小泉の血圧もあがるってもんだべさ。
ボーイに両側から支えられながら悔しそうに退場する森繁、このボーイがデコボココンビでバランスが至極とりにくく、苦虫を噛み潰したような顔をしているのがまた、大爆笑!

てな訳で、またしても結婚式は流れ……小泉社長は人間ドックに入ることになるんである。大体が、ここに至るまでも、営業部長の富岡と宴会部長、じゃなくて総務部長の猿丸がアヤシげな病院を紹介したがりそうなのを、何とか拒否して全身を調べることとあいなったのよ。
だってさ、特に猿丸ってば「コトによると、男性機能が破壊されたかもしれない」としつこく言い募って、やたら社長のズボンを下ろそうとするんだもん(爆笑!)これってひょっとして、後に猿丸がフランキー堺ふんする鹿児島の澱粉会社の社長にやたら言い寄られるエピソードの伏線だったんじゃないのお?

そんなわけで人間ドックに入った小泉、しかし、思いがけずに「完全に健康で30代の身体」と言われ、森繁、いや、小泉社長、スッカリ喜んじゃう(笑)。んんー、なんかこの後の過程が想像出来るわあ。
でもね、ちゃんと奥さんともラブラブなのよ。そう、あの場面がサイコーだったな!なんか自分の欲望を持て余し気味な小泉、今日は奥さんとナニしようと誘いをかけるもすげなくされ、スネて階下で寝ようと出て行こうとすると……「あなた!いらっしゃい……」その低い声と布団をめくってみせる様がサイコー!実は小泉、この強い奥さんにリードされて幸せなんじゃないのお?

原田の結婚式にも滑り込みセーフで間に合い、しろどもどろのスピーチをしていた富岡からマイクを交代して、情熱のある夫婦になるようにと激励を受けた原田夫婦。ここはさすが、森繁の口上の上手さが際立ち、列席者は拍手喝采!

そして、そうそう、鹿児島の南国澱粉に談判に出かけるのよ。そこの若社長ってのがフランキー堺。これが若いけれども食えないヤツで、ライバルの赤羽製袋からも同時に接待受けたりするもんだからさ!
しかしこの若社長、猿丸がスッカリ気に入っちゃって……ていうのも、社長と猿丸が披露した宴会芸の、猿丸がクネクネ踊った正直気色悪い女形にスッカリ興奮しちゃって、乱入しちゃって!

このシーン、かなり赤裸々だけど、い、いいのかなあ(汗)。だって、猿丸の胸元に手を差し入れ、脱がせにかかり、逃げようとした猿丸を押し倒して両足首をむんずと掴んで、ヤア、ヤア、とリズムに乗って股間を開かせるという……(!!)
そりゃあ、演技とはいえ、コメディとはいえ、巨体のフランキー堺がニタニタ笑いながら華奢な三木のり平を犯しに!?かかるのは、画的にすんごいインパクトがあるんだもん!

そんなことは小泉社長はどーでもよくて(爆)。小泉は地元芸者にすっかり入れ込んでいるんである。彼が聞かせた喉に「ステキ、森繁調ね」ってオイ!
「あんた、わしのこと良く知ってるね」……だってあなたは森繁だもの……彼女を部屋に連れ込もうとしたら、なんとそこに新婚の原田夫妻が!小泉「この人は女中さんだから」とか苦しい言い訳をして部屋に閉じこもるものの、ほんの数秒後、こっそり彼女を追おうとドアから出てくるところに、まだ呆然とした原田夫妻がいたもんだから(爆笑!)慌ててまた引っ込むあたり!もー、どこまでエッチなの森繁は!だから好きなんだけど!

新婦の房代ちゃんがこの地の出身で、なんとあの若社長とは幼なじみだとか。偶然とは思えない、もの凄いご都合主義!(爆)
おかげで色っぽい芸者さんとの夜はパーになったけれども、房代ちゃんが若社長と話をつけてくれて、無事南国澱粉との取り引きは続行決定!

しかししかし、原田の嫉妬っぷりはねー。昼日中で、しかも幼なじみの、お母さんのところに行っているというのに、遅い遅いと気を揉み、小泉社長と猿丸を困らせる。
猿丸が社長のためにと持参した超強力な精力剤(なんかこーゆーのがやたら出てきますけど(爆))を原田が大量に飲んじゃって慌てまくる二人。
「解毒剤とかなんかないの」と小泉が言うのが可笑しい!精力剤に解毒剤って……。こんな描写があったんなら、原田が大ハッスルするサービスシーンがあるかとも思ったけど(ナニを期待してんだ……)。
房代ちゃんが「ごめんなさぁい。引き止められちゃって」とにこやかに登場すると、コロリと人格が変身して、まさに猫がなごなご言うみたいに彼女に擦り寄るもんだからさあ(爆)。

劇中、お姑さんにもすっかり信用を得た彼女は、だらしのないダンナをビシバシ教育してて(ちょっとカワイソウになるぐらい(汗))、なんとも頼もしい未来の女性像を思わせるんである。

んな感じで本作は収束し、これはこれで充分完結した趣なんだけど、「続・社長紳士録」で更に猿丸は若社長に言い寄られ、耳をなぶられ(!)、ラブラブな新婚夫婦にも危機が訪れるんである。んー、こうご期待!? ★★★★☆


シュアリー・サムデイ
2010年 122分 日本 カラー
監督:小栗旬 脚本:武藤将吾
撮影:千葉真一 音楽:菅野よう子
出演:小出恵介 勝地涼 鈴木亮平 ムロツヨシ 綾野剛 モト冬樹 原日出子 遠藤憲一 小西真奈美 横田栄司 竹中直人 岡村隆史 吉田鋼太郎 山口祥行 高橋光臣 須賀貴匡 高橋努 笹野高史 井上真央 阿部力 大竹しのぶ 津田寛治 妻夫木聡 上戸彩

2010/8/4/水 劇場(池袋シネマサンシャイン)
観ている間中どうにも気恥ずかしくて、なんかずっと身体をもぞもぞさせていたような気がする。
うーん、なんでだろう。小栗君の積年の気迫を感じたからなのだろうか。確かにそれもあるかもしれない。やりたいことを全部やったろう!というのが目に見える形でも現われてた気がした。
キテレツなギャングのオヤジのキャラ(ヤクザというよりこっちのイメージ)とか、爆発までのカウントダウンを、彼らの走って逃げるのをハイスピードカメラで追ってみるとか、ラストクレジットにかぶせたNGシーンなんて実に判りやすく“やってみたかった”感が出てて微笑ましいほどだったんだけど、だからこそなんとも……ハズかしかったんだよね。
それはうーん……若いからなんてことは言いたくないけど、でもやっぱりそういうノリはちょっとした、学園祭的なそれを感じたからかなあ。

まあ実際、学園祭から物語は始まるんだから、いいのかもしれないが。ていうか、そもそもこんなに大きな規模での公開じゃなければ、こんな気恥ずかしさもなかったかもとも思う。ていうか、になってないけど(爆)。
今回は、俳優さんが監督した映画で、これほどの規模の公開としては最年少監督、という実にややこしい肩書きになっていて、そりゃあ彼より若くしてメガホンを撮っている監督はいくらでもいるし、役者の肩書きも持ちつつでもいるんじゃないかな。でも、“これだけの規模の公開で”となるといない、という……それって意味があるのかなあ。
まあそりゃあ、小栗君は押しも押されもせぬ大スターで、今回も彼の豊かな人脈がストレートにキャスティングに現われてはいるけれども……ああ、そうか。この豪華すぎるキャスティングで、大きな公開にせざるをえなかったってこともあるのかもしれないなあ。

なんてことをつらつらと考える。だってさ……ほぼカメオ的な出演でつまぶっきーや上戸彩、井上真央だのとぞろぞろ出されちゃ、そりゃー、ミニシアターで慎ましく公開、という訳にはいかないのかもしれない。
でも……正直、いくらこの映画を作るのが積年の夢だったからと言って、処女作にこんなゴーカに揃えることないような気がしちゃう。だって、そっちに気をとられて、それだけでお腹いっぱいになっちゃうんだもの。

まあでも、気恥ずかしさの一番大きな理由は判っている。あまりにもあまりにも、熱く、ストレートな台詞のオンパレードだから。
「お前、生きようとしていたじゃねえかよ!」とか「俺が守るから!」とか、その他にもたっくさんあったけど、ありすぎて忘れた(爆)。
いやもちろん、小栗監督自身もそのことはちゃんと判ってて、仲間たちに「それ、サムいだろ」と突っ込ませたりもする。でもね……そうやってわざわざ突っ込ませること自体がサムいんだもん。だってさ、突っ込ませてまでも言わせたい台詞ってことじゃんか……。

だってさー、これって惹句が「バカで最強」であり、劇中でも再三、バカな俺たちだから後戻りは出来ない、バカのエネルギー、見せてやるぜ!っていう言動が繰り返されているんだけれど、別に、全然、バカじゃないんだもん。
そこをネラっていたのかどうかは判らない……なんかね、特に一番のメインのこいでんなんか、フツーにカッコイイ男の子だしさ。
正直、一人だけその“バカ”の要素をキャラに押し込められている勝地君が気の毒になるぐらいで……だから余計に彼のキャラはワザとらしくて、それこそ見ていてハズかしくなってしまう。

童貞を恥じているのに童貞を声高に言い、そもそも彼らの転落人生の始まりは、彼がダミーの爆弾にノリで火薬を入れてしまったからだったんであった。
そのことを彼は心底後悔してはいるものの、やたら声が大きく演技も大きく(まあだから……これはキャラなんだけどさ)、ハーフパンツからスネを出した、ハデなちょっとバカそうなファッションも判りやすくてさ。なんか彼だけに“バカ”を寄せたみたいで違和感があるんだよなあ……。
まあだからこそ、彼が屈辱を受ける場面がギャップとして効いてるかも知れないけど、その彼を慰めるこいでんの「お前、生きようとしてたじゃねえかよ!」の台詞が、先述のとおり、ハズかしくてたまらないんだもん……。

あーもう、ここまで訳判らんままじゃないの。話を書いとかなければ。
まずはね、メインは5人。小学校からの幼なじみ。小学校時代、皆して巧(小出恵介)の“お母さんかもしれない”と、キャバ嬢のヒメノに会いに行った回想がのちのち効いてくるんである。
まあそれは後述。彼らが高校生になり、女の子にモテるために文化祭でバンドをやろうと決心、ちなみにこの経緯にも、後々効いてくる回想があるんだけど、それもまた後述。
「バンドやったらモテる。コクられまくりのハメまくり」の言葉に一番に反応したのが、現在の時間軸でもいまだ童貞の京平(勝地涼)で、もちろんほかのメンバーもその気アリアリだった。

しかし、この年から文化祭が廃止になり彼らは愕然。ならば、と、校内に立てこもり、爆弾を仕掛けたと脅して校長から文化祭復活の確約をとるも、先述のとおりノリで火薬を入れてしまった京平。
そしてそもそも本体を作った理系オタクの雄喜(ムロツヨシ)が「タイマーが切れない!」てことで、見事に爆発、彼らは退学になり、その後の三年間、転落人生を送ったんであった。

なんで文化祭が廃止になったのか、彼らの理由づけのためだけって感じで、いきなりそれが引っかかってたんだよね。
で、バカ男子どものハイテンションムービーという頭があったから、爆発がなんか大人しく、二部屋ぐらいの窓から炎があがる、ぐらいの規模だったのも拍子抜けした。
まあそりゃあ、理系オタクの高校生男子が、そもそもコケおどしのために起こした爆弾事件なら、この程度が確かにいいところなのかもしれないけど、なんたって“バカで最強”ってことがインプットされていたから、あら、リアルに行くんだ……て思っちゃった私の方こそがバカだったのかもしれない。

だってさ、バカ映画っていうのは、ほんっとに、バカだからこそワクワクするし、笑っちゃうし、いとおしいのよ。この場面なんか、ギャグでいいから、ホンットに校舎全部木っ端みじんにしてくれたら、うわーっ!て手を叩いて喜んじゃうのよ。
まあ私は、そういう突き抜けたギャグやコメディが好きだからそう思うのかもしれないけど……もしその考えが行き過ぎなら、勝地君に任された京平という役はまさにそうしたバカ男子でさ、でも彼だけだから浮いちゃうのよ。それってつまり、こいでんをカッコよく見せるためなの?と思っちゃうのよ。

まあ、もう一人、それなりにバカはいる。くだんの件から三年後、彼らに騒動のタネをもたらした筋肉バカの和生(鈴木亮平)である。病弱な妹の治療費のために、ヤクザに身を落としたってあたりがあまりにベタだが、そのベタがギャグになり切れていないのは、その仮説を打ち立てた京平一人だけにリアルバカを任されているからであろうと思われる。
京平の仮説を渋い顔で受け止めるこいでんが、最後までギャグのカケラもないんじゃ、せっかくのベタベタの可笑しさもうやむやに終わっちゃうよな……。
しかもこの妹が井上真央である。判りやすい人脈だけど、私はこういうの、あんまり好きになれないなあ……。

で、和生がもたらした騒動とは、ヤクザの彼が組の金三億円を謎の金髪女に奪われたことから端を発するんである。
この場面を巧と京平は偶然目にしている。更に言うと、この謎の女を探し出すに至って、写真を見た秀人(綾野剛)が「これ、美沙さんだ……」彼がミュージシャンを志したキッカケであるストリートミュージシャン、この五人に文化祭用の曲を提供してくれた宮城の恋人、美沙だという……。

こんな具合に、かなりあり得ない偶然が次々と到来する。こうした事態そのものだけでなく、彼らが美沙さんを探している最中に、宮城さんの命日だと気付いて墓地に出かけるとちょうどよく彼女が喪服姿でいるとかさ。
命日ってことがあるにしても……ていうか、彼らが探していたその日が“たまたま”命日だったとかさ、それ以前に先述したとおり、美沙と彼らの関係も、運命と言っちゃそれまでだけど、あまりに出来すぎていて。

で、彼らの起こした爆破事件と、美沙と宮城がヤクザどもに連れ去られた時間帯がピッタリ一致してて、そのことで、俺らのせいですぐそばの派出所が出払っていたからだと巧が苦悩するのも、そりゃねーよってぐらい、出来過ぎじゃない?
そりゃさ、映画なんて、いや人生なんて、そんな偶然があるからこそ面白いと思うけれど、その偶然過ぎる偶然に興ざめさせちゃ、元も子もないじゃないのお。

いや、これが惹句どおり、おバカな男の子たちの、おバカさを全開フルスロットルにしてくれていたら、そんなことは気にならなかった、というより、それこそが武器になっていたと思う。ていうか、それこそが当初のネライだったんじゃないのかなあ?
こいでんは一人カッコイイ姿を崩さなくて、勝地君は一人痛々しくコメディリリーフを買って出て、で、後の三人は正直……ビミョーなんだよね。

マッチョの和生は先述したから割愛。おぼっちゃまだった秀人は爆破事件の後親から勘当され、ミュージシャンを目指してストリートで歌い続けている。
箱入り息子として育てられていたであろう彼が、たかが、と言ってしまってはアレだけど、あの事件だけで勘当されたというのもどうだかだし、それならそれで、そのバックグラウンドを描写してほしかったと思う。
いや、正直本作、男子同士のアツい心の交歓シーンにやたら尺を割いてて、それもかなり尻モゾモゾだったので、こういう基本的なところにフツーに尺を割いてもいいんじゃないのと思っちゃったもんで……。

それに彼が“見つめただけで、5秒で女を落とす”という設定も、ビミョーなんだよね……。
いやさ、三人連れの女子高生を手始めに、宮城が勤めていた総菜屋のおばちゃん、しかも演じるは大竹しのぶ!をハートマークにさせ(どアップで、目尻の老いがなかなかキビしいのが丸わかり……この辺は、小栗監督への信頼なのか?)ラストには隠し玉の上戸彩を本人役で登場させるんだから、きっちり段階を踏んではいるんだけれど……。
つまり、ビミョーなのは彼自身、なんだよな(爆)。恐らく小栗監督はリアルな男の色気を目指した……のかなあ。

彼って判りやすいイケメンじゃないし、ひょっとしたらその影のある流し目とかに魅力があったのかもしれないけど、メインが5人もいると、正直注意を向けきれないよね。
そう、だからさ、バカ映画だと思ってるからさ、ここはもう、ベッタベタなぐらいの、わっかりやすい、キラリン系のイケメンを準備してくれたらさ、笑えたのになあ……つまりは私、自分の希望でモノを言ってるよなー。

それで言えば、一番面白い筈のムロツヨシが、最後の最後まで引きこもりっぱなしなのはなんとももったいない。
彼、雄喜はあの爆破事件で片腕を失ったという噂が流れて、火薬を仕込ませた京平は自責の念に駆られて、それ以来彼に会っていないのね。
しかし、ヤクザの三億円騒動に巻き込まれて、雄喜に会うことになった四人は、彼は五体満足で、引きこもっているのはあの事件の直後、父親が自殺したことが原因になっていると知る。
モト冬樹が演じるこの父親は、文化祭でバンドをやろうと盛り上がっていた彼らにギターテクから何からノウハウを教えてくれた、まるで六人目のメンバーみたいに近しい存在だった。

そもそも、最後までタイマーを切ることを気にして、つまり最後まで現場近くにいた雄喜が、そう、片腕を失ったという噂まで流れた彼が、まるで五体満足でここにいるというのも、ねえ、それこそご都合主義じゃないのと思っちゃうし。
それにやっぱり、もったいないよ。ムロツヨシほどのキャラもんが、ほぼ閉じ込められきりなんてさ。

しかも「お父さんの自殺はお前のせいじゃない(ヤクザのマネーロンダリングを強要されたからなんである)。最後に、やり残したこと(バンドのライブ)をやろうと思ってるんだ」と言われて、まあお父さんのことが解決したのはいいとしても、それまでの経過を全然聞かされてないのに、しかもそのライブ後に強盗をやろうと計画している彼らについていったら警察に捕まることは確実なのに、のこのこ彼が出てきちゃう、というか、出てこさせられちゃうのは、おかしいと思うんだよなあ。

あ、またしても途中経過がワケ判んない(爆)。あのね、美沙なんだよね。そもそも巧が、自分のお母さんかもしれない、ていうか、お母さんは死んじゃってるんだから、新しいお母さん、つまり、お父さんの相手かもしれない、と思って訪ねたキャバ嬢が美沙。
なぜ巧がそう思い込んだかっていうと、お父さんがフーゾク雑誌に丸印をつけていたから。でもそれは、麻薬密売組織の一端を示していたってことだったんだよね。

幼い巧はそんなことも知らず、色っぽいお姉さんの美沙、この時はヒメノの源氏名の彼女と甘酸っぱい時を過ごす。
しかしそこに、彼のお父さんである刑事たちが乗り込んでくる。まさにその時間とその場所に、ってあたりがまずあまりに都合が良すぎる。
この後も、先述のとおり、都合のいい展開満載で、だから、めっちゃバカに仕立ててくれれば良かったのに、と思う訳なんである。それならご都合主義も納得出来るんだもん。

でね、全ての罪をかぶって服役した美沙は、行く当てもなく、ストリートミュージシャンの宮城と運命的な出会いを果たす。
この時点で“行く当てもない”筈もないことは、ちょっとヤクザ映画を見た経験がある人ならばまあ判る訳で、だからこの後の展開が予想もされる訳でさ……。
プロへの道が見えてきた宮城からプロポーズされ、幸せへの道まっしぐらだった筈の美沙だが、出所後、“世話になった”(彼女にとってはいい迷惑をこうむった)組に、ていうか、愛人状態だった飯島(遠藤憲一)のもとに帰らなかったことで、美沙と宮城は彼らヤクザたちにさらわれてしまう。

そもそもこの組は強大なバックの元で大きな麻薬密売を行なっていて、美沙と接触した宮城はもう、否応なく殺された。ていうか、それは飯島の独占欲が大きかった。
彼らから逃れた美沙は、飯島への復讐を決意する。んで、この飯島ってのが、見る影もないほどの整形手術を海外で受けた組の親分、亀頭(この名前も、おバカ映画の確信犯アリアリだが、彼一人が空回りして、活かしきれてないのが惜しすぎる)なんである。ご丁寧に“タッパを変えるために足を両方切って義足にした”てほどなんである。
飯島と亀頭、全然別人の俳優が演じる違和感を無くすためなのかなと思うと、逆にそこまで気にしちゃうとおバカ映画にならねえじゃん、とも思っちゃう。
ああ、私、つまり、男の子のバッカバカしいかわゆさを見たかったんだろうなあ。だからこそ、アツくなっちゃう時のギャップが更に愛しい、そういう映画にヨワいんだもん。自分の欲求ばかりを言っちゃ、いけないよなあ。

亀頭が、美沙をさらった巧たちを追いかけて、追いつめて、ショータイムよろしくハデに演出してボコボコにするシーンの長さがキツくてさあ……。いや、このシーンは確かに重要なんだけど。
京平が亀頭にフェラを強要される、京平のおバカキャラとのギャップが痛々しく披露される場面。
まあそこはいんだけど、通報された警察が到着し、その後もすっかりヘコんだ彼らが噴水にびしょぬれになる、って段は……ちょっと……あまりに長くて……いや、小栗監督の思い入れはとてもよく判るんだけど……さあ。

ああ、でも、もしかしたらここがクライマックスだったかもしれない、ストリートライブシーンが一番キツかったかもなあ。
あのヤクザたちから逃れるためには、銀行強盗でも起こして刑務所に入るしかない!と決め打ちした彼ら。
正直私は、フツーに警察呼んで、ヤクザたちを捕まえさせればいいんじゃないのと思っちゃったが。確たる証拠をつかまなければ、とか、バックに強大な組織が、とかまことしやかな前提は組まれていたけど、まず捕まえさせちゃえば、今のせっぱつまった状況はとりあえず脱せられたじゃんよ。
亀頭たちは色々ハデに立ち回ったからいくらでも理由はつけられるし、なんたって巧の父親は元刑事なんだから(爆破事件が原因で辞めてしまったのだ)。

でね、ちょっと脱線したけど、自分らが強盗して捕まる前に、文化祭でやる筈だったライブをやろう!と彼らは思う訳。
宮城さんが自分たちのために書いてくれた楽譜も見つかった。一夜漬けで練習した彼らは、宮城さんがいつも演奏していた場所で音を鳴らしだす。
最初は人っ子一人いなかったのが……いや、これはさ、これは……そもそも彼らは別にストリートで活動してた訳じゃないし、しかもこのたった一曲じゃんか。
しかも演奏し始めは、何?今は早朝なの?ってぐらいに、つまり不自然なぐらい人がいなかったのに、カットが変わると彼らの熱演にギャラリーがどっと集まって、頭上でクラップハンドしてて、それどころか、ウェイブを形作ったりして、そ、そりゃないだろ……。

ギャグかと思えば全然そうじゃなく、演奏する彼らは感動して泣いてるし!ええ!泣くか!ここで演奏するの初めてで、このワザとらしいギャラリーで、泣くか!しかもテメーら、一夜漬けじゃんか!
彼らの妄想、もし文化祭が開かれていたら熱狂する観客にダイブして……なんて場面が用意されている、んだとしたら、だったらさ、逆に現実ではこんな簡単に客が集まる筈もない、ってところでおバカを表現するのかと思ったよ。まさかこんなストレートを打ち込まれて三振とられるとは……。
それとも彼らの泣き顔で笑ってくれ、って訳じゃない、よね?まさかね……。

キーウーマンとなる小西真奈美の、若き頃のキャバ嬢のいでたちも少々イタかったのも哀しかった(爆)。そんなのイタくないほど、彼女はまだ全然若いし、ステキなのになあ。
岡村君はいかにも友情出演という感じ。作られたホームレスというキャラは彼っぽく、“トイレの中に設置された性転換装置”という設定を落語のように話し、それがラストクレジットの後でしっかりと落とされるのは楽しい。
その装置を発見した勝地君は、それまでのサムさとは違って、ちゃんと?面白かった。
でも、“性転換装置”って、パタリロにあったよなあ。しかも犯罪から逃れるために使えるってくだりも……と思い出す、パタリロ全巻持ってるイタい私(爆)。 ★★☆☆☆


18倫 アイドルを探せ!
2009年 77分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:貝原クリス亮 城定秀夫
撮影:田宮健彦 音楽:タルイタカヨシ
出演:田代さやか 河合龍之介 石山民子 黒木怜子 原紗央莉 森谷勇太 こばん 持田茜 中村英児 吉岡睦雄 神山杏奈 かなど沙奈 辻和朗 桂野恵一 古賀忍 大山ダイキ 福天 蘭汰郎 木村和広 鈴木晴美

2010/6/24/木 劇場(ポレポレ東中野/城定秀夫監督特集/レイト)
これもてっきりOVかと思っていたら、ちゃんとした?劇場公開の一般映画だった!そう思ってみればロケーションやセットもちゃんとしているかも……(爆)。
でも知らなかったなあ、こんな映画作ってるなんて。しかもこれは「18倫」の第二段なんだっていうんだもの。ぜえんぜん、知らなかった。
レイトショー作品はうっかりすると見落としてしまうことはまああるけれど……今年の1月にシネマート六本木でやってたのかあ、そうかあ。

確かに一般映画にしてはぶっ飛んだ作品ながらも、観ながら思ってた「へえー……このヒロインはカラミがないんだ……」という疑問は、これが一般映画だからなのね、と得心する。
セクシーアイドルなどというあいまいな定義の彼女、田代さやかは爆乳だし、水着や下着姿などはそれなりに見せてくれるものの、ヤハリおっぱい出してカラミまでは出来ないってあたりがセクシーアイドルってヤツなのだろう……。まあ、とっぽい感じはかわいかったけどね。
彼女の相棒役となる桜子役の持田茜(現しじみ)は、ピンクでも活躍する女優さんだけあって、水着姿ひとつとってもホタテの貝殻三つ(つまり上も下も!)というきわどさで、しかもそれで笑いをとるあたりがさすがだけど、彼女もまたカラミはナシ。
でも正直、ヒロインの倫子よりキョーレツな存在感で食いまくってて、そのあたりもさすがなんである。

そもそもこれはどういう話かというと……舞台はAV制作会社。それ自体、一般映画ではナカナカお目にかかれない設定だし、監督自身の経験から持ち上がった企画なのかしらと思っていたら、人気コミックスが原作にあるという。そうなんだ……。
でもなんといってもあの、ソフトオンデマンドが全面協力しているというし(ライバル会社、ソドムとして登場。ロゴもソックリ!)、現場やAV界の状況はそれなりにリアルに反映されているのかも。
まあソフトオンデマンドは、業界内ではイチ抜けの大企業ではあるだろうが……ホントに自社内にあんな立派なスタジオとかあるのかしらん?キレイなオフィスにズラリとならんだパソコンで、モザイク処理してたりするのもなんか新鮮で……。
というのもやっぱり、AV制作会社はちっちゃなところが多くて、狭い事務所で手作り作業みたいなイメージがあったから。

ま、倫子が勤めている制作会社は、まさにそういう零細メーカーのひとつであり、それこそがAV制作会社のリアルであるんだろう。
そもそも名門お嬢様学校の生徒だった倫子が、なぜこんなところに勤めることになったかというと、お金持ちだった家が破産して一家は離散、彼女は高校生ホームレスになってしまったんだという。
……んん?どっかで聞いた話だ……回想される公園の“うんこ”(大きなうずまき形の遊具)の中で寝起きしているシーンも、あの「ホームレス中学生」にソックリで、ていうか、もちろん確信犯的パクリなんである(爆)。

しかもしかも、その公園で無許可のロケを行うことになって急ぎ用意している時(私これ、OVだと思って観ていたから、ホントに無許可かと思ってドキドキしてしまった……)思い出に浸っていると、そこからかつての倫子と同じように這い出してきたのは、懐かしい制服……だけじゃなく、懐かしい友人の桜子!
聞けば彼女もまた離婚した母親が破産し、父親の住所を置手紙に記して失踪。その置手紙を飼っていたヤギのセバスチャンに食べられてしまい(!!)行くあてもなくホームレスになってしまったんだと!
同情した倫子は自分を拾ってくれたバール企画の社長に頼み込んで、彼女もまた住み込みで雇ってもらうんである。

で、ね。名門お嬢様学校って設定だからさ、この二人は「……ですのよ」オホホホてな具合でずーっと通すのよ。最初のうちどっかで崩れるかと思ったら、ホントに最後まで徹底するもんだからだんだん頭がマヒしてくる(爆)。
でもその同じ口調でもおっとり天然系の倫子と、めきめき才覚を表してくる桜子とは対照的なキャラ。しかも「ここにはこんな服しかないんですのよ。お給料が入るまで我慢してくださいな」と倫子が桜子に貸し出す服は、つまりAVの衣装だからバッカバカしいほどのエロ仕様なの!

先述したように、新人AV女優を発掘するため、彼女たちが田舎の海岸に赴き水着姿になるシーンも用意されているんだけれど……あのアホアホな貝殻三つの水着も勿論AV用衣装のひとつであり、その姿で田舎の漁師にナンパされ「あやうくマグロ漁船に乗せられるところでしたわ……」とゲッソリとつぶやく桜子には爆笑!
じゃあもう帰りましょうと、バンのドアをそのカッコで大股開いて足を踏ん張り内側から閉めるのを、引きの場面で映す(それを、新人女優として発掘される民子が遠くの農道から見ているから)のも絶妙に可笑しいのよね!

……おっとっと、またしても突っ走ってしまった。そうそう、なんで新人AV女優を発掘しなきゃならなくなったかということがあるんであった。
あのね、桜子は確かに仕事はバリバリ出来る。せっかく後輩が出来ていろいろ教えられると張り切った倫子を落ち込ませるほど。
何より倫子はまだ処女なのに、桜子は「アラブの石油王や北欧の貴族たちとの経験も豊富ですのよ」と、フリフリのメイド服からチョコレートみたいにコンドームをぶらりとクリップで止めてにこやかに笑うほどの余裕っぷりで、そりゃあこの世界にどっちが向いているかといったら誰の目にも明らか。
それに倫子は難病の子供を救う医者になりたいという夢を持って、仕事が終わってから毎夜勉強を重ねていたし……ていう設定もずいぶんスゴいが。

なんて言ってるうちにまた話が脱線しちゃった。そうそう、なぜ新人さんを発掘しなきゃならないか。
あのね、桜子は親からの借金を取り立てる、いかにもコワモテの男二人に追いかけられていたのね。んで、その男たちはついにバール企画を突き止めて乗り込んでくる。
しかしあれだけ逃げ回っていたのに桜子は超余裕で、一億?明日には返しますわよ。連帯保証人に会社の印鑑?押せばよろしくてよ、みたいに余裕タップリで、その時緊縛の体験練習をして身動きが取れなくなってしまっていた倫子は慌てるも、桜子を止めることが出来ないんである。
この慌てれば慌てるほど縄が食い込んで、痛たた、ともだえる田代さやかはなかなかカワイイ。ま、フツーにワンピースの上からの緊縛ってあたりは惜しいが(爆)、でもまたそれもそそられるかもしれない(爆爆)。

で、そう。なぜ桜子がそんなに余裕たっぷりだったのか、観客はもとより倫子も不思議に思って聞いてみると「倫子さんたら、お忘れになったの?明日はお給料日ですわよ!」オーッホッホ!みたいな!!!唖然とする倫子ともども観客もアゼン!
当然「桜子ちゃん頑張ったから、少し色つけておいたから」と社長は言うけれども、今度は桜子があまりの少なさにアゼン。
「私あんなに一生懸命働いたのに……判った!このほかに株券や小切手をもらえるんですのね!」「いや、それだけだよ。だからウチは給料少ないって言ったじゃない」「わたくし、庶民のお給料がこんなに少ないって知らなかったんですのー!!!」
おいおいおいおいー!いくらお嬢様だからって、一億給料が出ると思ってるとはぶっ飛びすぎだろ!

かくして桜子のみならず、バール企画の会社存続の危機にまで陥ったところに、もうこれしかない!と持ち上がったのが、優勝賞金一億円という途方もない催し、「A−1グランプリ」なんであった。
うーむ、どこかで聞いたようなネーミング……それこそ昔々はピンク映画でトーナメント組んだP−1グランプリもあったしなあ……。
ライバル会社のソドムファクトリーはその資金力をあざといまでに使って、街行く女の子たちにカネをバラまき、千人全裸マラソンなる企画で優勝を狙いにいく。
しかもこのソドムの女プロデューサー、怜子は、バール企画の社長とソドムで同期として働いていたという。
やたら敵意をむき出しにする怜子に社長は「昔はあんなんじゃなかったんだけど……俺が独立したとたん豹変しちゃって」と首を傾げる。その点については、やたらカワイイ理由がラストに明かされるんである。

でね、倫子が友人の危機を救うため、社長に指名されて監督に名乗りをあげる!
で、ソドムに荒らされた都会をあきらめて、田舎まで車を飛ばし、手垢のついていない女の子を一人、スカウトしてくるんである。 
「木綿のハンカチーフ」と題されるこの作品は、製作過程とドキュメンタリーを入れ込んだクライマックスがなかなかに泣けて、このあたりはさすが城定監督の手腕といったところだわね、と思う。

まあ、その民子の登場はもうベタのベタベタなんだけど(笑)。
小豆色のジャージに牛乳のビン底状態メガネをかけて(それもホントに、コントみたいに中の目が見えないぐらいのヤツ!)黒マッキーで書いたような極太まゆげ、無造作に二つに結わかれた髪。やりすぎだろ!てなぐらいのイナカ娘なんである。
農道で恋人とケンカして去られてしまった彼女は、泣き伏したその農道に撒かれたチラシ(実にちょうどよく落ちてあるあたりがベタに笑わせるのだ)を見て「女優さんになってやる!」とバンを追いかけるのだ。

あまりの田舎娘っぷりに社長以下スタッフたちは皆、いくらなんでも……と難色を示すんだけど、倫子だけは自信マンマン、曇りガラスの向こうでチャチャチャチャチャッ!とヘアメイクをほどこし眼鏡を外させると、あーらビックリ、美少女が一人、いっちょあがり!
こんなカワイイ服なんて着たことないべさ、と頬を染める様も可愛らしく、撮影は順調に進んでいく。
忘れていないよな、これはAVだからカラミが必要なんだぞ、と釘を刺されて、カラミ撮影なんて当然初めての民子も身をこわばらせるも、女優さんなんだから、平気だべ、と強がって見せる。
でも倫子は、彼女が恋人からの電話に出ることもなく拒否し続けているのも知っていた。そして撮影当日、ギリギリまで用意出来ていなかった男優、倫子が連れてきたのはヤハリ……!!

と、ここで閑話休題。民子を連れてくる前、ソドムの企画に何とかして勝ちたい倫子と桜子は敵地に忍び込む。つまりここが、ソフトオンデマンドの社屋なんである。
売れっ子AV女優、原紗央莉も本人役で特別出演!ここはなかなか興味深い現場訪問だったなあ。
いや、とはいうものの何しろ不法侵入者だから二人はあっという間に捕まり……はせず、なぜか桜子が出演女優とカン違いされてあっという間に現場に連れて行かれてあっという間にあられもないカッコにされて、あっという間に男優のテクにもだえてしまうという(爆)。

いつのまにか姿が見えなくなった桜子を探して倫子が助けに入るも、そこに登場したのはくだんの女プロデューサー、怜子。
倫子が処女だと知ると彼女は悪魔の微笑を浮かべ、友達を助けたいならあなたが身代わりになりなさい、と言う。
意を決した倫子が震えながら衣服を脱ぎだすと、怜子は、AV女優は生娘がなれるようなもんじゃない。もっと女もセックスのテクもみがいてから出直していらっしゃい、と二人を追い出すんである。

本作はさ、もちろんハチャメチャなノリが面白いし、AV業界が舞台というのもどこか自虐めいた雰囲気があるんだけど、でもAVや役者に対する真摯な視点がきちんと見えているんだよね。
それはやはり、ピンク映画をきちんと“映画”として作り上げている城定監督の姿勢そのものが現れているのかなあ、と思う。
それが顕著なのは、結局はソドムとバール企画の二作品に絞られて、AV界の皇帝と呼ばれる男の前でAVの存在意義について問われた時。

怜子は決して枯れることのないビジネスとしての大きな可能性に言及、一方倫子は、男と女が愛し合う姿を記録する唯一のメディアとしての誇りを語る。
非常に対照的だし、現実と理想の両極端なんだけど、皇帝がどちらも正しいとうなずくのに共感を覚えるのよね。
日本のAV業界、あるいはピンクや古くのロマンポルノもそうだと思うけれど、それらが発展してきたのは、日本がエロをビジネスと表現手段との両方から真摯に確立してきた結果なのだよなあ。

で、物語をワキに置いてしまいましたけれども、そう、当然、倫子が連れてきたのは、民子の恋人だったんであった!
すべての事情を飲み込んで現れた彼は、動揺し、激しく言葉をぶつけて背を向ける民子をひしと抱きしめたんであった。
そして……自分たちが愛し合う姿を収めてほしい、と倫子に言った。民子も涙を流しながら「きれいに撮ってけろ」とこれ以上なく美しく微笑んだ。

そして彼らの“カラミ”は……いや、カラミなんてそんなんじゃない、せいぜい上半身だけのソフトなもんなんだけど、おじいちゃんになってもおばあちゃんになっても俺たち一緒だかんな、判ったか、と彼が優しくささやき、それに対して民子が本当に幸せそうにうなずく。カメラを覗いている、いつもは倫子に対して厳しく叱り飛ばしてばかりいる(その割には結構付き合いいいんだけどねー)ADの近藤も涙でぼやけてピントが合わないというかわゆさ。
このシーンは実に幸福で、まさにAVとは、いやさセックスとはかくあるべきよと思う充実感なんである。

さて、二本に絞られて呼び出されたソドムとバール企画、かたや資金力にモノを言わせた「千人全裸マラソン」、かたや純愛物語「木綿のハンカチーフ」、どちらもAVの可能性を大きく秘めていて甲乙つけがたく、この勝負引き分け、賞金は折半とすべし、となるんである。
桜子は、それじゃ借金は返せない……と呆然とし、怜子も悔しさに唇をかむんだけれど、ここでオドロキの展開!
振り向いてサングラスを外した“皇帝”に、飛びつく桜子!「お父様!」「もしや、……桜子か!」
桜子がAVの仕事にあっという間に慣れて、バリバリ仕事が出来る人になったのは、この強力な遺伝があったから??いやいや!

そして帰途、バール企画の社長はのんびりと怜子に声をかける。
パーンと彼女に頬を張られて嬉しそうな顔をした彼に、「私が急にこんなにキツくなったのは、あなたがMだって知ったから、あなたの好みになれば、戻ってくると思ったの!」
な、ななななんてカワイイ女なんだ!ていうか、Mて!
そしてラストには、彼女のためにかいがいしくエプロンつけて嬉しそうに炊事している社長の姿が……(爆)。
そして倫子はみんなの後押しがあって、医学論文が認められて海外留学、その論文は、「前立腺がんにおける、自慰の有効性」とかなんとか(爆)。
桜子は豊富な経験を生かして監督作品をバンバン撮り、八方丸く納まってメデタシメデタシ!

ローションを両手でかき回して準備したり、擬似ザーメンを作成したり、生理中の女優さんのために海綿を切って準備したり。興味有るAVの裏側もちらりちらりと見せてくれる。
でもせっかく海綿を準備しても「今日は出血大サービスの撮影だから、海綿はいらねえんだよ!」と近藤に怒鳴り散らされ……(爆)。桜子が寝言で海綿、海綿……とつぶやくのも可笑しく、テンション高く突っ走った怪作! ★★★★☆


食堂かたつむり
2010年 119分 日本 カラー
監督:富永まい 脚本:高井浩子
撮影:北信康 音楽:福原まり
出演:柴咲コウ 余貴美子 ブラザートム 田中哲司 志田未来 満島ひかり 江波杏子 三浦友和 桜田通 徳井優 諏訪太朗 佐藤二朗 草村礼子 佐々木麻緒 山崎一 上田耕一

2010/3/2/火 劇場(池袋テアトルダイヤ)
食堂、などとつくとヤハリ、「かもめ食堂」を思い出してしまうよなあ、などと思いつつ足を運ぶ。なんだか昨今、料理モノが一種のブームなのではないのかしらんと思うほど、次から次へと出てくる。 んでもってそれが大概において、“料理によって心癒される”モノであり、女性の手によって生み出されるものであることに対しては、楽しく映画を観ながらも何となくフクザツな心境も覚える。
なんかね、男性の作る料理はプロの料理で、女性の作る料理は人を(家族を)癒す料理という線引きがされている気がして……。

ただ、それこそ「かもめ食堂」は、その、人を癒す料理の対象が友人であり、そこから派生したお客であり、というところで、女性だって勿論プロの料理人であるという、当たり前の領域に踏み出したと思うんだけれど、本作を見てそれがまた引っ込んでしまったかな、と思った。
一応は、食堂という店を構えたプロの料理人。だけど彼女が作るのはその殆んどが身内か友人で、しかもこの町は“おっぱい山”というのどかな緑の山に囲まれた実に閉鎖的な場所であり、それこそ出てくる登場人物で住人が全て形成されているんじゃないかという印象さえ与えるんである。
勿論そこに、主人公は心の安住を最終的には見い出すものの、何となく元に戻っちゃった感、はあったかなあ。またしても心を病んだ女の子かあ、などとも思ったし。

ただ、その心を病んだ女の子がヒロインであり、閉鎖的な町であり、であるにしては、驚くほどにカラフルな描写と展開である。
私ね、最初のうち、これは中島哲也監督作品なのかしらと思って観ていたのよね。そのカラフルな奇抜さが似ているような気がした。
でもベースがあくまで静かに流れ、中島作品のような毒気というよりは柔らかさがあって、鑑賞後、あ、違った、しかも女性監督だ……とビックリした。
ていうか、私、彼女のデビュー作品に強い印象を覚えていたのに、そのお名前をスッカリ忘れていた(爆)。そして、そのデビュー作品「ウール100%」のことを思い出してみれば、なるほど、このビジュアリスティックな造形にも納得がいくのであった。

今で言えばシングルマザー、当時は単に不倫の子、不倫の子だから倫子なのだと陰口叩かれて育った倫子が主人公。
全体に、登場人物の来歴を説明する箇所には歌を導入するという、なるほど、これなら説明くさいという印象はまぬがれるよな、という手法を用いているのだけれど、それにしても序盤はかなりアグレッシブにミュージカル責めである。
倫子は声を失って故郷に戻ってくるのだけれど、それまでの経過が、そんな重い青春時代を描くにはふさわしくないほどの明るさで説明していく。

田舎で後ろ指を指されることに耐え切れず、田舎の優しいおばあちゃんの元に身を寄せ、“魔法の壺”で出来る美味しいぬか床を始めとして、あたたかな料理を教えてもらった倫子。
その愛するおばあちゃんが死に、倫子は食堂をやりたいという夢をかなえるために、魔法のぬか床を携えて様々な料理を修業。
そこで出会った、運命の人かと思われたインド人の恋人と、夢の一歩手前までこぎつけたところで、お金はもちろん、家財道具から何から持ち逃げされる。
数々のスパイスが格子になった画から、それがお布団の柄になって、二人が目を見合わせて眠りにつくというラブラブな描写に目を奪われていただけに、突然の転落に彼女ならずとも口アングリである。

魔法のぬか床だけは残っていた。それがかろうじて倫子を支えてはいたけれども、彼女はショックのあまり声を失って、失意のまま故郷に戻るんである。

もう一人の主人公と言えるのが、倫子の母親である。演じるのが余さんなだけに、実に巧みにふてぶてしい母親を演じてみせる。
帰ってきた娘よりペットの豚、エルメスの方が大事だし、いつでも香水の匂いをプンプンさせて、水商売が天職のように楽しげである。
幼い頃に父親のことを聞いてきた倫子に、皆が言っている通りだよ、あんたは不倫の子なんだと突き放し、安っぽいドレスを身にまとって、お尻をふりふり、仕事に出かけて行った。倫子は言葉には出さないけれど、私は母親とは違う、大嫌いだと思っていたに違いない。

ただ……かなり浪花節なラストが用意されていることもあり、まあそうでなくても母と娘というのはそうだと思うんだけど……。
アンビバレンツというのもあり、そして心のどこかで、お母さんをきっと信じてる部分もありで、倫子は母親を愛していたし、そして何より……母親のルリコは倫子を心の底から愛していた。
「あなたがいたから、私は生きていられた」とまでの愛情を注いでいたんである。

と、いうのが判るのは、もっともっと後の話、なんだよね。何より重要なのは、倫子がこの地で食堂をオープンさせ、その“魔法の料理”が人々の願いを次々に叶えていくところ、なのだ。
私ね、ちょっとこのキャラに、柴咲コウはベストキャストだという気は正直、しなかった。いや、彼女は上手いし、見事にこなしているけれど……なんとなく、もったいない気がしたんだよね。彼女のような厳しいまでの美貌とオーラを持った女優さんが、本作だけでなく最近なんだか柔らかい役柄ばかりな気がして。
そう、上手いから難なくこなすけど、もっとしっくりくる女優さんはいると思うからその点でもったいない気が凄くするし、彼女にとってもすごくもったいない気がするんだよね……。
それは今の日本映画が、こういう柔らかな映画傾向に傾きがちだからという気がする。勿論、それで秀作が生まれているんだからいいんだけど、なんか、彼女の魅力を殺し続けている気がしてならないんだよなあ。

ただ、この役は確かに挑戦だったと思う。殆んど台詞がない訳。豚のエルメスとは心の中の声が通うシーンがあるけれども、それ以外は筆談も交えて、ただただ表情のみで感情を伝える。難しい役をさすがしっかりとこなしている。
ただね……豚のエルメスと種族を違えてまで(爆)言葉が通じるという描写がありながら、肝心の場面ではそれを活かさないんだよね。
それは、母親のルリコが初恋の人との結婚披露宴のために、そして自らも余命いくばくもないことを考えて、「エルメスは食べちゃおうと思うの。それが一番いいのよ」という展開である。

この展開にはえっと思ってしまった。えっ、どころかいやいやいや!と……。
ただ、ここが本作のキモだったんだよね。ラストには倫子がドアにぶつかって死んでしまった鳩を料理して食べ、「……美味しい……」と涙を浮かべてつぶやく、つまり声を取り戻したシーンが用意されている。
本作の惹句は「生きることは、食べること」ちょっと意味が伝わり辛くて弱いけど、つまり、他の命をもらって私たちは生きているんだ、ってことなんだよね。
すっかり他の動物たちとは違うぐらいに思い上がっている人間たちだけれど、そうじゃない、ちゃんと食物連鎖の中にいて、死ぬ時は死ぬし、そしてその、今まで生き長らえてきた生は、あくまで他の命を摂取することによって成り立たせていたんだ、っていう……。

ただ……この重すぎるテーマを描くには、ちょっと足りなかったな、って気がしてる。だってフツーに引いちゃったんだもん。エルメスを食べるっていうところでドン引きで、ラストに鳩を食べるシーンにも、え、マジでやるの?と思ってしまった……。
ただ、それは、あくまで映画としての尺の足りなさ、描写の足りなさであろうことは、ハッキリと理解出来ることではあった。それぐらい、意図することは判るのに、それを納得出来なかったのが痛かった。
つまり、それだけ人間は、他の命を摂取して生き長らえているんだという意識が低いということなんだろうけれど、だからこそ、ちゃんと判らせてほしかったんだよね。

倫子が苦労してエルメスに食べてもらえるパンを作り上げた過程、ブラッシングに気持ち良さげにしているエルメスの様子といい、つまりは……ペットとしてのエルメスが、あまりに可愛かったから、それを食べるという発想に頭がついていかなかった。
だって、この家から倫子が出て行った後はきっとルリコを支えてきたんだろうし、なんたって倫子と言葉が通じるぐらいの役割りを与えられているんだから、もはや一ペットではなく、家族、いや、家族以上の存在だったんじゃないの。
それは私が、今や飼い猫の野枝にベッタリだからそう思うのかなあ……だろうなあ……。

でもね、本当に深い深い、深い価値感に思いを馳せれば、愛する存在を自分や、自分が愛する人たちに食べてもらうというのは、とても……理想的なことに違いない。
それはよーく考えてみれば判ることであり、食物連鎖を起点とする大きな世界のうねりの中にいるという視点でテーマを考えると、これは本当に大きな山場、なんだよね。
ただ……やっぱりこれは、映画の尺の問題だと思うなあ。それに、サイケデリックな描写が閉鎖的な村社会で展開されるという作品世界では、更にその重要度は認識し辛い、んだよね。

確かにエルメスの“処遇”については、精一杯のことをしたと思う。肉塊としてバラされて来たエルメスに、倫子は真摯な姿勢で調理に当たり、披露宴では世界各国の豚肉料理で世界旅行を味わってもらおうと趣向を凝らした。
そして、最後の最後、ルリコさんが亡くなった後も、お世話になった皆にエルメスの生ハムをふるまって回った。ここまでしてもらえる豚は、そうはいないに違いない。……それが判ってはいるんだけれど……なんか、すんなりと受け入れられないというのが正直な気持ちだった。

やっぱりそれまでエルメスが、多少なりとも倫子と心の会話を交わしていた(かなりエルメスは横柄な感じで(笑))からだっただろうと思う。エルメスの、この運命に処される最後の言葉を聞きたかった。
それをやってしまえば、これが倫子の物語ではなく、エルメスのそれになってしまうから、なんだろうか……?

ついついエルメスのことばかりに費やしてしまったけれども、そもそもは、そう、倫子の物語なのだよね(爆)。
なんといっても、彼女の料理が人の願いを叶える、ということで評判になる。願い、というのが、こと色恋関係オンリーだってことが“女性映画”っぽくてヤだけど(爆)、そんでもって、ジュテームスープなんていう名称が女子高生の間に評判になってしまうという陳腐さがヤでたまらないけど(爆爆)。
ただ、倫子自身の恋愛は、声を失ってしまった原因の大失恋をお気楽ミュージカルでさらりと消化してしまい、つまり、女の子映画が、まずは恋愛ありきであるということを、否定まではせずともさらりとスルーしていることは、ちょっとステキだったかもしれないなあ。

まあ、そこは替わりに母親の方が担っていると言えるのかもしれないけれど。
ただ、彼女は、ザ・水商売の女で、不倫の末に子供をもうけたんだという話で、店の常連さんたちは誰もが彼女にご執心でさ、“飲酒運転になるから”と、馬で店に来るってあたりが笑えたりするんだけど、皆ご執心なのに、誰も手を出していないんだよね。
そう、あれだけベタベタと触ったり口説いたりしているのに、誰も手を出せてない。驚くべきことに……このケバケバでモテモテな色っぽいオカンは、処女だと、言うのだ!!!
酒の席の冗談だと思った。でも彼女にご執心な常連たちは皆がそうなんだと頷く。
ルリコはバンジージャンプで恋人とはぐれて以来(このエピソードはどうなの……)、操を貫き、倫子を儲けたのは、“水鉄砲”!!!そ、それって、どんだけ精巧な“水鉄砲”よ!

ああ、でも……「ハッシュ!」でさ、妊娠するためにスポイト使おうと思ってる、と言ってゲイカップルの目を丸くさせたヒロインを思い出しちゃったなあ。
自分の分身がほしい、と言ってしまえば語弊があるかもしれないけれど……ここまでして自分の子供が欲しい、という描写は、私が知る限り、男性では、見たことないんだよね。
それにフクザツな気持ちを覚える。それが枷にも感じるし、義務にも感じるし、そして……特権にも感じる、だなんて。お気楽に生きている女である自分がそんな風に感じてしまうだなんて。

こうして考えてみると、この物語って、生であり、生きていくことであり、ってことに、実に生々しい答えを出しているんだけど、それには凄く……足りなかったし、もったいない部分がいっぱいあったと思う。
それはことに、いい味出してたバイプレーヤーたちについて。最もそれが顕著だったのは、倫子の食堂作りを最初から支え、“願いが叶う”という触れ込みをしてくれた熊さん。
演じるブラザートムは、ホントにこの人は、本人の個性の強さを持ちながら、主役を立たせる優しさ柔らかさを兼ね備えた、最強のバイプレーヤー!

そして彼が「子供の頃可愛がってくれたから、元気を出してほしい」と倫子の料理を食べさせる、そして見事に元気になる“お妾さん”の江波杏子の、こういう年のとり方をしたいと思わせる、影のある美しさからそれが払拭される美しさまでの展開。
でも彼女もつまり……お妾さんとして生きてきたってことは、男のために人生を費やしてきたってことなんだよね。倫子の料理で息を吹き返したにしても、死んでしまったダンナから「すぐに会えるから、今の人生を楽しんで」と言われたという。……倫子の料理は、単なるきっかけに過ぎなかったのか。

“ジュテームスープ”で恋人をゲットする女子高生、志田未来や(その他にも様々な……男の子同士の恋人も含めたカップル多数来店!)、高校時代の同級生で、一度倫子をスランプに陥れる、今最も旬の女優であろう、満島ひかりなどなど、まあまあ飽きさせないこと!と思いつつ、そこにはお妾さんと同様な、男社会に従い、おもねるしかない女社会を感じてしまう、といったら、フェミニストすぎるのだろうか?

そう、この満島ひかり演じる同級生、ミドリに関しては、もう少し、ひとくさりあってもいい感じがしたけどなあ。なんたって満島ひかりだしというのもあるし。彼女の家も飲食店をやっている関係で、しかも公務員を辞めて店を継いだ父親の営む店は、多分そんな……流行ってなくてさ。
ミドリは倫子に対して嫉妬心がわいて、友達を率いて訪れた時に、サンドウィッチに虫を入れてしまうという暴挙に出る。そのことで倫子の店は一時、危機に陥るのだけれど……。
ただ、倫子がどこまでこの事実を知っていたのか、なぜ“ふらっと”ミドリの店を訪れたのか、あまり明確にされないんだよね……。ただあまりに唐突に“ふらっと”なので、その疑いはあったのかなと感じるにしても……。
その後、ミドリがあまりにわだかまりなく、ルリコとシュウの披露宴に出席しているもんだから、ちょっと違和感を感じたのは事実なのよね。

そのシュウのエピソードに関しても、もう少し見てみたい感じはした。せっかくの三浦友和だしさ……。彼がこの年まで、ルリコと再会するまで、どう過ごしていたのかも映画の展開では全然判らないし……そりゃ、三浦友和 はステキなんだけれども。そりゃあ、そうなんだけれども。

うーん、なんだろう……。
時々挿入される、幼い頃の倫子。
むしろ、今の倫子だけの方が良かったかもしれない。
それでなくても、色々分散される煩わしさは凄い、感じるのよね。
だって、あくまで、今を生きている女の子の話なんだもの。ある程度の過去回想は必要だとは思うけど、そこに重きを置きすぎな気がしたかもしれない。
ノスタルジーになりそうで、なりきれない。だってノスタルジーがテーマじゃないんだもん、みたいな。
でもちょっと、作品としての見え方は、ノスタルジーなんだよね……。
凄く、その難しさを感じた。 ★★★☆☆


書道ガールズ!! わたしたちの甲子園
2010年 120分 日本 カラー
監督:猪股隆一 脚本:永田優子
撮影:市川正明 音楽:岩代太郎
出演:成海璃子 山下リオ 高畑充希 小島藤子 桜庭ななみ 市川知宏 森崎ウィン 森岡龍 坂口涼太郎 宮崎美子 朝加真由美 おかやまはじめ 山田明郷 森本レオ 織本順吉 金子ノブアキ

2010/5/20/木 劇場(新宿バルト9)
いやー、泣いた泣いた。とめどもなく泣いちゃったわよ。こういうので泣くの、ベタもベタ、超ベタだと思っても止まらなかったわよ。いや、むしろそのことを充分判ってて、それに自ら飛び込んで涙を流すのが超気持ち良かったわよ。
エンディングクレジットのスチール写真も王道過ぎるほどなんだけど、もう判ってても泣いちゃう。その中に撮影中のオフショットなんぞがするりと紛れ込んでて、高校生の男の子女の子の楽しさ弾けっぷりが伝わってきて、それもなんかノスタルジックに感じてキューンときちゃう。

実はちょっと……これダメなんじゃないかって思っててさ。かの「おっぱいバレー」とソックリの宣伝展開だったから。
日テレがバックについてて、公開が迫ると番組タイアップの企画が出たり、出演者がゲストで出まくったり。
そして公開が始まると、ご丁寧にも観客席で涙を流す女性客なんぞを映した予告宣伝なんかしちゃってさ、この手のあざとい宣伝をする映画は過去、当たったことがなかったんだよね(勿論、私にとってというだけだが)。
正直「おっぱいバレー」があんなに興行や評判が良かったのが私はどうしても解せなくて、だからなんか……あざといぐらいに宣伝すりゃなんでもいいのかなあ、とちょっと失望した気分も否めなかった。
だから大好きな璃子嬢といえど、なんだか足を運ぶのが怖かったのだ。

そうそう、もし「おっぱいバレー」と同じ監督さんだったらどうしようかとかも思ってた(爆)。別にどうもしないけど(爆爆)。
でも観ている間、これがもし「おっぱいバレー」と同じ監督さんだったなら、私に訴えかけるものの何がそんなに違うのかなあ、ってずっと考えていたのだ。
だって、一つの目的に向かって仲間みんなで邁進するのは一緒。70年代だった「おっぱいバレー」と違って本作は現代の物語だけど、紙工場の煙突が印象的に立ち並ぶ一地方で、その温かで可愛らしい訛りと閉店だらけの商店街に感傷的なノスタルジーを感じるから、そんな雰囲気も共通していると言えなくもない。
なのになぜこんなに違うんだろうと思ったのだ……答えは簡単、その“一つの目的に向かって邁進する”少女たちの力量、なんだよなあ。

「おっぱいバレー」は結局、綾瀬はるかの映画だったんだよね。そりゃそうだ、ある意味、タイトルロールと言えなくもない。
先生のおっぱいを見るために、そんな可愛くも不埒な動機で男子高校生たちが頑張る映画だったけれど、綾瀬はるかこそがヒロインだとカン違い(としか思えない)した結果、男の子たちのキャスティング、あるいは演出に力とオカネをかけなかった結果、あまりにおサムい彼らの芝居力にとてもとてもシンクロする訳にはいかなかったのだ。
改めて考えてみれば彼らこそが主人公であり、尺も彼らに割かれるのが最も多いのにさ。いや、ビミョーかな……はるか嬢の方が多かったかも。

本作に集結した“書道ガールズ”は、見事に実力派ティーン女優を揃えている。トップの成海璃子嬢は言うに及ばず、ここから出る女の子は皆名女優になる、リハウスガール出身の山下リオが二番手につけば、そりゃーもう怖いものはない。
璃子嬢演じる里子にくっついて、狂言回し的な立ち位置だった桜庭ななみ嬢は私は初めて観たけど(多分……)そうした役割りを振られるのも納得の、オーソドックスな芝居が好感度大だったし、リオ嬢と共に影の部分を引き受ける、元イジメられっこの小春を演じる小島藤子は、もうけ役ということはあるにしても非常に深度を感じるたたずまいだった。

しかし私がいっちばん気に入ったのは、書道パフォーマンスにいち早く惚れ込んで持ち込んだ清美役の高畑充希嬢だよなあ!あ、ああーっ!彼女、「ドルフィンブルー」のあの、ボーイッシュだったあの女の子っ!?まあまあまあ、かわゆく育っちゃって!おばちゃん、感激!
赤い眼鏡の奥のくりくりとした大きな瞳にまずひきつけられるが、まあそれぐらいなら、そんな女優は山ほどいる。でもでも、もちろんその瞳は大きな武器である!
やっぱりね、目は心の窓とはよく言ったもんでさ、最初は書道パフォーマンスの楽しさにその瞳をキラキラさせていた彼女が、お父ちゃんのためにと真剣なまなざしになり、いざとなると尋常じゃない緊張でその大きな瞳がブルブルと泳ぎ、そして泣き、そして笑い……。
ああ!彼女は本当に良かった。なんか徳永えりのような、地道な達者さも一方で感じ、なんとも今後が楽しみなんだよなあ!

その猪突猛進さ、赤いジャージを着込んで足をよいしょっと広げ、お父ちゃんの好きな村田英雄の「王将」なんていうド演歌に乗せて、巨大な筆を振るう清美。もうそれだけで可愛いんだけれどさ!
長年自分を育ててくれたお父ちゃん、文具店を閉じなきゃいけなくなったお父ちゃんのために、最後の花を咲かせようと書道パフォーマンスを思いつくものの、最後の最後で墨を撒き散らして観客に浴びせてしまって大失敗。
落ち込む娘に「お前らしい字だなあ。紙からはみだしそうだ。これはお父ちゃんの宝物だ」とお父ちゃんから言われて、子供のように声をあげて泣く彼女がもう、それはそれは可愛くて、もうここから涙が映画の最後まで止まらなくなっちゃったんだもん!

おっとっと、またしても先走ってしまったが。ていうか、やはりその前に璃子嬢のことに触れなければ。
私ね、ちょっと、意外だった。璃子ちゃんに、あのストイックでオットコマエで高倉健な璃子ちゃんに、こんなに素直に可愛いと思うと思わなかった。
いや、このメンツの中ではやはりストイックで真面目な、書道部の部長さんだし、書道パフォーマンスのことだって最初は、ふざけてる、と見向きもしなかったのだ。

正直ね、本作の情報を知ったのは「武士道シックスティーン」を観た後で、あの興奮も冷めやらず、しかもかの作品はまさに、璃子嬢の高倉健的魅力を十二分に発揮した作品だったしさ、どうなのかな、と思っていたのよね。
カブるんじゃないかとか、カブるがゆえに、こっちはコケるんじゃないかとか。だって「武士道シックスティーン」の出来がとても良かったんだもの。
それにやはり“……道”てな日本的ストイックはどうしても共通してしまうし。そしてそして、その世界に小さな頃からどっぷりとハマっていて、つまりは頭デッカチになっているヒロイン、という部分も同じだし。
そう……設定だけ聞けば、なんかカブってるじゃん、と思わざるを得ない気持ちは大きかったんだよなあ。

でも、不思議、全然違う。いや、全然違ってくれなきゃ困るんだけど(爆)。今までは、そして「武士道シックスティーン」では、璃子嬢はとても、孤高の人、という感じがあったのだ。
本作でもそれは確かにあるんだけれど……私はこんな、女子高生としてキラキラな彼女を初めて見た。
そりゃあ、怖い部長さんよ。やる気のない部員を次々退部に追い込んで、女房役の香奈(ななみ嬢ね)の頭を抱えさせるようなストイックさはいかにも璃子ちゃんなんだけど。
でも最終的に、厳格な父親に、孤独に自分を見つめるだけの書道では何も見えなかった。今は皆と一つの書を作り上げるのが楽しいんよ、とキラキラした瞳で訴える彼女が、もうなんともなんとも、ちゃんと(という言い方もおかしいけど)この年頃をきちんと生きてる、昇華してる女子高生、って思ってさあ。
むしろ彼女の新境地を開いたのは、この一見、ベタすぎるほどにベタな本作だったかも……と思ったのだ。

「武士道シックスティーン」と何が違うかっていえば、そりゃあこれも簡単、相対する仲間が一人か複数か、ってことである。
「武士道……」も部の仲間達は重要な役割を果たしているけれども、やはり北乃きいちゃんだけが璃子嬢の相手である。そうなると、いくら青春モノでも璃子嬢の立場上、高倉健的ストイックを貫かない訳にはいかない。
でも本作は、それぞれの書道ガールズたちにメイン級のエピソードがきちんと用意されていて、むしろ璃子ちゃんは狂言回しに過ぎない感じがする。

そうだ、そう考えると、狂言回しが二人いるってことかも。ななみ嬢演じる香奈は、それこそ彼女に関してはまったくバックグラウンドが語られないぐらいだから完全なる狂言回しだけれど、璃子ちゃんも、勿論内的変化はトップだけに明確に見えるけれど、母親が病気で入院して進学をあきらめる美央(リオ嬢)なり、父親が店をたたんで転校していく清美なり、中学時代イジメにあって心を閉ざしている小春などと比べれば、里子に関しては展開が劇的に変わるような変化はないんだよね。
それでも、ていうか、だからこそ、殆んどの人たちにとっては、そんな劇的な展開がないことの方が普通なんだからさあ。
でもそれでも、あの年頃はやはり特別で、この時に自分の本能が渇望することをちゃんと満たしてやらないといけない、というか、満たさずにはいられない、そんな季節な訳でさ。
だから一見、特別なことは起こらないように見える璃子ちゃんもまた、他の彼女たちときちんと同列に語れるんだよね。

いや、それを示せるのはヤハリ、璃子ちゃんのストイックさによるんであろう。イヤー、「武士道……」でも思ったけど、彼女は世界一袴姿の似合う女子だよね!
クライマックスの書道パフォーマンス甲子園の彼女の凛々しい姿と躍動には、思わず「先輩、好きです!」と口走りそうになったっすよ。

でね、そうそう、里子自身は父親とぶつかるぐらいなんだけど、彼女の周囲では、それこそ書道部員たちの波乱万丈な人生を始め、優れた和紙を作り続けているおじいさんが起こしてしまった火事なんていう、スペクタクルと言いたくなるような場面さえ用意されているんである。
このおじいさんの孫息子に里子は淡い思いを抱いているんだけれど、まあそれはほのかに本作を彩る程度で、そっち方向には進んでは行かない。
あくまでこのおじいさんである。紙の街である筈なのに、本当にいい紙は売れなくなってしまった。そしてこのおじいさんが長年守り続けてきた紙すき工房は倒産してしまった。

おじいさんがショッピングセンターの文具売り場にほそぼそと売り込みに行っては「今は高い紙は売れない」と言われて肩を落として帰っていく後ろ姿はあまりに辛い。でも確かに、そんな現実はどうしようもない。
里子の父親はこのおじいさんの紙の良さを高く買っていて、数少ないお得意さんの一人なんだけれど、結局倒産、しかもヤケになったおじいさんは紙をドラム缶で焼き、そこから火が回って大火事になってしまった。
焼き出されたおじいさんが「すまん……」とうなだれるのがあまりに辛くてさあ……。

でも意外だったのは、それを厳しい顔で眺めていた璃子ちゃんが、痛ましく思っているんではなく「諦めたおじいちゃんに、火で染まった空が真っ赤に怒っていた」とモノローグすることなんである。
それは勿論、自分にも向けられている。初めての書道パフォーマンスの帰りだった。お父さんのためにと頑張った清美を、最初からムリだったのだとクサしてしまった。
書道は一人向き合うもの、その考えを子供の頃から刷り込まれていたから。でも、最初からムリだと、里子もまた諦めていたのだ。それを神様が怒ったのだと彼女は思った。

「武士道……」のお父さんも相当コワかったけど、本作ほどではない。いや……でもお父さんに関しては正直ツメは甘かったかな。
娘が書道展に身が入らず、書道パフォーマンスなんていう“ふざけてて、みっともないこと”をしていると知ってお父さんは激怒、娘を呼びつけて叱りつけようとする。
しかし、思いがけず娘から、孤独に厳しく書に向きあっても何も得られなかった。辛いだけだった。私は書道パフォーマンスを辞めない。皆と一緒に書を作り上げるのが楽しいんよ、と反撃される。
正直このシーンは、里子がどう反論するのかと、それこそ「武士道……」みたいに一時撤退してしまうのかとも思ったんだけれど、まさにキラキラな女子高生としての言葉を、長年虐げられてきたであろう厳格な父親に、キラキラした瞳でぶつけたもんだから、もー、ズキュンときちゃったのだ。

で、違う違う、そのお父さんの話だっけ。お父さんはこの時点では娘の言葉に納得せず(てあたりが大ヤボなのだが)、学校に乗り込んで担当教諭に即刻辞めさせるべきと吠えるんである。
教諭はその生来のカルさで、あらあら困ったネとばかりに一度はかわし、しかし書道部室に彼を連れて行く。
そして、里子の書を見せるんだよね。大きな紙にはみ出さんばかりに書かれたイキイキとした字。それはいいんだけど、ていうか、そこだけで終われば良かったんだけど、この先生ってバ、書道家として審査員にウケを狙って、自分を見失ったことやらを交えて、やけに芝居がかって、部室を旋回してお父さんに背を向けて喋ったりなんぞして、見てるこっちがハズかしくなるほどベタな芝居をするもんだからさあ……。

いや、ね。もう直球に狙っているベタは、そこに自ら飛び込んでやる!ていうぐらい、気持ちのいいものだったのよね。
美央のお母さんが入院している病院の外で、彼女を部に取り戻すために彼女の分を残して、部員一人一人が大きく名前を書くパフォーマンスをする場面なんてその際たるものでさ。
でも、そんなネラったことを、“大人”がやっちゃ、ダメなんだよなあ……キラキラの女子高生だから、もうベタだと思っても、ワナだと思っても、自ら足を突っ込んで、挟まれたー!と気持ちイイ訳。
このワザとらしい教諭の説得に、こともあろうにお父さんは素直にうなだれ(こんなとこでうなだれずに、娘が激白したとこでうなだれなきゃ)、体育館で運動部さながらに練習している部員たち、何より娘を万感の思いを込めて見つめるんだけれど……ここはまあ、いいんだけど、それなら先生に直談判する場面を飛ばして、もういきなり良かった気がする。別につながるしさ。

でもねー、この先生もなかなか素敵だったんだけどね。ユルくてだらしなくて、イマイチやる気の感じられない臨時教師だけど、ちょっとイイ男だし(爆)。
それだけに、このクサいシーンはもったいなかったけど、でも考えてみれば、彼女たちを指導するシーンも、技術的な指導(書くスピードとか、とめ、はらい、の基本的なこととか)はあれど、「何かが足りない」とつぶやき、「お前たちで考えろ」と投げちゃうんだもんなー。

いや勿論、そんな一番大事な部分をこそ、生徒たちに任せるというのは確かに重要ではあるが、でもそれでなくても、登場してから彼女たちを指導するまでにただただ時間を食い潰し、指導し始めたと思ったらコレだから、正直彼は何だったのかしらん、と思わなくもないというか(爆)。
最初から全くやる気がなくてゲームばっかりやってさ、なんか人生堕落した匂いもあったんだけれど、そのあたりも璃子嬢のお父さんとの会話でありきたりのことが語られるのみで、なんか漠然としてて、最終的に彼は一体なんだったのと思わなくもないというか(爆)。
いや、いいんだけど、彼女たちで泣かせられるから充分いいんだけど(爆爆)。ちょっともったいない気もしたなあ。

商店街がまるごと閉店してしまったような、元気のない自分たちの街を盛り上げるために、里子が先頭になって立ち上げたのが、書道パフォーマンス甲子園。
学校はもちろん行政、マスコミまでも巻き込み、参加高校も集めることに成功、いよいよ本番の時を迎えるんである。
この、商店街が軒並み閉店という事態は、今あちこちでよく聞く。大型ショッピングセンターやモールが幅をきかせて、昔ながらの商店街が追われて行く。
世知辛い世の中よと言いながら、そんな私も利便性の高いショッピングセンターを使ってしまう。世の殆んどの人々がそうであろうと思う。
でも、そう、そのことに、うっすらと危機感を感じているのは……そんな古き良き時代をうっすらとでも知っている人なら、誰しも思う訳でさ。
だってそんなの、不健全だもの。まるでロボットの街みたい。私たちが憧れた“近未来”って、こんなに血の通わないものだったのか。

勿論、その流れはもはや止められない。彼女たちが街に元気を取り戻してほしいと思って奮闘したって、結局は商店街はきっと消滅してしまうだろう。昔には戻れない。
でも、そんな思いがあるなら、そしてこの街に誇れるものがあるなら、それが例え、そんな“近未来”チックな煙突がにょきにょき立った工場で作られるものでも、きっと、血が通うと思うのだ。

あの厳格な父親が、会場に向かう娘に手渡したのは、品は良くても高価なために売れず倒産してしまった、あのおじいさんに特別に作ってもらった和紙だった。
練習を覗き見た彼は、たっぷりの墨を含ませた巨大な筆で、力を入れて書いて紙が破れるのを見て、そしてそのことに「模造紙じゃダメ。和紙じゃなきゃ。それがこの街の誇りだから」と娘が言ったことを耳にして、……恐らくこの言葉が、娘がやっていることを認める最大の要因で、娘に紙を届けたのだ。

あー、泣ける!!

クライマックスの大会の模様は、もう言わずもがな。「学園天国」やらのハデな音楽で、ミニスカ女子が大量に踊りながらパフォーマンスするとか、参加校はさすが実際の実力校だけあって、パフォーマンス力、見せる力があるんだよね。
「うちらが一番地味じゃ!」と香奈が焦るのもムリなく、彼女たちが優勝出来なかったのは転倒のアクシデントのせいばかりとも言えないと思うんだけれど、でも私は一番好きだったなあ。
純白の袴姿に真っ赤なたすきで袖をからげた彼女たち、特にもう璃子嬢の凛々しさときたら、鼻血を吹いてしまう程に、ステキだった。

正直、アンジェラ・アキの「手紙 〜拝啓 十五の君へ」なんていう、号泣必至の曲を使うこと自体ズルいと思ったし、途中墨に滑ってハデに転倒してしまうなんてのは、もうお約束と言えるぐらいのことなんだけど、もうそこは、彼女たちの集中力と言うほかないなあ。
てか、もうこの時点に至っては、そんなムダなことを考える余裕もないほどに、超号泣しちゃってるんだもん。ダメよ。

そしてそれこそ、ベタ中のベタ、お約束中のお約束、恐らく私が毛嫌いした、予告宣伝で涙を流す女性観客を映したのは、この場面ではなかろうかと思われる、里子が転倒して音楽が途切れ、続行不可能か?と思ったシーン、なんだよね。
書道パフォーマンスにホレ込んで書道部に強引に持ち込み、今は遠い地に暮らす清美が、地声で「十五の君へ」を歌いだす。
この歌をいじめられていた頃から聴き続けていた小春が受ける。
部員全員が、そしてそして……会場の観客たちも!

もー、これは反則っていうか、反則以上というか、ある意味以下というかさ。ここまでの展開でこんなにも彼女たちに心揺さぶられていなかったら、すっと冷めてしまったかもしれないぐらい、リスクの大きい場面よ。
でもこの時点で、もう後先も判らないぐらい号泣してるもんだから、もう考える余地ないぐらい大号泣な訳。

まあ、後から考えれば、ここに書いた以上のいろんな「?」はいっぱいある。でも、本作の成功はひとえに、書道ガールズをスクリーンに躍動させるキャスティングに手を抜かなかったことと思われる。
役者が映画を支えた、それがハッキリと感じられる、近年では稀な作品であるように思う。
書道パフォーマンスのみならず、画一的にならない彼女たち個々の書の味わいもまた、感心すると同時に感動的であった。
璃子嬢はやはり男らしくストイックな字が似合うのよね。 ★★★★☆


新・高校教師 桃色の放課後
2006年 74分 日本 カラー
監督:城定秀夫 脚本:城定秀夫
撮影:田宮健彦 音楽:タルイタカヨシ
出演:南波杏 水原香奈恵 ホリケン。中村英児 勝見俊守

2010/6/24/木 劇場(ポレポレ東中野/城定秀夫監督特集/レイト)
この日はOV作品の二本立て。普段ならピンク以上に劇場にかかる機会の少ない作品と思われるけれど、本作に関しては特に映画青年の甘酸っぱい思いが横溢していて、思わず胸がキュンとする。
まー、登場する高校生たちは高校生には見えなくもないけどやっぱりキビしいし(爆)、教育実習生のヒロインを含む教師はたった三人で、職員室が職員室にはとても見えない状況だし(爆爆)、大体クラスが一つしか登場しなくて、それも限られた人数をキツキツで映しているのも痛々しいほどで(爆爆爆)まあつまり……学園モノを撮るには予算のなさがあまりに画面にハッキリ映し出されてて(スクリーンで見るだけに余計にキビしく感じるのかもしれない)なかなかツラい気持ちは否めないんだけれど……。
でもね、もちろんそれが判ってて撮ってるからさ、見せたいのはそんなところじゃなくてさ、見せたい部分がちゃんと作れていればいいんだというのもすっぱりとしてて、そこらへんはやはりこの世界で生きてるクリエイターの強さ、なんだよなあ。

と、なんかどーでもいいところから切り込んでしまったが(爆)。でもそれこそ予算のなさだって共通してるし、そしてエロも不可欠ならば、じゃあピンクとこうしたエロ系OVの違いってなんだろう?
60分ときっかり決められているピンクよりも若干長めだよなと思い、そしてこれが意外に、エロは甘めだなとも思う。カラミに関してはピンクの方がキツいし、分量とかも制約がキッチリしているように感じる。このあたりはR15とR18の違いだろうか……。
今回は二本とも……エロに関しては、女の子のおっぱいをとりあえず見せておけばOKぐらいのソフトさ。確実に客層が固まっているピンクと違ってOVは(AVともまた違うだろうから)、もっと視聴者層がゆるやかに想定されるからなのかしらん?結構女の子に訴える部分も多そうな気もするような……。

おっと、OVというものを観る機会がないもんだから、なんかどうでもいいことばかりぐちゃぐちゃと言ってしまった。
だからね、ヒロインは教育実習生な訳ですよ。でね、その前に、もう見るからにうだつのあがらないミュージシャン志望の青年と同棲してる訳。
冒頭いきなり聞かせる彼の「お前のために作ったんだ」という歌は、オンチな上にセンスも最悪。
物語後半、彼との仲がケンアクになった時彼女、桃子は「才能のカケラもないくせに!」とついに本音を吐露するんだけれど、この場面ではまだ、キャーステキステキてな感じで指を開いた手でパチパチやる(うっ……なんてブリブリな……)ほどのラブラブさでさ、当然その流れでエッチしたりしてさ。
この時彼女は、翌日から始まる教育実習の挨拶を練習中で、紺のタイトスーツにメガネといういでたち。で、彼に押し倒されて「シワになっちゃうよー」と言いながらも、脱がないあたり(爆)。
うーん、確かに女教師、特に美人の教育実習生がスーツ姿で乱れる様ってのは男子ならずとも萌えるのだわ(爆爆)。

でもね、当然予想されるかと思しき、青臭い生徒から「先生、い、いいだろ……」てな具合に迫られる、なんて展開はないんである(いや、それ自体私、古すぎ……?)。
ちょっとイイ感じの男の子は出てくるのよ。映画監督への登竜門、BFF(当然PFFのもじりだが、この場合のBは何の略だろう……)に応募する作品を撮影している男の子。男子校だからヒロインを探せなくて(普通母校で教育実習するからさ、この設定はムリがあるよな……などと判りきったヤボを言ってはいけない?)、桃子に白羽の矢を立てるんである。
校内では撮影禁止、と厳しい女教師からお達しが出ているんだけれど、彼らは何とか目を盗んで撮影を続けている。
その現場にたまたま居合わせた桃子は「私、夢を追いかけている人、大好き!」と彼らの味方になることを公言し、ヒロインの話にも尻込みしながらもOKしてしまうんである。

この、桃子が宣言する「夢を追いかけている人、大好き」というのは、まさにうだつのあがらない彼氏に向けてのそれでさ。確かにそんな彼氏が桃子は純粋に好きだった筈なんだけど……。
観客にとっては、もう物語の最初から、教育実習のためにバイトをやめるんだ、という桃子に顔色を失う彼に、あ、こいつヒモかよ……とガックリさせられちゃう。
じゃあ俺が働くよ!と働き始めた“下北のオシャレなカフェ”は超ヒマな上に、セクシー(というか、巨体)な従業員に迫られてウッカリ一線を踏み外しそうになるし。
ていうか、彼はもう毎日ヤリたいさかりで(まあ……この年頃の男子じゃ仕方ないんだろうか……)担当教諭から課題をどっさり出される桃子は、ウズウズとガマンして震えてるような情けない彼氏に仕方なく「口でならいいよ」と奉仕してあげる始末。

うーん、まあこの辺がエロOVならではなんだろうが、恋人とはとりあえずセックス!っていう彼と、まだセックスどころか恋人もろくにいたことがないであろう青臭い高校生との対比は、実に鮮やかなんだよね。
まあ、高校生にはなかなか見えにくいってのはあれど(爆)でも、当然あると思われた高校生と桃子のカラミはなかったしなあ……(しつこい)。
ほんとにね、男の子たちとはプラトニックなのよ。
正直言って、才能のカケラもないのは、この高校生もおんなじなのだ。なんか宇宙モノをからめてくるあたり、キューブリックにでも影響を受けているのかもしれないけど、まず着ぐるみ姿が見てられないし(爆)。
せっかく迎えたヒロインの桃子の衣装も、80年代アイドル歌手か、てなフリフリのヒラヒラで、安っぽいティアラまで乗せちゃってさあ。
でもね、そう……これだけ若いうちなら、才能のカケラもないと思っても、それでもいいのよ。夢に向かっている人が大好きだと、言えるのよ。
つまり桃子の恋人のヒモ男も、そんな風に許せる若さがかつてはあったんだと思う。それが今は失われてしまっているのが切ないのだ。

なんといっても本作の切ない魅力を支えているのは、高校生が構えている8ミリ(多分(爆))カメラである。正直それこそPFFだって、今どき8ミリなんぞを回して応募している学生がどれだけいるんだろうと思う。
アフレコの場面なんぞも出てくるのが涙モノだよね……今はフツーにデジタルカメラで撮っちゃって、同録なんて言葉さえ死語になっちゃってるんじゃないだろうか?いや判らんけど……一般世界にこれだけビデオカメラが普及しちゃってるからフツーにそう思っちゃうけど、そうでもないのだろうか?
でも、そう、一般的には、もはや8ミリ(あるいは16ミリでさえも)なんて、ノスタルジック以外の何ものでもない。カシャカシャと独特の音を立てて回されるフィルムは、今、その時間を映しているのに不思議にセピアで、不思議に懐かしさに満ちているのだ。

桃子が担当教諭のワナにハマってレイプされ(!!思えばスゴい展開なのよね……)学校に行けなくなり、彼氏ともケンカ別れし、そこに心配した生徒たちが訪ねてくる。アフレコを当てて完成させようよ、と。
ビールなんぞを飲んで、先生、彼氏と別れたんならつきあってよ、と映画青年がチューしようとする場面なぞもあるけれど、仲間たちもいるし、ヒモ彼氏は帰って来るし、結局は未遂に終わる。
そう、この場面のキモはなんたって、このノスタルジックな8ミリの映像にあるのだ。
禁止されている校内撮影をしていた彼らに遭遇した桃子が、大丈夫、内緒にしておいてあげる。夢を追いかけている人は大好き!とカメラの前で言った、その場面を、いろんなことがあった桃子自身が涙ぐみながらアフレコする場面は、その時と同じように「先生、もう一回言って!」という生徒の合いの手もみずみずしくて、思わずグッときてしまうんである。

それにね、桃子がヒモ男と知り合った場面も、そんなノスタルジックな8ミリで再現されるのもニクいというか、ズルいというかさ。
しかしたった一人で彼女が街頭募金をしているってのもなんだし、そこで誰も聴いていない路上ライブをやっている彼が、押されてつまづいた彼女がばら撒いた募金の小銭に、「俺の音楽を判ってくれるんだね!」いやいやいや!
しかしそこで、セピアの画面の中の、彼らのバックにそびえる巨大なLOVEのオブジェがほんのり赤く染まるという、更なるノスタルジックのオマケつき。そこまでやられちゃ……もう文句も言えないじゃないの。

しかしね!本作はなんたって、彼らを支えるコメディリリーフたちをハズしては語れないんである。一番サイコーなのは、桃子の担当教諭で、やたらセクシーなレイコ先生。
そもそもさあ、桃子が初日から遅刻しちゃって職員室に飛び込むと、壁一面にシブい老紳士の肖像写真。何かと思ったら「ちょうど校長先生が休暇で(あなたが叱られなくて)良かった」と言ったのは、後にレイコ先生の奴隷であることが判る初老の男性教諭。
大体さあ、この校長先生の巨大な肖像写真からしてオカしすぎるが、コレが伏線になっているとは思いもよらなんだ。このデカい肖像写真は校内いたるところに(というほどには描写されきれないが、少なくとも桃子が実習する教室にも)あって、しまいにはレイコ先生とこの初老の教諭は、この写真の上でファックするんだから!

てか、話が脱線しましたけど(爆)。レイコ先生が登場する場面からサイコーだったなー!彼女にゾッコンな初老のセンセは弁当箱みたいにデカいジッポで、彼女のタバコにシュボッと火をつけ(当然、炎もボワッとデカい!爆笑!)もー、女王様キャラ全開である。
真っ赤な口紅やパンツが見えそうな革のタイトスカート、今時そんなもの自体ないんじゃないのという判りやすいセクシーさ。
こんな色っぽい女教師なら、男子校の生徒たちにはさぞかし人気があるだろうと思いきや、理不尽なまでにキビしすぎるがゆえに敬遠されている、というのは……現代の草食系男子を象徴しているようにも思えたり
。実際、桃子先生に恋する青年は仲間から“初恋の結末はそんなもんだ”ぐらいに言われるし、映画っていうのはやっぱり体育会系ではないし……草食系、なんだろうなあ……。

単にイジワルなだけじゃなく、キャラ自体が最高に面白いレイコ先生。実際、レイコ先生の気持ちはちょっと判る気がする……。
桃子は確かに、“ちょっと若い(くてカワイイ(という気持ちも絶対含まれてるよな……))からって”という理由でレイコ先生から疎まれるんだけれど、初日だけは紺のありがちなスーツを着てくるも、二日目からは名前の通りの桃色のキャミとスカートを身につけてくるあたり、カチンとくるもんなあ(爆)。
でね、桃子はファシズムの授業をするんだけれど、「自分の思い通りにするワガママな人、先生はキライです」なんていかにもブリブリに頭の悪い言いっぷりでさあ、そりゃー、フツーの女はイライラするって。
しかしレイコ先生はフツー以上の女で(爆)、そんな桃子をギラリと睨みつける彼女の手には「ヒットラーになろう」というハードカバー本!(スゲー!)後に桃子を一時駆逐した後に彼女が教壇に立って教えるのは「優秀な人たちで世の中を支配するという考え、先生は好きだな」!!!

このレイコ先生と初老の男性教諭がいわゆるカラミ要員で、桃子とヒモ彼氏のセックスもほんのイメージ程度だから、まさに彼らが担ってるのよね。
あ、でも、レイコ先生が桃子を陥れる作戦として、この男性教諭にレイプさせる場面が出てくるから、ヤハリそこが一番かなあ……しっかし「その程度で学校に出て来なくなるなんて」って、その程度って!いくらエロ系作品とはいえ、そのセリフ、怖すぎるんですけど!
レイコ先生は、実は音楽の先生、って訳じゃないよねえ?世界史教えてるし……でもやたら流麗にピアノを弾く場面が出てくるのよね。
まあそれは、弾きながらそのおっさん教諭にお股をなめさせているっていうオチ?があるからなんだけど(ありえねえ!)。
それだからじゃないけど、結構印象的にクラシックが使われてるんだよなあ。なんかそれがちょっと、微妙に居心地悪い(爆)。

8ミリ撮影の場面に意味なく出てくるアヒルが、メチャクチャ可愛くてヤラれた!なんでも城定作品には常連だということなんだけど、私は初めて見た(監督作品は、1、2本しか観ていないからなあ……)。
なにげなーく、クワックワッと横切るのは勿論、桃子先生におとなしく抱かれるのももちろん、桃子先生を心配して生徒たちが彼女の家を訪ねる時にも同行し、なんたってレイコ先生に首根っこをつかまれてダランと下げられる、そのされるがままの(しかも重そうな!)様がたまらない!

才能のカケラもない、と追い出した彼氏が(まあ……桃子がレイプされた後に、彼が酔っ払って彼女を求めちゃあ、ムリもないよな……)、しおしおと帰ってきて、しかし思いがけなく、この時彼女のために作った、という歌が、そう、思いがけなく、良かったのよね。
それは見事に冒頭のセンスのない歌と対照になってて、上手いなあ、と思った。相変わらず、音程ハズしまくっててヘタなんだけどさ(笑)。 ★★★☆☆


トップに戻る