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グエムル 漢江の怪物 /THE HOST/
2006年 120分 韓国 カラー
監督:ポン・ジュノ 脚本:ポン・ジュノ/ハ・ジョンウォン/パク・チョルヒョン
撮影:キム・ヒョング 音楽:イ・ビョンウ
出演:ソン・ガンホ/ピョン・ヒボン/パク・ヘイル/ペ・ドゥナ/コ・アソン/イ・ドンホ/イ・ジェウン/ヨン・ジェムン/キム・レハ/パク・ノシク/イム・ピルソン
実は、この怪物が生まれる過程は、なんとなくゴジラと似てるよな、とも思う。ゴジラは水爆実験による放射能の突然変異から生まれた(最初の設定は違うみたいだけど、一般的な流布では)。つまりは双方ともに、人間の傲慢が生み出した怪物というわけだ。
でも本作のグエムルに関しては、ただただ恐怖の怪物なんだから、そんなリクツをこねずに理不尽な怪物でいてほしかったかも。
なーんて思うのは、ゴジラがいまや擬人化しちゃって、そんな社会的悲劇を負わされた彼?自身に、哀しげな感情をついつい汲み取ってしまうからかもしれない。
ゴジラだって最初はただただ理不尽に怖かった、んだと思うよ。ゴジラデビューであるモノクロの第一作は、そう思わせる迫力がある。でもゴジラは次第に、寅さん的なお約束の世界に収束していった感は否めない。
で、本作のグエムルなんだけど、この造形がすこぶる秀逸なのよね。それは今まで見たことのない、正体の判らないブキミさ。ゴジラにもあったであろう最初の怖さ、見たことのないものへの怖さがグエムルにある。魚の造形が混じっているところが、何も考えてなさそうで余計に怖いのだ。
ゴジラに感じられた哀しげな陰とは正反対。まさに怪物。情け容赦もない。
私にとってポン・ジュノは「殺人の追憶」というより、あのオフビートなシニカルさが最高にキュートだった「ほえる犬は噛まない」の監督!というのがある(だって素晴らしきペ・ドゥナとの出会いの作品だもん!)。
この一見パニックものに見える本作にも、そうした視点をガンガン入れてくるあたり、この監督は見失わないよなー、と思う。「殺人の追憶」でもそういう姿勢は変わらなかった。
しかしならば余計に、この少女を死なすことはないんじゃないのお。
おっと!いきなりオチバレかよ!でもさー、話の主軸がこの少女を助けることにあったのに、彼女を死なすなんて、合点がいかないよー。
でもこれは聖少女のいけにえ、って趣なのかもしれない。自然界の神様の怒りを静めるために、無償の犠牲をはらった聖少女。
その子の替わりに授けられるのが、これまた無欲の少年だというのも、宗教っぽい。
まあいいや、最初から行こう。冒頭のちょっとした伏線が終わると、怪物が現われるまではなんとも脱力系の、ポン・ジュノワールドである。というか、この家族に託したその脱力系の姿勢を、監督は常に見失うことはない。
川岸の客を当て込んだ、ショボい売店で店番をしているカンドゥは、釣り銭にほっぺたを乗っけて爆睡中である。父親があきれた様子で、そんな息子の頭をどかして釣り銭をとる。バカッと頭を殴られてようやく寝ぼけまなこを覚ましたカンドゥ。
そこに帰ってくるひとり娘のヒョンソは、見るからにしっかり者。そしてカンドゥがこの娘にベタ甘なのもよく判る。
そして家族は、カンドゥの妹のナムジュが出場しているアーチェリーの大会をテレビ観戦。カンドゥは父親に命じられて、スルメイカをカセットコンロであぶって客に持っていく。ゲソが一本足りないとクレームがつく。カンドゥってば盗み食いしていたのだ。さらに隠していたゲソをポケットから取り出して父親に渡す。イカの足を数えながら川岸の客へと向かうカンドゥ。
……という、この流れが、家族の位置関係や、この家の経済状態や、カンドゥがこのカイショのなさで奥さんに逃げられたんだろーなー、ということや、様々なことがいっぺんに理解できるんである。んでもってそれが終わりゃあ、一気に怪物様のご登場、てなわけで。
しばらくはね、川岸でゲソでも食いながらのんびりとひなたぼっこをしている人たちは、そんな深刻な事態になるなんて気づいてないのよ。そりゃそうだ。何の前触れもないんだから。あまりにものどかな、いい天気の、不穏な空気など何もない昼日中なんだもん。
のんびりとした昼日中に突如惨劇が起こる、っていう、その白々とした明るさが、またブキミなのよ。まるで朝日の中、チェーンソーを振り回す殺人鬼みたいに。
でも、そんな「悪魔のいけにえ」だって、惨劇が起こってからの翌朝、の余韻のブキミさだった。もうここでは突如、予想もしない惨劇。この唐突な衝撃は、全然違うけど「鬼畜大宴会」とか思い出したりして。決して「VERSUS」ではなくてねっ。
彼らの前に姿をあらわす一番最初、これがまた実に秀逸だと思うんだけど、いきなり川から現われて襲い出す、ってわけじゃないのよ。
ヌラリとして巨大なものが橋からぶら下がっているのを、人々がなんだろうと見ているの。新しい工事用の機械じゃないかとか、のどかに見物している。そしてその巨大なものがスルリと川に落ちると、今度は水中の行方を皆が追いかけ出す。全然、切迫感などないの。
しかしガバアッ!!!と川から顔を出し、突如陸に向かって突進してきたその怪物は……怪物は……うげえ!何なの!幾つにも折りたたまれたような凶暴な口元がグワッと開き、大きな尾は深海魚のようにうねり、しかしそこに生えた足は信じられない敏捷さで突進してくる!
壊滅的ともいえるスピード感には圧倒される。これもゴジラにはないよなー。ゴジラはとにかく重量感。んでもってゴジラにスピードを与えたハリウッド版によって、ゴジラの威厳は死に絶えた。
やたら敏捷で、凶暴で、行動に倫理性がない、これほど怖い怪物はない。
ポスターに使われている画が、まさに今さらわれんとしている少女とピントをぼかした怪物の構図で、これがまた秀逸なのよねー。スピード感と正体の判らないブキミさと、一瞬後に起こる場面を即座に連想させて。
んでもって、この少女、っつーのがカンドゥの最愛の一人娘、ヒョンソなのである。
ナムジュが決勝で負けてしまって、あーあ、とばかりに外に出たヒョンソ、ただならぬ周囲の雰囲気に首を傾げる。
そこへ、カンドゥが必死に走り込んでくる。ヒョンソの手をとって走り出す。後ろからはグエムルが人々を食い散らかし、蹴散らして走ってくる!
一度つまづき、娘の手が離れてしまう。必死に起き上がってもう一度手を取ったのは……別の少女だった。慌てて振り返るカンドゥ……というのがスローモーションで描かれるのが、この悲劇の場面をドラマチックに演出している。
まさに、カンドゥの目の前で、ヒョンソは怪物の尾に巻き取られ、怪物は彼女を連れたまま水中へと消えた。
場面変わって、合同葬儀場。そこではあたり一面、遺族が号泣している。こういうのって、韓国っぽい……本当に哀しいんかい、ってぐらいストレス解消なごとく泣きまくってるのが。
もちろんカンドゥたちパク一家も哀しんでいる。駆けつけたカンドゥの弟妹、ナミルとナムジュも含めて哀しみまくる。
カンドゥのお腹の出たダラダラしたカッコとナムジュの小豆色のジャージ、その一家が、ケンカと号泣の果て、皆して転倒しちゃうトコを俯瞰でとらえるショットは、不謹慎ながらかなりギャグ的に捉えられている。もちろん、そのあたりはオフビートな視線を見失わない監督の計算のうちで、日本人が感じる韓国の感情の激しさに対する違和感を、この監督もある程度は感じて、揶揄しているように思えるのね。
この怪物が細菌を保有しているという情報が舞い込んでくる。怪物の血を浴びたカンドゥは最重要危険人物扱い、その家族たちも巻き込んで、病院に隔離される。しかしそんなカンドゥの携帯電話に、なんとヒョンソから電話が入るのだっ!
ヒョンソは奇跡的に助かっていた。怪物は捕らえた人間たちを一箇所に集めては、また人間狩りに行く、という行為を繰り返してて、何も考えていないようでミョーに頭が働いているよーなトコもブキミ。その死体の山の中でヒョンソは身を潜め、使えそうな携帯電話を探し出しては、父親に電話する。
しかし、お父さんの携帯番号を暗記しているというのは、凄いような。だって普通は、自分の携帯にメモリーさせてあるだけでしょ。
カンドゥは新しい携帯を娘に買ってやるお金もなくて、そのことで娘から文句言われてたくらいで、店のお釣りをゴマかしてカップめんの空き容器に貯金している、と自慢気に娘に見せたりして、彼女を呆れさせていた。
でも彼女が真っ先に電話をしたのは父親だったし、しかもその番号を暗記してるなんて。このことだけでも、この親子の絆が、周囲から見えているよりは強いことが判るんだよなあ。
娘から電話があった、とカンドゥがいくら病院関係者や警察に訴えても、この男、頭が細菌にイカれちまったか、と思われるぐらいで全然相手にしてもらえない。つーか、カンドゥが訴えれば訴えるほど、そりゃそう思われるよな、というおポンチなキャラなもんだから、家族たちが「お前はちょっと黙ってろ」と制するぐらいなんである。
当然、家族はカンドゥの言うことをちゃんと信じてくれる。というか、彼らにとってヒョンソは本当に大切な存在なのね。叔父や叔母にとっても、ってあたり、家族の絆の価値観が日本より重い韓国らしいよなー、と思う。うらやましい。
かくして彼らは、脱出を試みる。細菌保有者と、彼をかくまう家族として指名手配される中、彼らはヒョンソ救出のため、奔走を始めるのだ。
しかし実は、細菌なんて、なかった。グエムルに立ち向かって襲われ、ケガをした米兵が死んでしまったことで、彼がヒーロー扱いされていたこともあり、重大な細菌、こりゃ大変だ!という雰囲気になってたんだけど、この情報はアメリカのマチガイ。
しかしアメリカはそれを正そうともせず、だったらもう一人の重要危険人物のカンドゥから細菌が検出されればいい、と自らの威信を取り戻すために、カンドゥを追い始めるんである。
米軍基地があり、アメリカにある部分依存しながらも、それに反発する気持ち、というのが日本以上に韓国では強いのかもしれない、と思う。自分たちの国の問題にアメリカが介入してきて、我が物顔に振る舞うことへの嫌悪が。
それは後に、カンドゥを救え!とばかりに集まってくる学生によるデモも、それを象徴しているように思うのね。しかし学生のデモなんて、なんか懐かしい趣。こういうの、韓国ではいまだにあるのかな。今や日本の学生はやらないよなー……って、それは日本の若者が問題意識を持たなくなってしまった、悪しき傾向かもしれん。
それにしても、いちいちタイミングの悪いこの家族。まずお父さんであるカンドゥは間違って違う女の子の手を引いちゃうし、お祖父ちゃんはこのバカ息子が銃弾の残りを間違って数えてたせいで怪物にやられて死んじゃうし(これも結構シャレにならん……つまり、案外シビアなのよね)。
慎重になりすぎて大会では銅メダルに終わっちゃったナムジュは、それを晴らすかのようにグエムルに向けて弓を向けるんだけど、一瞬遅くて倒されちゃうし、まあ最後にはオリンピックの聖火台に火を放つがごとく、見事に命中させるんだけどさ。
こういうハズし加減が、ギャグとシリアスのぎりぎりのバランスの上に成り立っているあたりは、上手いんだよなあ。つまりは彼らは本当にフツーの、というかちょっと出来が悪いぐらいの一般人なんだもん。
こんな描写がちょっとウケるのね。こんな時にも居眠ってしまうカンドゥに呆れる弟妹。しかしそんな子供たちに、父親がこう諭すのだ。自分がカンドゥをほっといてほっつきあるっていた(って……つまり女遊びじゃないの)せいで稼ぎが少なく、彼は充分な栄養を与えられずに育っちゃって、病気のニワトリみたいにいつも眠いんだと。しかしその言いようもねえ……病気のニワトリって、何だよ!
しかしそう言い聞かせられている弟妹たちも、聞いちゃいねえ、居眠ってんだけどさ(笑)。
その間、父親が助けに来てくれることを信じて(たのかどうかはビミョウだが)、必死に生き延びているヒョンソの方は、どシリアスである。
そこに新しい“客”が来る。売店荒らしで食いつないでいた幼い兄弟。こんな騒ぎになっていること自体、二人は知らずにいたらしい。
豪雨にまぎれて売店に侵入し、食料を漁る。「これは泥棒じゃない。ただの売店荒らしだ」と弟に言って聞かせるお兄ちゃん。疑問を持つ弟は、本能的な良心があるらしいイイ子なんだよね。
そして怪物に襲われ、ヒョンソ同様この死体の山に放り投げられた。たった一人の身内である兄が死んでしまったことを、彼は判っていただろうか。
ここから、この少女が俄然カッコ良くなるのだよ。自分の他にもうひとつの命があることで、母性が目覚めたのかもしれない。
それまでも携帯で父親に連絡をとったり怪物から巧みに姿を隠したりと、充分に利発だったけれども、自分だけではない、そして自分よりも弱い命があることで、彼女の守るための闘争心に火がついたって感じ。顔中泥だらけになりながら、素晴らしい勇気を発揮するこの少女に、ハラハラなんである。
だって!外に助けを求めに行くために、怪物が眠っているのを伺いながら、助走つけてこの怪物の背を踏み台にジャンプしたりするんだもん!
「今、何がほしい?」と少年に問われたヒョンソ、その泥だらけの顔で、「冷えたビール」と言い放つ。かあっこいい!
うー、でもでも!こんな勇気まで振り絞ったのに、この怪物目を覚まして、彼女の体にまたあの忌まわしき長い尾っぽを巻きつける……あの静かな恐怖!
その間、カンドゥたちは、先述のように祖父が死んでしまったり、カンドゥが捕まってしまったりと、かなりキツい状況に立たされながらも、必死にヒョンソ救出に向かう。
カンドゥの弟のナミルは兄と違って、非常に攻撃的で行動的、昔の仲間に接触し、ヒョンソの携帯電話からの通信記録を調べてもらう。しかし賞金つきの指名手配をされていた彼ら、結局この仲間もそれを目当てに彼からの連絡に応えたのであって……。
しかし、「逃げるのだけは上手いヤツだから」と言われるとおり、この場面もまんまと逃げおおせるナミル。もはやどんな知己も頼りにならない。
一方でナムジュも、ヒョンソのすぐ近くまで迫ってきていた。で、得意のアーチェリーで敵を倒そうとするも、一瞬のタイミングを逃して、べし!とばかりに叩きつけられてしまう。この場面、かなりカッコつけてネラっていただけに、あらカッコイイ、と思ったとたんにべし、だもん。シリアスを場面場面でハズしてくるのよね。
しかし、もう最後は見えてきている。悲劇の最後が。
学生たちがカンドゥのためにデモを起こし、警官隊と衝突、そこにアメリカ軍もなだれこんでかなりのクライマックスの予感がした頃、その群衆の中にグエムルが再び姿を現す!
もはや既にここに、生き残ったパク一家も結集、カンドゥはあともう少しで娘を救えるタイミングだったのに……でもどうやらそのノドの奥から見えている手が!もうこうなったら怪物に恐怖を感じているヒマもなく、コイツのノドから必死に引っ張り出すと……少年を抱きしめた娘が出てきた。
でも、もう見るからに血の気がないの。死んでるんだ、ヒョンソ、そうは思ったけど、そりゃないよ、息を吹き返してよ,お願いだからと思ったけど……。
しかしここで、その少年をほっぽって、もう息のない娘を抱き上げて歩いて行っちゃうカンドゥには、さすがにおいおい、と突っ込むわけにも行かなかったけど……おいてくなよ!
一方、ナミルとナムジュは怪物を倒すことに懸命である。大学時代の反政府運動の経験を活かして、火炎瓶を投げつけるナミル、ここまで彼を助けてくれたホームレスのおっちゃんがグエムルに石油をぶっかけてくれるっていう助けをくれたのに、もおー、またハズすのお!千載一遇のそのチャンス、ナミルの投げた最後の火炎瓶、すっぽぬけて後ろに落としちゃうんだもん!
ここでギャグるのはさすがにムリが……と思ったら、その火を矢につがえたナムジュが鬼の形相で怪物に打ち込む!紅蓮の炎に焼けるグエムル。
ようやく終わった……。ナミルとナムジュは、もう息をしていない愛しい姪を抱きかかえて泣き崩れている。もう泣く力さえ残っていないかのようなカンドゥ、ふらふらと少年の下に歩いていく。抱き起こす。「お前はヒョンソの何を知っているんだ?」
ラストは、もういくばくかの時が過ぎたと思しき、カンドゥの狭い部屋、寝入っている少年を起こして食事をしている二人である。ああ、やっぱりヒョンソは死んじゃったのか……一縷の望みをかけていたのに……しかしその平凡な食卓はとても幸せそうである。
うー、やっぱり、身を呈してすべての人の幸せのために犠牲になった、聖少女の物語だよな。
そしてその代わりにカンドゥに授けたのが、無垢な天使を思わせるこの少年でさ。
キリスト教徒が多いという韓国を象徴してるかもしれない。
しかし、今の時代に怪獣映画が新しく生まれるとはね!という驚きである。昔のヒットモノのリメイクは散々あるけれど、それで世界に打って出たことに、ゴジラを生んだ国としてはジェラシーを感じちまうんである。★★★☆☆
男、進次の方は彼女とまた会いたいと思ったけれど、女、秋江の方はあまり乗り気じゃない感じだった。今から思えば、彼女は鬱屈を晴らすために若い男と情事にふけったのであり、それは愛人のいる夫に対するあてつけもあっただろうし、でもやっぱり後ろめたくて、あんなに明るくはしゃいでいたんじゃないかと思う。
一方、進次の方こそが秋江にのめりこんでいたように思う。二人は偶然再会した。秋江の住んでいる団地を回っている廃品回収車に乗っていたのが進次だったから。秋江は彼を部屋に誘い、愛し合う。その後、廃品回収車のアナウンスが合図となり、彼らは肌を重ねるようになるのだけれど……。
なんかね、本当に、何の邪気もなく、純粋さが激しさとなる二人のセックスが、ピンク映画のいわゆるカラミシーンに顕著なような、やたらしんねりと描写するのと全然違って……、なんか見てて胸がきゅっと熱くなってしまうのだ。ああ、こういう感覚、最近感じたなと思った。「ブロークバック・マウンテン」で二人が再会した時の、やもたてもたまらないキスシーンの時に、同じような感覚に陥った。全然違う映画なんだけどね。
進次が、オレはゴミみたいな存在だと。別にすねてるんじゃなく、それが居心地良かったりするんだ、などと言う。それは一見空しいようにも思えるけれど、秋江にとってすれば、そんな彼さえも前途洋洋に、幸福に思える。甘く、思える。彼女の苦しみに比べれば。
秋江には子供ができないのだ。夫が愛人を作っているのがその理由からなのかどうかは、定かではない。でもその劣等感から抜け出すことはできない。
秋江は工場での地味なパートについていて、もうかなりのベテランで、人員削減でも彼女の能力を見込まれて残る方向にある。所長は「あなたは若いし、期待してるよ」と言う。確かにこの中では若い方だ。50代、60代とおぼしきおばちゃんたちは、この人員削減によって姿を消したから。でもそんな言葉に秋江は「……そう若くもないんですけどね」と寂しく笑うんである。
職場には秋江より10は下に見える、つまり進次と同じくらいの女の子がいる。女の子とはいっても彼女は子持ちであり、子供とうまくコミュニケーションがとれない悩みをいつも言っているから、秋江はここでもうっすらとした敗北感を感じているんだろうと思う。おばちゃんたちは彼女の悩みを理解してあげることができても、経験のない秋江はただ黙って、ニコニコと笑って、心の中でねたましく思うことしかできないから。
しかも、夫の愛人に子供ができる。そのことを、秋江はこの愛人から呼び出されて告げられる。愛人の運転する車の中でのワンカットは実にスリリングで、この愛人を演じるのがユメカ姐さんだから迫力も尋常じゃない。
愛人は言う「私、奥さんのような女、理解できない。夫を信じきって、頼りきって」
彼女の目には夫の愛人である自分にさえ、にこやかに対応する秋江が泰然自若に見えて、腹が立ったのかもしれない。本当は、勝てないだけ。ただそれだけなのに。
「私、これから子供を堕ろすんです。あの人には言ってません。自分で決めたんです」
それを聞いて、秋江は思いがけないことを言う。
「産んでくださればいいのに。あの人の子供を産んでください」
驚いた愛人は、なぜ、と問い返す。
「だって……私にはそれくらいしか出来ないから」
愛人は、秋江に向かってはき捨てるように言うのだ。最低、と。
秋江は団地の奥さんから子供を預かっていた。でもその時、廃品回収のアナウンスが聞こえた。気もそぞろの秋江は小さな子供に、ちょっとだけ一人で待ってて、と言って外に出ようし、その奥さんからひどく怒られてしまう。
その話を進次に愚痴ると、彼は「世の中の女は、子供が出来てお母さんってなると、それだけでエライと思ってるんだ」と言う。もちろん秋江をなぐさめるつもりで言ったんだろう。でも。
そして、二人の逢瀬は回を増すごとに求め合う純度が高くなっていくんだけれど。……一番最初の恋人同士みたいなんだよね。甘くて。
朝まで一緒にいて、目覚ましの音に眠たげに目を覚ました彼は、彼女を後ろから抱きしめ、唇で背中をたどりながら、吐息まじりに会話するのだ。「あと10分で帰ってね」「ちょうどいいや。すぐイキそうだもの」そんな会話さえ、なんだか青くさく、純粋に聞こえるのはなぜだろう。
夫が、帰ってきた。愛人に去られたから。怒ることもなく自分を迎えた妻にいぶかしげながらも、悄然とした彼は反省のおももちである。マンションを買おうか、今度部屋を見に行こう、なんて話もする。秋江は廃品回収のアナウンスにも応じなくなった。進次は秋江を待ち伏せる。
いったんは進次に冷たく当たるものの、どこかなげやりのようになって秋江は乱暴に彼を部屋にいざなう。階段途中で行き遭ったくだんの奥さんが好奇の目を向けてきた。秋江は挑むように「この間はすみませんでした。お子さん大丈夫でした?私、これからこの人とセックスするんです」そう言い放って足音高く階段を上ってゆく。
いつもと様子の違う秋江に戸惑いながらも誘われるまま部屋に入り、彼女を押し倒す進次。でもその時夫が帰ってきて……。
秋江があんなに荒れていたのは、夫が愛人にまた会ってきたからなのだ。秋江がわざわざ、彼女に子供が出来たことを教えたから。
そのことを聞かされた時の彼の顔といったらなかった。彼は子供がほしかったんだと、即座に判った。だからその愛人に会いに行ったことを察した秋江は、たまらなかったんだ。
あの時、もう堕ろすことを決めていたけれど、彼は出来れば産んでほしいと言いに行ったのかもしれない。そう思うとたまらない。でももう子供は闇に葬られた後だった。
思わぬ間男の存在に夫は呆然としながらも叫ぶ。オレへのあてつけなのかと。そうだよ、オレはあいつに会いに行ったよ、だってあいつは俺の子供を堕ろしたんだぞと。俺の気持ちがお前は判んないのか、みたいな言い方して……知るか!そんなこと、知るか!その前に、こっちの気持ちを判れ!
秋江はね、爆発しちゃうの。ついに。もっと早くぶちまけていればよかったんだ。進次も、夫も、自分を理解してなんていない。自分を理解してくれる男なんていやしない。いや、女だって。子供の産める愛人の女だって、自分のことを当然判ってなんてくれない。
「私は欲求不満の人妻で、子供も出来ない出来損ないの女で、そう思ってれば逃げられるから安心なんでしょ。弱虫」そう、たたきつけた言葉は、でもまるで、悲痛な叫びのようで、胸を刺す。
だって、女って何なの。子供が産めるとか、若いとか、そんなことで価値が決まるなんて、何なの。そして一度結婚してしまえば、仕事だってあんな地味なパートしかない。人員削減で責任が重くなって、期待してますよと言われたって、体よく雑多な仕事をひとまとめに押し付けられるだけの話だ。夫を待ち続けるのがイヤで仕事をしていたのかもしれないのに。
その場を辞そうとした進次を引き止めた夫は、見とけと言って彼の目の前で秋江を犯す。こんな会話の後じゃ、あまりにもむなしいセックス。
進次の部屋に、郷里から女の子が訪ねてくるシーンは印象的である。多分、かつて恋人同士だったらしい。誰かと結婚して子供がいたはずなのに、どうしたんだと聞くと、子供、死んじゃったんだと彼女は言う。いられないでしょ、そうしたら、と。そして、当然のように服を脱ぎ、ゴムなら私持ってるからと言って、進次とセックスする。
お母さんというだけでエライだなんて、つまりはお母さんじゃなくなってしまえば立場がなくなるということで、それって、それって、あんまりだ。でも女にそういう役割が課せられてるのもしょうがないと思ってる。誇りにも思ってる。でも、あんまり、寂しい。
最後のシーンは、秋江がひとりぼんやりと部屋にいるんである。キッチンの椅子に置かれた夫の荷物からスーツが出てくる。それを引っ張り出してじっと見つめる彼女、一体そこに何かあったのか……。
窓際にぼんやりと座っている。電話が鳴り、留守電のメッセージに切り替わる。工場から、彼女が来なくて困っている所長の声が聞こえてくる。彼女はそれを聞きながら、ぼんやりと窓辺に行き、外を見つめる。どうして仕事をサボったのか判らないけど……でもなんとなく判る気もする。
ダルダルのスウェットにぼさぼさの髪に出っ歯の進次はちっとも美青年でもなんでもないのに、なぜだかとてつもなくいとおしく思えてしまう。女がこの年になってきてこんな倦怠を抱えてくると、赤ちゃんではないけれど、こんな風に愛しく抱きしめてあげたい相手がほしくなるからなのだろうか。★★★★☆
原作にはない要素が、いくつか足されている。でもそれはこの作品が短編であるからということではなくて、この密室の、静謐な、危険に満ちた美しさをより対比させる効果をもたらす加算である。そしてまるで原作に最初からあったかのように、個性的で危険で匂やかな加算である。ここにも幸福な作家が幸福な映像作家に出会った証しを見た気がする。
それにしてもフランス映画!でも今回ばかりは「オールド・ボーイ」に感じたような悔しさは感じない。だって、あまりにもピッタリだもの。フランス映画のために書かれたようなほどにピッタリなんだもの。このタイトルからしてなんだかそんな感じ。薬指という言葉からたまらなく発せられる、フランス的官能の匂い。
清涼飲料工場に勤めるイリスは、工場内の事故で薬指の先端をほんの少し、失ってしまった。判らないぐらいほんの少しだけれど、彼女はその感覚から逃れられなかったのか、そのままその仕事を辞めてしまった。そして海沿いの街をさまよい歩く。
この後彼女が勤めることになる標本室との対比が、既にここで鮮やかである。蒸し暑くて汗をダラダラかいている描写は同じなんだけど、希望など何も見い出せない、ガサガサとした騒音がひっきりなしに続く工場と、汗をかいているうなじを標本技師がじっと見つめている、あまりにも静かな標本室と、その意味合いがハッキリと違うのだ。
そりゃ、この標本室にだって、未来や希望はあるとは言えない。でも、地味な作業服に汗のシミをにじませ、うつろな目をして反復作業をこなす工場と、女の子らしいオシャレな格好をして、たった一人の男の視線にさらされている標本室では、彼女自身がまるで別人かと思われるほど違うのだ。
彼女はここで、ずっと封じ込められてきた本当の、女の部分を掘り起こされたのだろうか。そしてそれは幸福だったのだろうか。
だってね、彼女はこの町に、何の知己もいない雰囲気なのだ。家族はもとより、友人さえも。工場を辞めて、誰に連絡することもない。誰に会うこともない。ただあてもなくさまよい、宿を捜し、満室のホテルに時間差のシェアでムリヤリ泊めてもらう。それぐらい、孤独。
この、満室のホテルのシェアが、原作にはない部分。これが凄く、効いている。港に停泊している船で働いている男とのシェア。つまり、夜の時間帯に働いている彼と、昼の時間帯に働いているイリスとが、朝の7時に入れ違う形でシェアしているのだ。
港で働く男たちは、肉体労働の汗の匂いと、男としての野性味を持っている。無論、入れ違っているから、二人は会うことはないけれど、出勤に使う船の上から、この人では、という男にイリスは視線を送る。
入れ違って部屋に入ると、お互いの服が窓辺にかけてある。イリスは無意識なのかワザとなのか、フェミニンな薄い服をかけたまま出て行く。男は風に揺れる女モノの服を、ベッドに腰掛けてじっと眺めている。次第に、服がかけていないと、クローゼットから取り出してかけてみたりする。
彼がこの街を離れる時、二人は遭うことになるのだけど……(後述)。
大分話をすっ飛ばしてしまった。こっちこそがメイン。標本技師との出会い。
彼女が港での仕事を見つけることが出来ずに、当てもなくフラついていると、森の中にぽつんと建つ廃墟のような建物を見つけた。
「標本室の事務員募集」という張り紙が、もう長いこと放置されているように、窓に張られていた。
こんな、誰が来るの、ってトコに張っていたって、気づく人などいるんだろうか。そう思うけれど、イリスのように、導かれるようにここに来てしまう女の子がいるのだ。
そう、今までも、きっとこんな風に。
イリスは呼び鈴を押した。出てきたのは、白衣を着たそれなりの年の男。標本技師だと名乗った。
ここは博物館でも研究室でもなく、ワケアリの人たちが様々なものを標本にしてほしいと、やってくる場所なのだという。広告を出しているわけでもなく、標本を望んでいる人は、おのずとここに着くのだと。
出来上がった標本はこの場所で管理、保管する。つまり、そばに置いておきたい思い出ではなく、人生にケジメをつけたい思い出を、この場所に保管してもらう。そういう場所。
人間が生きていくために、心の中でしている作業を、具体的な形で代行している場所だ。つまり、思い出の墓場とでもいった場所。
だからこんなにも、静かなのだ。だって標本たちは、標本にされたとたん、死んでしまうのだもの。その持ち主が持っている間は生きている。その人の中で生きている。
でも、持ち主がその生々しさに苦しくて耐えられなくなって、標本にするのだ。つかまえた蝶をピンで刺すように。
その時点で、他人に保管を依頼した時点で、思い出は死んでしまう。殆んどの人が、保管された標本を見に来ないのが何よりの証拠だ。
イリスが標本の見本として見せてもらったのは、小さなキノコが三つ入った試験管だった。
保存液の中で、海の生物のように揺らめいていた。思わず微笑をもらすイリスだけれど、その背景にある事実は過酷だった。
これを依頼した少女は、火事で全てを失った。家も家族も、それこそ思い出の品々も、全て。
その焼け跡で見つけたキノコだった。彼女はそれを腐食と乾燥が始まるまでずっと手元に置いていた。それを標本にしようとしたのは……保存しようと思ったわけじゃないだろう。彼女がこの辛さから決別しようと思ったに違いない。それはつまり、死んでしまった家族や思い出からもだ。
しかし彼女はそれでもまだぬぐいきれなくて、後にまたこのラボを訪ねてくる。
この標本技師、もう最初からイリスに接近しまくっていた。いわゆる“近い!”ってヤツ。もう近いの、距離が。ついでに言うと、そんな二人を映すキャメラも近い。皮膚感覚で迫りまくる。
イリスが客の応対や受付部屋を切り盛り出来るようになると、ほどなくして標本技師は彼女を地下の浴場に誘った。この建物はもともと女子寮として使われていて、彼が標本研究所として買い取った時、当時から住んでいた二人の老婦人はまだこの建物に住んでいた。
浴場は今はもちろん使われていないから、すっかり乾ききっているのだけれど、くすんだ青のタイルとしんと反響する広さが、彼の言うように、これ以上ない逢い引きの場所だと思わせた。
彼は、イリスに靴をプレゼントする。「君がいつもはいている靴が、子供っぽいのがずっと気になっていた」と言って。
自ら彼女の靴を脱がせ、はかせる標本技師。彼女は素足なもんだから、その足を無造作に、いや意識的にねっとりと掴む彼の手が、たまらなくエロティックなのだ。
「ずっとはいていてほしい。僕が見ていない時も」
深いワインカラーの、細いベルトが足首に巻きついた、華奢でいてしっかりと彼女の足に絡みつく、美しい靴だった。彼は彼女の足首にしわが寄るぐらい、ぎゅっとその細いベルトを締めた。
まるで、あつらえたようにピッタリだった。
なぜサイズが判ったのかと驚くイリスに、彼はこともなげに答える。「僕は標本技師だから、見ただけで判る」
それって、凄いエロティックな台詞……。だって身体の隅々まで服の上から全て手にとるように見えている、っていう意味に聞こえるもの。
でも確かに、彼の視線にはそんな確信を感じる。浮ついたエロじゃないの。だからこそ、絡めとられてしまう。
二人は関係を持つようになった。イリスは彼によって服を脱がされたけれども、その靴はそのままだった。そして彼の服も、そのままだった。
縛られているわけでもないのに、この征服させられている感は一体どうしたことだろう。
もうこの時点で、彼女の運命は決まっていたのだ。
かつての女子寮。すっかり乾いた大浴場。その、過去と現在が寂しくカランと交錯する場所で、彼女は靴だけをまとって彼と愛し合う。愛し合う……?愛し合えていた?
この建物にたった二人いる、そのかつてを知る老婦人もまた、かつての若い肉体を今はすっかり乾いてしまったシャワーで潤していた。
そんな幻想の中に、いつのまにかイリスの若い肉体も入り込む。
まるでその頃から、彼の視線がそこに存在していたかのように。
愛を囁かれたわけでも、あからさまな場所に連れて行かれたわけでもないのに、彼との関係はあまりに自然で。こういう男が最も危険な男なのだ、きっと。
この白衣というのがね、なんともそそられるのだ。セックスの時にも一切脱ごうとしない白衣のエロ。
私、白衣に弱いかもしれん……科学とか化学とか、そういうエロから遠いところにいそうで、でもその白衣の下のシャツはラフに襟元を緩めてたりするのが、またドキッとさせちゃうんだもん。
彼が実際に標本を作っている現場が出てくるわけではない。それは原作もそうなんだけど、だからこそ禁断の匂いがする。実は技師なんかじゃないんじゃないの、いやそこまで言わなくても、その中でキケンな標本を作ってるんじゃないの、みたいな。
実際、それを生々しく想像させるのが、あのキノコの少女。彼女は自分の頬にうっすらと残る、火事で出来た火傷の跡を標本にしてほしいとやってきたのだ。
それまでも、やっかいなモノを標本にしてほしいという顧客はいた。恋人から贈られた楽譜を持参して、楽譜ではなくこの音を標本にしてくれないかという婦人もいたけけど、その難題は、女子寮時代から住み続けている元ピアニストの老婦人の協力によって、楽譜の音が再現され、無事解決した。柔らかく、哀しく、優しい旋律だった。
でも、今回何より違ったのは、イリスも入ったことのない標本室に、彼はこの女の子の肩を抱いて連れて行ったことなのだ。
たった15かそこらの少女だけれど、辛い経験を経たせいか、不思議な大人っぽさをたたえていた、つやつやした長い髪の少女。
死んでしまった小鳥の骨を標本にしてほしい、とやってきた靴磨きの男が、イリスの靴を見て言う。素晴らしい。まるで生まれた時からはいているみたいな奇跡の靴だ。でも危険だ。あまりにピッタリすぎて、この靴は君を侵食してしまうよ、と。
このくだりで、ハッと思った。これってまるで、「赤い靴」だ。あつらえたようにピッタリの靴は、脱げずに踊り続ける赤い靴だ。少女に戻ることを許されない靴。そのまま死ぬまで踊り続けなければいけない靴。
靴を脱ぐ習慣のある日本よりも、このイメージはピタリとくるのかもしれない。
後に、この靴磨きの男を訪ねて靴を磨いてもらったイリスは、「それでもいいんです」と言う。愛しているかどうかは判らない。でも離れられない。それがどんな結果を招くとしても。
この建物にずっと住み続けている老婦人が、イリスに話してくれる。事務員として来る女性たちは皆、長続きしなかった。ふっと、かき消すようにいなくなった、と。しかも前任者は、コツコツとヒールの音を響かせて地下室に入っていった翌日にいなくなった、というんである。
イリスが彼からもらった靴も、コツコツとイイ音がした。
あの少女に嫉妬して保管室を荒らしまくった時、イリスは一枚の写真を見つけた。映っている女性は、イリスがもらったのと同じ靴をはいていた。
これは一体、どういうことなの。
今までここに勤めては消えた女性たちが、皆そうやって彼に靴をはかされ、靴のまま服を脱がされ、愛され……?、そして、消えていったの?
その誰もが、あつらえたようにこの靴にピッタリだったの?
この建物中が保管室になっているけれど、標本を施す研究室だけは見せてくれなかった。そこに彼の女たちの標本があるの?そこにはあの少女の標本も含まれているの?
標本は減ることはない。ただただ増えていき、部屋をどんどん侵食してゆく。「あの浴場も標本室になったら、私たち、どうなるの?」イリスは尋ねる。あの場所以外では、彼は彼女と交わらない。それをもうスッカリ彼女も限定しているなんて、なんだか哀しい。
彼はある時、イリスを抱きしめながら、君にも標本にするものがあるはずだと言った。
悲しいこと、ミジメなこと、そんな経験はないかと問われ、イリスは工場で薬指の先端を失ったことを話した。
ほんの少しだけれど。でも彼を自分の中で永遠にするにはそれしかない。
イリスは自分でラベルを作り、手続きの書類を作り、入ることの叶わなかった研究室の重いドアを開ける。
確かに、薬指の書類とラベルを作っていたのに、まるで彼によって全てを、生命さえも、奪われてしまうような、重い覚悟を感じた。
あのドアの向こうに、巨大な試験管がいくつも並んでいるような錯覚を覚えた……。
イリスは部屋をシェアしていた船員からメッセージをもらって、彼が街を離れる夜、会いに行くのだよね。
でも待ち合わせに指定されたパブはいかにもって感じの騒々しさで、彼をカモと見た夜の女がチョッカイだしてて、彼はついついそれにのって、キスしちゃうのよ。
このシーンが絶妙で、さすがプロの手管でね。彼としてはこの場を収めるぐらいのキスのつもりが、ついつい釣り込まれて、唇をむさぼるようなキスをしちゃうのよ。それをイリスは見てしまうのね。
イリスとしてみれば、同じ部屋を長いことシェアしてた、生活の匂いをダブらせていたようなちょっとした官能を感じていたに違いなく、それは彼もそうだったから会いたいと呼び出したわけだけど、男はやっぱりこーゆー部分、愚かよね。女はこういうヘマは犯さないもん。
いやそれ以前に、やっぱり男がこういう部分を持っているからこそ、イリスを誘い出したとも言える。だって会っても次の日からは会えなくなっちゃうんだもん。男はその前に縁のあった女なら一発ヤレたらラッキーぐらいに思ってるのかもしれんけど、常にその後を考える女の価値観からしたら、果てしなく無意味だもの。
でもね、それも好きになった、いや、この場合は絡めとられてしまった、というべきかな、男に関しては有効になるのよ。そういう意味では最終的に女の方が愚かなのかな……一発ヤレるぐらいで喜べる方が、幸せだよね。破滅が判ってて踏み込んでしまうなんて。
でも、判んないよ。この船の男は、イリスのこと、ちゃんと会ったことないにしても、本当に好きだったのかもしれない。ひたすら静かな、静寂な標本技師と対比されるからこそ思う。
だって標本技師は、愛だったとは……思えないんだもん、哀しいけど。この海の男は、確かに野卑かもしれないし、彼女と一度も接近して会ったことはなくても、直感的な生々しさを感じるんだもん。
ある日、中国人が持ち込んだ、アンティークのマージャンセットをイリスは落としてばら撒いてしまった。技師はただ、元のとおりに直すように言った。冷たく言い放つわけでもなく、まるで標本のラベルを作る指示を出すかのように、普通に。イリスは朝までかかって拾い集める。彼は一切手伝わず、ただ眺めているようでもあるし、見守っているようにも思えた。
イリスは、途方もない量のマージャンパイと点棒に呆然としているようにも見える一方、まるでそんな彼を挑発するかのようにダラダラと、猫のように四つんばいになってひとつひとつ拾い集めた。
日差しはどんどん傾き、夜になり、そして朝になった。
元通りに収められたマージャンセット、そして彼は、「はじめて君と、朝を迎えたね」とまるでベッドの中で朝日を浴びているかのように、呑気なことを言って、疲れ果てた彼女を抱きしめた。
無論、これも原作にあるシーンではあるけれど(落としたのはタイプライター)、不思議にこれが、映画オリジナルの海の男との時間差のルームシェアに響くものを感じる。
技師はイリスがルームシェアをしていることは多分知らなかったと思うけれど……。イリスが一人で占めている空間を、時間差とはいえ同じく独り占めしている男の存在を考えるとね、図らずも成立した技師の嫉妬と定義出来ちゃうじゃない。だって、技師は標本というその空間に閉じ込める技術の持ち主であり、そしてそれがイリスとの間にエロティックに作用するんだもの。
ラスト、イリスは彼の、禁断の標本室に入ってゆく。
原作を読むと、薬指の標本を作ってもらいに、というぐらいの趣。いや映画でも彼女はちゃんと薬指の標本のラベル作ってるし、同じなんだけど、なんか……違うのだ、印象が。身体ごと標本してもらいに行くような気がして仕方ないのだ。彼に永遠に封じ込めてもらいに、全ての覚悟を決めて、その重いドアを開けたようにどうしても思えてしまう。
そして、きっと今までの女の子たちもそうだったんだろうと。
でもそれも、確かめたわけではない。いなくなった女性たちは、単にこの場所を離れていっただけかもしれないのに。
でも、監督はそう解釈したからこそ、イリスと同じ靴をはいた少女の写真、というアイテムを挿入したのだろう。
愛ではない、でも、離れられない。一体、なぜ?
原作にはない、イリスを見つめ続ける少年が脳裏に焼きついて離れない。この建物に住んでいるのかどうかさえ判らない。いつも、彼女を見つめている。あの乾いた浴場で彼に抱かれている時も、小さな窓から、微笑みを浮かべて見つめている。
少年はそうやって、今までの女性たちも見つめてきたんだろうか。
標本となっていった女たちを。★★★★☆
今回は原作もあることだし偶然かもしれないけど、前作に続いて障害者モノ。今回はそれにガッツリ取り組むのではなく、あくまで物語を形作る要素としてである。
盲目の女の子。私はそれが、恋の切なさを盛り上げるものとしてあるのかと思っていたら、サスペンスの要素としてのそれであった。ホントにね、私はこれ、ラブストーリーだと思ってたのよ。だって田中麗奈とチェン・ボーリンでしょ。この顔合わせじゃ、そう思うじゃない。
まあ、最後にはそんな展開も淡く示されなくもないけど、そういう意味ではあくまで前哨戦という感じで、彼らはまずこの孤独から脱しなくてはならず、そのためにこのサスペンスという要素が二人の前に立ちはだかるのだ。
そうか、サスペンスかあ……(私も往生際が悪い)元々原作がサスペンスと位置付けられてるのかあ……(しつこい)。
大体、このアキヒロ(チェン・ボーリン)が殺人犯だと思ってこっちは見ているから、これでミチル(田中麗奈)とどう成就するのだろうと結構ハラハラしてたもんだからさ。最後には哀しい別れが待っているのかしらとか。
でさ、よく言うじゃない。つり橋症候群だっけ?一緒に怖い思いをすると、それが恋だと錯覚してしまうって。そしてそこから本当に恋の感情が芽生えていく、みたいなイメージがあったのよ。
でも彼は結局、犯人じゃなかった。なぜかここで脱力。いやいやいや、二人がハッピーエンドになるにはその方がいいに決まってるんだけど!
でも、まさか、他に犯人がいるなんて。しかもそれが井川遥だなんて!
ものすごーく意表は突かれたんだけど、結局はサスペンスになってしまったことはちょっと残念だったような気もする(私もホントしつこいな)。
だってさー、盲目の少女の家にこっそりと侵入した孤独な青年、という筋立ては、切ないラブストーリーを構築するには、充分過ぎるほどに魅力的だったんだもん。
逃亡中の殺人犯というのはかなりキツすぎるキャラだから、ちょっと大丈夫かなとは思ったけど、でもそれでも、彼らの孤独の魂が共鳴しあうのならいっかな、と思ったりもしたもんだから。
ちょっと、ラブストーリーになりそうな雰囲気はあったもんだから……。でも彼が殺人犯ではなかった、という謎が解明される後半は、全くのサスペンスの解読になるでしょ。ラブストーリーのかけらもなくなっちゃうでしょ。何となく、ほのかに漂っていたかもしれない、そういう雰囲気が霧散してしまうでしょ。ホームに突然よじ登ってくる井川遥の描写なんてハンパなくコワイしさ(さすが!)
つまり、井川遥に食われちゃうんだよ。だって美しく、女優としての存在感も麗奈ちゃんよりはるかにあるんだもん。
と、相変わらず先走ってオチまで言ってしまうクセはどーにかしたい。……最初から行きます。
ミチルとアキヒロ、メインの二人が、三つのチャプター仕立てになって語られてゆく。まずは盲目の少女、ミチル、そして中国人とのハーフのアキヒロ、そしてミチルとアキヒロ、と。お互いの視点から相手を見つめ、徐々に距離が近づいてゆく。
冒頭、ミチルは父親と二人、ひっそりと暮らしている。家事は彼女が一切をこなす。父親を見送り、出迎え、二人で食事をし、寝る。単調だけれど、穏やかで調和された生活。
目の見えない彼女だけれど、この家の中のことなら全てが判ってる。つまりは完璧な主婦。そういう意味で彼女は、自分から欠落した部分を、見ないでいられている。自分はこの世界で少なくとも、父親の役には立っているんだからと。
でもそれも、父親が彼女を愛しているからである。言ってしまえば、父親にとってはそれだけで充分なんである。ミチルにとってだって、実はそうなんである。父親を愛しているだけで充分だったのに。
その父親が、突然、死んでしまった。
思えば、彼女の母親はどうしたんだろうと思うのだが、どうやら蒸発してしまったらしい。お母さんはどんな人だった?などとミチルが父親に聞くシーンはあるが、どうして出て行ったの?と聞きはしない。
ただ、今はもう覚えていない母親への思慕を、どこかで捨てきれずにいるのを匂わせるだけである。
葬儀に集まった親戚の会話からすると、男でも作って?などと想像される。必要以上に説明的にならずにそれを判らせる慎ましさがいい。
ミチルが生まれつきの視覚障害者ではなく、途中失視であるというのも、会話とほんの少しの回想(夢……きっと何度も見ているんだろう)で的確に示されている。
例えば友人のカズエとのこんな会話で。
「まだ(点字は)カタコトって感じなのよ。初心者だもん」
「ミチルは、昔からコツコツやるタイプだから、大丈夫だよ」
父親が死んでから、ミチルは「私はもう大人だから」と親戚の心配(というより困惑)を突っぱねて、一人で暮らし始めた。父親の保険金もあるし、全盲の人だって一人で生活している人がたくさんいるんだ。どこか、意地になっているようにも思えた。
実際、また回りだした生活は一見、何も変わらないように見えた。ただそこに父親がいないだけで、毎日食事を作り、掃除をし、就寝する。何も変わらない。
でも、誰のためでもなく生きることの寂しさに、直面せずにはいられない。
カズエはそんなミチルを心配する。パソコンもやらず、外にも出ず、つまり外界とのコミュニケーションを一切とろうとしない友人のために、あれこれ言ってみる。
だけど、ミチルはとりあえずカズエがいることでどこか安心している風もあり、そして父親を失った悲しみが彼女を怖じ気づかせているとも思われ……どうしてもその一歩が踏み出せない。
ミチルの部屋からは、小さな駅のホームが見える。電車が来ると、踏み切りの音が聞こえる。ミチルは日常的にその窓に立つ。まるで、駅を見つめているかのように立つ彼女の姿を、二人の人間が見ていた。
一人はアキヒロ。そしてもう一人は……。
アキヒロを演じるチェン・ボーリン。本作はなんと言っても彼の魅力に負うところが大きい。彼は見るたびに違う発見をさせてくれる、華やかな外見からは想像できない懐の深さを持っている。
最初はその容貌どおり、80年代アイドル風な青春の爽やかさだった。
次に遭遇した時、その時代のアイドルに熱狂していたマダムどもをとろかす、優しいツバメ風の青年へと成長していた。
そして今回は、暗い影を宿す中国人とのハーフ役。国籍は日本人で日本名なのだけれど、周囲からは「中国人だから」という目で見られている。実際、少年期は中国で過ごしているから、なかなか日本になじめず、でもきっと中国でも、日本名を持っている日本人だからと、似たような目にあっていたのではないかと想像され。
この孤独な役が、意外に彼に一番シックリくるのは、さらに意外に彼がルックスの人ではなくて、意外に演技の人だということなのかも(意外ばかり言って、ホント失礼)
ガチで演技合戦する佐藤浩市に負けず劣らずの唇の厚さが、その暗さを非常に深いものにしている(って何だよ……)。
工場で働くアキヒロは、とにかく人との接触を図ろうとしない。口もきかず、誘いにも乗らず、ただ黙々と仕事をしている。
そんな彼を、「中国人は何を考えているのか判らない」と、先輩の松永(佐藤浩市)はあからさまに嫌悪する。そしてアキヒロに友好的になろうとする周囲の人間たちもムリヤリその傘下に加え、態度だけではなく具体的なイヤガラセも仕掛け、「もう辞めれば」とアキヒロに冷笑するんである。
これが、在日外国人の現実。アキヒロは日本国籍だけど……でも監督がそれを描こうとしているのは明確である。
だって、原作のアキヒロは普通に日本人だっていうんだもん。ひょっとして、チェン・ボーリンを迎えるために変えたか?
そのことで原作ファンはかなりガッカリしているようで、でも彼らは田中麗奈は素晴らしいと言ってんだけど、この作品のキモはチェン・ボーリンだろう……。
弱者として障害者と外国人として設定はされているけど、同じく自分のカラに閉じこもっている二人でも、外国人だから犯罪を犯すと当然のように思われる彼の方が、キッツイもん。
彼女はまだ外に出ていないから、そんな社会の冷たさに遭遇してない。ちょこっと遭遇する場面はあるけど、あくまでサワリである。
確かにこの松永はイヤなヤツなんだけど、アキヒロも心を閉ざしすぎている、と思ってしまうのはいけないのかな……そんなカンタンなことじゃないことは判っているんだけど。
だって何人かの同僚は、アキヒロを飲みに誘ったり、話しかけたりしてるんだもん。でもアキヒロは完全無視なの。
そんなアキヒロに松永が、「お前、日本人を全然信用してないだろ」と言うのもさもありなんだと思っちゃうからさ……。
松永はあからさまにアキヒロを嫌い、自分が一番年かさなのを利用して、後輩たちも手なづけ、アキヒロを下っ端扱いにする。
それに対するアキヒロの憤りは確かに判るんだけど、誰に対しても憎々しげで、上司にしたって処置の仕様がないのだもの。
というか、アキヒロは上司に相談するとかいう気もない。だって、確かに松永が言うように、彼らを信用する気がないから。
それは、盲目となったミチルが世間を信用していないのと通じる。
確かに、日本は障害者だけでなくあらゆる弱者にまったく配慮のない国だ。しかもミチルは途中失視者である。生来の生真面目な努力で、家の中のことは完璧にこなせるまでになったけれども、外に出て行くということが、どうしてもできない。
幼なじみは心配して、外には楽しいことがあるよ、このままこの家で死ぬまで閉じこもっているつもり?と叱りつける。
「私はカズエとは違うから……」
一番言ってはいけない言葉を言った!そんなこと承知で心配していること、判ってるくせに!彼女に対して甘えているから出てしまった言葉だけれど……。
一人でだって生きていける。そう自分に言い聞かせて、昨日激情のままに床に散らかしてしまった食料品を片づけようと階下に降りてきたミチル。キレイに片付けられていることに、号泣する。
誰かがいることは、判ってた。食器棚から落ちてきた土鍋から守ってくれた時から、知らない誰かと一緒に食事もしていた。
でも、一人でも生きて行けると決心したのに、私は顔は勿論、素性も知らない誰かに知らない間に助けられているのだ。そう心の中で叫んでいるミチルが見える気がした。
おっと、またちょっと飛んでしまったよ。ええと、だからね。アキヒロはミチルの家に侵入するんだよね。カズエと一緒に出かけるところを駅で見かけて、ミチルが盲目であることを知った彼は、息をひそめて侵入するのだ。
それは……彼が松永を迫り来る電車に向かってホームから突き落とし、逃げ込んできた、と観客はしばらく思っているんである。
でも彼は、ミチルの家に潜り込んでから、必ず同じ場所に身を縮こまらせている。それはミチルがいつも佇んでいた窓際。
窓の外を何度も気にしている。それが何を意味するのか、後半にならないと判らない。だって、アキヒロが殺人犯だと、観客は思ってるんだもん!
この静かな家の中で、アキヒロはミチルの孤独を見守っていた。父親からのプレゼントである時間を知らせるペンダント、毎日のメッセージに使っていた、父親がひとつひとつ丁寧に打っていた点字のメモ、彼女は夜、それを取り出して一人泣いていたこともあった。
ミチルもまた、部屋の中の気配に気づき始めていた。視覚以外の四感で生活しているのだから、当然敏感になる。
ミチルは「幽霊がいるのかも」とカズエに言ったけれど、やはりその敏感な感覚で、敵ではないということは、感じとっていたのかもしれない。それほど、怯えている様子はなかった。
そして、あの土鍋事件である。食器棚から落下したはずの土鍋が、割れもせずに蓋もきちんと閉じられて床に置かれていた。それに気づいてからミチルは、確かに誰かがいることを確信し、父親と暮らしていた時と同じように、もう一人分の食事を用意するようになる。
誰かと一緒にごはんを食べること、それが見たこともない誰かでも、自分を守ってくれる誰かである、と思った彼女は、父親と暮らしていた時と同じ、穏やかな顔に戻っていっている。
でも、彼がなぜここにいるのか、決して自分を守るためなんかじゃないことは、判っているはずなのに。
ミチルは近くに住んでいるというハルミと出会った。風で飛んできた洗濯物を届けてくれたのだ。ハルミの働くイタリア料理店にカズエと一緒に出かけたりもした。美人で優しい彼女との出会いは、ミチルの一人での生活を頼もしくしてくれるかに見えた。
友人のカズエも安堵し、観客も良かったなあと思っていたのに……。
まさか本能的に危機を察知したわけではないだろうけど、ミチルはハルミと積極的にコンタクトをとろうとしない。ミチルを心配しているカズエの方が、足しげく彼女の店に通ったりして、彼女がもうすぐ恋人と結婚するとかいうことも知ってるのね。
ミチルがそのことに対して、友人をとられたみたいな嫉妬を感じたりしないのかな、と思ったりもしたんだけど、そういうこともない……この辺はちょっと物足りない。
でもその結婚するはずのハルミの恋人は、この時点で既に死んでいるのだが……。
そうなの、ハルミの恋人っていうのは、松永だったのだ。それをアキヒロは駅のホームで見かけていた。その時は、彼の胸に顔を埋めて、観客には彼女の顔を見せなかった。だからこの時点で、アキヒロだけがそれを知っていたんである。
ハルミも、ミチルが窓のところに立っているのを見ていた。そう、もう一人っていうのは、彼女だったんだ。
ミチルを訪ねるまで、ハルミは彼女が外を“見て”いるのだと思っていた。だからこそ訪ねた。洗濯物が風で飛ばされたなんてウソ。庭に干していた洗濯物をこっそり盗って、訪ねたのだ。
彼女はミチルが窓から“現場”を見ていると思っていた。
現場……そう、ハルミが松永を突き落とすところを!
あの現場を見たかどうかを確かめるためだったのか、でもミチルが盲目だと知って逆に不安になったのかもしれない。
うっかり、知り合いになってしまったことを。
それが明らかになるのは、ミチルがカズエの家に一人で行く決心をしたからなんである。
カズエはホントに心配してんのに、ミチルがあまりにガンコで判らずやなもんだから、荒療治に出たのだ。そこまで本気で怒ってたわけではないと思う。でもミチルからの謝りの電話も無視する。だからミチルは一人で彼女の家に行こうと決心する。
でも、やっぱり怖くて……その前にトライした時も、車や自転車に散々怖い目に遭ったから、足がすくんで引き返そうとするんだけど、その腕をアキヒロがむんずと掴んで、彼女を連れ出した。
初めて、その存在を気配ではなく明らかにした瞬間だった。
食事を出されても、息を詰めて静かに食べているだけだったのに。
ぽつりぽつりと会話をする。ミチルが安全に歩けるように、アキヒロは配慮する。
「今のは何?」「子供です」駆け抜けて行く男の子たち。「なるほど」判ってしまえば安心する。音と気配だけじゃ、ただ怖いばかりの外だったのに。
アキヒロに触れてみるミチル。父親のセーターの感触に安心する。自分が着ていたぶかぶかの父親のコートを差し出す。そんなカッコじゃ寒いでしょ、と。
カズエの家に着き、ミチルは言う。先に帰っててください、私はカズエに何か借りられると思うし、帰りはカズエが一緒に来てくれるから……きっと……大丈夫だと。
先に帰ってて、なんて、家族に対して言っているみたいだ。完全に信頼してる。確かにカギを開けっ放しで来たからというのはあるにしても。
カズエに迎えられたミチルは、「あんまりカズエが頼むから……」なんて、ここに至ってもスナオじゃない!「でも、楽しかったよ」の言葉がどこか涙っぽく聞こえたのは、気のせいじゃないと思う。
ミチルはコートの内ポケットに、ハルミとカズエと撮った写真をしまいこんでいた。それにアキヒロが気付くんである。
言ってしまえば都合が良すぎる話なのだが、ホームが見える唯一の家、その窓から日常的にミチルが外を見てる(見てるわけじゃなくて、まあ、窓を開けたついでに立ってる)というのが、繰り返されていたので、案外すんなりと受け止められる。
だからこそアキヒロも、ハルミが再び現われるのをこの窓から見張っていようと思ったのだし。……思いがけない形で現われたけど。
アキヒロから、写真に写っているハルミが犯人だと聞かされたミチルが、それまでアキヒロの人となりに視覚以外の感覚で触れてきたにせよ、即座に信じるのには、彼女の中だけで気づいていた理由があった。
それもまた、視覚以外の感覚が鋭敏になっていたからこそピンときたこと。そうでなければ、気づくまい。
ハルミが洗濯物を届けに来たのが、あの事件のあった日だったこと。そして、その日もミチルは同じように窓のところに立っていたこと。
洗濯物は、風で飛ばされたんじゃない。ハルミがこっそり盗んでそれを口実にミチルを訪ねたんだ……。
そうハルミを問い詰めるミチル、このクライマックスに向かってこの映画が進んでいたんだとここに来てやっと了解する。
アキヒロとミチルの恋物語に向かってではなかったのだと、ちょっと残念だけど。まあ、それよりももっと深い部分から二人は始まったとも言えるし、二人のこれからを静かに、イイ感じで予感はさせる。
だけどね、このクライマックスのハルミの、いや井川遥の戸惑いから狂気、殺意、正気に戻っての激しい悔恨、という津波級の感情の触れ幅が凄まじく、しかもこんな美人が、という凄まじさでスッカリ目を奪われてしまうので、ホント、二人のそういうささやかな伏線がスッカリ持ってかれちゃうんだよな。
そして事件は落着するものの、やはりアキヒロは職場にいづらくなって退職し、ミチルの元に挨拶にやってくる。
自分はずっと居場所を探していたんだと、アキヒロは言う。そして気づいたのだと。「自分の居場所を探すのではなく、自分の存在を認めてくれる人を探すこと」だということを。
その言葉の言外には、そのためには自分自身の努力が不可欠だってことも、匂わされている。
イヤなヤツだったけど、そのことを松永は教えてくれようとしていたんだもの。
ミチルはニッコリ笑って言う。いつもアキヒロがうずくまっていた窓の外を指して、「あそこ、あいてますよ」と。
この物語は、ミチルとアキヒロ、二人の視点が完全に分離しているから、映画というひとつの世界にする時には、そこが非常なる難点である。
あるいは、この物語自体が、どちらかの視点で、ではなく、双方の視点で分割するという手法をとっていて、それに映画が準じている、ということなのかもしれない。
ヘタすれば、二人が乖離してしまう危険性があるけど、あえて分けて描いたことで、観客が二人の気持ちをよく判ってるから、上手く融合して次にいける。少しずつ混ざり合って焼きあがる、美味しいお菓子みたいにね。
ミチルの父親が残した誕生日プレゼント、オルゴールと時間の判るペンダントが印象的。ペンダントはミチルにとって便利で手放せない思い出の品になるのだけど、オルゴールがその後、全く出てこないのがもったいないなあ……と思ってたら、あら!「亡き父親から渡されたオルゴールの音をミチルがピアノで辿る」そうだったのか!気づかなかった私がアホか!★★★☆☆
そう、あの「ブローク……」を抑えたんである。しかも監督デビュー作で。ある意味この、救いのない物語が。それだけ現代のアメリカは人種差別問題で病んでいるということだ。
人種のるつぼのはずのアメリカなのに、と思い……あ、そう言われているのはニューヨークだったっけ。
ニューヨークなら、都会人のクールさでやり過ごすのかもしれない。東京もそんな感じだもの。この物語の舞台となっているロスではそうはいかないの?こんなに明るいイメージがある土地なのに。知らないことが多すぎる。
しかし、こんなに細かく出身地域を認識してまで差別するというのが、日本では理解できない。
こういう映画を作れない日本は幸か不幸か、なんて言ったけど、差別するということは、その相手を認識、意識しているということだ。日本はそれさえ、してないかも、と思う。
日本みたいに一緒くたにガイジンとして差別(はあるよね、やっぱり)する方がヒドいのだろうか。
今では中国人差別、韓国人差別というのもあるけれど……。そうだよな……今、私は韓国(人)に対して複雑な感情に揺れている。明らかにキライだと思ったり、嫉妬したり。でもそれは相手が強くて優れていると知っているからの感情であって、ここでの明らかに蔑んで、カテゴリーにはめ込む意識とはまるで違う(と、思いたい……)。
時間軸が計算されている。冒頭に示された場面にラストで戻ってくる映画は他にもよくあるけれど、それがこれだけ衝撃を持って迎えられる作品もなかなかない。
冒頭、草むらの中に見つけられる若者の死体。それを確認しようとしている黒人刑事グラハム(ドン・チードル)。この時点でまさか、この死体が彼の探していた弟だなんて、思いもよらない。
死んでしまった若者、ピーターは、先輩格のアンソニーとコソ泥生活を送ってた。アフリカンアメリカンである彼らには、まあ手っ取り早い生活手段。
それがこのロスでの現実だ。
アンソニーは自分たちに向けられる白人の差別の視線にとても敏感で、それは確かに的を得ているんだけれど、そのしつこさはちょっとパラノイアっぽく、仲間たちに対してもそういう格付けをするような人物である。そんな先輩に対してピーターは、考えすぎっすよ、みたいな、一見してカルいノリながら、彼はまだどこか純粋で、人を信じてて……でもそれは、彼がこの白人社会の厳しさを判ってなかったという判断をこの物語が下すのが、とてつもなく、キツい。
彼が死体となって発見されたのは、そういうことだったんだもの。
様々な人種の人間たちが交錯する。ガンショップに買い物にきている、ペルシャ人の雑貨店主ファハドとその娘のドリ。英語のイマイチ通じないファハドに、店主はあからさまに疑念の視線を向け、サダム、お前らの泥の家にジェット機で突っ込むぞ(ちょっと表現の詳細違ったかもしれない)、なんて言葉を投げつける。
その話を聞いたファハドの妻は嘆息する。アラブ人だと思われてるんだわ。私たちはペルシャ人なのに、と。
一瞬、聞き逃してしまいそうな、彼らのこの言葉にも、深い社会の病根がある。
つまり、それはアラブ人ならば、差別されても仕方がない、ということなのだ。私たちは違うのに、という意識。差別の被害者である彼らが、その下への差別意識を既に持っている。その差別意識は、自分たちを差別する白人社会が作り上げたものなのに……そうやって、差別の意識構造がどんどん複雑に入り組んでゆく。
その問題は、冒頭に登場したグラハムとその恋人、リアにも示される。
グラハムが彼女と愛し合っている最中に、彼の母親から電話がかかってくる。
「今、白人の女とセックスしてるんだ」彼にとっては何気ないジョークのつもりだったのかもしれないけど、リアはその言葉に鋭く反応する。
「私はメキシコ人よ」
白人の女とつきあっていると告げることが、彼のような肌の黒い男にとって、母親に示すステイタスになっていて、それに彼女は利用された形になっているんだけれど、そのことに彼女は激しく反発する。
明らかに肌の黒い彼にとって、見ようによっては白人にも見える彼女は、もう一緒くたに白色人種、と同じなのかもしれない。
でも彼女にとっては、彼とは逆に、有色人種であることの誇りがある。
でも彼は、その明らかな肌の黒さで差別社会に苦しんできたから、彼女のそういう気持ちを甘い、ぐらいに思ってるのかもしれない。
でも、彼女にとって、そうしてその他大勢にされるのが一番たまらないのだ。
それは日本の、“ガイジン”差別とちょっとだけ共通しているように思える。
先ほどのファハドの話にちょっと戻る。
彼は、雑貨店のドアのカギの修理を依頼してた。もともと銃を買ったのも強盗対策だったから。でも鍵屋のダニエルは、ドア自体がイカれてるから、ドアを取り替えなきゃダメだ、と進言する。
でもファハドは、そんなことして儲ける気なんだろう、とケンカ腰である。ダニエルは鍵屋だから、ドアは直せない、他の職人を呼んでくれと言うと、ファハドはそれもまた挑発ととったのか、きっちりカギを直せ、直さなきゃカネは払わん!ともう堂々巡り。
ダニエルは、壊れたドアのカギを直しても仕方ない、それで手間賃など取れないから、とでもファハドがすっかり激昂しているので鍵の実費もとらずに、その場を辞する。
でも、なんたってドアが壊れてるんだから、またしても強盗に入られ……店の中はすっかりメチャクチャ、ファハドがドアの修理を断わったことで保険も下りない。絶望の淵にたたされるファハド。
ちなみにこの保険屋は明らかにアジア系で、でもこの差別社会で成功している部類のエリートであろう、同じ有色人種として苦しんでいる彼らにも、約款にひっかかる以上は、と条件にきっちりと従って、救いの手を差し伸べようとは決してしない。
それは、肌にちょっとの色素が混じっても排除される、そんな“条件”を皮肉っているようにも、思えるんだ……。この保険屋や、グラハムのように、特権を手に入れることへの皮肉をも。
ファハドは完全に逆恨みを抱いて、ダニエルのもとに銃をたずさえて訪れる。
ちなみに、ダニエルはここに引っ越してきたばかりだった。銃声がとどろく危険な地域で育った幼い娘のララは、まだそれにおびえてた。ダニエルは“小さな頃妖精からもらった透明なマント”を娘に譲る。これは弾丸も何も通さないから大丈夫、と。
でもそこに現われたのがファハドだったのだ。彼はダニエルを車から降ろし、激情に駆られて発砲する……の直前に、ダニエルの前にパパを助けようと幼い娘のララが!
悲痛な叫びをあげるダニエル。ああ!観客のこちらも心臓が止まりそうになる。
なんてこと、……と思ったら、思ったら、ララは傷ひとつついてないの!
何が起こったのか、呆然としながらも、ダニエルは急いで家にとってかえす。ファハドになんともいえない視線を投げかけながら。
店の中にぼんやりと座っているファハドは、帰ってきた娘に一部始終を話し、「天使が救ってくれた」と感謝するけれど……それはこの娘さんのおかげなんだよ。
銃を買った時、彼女が用意していたのは空砲だったから。
彼女は自己防衛でも、そのことで他人を傷つけることがイヤだったんだろう。それが、まだこの父親ほど差別に苦しめられていないからこその判断だったにしても、それが父親を救った。天使は、この娘さんだったんだよ。
ファハドは差別意識に過剰反応して、同じように差別意識に苦しみながらも誇りを持って生きているダニエルに逆恨みを抱いて、あわや取り返しのつかないことになるところだったのだ。それは、この差別に満ちたアメリカで、彼がそれだけ騙されてきた、辛い思いをしてきた、だから人を信じられなくなっている哀しさなんだ。
“天使”のおかげで、いや“妖精の透明なマント”のおかげで守られたララはパパにしがみついてこう言う。
「パパ、このマント、すごいね」
本当によかった……。
一方でこんな風に救われるのに、結局は救われない思いで終わってしまうのは、冒頭示されたピーターの死である。
冒頭の段階では、一人のアフリカンアメリカンの若者の死なんて、イメージ的にはよくあること、みたいな、ひょっとして自業自得じゃないの、みたいな……それこそ、差別意識が生み出した“イメージ”であり、そんなこちらの脳天をブチ割る結果が待っている。
そのためには、もう一組の人間関係を語らなければいけない。
ある裕福なインド系と思しき夫婦を、言いがかりをつけて車から降ろし、暴力的な職務質問をしたライアン警部(マット・ディロン)と、その相棒のハンセン巡査(ライアン・フィリップ)である。
ちなみにこの夫婦は有名なテレビディレクター、キャメロン(テレンス・ハワード)と、その妻、クリスティ(サンディ・ニュートン)だった。授賞式の帰りだという彼らの話も、仏教徒だから酒を飲んだりしないと言っても、聞く耳を持たず、というか、聞く気もなく、つまり差別をするためだけに彼らを引っ張り出し、美しいクリスティに触り……多分、指まで突っ込んでる。
誰がどう見たって、このあからさまな差別主義者のライアンには胸が悪くなる。マット・ディロンの、太い眉が、目に異様に近い風貌がまたキモチ悪くて。
そんな先輩に反発し、このコンビを解消して自分は正しく仕事をしたい、と願うハンセンには、アメリカの良心を託したくなる。けれど、でもやっぱりそんなに甘くないんだ。ライアンは、「お前もそのうち判る」と言った。ハンセンも、観客も、皆がお前と同じじゃないよ、と思った。でも、本当にそうだった……いや、ハンセンの方がヒドかったのだ。
ハンセンはまたキャメロンを捕縛する偶然に遭遇する。その時実は、キャメロンはアンソニーに車をとられそうになってて、助手席には銃を手にしたアンソニーがいた。彼、妻にあの時あなたは黙って見てた、プライドはないのかと責められてて、仕事場でも有色人種のおかれた屈辱の立場をまた改めて感じさせられていたりしてたから、ムシャクシャしてて、同じ有色人種である彼らに対しては思いっきり抵抗して、アンソニーを載せたまま車を走らせたのだ。そして異変を察知したパトカーに止められた。
降りてきたのがキャメロンだと知って、ハンセンは自分は彼の友達だと、ここは厳重注意だけですませて見逃したい、とキャメロンを説得する。
でもそれは、どうしても、有色人種に理解ある立派な白人、という図式になってしまう。そうすると、理解してもらった有色人種は、いつだって有り難がる下の立場だ。
決して対等の立場で語れない。友人になど、決してなれない。
涙をためた瞳でじっとハンセンを見据えて、車に戻るキャメロンの姿に、それがありありと示されてるのだ。
だから一度、ライアンのように、嫌われる立場になるのが必要なのかもしれない。彼にそんな思惑があるわけではないけれど、自分の差別意識を素直に出し、それがくつがえされるライアンが、結果的にはハンセンよりも未来の展望のあるキャラになるというのは、この問題が一筋縄ではいかない、複雑で奥の深いものだということを示唆してる。
彼もまた、クリスティと偶然遭遇することになるから。
車の追突事故、クリスティの乗った車は横転し、閉じ込められた彼女は自力で這い出せないでいる。漏れ出したガソリンがもうすぐそこまで来ている。
駆けつけたライアンは、彼女を助け出そうとするんだけれど、それがライアンだと気づいた彼女は激しく抵抗する。
「イヤ!触らないで!別の人を呼んで!」と
警察官として明らかにヘコむ状況、自業自得なんだけど、でも彼が、こういう状況の人間を助けたいと思っているのはホントなのだ。必死に、必死に、彼女を説得し、引火したことで仲間たちは彼を引きずり出すんだけど、爆発寸前の車に再度彼は潜り込み、間一髪で彼女を助け出す。でもストレートに感謝されることは当然なくて……他の警官に支えられて立ち去る彼女が振り返りながらライアンに投げる視線は、夫のそれと似ていた、けれどほんの少しそれよりは、救いがあるように思った。
だって次に用意されているハンセンの、ラストに直結するエピソードがあまりに救いがないんだもの。
あの時、アンソニーだけがキャメロンの車に乗せられたから、ピーターはこの高級住宅街から残されて、夜道をヒッチハイクしてる。それを拾ったのがハンセンだった。いかにも理解ある白人の行動だ。
ピーターは素直に感謝して乗り込む。でもこのアフリカンアメリカンのカルいノリの若者に、イイことをしたハズのハンセンはどこかおびえて、表情が固い。ライアンの差別意識を軽蔑しながらも、でもキャメロン夫婦はいかにも上品そうな夫婦だったし、この、いかにもなアフリカンアメリカンに、こういうヤツは何をしでかすか判らない、と彼もまた結局思っていることが浮き彫りになる。
ピーターが何かを見つける。突然笑い出す。ますます恐怖を募らせるハンセンは、降りてくれと言い渡す。
違うんだよ、あんたのことを笑ったんじゃないんだ、とポケットに手を突っ込んだ彼に、撃たれる、と早合点したハンセン、正当防衛とばかりに、ピーターを撃ってしまうんだ。
その手から取り出されたのは、ハンセンが車に飾っていたのと同じ、お守りの偶像だった。同じ神を信じ、そして人を信じていた邪気のない若者を、何の理由もなく、いや、自分の中の差別意識にさえ気づかず、それを露呈する形で、ブチ殺してしまった。
そして、時間軸が冒頭に戻される。あの草むらの死体はピーターで、殺したのは差別を憎んでいたはずのハンセンで、それを兄であるグラハムが確認している。
グラハムの母親は、愛する息子がいなくなったことで自分を見失ってた。出来の悪い息子だからこそ愛してた。もう一人いる息子のことも目に入らない状態だった。そしてピーターが死んだのはお前のせいだと言う。以前から探してと頼んでたのに、と。
母親の世話をしている自負があったグラハムは、その言葉にショックを受ける。
世間では、黒人の若者に犯罪率が多いのは事実だと、その問題がこの国の差別体質にあるのをタナにあげている。
アフリカンアメリカンの若者は、コソ泥で生活するのが手っ取り早いような社会。
そして差別意識に苦しみながらも自身はエリートに出世した兄も、そのことを真に肌身に感じることはなかったのかもしれない。
でもこの弟、そんな差別社会にいても、純粋だったのに。腐らないし、白人含めて人を信じるし、その立場で先輩の相棒をたしなめたりしてたし。
でもその純粋さが、死を招いてしまった。
どうしたらいいの。人を信じることは、悪いことなの?
ハンセンは、つまり、イイ人でいたいだけだった、自意識過剰なだけだった。弱いものに優しくする自分が強いものだと認識したいだけだった。
それは、差別する人間が自分の強さを認識するのと、方法が違うだけで、同じだったのだ。
もうひと組の人間関係がある。冒頭、アンソニーとピーターによって車を強奪された地方検事のリック(ブレンダン・フレイザー)とその妻、ジーン(サンドラ・ブロック)である。
アンソニーがこの車を強奪しようと言い出したのは、彼らを目にしたジーンがさっとストールを身にまとい、怯えと侮蔑の視線を彼らに浴びせたから。
ジーンはそんな具合に差別意識を持ち、有色人種の犯罪にあからさまにおびえ、キレまくる。ここにも鍵屋のダニエルは仕事に来てる。彼女は、ダニエルも有色人種だから信用できない、と朝にはもう一度カギを変えて!と彼に聞こえるのも厭わずに言うんである。
リックはそんな妻をなだめるすべを知らず……彼だって絶対差別意識はあるんだけど、有色人種に理解ある立場としてキャリアをステップアップしていたもんだから、そんな妻をなだめることが出来ないのだ。
この図式って、ライアンとハンセンのそれとちょっと似てる。ジーンもまた、自分の中の差別意識と、ある意味素直に向き合っているからこそ、ちょっとだけ未来に明るい展望が期待できるから。
ふさぎこんで家に閉じこもっている彼女、階段から落ちてケガをしてしまう。でも(恐らく)白人の友人は、不安でいっぱいの彼女を重要視せずに駆けつけてくれなくて、有色人種である家政婦が彼女の元につきそっている。
「あなたは私の親友よ」そう言って、ギュッと抱き締めるジーン。抱きしめたまま、離さない。
差別問題に取り組む姿勢で世間の支持を得ようとしているダンナより、自分が差別意識を持っていると知っても、駆けつけてくれる家政婦に親愛の情を感じる妻、という図式なわけだけど。
でもそれは、仕事だからなのに。家政婦が奥様である彼女の言動に眉をひそめていたのは事実なのに。なんかその辺の哀しさは感じるけれど……どんな形にせよ、人が人と触れ合うことによってしか、何も始まらない、のかもしれない。
ラストはまた、追突事故だ。違う人種同士がいがみあう。でもそれはまだ幸福な情景なのかもしれない。ぶつかり合わなければ、人と人は始まらないから。
あ、韓国人夫婦の話もあったんだった……アンソニーとピーターが轢いてしまった、彼らは中国人だと言ったけど。それにタイ人だかカンボジア人だか、とにかく人身売買らしきエピソードもあった。アンソニーが売り飛ばされそうな彼らを救い出し、チャイナタウンに降ろしてやる。だから、中国人じゃないって言ってるのに。でも、このちょっとまとめすぎのエピソードも、あまりに救いのなさが続いていたから、少しだけ、ホッとする思いがする。
本当の本当は、生まれ育った大好きな母国で暮らしていけるのが一番幸せ。
日本人は総じて割と裕福だから、この国で生き続けることを選択できる。向こうで生活するという理由は、職がないから出稼ぎに、とかいうんじゃないから、こんな風に最下層で苦しむことも少ないだろう、だから日本人の私たちには判りにくい問題なのだ。
そのことは、幸せなことだと思うんだけれど。★★★☆☆
しかし今回のクレしんは、これがちょっと、ホラー?大人の私でもゾッとする怖さのオープニング。これはお子様にはちょっと辛いんじゃないかなあ……などと思いながら、でもこれは今までにないわ、とワクワクしてくる。ホラーってのは、ちょっと、なかったよね?まあもちろん全編ホラーなわけではなく、後半なんてとにかくサンバ!で押し切ってくるわけだから、対照的なバランスがなかなか面白いんだけど。
でも、ホントホラーなのよー。冒頭、街中を酔っ払って歩いているサラリーマンが、細い路地にふっと倒れこむように入る、と、出てきた時にはしゃっきりして歩いてゆく。
あれっ?と思ってたら今度は場面が切り替わって、ふたば幼稚園の先生三人が、居酒屋で飲んだくれてる。そのうちの一人の背後に、ぴったりと背中あわせに座る女性の後ろ姿は彼女ソックリ!そして彼女が二人と別れて歩いてゆく……気配を感じる……電車が迫っている踏み切りを走って渡る。息をつくも、また気配を感じて振り返ると……そこからは、通り過ぎる電車と重なって、彼女が飲み込まれるのが見え、電車の人影はみな一様に黒いシルエットに赤い瞳と口をニヤリとさせている、そして闇をつんざく悲鳴……うっわ、いいの、いいの!?かなり気合い入ってコワイよ!
でね、カスカベではまことしやかなウワサが流れてるわけ。街中にニセモノがあふれてるって。ある日自分のそっくりさんに出会ってしまって、入れ替わられるんだって。その時既にこの先生と、ニセモノ先生の手引きによって園長先生が入れ替わっちゃってる。
そのことにいち早く気づくのが、あの臆病者のマサオくん。臆病者だから敏感なんだろう、彼が憧れているタカビーな女の子が自分に優しくなったことに戸惑う。でもこのあたり、イジワルじゃなきゃ、アイちゃんじゃないよ!などと言うもんだから、お前、Mか?ドMなのかっ?こういうあたりに、こっそり大人がニヤリとする感覚が入れられているのがニクいんだよなあ。
そして、風間君は、この先生や園長先生もニセモノだと気づいているのに(だって画びょうを足の裏にグサッと刺してもヘイキなんだもん!)、そしてお母さんもそうだと薄々気づいているのに(背を向けて料理をしているお母さんの口がグワッと裂けて、生の鶏肉をガリガリ食らう!)、どうしても信じたくなくて、ママはニセモノなんかじゃない、ママだけはニセモノじゃない!と言い張って、だからカスカベ防衛隊の中で彼だけが取り込まれちゃうんだよね。
一番臆病者に見えるマサオくんが、それを仲間と共有することで切り抜けるのに対して、エリートな風間君が虚勢を張って負けてしまうというのがなかなか深いものがあるんだけど、でも今まではいつだってカスカベ防衛隊は一緒だったのに、今回風間君だけが脱落してしまったというのがなんだかちょっと、哀しいんだよなあ。
野原一家が街の噂がホンモノだと知ったのは、ほどなくしてだった。最近評判のゴーカなスーパーマーケット(というより、ショッピングモールという感じ)、そこが、敵がてぐすね引いて待ち構えている場所だったのだ。
そこで何かをカウントしている美女にしんのすけはいち早く目をつけ、デレデレする。「たった四人しかいない」そう彼女がつぶやいたのは、野原一家四人のこと。ここでニセモノじゃない人間は彼ら四人しかいないという意味なのだ。
それにしても、それにしてもさ!これってドッペルゲンガーだよね!しかもさ、ビビリのマサオ君が「僕、本当の僕かなあ」などと弱気になる場面なんかあったりして、あるいはひろしがお前こそがニセモノだ、と陥れられそうになってうろたえる場面なんかもあって、アイデンティティの問題、自分自身をいかにしっかり持っているかってことを何気に示唆しているのよね。深いっ。
マサオ君はしんのすけ(=友達)によって「このおにぎり頭はマサオ君に間違いない」と言われ、「しんのすけ君が言うなら、大丈夫だね」と(なんでそんなに信頼してんの!?)安心する。ひろしの方は、妻のみさえが「だらしなくてスケベで(あといくつか悪口並べて)あなただって判るわよ。だてに夫婦やってんじゃないわよ」その台詞にひろしは安堵の笑顔を浮かべ、「だてに家族やってんじゃないぞ!」と叫ぶ。
そうなのよねー、クレしんの根底にあるのはこれがマジメで感動的な、友情や、夫婦、家族の絆なのよ。
世界サンバ化計画の首謀者を追っている美人捜査官ジャッキーが、「仲のいい家族なのね。うらやましいわ」と嘆息するのは、彼女自身はそうではなく、それこそが今の事態を引き起こしているからなんだけど、ま、それは後述。かなりケッサクなオチが待ってるからね。
でさでさ、このスーパーなスーパーマーケットがドッペルゲンガーの恐怖の最たるものなのよ。みさえは自分のそっくりさんを見かける。同じカッコしてちゃんとひまわりも連れている。ひろしもまた、自分に見られているような感覚に陥っている。
しんのすけだけはムジャキで、大好きなチョコビが積み上げられていることに大感激、その他にも欲しいお菓子がいっぱいで悩みまくる。これが、いちいち笑えるお菓子ばかりなんだけど、なんだっけな、もえPのきなこチョコとか。もえPっつーのは劇中で風間君が夢中になってる「ま・ほー少女」という美少女二人のアニメ番組で、しんのすけがこのお菓子を見つけて熱狂するのを見ると、どうやら流行っているらしい。“萌え”“美少女”という旬なアイテムをしっかり入れてくるあたりは、さすがなのよね。でもそれを幼稚園児に熱狂させるのは……アダルティーにはニヤリだけど。
で、ここでこのジャッキーが、ニセモノ相手に素晴らしいアクションを繰り広げる。しんのすけはおねいさんのぱんつが見えたことこそが重要らしいんだけど(笑)。
姿かたちはみさえソックリで、やけに優しいママに変身してたニセモノが、ゴムのように身体がぐにゃぐにゃになって、ブリッジしたままエスカレーターで逃げてくのよー。もー、衝撃。
しかもこんな描写は序の口で、この後、彼らがカスカベから逃げ出そうと、ジャッキーの手引きで乗り込んだ車でカーチェイスを繰り広げる場面、次々に車に張り付いてくるモンスターたちは、かつて流行ったグチャドロホラーさながらのキモチワルさ&不死身でさ、この、味方がどんどんいなくなる感覚、街の人々すべてが敵だという恐ろしさは、ほんっと、コワくて、王道の、クラシックのホラー映画を観てるみたいなんだよね、ホント。
でも、その後あたりから、もうサンバ一色になっちゃう!敵のアジトに入り込んじゃってからは、もうコンニャクローンだとか、サンバの特訓・スポコン状態で前半までのホラーな、哲学な趣はどっかに吹っ飛んじゃうのよ。
しんのすけの応援によってジャッキーは「自分のサンバ」を踊ることに目覚める。サンバは楽しむものなんだと。その場にとらえられ、強制的に踊らされていたカスカベ市民もまた、本当の踊りの楽しさに目覚めて踊りまくる。
これはほんっとにね、先に示したアイデンティティの悩みを払拭するという結末だよね。「自分のサンバ」が自分自身だという。強制的にやらせるんじゃなくって、自分が楽しいと思うこと、やりたいことこそが大事なんだって。このあたりは実はひそかに、子供を連れて観に来る親御さんへの警告なのかもしれないなあ。
実はこの悪の首謀者のアミーゴ・スズキというのが、仮面を脱いでみればジャッキーとウリふたつ。ということは、どちらかがコンニャクローン!?と思っていたら、ドロドロと溶け出したのはアミーゴ・スズキの方、しかし現われたのはハクション大魔王みたいな、くるんとしたヒゲをたくわえた男!しかもその腹には「ギャラン道」と……みさえとひろし、「ギャラン道、って、毛!?」「毛だな!」
ここが今回一番笑ったよー!ギャラン道、と、しかも腹毛(胸毛ですらないのよ!)で書いてる?のよ!しかも意味判んないし!
ジャッキーが野原一家を、仲のいい家族だとうらやましがったのは、彼女自身がそれを得ていなかったから。つまりこのあやしすぎるギャラン道は父親!
「サンバは私を裏切らない。私はサンバを裏切らない」と涙を浮かべて父親に言うジャッキーに、父、アミーゴ・スズキも感慨深げである。
ひろしのニセモノが最初に現われた時に、ニセモノが風呂に入ってて全裸だったもんだから、その××××を見てみさえ、ちょっと頬を赤らめ、「やっぱりあっちがホンモノかも」と言うシーンには爆笑したなー。いやー、やっぱり本来の、アダルト向けマンガであるってところを、随所随所に指し示しているのが嬉しいやね。
でもね!やっぱり原監督作品にはまだまだだけど!うー、それを前提にして待ち続けるのはキビしいのかなあ……。今回のゲストは長州小力だったんだけど、今までで一番印象薄かったし。サンバじゃなくて、パラパラしか踊れないとか言っても、ややウケって感じだよねえ。「温泉わくわく大決戦」の丹波先生を超えるゲストが出てこないよなあ。★★★☆☆