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アンケート会場に着き、手渡された用紙の質問事項にいちいち悩む。
●好きなブランド
私「私、ブランドって全然判らなくて……イトーヨーカドーとかダイエーじゃダメですよね……」
美少女「……。え、全然持ってないですか?(私が出していたサイフを見て)あ、ヴィトンじゃないですか」
私「これ、以前バイトしてたつぼ八の社長(というと本社の社長みたいだけど、つまりそのフランチャイズ店を経営している社長さん)が机の奥から取り出して“お前はさげまんだから、これであげまんになれ”って、くれたんですよ」
美少女「……。あ、そのイヤリング、すごい、ファスナーの形してる!なんかロゴ入ってますよ」
私「ロゴっていうか……YKK」
美少女「……。」
●普段使っている化粧品
私「化粧しないんですよ〜。しなくても平気な職場だし、アレルギーあるから化粧するとエレファントマンになっちゃうんで」
美少女「え、エレファントマンて、なんですか?」
私「(え、知らないのか、世代の違いかしら)映画で、あるんだけど……顔がこう、できものではれあがってる」
美少女「……。」
●あこがれの、あるいは理想の女性タレント
(うー、好きな女優はたくさんいるんだよなあ……と悩みまくる私)
美少女「中谷美紀さんとかどうですか?」
私「(なんで中谷美紀?)自分より年下だとね〜……」
美少女「松嶋菜々子さんとか」
私「(なんで松嶋菜々子?)う〜ん……」
とその時、私の頭の上にピン、と電球が点って、あ、そうだそうだ、この人だ、と私が書いたのは、松田美由紀。
美少女「え、誰ですかあ?それ」
私「(……知らないか……)うーん、女優さんなんだけど……えーと、松田優作の奥さんで」
美少女「えー、じゃあ、有名な人なんですね!」
じゃあ、ってなんだよ……。それに別に松田優作はどーでもいいのさ、私は。松田美由紀が好きなんだもん。なんたって、可愛い。特にあの喋り方に、私はいちいちノックダウンされるんである。三人の子持ちにはとても見えない、きゃしゃな少女のように可愛いのに、でもしっかりお母さんで、柔軟性のあるタフさを持ってるところも素敵。私は結婚願望もお母さん願望も今のとことりあえずないのだけど、松田美由紀の、そうしたものを気負いなく軽々とこえてるしなやかな美しさにはホレる。
あ、言い忘れましたが、くだんの美容室アンケート、まあどうやら何か製品を売りつけられる場であったらしいのですが、とことん会話のかみあわない上、いわゆる顧客層ではないと判断されたのか、半額券だけくれてあっさり帰されました。んで、おっそろしく前置きが長かったですけど、そう、私が言いたかったのは、松田美由紀がステキ!ということなのでした。今年は「のど自慢」や「あの、夏の日 とんでろ じいちゃん」などで、そのチャーミングでコケティッシュなママぶりをいかんなく発揮し、その可愛らしい口調で私をメロメロにしたニクい女性!個人的に、'99年度の女優賞は松田美由紀に捧げたいです。「御法度」でデビューの長男、松田龍平は、もちろん松田優作の面影を映してますけど、彼が魅力的な要因は、母、松田美由紀から受け継いだしなやかな美しさにあり!と私は言いたいですねえ〜。あのきめの細かい色白の肌の美しさや、やさしげな面立ち、しなやかな身の動きは母親譲りでしょう。
えー、ここで、掲示板にも書きましたけど、'99年度のMYベストテンを勝手に発表〜。
※'98年11月公開〜'99年11月公開
(邦画)
1.千年旅人
2.avec mon mari
3.あの、夏の日 とんでろ じいちゃん
4.M/OTHER
5.日本黒社会 LEY LINES
6.洗濯機は俺にまかせろ
7.グループ魂のでんきまむし
8.クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦/くれしんパラダイス!メイド・イン埼玉
9.ドッグス
10.鉄道員(ぽっぽや)
[次点]
アイ・ラヴ・ユー
大阪物語
共犯者
KINO
のど自慢
まひるのほし
虹の岬
(洋画)
1.ラブ・ゴーゴー
2.ウェディング・シンガー
3.八月のクリスマス
4.シックス・ストリング・サムライ
5.ヴァンパイア 最期の聖戦
6.スパイシー・ラブスープ
7.輝きの海
8.トップレス
9.WHO AM I?
10.運動靴と赤い金魚
毎年のことですが、ほんとに順位づけなんて出来やしませんわ。特に邦画では苦悩。'99年も個性的で面白くて、ワクワクして、泣かせて、心揺さぶってくれた映画がいっぱいありました。映画があるから、私は日々元気に暮らせるのです!
あ、そうそう、なんかスゴイこと書いてしまいましたが、私は別にその“つぼ八の社長”と何があったわけでもありませんよ〜!
実は映画チラシコレクターだったりもする私めは、もうすでにチラシの重さで部屋がつぶれそうなのだけれど、やめられない。たまにレアものを買う場合はあるけど、基本的に何たってタダだからね。チラシでなんたって面白いのは同一作品の別バージョンチラシ。全く違う角度から、あるいは微妙に違う切り込み方で、あるいはただたんに紙の材質だけが違う(途中から宣伝予算が削られたのか?)なんてものまでいろいろあるのだけど、最近私を大いに喜ばせてくれたのが正月公開の大島渚監督大久々の作品「御法度」のそれ。新撰組五人(松田龍平、ビートたけし、武田真治、浅野忠信、崔洋一)+大島監督の六人それぞれがワダエミデザインの羽織袴に二本差し姿で撮られたもの、つまり六バージョンあるのだ!私は劇場で狂喜し、係員に見つからないようにこっそり六枚全てをgetしたのであった。これ、デザインがまたクールなのだよ。白一色のバックに柔らかなモノクロで撮られた人物のミディアムショット、右上横に小さく黒の明朝体で役柄(たとえば松田龍平なら“新撰組隊士 加納惣三郎”、監督だけは“監督 脚本 大島渚”)が書かれ、それに重なるようにして淡い藤色で“私が狂っているのか?”のキャッチコピー。これが大島監督版にも書かれているのがミソ。下1/4のところにやはり藤色、明朝体で大きく“御法度 GOHATTO”のタイトル、その下に出演者のクレジット。余計な装飾や宣伝文句一切なし。他の(主にハリウッド映画に代表される)派手な色使いに主演スターの顔アップがドンドン!とくるタイプのチラシの中で俄然映える。特にこれが初お目見え、松田龍平の妖気ただよう美しさときたら!予告編でも彼のたたずまいは尋常じゃなく、いやがうえにも期待が高まってしまう。
予告編といえば、今一番!な予告編と言えば何たって「BULLET BALLET」!最初の企画段階を聞いてからだともう二年か三年待たされ続け、あわやオクラかと思いかけていた塚本晋也監督作品、もう早く観たい観たい観たいッ!そしてもうひとつ、これは今月末に公開される三池崇史監督の「DEAD ALIVE」瀕死の哀川翔が背中からとんでもないデカさのミサイル?をズコッ!と取り出すところでカットアウトされる予告編には鳥肌モノでザワザワ!手書き筆文字風に書かれた「日本映画界のテポドンミサイル、三池崇史監督」のキャッチコピーに思わず笑いながらも、うーん、確かに言い得て妙!?
アクセス2000件(おありがとうございます!)を機に、掲示板を設置しました。レンタルなんで、書き込みがあまりにもないと消滅してしまう!みなさま、どんなことでもお気軽に書き込みよろしゅうお願いします。お父様、お母様、メール機能がぶっ壊れているなら、ここでお話いたしましょう。
先日、ここのホームページにオフィシャルホームページのリンク貼る許可を口実に、私が長年ファンやっているピアニスト様にメールを送ったら、おおー、返事がきた!……そりゃまっ、返事が来るのを期待して出したんだけど、いやー、嬉しかった。メールって、手紙よりも簡単に返信できるから、返事が来る確率が高いのがいいですよね。“いつか必ず映画のサウンドトラックをやってみたい”の言葉、期待して待ってます!
ピアノといえば、私今ピアノを悪戦苦闘で習っているのだけど、子供時代にはエレクトーンという、あのいわゆるヤマハの商品のレッスンに通っていたのでした。あれって、もうどんどん新しい機種が出てきて、恐ろしいほどに複雑な機能がどんどこついてきて、もうパニックものだったのだけど、ま、それでも気にせず、弾いてたんですわ。ほしたら、ある日、“バキッ!”。
ベースと呼ばれる、足で弾く巨大な鍵盤を踏み折っちゃった……。
新機種になればなるほど、なんか作りはきゃしゃになってって、コワイなーとは思っていたけど、いくらなんでもコレは……修理屋さんのオカマのヨネダさん(しぐさが女っぽいんだもん……って、なんて失礼な!)、「ヨネダですうー」と来訪し、事態を見て、絶句。「こんな例は全国的にも聞いたことないですねえ……」
しかも私、一度ならず、二度、三度とその愚行を繰り返し、ヨネダさんは、苦笑まじりにその都度来てくださいまして……でも、さすがに三回目になったら、「全国で数例あるみたいで」って言ってましたよ。いくらなんでも私だけじゃない!でも三本も折ったのは私だけらしいけど……というわけで、多少強度を増したものが出来て、その後はそんなこともなくなりました。はあー。
と、この話はちょっと特殊な例なんだけど、それでなくても私の使っている電気機器って、必ず一度は破壊の憂き目にあうのですわ。別に何にもしてないんだけど……。その昔、レコードプレーヤーもちゃんとついてる、えらくゴージャスなステレオがうちにあって、レコードは私しか聴いてないから、とかってちゃっかり両親からぶんどったんだけど、私が使い始めてからこの子は、なんだかおかしくなってきて……スイッチを入れると、最初の数分間、スピーカーから、ものすごい爆音が聞こえる!あまりにすごいので、それが収まるまで怖くて他の部屋に待避するほど。でも、そのあとは普通に使えるんだけど……。あれは意味不明でしたね。修理も不可能だった。結局ものすごーくもったいなかったのだけど、捨ててしまいました。今から思えばほんとにもったいなかった。あー、レコードが聴きたい。
CDコンポも、直しても直しても読み取りレンズの調子がおかしくなっちゃって、これもサンヨーの修理マンを苦悩させてしまいました。そう、この時も何度となく来てくれた修理マン、黒ぶち眼鏡が顔に埋まっているかのような、ウッチャンがその昔やってた満腹ふとるみたいに巨体のお兄さんで、汗を拭き拭き、何ででしょうねえ、おかしいですねえ、すみませんけど、持ち帰ってちゃんと解体しないと判らないですねえ、と毎回すまなそうに頭を下げて、破壊女の私はひじょーに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そう、それに今使ってるウォークマンも、ディスクマンも、何度修理に出したかしれない……。
だからもう、私のパソもいつ自爆するか気が気ではないのですよ。なんか最近意味もなく文字化けするしなあ……うわー、コワッ。入れてる情報全部文字化けしたらどおしよう。それにピアノだって電子ピアノだもの。私、なにか電磁波でも発してるんですかね……おそろし。
私がよく利用している銀座SONYビル一階のチケットぴあ、先日そこに某映画のチケットを買いに行ったら、いやあー、びっくりびっくり。そこのお姉さん、鼻毛が!!もう、デッキブラシみたいに黒々と密度の濃いやつがぼそっ!!と出てるのだ。いやね、感じのいい人で、美人だし、しかもメイクもきちんとしてるのに……そう、メイクしてるのに!鏡見ながらメイク、するでしょう。なんであんなスーパーな鼻毛に気づかないわけ!?それに、彼女一人じゃなく、そこにはもう一人お姉さんいるし、他の同僚だって、教えてあげればいいのに……いやでも、いくらなんでも言いづらいだろうけどさあ……。
掲示板をですね、置こうかどうしようか悩んでて。HPを作る時からどうしようかなあとは思っていたのだけど、誰も書き込んでくれなかったら寂しいしなあ、などと思ったりして。自分自身が横着者だから、今一つ運営していく自信もないし。どう思われますか、みなさん、書き込んでくれますかいなあ。
あー、なんか今日は話題がまとまらないままでした。つれづれなるまま……。もう一つどうでもいいこと。ビールやチューハイよりもワインや果実酒が飲みたくなって、秋を感じる今日このごろ、でした。
彼のファンはどう思っているんだろう。もちろんこの事で離れていくファンもいるだろうし、それは仕方のないことだろうけれど、絶対に戻ってきて欲しいと願っているファンがたくさんいるはずだ。そうした声すらも黙殺されてしまうのだろうか?あるいはミュージシャン仲間は?もし、もし彼が本当にこのままいなくなってしまうのだとしたら、これは本当に恐ろしいことだ。彼の犯した罪ゆえとはいえ、社会の傲慢な“神の決定”が、一人の才能を握りつぶしたことになるのだから。いや、一人の人間の存在をと言ってしまっていいだろう。いくら、CDが永久的に残っていく記録だといったって、こんなに簡単に店頭から駆逐されている現実を目の当たりにすると、彼が作り出した音楽も強引に忘れさせられてしまうような気がして仕方がない。それでなくても昨今、あまりにもCDリリースラッシュで、これらが本当に残っていくものなのか、あるいは残っていくものがあるのかどうかさえ疑問なのに、はっきりと、音楽の才能があると判っているミュージシャンの作品が無に帰してしまうなんて許されることなんだろうか?
犯罪や犯罪者に対する、あるいは、犯罪に心ならずも関わってしまった人たちに対する社会の対応を見る時に、いつでも考え込んでしまう癖がついたのは、やはり「A」を観てからのような気がする。最近、オウム関連の事件が多発し、再び荒木浩広報副部長の姿を目にするようになって、彼はここにいるしかないのかなあ……などと思ってしまう。今回のマキハラ氏のことでも、人がいるべき場所で、あるべき姿でいることの困難さをつくづくと感じてしまう。私もいつだって一生懸命生きているつもりだけれど、自分はあるべき姿でいられているだろうか?
映画のことで好き勝手書いているのも、なんだか時々、とんでもなく傲慢な気がしてくるものだから……(しかも無責任なアマチュアが)。映画は一本に本当にたくさんのたくさんの人たちが、気の遠くなるほどの細かい準備を経て、精力を注ぎ込んで撮り、またしてもとほうもなく幾多の段階を経て、様々な人たちの尽力のおかげで私たち映画ファンが観ることが出来ているのに、それを一言のもとにけなしたおしたりしているのだもの……。そりゃ、映画は観客が観てそれぞれが感じとることによって完成するものだとは思うけれど、たくさんの人々の想いが込められていることはやっぱり常に頭において物を言わなければなあ……と思う。無責任に切って落とすのだけは、絶対にしたくない。けなすにしても丁寧に(!?)順序立てて批判する心は常に持っていたい。
なんだかちょっと話が飛躍してしまったけれど、いつでも考えに考えぬいていろんな事を判断したい、ということなのだ。人に対しても、犯罪に対しても、映画に対しても、どんなことでも。後悔しないように。人は不完全なものだから、自分の中に戒める心を持っていなければ、絶対に間違った判断を犯してしまうから。私は結構頭に血がのぼるタイプだから、ほんと、自戒を込めて。
この「日々雑感」、ちょっと滞っていたのは、私実はひそかにノストラダムスビリーバーだったので、無事8月を迎えたらと思っていたのであった。でも結構あっさり乗り越えてしまって拍子抜け。良かったけど……。で、“最後かもしれない日”7/31にネットでノストラダムスのことをいろいろあさってたら、かなり諸説があって、五島勉氏の1999年終末論はその中の一派にすぎないのだと今更ながら知る……。んで、7月ではなく8月なのだとか(ノストラダムスの時代の7月は今の時代の暦でいうと8月13日までなのだとか)、来年の7月なのだとか、いや実は数十年先なのだとか、とにかくいろいろあるわけで……もういいや、どおでも。
でもほら、子供時代の一時期って、“死”がとても怖くなかったですか?私はとてつもなく怖かった。これが例えば祖父母と一緒に暮らしている人だったら、老いとか死とかが身近に感じられて、そうでもないのかもしれないけど、私のうちは転勤族で親族はいつでも遠くにいて一年に一度会えるかどうかって感じの、いわゆる核家族だったし。だから死の概念がつかめなくて、未知なものに対する恐怖感みたいなものもあったと思う。一人で、部屋で、死ぬってどういう事だろうと考えだすと怖くて怖くてたまらなくて。底のない、ブラックホールのような暗闇に永遠に飲み込まれていくような、そんなイメージを漠然と抱いて震えていたような記憶がある。逆にそれは死に対して抗いがたい魅力を感じていたとも言えるんだけど……そう言えば、いまだに私ってそうだな、死生感フェチ。
それで、そういうセンシティブな時期に読んでしまったのがかの五島勉著「ノストラダムスの大予言」だったのであった。そのあとのいわゆる“大予言”シリーズは全く読んでいないし、テレビとかの特集番組も見ていない。私にとってのノストラダムスはこの一冊だけであり、まさしく刷り込まれてしまったわけ。私にもそういう信じやすい、可愛らしい時期があったのだよ(しみじみ)。とにかく、怖かった、この本を読んだ時。実はこれは父親の蔵書だったのだけど、私がことあるごとにこの本をこっそり引っ張り出して読んでるうちに、いつのまにか私の本棚に移動していた。要するにガメちゃったのですな。だから私は小学生の時からずっとずっとずうーっと、“私は27になる年に死ぬんだ”と思い続けていたわけで。だから今年は初めっからその意識だったから、誕生日(8月です)が来ていないのに、年を聞かれるシチュエイションの時になると27歳と言ってしまって。逆にサバよんでどうするっての……それにほんとに7月に滅亡するんだったら、私は27歳にはならないのに。
でも、7月には破滅は来ずに、私の誕生月になりまして。で、もうこうなったら、ノストラダムス時代の7月の終わる8月13日までも何もなく過ぎ、さらに来年のその時期も飛び越え、私が老衰で死ぬまで、何もなく過ぎることを願いましょう。
……それにしても、この暑さ!この殺人的な暑さに参った私は、この灼熱地獄で人類滅亡するのかと思っちゃったくらい。皆様、ご自愛くださいね。ではでは。
ほーいえばこの間、久々に映画館で痴漢に遭った。痴漢に遭わないようにするため、人の来にくい場所に席を取るとか、暗闇で女だと判断しかねる格好をするとかの努力をしているので最近はめったに遭遇していなかったのだが。ところは有楽町スバル座、かかっていた番組は「もういちど逢いたくて/星月童話」。多少こみあっていた場内だったが、いつものように誰も座っていない一番前の右側に陣取って観ていた私。すると作業着風の格好をしたオッサンが途中入場してきた。こんな映画をオッサン一人で観に来るなんてめずらしいなあ、と思っていたら、私の隣に座った。おーい、なんでやねん!真ん中がさんざん空いてるだろうがあ!と、隣に座られると集中力が極端に低下する私は心の中で悪態をついた。するとオッサンは不自然な程の角度で私の方に向かって足を組んで膝をじりじりと近づけ、私の席と共有しているひじ掛けに大袈裟にひじを張り出してきた。
ムムッ!久々に痴漢か!と悟った私。ほーか、ほーか。この私に痴漢行為をやる気か。それにしてもこんなチャイニーズボーイみたいな格好した、のび太顔の私に痴漢するなんざ、なんてマニアックなオッサンなんだ。それともこのオッサン、勘違いしてるホモ痴漢?以前までは痴漢には相当ビビッて仕方なく席を移っていた私だが、後ろの席は結構込んでいるし、この位置の席はお気に入りなのでどうしても替わりたくない。加えてこの日はなぜか頭が冷めていた。これまでは後からああすればよかった、と痴漢相手に臆していたことを後悔していたのを、今なら確実に出来るという確信があった。よーし、来るなら来やがれ!
オッサンは私の膝あたりで手をひらひらやりだしてきた。おーし、触るなら触れ。私の頭の中ではもはやシュミレーションが出来ている。オッサンが触ってきたら、私はゆっくりと落ち着いて、バッグから眉毛カット用の、先の尖ったハサミを取り出し、おもむろにその手にぶっ刺してやる。それとも、先に私の飲んでいるお茶を、おっさんのおいたしている手に、たかあーい位置から、まるでカフェオレでも注ぐみたいにかけてやってからがいいだろうか……。心の中で含み笑いをしながら計画を練っている私は、すっかりヨユーで足を前方に投げ出し、腕組みをしてオッサンの出かたを待った。しかしオッサンは、チラチラ私の方を確認するような視線を送っているのだが、そこからいっこうに行動をおこそうとしない。イライラした私はバッグからハサミではなくガムを取り出し、これ見よがしにくちゃくちゃと噛んでやった。……オッサンは席を立って出て行ってしまった。
その話を先輩にすると、私の、来るなら来やがれ、なオーラが発散されていたせいではないか、と言う。やはりおびえている様子とか見せると痴漢は喜ぶんだな、ということを学んだのだった。映画館での痴漢に悩む女性の皆様、参考になりましたでしょうか?
ホームページを立ち上げてから早いものでもう2ヶ月経ってしまった。最初は自分の映画記録・感想文をワープロ印刷からカードにおこすのがめんどくさくなったことからはじめたもんだから、本当に自分だけが見るものみたいな感覚だったのが、いろんな形の出会いがあって、びっくりである。ここ数年、学生の時には毎年のようにあった新しい出会いなんてなかったものだから、精神的に動揺しているほど。その中に築地魚河岸のHPを作っている方々との出会いがあって、リンクをはる許可をいただくためにメールを出したら、リレー日記に参加しないかとのお誘いが!そのページのファンだったので一も二もなくOKし、そのページを作っている方たちとも実際にお会いして同じ河岸に勤める同士、一気に距離が縮まってしまう。メールをやり取りしているとその相手との距離感覚って皆目つかめなくて、まるで別次元の人とコミュニケーションを取っているみたいなのだけど、こんなことが起こるのだからスリリング。んで、ちょっと前からそのリレー日記に、帳場のえりさんとして参加させていただいてるわけで。全く河岸というところはまともな人なんてまずいないので、ネタには事欠かないのだ。私ももう、まともな職には就けないであろう。河岸がなくならないことを切に祈ります。石原都知事、たのんます(あれは都の持ち物だからね)。ホームページを始めて以来、私はかなり舞い上がって、疲れ果てている。嬉しい疲労感。
の、せいなんだかどうかは知らないが、肩凝りはいっこうに治らない。まじめに毎日、あるいは一日おき、時には二日おきに(……)病院に通って牽引して、電気治療もしているのに、痛みは様々に変化しながらずっと引き続いている。そういえば、アメリカに一週間旅行に行った時、一週間治療をしないのだから、さぞかし大変なことになるかな、と思っていたが、その旅行の最中はまるでおさまっていて、治ったのかと思いきや、帰ってきたら当然のようにまた痛み出した。やはりデスクワークがいけないらしい。しかし私は仕事も趣味もみーんないすに座ってるものなんだから困ってしまう。
で、どうにもこうにもたまりかねて、先日マツキヨでふと、せんねん灸を買ってみた。最初だからと思って選んだのは、せんねん灸オフ ソフト灸という、いかにも優しそうなお灸である。せんねん灸って、せんねん灸株式会社の製造なのね。発売元はセネファ株式会社、なんとなく似た音が可笑しい。さて帰ってからうちにはマッチもライターもないことに気づき、その日は断念、翌日コンビニで98円のライターを購入し、早速試す。肩凝りの施灸ポイントだけでやたらとある。あちこちに欲張って施灸したものだから、部屋の中はもくもくと、ばーさんの匂いである。しかし、しかしだ。私の鋼鉄の肩と背中は殆ど熱さを感じないほどにコリコリなのだった……オフ、ソフトではダメだ。今度はレギュラーにんにく灸にしよう(しょうが灸、みそ灸もすてがたいが……)。
※お灸の台座を、一つだけはがし忘れたまま病院に行って、大恥かいた私であった。
先日はさんざんアメリカをけなしたおした私であったが、やはり単純であった、もーう、すっかりアメリカ好きになっちゃってるあたりが……とはいうものの、先の意見が変わったわけではないんだけど、やはり当地に行って見なければわからないその国の良さ。ひたすらボリュームのある食べ物をひたすら食べ続けた一週間、常にお腹はイカメシ状態、甘いものフリークの私にとってまさに天国のデザートの美味しさとその大量さ、お肉の何という美味しさ、双方ともに思っていたほど大味ではなく、食事のたびに「うう、美味いっ!」を連呼していたのであった。
いやいや、食べ物が良かったからアメリカ好きになっちゃったって、それじゃ、あんまりだがね(それもあるけど)。やはり、人の良さですかねー。といって、別に個人的にアメリカ人と接した訳じゃないんだけど、ごくごく自然に話し掛けてくるスーパーのオバチャンや靴屋のあんちゃん、こんなに人間ってナチュラルにコミュニケーションが取れるんだ、という感動。そういうのってわずらわしいような感じがしていたんだけど、カリフォルニアのおおらかな空の下だからなのかなあ、非常に心地のいい触れ合いなのだな。
一週間いただけの観光客だから住んでいる大変さは判らないけど、少なくとも対人間に関して嫌な思いはなかった。これが日本に来る外国人観光客だったら……と思うとちょっぴり暗澹たる気持ちになったりして。まあ、アメリカの中でも治安のいい土地だったせいもあるんだろうけど。
まっ、それでもひとつ気になったことを申しますと、全くゴミの分別がないことかな。アメリカの大きな大地では気にならないのかもしれないけど、かえってだからこそ、その自然を保持するために動いて欲しい。地震の少ない国は建物の骨組みが弱いけど、地震のエネルギーをため込んでる分、一気に来る時はすごくて、弱い建物群は一気に崩壊してしまう。ちょっと例えが違う気もするけど、アメリカの大地にそうやってため込んだ汚染物質が一気に吹き出す時の恐さを考えたら、そんなことを思い出してしまった。
おみやげのネクタイを買った時「貴方が払うんですか」と聞かれたのはショックだった。一体私をいくつだと思ったんだー!でも見た目は完璧チャイニーズボーイだったから仕方ないか……。
なぜかというとま、理由はいろいろあるんだけど、自分の国がリーダーシップを取っていると信じて疑わないところや、特にアジア人を侮蔑するような表現をする国粋主義的なところが圧倒的にイヤだし、表面的なヒューマニズムに酔いしれて、その裏で苦しんでいる人のいることに思いが及ばなかったり、そのために大局を見過ごすところなんかが我慢がならないのだ。
「プライベート・ライアン」に見られる、戦争に対する意識や、「インデペンデンス・デイ」や、「ディープ・インパクト」のアメリカ大統領賛美にはほとほと脱力してしまう。おまけに、あの手の映画で描かれる各国の描写のいいかげんなこと!
河岸にいると、捕鯨問題なんかにも思いが及ぶのだけど、あの、グリーン・ピース(ま、あれはアメリカだけじゃないけど)がいかに幼稚な論理で実は生態系をぶっ壊しているか。まるで見えるところでお手伝いして誉められたがっている子供みたいなんだもの。
こんなことを言っていると、まるで私、右翼みたい……(私は違いますよ)これで戯れに“三島由紀夫が好き”とか言ったら、ほんとに誘いが来たりして(ほんとに違うってば)。
なんでそれでアメリカ旅行に行くかというと、姉が旦那の仕事の都合で向こうに住んでいるからで、ま、一生に一度海外旅行をするのもいいかな、と思ったのであった。一週間映画が観られないのがちとつらい。しかもニューヨークとかロスだったら、日本映画をやってるところを探し出すのも出来るかもしれないけど、姉のいるところはサンノゼという田舎なので。それもかなわない(でも地元の映画館には行くけど)。
しかしなんだかんだと言いつつ、私は単純極まりない人間なので、コロッと認識が変わっちゃうこと必至なのである。それに甘いものフリークなので、アメリカに行ったら、いかにもアメリカーンなゴテゴテにデコレーションした腐りそうに甘いデザートを食べようと楽しみにしているのだった。それにワイナリーも行くのでワインも飲むぞー!うーん、やはり色気より食い気……。
稲垣足穂の「少年愛の美学」(河出文庫)を読み終える。ご推察の通り、タイトルに惹かれて買ったのだけど(ジェラール・フィリップ映画祭をキネカ大森に観に行った時、西友の前でやってた古本市場で200円で買った(笑))まあほんとにこれが面白いんだけど、とにかくとんでもないんだ!今までこの稲垣足穂に対して全く無知だった私……(日本文学専攻だったくせに!)。
精神的な少年愛については“全く”触れられず、とにかくA感覚賛美に尽きるという(A感覚と言って判らなければ、それと対比してP感覚、V感覚があると言えば判るでしょう!)ぶっ飛んだ内容。丸い大きなメロンだの、粉をふいたお餅だのと、喩えもかなりイッちゃってる。果てはPAPAPA……と連なる輪の話まで嬉々として語られて、もう、こいつ絶対変態だ……と(同性愛という次元を飛び越えて完全にフェチなんだもの)読みながら何度となく心の中でつぶやく私。
当然と言おうか何と言おうか、彼の女性に対する嫌悪(としか思えない!)もまたすさまじいのだけど、それもまたA感覚賛美から端を発するフェチ的な感覚で書かれるので、もはや腹を立てる気にもならない。そうでなくても彼の女性批評は当たらずとも遠からずというか、いやそれよりももっと積極的にかなり的を得ているので、結構こっちが落ち込んでしまう。しかし少年美にしたって、せいぜいが13歳〜14歳まで(!)だと言うのだから厳しい。彼に言わせると、少年の美が完成形で、女性の美は少年美を模倣したものなのだそうな。肌色のストッキング(ストッキングを持ち出すところがフェチなんだよなー)は少年の素足を再現しようとしているんだって……そうですか?
中野武蔵野ホールにアンコールロードショーで来ていた「クジラの跳躍」を再び観に行く。ああ、やっぱりものすごい惚れまくり!そして今回は初期の短編「クリスタリゼーション」も併映されていて、これがまためっちゃくちゃ可愛いのだ!手描き風の線画のアニメーション、一緒に住んでるねずみくんとくまくんがある朝目覚めると街が結晶化されている。薄荷の匂いのする寒い街。この“薄荷の匂いのする”とか“結晶化された街”に北国育ちの私はすごーく共感しちゃうんだよなあー。空気までぱりぱりしてるような、ひたすらクリアに澄み切ってる冬の凍ったあの空気。たむら氏、ほんと素晴らしい!
※おすすめ、たむら氏のホームページへジャンプ!
先日の日本アカデミー賞。毎年、見れば腹が立つということが判っていながらつい見てしまう。だってやっぱり映画人の姿を見たいのだもの……。と言いつつ、やっぱり納得行かないんだよなあー。何がイヤって、まず、関口宏が司会だということだ。この人のまさしく“知ってるつもりになってるだけ”な感じがどうしても好きになれない(のは私だけ?)ああ、父親は偉大だったのに……。
そして選んでる人の顔が見えないのもイヤだ。他の映画賞は選考委員が誰かを明らかにしているのに。だからつい、テレビ局の意向が働いているのではないかなんて、疑ってしまう。特に去年、おととしは日テレ製作作品が総ナメだったし……。
今回はそれはなかったものの、やはりあの「HANA−BI」が音楽賞のみにとどまったのが、納得行かない!ま、これは自分の好みの問題なんだけど……。それに“海外の映画祭で認められた”っていうのを連呼するのも気に入らないが、それを言うなら「SADA」だってベルリン国際映画祭で批評家連盟賞を取ったのに、なぜこうも徹底的に無視され、ノミネートすらないのか!?司会に黒木瞳を迎えてて、しかも主演女優賞のプレゼンターでもあるんだから、よけいに納得が行かないんである。私は「SADA」傑作だと思うんだけどなあ……。