home!

「は」


2009年鑑賞作品

buy a suit/スーツを買う
2008年 47分 日本 カラー
監督:市川準 脚本:市川準
撮影:市川準 音楽:松本龍之介
出演:砂原由起子 鯖吉 山崎隆明 三枝桃子 松村寿美子 佐藤慎一 柏木慎一 宍戸貴義


2009/4/21/火 劇場(渋谷ユーロスペース/レイト)
市川監督の遺作。まさかそんな突然に別れが訪れようとは思ってもみなかった。
それがこんなささやかな、いとおしい、スターなど一切出ていない私的な作品だというのが、それが幕切れだというのが、なんだかやけに市川監督らしくて、泣けた。
ヒロインの女の子、見たことないなあと思っていたら、なんとCMスタッフなのだという。キャストまで本当に、私的な作品なんだ。でもとても市川監督が好みそうな女の子で、それにもグッときた。ああ、彼女が市川監督の最後のヒロインなんだなあ、って。

この日一本目に観た映画があまりにヒドかったので、本作で思いっきりホッとしてしまった。
そして、皮肉なことに、一本目があまりに酷かったために、それまで市川監督の画作りのセンスをちゃんと判っていなかったことに今更ながら思い至った。
そうか、市川作品が素敵なのは、そんな漠然と、温かいからとか、雰囲気がいいとか、そんなことの前に、もう画のセンスがいいからなのだ。そんなことに今まで気付かずにいたのか。
ヒロインのユキがお兄ちゃんの先輩と話すオープンカフェの場面、場面手前に置かれたぬくもりのある厚手の白い陶器のカップ越しに二人を眺める、その構図の完璧さにハッと息を飲んだ。
それはいささかベタな手法の方に入るのかもしれない。恐らく一場面、一場面が、市川監督のたぐい稀なる画作りの上手さによって、作劇などを思わせずに、するりとこの世界に入らせるんだよね。そのことに、今まで気づかずにいたなんて。

この不思議なタイトルが、一体どんな物語を紡ぐのだろうと思った。タイトルが指し示す場面は最後の最後、しかも引きのワンカットで、唐突に衝撃的に幕が切れる。その幕切れの仕方がまるで、突然いなくなってしまった市川監督を示しているようで胸が痛い。
ユキが初めて降り立った東京の街は、どんな風に見えたろう。市川監督はその生涯を、生まれ育った街、東京を描くことにこだわってきたけれど、一度だけそこから離れた。そう、「大阪物語」を撮った時だけ。市川監督が惚れこみ、映画女優として世の中に送り出した池脇千鶴のアイデンティティこそを大事に生かした作品でだけ、市川監督は東京を捨てた。

そして遺作である本作で東京に降り立つヒロイン、ユキは、大阪の女の子なんである。彼女が探すお兄ちゃんは勿論、お兄ちゃんの先輩も、お兄ちゃんの元カノのトモ子も、皆、この東京の空の下でも大阪なまりで話す。ユキはともかく、他の人たちは、東京の空気に飲み込まれまいとしているかのようでもある。
それを、東京を大事にしてきた市川監督は、殊更に皮肉にも描かず、さらりと描写する。しかも不思議なことに、彼らが違和感を感じているであろう、この冷たい大都会が、確かにそんな視線で切り取られているにも関わらず、やっぱりなんだかあたたかに感じるのだ。
普通なら頭痛がするような雑踏も、会話が聞こえないぐらいのざわめきも、まるでそこになくてはならないもののように、あたたかい。

キャストたちの会話に、群集のざわめきが当然のようにかぶさる。気をつけていなければ、その会話を聞き逃してしまいそうになるぐらい、終始ざわめきがかぶさり続ける。
それは思えば、東京の雑踏の中にいれば当然のことなんだけれど、それを映画でやってしまうことに驚いた。でもそれが、東京の落ち着きのなさを示すかと思えば、最初のうちはそんな風にも見えるんだけれど、それこそが東京の温かさに感じられてくるのが、市川監督の凄いところなのだ。うるさいほどのざわめきが、人の、街の、あたたかさに思えてくるところが。
市川監督はだからこそ東京が好きなんだろうし、それは、彼が今まで描いてきた静謐な東京じゃなくて、秋葉原や浅草や、という人が多く集まる都市においても同じことなのだということを示している。
そこまでくると、彼が新宿や渋谷や池袋を描いたらどうなるのだろうという興味もわくけれど……もはやその願いは叶わない。

ユキが探すお兄ちゃん、ヒサシは、5年前に突然失踪した。彼女とヒサシと、当時のヒサシの恋人(奥さん?)のトモ子と三人で暮らしていたところから、突然姿を消したんである。
そして、突然ユキの元にハガキが来た。住所は浅草の近く。これから訪ねてみようと思うんです、とユキは秋葉原の広告会社に勤めるお兄ちゃんの先輩、山口に言う。
果たして、ユキがハガキの住所を探した先は……なんと、橋のたもとのダンボールハウス群の中、つまりお兄ちゃんはホームレスになっていたんである。

かつては、山口がその才能に畏怖して自分の可能性を諦めるほどの、天才的な数学の才能の持ち主だった。でも天才は、その才能を上手く生かしてくれる人がいなければ世の中を渡っていけないのかもしれなくて……ヒサシはすっかり世捨て人になってしまっていたのだ。
ヒサシは、世の中に対する憤りを再三口にする。カネだけが価値になってしまったと嘆く。でも、彼がありついている弁当もペットボトルのお茶も、妹がお金を出して買ったものだと思うと何とも切なくなる。
ユキはただ呆然と、見るも無残な姿になったお兄ちゃんを眺めやる。「そんなこと、お兄ちゃんが言っても説得力ないよ」反論できるのはその程度。
ユキはお兄ちゃんをトモ子さんに会わせようと決心する。だって彼女のいる場所は、この場所のほんの目と鼻の先なのだ。

トモ子さんを探しに行く途中、ヒサシが「格差社会についてどう思うか」というテレビのインタビューにつかまる場面がある。
いかにもホームレス崩れのカッコをしていながら、どこかにインテリめいた風貌の彼なら、何かを答えてくれると思ったんだろう。確かにその通り、ヒサシは持論を展開するうちに、専門の理系の論理が頭をもたげてきてインタビュアーたちを混乱に陥れる。

そんな展開をユキは離れた場所から微笑みながら眺めている。彼女にとってはそんなお兄ちゃんが恥ずかしいというんじゃなくて、いかにもお兄ちゃんらしいな、という雰囲気が感じられるのよね。
そこが、この兄妹の雰囲気の素敵なところでさ。そういやあ、「東京兄妹」なんていう市川作品もあったし、市川監督の描く兄妹は、あたたかで、涙が出そうになるんだよなあ。
そして彼らを包む“東京”は、お兄ちゃんが言うとおり冷たい大都会の筈なんだけど、市川監督のセンスと東京への愛情を持って切り取られた風景はやっぱりどれもこれも、不思議な懐かしさとぬくもりでこのたった二人の兄妹を包んでくれるのだ。
この作品の中で、言葉では何も言わないけれど、その画だけで、東京はそんな言うほど冷たくないよ、と言っているみたいで。

元カノ、トモ子さんとの再会である。ヒサシよりちょっと年上めいた雰囲気の、ざっくりとした雰囲気のお姉さん。
浅草の通りにテーブルが張り出した、庶民的な飲み屋で合流する。それは、ユキが山口先輩と落ち合った秋葉原のオシャレなオープンカフェと、“オープン”の部分で見事に共通してるのが実に上手いんである。
5年前、突然姿を消した元カレと、またしても突然の再会。あの時必死に探し回ったトモ子には言いたいことは山ほどあって、でもヒサシはそれを、それこそ女の言いたがることだ、みたいに疎ましがって、男と女の埋まらない溝が避けようもなく横たわってしまうんである。

もう一度やり直したい、チャンスをくれないか、というヒサシにトモ子さんは、涙をたたえながら「遅すぎる。トゥー・レイトや」とつぶやく。気まずくなる雰囲気をユキが必死に取り戻そうとする。せっかく再会できたんだから、楽しく飲みましょうよ、みたいな。
普通の作劇なら、「トゥーレイト」と言った時点で、その場面はもう終わってしまうだろうけれど、そのまま続いてしまうところがやけにリアルで。
ヒサシが世の中にイラ立った主張をブチあげて、しかしイラだったせいだけじゃなくて、ホッケの身も満足にほぐせない、みたいなさ。そんな元カレをどこか慈悲の目で見つめながらトモ子は、しょうがないな、ホラやったげるから、って言うわけ。はたから見れば、ヨリを戻せばいいじゃんと思う二人なのだけれど……。

この場面はでも、女としてはやはり胸に迫るものを感じざるを得ない。突然姿を消して、5年後突然現われて、当時必死に探したこともうっとうしげに拒否されて、そしてヨリを戻そう、だなんて。
男にとっては過去のことなど、どうでもいいのだろう。今、自分との関係を築けるかどうかだけなのだろう。けれど……。
一見、過去にこだわっているのは女の方のように見えて、実はそうじゃない。当時精一杯の努力をしたからこそ、もう「トゥーレイト」な訳で、それをスルーしての未来はありえないのだ。

スーツを買う、シーンは、次の場面。トモ子さんとの別れ際、夜遅く開いている昔ながらの洋品店に目を止めたユキが、「お兄ちゃん、背広買えば。私、買ったげるよ」と兄をいざなう。
画面の奥で、そんな微笑ましい光景が展開されている一方、画面の手前、自転車を止めて二人を見守っているトモ子さんが、知り合いらしい男に声をかけられる。またあんたなの、しつこいよ、そんな短いやりとりがかわされ、本当に、何の前触れもなく、まるで自然の流れのように、トモ子さんが男に体当たりされた後、その場に崩れ落ちてしまう。
まるでそれは……事件でも何でもないように、会話の流れのように、衝撃も何もなく、画角もそのままに、なのだ。

事件なんて、いつでもこんなものなのかもしれない。だから、ユキもヒサシもややしばらく気付かない。「……トモ子さん?」ようやく異変に気付いたユキが、しかしどこかいぶかしげに近寄るまでにも時間がかかる。「お兄ちゃん!トモ子さんが……」と呼びかけ、彼が近寄るのも、やはりカメラは動かないまま。そしてそして、……そこでカットアウトなんである!

この幕切れはちょっとショックで……だって、だってさ、これが、やっぱり突然、冗談みたいに突然逝ってしまった市川監督の遺作だと思うとさ。
でも、本当に、まるで暗示したみたいに全てがつまっているのだ。彼がこだわり、愛し続けた東京、「ざわざわ下北沢」を思い出させる私的な作品作りへの希求、彼の世界観を変えた「大阪物語」、彼が愛したヒロインの要素を色濃く継承する女の子、静謐とざわめき、すべてがつまっているんだもの。

三人が飲み屋で、山口先輩がユキに託した手紙を読む場面が心に残った。
それはとても、長い長い手紙。トモ子さんは「ええ人やな」とぽつりとつぶやいて涙をぬぐった。
彼女から手渡されて、黙って手紙をまわし読む兄妹。それだけで、内容なんか言わなくても、伝わる。ストイックでありながら、なんというあたたかさなのだろう。

スタッフさんがね、当時の監督のことを述懐しているのが切なくてさ。「「DVD式のHDVカメラ」を鞄から取り出し、ハンディマイクの性能を力説する監督の表情は、新しいおもちゃを手に入れた子供のようで……」って。
そのカメラのクリアさは本当に素晴らしく、なのに彼のぬくもりが少しも失われていない。最新鋭の技術の先で不変のあたたかさを描き続けた監督があまりにも突然、逝ってしまったことが、哀しくて悔しくてならない。★★★★☆


白日夢
2009年 80分 日本 カラー
監督:愛染恭子 いまおかしんじ 脚本:井土紀州
撮影:田宮健彦 音楽:碇英記
出演:西条美咲 大坂俊介 小島可奈子 坂本真 福永ちな 姑山武司 渡会久美子 飯島大介 菅田俊 鳥肌実

2009/9/18/金 劇場(銀座シネパトス)
今回は監督の任についている愛染恭子主演の過去作品を観ていないのでどうしようかなとも思ったのだけれど、やはりいまおかしんじ監督が共同監督として名を連ねているのは見逃せなくて足を運ぶ。
の、前に、本棚から谷崎潤一郎全集の十三巻を引っ張り出した。
谷崎フリークを自認する私にとって、勿論卒論の際にも全作熟読した筈なのだが、どうも覚えていない。
と、読んでみてちょっと呆然。そりゃ、覚えていないのもムリはない……この一幕ものの戯曲はちょっと拍子抜けするほどの短さで、しかも、謎に包まれた部分はそのまま放置されたまま、何が起こっていたのか、彼らは何をしていたのか、何を見たのか、何を聞いたのか、何一つ明らかにされずにあっという間に終わってしまうんである。

しかしその一方で、鮮烈で印象的な場面が、その裏に隠された淫靡で猥雑で危険な想像を読者にたくましくさせる。
そういう意味で、確かにこれは、二次作品として作り出すのには、クリエイターが自分の才覚を試したくなるような、腕の鳴る、そんな題材なのだ。
巻末の解説で伊藤整が、これは舞台よりも映画向きではないか、と書き残していることはなかなかに感慨深いのだけれど、それはその鮮烈なイメージの傑出を指しているのであって、あまりにも残された謎の部分をクリエイターがいかようにも料理できる、という点ではない、のが意外な気さえする。
あの戯曲をそのままに映像化したら、そりゃあさぞかし前衛的な作品が出来上がるだろうが……(それも観てみたい気がする)、やはりエンタメを重んじる映画においては、いかにして物語にするか、が重要な訳で。

そういう意味では、これは愛染恭子氏はもとより、あの超個性派監督、いまおかしんじの演出よりも、イマジネーション豊かな井土紀州の脚本が最も大きな力を発揮した、んだろうなあ。
まあ、愛染氏がどの部分をどんな感じでどこまで演出したのか、あるいはどちらかが補佐的な立場だったのか(でも補佐役は、経験がないと出来ないよな……)いろいろと気になりはするけれども(カラミはどっちの演出なのか、やはり愛染氏の方かとか(爆))、やはりこの作品を決定付けたのは、空白の部分が多い原作を一つの物語に仕立て上げるために、彼自身の創作を注ぎ込んだ井土氏の脚本によるところが大きいことは間違いない。
まあ、ことによったらその脚本化においても、二人の監督の意見が入っているのかもしれないけど。

でもオープニングクレジットで井土氏の名前を見た時には少なからず驚いた。愛染氏よりも、いまおか監督よりも、彼の参加が最もスリリングに思えた。
だって私の勝手なイメージではね……井土氏って、エロな作風のイメージがないのよ。そういうものにも関わっていながらも、なんか乾いた、砂漠のような、哲学的な、現実の喧騒や猥雑が全く入らないような、そんな孤高のイメージ。猥雑の代表のような谷崎(いやいや!そこが好きなのよ!)のイメージとは違ってた……だからこそか、空白を埋めるその部分が、意外な気がしたのが。

原作を読むとね、やっぱり知りたくなるのは、歯科医院で気を失った令嬢が連れ込まれた奥で、何が起こっていたか、なんだよね。
その結果、彼女に何がしかを施したであろうドクトルと堕落への道に進んでしまう。美しい彼女にホレて、助けようと手を差し伸べた青年に対して「私はもう、堕落しているんですもの」と、もはやワナにかかった小鳥のようなか弱さなのだ。
勿論、そのか弱さ、清楚さのウラには、彼女をそこまでにしてしまった淫靡なエロ世界があるハズなのだが、それをまったく見せないまま、原作は青年が彼女を殺して、終わってしまう。

でね、私だけかもしれないけど……彼女がそこまで骨抜きにされてしまう手練手管、恐らくは魔術的、退廃的、もしかしたら暴力的、もっともしかしたら猟奇的……な“密室の秘密”を期待していた訳なのよ。
うーむうーむ、ひょっとしたらホントにそれを期待していたのは私だけ?あるいはそれこそ俗な期待の仕方?
でも確かに、ホントにその“空白”を埋めていたら、メッチャ陳腐な映画になったかも……しれない……谷崎の大いなるワナだったかもしれない。
まあつまり、私は歯科医院、歯科医師、あるいはそこの看護婦さんといった、冷たさ、無機質さに、そういうSM的なプレイを期待していた訳なんだよね(爆)。
だって歯科医院っていかにもじゃん。それっぽい道具にもこと欠かないし、歯科衛生士の女の子って若くてカワイくて、ぷよぷよした二の腕が間近に見られてサイコーだし(爆爆。……それが理由で私は歯医者が大好きかも……)。

しかし、井土氏が注目したのは、ひょっとしたら悪魔的なコトをしていたドクトルではなくて、深窓の令嬢に恋した青年の方だった。
映画では、令嬢ではなく、そこに勤務している歯科衛生士になっているけれども、確かに……映画の物語を成立させるためには、誰か一人の一本通した気持ちが必要であって、それには青年がうってつけなんだよね。
本作においての青年は、警察官となって登場する。警察官というか、まあ地域のおまわりさんである。
何事も起こらない様な、ヒマな住宅街のおまわりさん。交番に詰めて、アクビをかみ殺しているような毎日。しかし一本の電話が彼の人生を狂わせた。
ていうか、冒頭で、既に扇情的な場面が提示されている。血まみれの彼が息も絶え絶えでうつろな瞳で、こちらをぼんやりと見つめている。
そしてこの場面はラストにもう一度繰り返され、その時にはすべてが提示されているのだ。
いや、提示された、のだろうか。彼が見ていたどこからが現実で、どこからが“白日夢”だったのか……。

主人公の警官、倉橋を演じる大坂俊介は、もう最初っから目の下にクマ作っているような状態で、もうちょっと展開に合わせてやつれていった方が良かったんじゃないの、という気もしたりして。
まあそれだけ、“なんか憑かれちゃってる”雰囲気は最初っから満点で、全編を通して鬼気迫る雰囲気は溢れてる。
一本の電話、それは空き巣に入られたという若い女性からの通報だった。駆けつけてみると、彼女、千枝子はアルバムが盗まれたのだと言った。
その時から既に倉橋にはエロティックなフラッシュバックが繰り返し起こっていた。後に倉橋が受診した歯科医院に勤務する彼女と再会し、その時にはもっと異様なフラッシュバック=白日夢が彼を襲う。
もはやこのあたりで既に、観客にも現実と夢の区別がつかなくなり、そして物語が展開していくにしたがって、“夢”だった筈がどんどん現実化していく。そう、まさに、引き返しようのない地獄の結末に向かって。

倉橋が飛び降り自殺の現場に駆けつけるシーンが前半にある。グチャリとした脳みそが飛び出した、凄惨な現場。そこにいかにもタカビーでハデな女が「車を出したいんだけど!」とイチャモンをつけてくる。
このハデな女、さゆりは、後に千枝子の働く歯科医院の医師、日高の妻であり、この日高と千枝子が不倫関係にあることが明らかになる。
それどころか千枝子はさゆりと学生時代親友であり……日高を取り合って仲がおかしくなったというイワクつき。
しかもさゆりは千枝子だと最初気付かなかった……千枝子は日高を忘れられないために整形し、名前も変えて彼に近づいたのだ。
そして、前半で気を引きながらも、スリリングな展開で忘れかけていたこの飛び降り自殺の女。最後の最後、すっかりオカしくなってしまった倉橋が、フラッシュバックを何度も繰り返すうちに再び辿り着いたのが……。

千枝子を演じる西条美咲は、大坂俊介と両主演の趣で、大胆なシーンもこなす。小柄でカワイイ女の子だけれど……どうも、声のアニメっぽさが気に入らない、とか思うのは、単に好みの関係だろうな。
彼女のかつての親友役、小島可奈子は絶妙のエロ加減を見せる。しかし彼女が西条美咲と同級っていうのは多少のムリがあるような?ていうか小島可奈子に本格的エロ場面が振られなかったのはかなり意外だったが……。

彼女たち二人が取り合う医師、日高を演じるのが鳥肌実っていうのが予想外のキャスティング。それこそ原作から言えば、クールな魅力で女をとりこにするような、ってなイメージだからさあ。
まあ確かにクールといえばクールだが……ていうか彼、ちょっと太ったよね?カラミシーンの妙に生々しい腰の動きが逆に笑えるっていうのはどうなの(笑)。
でも言ってみれば、彼の登場場面は妙にホッと出来たかもなあ……。それって、ねえ。おかしいのに。

倉橋が妄想する中でも最も印象的だったのは、千枝子と二人、さゆりを殺めて、海岸で死体を燃やし、その炎の前で一糸まとわぬ姿でひとつになる場面だった。
この妄想はデジャヴよろしく、後に実際、さゆりを二人で殺した後に再現される……かと思いきや、倉橋の妄想では殺して車のトランクに入れた後、妙に熱っぽくなった千枝子が彼の唇を求めて抱きつき、扇情的に熱烈に抱き合うのだけれど、勿論現実に殺しが起こればそんなことがある訳もない。
そして勿論海岸で死体を燃やすなんて非現実的なことを彼女が了承する訳もなくて、奥多摩の山の中に死体を埋めることになるのね。

その現実の一方で、予言的に倉橋が妄想していた海岸の場面の美しかったこと。
炎の前の抱擁(セックス)は神々しいほどに美しい、のは勿論一番なんだけど、死体を燃やしたその炎が、小船に乗って漆黒の海の中腹に揺らいでいるのね。
まるでそのままゆっくり流れていって……神様に召されるみたいに。まるで神様の前の神事みたいに。
そんな具合に、倉橋が妄想する彼女はエロというよりは神聖な感じで、でも実際の彼女はそうじゃなくて、男を奪い返すために整形までしちゃう女であって……後半はそんな妄想と現実のギャップが悲劇を生んでいく。

でもね、そのギャップ、倉橋の見る“現実”さえ、本当の現実かどうかさだかじゃないのよ。だってこの頃には倉橋はスッカリおかしくなっちゃってるんだもの。
原作のラスト、青年は恋した令嬢を殺す。それは「彼女が自分を騙したから」であり、「この女は淫婦だ!」と連呼するのね。ひょっとしたら本作は、そこにこそ着目した上での物語作りだったんじゃないだろうか。
倉橋は千枝子が純粋な女の子だと信じてた。確かに外見はまさしくそんな感じ。どんなに危険な妄想を見ても、基本的にはその気持ちは揺るがなかったんだろうと思う。
さゆりの死体を埋め、ほとぼりが冷めるまで会わずにいましょう、半年後、あなたと結婚するわ、という言葉を倉橋はすんなり信じてしまった。

いや、すんなり、ではやはり、なかったのかもしれない。同じ交番詰めの後輩も心配するほどに、倉橋の憔悴は日を追うごとに急速にひどくなった。そして……彼が最後に見たのは、現実だったのだろうか、妄想だったのだろうか。
確かに、いわばジャマモノを消し去った千枝子が、不倫していた医師と元のサヤに戻ることは充分に考えられることだ。
だけど、倉橋の後輩までもが、淫売に引っかかったがごとく、彼女の上で腰を動かしているのは……?
倉橋はフラフラと交番に戻り、留守番をしていた後輩に拳銃を発射した。驚愕して表に飛び出し、許しをこうた彼が口にした台詞がちょっと聞き取れなくて、ただハッキリ彼は最初「すいません」と謝っていた。それは……。

そして倉橋は、愛する千枝子の元に向かう。いや、千枝子ではない。千枝子は整形して名前を変えたいわば存在しない彼女。
本当の名前はチヒロ。そこがネックだったのかもしれない。つまり倉橋が恋していたのは、この世に存在しない彼女……。
ずっと前から用意していた指輪を差し出しても、彼女は戸惑うばかりだった。もう疲れ果てた彼に選択の余地はなかった。
彼女に弾丸を撃ち込んだ。夥しい血で真っ赤になった彼女に泣き崩れ、その左手の薬指に指輪をはめ、なぜか上着を脱いで(より直に彼女を感じたかったのだろうか……)彼女を泣きながら抱きしめる。
そして、拳銃を口にくわえて発射、愛する彼女の上に倒れこんで息絶えた。

そして先述のように繰り返される画。飛び降り自殺の女は、高飛車な態度で現場から車で立ち去ったさゆりであり、そして冒頭で既に示された画、息絶えた筈の倉橋が、今にも消えそうな息をつなぎながら目線をくれている。その先には……。
千枝子、いや、チヒロだ……。
スッピンでやぼったいけれど、でもずっとずっとこっちの方が好き。
チヒロのままでいたら、彼女に幸せが訪れたかもしれないのに……。

倉橋を演じた大坂君が元ジャニーズJr.という経歴というのが一番スリリングかも(爆)。
いやー……ジャニーズがジャニーズとして生き残るのはほんのひとかけらだからなあ、そこから外れた男の子が同じ芸事の世界でどう足跡を残していくのかに、大いに期待したいところ。

ところでね、これっていわゆる成人映画として作られてはいないから、カラミはめっちゃソフトだったんだよね。そのせいか、途中退場するオジサマ続出。さすがシネパトス(爆)。 ★★★☆☆


裸の銃弾
1969年 72分 モノクロ(一部カラー)
監督:若松孝二 脚本:出口出
撮影:伊東英男 音楽:音楽集団迷宮世界
出演:林美樹 芦川絵里 真鍋由紀子 みの海広美 港雄一 吉澤健 暁丈二 谷川俊之 木俣堯喬 芹澤正 司四郎 城宏

2009/10/26/月 劇場(銀座シネパトス/若松孝二監督特集)
画面に現われたタイトルが違うのでアレッと思ったら、やはりこの「裸の銃弾」ではデータベースに引っかかってこなかった。DVDの方では出てきたから、ソフト化された時のパッケージタイトルとして付け直されたのだろうか?
と、いうわけでホントのタイトルは「やわ肌無宿 男殺し女殺し」いかにも成人映画としてのソレのようで、だから後にタイトルが付け直されたのかとも思いきや、内容は言うほどピンクっぽくないんである。
というよりも、思いっきりハードボイルド。ちょっと、ビックリした。だって結構様々な作品を撮ってはいても、どの作品にも、学生運動とか、社会犯罪への怒りとか、そういう“若松印”が必ずあったんだもの。
なのに本作には驚くほどそれが……ないんだよね。なんだかチョウ・ユンファの映画でも観ているみたいな趣。思いっきり殺し屋で、サングラスで、拳銃をスタイリッシュにぶっ放す、みたいな。
そこに絡んでくる女もまたしたたかで、猫のようにしなやかで、女の武器を惜しげもなく使って、最後まで男に噛み付きまくる、みたいな。そして最後には皆見事に斃れてしまう……みたいな。

唯一、若松作品っぽいなと思ったのは、効果的に使われるパートカラー。
まず入りは、これから大仕事を成し遂げようとする男が、嵐の前の静けさの中、のどかな森の中の一軒家の前に椅子を出し、ゆっくりと新聞なんぞを呼んでいる場面。ここはモノクロである。
というか、ほぼ全編モノクロなんだけれど、彼が過去を回想する時にカラーになるんである。
つまり彼が若い頃、無鉄砲だった頃である。その意味ではギラギラした生命力があったとも言え、今のモノクロの彼は、既に死に向かっているとも言える。
いつも思うけれど、もう当然カラー時代に突入してしばらく経っていて、映画を撮るならカラーが当然という時代に、まるで逆行するかのように、いや、反抗するかのようにモノクロを使い続けているんだよね。
で、その中に刹那的なパートカラーを入れてくる。それが観客の心にキリリと小さな穴をあける。その穴が見続けているうちにどんどん大きくなってくるのだ。

彼が読んでいるのは、新聞の中のお尋ね広告である。父危篤とか、もう心配ないから早く帰って来いとか、つまりは行方知れずになっている放蕩息子or娘に当てた広告。
しかしこれに、彼はかつて騙された。というか、連れの女が騙されてしまった。いや、騙されたというか、ほだされた。
彼はヤクザの親分の女とねんごろになってしまって、駆け落ちよろしく彼女を連れて逃げ出したのだが、あっという間ににっちもさっちも行かなくなってしまった。
ちなみに、この追いつめられている逃亡シーンはモノクロなんだけど、とっ捕まって、拷問を受けるトコになってカラーになるんである。

女は両手を縛られて吊り上げられてひん剥かれ、陵辱されんとするところに、彼は必死に、悪いのは自分だから許してくれ、と請う。
ニヤリと笑った親分以下幹部たちは、ならばお前がヤッてみせろ。面白かったら許してやる、と、最初から許す気なぞないくせに無体なことを言う。
女からも叱咤され、全てを脱ぎ捨てて女の上にかぶさるものの……そんな状態で勃津訳もなく、結局彼は指を詰めさせられるハメになった。
醜態をさらさず、自分で出来らあ!とズブリと匕首を沈めたのが、せめてもの救いだった……というか、彼の青臭いだけではない根性を、既にここで示していたのかもしれない。

で、何年後になるのかは知らないけれど……「ハジキひとつまともに扱えないで、ナマイキなことするんじゃねえ」と投げつけられた言葉をいつまでも覚えていた彼は……つまりは案外マジメなヤツだったのかもしれない。
誰にも負けないだけのワザを身につけた一流の殺し屋となって、かつての組に復讐を企てるんである。

なんかね、メインがそんなスタイリッシュな殺し屋モノなもんだから、彼が回想する湿っぽい、ベタベタのヤクザ物語が、すんごい対照的に際立っているんだよね。
ワカゾーのチンピラだった彼と、今や凄腕の殺し屋になった彼は確かに同じ人物なんだけど、カラーとモノクロを上手く使い分けて、ファッションも全然違うのも手伝って、ホントに別人みたいに感じるのよ……。
ていうか、登場する場面の雰囲気も違ってるから……まるで別の映画がその中に共存しているみたいだからさ。同じ東映でも健さんの任侠と宍戸錠のアクションが共存しているみたいなさ、不思議さがあるんだよなあ。

で、立派に一人前になった彼が狙ったのは、麻薬の5千万円の取り引きの場面。その麻薬と引き換えのカネも併せて頂戴しようっていう寸法なんである。
行動を共にする二人の男も凄腕で、まんまと獲物を頂くものの、その麻薬をチロリと味見するとニセモノだと判り、それを運んできた女を拘束して、他は全員殺してしまうんである。
この女というのが、彼が指を詰めさせられた親分の今の女であり、彼女は親分の非情さを知っているから、自分を帰すように執拗に懇願するのだけれど……。
「とんでもない化け猫だぜ」という仲間たちの洞察力は果たしてその通りで、恐らくこの女は、運ばされただけなんていうのはウソで、自分自身の意思でこの茶番を仕掛けたに違いないんである。

そのあたりが、その無鉄砲さが、どこか彼の若い頃を思い出させたのかもしれない……。なんか彼は最後まで、彼女に対して非情になりきれないんだよね。
相手が動き出すまで彼女を自分たちのアジトに監禁する。人を沢山殺してきた後に、鳥の丸焼き(ホントに、クリスマスの七面鳥みたいなヤツ!)にかぶりつく男三人に、よく食べられるわね、と彼女は顔をしかめる。
別に食うことを楽しんでいるわけじゃねェ。生きるために食ってるんだ、と言う彼らに、彼女はハッと突かれた様な顔をする。
彼女がある覚悟をもってこんなバクチを仕掛けたことを匂わせる。あの頃と同じように「全ては片付いた。安心して帰って来い」という明らかにワナの広告が出されていることが、いかに彼女がヤバいことをしでかしちまったことを語ってあまりあるのだ。
“安心して帰ってきて”その後に待っているのは拷問とそして……死なんである。

しかもこともあろうに、このファムファタルに、彼の仲間の一人、いかにも鈍重そうなノッポ君があっさり陥落されちまうんである。
組に電話しようとした彼女を咎めたノッポ君にとっさに「寂しくて、気が狂いそうだわ」などとベタな色目を使って誘い出す。
いざ挿入、という段に至って彼女は、無造作に置かれたままのノッポ君の拳銃を突きつけて脅すんである。
その間に主人公の彼が帰ってきて、実はお前を試すためだったんだとか言うけれども、それってホントかなあ?なんかすこぶる説得力がないんですけれど……。
しかもその後、仲間二人を裏切って彼はこの女を連れてカネを持って逃亡し、敵がヤクザのみならず、この仲間達まで加わることになって、いよいよ刹那な結末に向かっている感がアリアリだしなあ。

彼は、この女に何を見ていたんだろうか。かつて一緒に逃げようとした恋人のことだろうか。
実はね、彼はそのかつての女に再会するんだよね。夜の女となっていた彼女は……明らかに腕に注射の跡が生々しく残っていて、すっかりシャブ中になっているのは明らかだった。
叶う筈のない幸福を求めて逃避行した彼らが行き着いたのは、結局は滅亡への道しかなかったのだ。彼女を救うために指を詰めたのに、結局彼女はあの時以上の地獄の目を見ている。クスリを請う彼女に、彼は何をすることも出来なかった。
もうこの時に、彼は、何があっても、何が起こっても、もう自分の行く末は決めていたのかなあ……。

なんかね、ノンビリ温泉なんかに泊まっちゃってね、このあたりの展開は成人モノのサービスてなところなのかなあ。
しかし女は、仲間達を裏切ってまで山分けを持ちかけた彼にも、容易にクスリを隠した在処を吐かないし、その間に敵は三々五々追って来るしで……ついに、追いつめられてしまう。
この女がさ、殺されそうになってもウソを言ってさ、更に小麦粉を詰めたニセモノを仕込んでたりと、まー、一筋縄ではいかない女なのよ。
で、彼女を助けようとした彼が、しかし返り討ちに遭い、一人逃げようとした彼女に、隠し持っていた銃弾で、まずかつての仲間に一発、そして、まんまとアタッシュケースを持って逃げ出そうとした彼女に一発……。彼女は神社の長い階段を転がり落ちる。

そこでラスト。最後まで若松風を感じることなく、最後までジョン・ウー的だったなあ。でもそれはそれで、カッコ良かったんだけれども、でもかなり、ビックリ。

過去の女も今の女も、なぜか見事にワキ毛そのまんまなのがミョーに気になってしまった(爆)。 ★★★☆☆


初恋 夏の記憶
2008年 105分 日本 カラー
監督:野伏翔 脚本:宇治田隆史
撮影:渡辺厚人 音楽:小坂明子
出演:多岐川華子 山田健太 石黒賢 麻生祐未 竜雷太 島かおり 石村とも子 和田幸奈

2009/4/5/日 劇場(渋谷シアターTSUTAYA/モーニング)
そういえば私、この高名な原作、読んだことないんだわ、と思って読む気になぞなったのは、やはりどこか本作にムズがゆい思いを抱いてしまったからかもしれない。
なんとなく断片的には知っていた原作の本来のイメージと、やはり大きく違えていて、というよりは、本作が掘り下げきれていなかったのかもしれない。
いや、そりゃー、舞台も国も年代も何もかもが違うんだから、原作のイメージ云々、などと言い出すこと自体、ナンセンスなのは判っているんだけれど。

ただ、改めて原作読了後に思ってしまった……ヒロインがね、やっぱり弱かったのかな、と思って。多岐川裕美の娘さんである彼女は、なるほどさすがにキレイな顔立ちで、唖然とするほどスラリと細くて長い手足で、きめの細かい肌で、パッと見れば、ウブな男の子を手玉に取るような女の子に見えなくはないのよ。
でもね、やっぱり……ジナイーダには彼女はなれないんだなあ……この役には新鮮さだけを求めちゃやっぱりキビしいと思う。
潰れた発音も気になってしまって(美少女は、声や発声もコミなのだ)、この子にひれ伏すのは難しいかなあ……と思い続けてしまった。
原作を読んだ後には特に、彼女の替わりに頭に浮かんだのは、沢尻エリカで、彼女だったらこの、毒と清新さを行き来する生き急いだ奔放な娘を完璧に演じるだろうなと思った。

でもまあ、だからさ、本作はジナイーダのキャラじゃないってことなんだよね。
実際、原作では何人もの男、しかも大人の男に囲まれていたヒロインだけど、本作では、とりまきは主人公の少年をふくめて3人ってとこでなんだもん。
ことに原作で印象的な、少年が初めてヒロインの家を訪ねる場面で、まさに彼女はパトロンを何人もはべらせていたのに、本作では狭い日本的子供部屋に、窮屈に二人の少年と一人の少女が窮屈に顔をつき合わせているだけ。
しかもその二人の少年は彼女の前ではオドオドするばかりで、何の発展もないんだもん。お医者さんごっこなんてほのめかしはするけど、実際はなーんにもないし。
これじゃあ、彼女が小悪魔で、男をホンロウしているだなんてキャラじゃないもんなあ。

まあ、そのあたりは充分承知の上で作っているんだろうとは思うんだけど……。だって、相手が山田健太君なんだもんね。
でもさ、彼をようやく「バッテリー」以来で見られたのは嬉しいんだけど、でも、あの「バッテリー」では光り輝いていた彼が、ここでは正直魅力を発揮出来ていたようには思えないんだよなあ。
彼もまた一見ね、ウブで恋など知らなくて、ちょっと年上の女の子にチョッカイ出されてドキドキして言いなりになってしまう、っていうキャラに、確かに一見、ピタリときそうなのよ。“純朴”っていう点においては、彼の右に出る者はいないと思うもん。

ただ……彼の“純朴”は“運動会系”という、言ってしまえば単純な、だからこそ純粋なまっすぐさにこそあるわけでさあ。勿論、それは精神的純朴さにつながるものではあるけれど、ただやっぱり、小悪魔年上美少女にモンモンとするには、どちらかというと……文学少年の方だと思われるんだよね。
ま、それも原作を読んだからそう思っちゃったのかもしれないけど、でも見ている時の違和感は、案外そのあたりにあったんじゃないかとも思ったのだ。
悩んだ時にはウワーッ!と走ってナヤミを振り払うような骨太運動少年が、本作ではそう、まるで文学少年を演じようとしているんだもん。
戸惑い顔や、悩み顔ばかりをつくろって、一度もあのヒマワリみたいな笑顔を見せないなんて、彼を起用した意味がないよ。彼女のような女の子は、彼のような少年の笑顔にこそハッとしてほしかったんだなあ。

原作と最も違うと思われたのは、もっと根本的な部分だったかもしれない。
「はつ恋」のセンセーショナルは、なんといっても少年の恋した高慢ちきな少女が、唯一心を許し、身体までも許してしまった“本物の大人の男”が、彼の父親だったという点にある。
まあ、エンコウなんて言葉さえ古びてしまった現代ならば、そんな要素さえ既にセンセーショナルではないのかもしれないけれど、ただ本作が、その最も重要な点において、一番ぼやけさせてしまったのが、一番の問題であったように思った。

原作で何より重要なのは、この父親が少年に対しては絶対的畏怖の存在だってことなんだよね。
少年は父親が自分が恋する少女と関係を持ったと知ってショックを受けても、父親に対しては不思議な尊敬を感じる、というあたりが実に象徴している。
そりゃね、現代の日本に置き換えたら、もうその時点で現実味がなくなるってのは判る。でもせめて、“尊敬を感じる”部分だけ排除して作ったって良かったような気がする。
この父親が、身体の弱い妻に対しても、難しい年頃の息子に対してもやたらと理解のある、いい夫でいい父親であるというのが、どうにも生ぬるいんだもん。

まあ、その生ぬるさゆえ、父親は自身に欲求不満を抱えて、彼のキャラからはありえない、少女との禁断の恋に身をやつしてしまったのかもしれないけどさ。
でもそうにしたって、その掘り下げも甘いんだよね。彼はただ、ちょっとハンサムな大人の男に過ぎない。彼が踏み外した要因が、アイマイなのだ。
そりゃね、観客側が親切に推測してあげることは出来る。奥さんは身体が弱いし、息子の気持ちは判らないし、第二の人生をスタートさせた、ペンションとは名ばかりの民宿は、奥さんの実家にカネを出してもらっているという負い目もあるし。
でもそれは、淡々と提示されている要素ってだけで、そのことで彼が苦悩しているってことは、描写としては弱いんだよね……せいぜい、喘息もちの奥さんの前ではタバコを我慢することぐらいで。

つまりね、全ての人をイイ人にしちゃうのがズルいっていうか……「はつ恋」は、少年少女の物語。大人は悪役になっていいと思う。
実際オリジナルは、少年の母親も少女の母親も、ヒステリックだったり変わり者だったりして、彼らの手には負えなかった。
でも本作ではどちらかというと、大人はツライよ、というのを前面に出している風で……大人は誰もが悪者じゃなくて、ただただ悩んでいる、同情すべきキャラなんだよね。
まあ、原作が、少年の視点で描かれている(とはいっても、大人になってからの回想だからなあ……)からそうなるんだけど、でもそうしちゃうとさ、やっぱり弱まってしまうというか……。じゃあどっちに肩入れするの、みたいな感じになっちゃうからなあ。

本作で少女の母親は、継母であり、しかも憂いを含んだ(というのは、少女が反抗しまくるからなんだけど)美女なもんで、観ているこっちも、そして少年の母親も、この未亡人とこそウワキしているに違いない、と思う。
そう思い込んだ妻に対して、いや、そのお嬢さんとだ、なんて言える筈もなく……父親は、あの人からはお嬢さんの相談を受けて確かに誘われたけれども、何もなかった、と弁明するのね。
それを聞いて少年は、父親が少女と一緒のところを見ていたから、そしてその少女の口から、「あの人はちゃんと応えてくれた。どういう意味か判る?」と決定的なことを言われていたから、そんなのウソだ、と叫んで飛び出してしまうんである。

ただね……この部分は小説も本作も共通していることだと思うんだけど、そのナマな証拠の場面が出てくる訳でもないし、結局は断片的な場面のチラ見と、本人の弁明に過ぎなくてね、とりようによっちゃ、本当に二人の間には何もなかった、ただ、少女が大人の男である少年の父親にのぼせあがってしまっただけ、とも取れる気がして。
まあそれは、本作に関して言えばただ単に、ナマな描写を避けたゆえの生ぬるさなだけかもしれないけど。
でも確かに、そういう部分にこそ物足りなさを感じるのかもしれない。いや、何もセックスシーンを見せろってんじゃないのよ。でも、「判るよね?」ひと言で終わらせられてもっていうか……せめてベッドに倒れこむ1カットでもさ……でもそれも、ベタで無粋かなあ。

まあつまり、ハッキリしない訳さ。これが小説の父親のように、ちょっとサディスティックを思わせるキャラならば、ツンデレの妄想も楽しいけど、本作の父親は、なんかあまりにもありがちな、妻にも妻の両親にも、難しい年頃の息子にも気を使ってるんですヨ、みたいな弱々しさなんだもん。

クライマックスは、少女と彼女の義母がもうにっちもさっちもいかなくなって、思い出の家を明け渡さなくてはいけなくなってから。
彼女はこの家を離れたくなくて、義母は勝手なことばかりするとしか思えないし、でも自分の力じゃどうすることも出来なくって、思いあまって少年の父親との関係を暴露する無記名の手紙を送ってくる訳よ。
で、夫婦喧嘩が勃発して、少年は家を飛び出す。少女は父親を待っている。来てくれなかったら海に飛び込んで死ぬと。
父親は無論、くるはずもなくって、少年は少女を心配して追いかけて、道端に止めてあったトラックを盗んでフラフラ運転して、海にたどり着くのだ。

山あいの避暑地、みたいな雰囲気がずっと続いていたから、この場面がクライマックスにあってこその、作劇だったのかもしれない。
「来ちゃったね、海に来ちゃったね」という少女の、それまでのクールさとは程遠いはしゃいだ声音は、その後、いつまでも少年の耳にこだまするのだ。
そして、次に少年が少女の消息を聞いた時……その時彼女は既に、この世の人ではないのだ。

原作を未読だった時点でも、彼女が彼の知らないところで死んでしまうであろうことは、なんとなく推測がついた。その点で、原作の最も大事な部分をちゃんと継承していたのかもしれないとも思う。
その時、もう少年は、少女を忘れたかのごとき、お気楽な高校生活を送っている。
少女の部屋に初めて招かれた時同席していた医者の息子に再会し、「その学校なら、自由にやれるよな」と蔑むように言われた時も、少年はなんと言い返すことも出来なかった。そして突然知らされるのだ。少女の死を。

少年が高校で付き合いだした女の子は、あの少女と正反対の、明るくて生気に満ち溢れたコだった。少女のことを気になって軽く問い詰めたりもしたけど、それでふくれたりしない、イイ子。
きっとあの人は笑って死んだのだと、少年は医者の息子に言った。そして、カノジョにも、あの人が好きだったと、笑って言った。
これはまさに、健太君がキャスティングされた妙、だよなあ。

結局これって、少年の苦悩というより、お父さんの苦悩、家族の難しさの方を重視していたように思う。そう思って観ていればよかったのかも。★★☆☆☆


花ゲリラ
2008年 93分 日本 カラー
監督:川野浩司 脚本:池田眞美子
撮影:今泉尚亮 音楽:佐橋俊彦
出演:小西遼生 伴杏里 永山たかし 馬場徹 宮野真守 未來貴子 アンナ・リー 安藤成子 なかみつせいじ 森澤早苗 大河内浩

2009/1/30/金 劇場(池袋シネマサンシャイン)
この監督さんの作品は初見。デビュー作は知らなかった。吉井怜、今宿麻美がレズビアンを演じたとは観てみたかったなあ。
しかし本作は、なんというか全てにおいてどうにも微妙で、どう書いていいか判らないというか。アイディアは結構イイと思ったんだけど、動機とか展開とか感情の流れとか、薄いというかツメが甘いというか……って感じ。
主演の一人の伴杏里嬢、うーん、彼女は何作か観てると思うけど、こんなにイマイチな演技するコだったっけか、などと思ってしまう。いや、それは彼女のせいではなく、やはり台詞、脚本が弱いような気がしちゃうのよね。彼女の行動、気持ちの変化が、脚本の段階で土台が出来てない気がしちゃって。それじゃ演者もその台詞に気持ちを入れるのは難しいんじゃないかって。

そう、アイディア自体は結構イイと思った。ま、だからこそ足を運んだんだけど。この花ゲリラっていうのは、実際に通用する言葉らしい。つまりはゲリラという真逆な言葉を使って、平和的行動をより印象的にアピールするということと思われる。
花の種をこっそり撒く行動、花ゲリラ。それが花開いた時、思いがけないところに咲いた花に人々は癒されたり、優しい気持ちになったり。
実際、劇中でも様々な人が可憐な花に癒される場面がクライマックスに用意されていて、両主演のカップルの気持ちも急速に近づく、のだけど、その場面までにこちらの気持ちがどーにもノラないもんだから、人々が癒されている表情も、どーにもとってつけたように感じてしまって感情移入できないのよね。

花ゲリラ活動を行っているのは、自宅の室内に大量の植物を育てている、まあなんつーか植物オタクみたいな、柳生真吾をあがめていそうな(?)ユウスケ(小西遼生)という青年である。日中は引きこもり、夜になると“寂しい場所”を見つけてはキンケイギクの種を撒いて歩いている。
この“寂しい場所”というのは、後に彼と一緒に種撒きに同道する映子の問いに対する答えで、線路沿いや、人通りの少ない道の際や、時には打ち捨てられたプランターの中などに撒いて歩く。
ここにこそ、彼自身の“打ち捨てられた”思いがあるんだろうと思うんだけど、この重要な台詞を特に掘り下げることもないもんだから、彼のそんな寂しさに共感させてももらえないままスルーされてしまう。

……という具合に、なんか、うーん……メリハリが効いてないって言えばいいのかなあ、後から思えば結構キメ台詞はあるんだけど、それが生かされてない気がするんだよね。
それに、彼は一体何をして生活の糧を得ているのかも判らない。映子が彼に、日中は何をしているのかと問う場面もあるけど、明確な答えは得られない。普通にコンビニにも買い物に出るし、ぐらいにしか。映子だって観客と同じように彼の生活の糧を聞きたかったに違いないのに、あっさりスルーしてしまうんだよね……ツメが甘いと思うのはこういうところでさ。
で、実際彼は、本当にどうやって生活しているの?結構ゴーカなマンションに住んでるんだもん。そんで日中は何もしてなくて、夜になると起き出して種撒いて歩いてるって、ドラキュラかよ!ファンタジーにしてもツメが甘いよなあ……。

だって一方の映子は、ちゃんと生活の糧は得ているんだもん。ま、彼女はその単調な仕事の繰り返しにウンザリして、しかも元カレとの関係にもウンザリしてて、偶然行き遭ったユウスケと花ゲリラを始めるんだけどさ……。
彼女の仕事は印刷会社の校正。定時キッチリに終わりはするけれど、その間ずっとパソコンに向かい続け、同僚と話す機会もない。定時になると引き継ぎの人がやってきて、ろくに顔を合わせずに、では後よろしく、と場所を譲るだけ。
確かにこんな仕事じゃウンザリするだろうと思うし、定時の後も引き継ぎの人がいるってことは、自分だけの場所さえないってことで……それって結構キツイ、と思う。仕事は、どんな仕事でもウンザリする部分ってあると思うけど、それでも、特にデスクワークだと、自分だけの場所があるってことは拠り所となる重要ポイントだと思うんだよね。彼女にはそれすらないっていうのが、凄くキツイ気がしたのだ。

ただ……映子は確かにこの仕事にウンザリはしてたけど、それを見直すキッカケというかポイントが、え?って感じで、納得出来ないというか……全然グッとこなかったんだよね。
彼女曰く、毎日同じことの繰り返しだと思ってたけど、ユウスケに出会ってから、そうじゃないと気付いた。校正の仕事に対してもそうだと言っていたけど、正直そこまでの劇的な変化は感じられなかったなあ……。
しかもそれ以降、映子の仕事に対する態度が変わったという感じもないしさ。せいぜいデータを置きに来たスタッフにありがとうございます、と言うぐらいで。で、それぐらいでそのスタッフがほお、という笑顔を見せるのも、そ、それほどのことか?と思っちゃう。だって相変わらず彼女は仕事場の中で人間関係を構築しているわけじゃないんだもん。

二人が出会ったのは、線路脇に種を撒いているユウスケが鉄道警察員に見咎められたのを映子が見ていたのがキッカケだった。彼女は仕事にも元カレの軽い誘いにもウンザリしていた時で、次にユウスケに会った時、同じように線路脇で何かをしている姿に、思わず声をかけたのだ。
花の種を撒いているんだというユウスケに、強い興味を持った。自分も仲間に入れてくれと頼み込んだ。そうでなければ人に言う、と脅して……。鉄道警察員には追いかけられたけど、突きつめれば別に犯罪を犯している訳ではない。彼が彼女の脅しに付き合う理由はなかったんだけど、その後二人は共に夜の街を、種を撒いて歩くようになる。

後にね、昼にも会おうよ、と提案した映子にユウスケは、うっとうしいんだよ、断わるのがめんどくさかっただけだよ、と拒絶して、まあそれが一つの展開点。のだけど、でも正直、その彼の台詞にこそそうだよなー、とナットクしてしまうぐらいだったので、そうなると、その後二人が気持ちを確認し合うのに理解を示すのが難しくなる(爆)。
だって、こう彼に言われた時の彼女がまた、「そうやってユウスケ君は逃げてるだけだよ」とか、よく聞く台詞だけどこの場面ではやや意味不明というか、彼がどうやって生活の糧を得ているのかも判らないまま、昼に出て歩けないのがイコール逃げてるって主張されるのがどうにもピンとこなくて、それって彼に勝手につきまとっている彼女のヤボな説教なだけに思えちゃうんだよね。

何度か登場するこの元カレってのも微妙なんだけど……。彼だけじゃなく、映子が立ち寄るコンビニでの店員の人間模様っつーのもあって、それは更に微妙なんだよね。
ま、元カレの方から行こうか……元カレかどうかもアヤしい感じ、単なる幼なじみ?後に映子が地元に帰るシーンで、彼が地元の同級生だと知れる。ここでようやく、夜のシーン&映子のオフィスでのシーンの繰り返しから解放されてホッとする。
映子が東京に出たのは、それが夢だったから。東京で一人暮らしするのが。その夢を叶えたじゃないと母親に言われると、そんなことを言ったら(東京では)笑われるよ、と映子は言う。その気持ちは判る気がする、だけに、ここでもそこで掘り下げずにスルーするのが、なんとも歯がゆいんである。

本当に、東京での夜&オフィスの繰り返しでツラかったので、のどかな山に囲まれた、緑の平原が続く画はホッとする。彼女の実家も、いかにも地方には普通にある、ゆったり庭があって柴犬なんか飼ってて(従順そうで癒される)、平屋の一軒家。お父さんは亭主関白で、だけどお母さんの手のひらに乗せられてて、みたいなさ。
野菜の皮で作るきんぴらに、「(皮には農薬がいっぱいついてるんだぞとか言っても)一番食べるくせにね」と母親と娘は笑い合う。母娘がいただきますをする前に、娘が注いでくれたビールにご満悦の父親は先にきんぴらに箸を伸ばし、普段はコンビニメシで済ませている娘を母親は心配する。今時あり得ないほど、純日本的な両親と、ちょっと現代的な娘の、理想的な家族関係。
だから、ここもそうなんだよね。お約束的なまでにキッカケが用意されているのに、ここで彼女の気持ちの変化があるとかいうことがないの。ツメがないんだよね……ここでも話題にのぼっていた元カレのことだって、それ以降ほったらかしだしさ。

まあ、映子の視点から言えば、別にほったらかしてたっていいような男だったんだけど、カレも実はタイヘンだったことが明かされるんである。
映子の前では調子イイこと言ってたけど実は、何か失敗をしたらしく、取引先の前で上司に頭をグイと抑えられて頭を下げ、その後携帯で謝りまくる場面も用意されている。
そこで彼は、こらえていた気持ちが切れてガクリと膝をつく。その視線の先に……花ゲリラの結果である、ささやかなキンケイギクが咲いているんである。
それを見て彼は涙を流す……ここで彼に感情移入出来れば良かったんだけど……彼の描写、よりは、やはり花ゲリラの当事者であるユウスケと映子のツメの甘さのせいだと思うなあ、正直……かなり冷めた目で見てしまうのよね。

ユウスケと映子を捕まえた鉄道警察の川辺さんがキーパーソンになってるんだけど、これも正直、弱いのよね。若い人たちを見守る立場だし、ここが弱いのが一番の原因だったかもしれない。
実は二人の行動を認めてるとか、実は愛妻家だとか、まあその時点であまりにベタなんだけど、映子がなぜ彼を頼りにしちゃうのかとか、別に深く悩みを聞いてもらう場面がある訳でもないから、奥さんが入院している病院まで訪ねに行っちゃう映子の気持ちにピンとこなくてさ。

で、そこで映子は、自分たちの花ゲリラ行動が実って花開いた線路沿いのキンケイギクを、川辺さんが奥さんのために手折って花瓶に活けているのを見つけてカンドーする。
まあ、その場面はまだ良かった。奥さんが、種を撒くのがどうしていけないことなの?と逆に夫に聞いて、怒られたのよ、というエピソードも可愛かったし。ただその後、ユウスケと連絡がとれなくなった、彼のおかげで考え方が変わって、お礼を言いたいのに……と涙する映子の、まーそれが超聖子泣きでさ!……ムリはないわ、アレは感情移入、難しいって。だってその“おかげ”が弱すぎるんだもん。

ま、この川辺さんはまだいいのよ。一番キビしかったのは、コンビニの店員さんたち。なんでこのエピソードを入れたのかと思うぐらい、キビしい。
態度の大きいギャルアルバイトに強く言えない店長、派遣社員の女の子にヘンクツに厳しい男性店員、もうこのアタリはあまりにお約束キャラで、コントとかで見てそうな感じ。
唯一まあまあ良かったのは、その派遣社員、中国系と思しき、日本語の習得に熱心で、公園でダンスの練習をしている女の子。彼女もお約束キャラではあるんだけど、そこらへんはやっぱり、日本人として気後れがあるせいもあるのかなあ、絶対彼女の方が、同じ年齢や立場の日本人より必死に生きてるもんね。
公園でユウスケと待ち合わせをしていた映子が、ダンスをしている彼女を見かけている。で、映子行きつけのコンビニでおにぎりのかぶりもの騒動とか、発注ミス騒動とかに遭遇するんだけど、別に映子がそれに関わるというワケではない。
そこらへんがね……なんでこのエピソードを入れたのか、正直ここだけ浮いちゃって、観客置いてきぼり、みたいな感じなんだもん。せっかく店長とのラブな予感もあるのに、それもまた浮きまくってるんだよなあ。

クライマックスは、昼に外に出て電車に乗ることを決意したユウスケが、それを映子に宣言して二人して電車に乗って、そこここに咲き誇っているキンケイギクを見る場面。
二人で植えただけではない、途中ケンカ別れして、その間ユウスケは映子に見せたくて撒いた場所があった。彼女がいっせいにキンケイギクが咲いたらきれいだろうなと言ったから、それまではただただ慎ましやかに、誰にも知られずに咲いてくれればいいと思っていた彼が、恐らく初めて誰かに見せたいと思って、種を撒いたのよね。
線路脇に、風に揺れるキンケイギクの群に、映子は感無量の、泣きそうな表情を見せる。

ところでこれ、キラキラMOVIEとかゆープロジェクトから生まれた作品らしいのだが……“キラキラ輝くキャスト、キラキラ輝くストーリー”って、その発想自体が、うーむ、ちょっとおサムいと言ってしまったら身もフタもない?★★☆☆☆


花嫁の寝言
1933年 57分 モノクロ
監督:五所平之助 脚本:伏見晁
撮影:小原譲治 音楽:
出演:小林十九二 田中絹代 斎藤達雄 江川宇礼雄 大山健二 谷麗光 逢初夢子 龍田静江 水久保澄子 藤田房子 飯田蝶子 河村黎吉 高山義郎 坂本武

2009/10/15/木 東京国立近代美術館フィルムセンター(田中絹代特集)
やっべ、田中絹代、ちょー可愛いんですけどー!
この作品の解説、“絹代の甘いエロキューションが話題になったことから企画された一篇”という文言に、え?なに?エロキューションて?と、エロじゃないけどエロな気がして(違う違う、全然違う!)キャー、いいわと(爆)。
しかも当時「タイトルのエロティシズムも手伝って大ヒット」したなんて聞いたら、こりゃーもう観たくなるに決まってるんだもーん(爆爆)。

まあそりゃー、そんなエロな訳もなく、これがまた秀逸に面白いコメディで、その点でもすっかり気に入っちゃったんだけど。
それにしても、田中絹代はこんなに可愛かったのね……。もう大女優、のイメージだったから、こんなに可憐でたおやかな可愛らしさだったなんて、彼女の作品を殆ど観ることの出来ていない不勉強な私は知らなんだ。
時代だから日本髪に結ってね、小柄ななで肩でね、まるで童女のような幼い顔で、ほっぺふっくらおちょぼ口、まさに日本人形さながら。もー、あのほっぺ、めっちゃつんつんしたい!
そして、そう、これがエロキューション、幼く聞こえながらも妙に色っぽいあの可憐な喋り方!こりゃー、メロメロ来るでしょ。

いやー、しかし、面白かったなあ。
まずね、彼女のダンナの小村君が、悪友たちと酒場で飲んでいるシーンから始まるのね。彼以外は全員学生服姿。あ、ひとりバンカラのような着流し姿もいる。
彼ら曰く、「同輩からひとり先輩になってしまった」と悪友たちにたかられる小村君。つまり、彼以外は全員落第して卒業できなかったらしい。
しかも結婚までしやがって、とくる。我らは卒業も結婚も一緒と誓約した仲じゃないか。裏切り者め、今日は君の月給で全部飲んでしまうんだから覚悟しろ、と。
小村君は目を白黒させて、カンベンしてくれよと。落第するなら言ってくれればいいのに、ってなんだそりゃ!(笑)
悪友の一人が言うに「試験なんてものは水モノだからな。君だけが通ったからって、それで君がひとり利口だということにはならない」いやいやいや!おめーらがちゃんと勉強しなかったせいだろーが!
てな具合に始まるこの会話劇が、ハチャメチャでやたら面白いんだよなあ!

さて。小村君の新妻の寝言がイイらしい、という話になるのね。それ以前に、彼の妻の名前まで悪友たちがちゃんと調べ上げていること、さらにそんなネタまで仕入れていることに小村君は驚きを隠せない。
しかも悪友たちが是非聞きたいね、聞かせろよとせっつくと、確かに動揺しつつも、いやそれは夫の僕だけが聞くものだから、とさすがにちょっとここだけはおノロケが入って口元が緩むのがカワイイッ。
それでもしつこく食い下がる悪友たち。彼らがね、“とにかく寝言がイイらしい”という、その“寝言がイイ”っていう言い方が、遠まわしながらもなんかエッチっぽくってイイのよねー!
しかも、そのバーの女給やマダムまでもが、きっとそうよ、寝言がイイのよ、てな具合に合いの手を入れるのも、ますますそんな妄想に拍車をかけちゃうんである。いやいや、私じゃなくて(私もだけど(爆))、この落ちこぼれ悪友たちのね!
たまらず小村君が支払いを済ませて逃げるように帰って行くと、悪友たちはぜひ小村君の花嫁の寝言を聞きに行こう!と盛り上がる訳。

しかしてここで、その言い出しっぺの一人が、一度脱落するのだが……それも女からの電話で、って、コラー!
ダンスホールから電話をかけてきた、いかにもイケイケな美女が「まだ誰とも踊ってないのよ。つまらないわ、あなた、来てよ。いい思いさせてあげるから」いい思いって、いい思いって、なんだそれ、いや、判ってるけど!コラー!!
で、アッサリコイツは「用があるから」と見え透いたウソをついて、そそくさとその美女の元へ行ってしまう訳。
んな具合で、もう一から十まで明るいエロティシズムが溢れててとにかく楽しい。もちろんコイツもちゃあんと伏線になってて、爆笑のクライマックスで再登場するんである。

さてさて。いよいよ悪友たちが小村君の家に突撃である。「相手は新婚だからな」とバンカラ姿の恰幅のいい(……まあつまり、おでぶな)ヒゲ男が先頭になる。ってお前ら、なに無意味な気合い入れてんのよ(笑)。
しかし思いがけず、小村君はまだ帰宅していなかった。先に帰った筈なのに。
これは後に明らかになることなんだけれど、小村君は奥さんの春子に自分が下戸だとウソをついてたもんだから、つまり寄り道して酒を冷ましていたんだわね。
僕らは小村君の同級生なんですよ。いや、試験制度というもののある結果として(いや、違うな。なんて言ったんだっけ……とにかくメッチャ可笑しいヘリクツこねたんだよな)、僕らはもう一年同じことを勉強するために学校に残ることにしたんです。って、春子に説明するこやつら。まーよくもまー、ここまで遠まわしに落第を表現するもんだ!

悪友たちは、小村君の不在も構わずドカドカとあがりこんでは室内を物色。戸惑いつつも春子がお茶ナゾ淹れてくると、「ほお、こりゃあいいもんですね」とお茶セットを褒め、春子が「みんなお祝いでいただいたモンなんですよ」と言いつつ、場所がなくて……と口を濁すと「え?売っちまったんですか?」と悪友のひとりが目をむく。「いえ、あの、実家の方に置いてあります……」
もうこの時点で、この悪友どもがカネにも飢えていることを感じて、春子はますますおびえちゃうんである。

悪友たち、もちろん飾ってある祝い酒の一角を見逃さず、これもお祝いですか、何、小村君は飲めないと(目を見交わして含み笑い)、ジャマになるならここは僕らの友情の証し、処分して差し上げましょう。いや、持って帰るんじゃなくて、ここで飲んでしまいますよ。僕らも酒は飲めないが、そこは友情ですから!と訳のワカラン理屈でさっさと瓶を開け始めるんである。コラー!

慌てておつまみなんぞを用意して春子が戻ってくると、もうあっという間に一升瓶はカラ寸前。アゼンとして瓶を眺め、「あまりムリなさらないで」と彼女が言うのも噴き出すけれど、「酒というのは、栓を開けると蒸発するんですなあ」とこれまた調子のいい、っつーかムチャクチャな論理を掲げてくる悪友たちには爆笑!蒸発って、おいー!
日本酒だけじゃなく高そうな洋酒もいそいそと運んできて、「こりゃあイイ。舶来ものですな」ともはやこの時点になると酒好きを隠そうともしないバカモノどもっ。
しかも春子が用意したおつまみのソーセージにご満悦の彼らは、「なるほど、小村君はこのソーセージでウイスキーを飲むのか」と口を滑らしちゃうもんだから、ダンナが酒を飲まないと信じている奥さんは、え?と驚く。彼ら慌てて、「いや……というのはデマでしたな」「そうそう」ってもうここらあたりにくるとごまかし方もすっかりテキトー(笑)。だってもう飲めれば何でもいいんだもん。

しかもここにお隣の奥さんが参入してくるのもおかしすぎる。蓄音機を借りてきたってのは、この悪友たちの方だろうか(ちょっと、聞き逃した)。
ならばとレコードまで大量に携えて、この奥さん乗り込んできて、悪友たちも最初はあっちゃー、みたいな顔してるんだけど、そこはそれ、類友ってヤツよ。
まあおばさん、いや、ナミコさんですか。一杯、と盃を差し出すと、そうかい、と奥さん満面の笑み。お、お前もかい!あっという間に飲み干して(早ッ!(爆笑))はい、ご返杯、とまあ嬉しそうに一人一人と盃を交わしあい、あっというまにべろんべろん。
「ま、お手酌でね」などと、彼らが会話を交わしている隙をぬってさらりと自分だけで飲んじゃっているあの間合いがメチャクチャ可笑しくて、おぉぉおい、おばちゃん、飲んでるって!とツッコミたくなっちゃうんだわあ。

もう困り果てる春子。そこへようやく小村君が帰ってくる。小村君が玄関前でお隣のダンナにつかまるんだよね。いわく「うちのヤツがお宅にお邪魔しているんですけれど……人見知りということをしないヤツなもんで」う、うーむ。ものは言い様だな……。つまり、さっさと追い出しちゃってください、と言う訳。
何がなんだか判らず、しかも自分の家からはドンチャン騒ぎが聞こえてくるもんだから、首をかしげながら小村君が玄関をくぐると、「あなた!」と春子がしがみついてくるのがカッワイイの!

しかしすぐに悪友たちが顔を出し、おう小村、やっと帰って来たか。まあ上がれ上がれ、と(誰の家だ!)。
隣の奥さんにくだんのメッセージを告げると、おう、何様のつもりだい。ちょっと甘やかすとつけあがりやがって。清水の次郎長のつもりかい。ここは一発懲らしめてやらないと、武器を探し出すんである(!!)。野球のバットとかないのかい、とあからさま過ぎだろ!
しかしこの奥さん、もうすっかりへべれけで、千鳥足もイイとこで、だからそんなあからさまなこと言ってもなんか可愛くて、これはこれでお隣の夫婦も結構上手くやってんだろうなあ、と思わせるんである。

で、小村君は悪友たちがなんでここに押しかけてきたのかは当然予測がついちゃってるもんだから冷や汗。だって自分は奥さんに飲めないと言っているわけだし……。
何とか襖の向こうに春子を追いやって、悪友たちをなだめすかせようとするもそうは問屋がおろさない。君は僕たちの中で一番酒が強いくせになあ、なんなら喫茶店のおみよちゃんの話をバラそうか、などと楽しそうに脅しにかかる悪友たちに小村君困り果てちゃう。
しまいには隠し芸までやらされる……これがまた爆笑モノでさ!「猿回し」をやる、っていうから何かと思ったら、小村君自身が猿になるわけ!首に縄をつけて、お尻からしっぽに見立てたベルトを垂らして、ウキキキ、みたいなさー!
しかもしかもそれを襖の隙間から春子が見ちゃう。ハッとして袂で口元を抑える田中絹代は何ともカワイイが、その視線からカットが変わるとそのオバカっぷりだからもう爆笑モンなのよ!

いつになくとげとげしい声で春子から呼ばれる小村君。恐る恐る隣の間へ入っていくと「私、呆れました!見ていたんですのよ。あんなお猿の真似などしなくても」
しかも酒が飲めないとウソをついていたことにも当然ご立腹で「私の前では紳士のような顔をして。あなたはハイドよ。ハイド!チンパンジー!ゴリラ!」いやいやいや!ハイドからそこへつなげるのはどうよ!まあ、猿まわしの件がよほどショックだったんだろうが……。
そう、よほどショックだったらしく、ダンナのお尻から垂れてるベルトを「これは何?」と再三に渡って責めたてるのが、モノがモノだけにオマヌケでメチャクチャ可笑しいのよ。しかも更に追い打ちをかけるように「ハイド!」す、凄い捨て台詞(爆笑!)。

でもね、カワイイんだよね。春子さ、テーブルの上に置かれた主婦雑誌を手でなぞっているんだけど、それが「夫婦生活の成功」なんて見出しでさ……で、思い余って左手薬指の指輪をはずそうとするのがカッワイイんだよなー。
なんかこんな完璧な日本人形みたいなのに、ちゃんと結婚指輪をしているのが不思議な感じもして、これまたイイんだよねー。だって彼女はたおやかでおしとやかでいかにも一歩下がった日本の妻、なんだけど、既に強い奥さんの片鱗を見せているんだもん。
だってね、拗ねた彼女の言い様がイイのよ。「明日はあなたに会社を休ませて、私の看病をしてもらいますから!」か、カワイイ……。

さて、花嫁の寝言を聞くためにずっとスタンバってた彼らだけど、なんせずーっと飲んでいるもんだからもう船をこぎ始めちゃう。で、春子の非難がましい視線にも小村君すっかり参っちゃってたもんだから、一計を案じるのね。
そうだ、こいつらはここに置いてっちゃって、アパートに行こうじゃないかと。と、春子もその案に機嫌を直していそいそと着いていくあたり、そそとした奥さんに見えながら、やっぱり彼女はどっか好奇心旺盛なトコがあるんだよなあ。

で、ここに最初に脱落した悪友のひとりのご登場である。あの美女と連れ立ってアパートに帰ってくる。ハイヒールと革靴の足元から映すあたりが、お持ち返りなアダっぽさを感じてなんともイイ。
アパートっつーか、学生寮みたいなもんなのかな、この美女も同じアパートに住んでる、ってことは、彼女も学生?うっそー、見えない!色っぽすぎるだろ!てか、田中絹代との対照だよね。これが見事なのよね、ほんと。

でね、花嫁の寝言の話を聞いて、この美女もすっかり興味シンシンになる訳なんだよね。そう、タイトルでもあり、ここまでネタを引っ張ってきた寝言がようやく明らかになる!
寝静まった春子がむにゃむにゃと口にしたのは……「これ、なあに?……騙された、騙された!」そう、猿回しのマネまでしたナサケナイ夫にしんねりと迫った時のあの言葉!どうせなら、ハイド!チンパンジー!ゴリラ!まで言っちゃえば良かったのに(笑)。
しかしこれだけで威力充分、聞き耳を立てていた二人、特に男の方がガタガタと震えて、持っていた酒瓶の中身があわ立っちゃうほどのうろたえぶり(爆笑!)。
廊下に出てくるとくだんの美女もいて「震え上がっちゃった」「恐ろしくて眠れない」いやいや、彼の方は判るけど、なぜ彼女までもが……うーん、でも、あんな可憐な姿を見ちゃっていたからインパクトが強かったのかなあ。何にせよ、大笑い!

その頃小村君の家で飲みつぶれた彼らはどうなったかというと……なんと、強盗に入られたんである!
もういかにも、見るからにわっかりやすい強盗(笑)。抜き足差し足、転がっている徳利に残っている酒をあおって嬉しそうなあたりまで(笑)。
そのとっくりを懐にしまって、高そうな桐箪笥を物色しているところにひとりが目を覚ます。しかし情けないことに震える声しか出ない上、他に二人もいるのに縛り上げられちゃう……のが発覚したのは小村君夫妻が帰宅した時。

布団をかぶってスヤスヤ寝てるかと思いきや、その下で下着姿で縛り上げられていたんであった。「大丈夫ですよ、奥さん。盗られたのは僕らのだけです」なるほど、そこは死守してくれたのか……。
いや、違うな。春子が桐箪笥を慌てて鍵で開けて、中の高価なものがちゃんとあることを確認するんだもん。そう、イイもんが入っている引き出しはちゃあんと鍵がかかってるんだもん。イヤー、しっかりしてる。いい奥さんだわよ。

みぐるみはがれた悪友三人が、奥さんの着物を借りて、ぞろりとした情けないカッコで見送られるのも可笑しかったけど、帰っていく三人の後ろ姿に「質に入れるなよ!」呼びかけるいう小村君にも笑ったなあ。ちらりと後ろを振り向いた三人、ひょっとしたら図星ついてたかも(笑)。
そして、「あ、会社!」と慌てて小村君、懐中時計を見ると、春子「今日は日曜日ですよ」あ、そうか、と笑いあう二人。完璧なラストだわー。

たった57分でここまで笑わせられるとは思わなかった!それにしても田中絹代の可愛さよ。 ★★★★☆


母と子
1938年 89分 日本 モノクロ
監督:渋谷実 脚本:柳井隆雄
撮影:杉本正二郎 音楽:堀内敬三
出演:田中絹代 吉川満子 佐分利信 河村黎吉 徳大寺伸 水戸光子 松井潤子 斎藤達雄 葛城文子 青野清 高松栄子 松尾千鶴子 関かほる 大河三鈴 南部耕作 中尾兼徳 仲英之助 河原侃二 懸秀介 宮島健一 磯野秋雄 川名輝 葉山正雄

2009/10/16/金 東京国立近代美術館フィルムセンター(田中絹代特集)
もう本当に、悔しくって悔しくってさあ!時代も今とは全然違って、何より映画でフィクションで、映画としての面白さで引きこまれても、それだけに、女として悔しくってたまらなかった。女ってソンだと思わずにはいられなかった。
お妾さんが亡くなった工藤が「ホッとしたろ」と同僚に声をかけられるシーンで、笑いが起きた。せいぜい2、3人のオジサンの笑い声だったけど、本当に頭に血がのぼった。そ、それ、笑うとこ?って。

それまでも何度か薄く笑い声は起きてて……やっぱり笑うとこじゃないと思って心中穏やかじゃなかったけど、ここでもうブチリと切れてしまった。
ああ、そうなんだ。笑うところなんだろう、そのオジサンにとっては、そして男性にとっては。笑える訳ないよ、おりんさんにとっては、千栄子にとっては、そして……女にとっては。悔しくてたまらなかった。

いわゆる、お妾さんの話なのね。お妾さんだなんて、もう現代じゃ成立しない。それこそ愛人などという無粋な呼び名となって、それでも相手と恋愛感情においては対等であるだけ、まだマシになってる。
お妾さんは、全然違うのだ。最初から、男が来るのを家でひたすら待ち、お手当てをもらい、仕事は子供を生むことだなんて、キッチリと契約として決まっているようなこんな関係、なぜ今までさらりと見逃してくることが出来ていたのだろうとさえ思う。女としてきちんと知っていなければならなかったとさえ思う。

そう思うほどに……小説や映画で常に目にしつつも、こんなにお妾さんそのものを描いた作品に、私はお目にかかったことがなかった。しかも……そのお妾さんがもういい年になって、子供たちもいい年になって、なんて世界は。
劇中、お妾さんがどんな女なのか同僚に聞かれた工藤が「そりゃあ、美人さ」と言い、やっぱりそうか、と相手が頷きかけるのを制して「最近はそうとばかりも言えないがね」などと冗談とも本気ともつかない言い方をするのがさあ。
この時点ではまだ物語が始まったばかりで、私もあららら、なんて思う心の余裕があった。くだんの薄い笑い声も気にならなかった。けれども……。

そう、その工藤という、こちらもいい年のオッチャンが、恐らく若い頃は美人だったお妾さんのおりんさんを、今はこんな風に言い下して、足だってすっかり遠のいている。おりんさんは身体が弱くて、“旦那さん”が来るのを心待ちにして寝たり起きたりの毎日なのだ。
その娘、知栄子は21歳。そんな母親に寄り添って暮らしている。もう2ヶ月も来ない父親にやきもきし、本家に引き取られて時々顔を見せてくれる兄の孝吉に、ねえ、ちゃんとお父さんに言ってよ、と催促しても、この兄も生返事を繰り返す。

最初はね、このお兄ちゃんにもちょっとハラ立ててたんだよね。本家に行って、父親と同じ会社に入って、なんか見た目も洒落者風で軽くてさ、男なんてやっぱり女の辛さを判ってない!と思っていたんだよね。
でも彼は、知栄子よりずっと“妾の子”という消えない自分の肩書きに押し潰され続けてきたのだ。
「俺たちは両親のないみなしごだ」という台詞、ズキンと来た。その言葉を哀しそうな顔で受ける知栄子。
恐らくずっと、その言葉を兄妹の胸に隠し持ちながら育ってきたんだろう。ひょっとしたら周囲から口さがなく言われたりもしたんだろう。
でも知栄子は「だからこそ純粋に生きたいとは思わない?私たちまで落ちることないわ」と、堕落しそうになっている兄に凛として諭す。

というのは、もっとずっと最後の方になってからの話で……。
この工藤ってオッチャンがね、2ヶ月もおりんさんと知栄子に会いに来ないのは……もうめんどくさくなっているのよ。お妾さんといえどすっかり年もとって、いわゆるかつてのようなトキメキなんてどこへやら、だからだろう。
でもさ……だったら最初から囲うなよ、って話じゃん。結局そんな、若い頃の欲望に女の方が振り回されるなんて。
お妾さんなんて、お金もらって何もしなくてお気楽、みたいなイメージがついているのは、そんな風に言われる侮辱を飲み込んだ上の契約なんだもの。最後までその契約は遂行してくれなくっちゃ、困る。

いや、ひょっとしたら“若い頃の欲望”で囲ったという訳でもないのかもしれない。本家の“奥様”とは上手く行っている風である。
確かにおりんさんは、息子とはいえ本家に引き渡した孝吉をいつまでも引き止めておくのは悪い、などと気を使うそぶりは見せるけれども、おりんさんと本家の奥様はお互いを気遣う言葉をいつも繰り返している。
孝吉が後継ぎとして本家に引き取られたのは、この奥様に子供が出来なかったせいに違いなく、だからこそおりんさんは囲われたのかもしれなくて……欲望どころか愛情ですらないお妾さんならば、年をとって興味もなくなったら、足が遠のくのは仕方のないことだったのかもしれない。

いやいや!仕方ない?私、何言ってんの!散々憤っていたじゃないの!
それは……だってさ、このおりんさんがあまりにも無邪気で天真爛漫で、旦那さんのことをずっぽり信じてしまっているんだもの。それはもう、子供たちや彼女の妹から見れば明らかで、だからこそ皆、心配してる。
そう、このおりんさんの妹、知栄子から見ればおばさんにあたる人は、女一人、バーを経営していて、おりんさんに資金を都合してくれないかと持ちかけてきたりする、したたかでやり手の女ってカンジである。
彼女はね、「姉さんったら、いつまでたっても子供みたいなんだから」と、心配というよりは軽く軽蔑したような口調で言うのね。彼女にとってはお妾さんという立場も容認出来ないんだろう……もちろん知栄子や孝吉の手前、そうハッキリは言わないにしても。

いや、でも、このおばさんは実は彼女たちのことをとても気にしていて、一番心配していると言えるのかもしれない。工藤はもちろんだけど、彼が知栄子の婿にとあてがおうとしていた、寺尾のうそ臭さを最初に見抜いたのは彼女だったんだから。
「もう、孝吉君、なんて呼んでるの」と眉をひそめる彼女におりんは、だって兄弟になるんだから、とノンキに答えるけれども、つまり自分が玉の輿に入れると知った途端に見下したように態度が変わるような男だということを、彼女は一瞬で見てとっているのだもの。

しかも寺尾は、孝吉が最近遊びが過ぎて、女給だかダンサーだかを囲っているらしい、なんてことまで口走る。しかもそれを、いかにも僕は心配しているんです、てな口調で。それがお妾さんであり、お妾さんの子の心をどれだけ傷つけるか判らないのか。
いや……確かにおりんさんはあの通りの天真爛漫さだから、息子が悪い道に行くことの方を心配して、その話が自分の立場に向けられたことだということさえ、まるで気付かずにいるんだけれど……だからこそ、妹であるおばさんが、姉さんはこれだから、と歯噛みするんだけれど。哀しすぎる、こんなの。

おっと、なんか話を急ぎすぎたけど……。そうそう、忙しい、忙しいと言ってばかりでちっとも家に寄ってくれない工藤にシビレを切らして、知栄子は会社まで直談判に行くのね。
いやあ、最近は忙しくてね、とか言いつつやけに鷹揚に構えている工藤は、まるではぐらかすように、いや、いい話を持っていこうと思っていたんだよ。お前たちに別荘を買ってやろうと思ってね……と持ちかける。まあ……と知栄子は気をそがれてしまう。

確かに体の弱い母親にとって、喧騒ばかりの都会の中で暮らしているよりも、静かな別荘は何よりのプレゼントだと、素直にそう思ったのかもしれない。
でも……そんなのハタから見れば口実だっていうのは明らかじゃない。東京から距離も離してしまえば、更に行けなくなる口実もできる。
しかも最初は、好きな間取りを考えておきなさい、とか言って喜ばせておきながら、結局は都合よく紹介された中古の物件を買い与えてしまう。それでも……せっかく間取りを考えていたのにおりんさんは、素直に喜んじゃうんだもの。

会社に押しかけた時、知栄子は父親が部下を叱るのに遭遇して、眉をひそめた。
だってあれは確かにひどい。専務の言うとおりやりましたというのを言下に否定し、どこが悪いの具体的な指示もなく、こんなことも出来ないのか、君は会社に入って何年になるんだ、こんなの君と同期の奴らはもっとすぐに出来るよ、と、上司として部下に言ってはいけないNGワードばかりを連発するんである。
それでなくても忙しさを理由にしてちっとも足を向けない父親を、「お変わりになられた」と感じていた知栄子が、更に父親への印象を下げたのは間違いなくて。

この時叱られていたのが、後に知栄子の婿として工藤があてがうことになる寺尾だった。
確かに知栄子は、彼への印象は悪くなかった。それはこの最初の出会いで、叱られていた姿を目にしていたことも多少作用していたかもしれない。父親への反発があったから余計に、彼に心が動かされていたのかもしれない。
寺尾が両親を早くに亡くしていて、知栄子に、お母さんを大事にしてあげてください、と言ったのも大きなポイントだったかもしれない。
何より、おりんさんが寺尾をとても気に入っていた。あの人は親切だわ、といつものように何の疑いもなく喜んでいた。知栄子も、母親に親切な寺尾を好印象で見ていたんだけれど……。

でもね、知栄子もやはり最初から、どこかで嗅ぎ取っていたのかもしれない。自分の部屋に無遠慮に入られたり、父親から子供の頃プレゼントされたオルガンに触られるのを嫌がった。
でも次第に打ち解けていく。別荘への引っ越しの際は、彼がそのオルガンを機嫌よく弾いていたりするのだから。
でもね、この寺尾ってのも、実はヒドイのよ。いや……男なんてみんなこんなモンなのか。ヒドイと思う方が大げさなのか。

彼はね、食堂の娘のしげ子と懇意にしていたんだよね。いや、懇意どころじゃない。昔の映画だからハッキリは示さないけど、絶対、イくとこまでイっていたに違いないのだ。
毎日の食事で立ち寄るのはもちろん、しげ子が寺尾の下宿先に心安く出入りしては、洗濯物だの繕い物だのと女房よろしく世話を焼いている。
寺尾が工藤専務に叱られて、もう辞めようかな、と意気消沈して帰ってきた時もとても心配して、でも彼が「会社を辞めてここ(食堂)の手伝いをしようかな」と言うと「私はそれでもいいのよ」と頬を上気させた。
下宿先でじゃれあって、吹きかけられたタバコの煙をいやがったり、キスの手前まで行くような描写もあり、しかもそのままブラックアウトしたりするから、アレは絶対、最後まで行ってる暗示でしょうと……。

もちろん、しげ子が言うように「一緒になる約束」もハッキリしていたに違いない。知栄子がね、寺尾の下宿を訪ねた時、よもや彼女が許嫁だなんて思いもしないしげ子が、寺尾の好物はオムレツで毎日食べても飽きないとか、それはもう、嬉しそうに話す訳。
で、下宿のオバサンも、あの娘さんは気立てが良くてね、寺尾さんと一緒になるんですよ、と言うもんだから、知栄子は色をなくしてしまう。
それは、しげ子に対する嫉妬というよりも……しげ子は知栄子の目から見ても確かに気だてのいいお嬢さんで、知栄子に自慢の食堂のメニューをごちそうしようとするぐらいでさ。
でも、いやだからこそ、知栄子はいたたまれずにそこから立ち去ってしまう。だって……ここにもいたんだもの。父親と同じ、卑劣な男が。

しかもね、その後の描写がヒドいの。カットが変わると、しげ子が頬を押さえて泣きそうな顔をしている。そして、寺尾が怒っている。
あのね、この頬を押さえたしげ子の画でも、会場内のどっかのオッチャンが笑い声をあげたんだけど……ここって、笑うとこなのかっ?自分の運命も知らずにペラペラ喋りまくった女が思い知らされた、みたいに可笑しく感じたのか?
……なんかもう、私は映画そのものもそうだけど、そんな会場の、ほんの2、3人のリアクションに心穏やかにはいられなかった。

でねでね、寺尾は言うにことかいて、お前は俺を不幸にしようとしてるのか、と吠えるのだ。だって、だって……と言葉が続かないしげ子に何度も同じ罵声を繰り返すのだ。
ふ、不幸って!しげ子にとって寺尾と一緒になること、いや今一緒にいることからして幸福なことで、彼もそうだと信じていたに違いないのに!
ヒドイ、ヒドイ!玉の輿に乗れるとなるとアッサリ乗り換えて、いや、乗り換えてすらいない。自分で知栄子に話も通していなかったくせに、これで俺は会社から睨まれてオワリだ……などとなっさけないこと言いやがって!

一方の工藤のオッサンである。忙しい忙しいとか言いながら、結局はちっとも忙しくない。ビリヤードやらに興じて、そんなお妾さんの話をペラペラ喋っているシーンが何度も出てくる。知栄子が見抜いていたように、忙しいなんてベタな口実に過ぎないのだ。
そんなこんなで別荘への引っ越しも終わり、そんなうちにもおりんさんの具合はどんどん悪くなる。工藤の足は遠のいたまま。
孝吉の足まで遠のき、ある日知栄子はおばさんのバーで女給たちに囲まれていた兄を発見、顔色を変えて引っ張り出し、ムリヤリ茅ヶ崎の別荘に連れてくるんである。
愛する息子に喜色満面のおりんさんだったけれど、孝吉もまたもどかしく思っていた母親のあまりのムジャキさに、母さんはどうなんだ……とか始めちゃってさ、慌てて間に入った知栄子だけど、おりんさん、泣き出してしまう。

そしてほどなくして、奇しくも寺尾が訪ねていた時に、ハッキリ知栄子が彼に別れを言い渡そうとしたその時に、おりんさんは亡くなってしまうのだ。
呆然と立ちすくむ知栄子。本当のお母さんみたいだった、と薄ら寒いことを言っておりんさんの手を取ろうとする寺尾を激しく制した。
「触らないで!」あんなに尖った声の知栄子は初めてだった。そして「私だけのお母さんよ!」と泣き伏した……。

そして、あのシーンである。私が頭に血がのぼったシーンである。
その知らせを聞かされた時、工藤のオッサンは重役たちと談笑中だった。知らせを受けて一瞬、驚いた顔をしたものの、そのまま談笑を続けた。
外に出て、懇意にしていた重役の一人におりんが死んだよ、と告げる。そして、あの、もう言いたくないあの台詞を返されるのだ。
工藤はえっという顔をしたものの、否定しなかった。ウソでもいいから、即座に否定してほしかった。でも否定なんか出来る訳ないし、するつもりもないのだろう。だって……その通りだったんだもの。

しかも娘の知栄子のことですら。知栄子の婿を迎えてやれば、自分の責任もそこで終われると、ハッキリ口にしていたんだもの。
だからこそ寺尾という、いわば都合のいい男をあてがった。知栄子の婿の条件として、まず「係累がいないこと」をあげたのが更に物語っていた。つまり、これ以上煩わしい人間関係を作りたくないのだと。
判っててノった寺尾もいいツラの皮だったけれど、やっぱり一番ヒドいのは工藤のオッサンで……でも彼は悪いことをしたなんてきっと思っていないのだ。自分は妾やその子供たちに対して責務を果たしたぐらいに思っているのだ。
こんな、悔しいことってない。バカにするにも……もう!!!

その時、同じ職場にいた孝吉は、肩を震わせて会社を飛び出していった。

結局、忙しいを言い訳に来なかったあげくに、ずっと待ちわびたおりんさんを死なせてしまった。
その場面の後、サクッと会議場のシーンに移り変わる。資本金を倍に増やして、これからの経営を上向きにと、得々と語る工藤のオッサンに、同じようにくだらない男たちの満場の拍手。しかもこのシーンで終わりなんである。……悔しいよう!!

でも作品自体は、すんごくサクサクと進んでいくんだよね。会話も常に軽妙に交わされていて。へんに大仰にじめっとしたところがないから、映画としてはとても面白く出来ているんだけれど……もう悔しくて悔しくて。
でもこれが、大仰なメロドラマみたいに演出されたら、それこそたまらなかったかもしれない。
それこそね、おりんさんの天真爛漫さに救われるんだよ。ヒロインであり今回の特集上映の主役である知栄子役の田中絹代より、おりんさんの吉川満子の可愛らしさがとてもいい。リラの花が咲いただけでいいことが起きると本当に信じている少女のような母親を、だからこそ娘の知栄子も愛していたんだもの。 ★★★★☆


母なる証明/  /MOTHER
2009年 129分 韓国 カラー
監督:ポン・ジュノ 脚本:パク・ウンギョ/ポン・ジュノ
撮影:ホン・クンピョ 音楽:イ・ビョンウ
出演:キム・ヘジャ/ウォンビン/チン・グ/ユン・ジェムン/チョン・ミソン

2009/12/3/木 劇場(シネスイッチ銀座)
もともとホラーモノなどでは秀作を連発した韓国映画だけれど、正直それはジャパニーズホラーの焼き直しのような感も強かったし、どこかでまだまだ、日本映画の方が、みたいな優越感を手放したくなかったような気がする。
しかしこのサスペンスの分野においては……今年は「チェイサー」といい、圧倒的な力量で迫ってきて、果たしてこんな力作を今の日本映画の作家は作れるだろうか……などと思ってしまった。

ポン・ジュノはデビュー作の「ほえる犬は噛まない」からいきなり瞠目させられた才人。まああれはペ・ドゥナにホレ込んだということを差し引くにしても、これまた日本のお家芸かと思われたオフビートに、メロドラマなイメージの韓国映画で初めて出会った作品だった。
「殺人の追憶」で大いに名を売り、「グエムル」で商業作家としても成功、「TOKYO!」では海外の個性派監督の一人に選ばれ、そのセンスの良さを中篇でも見せ付ける、と、人もうらやむ順風満帆な作家人生。
全ての作品が日本に来ている訳ではないので、そう言うのもランボーかもしれないけど、本当に順風満帆という感じだった。そしてその作風は、グエムルのようなパニックモノであってもオフビートな可笑しさを常に忘れないでいたから、よもや彼がこんな重厚なサスペンスを撮るとは思いも寄らなかった。

そう……本作に関しては、彼が常に傍らに用意していたオフビートさはミジンも感じられない。それはそんな余裕がなかったというよりも……むしろ今までのそれが照れ隠しでもあったかのように、充分な余力を常に残しつつ演出をしている余裕が感じられる。ヘンに作家的でもなく、イヤラしいほどに商業的でもない、ような。
冒頭、初老の女性が疲れ切った表情で枯れた草原を歩いている。そしてこの劇中、常に頭の中に鳴り響くほどに印象的である、哀切でしかし軽やかな、これまた個性的なメインテーマが流れ出す。彼女はまるでそのメロディーが聞こえているかのように、静かに拍子をとり、踊り出す……。

この冒頭はふいを突かれた。こういう入り方、恐らくこの場面はクライマックスにつながるもので、もう一度この場面を、あああの冒頭の……と思いながら対峙することになるんだろう、とそういう構成の映画はあまたあるもんだから、どこかうがった思いで見ていた観客に、ふいを突かせるこの入り方。
実際、クライマックスになり、この場所に彼女が同じように姿を見せても、踊ったりはしない。これはあくまでオープニングの、観客をぐいとひきつける方法なのだ。余力がなければ、こんなふいのつき方は出来ない。

息子にかけられた殺人の嫌疑を、必死になってはらそうとする母親の物語、とひとことで言ってしまえばそういう映画。もちろんそこには意外な結末が待っているし、そして全ての収束の仕方に、観客はこの心をどこに持っていったらいいのかと何ともやりきれず、逡巡する思いになるんだけれど、そう、ひとことで言ってしまえばそういう映画なんである。

いきなりオチを言ってしまうのもアレなんだけど、“意外な結末”というのがなんとなく匂わされていたから、実際この息子が犯人なんじゃないかという思いは、観る前から持ってはいた。そして確かに実際そうだったんだけれど……見事に翻弄された。
監督は観客がそういう“どうせそうなんだろ”という思いを持ってこの映画に臨んでいることを、百も承知だったに違いない。
むしろ焦点は、その思いをいかに揺らすことだったんじゃないかと思う。彼には確かに明確な動機もなければ、事件当時の記憶すらあいまいである。つまりいかようにも料理できる。そのことを見ていて観客は知っていながら、この監督の手腕に見事にハマってしまったのだ。

殺人の嫌疑をかけられる青年、トジュンを演じるのは、兵役のブランクの後、本作で復帰したウォンビン。
韓流四天王と呼ばれていることは知っているけれど、私は彼のことを、深キョンとの合作ドラマでしか見知っていなかった。つまり、スクリーンで彼を観るのは初。そのドラマ、もう数年も前になるそれでは、誠実な好青年という印象しかなかった。どこかつまぶっきーに通じるような。

そして本作で、彼の懐の深さを実感する。そりゃあこれは、かなり得な役には違いない。あまり言いたくはないけど、知的障害者の役というのは、役者の株を余計に上げがちである。
しかしそういう上げ底は差し引いても、観客を翻弄したのは、彼のその美しい瞳が「まさか彼がそんなことやる筈はない」と息子を溺愛する母親に同調させたことに他ならないんである。そんなこと何の理由にもならないのに。
いや……人間はその瞳に人となりが出ると信じたがる。そして確かに彼の、ウォンビンの瞳にはそれが出ていたと思うけれど……ただ彼は、そう、知的障害者だったから……。

実は作品中では、知的障害を持っている、ということを明確にはされない。でも見るからに明らかだし、母一人子一人のその母は、常に息子を心配して、ちょっとでも危なそうと思ったら飛び出して、自分がケガするぐらいなんである。
彼女がなぜ女手ひとつで息子を育てていることさえも、明らかにはされない。ただ……彼女の愛情の示し方は溺愛そのもので、それは息子が知的障害を持っているから、というよりも、息子の存在によって自分を成り立たせているという感があるんである。
ただ彼女自身は恐らくそのことに気づいていなくて、自分がいなければ息子は生きていけない、常に側において見守っていなければ、という思いに駆られている。
息子がもういい年になり、もちろん女の子にも興味を持ち、酒も飲み、母親にかまわれるのがうっとうしくなっていることを見ないフリをして。

そのことが、この悲劇を招いたとも言える。もし彼女が、息子が何を求め、どう生きていきたいかちゃんと向き合って話し合っていたら、こんなことにはならなかったのかもしれないと思う。
だってね、ずっと、本作を見ている間中思っていた。彼女は自分が息子より先に死んだ後、彼がどうなるのか考えないのかなって。こうやって常に自分の保護下に、というか監視下において、自分がいなくなったら息子が生きていけなくなることを考えなかったのかなって。
しかしその観客の疑問にも、一つの答えが用意されている。それはずっと後半になってからだけれど……彼女には、息子と心中しようとした過去があった。それも息子に最初に農薬を飲ませて、彼が生死の境をさまよったという過去が。
その幼い日の記憶を息子が覚えていたことを、いや思い出したことに直面して、彼女は驚愕するんである……。

というのは、また大分後になっての話。最初のうちは、確かにこの息子、トジュンはいかにも“知恵遅れ”という感じである。
……この言葉も、多分今は使っちゃいけないのだろう。この言葉、私の子供時代には確かに差別的な言葉として存在していた。
でも彼がどういう症状、というか病気なのか、子供のまま大人になってしまったような感じは生まれながらの病気なのか、それともそれ以外の理由で母親が息子と心中をしようと農薬を飲ませたことによるものなのか、それも判然としない。

母親は、漢方薬店を営みながら息子を育てている。父親の影は、全くない。
劇中、彼女がヤミでやっている鍼治療で、不妊に悩む親戚の女性に「これですぐに子供が出来るわよ。私もそれでトジュンを授かったの」というシーンがある。まさか鍼だけで、女一人で子供をもうけられるってわけじゃ、ないよね。ひょっとしてこの母親は、表に出せない相手の子供として、トジュンを孕んだのかもしれない。そしてその息子が障害を持っていることを知って自分の罪深さに絶望し、殺しかけたのかもしれない。

と、いうのはあくまで推測の話。しかもそんな話が出るのはずっと先だし。
トジュンがね、突然逮捕されてしまうのだ。この田舎町で久しぶりに起こった殺人事件、その現場に残された、落書きされたゴルフボールがトジュンの持ちものだったことから引っ張られた。
トジュンはそんな覚えもなく、母親は無論、虫も殺せない息子がそんなことが出来る訳がない、と吠える。
捜査をしている刑事は、この狭い田舎町だからだろう、トジュン母子とは古くからの付き合いで、彼がそんなことをする訳はないと思いつつ……その“障害”ゆえの何かにも一抹の疑念もあり、板ばさみになって苦悩している。

“田舎町で久しぶりに起きた殺人事件”というところが、本作で唯一、ポン・ジュノ監督らしいオフビートっぷりが発揮されたところだろうか。
田舎刑事の間で、いつ以来だ?僕が派遣されてからはないと思います、とか脱力気味の会話が、それも遺体の前で繰り広げられ、「(ドラマの)科学捜査官」を皆見ているから、今までと違って動きがいいですよ」なんていうほのぼのとした会話に思わず笑ってしまう。
本作は純然たるサスペンスドラマで、すばらしい重厚感に満ちているのに、この力の抜き加減が余裕タップリで、力が入りまくっていた観客をふと休めてくれるのだ。

ゴルフボール、というのは、トジュンの悪友、ジンテと共にハイソなオッサンたちにゴルフ場で因縁をつけた際に、池の中からトジュンが無邪気に拾い上げたものだった。
この冒頭のシークエンスで、トジュンが知的障害者であることをハッキリと印象づける。ジンテは「なんでおばさんはお前がそんなに可愛いんだろうな」と言う。この場面は予告編でも使われていて、その時は「おばさんは、お前が本当に可愛いんだな」となっている。そのニュアンスには大きな差があり、しかしもちろん、実際本編の「なんでおばさんは……」のニュアンスの方が正解なんだろう。

ジンテはそう言いつつ、というか、そんなこともズバリと言ってのけられるほど、いわばトジュンとはまるで遠慮のない仲で、まあ、確かにちょっと見下している感じはあるにしても、それは子分を心配しているアニキってな感じなんである。
しかしね、確かにトジュンの母親が、こんなワルとつきあうなんてと心配するだけあって、食えないヤツではある。本当の犯人はジンテじゃないかと思い込んだ母親が、不法侵入した挙げ句、間違った証拠(口紅のついたゴルフクラブ)をゲットするんだけど(これも極端だが)そんな彼女に慰謝料を請求するしたたかさなんだもん。

そりゃあ平身低頭するしかない母親に、そうは言いつつジンテが真犯人なんじゃないのと思ってしまう観客をアッサリと裏切り、もらうものももらったし、何よりオレはトジュンのダチなんだから、トジュンが犯人な訳ないんだから、と実際ジンテは精力的に動いてくれるんである。
それこそ、そのワルである顔も利用し、腕っ節の強さも利用して、被害者の女子高生につながる少年たちを締め上げる。
これがね……凄くハッとさせられたんだよね。無料奉仕の浪花節に慣れきっている私たちは、彼が友情を基本にしながらもギブアンドテイクを忘れないってあたりにさ。
しかもその二つは矛盾なく成立するのだ。だって確かに先立つものがなければ、動ける筈がないんだもん。日本って、浪花節に、間違った良心を強制しすぎだよね。なんか目が覚める思いだったんだよなあ。

この母親がジンテを苦々しく思っていたのは、トジュンが憎からず思っていたスナックのママの娘を、ジンテが恋人にしていたこともあったかもしれない。
水商売の娘だからって訳じゃないだろうけれど、幼い顔つきに化粧っけもないながら、妙にコケティッシュで、無防備に超ミニスカから足をむき出して、トジュンの目を釘づけにさせるんである。
トジュンはジンテが彼女とねんごろになっていたのは知らなかったんだろうな……。トジュンの母親がジンテを疑って彼の部屋に侵入して息をひそめていた時、二人のあられもないシーンが展開される。彼女が読んでいたのって、「北斗の拳」じゃないのかなあ?
この彼女は、どっかバカっぽいというか(爆)、トジュンのような障害って訳じゃないけど、天真爛漫さがあまりに無防備すぎる感があるのよね。トジュンの思いに気付いているのかいないのか、しかしトジュンの出所にはジンテと共に豆腐ケーキを持ってお祝いに駆けつけるし。なんか……罪なほどに憎めない女の子なのだよなあ。

このジンテの協力もあって、母親は次第に真相に近づいて行く。そう、犯人をがむしゃらに探し出すのではなく、その被害者を知ることによって、犯人が搾り出されるだろうという助言に従い、徐々にその、被害者の女の子、ムン・アジョンのことも明らかになってくる。
これがかなりツラい。ボケたおばあさんと二人暮しのアジョンは、しかもそのおばあさんは酒飲みで、生活費を全部マッコリに変えてしまうもんだから、彼女は身を売るしかなかった訳で。

あくまでうわさだと言いながら、金どころか米をもらって寝ていたアジョンのことを証言する少年たち、そして実際彼女と関係を持っていたことから足がつき、ジンテに締め上げられる少年たち、そしてそして、回想の中に登場するアジョンも、彼女の友達も、みんなみんな、痛々しいほど幼くって、なんだか胸が締め付けられてしまうのだ。
その友達の少女は片頬にあざがあった。それを消したくて、写真店に訪れた。その時一緒にいたのがアジョンで、その彼女のことを、写真店の店主であるトジュンの母親の親戚の女性は覚えていたのだ。
突然鼻血を出していた。あんたまたなの?と友達は言った。……アジョンはひょっとして重大な病気にかかっていたのか。ひょっとしたら……余命いくばくもなかったのかもしれない。

それは、あくまでたらればの話。この状況じゃアジョンが病院に行ける筈もなかったし。そして……彼女は何者かに殺された。屋上に死体がぶら下がるように放置されていた。
その嫌疑で逮捕されたトジュン。確かに劇中、彼が帰り道のアジョンをつけていく場面は提示されていた。
性体験がないことをからかわれていたトジュンは、声をかけても答えない彼女に、「男がキライなのか?」と問い掛けた。見知らぬ男に追いかけられることに恐れたアジョンは、ふと路地に入り込み、トジュンに向かって大きな石投げつけた。足元に落ちて、驚くトジュン。そこで、彼の記憶はいったん途絶える。

息子の無実を証明しようと、その夜のことを思い出すように必死に促がす母親。そのことがよもや墓穴になるとも知らず……。
彼が思い出したのは、事件の記憶ではなく、自分を殺そうとした母親の記憶だった。そして大枚をはたいて雇った弁護士は、罪は認めた上で精神病院に数年入ることで解決しようと持ちかけた。
しかも、キャバ嬢を傍らにはべらせ、その計画のメンバーとなる弁護士やら医者はもう、だらしなく酔いつぶれていた。母親は、ジンテの言うように、自らの手で真犯人を探し出すことを決意する。

カギはアジョンの男性関係。ジンテの荒っぽい方法も借りて、彼女の携帯に関係のあった男たちが全て撮影されていると知った母親は、ボケかけたアジョンの祖母に会い、その携帯をゲットする。
その中に映されていた中に、トジュンの覚えのある老人がいたんである。しかもその老人には母親も見覚えがあった。息子の罪を聞かされて悄然として帰っていった道で、みすぼらしいカッコをして荷車を引いていた廃品回収の男。
彼こそが犯人だと、勢いこんで母親は乗り込む。ボランティアの訪問だと偽って。しかしそこで聞いたのは……聞きたくなかった事実。

彼は聞くまでもなく自分から語り始めた。あの事件を自分は見ていた。いつも泊まっている廃屋にその日もいた。
「バカ!」と言われて、青年はきびすを返した少女に投げられた石を投げ返した。そしてその石は見事に少女の後頭部に当たり、倒れた。その死体を、青年は屋上に運んで行ったのだと。
そんなことはウソだ、見間違えだと激昂し、母親はこの老人を撲殺してしまう。
……親子で同じ罪を犯してしまう。

バカと言われると途端に人が変わったように豹変する、のは、母親が息子に、お前はバカじゃない、バカと言われたらやりかえしなさい、と言われていたからなんじゃないかと思う。
韓国語におけるバカが日本のそれとどうニュアンスが違うかは判らないんだけれど……彼がそれをまるでヒヨコの刷り込みのように取り込んで、少女を思いがけず殺してしまったことに、あまりにやりきれない、説明も何もつかない気持ちを抱いてしまう。
彼が反応したのはあくまでその言葉に対する条件反射。真にその言葉を理解して、侮辱を感じたからじゃない。
つまり、侮辱を感じているのは、この場にはいなかった母親なのだ。そして……だからこそ、この全ての結末を導いた。

トジュンがアジョンの後をついていったのはあくまで偶然で、彼女が生活のために誰とでも寝る女の子だと知っていた訳じゃなかった。
ただ、悪友のジンテからからかわれて、母親に庇護されることにもうっとうしさを感じて、ちょっといいなと思っていた女の子に刺激を受けて……たまたまアジョンの後をつけてしまったに過ぎないのだ。
ただ、アジョンが辛い人生を送っていて、自分がヤリマンだと思われているのを知ってて、トジュンも後をつけたんだと思って、ヒドイ言葉を吐いてしまった。
それが、自分の命を止まらせるとは思わずに。

母親は、その現場を見た廃品回収の男を殺し、動揺して火をつけてしまう。
あっという間に燃え上がるボロ家。彼のバラックだけがぽつんとあるような荒れ地で、誰も見ている者はいない。そして母親は……そう、あの冒頭に示されたクライマックスシーンに戻り、もちろん踊ることなどせず、ただ呆然と立ち尽くすだけ。

しかし思いがけずその後、“真犯人”が捕まる。さりげなく名前が出ていた、祈祷院から脱走した少年。アジョンと関係があり、彼女の血液が彼から検出された。
しかしそれは、アジョンが自分とアツくなった時出した鼻血だと彼は主張した。それでも彼はとらえられ、しかもそのまま真犯人だとされ、特に抵抗も見せないまま終わる。
たまらずこの少年と面会した母親は、彼に両親はいるのかと聞いた。肉親に苦しめられた子供たちを(無論、自分の息子も含めて)見すぎたことから出た言葉だっただろう。そして、泣き崩れた。

トジュンは無事釈放され、ラストは彼が母親へのプレゼントとして送り出したバス旅行の出発の場面で終わる。
出所した日、ジンテと、トジュンが岡惚れしていたジンテの彼女に迎えられ、ほんの偶然に、あの廃品回収の男が住んでいた、火事の現場に立ち寄る。
そして場面が切り替わって、トジュンが母親を旅行に送り出す場面になる。彼は渡すものがあると母親に何かを差し出す。笑顔で受け取った彼女の顔がこわばった。
それは……「あの火事の場所で見つけたんだ。母さん、落としちゃいけないよ」彼女がヤミでやっている鍼の道具。あの老人に対しての小道具として持っていったのだ。
もちろん、トジュンは疑ってなどいない。母親が落としたのを、男が拾ったぐらいに思っているんだろう。だけど……。

動揺してウロウロした彼女だけれど、結局はバスに乗っている。母親孝行のバスツアー。陽気にバスの中で踊るオバサンたち。
一人悄然と座っている彼女。パカリと鍼道具を開け、スカートをまくる。それは以前から「イヤな記憶を忘れられるツボ」があると提示されていた場所だった。そこに鍼を打ってあげるといわれたトジュンが、これを忘れてほしいのかと、母親が自分を殺した過去を暴露したのだった。
彼女は静かに太ももに鍼を打つ。
そして、夕闇が差し込むバスの中で、陽気な踊りの群に入り込む。
これで良かったんだろうか。確かに真相を知る者は、彼女意外に誰もいない。結局は自分の凶行を思い出さなかったトジュンも、訳が判らないまま釈放されたという感じだったのだろう。
でも……いつか、彼が思い出すかもしれない時を思うと胸がつまる。

劇中、小鹿のようだと評される純粋なトジュン=ウォンビンの黒目がちな瞳。
つまり、この瞳をずっと信じてしまったのだ。
いや、しまった、なんていうなんて。だって彼は……恐らく母親の教えどおり、自分をバカと言う相手を許せなかっただけ。獄中でのケンカシーンでもきちんと伏線が示されている。
でもそれは、彼自身の考えだったのだろうか。
そう考えると、更に胸が詰まる。
彼は自分自身の力で生きていくことが出来ないことこそが、無意識に辛かったんじゃないかって。★★★★☆


ハルフウェイ
2009年 85分 日本 カラー
監督:北川悦吏子 脚本:北川悦吏子
撮影:角田真一 音楽:小林武史
出演:北乃きい 岡田将生 溝端淳平 仲里依紗 成宮寛貴 白石美帆 大沢たかお

2009/3/6/金 劇場(シネカノン有楽町2丁目)
北川悦吏子初監督作品。とはいっても、私はドラマにはホント無知で彼女の手がけた作品も全然観ていないもんだから、さしたる感慨があるわけではなかったけれど、なんといってもキャリアのある脚本家、そして女性、ということでかなりの興味は惹かれていた。

これは予告編から思っていたことなんだけど、奇妙なほどに岩井俊二の画に似ている。カメラマンのせいなのだろうか。曇りガラスを思わせるふわっとした色合いというか、空気感というか。
ハイティーンの揺れる心模様なんていう世界観も妙に似ているんだけど、似ているだけに、なんか不満な気持ちがどんどん出てきてしまうんだろうか。

今、高校生を描くと、もっと辛い現実や、過激な生態の方に着目することがほとんどだから、この物語って、今時ないだろっていうか、ぬるい、と言われかねないよね。
でも一方で、こういうぬるさを待っていた部分も確かにあり……そんなに世の中の高校生が殺伐としているわけじゃない、こんな可愛らしい感情をいまだ持ち合わせてるんだと思いたいっていうか。こうした、ある意味では何も起こらない少女マンガ的感情のみの世界って、やっぱり欲せられていると思う。

ただ……なんかね、本作はそれを、感性のみを頼りにしてて、間隙を縫う作業をしていない気がするのだ。
確かにこの北川氏という人は、才能豊かな人なのだろうと思う。でも多分それは、より多くの才能を感性の部分においているような気がする……。
画的にはソックリでも、同じような少女マンガ的ぬるさを持ち合わせていても、岩井俊二が彼女と違うのは……実は冷静に物語や世界を構築しているからじゃないかと思うんだよな。実は、突っ込まれそうで突っ込まれない、みたいな。

それより以前に、私自身がこういう恋愛体質のヒロインを、生理的にどうしても好きになれないからなのかもしれない。
北乃きいちゃんは、その湿度っぽくなりそうなキャラを、彼女自身のサバサバした魅力で見事にねじ伏せ、スーパーナチュラルな演技も素晴らしくて(アドリヴみたいと思ったのは、間違いじゃなかったらしく、全編かなり役者のアドリヴが活かされていたらしい)とても可愛いのだけれど、でもやっぱり、好きになれないんだよな……それはつまり、私自身の好き嫌いの問題なのかなあ。
ま、ナチュラルとか言いつつ、アップになるとヒロも親友のメメもまつげがカンペキにくるんとなってることに、つい注目してしまうオバチャン。
ナチュラルな雰囲気を前提にしてるから、この時点でガクッとなるのは……古いんだろうなあ。

彼女、ヒロが好きで好きでたまらない男の子、シュウから、思いがけず付き合おうと言われる。有頂天の日々を過ごすけれども、彼が東京に進学を希望していることが判る。
地元の大学に進学するヒロはショックを受け、シュウとケンカし、一時は距離を置くんだけど、彼が東京進学を諦めたことを知って嬉しさの一方、複雑な気分を抱く。
そして結局、ヒロの方から東京へ行ってとシュウを押し出すんだけど……。

シュウがヒロに告った後、二度、ヒロが防波堤の道から緑の斜面に自転車で落ちていくシーン。
あそこがピークだったなあ……。
シュウと目を合わせられないぐらい、ただただ彼が好きだった季節。
一度は、「じゃ、また!」と一人で帰ろうとしたところを、「やっぱり一緒に帰りまーす!」ときびすを返すヒロに戸惑うシュウ。この時は、告白したのはシュウの方でも、ヒロがかれを好きな気持ちの方が確実に勝ってた。
シュウはモテ男だけど、案外付き合った経験はないのか?そんな感じはする……。
彼が彼女に“告る”場面。180度カメラが回転して、彼らの今生活している学校、その緑豊かな情景からまわりまわって、土手下の二人が上の道路に登ってくる。
上手いけど、手持ちカメラがブレブレで、意図だけが押し付けに感じて、ちょっとウンザリしちゃう。

まずね、ヒロがシュウに、東京に進学することが判っているのになぜ自分に付き合おうと言ったのか、とすんごく当たり散らすじゃない。
なんかこの時点で、ヘンだなと思ったんだよね……これはこの物語の最もキモになる部分なだけに、ここにずーっと引っかかっていたのが、この作品に対する、いわば不信感を育てる結果になってしまった。
ヒロの言いようではまるで、全ての人が地元で進学なり就職なりをするのが常識、みたいな感じだよね。しかも、彼女はじゃあ自分も東京の大学に進学する道を模索してみようとかいうことを、全然しないじゃない。

そりゃもしかしたら、ヒロの家庭では経済的な面でとかで、それは難しいのかもしれない。でもせめて親に当たってみるとか、先生に相談するとかいう場面さえない。
シュウが東京に行くことだけが、それを判っててヒロと付き合い始めたことだけが、男の身勝手だというのが……いくらなんでもムリがあるというか、彼女があまりにも自分は何も変えない、自分に男が合わせるべきだ、みたいな風に見えて……そりゃないよなあ、と思ったのだ。
そりゃさ、女が男に追従することもないけど、彼女が怒り狂っているその理由にまずついていけなかったから、その後もどうにも困っちゃうんだよな。

しかも、そのシュウの方の進学希望の気持ちもどうにも弱いというか……彼は早稲田大学に行きたいと思ってる。先生もそれを後押ししてる。
地元の大学に進学するカノジョが出来たことで心がゆれ、一度は早稲田進学を諦めるのだけど、だからといって地元の大学のどこかにシフトするという訳でもない。
結局、ヒロが先生に頭を下げて、この人を早稲田に行かせてやってくださいということによって、彼は早稲田希望へと戻ってくるんだけど。
これって、いくつもの点で、おかしいよね。まずなぜ早稲田なのか。早稲田だけなのか。
その中の学部の希望すら言われない。何かを目指しているのなら、それこそ早稲田に執着することはないはず。北海道にだって高度な大学はあるわけだし。

あ、そうそう、シュウの友人が「オレは北大だけどね。地元だし」とか言うのもカチンと来たんだよなー。早稲田に北大って、どんだけ頭いいんだよ。北大を単に「地元だし」という理由だけで言わせることに、なんかすんごく腹がたっちゃったのは、私がそんなレベルなぞ望むべくもないからって思われるのもシャクだけど(そのとおりだけどさ……)。
でもだからこそ、そうしたレベルの高い学校名だけを進学希望としていることに、ホンットにムカついちゃって。
ヒロは早稲田に進学することだけが希望で、そこで何がやりたいとかいうことが一切語られないでしょ。ただ、早稲田、なんだよね。早稲田に行ける学力があるなら、それこそ北大だって行けるんじゃないのと思うのに、早稲田、なんだよね。そこまで言うなら、早稲田にこだわる理由を聞かせてほしいわ。

てか、早稲田にこだわるのは、カントクが早稲田出身だからか!!!!だから「地元だから北大」なんて信じられないことを言うのか!!!

確かにティーンの恋愛物語に、その繊細な気持ちのやり取りに、そんなヤボな話は無粋だという面はあるにはあるけど……。
でも二人が離れなければならない理由に、高校三年生の、これからの人生を決める時期を選んだら、それは絶対に避けては通れない道だし、避けては通れないからこそおざなりな描写にしたら、一気に安っぽくなるのは必至だし……。
それを上手く活かせたなら、切ない恋愛物語が盛り上がるてなもんだとも思うんだけどなあ。

だってさあ……ヒロの方も、そうなんだもの。彼女が進学希望しているのは札幌福祉大学。福祉、というからには、卒業後の進路もハッキリしていると思われる、のに、ぜんっぜん、そういう感じがないんだよね。
大体、全然勉強もしないしさ。ひょっとしたら彼女のレベルでは合格は楽勝なのかもしれないけど、それにしても彼の勉強のジャマばかりして、勉強しててもより目とかして遊んでいる彼女には、ちょっとカチンときちゃう。
うー、私は大学突破がホントタイヘンだったんだからー。いくつ受けたと思ってるんだ、バカヤロー。って、単にひがみなだけか……。

でもそういう感じが、スゴイするんだよね……ヒロの友達として登場する仲里依紗演じるメメは、片親だけの家庭らしく、その親が再婚を決めた途端、大学進学を勧められた、と嬉しそうに語る。そんな友達を見て、ヒロもまた嬉しそうである。二人してシャボン玉遊びなぞに戯れる(こういう少女マンガ的雰囲気が、このあたりになってくるとだんだんうっとうしくなってくる……)。
メメは大学に行けることだけを嬉しく思ってるだけで、つまり友達と同じラインに立てたことだけが嬉しいんであって、やっぱりそこにはキャンパスライフしか目的はないんだよなあ……。
まあ、この友達に対してまでそんなことをツッコむのは酷かもしれないけど。確かにそういうワクワクした気持ちは判るしね……。
ただ、高校三年生も押し迫ったこの時期から大学進学を決めたのが「大変だ」とは言いつつ、とりあえず大学に行くことがそんなに難しいことではない今の時代ってヤツが、なんか皮肉にも思えてさあ……。

そういう方向にばかり考えすぎなのだろうか?でもせめて、早稲田にこだわるシュウが、なぜそこまでこだわるのかぐらい走りたかったよね。しかも彼女に攻め込まれていったんは諦めるってのも正直カッコ悪かったし、それだけの意志がなかったんじゃないかっても思ったし。
ヒロは「どうして私に告ったんですか。どういう気持ちで告ったんですか」と迫る。受験勉強のために距離をおいている時、「やっぱり俺、お前のことが好きなんだなと思ったよ」などという場面も出てくる。
正直この場面、自分は全然勉強しないで、シュウにしつこく電話するヒロにあー、うっとうしい、お前勉強しろよ、とか思うんだけど、彼の方はやっぱりそんな彼女がいとおしいらしい……まあ、一番恋愛が楽しい時期だからね。私は経験ないけど(爆)。

でね、シュウはさ……なぜヒロに付き合おうと言ったのか、今風に言えば(てあたりが、既に年寄りくさいが)、“告った”のか、最後まで明かさないよね。
だって多分、シュウは最初、ヒロのこと別に何とも思ってなかったハズ。バスケの花形選手でモテ男子で、多くの女の子にキャーキャー言われているのが最初の場面で、ヒロはその中の一人でしかなかった。
シュウにハイタッチできたことで上気しちゃって保健室で休んでいたヒロ(ていう設定自体ベタなんだけど……)、目をつぶったまま、彼に告白して受け入れられる夢を観た、と友達に言っているつもりでキャーキャー暴露していた場面に、鼻血を出して保健室に来ていた彼が聞いてしまう。

そうそう、ファンの女の子たちが「シュウ君が倒れちゃったんです」と小鳥のさえずりのようにおどおどと可愛く保健室の戸口で訴えていた場面、可愛かったなあ……。
ああいうの、ホント、古きよき時代、って感じだよね。今でもあるんだろうか……。
で、そして「これって、正夢?今日告白する!」と宣言したヒロにシュウは「えっ!」と驚き……つまり彼は、彼女から告白されるのを待ち構えていて、ウッカリ自分の方から「付き合おう」と言っちゃった訳でさ。
まあ、男子なんてそんなもんなのかもしれないけど、でもヒロから「どういう気持ちで告ったんですか」と攻め込まれた時、明かしてもいい事実だったよね。
最後までその事実をヒロが知らないのは……なんかツッコまれざるをえないじゃん。だってそのひとくさりだけで、やや中だるみしている部分を充分埋められるんだもん。

大体、なんで彼女が先生に頭を下げて、彼が早稲田進学を復活させることになるわけ。そんなこと先生は何にも関係ないし、彼自身が決めることじゃないの……高校受験ならいざ知らずさあ。
自分のためにシュウが早稲田を諦めたことを複雑に思うヒロは、書道の先生に相談をして、この結論に至る。その書道の先生が、「ラブファイト」で彼女と遣都君を役者としてステップアップさせた大沢たかお。
長髪を無造作に束ねて、昼寝しているところを起こされる芸術家肌の先生、しかも生徒の恋愛相談に親身になる先生、なんて、いないいない、こんな先生いないって。

ヒロが「友達の彼氏」として話し始めるのが次第にごまかしきれなくなってくるところは、もー、それこそ少女マンガで何百回と繰り返されたネタだよな。
先生は彼女のために東京行きを諦めたシュウのことを、イイ男だと評価する。東京行きが判ってて彼女に告白したことも「それが男だ。女性はそれを無責任だと言うけれど、先生は好きだな」と。
そして、「この間東京に行ってきた、渋谷は凄い、東京は魔物が住む」とか言いながら、「この先ずっと一緒にいるとして、今一緒にいることと、東京に出て色んなことを経験した上で、守ってあげたいと思うことと、どっちがイイ男だ?」と問い掛ける。
ヒロは「この先、ずっと一緒にいるとして……」と反芻する。

勿論、ヒロが危惧するように、この先ずっと一緒にいられるかどうかなんて保証はない。っつーか、まず、ないだろうと思う。だからこそこの物語が確信犯的に切ない幕切れを用意しているんだし、先生たちもそれを判ってて、長い目で見た人生を後悔しない様に、慎重に指導しているんだもの。
でも勿論それを、彼らに言うことは出来ない。ただ彼らが、どこまで汲み取ってくれるか、である。
でもでも、勿論、ずっと一緒にいること、は、不可能ではないのだ。でもそれは、今引き止める選択の方が、壊れる可能性は大きい……。

本作は、この一瞬だけの恋愛の(いや、恋愛にすら行ってないかもしれない……恋愛未満の)切なさを活写することを目的にしていると思う。
東京に行くシュウをヒロが見送る場面の後、これがラストかと思われた後に、二人が音楽室で「発表します!シュウは私、ヒロが好きです!」とか、ふざけてドラムロールで言い合うシーンがあるんだけど、そこでは画面から彼は見切れて彼女だけ、なんだよね。
どこかテレくさい気分でヒロに付き合っているという風のシュウに対して、恐らく彼女は、ラストカットの台詞を言いたいだけで、このお遊びを仕掛けたのだろう。
「発表します!……東京に行ってほしくないです!」そう冗談めかして言った彼女の、何とか笑顔をこしらえた目には、こらえきれない涙がたたえられていた。

という、画の魅力だけをピックアップすれば、ウッカリ良作に思えそうなんだけど……夕闇のシルエットの中、校庭の審判が据わる高台の上で、東京に言ってほしくない!と暴れ周るヒロを、後ろからそっと抱き締めるシュウの、そう、顔の表情は見えない青と黒のシルエットだけのシーンは、うっかりグッときちゃったしなあ……ズルイのよね、後ろからのギューは、女子は陥落しちゃうんだもん。
そういやー、東京進学だって判っててなぜ自分に告白したのか、と詰め寄る河原での場面、シュウは正面からヒロを抱きしめようとして……まあいわば、ゴマかそうとして失敗してたんだよなあ。みぞおちにパンチくらったりしてさ。
でもね、後ろからには、ヨワイのだ。このあたりはさすが、女の生理を判ってて、上手いよなー、と思う。

でもさ……これって、札幌福祉大や北大を“地元”として展開していくけど、舞台は小樽だよね。劇中では、ここが小樽っては明確に言われてなかった気がするけど(てのも、ちょっと気になる)彼女が彼を見送る場面、小さな駅から何両もない小さなローカル線で、新千歳行きの電車に乗るんだもん。とても札幌とは思えない。
それってさ、東京に行くシュウをやたらと糾弾していたこと、札幌や北大を地元と言っていたことに、なんかかなりの齟齬を感じるっていうか……。

北海道って広いし、都市と都市の間って、もうまるで別の土地に行く感覚だもの。ヒロが札幌の大学に行って、シュウが北海道の全然別の場所の大学に行くならどうなんだって思っちゃう。彼がホントに地元の小樽なり、旭川なり函館なりの大学に行くとしても、彼女は怒らないのか。会えなくなる感覚は東京に行くのと変わらないと思うんだけど……。
まあ確かに、東京という“魔物の街”に行ってしまうのとは、全然違うっていう気持ちは判るけど、でもヒロは(というか、作り手が)そういうトコを全然追求してなかったしさ。
やっぱりそういうのって、地方、特に、北海道という、海までも隔てた地方の事情が判っていない人じゃ捕らえきれないんだなって。なんかやっぱり、ツメが甘い気がしてしまうんだよなあ。

設定としても、固定はされていなかったよう。ある地方都市としか。
でもそれってね、その時点で大いなるマチガイを犯していたとしか思えない。今は、“ある地方都市”なんて設定は成立しない。これだけ情報が発達して、距離が離れてても情報は近い、でもやっぱり距離が離れてる……というジレンマがあるという時代、架空の地方都市だなんて設定、成立しないし、作家や都会のゴーマンにしか過ぎない。

男の子のシーンが結構多い割に、彼の気持ち(というか覚悟とか、意志とか)が判らないっていうか……基本的に女の子視点のみの展開が、脆弱なイメージを与えてしまった気もする。
いくらぬるいハイティーンモノでもね、ちょっと、彼らの将来への希求とか、だからこその今好きな人と一緒にいられないことへの葛藤とか入れると、全然違うと思う。それが長い人生の中で、もろくも崩れるにしても、だからこそあの季節は美しいんじゃないの。
一体彼らは、何を望んで、何をしたかったのか。
それがどうにも見えない気がしたんだよなあ……。

なんつーか……岩井俊二におんぶにだっこな感覚は最後まで否めなかった。★★☆☆☆


飯場で感じる女の性
2000年 60分 日本 カラー
監督:荒木太郎 脚本:内藤忠司
撮影:前井一作 横田彰司 本多伸明 音楽:篠原さゆり
出演:鈴木あや 林由美香 久須美欽一 荒木太郎 時任歩 丘尚輝 小林節彦

2009/3/9/月 劇場(渋谷シアター・イメージフォーラム/WE ARE THE PINK SCHOOL!)
「セックスなんて男が気持ちいいだけじゃん。勝手に突っ込んで、勝手に腰を動かして」
「ちゃんと恋愛したことある?好きな人とのセックスは、お互いに気持ちいいんだよ」
「私、まだイッたことないんだ……」

この、ピンクで女に言わせちゃっていいのかと思う台詞にズキッと来た。これって、これって、だって、女の心からの叫びのように思えたから。
しかも二人とも、劇中のキャラでは、もうセックス大好きってな、ピンクの女そのものだったから、その本音はここにあったのかと思うと、更に切なかった。
でも、だからこそ、女はタフなんだけどね。

ピンク版「男はつらいよ」と呼ばれたと言う、林由美香嬢主演の連作キャラバン野郎シリーズ、というのは、あまり観る機会がなかった気がする……今まで1本か2本、観たかなあ。
本作で由美香嬢は、飯場で肉体労働の男たちの食事を整える、紅一点。そしてそこに転がり込んでくるのが、白黒ショーの稼ぎを盗んで逃げ出してきた若い女。
飯場、白黒ショー、なんというか、やけに懐かしい香りがする。
白黒ショーなんて、歌舞伎の三色でテントを張り、見世物小屋みたいな物悲しい呼び込みの音楽の中で行われるもんだから、余計にもの悲しい。
しかも、そこで相手している男の方が、荒木監督自身というのも物悲しい(爆)。彼は自身の作品でこんな風にもの悲しい雰囲気の男性として凄くキャラが立ってて、それって凄いなと思うんだけど……。ダサメガネに頼りない身体で、もう見てるだけでもの悲しいのよね。

由美香嬢演じる花枝は自分のことを「飯盛り女」なんて言う。飯盛り女って……一方で身体を売る女のことでもあるじゃないの、と思うんだけど、彼女はこの男だらけの職場で一輪の花のようにみんなのアイドルではあるし、セクハラだろってなお触りはしょっちゅうされるものの「あれで意外と身持ちが固い」ことで成り立っている。
彼女は後に、荒木監督演じる真二に、「あえて男ばかりの職場で禁欲に耐えているの。そうやって自分を鍛えているの」などと言い、このあたりが先述したようにいかにもピンクの女なんだけど、由美香さんが言うとそれがフィクショナルでもいやらしくもなくすっと入ってくるから不思議。なんとも可愛らしいのだよなあ。

慎二は花枝と昔馴染みらしい。どういう関係なのか、恋人同士だった雰囲気もなきにしもあらず。
レイカにカネを持ち逃げされて一文無しになった彼が、どうにもならなくなって花枝の元を訪ねる場面。あまりにもワザとらしく現場の正面でバッタリと倒れるヘタレっぷりに笑ってしまう。
現場で働き出すも、見るからに体力のなさげな彼が、情けなーい顔でフラフラとカメラに向かって歩き出すシーンの連続に、噴きだしちゃう。この人ってなんでこんなヘタレ男が似合いすぎなの(爆)。いやそれがまた、何とも愛しいというか……そして彼はここからも姿を消してしまうのね。

その後にやってきたのが、慎二からカネを持ち逃げしたレイカ。そんなこと全然反省してない様子で、勿論カネもすっかり使っちゃって彼女もまたスッカラカン。
「何、ここ、メシバ?」「ハンバ!」と花枝と男たちが声を揃えて突っ込むのがイイ。
「私、ここで働く!薄汚れた雰囲気、男たちの匂い……」ムフフと楽しげな彼女は、慎二とは対照的にそのたくましい身体で男顔負けに仕事をこなす。
その一方で、次々に男たちをその身体のトリコにしていくもんだから、花枝は眉をひそめ注意すると、今度は彼女がレイカの餌食になり、二人はすっかりイイ仲になってしまうんである。

レイカが花枝を陥れる時「花枝さんだって、セックス好きなんでしょ。ガマンするのは身体に良くないって、エライお医者さんがテレビで言ってたよ」と言って襲い掛かるのね。で、レイカの手練手管に花枝は抵抗できない。
そしてそれ以降、あれほど男たちとセックスしまくっていたレイカは、花枝だけにベッタリになる……レイカはセックス大好きみたいに見えていたのに、先述した、後に彼女がふりしぼるように叫ぶ台詞のように、それはレイカにとっての鎧でしかなかったというのが判ると、なんともはやグッとくるものがあるのだ。
花枝とのセックスに溺れるっていうのがね、相手が自分と同じ感情と快感のツボを持つ女だから……。

レイカを演じる鈴木あやは、可憐で華奢な由美香さんと違って、もうホント、たくましくってさ。由美香さんにのしかかった時の、ウエストほどもありそうなばーんと張った太ももと太い足首、むちむちの二の腕に、うわあ……なんか、確かにこっちがタチだわ、と思っちゃう。
そりゃあ由美香さんがネコ側には違いないのだが、と思っていたんだけど、実は違ったんだよね。自信満々に見えたレイカの方が、実は若くて未熟で不安をいっぱい抱えてて、それを若さゆえの虚勢を張って隠していたことが、あの台詞で判った時に、花枝のことをお姉ちゃんみたいに慕ってたんだってことが判った時に……なんともグッときてしまうのだ。

レイカが所長の夜這いに応じている間、彼の財布を盗もうとしているのを、横で悔しげに見ていた花枝が気づいて声をあげてしまう。
怒った所長から殴られるレイカ、しかし彼女は……あれ、何を持ち出したの、相当アブナイもんで殴り返したんだろう、花枝が慌てて「死んじゃうから!」とレイカを止めると、レイカは花枝の手を引いて、ハンバから逃げ出すのね。二人とも、全裸である!
山道で止めた車の男を「このコとヤリたいでしょ」とレイカはたらしこみ、なんと往来でパラソルを持ったまま3P、ってありえないでしょ!別の車が通ったらどうするんだよー。
ありえないだけにちょっとギャグな雰囲気もあって、思わず笑ってしまうトコでもあるのだが……だってこの男、ビキニパンツの跡だけクッキリ残って日焼けしてて、パラソルなんて積んでて、だけど男一人で、っていうのが妙に哀しい想像をさせるんだもん(爆)。

レイカは男を存分に楽しませた後、彼のキンタマを蹴り飛ばし、車を奪って花枝と共に逃走。
その後はね、その繰り返しがストップモーションとスローモーションで描かれるのね……車を止めたら、いきなり鉄棒でガンガンガラスをぶち破りまくる!オイオイオイ!
しかしこの、あまりに破天荒な女二人の道行きが、なんか「テルマ&ルイーズ」なんかも思わせて、この先の二人の哀しい結末なんぞをつい想像してしまうのだが、そこに花枝の、いや由美香さんの、ベテランの女でありベテランのピンク女優であるからこそ心に染み入るあの台詞が、その悲劇への転落を鮮やかに止めるんであった。

もうこんなことやめよう、と花枝が言った時、レイカはだだっこみたいに泣き出して、あの台詞を言ったのね。男なんて女とヤリたいだけなんだから、と。彼女のこれまでの人生が、奔放で自由のように見えて実はとても寂しいものだったことがうかがえて。
花枝はそんな彼女を姉のように抱きとめながらも「悪いけど私、自分のことでいっぱいなの。だから自分でなんとかしてね」と突き放すもんだからレイカは更に泣き出すのだけど……花枝の優しいキスは、精一杯の後押しだった。
しかしレイカは花枝がその場を去った後も、タフに起き出してやっぱり車を止めようと、ニッカリ笑って親指を天に向かって突き出すんだけどさ(笑)。
うーむどちらが本当の彼女なのか……タフにならなきゃ女は生きていけないということもあるけれども。
でもレイカが泣き出した時にはホントビックリして、あの強くてたくましい女が……って。やっぱりあの彼女が、子供のように頼りない彼女が、本当のレイカだったんじゃないかなあ……。

花枝はとぼとぼと飯場に戻ってくる。男たちだけで味気ない食卓を囲んでいた彼らは破顔一笑、彼女を迎え入れる。
「花枝ちゃんのメシを食うの、久しぶりだな!」「私、ここにいてもいいの……」どう償っていいか判らず、ヒドイケガをした所長の前で服を脱ごうとする花枝に「ヤメなよ。花枝ちゃんは自分を安く売らないんだろ」所長は、自分もレイカに手を出しちゃったからな、と苦笑いして、「それに、今面白い見世物が来てて、皆そっちで足りてるんだ」と笑う。花枝は慎二が白黒ショーを再会させて戻ってきていることを知り、笑顔を見せるのね。

しかし、白黒ショーなんぞを見たら逆にたまりそうな気もするけど……(笑)。でも慎二がレイカの替わりに見つけた女は、しっとりと浴衣の似合う美人で、この白黒ショーにもプロ意識が感じられるというか。
で、ショーが終わると男たち共々、慎二も彼女も飯場に戻ってくるのね。彼女なんて「あー、お腹すいた!」なんて、ショーで見せていた艶っぽさとは別人みたいに明るく笑ってさ。
夜食を用意していた花枝は二人を笑顔で迎え、慎二と屋根の上で親密な時を過ごす。「慎二君が出て行った後ね……」「いいよ、ムリに言わなくても」「優しいんだ」「違うよ。聞くのも言うのも、コワイだけだよ」
そう言いながらもイイ雰囲気の二人に、階下から「おーい、お二人さん、キスしてんのか!」のヤジ。笑って抱き締め合う二人。

カットが替わると、テーブルの上で踊り出す慎二のパートナーと、男たちも、花枝も、慎二も、歌い踊り楽しげに騒ぐ。
本当に楽しそうで、なんというか、祝祭的なラストで、こんな風に収めてしまえることに、ちょっと驚きつつも幸せ気分。★★★★☆


反恋愛主義JUST SEX AND NOTHING ELSE
2005年 104分 ハンガリー カラー
監督:クリスティナ・ゴダ 脚本:ディビニ・レーカ/クリスティナ・ゴダ/ガーボル・ヘッレル
撮影:ブダ・グヤーシュ 音楽:マダラース・ガーボル
出演:ユディット・シェル/シャーンドル・チャーニ/カタ・ドボー/ゾルターン・セレス/カーロイ・ゲステシ/オデール・ヨルダーン/オントル・チョプコー/ゾルターン・ラートーティ

2009/1/23/金 劇場(渋谷ユーロスペース)
まあ正直、時間が上手く合ったからフラリと足を運んだんで、気楽に観られるかな、ぐらいの気持ちではあったんだけど……まさかこんなに腹を立てるなんて思いもせずに(苦笑)。
うーんでも、腹を立てるというよりは……単に、ツマラナイと思ったのかなあ。途中から正直苦痛だったし。
ハンガリー映画というのは初めて観るんだけど、そのせいでか、ノリに慣れてなかったのかもしれない。でもそれも、単純に、なんかセンスが悪い、と感じてしまった。
なんかね、話自体もそうなんだけど、役者の雰囲気、台詞、コメディリリーフに至るまで、安っぽい昼メロみたいな気がして、観ててなんか、いたたまれなくて。

それにさー、大体タイトルに偽りありじゃん!まあ、邦題だけど、全然、反恋愛主義じゃないしさ!
最後には「私、恋しちゃった」ってどうなの……大体、あんなヒコマロ顔だったいうのも気に入らない。いや、ヒコマロさんには何のウラミもありゃしないのだが、あのメタボ男をイイ男だのカワイイ尻だのと言うのが判らない。
私的には真面目で不器用なあの作曲家の方が絶対、いいけどなあ。それこそ“反恋愛主義”ならば。

と思いつくままに言っていたら、またしても暴走してしまう(爆)。だからね、なんでこんなタイトルかというと……主人公の女性、ドラが子供が欲しいがゆえに、セックスだけの相手を求めているからなんだよね。
年は32歳、長年付き合ってきた恋人は奥さんと別れる気もなく、ドラは恋愛の先にある結婚で子供を持つことに焦り始めた、のかなあ。

うーんでも、それも唐突な気がしたけど。だって恋人にイケイケのカッコで会いに行って、マンションのバルコニーにパンツいっちょで放り出されるドラは、とても結婚願望や子供願望があるようには見えなかったし。
子供が欲しい、と思い至ったのは公園でカワイイ子供たちが砂だらけになって遊んでいるのを見てる場面一発、切実な気持ちに至るような展開なんて何もないんだもん。
んでもって精子バンクを訪れると、登録しに来ていた男たちはみんなキモイマッチョマンばかりで、見知らぬ男との精子だけとはいえ、こんな男の子供を産むのか、と彼女は多分思って……新聞に広告を出したんだよね、こともあろうに“私はセックスの女神”と。……センスなさすぎだろ、このネーミング。

気楽に観られるかも、とか言っちゃったけど、やっぱり何気にこういうテーマが気になって、足を運んでるんだよね、私。
結婚はおろか、子供が欲しいとも思っている訳ではない……んだけど、男性と違って出産ということが絡む女には、恋愛はまだしも結婚にはどうしても年齢に制約がかかってしまう。その葛藤を……まあ一番、考えてしまう年だからさ(爆爆)。
だから、そういう共感を得たいと心のどこかで思ってるから、それがこんな無粋なドラマに仕立て上げられちゃうと、まあ勝手に腹が立つ訳で(笑)。
うーん、でも、結局は根本的なところだったのかもしれない。何の根本的って、恋愛ドラマとしての根本的なところよ。
恋愛モノを観に来ているつもりはなくても、この作品のオチ自体がそうなってしまうと、やはりその点について文句がつけたくなる……この男に恋には落ちないもん、絶対。こんなヒコマロ顔の(しつこい)女たらしにはさ!

ところでこのヒロイン、ドラは舞台脚本家であり、ヒコマロ顔の男、タマスは人気男優なんである。人気とはいえ……監督の奥さんを寝とって追い出されたというウワサのプレイボーイで有名な男。
彼との出会いは、ドラがパンツいっちょでバルコニーに放り出された時、二つ隣のバルコニーにたまたま出ていたのがタマスだったんであった。
まさかこの時には仕事仲間になるなんて思いもよらず、外の工事夫たちからのからかいにも耐え切れなくなって、バルコニー伝いにタマスの部屋に転がりこんだんである(危ない……)。
まあこの冒頭から、彼と最終的にはハッピーエンドを迎えるのは見えていたといえばそうなんだけど、私はどーにもこのやに下がったタラシ男が好きになれなかったんで、その考えを頭から追い払い続けていたんだな、きっと。
今時珍しいと思うよ、こういう男がヒロインの心を射止めちゃうなんてさ。最近は癒し系流行りだから、奥さんを亡くした作曲家、ピーターがその役を担うと思ったんだよなー。

そりゃ一時はドラだって、ピーターに心揺れる。彼がドラに一途に思いを告白し、プロポーズまでしたから。そりゃー、女としては心揺れるに決まってる。
しかも彼、子供みたいにうっかりさんでこぼしクセがあって、部屋中のシミをソファやら絵やらで隠しているような不器用なトコも母性本能をくすぐっちゃうしさ。
でもこの時点でドラは子供だけを欲しいと思っていたから、こんなマジメな彼に子供を作るためだけのセックスがしたいなんて、言えなかった。じゃあそれを誰に言えるのかといったら、あのプレイボーイのタマスだったというわけで。
ま、そういう選択をした時点で、ドラの中ではタマスへの思いが既に存在していたとも言えるのかもしれないけど。
でもさ、最初彼女がピーターを除外した理由は、亡くなった奥さんを愛し続けた彼がセックスだけの相手としては“重い”と、思ったからなのよね。それこそ友人の女優、ゾフィはあからさまに「(亡くなってから)四年か。そりゃ日照り続きでツライわね」なあんて言うもんだから、ドラは気が滅入ってしまう訳。

つーか、まあその前に色々あるんだけど……。そもそもドラは「危険な関係」の舞台の顔合わせで、主演を張るのがあのバルコニー男だと知って驚愕。あの時のことは誰にも言わないでよ、と言ってもタマスは、君の下着姿が頭から離れないとニヤニヤ。
それどころか、ドラの書いた台詞にいちいちナンクセをつけ、こんな台詞はリアルじゃない、気持ちが込められないと散々。
加えてハンプティ・ダンプティみたいなこれまた超メタボな演出家、バスコもあまりやる気がなく、しかもコイツまでもが身のほど知らずに女好きで、若い女を捕まえて何度目かの結婚式をあげるシーンが出てくる。それを横目で見ながらゾフィは「いけにえね」と吐き捨てるのがシンラツ。

ちなみにこのソフィも男運が極めて悪く、様々な男に捨てられ続けている。ついにはカネを持ち逃げされた男が帰ってきたから「ヨリを戻しに来たんだ」と不安半分に思っていたら、ソイツは同じ舞台で共演してる、バスコに色気で迫って台詞を増やした若手女優を口説いていたんであった。
大ショックのゾフィは自殺を図ってしまう……その時ドラはピーターとの結婚を決意していたハズだったのだけど……。

おっと、また一気にオチまで言いそうになったが、その間にもまだまだコトはある(笑)。つーか、この話のメインとも言うべき、セックスだけの相手探し。
まーでも、その部分が一番センスない気がしたけどなあ。大体超ミニの“勝負服”を着て挑むってトコからベタで、その画があまりに気合い入ってるがゆえに痛々しくて見てられない。
つーか、女優のゾフィならまだしも、脚本家のドラが、何でこんなお腹もぴったりへこんだナイスバディなのだ、って、関係ないか……でも殊更に彼女のボディを強調する場面が繰り返し現われるもんだから、この人は脚本家なのじゃ……とこれまた繰り返し思ってしまうんである。
なんかあんまり、脚本家であるという設定が活かされているとは思えないなあ。タマスに、こんなのホンモノの言葉じゃない、と台詞にナンクセをつけられるシーンはあるけど、それだってドラが恋人から言われた歯の浮くような台詞であって、彼女自身が紡ぎ出した言葉じゃないわけだし……。

で、ちょっと脱線したけど、当然この場に“セックスの女神”を求めて次々と表われる男たちはロクなもんじゃないんである。
それこそ精子バンクにいた男たちとさして変わらない。その中に怪しげな日本語を操る男まで紛れ込ませているもんだから、何だかカチンと来てしまう。
何をもってアンタは価値を決めてるわけ。ここにくる男たちよりタマスの方がいいとは思えないけどなあ。
しかもここに、おしどり夫婦として有名だった老紳士、ティバダールまでがご来店するもんだからドラは大慌て。しかもその時の話を彼がタマスにバラしたとカン違いして、ドラは皆の前で自ら暴露し、このおしどり夫婦を危機にさらしてしまうんである。

タマスは元々、ドラのナイスバディに釘付けだったし(爆)、ドラとのセックスを重ねるごとに、どうやら本気になっちまったらしい。で、ドラがセックスだけの相手を求めていたと知って、ショックを受ける。ショックを受けるタマとは思えんが……。
大体タマス、大根役者だしさ(爆)。ま、つーか、このコスプレとしか思えない舞台自体がかなりの安っぽさなのだが……。タマスが衣装合わせのカッコでドラを地下鉄まで追いかけるシーン、ドラが「そのカッコ、バカみたい」と言うようにただ単に時代モノというよりは、バカ殿ならぬバカ王子てな雰囲気なのよね。
で、舞台自体もなんかそんな感じにしか思えない。
まあでもそれはいくらなんでもそう思って作り上げている訳でもないんだろうけど、でも演出している場面も、観客に見せている場面も、決まった場面がほんのちょっとだけなんで、最終的に舞台が大成功を収めて拍手喝采になっても、こっちにはぜえんぜん、そのカタルシスが感じられないのがツライんだよなあ。この作品自体に感じる安っぽさが、劇中舞台にもそのまま感じてしまうんだもん。

ピーターと同じように、ドラに一途な思いを寄せてくる男性がもう一人いる。カフェのトルコ人青年、アリである。ドラはセックスの相手につまった時、いつもドラに愚直に思いを告白する彼が頭にのぼるんだけど、ちょうどその時タマスが割り込んじゃった訳でさ……。
このアリも、正直バカみたいな造形。実際は言葉がカタコトなだけで、素直でイイ子なんだろうけど、コメディリリーフとして設置されている立ち位置のせいか……そのオバカっぽさだけが強調されているのがキツイんだよね。

ドラの部屋の前でセクシーダンスを踊ったりさあ……「アリ、大丈夫」「アリ、OK」を繰り返すばかりなんて、頭が弱いんじゃないのと思っちゃう。いや、単に外国人で言葉がカタコトなだけなんだけど、そういう風に見えるように造形しちゃってんだもん。
これってさー、まあどこの国でもそういう外国人に対する単純な造形の仕方ってあると思うけど、それをセックスだけの相手としてコメディリリーフにしちゃうとなると……なんかやりすぎというか。見てられないんだよね、痛々しくて。
まあでも彼に関しては、懲りずにドラの部屋を訪ねたらもうドラはタマスの元に移ってて、そこにいたのはそれまでとことん男運の悪かった親友のゾフィ。セクシーダンスを踊り出したアリを見て、彼女は有無を言わさず引っ張り込んじゃう。ここだけはちょっと、良かったかもしれない。

で、最終的にドラはピーターをソデにし(去って行く彼の寂しそうな背中がカワイソすぎる……)、急ぎタクシーに乗る。どうしたんですかと聞く運転手に彼女は「私、恋に落ちたの」「そりゃ大変だ」ぶっ飛ばすタクシー。
このアタリで私は胃に鈍痛を覚えたが(爆)、マンションの、タマスの部屋のバルコニーの下から大音量のラブソング(運ちゃんが協力してくれているワケ)に合わせて、ドラが調子っぱずれの恋の歌を熱唱する段に至っては、もうアキラメの境地?

そしてドラがタマスの赤ちゃんを産んで、ハッピーエンド(……)。ラストクレジットにNGシーンをご披露するとは、ジャッキー映画みたいなことやってくれちゃうわな。でもこれもまたサムいんだよね……。
この作品が賞とか獲っちゃうのかあ……。しかもこれで女性監督って、……夢見すぎじゃない?
実はドラが微妙に老け顔なのも、見ててツラかった部分かも(爆)。★☆☆☆☆


トップに戻る