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「す」


2007年鑑賞作品

スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ
2007年 121分 日本 カラー
監督:三池崇史 脚本:NAKA雅MURA
撮影:栗田豊通 音楽:遠藤浩二
出演:伊藤英明 佐藤浩市 伊勢谷友介 安藤政信 石橋貴明 小栗旬 堺雅人 木村佳乃 香川照之 桃井かおり


2007/10/10/水 劇場(丸の内TOEIA)
まあそりゃー、これは、どっかの新聞の映評に載っかってたみたいに、素晴らしき失敗作なのかもしれんが、しかし私は大好きさ。まあそりゃー、ちょっとばかし長すぎて、あちこち勝手に省略したいところは多々あるが。特にギャグなところやギャグなキャラはことごとにスベりまくってるんで片っ端から切っちまいたいぐらいなのだが。
しかしこの画、もう三池監督の画にはとにかくもう、しびれまくるのだもの。古い西部劇を古いフィルムのまま観る雰囲気を再現したような、この独特の色彩感と光彩のさじ加減は、いったいどうやってやるんだと、ただただ見惚れる。やはりそれは、「インプリント」から組んだハリウッドカメラマン、栗田豊通氏のウデだろうか。題材の違いのせいもあるだろうけれど、際立ってクールでリズムを刻んでいく画にうっとり見惚れてしまうんである。

だもんだから、ただ美しい画に没頭したくなるもんだから、特にラストの銃撃、刀撃、血しぶき、血みどろ、泥まみれ、そして豪雪!のクールさときたらないもんだから、“切っちまいたく”なるんだよねー。
タカさんのキャラはオイシイけど、タマを切られてオカマになるくだりは正直お寒いし(お寒いから、伊勢谷友介はあんなに徹底的に銃弾を撃ち込んだんじゃないだろうかと思うほどだ……)、なぜか中盤から二重人格キャラになって、一人芝居の尺をやけに任される香川照之も見ていて??の嵐になってしまってキビしい気がする。
香川氏の演じる保安官は確かに源氏と平家の間で板ばさみになる存在として必要だとは思うけど、それがコメディリリーフになるのも当然だとは思うんだけど、二重人格までやらせる必要が何故あるのかが判らない。うーん、なんかこーゆー部分でムダに冗長なのが、凄くもったいない気がする。

さて、当然これはウエスタンで用心棒なわけで、「荒野の七人」「荒野の用心棒」あたりが元ネタになっているらしいのだけど、さてこれを私、観ていたかしらん。遠いはるかかなたの記憶。観ていたような、いないような。ま、それの更に元ネタとなる「七人の侍」に「用心棒」は当然!それに大好き!だから、ま、いっか。
まあでも、ストーリーはあんまり、というか全然!?重要じゃない気もするけど……というか、よく判んない部分も多々あるんだけど。そりゃ判んないに違いない。なんでか判んないけど西部劇でしかも全編英語(!!)だというのに、源氏と平家の戦いだっつーんだもの。
だけどそれは、別にマジで壇の浦での戦いというわけではなく、そこから数百年たった未来のある時点であり、しかし決して現代ではなく(……違うよなあ)、どこかに埋蔵されているお宝を狙いに、源氏の落人、平家の落人がバッティングして抗争を繰り広げるという……。
まあ、それをゴールドラッシュに置き換えれば西部劇となるわけだが、しかしまあ、よくまあ、こんなムチャクチャな設定を思いついたっつーか、よく企画通ったっつーか、んでもってなんとまあタランティーノまでもを(!!)引っ張り出したわねっつーか。もうほんっとにワケが判らない。まさに三池監督らしいムチャクチャさである。

バックに浮世絵風の富士山と月が見えている冒頭、鈴木清順かと思った。そういやあ、前半は結構、鈴木清順入ってるかも。「許されざる者」あたりから、こういうやりたい放題アヴァンギャルドに傾いて行ったように思え、それが「IZO」で大爆発、「46億年の恋」もけっこうキテた。物語や設定や展開までもが気持ちよく破綻していたこれらに比べれば、やはりそこはメジャー展開にするための判りやすさはある、気がする。

それにこの、とんでもない豪華キャストだものね。
源氏と平家がにらみ合っている荒野にフラリとやってくる用心棒に伊藤英明。
赤を基調とした平家の集団、そのボスの清盛に佐藤浩市、その右腕となる重盛に堺雅人、
白を基調とした源氏の集団、そのボスの義経に伊勢谷友介、ガタ歯の醜男与一に安藤政信、弁慶に石橋タカさん(!これもオドロキのキャスティング)。
清盛に夫を殺されて源氏側に逃げ込んできた村の女、静に木村佳乃、その殺された夫、アキラに小栗旬、いきなり殺されてしまう村長に石橋蓮司、まるでマコ・イワマツのような風情の隠居爺さんに塩見さん。
そしてそして、なんといってもラストに伝説のガンウーマンだったことが明らかにされる村のババア、桃井かおりの超絶クールなカッコよさと、その彼女を育て上げた、アキラの父親であるピリンゴにクエンティン・タランティーノ!
もう、めまいがするこのキャスト陣。これは絶対、もうお目にかかれないに違いない顔合わせに違いなく、作品がどうこうというより、彼らが揃っているのを観るだけで充分お腹いっぱいって感じ。

三池監督のことだから、面白いと思ったことを片っ端からやってっただけで、きっとうちらオタクが悶々と抱えるような小難しいことなど考えていないんだろうなー。
そうだ、オタク!オタクといえばクエンティン・タランティーノの出演は一体どうやって決まったの!?いやいやタランティーノのことだから、彼自身が三池監督のファンで自分からかぎつけて手をあげたのかもしれない。ありうる。
彼の息子の名前がアキラだという時点で(それにしても、タランティーノの息子が小栗旬なんて……ありえない)おやっと思ったら予想通り、「オレはアニメオタクなんだ」おいおいおいー。しかも「サヨナラだけが人生だ」と日本語で言わせる!川島雄三まで持ってくるのかよ!

彼の日本オタクっぷりは微に入り細にうがちで、だってアメリカ人って生卵とか食べないっていうじゃん。もう冒頭から生卵にずっぽしつけてズルズルすき焼きを食べるだけでなく(しかもヘビが飲み込んだ卵を腹をかっさばいて取り返すんだもん……)、「スキヤキはお菓子じゃない。甘さは白菜のダシから取るんだ」と桃井かおりを一徹返しでぶっ飛ばし(つーか、タランティーノがちゃぶ台に向かってるだけで可笑しい……)絹ごしではなく焼き豆腐だ、鉄砲の弾の代わりに豆が使えるか!なんて訳の判らん台詞まで言うもんだからウケまくる。
きっとこれは、タランティーノ自身が充分にこだわって言っているに違いないと思わせるのだ……まったくこの人の日本オタクっぷりは、ちょっと異常なぐらいだよなー。

全編英語だから数少ない日本語はことに耳に残るんだけど、タランティーノが言う他にはやはり香川照之の放つ「なんじゃこりゃ」に尽きるよねー。あれを言わせたいがために、彼にしつこく生き残ってもらって、十字架が突き刺さるなんてムチャな死に方をさせたんではないかと思うぐらいである。
そうか……そのために狂った二重人格にしたのかしらん。そう考えなければ、世話になった筈の桃井さん扮するBB(ダブルBとも。ブラッディ弁天ね)に銃弾を撃ち込むなんてちょっと考えにくいんだもの。いくらお宝に目がくらんだとは言えねえ……。
しかもしかもご丁寧に、この台詞には英語字幕がつくんである。どう英訳していたのかは忘れたけど。香川照之は松田優作に憧れて、彼の最晩年に共演したことを宝に思っているお人だから、こういう遊び心はなかなかに染み入るのよね。

ところで主人公はさっそうとこの荒野にやってくる腕利きのガンマン、謎のアウトローを演じる伊藤英明の筈なのだが、彼の印象は極端に薄い。何のために彼が存在しているのが判りかねるぐらいなんである。
ま、そのあたりは、この物語のハチャメチャさゆえの判りにくさや、元ネタになっている映画を未見か、あるいは観てるのかもしれないけど遠い記憶のかなただってことでごカンベンなのだが。
しかしこれは正直、伊藤英明のキャラ不足のゆえんのような気もするんだよなあ。いや、そんなことを言うのも酷かしら。周りのキャラが立ちすぎてるんだもん。でも彼は私の先入観があるんだろうけど、癒し系キャラの方が似合うと思うんだよなあ、断然。

その主人公のキャラを最も潰しているのは、最後に一対一の戦いとなる源氏のボス、義経を演じる伊勢谷友介である。この作品、彼を拝めるだけで、例えどんなに問題点があっても!?価値があるってなもんである。
ちょっと、ビックリした。伊勢谷氏は確かに美青年だけど、喋り方とかも含めて微妙にネジレのある人だから(ちょっと、窪塚洋介に似ている使いにくさのように思う。ハマればハマるあたりが)、正直ここ最近はどーにも間違ってる……いやいや、彼の魅力を生かしきれているとは思えない方向だったし。

そうかそうか、三池作品だったのか、彼が輝く場所は。意外のようで、当然の帰着のように思う。一見して普通に美青年。しかし隠しようもないその異形ともいえるカリスマ性が、本作ではバリバリに発揮されている。
和のテイストと西部劇のイメージ、そしてどこか暴走族の愚連隊風を思わせるようなアヴァンギャルドな衣装も、勿論劇中の役者全員がそれを身にまとっているんだけれど(当然だけど一人一人違う。この衣装だけ考えても、制作費にめまいがしそう)、彼が一番、というか、彼のためにあつらえたかのように似合うんだよね。さすがセルフプロデュース出来るだけのキャリアを持ったモデル。
しかも源氏側は白を基調にしているでしょ。平家の赤の激しさはある意味判りやすい部分があるんだけど(佐藤浩市ちょっとやりすぎだし)、源氏の白の聖性が、悪魔の残忍性にほんのちょっとで裏返りそうになるスレスレな感じがたまらなく伊勢谷友介なんだよねー。鍛え上げられた上半身にピタリと吸い付くようなシャツ、ちょっと腰に手を当てて微妙に曲線を描くだけで、うわああ、と思ってしまう色香。

それでいて、思いっきりストイック。サムライとモノノフの違いを、心こそがモノノフなのだと熱く語った上で、見事な真剣白刃取りを見せる彼。その後、同じように挑んだ部下が哀れ脳天を割られて虚しく手をパシパシと合わせるのが笑えないほどに、彼のストイック故の、この世のぬるさへの失望は深い。
だからこそラスト、伊藤英明と対峙する時に「生まれてきて良かった。お前のような男と命をかけて戦えるのだから」という台詞が、その微笑みが真実味をおびるのだ。
しかも、あとからあとから降りしきる雪が、“白組”である源氏の彼の最後の、いや最期の晴れ舞台を見事に演出する。
正直、伊藤英明なんて、彼の引き立て役だよ。いや、確かに彼の攻防を見事に制して勝つんだけど、鉄砲を捨てて刀一本で立ち向かった彼に対して、隠し持っていた銃をスチャッと出すなんて、卑怯だと思っちゃうしさ。
ま、西部劇だから、侍同志じゃないから卑怯も何もないんだけど……という部分で彼はやはりサムライ、いや、モノノフだったってことを強調しているんだよね。刀の所作も非常に美しい。いやー、伊勢谷友介なんだな、この映画は!

まあ、うっかりオチまで喋っちまったが。で、そう、もう飛び道具使いまくりの平清盛を演じる佐藤浩市は、侍としての勝負をある意味潔く捨てていることで、何とか伊勢谷友介の次点につくことが出来たって感じなんである。
あの佐藤浩市がである!!中立の保安官を脅して味方に引き入れているまではいいんだけど、腕っ節の強い用心棒を自分方に引き入れるために派遣したその保安官がいつまでたっても戻ってこないのに「遅いなー」ってだけで、彼が裏切るなんてことを全く疑いもしない、つまりはバカなんである。
平家が過去に源氏に敗北を喫していることを気にして、「これからはこれを読め!」と突然取り出したるは、「ヘンリィ六世」シェイクスピヤ著。だ、だめだ、どこまでムチャクチャなんだ……。

しかも「これからはオレをヘンリーと呼べ!」いくらなんでもバカすぎる……。バカだからってわけじゃないけどやけにしぶとく、最後まで生き残る。ってのは、バカのクセに卑怯な手に関しては頭が回り、自分の右腕を盾にして、自分だけ下に鉄甲冑を着こんでいるようなヤツなんだもん。
右腕、そう、重盛役の堺雅人。彼には死んでほしくなかったのに。だって堺雅人の美しさも伊勢谷友介とはまた違って、かなり鼻血もんだったもなー。
そして彼も清盛のバカさ加減には結構呆れ気味だったのに、最後の最後、助けに向かっちゃって、この卑怯さの盾になって、ハチの巣になっちゃうのだ。
まさかの鉄の甲冑を目の前にして、口から血を吹き出して信じられない面持ちで死んでいく重盛。ああ、哀しき堺雅人。こんなボスについていっていたことを、心底後悔したに違いない。

ま、その佐藤浩市、どんなにバカでも(佐藤浩市がバカだなんて……信じられない)、明らかに伊藤英明よりは存在感は上。清盛はその存在理由が最もハッキリしているし。
この村のどこかに隠されている筈のお宝を、その手にすることが最大目的。そのためには先住の村人たちも容赦なくぶっ殺すし、たたりも恐れず墓も暴く。そこへ後からやってきたこの村のルーツを引く源氏一族だったんだけど、彼らの目的も結局一緒で、お宝をめぐって平家とにらみ合う様相と相成った。
そのくだらない攻防に巻き込まれたのが、小栗君扮するアキラ。彼は桃井かおり扮するルリ子=血まみれ弁天の息子であり、旅先で源氏の女である静(木村佳乃)と子供を作ってこの村に戻ってきた。

その正義感の強さから、横柄な清盛に物申して、無残に殺された。何発も銃弾を撃ち込まれて。それを幼い息子の平八は目の前に見てしまった。
この時の佐藤浩市のノリノリの表情の憎たらしさがあまりにノリノリで、うう、佐藤浩市やりすぎだってば、とヒヤリとする。佐藤浩市がこういうタイプの演技をするのも初めて観る気がする。
静はイイ女だったから、前々から清盛に目をつけられていた。夫を惨殺され、泣き叫ぶ彼女を清盛が追い、彼女を陵辱しようと泥の中を追いかけ回し、襲いかかりまくる場面の長尺は、木村佳乃が「佐藤さんに本気で殺意を覚えた」というだけある、戦慄のシーンである。こういうあたりが容赦ないのはさすが三池監督、スバラシイ。
そして源氏側に逃げ込んだ彼女は、その代償にと義経に後ろから突っ込まれながら、平八が夫の亡き骸にすがっているのを見ながらむせび泣く。キツい……。

ところで冒頭、村へと入っていく伊藤英明(だって役名がないんだもん)がすれ違う、「この先には何もないよ」と忠告する村人、これが実はキーマンであったことが後に明らかになる。彼の名はトシオ(松重豊)。
最初はただの村のババアだと思われていたルリ子が、ガンマンたちが憧れる伝説のBBであり、彼女はこんな惨憺たる状態になった村を救うために、幼なじみのトシオをピリンゴの元に行かせていたのであった。勿論、武器の調達のために。
その間何とか時間稼ぎし、弁慶が調達した武器をめぐっての平家との派手な騎馬戦もあり、静もまた殺され、BBの怒りに火がつく。
伊藤英明に宝を分け与えることを条件に、そのお宝をエサにして生き残った者たちをおびき寄せ、最後の一人になるまでの壮絶な殺し合い、命を賭した戦いの火蓋が切って落とされるんである。

まさに、ザ・男の子の作りたい映画。殺戮を残酷だなんだと言う風潮も、西部劇ならお約束だし、いくらやったっていいでしょ、みたいなさ。
確かにその点に関しては、思いっきりガンガンやってくれる。肩に乗せてガッシャガシャ回転させてバリバリ撃ちまくるガトリングガンなんて(そういう名前なのか、あれ)、絶対憧れだったでしょー!って感じだもんね。
そっか、それこそが主人公なんだよなあ。だから伊藤英明の存在感が薄れてしまうんだ。彼は源氏と平家の導火線に火をつけた存在に過ぎない。だってお宝に対してもあんまり執着ないし(実際、ラストも一握りだけもらってあとは平八へ残していってしまうんだもん)腕自慢でさすらっているというほどの勝利への欲望もあまり感じられない。どうにもこうにも、彼がここにきて、とどまっている動機が弱いんだもん。

むしろ、主人公はやはり桃井さんだったのかもしれないなあ。主人公、そして清盛も憧れていた、血まみれの弁天。この村ではただのババアだと思われてた彼女が、息子に続いて嫁まで殺されて、怒りを爆発させ、撃ちまくるそのカッコよさ!
本当に後半からの爆発なのに、ずっとハジけ続けてる伊勢谷友介に匹敵するステキさである。いやー、桃井さん、やっぱりステキ、ステキ、ステキ!幼なじみとの死に際のロマンスはちょっとありがちだったけど、寡黙でテレ屋な男が似合う松重さんだから、許しちゃう。

あ、そうそう。木村佳乃は今まであまり観る機会がなかったせいか、あまりピンとこない女優さんだったんだけど、ちょいとイイ。圧倒的に女性キャストが少ないせいもあって、その華が際立つということもあるけど。
まあでも、せっかくお色気担当なんだから、もうちょっと見せてほしかったけど。それにしても小栗君と夫婦役とは、うらやましい。現時点の年恰好を考えたのかな。小栗君が若く美しく正義感に燃えたまま死んでしまうのが美しく、いややはりこっちを重視したのかナとも思う。
一人純然たる聖なる光を放っている小栗君。それは聖と邪が危うい拮抗で揺れている伊勢谷友介と対照になって、強い印象を残すのだ。

意外にも三池監督初顔合わせの香川照之。ところで気になるのは、やたら仲いいらしい香川氏と小栗君なんである。
本作の撮影秘話を綴った彼の原稿、「我が親友の小栗旬と共演出来たこの二作(「キサラギ」と本作)」
「もはや私にとって息子のようにも兄弟のようにも感じられる小栗旬」
「「キサラギ」から、「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」(九月公開)へと繋がれる一本の線の上に、今、小栗旬と二人で立てていることに、「スキヤキ〜」が完成しえた奇跡も含めて、映画の神様に感謝したい――。 」
きゃー、なんか、めっちゃラブラブじゃーん!
「救命病棟24時」での出会い、なのよね。大泉先生も小栗君と仲良くなれたと思ってたし、香川さんのこと役者として凄い尊敬しているって発言をしてたのに、なんか悔しーい!っていうのも、おかしいんだけど(笑)。

男は皆泥だらけ。しかし女、特に桃井さんは地べたに顔をつけてもなお、顔が汚れない。さすが女優。
しかし、野ションしているところを見られた男を振り返りざま、容赦なく撃ち殺すシーンのバカバカしさと残虐性が凄かった。しかしこのシーンもまたギャグとしては若干スベってたような気もするのだが……。
んでもって、サブちゃんがソウルフルに歌い上げるエンディングテーマがまたシビレる!ああ、テケテケ三味線。ブオー尺八。素晴らしすぎる。ある意味完璧で、ある意味完璧に破綻してる。これぞ三池監督。別に興行でコケたって、いいのだ!★★★★☆


洲崎パラダイス 赤信号
1956年 81分 日本 モノクロ
監督:川島雄三 脚本:井手俊郎 寺田信義
撮影:高村倉太郎 音楽:真鍋理一郎
出演:新珠三千代 三橋達也 轟夕起子 植村謙二郎 平沼徹 松本薫 芦川いづみ 牧真介 津田朝子 河津清三郎 加藤義朗 冬木京三 小沢昭一 田中筆子 山田禅一 菊野明子 桂典子 加藤温子 隅田恵子

2007/6/29/金 東京国立近代美術館フィルムセンター(川島雄三監督特集)
川島監督の代表作のひとつに数えられるという本作。有名な「幕末太陽傳」とはまた全く違って、なんとも笑えない人間の、というか男と女のどうしようもなさをしかしまあ、これでもかと思うほどの生き生きとした活写で描く。
まるで日めくりカレンダーをめくるがごとく(切り替えの仕方もそんな感じ)カットが次々と変わっていくリズムが、このシッカリモノ、というかチャッカリモノのヒロイン、蔦枝に重ねあわされる感じ。

チャッカリモノ、ではあるにしても、彼女には色々と過去があるらしいのだ。一文無しになって連れ立って飛び出してきた恋人の義治も、彼女が以前色町で働いていたことぐらいは知っているらしいのだが、当てもなく降りたように見えたこの街でも彼女は「お姉さん、どこかで見たことがあるような……」と再三声をかけられるし、このカイショなし男の知らないことが、きっとこの女にはまだまだある。

ほんっとうに、なんでこんな男がいいのかね!と思うほど、三橋達也演じる義治は暖簾に腕押しっちゅーか、覇気がないっちゅーか、頼りにならないっていうレベルまでもいかない、もうほんっとうにうじうじとした男でさあ。こんなガタイのいい結構イイ男なのに、なにかっちゃあ、「どうせ俺なんか」といじけ、「死ぬしかない」とか言い出し「こんな俺なんかほっといてどこへでも行けばいいだろう」と言うくせに、「あ、そう。じゃあ」とさっさと蔦枝が歩き始めると「どこへ行くんだよう」とべそをかかんばかりについていく始末なんである。
今夜の宿もない二人が遊郭街の洲崎の入り口でバスを降り、千草という小さな飲み屋でとりあえず蔦枝は働かせてもらえることになった時も、ずーっとぐずぐずとして「二人一緒に働けるところじゃなきゃ」とか「こんなところすぐ出て行こう」とか、もー、ぶん殴りたくなるような甘ちゃんなのだ。
そりゃこの蔦枝がイライラとして、じゃあどこへ行くっていうのよ!と怒鳴るのもむべなるかなで、しかし……この後二人はついたり離れたりを繰り返すのだけれど、結局は離れられないんだよね。はたからみればせっかくイイ方向に行きかけたように思っても、二人でいる方が堕落の道に行くしかないように見えても、やっぱり二人は同じようにしか生きていけない。

というのが示されるのはラストで、それまではこの色町に吸い寄せられる様々な人間模様が描かれる。これがもう、メッチャ面白い。というか、まずこのヒロインである蔦枝を演じる新珠三千代には口アングリ。口数が少なくうじうじとしている三橋達也と対照的なこともあるけれど、世慣れた女のシッカリチャッカリぶりには実に爽快なものがあるのだ。
飛び込んだ千草であっという間に客の心をつかみ、「やだあ、キャハハハ」とばかりにしなだれかかり、それでいて浮かれすぎることはない。観てるこっちが呆然とするぐらい、あっという間になじんでしまう。もうたった1日でこの店の看板娘になってしまう様子は、こうした客商売に慣れていることを即座に伺わせるし、いやそれだけじゃない、わざわざこの遊郭の町に来たってことは、そうした経験があるんだろうということを、彼女の身の上を知らないこの飲み屋、千草のおかみさんだって気付くに決まっているのだ。義治がいるから一歩手前にはとどまっているけれど、結局こんな町でしか生きていけない。それが哀しい。

本当にこんなチャキチャキした彼女が、なぜこんなウダツの上がらない男と離れられないのか不思議なぐらいなんだけれど……でもそれだけに、時々見せる彼女の放心したような表情に、ああやっぱり彼女は寂しい人なんだとも思う。
それに、彼女が一旦は見切りをつけた義治の元に帰ってきたのは、彼女を連れて行ったラジオ屋の落合が地方へ出張に出かけていた間だったわけで、彼女は彼にも飽きたからなどと言っていたけれど、そばに誰かがいないのが寂しかったんじゃないかとも思われるのよね。

おっと、ちょっと先走ってしまったけれども。そう、蔦枝にホレこんだ神田のラジオ屋の落合が、彼女のためにとアパートを見つけてくるのね。その頃、蕎麦屋の出前持ちとして働き始めた義治とはなかなか会うこともままならず、久しぶりに会った義治に前借りを頼んでちょっとした言い合いになったりして、なんだか蔦枝はこの男の歯がゆさを改めて思い知ったりしたのだ。
で、店に来た落合と寿司を食べに出たっきり、その夜は戻らなかった。蔦枝に会いに仕事終わりに店に来た義治はそれを知って大いに荒れる。

翌朝しれっと帰ってきた蔦枝は落合に買ってもらったしゃなりとした粋な着物に身を包み、女将さんにも反物をお土産に買ってきて意気揚揚、そしてアパートを見つけたと言う落合のバイクの後ろに乗って「お世話になりましたあ!」とあっという間に暇を告げてしまうのだ。
これにはアゼン!だって道の真ん中で落合と行き会って、身一つで、どうせ大した荷物もないからなんていってその場で女将さんにサヨナラなのよ!そんな、潔いにもほどがあるでしょ!もう爆笑。
しかしここまで潔く縁を切ることが出来るのに、結局彼女はまた舞い戻ってしまうのだから……。

蔦枝に去られた義治はというと、その最初こそは当てもなく神田を探し回って、ぶっ倒れて工事現場の人たちに優しくしてもらって握り飯を半分もらったりなぞして、結局全身ほこりだらけになってしおしおと帰ってくる。千草の女将さんは、これを機にあんたもカタギになってマジメに働けばいいのよ、と尻を叩く。蕎麦屋の女の子、玉ちゃんはこんな義治をいつでも心配しているし、ああいうしっかりした子と一緒になるのもいいんじゃないの、などと。
この女将さんの言うこともずいぶんと調子よくってなんだか笑っちゃうんだけど、というのもこの間に行方知れずだった女将さんの旦那さんがふいに帰ってきたからなんであった。この旦那、もう10年近くも前、色町の女と逃げて、それを女将さんはもうあんな人のことは知らないと口では言いながら、ずっと待っていたのだ。

色町に勤める、もういい年の女との会話がね、実に物語っているんだけれど……この女は一旦はカタギになろうとこの街を出て、それこそ飲み屋に勤めたり、料理屋やおでん屋や旅館のお女中さんにもなった。でも戻ってきてしまったその理由は「どうしても男が恋しくなるのよーう。女将さんだってその気持ち判るでしょ?」とアッケラカンと言うんである。
千草の女将さんはどっしりと落ち着いた体格とすっぴんで忙しく立ち働いてて、そんな匂いは全然ないから、この生々しい台詞にちょっとギョッとしたりするんだけど、でも結局はそういうことだったのだ。

この女将さん、客に酒を勧められても「酒は断ってるの」と断わる。それって、旦那さんが帰ってきてくれるようにってことだったんじゃないの。
そして思いがけず本当に帰ってきて、手伝いにきていた蕎麦屋の玉ちゃんが「女将さんたら、浮かれちゃっておかしいのよ。急におしろいなんかつけて」と言う台詞には思わず吹き出してしまうんだけど、でもなぜ吹き出してしまうかって、観客もあの女将さんが急に化粧をしだすなんて、男が帰ってきて単純に浮かれるなんて可笑しいと思ってるわけで……。
でもね、家族揃って外出して、一足先に帰ってきた女将さん、化粧といっても本当におしろいをはたいたぐらいなんだけど、たったそれだけで、えっと思うほどきれいになってるの。それまですっぴん状態の彼女は飲み屋の気のおけないおばちゃん、ってなぐらいの印象だったのに、普通に、女の人になっているっていうかさあ。こっちの方が自然に見えるぐらいなんだもの。いかに外野が勝手な言い草をしているかっていうのを突きつけられた気がして……。

しかしこの旦那さん、殺されてしまうのだ。その、10年近く一緒にいた色町の女に。それは本当に唐突な出来事で、外が急にザワザワとし出して蕎麦屋の玉ちゃんが覗き見てみると、皆が何かを叫びながら走っていく。誰かが殺された!という声がする。急いで駆け出す玉ちゃん、その中には顔面蒼白で先を急ぐ千草の女将さんがいて……人ごみをかき分けかき分け、雨に打たれているむしろをあげると、既にこと切れた旦那さんが横たわっている。
もうその女はお縄になってて、黒の着物を着流したそのカッコがなんだか、落合に買ってもらった着物を着た蔦枝にかぶって見えてゾクッとくる。女将さんが蔦枝の客あしらいに感心しながらもなんとなく疎んじていて、義治に彼女のことは忘れてまっとうになるべきだと進言していたのは、やはりどこかでその種の女のことを信用していなかったからじゃないのか。
それにその黒の着物の女、雨でずぶぬれで、濡れたざんばら髪の中から目だけを異様に光らせて女将さんを見つめているのが、その彼女に掴みかからんばかりに泣き崩れている女将さんが、もうなんか凄い画でさ……。

でも、ムリもない。10年近くも一緒にいた男。当然、このまま人生一緒にいてくれると思っていたに違いない。彼が何を思ってこの女を捨てて突然戻ってきたのか、こんなことになったのは、この女ときちんと決着をつけなかったに他ならない。突然家族が恋しくなったとか、そういう身勝手な理由なのだとしたら、恐らく彼との間に子供もなしえなかったであろうこの女が、突然ひとりぼっちで放り出されて、黙っていられるわけがないのだ。
それにしてもさ、女将さんの二人の子供はまだ小さく、下の子は10になるかならないかって感じで、つまりこの旦那は、そんな乳飲み子を抱えた女将さんを捨ててこの女と逃げたわけで、やはり男なんてどーしよーもないのだ。いわば自業自得だけど、たまらないのは女の方だわ。
そういやあ、女将さんは常々言っていた。いつも損をするのは女だって。この色町の入り口で、女の尻を追っかける男たちを冷ややかに見つめてそう言っていた。判っていたはずなのに、やはりホレた男は別だと思ってしまうのか、蔦枝みたいに。

そういう意味ではさ、蔦枝が一時身を寄せた落合はさっぱりとしたイイ男だった。出張中に蔦枝に去られても、「アパート代が3万、着物が四万五千、その他もろもろの諸経費……しめて10万の損か」なんて指折り数えて笑い飛ばす。
彼はいつも色町に繰り出す前に、千草で一杯引っ掛けていく常連さんで、どうせあるだけ巻き上げられちゃうんだから、二千円だけ置いていきなさい、すっかりなくなった後の二千円ってありがたいわよお、なんて言われても笑うだけで、それで確かにその通り、スッカリ巻き上げられても、やられちゃったな、とやっぱり笑ってる。こういうのを粋な遊び方を知っている男、ということなんだと思うんだよな。

色町で働く女にマジで入れ込んで一緒に逃げちゃったりするのは、ヤボというものなのだ。あ、そうそう劇中、田舎から出てきたばかりで、この町がどういうところかも知らずに放り込まれたウブな女の子を何とか救い出したいと、客がつかないように通い詰める青年というエピソードがあったんだけど、彼もまた結局、そうやって通いつめて貯金を使い果たし、そのウブな筈の彼女はふいにいなくなってしまうんだよね。
確かにウブに見えた。仙台から出てきたばかりだと言う彼女は訛りも抜けていなくて、百戦錬磨の蔦枝が「確かにウブそうだね」と言うぐらい。でも彼女はいなくなった。また同じように男に騙されたのかもしれないけれど、最初からこの青年を騙しにかかっていたかもしれないのだ。女なんて、判らない。
彼女を探して必死に町を走り回る青年を見つけた蔦枝は、「あたしで良かったら遊ばない。今頃はあの子だって誰かとイイことしてんだよ」としなだれかかる。彼は激昂して蔦枝の頬を思いっきり殴るのだ。あ、あれはマジで手加減なかったぞ……。彼がいかに本気だったか判るシーン、思いがけず本気で殴られて蔦枝もハッとし、彼はダダッ子のようなベソかき顔でまた走り去っていく……こんな風に、男はバカなのだ。

でも、女はもっとバカだ。蔦枝は、このきっぷのいい落合にしておけば良かったのだ、きっと。義治だって、蔦枝に去られてさぞ落ち込むかと思いきや、さっぱり立ち直って今までのうじうじがウソのように、蕎麦屋の出前持ちをさわやかにこなしていたのに。玉ちゃんとだってイイ雰囲気だったのに。
蔦枝が蕎麦屋に義治を訪ねて来るシーン、いわば女同士一騎打ちのシーンなのだけれど、玉ちゃんはそんな思惑など知ってか知らずか、もうすぐ義治さん戻ってきますから、とお茶などいれ、邪気など全くなく、愛想よく蔦枝をもてなすんだよね。
蔦枝が15分ほど待って、何となくいたたまれずに帰ってしまったのは、この彼女の余裕が堪えたからじゃないのか。玉ちゃんにそんな意地を感じはしないんだけれど、女なんて、判らない。案外玉ちゃんだって腹の底では、蔦枝に負けまいとする意地で、ことのほかさらりとした態度を見せていたのかもしれない。

そして、あの殺人事件。女将さんを支えて警察署に連れてきた義治、騒ぎを聞きつけてやってきた蔦枝。二人は再会してしまう。この時の、言葉もなく見つめあう二人の、言葉に出来ない感情がビリビリとほとばしるショット!ああ、やっぱりダメだ。この二人は、二人一緒以外の人生を歩めないのだ。
もう次のカットでは、二人、橋の上で並んで、川面を見つめている。冒頭とまるで同じ画。でもあの時、ただただ途方にくれてばかりだったのとはちょっとだけ様相が違って見えるのは、いつもいつも蔦枝について行くばかりだった義治が、彼女に促されて行く方向を決めることだ。
まあ、たったそれだけとも言えるけれども、一見マトモに立ち返ったように見えた蕎麦屋での義治は、そう続くことの出来ないよそゆきの姿だったんだろうし、こうして二人、一緒にいるしかしょうがないのだ。

義治が勤める蕎麦屋が「だまされ屋」という名前なのにも吹き出したけど、そこで彼に仕事を教える先輩、小沢昭一が、もう画に出てきた途端に可笑しくてさあ。のんきに高らかに歌いながら暖簾をかきわけてくるだけで何でこんなに可笑しいのか……「おぅ」と義治に普通に声をかけるだけで可笑しいんだもん。参った。★★★★☆


素敵な夜、ボクにください
2007年 104分 日本 カラー
監督:中原俊 脚本:黒沢久子 祢寝彩木
撮影:石井浩一 音楽:遠藤浩二
出演:吹石一恵 キム・スンウ 占部房子 関めぐみ 枝元萌 飛坂光輝 八戸亮 木野花

2007/3/29/木 劇場(シネマート新宿)
正直、予告編ではあまり気分をそそられなかったんだけど、うー、でも中原監督は観のがしたくないしなあ、と思って、足を運ぶ。素人の女の子がカーリングに挑戦する映画、って、やっぱりあの素晴らしき「シムソンズ」があるからなあ。
「シムソンズ」ではカーリングだけで語られるような小さな街、常呂町が舞台だったわけで、今回はオリンピックですっかり有名になったチーム青森のお膝元、青森が舞台。
で、「シムソンズ」はゆくゆくはオリンピックに行くことになる女の子達を、しかし今の時点ではそのつもりも、そんなことになるとも夢にも思っていない彼女たちの始まりを、そして本作では、最初から「オリンピックに行く!」と大宣言しているけれど、県予選の段階でつまづいてしまう女の子を描く。とまあ、対照としては面白い部分は多々ある。ヨコシマな考えでカーリングを始めるのも共通してるっちゃしてるし。

でもやっぱり、カーリング映画としてはまず二番手と思わざるをえないのが正直なところなのよね。
だからなのか、カーリングひと筋というわけじゃなくて、日韓(向こうから言えば韓日)友好や、恋愛、友情、そして日本の中における地方と東京の関係性なんかがちりばめられているんだけど、やっぱりどうしても、「シムソンズ」が頭にあるからかなあ(お気に入りなんだもん)、カーリングが上手くなっていく、そして勝負に勝つカタルシス、あるいは負ける悔しさがどうにも中途半端なような気がしてならない。カーリングの部分で、なんか熱くなれないんだよね。かといって他の部分で熱くなれるというわけでもないんだけど……。
そこまで肩肘張らずに観ればいいのかもしれないけど。いろいろとシニカルな要素は盛り込まれていて、そこに単純にクスリとすればいいのかもしれない。

冒頭の舞台はソウルと東京。まずソウル、カーリング男子チームの優秀なスキップであるジンイルは、大逆転をネラったショットがハズれて、その自分勝手なプレイを責められ、チームを離れる。骨休めにでも行こうと、日本へ飛ぶ。
そして東京。売れない女優、いづみは今日も今日とて2時間ドラマの死体役しか回ってこない。同じドラマでキーパーソンをかっさらった事務所の後輩から、「やっぱり先輩の演技は上手いですね。またご一緒させてください!」などとこれ見よがしな優越感に浸られる始末である。
社長にモンクを言ってみても、「あんたみたいに、ムダに年をとったコ、ゴロゴロいるのよ。あんたもあの子みたいにJリーガーの恋人つかまえるとか、してみなさいよ」と言われ、「私、辞めます、辞めてもいいんですか」とヤケクソで言ってみても、社長は勝手にすれば、みたいな知らん顔をするばかり。

そんな二人が、出会った。そして、寝た。 そらまあ、ジンイルがいづみをナンパしたにしても、なんでそうもカンタンにいったかというと、ジンイルが日本で大人気の韓流スター、カン・スヒョンにソックリだったからなんである。
折りしも彼が来日している時だったし、すっかり本人と思い込んだいづみは、こんなチャンス逃がすものかと彼と寝て、通じるはずもない日本語で「あなたの映画に出して!」と迫りまくり(あのあいまいなリアクションに、何で通じてると思ったのかねえ……)、更に、青森行きの切符をおいて姿を消した彼に、「先に青森に行って待っていろってことね!」となぜか、これがプロポーズだとカン違いし、意気揚揚と帰郷の途につくんである。
う、うーむ。いくらいづみが猪突猛進、思い込みの激しい女の子にしたって、あまりにムリがありすぎるカン違いだけど。それに、ジンイルはなぜあんなに判りやすくテーブルに切符を置き忘れたのかなあ。なぜ引き返さなかったんだろう。買い直せばいいやと思ったのかなあ。いづみとジンイルが再会するための布石としたって、ちょっとナットクいかないんだよね、ココは。

果たして久しぶりに故郷、青森に帰ったいづみ、母親と妹に、カン・スヒョンと結婚する!と宣言しても当然、信じてもらえないところに、幼なじみの裕子が飛び込んできた。「そこで、スヒョン様に会った……」彼女は筋金入りのカン・スヒョンファンなんである。
ジンイルは、後輩の韓国人留学生、パク・ファンソクの元を訪ねていて、焼き肉屋で再会を祝しているところだった。そこに飛び込んできたいづみ。しかし一見して裕子は、「ホクロがない……この人、スヒョン様じゃない!」
かくして彼のウソはバレ、いづみは激怒し、修羅場となるんだけど、この出会いがトンでもない方向へといくんである。

さて、ここでちょっと休息。ところでさ、フッキー演じる、人気の出ないままズルズルと20代半ばを過ぎた女優、というのは、やけに生々しいリアリティがあるのよね。
だって、映画で一作、あるいは数作でもかなり印象に残る姿を見せて、こりゃ、将来有望!と心ときめかせた若手女優、一体何人、その姿を見なくなった女の子がいたことか。
女優は受け入れる間口は広いけど、生き残っていくのは難しい。たとえ才能があっても、である。まるでそれは、一般社会の図式とやけに似てもいる。若い女の子ってだけでチヤホヤされる時期はほんの数年で、時期を見て出て行かなければ、たとえ能力があっても、お局様として毛嫌いされる。よほどずぶとさがなければ生き残っていけない。今だって充分、そんな世の中。ゲーノーカイだって同じってワケだ。
そのために、こんな無謀な方法に出ながらも、散っていった女の子達もいるのかもしれない。

そして、占部房子演じる裕子である。まずこの占部さん、私にとっちゃあ「バッシング」のイメージがあまりに強すぎて……フィルモグラフィ見ると、色んな映画で観てるはずなんだけど、もうとにかく「バッシング」のあの痛い女の子、ばかりが頭にこびりついちゃってねー。強烈な役で顔を覚えてしまうというのも、困りもんだな。
だから、予告編で彼女がピンクのミニスカユニフォームに身を包んでいるのを見た時、ウワッと思って腰が引けちゃったんだよね。同じメンバーで子持ちのオデブちゃんの聡子のユニフォーム姿よりもウワッと思ったのは、当然、「バッシング」のイメージが強すぎたからなんだよな。
まあ、見ていくうちにそんな気分も段々と薄れてはいくんだけど……でね、この裕子のキャラにもちょっとした皮肉が隠されている。

韓流ブームは、来日するスターを迎える女性ファンたちの描写に象徴されていて、それはつまり当然いつだって東京での場面なんだけど、それがこんな本州の北端の、お堅い公務員の女性でさえ、熱狂しているということがね。
しかもその台詞が、「せっかく日本に来て下さっているのに、お迎えに行けなくてゴメンね、スヒョン様」である。
この台詞は結構微妙で、勿論、自分が地方人であるという自嘲も込められつつ、しかし、自分を見知ってくれているはずもない相手に対して、“お迎えに行けなくてゴメン”というのは、心のどこかに、日本人の優越性を持っているようにも思えなくもないんである。
彼女は韓国ドラマにハマって独学でハングル語を勉強して喋れるようになったぐらいの、熱烈なファンではあるんだけど……。

閑話休題。で、この場を収めるためにジンイルのおごりで大宴会。そこには聡子と、いづみの妹のひかりも参加している。
パクちゃんと呼ばれるようになったジンイルの後輩、ファンソクが、いづみが役を獲得するためにスヒョンと思い込んでジンイルと寝たことを知ると、有名になりたいなら、ジンイル先輩に習ってカーリングをすればいい。カーリングはまだまだ競技人口が少ないし、オリンピックに出られるチャンスは十分にある。なんといってもこのジンイル先輩は韓国を代表する優秀なスキップなんだから、と提案。
パクちゃんがどこまで本気だったかは判んないんだけど、単純ないづみは即本気になっちゃう。ちょうどここに四人いるじゃん、決めた!私、オリンピックに出て、ジュリア・ロバーツになる!と宣言。うーむ、その因果関係はよく判んないけどなあ。

三人はその場は適当に話を合わせるんだけど、まさかいづみがホントに本気だったとは夢にも思ってなかったから、翌日召集されて驚いちゃう。しかしいづみはヤル気満々で、まず形から入らなきゃ、と練習ウェアや道具を皆に買わせるんである。どこか渋々ながらもいづみに引きずられる形で従う三人。
まあ、裕子はスヒョン様にソックリなジンイルに心ときめいていたのは事実だし、受験の壁につまづいているらしい妹のひかりも何かを模索している様子だったし、聡子は一人いづみの大応援団って感じの幼なじみで、いづみちゃんが言うんだから!みたいな単純なノリがあるんで、まあそんなわけでともかくも四人、カーリング場に降り立つわけだけど、ジンイルは全く教える気ゼロで、ベンチに寝そべって大アクビをするばかり。

仕方なくパクちゃんが四人に基本ルールやフォームを教える。彼女たち、ほんっとに、全然何にも知らなかったから。しかしちょっと判るとすぐ図に乗るのがいづみの……ひょっとしたらイイとこなのかもしれないけど。
裕子の職場の上司、市の助役(ホンモノ!)がカーリング場に来てて、こっちのチームと試合をやらないかと声をかける。小学生の男の子と女の子、高校生の男の子、そしてこの助役というメンバーに、いづみは「楽勝じゃん!」とカンタンに引き受けるんだけど、先制点に大喜びしたのもつかの間、コテンパンにやっつけられちゃう。
だけどいづみは逆ギレして、皆を責めたてたもんだから、さすがについていけなくなった三人は、彼女の元を去ってしまうわけ。

さて、ここでまたひとつ休息。なんか、先が長いわね。聡子は青森の魚市場の若奥さん。いづみの実家である小さな旅館にホタテを配達にきたりしてる。
市場はどこでも作りは同じなんだねー。青森の市場、私住んでた時、行ったことなかったっけなあ、と思いつつ、築地と変わらない市場の雰囲気にどことなく頬がゆるむ。
しかし、このメンバーの中で唯一の既婚者、子供連れ、そして市場に勤めているというイメージが、こんなふとっちょの肝っ玉かあちゃんというのはあまりにステロタイプだよなあ、などと思うのは、やはり私が市場の人間へのイメージについつい敏感になってしまうせいだろうか。
しかもこのメンバーの中で、彼女だけが普段から津軽弁を使うんだよね。ヒロインとその妹は家の中では時々なまりは出るけど外では出さないし、占部さんに至っては、劇中一度も津軽弁を聞かなかったような気がする。なんかそれも、聡子だけにイケてない田舎のお姉ちゃん、みたいなイメージを感じちゃう。うーん、ひがみ根性出しすぎか?私。

そして、いづみの妹のひかりである。演じるのは関めぐみ。彼女はホント、見るたび、良くなるね。キビしかった「恋は五・七・五!」の彼女をちゃんと見ておいた意味を、毎回、しみじみと感じる。彼女には先述のような少女女優のように消えてほしくないんで、ホント、頑張ってほしい。
自由奔放なお姉ちゃんに対して、お姉ちゃんはいいよね、みたいな斜に構えて見ながらも、実はそのエネルギーやリーダーシップを心ひそかに尊敬している、でもそんなこと、おくびにも出さない妹っていうのが、もー、妹な私としては、すごーく、判る判る判る!ってなわけなのよー。
で、今回発見。彼女は仏頂面の方がカワイイかも。
なんか、何、ムクれてんのよー、とか、つつきたくなる妹っぽさがカワイイんである。片づけられなくて部屋がメチャクチャなのもカワイイし、なぜか囲碁が趣味というのもカワイイ。

しかもこの、囲碁が趣味、というのが、カーリングの作戦に興味を持つ大きな布石になっているのは上手い。確かに囲碁の陣取りは(いや、判んないけど、何となく)、カーリングの点取りの醍醐味に似ている気がするもんね。
んでもってこの妹は、大学で数学の研究をしたいという夢を持っていることがお姉ちゃんの台詞で明らかになるわけで、ますますもって彼女の才覚が、彼女たちチームにとって欠かせないものになるわけだ。
それは、お姉ちゃんが「氷の上でやるボウリングみたいなもんでしょ」とアッケラカンと言い放つのと、ハッキリと対照的なんである。だから、キッカケを作ったのはお姉ちゃんの野心だけど、一番カーリングに興味を持ってその世界に深く切り込んだのはこの妹であって、ひょっとしたら彼女はこの後もカーリングを続けるかも……などという予感を抱かせもする。
しかもカーリングのルールを教えてくれたのが、練習試合で彼女たちをコテンパンに負かした美少年!これは恋の予感だもの!!!

再び閑話休題。そうなの、メンバーがバラバラになっている間に、それぞれにカーリングに対する思いを強くしていく……と感じられるのは実際、いづみとひかりぐらいなんだけどね。
ひかりは、図書館でカーリングの本を手にとったところをこの美少年に発見されちゃって、「カーリングの試合は作戦を立てなきゃダメなんだよ」と声をかけられる。
「作戦?」と首を傾げるひかりに、「やっぱり知らなかったんだ」と彼は小さなボードとコマを使って、様々なショットや試合の運び方を教えてくれるのね。すっかり引き込まれるひかり。
家に帰ってもそのボードで作戦作りに没頭し、落ちたコマを探しているうちに部屋がすっかりキレイになるというちょっとしたボケもありつつ、いづみとは全く違う方向でカーリングにハマっていくんである。

一方のいづみはというと、「お前が上手くならなきゃ、他の皆はついてこない」とかなんとかジンイルに言われて(しかしここ、思っきしハングルだった上に、パクちゃんも通訳してなかったのに、なんでいづみに即座に通じてんだ……)彼のマンツーマンの指導を受けるようになる。
めきめき上達するいづみは、一方でジンイルとの距離もどんどん近づいていく。相変わらず言葉は通じないんだけど、目を見つめ、身振り手振りで伝え合うから余計に気持ちが近づいていく。
一緒にラーメン食べに行ったり、すっかり意気投合。ショットが決まってキャーキャーとはしゃぐいづみを「黙っていればカワイイのに」とつぶやくジンイルだけど、その頬は緩んでいる。そのキャーキャーいうトコにホレたんでしょ、結局。

裕子はといえば、彼女はなんつったってスヒョン様ソックリのジンイルが気になってるから、「テンジャンが手に入ったから」などと言って、鍋料理の材料を携えて、ジンイルが身を寄せているパクちゃんのいる留学生会館に足を運ぶわけ。
「本当にウマい」と鍋をつつく二人によそってあげつつ、そこで聞いたのがいづみがジンイルにマンツーマンで教えてもらっているということ。フクザツな表情を浮かべる裕子。そろそろ戻ってあげれば、というジンイルの台詞に彼女は思案な様子なのだけれど……。

で、なんかいつのまにやらメンバーが再結集するわけなんだけど、正直、その理由は弱い気がするんだな。
だって、ジンイルは「皆を責める前に、自分がうまくならなきゃ」といづみを教えていたわけだけど、その皆がいづみが頑張る姿を実際に見たわけでも、働きかけられたわけでもないし、どうしても戻ってきたいという気になるほど、カーリングにハマっていた感じも受けないんだもん。むしろ、その魅力にとりつかれるのは、再結集して以降だしなあ。
ま、ともかく、再び集まった四人、試合に向けて衣装も作り、ノリノリ。ピンクのチアガール風のユニフォームに、「試合したいのか、応援したいのか、判らないな」と苦笑気味のジンイル。ユニフォームまでシムソンズ風だな……。
しかし、「パワーはないけど、ショットにブレがない」裕子、「モチベーションが高い」いづみ、「作戦が立てられる」ひかり、「パワーで押す」聡子とジンイルが的確に彼女たちの長所を見極め、ひかりをブレーンに、いづみをスキップとして、いいチームになってるんである。

そして大会が始まり、いづみのスーパーショットで見事逆転の勝利!あと二つ勝てば、次の大会、順調に進んでオリンピックだ!と意気を上げ、初勝利を祝していたところに、いづみの事務所から電話が。
「バカな女優が降りた映画の主役が、私に回ってきたのよ!」それまでの勝利の余韻もどこへやら、すっかり舞いあがるいづみは、一瞬の迷いもなく東京に帰ることを決める。
呆然とするメンバーとジンイル、パクちゃん。「三人でも試合は出来るんでしょ」といづみは言い放ち、「明日の用意があるから」とさっさとその場を立ってしまうんである。

慌ててその後を追うジンイル。そして裕子。追いかけたジンイルはなんと、いづみに愛の告白をした。
動揺した裕子は、「“最低の女だ。顔も見たくない”」と反対のことをいづみに伝えてしまう。「そう、言ったの?」自業自得とはいえ顔色を変え、ジンイルを見つめるいづみ。彼をひっぱたくのかと思った……、しかしいづみはそのままきびすを返し、行ってしまう。
そこへ駆けつけるパクちゃんに、裕子は取り乱して叫ぶ。「もう、振り回されるのはウンザリなの。あんなワガママな人、大っ嫌い!」そう言って、彼女もまたそのまま帰ってしまうのだ。

翌日、駅まで聡子一人がいづみの見送りに来た。
聡子にとって、いづみは憧れの友達なのだ。怒ってなんかいない。主演映画だって、凄いなあ!と自分のことのように喜び、「汽車の中で食べへ」とでっかい弁当をどん、と渡してくれる。
戸惑った表情のまま、そんな聡子の心づくしを受け取るしかないいづみ。彼女を涙で見送る聡子。列車の中で、とても食べ切れない大量の弁当を頬張りながら、いづみもまた涙を流す。そして……。

結局、いづみは主演映画を蹴って、試合のために戻ってくる。
ここで、彼女が戻ってくるだけの強い思いは正直、あまり実感できないんだよね。
確かに行き当たりばったりで、いづみはカーリングを始めた。正当な方法で女優として有名になれないなら、邪道であっても、成功への道がつながっているならいいじゃん、て思いがあったわけよね。
しかし思いがけずカーリングが面白くなったことや、巻き込んだ友人たちの反発と仲直りなどの盛り上がりがあって、ホントにこのメンバーでオリンピックに行こうよ!っていう、最初のヨコシマな考えじゃなくてっていうのが芽生えてきたわけじゃない。
だけど、そこに彼女の主演映画の話が来て、彼女は掌を返したように、本来の夢が叶ったから、じゃあ、私行くわ、じゃあね!てな具合で出て行き、ジンイルからの愛の告白も、いづみの態度にキレた裕子によって、届かず……それでも、彼女は試合に戻ってくるっていうね、そこまでの心変わりがね、ピンとこないんだよね。

ただ一人見送りに来た 聡子の心のこもったお弁当だけじゃ、あまりにもベタすぎるじゃない。一応、入れとかなきゃ、みたいなぐらい、お約束すぎるんだもの、このエピソード自体。
「いづみちゃんは、昔から違ったからな!」なんて台詞も、なんか過去に何回も聞いた気がする。
弁当を頬張って涙ぐむなんて、それだけで戻ってくるには、あまりに浪花節すぎじゃん。それまでがカーリングだけに邁進した上での衝突じゃないから余計にさ。またしても、シムソンズと比較しちゃうけど……。
で、結局、戻ってきた試合に負けるでしょ。そこでもさ、主演映画を蹴ってまで、しかもいづみは自分の力を過信して負けたのに、メンバーは彼女が戻ってきてくれたことに感謝してるのか、ひたすら優しいだけでさ。
それに対していづみが憤るのも判るし、観客もなんか拍子抜けしちゃう。で、いきなり愛の場面になっちゃうわけでしょ。なんかなー。
結局はオリンピックうんぬんというのは、シムソンズに向けたちょっとしたパロディで終わってしまったようにも思えるし、ヒロインがカーリングをやる理由づけとしても、なんか弱かったな……。

最初に戻ると、そもそも、ジンイルがいづみと出会った時にさ、「日本は開放的だな。こんなカワイイ子がカンタンに寝るんだから」と彼は単純に喜んでたけど、自分がスヒョンに似ているという自覚がなくて、自分の口説きに参ったぐらいにうぬぼれてるってのもね、薄くシニカル。日本の女の子は、そんなにバカじゃない。きっちり計算して、彼女は彼と寝たのだ。
しかしそれを、結局は彼は最後までちゃんと知ることはなかったよなあ。勿論、カン・スヒョンだと思ったから、ってあたりまでは判ってても、それで彼と寝れば、韓国映画の役がもらえるといづみが思っているなんてことまでは判ってなかった。本音をぶつけた場面でも、パクちゃんと裕子は気をつかって違う訳をしたんだもん。
それをぶつけて、もっと深い部分で大喧嘩したら、また違ったのかもしれない。でもその根本的な部分を、カーリングでかわされてしまった。そういう感じだから、どちらにしてもスッキリとカタルシスがないまま終わってしまったのかもしれない。

韓国に帰るジンイルを、いづみが追ってくる。空港で彼を捕まえる。もうどこかあきらめ気味だったジンイルなんだけど、パクちゃんや裕子に後押しされて、いづみに気持ちを伝える決心をする。
「素敵な夜、ボクにください」と出会いの時、いづみに言った口説き文句を口にすると、いづみ、ちょっと恥ずかしそうに、「バッカじゃないの」。
抱き合う二人に、まだ心配そうに近距離でくっついているパクちゃんと裕子に、「もう通訳はいいから」と日本語とハングル語で追い払う二人。

あ、何気にこの時には、パクちゃんと裕子はいい仲になってるんだけどね。
ウソの通訳をして二人を引き裂いてしまったことを落ち込む裕子に、「サランヘヨ」と囁くパクちゃん。「……ウソ!」と驚く裕子を、「あなたがどんな人でも、僕はあなたが好きです」と彼は優しく抱きしめる。
メインの二人より、よっぽどグッときたなあ。

で、二人して韓国に行って(この時点でいづみはパスポートを持っていたのかなあ……)しばしの時が流れたと思しき間があり、次の場面は韓国の地。なんと、ホンモノの、ホクロのある(笑)カン・スヒョンと共演しているいづみ!
カットの声がかかり、いづみはスヒョンの誘いを断わり、夫の試合に駆けつける。ちょうど、最後のショットをジンイルが決めたところで、オリンピック出場が決定!
大団円だけど、今や世界を席巻する韓国エンタメ業界に、日本では売れない女優だった彼女がカンタンに入り込めるのか、という、ちょっとナメた気分も正直、感じるけどなあ。

でも、ここも皮肉の伏線がつながっているのかもしれない。
トウが立って、死体役しかこなくなったいづみに、「スポーツ選手でも捕まえて……」と事務所の社長は言った。
図らずも、国は違えど彼女はそれをなし得たのであり、もしかしたらそのために、この国で成功したのかもしれないんである。
だって、オリンピックを決めるチームの中心選手なんだもん。ロマンチックなだけのハッピーエンドじゃないのかもしれないんだよなあ。

ふとっちょ聡子がそれまで背負っていた赤ちゃんの替わりに、試合ではランドセルを背負ってバランスをとったり、やかんをストーンに見立てて凍った道路で練習したり、ちょっとサムい描写が多いのも気になるんだけど……。
それに根本的な部分で、彼、スヒョン様と言われるには、首を傾げちゃうようなオジサンくささだしなあ。
まあ、でも、「時の香り 〜リメンバー・ミー〜」「紀子の食卓」で、韓国映画ファンには知られているハズのフッキーだから、本作は韓国でもそれなりに受け入れられるのかもしれない。★★★☆☆


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